たまりば

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2020年07月30日

高校数Ⅱ「図形と方程式」。直線の方程式の求め方。その4。




問題 直線 y=2x+1に関して、点A(3,2)と対称な点Bの座標を求めよ。

さて、応用問題に入ってきました。

解き方がすぐにピンときたなら必要ありませんが、わからないときは、グラフを描いて考えるのが得策です。
グラフを描くのが苦手で、時間がかかり、かつ間違ったグラフを描いてしまいがちな人もいると思います。
しかし、そこでひるんでグラフを描くのをやめてしまうと、この先の問題を自力で解くのはかなり難しくなります。
グラフは描き慣れれば速く描けるようになりますし、正しく描けるようにもなります。
練習あるのみです。

高校生がグラフを描くのを見たとき、これまでで一番驚いたのは、普通の横罫線のノートに、定規で x 軸と y 軸を引いてから、そこに5ミリおきに目盛りを書き込み、それから、これまた定規を使って直線を引いた子を見たときです。
「高校生は、グラフはフリーハンドで描きましょう。センター試験では、定規の使用は禁止されています。学校のテストも、定規は使用できないでしょう?」
と声をかけると、それは知っていて、石のように固い表情になりました。
フリーハンドでは上手く描けない。
見た目が汚い。
だから、自分のノートでは定規を使いたいというのです。

不器用でありながら、潔癖。
テストのときは定規を使ってはいけないと知っているが、自分のノートくらいはきれいに描きたい。
そういう思いが強いようでした。
「問題を解くための参考にするだけのグラフをそんなに丁寧に描いたら、1題解くのに30分くらいかかりませんか」
そう声をかけても、固い表情のままでした。
「テストのときには定規を使えないんですから、普段から使わない練習をしていないと、テストのときに余計な心の負担や緊張が生まれませんか」
そう説得しても、ダメでした。

しかし、しばらくして、同じ単元を復習したときに、グラフをフリーハンドで描くようになっていました。
どういう気持ちの変化があったのかは、わかりません。
学校で何か言われたか。
友達から助言されたか。


中学までは、直線のグラフは、方眼紙に定規を使って描きます。
格子点から1ミリずれていたら、減点、あるいはバツといった厳しい採点基準があります。
あれも、鬱陶しい話です。
定規を格子点の真上に当ててしまう子は、そのまま直線を引いてしまい、必ずズレます。
ペンの幅というものを考えていないのです。
置き方が適当だと、さらにズレます。
そういう子たちには、定規の使い方の指導をする必要があります。

小学校では、筆算のときに引く横線は定規を使え、分数の横線も定規を使え、と訳のわからない要求をする先生もいるようです。
首を傾げざるを得ない指導ですが、そういう指導をしないと、ぐにゃぐにゃと曲がった線を描き、筆算がどんどん斜めになっていき、計算ミスをしてしまう子がいるのも事実。
そのための指導なのだとは思います。
定規ばっかり使っているから、いつまでもきれいな直線が引けないのだ、とも言えますが。
三鷹の学校の先生でそういう人がいるという話を聞いたことがないのは幸いですが、以前、筆算の横線に必ず定規を使う小学生の女の子に出会ったことはあります。
まだ小学生なので、使いたいものは使えばいいやとほおっておいたら、そのうち使わなくなりました。


なぜ高校数学では、グラフは定規を使わずに描くのか?
正確な理由はわかりません。
あまり勉強が得意ではない生徒の通う高校の数Ⅰの宿題プリントが方眼紙だったのを見たこともあります。
そこに定規でグラフを描く宿題でした。
方眼紙と定規を使わないとグラフを描けない子もいる。
それも事実だろうと思います。

ただ、放物線は、定規では描けません。
この先の数Ⅱで学習するその他の曲線になったらもっとそうです。
問題を解くのに特に必要としない正確さや手間を省くには、フリーハンドで目盛なしのグラフを描くのが便利です。
曲線はフリーハンドなのに、一緒に描く直線だけ定規というのも、変に直線だけ目立って不格好です。
全部フリーハンドでいいんじゃないんでしょうか。

大体でいいのが、フリーハンドの利点です。
この図は大体の図です。
概念図です。
フリーハンドは、そういう合図なのだと思います。


なぜ高校数学では、グラフは定規を使わずに描くのか?
ネットで少し調べてみましたが、
「グラフは定規を使わずに描くものだ」
「直線や円くらいはフリーハンドで正確に描け」
といった上から目線の書き方のものが多く、うわー、数学好きの悪いところ丸出しだなあと、恥ずかしくなってしまいました。
理屈を好むわりに、自分が確信している大元のところを問われると、高圧的になる。
ダメダメ、そういうのは。

いずれ、パソコンやタブレットで問題を解くのが常態になれば、フリーハンドで直線を引くことそのものがありえない時代もくるかもしれません。
共通テスト試行試験では、太郎と花子がパソコンソフトで放物線を動かしている問題が出題されました。
今は、そういう時代です。
2点を決定すれば、画面に直線が描かれます。
中心と半径を決定すれば、画面に円が描かれます。
そうした時代に、フリーハンドで直線や円を正確に描くことは、なお要求される能力なのかどうか。
要求されるかもしれない。
要求されないかもしれない。
そうしたことを改めて考えてもよいのではないかと思います。

しかし、現状、高校の数学のテストで定規の使用は許されていません。
テストは、パソコン画面ではなく、紙で行われます。
定規を使わずにグラフを描く練習は必要です。
その辺は現実的な対応をしましょう。

問題に戻りましょう。

問題 直線 y=2x+1に関して、点A(3,2)と対称な点Bの座標を求めよ。

グラフを描きましょう。
x軸とy軸をまず描きます。
目盛は入れません。
そこに、y切片が1で、右上がりの直線をささっと描きます。
適当でいいんです。
その座標平面に、点A(3,2)を打ち込みます。
パッと感覚的に、この点は直線の右下にあるなとわかればそれでよいのです。
わからなければ、計算します。
この直線上で、x=3のとき、y=5です。
(3,2)は、(3,5)より下の位置にあります。
これも、神経質な人は、正確に(3,2)の点を打とうとして、グラフとのバランスが取れず、ああ、グラフが間違っていたんだと癇癪を起こしたように全部消して最初からやり直したりする人がいます。
(3,2)は、座標平面の第1象限に入っていれば、大丈夫です。
ちょっと歪んでいるのは、心の目で補正しましょう。
それも耐えられないなら、x軸、y軸を描くのを止めるという手もあります。
右上がりの直線だけを描く。
それでも大丈夫です。

次に、この点Aと対称な点Bを大体のイメージで良いですから、座標平面上に打ち込んでみます。
「線対称」は、小学6年生で最初に学習する内容です。
線対称というのは、どういう性質があったでしょうか?
線対称のとき、対応する点と点とを結ぶ線分は、対称の軸と垂直に交わる。
線対称のとき、対応する点と対称の軸との距離は等しい。

6年生の段階で、はっきりとこれらのことを学んでいるのですが、忘れている人も多いと思います。
このことを利用し、
「図の中で、垂直に交わっている直線はどれとどれですか?」
「図の中で長さの等しい線分はどれとどれですか?
といった問題を解いたはずですが、個々の問題の解き方だけ覚え、根本のルールは記憶から消えている人もいるかもしれません。

小学生のときも、中学1年でも、まるでドリルのように繰り返し解いた問題。
そこで終わってしまうので、小6や中1の頃は、
「だから何なの?当たり前じゃん」
という印象だった問題。
いよいよ、この知識が結実するのです。
繰り返し解いたドリルのような問題は、根本のルールを理解し、脳の奥深くに浸透させ、やがて高校数学で使うためにあったのです。

求めたい点Bの座標を(p,q)としましょう。
このpとqの値を求めれば良いわけです。
直線ABの傾きは、q-2/p-3 と表されます。
直線の傾きは、変化の割合と等しく、yの増加量/xの増加量 だからです。
この直線ABは、対称の軸である、y=2x+1 と垂直に交わりますから、傾きの積は-1です。
よって、2・q-2/p-3=-1
これを変形して、pとqの関係を表す式を1本導いておきましょう。
両辺に p-3 をかけて、
2(q-2)=-(p-3)
2q-4=-p+3
p+2q=7 ・・・①

pとqの値を求めるには、もう1本、pとqに関する式があれば良いです。
線対称の性質には、もう1つ、対称の点から対称の軸までの距離は等しいというものがありました。
言い換えれば、2点の中点は対称の軸上にあります。
点A(3,2)と点B(p,q)の中点の座標は、(p+3 /2,q+2 /2)。
これは対称の軸上の点ですから、このx座標とy座標は、y=2x+1 の関係を満たします。
よって、
q+2 / 2=2(p+3 / 2)+1
これを整理すると、
q+2 / 2=p+3+1
q+2=2p+8
-2p+q=6 ・・・②

この①、②を連立して解くと、
p=-1、q=4
よって点Bの座標は(-1,4) です。


応用問題とはいえ、まだ易しい。
そんなに複雑な問題ではないはずなのですが、この問題、以前、大人のための数学教室で解いたときは、かなり難渋しました。
解説を終えて、
「質問はありますか」
と問いかけたところ、
「何をやっているのか全くわからない」
という感想を参加者の方が口にしたのです。

何をやっているのか、全くわからない?
え?
何で?

後になって振り返ると、分岐点は、①の式を作るときにありました。
垂直に交わるのだから、傾きの積は-1になりますよね?
と、
q-2 / p-3 ・2=-1
という式を板書したときに、質問があったのです。
「それ、直線ABの傾きは、-1/2 である、という式にしていいですか?」
つまり、q-2 / p-3 =-1/2 という式にしたいと言うのです。
私は、内心、何でわざわざそうするのだろう?
と微かな違和感を抱きました。

なぜ、そんなアレンジをするのか?
これから式を整理するのだから、わざわざ直線ABの傾きは-1/2であることを暗算した上での式など立てなくても良いのだが?

しかし、参加者の方が書きたいと言った式は、間違った式ではありません。
その式にして良いかと問われて、ダメという理由はないのです。
「あ。いいですよ」
と、私は軽く受け流したのですが、後から考えれば、ここが分岐点だったのです。

どういうことだったのか?
参加者の方は、そのとき、p、qに関する式を作ろうとしていたのではなく、直線ABの式を求めようとしていたのです。
直線ABの式を求めようとしているのに、解説がその方向にいかず、pとqの式を整理したりしている。
何のために何をやっているのか、全くわからない・・・。

その誤解がようやく解けてから、私は、参加者に尋ねました。
「何で直線ABの式を求めようと思ったんですか?」
「今まで、ずっと直線の式を求めていたから」
「・・・・なるほど」

この問題は、点Bの座標を求める問題です。
B(p,q) と定めたら、後は p と q に関する式を2本作って連立方程式にすればいい、という解き方の流れが、私には見えていました。
しかし、教わる側は、その流れが見えていなかったのです。

解説はしたつもりでした。
点B(p,q) としましょう。
この p と q の値を求めれば良いですよね?と。

しかし、初めて見る問題の解説を聞きながらノートも取るという状態では、解説のなかの何が重要で、どれがキーワードであるのかの判断を誤ることがあるのだと思います。

大人のための教室は、このようにいつも示唆的でした。
数学の問題を解説していて、これは誤解の余地などないはずだと私が思っていることも、誤解の余地はあるのだということを教えてもらいました。
数学が苦手な子どもの多くは、何がわからないのかを語る言葉を持ちません。
日常会話ではおしゃべりな子も、論理的なことを正確に語るのは難しいことも多いです。
「どこがわからない?」
という質問は、その字面通りの質問なのですが、どんなに柔らかい口調で尋ねてもなお、
「なんでこれがわからないんだ?」
と責められているように感じることがあるようです。
もともと言葉で説明するのが苦手な子どもが、さらに責められていると感じたら、黙り込んでしまうのも当然なのかもしれません。

板書を1行ずつ指差しながら、
「ここはわかる?ここはわかる?何行目がわからない?」
と、私は、わからなくなっている行を明確にしようとするのですが、こちらのそういう意図を理解してくれず、黙り込んでしまう子もいます。
「まあ、いいや。次いこう、次」
と、勝手に諦める子もいます。

生徒がどこでつまずいているのかを知りたい。
何がわからないのかを知りたい。
何を誤解しているのかを知りたい。
それがわかれば、解決策はある・・・。



直線の式に関するさまざまな公式など、直線の式を求めることをずっとやっていると、応用問題でも、絶対に直線の式を求めるものだと思い込んでしまう・・・。

わからない原因が、そんなところにあったとは。

板書に書いてあること・テキストに書いてあることと、何か少しでも違うことを生徒がやろうとしているとき、生徒の頭の中で何か異変が起きている可能性を考えること。
微かな違和感を大切にすること。
それを改めて感じた出来事でした。

ところで、上の問題ですが、では、直線の式を求めてはいけないのか?
いえ、いけないことはありません。
そうやって解く方法もありえます。

もう一度問題に戻って考えてみましょう。

問題 直線y=2x+1に関して、点A(3,2)と対称な点Bの座標を求めよ。

線対称の性質から、直線y=2x+1と直線ABとは垂直に交わります。
それを利用して、直線ABの式を求めてみましょう。
傾きは-1/2で、点A(3,2)を通る直線ですから、公式に代入して、
y-2=-1/2(x-3)
これを整理して、
y=-1/2x+3/2+2
y=-1/2x+7/2
次に、直線ABと、y=2x+1の交点を求めましょう。
2本の式を連立して、
-1/2x+7/2=2x+1
これをxについて解きます。
-x+7=4x+2
-5x=-5
x=1
これをy=2x+1に代入して、
y=2・1+1
 =3
よって、2本の直線の交点の座標は、(1,3)。

さて、ここからどうするか?
点Aとこの交点との距離は、この交点と点Bとの距離と等しいです。
すなわち、点Aからこの交点への移動は、この交点から点Bへの移動と等しくなります。
点A(3,2)から交点(1,3)へは、x軸方向に-2、y軸方向に1だけ移動しています。
よって、交点の座標を同じだけ移動させると、
x座標は、1-2=-1。
y座標は、3+1=4。
よって、点B(-1,4)

あれ?
この解き方のほうがわかりやすいし、解きやすい。
そう思うでしょうか?

いいえ。
必要のない直線の式をわざわざ求める、遠回りな解き方です。
また、この解き方は、中点の座標が分数になったりすると、計算がかなり面倒くさくなりそうです。
さらに、今後のさらなる応用問題の解き方とのつながりがありません。

けれど、直線の式を求めることしか発想できないならば、とにかく直線の式を求めて、そこからその先を考える。
そういう試行錯誤が見られるという意味で、高校生が自力でこのように発想して解いたのなら素晴らしいと思います。
数学の応用問題を解けるようになるには、自力で問題を解いた経験を増やしていくことが何よりの糧になります。
いつも解答解説を見て解いている人が、テストのときだけ自力で問題を解くのは不可能です。
自力で解法を発見することが大切です。

けれど、それはそれとして、模範解答を読み、その解き方の良さに気づき、取り入れるとさらに力がつきます。
特に、ABの中点の座標が直線を通ることを用いる解き方は、汎用性があります。
この先の学習のために身につけておきたい解き方です。

高校3年生には、同じ入試問題を解くのでも、どう解けば時間を短縮できるのか、どの解き方が計算ミスが少なく楽なのかという方針で授業を進めるようになります。
基礎学力はあるので、普通の解き方ならもう説明は不要な子には、どうブラッシュアップしていくかがその先の課題です。

例えば、反復試行の確率と条件付き確率の混合問題などで、
「私もこれを自分で解いたとき、うっかり数値をそのまま代入しちゃって、計算がウザくてウザくて大変だったんだけど、ここは数値をいったん文字にして式を整理すると、すぐにスッキリするよね」
といった解説をすると、
「ははあー。文明開化の音がしますね」
といった反応がある子には、手応えを感じます。
解き方は1つではない。
より洗練された解き方は、どういうものか?
それを模索していくのも、数学の楽しみの1つだと思います。


  


  • Posted by セギ at 13:44Comments(0)算数・数学

    2020年07月26日

    高校英語。関係副詞の where。



    今回は、関係副詞 where です。
    まずは、こんな問題を解いてみましょう。

    問題 以下の空所に適語を補充せよ。
    (1) The road (  ) we traveled was beautiful.
    (2) Do you know the town (  ) he visited last month?

    関係副詞は4種類しかなく、その4種類の中での使い分けなら比較的簡単なのですが、上のような問題になった途端に正答率が下がります。
    正解は、
    (1) The road (where) we traveled was beautiful.
    (2) Do you know the town (which) he visited last month?

    この使い分けをクリアできない人は案外多いです。
    そのときは、ああそうなのかと思っても、時間が経つと何度でも同じように間違ってしまう人もいます。

    (1)を2文に分解して考えてみましょう。
    The road was beautiful. We traveled on the road.
    と分解することができます。
    the road が共通の語句、すなわち先行詞となり、「私たちが進んだ道路は美しかった」という文を作ることができます。

    関係代名詞を用いて表すならば、
    The road on which we traveled was beautiful.
    です。
    これはこれで正しい英文です。

    この on which のように「前置詞+関係代名詞」となっているものを、1語で表すことができるのが、関係副詞です。
    関係副詞には、where , when , why , how の4種類があり、それらは先行詞によって使い分けます。
    今回、先行詞は場所を表す名詞なので、where を用います。

    前置詞から始まっている意味のまとまりを「前置詞句」と言います。
    前置詞句は、名詞を修飾するものは形容詞句。
    名詞以外のものを修飾するものは副詞句と呼ばれます。
    後ろの文の中で、この on which は、動詞 traveled を修飾していますから、副詞句です。
    それを1語で言い換えた where も同様に、動詞 traveled を修飾している副詞です。
    だから、関係副詞と呼ばれます。

    副詞について、もう少し上の2文で説明しましょう。
    The road was beautiful. We traveled on the road.
    は、あえて同じ語句を用いていますが、2個目の文は、以下のように言い換えが可能です。
    The road was beautiful. We traveled there.
    この there が副詞です。
    on the road = there なのです。

    そして、there を where に言い換えたのが関係副詞を用いた文です。
    The road where we traveled was beautiful.

    The road (which) we traveled was beautiful.
    としてしまうと、勝手に on を省略したことになってしまいます。
    前置詞は、基本的には省略できません。

    英語を学習した初期の頃から前置詞を忘れがちな人は、ここのところが苦手なことが多いです。
    We traveled on the road.
    = We traveled there.
    「何で there のときは前置詞が不要なんですか?」
    と疑問に思う人は、まだ前置詞について気がついているほうです。
    副詞は、前置詞を含みこんでいる語なので、前置詞は不要です。
    この単語は副詞なのだと意識することで、だからこれは前置詞が不要と判断することができます。
    there の他、英語学習の初期の頃から目にしている副詞としては、 here や home があります。
    これらは、前置詞が不要です。

    しかし、there は前置詞が不要ということに気づいていない人は案外多いのです。
    そのあたりの知識が一切身につかず、前置詞はすべて無視する人もいます。
    例えば英作文の問題で、
    「『道路を』を訳し忘れていますよ」
    と声をかけると、
    「あ。road だ」
    と、名詞を思い出すことばかりに必死になってしまいます。
    「うん。road の前に何か単語が必要だと思いますけど?」
    と問いかけても、何も思いつかない様子です。そこで、
    「on the road ですよ」
    と説明すると、つまらなそうな顔をします。
    大事なことを間違えた、失敗した、という顔ではないのが心配です。

    前置詞と名詞と副詞との関係が曖昧で、いつもそこのところでしくじります。
    前置詞+名詞=副詞句または形容詞句
    という単純な図式だけでも理解しておくと、かなり違ってくると思います。
    あわせて、名詞の前には冠詞がつくのではないかと常に意識しておくことが重要です。


    さて、(2)を分解してみましょう。
    Do you know the town? He visited the town last month.
    となります。
    visit の後ろは前置詞は不要です。
    ですから、関係代名詞を用いて、
    (2) Do you know the town (which) he visited last month?
    とします。
    これを、
    Do you know the town where he visited last month?
    としてしまったら、不要な前置詞を加えたことになり、誤りなのです。


    では、なぜ visit の後ろは前置詞は不要なのか?
    visit は目的語をとる動詞、すなわち他動詞だからです。
    目的語というのは、動詞の直後の名詞のことです。
    「誰々に」とか「何々を」といった意味の名詞です。
    間に前置詞が入ることがないのです。
    だから、前置詞を含みこんでいる where の出番ではないのです。

    つまり、where と which の使い分けの基準は、関係詞節の動詞が、後ろに前置詞をとるかどうか、ということです。
    その動詞が、自動詞か他動詞か、ということです。
    これは知識です。
    visit は、すぐ後ろに名詞がくる。
    travel は、前置詞が必要。
    そうした知識を問う問題だということです。

    自動詞でも他動詞でもある動詞も多いですが、必ず自動詞、必ず他動詞の動詞というものもあり、問われるのはそうした動詞に関する知識です。
    重箱の隅をつつかれたらきついところではありますが、visit を使った問題はどんな問題集にも載っている典型題なので、こんな問題は得点しましょう。

    実は英語学習の最初から、自動詞と他動詞は区別されています。
    visit の訳は、「~を訪れる」と、教科書準拠ワークなどにも書いてあったはずです。
    この「~を」がついていたのが他動詞です。
    動詞の後ろにすぐに名詞を書いていい動詞です。
    しかし、中学生はそういうところが雑で、「~を」は無視します。
    下手をすると、visit が動詞であることすら無視して、「訪問」と覚えてしまう子もいます。
    いや、名詞としての用法もありますが、そんな高度なレベルで理解しているわけではないでしょう。
    「れる」とか「する」をつけて覚えることすら無駄だと思っている雑な感覚で単語の意味を覚えているだけでしょう。
    名詞と動詞を区別しないで覚えているのですから、自動詞と他動詞を区別して覚えているわけがありません。
    そうした初期学習の粗雑さに復讐されているのです。

    安心してください。
    私もそうでした。
    いや、さすがに名詞と動詞とは区別していましたが、自動詞と他動詞を区別する覚え方はしていませんでした。
    これは、後からでも間にあいます。
    気がついたら、そこから、神経を払う。
    ああ、この動詞は目的語がつくんだなあ。
    この動詞は、前置詞が必要なんだ。
    そして、前置詞は必ずこれを使うんだな。
    そうしたことを丁寧に学習していく。
    それでどうにかなります。
    頑張りましょう。

      


  • Posted by セギ at 17:46Comments(0)英語

    2020年07月23日

    高校数Ⅱ「図形と方程式」。直線の方程式の求め方。その3


    高校数Ⅱ「図形と方程式」の学習の続きです。
    前回学習した、直線の方程式に関する公式は次のものでした。

    傾きがmで、点(x1,y1)を通る直線の方程式は、
    y-y1=m(x-x1)

    また、2点(x1,y1)、(x2,y2)を通る直線の方程式は、
    y-y1=y2-y1/x2-x1 (x-x1)

    平行な2直線は、傾きが等しい。
    垂直な2直線は、傾きの積が-1。

    今回は、それの応用編です。

    問題 直線2x+y+2=0 に平行で、点(1,2)を通る直線の式を求めよ。

    まず与えられた式を、y=・・・・の形に直して傾きを求め、その上で、点(1,2)を代入して解くという方法を思いつけたら、それはそれでよいのです。
    ただ、これを瞬時に解く公式もあります。

    点(x1,y1)を通り、直線 ax+by+c=0 に平行な直線の方程式は、
    a(x-x1)+b(y-y1)=0 です。

    ax+by+c=0 という式の形に最初は戸惑う人もいるかもしれません。
    中学時代は、直線の式は、y=・・・・の形でなければダメと言われましたが、高校では、右辺が0になる式も用います。
    この後、この形のほうが利用しやすい別の事柄があるからなのです。
    a、b、cは具体的な数字が入ります。
    上の公式は、ax+by+c=0 をy=・・・に変形してみれば理解できます。
    ax+by+c=0
    by=-ax-c
    y=-a/b・x-c/b
    よって、この直線の傾きは、-a/b です。
    前回学習した公式を利用すると、傾きが-a/bで、点(x1,y1)を通る直線は、
    y-y1=-a/b(x-x1)
    両辺をb倍して、
    b(y-y1)=-a(x-x1)
    左辺に移項して、
    a(x-x1)+b(y-y1)=0
    これが、上の公式です。

    この公式を用いると、上の問題は瞬時に解けます。
    直線2x+y+2=0に平行で、点(1,2)を通る直線だから、
    2(x-1)+(y-2)=0
    このまま答えとするのではなく、整理します。
    2x-2+y-2=0
    2x+y-4=0
    これが上の問題の解答です。

    この公式とセットで覚えるとお得な公式は、

    直線ax+by+c=0に垂直で、点(x1,y1)を通る直線は、
    b(x-x1)-a(y-y1)=0

    この公式も、上のような変形の仕方で導くことができます。興味がありましたら、上と同じようにしてやってみてください。
    これらの公式は覚えにくいです。
    別にこんな公式を覚えなくても、まず傾きを求める解き方でも解けます。
    ただ、困るのは、この先、問題集の解説で、この公式を当然のように使い、特に説明も加えていないものがあることです。
    何で急にこんな式が立っているのか、わからない・・・。
    そうならないために、こういう公式もあると頭の隅に置いておきましょう。
    自分では使わなくても良いので、問題集の解説を読んで意味がわからなかったとき、
    「あれ?あの公式を使っているのかな?」
    と考えることができれば、学習が先に進みます。

    こうした公式のメリットは、問題を解く時間を短縮できることです。
    直線の式1本求めるのに、まず傾きを求める解き方では、2分~3分かかります。
    この公式を使えば、30秒もかからないのです。
    逆に言えば、それ以外には特にメリットはないので、どうしても覚えられなかったら、覚えなくても大丈夫です。

    高校生としては、このあたりの内容でどうしても覚えてほしいのは、冒頭に書いた4つの内容。
    これらは使う機会が多いので、いちいち中学生の解き方で時間をかけていると、テストでは時間が足りなくなります。
    それ以上の公式は、使う機会も限られているので、本人の覚える力に応じてで構わないと思います。


    問題 直線ax-6y-5=0が直線2x-3y+6=0に平行であるとき、定数aの値を求めよ。

    これも、傾きを求めれば解ける問題です。
    それぞれの直線を、y=・・・・の形に変形し、傾きを比較すれば、定数aを求めることができます。
    やってみましょう。

    ax-6y-5=0より
    -6y=-ax+5
    y=a/6x-5/6
    よって、この直線の傾きはa/6です。
    2x-3y+6=0
    -3y=-2x-6
    y=2/3y+2
    よって、この直線の傾きは2/3です。
    この2直線は平行なので、傾きは等しいですから、
    a/6=2/3
    a=2/3 ×6
    a=4

    これにも、公式があります。

    2直線a1x+b1y+c1=0、 a2x+b2y+c2=0 が、
    平行なとき、a1b2-a2b1=0
    垂直なとき、a1a2+b1b2=0

    上の問題にこの公式を用いると、
    a・(-3)-2(-6)=0
    -3a+12=0
    -3a=-12
    a=4

    与式をいちいちy=・・・の形に変形せずにすぐに式を立てることができます。
    覚える余力のある人は、覚えておくと良い公式です。

    なぜこの公式が成り立つのか、考えてみましょう。
    直線a1x+b1y+c1=0 の傾きを求めましょう。
    b1y=-a1-c1
    y=-a1/b1-c1/b1
    よって、傾きは、-a1/b1
    また、a2x+b2y+c2=0 は、
    b2y=-a2x-c2
    y=-a2/b2-c2/b2
    よって、傾きは、-a2/b2

    この2直線が平行なとき、傾きは等しいので、
    -a1/b1=-a2/b2
    a1/b1=a2/b2
    両辺に b1b2 をかけて、
    a1b2=a2b1
    a1b2-a2b1=0
    となります。
    この2直線が垂直なとき、傾きの積は-1ですから、
    -a1/b1・-a2/b2=-1
    両辺に b1b2 をかけて、
    a1a2=-b1b2
    a1a2+b1b2=0
    となります。


      


  • Posted by セギ at 18:17Comments(1)算数・数学

    2020年07月17日

    アクティブラーニング時代の定期テスト。


    さて、中学校の定期テストがそろそろ返却され始めていますが、予想通り、新傾向の問題に苦戦している様子が見られます。
    中学の新学習指導要領施行は来年度からですが、既に移行期間に入り、昨年度あたりから、思考力や記述力を試す新傾向の問題が増えてきています。
    さらにその傾向が目立ってきたのが今回のテストでしたが、作る側も解く側も、まだ不慣れで、多少疑問な点もあるのが実情です。

    例えば、こんな問題。

    問題 +5mが、海面から5m高いことを表しているとき、-5mは、海面からどのようであることを表すか。

    正解 海面から5m低い。


    これは、問題の大筋としては新傾向でも何でもないのですが、疑問だったのは、「5m低い」と書いただけでは、バツという採点基準だったこと。
    △ではなく、バツでした。

    勿論、「海面から」という基準を示すことは大切なことなのですが、それを必ず書くよう解答者に促すのなら、問題文の書き方がちょっと違うと思うのです。
    「海面からどのようであることを表すか」と設問の中で既に「海面から」と書いてしまっている場合、解答はそれを省略してよいのです。
    国語の記述問題では許容されていることです。
    「海面から」と必ず生徒が書かねばならないように問題を作るならば、

    問題 +5mが、海面から5m高いことを表しているとき、-5mは、何を表しているか。

    とするべきです。
    そうした問題文の作り方の基本が守られていないので、解答者に無理な要求をする結果となっています。
    この場合、「5m低い」も正解とするべき案件です。

    こういうのは、問題を作る数学の先生が、記述式の問題を作ることにまだ慣れていないことが原因のミスでしょう。
    数学の先生も、国語の記述問題に多く触れて、記述式問題の作法を学んだほうがいいかもしれません。
    大変な時代になりました。

    入試などなら、「5m低い」と書いた人全員が正答とされるでしょう。



    問題 (-15)-(-10) を、加法として計算する式に改めなさい。

    これは、比較的わかりやすい問題と感じました。
    (-15)-(-10)
    =(-15)+(+10)

    とすればよいのだとわかるのですが、ここでも採点基準に問題が生じました。

    (-15)-(-10)
    =-15+10

    とした生徒は、バツ。
    △ですらなく、バツ。
    うーん・・・?

    ( )を外してはいけないなんて、問題に書いてないですよね?
    だったら、別に、-15+10でも、十分に加法に直していますよね?
    え?
    このテストは、アルバイトが採点しているの?
    だんだんと、不安になってきました。
    結局、こういうことがあるから、大学入試共通テストで記述問題が出題されないことになったんです。
    画一的な採点基準で採点すると、理解している子が得点できない変な結果になることがあるのです。

    ただ、私がこの問題を解くのなら、
    (-15)-(-10)
    =(-15)+(+10)
    という模範解答通りの答案を書くとは思います。
    相手の出題意図がわかりますから、いやというほどその意図に沿って、「私は、わかってまーす」とアピールする答案を作成します。
    そういう点では、私はあざといので。
    しかし、実際にこれを解くのは中1ですから、そういうのはまだわからないと思います。
    小学校のカラーテストしか経験したことのない子たちですから。


    問題 -15+6-10+20 を、-15、+6、-10、+20とそれぞれを項と見て計算するのは、どのような良い点があるか。数学的な用語を用いて説明しなさい。

    一番の難問はこれでした。
    「え?どういうこと?」とペンが止まった子が大多数ではないかと思います。

    模範解答は、こんな感じでしょう。

    それぞれを項とし、この式を各項の加法と見るなら、
    -15+6-10+20
    は、交換法則を用いて、
    =-15-10+6+20
    となり、さらに、結合法則を用いて、
    =(-15-10)+(+6+20)
    =-25+26
    と、同符号の計算を先に行うことで、
    =1
    と計算することができる。

    「良い点」とはそれであり、使うべき数学用語は、「交換法則」と「結合法則」です。
    数字と数字の間にある「+」「-」を、「たし算」「ひき算」の意味でとらえるのではなく、-15、-10、+6、+20と、個々の数についている+・-の符号であるととらえることは、算数から数学への大転換の根幹をなすことの1つです。
    これによって、「ひき算」は存在しなくなり、各項の加法と見て計算するようになります。
    加法なので、交換法則も結合法則も利用できます。
    これは、とても重要なことです。

    こういう出題は、しかし、中学生の立場からすると、どうなんだろうなあと思わないでもありません。

    こういう記述問題が全く解けない子には、大きく2つのタイプがあると思います。
    まずは、根本的に数学が苦手な子の場合です。

    -15+6-10+20
    =-15-10+6+20
    と、交換法則を用いて項の順番を変えることは、そういう子が自ら発案することではありません。
    普通の中学1年生は、まだ小学生の尻尾を引きずっていますから、ほおっておけば、
    -15+6-10+20
    =-9-10+20
    =-19+20
    =1
    と、前から順番に計算してしまいます。
    それを、
    「同符号から先に計算しなさい。そのほうが楽でミスが少ないから」
    と教え込んでいるのが実情です。
    何度教えても、時間が経つとまた前から順番に計算してしまうので、さらに助言を繰り返し、何とか同符号から先に計算することを徹底させるだけでもひと仕事です。

    なぜ、そこまで繰り返さないと、そんなことすら定着しないのか?
    彼らは、同符号から先に計算することを、良いことだとは感じていないからだと思います。
    同符号から先に計算しても、前から順番に計算しても、計算ミスをしてしまうのは同じことで、ちっとも楽でも正確でもないからです。
    計算前に順番を変えるといった手間は、むしろ心の負担なのかもしれません。
    何でも前から順番に計算するほうが、覚えることや判断することが少なくて頭が楽だ、と思っている可能性もあります。

    「いや、同符号の計算なら絶対値のたし算になるでしょう?
    たし算のほうが楽ですよ。
    異符号の計算は、絶対値のひき算です。
    ひき算って面倒くさいですよね。
    ミスも多くなりますよ」
    と、私が説得しても、あまり表情に変化が見られない子は多いです。
    たし算でも、ひき算でも、計算ミスをしますから。
    そもそも、計算自体が苦手なんですから。

    それぞれを項と見て計算するのは、どのような良い点があるか?
    ・・・良い点なんて、別にない。
    良いと思ったことなんてない。
    ただ、そうしろと言われたから、そうしているだけ・・・。

    そういう子たちが失点してしまうのは、仕方ないかなとも思うのです。


    一方、-15、-10、+6、+20と、それぞれを項と見ていくことの本質を理解している子でも、こうした記述問題には答えられない子もいると思います。
    問いかけが漠然としているので、何をどう答えていいのか、わからない。
    良いとか悪いとか、そういう観点で数学の問題を見たことがない。
    それぞれを項と見ていくことは、当然のことだと思う。
    それは、良いとか悪いとか、そういう観点のことだろうか?
    いったい、この問題は、何を答えさせたいのだろう?
    自分は、何につきあわされているのだろう?
    そんな感想の子がいても当然ですし、その子が数学が出来ないとは限らないのです。
    今は苦労しても、高校数学で抜群の才能を発揮する可能性もあります。


    なぜ、このような記述問題が出題されたのでしょうか。
    前から順番に計算するよりも、各項の加法と見立て、同符号から先に計算するほうが良い件について、アクティブラーニングが行われたのではないか?
    教室全体で、あるいはグループに分かれて話し合い、項と見立てて計算することの良さ、同符号から先に計算することの良さについて議論がされたのではないか?
    それがあっての出題なのではないと想像されます。
    わざわざ1時間なり2時間なりかけて話しあったことの意味を問う出題なのでしょう。
    「それだけの授業時間をかけたことはテストに出る」
    ということがあざとくピンとくる子ならば、この問題への備えはしたと思います。
    しかし、子どもは、そんな判断はせず、もっとのほほんと授業を受けていることが多いです。

    項と見て計算することの良さについて、テストに出します。

    その一言があったほうが、初心者の生徒たちには良かったかもしれません。
    記述問題を作る数学の先生も、それを解く生徒たちも、初めてのことで、まだまだ不慣れ。
    それを補助する塾も、「何だこれ?」と毎回首をひねることが、まだしばらく続くと思います。
    それでも、この試みが良い方向に向かいますように。
    そう願わずにいられません。

      


  • Posted by セギ at 14:51Comments(1)算数・数学

    2020年07月14日

    山の本を読みました。『トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか』。



    さて、山に行けない日々、山の本を読んでいます。
    『トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか』は、発売当時に買って、興味深く読みました。
    遭難が起きたのが、2009年7月16日。
    この本が出版されたのは、その1年後でした。
    10年経って読み直すと、当時とは印象が異なることに、自分で驚きました。

    この遭難事故を記憶されている方は多いと思います。
    北海道の旭岳からトムラウシ山へと縦走し、トムラウシ温泉に下山する、4泊5日のツアー。
    参加者は15名、スタッフは3名。
    初日は移動日で温泉泊まり。
    2泊目・3泊目は、山中の避難小屋泊まり。
    そして、ツアー4日目、悪天候をついて出発したツアーは、客7名・スタッフ1名の合計8名が死亡する惨事を引き起こします。

    この本は、ツアー客生存者8名のうち6名に取材した内容をもとに、ツアーの全ての日に起こった出来事を順に追った、非常に生々しい記録となっています。
    登場人物が多く、事実が錯綜するので、今回、私は人物名とその言動をメモしながら読みました。

    小説なら、登場人物は、かなりわかりやすく設定されると思います。
    登山経験が浅い人が終始困った行動をとり続け、遭難の引き金を引きます。
    史実をもとにした『八甲田山』ですらそうで、誰が遭難の原因なのか、わかりやすい。
    史実を曲げた『孤高の人』になると、さらにわかりやすい。
    しかし、当たり前ですが、現実は、そういうことではないのですね。

    この遭難で最初に行動不能に陥った人は、前々日から体調不良の兆候のあった人だという誤報が当初ありました。
    登山初日から吐いてしまい、パーティからかなり遅れたその人は、確かに遭難当日も具合が悪くなっていますが、第2ビバーク地点でガイドとともにテントの中で過ごし、生還しています。

    では、誰が遭難の引き金を引いたのか?
    遭難当日、ツアーは、風雨の中を出発しました。
    避難小屋を出て比較的すぐ、最初の難所、長さ150mの雪渓の上りがありました。
    ここで全員が軽アイゼンを装着。
    軽アイゼンを付けるのが初めての人もいたということで、風雨の中の装着に時間がかかったようです。
    4本爪アイゼンが何度も外れて、パーティから遅れた女性。(後に登山道で死亡)
    雪渓が終わってすぐの岩場で足がもつれ始めた男性。(後に登山道で死亡)
    最も遅れ、最後尾を歩いた女性。(最初に行動不能となり、第1ビバーク地点で死亡)

    出発後すぐ、既に3人に異変が起きていたことが、生還者によって証言されています。

    誰が原因かと考えることに、この場合、意味があるとは思えません。
    出発後すぐに3人も様子のおかしい人がいたら、戻らなくてはダメです。
    誰がどうとかは、もう関係ない。
    戻る決断をしなかったリーダーの責任です。

    では、なぜ強いリーダーシップを発揮して戻る決断ができなかったのか?
    1つには、このツアーは出発地点が広島・名古屋・仙台の3か所に別れていた寄せ集めツアーであったことが挙げられています。
    1日停滞したら、帰りの飛行機の手配は面倒なことになります。
    そうでなくても、ツアーを1日伸ばすということは、添乗員としてかなり難しい判断が必要なことだったのでしょう。
    登山としてはその日が最終日。
    悪天候だから山頂は踏めないとしても、何とか温泉まで下山してしまえば・・・。
    そういう判断の甘さがあったのかもしれません。
    低気圧は午前中に通過し、午後から晴れてくるという気象情報もそれを後押しした様子ですが、それは古い予報で、当日の朝に得た情報ではなかったことがわかっています。
    実際に晴れたのは、その日の夜でした。

    このツアーのスタッフは3人。
    皆、初対面だったそうです。
    ツアーを仕切る添乗員(61歳)は、登山ガイドの資格も有していましたが、第1ビバーク地点で行動不能となった客とともに残り、死亡。
    風雨を避ける方策を講じた形跡がなく、この人自身が早い段階で低体温症にかかっていたのではないかと推測されています。
    決断権をもっていた人が、決断する能力をその場で有していなかったのかもしれません。

    では、コースを熟知していた現地ガイド(32歳)はどう行動したのか?

    雪渓の先は、大きな岩がゴロゴロとした登りがあり、そこから主稜線に出ます。
    岩の登りから既に瞬間的には立っていられないほどの強い風が吹くようになり、パーティは耐風姿勢をとりながら稜線上を歩いていきます。
    先頭を行く現地ガイドは、後続の遅れを気にし、強風の中、ゆっくりと進んでいったようです。
    吹きっさらしの木道や岩場を越えて、北沼にたどり着くまで、出発から5時間。
    コースタイムでは2時間半だそうですから、いかに遅かったかがわかります。

    風雨の中たどり着いた北沼は氾濫し、登山道を塞ぐ川ができていました。
    その徒渉が運命を分けました。
    川幅は2メートルほど。
    深さは膝くらい。
    15人の客が徒渉を終えるのに、1時間半から2時間かかったようです。
    早く渡っても、遅く渡っても、そこは吹きさらし。
    待機している間に、客の過半数は低体温症に陥っていきました。

    ここでも、少しは風の弱い場所まで進んで、そこで待機する方法があったのではという疑問が浮かびます。
    しかし、添乗員(61)は、最後尾の客にかかりきりでした。
    現地ガイド(32)も、徒渉の補助にかかりきりでした。
    もう1人のサブガイド(38)は、徒渉の補助をしている間に誤って転び、全身が濡れてしまいました。
    以後、本人が自覚せぬまま低体温症が進行していきます。

    では、客の誰かが自主的に判断して、風のない場所に移動すれば良かったのか?
    しかし、どこまで進めば風のない場所があったのか?
    すぐ目の前に岩陰が見えたのなら、誰かが判断したでしょう。
    歩いていけば、風の弱い岩陰がその先にあったらしいのですが、そこまで歩く判断を誰もできなかったようです。
    初めて歩く、北海道の広大な山の中。
    誰も先に進めず、スタッフ側からの指示もなく、吹きっさらしの中で待機していたのです。

    徒渉を最後に行った客がそのまま動けなくなり、添乗員(61)は、その場に残ります。
    パーティはいったん出発しますが、歩き始めると、動けないことが発覚した客が他に3名。
    待機中に低体温症が進行していたのです。
    その3人に現地ガイド(32)と客の男性1人が付き添うことになりました。
    北沼を越えてすぐの場所。
    そこが、第2ビバーク地点でした。

    そして、ずぶ濡れのサブガイド(38)と、まだ歩くことのできた客10人とが下山することになりました。

    この下山の過程は、読んでいてしばしば本を置き、息をついてからでないと読み進められないほどの悲惨さです。
    次から次へとまともに歩けなくなっていく人が現れ、パーティは散り散りになっていきます。
    サブガイドは、低体温症による判断低下によるものなのか、後ろがついてきているかを顧慮せず先を急ぎ、しかし、力尽きて、ハイマツの中に倒れます。
    次々と行動不能に陥っていく仲間を支えようにも、まともに歩いてくれず、ときに奇声を発する相手では、どうにもなりません。
    しばらくは行動をともにしても、最終的には見捨てていくしかないのです。
    あれから何年経っても、生還した人は、罪の意識にさいなまれていると思います。
    これは、きつい・・・。

    北沼で、「これは遭難だ」と叫び、スタッフに強く要望をしたという男性客。
    その後も、マスコミなどに向けて精力的に発信を続けた人という印象があります。
    しかし、この人は、女性が1人で、2人の低体温症の人を支えたり補助したりしながら歩いているところに通りかかったとき、しばらくは補助を手伝いましたが、
    「俺は生きて帰りたい。こんなことをしていても意味がない」
    と先に行ってしまったという証言が記されています。
    その男性は、弁解はしていますが、その言葉を発した事実については否定していません。
    その後、独りで下山しようとしたその男性は、道に迷い、下っているはずが登ってしまうという誤りを犯しますが、その途中でパーティのメンバーと出会い、何とか下山しています。
    他の生還者が、この男性の生還後の行動にあまり賛同しない理由が、こうしたことからも推測されますが、しかし、この人を積極的に責めている人がいるわけではありません。
    仕方なかった。
    誰が彼を責められるでしょう?
    少なくとも、「これは遭難だ」と最初に定義し、スタッフにそれを最初に呼び掛けたのは、その男性です。
    それがなければ、そのままさらに長時間待機した可能性すらあります。
    それほど、スタッフは判断力を失っていた様子です。

    「俺は生きて帰りたい。こんなことをしていても意味がない」
    そんなことを言わずにいられなくなる状況が恐ろしい。
    この男性が、その後、ツアー会社を強く非難し続けた理由の1つにこういうことがあるのかもしれないと思うのです。
    罪の意識がないわけではない。
    むしろ、罪の意識があるから強く発信せずにいられないのかもしれません。
    その後の言動は様々に分かれるにしても、皆、罪の意識に変わりはないと思うのです。

    別の男性は、ツアー客の中ではおそらく最も登山技術が高く、レインウェアや靴の整備も良かったので濡れが少なく、自ら最後尾に戻って様子を見に行き、行動不能者を積極的に補助しました。
    低体温症に陥った人たち全員と接触することになったその人も、だからといって、結局、誰1人救えたわけではなかったのです。
    悪天候の山で行動不能に陥った人を救うことなど、誰にもできない。
    ともに死ぬか、独りで生きのびるしかない。
    死にゆく人と最も多く接触することになっただけ、心に重いものを余計に背負うことになってしまっています。

    この本を最初に読んだとき、今より10歳若かった私は、もしこの現場にいたら、私は何ができただろうと考えることがありました。
    今、自分のそうした感想を「若気の至り」と感じます。
    私も、何もできそうにない。
    独りで生きのびることができるかできないか、というだけだと思うのです。

    参加者として、何かできることはあったのでしょうか?
    北沼での待機中に、とにかく風の弱いところまで進もうと提案することができたでしょうか。
    自分独りで行動していたのなら進んだと思います。
    そんなところで立ち止まる理由がそもそもないのです。
    でも、ツアーで、それを提案することができたでしょうか。
    「ここで待っているように言われたでしょう?とにかく指示を待ちましょう」
    と反対する人がいたら、それで終わりだったのではないかと思うのです。

    待機中、進んでツェルトを出し、1枚余計に着て、周りの人にも、ツェルトの中に入って1枚余計に着るよう勧めることができたでしょうか?
    自分が寒かったら1枚余計に着ることはできたかもしれません。
    しかし、強い風雨の中でツェルトを出すのは、扱いが厄介です。
    多分出さなかったでしょう。
    いや、寒さには結構強いので、1枚着る決断すらできなかった可能性すらあります。
    歩きだせば、また暖かくなりますから。

    待機中、行動食を出し、他の人にも食べるよう勧めることができたでしょうか。
    ・・・これもどうでしょう?
    吹きっさらしの風雨の中で何かを食べる気になるものかどうか?
    とにかく、風のないところに行かないと、何も始まらないのです。
    ところが、生還者の証言によれば、「口を開けて」と言われ、食べ物を放り込まれたという事実が存在します。
    ガタガタ震えていたら、そうしてくれた人がいた。
    それをしてくれた人は、出発当初の雪渓でアイゼンがすぐに外れて難渋した人であり、本人は後に登山道で死亡しています。
    現実は、複雑です。

    最初のほうでも書きましたが、登山者としてちょっと困った行動をとった人が、そのまま直線的に悪者になったり亡くなったりするのかというと、そういうわけではないのです。
    他にも、避難小屋で朝の3時に目が覚めて、眠れないからと荷物をガサガサさせた女性。
    翌日も、「遅くとも1時間前には起きなさい支度できません」と訴え、全体の起床時刻を早めさせた人です。
    ツアーにしろ、山小屋泊りにしろ、こういう人は少し迷惑ですし、初心者っぽい印象があります。
    しかし、この人は、行動不能となった人に付き添ってビバークし、生還しています。
    ツアー客による唯一の自主的ビバーク、第3ビバークを行ったのがこの人でした。
    しかも、付き添った相手は、一緒にツアーに参加した友達というわけでもなかったのです。
    行動不能となった人のほうは、そのまま亡くなってしまいましたが。
    登山道からちょっと外れた風のよけられる場所で、マットを敷き、シュラフを出して1か所を低木に結びつけ、横になる前に行動食を食べ、登山靴も雨具もつけたままシュラフの中に入った。
    自分の身を守る最善の行動をしていると感じます。
    この人は、一時的に頭がぼおっとし、もうダメだと思い、そこで行動を停止したのですが、休んでいる間に体力が回復し、翌朝は、自力下山を試みています。
    実際、自力下山も可能だったろうと思いますが、ヘリから降りてきた救助の人に乗ってくれと言われ、救助されたそうです。
    遭難者の中では罪悪感が少なく今を生きることができている1人ではないかと感じます。

    最初からずっと好印象の人もいます。
    最初の行動不能者と添乗員に自分のツェルトを貸した人。
    この人は、第2ビバークで現地ガイドとともに残りました。
    改めて読むと、こういう行動ができるとよいなあと思います。
    第2ビバークを決断したとき、あるのは現地ガイドのツェルトのみでした。
    そして行動不能の女性3人。
    そこに残るのは、勇気が必要だったと思うのです。
    ガイドと協力してツェルトを張り、様子を見てくると出ていったガイドに託されて、行動不能の3人とともに残るのは怖いことだったと思います。
    しばらく先の南沼キャンプ場で、ガイドは、たまたま登山道整備者がデポしていたテント・毛布・コンロなどを見つけ、それを持ち帰りました。
    それで比較的安全なビバークが可能となり、行動不能者のうち1人は生還しています。
    その生還者が、初日に体調を崩して吐いた女性でした。

    生死を分ける分岐点は何だったのか?
    メモを取りながら読めば読むほど、訳がわからなくなっていきます。
    おそらく、現実とは、そういうものなのでしょう。

    低体温症で亡くなった人たちが装備不良だったわけではないことが明記されているのは、故人の名誉のために大切なことだと思います。
    全員が、ゴアテックスの雨具の上下を身につけていました。
    ただ、元は同じ性能の雨具でも、日頃の手入れによって、雨をはじく機能が違ってきます。
    また、フリースや薄手のダウンなどを持っていても、風雨の中、一度雨具を脱いで防寒着を身に着けるという行為は、かなり思い切らないとできないことです。
    低体温症が進行しつつあると判断力が低下し、何もかも億劫になることもあって、ザックの中に防寒着を持ったまま遭難してしまうことはあり得ることです。

    そもそも、あの当時、夏山でいわゆる「凍死」することを現実感をもって把握し、備えていた人がどれだけいたでしょうか。
    どんなに風雨が強くても、所詮夏山。
    何とかなる、と思っていた人のほうが多かったのではないかと思います。
    現実には、『聖職の碑』の史実を見るまでもなく、風と雨で、人はあっけなく行動不能となり、倒れたのですが。
    雨に濡れて風に吹かれるのは、風のない雪の道を歩くよりも数段恐ろしいこと。
    低体温症は、今では広く知られるようになりました。

    さらに、避難小屋泊りなど、食事が提供されない登山で、その日の行動分のカロリーを補給することの難しさ。
    生還した人も、摂取カロリーは少なかったそうです。
    朝晩は、アルファ米1つ。
    行動中は行動食。
    そうした食生活が続いた3日目に風雨をついての長時間行動は、熱量的に無理だったろうと分析されています。
    もっと食べたほうが良いのはわかっていても、食べ物を持つと、それだけザックは重くなります。
    長い縦走で重いザックは担げない。
    そのため、食糧をぎりぎり絞ることになり、カロリー不足に陥っていた人が多かったことが指摘されています。


    ずっと以前にこのブログに書いたことがありますが、このツアー会社のツアーに私も参加していた時期がありました。
    「登山教室」的なツアーを多く催行している会社でした。
    若い添乗員やガイドが多く、面倒見のよいツアーでした。
    他の会社のツアーにも参加しましたが、途中、パーティが分断しても気にせず、全員集まっているのかどうかも確認せずに重要なことを伝達するツアーも珍しくありませんでした。
    そういうのに比べれば、目が行き届いている会社という印象があり、その分だけ費用は他のツアー会社より少し高いのでもありました。

    「面倒見がよい」
    「あの会社のツアーなら、体力に自信のない私でも登れた」
    しかし、それは危険なことでもありました。
    面倒を見てもらえなければ登れない人たちが集まってきてしまうのです。
    しかも、ツアーの参加回数だけは増え、それが本人の自信になっていきます。
    もっと難しいツアー、もっと長いツアーに参加しようとしてしまいます。
    それをまた面倒見てくれるので、登れてしまう。
    その果てにあったのが、この遭難だったのではないでしょうか。
    必要な食糧を担げない体力で、避難小屋に2泊する山行に参加するべきではない。
    軽アイゼンをつけた経験すらないのに、北海道の山に行くべきではない。
    遭難後になってみれば、当然そのような判断になるのですが、遭難前は、誰もそう思わなかったのです。

    それ以前にも、その会社のツアーは、滑落などの事故を起こしていたという外部証言もあります。
    それもまた、参加するべきではない客が参加して引き起こした事故だったのかもしれません。
    会社が悪いのか。
    弱い参加者が集まってしまうことが原因か。
    それは、1つのことの表と裏で、一概に言えることではないような気がします。
    私自身も、他の会社のツアーに参加するときは、最悪自力下山することを考え、十分にコースや交通手段などを確認してから臨みましたが、その会社のツアーでは、自力下山の可能性を考えたことはありませんでした。
    至れり尽くせりで、安全に歩けるツアー。
    私が気をつけなければならないのは、出発時刻までに集合場所に行くこと。
    それくらい安全な気持ちでいました。

    トムラウシの遭難事故後も、この会社のツアーに参加したことがあります。
    新宿駅南口集合。
    集合場所から貸し切りバスが停車していた場所まで少し離れていたので、添乗員やガイドがそこまで案内してくれました。
    駅前の信号を渡る際は、横断歩道の中央に立ち、最大限の配慮で補助してくれていました。
    私の横を歩いていた参加者が、
    「新宿の交差点も渡れない人が山を歩けるわけないのに、何をやっているのかしらね」
    と苦笑していたのを覚えています。
    それくらい、参加者に優しかったのです。
    会社の内部の体質などは私は知りませんが、現場はそうでした。
    それがまた弱い登山客を集めてしまったのかもしれません。


    2012年11月、中国。
    万里の長城ツアーで再び死者を出す遭難事故が起こりました。
    突然の雪への備えが十分でなかったことが原因の遭難でした。

    この事故の後に、この会社は廃業しました。

    2017年12月。
    トムラウシ遭難事故について、北海道警察はツアー会社社長とガイド3人を業務上過失致死傷で書類送検。
    長い捜査の末の立件でした。

    2018年3月。
    嫌疑不十分で不起訴処分。


    この遭難事故は、今も多くの示唆を含んでいます。
    時をおいて、また何度でも読み返したいと思います。

    2009年7月16日。
    もうすぐ11年目のその日がやってきます。


      


  • Posted by セギ at 14:14Comments(0)

    2020年07月11日

    高校英語。関係代名詞。関係代名詞としての but。


    さて、疑似関係代名詞の最後は、but についてです。

    まずは有名な例文を。
    そのまま設問となることも多いです。

    There is no rule but has exceptions.
    例外のないルールはない。

    疑似関係代名詞 but は、否定語を伴った語句を先行詞とし、また、but 自身も否定の意味を持っています。
    but =that~not です。
    すなわち、二重否定です。
    上の文は、以下のように書き換えられます。

    There is no rule that doesn't have any exceptions.

    もう少し例文を。
    There is scarcely a man but has his weak side.
    弱点のない人はほとんどいない。
    =There is scarcely a man who doesn't have weak side.

    scarcely は準否定語なので、やはり、but を使用できます。

    No one came to her but were fed.
    彼女のところに来て食べ物を与えられなかったものはいなかった。
    =No one came to her that weren't fed.


    but には、接続詞の用法もあります。

    It never rains but it pours.
    降れば必ずどしゃ降り。

    これは、ことわざですね。
    =It never rains without pouring.

    「どしゃ降りでなしに、雨が降ることは決してない」。
    こういう but は、「~以外に」と訳すと上手く意味をとることができる場合が多いです。
    上の例文で言えば、「どしゃ降り以外に雨が降ることはない」すなわち「降れば必ずどしゃ降り」となります。


    but は古風な表現で、現代、特にアメリカ英語ではほとんど使われないとされています。
    but に否定の意味がこもっていることを知っていて、意味が取れること。
    あとは( )に but を補充する穴埋め問題が解けること。
    その程度で大丈夫と思います。
    自ら進んで使う必要はなさそうです。

      


  • Posted by セギ at 11:09Comments(0)英語

    2020年07月08日

    高校数Ⅱ「図形と方程式」。直線の方程式の求め方。その2。垂直に交わる直線。


    数Ⅱ「図形と方程式」。今回は、直線の方程式の求め方の2回目です。
    ある直線と平行な直線、あるいは垂直な直線の求め方。

    問題を見てみましょう。

    問題
    (1)直線 y=2x+1 に平行で、点(-2,3)を通る直線を求めよ。
    (2)直線 y=-1/3 x +1 に垂直で、点(1,-2)を通る直線を求めよ。

    まずは(1)から。
    ある直線と平行な直線の求め方は、中2でも学習しています。
    平行だということは、傾きが等しいということ。
    だから、求める直線の傾きも、2です。
    そして、点(-2,3)を通るのですから、前回学習した直線の式、
    y-y1=m(x-x1) に代入して、
    y-3=2(x+2)
    y=2x+4+3
    y=2x+7

    これが答です。

    では、(2)はどうでしょうか?
    ある直線と垂直な直線。
    これも、私立中学や、進学塾の学力上位クラスでは、中学生で学習している内容です。
    もとの直線の傾きと、垂直な直線の傾きとの積は、-1。
    それを利用すれば、求める直線の傾きは、3です。
    あとは、直線の公式を利用し、
    y+2=3(x-1)
    y=3x-3-2
    y=3x-5

    これが答となります。

    ところで、解き方自体は簡単でしたが、もとの直線の傾きと、垂直な直線の傾きとの積は、なぜ-1なのでしょう?
    これは、中学で発展的な学習をしてきた人でも、案外答えられないのです。
    とにかく、-1になるんだ。
    そう教えられて、それを使ってきた。
    理由なんか説明されなかった。
    そのように主張する人もいるかもしれません。

    事実、そうだったのかもしれません。
    しかし、理由も説明されたのに、それを忘れているだけかもしれません。
    簡単そうに思えることでも、理由を説明するとなると結構大変なことが数学にはあります。
    説明するほうも大変ですが、理解するほうも大変です。

    前回説明した、「分数のわり算はなぜ逆数のかけ算で計算できるのか」という件もそうでした。
    今回の件も、そういうものの1種だと思います。

    なぜ2直線が垂直に交わるとき、2直線の傾きの積は-1なのか、説明します。

    上の図を見てください。
    今、垂直な2直線を、
    y=m1x+n1
    y=m2x+n2
    とおきます。

    それぞれの直線を原点を通るように平行移動すると、式はそれぞれ、
    y=m1x
    y=m2x
    となります。
    この2直線も、垂直に交わります。

    それぞれの直線上で、x座標が1の点をM、Nとすると、それぞれの座標は、
    M(1,m1)1、N(1,m2) となります。
    点Mは、y=m1x上の点なので、x座標が1のとき、y座標はm1。
    同様に、点Nの座標は(1,m2)となるのです。

    2直線は垂直に交わっていますから、△OMNは、上の図のように∠MONが90度の直角三角形です。
    三平方の定理より、
    OM2+ON2=MN2 となります。

    では、それぞれの辺の長さはどう求めましょう?
    2点間の距離の求め方は、この前やりましたね。
    O(0,0)とM(1,m1)との距離は、
    √(0-1)2+(0-m1)2 ですから、
    OM2=1+m1の2乗 となります。
    同様に、
    ON2=1+m2の2乗
    MN2=(0-0)2+(m1-m2)2=(m1-m2)2

    これらを、OM2+ON2=MN2 に代入して、
    (1+m1の2乗)+(1+m2の2乗)=(m1-m2)2
    これを展開すると、
    m1の2乗+m2の2乗+2=m1の2乗-2m1m2+m2の2乗
    移項して整理すると、
    2m1m2=-2
    m1m2=-1
    よって、2直線の傾きの積は、-1である。

    どうでしょうか?

    ・・・これも、1つ1つ段階を踏んで論理的なので、途中で、
    「もういいから、垂直な2直線の傾きの積は-1と覚えます」
    とため息をつく人もいるかもしれません。
    簡単そうに見えることでも、証明は結構難しく、理解するのが大変なことはあります。

    証明自体がエキサイティングで、証明を理解することで数学の面白さに目覚める!
    ・・・それならよいのですが、こうした証明は、そんなふうではないことが多いです。
    もっと面白いかと思っていたのに、テンションだだ下がり・・・。

    何とかショーアップして、この手の証明をエキサイティングなものにし、生徒が数学の面白さに目覚めるようにしたらよいのでは?
    それが講師の能力というものなのでは?
    ・・・それもわかります。
    その一方、そんなふうにいちいち「濃い味」のものに調理してスプーンで口の中に入れてあげないと味がわからないのなら、自立した学習者になるのは難しいのではないかとも思うのです。
    面白さは自力で発見できるようであってほしい。
    その狭間で、悩む日々です。

    ただ、理解できたこと自体の快感はあると思います。
    難しいけれど、理解できた。
    霧が晴れた。
    納得できたから、この定理を使おう。
    そのほうが、意味もわからずただ使うだけよりも、精神的に安定した状態で数学の問題に向き合えると思うのです。


      


  • Posted by セギ at 13:49Comments(1)算数・数学

    2020年07月05日

    分数のわり算はなぜ逆数をかけるのか。


    昔のアニメに『おもひでポロポロ』というのがありました。
    27歳の女性が、小5だった頃の自分のことを思い出しながら田舎を訪れ、そこで暮らすことを決意する。
    そういうストーリーでした。

    そのアニメの中で重要なエピソードの1つが、「分数のわり算」。
    分数のわり算は、なぜ逆数のかけ算に直すのか?
    なぜそれで答が出るのか?
    小5のヒロインは、それがどうしても納得できず、お姉さんに質問しますが、「そういうものなの!」と決めつけられ、むしろバカにされ、うるさがられます。
    どうやら、小学校でも説明されていないことになっているようでした。
    少し不器用なヒロインの性格を浮き彫りにするエピソードなのだと思います。

    これは、このエピソードを作った人、すなわち原作者の実感なのだと思うのです。
    けれど、私は、分数のわり算がなぜ逆数のかけ算になるのか、小学校で教わりました。
    教科書にも載っていた記憶があります。
    私自身が教える立場になったときにも、理由を教えています。
    今も、小学校の教科書に載っています。
    だから、このアニメのそこのところを見る度に、ストーリーの本筋と関係ないとわかっていても、何だかちょっとモヤモヤするのです。
    算数や数学が悪者にされているようで・・・。

    分数のわり算は、なぜ逆数のかけ算で計算できるのか。
    この説明は、しかし、ちょっと面倒くさいのです。
    小学生が理解するには難しい、段階を踏んで論理的な説明です。
    順を踏んで、AならばBで、BならばCで、CならばDだから、結論として、AならばDである、というタイプの論理です。
    一言で説明できることや、ひと目でわかることでないと理解しづらい、という子には向いていないかもしれません。

    分数のわり算は、なぜ逆数のかけ算で計算できるのか。
    私が理由を説明している間、多くの小学生は、不安そうな表情を浮かべます。
    難しくて、よくわからない。
    この説明、早く終わらないかな、という顔です。
    そして、まとめとして計算のやり方を説明すると、ほっと安堵の表情に変わります。
    何だ、簡単だ。
    逆数のかけ算にするだけなんだ。
    良かった、良かった。

    その瞬間に、それまでの長い説明は吹っ飛んで、記憶から削除されるのかもしれません。
    こうしたことは、他にも沢山あると思います。
    中学生になった後も、そうです。

    3-(-2)=3+2 
    のように、負の数を引くことが、正の数を足すことに書き換えられるのは、なぜなのか。

    (-3)×(-2)=6
    のように、負の数×負の数は、なぜ、正の数になるのか。

    理由は説明されているはずです。
    でも、よく理解できなかった。
    そして、忘れた。
    理由を説明されたという事実も忘れた。
    そういうことは沢山あると思います。


    分数のわり算は、なぜ逆数のかけ算で計算できるのか?

    代表的な考え方は2つあります。
    まず、1つは、文章題から具体的に図を描いて考えていく方法。
    分数を分数でわるというのは、具体的には、どんな場合でしょうか。
    例えば、こんな問題を考えてみるのです。

    問題 2/3dLで、3/4㎡の壁を塗ることのできるペンキがあります。このペンキは、1dLで何㎡の壁を塗ることができますか。

    この説明が子どもにほとんど理解されない理由が、もうこれでわかった・・・。
    そんな諦めの気持ちを抱く人もいるかと思います。
    この文章題を解く式を自力で正しく立てられる小学生が、まずかなり限定されるのです。
    「単位量あたり」の問題は、小学生には鬼門の1つです。

    とりあえず、分数では難しすぎるので、整数で考えてみましょうか。

    問題 3dLで7㎡の壁を塗ることのできるペンキがあります。このペンキは、1dLでは何㎡の壁を塗ることができますか。

    ・・・いいえ、これでも難しいのです。
    生徒が困った顔をしているので、理由を訊くと、
    「わりきれないと思う・・」
    と言い出す子が多いのです。
    「いや、割り切れなくても、いいでしょう。答は分数になってもいいのですから」
    と説明すると、驚いた顔をします。
    答えが分数になる可能性を全く考えていず、普段は整数と小数だけで計算すると決めている子が多いのです。

    問題 4dLで2㎡の壁を塗ることのできるペンキがあります。このペンキは、1dLでは何㎡の壁を塗ることができますか。

    これなら、割り切れるから大丈夫でしょうか?
    いいえ。
    生徒の2人に1人は、間違った式を立てます。
    式 4÷2=2 答2㎡

    ・・・いや、違います。
    正しい式は、2÷4です。

    何で4÷2という式を立ててしまうのかというと、「わり算は、文章の中の大きい数を小さい数で割ればいい」というとんでもないルールを低学年の頃に発見して、以後、それで文章題をやり過ごしている子が多いからなのです。
    低学年の頃、最初にわり算を学習したときは確かにそうだったのでしょう。
    小数も分数もまだ学習していないので、答を整数にするためには、大きい数÷小さい数の式しかない。
    問題を作る側のそうした都合を、自分のルールに取り込んでしまっている子が多いのです。
    そんなルールで文章題を解いているために、問題文を読まない習慣がつき、高学年になると、正しい式を立てることができなくなるのです。

    問題 2dLで4㎡の壁を塗ることのできるペンキがあります。このペンキは、1dLでは何㎡の壁を塗ることができますか。

    これなら、安心。
    4÷2 という式を立てられる子が多いでしょう。
    整数で考えたときに立てた式は数字が分数になっても同じ構造のはず。
    では、一番上の問題は?

    問題 2/3dLで、3/4㎡の壁を塗ることのできるペンキがあります。このペンキは、1dLで何㎡の壁を塗ることができますか。

    式は、3/4÷2/3 ですよね?
    単位量あたりの数値を出すときは、その単位の数値で割るんですよ。
    1dLあたりを求めたいなら、dLのついている数値で割るんです。
    これなら、安心。

    ・・・いえ、何も安心ではないでしょう。
    もう既に、この段階で、子どもの気持ちはついてきていないです。
    この式を実感できる子は、ほとんどいない。
    こんな理解できない式を使ってそれから分数のわり算を逆数のかけ算で解く意味を説明されても、モヤモヤしてしまう・・・。

    それでも、何とかここまで理解してくれた子に向けて、説明を続けます。
    まず、縦1m、横1mの正方形の壁の図を描きます。
    それを横に4つに区切って、下から3つ分まで薄く色を塗ってみましょう。
    3/4㎡の壁に塗られたペンキの図をこれで描けました。
    これが、2/3dLで塗った分です。
    これを1dL分にいきなりするのは難しい。
    でも、まずは、1/3dL分ではどれだけ塗れるか考えて、それから1dL分に直すことならできそうです。
    さきほどの、3/4㎡の薄く色を塗った壁を今度は縦に2つに切り分けましょう。
    今回は縦に切るのがコツです。
    そのほうが切り分けやすいですから。
    図から、1/3dLで塗れる壁は、3/8㎡であることが見てとれます。
    では、1dLで塗れる壁は?
    3/8㎡の3つ分であることが、これも図から見て取れます。
    つまり、9/8㎡です。

    これを途中式を加えて書き記していくと、
    3/4÷2/3
    =3/4÷2×3
    =3/(4×2)×3
    =(3×3)/(4×2)
    =9/8

    文字で一般化しましょう。
    a/b÷c/d
    =a/(b×c)×d
    =(a×d)/(b×c)

    おや?
    これは、a/b×d/c=(a×d)/(b×c)と同じです。
    つまり、分数のわり算は、÷の後ろの数を逆数にしたかけ算と計算方法は同じなのです。

    これが、分数のわり算が、逆数のかけ算で計算できる理由の説明の1つです。
    ネットだから説明しにくかった、ということもありますが、実際に図を見せたり、もっと見やすい分数の式を書いて説明しても、やっぱりわかりにくいのです。
    しかも、これは、結果として同じ計算になりますね、というだけです。
    なぜ逆数にするのかその理由を知りたいという気持ちに真正面から答えるものではないような気もします。
    例えば「三角形の面積を求めるときは、平行四辺形の面積を求めて2で割る」というような、真正面からの理由ではありません。
    その意識のズレも「理由を説明してもらえなかった・・・」という気持ちを引きずる子がいる原因なのかもしれません。


    分数のわり算は、なぜ逆数のかけ算で計算できるのか?
    説明の仕方は、もう1つあります。
    これは、分数×整数と、分数÷整数の計算の仕方はしっかり身について、それに対しては疑問はないという前提で説明が始まります。

    分数×整数の計算は、大丈夫でしょうか?
    2/5×3=(2×3)/5=6/5
    これも、基本は面積の図を描いて説明します。
    1×1の正方形をまず描き、それを横に5つに分けます。
    1つ分が、1/5です。
    下から2つ分に薄く色を塗りましょう。
    それが、2/5です。
    2/5×3は、2/5が3個あるということ。
    同じ図を横に3個書き並べます。
    3個分に薄く色を塗ります。
    1/5が何個分でしょうか?
    6個分ですね。
    だから、答えは、6/5です。

    一般化すると、分数×整数は、分母はそのまま、分子に整数をかければ答になります。


    分数÷整数の計算はどうでしょうか?
    2/5÷3は、どう計算しましょう。
    これも、面積の図を描いて考えます。
    1×1の正方形を描き、それを横に5つに分けます。
    1つ分が1/5です。
    下から2つ分に薄く色を塗りましょう。
    それが、2/5です。
    それを3つに分けます。
    図を縦に3つに切り分けましょう。
    横に5つに分け、縦に3つに分けたことになります。
    1つ分は、15に分けた1つ分だということが、図から見てとれます。
    すなわち、1つ分は、1/15です。
    2/5を3つに分けた1つ分は?
    1/15が2つ分であることが図から見てとれます。
    だから、2/5÷3=2/15です。

    一般化すると、分数÷整数は、分母にその整数をかけて、分子はそのままでよいことがわかります。

    さらに、ここで、確認しておくことがもう1つ。
    わり算の性質です。
    わり算は、わられる数とわる数の両方に同じ数をかけても、または、同じ数でわっても、商は同じになるのでした。
    例えば、
    0.8÷0.2=4 です。
    筆算で、小数点を移動して計算するのは、わり算のこの性質を利用していたのでした。
    8÷2=4 と商は同じだということを利用しているのです。
    わられる数とわる数を10倍しても、商は変わらないのです。
    別に10倍でなくても、何倍でも商は同じです。
    8÷2=4 のわられる数をそれぞれ3倍して、
    24÷6としても、商は4です。
    また、8÷2のわられる数とわる数のそれぞれを2で割って、
    4÷1としても、商は4です。

    分数×整数、分数÷整数、さらにわり算の性質。
    この3つを利用して、分数÷分数の計算をやってみましょう。

    3/4÷2/3

    わる数が分数なので、このままでは計算できませんが、わる数を整数にすれば、分数÷整数にできます。
    では、どうすれば、わる数を整数にできるでしょうか。
    わる数の分母を払う、すなわち、2/3を3倍すればよいのです。
    わる数だけ3倍するわけにはいきませんが、わられる数も3倍するなら、商は同じままです。

    だから、(3/4 ×3)÷(2/3 ×3) とします。
    =(3×3)/4 ÷2
    分数÷整数をするのですから、分母に×2をすればよいです。
    =(3×3)/(4×2)

    これは、3/4×3/2=(3×3)/(4×2)と同じですね。

    だから、分数のわり算は、逆数のかけ算に直して計算できるのです。

    こちらのほうが、面積の図を描くよりもわかりやすいと言われることがあります。
    しかし、分数÷分数の説明をするまでに遠い道のりを経なくてはならないということでは、同じです。
    しかも、なぜ逆数のかけ算になるのかを真正面から説明したわけではありません。
    そのせいか、記憶にも残りにくいようです。


    分数のわり算は、なぜ逆数のかけ算になるのか?
    ・・・もういいから、やり方だけ覚えます。
    そんな声も聞こえてきそうですが、今年はアクティブラーニング元年。
    やり方だけ覚えるのではなく、理由を考え、説明できることが大切です。
    意味がわかっていないことの上に学習を積み上げていくと、中学のいつか、あるいは高校のいつか、全崩壊します。
    何をやってよくて、何をやったらダメなのか。
    自分の中に根拠がないまま、とぼとぼと歩く数学学習の道は、暗く長いです。
    1つ1つの霧を晴らしていきましょう。


      


  • Posted by セギ at 16:47Comments(0)算数・数学

    2020年07月03日

    数は音声では聞き取りにくいのです。


    ある年、中3の生徒の英語の1学期の期末テストの得点が普段より10点ほど下がったことがありました。
    見ると、リスニングでかなり失点していました。
    しかし、普段はリスニングが苦手な子ではなかったのです。
    英検3級のリスニング過去問は、毎回ほぼ満点を取ることができていました。
    話を聞くと、内容に特徴があったことがわかりました。

    場面は空港。
    飛行機の出発時刻とゲート番号が列挙されたアナウンスを聴き取るものだったそうです。
    中学生向けですから、英文はゆっくり読まれたと思います。
    それでも、時刻や番号が列挙されると混乱し、数字を聴き取り間違えてしまったのです。

    数字は、視覚での情報伝達力は極めて高いのですが、音声で伝えられると把握しにくい傾向があります。
    日本語での口頭の場合も、数字は他の単語よりも聴き取りにくいです。
    まして英語で数字を聴き取るのは、難しくて当然です。

    私個人は、小学生の頃に珠算教室に通い、「読み上げ算」を練習していますので、日本語による数字の聴き取りは比較的得意なほうだとは思っています。
    今も塾での算数・数学の宿題の答えあわせは、生徒が口頭で数字や式を読み上げ、正解かどうか私が判断することが多いです。
    これが逆に、私が正解を口頭で述べ、生徒が自分で丸付けをすることにしたら、正しく聞き取れず、間違っているのに丸をつけてしまう子がいるだろうと予想されます。
    とはいえ、生徒の読み上げる数字はスピードが速すぎるうえに語尾が不明瞭なことがあります。
    もしもそのスピードと不明瞭さで私が数字を読み上げたら、あなたは聴き取れないでしょう、と思うこともあります。
    数字を読み上げるときは、ゆっくりはっきり言わないと正確に伝わらないということが、年齢的にまだ理解できないから仕方ないのです。
    速く読み上げることが頭の良さの証明だという誤解もあるかもしれません。
    ただ、こういうことは、注意しても、「別にいいじゃん。聴き取れないのは、そっちの責任じゃん」という反発心を起こさせる小言の類に聞こえそうで、私も余程速い場合以外は注意しないのですが。
    同じ生徒が、私が正しい式をゆっくり読み上げても、上手く聴き取れないことがあります。
    そんなときが良い機会です。
    私がホワイトボードに式を書いていくと、その子は、当然理解できます。
    そうした経験を重ねることで、数字は、音声で早口に読み上げても伝わらないということを実感してくれるようです。
    ゆっくりはっきり読み上げることを徐々に学んでいくのです。
    それは客観性や社会性の獲得ということでもあると思います。

    例えば電話番号を早口でペラペラペラっと伝えられたら、誰でも「はあ?」と思いますよね。
    相手の社会性を、むしろ疑う事態です。
    数字は、はっきり、ゆっくり読む。
    そして、互いに確認しあう必要があります。


    日本語でも難しいのですから、英語のリスニングで数字にまつわる問題が出題されると、非常に難度が上がります。
    社会人向けの英語検定なら、そうした出題は当然でしょう。
    ビジネスに数字はつきものですから。
    しかし、英語を学び始めたばかりの子にとって、数字の聴き取りはハードルが高いです。

    何年か前、都立高校の英語リスニング問題で、電話番号の問題が出題されたときも、その問題だけ正答率が低かったのです。
    男女の会話で、間違い電話の受け答えを聴いて、問いに答える問題でした。
    間違い電話をするくらいですから、番号は部分的に数字が入れ替わっているものでした。
    間違った番号と正しい番号と両方を英語で言われ、正しい電話番号を以下から選べ、と言われても、それは混乱しますよね。

    男「もしもし、〇〇さんのお宅ですか」
    女「いいえ、違います。何番におかけですか」
    男「そちらは、いちさんはちよんのごさんはちいちではありませんか」
    女「いいえ、うちは、いちさんはちよんのごはちさんいちです」
    男「ああ、間違いました。すみません」
    女「どういたしまして」
    聴き取りにくさをあえて日本語で表記すれば、こんな感じでしょうか。


    中1の最初の定期テストの場合、そもそもリスニング問題に上手く対応できない可能性もあります。
    これも何年か前、英語のリスニング問題を塾の授業中に最初に行ったときのこと。
    CDには日本語でくどいほどの説明があるし、例題とその解説もあるから大丈夫だと思っていたら、いざ第1問が始まると、
    「え?何をするんですか?」
    と声を上げた子がいて、慌ててCDを止めたことがあります。
    最初に説明したつもりだったのですが、その子にとっては、十分な説明ではなかったのでしょう。
    CDの説明をよく聴いてその通りにしなさい、という指示を出さなかったのがまずかったのだと思います。
    いや、そもそもリスニングテストというものが英語にはあるのだという話から始めるべきだったのかもしれません。
    初めてのことに対する抵抗感と不器用さに関して、現代の子は突出していることがありますから、中1の最初の定期テストのリスニングは白紙答案になってしまわないかと心配です。
    何をどうすれば良いのか、全くわからなかった。
    白紙答案を見せて屈託なくそう言う子が現れる可能性は毎年あります。

    「学校で、定期テストにリスニング問題が出るという話はありましたか」
    中1の生徒にそう問いかけても、首をかしげています。
    「・・・いや、たぶん出題されるので、そのつもりでいてね?」
    リスニングは色々な出題形式があるから、日本語の説明をよく聴いてね。
    選択肢があるとは限らないですよ。
    聴き取った英文を書くのかもしれません。
    とにかく、その場でパニックを起こさないでね。
    色々とくどいほど話すのですが、それでも心配は尽きません。

    そんな状況なのに、英語で数字を読み上げて書き取る問題が出題されたらどうしましょう。
    日本語で出題しても難しい問題を英語で出されても・・・。
    そういうのは、英語力以外の何かが付加された課題です。
    でも、やっぱりそれは、英語力かなあ。
    上手く対応できますように。
    そう願うこの頃です。


      


  • Posted by セギ at 14:33Comments(0)算数・数学英語