2014年05月26日
勉強に向いている思考
先週の土曜日、セギ英数教室が入っているビルの床の防水工事が行われました。
防水工事のことは、エレベーター付近の掲示で知ってはいましたが、具体的に、いつどこを工事するのかは、私は知りませんでした。
土曜日の朝になって、教室のある3階は1日通行できなくなるという掲示を見てびっくり。
聞いてないですよー。
3階に上がってみると、工事をする業者さんたちがいて、入ってくる私の姿を見て、むこうもびっくりした様子でした。
私は、
「今日は、うちの塾は、朝から営業しますよ?今日工事するなんて、事前に連絡はなかったですよね?」
もう、この件に関しては、一歩もひきませんからね、中間テスト直前の学校もあるんですからね、という怒りを言外ににじませて問いかけると、
「あ。えーと。留守だったんじゃ」
という返事でした。
あー。なるほど。
塾という業種は、普通の事務所のような9時~5時の営業ではありません。
それぞれの塾によって差異はありますが、午後2時~10時の営業時間というのが標準ではないかと思います。
実際に授業の行われる時間帯を考えればそうなるのですが、塾と無縁の生活をしている方は、このことは念頭にないことが多いようです。
授業は夕方から夜であっても、交替制で朝9時から誰かいると思うのかもしれません。
朝から教室に人を置いても人件費がかさむだけなので、あまりそういうことは行われないのですが。
浪人生の通う予備校なら、また話は違ってきますけれど。
何年も前、大手の個別指導塾で働いていた頃のことです。
社員が面談などで席を外していたり、他の電話に出ていて、私も電話を受けたときのことです。
電話口のお母様が、いきなり怒っていました。
「おたくの塾は、いったい、いつ電話したらつながるんですか!」
「・・・・・・あ、平日の夕方4時くらいから10時くらいなら確実ですが」
「ええっ」
「・・・・・・塾ですので、どうしても、そういう時間帯に」
「ええっ」
そのお母様は、いつも午前中に電話しては、通じない、通じない、誰も出ない、何なのこの塾は、と怒っていらっしゃったのでした。
事情がわかれば、すぐ了解していただけたので、それは嫌な記憶というのではありません。
むしろ、そうか、塾の営業時間ということも、塾関係者でなければ普通は発想しないものなのだという驚きがありました。
今回の工事の関係者の方も、午前中、もしくは午後の早い時間帯に来ては、
「この部屋は、いつ来ても留守だな」
と思ったのかもしれません。
前述のお母様に対しては、営業時間をあらかじめお知らせしなかった塾が悪いのですが、床の防水工事の業者さんに営業時間をあらかじめお知らせしない私に責任はないですよね。
(-_-)
で、工事は行われるが、エレベーター前からうちの教室の入り口まで、歩ける場所は確保されるということに無事に収まりました。
ヽ(^。^)ノ
さて、生徒さんに連絡、連絡。
メールを送りました。
「本日、うちの教室前の通路は塗装工事が行われております。エレベーターから教室の入口まで、養生してあるところを歩いてきてください」
よしよし、これで大丈夫だろう。
ところが、ここで不測の事態発生。
そのメールの内容をお母様から伝えられた生徒の1人が、非常階段でやってきてしまいました。
('_')
「エレベーターから教室入口まで、どうもかなり歩きにくい状態になっているようだ」
というふうに情報を読んで、
「じゃあ、非常階段からなら、歩けるんじゃないか」
という発想になったのでしょうか。
いやいやいや、
「エレベーターから教室入口までなら、歩ける。他に歩ける道はない」
というのが、私の伝えたかった情報だったのですが。
というよりも、私の中に、階段という発想はなかったのです。
これは私の思考の癖なのかもしれません。
業者さんに、
「エレベーターから、ここの玄関まで、通れるようにしますから」
と言われれば、
「なるほど、エレベーターからここの玄関まで、通れるのだな」
と、そのまま受け止めます。
「エレベーター」という言葉が思考のフックとなり、もうそれ以外の選択肢は念頭から消えます。
相手が通れるようにしてくれている、その通りにやっていれば、間違いはない。
はみ出す必要はない。
そして、勉強をする上で、この思考法は楽だし、有利なんじゃないかと思うんです。
解説を聞いて、あるいは解説を読んで、その通りに再現する。
その再現の正確さが、理解力。学力。
学ぶとは「まねぶ」。
言われた通りにできることが、まず必要。
とはいえ、
「だから学校の秀才の考えることはつまらないんだ」
と言われれば、それもその通りなのです。
言われたことを言われた通りにやるのではなく、思ってもいなかった方向から発想のできる人ってかっこいいですよね。
少数のそういう人が文明を牽引し、そして、それを多くの秀才が再現して、世の中は進んでいくのだと思います。
ただ、今回の場合、非常階段を使うという発想は、そういうユニークで魅力的なものなのかというと、そうでもないように思います。
それは、たとえ思いついても、総合的に判断して、自分で却下したほうがいいのです。
非常階段を使えば通れるのなら、業者の方は最初からそういう誘導をします。
実際、階段の先は、ペンキ塗りたてで、一歩も先に進めなかったのです。
本人の身に危険の及ぶようなことではなく、あーあ、間違っちゃったね、で済む話ですから、このこと自体はどうでも良いのですが。
私が心配になったのは、そういう思考の癖のようなものについてでした。
相手が口にしないことを自分が思いつくと、思いついた途端に、「それこそが最善」という思考の飛躍が起こってしまうことがあるのではないか。
これは、その子とは別の子の話なのですが、英語の「受動態」の定着が悪く、期末テストが今から心配な子がいます。
最初の授業では、正確に理解していました。
頭の良い子なので、その場では器用に身につけることができるんです。
ところが、家で復習する習慣がなく、宿題は、次の塾の日の直前に慌ててやってきます。
1週間ぶりの復習では、たいていのことは頭から抜け落ちています。
宿題は間違いが多く、そうなると混乱し、わかっていたことが、どんどんわからなくなっていきます。
1週間、また1週間、むしろ、どんどん出来なくなっていくのです。
とうとう、確認テストの簡単な穴埋め問題で全滅するようになってしまいました。
be動詞と過去分詞を空所に埋めるだけの、受動態のテストとしては、何のひねりもない基本問題で全滅です。
そこに全て過去分詞とbyを入れていました。
「・・・・・・何で、by?」
「だって、受動態は、必ずbyを使うし」
「・・・・・・そんなふうに学校で教わった?」
「自分で気がついた。頭いいー」
「私は、そんなことは教えてないよね。受動態かどうかは、動詞の形で見分けるんだよね?」
「だって、byを使うでしょう?」
「使わない受動態は、たくさんあるよ」
「えー?なんでー?」
・・・・・教わったことを教わった通りに再現していれば、楽なのになあ。
なんで、別のルールを自分で見つけてしまうのかなあ。
しかし、それは思考の癖のようなもので、
「なぜ?」
と問われても自分で説明できないし、
「そのような思考はやめなさい」
と言われても、やめられるものでもないのでしょう。
何か1つの情報を与えられたときに、いくつもの選択肢を発想すること自体は、むしろ良いことです。
問題は、その選択肢のうち、妥当ではないものを消去する判断力をもつこと。
「自分の思いついたことだから、正しい」
というバイアスがかからない総合的な視野を持つこと。
でも、子どもに総合的な視野はないと思います。
総合的な視野がないから、それを身につけるために、勉強しているんです。
結局、「A」と言われたときに「B」の発想をし、それに沿って問題を解決しようとしてしまうのは思考の癖なので、今後も後を絶たない。
そういう子の学習能率を上げるにはどうしたら良いかを考えたほうがいい。
防水工事からそんなことを考えた土曜日でした。
あ。
結局、階段を上がってきた子に私が驚いてからは、保護者の方にそういうメールを送るのはやめました。
すると、その後は、かえって全員無事にエレベーターを使って教室にやってきました。
あらかじめ与えられた情報は、むしろ誤った思考を誘発する。
その場で見て対処したほうが、正しい判断ができる。
単に、そういうことなのかもしれません。
2014年05月20日
内申が「5」の子は、どんな子か。

(この記事は、2024年12月に、大幅に書き換えました)
東京の公立中学は、小学校時代の秀才たちの多くが抜けてしまっています。
生まれつき能力が高く、加えて努力も惜しまない、精神年齢の高い秀才は、いないわけではありませんが、少ないのが実情です。
多いのは、頭はまんざら悪くないけれど、何かが不足している子。
小学校のカラーテストなら、何も勉強しなくても85点くらいは取っていた子たちです。
本人は「自分は頭がいい」と、心の底では思っている気配があります。
中学生になって、学校の授業がわからなくなるかというと、そうでもありません。
まあまあわかるのです。
家庭学習の習慣はありませんが、定期テスト前には勉強しますし、それで、そこそこの点数をとったりします。
でも、成績は、「3」か、良くて「4」。
「5」は取れないことが多いです。
自他ともに認める秀才たちが抜けた今、自分がこの学校の主力だと、彼らは予想したはずです。
「3」を取ってもまだそのような誤解をしていることもあります。
しかし、そういう子たちの勘違いをよそに、着々と「5」の数を増やしていく生徒は、彼らではありません。
そもそも、小学校のカラーテストで85点というのは、学力が高いことの証拠にはなりません。
むしろ、あまり高くなかったのです。
学力の高い子は、100点か、ケアレスミスをして95点になってしまうのが当たり前です。
小学校のカラーテストは、基礎の定着を見るためのテストですので、誰でも100点が取れるように設計されています。
それで85点というのは、むしろ、何かが身についていなかった証拠かもしれません。
そのまま、公立中学に進学すると、中1の1学期はまだ学習内容も平易ですので、定期テストは、小学校のカラーテストと同じような点を取れることが多いのです。
ああ、良かった。
中学の勉強もまずまず大丈夫。
本人も保護者も安堵しますが、その得点は、その後も維持できるとは限りません。
定期テストは、2学期、3学期と徐々に難しくなっていきます。
今は、学習指導要領で「活用」ということが大きく取り上げられていますので、定期テストでも「活用」が問われます。
英語ならば、教科書にはなかった初見の英文を読んだり書いたりしなければなりません。
数学ならば、見たことのない文章題を解かねばなりません。
それなのに、本人は、小学校からの癖で、「解き方だけ覚える」勉強に終始している場合が多いのです。
こういう問題ならば、足してから、かけて、引くんだな。
そのように、手順だけを覚えて、その単元が終わればすぐに忘れてしまいます。
そういう勉強が、合理的だと誤解しています。
本質を理解せず、論理を追わず、いつも、ただ手順だけ。
そのような学習が習慣化している子の成績は、やがて「3」に定着します。
公立中学から、公立高校に進学し、大学を一般受験する。
受験の王道ともいえるこの道は、しかし、学力が無いとつらい道です。
だから、手順を覚える勉強しかできない子は、私立中高一貫校に進学したほうが良いと私は思います。
確かに、手順だけでは、受験算数の難問は解けません。
でも、前半の基本問題だけは頑張って解けるようにする。
あるいは、典型題ばかりを出してくれる中学校を選んで受験する。
受験算数には苦戦したとしても、受験は算数だけでするものではないので、他の科目で上手くカバーして、そんなに超有名校ではなくても、どこかの私立中学に進学したほうが良いと私は思います。
勿論、経済的な問題をクリアしての話ですが。
中堅レベルの私立中高一貫校の多くは、生徒の過半数が、内部進学か学校推薦か総合型選抜で大学に進学することを想定しています。
だから、学習進度は早いですが、学習内容は平易です。
基本しか学習しません。
「活用」の学習は行いません。
定期テストも基本問題ばかりが並んでいます。
数学センスがなくても、数学の定期テストで100点が取れます。
中堅私立ならば、「5」は比較的容易に取れます。
理系に進むことも、学校推薦や総合型選抜ならば可能です。
中堅の私立中高一貫校から、中堅の私立大学へ。
公立中学からでは大学には進学できなかったかもしれない学力の子が、その道に進めるのです。
実際、うちの塾に通う私立の生徒で、数学の定期テストで100点を取ったことのない子はいません。
計算ミスがときにありますので、毎回ではありませんが、100点を取ることは常に可能てす。
無論、学校の定期テストが100点でも、高等部に進学すれば、全国模試を学校単位で受けることになり、現実に直面します。
自分の本当の学力に早いうちに気づいて、学校の授業レベルに甘んじることなく学習を深め、望む大学に一般受験して合格する私立の生徒たちもいます。
井の中の蛙にならないように、常にアンテナを張って、学習を深めていけば、大丈夫です。
さて、そのように、中堅私立の場合の評定「5」はあまりあてにはなりませんが、公立中学の場合、「5」を取る子は、どのような子なのか?
保護者の方針で国公立・私立中学を受験しなかった本物の秀才、あるいは入試当日に何かがあり、予想外の不合格となった子が、まず、少数ながらいます。
成績「3」の生徒たちも、そういう子のことは、
「あ、あれは別格だから」
と認めています。
しかし、彼らが意識していないところで、彼らよりはるかに良い成績を取っている子たちもいます。
何年も前、集団指導塾で働いていた頃、その典型と思われる子がいました。
中学生でしたが、言動は小学生のようでした。
塾が好きで好きで、授業の始まる1時間も前にやってきます。
小さい塾でしたから、自習室や空き教室はありませんでした。
職員室をうろうろして、仕事をしている先生に話しかけては、塾長に、
「おまえは、邪魔だから、職員室に入ってくるな」
と怒られていました。
そうすると、今度は、職員室の前の廊下に置いてあるコピー機の横の、作業台代わりの椅子にちょこんと座って確認テストのための勉強をしていました。
私がコピーを取りに行くと立ち上がり、コピー機の横にはりついて、作業をじっと観察します。
私の腕が、その子の顔にぶつかりそうで、加減して作業しなければならず、かなり邪魔でした。
「・・・・・作業の邪魔になるから、ちょっと離れて」
と声をかけても、
「大丈夫です」
と言って、コピー機の側を離れません。
「いやいや、大丈夫じゃないから。邪魔だから」
「大丈夫です」
「いやいやいや。邪魔だって。そもそも、何でこんなに早く来るの。自転車で来ているんだから、時間は読めるよね?授業の始まる10分前に来ようか?」
「大丈夫です」
「お母さんに、早く塾に行けと言われているの?」
「違います」
「じゃあ、時間を読んで来ようか?」
「大丈夫です」
「何で、こんなに早く来るの?」
「家にいても、することがないから」
「塾に来ても、することはないでしょう。こんな薄暗い廊下で、机もないのに勉強することになるだけじゃない」
「大丈夫です」
「・・・・・・・・・」
何というか、会話が通じるようで通じないのでした。
勉強に関しても不器用で、何でこんなところでミスするの?と訊きたいような、変なミスをすることが多い子でした。
他の子がすんなり理解している簡単なことが理解できず、考えこんでいたりもしました。
でも、勉強は好きで、一所懸命勉強しています。
1人で勉強していたら、どこかでつまずいたと思うのですが、少人数のアトホームな塾でしたから、とことん面倒を見ることができました。
成績は、着実に上がっていきました。
「5」を取って、それを他の生徒たちに「すげえな」と感心されると、
「僕は、学校の先生と仲がいいから」
と嬉しそうに答えていました。
他の子が、私の顔色をうかがいながら、
「え。塾のおかげじゃないのか」
と訊いても、
「違う。僕は、学校の先生と仲がいいから」
と断言します。
「スミキ先生のおかげとか、言ったほうがいいんじゃねえの?」
「違う。僕は、学校の先生と仲がいいから」
何かもう、笑ってしまいました。
その頃からでしょうか。
どうも、昔と違い、精神年齢の低い子どもたちが増えてきたと感じるようになったのは。
実年齢-5歳 と考えればちょうど良いような精神年齢の子たちが多くなり、それは今も顕著です。
中学3年にもなって、自分の進路を真面目に考えられない。
勉強はしたくない、でも結果は欲しい。
話せば話すほど頭痛がしてくるけれど、まだ10歳なんだと思えば、まあそんなもんだろうと納得できる。
20歳の学生アルバイトが、役に立たない。
20歳にもなって自分が何のために何をしているのか理解せず、言われたことさえまともに出来ない。
何故なんだと腹も立つけれど、まだ15歳なのだと思えば、15歳にしては頑張って働いていると腑に落ちる。
その子の場合も、まだ小学校の低学年だと思えば、空気を読めないのも、いつまでもコピー機を見ているのも、来るなと言われても1時間も早く塾に来てしまうのも、まあ低学年はそんなものかと納得できるのでした。
その子は、特に顕著な例でしたが、公立中学で「5」をたくさん取っている子の中に、こういタイプの子が混ざっています。
とにかく幼いです。
理解も遅いです。
ですから、最初のほうで書いた、まんざら頭は悪くないけれど成績は「3」か「4」の子たちは、そんな子のことは眼中にありません。
性格のきつい子ですと、明らかに自分より格下の奴、と思っています。
はっきりバカにした発言をすることさえあります。
成績で負けていることなど、想像できないのでしょう。
ただ、精神年齢の遅れは、学習能力の遅れとイコールではないこともあります。
頭の回転がある意味速いため、ちゃちゃっと手順だけ覚える勉強に「逃げて」しまった子とは違い、じっくりとものを考える習慣があり、脳のある部分は発達しています。
真面目に学習する姿勢も、常に安定して変わりません。
それでも、基本問題しか解けない不器用な子なのではないか?
そうした懸念もあり、その子が都立自校作成校を受けると聞いたときには、本当に心配しました。
内申は申し分なくても、自校作成校の問題には、歯が立たないのではないか?
ただ、少なくとも中学1年から継続して、出来る限りの努力をしてきた。
そういう子が、中学3年になって、もう本当にギリギリ入試に間に合う形で応用力が開花することがあります。
不器用な分だけ惜しみなく投じてきた時間。
それがあってこそなのでしょう。
難しい問題はすぐ諦め、教わればいい、理解できればいいと思っているタイプの子なら、そのままです。
わからなくても考え続け、不器用に答案を書き続けてくる子に限っての話です。
彼も、ある日、突然、学力が変容しました。
志望校以外の都立自校作成校の過去問を解くようになって、最初はボロボロな出来でしたが、3回目くらいから、勝負できる答案になってきたのです。
「何で、この問題が解けた?本当に自分で解いたの?」
私の失礼な問いかけに、
「いや、逆に、僕の周りの誰が、これを解けるんですか?」
「言うねえ。何だその秀才気取りは」
「へへへっ。言ってみたかっただけー」
私が、本物の秀才とだけ交わす種類の会話が、その子との間に成立していました。
私が内心でどれだけ驚いているかなど、気がつく様子もなく、本当に、最初からそういう本格派の秀才であったかのように。
そのとき、私は、その子の合格を確信しました。
努力は、その努力にふさわしい形に人を変容させる。
目先の利便性にとらわれて手順を覚えるだけの勉強をしてきた子が到達できなかった領域に、その子は入りました。
結局は、そういうことなのかもしれません。
2014年05月12日
三ツドッケ~蕎麦粒山~川苔山を歩きました。2014年5月。

2014年5月11日(日)、奥多摩の山を歩いてきました。
三鷹発6:41の中央快速で出発しました。
今日は長丁場なので、出発はいつもより早めです。
立川と青梅で乗り換えて、奥多摩駅到着、8:21。
ホリデー快速ではなくても、やっぱり電車は登山客でいっぱい。
「東日原」行きのバス停は大行列でした。
私は1台目に乗車できましたが、結局、バスは3台出発しました。
川乗橋で、乗客の半分は下車。
川苔山に行く人たちでしょう。
東日原終点。9:00。
トイレを済ませて、歩き始めました。
まずは、バスの来た方向に戻り、二又に別れている坂道を道しるべ通りに左側に登っていきました。
登ってすぐ、道なりに曲がり、しばらく行くと、舗装道路は水平になっていきました。
あれ?と思ううちに道は尽き、そこにある階段が登山口かなあと思ったら、そこは個人のお墓への道。
わあ、すみません、お邪魔しましたー。
どこかで、道しるべを見落としたのかなあ。
とぼとぼ戻り、足元に「天目山、蕎麦粒山」という看板が落ちている階段を見つけました。
そこを登っていくと、斜面に1つ、また1つと民家が建っています。
廃屋もあります。
これは集落の生活道じゃないのかなあ。
荷物を運搬するためらしいレールもあります。
登山口から迷ったかなあ、と思っていたら、「三ツドッケ・酉谷山」の立派な道しるべを発見。
やっぱり、この道で良かったようです。
奥多摩は、メジャーコースの整備は手厚いですが、今回私が歩くのは、比較的マイナーなコース。
本人の読図能力や周囲の状況の把握能力が必要。
しっかりしなくちゃ。
植林帯の中のジクザクな急登をひたすら登っていきます。
道が広がり、斜面をまっすぐに登るようになると、あたりは自然林に変わり、思わず声をあげました。
ミズナラ、クヌギ、ブナの滴るような新緑の林です。
耳元で低くかけているラジオからは、
「さわやかと言いたくなる季節ですが、さわやかという言葉は、秋の言葉です。今の季節は、すがすがしいと言います」
という知識が。
ほお。
目の前の新緑と重なり、ちょっと笑ってしまいました。
道がまた、斜面をまく崖っぷちの道になり、山側は自然林、谷側は植林と、植相の分かれ目の中をずっと歩いていきました。
崖っぷちの道は、つまずくわけにはいかない道幅。
ちょっとストレスがあります。
右側が崖なのは、私は苦手です。
何か怖いなあ。
左利きだからかなあ。
足元は、落ち葉がつもってフカフカでした。
アンテナ。10:30。
さらに行くと、「この先、道細し」の掲示があり、これよりもっと細くなるの?と絶望感に襲われましたが、それまでと大差はなく、ひたすら崖っぷちの細い道を行きました。
途中、岩がちになり、痩せ尾根も出現。
慎重に歩いていくと、だんだん道は広くなり、ゆったりと尾根を登っていくようになりました。
左手の樹間からは、富士山が頭だけ見えています。
真っ白な富士山です。
一杯水避難小屋。11:25。
立派な避難小屋でした。
ちょっとした平屋の家レベル。
小屋前のベンチに座って休憩していると、小屋の裏から男性が2人降りてきました。
「三ツドッケ、登ってきたんですか?」と尋ねると、
「うん、天目山にね」と1人目の方。
「そう。三ツドッケだよ」と2人目の方。
三ツドッケと天目山は、同じ山の別名です。
「小屋の裏から登るんですよね」
と尋ねると、
「あー、でも、急だよ。こっちの道のほうが楽だよ。分岐があるから、そこから天目山に上がっていけるよ」
男性は、小屋に向かって左側の縦走路らしき崖っぷちの道を指さしました。
「あー、・・・・・そうなんですか」
縦走路に分岐があって、そこから三ツドッケに登れるのかあ。
それなら、そのほうがいいかなあ。
ガイドブックには、小屋の裏から登ると書いてあったけれど。
2人にお礼をいって、左の縦走路を歩きだしました。
しかし、これが、行けども行けども分岐などはなく、しかも、崖っぷちの細い道がずっと続いて、ストレスの大きい道でした。
あー、嫌だなあ。
本当にこの道でいいのかなあ。
本人たちは、小屋の裏から降りてきたのになあ。
実際に歩いたわけじゃなく、ここから行けそうだという見込みを教えてくれただけじゃないのなかあ。
10分ほど歩いても分岐などはなく、これはまずいなと思い、ひき返しました。
すれ違った登山客の間違った情報をうのみにして、遭難する人はいるものなあ。
予定していなかったことは、やったらダメなんだよ。
戻ってくると、小屋前には、さきほどとは別の男性単独行の方が。
「天目山、登ってきたの?」と訊かれました。
「いえ、分岐がなかったので、戻ってきたんです」
「え?通行止めになってる?」
「いえ、10分くらい歩いたんですけど、分岐がなかったので」
「あー、10分じゃ、ないなあ。15分くらい行くと、稜線に上がることができるんだよ。そこで、酉谷山との分岐があるから、右に曲がるの」
「えー・・・・・・」
あー、私は、何てバカなんだ。
せっかく来たので、やっぱり三ツドッケには登りたいから、そこで再び、さっきの道を戻りました。
今日は長丁場なのに、この20分のロスタイムは大きいぞ。
私にもう少し人を信じる心があれば。
などと、悲しき怪物みたいなことを考えながら、崖っぷちの道を歩いていきました。
いや、しかし、ディズニー映画だって、
「王子様なんかをあてにするよりも、信じられるのは、自分自身と肉親だけ」
という主張をする昨今、やはり一番良かったのは、当初の予定通り小屋裏の道を登っていくことだったのでしょう。
15分ほど歩くと、なるほど分岐がありました。
そこを右折。
急坂を登っていくと、三ツドッケ。別名、天目山の山頂についに到達。12:25。
上の写真がそれです。
岩がちなピークからは、360°の展望。
奥多摩の山々、秩父の山々が一望できました。
富士山も、くっきりです。
さて、下山。
登ってきた方向のまま、反対側の急坂を下りました。
もうこの際、三ツドッケの道の謎をすべて解明しておきたい。
立って降りるのは難しいくらいの急坂を何とか下り、そこからは少し平坦になったり、また急になったり。
大岩を乗り越えたり。
途中、踏み跡は二つに別れました。
私は、踏み跡の濃いほうの右の道を選びました。
左の踏み跡は、そのまま、稜線上を、直接、蕎麦粒山方向に向かう道なのかもしれません。
でも、確かめていないので、わかりません。
右の道は、予想通り、小屋の裏側に降りてきました。12:55。
降りてくると、
「分岐まで15分」と教えてくれたさきほどの男性が、まだベンチにいました。
今日は、このまま避難小屋に泊まるのだそうです。
いいなあ。
おにぎりを1個食べ、ポットに詰めてきたカフェオレを飲んで、さて出発。
道は、ここから広く歩きやすくなりました。
途中、「一杯水」の水場。
まだ残雪があり、そこからホースが出ていました。
でも、残雪があっても水量は細かったです。
秋には涸れていることも多いというのもうなずけます。
稜線から一段下がっている歩きやすい道をどんどん歩いて、遅れを取り戻そうと頑張りました。
ときどき、向こうからくる人とすれ違います。
男性の単独行ばかりです。
そもそも、この山に入ってから、女性と会っていません。
激シブ山域なんだなあ。
登山地図でも、この長沢背稜は、ずっと茶色に塗られているもんなあ。
登山地図は、高さによって色分けされていて、低いところは薄緑なんです。
うす茶色から茶色は、高い場所。
ずっと茶色なのは、奥多摩では、他には石尾根と奥秩父主脈しかありません。
眺めはいいけど、あまりにも良すぎて、ここがどんなに高いところか常に意識させられます。
なんか怖いなあ。
北アルプスのほうが、むしろ現実感がないので平気です。
奥多摩の展望は、現実的に高くて、怖いです。
また道は細くなり崖っぷちになってきました。
登山道が半分崩落しているところもあり、崖に滑り落ちそうでした。
もう、本当に怖いな。
しかし、蕎麦粒山に近づくに連れて、それまで見なかったパーティと出会うようになりました。
近郊の山の会と思われる、中高年の男女。
高校の山岳部と思われる若い集団と、最後尾の先生。
山の印象が急に明るくなりました。
気持ちの問題ですね。
蕎麦粒山、山頂。13:55。
そこからは、急な下り。
防火帯の広い広い尾根の下りです。
石尾根と印象が似ています。
乾いた砂の下りが滑りやすく、そろそろと降りていきました。
私がストックなしで立って降りられるギリギリくらいの斜度でした。
ここから、登山地図には「迷」のマークがありましたので、さらに用心していきました。
けれど、新しい道しるべが要所要所に立っていますし、登山道も明瞭なので、特に迷う感じはありませんでした。
夏草が生い茂り、登山道を隠すと、ちょっと厄介かもしれませんが。
アップダウンを繰り返し、日向沢の峰。14:45。
ここからも富士山の眺めは良好でした。
ガイドブックには、
「眺望が良いので、お弁当を開くのに良い」
なんて書いてあるのですが、この高度感と露出感でお弁当を開く人ってタフだと、私は思います。
さらに防火帯の下り。
大岩がゴロゴロして、何だこれ、道があるの?と思うと、左手の樹林帯の入口に青いビニールテープが下がっていました。
道は、こちらのようです。
急ですが、踏み跡は確かで、木につかまりながら降りていくことができました。
踊平。15:12。
当初の予定では、時間の余裕があれば川苔山に寄るし、遅くなってしまったら、大丹波の林道に降りていくつもりでいました。
ガイドブックには、大丹波のコースが書かれています。
林道歩きが2時間になるのは大変だけど、遅くなったら林道のほうが安全です。
ところが、踊平の分岐には、掲示が。
「登山道崩落につき、大丹波方面、下山できません」
トラロープも張ってあり、もう本気でダメな様子です。
よし、川苔山に行こう。
遅くなるけれど、川苔山から鳩ノ巣駅へ降りていくまき道は、何度も歩いて知っているから、万が一暗くなってもゆっくり用心して行動すれば、降りて行ける。
分岐の道しるべを見つける度、他の尾根に引きこまれないように注意しました。
川苔谷方向には、「木橋崩落につき、通行できません」の掲示がありました。
トラロープも張ってありまた。
え?じゃあ、今朝、川乗橋でバスを降りたたくさんの人たちは、どうしたんだろう。
この冬の大雪は、やはり大変なことだったようです。
登山道崩落や木橋崩落が奥多摩のあちらこちらで起こった様子です。
用心して用心して、「川苔山」の表示だけを信じて登っていったら、川苔山の山頂にポンと出てしまいました。16:00。
あれ?
山頂はまくつもりでいたのですが。
ええ?
山頂にいったん出ると、そこからは土地勘が戻り、いつもの坂道を下山。
その道は、たった今、歩いてきた道でした。
なのに、それがいつもの山頂への最後の登りだと、さっきは全然気がつかなかった。
これは、ショックでした。
違う道だと思いこんでいると、いつもの道が違う道に見えるんですね。
降りてきて、さきほどの「川苔谷、通行禁止」の掲示を見たところが、いつもの十字路だということに気づき、さらに愕然。
ともあれ、そこからは、よく知る道。
何とか日没前に下山できそうです。
登山口でのもたつき。
三ツドッケでのもたつき。
川苔山頂周辺でのもたつき。
この3か所のもたつきがなければ、1時間は早く下山できたのにー。
鳩ノ巣駅。18:10。
ホームで電車を待つうちに、山はゆっくりと暮れていきました。
こんな時間になったらダメだろう。
これは、一種の遭難だろう、と反省。
2014年05月06日
蝶ヶ岳に行ってきました。2014年5月。

2014年のGWは、北アルプスの蝶ヶ岳に行ってきました。
5月5日に気圧の谷が通過することが予報されていました。
今年は、奥穂高岳か北穂高岳に行きたかったのですが、登るだけ登っても降りられなくなりそうです。
なので、今年は、雪山初心者でも楽しく登れる蝶ヶ岳にGOなのです。
1日で登って降りてこられますから。
(*^^)v
5月3日 三鷹7:01発の中央快速に乗って、立川でスーパーあずさ1号に乗り換え。
松本着9:43。
エスカレーターを登ると、例年通り、上高地行きの切符の臨時販売所がありました。
今年は消費税分だけ値上がりし、松本・上高地往復4550円。
そのまま松本電鉄のホームに移動。
萌えキャラのラッピング電車が入線してきました。
松本電鉄の淵東駅と渚駅から名前をとった「淵東なぎさ」ちゃんだそうです。
えーと・・・・・・。
('_')
松本発10:10。終点、新島々10:40。
駅前には、「上高地行き」のボードを掲げた係員さんが待機していました。
見事な誘導を受け、ささっとトランクにザックを入れてもらい、バスに乗車。
終点、上高地到着。12:00。
まずはバスターミナルに直行し、5日のバスの整理券をもらい、さて出発。
河童橋の向こうに穂高岳が見えてきました。
うーん、今年は、雪が多いのかなあ。
少ないのかなあ。
何だかよくわかんないなあ。
今日は横尾泊まりなので、気楽です。
アイゼン・ピッケル・雪山用のアウター上下などでザックは重いですが、服装は、長袖Tシャツに短パンに高機能タイツ。
ただ、靴は雪山用の重い登山靴です。
のんびり歩き始めました。
明神。13:10。
そこから先、池の付近で、いつも通り、猿の群れのお出迎え。
食べ物を見せびらかして歩いてでもいない限り積極的に襲ってはきませんが、あまり近づくと威嚇してきます。
徳沢。14:10。
徳沢園が建て替えられたと聞きましたが、見た目はそんなに大きく変わってはいなかったです。
周囲にマッチしたロッジ風な建物。
ただ、「氷壁の宿」の看板はなくなっていました。
「氷壁の宿」と言っても、今の若い人にはキャッチーじゃないからかなあ。
私だって、ナイロンザイル切断事件や、新聞小説『氷壁』の大ヒットは、登山史として知っているだけで、オンタイムで知っているわけではないのですし。
キャンプ場には、たくさんのテント。
スリーシーズン用のテントが目立ちました。
もう雪は融け、草地が見えていますから、テントの下にシートを敷いてテント内も銀マットと個人マットで防寒すれば、そこそこしのげるのかなあ。
GWもテント泊にすれば費用的には楽なのですが、雪山装備+テント装備となると、これはかなり重い。
なので、テント場は若者が多いようでした。
横尾山荘。15:10。
のんびり、コースタイム通りに歩いて到着。
山小屋ですので、予約なしでも泊まれますが、畳の部屋になるようです。
「全員揃うまで、布団は敷かないでください」
と言われていました。
ちょっと不便ですね。
私は予約していたので、2段ベッドの部屋。
三方は壁、もう一方はカーテンで仕切られ、一種の個室空間が作られていますので、山小屋としては望外の快適さです。
トイレも清潔だし、トイレ前の洗面所の水は飲料水だし。
3時半、お風呂の用意ができましたという放送が流れ、早速入浴。
石鹸・シャンプーの使用は禁止ですが、汗が流せるだけで快適です。
洗い場を長々と占領する人もいないので、特に混雑することもありません。
のびのび入って、タオルを乾燥室で干して、談話室の自販機でビールを購入。
500mL、700円。
山小屋に行くと、「PEAKS」を読みます。
奥秩父縦走かあ。いいなあ。
丹沢山小屋特集かあ。いいなあ。
熟読していたら、いきなりガツンと揺れて、びっくり。
え、地震?
隣りの人は、奥穂高から今日降りてきた人で、昼間も何度も揺れたと言っていました。
人が巻き込まれるほどではないけれど、地震の度に小さな表層雪崩が起きて、不気味だったと。
うわ・・・・・。
夕食、5:00。
ふき味噌がおいしかったです。
凍らせたフルーツゼリーもシャリシャリとシャーベットになっていて、おいしかった。
消灯、9:00。
でも、廊下とトイレはずっと明かりがついていて、ヘッドランプ不要でした。
5月4日。
起床、4:30。
朝食、5:00。
今日はこれから登る人が多く、みんな出発を急ぎますから、廊下に食事待ちの行列ができていました。
廊下の突当りに、お湯かお茶を汲める場所があり、ポットに自由に詰めることができました。
支度をして出発。6:00。
小屋を出て右へ行くと、すぐに槍ヶ岳と蝶ヶ岳の分岐がありました。
みんな穂高か槍に行くんだろうと思ったら、意外に蝶ヶ岳も人気で、前後には常に人がいました。
樹林帯の急登が続きます。
特に危険個所はありません。
沢も岩場もありません。
雪の状態にもよるでしょうが、今回は、ピッケルも不要でした。
トレッキングポールで、サクサク登っていきました。
槍見台。7:30。
槍ヶ岳がドーンと見えました。
槍沢のトレースまで見えるようです。
さらに樹林帯の急坂を登っていき、稜線に出ました。9:45。
稜線は、雪が融けて、夏道が見えていました。
今日は1日晴れるそうなので、できるだけ長く稜線歩きを楽しみたい。
なので、まずは左の三角点へ。
360°の展望です。
上の画像がそれです。
右から、槍ヶ岳、中岳、南岳、大キレット、北穂高岳、涸沢岳、奥穂高岳。
画像には写っていませんが、そこからさらに左奥に、乗鞍岳、少し離れて御嶽。
その奥、南アルプス。
うっすらと富士山。
八ヶ岳。
さらに左に目を転じると、中央アルプス。
自分の立つ稜線続きには蝶槍と、常念岳。
1周し、目は槍ヶ岳に戻ってきます。
稜線漫歩を楽しみながら分岐まで戻り、さらに蝶ヶ岳ヒュッテへ。
その先が、蝶ヶ岳の最高点でした。
ここには、徳沢から長堀尾根を登ってきた若い子たちがたくさんいました。
蝶ヶ岳は、雪の北アルプス・デビューをする子も多い山。
そうした子たちのテンションは特別です。
そうだねえ。
凄いよねえ、この眺め。
それ以上に雪山をここまで登ってきたことが誇らしいよね。
きれいだとは思いつつ、当たり前になりつつあることを少し反省。
あともう何回この景色を肉眼で見ることができるか、わからないのだから。
麓から山頂を見上げ、若い頃はあのピークに立ったのよという日もいずれ来るのだから。
何か、それはそれで楽しみなのですが。
南アルプス展望ハイキングコースなんかは、そういう日のために、今は登らず、とっておいたりします。
当初の予定では、蝶ヶ岳ヒュッテに宿泊するつもりでしたが、予報はどんどん悪化していました。
日没もご来光も期待できません。
大半は樹林帯だけれど、吹雪になるとやはり嫌だなあ。
今日のうちに麓に降りることにしました。
さて、下山。11:35。
朝登ってきた急坂を慎重に下っていきました。
下りが苦手なので、どんな山でも慎重に慎重に。
私は、気をつけていてもミスしてしまうから、慎重に。
雪の奥穂の岩場を下るときも、易しい蝶ヶ岳を下るときも、もっと易しい無雪期の高尾山を下るときも、同じように慎重に。
それは、性格なのかもしれません。
生徒には、生まれつき器用で頭も良いので、小学生の頃は家で勉強なんかしたことがないという子は多いです。
学校の授業なんか聞いていなくても、さあ練習しましょうと言われたら教科書を斜め読みすれば問題は解ける。
それが習慣になり、プライドにもなって、中学生になってもそのまま。
自分は、家で復習しなければならないほどバカじゃない。
授業を真面目に聞かなければならないほどバカじゃない。
しかし、そういう子の大半は、中学2年くらいから成績が急降下していきます。
それでも、習慣か、あるいはプライドからか、真面目に勉強する気持ちになりません。
「簡単な問題は、簡単だから、なめてかかってミスをする。難しい問題は、難しいから解けない。あなたは、いったいどこで得点するの?」
私の説教に、
「それなwww」
と苦笑しながら認めてみせても、やっぱり直せない。
一方、ちょっと不器用な子のほうが、公立中学では、あっけないくらい簡単に「5」をとります。
しっかりしなくちゃ。
頑張らなくちゃ。
一所懸命やらないと、自分はミスをしてしまうから。
そういう気持ちでいる間は、安心です。
雪山にきてまで、そんな仕事のことを考えているうちに、横尾山荘が見えてきました。12:50。
予約をしていなかったので、おそるおそる申し出ると、受付の人は私の顔と名前を憶えていてくれました。
「蝶ヶ岳、どうでしたか。よく見えましたか」
「はいー。素晴らしかったです」
向かいあって、にこにこ。
ヽ(^。^)ノ
「今日は、2段ベッドの上のほうになってしまうんですが」
「あ、全然かまいません。もっと大部屋かと思いました」
「もう昨日ほど混雑しませんから、そんなことないんですよ。食事も、昨日よりゆっくりです」
見ると、受付に置いてある食事の表示は、「夕食5:30 朝食5:30」になっていました。
昨日より、30分ずつ遅い。
さて、荷物を整理し、まずは炭酸入りのオレンジジュースを購入し、行動食の残りを食べました。
それから、入浴。
そして、また、ビール。
夕食は、昨日とは別のメニューでした。
チーズが中に入っているハンバーグだ。
(#^^#)
同じテーブルには、小学4年生の男の子を連れたお母さんがいました。
「今年の夏、槍ヶ岳に行くので、その足慣らしに、槍沢ヒュッテまで行く予定なんです」
ほほお。
夏の槍ヶ岳より残雪期の槍沢ヒュッテまでのほうが難度が高い気もします。
同じテーブルの他の人たちは、皆男性の単独行ですが、1人1人、登ってきた山の難度がえらく高かったです。
単なる奥穂高とか槍ヶ岳のレベルではない。
なのに、訊かれなければ言わない。
人は、レベルが上がるほど寡黙になるもんですね。
そして、初心者に優しい。
自分がこれまで登った山を訊かれてもいないのにペラペラ喋るタイプの人は、バリエーションの入門ルートに連れていってもらっているだけなのに勘違いしていることもあるなあ。
と、ちょっと毒舌。
(#^^#)
5月5日。
予報よりもさらに悪く、朝から雨。
朝食を済ませて、6時10分出発。
ぼんやり前の人に続いて歩いていたら、分岐を間違えて、梓川の右岸に渡ってしまいました。
なので、新村橋で、左岸に渡り直しました。
吊り橋、嫌いなのに。
いえ、新村橋は、比較的頑丈な造りで、揺れも少ないですけれども。
( ;∀;)
徳沢、明神と軽快に通過し、河童橋。8:25。
とりあえず、バスターミナルで、整理券を発行し直してもらいました。
3日にもらったのは、16:45のバス。
予定では、蝶ヶ岳ヒュッテから長堀尾根を降りて、午後に上高地に着くつもりでしたから。
9:30のバスの整理券を受け取り、ダッシュで対岸に渡り、上高地アルペンホテルで入浴。
「外来入浴」の看板が出ていなくて、おそるおそるフロントで尋ねると、外来入浴可能でほっとしました。500円。
ちょっと急ぎすぎた、10時台のバスでも良かったと後悔しながら、大急ぎで入浴し、バスターミナルに戻り、売店でビールと野沢菜おやきを購入。
もうバスの乗車は始まっていました。
無事に乗車。
新島々から松本電鉄に乗り、松本駅へ。
駅で、またもビールと「料理弁当 アルプスの四季」を購入。
毎年、このお弁当が楽しみです。
松本で、12時発あずさ16号乗車。
始発なので、自由席でも座れました。
電車が動きだし、お弁当を開きました。