たまりば

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2018年12月23日

英語字幕で映画を見る楽しみ。『クリスマス・キャロル』。



『クリスマス・キャロル』は、イギリスの作家チャールズ・ディケンズによって書かれ、1843年の12月、美しい挿絵を含む豪華な装丁のクリスマスブックとして発売された、クリスマスを祝福する物語です。
近代市民の内面が深く描かれていることを小説の定義とするならば、この物語は小説とは呼べないのかもしれません。
登場人物は物語の中で果たすべき役割しか与えられていません。
ストーリーも単純です。
強欲な金貸しスクルージは、クリスマスイブの夜、過去・現在・未来のクリスマスの精霊の訪問を受け、これまでの自分の悪行を悟り、生まれ変わる。
非常にわかりやすいので、原作を簡単な英語にリライトしたサイドリーダーが、私立中学などの冬休みの宿題として出されることがあります。

ボリュームのある英文を読む場合、映画で先にストーリーを知っておくのは、読みにくさを解消する良い方法です。
とはいえ、『クリスマス・キャロル』は、近年の作品というとアニメーションばかりで、しかも、アニメーションですら退屈で最後まで見ていられないかもしれません。
ストーリーが単純すぎるので、面白くないのですね。

そうした中でイチオシなのが、1970年英米合作のミュージカル映画『クリスマス・キャロル』(原題『SCROOGE』)。
古い映画なので今見ると特撮が稚拙だという難はありますが、舞台は19世紀のロンドンですから、古い映画であることがむしろ雰囲気作りに成功してもいます。
11曲のクリスマス・ソングの1つ1つが上質で、単調なストーリーを飽きずに見られのも有難いです。
主演アルバート・フィニーのファンキーな演技のおかげで、強欲な金貸しスクルージは、とても偏った人物だけれど、そんなに悪い人間に見えてこないのも良いところです。
脚本の良さもあって、原作にない人間味が人物像に奥行きを与えていると感じます。
DVDは今でも通販などで購入可能。
しかもとても安いです。

最初は冬休みの宿題対策のためにしぶしぶ見るのであっても、クリスマスが近づくとまた見直したくなる大好きな映画になってくれると嬉しいです。
そして、2度目に見るときは、勿論、英語音声・英語字幕で。
ヽ(^。^)ノ
イギリス英語なので、発音が明瞭で聴き取りやすいのです。

冒頭、スクルージの事務所での甥や事務員とのやりとりはそんなに難しくないものの、しかし、彼が事務所を閉め、外に出たあたりから、英語が聴き取りづらくなります。
まずは、年末の寄付を求める紳士2人との会話。
事務所の看板には、昔の共同経営者マーレーの名前もまだ記されてあるので、紳士たちは、スクルージに、あなたはミスター・マーレーか、あるいはミスター・スクルージかと尋ねます。
スクルージの返答。
Mr Marlyey has been dead for seven years. Seven years ago this very night he died.
この辺はまだ聴き取りやすいですね。
1つ目の文は、現在完了の例文として丸暗記したいような文です。
「彼が死んで7年になる」
これを5通りに表現できますか?
上の文は、その中でも英語特有の表現を含む重要文です。
2つ目の文の very は、「まさにその」という強調の形容詞。これも大事ですね。

物語的には、ここで共同経営者のマーレーが亡くなっているという情報が自然に提示される上手い展開に、感心するところでもあります。

ところが、この後、寄付をするのしないのという議論は、早口でかなり聴き取りづらくなります。

It is more than usually desirable that we make some provision for the poor.
―I wish to be left alone ,sir. I don't make merry at Christmas and cannot afford to make idle people merry.

弾丸スピードの議論を何とか聴き取って、息をついた後、しかし、絶望が襲います。
その後、スクルージが歌い出す、I hate people という歌の歌詞がほとんど聴き取れないのです。
字幕を見ても、知らない単語が並ぶ・・・。
というのも、この歌は、スクルージが人々へ悪罵を投げつけている歌なので、否定的な意味の形容詞、動詞のオンパレードなのです。
・・・こんな英語は、学校で習わないなあ。
私は、この映画を初めて英語字幕で見たとき、自分の英語力の偏りに気づいて仰天しました。
そうか。私は、英語で悪口を言うことはできないんだ。
そういうボキャブラリーを持っていないんだ。
そんな発見があります。

でも、その後、また聴き取りやすくなるので、諦める必要はありません。
家に戻ったスクルージを、マーレーの幽霊が訪問します。
この会話は、とてもゆっくりで聞き取りやすいのです。

You don't believe in me , do you ?
―No,I don't.
Why do you doubt the evidence of your own eyes ?

belive の後にすぐに目的語がつくときは、「~を信じる」。
belive in ~のときは、「~の存在を信じる」。
付加疑問文とその答え方の生きた例でもありますね。
「おまえは私の存在を信じていないな?」
「ああ。信じていない」
文法・語法の知識が聴き取りに生かされて、ちょっと嬉しくなります。

さて、夜も更けて。
午前1時の鐘とともに、過去のクリスマスの精霊がやってきます。
これが、上品そうな老貴婦人。
予備知識がなくても名優なのだろうとひと目でわかる貫禄の、イーディス・エヴァンス。
スクルージに、淡々と過去のクリスマスを見せていきます。
孤独な少年時代。唯一の味方だった妹。
しかし、働き始めると、スクルージは、良い雇用主に恵まれ、幸せな青年時代を送っています。
雇用主夫妻とその友人・近所の人たちとの幸福なクリスマス・パーティーの場面。
それをつくづくと眺めるスクルージは、かつての雇用主を褒めます。
What a marvellous man!
それに対し、過去のクリスマスの精霊は、むしろ否定的です。
―What's so marvellous? He's merely spent a few pounds of your mortal money. Three or four. Why is that deserving of so much praise?
しかし、スクルージは譲りません。
You don't understand. He has the power to make us happy or unhappy. To make our work a pleasure or a burden. It's nothing to do with money.
守銭奴スクルージが、「金は関係ない」と断言する。
それを過去のクリスマスの精霊は黙って聞いています。

この映画があまり説教臭くないのはそういうところだと思います。
大切なことは全てスクルージ自身の口から語られるのです。

午前2時に現れた現在のクリスマスの精霊。
直視できないほどにまぶしい巨人。
神のイメージに近い造形です。
この巨人が見せる現在のクリスマスの1つは、スクルージの甥の家でのクリスマス・パーティー。
そして、物語の冒頭に登場した甥は、スクルージの妹の忘れ形見であることが明かされ、見る者は、この甥への好感をさらに深めていきます。
この甥の存在は、この物語のハッピーエンドへの道しるべです。

英語学習的に興味を引かれるのは、そのパーティ内のゲームでしょうか。
cat の前に、m がお題なら m で始まる形容詞をつけて言っていかなければならないゲーム。
英語の形容詞はやはり膨大です。
うわあ、こんな形容詞知らないわ、まだまだ勉強しなくちゃと思ったり。
知っている形容詞が出てくると嬉しかったり。

英語的に面白いところはなおも続き、重要表現が沢山出てくる映画です。
しかし、これ以上は長くなり過ぎますので、ここで英語を離れて。

この映画を英語と関係なく他人に薦めるとき、私は3つの見どころを言います。
1つ目。
イギリスのハナ肇が出てきます。
お正月番組の「銅像」感があるんです。
イギリスでは有名な喜劇役者なんでしょう。
どこに出てくるかって?
ひと目でわかります。

2つ目。
イギリスの市村正親が出てきます。
30代くらいの、ミュージカルの舞台で主役を張っていた頃の、キレッキレの市村正親さん。
イギリスでは有名なミュージカルスターなのでしょう。
どこに出てくるかって?
ひと目でわかります。

3つ目。
イギリスの「ええじゃないか」を見ることができます。
この映画は、ラスト20分の圧巻のフィナーレを見るために、それまでの全てがあるのかもしれません。
映画前半の多くのナンバーがここで意味を変えて繰り返されます。
あの群衆がなぜ突然同じ歌詞で歌えるのかとか、なぜ同じ振りでダンスができるのかとか、そういうつまらないことは言ったらダメですよー。
「借金帳消し、ええじゃないか」と歌い踊る群衆を、映画館の大画面で見たかったものです。
公開当時、まだ洋画を見に行く年齢じゃなかったですから。

この映画の素晴らしいイメージが崩れるからやめなさいと、ファンに叱られそうですが。
あと、若い子には、全く通じない話ですね。

とはいえ、私が一番好きなのは、ラストシーンです。
群衆から離れ、家に戻ってきたスクルージは、自分に忠告してくれたマーレーに語りかけます。

I don't know whether you can hear me, and I don't know whether or not I imagined the things I saw, but between the pair of us we finally made a merry Chrismas, didn't we ?
そして、続けます。
I have to leave now. I must go and get ready. I'm going to have Christmas dinner with my family.

甥と約束したクリスマスの食事。
大勢の人々からの感謝とともに、彼にとってそれがどれほどの幸福であるかが切実に伝わる、良いラストシーンです。

皆さまも、メリークリスマス。
  


  • Posted by セギ at 14:56Comments(0)英語

    2018年12月21日

    関係代名詞3 目的格の whom


    さて、関係代名詞。今回は目的格です。

    前回まで説明したのは、実は、主格の関係代名詞でした。

    I have an aunt. She lives in New York.
    この文を関係代名詞で1文にすると、
    I have an aunt who lives in New York.

    この関係代名詞 who は、2つ目の文の中で、主語の働きをしています。
    こういう関係代名詞を主格の関係代名詞といいます。

    I will show you the pen which was given to me by my uncle.

    この文もそうですね。
    この関係代名詞 which は、2つ目の文の中で、主語の働きをしています。
    ここは誤解しやすいところですが、1つ目の文、すなわち主節の中でどんな働きをしているかは関係ないのです。
    主節の中で先行詞が主語だろうと補語だろうと目的語だろうとどうでもよいのです。
    2つ目の文、すなわち関係代名詞節の中で主語の働きをしている関係代名詞が主格。
    関係代名詞節の中で目的語の働きをしている関係代名詞が目的格です。

    今回は、その、目的格の関係代名詞について説明します。

    She is the girl. Tom invited her to the party.

    この2文を1文にして、「彼女は、トムがパーティーに招待した女の子です」という文を作りたい場合。
    1つ目の文の the girl と、2つ目の文の her が同一人物です。
    これまでと異なり、関係代名詞になる単語は2つ目の文の先頭ではないので、文をつなげにくいですね。
    でも、ルールは同じ。
    修飾される名詞である先行詞がきたら、すぐに関係代名詞です。
    だから、2つ目の文の her は、whom という関係代名詞となり、先行詞の直後に置きます。
    その後、2つ目の文を主語から普通に続けていきます。
    her はもう whom に形を変えて先頭にいったので、飛ばします。

    She is the girl whom Tom invited to the party.

    whom って何?

    今までの関係代名詞って、疑問詞と同じ形をしていたのに、何か、whom って見慣れない・・・。
    そういう感想を抱く中学生がいますが、 whom も疑問詞の1つで、書き言葉としてはまだ使われることがあります。
    By whom was this book written ?
    「この本は、誰によって書かれたのですか」
    直訳が不自然に固くなりましたが、英語的にも固い表現です。
    しかし、「誰によって?」という疑問が文頭から明確に伝わるという点で、論理的な文章としては有効です。
    語句の関係が明瞭だということは、読みとりやすいということです。
    who was this book written by ?
    という形も正しい文ですが、最後の by を聞くまで、疑問の中身が何であるか不明瞭です。

    勿論、こんなことを受動態で質問するからややこしいので、話し言葉ならば、
    who wrote this book ?
    と能動態で質問するでしょう。
    けれど、もっと込み入った内容の論説文の場合、by whom 、 for whom 、with whom などは、有効な表現です。
    そして、勿論、関係代名詞 whom も書き言葉として現役です。


    ところが、ゆとり教育の時代に、中学の英語教科書から関係代名詞 whom が消えました。
    新課程になった後も、復活していません。

    理由は色々考えられますが、最も大きい理由は、目的格の関係代名詞は省略可能だということ。
    She is the girl Tom invited to the party.
    と、whom を省略することが可能です。
    話し言葉では、むしろ省略される場合がほとんどでしょう。
    girl と Tom の間に少しポーズをとって区切れば、十分意味が伝わります。
    アメリカの口語英語を基準としている中学英語教科書は、そういうわけで whom の存在を消してしまったようです。

    日常で省略されることが多くなると、何が起こるか?
    ネイティブでも、who と whom の使い分けができない人が増えていきます。
    たまに使うときに、whom と言うべきところを誤って who と言ってしまうのです。
    間違う人が多くなると、しかし、それが正しい表現として認められていくのが言語です。
    現在では、目的格でも who を用いることが許容されています。
    高校の「英語表現」の教科書では、目的格の関係代名詞は、whom の他に who が明記されています。


    こうした情報をどう読み取るか?
    「じゃあ、何でも who でいいんだ!who しか覚えない」
    と決めてかかって良いのでしょうか?
    いいえ。
    whom も身につけておいたほうが良いでしょう。
    なぜなら、書き言葉として、whom は現役の関係代名詞だからです。
    「前置詞+関係代名詞」という内容を高校で学習しますが、それはさすがに who での代用を認められていません。
    前置詞の後ろに主格の who をもってくる感覚は、ネイティブにはないのです。
    ですから、結局、whom は学習しなければならない関係代名詞です。
    どうせ学習しなければならないのなら、基本の用法から正確に身につけておくに越したことはありません。
    実際問題として、何でも who でいいと覚えていたのに、高校の英語表現のテストの四択問題で、選択肢に who がない、ということはあり得ることです。

    「どちらでもいいのなら、片方しか覚えない」という学習姿勢は、英語には不向きです。
    覚えていないもう片方を相手が使う可能性があるからです。

    関係代名詞に限らず話を広ければ、英語は同じ表現の繰り返しを嫌いますから、1つの文章の中で同じことを常に言い換えていきます。
    1つしか覚えないという姿勢では、英文を読めないのです。
    英語長文を読んでいて、
    「何でいちいち言い換えるの?だから途中で意味がわからなくなるんだよ」
    と愚痴を言う子もいますが、1つのことを1通りの表現でしか表せない言語は、文化的に痩せた言語です。
    類義語・類語表現の多さは、言語的な豊かさの証です。
    自分1人の学びやすさのために英語が存在するわけではない。
    つくづくとそれを悟るのも、外国語を学ぶ意味の1つであるように思います。


    それでは、中学生としては、whom をどう扱いましょうか?
    学校で学習していないのなら、学校の授業やテストでは使わないほうが良いと思います。
    教えてもいないのに生徒に whom を使われて、かっとなったのか、
    「whom なんて古い。今は使わない」
    と断言し、後に生徒たちから陰で笑い者にされた英語の先生がかつていました。
    こういうのは、お互いにとって不幸です。

    学校の先生の判断で whom を教える場合もあります。
    その場合は積極的に覚え、使用しましょう。

    高校受験ではどうなのか?
    入試で使うのは問題ありません。
    whom は口語としてやや堅苦しいというだけで、間違った表現ではありません。
    入試の答案を採点するのは、それぞれの高校の英語の先生です。
    高校の英語の先生は、whom に特別な感情はありません。
    日常会話では使わなくても、論説文には普通に使用されている単語ですから。

    私立高校を受験する場合は、whomの他、中学では学習しない所有格の関係代名詞 whose や、関係副詞の基本まではひと通り学習しておくと安心です。
    長文問題の本文で使用されていることが多いですし、特に whose は文法問題で出題されることがあります。
    もっとも、配点がそんな高いわけではないので、その1問が解けなくても合否にはさほど影響しないでしょう。
    発展的な文法事項に神経を尖らせるよりも、語彙の難度が高くボリュームのある英語長文をある程度のスピードで読み通せる読解力を鍛えることのほうが入試には重要です。
    当然、関係代名詞が多用されています。

    さて、whom の基本的な用法に話を戻しましょう。
    The boy could speak Japanese a little. I met him in the park.
    この2文を「私が公園で会った少年は、少し日本語を話すことができた」という文にしたいとき。
    先行詞と、関係代名詞になる語との距離がさらに開きましたね。
    これも、先行詞がきたら関係代名詞、という基本ルールでつなげば大丈夫です。
    したがって、主節は途中で分断されます。

    The boy whom I met in the park could speak Japanese a little.

    The boy という先行詞がきたら、すぐに whom。
    その後、2つ目の文、すなわち関係代名詞節を先頭から書いていきます。
    ここで変な倒置を考える人がいるのですが、必要ありません。
    主語から普通に述べていき、ただし、whom に変わった him は省略し、さらにその後ろを普通に述べていきます。
    関係代名詞が全部終わったら、主節に戻り、これも、普通に順番通りに述べていきます。
    ルールは極めてシンプルです。
    勿論、このwhom も目的格ですから省略可能です。


    上のように2つの英文が与えられて、関係代名詞を使って1文にしなさい、という問題なら正答できる人が、日本文を英文に直す問題では難渋することがあります。
    「私が公園で会った少年は、少し日本語を話すことができた」
    この日本語を英語に直す問題のとき。
    多くの場合、まず、I met the boy in the park と書いてしまい、その後に何も続けられなくなってしまうのです。

    これは日本語の構造を把握する力が問われる問題です。
    「私が公園で会った少年は、少し日本語を話すことができた」
    この文の主語と述語は何でしょうか?
    国語の文法の学習でも主語と述語を見つけることが苦手な人がいますが、そういう人は大体、まず主語を探しています。
    しかも、主語は必ず文頭にあるという間違った思い込みをしています。

    日本語で主語と述語を探すときは、まず述語を探します。
    倒置法などの特殊な場合を除き、述語は、文末にあります。
    一方、主語は、文頭にあるとは限らないのです。
    上の文の述語は、1文節で正確に答えるなら「できた」ですが、今は英文を作るための主・述の確認なので、意味がとれるよう「話すことができた」とざっくり把握しましょう。
    話すことができたのは誰なのか?
    その「誰」にあたるのが、この文の主語です。
    話すことができたのは、「私」ではなく、「少年」です。
    英語は、主語から書き出します。
    だから、英文の書き出しは、The boy です。
    The boy
    どんな少年なのか?
    私が公園で会った、少年。
    この修飾関係が見えたら、もう大丈夫。
    名詞を修飾する2語以上の語句は、名詞の直後に置かれます。
    修飾語句に主・述の関係が感じ取れますから、これは関係代名詞節で修飾するのだと予想が立ちます。
    The boy I met in the park
    ここまで、すぐに作れますね。
    これで、文の主語とその修飾語句が作れました。
    で、そのボーイがどうしたのか?
    「少し日本語を話した」
    なるほど、では、主節を続ければ良いんだ。
    The boy I met in the park could speak Japanese a little.
    で、問題を読み直し、「関係代名詞を用いて」と、もし書いてあれば、これは先行詞が人間で、目的格の関係代名詞だなと判断し、
    The boy whom I met in the park could speak Japanese a little.
    これで正解です。
    ヽ(^。^)ノ

    そんな手間はかけられない、と言う子もいます。
    しかし、最初はこうやってしっかり分析して書くようにすると、そのうち、パッと読んだときに日本語の構造が見えてくるようになります。
    そうなれば、こんな手順を踏まなくても、スラスラと正しい英文を書けるようになります。
    日本語の構造を正しく把握できるようにもなります。
    良いことづくめです。

      


  • Posted by セギ at 12:10Comments(0)英語

    2018年12月19日

    高校数A 合同式の利用 その2。



    今回も「合同式」。
    まずはこんな問題です。

    問題 整数nを3で割った余りが2のとき、n3-3nを3で割った余りを求めよ。

    合同式を使えば簡単です。
    整数nは3で割った余りが2なのだから、
    n≡2 (mod3)
    よって、
    n3-3n≡23-3・2=8-6=2 (mod3)

    したがって、余りは2です。

    合同式を用いて、証明問題を解くことも可能です。
    これも、普通の解き方よりも簡単に書いていくことができます。

    問題 nが整数であるとき、n3+5nは6で割り切れることを証明せよ。

    6で割り切れるかどうかを証明するのですから、6を法として論を進めていけば良いのです。

    整数nは6を法とするとn≡0、n≡1、n≡2、n≡3、n≡4、n≡5のいずれかに分類される。
    (1)n≡0のとき
    n3+5n≡03+5・0≡0
    (2)n≡1のとき
    n3+5n≡13+5・1≡6≡0
    (3)n≡2のとき
    n3+5n≡23+5・2≡18≡0
    (4)n≡3のとき
    n3+5n≡33+5・3≡42≡0
    (5)n≡4のとき
    n≡4≡-2
    n3+5n≡(-2)3+5・(-2)≡-8-10≡-18≡0
    (6)n≡5のとき
    n≡5≡-1
    n3+5n≡(-1)3+5・(-1)≡-1-5≡-6≡0
    (1)~(6)より、
    n3+5n≡0
    よって、nを整数とすると、n3+5nは6で割り切れる。

    シンプルで楽ですね。
    あっという間に終わりました。



    これを普通の解き方で解くとなると、答案は少なくともこの倍のボリュームになります。
    その中で、この問題は、実は隠れた重要事項を利用できると、少し楽に解けます。
    それは、「連続する3つの整数の積は6の倍数である」というものです。
    しかし、このことに、ノーヒントで気づく高校生は少ないです。
    問題集の欄外などにヒントとして、「連続する3つの整数の積は6の倍数であることを利用する」などと書いてあることが多いですが、そう書いてあっても、何のことかわからない場合もあります。

    連続する3つの整数なんだから、どれかは2の倍数だし、どれかは3の倍数ですよ。
    だから、積は必ず6の倍数でしょう?

    この雑な説明が頭の中でスパークし、顔を輝かせ、
    「すげえっ!そうか!」
    と感動する子もいます。
    「・・・・おまえ、オラが見えるのか?」
    私は、哀しい妖怪の定番のセリフを口にすることになります。
    正直、こんな雑な説明で伝わるとは思わなかった・・・。

    一方、私がそういう雑な説明をすると余計に
    「え?」「え?」「え?」
    となってしまう子も多いのです。

    もっと詳しく説明しても、
    「でも、どれが2の倍数で、どれが3の倍数かわからないじゃないですか」
    と言われてしまうこともあります。
    そこを詳細に場合分けして説明すると、むしろ場合分けしたことがあだとなり、
    「だって、こっちの場合とこっちの場合では話が違うじゃないですか」
    と言われてしまうこともあります。
    そんなときは、ああもうこの話はしたくないと泣き伏したくなります。

    わからないことが苦しいのは何より本人なのだけれど。

    何をどう説明しても、わかってもらえない。
    講師と生徒と1対1のとき、わからない生徒が絶対王者のように君臨し、「わかるように説明できない講師が悪い」という空気の中で私は絶望的な闘いを続ける。
    そういうことは、たまに起こります。
    集団指導の場合は、理解の速い子は説明が終わる前にもう理解し、
    「あ。そうか」
    「ああ。そういうことか」
    と声に出してくれます。
    その一言で、わからないのは、わからないほうが悪いという空気が生まれます。
    そうなると、本当はわからない子も、わかったふりをします。
    あるいは、わかったふりはしないまでも、それは自分の理解力に問題があるのだと哀しい気持ちで認め、少なくとも王者のように君臨することはありません。

    どちらか良いのか。
    ・・・それは、個別指導のほうがいいです。
    だって、実際わからないのですから、わからないことをわからないと表明できるほうが健全です。
    だから、泣き伏しそうになりながらでも、私は頑張るぞ。

    膠着状態を脱却する方法はあります。
    相手が納得のいくまで、具体例で説明していくのです。
    連続する3つの整数として例えば「9、10、11」を考えます。
    9は3の倍数です。
    3×3と分解できます。
    10は2の倍数です。
    2×5と分解できます。
    したがって、
    9×10×11=3×3×2×5×11
    3×2という因数が含まれていますから、これは6の倍数です。
    これをいくつかの例でやれば、ある程度は理解してもらえます。
    しかし、私の中では1つの敗北と感じてもいるのです。

    せっかく文字を用いて抽象化しようとしているのに、結局、具体例で考えないと理解できない。
    抽象を抽象のまま理解できなくて、この先の学習は大丈夫だろうか?

    ・・・・心配ばかりしていても仕方ないのですが。
    いずれにしろ主題ではないことにかなりの時間を費やし、さて問題は何だったかというと。


    問題 nが整数であるとき、n3+5nは6で割り切れることを証明せよ。

    n3+5n
    =n3-n+6n
    =n(n2-1)+6n
    =(n-1)n(n+1)+6n
    連続する3つの整数は、6の倍数である。
    ゆえに、n3+5nは、6の倍数。

    ・・・やっぱり難しい。( ;∀;)
    合同式で証明するほうが簡単な気がしてきます。

      


  • Posted by セギ at 12:12Comments(0)算数・数学

    2018年12月17日

    北高尾山稜を歩きました。2018年12月。


    2018年12月16日(日)、北高尾山稜を歩きました。
    朝のうちは晴れ、昼からは曇るとの予報。
    朝晴れているのなら、今回は八王子城跡から歩くことにしました。
    中央線で高尾駅着。7:50。
    高尾駅北口に出ると、もう八王子城跡行きのバスが待っていました。
    バス出発。7:55。

    古いガイドブックには、「霊園前・八王子城跡入口」までしか行かず、そこから歩くような記述があるのですが、バスは終点八王子城跡まで行ってくれます。
    途中、バスが追い越した幾組かの登山姿のパーティは、どうせバスは途中までしか行かないからと、高尾駅から歩いたのでしょうか。
    それとも、「駅から歩く派」なのかもしれません。
    私も、もう1つの北高尾山稜への道を行くときは、小仏行きのバスには乗らずに歩きます。
    駅に着いた時刻によっては、バスを待つのが面倒くさいということもありますね。

    終点八王子城跡。8:05。
    支度をして、石畳を擬した舗装道路の坂道を歩いていくと、事務所のような建物が見えてきました。
    前を歩く人がそこに入っていくのでついていくと、事務所の横にトイレがありました。
    これは便利。
    石畳状の道をさらに進むと、古い鳥居が見えてきて、そこから登山道です。
    鳥居をくぐると木の根や石の段差道。
    またすぐ先に新道と旧道の分岐。
    新道を選び、左に曲がると少しずつ高度が上がり、眺めがよくなってきます。
    紅葉の頃や桜の頃に歩いてみたくなる道です。

    よく整備された広い登山道が続きます。
    金子丸、柵門跡などの解説板を立ち止まって読んだりしながら淡々と登っていくと、展望地。
    都心が一望できました。
    初めて来たときは、遠く地平線上に筑波山がくっきり見える眺望に感動しましたが、今日は、思ったほど雲が取れず、遠望がききません。
    霧の中にシルエットが浮かびあがる高層ビル群。
    太陽からカーテンのように差す光線。
    快晴の日とはまた違う眺望でした。

    城山山頂。8:35。
    八王子神社本殿も、神楽などを行ったのだろう舞台も、廃屋と見まごうほどのわびさび具合です。
    屋根に枯葉が積もり、初冬の趣がありました。
    道しるべの通りに一段下がり、古いトイレを左に見ながら、細くなった道をジグザグに下っていきました。
    ここからは観光地ではないということなのか、道が急に悪くなりました。
    崖っぷちの細い道です。
    ポンプのついた井戸を過ぎ、なお細い崖っぷち道が続きました。
    用心してそろそろと歩いていくと、やがて道幅は確保され、尾根歩きになりました。
    しかし、その先も、木の根の作る段差の急な下りがあったり、ピークへと登り返したり、また道が細くなったり。
    やがて道がはっきりと登りになり、登り詰めると、富士見台。9:35。
    北高尾山稜のもう1つの道と、ここで合流します。

    いつもは誰かしらいる休憩地ですが、珍しく誰もいませんでした。
    耳元で低くかけているラジオでは、午後から雨の降る地域があります、この時期の冷たい雨には濡れないようご用心くださいと、パーソナリティーが語りかけてきます。
    関東の海沿い、横浜・東京の一部・千葉で午後から雨の予報。
    今朝の出発時よりも予報が悪化しています。
    高尾はどうかなあ?
    とりあえず、富士見台から富士山は見えませんでした。
    完全に雲の中です。

    さて出発。
    ここから大きく下ります。
    そして、登り返し。
    このあたりは小ピークが連続し、アップダウンが繰り返されす。
    紅葉の頃は、樹木が近く、明るい小径です。
    今日は、枯葉も色あせた冬枯れの道。
    ふと見ると、左手、高尾主脈の上空に黒い雲がかかっていました。
    あの下は、雨が降っているのかもしれません。
    北高尾山稜の上空はギリギリ雨雲が切れて、白い雲に覆われています。

    いったん林道に出ました。10:30。
    舗装されていない林道です。
    どこから始まり、どこにつながっているのだろう?
    車が走っているのを見たことがありません。

    すぐ尾根の登り返しが始まりました。
    またアップダウンの連続です。
    左手に小下沢林道への分岐も時おり現れます。

    黒ドッケ。11:10。
    夕焼け小焼けへの分岐のあるピークです。
    道しるべをよく見て、「堂所山」のほうへと下りていきました。
    しばらく行くと、岩がちな登りが始まりました。
    秋に落ちた枯葉はそろそろ油分が抜けて、踏まれて平らになってきているので、枯葉に覆われた岩は印象がむしろ和らぎ、登り安く感じました。
    登り詰めると、意外なほどに景色が変わり、広く平らな道に出ます。
    枯葉が厚く積もっています。
    ここから、道の印象が大きく変わります。
    枯葉の積もる広い尾根道を大岳山などの展望を楽しみながら歩いていける箇所が増えてきます。
    北高尾山稜は、前半の樹木が近い細い道も好きですが、後半の広い尾根歩きの爽快さも捨てがたい。
    長い距離を歩ける、人が少ない、というだけでなく、道の雰囲気が良いのが北高尾山稜の魅力です。

    伐採された木が周囲に転がっている切り開かれた明るい尾根の急登を越え、枯葉の積もった下り道を慎重に行き、アップダウンを繰り返して、関場峠。12:05。
    ここは、小下沢林道の終点です。
    真下に林道が見え、林道からここに上がってくることもできます。
    先程からぽつぽつと雨が当たるのを感じていましたが、ぽつぽつの量が増え、小雨くらいになってきました。
    今日は都心でも最高気温8℃。
    かなり冷えてきているので、雨具の上着を着て、ザックに雨カバーをかけ、再び出発。

    関場峠から、ちょっと岩がちな急登を越え、細い尾根を登っていきました。
    小雨は、植林帯に入る頃には止みました。
    高尾主脈の上にかかっていた黒い雲はゆっくりと西へ移動していました。
    これなら雨雲を上手くやり過ごせそうです。

    笹原の道に出ました。
    細い道の両側に笹原が広がる、好きな場所です。
    道は徐々に傾斜を増します。
    そこのピークで大休憩。12:30。
    大きな切り株があり、そこからの眺めが良いので、ここで昼食にしました。
    もう5分も歩けば、堂所山の山頂。
    山頂のベンチが人で埋まっているかどうか、行ってみないとわからないので、いつも手前のここで昼食にします。
    生藤山は、いつ見てもきれいな山だなあ。
    上の画像がそこから撮ったものです。

    トレイルランナーにたまに追い抜かれる程度で、人の気配のない道をここまで来ましたが、座って食事していると、ゆっくりゆっくり登ってくる人が1人、また1人。
    急登がようやく終わった喜びからか、皆、安堵の笑顔で挨拶してくださいます。
    それとも、カップ麺をすすりながら挨拶する私が面白かったのかな?

    いつもここでは長居してしまい、出発。13:00。
    5分で、堂所山山頂。
    新しいベンチと山頂標識は、去年建てられたものだったでしょうか。
    先客は1人。
    先程挨拶した方でした。

    さて、しばらく平らな道を行くと、その先、木の根の作る急な段差の下りになりました。
    八王子神社から富士見台までの道が細く険しかったせいか、この道の難度をそれほどに感じずに下りていくことができました。
    下りきると、奥高尾縦走路と合流。
    もう雨雲は去り、青空さえ見えてきました。
    それでも、ひと雨ふった奥高尾は人がいません。

    奥高尾は、まき道すら幅広い。
    歩きやすいです。
    もう遅いので、景信山を最大限巻いて、小仏峠から登り返して相模湖の見晴らせるピークへ。
    ここも、誰もいませんでした。
    雲を少しまとった富士山が姿を見せていました。
    夕陽を受けて、相模湖が銀色に光っています。

    そこから小仏城山も巻いて、再び尾根道に戻り、一丁平展望台。14:40。
    急に大勢の人がいて、ちょっとびっくり。
    展望台からは、逆光と霧に煙る丹沢が、青いシルエットで見えていました。
    その右手に富士山。

    さて、さらにまき道から、高尾山の下へ。15:10。
    高尾山も巻いて、薬王院を通り、さっさか歩いて、リフト。15:50。
    リフトは16:00まで。
    ギリギリ間に合って、リフトで下山しました。
    家に帰って、歩数計を見ると、4万歩を越えていました。
    北高尾山稜を歩くと、やはり歩数が凄いです。
      


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    2018年12月13日

    数A「整数の性質」合同式の利用。



    前回、合同式とはどういうものか学習しました。
    それでは、この合同式、具体的にはどういうことに利用するのか。
    例えば、こんな問題です。

    問題 nは13で割って5あまる数であるとき、3n4-7n2を13で割ったあまりを求めよ。

    半角の数字は指数だと思ってください。

    これを、合同式を利用せず、普通に解くと、
    n=13m+5 と表す。(mは整数)
    3n4-7n2
    =3(13m+5)4-7(13m+5)2
    =3(132m2+13・10m+25)2-7(13・13m2+13・10m+25)
    =3(134m4+132・102m2+625+2・133・10m3+2・13・10・25m+2・25・132m2)-7・132m2-7・13・10m-7・25
    =3・134m4+3・132・102m2+1875+6・13・10・25m3+6・25・132m2-7・132m2-7・13・10m-175
    =13(3・133m4+1500m3+13・359m2-70m)+1700
    =13(3・133m4+1500m3+13・359m2-70m+130)+10
    よって、余りは10。

    上の途中式、書き間違いをしているかもしれません。
    それくらいに面倒くさい。
    この問題を解く上で大事なところは、あまりはいくつかなのですから、13という因数をもっていない部分です。
    上の式でいえば、1700は13で割ると余りはいくつなのか。
    そこだけに着目すれば余りが出るのに、13という因数を含んでいることがわかりきっている、いわばどうでもいい部分の計算に神経を使います。
    これを簡単にクリアできるのが、合同式です。


    合同式を用いると、n≡5(mod13) となります。
    よって3n4-7n2≡3・54-7・52=3・252-7・25
    ここで25≡-1(mod13)ですから
    3・252-7・25≡3・(-1)2-7・(-1)=3+7=10
    ゆえに、あまりは10です。

    合同によって言い換えたものを数字としてそのまま計算し、また合同で言い換えていきます。
    あまりにだけ注目している合同式ならば、それが可能です。
    ちょっと手品のようですが、慣れると、もう一番上のような解き方はやりたくない。
    それくらいに便利なものが合同式です。

    あるいは、こんな問題。

    問題 a、bを整数とする。aを5で割ると3余り、bを5で割ると4余る。このとき、abを5で割ったときの余りを求めよ。

    これも、合同式を用いないで解くことも勿論可能です。

    m、nを整数とすると、a、bは、m、nを用いて、
    a=5m+3、b=5n+4 と表すことができます。
    ab=(5m+3)(5n+4)
      =25mn+20m+15n+12
      =5(5mn+4m+3n+2)+2
    よって、abを5で割った余りは2。

    これを合同式を用いて解くと、
    a≡3、b≡4 (mod5)
    ab≡3・4=12≡2 (mod5)
    よって、abを5で割った余りは2。

    合同式を用いると余計な文字を使わずに済むので、答案がシンプルです。
    実は考え方の本質は同じなので、ぜひ合同式を身につけて簡単に解いていただきたいと思います。

    また別の問題。

    問題 2012の200乗を7で割ったときの余りを求めよ。
    200乗?
    普通の解き方だと、さすがにこれはどう解くのだろうか、と考え込んでしまいます。
    しかし、合同式を用いればこれも簡単です。
    まず2012を実際に7で割って確認すると、
    2012≡3 (mod7) です。
    よって、
    2012200≡3200=9100≡2100=833・2≡133・2≡2 (mod7)
    よって、余りは2。

    合同で言い換えては計算し、また合同で言い換える。
    指数法則がわかっていないと、この計算はピンとこないかもしれません。
    こうした指数計算は、この後、数Ⅱ「指数関数」、数B「数列」でもよく使うのですが、よく詰まるところです。
    模範解答を見ても、何をどう計算して次の行になっているのかわからないという話をよく聞きます。

    上の答案では、
    2100≡833・2
    のところがわかりにくいかと思います。
    2の100乗を、(23)33・2 と直しているのですが、指数法則が理解できていないと、
    「そんなことをしていいんですか?」
    と感じるかもしれません。

    指数がわからなくなったら、指数法則の基本に戻りましょう。
    a2×a3=(a×a)×(a×a×a)=a5 でした。
    (a2)3=(a×a)×(a×a)×(a×a)=a6 でした。
    ですから、(23)33・2=299・2=2100 となりますね。
    逆の操作で、2100=299・2=(23)33・2=833・2 とすることができます。

    ところが、上のような説明も、
    (a×a)×(a×a×a) の( ) は、どういう意味なんですか?
    ( )がないときと、どう違うんですか?
    それは要らないんじゃないんですか?
    と、それこそ不要な質問で頭がいっぱいになり、このほうがわかりやすいだろうと思って使った( )があだとなることもあります。
    何かがわからないというのはそういう場合が多く、本筋ではないところに目がいき、主要なところの理解を阻む。
    そういう傾向があります。

    しかし、なぜ本筋ではないところに目がいってしまうのでしょうか。
    その原因を考えれば、そもそも、( )の使い方について不安があるのではないか?
    小学校で( )を使った式を立てることを学習した小学校3年生の頃に、( )の使い方をしっかり身につけることができなかったのではないか?
    それは四則演算の原則がどこか曖昧になっているということでもあります。
    あるいは、( )の使い方の基本はわかっているのだけれど、自分で式を立てるときには、つい( )をつけ忘れたり、不要な( )を書いてしまったりを繰り返して、何となく苦手という感覚が高校生になっても残ってしまっているのではないか?
    さらには、几帳面な正確もあって、以前、自分が( )を使ったときには不要だと言われたのに、説明のためという理由で使用されているのが納得できないのかもしれません。
    先生や教科書・参考書が使用している( )のニュアンスを理解できない。
    そういうことが学習を阻む場合もあるかと思います。

    もう1つの壁は、やはり指数に対する感覚でしょう。
    同じ数を何回もかけるときに指数を使うという根本が理解しきれていないのではないか想像される場合もあります。
    23=2×2×2ということが、ふっと頭から抜ける。
    そのため、23=6と、気がつくと思い違いをしている。
    そんな場合もあると思います。
    (23)33・2=833・2 という転換が理解できず、
    「そんなことして、いいんですか?」
    と不安になるのは、指数の定義や乗法の交換法則が頭の奥まで染み込んでいないのが一因ではないかと感じます。

    それは、普通の指数計算の際にも表れます。
    26 を計算せよと言われて、
    2、4、8、16、32、64 と、逐一2倍していないでしょうか?
    26=64 と一瞬で転換している人を、「暗記しているのかな?」と思っていないでしょうか?
    26=(23)2=82=64 です。
    同じように、34=(32)2=92=81 です。
    指数を一瞬で計算している人は、この作業を一瞬で行っている場合が多いのです。
    答えを暗記しているとは限りません。
    あまりにも繰り返される計算に関しては、さすがに答えを覚えてしまっている場合もありますが。
    こうした指数に対する感覚、かけ算に対する感覚は、誰かに教えられたのではなく、本人が計算する過程で身につけていることが多いです。
    むしろ、このやり方を教えても、
    「いいの!私は普通にやらないとわからないの!」
    と意固地になる子もいるので、教えてわかるものではないのかもしれません。
    しかし、教えてわかるわけではないことがわからないと、合同式や、高校数Ⅱで学習する指数関数・対数関数の理解に大差が生じるようになる・・・。

    いやいやいや。
    こんなこと、教われば、わかることです。
    わかってください。
    ・・・と最後は古いフォークソングみたいになって、また次回。
    ヽ(^。^)ノ



      


  • Posted by セギ at 13:08Comments(0)算数・数学

    2018年12月10日

    蕨山を歩きました。2018年12月。


    2018年12月9日(日)、奥武蔵の山、蕨山を歩きました。
    三鷹から国分寺、東村山、所沢と乗り継いで、飯能駅。
    飯能駅から名郷行きのバスに乗り出発。8:00。
    終点名郷。8:45。

    名郷バス停には、トイレがありました。
    個室2つの男女兼用トイレです。
    支度を済ませ、さて、ここからどちらに行けば良いのか?
    バス停には道しるべはありませんでした。

    コピーしてきたガイドブックを確認し舗装された沢沿いの道を下流に向かって歩きだしました。
    少し歩くと最初の道しるべを発見。
    蕨入橋で沢を渡り、林道に入りました。
    後ろから来た速い2人連れに追い抜かれました。
    先行者がいるのは少し安心。

    林道を緩やかに登っていき、林道終点で沢を渡りました。
    適当に3本組まれた丸太橋でした。
    1本はグラグラしていて、おっとっととバランスを取りながら通過。
    そこからは登山道です。
    いきなり急な登りが始まりました。
    木の根で段差が作られている道をジクザグに登り、登り詰めると沢を高まく崖っぷちの道。
    しかし、あまり高度感がないので通行にそれほどストレスはありませんでした。
    今日は山頂までの道は険しいみたいだと、ガイドブックを読んで諦めてきているので、まあこの程度ならという気持ちがあったのかもしれません。
    右下に見えていた沢はどんどん細くなり浅くなり、水たまりレベルになった沢をひょいと越えると、そこからは尾根へと登っていく急登の始まりでした。

    今日は都心でも最高気温が10℃に満たない、この冬一番の寒い日。
    山もことのほか寒く、空も予報ほど晴れず、日差しがありません。

    植林帯の暗い斜面を登り詰めると、尾根。
    狭い細い尾根でした。
    全体に細い尾根歩きがその先も延々と続きました。
    ガイドブックには「伊豆ヶ岳方面の眺めが良好な明るい尾根道」とあるのですが、そんな天気でもないし、そんな気分でもありません。
    山の印象は季節と天気で随分変わりますね。

    伊豆ヶ岳は、とりあえず、あれかな。
    一度そう確認はしたものの、立っている尾根はそんなに広くないし、ところどころ岩が出ているし、枯葉が積もっているのでどこで滑るかわからないし。
    足元に注意を払って先に進みました。
    ガイドブックにはここから「蕨山に着くまで4段の急峻な段差の続く悪場」とありました。
    山地図には危険マークもあります。
    いったいどの程度のものなのだろう?

    進んでいくと、最初の段差が始まりました。
    岩や木の根が階段のように段差を作っています。
    ロープが垂らしてありましたが、傾斜は緩く、ロープを使う必要はありませんでした。
    このレベルで済むのかな?

    またしばらく行くと、2つ目の段差。
    ここは傾斜も急で、両手両足をフルに使ってむき出しの岩を登っていかなければならない箇所でした。
    幸いホールドは豊富でしたので、垂らしてあるロープがあまり信用できないこともあり、岩をつかんで登りきりました。
    このレベルがあと2つ続くのかな?

    しばらく行くと、3つ目の段差。
    これは段差というより急登という印象で、ジクザグに登っていく坂道でした。
    枯葉に注意しながら、ここも通過。

    4つ目の段差。
    ここも、ジグザグの急登。
    あまり岩場感はありませんでした。
    結局、印象的な「急峻な段差」は2つ目だけでした。
    むしろ、道全体が岩がちな細い尾根で、枯葉が積もっていることのほうがストレスが強いのです。
    結局、ずーっと少し怖い。

    緩い坂道を登っていくと、「危険 通行注意」という看板が立っていました。
    ここが山地図に載っている危険マークのところかな?
    段差はなく、ただ尾根が細い。
    痩せ尾根です。
    吹きっさらしなので、枯葉は積もっておらず、淡々と歩いていくことができました。
    痩せ尾根を渡りきると再び「危険 通行注意」の看板があり、では、危険個所は先ほどの箇所からここまでなのだなと確認できました。

    4段の段差は終わったものの、歩き始めてまだ1時間と少ししか経っていません。
    山頂まで、山地図のコースタイムは2時間50分。
    ガイドブックのコースタイムは2時間05分。
    こんなにコースタイムに差があるのは、技術的難度をどう時間に反映させるかという問題なのでしょうか。
    今日は本当に寒いので、汗もかかず、コースタイムより少し早く着くかもしれないけれど、まさか1時間とちょっとでは着かないでしょう。
    そんなことを考えながら、尾根道を歩いていくと、再び段差が。
    しかも、倒木が道を塞いで、ちょっとややこしい感じになっていました。
    あれ?私、段差を数え間違えた?
    段差に入れてはいけないところを入れたのかな?
    どれを段差に加えてはいけなかったのかと悩みつつ、ややこしい箇所を通過。
    最後の段差を越え、広くなった道を登っていくと、視界が開け、小広い場所に、分岐を示す道しるべがぽつんと立っているのが見えました。
    ああ、今度こそ本当にもうすぐ山頂です。

    道しるべに従い、まずは少し下り、なだらかな登りを行くと、山頂らしいベンチと、そこに座る人影が見えてきました。
    蕨山山頂。11:05。
    そんなに広くない場所にベンチが3つ。
    朝同じバスで来て、林道をさっさか歩いていった2人。
    途中で道を譲った男性。
    みんなまだ山頂にいました。
    少し怖い道だったけれど、振り返れば面白い道だったなあ。
    上空は雲に覆われ、地平線との隙間に青空。
    上の写真が蕨山山頂から撮ったものです。

    ここでお昼にしました。
    カップ麺にお湯を入れていると、しかし、急に風が強くなってきました。
    「ひゃー寒い。お湯を入れたら、もう動けないのに」
    思わず声が出ます。
    途中で道を譲った男性は、
    「一段下がると、風はなくなるよ」
    「そうですよね。失敗したかなあ」
    ビュービュー風の吹く山頂で、カップ麺を食べました。
    長い休憩を取ったのは、2年前、さわらびの湯からのピストンでこの山を歩いたとき、山頂からの下りにあまり良い記憶がなかったからでもあります。
    ちょっと心構えをしておきたい。

    さて出発。
    山頂から少し下ると、平坦な広い道にいったんはなるのですが、その道の先、急降下があるのです。
    私の苦手な、つかまるところがあまりない下り道です。
    一応ジグザグなんですが、乾いてザレて滑り易い。
    しかも、枯葉混じり。
    本日の山で手ごわいのは、もうここだけ。
    頑張れ頑張れ。
    そう念じて、ゆっくりゆっくり下りました。

    下り終わると、道は林道のように広くなり、脇の林では車座になって休憩中のパーティもいました。
    その先、林の中の緩やかな下り道でも、休憩している人たちや、向こうから登ってくる人たちの姿が。
    山頂までの荒涼とした山の風景が一変し、ここは、楽しい初冬のハイキング道です。
    冬枯れた自然林。
    その下を落ち葉をカサコソと踏みしめて歩きます。
    コナラの木々の向こうに奥武蔵の山々。
    日差しまで明るくなってきました。

    藤棚山。11:40。
    ベンチがぽつんと1つ。
    遠くで犬の吠える声。
    鉄砲の音。

    道はときどき細くなり、枯葉で滑らないよう、なお注意は必要でした。
    新しい枯葉がサラサラと風に流れてくるので、踏み跡は不明瞭。
    地形を見ながら、ここが登山道だろうと判断して歩いていきました。
    奥武蔵の腐葉土は柔らかく、登山道なのかちょっと不安になってしまう箇所も。
    広い尾根の所では、案外本当に間違えたのかもしれません。

    真下に舗装道路があるところでは、木の柵で登山道がガードされていました。
    道路に転落する登山者を防ぐためなのでしょう。
    里山感が増してきたなあと思うと、しかし、ちょっとした岩場の下りがあったり、案外細いまき道があったり。
    道に変化があるので飽きずに歩いていけます。

    中登坂。12:40。
    植林帯に入り、登山道はうす暗いもののさらに安定して歩きやすくなりました。
    金比羅神社跡。13:10。
    あとはさわらびの湯へと下っていくだけです。
    あとひと頑張り。
    案外急な箇所などもあり用心して降りていくと、麓では、まだ少し紅葉が残っていました。
    墓地を越えて、さわらびの湯バス停。13:50。

    バス時刻を確認して、敷地の奥のさわらびの湯へ。
    駐車場を通り過ぎ、トイレを過ぎ、右に曲がって舗装道路をさらに進んでいきます。
    バス専用の駐車場にバスが4台停まっていました。
    山歩きのバスツアーの下山地点がここで、客が下山してくるのを待っているだけのバスもあるだろうけれど、今さわらびの湯に客が入っているバスもあるのかな?

    自動ドアを開けて入るとすぐに、「館内ただいま大変混雑しております」のアナウンスが聞こえてきました。
    靴を靴箱に。
    100円が後に返却される靴箱でした。
    券売機で入浴券を買います。
    受付には、帰るときに券を見せるシステムでした。
    階段を下りていくと、風呂場。
    予想通り、脱衣所は大混雑でした。
    しかも、脱衣所のロッカーも100円が後に返却されるロッカー。
    これは煩わしい。
    ロッカーが小さいので、ザックは入りませんでした。
    貴重品のみロッカーに入れ、ザックは脱衣所の隅に置きました。
    浴場に入ると、ここも洗い場の順番待ちでしたが、幸い、すぐに順番が回ってきました。

    露天風呂もイモ洗い状態。
    皆、顔見知りの様子で山の話をしているので、やはり山歩きバスツアーの客のようです。
    上がると、脱衣所は、やはり大混雑。
    ただ、ツアー客も含め登山客は、混雑している温泉での身の処し方が卓越している方が多いです。
    混雑しているわりに動線が確保され、ロッカーの前のベンチ、さらのその手前や、出入り口付近の空間まで人が散り、譲り合って身支度していました。
    ビールの自販機まで行列に並んで購入するのはさすがに初めての経験でした。
    缶ビール500mL390円。
    5分で飲み干し、次のバスにあわせて、さわらびの湯を出発。
    あわただしかったけれど、やはり温泉に入るとさっぱりします。
    しかし、湯上りに今日の風は冷たく、これからの季節、温泉に入るならもう1枚上着が必要だと感じる頃にバスがやってきました。
      


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    2018年12月07日

    高校数A 合同式とは何か。


    今回の学習内容は「合同式」です。

    2つの整数a、bを自然数mで割ったあまりが等しいとき、aとbをmを法として合同であるといい、a≡b(mod m)と表す。
    このような式を合同式という。

    定義は上のようにシンプルで、難しい言葉は何1つなく、込み入った論理も何1つないのですが、多くの場合、数学の授業史上一番の停滞となります。
    新課程になったばかりの頃は、「発展」として一応教科書に載っているこの内容を教える高校は多かったのですが、今は、私立高校や都立中高一貫校でも、教えない学校が増えてきました。
    あまりにも理解が進まないので、先生たちも匙を投げたかもしれません。
    苦労して時間をかけて教えても、入試にほとんど出ないですし。

    合同式を解説する難しさの1つは、具体的に説明すれば理解してもらえるとは限らず、その具体例に縛られて混乱したり誤解をしてしまう子が多いことにあります。
    それでも、具体例で説明しないわけにいきません。

    例えば整数を7で割った余りで分類することを考えてみましょう。
    7で割ると1余る数。
    こういう数には、1、8、15などがあります。
    これらは7を法として合同と言い、8≡1(mod7)と表すことができます。
    15≡1(mod7) でもあります。
    15≡8(mod7)でもあります。

    7で割ると2余る数はどうでしょうか。
    2、9、16などがあります。
    これらはこれらで、7を法として合同です。
    9≡2(mod7) 、16≡2(mod7) となります。

    あるいは、整数を4で割った余りで分類したらどうでしょうか。
    例えば、4で割ると2あまる数。
    こういう数には、2、6、10などがあります。
    これらは4を法として合同です。
    6≡2(mod4)、10≡2(mod4) と表すことができます。

    ルールの基本はおわかりいただけたでしょうか?ヽ(^。^)ノ


    ぱっと感覚的に理解できれば何も問題ないのですが、最初に上手く呑み込めないと結局最後まで何だか納得できないという感情が尾をひくことになるようです。
    それは理解力の問題ではなく、何か固定観念があり、このことの理解を阻んでいるものがあるせいなのかもしれません。

    それが何であるのか、新課程にこの単元が登場し教えるようになってから、私はずっと不思議に思っています。
    混乱は、例えば「1は7で割ると1あまる数である」ということを知らなかった、あるいは納得できない、という小さいことからも起こります。
    1÷7=0あまり1
    商は0でも良いというのは単なる知識ですが、初めて知ると、これだけでも衝撃のようです。

    自然数に限っての話でもなかなか大変なのですが、合同式は整数全体、すなわち負の数も含んで考えます。
    例えば、6で割った余りで整数を分類してみましょう。
    6で割ってあまり0。
    自然数の範囲では、6、12、18、・・・・
    6≡0(mod6)、12≡0(mod6)。
    これはもう大丈夫でしょうか?
    次に負の整数を含めて考えると、-6も-12も6で割ってあまり0の数です。
    すなわち、-6≡0(mod6)、-12≡0(mod6)。

    同様に、6で割った余りが1の数を考えれば、
    ・・・・-17、-11、-5、1、7、13、・・・・
    という数列が見えてくると思います。
    この数列に出てくる数は全て6を法として合同です。
    -5=6・(-1)+1
    -11=6・(-2)+1
    -17=6・(-3)+1
    どの数もあまりが1になるのがわかります。
    よって、-5≡1(mod6)、-11≡1(mod6)、・・・。

    これでいかがでしょうか。ヽ(^。^)ノ

    「いや、わからない。-5=6・(-1)+1って、何ですか?」
    そういう質問を受けることがあります。
    高校ではわり算の式は基本書きませんので、上のようにかけ算の式で表すのですが、それがそもそも納得できない、意味がわからないという声を聞くことがあります。
    (わる数)×(商)+(あまり)=(もとの数)
    こういう、わり算の検算の式と同じ構造ですよ、小学校4年生でやっていますよ、と説明しても、知らない、教わったことがない、と言う高校生もいます。
    習っていることなのですが、全く覚えていないようです。

    「次のわり算をしなさい。また、検算もしなさい」
    という問題の後半を全部見落として解いたことがない。
    あるいは、暗記した通りに検算の式を書くだけで済ませて、本当に検算したことがないので、身についた知識になっていない。
    そういうことかなと想像したりもします。

    中学の方程式の利用でも、この考え方は使っています。

    問題 37をある数で割ると商が5、あまりが2となった。ある数を求めよ。

    という文章題で、この考え方を利用します。
    ある数をxとすると、
    5x+2=37
    という式を立てることができます。
    これも、(わる数)×(商)+(あまり)=(もとの数) という検算の式を使っています。

    こう説明するとやったことがあると思い出す子もいますが、中学の方程式の文章題でも、わり算の検算の式を使用するこのタイプの問題は自力で解いたことがなく、定着しないまま高校生になってしまった子もいて、首を傾げたままということもあります。
    かけ算とわり算との関係を理解しないまま、それぞれを無関係にただ暗記し、作業手順だけ覚えてきた子の場合、合同式の理解は確かにかなりつらいものがあるのかもしれません。


    上の式の意味が一応は理解できても、-5が6で割って1余る数であるというのがピンとこない子もいます。
    そうした子は、-5は、6で割って5不足する数ととらえることならギリギリできます。
    そうです。ヽ(^。^)ノ
    整数を6で割るとき、すなわち、6を法とするとき、「1余る」ということと「5不足する」ということは、同じことなのです。
    例えば7は、6で割ると1余る数ですが、6で割ると5不足する数ととらえることも可能です。
    1も、6で割って1余る数ですが、6で割って5不足する数でもあります。
    ですから、-5は、6で割って5不足する数であると同時に、1余る数ととらえることができます。

    何年か前、大人のための数学教室では、授業はここで長い長い停滞を迎えました。
    繰り返し繰り返し同じことを説明しても、理解が深まる様子が全く見られない・・・・。
    しかし、ようやく理解してくださった参加者の発言は私には大変興味深いものでした。
    「あっ。わかった。商は何でもいいのね」
    「・・・・・・?」

    え?
    ・・・・そうですよ?
    最初から余りの話だけをしていますよ?
    割る数と余りの数だけに注目していますよ?

    そのとき、ふっと見えたのです。
    商が重要だとずっと思っていらっしゃったんだ。
    高校生がこの単元を全く理解してくれない原因もそれかもしれません。

    わり算の式を立てるとき、立てた本人は商を求めるために立てている感覚があります。
    求めているのは商だから、それが何より大切だと思ってしまうのかもしれません。
    子どもの頃から、算数はとにかく答えを出すことが大事、式なんかより答え、と思い込んでいる子は多いです。
    そういう思い込みがあると、「整数をある数でわった余りによって分類しています」と幾度説明しても、その部分を聞き流す。
    しかし、この単元は、あまりがいくつであるかが大切で、商なんか問題にしていないのです。
    それなのに、本人は、商にしか目がいかない習慣があるので、その説明が頭に響かない・・・。
    思い込みのせいで重要な情報を聞き流す不思議な仕組みが人間の脳にはあります。
    繰り返します。
    商なんかどうでも良くて、割る数と余りの話をしています。
    しかし、それが普段の計算の常識とは異なるために、そこに立ち位置を移せない高校生は多いのでしょう。


    「あまりと不足に関する問題」は、中学受験の受験算数の単元の1つです。
    しかし、何回復習してもこの問題を解けるようにならない子がいます。
    高校生でも大人でも理解してくれないので、小学生が理解できないのは無理からぬところがあります。

    例えばこんな問題です。
    例題 4で割ると3あまり、6で割ると1不足する数のうちで100にもっとも近い数を求めなさい。

    4で割ると3あまる数は、言い換えれば4で割ると1不足する数です。
    ですから、この問題は、4で割っても6で割っても1不足する数を求めます。
    ならば、まずは4で割っても6で割っても割り切れる数を考えます。
    それは4と6の最小公倍数の12で割り切れる数です。
    100÷12=8あまり4
    12で割り切れる数で100に一番近い数は、上の式から、12×8=96であるとわかります。
    それは、上の式から100-4=96と求めることもできます。
    では、12で割って1不足する数は?
    96-1=95。
    よって、問題の答えは95となります。

    この問題、スラッと理解する小学生もいますが、幾度解説しても、何度同じ問題を解いても、全く解けるようにならない子も多いです。
    何がそんなに難しいのか教える側として疑問だったのですが、何だか少しわかった気がします。
    あの子どもたちも、あまりや不足に着目するより、商のことばかり考えてしまうのかもしれません。
    4で割って3余るということは1不足するということ。
    しかし、その言い換えをするときには商が変わるだろうに、それを無視する姿勢が理解できない。
    商が変わればそれは同じ計算ではないのに、同じだと言っている神経が理解できない。
    そもそも、商を無視して、余りだ不足だばかり言っている姿勢が理解できない。
    そういうことなのでしょうか?

    「あまりと不足」に関する問題が解けない小学生たちは、こんなふうに思っているのかもしれません。
    「算数の問題を解くって、そういうことじゃないでしょう!」
    「式を立てて、計算して、答えを出すんでしょう!」
    「商が問題の答えでしょう!」
    「算数の問題はそうでなければならないよ!」

    子どもたちの無言の中に、実はそんな心の抗議があったのでしょうか?
    しかし、それはあまりにも頭が硬い。
    ガチンゴチンです。
    子どもの頭というのは大人がびっくりするくらい石頭で、妙な思い込みに凝り固まっているものですから、そのように頑固でも驚くに値しませんが。

    でも、1つ言えること。
    子どもの石頭は一度割ることに成功すれば、そこからは柔軟です。
    新しい考え方を受け入れ、無限に伸びていきます。
    子どもには、それだけ成長する力、生命力があります。

    高校生は、どうでしょうか。
    硬い頭をやわらかく。
    商なんてどうでもいいから、余りによって整数を分類する。
    ある数で割って、同じ余りである数は、その数を法として合同な数。
    合同式は、それさえ理解できれば、そんなに難しくありません。

      


  • Posted by セギ at 13:43Comments(0)算数・数学

    2018年12月02日

    中3英語 関係代名詞その2 which


    前回扱ったのは、関係代名詞 who を用いた文でした。

    I have an aunt who lives in New York.

    それに対して、今回扱うのは、関係代名詞 which を用いた文です。
    まずは2文で考えてみます。

    I will show you the pen. It was given to me by my uncle.
    あなたにペンを見せましょう。それは、私のおじさんからもらったものです。

    これを「私のおじさんからもらったペンをあなたに見せましょう」という意味の英文にすると、

    I will show you the pen which was given to me by my uncle.

    となります。
    作り方の基本は、who のときと同じですね。
    先行詞(修飾される名詞)がきたら、関係代名詞。
    名詞を修飾する2語以上の意味のまとまりの語句は、名詞の直後に置くのが英語のルールです。


    The dog is Mike's.  It is running over there.

    これを「向こうで走っている犬は、マイクのです」という文にすると、

    The dog which is running over there is Mike's.

    先行詞である dog がきたら、すぐに関係代名詞。
    主節をいったん停止して、関係代名詞節。
    関係代名詞節が終わったら、停止していた主節に戻る。
    このルールをしっかり理解して活用できるようになれば、大丈夫です。

    ところで、who と which との使い分けは?
    これは簡単です。
    先行詞が人ならば、who。
    先行詞が、人以外。すなわち物や動物であれば、which。
    この使い分けで苦労する人はあまりいないと思います。

    上の例文を見ていて、勘の良い子は気づくのですが、関係代名詞と分詞は使い方が似ています。
    「これ、分詞で良くね?」
    と英語の得意な子から質問されたりします。
    そうです。
    関係代名詞を用いた文と分詞を用い文との書き換え問題は多く出題されます。

    問題 次の文がほぼ同じ意味を表すように空所を埋めなさい。
    (1)I will show you the pen given to me by my uncle.
      I will show you the pen (  ) (  ) given to me by my uncle.
    (2)The dog running over there is Mike's.
      The dog (  ) (  ) running over there is Mike's.
    (3)I have an aunt living in New York.
    I have an aunt (  ) (  ) in New York.

    なーんだ、簡単だ。
    (1)は、which is
    (2)は、which is
    (3)も、which is

    ・・・こんな答案を書いてしまっていないでしょうか?
    これ、正解なのは、(2)だけです。

    こんな答案を書いておいて、
    「ひっかけだ!」
    と抗議する子がいるのですが、こんなのはひっかけではありません。
    違うパターンがくるのが当たり前なのに、その予想が立っていない。
    予見性が足りないのです。

    「1つの大問は同じパターンの問題が延々と続く」という思い込みから脱却しましょう。
    普段、そういうドリル的な英文練習帳でも解いているのでしょうか?
    そういう頭を使わない練習は、それでパターンを理解できるという効用もありますが、「英語なんてそんなもの」という間違った思い込みを助長する弊害も大きいのです。

    頭を使わない作業を勉強時間からなるべく排除することが大切です。
    頭を使わない作業とは、例えば、単語のスペル練習といえば、ただ10回ずつ書く作業。
    書き終わってその単語を覚えているかというと、全く覚えていない。
    なのに勉強した気になっている。
    頭を使わない作業は、そういう弊害の大きい勉強方法です。

    単語練習は回数が問題ではありません。
    自分にテストする気持ちで書くなら、1回でもいいのです。
    1回で書けなかった単語は、何回でも、何も見ないで書けるか、自分を試します。
    そして、全部書けると思ったら、もう一度、最初の単語から自分にテストをします。
    それで書けなかったら、再度練習し、またテスト。
    これの繰り返しで、全ての単語が書けるまで自分をテストします。
    実際のテスト問題を解くためには、普段の勉強も頭を使い、テスト形式の勉強が常態であることが望ましいのです。


    1回間違えて解き直すときには、少し慎重になる子は多いです。
    関係代名詞とbe動詞の形が少しずつ違うのかな?
    では、
    (1)は、which was
    (2)は、which is
    (3)は、who is

    (1)は正解になりました。
    おじさんからペンをもらったのは過去ですから、be動詞は過去形にしますね。
    しかし、(3)は、まだ課題があります。

    I have an aunt (who) (is) in New York.

    うーん・・・。
    意味から考えれば、間違いではありません。
    入試なら別解として正答扱いになるかもしれません。
    しかし、そのように審議の対象となる別解ではなく、ど真ん中の正答を出したい。
    どうせなら、上の文と同じ動詞を使いたいものです。
    同じ動詞 live を使うとどうなるでしょう?

    「あ。わかった。 I have an aunt (who) (living) in New York.」

    ・・・それは明らかな間違いです。
    審議の対象にすらならない、完全な誤答です。

    この問題の誤答パターンは他に、
    I have an aunt (is) (living) in New York.
    と。苦し紛れに who を省略する子もいます。
    しかし、主格の関係代名詞は省略できません。

    正解は、
    I have an aunt (who) (lives) in New York.
    です。
    分詞を用いた文が living となっているのは、現在分詞の形容詞的用法だからであって、進行形として使っているのではありません。
    live という動詞は状態動詞。
    一時的に住んでいるという意味のとき以外は、進行形にしない動詞です。
    だから、関係代名詞節の中では、進行形にせず、現在形で表します。

    しかし、そのことに気づかない子は多いです。
    本当は、I have an aunt (who)(is)(living) in New York.
    としたいのに、( )が2つしかないので、何かを省略しようとして、間違ってしまうのです。


    繰り返しますが、英語の問題は、1問1問、微妙にパターンが変わるのが普通です。
    同じパターンが続くことのほうが珍しいのだと認識するだけで、問題を解く際の覚悟が違ってくると思います。
    勉強している間は思考停止せず、気を緩めずに考え続けましょう。
    ミスの多い人は、大問1つは丸ごと同じパターンだと思いこんで雑に解いていないでしょうか?
    (1)がこうだったから(2)や(3)もこうだと思った、という謎の思い込みをしていないでしょうか?
    そのあたりの意識を変えるだけでも、英語のテストの得点は劇的に変化します。


      


  • Posted by セギ at 16:43Comments(0)英語