2013年07月24日
期末テスト結果集計出ました
月曜日から、夏期講習が始まりました。
今年の中3夏期講習は、優秀な生徒たちに恵まれ、素晴らしい進度で学習が進んでいます。
特に、理科・社会。
ここ数年、「イギリスはどこにあるの?」と尋ねると、世界地図の東南アジアを指さすような、なかなか手ごわい生徒たちを相手にすることが多かったので、夢でも見ているような感じがします。
スポンジが水をしみこむように知識を吸収していく生徒たちに、うわあ、これは何だろう、でも、中学3年生なんだから、やっぱり、これが現実だと感動する毎日です。
期末テストの結果、ほぼ出そろいました。
◎数学
90点以上3人(全員が中2)
80点以上1人(中3)
80点未満4人
◎英語
90点以上1人(中2)
80点以上1人(中3)
80点未満4人
中間テストと比べれば、実力通りの得点の印象です。
高校数学・高校英語にふさわしい学習習慣がもてず苦戦している人たちがいて、下がやや重いです。
勉強不足はテストを受ける前から明白でした。
高校の数学や英語は、毎日、中学時代の2倍は勉強しないと到底通用しないのですが、むしろ中学時代よりも学習量や学習時間が減ってしまっている子がいます。
学校の問題集のテスト範囲を1回解くだけで精いっぱい。
他の課題を与えると、学校の問題集が手つかずになってしまいます。
学習量も先細りで、学校でやらないこと、学校と進度の合わないこと、学校の問題集以外のことをやりたがらなくなります。
勉強の幅が狭くなり、内容が薄くなっています。
高校生なのに、学習習慣が大きく後退していきます。
この夏は、1学期の総復習ができる貴重な機会。
高校の夏休みは、勉強する夏休みです。
この夏の勉強が、学校の宿題をするだけだったら、2学期も同じことの繰り返しです。
青春を勉強に捧げよう。
2013年07月18日
言語における新しさとは
さて、来週からの夏期講習に向けて、準備に忙しいこの頃、皆様は、いかがお過ごしでしょうか。
少し前に書きました、「仮定法」を理解する意欲を示さない高校生も、期末テストが返却されました。
「仮定法」の問題は全問正解できたと嬉しそうです。
80点には届きませんでしたが、中間テストと比べれば、得点が激増しました。
そうなると急に学習意欲がわくのが、子どもの常。
学校の教科書とノートをきっちり持ってきたりするのですが、こちらは、期末テストが終わったので、ようやく学校の縛りから解法され、前からやりたいと思っていた文法の総復習に着手できると、てぐすねひいています。
「いや、教科書は、しばらくやらないから」
「なんで?教科書やりたい」
「だから、テストの点数が上がったら、今度は教科書の勉強しかやりたくないとか、そういうの、やめようよ」
「教科書やりたい」
「・・・・・受験勉強しようね。指定校推薦で大学行くんじゃないんだから、受験勉強しよう」
点数が上がっても、会話は若干不毛です。
(^_^;)
自分の思うようにならなかったからか、彼は、それまで言わなかったことを言い出しました。
それがちょっと興味深い内容でした。
仮定法の基本は理解できたようなので、「仮定法未来」の解説をしている途中で。
「そうだ。学校の先生が、言ってた。今は、もう were とか使わないんだって」
「・・・・は?」
「だから、仮定法で、were とか使わなくて、was のほうが正しいんだって」
「なんで?」
「were なんて、古い言い方なんだって」
「・・・・・・学校の先生が、そう言う根拠は、何なのかな」
「だから、古いんだって」
「・・・・古い新しいは、根拠じゃないよ。古いとする根拠は、何だ?文献を読んだのか?読んだとしたら、何年に誰が書いた、何というタイトルの文献だ?それとも、ネイティブから聞いたのか?どんな教養の、どんな年齢の、どういう立場のネイティブだ?根拠というのは、そういうものだよ」
「・・・・・知らね」
「古い・新しい」という言い方が絶対だと思っている生徒は、常に一定の割合で存在します。
子どもは、経験でも知識でも、大人に勝てないです。
唯一の長所は、若いこと。
新しいこと。
だから、自分たちの強みを過大評価します。
新しいことが常に正しいと思いがちです。
それは、強い自己肯定の気持ちからきているので、仕方がない側面もあるのですが、危険もあります。
「こっちのほうが新しいんだ」と断定されると、根拠も確かめず、信じ込んでしまうことがあります。
数年前にも、ありました。
ある市立中学の英語の先生が、関係代名詞の授業のときに、生徒に向かって、
「whom なんて古い。whom なんて、今はもう使わない」
と断定したんです。
ゆとり教育になって、中学英語の教科書からは、関係代名詞 whom が消えました。
先行詞が人である場合の目的格の関係代名詞は、that で学習します。
「関係代名詞」は、中3の2学期の学習内容ですが、たいていの子は、塾の夏期講習で学習します。
教科書から whom は消えましたが、私立高校の入試から whom が消えたわけではありません。
当然、塾では、whom を教えます。
そんなわけで、自分は教えていないのに、生徒が知っている、whom。
その学校の先生は、それが気に入らなかったのかもしれません。
でも、塾生からそれを初めて聞かされたときは、唖然としました。
生徒の多くは、「古い」という言葉にだまされ、その先生の言うことをほぼ信じていましたから。
はたして、whom は古いのか?
古いから、教科書から消えたのか?
今は、もう使わないのか?
そんなことは、ないでしょう。
こちらは入試問題に出てくるから教えているんです。
易しい英会話で whom を使う機会は少ないかもしれない。
whom は、省略可能、というより、たいてい省略してしまうでしょう。
でも、書き言葉として、whom は、そう簡単には消えません。
使ってあるほうが、読み取り易い場合は多いからです。
しかも、これは高校英語ですが、to whom 、 with whom 、by whom などの、「前置詞+関係代名詞」という用法があり、これは、who や that では代用できません。
「その言い方が、堅苦しくて、古い」
と言われても、論理的で複雑な文章ほど、この書き方をされたほうが読み取り易いことがあります。
だから、実際に使われています。
それは、「古い」のではなく、「言語レベルが高い」ということではないでしょうか?
日本語に置き換えてみると、わかりやすいです。
「君は、何をもって、そのように断言するのか?」
この言い方、新しいか古いかと言われたら、古い、でしょう。
では、通じないのか?
使うと違和感があるのか?
でも、国語の苦手な、ちょっとおバカさんな若い子は、言うかもしれません。
「えー、意味わかんないー。そんな言い方、今しないしー」
本人が国内でそんなことを言っているだけならいいですが、それを外国に向けて発信されたらたまらない。
後ろから羽交い絞めにして、口を塞がないと。
そして、「whom は古い」「仮定法の were は古い」という情報が、もしもそのレベルの情報であるなら、そんなものを鵜呑みにするわけにはいきません。
言語には、レベルがあります。
それは、日本語でも、英語でも。
書き言葉なのか話し言葉なのかにもよりますが、一番大きいのは、話し手・書き手の教養です。
日本語の「らぬき言葉」は、許容の範囲ではありますが、しかし、使っている人が若干無教養に見えることは、今も否定できません。
生徒の多くは助詞を使わない話し方をしますが、それが新しく正しい日本語なのではなく、本人たちが助詞の使い分けができないだけです。
英語にも、そういうことは、あるでしょう。
英語を使う国は、日本よりも格差社会であり、階級社会であることが多いです。
そのことは、使用する英語に、どう影響しているのか。
外国語として英語を学ぶ者に、そのニュアンスは、どの程度理解できるのか。
私たちの多くが、使えるようになりたいと思い、生徒に使えるようになってほしいと思う英語は、例えば、アメリカの大都市で有能なビジネスマンが使用する英語ではないでしょうか。
彼らが話し、書き、聞き、読む英語。
彼らが、whom をどう使い、were をどう使うか。
ファンキーでおバカちゃんな若い子たちの使う「新しい英語」を学びたいわけではありません。
そして、その手前として、生徒たちは受験英語を身につけなくてはなりません。
アメリカの「今の英語」よりも、入試でその文法事項がどう扱われるかを意識しないと。
whom の件は、
「〇〇中学の英語の先生に、whom は今は使わないと言う先生がいるそうですが、それは誤りです」
と生徒に伝え、実際に whom が文法問題や長文問題に使用されている近年の例を1つ2つ挙げることで、解決しました。
「ただ、学校で習っていないのだから、学校のテストでは、whom は使用しないこと」
世の中には裏と表があることを中学生に語るような、あまり好ましくない状況ですが、仕方ありません。
他の学校の先生の中には、教科書には載っていなくても積極的に whom を教える先生もいて、そうなると、生徒たちは、whom を教える先生のほうが上なんじゃないかなあ、いいなあと言い出しました。
whom を否定した先生を、むしろバカにする動きが生まれました。
あまり極端なことを言うと、揺り戻しがあって、かえって損をするという例かもしれません。
その先生の言いたかったことは、実は、方向として間違っていたわけではないとも思います。
ただ、断定は避けたほうが良かったですね。
英語も、日本語と同じように揺れています。
言語の変化は、常に誤用から始まります。
最初は間違った表現だったものが、使う人が増えれば、それも許容されます。
whom と who の使い分けのできない人が増えてくれば、目的格でも who を使って良いことになっていきます。
whom を使う機会は、ますます減っていきます。
実際、高校英語の教科書の中には、whom の代わりに who を用いても良いとされている教科書が増えてきました。
仮定法の場合、were の代わりに was を用いても良いということは、これはかなり以前から、ほぼ全ての教科書に書かれてあります。
今後、ますますwas に傾いていくことは、容易に想像できます。
しかし、「was を使っても良い」と「was を使わなければならない」の間の距離は、そう簡単に飛び越せるものではないと思います。
あるいは、話し言葉としては、もうかなり was に傾いているとしても、文章というものは、長期的に残るものです。
当然、were が使われています。
目に触れる英語として、were は、消えていません。
そのような状況下で、なぜ、その先生は、そんな断言をしたのでしょう。
根拠が知りたいです。
上のようなことをいろいろ話した上で、
「根拠を聞いてきてよ」
とその子に言うと、
「嫌だ」
と言われてしまいました。
「なんで?」
「根拠はなんだと食い下がって、怒らせたら、成績を下げられる」
おいおい。
そんなことをやりかねない印象のある先生の言うことなんか、最初から信じるなー。
2013年07月15日
御殿場口から富士山に登ってきました。2013年7月
7月14日(日)、富士山に行ってきました。
三鷹駅13:40発中央特快で新宿へ。
新宿14:01発の小田急線で、新松田へ。
そこでいったん下りて、道路の向かい側に建つ、JR松田駅へ。
御殿場線は、スイカが使えませんでした。
静岡にも、何かそういうカードがあると思っていたけど、ないのかなあ。
松田駅から、御殿場線「沼津行き」に乗り、御殿場駅下車。16:15。
駅前の富士急バス1番線「御殿場口新5合目行き」に乗りました。16:40発。
これが、最終バスです。
行ったら、もう帰れない。
乗客は、私と、単独行の男性と、4人の男性パーティ。
今回歩くのは、御殿場コースです。
御殿場コースは、とにかく長い。
河口湖5合目の標高が2305mなのに対し、御殿場口新5合目の標高は、1440m。
「御殿場口新5合目」と呼んでいるけれど、旧2合目のことです。
山頂までの標高差、約2300m。
距離10.5km。
コースタイム8時間。
片道でこれです。
手強いぞー。
(^_^;)
バス停前のベンチで、おにぎりを食べ、支度をしました。
「弾丸登山はやめましょう」
の看板に目礼して、出発。17:30。
夜を徹して登り、山頂でご来光を仰ぐ、富士山名物弾丸登山。
富士山が世界文化遺産に登録されるのにあわせて、山梨・静岡両知事から、弾丸登山自粛の呼びかけがありました。
山歩きの習慣のない人が、いきなり富士山だけ、しかも弾丸登山をするのは、やめたほうがいいかもしれません。
弾丸登山の登頂成功率は60%。
高山病に倒れ、上まで行けない人が多いです。
吉田(河口湖)口で言うと、5合目から6合目までは、おおむね平坦で、歩きやすい道です。
たいていの人は、ここで張り切っちゃうんです。
ザッザカ足音高く歩いて行きます。
その勢いのまま、段差の多い7合目に突入。
ここでも、スピードを落とせない人が多いです。
そして、不規則な岩場のある8合目で呼吸が乱れ、高山病発症。
気分が悪い。吐き気がする。頭痛がひどい。立っていられない。
道でうずくまったり、倒れて寝ていたり、山小屋に担ぎこまれたり。
もう少し戦略的な登り方ができないものか。
さて、登山口の鳥居をくぐり、まずは徒歩10分とコースタイムに書かれてある大石茶屋へ。
おお、15分かかった。
ゆっくり歩くペースを、上手く作れました。
小屋の向こうは、広大な富士の裾野でした。
オンタデの白い花が咲いている他は、見渡す限りの砂礫の原野です。
登山道と平行に並ぶ大砂走りを、下山者が走り下りていますが、全然近づいてきません。
御殿場口のスケールの大きさ。
さっと雲が切れ、富士山が前方に見えました。
広大な裾野から富士山を見上げます。
別の山を遠く見上げているようです。
写真を撮っていると、後ろから何人かに追い抜かれました。
バスにはいなかった人たち。
マイカーの人たちでしょう。
この広大な山に、一晩自分1人であることは、さすがにちょっと怖かったのですが、登山者は案外いるようです。
良かった。
次郎坊。19:05。
標高2000m表示。19:20。
人工物の少ないコースで、何を目標に時間を区切っていいか、よくわかりません。
新5合5勺の表示は、私が見落としたのか、なかったですし。
「次郎坊」というのが、それなのかな。
夕暮れの残照がかなり続きましたが、ついにあたりは真っ暗になりました。
何もない広大な裾野にジグザグに切ってある登山道。
標識はよく整備されてありますが、ロープなどは必要最小限です。
ヘッドランプで照らしただけでは、うっかりすると登山道を踏み外しそうです。
というよりも、私のヘッドランプがちょっと古いな。
LEDライトが出始めた頃に購入したもので、当時は、その明るさとクリアな見え方に感動しましたが、最新型のヘッドランプは、空に向かって光が投射されるのが見えるほどのパワーがあるものがほとんど。
後ろから人が来ると、その明るさに、感心しました。
来年も御殿場コースを歩くのなら、ヘッドランプは買い換えよう。
左手に、遠く高く、オレンジ色の光。
目標となるものは、それくらいしかありません。
多分、7合目の小屋の光でしょう。
7合目が、まだあんなに高い。
でも、一晩かけてゆっくり歩くつもりなので、あせる気持ちはありません。
あまり早く山頂に着くと、寒くて、かえってつらいですし。
ゆっくり、ゆっくり。
風が強くなってきました。
なまぬるい風なので、寒くはないのですが、耳元でビュービュー鳴る風の音は、ストレスです。
ラジオのスイッチを入れました。
楽しい放送で、気をまぎらわそう。
と思ったら、政治討論会で、およそ楽しくない言い争い。
(^_^;)
6合目小屋(閉鎖中)。21:30。
建物が貴重な風避けになります。
見ると人影が並んで座っていました。
私も、空いているところに座り、行動食を食べ、雨具の上着を着ました。
3000m標識。23:25。
7合目、山小屋。23:50。
6時間ぶりの営業小屋ですが、扉は閉まり、内部は暗く、寝静まっていました。
河口湖コースの山小屋が、一晩中明るく、登山客に飲み物や食べ物を売り、「休憩できるよー」と客引きまでするのと比べると、なんという差だろう。
御殿場コースは、小屋に頼れない。
小屋のベンチから下を見ると、点々とヘッドランプが光っていました。
登山者たちの光。
光と光の間が遠い。
そして、不思議に等距離です。
みんな、ゆっくり歩いている。
ゆっくり歩くということは、1つの技術なのかもしれません。
それは、美しい眺めでした。
8合目。午前1:30。
雨が降り始めました。
冷たい雨です。
富士山で雨に降られるのは初めてです。
ご来光までに止むといいなあ。
斜面に切ってあるジクザグの道を繰り返し繰り返し登っていきました。
山頂まであとどれくらいとか、そんなことも考えなくなり、ただ繰り返し登っていくと、ふいに鳥居が見えてきました。
ポンと、山頂に出て、富士山頂郵便局。3:30。
ああ、ここが御殿場口山頂。
閉まっている郵便局の軒先で立ち尽くす人が何人もいます。
ここにこうしていては、身体が冷えてきてつらいなあ。
動いていれば、寒くはないです。
剣ヶ峰に行くことにしました。
ちょっとした岩がちな道を行くと、すぐに、富士宮口山頂。
浅間神社の奥宮があるところです。
ここも、立ち尽くす人たちの列。
「寒いから、剣ヶ峰まで行かないか?」
「え?危なくね?」
そんな会話も聞こえてきました。
暗いので、土地勘がないと、怖いですよね。
馬の背を登って、剣ヶ峰へ。4:00。
そこにも、観測所の前で、立ち尽くす人たちの列。
あと30分で日の出です。
それくらいは寒さを我慢できるでしょう。
雨はやんできました。
空は、西の方向に、地平線と雲との隙間があり、そこだけ朝焼けに染まっていました。
しかし、東の空の雲は厚い。
ご来光確率100%の私ですが、今回、初めてご来光の見えない富士山でした。
やがて空が明るくなり、東の空の上のほうがうっすらピンク色に染まりました。
馬の背を下り、御殿場口山頂に戻りました。
お鉢めぐりをするには、天気が悪い。
河口湖口山頂の混雑に巻き込まれるのも面倒くさいです。
河口湖口山頂は、人の流れが悪いんです。
山小屋が並び、登山道が一部狭くなっているのも原因ですが、一番の原因は、ツアー登山でしょう。
狭いところで整列し、点呼を取って下山しないといけないですから。
ツアーは、1組や2組ではありません。
1つのツアー会社が、バス12台を連ねてやってきていたりしますから、山頂は恐ろしいことになっています。
そんなわけで、御殿場口山頂から、下山開始。5:15。
御殿場コースは、下山にも楽しみがあります。
大砂走り。
標高差1000mを一気に駆け下る砂の道です。
雨上がりで、砂は濡れているから、そんなに大変ではなさそうでしたが、砂まみれにしたくない雨具を脱いで片づけ、靴に砂が入らないようゲーターで保護し、マスク、バンダナ、サングラスで顔を保護。
そして、走り出しました。7:00。
いえ、走りたいわけではないんですが、スピードがついて、走ってしまうんです。
かかとを立てて、蹴り込んでも、どんどん滑って、一歩が2mにも3mにもなります。
うひょー。面白いー。
(*^_^*)
しかし、この大砂走り、そのまま、下山口まで続いていました。
面白いのは最初だけで、さすがに飽きるというか、疲れてもううんざりする頃、傾斜がゆるくなり、大砂走りというよりも、ただの小石の多い砂利道になりました。8:00。
遠くでドーンという音が聞こえてきます。
自衛隊の演習かなあ。
登山口。8:40。
バス停で時刻表を見ると、8:55のバスがあり、ゲーターなどを脱いでいる間に、すぐにバスがきました。
しかし、松田駅では、御殿場線を1時間待ち。
朝食を食べていなかったので、ペッタンコに潰れたパンなど食べて時間を過ごしました。
よく風が通る涼しいホームです。
こんな時間もいいなあと思いました。
新松田からは小田急。
鶴巻温泉で下車し、汗を流しました。
2013年07月11日
鷹ノ巣山に行ってきました。2013年7月
7月7日(日)、奥多摩の鷹ノ巣山に行ってきました。
毎年、この時期になると、夏山のトレーニングに行く山です。
いつものように、7:58、三鷹駅からホリデー快速奥多摩号に乗りました。
奥多摩駅に着くと、既に「東日原」行きのバスが駅前に停まっていて、すぐに乗り込むことができました。
今までは、駅の入口を塞ぐような大行列ができるのですが、こうしてくれると、いろんなことがスムーズですね。
(*^_^*)
バスは満員になったところで、出発。
多くの人を途中の川乗橋で下した後、終点、東日原へ。
バス停で、檜の香りのするきれいなトイレに入り、さて、出発。9:55
やがて前方に稲村岩が見えてきます。
ああ、今日も高いなあ。
道路から、登山口に入る標識が、大きな看板に変わっていました。
来る度に、奥多摩は道標などが増えているのは、やっぱり、道迷いする人が多いからなんでしょう。
民家の脇の、畑にでも下りていくのかなあという印象のセメントの階段が、すぐに細い登山道に変わります。
沢を高巻くのに道が案外細いので、こういうところ苦手だなーと感じながら歩いていくと、しっかりとした橋が見えてきます。
橋を渡って、まだ歩き始めなのに、早くも疲れを感じました。
前日に関東は梅雨明けし、朝から凶暴なほどに暑い。
なんだ、この暑さは。
徒渉点。
去年から、ここは木橋がかけられ、安心して渡れるようになっています。
今回は、沢が枯れていて、橋がなくても問題なく歩けましたが。
沢を3回渡る、3回渡る。
沢が枯れていると、そこが登山道に見えてしまうことがあり、以前はこのあたりは迷いやすいところでした。
沢を渡る回数を覚えていないと、別の道にひきこまれる可能性もありました。
今は、歩く人が増えたからか、以前より道が明瞭になり、侵入禁止のロープなどの整備も進み、迷うことなく登り道に入りました。
稲村岩分岐。10:50。
1時間ほどでここまできて、そこそこのペースですが、去年はここからが苦しかったのを思い出します。
やはり、くらくらするような暑い日でした。
これは、少し作戦を立てないと、やばいかも。
25分歩いて、5分休むのを1セットにして、刻んでいこうかな。
普段は、山を歩くとき、あまり休憩はとりません。
雪山を歩くときは、座って休憩することはなく、立ったまま水分を補給したり、行動食をちょっと食べて、そしてまたすぐに歩きだします。
長い休憩は身体が冷えるので、避けたいです。
それが習慣になって、無雪期の山でも、休憩はほとんどとりません。
昼食に15分休むくらいです。
休まなくても済むペースで、ゆっくり歩きます。
でも、今日のこの暑さでは、休んで、クールダウンを繰り返したほうが楽に歩けそうです。
稲村岩に後から着いた男性2人が話していました。
「今までも急登だったでしょう?」
「はい」
「もうここから急なところはないように感じるでしょう。でも、まだ終わらないんですよ。ずっと、上まで、急登が終わらないんですよ、この道は」
はい、そうです。
(*^_^*)
どこまでも続く急登を、30分1セットで、刻んで歩いていきました。
4セット目の途中で、上から、ヘルメットをかぶった人たちが下りてきました。
腰にはガチャ。
水根沢を遡行してきたのかな。
ヒルメシクイノタワ。1:00。
4セットで到着。
たっぷり休んで、あまりつらいと感じなかったのに、去年より20分早く着きました。
暑い日は、休憩したほうがいいんだなあ。
休憩の度に、軍手をはずして、手を冷やしました。
身体に熱がこもるのがつらいので、そうやってクールダウン。
手が、むくんで、赤ちゃんの手みたいになっていました。
白くて、皮膚が張ってプニプニです。
指の体操をすると、微かな違和感。
身体が危険を感じて、水分をためこみ始めたかもしれません。
以前、山小屋に泊まったとき、同じ部屋の人が、
「私、山に来ると、かえって太っちゃって。山小屋で食べ過ぎるからかしらねえ」
と皆を笑わせていたのですが、それに対し、もう1人、やはり同じ部屋の人が、
「それが、本当は違うんですよ」
と話してくれました。
その人は、看護師をやっている人でした。
山は、どうしても水分不足になりがちだから、身体が危険を感じて水分をためこむ。
むくんで水太りの状態になる。
だから、体重が増える。
下山直後に体重計に乗ると、山に行くと太るなあと感じる。
でも、下山して、数日すると、もとに戻っている。
そんなふうな話でした。
本当かどうかはわからないけれど、実感として説得力のある話です。
気をつけて、水分を補給しよう。
鷹ノ巣山山頂。1:30。
夏はいつも、富士山は見えないからなあ。
特に気にせず、座って、梅干しおにぎりを食べながら、景色を眺めているうちに、気がつきました。
青空に、雪渓がある。
細い筋のような雪渓。
雪渓のように見える雲?
・・・・・・いや、あれは、富士山だ。
(@_@;)
鷹ノ巣山で富士山を見たのは、初めてです。
空とにじんで区別のつかない、夏の青い富士山でした。
さて下山。1:50。
今年も、石尾根を下りました。
山頂直下の急な下り。
鹿の食害で、巨大なマルバダケブキばかりが目立つ道。
昔の登山地図には、「お花畑」の記載があります。
ヤナギランの咲く道だったそうです。
今年買い換えた奥多摩の登山地図に、その文字はありませんでした。
なだらかな道がほとんどですが、ときどき、急な下りがあります。
段差が激しく、木や石につかまりながら下るところも1か所。
少し後ろを歩いていた若い男性が、ズザッと音を立てて転び、びっくり。
落石などはなく、助かりました。
六ツ石山分岐。3:10。
60前後の男性が、1人で座っていました。
私も少し離れて休憩。
「暑いですねー」
「ああー。いつもなら六ツ石にちょっと寄るんだけど、今日は、そんな気にならないね」
残りの水を確認。
まだ1リットルほどあります。
余裕です。
今回は、3.5リットルのスポーツドリンクを持ってきました。
その重さで歩みが遅くなっている面もありますが、水不足だけは避けたい。
三ツ木戸分岐。3:45。
ここは、まっすぐの道を選び、そこからまた急な下り。
そして、登山道が深くえぐれてドロドロになっている道。
ここは、いつ来ても、ドロドロで歩けません。
脇の樹林帯は、草1本生えていないので、申し訳ないけど、そちらを歩きました。
もうかなり麓まで来ていることはわかっているので、この辺から、長いなあ、まだかなあという気持ちが強くなってきます。
桟道を一か所歩き、そこから10分で、林道。
林道出合。5:00。
はあ、今年も、無事下山です。
そこから林道をとっとこ歩いて、もえぎの湯へ。5:45。
山全体が、今年は空いている印象でしたが、温泉も、いつもより空いていて、待たずに入ることができました。
脱衣所も空いているし、洗い場の行列もなし。
なんだろう、この暑さで、さすがに山歩きは避ける人が多かったのか。
それとも、皆、富士山に行ったのかな。
(*^_^*)
駅への途中のスーパーで、缶ビールを買うのを楽しみにしていたのに、遅い時間だったからか店は閉まっていました。
なので、少し遠回りして、コンビニで缶ビールを調達。
ゆっくりと、奥多摩駅へと歩いていきました。
2013年07月05日
中間テストの結果集計
もう期末テストが終わった学校もありますが、ようやく中間テストの集計結果が出ました。
1人の生徒が、「まだ返ってきていない」を繰り返したあげく、最終的には、「え?この前言ったはず」と言い出しました。
そういう子の点数が良いはずはないので、待たなくても良かったかなと思います。
(^_^;)
◎英語
90点以上 1名(中3)
80点以上 1名(高3)
80点未満 4名
◎数学
90点以上 1名(高2)
80点以上 1名(中2)
80点未満 5名
期末は、今のところ、返ってきた4人は、1人が80点台、あとの3人は90点台で、まずは快調ですが、これから期末テストの学校も多いです。
さて、どうなりますか。
テストの点数をきちんと言えない子は、すなわちテスト問題や答案を持ってこない子です。
何やかや理由をつけて、問題も答案も持ってきません。
私としては、その子がテスト本番で何が解けて何が解けなかったのかわかりません。
出題のレベルや傾向もわかりません。
なので、今後の対策も決め手に欠けますから、伸びる可能性も低いのですが、テストを見せられるかどうかは、その子の性格に大きく関わってきます。
私が注意しても、保護者が「ちゃんとテスト持った?先生に見せなさいよ」と念を押しても、見せないものは見せません。
私には、「忘れてきた」と言います。
あるいは、「テスト直しをして、学校に出した。まだ戻ってこない」と言います。
それは本当の場合もあるのですが、返却されたからと言って、持ってくるわけではありません。
悪い点数を見せるのが、嫌なんでしょう。
努力はしないけれど結果を求めるタイプの子に、多い傾向です。
申し訳ないけれど、それでは、成績は上がりません。
しかし、努力をしない子に努力させるのは、難しいです。
そもそも、宿題をやってきません。
私が以前勤めていた集団指導塾は、私がいた頃は、面倒見が良いことで評判の地域密着型の学習塾でした。
ところが、私が勤めるようになる前、はるか以前には、スパルタ教育でその名のとどろく塾だったらしいです。
普段はそんな話は一切しませんでしたが、酒の席などで、古株の講師から、そんな話がぽろっとこぼれ出ることがありました。
生徒を平手打ちするのは当たり前。
宿題をしてこなかった生徒には、男女関係なく、平手打ち。
保護者は、そのことを承知で通わせています。
だから、特に問題も起こりません。
他の生徒の前で平手打ちされるのは嫌ですから、生徒たちは、皆、必死に宿題をやってきたそうです。
成績は驚異的に上がり、またたくまに教室を3つに拡大しました。
1990年代の話。
不快な話ですが、そのように支配されるとパフォーマンスの上がる子たちが存在するのも事実なのでしょう。
体罰を是認する人が消えない理由がそこにあるのだと思います。
罰もご褒美も、同じことの裏表。
自覚し、自立して学習できるようには、なりません。
時代は変わって、私が勤めていた頃は、その塾は、集団指導塾としては小希望な塾になっていました。
生徒数が少ないので、学年ごとに成績別に2つのクラスに分けるのがやっとでした。
成績上位クラスは、意欲のある生徒が多く、そういう子たちがクラスの雰囲気を作っていましたので、自覚のなかった子もひきずられ、意欲が増していくようでした。
だから、宿題も、どんどん量を増やしていくことができました。
1週間に問題集10ページ以上。
秋も深まれば、そんな量でも1日か2日でやり終えてしまう子が多く、
「センセー、なんかプリントほしいー」
と、もらいに来ます。
1人がもらいにくれば、他の子も、
「オレもオレも」
ともらいに来て、競争で解いていました。
そういう子たちについては、担任から、
「あいつは、志望校には内申が少し足りないんだけれど、どう思う?」
と訊かれても、
「あの子は、受験日の朝まで伸びますよ」
と、自信をもって答えることができました。
しかし、成績下位クラスの意欲は低かったです。
宿題を出しても、やってこない子が大半でした。
他の子がやってこないと、それにひきずられ、やってこない子が増えます。
成績は低迷していました。
生徒の成績が上がらない。
なぜ、上がらないのか。
中3の成績下位クラスの担任は難しい仕事です。
だから、塾長自身が務めていました。
保護者面談などで、当然、成績の話になります。
苦情も出ます。
塾に通わせているのに、なんで成績が上がらないのか。
下位クラスの子の成績が上がらない理由は、きわめて単純でした。
勉強しないから、成績が上がらないだけのこと。
授業を聞いて理解しても、それはそれだけのこと。
「わかる」ことと「問題が解ける」ことは、似ているけれど別のこと。
宿題もやってこないようでは、成績が上がるわけがありません。
それでは、なぜ、宿題をやってこないのか。
塾長は、生徒と個人面談し、宿題をやってこない理由を話しあっていました。
「量が多すぎる」
「難しくて、解けない」
生徒は、そんなふうに答えたようです。
成績上位クラスが週10ページの宿題を楽にこなしている時期に、週5ページ程度の宿題が「多すぎる」?
1日1ページやれば、5日で終わるのになあ。
1ページに20分もかからないけどなあ。
仕方がないので、その次の授業で、
「宿題が多すぎてやる気がしないという人がいるので、宿題の量を減らすことにしました」
と告げ、宿題を1ページだけにしました。
生徒は、大喜びしました。
意欲のある子は、個人的に呼んで、別のプリントを与え、やってきなさいとささやきました。
下位クラスにも意欲のある子が1人2人はいたんです。
できる科目に偏りのある子は、上位クラスには入れません。
数学の成績メインでクラス編成をしている塾でしたので、数学がどうにもならない子は、他の科目ができても、下位クラスに在籍していました。
その子が、こんなくだらないことに巻き込まれて、学習進度が遅れてしまうのは避けたかったのです。
その結果。
翌週も、私がささやいた子以外は、ほぼ全員、そのたった1ページの宿題をやってきませんでした。
家庭学習の習慣がないし、やってこなくてもこれまで何とかなったのですから、1ページになったところで、やってくるわけがありません。
「1ページにしても、やってこないので、元に戻すことにします」
「えー」
それで、その話は終わりにしました。
「宿題が、難しくて、解けない」
そういう言い訳については、塾長に宿題のテキストを見せ、
「これが難しいんでしょうか。宿題をやってこない子も、自分の当たるところだけは授業中に解いていますけれど」
と説明し、難度についての話は、それで終わりにしました。
「センセーは、勉強のできない子に冷たい」
あるとき、生徒にそう言われたことがあります。
「結局、できる子のことしか、考えていない」
「勉強のできない子に冷たいわけではない。でも、意欲のない子には、冷たいかもしれない」
私は、そう応えました。
そういう不満に対し、時間をかけて話しあおうとしないだけでも、やっぱり冷たかったですね。
あのとき、自分はやる気があったのに、親身になってくれなかった。
その子には、そんな不満があったのかもしれません。
私は、そのとき、もとから意欲のある子への対応で忙しく、そのときだけやる気を出している子への対応は後回しにしたかもしれません。
宿題をやってこない子、だから、成績の上がらない子に対し、
「やってこないんだから、仕方がないんじゃないの」
で済ます気持ちが、私にはあったのでしょう。
意欲もあり素質もある子の成績を上げるなんて、素人でもできること。
意欲のない子の成績を上げること。
今、私はそれを自分への課題としています。