たまりば

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2025年03月27日

中学数学。1次方程式の利用。中級。速さに関する問題。


画像は、井の頭公園の、ニリンソウです。
さて、まずは、こんな問題から。
1次方程式の問題です。

問題1
午前8時に、3㎞離れた学校へ兄が出かけ、兄が出発してから6分後に妹が走って同じ道を追いかけた。兄が歩く速さが分速80m、妹が走る速さが分速120mであるとき、妹が兄に追いつく時刻を求めなさい。

基本が身についている人にとっては、何とか立式できるレベルの問題です。
公立中学で使う普通の教科書にも載っている問題です。
まず、何を x とおくか。
「時刻を x とおく」とうっかり書いてしまうことがあるかもしれませんが、時刻と時間は違うのです。

時刻と時間。
小学校の低学年で学習している内容ですが、こういう根本の概念ほど、言葉で説明しようとするとむしろ難しいことがあります。
「今の時刻は、午後12時58分」というのが、時刻。
「家から学校まで30分かかる」というのが時間。
10歳未満の子どものほうが、むしろ、こうした概念を概念のまますっと理解できるのですが、そのときに学び損ねると、一生わからない・・・ということも起こります。
いくら言葉を重ねて説明しても、わからないものはわからないようなのです・・・。

それはともかく。
時刻を x とするのは、不可能ではないです。
その場合、上の問題ならば、「午前8時 x 分とする」ことになるのですが、この処理は案外厄介なので、時間を x で表したほうがスッキリすると思います。
すなわち、答案の1行目は、
「兄が x 分歩くとする」

しかし、この1行目を書き忘れる人は多いです。

あるとき、テスト直しノートを提出させる熱心な学校の先生に教わっている中学生がいました。
しかし、返却されたノートには、「?」「何で?」「どういう意味?」などの赤ペンの文字が入っていて、評価は「B」でした。
しっかり直したつもりなのに、なぜ「A」ではないのか?
テスト直しノートをどう直していいかわからない・・・。
そういう悩みを聞いて、そのテスト直しノートを見てみると、何を x とするのか書いてありませんでした。
そのことに気づかず、次のテスト直しでは、もっと詳しく説明しなければいけないと思ったのか、変な方向に詳しく、文章題を図に表してみたり、カラフルに色ペンを使ったりしていました。

何を x とするかは必ず書きなさいと、方程式の利用の学習の間、毎回、毎回、助言したのに、何で身につかないのだろう・・・。
そして、学校の先生も、テスト直しノートに赤ペンで書き込むなら、
「何が x?」
と端的に書いたほうが伝わるのに・・・。

中学一年生は、本当に、まだ小学生の尻尾が残っている子が多く、「〇〇をxとする」といった日本語が数学の答案に必要だということが、どうしても信じられないようなのです。
だから、注意されても、すぐ忘れます。
数学は、式と答だけ書けばいいんだ、という小学生の「尻尾」が生えたままなのです。


また余談にそれてしまいました・・・。
そろそろ、問1の方程式を立てましょう。

もう一度、問題を見てください。

問題1
午前8時に、3㎞離れた学校へ兄が出かけ、兄が出発してから6分後に妹が走って同じ道を追いかけた。兄が歩く速さが分速80m、妹が走る速さが分速120mであるとき、妹が兄に追いつく時刻を求めなさい。

兄がx分歩くとする。
そうすると、妹は遅れて出発していますから、妹の時間は、(X-6)分です。
速さは問題文に書いてあるし、時間はxを使って表せます。
これは、方程式は、道のりを表すものを作ればいいですね。
追いつくまでの兄の道のりと妹の道のりは等しいです。
速さ×時間=道のり ですから、
80x=120(x-6)
これを解いて、x=18

さて、ここから時刻に直す必要があります。
兄が出発した時刻が午前8時。
そこから18分歩いたのですから、
解答は、午前8時18分です。


問題2
弟は分速73mで歩いて、家から1.7㎞離れた駅に向かって出発した。弟が出発してから15分後に姉が自転車に乗って同じ道を分速292mで弟を追いかけた。姉は弟に駅まであと何mのところで追いつくか答えなさい。

さて、方程式の文章題は、基本は求めたいものを x としますが、この問題、「駅まであと x mのところで追いつくとする」としてしまうと、式が難しくなりそうな嫌な予感がします。
方程式は、わり算の式よりも、かけ算の式を立てたほうが簡単です。
どうしてもわり算、すなわち分数の式しか立てられないこともあるけれど、今回はそうではなさそう。
そういう判断ができると、この問題は楽に解けます
これも、やはり、「姉が x 分走るとする」のほうが、速さ×時間=道のり の、簡単な式を立てられそうです。

姉が x 分走るとする。
そうすると、弟は姉よりも前に出発していますから、弟の時間は(15+x)分。
弟の道のり=姉の道のり ですから。
292x=75(15+x)
これを解いて、
x=5
姉が5分走ったことがわかりました。
では、姉の道のりは、
292×5=1460
駅までは1.7㎞=1700mですから、残りの道のりは、
1700-1460=240
答えは、240mです。


問題3
9㎞離れたところへ行くのに、はじめは時速5㎞で歩き、途中から時速3㎞で歩いたら、2時間かかった。時速5㎞で歩いた道のりを求めなさい。

よし、これは、前半の歩いた道のりを x とするので大丈夫でしょう。
方程式は、時間を表す式を立てましょう。

時速5kmで歩いた道のりを x ㎞とする。
道のりは全部で9㎞ですから、時速3㎞で歩いた道のりは、(9-x)㎞ と表すことができます。

前半の時間は、x / 5 時間。
後半の時間は、(9-x) / 3 時間。
その合計が2時間なのだから、
x / 5 +(9-x) / 3=2
これを解いて、
x=15 / 2
解答は、15 / 2㎞。


問題4
AとBが5㎞離れた場所にいる。Aは午前9時に、Bは午前9時2分に互いに向かって走り出した。Aが分速250m、Bが分速200mで走るとき、2人が出会う時刻を求めなさい。

Aが出発したのが午前9時でわかりやすいので、Aの走る時間をx分としましょう。
Bは出発が2分遅かったので、走る時間は(x-2)分となります。
今回、2人の道のりは異なります。
しかし、2人で協力して5㎞走ったのですから、2人の道のりの和が5㎞=5000mです。

Aの走る時間を x 分とする。
250x+200(x-2)=5000
これを解いて、
x=12
解答は、午前9時12分 です。


さて、ここまで逐一ヒントを出しながら、生徒と一緒に立式し、上の問題1から4まで解いたときのことです。
生徒から、言われました。
「・・・わからない」
「うん?何がわからない?」
「解いたのを見ればわかるけど、自分では式が立てられない・・・」

・・・なるほど。
「どういうところがわからない?」
ここで、長い長い沈黙がありました。
でも、何か言ってくれないと、何がどうわからないのか、私もわからないので、何か喋り出すまで、辛抱強く待ちました。
ついに、その子は口を開きました。
「・・・式の形が・・・」
「うん?」
「・・・式の形が同じじゃない」
「・・・?」

式を見直してみましょう。
問題1は、 
80x=120(x-6)
問題2は、 
73(15+x)=292x 
問題3は、 
x / 5 +(9-x) / 3=2
問題4は、 
250x+200(x-2)=5000


「・・・特にどこが違うと思う?」
そう問いかけてみました。
「たすだったり、引くだったりするのが、・・・」
「たすだったり、引くだったり?どこのところが?」
「・・・x-6だったり、15+xだったり、9-xだったりするのが、わからない・・・」
「・・・」


・・・問題によって、たすだったり引くだったりするのは、当たり前じゃないの?
同じ問題じゃないんだから・・・。
心の中でそう思い、そして気づきました。

そうか。
この子は、全部たし算ならたし算、ひき算ならひき算であってほしいのか・・・。
式の形が、いつも全部同じであってほしいのか・・・。
その式の形さえ覚えれば良いという勉強がしたいのか・・・。

気持ちはわかるのです。
しかし、そういうパターン把握で方程式の文章題をこなせると夢を見ている間は、方程式の文章題は自分で解けるようにはならないのです。
文章を読んで、意味を理解して、構造を把握して、その都度関係をつかんで、式を立てる。
そういう「まっとうな解き方」が実は正解への最短距離なのですが、なぜか、それだけは絶対にしない、そんなことは許容しないという子たちがいます。
おそらく、小学生の頃から、算数の文章題を意味を読み取って式を立てることは、一切してこなかったのだと思います。
すべてパータン把握でこなしてきた。
小学校では、それでそこそこ大丈夫だった。
ときどき、「単位量あたり」とか、「割合」とか「速さ」とか、上手くいかない単元もあったけれど、そういうのは終わってしまえば、もう過去のこと。
これからも、自分はこのやり方でいく。
だって、このやり方しかわからない。
パターンがあるはずだ。
それを教えて!

ある種、背筋が寒くなるのは、こういうときです。

気持ちはわかるのですが、文章題に取り組む姿勢が、根本的に間違っているのです。
問題文を読んで、読解して、構造を把握するから、立式できるのです。
ただ、それを身につけるには、時間がかかります。
何年も何年もかかります。
だから、小学校の簡単な算数から、文章題で少しずつ練習して能力を伸ばしてきたはずなのに、小学校の頃はあまりにも簡単だったから、文章を読まずに式を立ててきた子が、今の時代、ますます増えているように感じます。
文章題にある程度対応できる子と、全く対応できない子に、はっきりと分かれます。
簡単な文章だった小学生時代に読み方を身につけなかったので、中学の数学になると、文章の構造をもう読み取れない・・・。

でも、今からでも遅くないのです。
文章を読んで、意味を理解することは、学問の基本です。
文章を読み取る必要があるのだと、本人が理解してくれれば、そこから先に進めます。
怖いのは、文章を読み取る方向に本人の気持ちが一切向かない場合です。

何かパターンがあるはずだ。
絶対あるはずだ。
そういう抜け道があるはずだ。
この先生は、それがわかっていないだけだ。
どこかに、抜け道があるんだ・・・。
いつまでもそう考えて、文章と向き合えないのです。

私は、「文章が読めない」ことは単なる事実で、そのことにそれ以外のどんな評価も下さないけれど、「抜け道があるはずだ」といつまでも思っていることは、愚かなことだと思います。

いつもx+□の形のたし算ならいいのに!
そうなら簡単なのに!

それはそうですが、中学の数学は、そんなに簡単ではないのです。
「速さ」の文章題ならば、何でもx+□にすればいい、とはなりません。

それでも、パターンがないわけではありませんが、上のような考え方をする中学生が想像するのよりもずっと複雑なパターン把握が必要となります。
問題1や2のように、時間差で追いかけていく問題ならば、道のり=道のり の式を立てることになるでしょう。
しかし、それも、どちらの時間をxとおくかで、もう片方の時間はたし算にもひき算にもなります。

問題3のように、途中で速さを変えてある距離を進んでいく問題では、分数+分数=時間 の形の見た目の式になることが多いでしょう。

問題4のように、ある距離を互いに反対方向から進んで出会う問題は、二人の道のりの和が全体の道のりとなる式を立てるでしょう。

そういうパターンなら、あります。
でも、それは、文章を読解できるからこそのパターン把握です。
しかも、速さの3公式をマスターしていることが前提です。
問題を読まずに式を立てる方法は、ないのです。

どうか、1日も早く、目を覚まして。
いつも、そのように願って、授業をしています。

  


  • Posted by セギ at 14:16Comments(0)算数・数学

    2025年03月19日

    学習負担の軽量化と、その効果。


    画像は、都立小金井公園の大漁桜。
    早咲きの桜で先週満開でした。

    この時期になると、教育関係の記事が特に増えて、その中には有益なものもあるのですが、
    「それはどうなんだろう?」
    と思うものも、無いわけではありません。
    勿論、それはどうなんだと思う私の考えもまた1つの私見であり、絶対なものではないのですが。

    興味深かったのは、英単語の覚え方に関するある記事。
    単語集そのままでは、
    「これを1冊覚えなければならないのか」
    というプレッシャーが強くなり、覚えにくいというのです。
    だから、単語集の単語とその意味を、ルーズリーフに書き写す。
    単語とその意味をルーズリーフに書きとると、わずか20ページ程度になる。
    「何だ、これを覚えればいいんだ」
    と気持ちが楽になり、覚えられる、というのです。

    心理的負荷を減らすという意味で、ある種の説得力があるやり方ですし、それで効果のある人もいると思います。
    覚える能力自体には問題のない人は、これで成功する可能性があります。
    やる気が出なくて困っている人は、このように目先を変えてみましょう、という話だと思うのです。

    しかし、挫折の可能性も目に見えています。

    まず、単語集の単語をルーズリーフに書き写すというその作業に、何日かかるのだろう、という点。
    単語集を書き写すことも挫折する子。
    単語を書き写しただけで満足し、覚えるという作業には移行できない子。
    覚えようとすると、やっぱり覚えられないので、挫折してしまう子。
    そういう子のほうが多いだろうと、私は思います。
    ルーズリーフに書き写すという作業時間が、全て無駄になります。

    英単語を覚えられない根本の問題は、大抵の人にとって(私も含めて)、英単語が非常に覚えにくいということ。
    努力しても、努力しても、記憶が消えていきます。
    どうやっても、覚えにくいものは覚えにくいのです。
    本をルーズリーフに変えたところで、覚えられないことは変わりません。
    心理的負担を減らしたところで、能力的負担は、変わらないのです。
    もの覚えが悪いということが、どれほどのことか。
    頭の良い人は、それを理解していないのです。

    英単語を覚えるには、その単語に触れる機会をとにかく増やす必要があります。
    だから、心理的負担を乗り越えて、毎日単語集そのものを開いて、繰り返し見て、音源を聴いて、聴き込んで、自分へのテストを繰り返す人は、今よりは単語を覚えられます。
    それがルーズリーフになったところで、毎日繰り返し見て、自分へのテストを繰り返す作業は必要です。
    わずか20ページのルーズリーフになったところで、反復しなければ覚えられません。
    「わずか20ページのルーズリーフすら覚えられない自分」と直面し、闘う覚悟が必要です。

    能力不足は努力で補う。

    しかし、若さのせいで、その「能力不足」に簡単に傷ついて、何もかも投げ出してしまうことは多いです。
    根本にあるのは、それです。
    別に、能力が足りないのは自分だけではないので、そんなくだらないことで傷ついていられない。
    そう見切ることができるほどに、精神的に成長できていない生徒は多いです。
    まだ10代ですから、仕方ないのですが。

    やるか、やらないか。
    結局、それだけです。

    それを理解したうえでの「ルーズリーフ作戦」は、やってみてもいいと思います。


    ただ、どうせ単語集の単語を何かに書き写すなら、フラッシュカード方式のほうが良いかもしれません。
    要するに、単語帳ですね。
    小さいカードの表に英単語、裏にその意味を書いて、自分にテストをしながらどんどんめくっていきます。
    意味を言えた単語と言えなかった単語を別に分けて、意味を言えなかった単語へのテストを繰り返します。
    カードなので、そうした整理が簡単です。
    これも、勿論、カードを作っただけで満足していては、無意味。
    繰り返しこのカードを使う必要があります。
    反復が重要です。

    これ、アプリでも、そういうことができるようになりつつあるとの話です。
    正解できた単語も混ぜながら、正解できなかった単語のほうが優先的に前に出てくるように、常に順番を変えてテスト形式で出してくれるアプリ。
    自分で入力するのは大変ですから、単語集を販売している教材会社が、そのアプリも提供してくれるようになると良いですね。
    ゲーム形式で得点が出ると、励みになるかもしれません。
    ただ、これも、結局は英単語なので、「つまらない」と言えばつまらない。
    そんなのより、もっと面白いゲームをやりたい、という志向の人には向かないアプリかもしれません。



    さらに、数学では、「チャート式数学」を5周やる、という方法をネットで見ました。
    解くときに、時間はかけない。
    問題文を読んで、10秒ないし15秒考えても解き方がわからない問題は、すぐに解答・解説を見る。
    そうやって、次の問題、次の問題と解いていく。

    これも、数学が苦手な人にとっては、ライトな勉強法で、「これならできる」と思う人もいそうです。
    わからなかったら、すぐ答を見たらいいのですから。
    しかし、これも、頭のいい人の勉強法だなあと、ある意味感心しました。
    10秒なんてすぐ経ちます。
    どれだけ自分の頭の回転の速さを基準にものを言っているのだろう?

    せめて、1分考えたら?
    1分考えて、解き方が何も浮かばない問題は、解答・解説を見る。

    ・・・本人の地頭が良く、ものを考える力のある場合は、効果があるかもしれない、と思います。
    解き方がわからない問題はすぐに解答解説を見る。
    頭の良い人は、解答解説を見ることによって、その解法が頭の中にストックされるのです。
    それも、応用の効く形で。
    だから、類題でその解法を利用できます。

    1つの問題集を5周もすれば、いくら何でも、解法が頭の中に残るだろう・・・。
    それもまた、頭の良い人の実感であり、現実とは異なります。
    そもそも、1分考えてすぐに解答解説を読んでも、その咀嚼に時間がかかる人のほうが多いでしょう。
    見るだけでは済まず、自分で解答解説を見ながらでも解いてみないと納得できないという人は多いので、結局時間がかかります。
    しかも、時間がかかるのに、1週間後には、きれいに忘れているのです。
    時間がかかるから、問題集を1周するのに、半年はかかる。
    そして、1周が終わった半年後には、その大半を忘れている。
    下手をすると、何も身につかないうちに、入試になってしまう・・・。

    上手くいって、3周程度はできたとして。
    解答解説を読んで、その解き方を暗記できたところで、応用が効かない暗記の仕方では、数値が違うだけの同じ形式の問題にしか対応できない場合も多いです。
    数学が苦手というのは、そういうことです。
    応用が効かないのは、蓄積がないからです。
    高校数学が苦手な人の多くは、中学で学習した公式や定理を忘れています。
    数ⅡBを学習する頃には、数ⅠAで学習した公式や定理を忘れています。
    頭の中に残らないのです。
    残そうとしても、何だかスルスルと消えていくのです。
    消えていくものは消えていくのだから、仕方がないのです。


    本当に数学が得意になりたいのなら、1問について、最低1時間はねばって考えてほしいのです。
    たとえ1時間後、結局わからなくて解答解説を見ることになっても、1時間考える間に、脳細胞が繋がって、繋がって、頭が良くなります。
    頭を良くするためには、時間をかけて考えることが必要です。
    うわ滑りしがちな思考にクサビを打ち込み、地頭を良くするには、そうした苦痛を伴う作業が必要になります。
    そして、頭が良くなれば、記憶力も良くなります。
    そうなれば、上のような負担の軽い勉強法でも、ある程度の効果を期待できるようになるかもしれません。


    向き不向きはありますから、
    「やってみたい」
    「やってみようかな」
    と思う勉強法があったら、やってみたら良いと思います。
    見た目を軽くし、負担を軽くする勉強法は、今どきの子どもたちには向いているかもしれない、とも思うのです。
    たったこれだけでいいんだから、とりあえずやってみよう。
    そういうことも、大切です。

    ただ、本当に効果のある学習法は、基本「重い」です。
    しかも、効果が表れるまで時間がかかります。
    そのことは、知っていてほしいことだとも思います。

      


  • Posted by セギ at 12:09Comments(0)講師日記算数・数学英語

    2025年03月13日

    英語。現在完了。祖父が亡くなって5年になる。


    画像は多摩湖自転車歩行者道の河津桜。
    3月7日、きれいに咲いていました。

    さて本題。
    現在完了は、今や中2で学習する文法事項になりましたが、高校生になっても、勿論、「時制」の学習で再び登場します。
    特に有名な典型題が、「祖父が死んで5年になる」という文を書き換える問題です。

    まずは、過去形で単純に書くならば、それは「祖父は5年前に死んだ」ということですから、
    My grandfather died five years ago.

    となります。
    これを、現在完了形を使って書き換える問題。
    案外難しいのです。
    正解からまず示しますと、
    My grandfather has been dead for five years.
    となります。

    直訳の日本語は、
    「祖父は、5年間、死んだ状態である」
    ということ。
    日本人の感覚では永久に出てこない表現です。
    日本語からの直訳で英文を作っていこうとすると、永久に正解できないのです。

    5年間は死んだ状態であるが、いずれ復活する、ということなんですかね?
    英語圏の土葬文化や、復活を信じるキリスト教文化の影響なのでしょうか。
    「ゾンビ」という発想も、そういうものと関係がありそうです。
    火葬文化の日本には、幽霊はいても、ゾンビはいないですよね。

    それはともかく、日本の子どもたちは、そういう日本の発想で、以下のような間違った英文を作ってしまいがちです。
    My grandfather has been died for five years.

    「死ぬのは一瞬の動作ですから、現在完了には使えないんですよ」
    「・・・」
    そのような文法解説は、見るのも聞くのも大嫌いな子が多く、身につかないんです。

    die が動作動詞であるなら、現在完了進行形ならばいいのか?
    My grandfather has been dying for five years.

    これは、文法的には間違っていないですが、意味が違ってきます。
    die の進行形、be dying は、「死にかけている」「瀕死の状態である」ということになります。
    おじいさんは、5年間危篤状態ということになり、生きています。

    というわけで、die という動詞の形容詞形 dead は、必ず覚えなければならないのですが、それとあわせて、形容詞は、be 動詞とともに用いるという文法知識もなかなか身につかないので、
    My grandfather has dead for five years.
    という間違った英文を作ってしまう子もいます。

    こういうミスが多いのです。
    この典型題は、陳腐な典型題であるにも関わらず、いまだに攻略できない子が多いので、定期テストや大学入試に出題され続けるのです。


    このブログに繰り返し書いてきたことですが、「難しいことを簡単にしたい」という欲望の強い子たちがいます。
    勉強なんて、そんなに難しくないはずだ。
    自分は、小学生の頃は、勉強ができた。
    だから、もっと簡単になるはずだ。
    簡単な教え方ができない先生が無能なのだ。

    いや。
    そこまで考えている子はさすがに少ないと思いますが、難しいことを、自分のやり方で簡単に「まるっとまるめ」ようとする子は、存在します。
    そして、結局、間違い続けます。
    複雑なことは、もともと複雑なので、複雑なまま理解するしかない場合があります。
    この程度の難しさは、高校英語ならばもう仕方のない複雑さです。
    そのように理解して受け止めれば、頭にスッとなじみやすくなる人も案外多いのではないかと思うのです。


    というわけで、
    My grandfather died five years ago.
    =My grandfather has been dead for five years.

    これは、しっかり覚えられたとして。
    しかし、それだけで終わらないのが、この典型題の複雑さです。
    他にも、あと3通り、この書き換えがあるのです。

    まず、時を表す主語 it を用いた書き換えから。
    It is five years since my grandfather died.
    「祖父が亡くなってから、5年だ」
    という文です。
    上の文は、動詞が is で現在形ですが、これは、現在完了形で述べることもできます。
    It has been five years since my grandfather died.

    いずれにしても、since 節は、過去形です。
    このあたりも混乱する人がいますので、要注意です。
    since の後ろは、その状態・動作が始まった起点を表すので、それは過去のことですから、過去形で語ります。

    さらに、書き換えは、もう1つあります。
    Five years have passed since my grandfather died.
    「祖父が死んでから、5年が過ぎた」
    という文です。
    five years は複数なので、has ではなく have になることも注意が必要です。


    まとめますと、「祖父が死んで5年になる」には、5通りの表現があります。
    My grandfather died five years ago.
    My grandfather has been dead for five years.
    It is five years since my grandfather died.
    It has been five years since my grandfather died.
    Five years have passed since my grandfather died.


    さて、練習問題を解いてみましょう。
    次の英文をほぼ同じ意味になるように書き換えた場合、( )に適語を補充せよ。

    (1) We have been friends for five years.
    =( )( )( ) passed since we ( ) friends.

    上の5通りの文は理解したつもりでいるのに、こういう問題になると、応用がきかない・・・。
    そういう悩みを抱えている人もいるかもしれません。
    5通りの書き換えのうちのどれなのか、判断がつかない、というのです。

    上の問題で言えば、2行目の passed が、ヒントです。
    この単語を使うのは、主語が年数の場合のときです。
    だから、
    =(Five)(years)( ) passed since we ( ) friends.
    までは、OK。
    ただ、その後が案外埋まらない、という人もいます。
    何か、この( )、無くても良くない?と思ってしまうようです。

    3個目の ( ) は、何なのか?
    時制は、現在完了だった、ということを思い出せば、大丈夫。
    =(Five)(years)(have) passed since we ( ) friends.
    です。

    さて、最後の ( ) には、何を入れるのか?
    ここで、we are friends とか、we were friends としてしまうミスも多いです。
    since 節は、動作の起点です。
    「友達である」ではなく、「友達になる」という表現が適切です。
    したがって、正解は、
    =(Five)(years)(have) passed since we (became) friends.
    となります。

    (2) It has been three years since she moved to this town.
    =She ( )( )( ) this town ( ) three years.

    さて、これも難しいですね。
    よくある誤答が、
    =She (has)(moved)(to) this town (since) three years.
    というもの。

    これは、よく意味を考えて、書き換える必要あります。
    3年間も引っ越しを続けているのは、おかしいです。
    彼女は3年間、この町に住んでいるはずです。
    だから、正解は、
    =She (has)(lived)(in) this town (for) three years.
    です。


    ・・・もうわかんないから、諦める・・・。
    どうか、そんなふうに、投げ出さないでください。
    書き換えというと、元の文に出てくる単語と同じ単語しか使わないと思い込んでいる人がいますが、そんなことはありません。
    「元の文と同じ単語じゃないのなら、わかるわけないじゃん!」とは思わないで。
    わかるんです。
    正解している人もいるんですから。

    頭の表面のところで何か適当にくるくるっと処理して問題を解いていれば全部正解だった小学生の頃の成功体験は、もう忘れてください。
    勉強は、もう少し深く考えるものです。
    年齢とともに脳は発達しているのですから、より深く、複雑なことを学習できるのです。

    英語は、知識の積み上げ、蓄積が影響します。

    中学英語はさぼってきた。
    あるいは、定期テストが終われば、全部忘れてきた。
    でも、高校生になったから、今度は英語も頑張ろうと思ったのに、何だ、もうダメなんだ・・・。
    そんなふうに、諦めないでください。
    中学英語が身についていないことは、確かに大変なハンデですが、それは自分が招いたことなので、背負う覚悟を持ってください。
    身についていなかったことは、1つ1つ、今から身につければ、間に合います。
    英語が得意な人たちは、毎日英語を勉強してきたのです。
    定期テストが終わっても、記憶を捨てず、反復してきたのです。
    その努力が無効になるわけがないのです。
    彼らは、はるか先にいます。
    でも、今から努力すれば、その努力も、無効ではないのです。
    ここから、頑張る。
    そういう気持ちで、繰り返し練習してください。
      


  • Posted by セギ at 14:37Comments(0)英語

    2025年03月07日

    学年末テストの後の学習内容は重要です。


    まだ中学生ですと、情報の価値があまり理解できていない子は多いです。
    情報を正確に把握すること、私に正確に伝達することに関して、意識が低いのです。
    これは、学力とは関係なく、むしろその子の性格と関係があることなのだと思います。

    今回の学年末テストでは。
    「テストの時間割、発表になりましたか?数学は何日ですか?」
    「・・・2月24日」
    「・・・2月24日の月曜日ですか?2月24日は、天皇誕生日の振替休日で学校は休みですが」
    「・・・!」
    日程表を確認せずに、うろ覚えで答えているのです。

    「授業の振替が必要か必要でないのか、必要ならば何日の何時からにするのかを決めるために、テスト時間割は重要なのですが」
    「・・・必要ないです」
    「・・・今、面倒だから切り捨てましたね。必要ないわけないんですよ。テスト期間中、翌日のテスト科目に数学がない日に、数学の授業を受けることになるかもしれないんですよ」
    当日にならないと、そのことの重要性がわからないのだろうと思います。
    色々なことで頭がいっぱいで、今日・明日のことしか考えられない。
    そういう気持ちは、わからないでもないのですが、これは、想像力が足りないこととも関係があるのでしょう。
    振替の決定が遅く、直前になって、何日の何時からの授業に振替えられませんか、と問い合わせてくるのですが、直前では、もう授業は埋まっている場合が多いのです。
    いつ来ても、自分1人しかいない教室。
    生徒は自分1人。
    自分が授業を受けている時間以外は、全部空いている。
    そんな錯覚をしているのではないか?
    そう思うことすらあります。
    早めに互いに振り替えるから、空きコマに移動できるので、ご協力いただきたいところです。


    テスト範囲を私に正確に伝達できない子も相変わらずいます。
    中学の数学ならば、教科書準拠ワークを私も持っていますので、テスト範囲が教科書の何ページから何ページなのかを言ってくれれば、正確に把握できます。
    しかし、高校数学の場合は、学校ごとに教科書が異なるので、さすがに用意できません。
    教科書のページ数だけではわからないので、教科書そのものを持ってきてと頼んでも、忘れてくる高校生は多いです。
    テスト範囲の情報は、教科書と問題集のページ数だけ。
    これではわからないと告げると、初めてそのことに気づいて、大体のテスト範囲を伝えてきますが、正確かどうかは、わかりません。

    これまで40点しか取れなかった子に、60点を取ってもらうためのテスト対策ならば、テスト範囲の数ページの誤差など、どうとでもなります。
    しかし、80点を取れるようになった子に、90点を取ってもらうテスト対策をする場合、数ページの誤差は致命傷です。

    テスト範囲を自分が完全に暗記できているとなぜ思うのだろう?
    その過信はどこから来るのだろう?
    そんなふうに思うこともあります。

    いや、それは過信ではなく、私に正確なテスト日程やテスト範囲を伝達することの重要性が理解できていないのでしょう。
    自分の不利益につながる可能性が、わかっていないのだと思います。

    この子がそのまま社会に出たら、書類やデータを正確に確認しないで、うろ覚えの適当な報告を上司にして、その態度を不審に感じた上司に怒られて、しかし本人はパワハラだと感じ、怖くなって会社に行けなくなって・・・と、極端なことを想像してしまうこともあります。
    もっとも、今どきの会社の上司は、そうなることを予測して、優しく優しく、書類やデータを正確に確認しながら報告するのだよーと教えてくれるのかもしれません。
    必要なことが学生の間に身につかないので、社会に出てから教育しなければならない。
    大変、申し訳ありません。
    こちらもできる限り頑張っているのですが。


    情報の価値、情報は正確でなければならないことは、早めに理解してほしいことです。
    あるいは、本人にはもうどうにもならないなら、保護者が介入しないと、色々とまずいことが起こります。
    例えば、大学受験の場合。
    今は、色々な形の受験があります。
    学校推薦。
    総合型選抜。
    公募推薦。
    一般入試でも、共通テスト利用だの、外部試験利用だの、全学部一斉だの、学部別だの・・・。
    保護者としては、自分の頃の大学入試とあまりにも違うので、ギブアップしたくなり、本人に任せたくなるかもしれません。
    しかし、保護者に理解できないことを、本人が理解できるはずがないのです。
    どの大学のどの学部に、どの科目が必要なのか。
    そんなことすら、間違えてしまう子もいます。
    学部入試の国語に漢文が出題されることを、受験3か月前まで知らなかった高三の生徒もいました。
    血の気が引くような、そんなことも、本人に任せていると起こります。


    そんな先のことではなく、身近なことでいえば。
    学年末テストが終わって、春休みに入ると、言われてもいないのに一念発起して部屋の大掃除を始め、前学年の教科書や教材を全部捨ててしまう子がたまにいます。
    しかし、公立中学生は、それは絶対にやってはいけないことです。
    なぜなら、次の学年の1学期の中間テストの範囲は、今回の学年末テストの範囲の続きからとなる可能性があるからです。
    学年末テストが終わって、この3月に学習している内容は、次の学年の1学期中間テストの範囲に含まれる可能性があるのです。

    勿論、そうではない可能性もあります。
    4月に先生が変わった場合などは特に、もう面倒くさいから、「前年度の復習」というざっくりしたテスト範囲は示すものの、厳密に学年末テストの範囲の直後から、とはならないかもしれません。
    しかし、なる可能性もあります。

    この4月から、中学校は教科書が変わります。
    前年度の教材など、書店を探しても、もう存在しません。
    今ある教材を捨ててはいけません。
    特に英語と国語は、教科書と準拠ワークを捨てたら、致命傷になります。

    数学もそうです。
    中1の最後の単元「データの分析と活用」を、今まさに学習し始めたタイミングの中1は多いと思います。
    何か数学っぽくないから、どうでもいい単元っぽい・・・。
    いえいえ。
    これは、高校数Ⅰでまたがっつり学習することになり、数Bでも、その発展的内容をがっつり学習し、大学入試共通テストでも、必ず出題される単元です。
    捨てるわけにいかない重要単元です。
    中2の最後の単元「確率」もそうです。
    これは、高校数Aでさらに発展的に学習することになる重要単元です。
    中学で基本を理解しておかないと、苦労します。
    そのように重要度の高い単元ですから、翌年度の1学期中間テストの範囲に組み込まれる可能性は高いのです。

    高校受験の受験勉強をする場合も、教科書は、詳しく丁寧で一番わかりやすい教材です。
    中学生のうちは、教科書・教材は捨てないでおきましょう。
    高校に合格した後で、一気に資源ゴミに出しましょう。

    と、最後に、重要な情報を残して、今回は、これまで。

      


  • Posted by セギ at 18:38Comments(0)講師日記算数・数学

    2025年03月01日

    春期講習空きコマ状況のお知らせ。2025年。


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