2014年03月30日
個別指導の利用法
春期講習中の春の嵐の日曜日、3月分の指導レポートを何とか書きあげて、ほっとしております。
明日発送いたしますので、数日しても未着の場合、お問合せください。
さて、本日は、個別指導の利用法について。
個別指導は、その子に必要な指導が可能という点で大変能率の良い授業形態なのですが、それゆえに、目的が明確でないと授業が迷走する場合もないわけではありません。
何年か前、大手の個別指導塾に勤めていた頃のことです。
高校2年生の男子が、入塾してきました。
ある程度の偏差値の私立高校生です。
しかし、内部進学できる大学は偏差値は高くなく、附属高校の生徒の大半は、外部受験をします。
つまり、通塾の目的は、大学受験に合格すること。
かなり明確なように見えて、高校1年か2年くらいですと、この目的だけでは、ブレが生じがちです。
大学合格が目的なのは良いのですが、それでは当面、塾で何をどう学習するのかが明確ではないのです。
私はその子の英語を担当することになりました。
塾には高校英文法の通年テキストがありましたので、それを渡しました。
普段は文法の学習をし、テスト前は、学校の英語Ⅱ(リーダー)の対策もするのが、標準的なカリキュラムでした。
体験授業でもそれでOKでしたし、特にそれ以外の要望もなかったので、文法テキストで、学校の進度に合わせて学習を始めました。
かなり英語が苦手なことは、教えてすぐにわかりました。
中学英語も怪しいのです。
学校の進度に合わせた内容だけではなく、さかのぼって、テキストの最初から復習し、それも宿題に加えるようにしました。
しかし、2回目の授業で、その子は言いました。
「宿題の答え合わせは家でやってきますから、解答をください」
「そう?」
答え合わせを家でやってきて、わからないところだけ質問するというのは、高校生ならばあって良いことです。
教務にも確認し、許可を得て、その子に解答を渡しました。
次の授業で、その子は、塾の文法テキストを持ってきませんでした。
「忘れてきました」
「え。宿題は?」
「あ。やりましたよ。答え合わせもしました」
「ああ。じゃあ、ノートを見せて」
「持ってきてませんよ」
「え」
「必要でしたか?」
「・・・・・・・・」
その日は、次にやる予定だったページを急いでコピーして渡し、授業を続けました。
何が理解できていないか確認し今後の授業の指針にしたいから、テキストと宿題をやったノートは必ず持ってきて見せてね、と告げました。
しかし、その次の週も、その子は、テキストもノートも持ってきませんでした。
訊けば、「やった」というのですが、証拠は何もありません。
そして、妙なことを言い出しました。
「解答があるんで、あれは自分で勉強できるから、他のことをやりたいんですけど」
「・・・・・・他のこと?どんなことを?」
「学校の教科書を持ってきたんで、それをやってもらえませんか」
「はあ・・・・・・・」
学校の文法の教科書は、左側が解説、右側に練習問題が並ぶ、よく見るタイプのものでした。
それで授業をしろと言われたらできないわけでもなく、解説をし、問題をその子に解いてもらいました。
しかし、ほとんど答えられません。
その文法事項はわかっても、英語は積み上げ教科なので、それ以前のことがわからず、まして単語力がないとなると、何も書けません。
結局、大半は私が答えを教えることになりました。
教えてもらえるとなると、その子は、とにかく早く正答だけ教えてほしいという様子を態度に見せるようになりました。
最初は考えるふりもしていましたが、私が解説している間やヒントを出している間は、うつむいて、ぼんやりしています。
仕方なく私が答を言うと、
「あ、もう1回言ってください」
そう言って、教科書に答えを書きこんでいきます。
予習の手間を省きたかったのかもしれません。
自分で考えたり調べたりするのが面倒なので、答えだけ教えてほしいのでしょう。
そんな調子で、90分で、1か月分くらいの予習が進みました。
授業の終わりに私は言いました。
「今日やったところの文法練習を塾のテキストでやってね。それを宿題にするから、必ずノートに解いて、持って来て」
「わかりましたー」
上機嫌で帰っていきました。
その翌週。
やはり、テキストもノートも、持ってきませんでした。
「えーと・・・・・。じゃあ、今日は、何をやればいいんだろう」
「実はですねー」
その子は、嬉しそうに、通信添削の課題をカバンから取り出しました。
「これ、やってるんですけど、全然わかんないんですよ。ここで、教わりながら解きたいんですけど」
「はあ・・・・・・」
本人の実力で解けるレベルの問題ではなく、これも、教わりながら解くというより、私が解き、その答えを本人が解答欄に書くというだけの作業になりました。
解説しても、聞いているふりだけです。
私が答えを言うと、それだけは、ウキウキと書きとめるのです。
その翌週は、学校の英語Ⅱの予習。
そして、また学校の教科書で英文法の予習。
添削課題。
本人は上機嫌ですが、全て、私が解き、それをその子が書き写しているだけでした。
そして、テスト前。
学力は何1つ伸びていませんから、テスト対策用の課題を本人に解かせると全く解けません。
解けないとむっとして機嫌が悪くなっていきました。
「こういうのじゃなくて、もっと他のことがやりたい」
「どんなことを?」
「テストに何が出るのかだけ、教えてもらえませんか」
「だから、こういうことが出るんだけど」
「・・・・・・・・」
そして、テストの結果は、惨憺たるものだったようです。
ようだというのは、本人が、結果を教えてくれなかったのです。
テストの点数は報告してもらわないと困るんだよと言っても、得点一覧表に書こうとしません。
「かなり悪かったのかな?」
と訊くと、それには素直にうなずきました。
私は、説得しようとしました。
「今までのような授業のやり方は、変えたほうがいいよね」
「じゃあ、何をやるんですか?」
「最初に戻って、塾のテキストと、それを解いた宿題のノートを持ってきてほしいんだけど」
「・・・・・・・わかりました」
理解してくれたのかと思ったのですが、翌週はまたしれっとして、通信添削課題を持ってきました。
締め切りが近いから、これだけやりたい、と笑顔で言うのです。
塾のテキストとノートは、無論、持ってきません。
教務に相談したのですが、私の報告を聞くだけ聞いて、「わかった」というだけでした。
何も変わりません。
講師の私は、保護者と直接連絡をとる方法がありません。
高校生の男子ですから、保護者と連絡をとっても、あまり効果はなかったかもしれません。
授業料が高いのに、何て無駄なことをしているんだろう。
こんなことやっていても、絶対、成績なんか上がらないのに。
でも、仕方ないのかなあ。
本人が悪いんだから。
私は、私にできることはやったよー。
私の立場で言えることは、言ったよー。
心の中で、そんな言い訳をしていました。
本人が、そういう授業を望んでいる。
そういう意味では、オンデマンドでした。
だから、講師の考え方によっては、こういう授業のあり方に疑問を感じません。
でも、私は、効果のない授業をするのは嫌でした。
嫌でしたが、組織の一員として、勝手なこともできないのでした。
クレームもきていないのにあれこれ騒ぎ立てては「我の強い、使いにくい講師」と思われてしまうという弱みが、私にはありました。
2か月ほどして、その子は嬉しそうに、通信添削のテキストを持ってきました。
巻末の成績優秀者一覧に、自分の名前が載ったというのです。
「へえ・・・・・・」
ほとんど全部私が解いたのですから、それは載るでしょうが、そのことに、何の意味があるのでしょう。
その子も、それは自覚していたのかもしれません。
こんな言葉をつけ加えました。
「でも、満点じゃなかったですね」
「・・・・・・・・・」
その子には、その後も、同じような授業を続けました。
本人の望む通りの授業をしているので、結果は出なくても、クレームはないのです。
その子が高校3年生になるとき、予備校に行くからと退会してくれたときは、正直ほっとしました。
嫌な思い出です。
あんなことは、あってはならないこと。
でも、個別指導では起こり得ることです。
講師と生徒、そして教務との力関係が微妙なことも一因でしょう。
生徒が主導権を握ると、こんなことになってしまう可能性があるのです。
苦手な科目だから教わりに来ているのに、それでも主導権を握ろうとする子はいます。
苦手科目は、本人は、俯瞰で見ることはできません。
結局、自分でやるべき予習の手間の省ける授業を望んでしまったりします。
解き方を教わるのではなく、答えを教わって、それで満足してしまいます。
それで、勉強した気になってしまいます。
そういう意味で、どんな課題でどう勉強するかは、プロに任せたほうがいいと思います。
いったん任せて、それで効果がなかったら、講師を替える、塾を変える。
その権利は、生徒にあります。
現在、私は、通信添削を個別指導で教えることは、特別な例外を除いて行いません。
学校の教科書の問題の答えを教えるような形の授業も行いません。
そういうことを、もしやってあげたら、生徒はとても喜ぶのですが、学力は下がっていくばかりです。
私が教える時間はできるだけ短く、生徒が演習する時間をできるだけ長く。
1人では解くことができない問題を解けるように補助を加えながら、やがてそれも1人で解けるように。
問題を自力で解く力が身につくように。
そのために、個別指導は存在します。
2014年03月23日
奥高尾を歩いてきました。2014年3月。
2014年3月23日(日)、奥高尾を歩いてきました。
いつものように三鷹発8:05発の中央特快に乗り、高尾駅下車。
北口に下りると、わあ、バス停に行列ができていました。
こんな光景を見るのは、久しぶりです。
ひと月前は、大雪で、バスも運転見合わせでしたものね。
「陣馬高原行き」の定時のバスが2台来る前に、1台増発。
8:50発のそのバスに乗って出発です。
混雑がそんなに好きなわけではないのですが、奥高尾に人が多いのは、それはそれでワクワクしてしまいます。
高尾に春が来たー。
ヽ(^。^)ノ
さて、終点、陣馬高原下でバスを降り、支度をして出発。9:30。
林道のゲートは、閉まっていました。
まだ、先月の大雪の影響はあるようです。
登山者は、ゲートの外側をするっと抜けて、先に進みます。
15分ほど歩き、林道と別れて、登山道へ。
斜面に雪が残っているのは当然と思いましたが、登山道にもまだ少し雪がありました。
雪が残っているのは平らなところばかりで、泥まみれの雪で、しっかり足を置けば滑ることはありません。
麓の沢近くを抜けると、そうした雪もなくなり、いつもの乾いた斜面の急登になりました。
今日はよく晴れていましたが、空気は案外冷たく、山を歩くには最適でした。
あまり汗もかかず、どんどん道がはかどります。
陣馬山まであともう少しの、大きなカエデの前のトラバースで、また雪。
ここは、道が細いこともあって、ちょっと慎重に。
でも、ここは凍結していることもありますので、それよりはむしろ歩きやすかったです。
陣馬山への最後の登りは、早春ですと、雪どけでドロンドロンの道です。
でも、今日は、もうかなり乾いてきていて、進退窮まるような泥道ではありませんでした。
陣馬山。10:40。
日曜ですが、山頂の売店は、お休み。
大きな大きな富士山が見えました。
南アルプスも、ちらっと白い姿を見せていました。
去年の夏は、あの山に登ったんだなあ。
さて、明日から春期講習ですので、今日はあまり無理をせず、普通に高尾へと縦走します。
明王峠。11:25。
ここでも、大きな富士山。
順調です。
まき道、まき道と選んで、とっとこ歩いていくと、主脈との合流点で、若いカップルが、「まき道」の道標をじっと見ているところに遭遇しました。
挨拶して通り過ぎようとすると、声をかけられました。
「あのー、この道、どういう道ですか?」
おおっ。何て初々しい質問なんだ。
(*^_^*)
私は、主脈の登り坂を指さしながら、
「こっちの上り下りのある道と、ときどき合流する、平らな道です。良い道ですよ」
「ああー」
若いカップルは、にこにこ。
私も、にこにこ。
そうか。「ピークをまく」とか「まき道」とか、そんな言葉も、山歩きが初めてだと、知らないですよね。
「まき道」なんて道標は、暗号だな。
新鮮な感動に包まれつつ、さらに歩きます。
景信山の手前で、ドロドロ道に突入。
ここは、いつも、なかなか乾かないなー。
でも、ロープの外に出たら、そこは、もう草が生えなくなるから、我慢我慢。
雪が残っているところは、いっそ雪の上を歩くほうが、固くて歩きやすかったです。
影信山。12:30。
混雑していないわけではないのですが、春・秋のピークと比べれば、登山客はほどほどの人数で、空いているベンチも目立ちました。
その1つを借りて、昼食。
富士山も、薄くなってきましたが、まだ見えていました。
涼しいと、疲れが少なく、どんどん歩けます。
道は、少し湿気を含むものの、ガンガンに固まっていました。
岩のように固い土の上を行きます。
バンバン足に響いてきます。
こういう道の感じが、奥高尾は、逆に少し怖いんですよね。
転び方によっては、骨折するなあ。
階段が増え、整備が進み、最近は、随分歩きやすくなりましたが。
小仏城山。13:25。
おや、ここの売店も、今日はまだお休みでした。
2月16日に来たとき、この天狗の木像は、雪に埋まって、顔しか見えていなかったです。
売店のテーブルもイスも、全部雪の下でした。
今日は、特に日当たりの良い場所の梅が1輪2輪、開花していました。
紅葉台はまいて、高尾山下へ。
高尾山もまいて、直接、稲荷山コースに入りました。
あとは、ひたすら下ります。
雪のないときの稲荷山コースは久しぶりです。
ここも、随分階段が増えました。
下山。15:10。
あまり汚れませんでしたが、駅前で一応靴周りの泥を洗って、電車に乗り込みました。
2014年03月21日
学習計画表を作りましょう。
気がつくと春分の日。
遅い春が、ようやく来ているのを感じます。
皆様、お元気でしょうか。
さて、いよいよ新学年の始まりで、それまでよりは学習意欲を持っているお子さんも多いのですが、「意欲」は必ずしも「学習量」と結びつきません。
やる気はあっても、行動につながらない。
やる気だけが空回りする子は多いです。
先日も、ある受験生の授業で。
意欲満々で現れたその子は、これまでの総復習をしたかったのか、私がこれまでに渡した冊子テキストをあるだけ持ってきたのですが、その中に、前回、宿題に出した冊子は、ありませんでした。
「宿題の冊子は、どうしたの?」
「・・・・・わかんない。失くしたかもしれない」
「・・・・・・・・・宿題は、ノートにやってきたの?」
「やってない」
「・・・・・・・・・」
以前の冊子テキストを持ってこいとは言っていないのに、大量に持ってくる。
でも、今使っているテキストは持ってきていない。
そして、宿題は、やってきていない。
しかし、本人は確かに意欲満々なのです。
こういう空回り、形は違っても、子どもには多いです。
(-_-;)
公立の中学生は、全員、高校受験をひかえていますが、あまり勉強しない子、いますね。
やればできるのに、と周りの大人は思い、それを口にするのですが、本人は、勉強する気配なし。
とにかく部活に夢中。
あるいは、相変わらずゲームに夢中。
少し難しいことができるようになったので、パソコンに夢中。
中学生になると、趣味がはっきりしてきます。
勉強している暇なんかありません。(^_^;)
親は、中学生になったら、少しは自覚して勉強するのではと期待していた。
結果、小学校の頃よりも、もっと勉強しなくなった。
小学生のときに家庭学習の習慣がなかった子は、そのまま家庭学習の習慣のない中学生になります。
変わりません。
それは、もう。
昔から言われていることですが、中学受験をしない一般の子どもに必要な家庭学習の時間は、
小学1年生で、30分。
2年生で、40分。
3年生で、50分。
4年生以上で、60分。
これが、1つの目安です。
中学生になったら、NHKラジオ「基礎英語」を聴くことも含めて、まずは、1日2時間。
やや少なめな感じがしますが、現実には、毎日毎日これを継続している子どもは少ないです。
実際の子どもの多くは、この習慣がありません。
受験生でなければ、土日は家庭学習もお休みでも構わないと思いますが、それ以外は、毎日毎日、家で勉強する習慣は、小学生のうちにつけておきたいです。
中学生になって急に、本人が自発的に家庭学習をバリバリやり始めるわけがありません。
家庭での生活の中に、勉強する時間というものが存在しなかったのですから、それは、存在しないままでしょう。
子どもが、親と一緒にいるのを好む年齢の間に、家庭で学習する習慣を作り出せるとスムーズです。
子ども部屋は、気を散らせる要素がたくさんありますし、本人が孤独を感じて勉強がつらくなるので、リビングかダイニングで勉強させるほうがいいようです。
家族は、そのとき、近くにいるほうがいいと言われています。
勉強をきっちり見てあげるのもいいですし、そばで家事をしていてもいいです。
低い音でテレビを見ていてもいいとさえ言われています。
そういう生活音は、子どもの心を安定させるそうです。
私も、子どもの頃は、自分の部屋があったのに、ダイニングやリビングで勉強することが結構ありました。
家族もまた、何か目的をもって隣りで勉強しているのなら、最高です。
子どもの頃から、大人が家で勉強しているのが当たり前の光景である家庭の子は、勉強します。
勉強が、子どもだけに課せられた苦役ではなく、生涯の知的な楽しみであることを、子どもに伝えられると最高です。
しかしながら、本人がもう4年生くらいになっていて、家庭学習の習慣は全く身についていない場合、ここで、急にお母さんが、
「今日から、毎日60分勉強しなさいよ。勉強しなかったら、おこづかいなしにするよ!」
と宣言したとしても、実行は難しいと思います。
家庭内がごたごたして、暗くなるだけです。
子どもにそれをうやむやにされてしまったら、次の作戦の実行がさらに難しくなります。
習慣がないのなら、4年生でも、30分からでしょう。
それだって、1年生のときに習慣化させるのとは比較にならないほど困難です。
・・・・・・そういうこともなく、高校受験生になってしまった。
相変わらず、家庭学習の習慣がない。
でも、意欲がないわけではない。
受験だ、勉強しよう。
そうは思っている。
意欲だけが空回りしている。
そういう場合。
いえ、そうではない場合でもなのですが。
まずは、学習計画表を作りましょう。
1週間のタイムスケジュールを、現実のまま、ありのまま書き出してみます。
理想のスケジュールではなく、現実のスケジュールです。
その中で、どこの時間を勉強時間に変えることができるか、考えてみます。
1日のスケジュール表ではなく、1週間単位で作るのがコツです。
曜日によって、部活もあれば習い事もあり、見たいテレビもあります。
そういうことを加味した計画表は、1週間単位が理想です。
そんなに過酷な我慢はしない。
見たいテレビは見る。
休憩の時間もとる。
でも、1日2時間、どこかに、勉強できる時間は作れないだろうか。
意欲だけあっても、実行するための具体的な時間がないと、実行はできないんです。
意欲満々のまま、しかし何もせず、1日は過ぎていきます。
毎日のタイムスケジュールは、誰にもあります。
そのままに生活している限り、これまで勉強しなかった子は、これからも勉強はしません。
去年の中学3年生に、この作業をしてもらったところ、「現実のまま」と言ったのに、やっぱり異様に欲張りなスケジュールを作ってきました。
1日5時間家庭学習をする予定になっていたんです。
学校から帰ったら2時間、夕食を食べてから、さらに3時間。
・・・・・・・無理です。
(-_-;)
そういうのは、学習習慣がきっちり身についていて目的意識の高い高校3年生あたりならあり得るスケジュールなのですが、これまで定期テスト前や宿題のあるときでないと勉強しなかった中学生が、そんなことを実行できるわけがありません。
現実には勉強する習慣がない。
でも、計画を立てると、無限に勉強するような計画にしてしまう。
これは、子どもにありがちなことです。
そして、計画通りにいかないと、もう嫌になって、計画を全部破棄。
毎日1時間の勉強もしなくなります。
そして、「計画なんか意味がない」と言い出します。
子どものやることは、このように極端から極端に走りがちです。
最初の計画はゆるく。
実行できたら、もう少し欲張ってみる。
計画は、そのように立てるほうが実行できます。
グラフ用紙に1週間の計画を書き込み、学習を実行できると、そこの部分を色鉛筆で塗るのもいい方法だと思います。
科目ごとのグラフも用意し、1時間勉強すると、1コマ分、塗ります。
自分の学習が科目によって偏っていないかのチェックにもなります。
近年ひそかに流行っている手書きの「手帳術」って、実はこういうことの進化形ですよね。
だから、手帳を持つのも良い方法かもしれません。
で、ここまで書いて、感じるのですが、
「こんなことよく言われていることだし、よく知っている」
と何だか読んでいてイラッとしている大人の方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、大人にとっては、こんな当たり前のことを、現代の子どもは知らない場合が多いのです。
この情報社会は、情報を得ようとしないと、何の情報も入ってこない社会。
真空地帯にいるように、何の情報も得ていない子は多いです。
そして、知らないから、実行していません。
子どもの場合、計画を立てるだけに2時間使ったり。
計画表をバカみたいにきれいに描くのにさらに3時間使ったり。
あげくに、「時間の無駄だった」と言い出したり。
良い方法を示しても、それを最もダメな形で実行するのが子どもというものかもしれませんが、繰り返し繰り返し助言し、何とか形をつけていきたいものです。
2014年03月17日
川苔山を歩いてきました。2014年3月。
2014年3月16日(日)、奥多摩の川苔山を歩いてきました。
いつものように三鷹発7:58のホリデー快速奥多摩1号に乗車。
春・秋の観光シーズンほどではないものの、少しずつ登山客が戻ってきていて、電車はそこそこの乗客でした。
青梅で、青梅線に乗り換え、鳩ノ巣駅下車。9:32。
駅を出て、すぐ右折。踏切を渡って、標識の通りに坂道を登っていきます。
新しい標識も増えていて、迷うことなく民家の脇のいつもの登山口へ。
「雪崩が多く発生しています。川苔谷に下山しないでください。3月8日」
という表示が道標の下に掛けられていました。
なるほど。
登山口から5分も歩かないうちに雪が出てきました。
斜面の雪がずり落ちてきて、登山道に雪がたまっている様子でした。
雪はもう腐っていて、ざらめ状。
暖かいので凍結もなく、楽しい雪遊びの始まりです。
(*^_^*)
山の神。10:30。
ここでいったん林道に出て、林道を右に下っていくと、1分ほどで、まき道への階段が見えてきます。
ここで間違えて大ダワのほうに行ってしまうと、かなり悪路なので、要注意です。
林道すらまだ雪が残っていて、本当に2月の大雪は、奥多摩でも珍しい大雪だったのを実感します。
登山道に入っても、ほとんど雪道でした。
南向きの斜面は、ときどき土の道が見えていましたが、9 : 1くらいで雪道優勢です。
こんなに麓から雪道なんて、川苔山では初めてです。
でも、とても歩きやすい雪道でした。
雪は、灰色にツルツルに凍結し、土と一体化して凍土となっている状態が私は1番苦手で、凍結していない白い雪は、むしろ歩きやすいです。
これは、今日もアイゼンは不要かなあと、サクサク歩いて行くと、急にうわっと積雪が増えている吹き溜まりが見えてきました。
そこの直前で、アイゼンをつけている若い女の子が1人。
アイゼンは、心のお守りの役割もありますので、不安を感じたら、どんな雪だろうがアイゼンをつけたらいいのですが、何だか不安そうな表情が気になる子でした。
こんなに大雪だとは思わずに来たのかなあ。
でも、それにしてはちゃんとアイゼンを持っているしなあ。
吹き溜まりを抜けると、道はまた明るい斜面に出て、土の道が現れました。
アイゼンをつけていると、こういう土の道が邪魔になります。
付けたり外したりすると時間のロスですし、面倒くさいですし。
アイゼンをつけるタイミングは、難しいです。
だから、結局、できるだけアイゼンなしで歩けるようになりたいと思うようになります。
途中、長靴を履いた男性に道をゆずっていただきました。
雪の多い地方で売っている、靴底の凸凹の深い長靴です。
渋いなあ。いいなあ。
高度が上がると、さすがにもうそこからは土の見えている道はなくなり、広い斜面が現れました。
雪がないときでも、登山道はどこなのか、何となく漠然としているところです。
雪のときはトレースがあるからむしろ安心、と思っていたら、トレースが斜面の途中で薄くなっていき、1人2人の足跡は見えるものの、トレースと呼べるものではなくなりました。
あれ?トレースを見失った?
登り過ぎたかなあ?
トレースが明瞭なところまでいったん戻って、周囲を探しましたが、明瞭な踏み跡はありません。
これは、雪が自然に融けて、トレースが消えているかな?
ふーむ。
知らない山ですと、これは少しやばい状況ですが、川苔山は、春も夏も秋も、年に2度も3度も、好きで歩く山です。
そこは、雪のないときでも、道が漠然として不安になるので、印象に残っている場所でした。
この漠然とした広い登りの途中から、また、巻き道に入るんじゃなかったかなあ。
問題は、そのポイントを見逃さないことだ。
キョロキョロしながらゆっくり登っていって、それでも、恐れていた通り、やっぱり少し登り過ぎたのですが、右手に細い登山道に入っていくポイントが見えて、ほっとしました。
そこからまたゆるい登りが続き、船井戸。12:30。
大ダワ方面からの悪路と合流するところですが、そちらの道には足跡1つありませんでした。
ここからは日当たりの良い尾根道です。
そこまでは樹林帯でしたが、そこからは雪の反射がまぶしく、ザックから取り出して、サングラスをかけました。
しばらく行くとベンチがあり、男性が1人休憩中。
雪に埋もれて、かろうじて座る部分のみ見えていました。
雪の中では、乾いて座れる部分は珍しく、有難い存在です。
その先の分岐のベンチでも、男性が1人休憩中。
はあ、私もそろそろ座りたい。
さて、あとは山頂まで一直線です。
いつもなら浸食のある坂道が、雪に全部埋まって、のっぺりとした雪の斜面になっていました。
下りて来る人は、みんな上機嫌。
「あと少しですよー」
「道標が、雪に埋まってますよ。あんなの初めて見ました」
私もニコニコ挨拶。
雪は、人を高揚させますね。
(*^_^*)
そして山頂。13:10。
上の画像は、山頂で撮影。
なるほど、道標が雪に埋まっていました。
山頂のベンチも、座る部分だけが、かろうじて見えていました。
その1つが空いていたので、ようやく座って昼食。
山頂には私の他に5人。
川苔山は、人気のある山。
その山頂としては、人が少なかったです。
すれ違った人も、朝から今までで、10人に満たない。
さて下山。13:20。
雪がサクサクしているので、下山もアイゼンは不要でした。
固めのサクサクした雪は、一歩一歩がよく決まり、歩きやすく楽しいです。
鼻歌でも歌いたい気分で歩いていくと、船井戸の分岐の手前で、男性2人連れと遭遇。
「どこから来たの?」
と声をかけられました。
「鳩ノ巣駅からです」
「あ、そう。で、その道の様子はどう?」
「ときどき土も見えていますが、基本は雪道です。凍結は、していないです」
「凍結していない。ありがとう」
そう会話して別れ、船井戸の分岐に来て、ふと斜面を見上げると、行きにはなかった足跡が。
思わず振り返り、遠ざかる相手に、
「こっちの道から来たんですかー?」
と斜面を指さしながら叫ぶと、相手も振り返り、
「そうだよー。本仁田山から来たんだよー。時間かかったよー」
「凄いですねー」
両手を振って、感嘆を表明。
来た道を戻って驚いたのは、朝と比べると格段に土の見えている箇所が増えていたこと。
朝は9 : 1で雪が多かったのに、帰り道はもう7: 3くらいになっていました。
日曜日の下界は、18℃の予報が出ていましたが、本当に暖かかったのですね。
奥多摩にも、フルスピードで春が来たようです。
鳩ノ巣駅、16:20。
そんなには汚れませんでしたが、駅前の水道で、ストックの先と靴の周りを軽く流し、駅前のお店で缶ビールを1本買って、電車に乗り込みました。
2014年03月13日
「1万時間の法則」の夢と罠
先日、ある高校2年生と話していて、これはまずいなと思いました。
模試の結果を見て、その子が言ったのです。
「あと2点でC判定だった。今、C判定なら、受かんじゃね?」
「・・・・・・え?」
その子の論理は2段階の飛躍を起こしていました。
あと2点でC判定。
・・・・・それは、D判定のことですよね。
あと2点だろうが、あと1点だろうが、D判定は、D判定です。
それが、もう彼の中では「C判定」にすりかわっていました。
そして、それを正しても、彼は理解しませんでした。
あと2点なんだから、そんなのは、もうC判定でいいだろう。
そういう考えを変える気はないのでした。
もっとまずいのは、「今、C判定なら、受かるだろう」という謎の飛躍。
どこから湧いてきたんだろう、この飛躍は。
彼の理屈はこうでした。
今、自分は何の努力もしていない。
それで模試を受けて、C判定(正確にはD判定)だった。
だったら、努力したら、すぐにB判定にもA判定にもなるだろう。
だから、今、C判定なら、受かんじゃね?
努力したことのない子ほど、こういう論理に陥りがちです。
去年の春、私は、「英単語教室」を開講しました。
覚えてくださっている方もいらっしゃるかもしれませんが、どのような内容だったのか、当時のブログをここにコピペしておきます。
「・・・・・・・英語に話をしぼると、そういう子は、まず、単語力が中学レベルで止まっています。
高1の新出単語が、高2になっても高3になっても、身についていません。
高校生になると、新出単語の量は、中学時代とは比較にならないほど増えます。
抽象的で、長い単語が多くなります。
似ている音の単語も多いです。
定期テストのときだけは、何とか覚えますが、終わったらすぐ忘れてしまいます。
何も身につかないまま、高2、高3と進級していきます。
それでも定期テストはそこそこの点数を取っています。
しかし、全国模試を受けてみると、偏差値は良くて40台。
初見の長文が読めないのですから、当然そうなります。
大学を一般受験することは、その英語力では難しい。
しかし、指定校推薦を受けられるほどの内申はない。
結局、自己推薦かAO入試しか受けられない。
そんな子を多く見てきました。
起死回生の方法が、ないわけではないんです。
ただ、「ぬるい」勉強をしてきた子にとっては、大きな負荷がかかる勉強方法です。
こうすれば、必ず英語力は上がるよ。
そう説得し、何とか始めるのですが、多くは挫折します。
この10年ほど、個別指導で試みてきて、挫折率、約7割。
しかし、成功すれば、英語力が跳ね上がります。
学校の英語の教科書の予習も、一読でざっと意味がとれるようになります。
その長文にしか出てこないような特殊な単語というのは、どんな場合もありますが、予習を1ページするのに、辞書を引くのは、1~2回で済むようになります。
単語を覚えると同時に、英文の構造把握をする訓練を重ねていく学習方法ですので、英文の構造がわからず自力で訳せない、ということがほとんどなくなります。
英語の予習の時間的負担が減りますので、他の教科に時間を割くことができます。
初見の長文も、そんなに負担なく読んでいくことができるようになります。
模試の偏差値が上がります。
本人の地力にもよりますが、50台後半くらいはすぐに届きます。
センター試験レベルの長文は、楽に読んでいけるようになります。
そうなると、本人の英語学習に弾みがつき、英語の勉強が楽しくなりますから、あとは、どんどん伸びていきます。
良いことばかりのようなのに、なぜ、そのように挫折率が高いのか。
でも、英語学習って、社会人の方も含めて、大体そうですよね。
ダイエットと同じです。
(^_^;)
本当に英語力の伸びる学習に必要な要素は。
良い教材で
良い学習方法で
継続して学習すること。
多くの場合、このうちの「良い教材で」にばかり目がいき、何か良い教材はないか、自分はその教材を知らず損をしているのではないかと思う子が多いです。
しかし、むしろ、そんなに悪い教材を探すほうが難しいくらいで、世の中には、良い教材は溢れています。
例えば、次々と新しい英単語教材が出てくる中で、10年に一度くらいのペースで、『でる単』の評判が復活します。
新しい単語集と、何十年も前に作られた『でる単』と。
収録されている単語も、覚えやすさも、結局、あまり変わらない。
そういう意味で、見直されるんです。
問題は、教材の良し悪しではないんです。
私は、『でる単』は使いませんが、あれは良い教材の1つだと思います。
良い学習方法で。
これは、非常に重要です。
ところが、その「良い学習方法」を伝授しても、それが、苦しい学習方法ですと、本人にとっては、「良い学習方法」に思えないようです。
何か、もっと楽で、聴き流しているだけ、あるいは、テキストを眺めているだけで、びっくりするくらいに英語が身につく学習方法が世の中にはあるんじゃないか。
そういう幻想を抱いている子は、苦しい学習方法や面倒くさい学習方法を「良い学習方法」とは思いません。
私の推奨する学習方法は、CDを使うことが欠かせません。
音声教材は、英語学習に不可欠です。
しかし、どれだけ強く命じても、CDを聴かない子は多いです。
どうしてCDを聴かないのか。
「いや、何となく必要じゃない気がするから」
・・・・・・何でそんなことを、やる前に判断するの?
「うちには、CDプレイヤーがないから」
iポッドに落とせば、いいよね?
あるいは、プレイヤーを買えばいいよね?
1万円以下で買えますよ?
それで、英語力がつくなら、安いよね?
「つまらないから」
・・・・・・最初から楽しさだけを追求するのは、やめましょう。
わかれば、楽しくなりますから。
「時間の無駄な気がする」
・・・・・・CDによる英語学習が時間の無駄?
これが効果的だと言っているのに、結局、信じてないですよね?
こと細かに効果的な学習方法を指示しても、なぜか勝手にアレンジする子がいます。
しかも、効果がなかった自分のそれまでの学習方法寄りのアレンジをするので、効果は激減します。
他人の言う通りにするのではなく、自分流にアレンジするのが正しい。
そういう感覚なのかもしれません。
でも、本人は、それでも、私の助言は十分に聞き入れてやったつもりらしいんです。
「言われた通りにやったのに、効果がなかった」と言います。
・・・・・・言われた通りには、やっていないですよね?
効果的な学習方法を、似て非なる形骸化したものにしたのは、あなたですよね?
でも、それを言っても、意味はありません。
つらいといっても、成功率3割が示すように、不可能なほどつらいわけではないんです。
具体的には、とにかく最初の5週間は、1日に1時間、その学習に集中することが必要です。
最初の5週間を乗り越えれば、その後の負担はかなり軽くなります。
でも、多くの場合、その5週間を乗り越えられません。
その単語学習は、学校の勉強の邪魔にならないように、3月後半から始めるのが通例です。
4月中で最初の5週間が終了します。
学校の勉強は、一番楽な時期です。
大きなテストもありません。
だから、この時期をあえて選んでいるのに、それでも、学校の勉強を理由に、単語学習をさぼる子がいます。
毎日毎日1時間、英単語の勉強に時間を割くことが、無駄なことに思えてくるらしいんです。
自分は、もっと他にやるべきことがある。
こんなことをやっている場合ではない。
そう思えてくるようです。
それは、明らかに逃避なんですが、すっかりその考えに凝り固まってしまった子は、もう説得不可能です。
「単語の勉強は、学校の単語集でやっていくことにします」
勝手に結論づけてしまいます。
・・・・・・・・いや、だから、学校の単語集で、小テストに合わせた、ちまちました勉強をしてきた結果が、今だよね?
両方やったほうが、効果的だという話は、したよね?
そういう心理になることは、初めから予想されるから、自分で、その心理を自覚し、そういう気持ちになったら、ああ逃避だなと自覚して、ばっさり断ち切れと言ったよね?
そう説得しても、もう自分の考えに凝り固まって、聞く耳をもってくれません。
結局、何も身につかないまま、挫折していきます。
良い教材は、世の中にたくさんあります。
良い学習方法も、私の示すものだけではなく、たくさんあると思います。
ただ、継続して学習していくことができない。
諦めて、やめてしまいます。
英語が身につかない原因は、結局、英語学習が続かないことにあります。
単語を覚える才能に恵まれている人は、確かにいます。
1~2度、ちょろちよろっと単語集を見ただけで、覚えてしまえる記憶力の持ち主は、います。
そういう人たちに比べると、1つの単語を覚えるのでも、多くの努力が必要な場合はあります。
でも、覚えることができないはずはないんです。
覚えるのが苦手なら、他人の2倍、3倍、努力すればいいんです。
続けていけば、今よりは先に進めます。」
ここまでが、去年の3月のブログからコピーした内容です。
これ、相当に悲観的な内容で、私が言いたかったのは「良い英語学習法はありますが、挫折しますよ」ということでした。
そうであるにもかかわらず、塾生の保護者の方から、多くの問合せをいただきました。
努力すれば済むもんなら大丈夫だろう。
うちの子も、英語が得意の子に、生まれ変わるだろう。
そういう夢をみさせてしまう要素が、私の文章のどこかにあったのだろうと思います。
マルコム・グラッドウェル『天才!成功する人々の法則』という本、またはその内容である「1万時間の法則」について聞いたことのある方は多いと思います。
ある分野で一流、または天才と呼ばれる人は、センスや才能とは関係なく、凡人をはるかにしのぐ練習をしている。
彼らに共通しているのは、1つのことに打ち込んできた時間。
そこで浮上してくるのが、1万時間という数字。
まるで脳がその時間を必要としているかのように、1万時間を超えると、人は、一流に変貌する。
この話を聞いたとき、私は、以前に見たテレビのトーク番組のことを思い出しました。
日曜日の早朝、山に行く支度をしながら、時計代わりにつけていたテレビで、各分野で才能があると言われているらしい人たち3人が話していました。
漠然としているのは、私が、その3人のことをあまりよく知らないからです。
3人とも、30代から40代くらい。
1人は小説家らしく、あとの2人も、何かのクリエイターだと思うのですが、何だかよくわからなかったです。
(^_^;)
「誰じゃ、こいつらは?」
と心の中でつぶやきながら、何となく見ていたテレビでした。
その中の1人、小説家が、言いました。
「だって、10年毎日書けば、誰でも小説は書けるようになるから」
それに対して、他の2人も、
「あー、そうだよね。何でも10年毎日やれば、プロになれるよね」
・・・・・・・日曜日の早朝の番組って、凄いな。
自分の中の違和感に名前をつけられず、そんな感想でごまかして、とりあえず、山に行きました。
「1万時間の法則」。
1日3時間練習して、1年で約1000時間。
それを10年続ければ、1万時間。
「何でも10年毎日やればプロになれる」発言と、それは根の同じものであるように思います。
そして、私は、それを否定する気持ちはないのです。
それは、そうだろうなあ。
1万時間もやれば、あるいは10年毎日やれば、形はつくだろうなあ。
できる人とできない人との違いは、やるかやらないかだけだよ、うん。
では、私は、何に違和感を抱いているのだろう。
どうしてそういうことを、
「今、C判定なんだから、受かんじゃね?」
という発言を聞くと、思い出してしまうんだろう。
そして、なぜ、暗い気持ちになるのだろう。
それは、結局、英単語教室の挫折率7割が示すように、努力するだけのことができない子どもをたくさん見てきたせいなのかもしれません。
ただ努力するだけ。
でも、それが最も難しいこと。
ただ継続するだけ。
でも、それが最も難しいこと。
ただ努力するだけのこと。
でも、それこそが、才能なのかもしれません。
努力することができるという才能を持って生まれてきた。
それが、天からもらった万能の贈り物。
何かを成し遂げることのできる人は、努力する才能を持っている人なのかもしれません。
最初に書いた高校2年生は、学校の英語の先生に励まされたようです。
励まされた、その言葉の中の、自分に都合の良い部分をつぎはぎしたのかもしれません。
「だって、オレは、英語なんか、もう伸びしろしかないんだからさ」
「・・・・・・」
彼は、去年の英単語教室に参加し、挫折した生徒です。
挫折は珍しいことではありません。
7割は挫折するのです。
でも、そのことに、なぜ挫折感を抱いていないのだろう。
自分は努力できないかもしれないと、なぜ恐れないのだろう。
私は、言うべき言葉を失っています。
2014年03月10日
雲取山を歩いてきました。2014年3月。
2014年3月9日(日)10日(月)は、連休でした。
月曜日の授業がたまたま振替でなくなったのです。
といっても、先月の大雪の影響はまだ大きく、山はそう簡単に入れないところが多いです。
せっかくの連休だが、どうしたものか。
山の情報をチェックしても、例えば雲取山は、小屋の関係者が三峰からの入山を試みるも胸までの雪に阻まれたとか、奥多摩湖周辺はバスがまだ通っていないとか、トレースが全くないので、入山は困難を極めると予想される情報ばかりでした。
ところが、3月5日(水)、ようやく奥多摩~丹波のバス便が復旧したとの知らせ。
そして、3月7日(金)、警察関係者30人ほどが訓練のために山に入り、鴨沢から雲取山頂へのトレースがついたとの知らせが。
ヽ(^。^)ノ
そんなわけで、雲取山を歩いてきました。
3月9日(日)、いつものようにホリデー快速1号で奥多摩駅へ。
駅前から9:30発「丹波行き」のバスに乗りました。
電車もバスもがらがらに空いていました。
鴨沢で下りたのは、私ともう1人の男性のみ。
10:10、登山口へ向かって、坂道を登っていきました。
ジグザグに坂を上がっていき、舗装が途切れると、やがて雪が出てきました。
麓の雪は昼間は融けて、夜は凍結してを繰り返しているので、一番苦手です。
しかし、こんなところでアイゼンをつけてどうする。
慎重に。慎重に。
いったん林道に出て、100mほど歩くと、今度は本当の登山口です。
登山口から雪でした。10:40。
南側の斜面ではところどころ土の見えているところもあるのですが、基本はずっと雪道でした。
固い雪でしたが、アイゼンをつけた人が表面を削ってくれるので、雪の表面はきな粉をまぶしたような印象です。
何とかアイゼンなしで歩けました。
雲取山は、土曜日に登って日曜日に下りてくる人が多いはずなのですが、すれ違う人は、予想ほど多くありませんでした。
全部で30人はいなかったように思います。
バス便が通ったのも、トレースがついたのも、週末ギリギリだったので、知らなかった人、動けなかった人が多かったのでしょうか。
堂所。12:40。
そこからしばらく行くと、七ツ石小屋への分岐。
いつものように七ツ石山は巻いて、直接ブナ坂のほうに行くつもりでしたが、看板が立っていました。
「登山道崩落につき、七ツ石小屋へ迂回してください」
崩落したというまき道のほうを見ると、トレースはあるようなのですが、細く薄い。
ここは言う通りに、七ツ石小屋へ。
七ツ石小屋。13:40。
七ツ石山には、まだ登ったことがありませんでした。
石尾根縦走路の広い尾根道の途中にある山です。
いつか、ツツジの季節に、雲取山から石尾根をずっと奥多摩駅までのんびり歩きたいものだ。
しかしツツジの季節に休みをとることなどできるはずもなく、七ツ石山には登る機会がないままでした。
こんなことでもないと、永久に登らないかも。
広いトレースは、七ツ石山へとまっすぐ続いていました。
七ツ石山。14:20。
広い山頂でした。
青空の下に白い雪と自分1人。
防火帯が山頂を通っていく印象で、木がありません。
雪のない季節、この山は草地なのかな。
鷹ノ巣山のように小石がザラザラしているのかな。
山頂は快適でしたが、下りが急で、少し後悔。
こんな寄り道している場合じゃなかった。日が暮れるぞー。
(^_^;)
奥多摩小屋。15:20。
雲取山は、奥多摩小屋を越えてから、急登が3回あります。
雪の少ない年ならば、夏道の通りにトレースがついていますので、道はS字にカーブして、ゆるやかに登っていきますが、雪の多い年のトレースは、もちろん直登です。
小雲取山の急登を越えて、やっと雲取山避難小屋が見えてきました。
雲取山頂。16:20。
何だか、いつもよりも山頂が高いです。
雪がこんもり積もって、凄いことになっていました。
方位版も雪に埋まって、どこにあるのかわかりません。
さて、雲取山荘へ。
今度は、樹林帯の急な下りです。
深い雪の中、まだかなあ、まだ見えてこないなあと心配になった頃、半分雪に埋もれた雲取山荘が見えてきました。16:45。
はあ、ずいぶん遅くなりました。
登山口からとても遠い小屋なので、こんな時間に入っても、怒られるということはないのが有難いです。
「8時半のバスで来たの?あ、9時半?なら早いんじゃない」
と言ってもらえました。
昔は、4時前に着いたんだけどなあ。
(*^_^*)
雲取山荘は、過去3回、2月の建国記念日の連休に泊まりました。
年々若い登山客が増えて、ワイワイにぎやかな小屋になっていましたが、今回は、宿泊客は私も含めてたった5人でした。
でも、階段の踊り場に、携帯の電波がよく通じるポイントの表示があったり、トイレには手を洗う水道が出ない代わりに個包装のウエットティッシュが置いてあったり、やっぱり、若い子が増えると、山小屋のサービスは変わるんだなあと感心。
夕食のメニューは安定しています。
いつ来ても同じ。
( ̄ー ̄)
ハンバーグとキャベツがメインディッシュ。
山菜の小鉢。
レタスとポテトサラダとオムレツ的な何か。
冷奴。
熱々の味噌汁。
おいしく食べて、部屋は個室で、コタツが暖かい。
のんびり過ごしました。
3月10日(月)。朝食は5時。
鴨沢発、奥多摩駅行きのバスは、10:27の次は、13:53。
土日祝日は午前中の便がもっとあるので、こういう点は、平日は不便です。
去年は、小屋を6:15に出て、鴨沢に10:20に着きましたが、それは、雪が少なかった年のタイム。
今年の雪の多さでは、10:27のバスには間にあわないでしょう。
のんびり支度して、それでもやっぱり6:10出発。
時間は気にせず、ゆっくり行こう。
山頂まで、昨日の急な下り坂を今度は登りました。
朝からいきなりの急登はわかっていたのですが、数分前に小屋を出た人の足跡すらかき消えている強い風に震えあがりました。
去年も、山頂までは風が強くて、あとは無風状態だったことを思い出し、今だけの我慢我慢と思いましたが、右手の指も右頬もすぐに感覚がなくなっていきました。
風は怖いです。
予想通り、山頂は平和なものでした。
上の写真が、朝、山頂で撮ったものです。
山頂直下の下り、さらに小雲取山の激下りを越えて、ブナ坂の分岐へ。
七ツ石山を越えるか、昨日は避けたまき道を行くか。
まき道は、今朝も歩いた人がいるのが足跡ではっきりわかります。
登山道崩落とは言うけれど、雪がついているので、そんなに影響していないのかな。
前の晩の夕食で同じテーブルになった人にも、確認してありました。
その人は、まき道を来たのでした。
登山道崩落の情報を、その人は登る前から得ていて、下りてくる人に尋ねたのだそうです。
「崩落なんて、気がつかなかったわよ」
と下りて来た人が言うので、安心してまき道を行ったとか。
そんなわけで、私も、まき道を。
でも、看板には、確かに「迂回してください」と書いてあるのですから、これは、自己責任です。
まき道は、トレースはありましたが、例年より細かったです。
雪がうず高く積もって、高度感、露出感のあるところも多かったです。
慎重に一歩ずつ進みました。
道が湾曲している箇所で、雪崩が起きたのか周囲が荒れた印象のところがあり、ここが登山道が崩落した所かなあと思いましたが、よくわかりませんでした。
あとは、昨日と同じ道をひたすら下ります。
登山口。11:55。
鴨沢バス停。12:25。
バス停の隣りにトイレがあり、トイレの表にはホースのついた水道があります。
泥のついた靴などを洗えて便利です。
荷物の整理をして、ペッタンコに潰れたパンを食べていると、小雪が舞い始めました。
寒波が入ってきて、今日は寒い1日でしたね。
結局、動いていない分、雪山よりもバス停が一番寒い。
冷え切った頃に、13:53のバスが定刻に来てくれて、安堵しました。
2014年03月06日
中学生は「断捨離」禁止です。
3月となりました。
学年末テストの結果も出始めていますが、その結果は、また後日報告するとして、今回は、気が早いようですが、その次の新年度の1学期中間テストの話を。
近年、東京の公立中学では、定期テストの日程はどんどん前倒しになる傾向があります。
1学期は6下旬の期末テストだけ、という学校もありますが、1学期に中間テストも行う学校ですと、GWの翌週にはもう中間テストという学校も少なくありません。
新年度のあれこれで授業なんて正味2週間分もなかったですよね?というタイミングでの中間テスト。
そのテスト範囲はどうなるのかというと、ざっくりと「前年度までの復習」という場合もありますが、もっと厳密に、前年度の学年末テストの後に学習したことがテスト範囲になることも多いです。
明確に範囲として指定されます。
たとえば、新中2ならば、中1の教科書の「何ページから何ページまで」とテスト範囲一覧表に明示されます。
去年も、そういうことがありました。
そして、恐ろしいことに、その新中2の生徒は、春休みに中1の教科書やワーク・問題集などを全て捨てていました。
テスト勉強したくても、そのための教科書もワークも捨ててしまっていたのです。
数学ならば、範囲さえわかれば、何とかなりますが、国語や英語の教科書やワークを捨てると、もう本文がわかりません。
(@_@;)
これは、その子に限らす、毎年そこらじゅうで起こる悲劇です。
お母様が春休みにうっかり声かけをしてしまい、その悲劇の引き金をひいていることもありますので、どうかご注意ください。
「春休みなんだから、部屋を片付けなさい」
と、お母様が注意します。
普段なら、「部屋を掃除しなさい」とどれだけ怒っても聞き流す中学生が、なぜかそのときは、言うことを聞いて掃除します。
春休みは、何かそういう気分になりやすいのでしょう。
新学年のスタート。
部屋を片付けよう。
その気持ちは、わからなくもありません。
「片付けることは捨てること」という近年の流行も少しは影響しているのでしょうか。
教科書もワークもノートも、終わった学年のものは全部捨てましょう。
ああ、せいせいした。
そうなってしまいます。
そのようにして、1学期中間テスト範囲の国語や英語の教科書・ワークを失い、新学年の第一歩からつまずいてしまいます。
学校の先生が一言注意しているはずなんですが、聞いていないか、聞いても忘れてしまっているんでしょう。
国語や英語の教科書だけではありません。
社会科は、中3になっても、まだ、「歴史」の学習は続く学校が大半です。
場合によっては「地理」の学習さえまだ残っている学校もあります。
なのに、何も考えずに歴史や地理の教科書を捨ててしまう子がいます。
頭の中でそういうことが結びついていないのでしょう。
捨てるときに、これを捨てるとどうなるのか、何も考えていない。
何もかも捨てたくなってしまう。
気分が全てを支配する。
大人の「断・捨・離」とは、この辺が違います。
「歴史」の教科書を捨ててしまった場合。
これは1学期の中間テストだけでは終わらず、2学期までひきずることが多いので、困ります。
保護者が学校に電話して、いろいろと手配しなければなりません。
子どもに任せても、多分どうにもなりません。
捨ててしまったことを先生に報告すると、怒られます。
これが高いハードルとなり、大半の子は、跳びこせません。
「先生に言ったの?」とお母様から訊かれる。
「言った」と嘘をつく。
「いくらだったの?」
「無料だった」と嘘をつく。
そのうち言うからと、自分をごまかすばかりです。
あるいは、教科書を捨てて困っていることさえ、親に話さない子どもも多いと思います。
怒られますからね。
(^_^;)
結局、違うクラスの友達から毎時間教科書を借りて済ませます。
しかし、それでは、テスト前に手元に教科書はありません。
なんだかもう、準備段階ではるか後方からスタートです。
テスト前に教科書なんか使わないとは言うのですが、やっぱり、そういう訳のわからないモヤモヤのある教科の成績は伸びないです。
(-_-;)
そもそも。
高校入試が終わるまでは、中学の教科書や参考書・問題集は、捨てないでおきましょう。
受験勉強でわからないことが出てきたときに、教科書は、フルカラーだし情報が豊富で、やっぱり便利です。
社会や理科は、教科書を捨ててしまうと、3年分のフルカラーの参考書を買い直さなくてはならなくなることが多いです。
基本がわからなくなったとき、受験用にコンパクトにまとめてあるテキストでは、よくわからない場合が多いのです。
掃除のときは、保護者の方が、捨てるものと捨てないものとを判断してあげてください。
捨てる物として子どもが出した束をチェックしてください。
この先も使う教科書が、「捨てる物」の段ボールの中に入っているかもしれません。
小学校時代は、入試もなかったので、1年ごとに学用品を全部捨てるのが当たり前になっている子は多いです。
その習慣が残っていて、失敗してしまう中学生がいます。
周囲の大人が気をつけてあげてください。
2014年03月01日
合格おめでとうございます。ヽ(^。^)ノ
昨日、都立高校の合格発表がありました。
今年度、セギ英数教室の受験生は、中学三年生が2人。
2人とも、都立高校に合格しました。
やったー。
良かったー。
大丈夫とは思いつつも、1人は、冬期講習後、失速していく様子だったので、正直怖かったです。
受験生には明らかに2タイプあります。
1つは、受験に向け、加速していくタイプ。
もう1つは、受験が近づくと、むしろ失速していくタイプ。
失速していく子は、何も受験をなめているわけではありません。
本人なりに、受験のことをとても気にしています。
でも、失速していくんです。
心配で心配で、かえって勉強が手につかなくなっていくのでしょう。
受験に向けて加速できる子なんて、ほんのひと握り。
ただがむしゃらなだけでは、加速できません。
冷静に自分をコントロールできる子だけが、加速していきます。
15歳で自分の今やるべきことが見え、それを冷静に淡々とやり遂げることのできる子なんて、そんなにはいないのです。
大半は、失速タイプです。
それで当然だと思います。
ところが、多くの子どもは、ギリギリにならないと動かないという面も持っています。
夏休みの宿題なども、ギリギリにならないと取りかかれない。
ああいうものは、ギリギリ間にあうと、脳内に快感物質が出るんだそうですね。
徹夜で間に合わせた経験が、わくわくするとても楽しかった経験にすり替わる。
本人の中で、成功体験として残って、同じことを繰り返すのだそうです。
そういう記憶があるので、本人は自分のことを加速タイプと誤解していることがあります。
とはいっても、高校受験は、さすがに、前日や前々日の勝負ではありませんので、もう少し長期的なスタンスで、冬期講習が終わったくらいから自分はエンジンがかかると本人は思い込んでいることがあるんです。
この誤解で過去一番恐ろしかった例。
東京の高校入試の場合、まず、1月に都立の推薦入試があります。
受ける高校のランクを下げない限りどうせ合格しないのだから、そんなものに時間を割くべきではないと、私は毎年言っています。
しかし、その子は、私の話を理解してくれませんでした。
「なんでそんなに落ちる落ちる言うんですか!」
と怒り出しました。
「推薦入試は落ちるよ。一般入試なら合格できる高校でも、推薦入試は、落ちる」
「でも、僕は、推薦入試も、自分なりにベストを尽くしたいと思うんです」
「・・・・・・はあ?」
ああ、理屈が通じない。(-_-;)
しかし、それも、受験生の1つの特徴です。
何かおかしなモードにカチっとはまってしまって、もう他人の助言など聞かなくなります。
それだけ、受験間際というのは、普通とは違う精神状態になりがちなのでしょう。
1月中は、結局、推薦入試とその発表待ちで、気もそぞろ。
本人は、あわよくば合格と思っているので、一応勉強していても、集中力が足りません。
そして、当然、推薦入試は不合格でした。
さあ、いよいよ、都立入試に向けて本腰をいれてくれるかと思いましたら、今度は、私立の併願推薦の対策をしてほしいと言い出しました。
併願推薦の対策?
併願推薦って、すべり止めです。
一応、私立の受験日に入試を受けますが、当日、金髪にピアスをしていったとか、監督の先生に暴言を吐いたとか、どう見ても真面目に解いたとは思えない答案であるとか、そういう訳のわからないことをしでかさない限り、受かります。
細かいことを言うと併願推薦も色々あるのですが、進路指導で併願推薦はそこを受けると確定したら、基本、大丈夫です。
ところが、都立推薦を落ちたことで、すっかり不安になったのか、大丈夫だと言っても、その子は耳を貸してくれませんでした。
「とにかく私立が終わるまで、私立のことしか考えたくない」
と言うのです。
都立対策の宿題を出しても、まともにやってきません。
理科・社会が苦手なのに、私立入試にないその2科目は、あとまわしです。
そうして、私立の合格発表を見て、ようやく都立入試に向きあうことになりました。
その時点で、入試まで、もう1週間しかありませんでした。
定期テストの1週間前とは話が違います。
冬期講習で詰め込んだ理科・社会の知識の大半は、既に抜け落ちていました。
繰り返します。
高校入試は、最後は失速する子のほうが多いのです。
ラストスパートに期待はできません。
最初にスパートをかけましょう。
1日も早く、受験勉強を始めてください。