たまりば

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2019年04月29日

川苔山を歩きました。2019年4月。


2019年4月28日(日)、久しぶりに川苔山を歩きました。
アラームをかけた時間よりも早く目が覚めたので、そのまま早めに出発し、ホリデー快速おくたま1号よりも1本早く、8:13に奥多摩駅に到着しました。
おかげで、いつもは長すぎる行列に諦める奥多摩駅のトイレに入ることができました。
バスは、臨時増発便「川乗橋」行きに座っていくことができました。
ホリデー快速が到着し、駅前が人でごった返し、バスを待つ人の行列が蛇行して道路にはみ出す中、バスは何とか出発。

「川乗橋」到着。8:45。
バス停の前に林道入口があります。
支度をして歩きだしました。

まずは川苔谷に沿った舗装された林道歩きが長く続きます。
山桜がまだ咲き残り、新緑が光り輝き、林道歩きの退屈さをあまり感じることなく、細倉橋。9:30。
ここから登山道です。
沢を高まく登山道は、道幅はそこそこあり、小さな滝や、沢にかかる木橋が見える良いポイントがあるのですが、登山者の行列が延々と続き、立ち止まって写真を撮るのはちょっと難しい状況でした。
しかも、行列は渋滞ではなく、流れが速いのです。
あまり傾斜がないので歩きやすいからでしょうか。
朝、駅へと急ぐ勤め人のようなスピードです。
流れを止めるわけにもいかず、ひたすらたったか歩きました。

昔の記憶よりも木橋や桟道が少なくなった気がします。
5年前の大雪で登山道が崩れ、橋も落ちたと聞きました。
それ以降、このコースは歩いていません。
その後、登山道が付け替えられたのかもしれません。
登山道はいったん沢と合流。
河原で休憩している人が多く見られました。
この場所に、見覚えがあるような、ないような。
大雪の前にも橋が落ちている箇所が1つあったのですが、ここは、そこかな?
今は木橋がかかっています。

だんだん登山道は詰まり気味になり、滝が近いのを感じます。
滝は、山頂を目指す登山道からは少し外れます。
上りの人と下りの人と順番に譲り合って、ロープを頼りに急な階段を下りると、百尋ノ滝。10:15。
落差20メートルのこの滝は、しぶきがかかるほど真下まで行くことができました。
上からストンと落ちてくる滝を滝壺から見上げることができます。
マイナスイオンをたっぷり浴びて休憩しました。

滝から、先ほどの急な木段を登り返すと、ここからは登山道の様子が大きく変わり、岩がちな急登が始まりました。
すると、今度は行列のスピードが遅い。
急登だから遅くなるというよりも、バテている人が多いような気がします。
朝から急ぎ過ぎて、力尽きてしまったのかもしれません。

急登は20分ほどで終わり、また尾根を巻く平らな道が始まりました。
この辺りで人がばらけてきて、前後に人のいない時間もあるようになりました。
崖っぷち道とはいえ道幅はあるので、楽しく歩いていくと、また少し急登。
それを繰り返し、やがて少し下りになると火打石谷。11:00。
夏に歩くと枯れているときもある細い沢で、休憩適地です。
凍らせてきたゼリー飲料がほどよく融けていました。
頬に当てるとヒンヤリと気持ちいい。
よく晴れていますが、立ち止まると涼しい風を感じます。

まだ、まるで別の山のように見えている川苔山へと、ここから登っていきます。
ほどなく分岐。
道しるべはどちらも川苔山を示しています。
右の足毛岩の肩を経由する道は、少し遠回り。
左の道を選びました。
古い苔蒸した石垣がところどころに残っています。
去年の今頃歩いた水根沢林道の石垣と同じ造りだなあと思いながら、谷筋を歩いていきました。
道幅も広く、安定した楽しい道が続きます。
やがて、再び急登が始まりました。
いよいよ川苔山の尾根へと登っていきます。

登り詰めると、茶屋跡。
他の尾根道との合流点です。
今は、ベンチがあるのみで、跡地の気配も残っていません。
ここから、山頂への最後の登りを頑張って、川苔山山頂。12:05。
雲取山その他とお揃いの、慰霊碑のような山頂標識が立っていました。

前日の雨で空は澄んで、樹間からは南アルプスもくっきりと見えました。
富士山も、はっきり。
今年の富士山は、まだ雪が多いですね。

レジャーシートを敷いて、お昼ご飯はカレーヌードル。
何とか喉を通りましたが、やはり多少持て余し、食べ終わるのに時間がかかりました。
私も少しバテたかなあ。

さて、下りは、鳩ノ巣駅へと降りていく道を選びました。
茶屋跡まで戻り、まずは急な下りがしばらく続きます。
さらに、細いトラバース道。
また急な下り。
歩きにくいのはそこまでで、あとは穏やかな道が続くコースです。
でも、以前と比べて石がゴロゴロしていました。
大雪や台風の影響なのかもしれません。
幅広の尾根の下りの箇所も、石がやたらとゴロゴロ。
段差の多少あるところを過ぎると石はなくなり、長いけれど歩きやすい道が延々と続きました。
左下に舗装された林道が見えてきて、階段を降りると、大根ノ山ノ神。14:15。
木陰のベンチで休憩。

そこから、また石がゴロゴロしている道を下っていきます。
右手にフェンスが見えてきて、分岐。
どちらからでも鳩ノ巣駅に着きますが、直進コースは少し遠回りです。
左に曲がり、歩きやすい緩い下り道をたったか行くと、登山口。
ここから舗装道路です。
少し下ると右手にトイレもあります。
舗装道路をどんどん下り、踏切を渡ってすぐ左に曲がると鳩ノ巣駅。14:50。
次の上り電車は15:13。
ホームのベンチで、身支度をし山を眺めているうちに、電車が入ってきました。

  


  • Posted by セギ at 14:36Comments(0)

    2019年04月26日

    割合を理解できない子どもたちと「く・も・わ」の図。


    『%がわからない大学生』といったタイトルの本が出版されたようで、そのプロモーションのネット記事を今読んだところです。
    その本そのものは読んでいないのですが、その記事を読んだ限りでは、ちょっと読む気が起こりません。
    もしかしたら、本は、ネット記事とは異なり、良い内容なのかもしれませんが、プロモーション記事には、新しい内容が何にもない・・・。

    %がわからない大学生がいるのは事実だと思います。
    例えば「2億は50億の何%か」といった問題に正答できない大学生。
    それは存在すると思います。
    それは、もうずっと前から言われていることです。
    大学の歯学科や獣医学科など、理系の学生なのに分数のたし算ができない子のいる大学もあると聞きます。
    そういう大学では、算数や中学数学の復習を1年次に履修させているそうです。
    そういう話は、ゆとり教育を受けた子たちが大学生になった頃からずっと言われ続けていることです。
    それほど学力基準が高いわけではない大学に、しかもAO入試や推薦入試で合格した子の中には、そういう子もいるでしょう。

    その記事の中で現代と比較されていたのが、1980年代のデータでした。
    ゆとり教育の始まる前、詰め込み教育の時代は、こういう問題には正答できる子どもが多かったのです。
    ゆとり教育以降、「割合」の問題を解けない子どもが激増している。
    それは、わかります。

    小学校5年で学習する「割合」という単元を理解できる小学生は、全体の50%に満たないだろうというのが私の実感です。
    問題は、その分析です。
    なぜその子たちは、「割合」を理解できないのでしょうか?

    そのネット記事で不愉快だったのは、「誤答している子ほど、答案の隅に『く・も・わ』の図を描いている」という一種の揶揄でした。
    まるで、深い理解を阻む犯人が「く・も・わ」の図であるような書きぶりでした。
    それは違うと思います。
    その書き手こそ、「割合」という単元について理解していないから、そういうことを平気で書くのではないか?
    小学生が初めて「割合」を学ぶとき、どのような反応であるかを知らないからではないか?
    そう感じるのです。

    その記事を書いた人は、おそらく「く・も・わ」の図を使わずに割合の問題を解けるのでしょう。
    では、そもそも、「割合」は、なぜ「比べられる量÷もとにする量」で求めるのか?
    その問いに、その人は答えられるのでしょうか?
    また、「もとにする量」は、「比べられる量÷割合」で求められるのはなぜなのか?
    そして、「比べられる量」は、「もとにする量×割合」で求められるのはなぜか?
    この式に子どもが感じる違和感を想像できない人に、子どもがなぜ「割合」を理解できないのかを語ってほしくない。
    原因は、正答の求め方だけを安易に教える数学教育にあるとする。
    しかし、表面の正答率だけ見ているのはあなたのほうではないのか?
    そう思うのです。

    「く・も・わ」の図を使わない人も、公式を「そういうものだ」と思い込み、暗記して使っているだけではないでしょうか。
    何十年もそういうものだと思って使ってきたので、それが自明の理のように思えるだけで、理由の説明はできないのではないでしょうか。

    「く・も・わ」の図を使った子が記事の中で揶揄されているのは、正答できなかったからです。
    正答できればそれでいい。
    記事を書いている本人の中にも、その意識が濃く漂っているのを感じます。

    私自身は、割合の問題を解く際に「く・も・わ」の図は使いません。
    子どもの頃も、使っていませんでした。
    大学生になって、塾講師のアルバイトを始めたとき、バイト仲間が「く・も・わ」の図を使って子どもたちに教えているのを見て、へえ便利な教え方があるものだと思い、私も教えるときには使うようになりました。
    それが、まさに80年代です。
    だから、この教え方は古くから存在します。
    今に始まったことではないのです。
    80年代も、その図を使って解いていた子は多いと思います。
    正答していたから、「%がわからない」と言われることはなかった。
    それだけのことだと思うのです。

    「割合」はかなり特殊な単元で、これを「正答さえ出れば良いという教育が理解を妨げる」例に挙げるのには無理があります。

    「割合」は、なぜ「比べられる量÷もとにする量」で求められるのか?
    このブログの中で幾度も書いてきましたが、その根本は分数です。

    問題 サッカー選手のA君は、7本シュートして、2本ゴールしました。A君がゴールした割合は、どれだけでしょうか?

    答えは、2/7 ですね。
    このことは、実感をもって理解できることです。
    しかし、「割合」で実感をもって理解できることは、これしかありません。
    あとは、理論上の操作ばかりです。

    2/7 という分数を式で表すと、
    2/7=2÷7 です。
    では、2÷7 とは、上の文章題で何を意味するでしょうか。
    2とは、ゴールした数。
    7とは、シュートした数。
    全体7の中での2の量的価値を、判断しようとしています。
    そういうときの2を「比べられる量」と呼びます。
    全体の7のほうが「もとにする量」です。
    割合=比べられる量÷もとにする量 という公式は、ここから生まれています。
    このわり算の公式そのものが、子どもにとっては実感を伴うものではないのです。

    大人の多くは、この公式を繰り返し使ってきたことで実感を後付けしています。
    だから、自明の理のように感じています。
    しかし、初めて学ぶ小学生がこの公式に強い違和感を抱くのは普通のことです。

    小学校低学年で割り算を最初に学ぶとき、わり算と言えば「大きい数÷小さい数」なのが当たり前でした。
    だから、問題文をろくに読みもせずにただ「大きい数÷小さい数」で式を立ててやり過ごしてきた子も多いのです。
    しかし、「割合」は、「小さい数÷大きい数」であることのほうが多くなります。
    その違和感に耐えられず、「小さい数÷大きい数」の式を立てることが不安で、どうしてもその式を立てられない子が存在します。

    そんなのは、問題文をろくに読みもせず、「大きい数÷小さい数」なんてくだらない考え方で問題を解いてきた本人が悪いんだろう?

    ・・・確かに、そうかもしれません。
    でも、子どもは、学習の先に何があるかを知りません。
    「わり算だったら、大きい数÷小さい数」という解き方は、大人が教える解き方ではありません。
    その解き方に未来がないことを大人は知っていますから。
    「大きい数÷小さい数」は、子どもが自ら発見してしまうのです。
    しかも、目端の利く子ほど、そういう解き方を発見します。
    算数を、考え方よりも正解が出ればそれで良いものとしてしまうのは、子ども本人であることが多いのです。
    答よりも考え方を大切にしなさい、などと言っても、聴く耳を持ちません。
    実際、正解が出ているのですから、それの何が問題であるのか、幼い子どもにはなかなか通じません。

    勿論それは、式の見た目さえあっていて正答さえ出ていれば何も言わない周囲の大人の反応を感じているからのことでしょう。
    そもそも、「%がわからない大学生」ということが言われるのは、表面上、%を求める問題で正答できない大学生が存在するから、それを課題ととらえています。
    本質は理解していないけれど、やり方だけ知っていて正解している大学生のことは、問題視しないのです。
    80年代だって、本質を理解していない子は多かったのかもしれないのにです。
    それもまた、正解さえ出せればそれでいいという考え方です。
    問題意識を持っている人も、そこから脱却できていないのです。

    比べられる量÷もとにする量=割合 
    という式だけでもこんな実感から乖離して難しいというのに、残る2本は、さらに実感とは無関係です。
    それらは、逆算で式を操作しただけの式です。
    ☐を使った式から☐を求めるのが逆算です。
    式の変形ということですね。

    上の式から、比べる量を求める式を導くと、
    もとにする量×割合=比べられる量

    もとにする量を求める式を導くと、
    比べる量÷割合=もとにする量

    これは式を変形して公式としたものですから、何の実感も伴わなくて当然です。
    比べる量を割合で割ると、もとにする量に戻る・・・。
    よくよく考えたら気持ち悪くないですか?
    気持ち悪いのは、それが意味を持たないからです。
    式を変形しただけだからです。
    ただ、実感はなくても、これは正しい式なのです。

    意味なんてない。
    式を変形しただけ。
    それならば、公式を3つも1度に覚えられない子のために「く・も・わ」の図を使うのは有効だと思います。
    実際に「く・も・わ」の図を使って割合の問題を正答できるようになっている子は沢山います。
    意味を教えなければならないものなら、そうした教え方は避けるべきです。
    しかし、もともと意味なんかないものは、「く・も・わ」で教えて構わないでしょう。


    ところで、「く・も・わ」の図で教えているのは、80年代も現代も同じであるのに、なぜ、現代の子は「割合」の正答率が低いのか?
    正当できない原因の第一は国語力でしょう。
    そのことは、その本の中でも述べられているようです。

    低学年で問題文をろくに読まず、
    「今はわり算を勉強しているんだから、大きい数÷小さい数の式を立てときゃいいんだろう」
    という判断で文章題をこなし、それで正答してきた子たちは、小学校高学年になると、それでは解決できない文章題に突き当たります。
    「単位量あたり」の問題がそうです。
    「割合」の問題もそうです。
    かけ算なのか、わり算なのか。
    わり算だとして、どの数字をどの数字で割るのか?
    数量の関係を見極めて式を立てなければなりません。
    そのときになって、しぶしぶ問題文を真面目に読もうとしても、数量の関係を読み取れない子がいます。
    「比べられる量÷もとにする量」という式を使うとわかっていても、どれが比べられる量で、どれがもとにする量か、読み取れない。
    大学生になっても、それが読み取れない。
    そういう子が、今は本当に多いだろうと思います。
    それは、確かに問題です。
    ただ、それは、数学教育に問題があるせいだとは言い切れないと思うのです。

    記事中には、
    「数学が苦手な生徒には、答を当てるマークシート問題だけ解ければ良いという困った指導が広く行われている」
    という記述がありました。
    なぜそんなに雑な総括をするのでしょう。
    数学のマークシート問題で答だけを当てるのは不可能に近いです。
    数学のセンター試験の正答率の低さを知らないのでしょうか。
    答だけ当てることなどできないから、あの正答率なんです。
    数学のセンター試験は、論理を追っていけないと空欄が埋まらないのです。

    今の小学校の教科書は、子ども自身に考えてみるよう常に問いかけています。
    改訂前の今も十分にそうです。
    それでも、考えない。
    解き方だけ覚えようとする子どもは多いです。
    指導がそうなのではなく、本人がそうである場合が本当に多い。
    どうしてそうなってしまうのでしょう?

    そうして、高校生になり、覚えきれない複雑な公式や解法手順ばかりになると、数学は完全に諦める・・・。
    本当にそれは日本の数学教育のシステムが悪いからそうなってしまうのでしょうか?

    比較的理解力の高い、中学受験をする小学生でもそうです。
    小学校では教えない特殊算。
    例えば植木算や、分配算など、基本の考え方を塾ではまず解説します。
    その上で、例題は、本人に解き方を考えてもらいます。
    塾としてはそれが普通の授業形態だと思うのですが、その授業に不満を抱いていた子と話をしたことがあります。
    「初めて見る問題なんだから、教わらなければわかるわけがないのに、自分で考えろって言うんだよ。おかしいでしょう」
    「・・・でもね、入試問題は、初めて見る問題だよ。見たことある問題、解いたことある問題なんて、いくつもないよ」
    「・・・」
    解いたことのある問題しか解けるわけがない・・・。
    初めて見る問題を自分で考えてみろと言うのは、相手がおかしい・・・。
    かなり理解力の高い子でそこまで言い切る子に初めて会いましたが、手順だけ丸暗記して済ませたいタイプの子の、これが本音なのだと思います。
    自分で考えろと言われることが、本当に不愉快で、それを要求してくる相手は敵であると感じるようです。
    その子は、その塾がお母様に薦めた家庭学習法として、その週のうちにテキストの問題を3回解き直していました。
    それには素直に従っていたようです。
    解き方を完璧に丸暗記するための、1週間で3回の解き直し・・・。
    私が小学生だったら、そっちのほうに猛反発したと思います。
    何で1度解いた問題を3回も解かないといけないの?
    ・・・写経?

    確かに解法の丸暗記教育は、一部で現実に行われているのだと思います。
    そんな解き直しよりも、類題を自分で考えて考えて考え抜くほうが、段違いの学力がつくのですが。
    しかし、そういうことができない子もいます。
    感情的に反発します。
    それを見越して、何もしないよりは週3回の解き直しを提案するほうが、今よりは正答率が上がるのも事実です。



    「割合」の学習は、5年生でひと通り学んだ後、6年生で「比」を学び、それと連動して復習します。
    中学の数学では、「割合」は、方程式の文章題の中で再び使用します。
    5年生のときには数量の関係を把握できなかったけれど、ここで回復する。
    そういう子も多く存在します。
    一方、この段階でもやはり把握できない子は、ここで典型題の解法のみを何とか丸暗記してやり過ごします。
    あるいは、割合の文章題が出たらもう諦めて解かない子もいると思います。

    中学になって「割合」を復習しても、やはり理解できない子は存在します。
    幾度復習しても、理解できない。
    割合の3用法に意味などない、式の変形だけなのだと説明しても、その説明が理解できない。
    問題文から比べられる量ともとにする量を識別することがどうしてもできない。
    割合というものが何を表すものなのか、その本質を理解できない。
    そういう単元が「割合」です。
    それは、直接「割合」とは関係ないように見える単元にも表れます。

    例えば、中学3年で学習する「相似」。
    △ABCと△DEFが相似で、相似比が3:2である。
    AB=60のときの、DEの長さは?

    こういう問題で、
    60:DE=3:2
    3DE=120
    DE=40
    という比例式を用いた定型的な解き方でないと解けない子がいます。

    「割合」と「比」が、無関係な知識として頭の中に存在し、連動しないのです。

    「相似比が3:2なんだから、DEはABの2/3でしょう?だから、40でしょう。これは見たらわかるよね」
    数学が苦手な子はともかく、都立自校作成校を受験する子には、そう説明するのですが、
    「いや、そういうのはわからないから」
    と頑なに比例式を立て続ける子もいました。
    数学の定期テストで90点台を取れるようになっていても、頭の奥までは数学的思考が染みていっていないのです。

    数学的思考が頭の中まで染みていくのを拒み、跳ね返すものがある。
    それは、何なのだろう?
    それが、なかなか見えてこないのです。

    答を当てるマークシート問題だけ解ければ良いという困った指導なんかしていません。
    そんな指導をしている気配を学校の先生から感じることもありません。
    答ではなく、数学的な考え方を理解してほしいと、みんな思っています。
    でも、考えることを拒否する子どもは、確実に存在します。


    小学生の頃は、解き方を暗記したほうが簡単だから、それで済ませたいという、ある意味目端の利く子が多いのだとしても、中学・高校と数学の学習が進むにつれて、論理や考え方が重視され、論理を追えないと正解が出せない問題が増えていきます。
    しかし、本人の意識が切り替わらないのです。
    結果、高校数学になると、解き方が複雑になって暗記できなくなり、ついていけなくなる・・・。
    数学が苦手な子の、それが現実ではないかと思うのです。

    一方、私の問いかけが通じる子も、また少なくないのです。
    現在数学ができるかどうかは、あまり関係ありません。
    「座標平面上の求めたい点のx座標を自分で勝手に t と置いたのに、t が求められるわけがない。自分で勝手に置いたんだから」
    「√36は、2乗したら36になる数なんだから、√36=36だと思う」
    といった数々の妄言を繰り返し、何かと授業中に私と議論になった中学生は、気がつくと自力で応用問題を解けるようになり、数学のテストで高得点を取るのが当たり前になっていました。
    考える子は、いくらでも伸びます。

    考える子と、考えることを徹底して拒否する子とは、何が違うのだろう?

    大学生になっても%を理解できない子のことを誰よりも悲しんでいるのは、子どもの頃のその子たちの算数・数学教育に携わっていた人たちでしょう。

    記事には、ある学生が、
    「数学を苦手としている者でも、本心は時間をかけてでも内容をよく理解したいと思っているのです」
    と熱く語った、という記述がありました。

    そういう子は、早い時期に出会えれば、確実に助けられます。
    解き方だけ覚えようとするのをさえぎり、
    「今の、本当にわかった?」
    と問いかける度、嫌な顔をされることのほうが多いけれど。
    そう思います。

      


  • Posted by セギ at 14:11Comments(2)算数・数学

    2019年04月24日

    座標平面上の三角形の面積。アクティブラーニング的に。



    来年度から、小学校で新学習指導要領による授業が始まります。
    いよいよ「主体的・対話的な深い学び」の開始です。
    来年になって急に始めようとしてもできることではありませんから、小・中・高ともに、そろそろ助走が始まったと感じるこの頃です。

    以前、Twitterで
    「三角形の面積の求め方を子ども自身に発見させることにそんなに必死になる必要があるんだろうか」
    というつぶやきを読んだことがあります。
    私もそれには共感します。
    アクティブ・ラーニングは、公式や定理の発見まで子どもに任せると、大変な労力と時間がかかります。
    しかも、大元を発見させるためには学習上のガイダンスも曖昧になりがちで、何のために何をやっている授業なのか全く理解できない子を大量に生みます。
    授業は、その子たちを置き去りにしてしまいます。

    一方、中学受験をする子たちは、学校で授業を受ける頃には既に三角形の面積の公式は学習済みであり、知っていることも知らないふりでアクティブ・ラーニングに参加しなければなりません。
    「そんなの知っている」
    の一言で授業を粉砕できるのですが、賢い子は、それをやると先生が困ることも知っています。
    先生の顔色を見ながら、先生がどう授業を進めたがっているかを考えて、それに沿う意見を言い、先生をサポートする。
    頭の良い子は、そうすることも可能です。
    うーん・・・。
    そういうのを忖度と言いませんかね。
    アクティブ・ラーニングは、今世紀を生きる子どもたちが、社会人になったときに必要となるスキルを磨く学習の形である。
    それが忖度を学ぶ授業になってしまうのは、痛烈な皮肉です。
    少なくとも、そこには、本人たちの学ぶ喜びは存在しないように思います。

    そうしたことも考えあわせますと、公式や定理は、証明まで含めて、先生が解説するのが無難でしょう。
    それをどのように組み合わせて問題を解いていくかをアクティブ・ラーニングでやるのなら、その授業形態には可能性を感じます。
    それもまた、中学受験生は圧倒的に有利ではありますが、少なくとも、予備知識がなく、三角形の面積の求め方を初めて学習する子たちも、今はどういう単元で、何を学んでいるかは自覚できます。
    それならば、授業で何を話しあっているのかよくわからないとしても、家庭学習は可能です。
    塾がサポートすることも可能です。


    そんなことを考えたのは、うちの塾に通う高校2年生の生徒の学校で、どうやらアクティブ・ラーニングが始まったからでした。
    急に全面的にアクティブ・ラーニングを導入するのは無理ですから、徐々に慣らし、先生も研鑽を積む必要があるのでしょう。
    数Ⅱ「図形と方程式」の学習で、2点間の距離、直線の式、点と直線との距離などの求め方を学習した後、授業はグループ学習に入り、いくつか課題が出されたとのことです。

    上の図の問題がその1つです。

    問題 3点、0(0,3)、A(6,3)、B(2,6)を頂点とする三角形の面積を求めよ。

    しかし、
    「・・・学校の授業が全くわかりません」
    と、その子は言いました。
    ノートを見ると、問題が1問ずつノートの最上段に貼ってあり、それをグループで解かねばならないようなのですが、答案が完成していないページが多いです。
    問題以外は白紙のページもあります。
    うわ、これはまずい・・・。

    「この問題は、三角形を長方形で囲んで、要らない部分を引けば、いいんですよね」
    上記の問題を指さし、その子は言いました。
    「・・・」
    うーん・・・。

    それでも、求めることは勿論できます。
    できますが、今、何を学習していますか?
    2点間の距離、直線の式、点と直線との距離の求め方を学んだ直後です。
    その先にポンと出された、この問題。
    これを出題する先生の意図は何でしょうか?
    いや、そういうのが忖度ですかね・・・。

    何の話?
    と思われる方もいらっしゃると思いますので、ここで、この問題の解き方を整理しましょう。
    この問題は、私が思いつく限りでは、3通りの解き方があります。

    まずは、その子も思いついた、中学1年で学習する解き方。
    3点、0(0,3)、A(6,3)、B(2,6)を頂点とする三角形を、x軸、y軸と平行な線分による長方形で囲みます。
    上の図で、赤線で描いた長方形がそれです。
    その長方形の面積から、不要な三角形3つの面積を取り除けは、求めたい△OABの面積を求めることができます。
    長方形は縦6、横6。
    それぞれの三角形の底辺や高さも座標から読み取れますから、
    6・6-1/2・2・6-1/2・6・3-1/2・4・3
    =36-6-9-6
    =15
    よって、△OAB=15 です。


    しかし、現在学習しているのは、数Ⅱ「図形と方程式」です。
    直線の式や、2点間の距離や、点と直線の距離の求め方を学んだばかりです。
    それを活用する解き方を考えてみましょう。

    ここで公式の確認を。

    点(x1,y1)を通り傾きaの直線の方程式は、
    y-y1=a(x-x1)

    また、2点(x1,y1),(x2,y2)間の距離は、
    √(x1-x2)2+(y1-y2)2

    さらに、点(x1,y1)と直線ax+by+c=0 との距離は、
    d=|ax1+by1+c|/√a2+b2

    これらの習いたての知識を使って、この問題を解くのなら。

    線分OAを底辺とし、点Bと直線OAとの距離を高さと見て、△OABの面積を求める解き方が導き出されます。
    これが、今回のアクティブ・ラーニングの結論と、一応の予想が立ちます。

    公式を用いて、
    OA=√36+9=3√5
    また、直線OAの式は、x-2y=0
    B(2,6)と直線x-2y=0との距離は、
    |2-12|/ √1+4
    =10/ √5
    よって△OAB=1/2・3√5・10/ √5=15

    同じ答えが導き出されました。
    しかし、高校で学習する内容のわりに、この解き方は、中学生の解き方よりも計算過程が複雑であるような気がします。
    もっと簡単に求めることができてよいはずです。
    これには、公式があります。

    A(a1,a2)、B(b1,b2)のとき、
    △OAB=1/2|a1・b2-a2・b1|

    この公式を利用すると、
    △OAB
    =1/2|6・6-3・2|
    =1/2|30|
    =15
    こんなに簡単な式で、同じ答えが出ます。
    3番目のこの解き方が異様に簡単であることは、衝撃的なことだと思います。
    アクティブ・ラーニングの最後に登場するこの公式にわくわくする、数学好きな子もいるでしょう。
    最も難しい理論にもとづく解き方が、最もシンプルであること。
    数学は、かくも美しい。


    授業の演出としてはなかなかのものだと、私は勝手に想像しているのですが、実際の効果はまた別です。
    現に、目の前にいる生徒は、今のところこの形の授業についていけていないようです。
    アクティブ・ラーニングは、全ての生徒にとって有効なものではないのだと、やはり感じます。
    特に数Ⅱ「図形と方程式」は、中学時代に学習したやり方で地道に解けることを、高校数学の公式を使って解く場合が多いので、その階段を登れない子が多く出る単元です。
    公式を学習した直後だけは、その公式を使えるのです。
    しかし、時間をおいて問題演習をすると、高校の公式を覚えていないため、中学の解き方で解いてしまう子が多いのです。
    アクティブ・ラーニングで本人たちに考えさせたら、なおさらそうなってしまうでしょう。
    ここで、グループに1人くらいはいるのかもしれない高校数学についていけている子が、その単元にふさわしい解き方で解いて、それをグループ全員に教えたとして、それは、全体の授業で先生から教わるのと違うものなのでしょうか?
    それはかろうじて対話的かもしれないけれど、本当に主体的なのでしょうか?
    深い学びにつながるのでしょうか。
    基本的なことも理解できずに終わる子をフォローする手立てはあるのでしょうか。
    基礎学力が下がってしまわないでしょうか。

    昔、ゆとり教育が強く批判されたのは、日本の子どもたちの学力の国際的な順位が下がったからでした。
    そうした順位は、平均点で評価されます。
    平均点は、国内で相対的に学力の低い子たちにも基礎学力がある場合に、高い数値を維持できます。
    ひと握りの優秀な生徒たちがより楽しく深く学ぶだけのシステムでは、国際的な順位はまた下がるかもしれません。
    そうしてまた、基礎学力だ計算力だ、と騒がれる時代が反動としてやって来るのでしょうか。
    「100ます計算」や、生徒たちにとにかく基本問題を反復させ訓練する中学校長の取り組みがもてはやされる、あの時代が再び訪れるのでしょうか。
    同じことの繰り返しは避けたいのですが。

    アクティブ・ラーニングを一方的に否定するつもりはありません。
    面白い授業になる可能性を秘めています。
    ただ、全ての子の学力を底上げできるかどうか・・・。

    ともあれ、学校がそういう授業ならば、塾はどうするべきか?
    その子が自ら発見するのであれ何であれ、理解すべき内容を理解をしてほしい。
    そして、解答解説を見ないで、自力で問題を解けるようになってほしい。
    まずは、学校のノートの空白を埋めなければ。
    塾の仕事はさらに増えて、忙しい新学期となっています。


      


  • Posted by セギ at 13:14Comments(0)算数・数学

    2019年04月22日

    上川乗から三国山、鎌沢入口へと縦走しました。2019年4月。


    2019年4月21日(日)、生藤山の近くの山を縦走しました。
    ホリデー快速あきかわ3号で、終点武蔵五日市駅下車。8:48。
    いつものように駅前から数馬行きのバスに乗ります。
    本日、バスは2台発車。
    最盛期には3台発車が普通なので、今日は乗客は少なめのようです。
    ゴールデンウィーンの前後は、逆に人の出足が鈍るのでしょう。
    天気予報が午後から曇りだったことも影響しているでしょうか。
    実際は、夕方までよく晴れて、そんなに暑くもなく、気持ちのよい山歩きができました。

    上川乗バス停下車。9:35。
    以前は私1人しか降りないのが当たり前だったこのバス停も、1台目のバスから10人ほどのグループ、2台目からは私のような個人が数名降り立ちました。
    この登山口、メジャーになってきている気がします。
    ここから笹尾根を上るのにも下るのにも、便利な登山口です。
    バスの進行方向にしばらく進み、三叉路を左へ。
    曲がり角に八重咲きの桜が咲いていて、本日1枚目の写真を撮りました。
    今までここに桜が咲いていることに気づかなかったのは、今日は例年より1~2週間遅くこのコースを歩くからでしょう。
    少し時期を変えるだけで、違う花に気づきます。

    道路を緩やかに登っていき、10分ほどで登山口。
    「関東ふれあいの道」の道しるべが立っています。
    登山口から少し上り、木の橋を渡って、あとはジクザグに登山道を登っていきます。
    広いとは言いませんが、狭くて怖いというほどでもない、ほどほどの道幅の登山道が続きます。
    かなり上ったところに桟道があり、老朽化して「山側を歩いてください」という注意書きが書かれていました。
    山道に作られた人工的なものは老朽化が速く、整備が大変だろうと思います。
    ここが崩れたら、この道は通れない。
    通れることの有難さを感じます。

    ジグザグ道を上りきると、道は支尾根に乗り、緩やかな道をまっすぐ行くようになりました。
    尾根から一段下がった登山道から尾根を乗り越えて反対側に出ると、間もなく浅間峠。10:40。
    古びたあずまやがあり、ベンチも幾つか並ぶ休憩適地です。
    ここから笹尾根を三頭山方面に上ることもできるし、陣馬山方面に下ることもできます。
    ちょっと座って休憩。
    凍らせたゼリー飲料を持ってくるのを忘れたことに気づきました。
    今日はまだそんなに暑くないので、ゆっくり歩けば大丈夫でしょう。

    さて、陣馬山方面へと笹尾根を下ります。
    下るといっても、浅間峠周辺は標高880m前後。
    そこから大きく下って、また上り返して879mのピーク。
    また下って、また上り返して、次は851mのピーク。
    そこからまた上って熊倉山996m。
    下ったり上ったりを繰り返すコースです。
    芽生え始めた新緑と春霞の水色の空。
    遠くにヤマザクラのピンク色。
    早春の時期よりも木陰が多く、気持ちよい縦走道でした。
    風の冷たさにも助けられて、比較的楽に熊倉山に着きました。11:35。

    熊倉山のベンチは相変わらず背が高い。
    足をぶらぶらさせながら、霞む空を眺めてちょっと休憩。

    そこから大きく下って、もうカタクリは終わったようだなあと確認しながら歩いていくとまた上り返しです。
    木段の上りの先、木陰の涼しい道をしばらく行くと、軍刀利神社の奥の院。12:00。
    正確には、奥の院跡地、でしょうか。
    ここは、ソメイヨシノが満開でした。
    こんなに遅れて咲くのですね。

    この先は例年大混雑し、ベンチは満席で座る場所もないことが多いので、ここでレジャーシートを敷き、桜を眺めながら昼食にしました。
    今年何回目かのお花見。
    今年の桜はさすがにこれで見納めでしょう。

    さて出発。
    軍刀利神社の先、木段の道をぐっと下り、また少し上り返すと、三国山。12:30。
    意外にも、ベンチが空いていました。
    ここは、桜は咲いていませんでした。
    すぐ近くで咲いていたのに、ここだけ急に咲いていないということは、ここの桜は花が咲かなくなる病気にかかっているということかもしれません。
    テングス病というらしいです。
    もう15年も前、満開の桜の枝の向こうに富士山が見えた日を思い出しながら、霞む山々を眺めました。

    ここから、左に上っていくと、生藤山。
    今日は、右へと下ります。
    笹尾根の登山道もよく整備されていましたが、ここからの下りは登山道の道幅が倍くらいに広くなっていました。
    傾斜も緩く、歩きやすいことこの上なしです。
    しかも、甘水草という昔の水場(今は飲用不可)付近の桜並木が復活していました。12:50。
    テングス病にかかったソメイヨシノは復活しないものの、病気に強いヤマザクラなどが植樹され、それがちょうど満開を迎えていました。
    しかも、ベンチやテーブルが空いています。
    わあ、ここでお昼にすれば良かったかも。
    目の高さに枝が垂れている満開のヤマザクラ。
    夢中で写真を撮りました。

    下るにしたがって、道は桜吹雪に変わりました。
    帽子に、ザックに、肩にと降り注ぐ桜の花びらの中を歩いていきました。
    明るい春の日差し。
    はらはらと散る桜の花びら。
    花びらで水玉模様になった登山道。

    道は日陰の急な下りになり、また明るい平坦な登山道に変わり、どんどん下っていくと竹林となって、舗装道路に出ました。13:30。
    枝垂桜とミツバツツジが満開でした。
    鎌沢休憩所を右に見ながら、舗装道路の急坂を下りていきました。
    ここが、今日歩いたどの登山道よりも急で、去年この道を上ったことが信じられないくらい長い舗装道路歩きでした。

    鎌沢入口バス停。14:10。
    バス停は1つ、和田方面に向かう位置にしかなく、藤野駅方面に乗る人は道路の反対側で待つ仕組みでした。
    少し下った道幅の広くなっているところで、バスが1台待機しています。
    増発便でしょう。
    やがて、もう1台来ました。
    そこへ、定刻の14:24和田行きのバスが道路を上っていきました。
    しばらくして、増発2台も出発。
    これなら座って帰れるかな?

    しかし、戻ってきたバスは、立っている人も多い状態でした。
    和田から乗ってきた就学前から小学校低学年と思われる集団とその保護者で大混雑していました。
    なるほど、陣馬山から和田へとこの時間に下山するパーティは、こういう年齢層なのですね。
    和田は、陣馬山から最短で下りるコースの下山口です。

    藤野駅から乗った電車も、高尾駅で乗り換えた電車も、登山客で大混雑でした。
    そうなんですね。
    登山客は2時台に下山して、3時台の電車に乗って帰るのです。
    毎年、この時期になると日が伸びたのが嬉しくて、5時過ぎまで山を歩いてヘロヘロになって下山していたので、この時間帯の電車がこんなに登山客で混雑するのを知りませんでした。
    軽くカルチャーショックを受けながら、まだ明るいうちに三鷹駅へと戻ってきました。

      


  • Posted by セギ at 10:59Comments(0)

    2019年04月19日

    高校数A「整数の性質」不定方程式。項が3次式の場合。


    「不定方程式」の学習も今回が最後です。
    今回学習するのは、こんな問題です。

    問題 方程式x3+y3-2x2y=1を満たす整数の組(x,y)をすべて求めよ。

    これは3次式ですね。
    これも、(  )(  )=整数 という形に整理できれば、解けそうです。
    ですから、まず、(  )(  )でくくるという、因数分解のようなことをしましょう。
    定数項は外にはみ出していいけれど、文字を含む項だけは必ず(  )(  )の中に収めることが目標です。

    まずは、xについて降べきの順に整理してみましょうか。
    共通因数でくくって、
    x2(x-2y)+y3=1
    うーん・・・。
    これでは、この先が手詰まりとなりますね。
    ( )の中を共通因数にすることが、これではできません。

    ふりだしに戻りましょう。
    見た目から、何となくですが、(x-y)という共通因数がありそうな気がします。
    どうしましょう?
    強引に(x-y)となるようにくくってみましょうか。
    x3-2x2y+y3=1
    x2(x-y)-x2y+y3=1
    真ん中の-2x2yという項を、-x2y-x2y と分けたイメージです。
    そうすると、さらに後半の2項もくくれることに気づきます。
    x2(x-y)-y(x2-y2)=1
    x2(x-y)-y(x+y)(x-y)=1
    (x-y){x2-y(x+y)}=1
    (x-y)(x2-xy-y2)=1
    できました!ヽ(^。^)ノ

    これは、因数分解の問題としても発展的で難しいものです。
    ある文字について降べきの順に整理していくのが因数分解の定石ですが、これはその定石では解けない種類の因数分解です。
    こういう特別なやり方を何もないところから初めて発想するには、この1問を何日も考え続けることになるかもしれません。
    何日も何日も考えて、それでも思いつかないかもしれません。
    しかし、考え続けることで数学の力は伸びていきます。
    ただ、それをするには、少なくとも定石通りの因数分解なら自在に解けるほどには練習を重ねている必要があります。
    そうでないと、そもそも何をどう考えるかもわからないのは仕方のないことです。

    あるいは、こういう難問にもパターンというものがありますので、それを覚えて、頭の中にストックしておくこと。
    今回の問題でストックしておくべき知識は、1つにまとまっている項を2つに分けることで因数分解できる可能性がある、ということでした。

    あるいは、この問題の見た目を何となくでも記憶しておくこと。
    こんな問題を前にも解いた、何だか特別な解き方をしたなあという記憶をとどめておくこと。
    そうすれば、類題を解くときにはスンナリと因数分解できるかもしれません。
    長い時間考えて、今の自分には解けないと見切りがついたら、解答・解説を見て、そのテクニックをしっかり学びとり、2度と忘れないことが大切です。
    別の機会に必ずこれを活用できるように覚えておきましょう。


    さらに、これは数Ⅱで学習する内容になりますが、多項式÷多項式の筆算ができるのならば、x-y という共通因数があるのではないかと気が付いたら、強引に割ってみるのも1つのやり方です。


        x2-xy-y2  
    x-y ) x3-2x2y   +y3
         x3-x2y
           -x2y   +y3
           -x2y+xy2
              -xy2+y3
              -xy2+y3  
                   0                

    割り切れました。
    これで、
    x3+y3-2x2y=(x-y)(x2-xy-y2)
    であることがわかります。
    かなりの力業ですが、どうしてもこの問題を解かねばならない場合、やってみる価値のあることだと思います。

    何よりも、思考錯誤を重ねることを厭わないことが大切です。
    小学生の頃の意識の延長なのだと思いますが、結論まで全て見えて、正しい解き方だと確信してから答案を書きたい、ノートを汚したくないという姿勢の人がいます。
    それでは難問の解法を自力で見つけるのは難しいと思います。
    ノートは、後で見直すためのノートと、問題を演習しては使い捨てていくノートと2種類あるのです。
    問題を演習しては使い捨てていくノートは、振り返ることなどありませんから、途中まで解いてダメだと気が付いて大きくバツをつけてまた書き出すということがあっても、全く構わないのです。
    意識を変えましょう。


    さて話を戻して。
    (x-y)(x2-xy-y2)=1
    と、ここまで整理できたら、その後はどうしましょうか。
    初めて見る応用問題になると、ここまででもかなり時間がかかっていますので、何のためにこれをやったのか、途中で目的を見失うことがあります。

    今回は、何のためにこんなことをしたのでしたっけ?
    xとyの整数値を出したかったからでした。
    前回解いたような問題では、例えば、
    (x-3)(y+2)=1となったら、(x-3,y+2)=(1,1),(-1,-1)
    として、
    (x,y)=(4,-1),(2,-3)と求めるのでした。

    だったら今回は、
    (x-y)(x2-xy-y2)=1
    (x-y,x2-xy-y2)=(1,1),(-1,-1)とすれば良いでしょう。
    x, y が整数ですから、x-y も、x2-xy-y2 も整数です。
    その積が1となるのは、1×1の場合と、-1×(-1) の場合しかないでしょう。
    この2通りのそれぞれを解けば良いです。

    すなわち、
    x-y=1・・・①
    x2-xy-y2=1・・・②
    という連立方程式と
    x-y=-1・・・③
    x2-xy-y2=-1・・・④
    という連立方程式をそれぞれ解きます。

    上のほうの連立方程式をまず解きます。
    ①より
    x=y+1・・・①'
    これを②に代入して、
    (y+1)2-(y+1)y-y2=1
    y2+2y+1-y2-y-y2=1
    -y2+y=0
    y2-y=0
    y(y-1)=0
    y=0,1
    これを①'に代入して、
    y=0のとき、x=1
    y=-1のとき、x=0

    同様に③、④を解いて、
    y=-2のときx=-3
    y=1のときx=0

    したがって、最終解答は、
    (x,y)=(1,0),(2,1),(-3,-2),(0,1)
    となります。

      


  • Posted by セギ at 11:24Comments(0)算数・数学

    2019年04月17日

    高校英語。受動態。その2。SVOOの受動態など。


    さて、受動態の学習の続きです。
    今回は、SVOOの受動態。
    その前に、SVOOとは何なのかの確認が必要でしょうか。
    Sは主語。
    Vは動詞。
    Oは目的語。
    つまり、「誰々に」という人の目的語と、「何々を」という物の目的語の、2つの目的語のある文がSVOOの文です。
    文法用語で言うと、「誰々に」という人の目的語は、間接目的語。
    「何々を」という物の目的語は、直接目的語。
    物のほうが主語が直接触れるものなので、直接目的語なのだな、と把握しておくと覚えやすいと思いますが、こんな文法用語は覚えなくても大丈夫です。
    文法用語を答えさせるテストは、普通、ありませんから。

    では、実際の文で受動態を考えてみましょう。
    能動態 My father gave me a bike.
    「私の父は、私に自転車をくれた」という文です。
    「私に」と「自転車を」という2つの目的語があります。

    能動態の文を受動態にする場合、目的語だったものが主語になります。
    目的語が2つあれば、2通りの文が作られます。
    目的語 me を主語に変えて作る受動態は、
    I was given a bike by my father.
    目的語 a bike を主語に変えて作る受動態は、
    A bike was given me by my father.

    ところが、実際の問題では、なぜか( )が余ることがあります。

    問題 次の空所を埋めなさい。
    私は父から自転車をもらった。
    A bike (  )(  )(  ) me by my father.

    まず、日本語と英文の直訳が一致していないことに混乱してしまう人もいるのですが、こうした空所補充問題に日本語訳がついている場合は、意訳の場合が多いので、直訳でないことは気にしないことです。
    「自転車が父によって私に与えられた」
    という直訳は、日本語として不自然です。
    日本語として不自然になる場合は直訳せず意訳する。
    英語を日本語に訳す場合の鉄則です。
    意訳が書かれていることがあると知っておくだけでも、かなり問題は解きやすくなります。

    それはともかく、この問題の答えは、
    A bike (was)(given)(  ) me by my father.
    だと思うのに、なぜか空所が1つ余ります。
    そこで苦し紛れに、
    A bike (was)(being)(given) me by my father.
    などとしてしまい、不正解となってしまう人、多いです。
    本当は正解はわかっていたのに、そこから逸れていってしまう残念な答案です。

    正解は、
    A bike (was)(given)(to) me by my father.
    です。

    to って何?
    なぜ、突然出てきたの?

    ここで、「5文型」で学んだことを思い出しましょう。
    SVOOの文は、SVOの文に書き変えることが可能でした。

    My father gave me a bike.
    という、この能動態のSVOOの文は、
    My father gave a bike to me.
    と書き変えることができるのでした。
    to me のように前置詞から始まる前置詞句は、Oではなく、M(修飾語)となります。
    したがって、下の文は、文法的にはSVOの文となります。

    この2つの文の書き換えは、中学2年で既に学習している内容なのですが、忘れてしまっている人が案外多い文法事項でもあります。
    そして、高校に入学してすぐの「5文型」の学習で復習しても、なぜかあまり定着せずに終わります。
    その人たちの感覚では、あまり重要な内容に思えないようなのです。
    自分があまり重要だと思っていない内容に足を取られて正解できない。
    英語にありがちなことです。

    上の2つの文、文法問題としては気軽に書き変えますが、実は少しニュアンスが違うそうです。
    My father gave me a bike.
    のほうは、「私に」くれたんだ、ということに主眼があります。
    My father gave a bike to me.
    のほうは、「自転車を」くれたんだ、ということに主眼があります。
    事実としては同じですが、英文は、本来は語り手・書き手が存在しますから、気持ちが変われば伝え方が変わるのですね。

    そういうことも理解して受動態を見直したとき。
    A bike was given to me by my father.
    主語に「自転車」をもってきたくらいですから、この人の伝えたいことのメインは自転車をもらったことで、「私に」はそんなに重要な情報ではない。
    だったら、to me になっているほうがむしろ自然ではないか?
    というわけで、物の目的語を主語に変えた受動態の場合、人の目的語だったものは前置詞がつくことがあるのだと理解しておくと、謎の( )を正しく処理していけると思います。


    to に関連して思い出すのは、SVOOをSVOに書き変える問題は、to 以外にも使う前置詞があったのでは?ということ。
    それを思い出せる人は、勉強している人です。
    そうです。
    to の他に、for そしてさらに例外的に of もありました。
    to を取る動詞をgive型動詞、for を取る動詞をbuy型動詞というのでした。

    My brother made me breakfast this morning.
    この文を、SVOの文に書き変えると、
    My brother made breakfast for me this morning.
    となるのでした。

    to は到達点を示す前置詞です。
    だから、人に到達していく内容である動詞のときに、to が入ります。
    for は「~のために」という意味をもつ前置詞です。
    だから、人に到達していく動作ではなく、人のために何かをする意味の動詞のときに、for が入ります。
    そのように大まかに理解し、なお、buy型動詞については具体的に覚えておくと、使い分けで苦労することは少なくなるでしょう。
    主なbuy型動詞は、buy , cook , make , choose , get , find , leave , play , sing などです。
    「あなたのために買ったのよ」
    「あなたのために料理したの」
    「あなたのために作ったの」
    「あなたのために選んだの」
    「あなたのために手に入れたの」
    「あなたのために見つけたの」
    「あなたのために残しておいたの」
    「あなたのために演奏します」
    「あなたのために歌います」
    こう並べると、あまりの恩着せがましさに気が滅入ってくるのが、buy型動詞です。

    give と get の意味を混同している人もいて、そこが混ざることがあるようです。
    give は、「give型動詞」と呼ばれている代表ですから、to を取る動詞です。
    それにしても、なぜgive と get が混ざるのか不思議で、実際に混乱している子に質問したところ、
    「だって、ギブ・ミー・チョコレートって言うじゃないですか」
    という返事が返ってきたことがあります。
    平成の世にそんな史実を高校生と共有できることにある種感動しました。
    敗戦直後の日本の子どもたちが、ギブ・ミー・チョコレートと言ってチョコレートをゲットしていたので、それで混ざるらしいです。
    あれ自体は命令文ですから、ギブするのは占領軍の兵士です。
    give は、与える、くれてやる。
    get は、受け取る、手に入れる。
    逆方向の動詞です。
    動作の主体と客体が何であるかを文法的に把握していないことが、こういうところにも影響しているのかもしれません。

    もう1つ。
    「だって、get は get to ~って言うじゃないですか。だから、to でしょう?」
    と言う子もいました。
    その場合のget は、「手に入れる」という意味ではなく、get to ~で、「~に到着する」という意味です。
    その意味のときは、そもそもSVOOの文を作れませんので、to をとるか for をとるかという話になりません。
    混乱しやすい理由として理解できますが、ここは区別して考えたいところです。


    for を取る buy型動詞を用いたSVOOの文の受動態は1種類のことが多いです。
    My brother made me breakfast this morning.
    この受動態は、
    Breakfast was made (for) me by my brother this morning.
    のみです。
    実際にもう1パターンを作ってみると、文意が奇妙なので、これはないとわかります。
    I was made breakfast by my brother.
    私は兄に朝食を作られた。
    これは違和感がありますね。
    ただ、例外的に、buy は2通りに受動態を作ることができます。

    1通りだったり、2通りだったり、面倒だなと思う必要はそんなにないと思います。
    実際のテスト問題で、そこがひっかけとして存在するということはほとんどありません。
    受動態に直せと言われたら、ルール通りに直せばいいだけです。
    to を取るほうの give 型動詞なのに解答欄が1つしかなかったら、どちらを書いても正答なのでしょう。
    for を取るほうの buy 型動詞は、直接目的語(何々をのほうの目的語)を主語にした受動態に直せば間違いありません。

    SVOOの能動態を受動態に直す問題でのミスの原因は、上のような(  )の数に関することが大半です。
    前置詞を入れることがあることだけ覚えておけば大丈夫でしょう。
      


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    2019年04月15日

    地図を修正しました。



    先日、三鷹市の外から体験授業にいらした方が、
    「道に迷ってしまって」
    とおっしゃったのが気になり、教室地図を見直しました。

    電車利用で三鷹駅からうちの教室に来ていただく場合、赤鳥居通りに入るのが一番近道ですが、言葉では説明しにくいのが難点です。
    三鷹駅南口デッキからどこの階段を下りるかを、絶対に迷わないように誘導するには、駅前付近図の他に、南口デッキの拡大図が必要となります。
    しかし、南口デッキの正確な形状をそのまま表さないと、見る人を逆に混乱させる可能性があります。
    デッキの形、伸びている歩道橋、エスカレーター、階段を全て正確に描かないと、人は、目の前の現実と一致しない略図には混乱することが多いのです。

    では、言葉による説明はどうでしょうか?
    「三鷹コラルの裏側と、新しく出来た何とかいうタワービルとの間の道に降りていく階段」
    この説明は、三鷹に土地勘のある人でなければ通じないでしょう。

    「新しく出来た何とかいうタワービル」の名前は何でしたっけ?
    とネット調べると、「グレーシアタワー三鷹」と出てきました。
    え、本当にそんな名前ですか?
    それは、タワーマンションの名称では?
    下のほうの店舗部分は、別の名前がついていると思うのですが、何でしたっけ?
    名称がわかったとして、南口デッキから、そのビルの名称がはっきり見えているでしょうか?
    という調子で、正確に誘導できる自信がありません。

    道案内は、そもそも相手に正確に情報が伝わる可能性は極めて低いことをこちらが認識していないと、思いもかけない行き違いが生じます。
    もう8年ほど前になりますが、
    「南口デッキからまっすぐエスカレーターを降りてください」
    と、三鷹中央通りに降りていく方法を文章で説明したことがありました。
    間違えるはずがないと思っていたのに、その説明を読んで独りで体験授業を受けにきた中学生は、東に向かうエスカレーターを下りて、桜並木を井の頭公園の方向にどこまでも歩いていってしまいました。
    それはまっすぐじゃなくて、左に曲がっている!

    土地勘がある人がこの話を聞けば、左に曲がるなんてありえない、まっすぐと言われて左に曲がるというのがそもそもおかしいでしょう、と感じるかもしれません。
    しかし、初めて三鷹駅から南口デッキに出た場合、まっすぐ三鷹中央通りへと降りていくエスカレーターは、あまり目立たないのです。
    横向きになっている分だけ、左に曲がるエスカレーターのほうが存在感があります。
    まさかもう1つエスカレーターがあるとは思っていない場合、最初に目に入った左に曲がるエスカレーターのほうに引き寄せられていくようです。
    方向の情報よりも、目に入ったエスカレーターのほうを優先させてしまうのです。
    土地勘がないというのはそういうこと。
    全体を見通すことができないので、正しい判断ができません。
    緊張していると視野が狭くなりますから、全ての情報は目に入らなくなってしまいます。
    降りるべきエスカレーターが目に入らないなら、間違ったエスカレーターに乗る以外の選択肢がありません。

    エスカレーターすら正しく誘導できないことを悟った私は、もっと数のある階段の降り口を正しく誘導することは諦めています。
    「デッキを渡って一番右の降り口です」
    といった説明は、説明した側としては完璧なつもりでも、その人がその降り口に気がつかなかったら、何の意味もありません。
    全体を把握していなかったら、一番右がどれかはわからないでしょう。
    もう1つ不安な点は、「デッキを渡って」の「渡って」を読み飛ばす可能性が高いこと。
    デッキを渡らず、すぐに右に曲がる人もいると思います。

    誤解されないよう全ての可能性を潰すべく長々と説明すると、今度はくどいと思われて正確に読んでもらえず、それもまた誤解を生む可能性もあります。


    これを解決する最善の方法は、逆説的ですが、説明しないことでした。
    不親切な地図だと思われてもいいから、間違った方向に誘導しないことが大事です。

    私の描いた教室地図は、南口デッキを省略し、描いてありません。
    デッキの細部の描写を読み違えて、間違った方向に歩みだすことがないよう、とにかく南へ行くことだけを地図は伝えています。
    南へ行くという意思のもと、南口デッキに降り立てば、左にも右にも曲がらないと思います。
    とにかくまっすぐ南に行きたい。
    そういう意思を持つ人は、階段を下りても、自力で方向を修正できます。
    まっすぐ南に降りるエスカレーターを自力で発見することも可能でしょう。

    南へ伸びている三鷹中央通りの道の両側を2つの銀行でしっかり示せば、デッキからどう降りるかは問題ではなく、どの道に降りるかが問題となります。
    そうすると、地図の見方が違ってきます。
    次に右折するスクランブル交差点は、角に「東急ストア」を示してあるから大丈夫。


    ・・・しかし、これが問題でした。
    東急ストアの文字、よく見ればまだ壁に残っていますが、店はもう存在しません。
    ここを曲がりそこねると、次の交差点は、うちの教室よりもずっと南です。
    大事な曲がり角の指示が不明瞭になっている!
    これは、地図を直さなければ。

    もう1つは、駅前郵便局の位置です。
    駅前郵便局は前述したタワービルの1階に入っています。
    そのビルは元の郵便局の敷地も含んでいますが、元の交差点の位置から郵便局が見えるかというと、見えないのです。
    交差点の名称はまだ「郵便局前」ですが。
    郵便局は、うちの教室に案内するために直接必要なものではないのですが、万が一、道に迷ってそちらのほうに逸れてしまった人に、「そこは違います」と示すための抑えとして重要な存在でした。
    それが間違った位置に残ったままの地図は、迷った人をさらに迷わせます。
    正しい位置に直さないと。


    早速、Wordに保存してあった地図を修正しました。
    修正は、感覚で触ってみたら簡単に修正できました。

    さて、問題は保存です。
    Wordのままでは、ブログに貼れません。
    ブログにはWordからの直接のコピーはできませんでした。
    画像として保存しないと。

    この地図の最初のバージョンを作った何年も前も、Wordで地図を作って画像として保存する作業を行いました。
    しかし、何年も前に1度やったきりの作業のやり方はもう覚えていませんでした。
    ネットで調べても、トップに出てくる解説は2010年のもので、今のWordとはバージョンが違うようです。

    ここで一気に、私は、説明する立場から、今度は説明を理解する立場に変わりました。
    ネット記事はスクリーンショットを用いて説明されていましたが、その画像が今のWordとはバージョンが異なるので、やってみてもその通りに画面は現れません。
    「図として保存」という選択肢が今はないのです。
    Wordの「ヘルプ」はいつもながら何のヘルプもしてくれません。

    最終的には、どうやったらそうできたのか何だかよくわからないけれど、偶然に「図」として保存できました。
    選択してコピーして、新規作成して添付するのを幾度か試みるうちに、偶然、コピーしたものが「図」になり、画像として保存できたのです。
    あー、良かったー。
    でも、腑に落ちないー。

    そんなわけで、ようやく修正できた地図が上の図です。

    説明すること。
    説明されること。
    教えること。
    教わること。
    やはり容易なことではない。
    こんなこと一つでも感じます。

    最初の教室地図は、教室開校時の2011年、Wordで作成しました。
    あの頃、生徒はまだ少なく、時間だけは沢山ありました。
    Wordの教本を買って、それと首っ引きで作りました。
    その地図が古びて問題を生じるほどに時間が経ちました。
    それは、それだけ長い時間、教室が続いてきたということ。
    ありがたいことだと噛みしめ、今年度も頑張ります。

      


  • Posted by セギ at 12:38Comments(0)講師日記

    2019年04月12日

    数A「整数の性質」不定方程式。xyの2次式を含む場合。


    なおも「不定方程式」の学習は続きます。
    今回はこんな問題です。

    問題 方程式 xy-x+3y-12=0 を満たす整数の組(x,y)の値を全て求めよ。

    この問題が今までと違うのは、xyという2次の項が含まれていること。
    これでは、前回までのように、
    ◇x+△y=◎
    といった形に整理するのは無理ですね。
    でも、因数分解して、
    (x+◇)(y+△)=◎
    という形にすることはできるんじゃないでしょうか。
    それができれば、整数の組を見つけることができそうです。
    だから、まず因数分解のようなことをしてみます。

    定数項ははみだして構わないので、完全な因数分解ではありません。
    xy-x+3y-12=0
    前の2つの項の共通因数はxなので、とりあえず2つだけをくくってみます。
    x(y-1)+3y-12=0
    ここで最初の共通因数であるxにばかり目がいって、
    「もう残りの項にxがない!だから、因数分解できない!」
    と嘆く高校生がいます。
    因数分解の問題を解くときもそうですね。
    着眼点がズレているのです。

    この先の共通因数はxではありません。
    (  )の中身のほうが全体の共通因数です。
    後半の項を(y-1)が共通因数となるようにくくることが次の目標となります。
    x(y-1)+3(y-1)
    このように、まずは強引に(y-1)という共通項を作ってしまいます。
    しかし、3(y-1)は、展開すれば3y-3です。
    -3という項は、この式に存在しません。
    だから、辻褄をあわせるために、その後に+3をします。
    すなわち、
    x(y-1)+3(y-1)+3-12=0
    x(y-1)+3(y-1)-9=0
    x(y-1)+3(y-1)=9
    共通因数(y-1)でくくります。
    (y-1)(x+3)=9
    順番を整えます。
    (x+3)(y-1)=9

    実際の答案では、ここまで丁寧に書く必要はなく、互いに影響しあわない作業は1行の中で処理していきます。
    ただ、あまり省略し過ぎると計算ミス・符号ミスをしやすいので、自分の中の「安全速度」を守って作業します。

    教科書や参考書に書いてある通りの書き方をしないとダメと思い、そのままそっくりに書いてしまう子は、特に中学入学直後に多いです。
    正負の数の計算で、
    (+3)-(+2)
    =(+3)+(-2)
    といった説明のための途中式をいつまでもいつまでも、そう書かねばならないのだと思い込んで書いていたりします。
    ( )を外せるようになっても、
    3-7+4-11
    =3+4-7-11
    と、順番をいちいち同符号ごとに直す癖の残っている子もいます。
    「それ、要らないよね?暗算できるよね?」
    と問いかけても、こう書いていた時期が半年を過ぎてしまっていると、もう癖になり、こう書かないと不安になり、一生直せない場合もあるようです。

    文字式の計算では、
    a2×ab
    =a×a×a×b
    =a3×b
    =a3b
    と丁寧に丁寧に書かなければならないと思いこんでいる子もいました。
    算数・数学があまり得意ではなく、しかも中1の最初に塾に通わなかった子がそのようになりがちです。
    教科書や参考書に書いてあるのは、わかりやすくするための説明であって、それが答案そのままとは限らないのですが、その加減が自学自習ではわからないのでしょう。

    場合によっては、文字まで印刷体とそっくりに書かねばならないと思い込んでしまっていた子もかつていました。
    x や y という文字、あるいは b という文字を、筆記体あるいはブロック体の書きやすい書体ではなく、印刷体そのままの妙な飾りやうねりのついた文字で書いていたのです。
    そう書かねばならないと思い込んで、そのままずっとそう書いてきて、違うと指摘されてももう直せなくなっていました。
    近年の算数・数学の教科書はその弊害を避けるために、極力、筆記体で x や y を書いてありますが、問題集まではそうなっていませんので、印刷体をなぞって書いている子は、今もいます。
    数字と区別がついているのなら、書き癖くらいはまあいいか、とも思うのですが、z の斜め線にクロスさせる点をつけない子は、「z」と「2」との見間違いが多く、計算ミスにつながってしまうのが残念です。

    一方、方程式の計算過程を全部単なる解説だと誤解して、与式の次はすぐにx=・・・ と書いてしまう子もいます。
    全部教科書の解説をそのままなぞる子も困りますが、省略し過ぎる癖がついている子も、計算ミスが減らない最大の原因となってしまいます。
    中1の最初、数学を学び始める最初の半年だけでも個別指導を受けてくれていたらと思うのは、そんな答案を見たときです。
    算数から数学への大きな転換期に、助言をくれる大人が側にいなかった。
    ノートや答案を丁寧に見てもらえなかった。
    それは、案外大きな傷跡を残します。
    一斉授業、あるいは、インターネットの動画を見るだけの授業は、本人の観察力や判断力が大きく作用します。
    間違えて覚えてしまった場合に修正できません。
    最初に間違った書き癖がつくと、根治は難しい場合が多いのです。


    さて、不定方程式の話を戻しましょう。
    (x+3)(y-1)=9
    まで式を整理できたら、それからどうするか。
    x、yは整数ですから、x+3、y-1も整数です。
    整数×整数が9になる場合は限られています。
    まずは、x+3と y-1との積が9になる場合を書き並べていきます。
    (x+3,y-1)=(1,9),(3,3),(9,1),(-1,-9),(-3,-3),(-9,-1)
    次に、そこからx、yの値の組を求めていきます。
    x+3から x を求めるには、-3をしていけば良いですね。
    y-1から y を求めるには、+1をします。
    (x,y)=(-2,10),(0,4),(6,2),(-4,-8),(-6,-2),(-12,0)

    xとyとを同時に計算していくと煩雑なので、先にxだけ計算することをお勧めします。
    x+3の値から単純に、-3した数値を書き込んでいきます。
    その後にyに値を書き込みますから、そのスペースは空けておきます。
    xの値を書き終えたら、次にyの値を書き込んでいきます。
    y-1の値からyの値を出すには、+1をします。
    そうした単純作業に置き換えることで、暗算しやすくします。
    x、y、x、y、と順番に計算していくと、煩雑な作業になり、時間もかかりますし、計算ミスもしやすくなります。
    ミスをしないためのちょっとした工夫を常にし続けること。
    それを習慣とすると、数学の得点は伸びていきます。


      


  • Posted by セギ at 12:09Comments(0)算数・数学

    2019年04月10日

    高校英語。能動態と受動態。その1。


    能動態・受動態という用語を用いるかどうかはともかく、「受け身の文」は、中2の終わりまたは中3の初めに学習する内容です。
    以前、受動態を中学生に教えていて、一番驚いたのは、

    問題 次の文を受け身の文に直せ。
    Mr.Yamada teaches English.

    これの答えを、
    Mr.Yamada is taught by English.
    と書いているのを見たときです。
    これでは、「山田先生は、英語によって教えられる」という意味になってしまいます。

    伝えたい内容を変えたらダメなんです。
    一見文法的には合っているような文でも、それはアウトなんです。
    しかし、色々と説明したのですが、その子は怪訝な顔をするばかりでした。
    「・・・え?じゃあ、Mr.Yamada と English をひっくり返せばいいんですか?」
    「・・・うん、まあそういうことなんですけど、なぜそうなるのか本当にわかりましたか?」
    「・・・・」
    本質を理解した表情ではありませんでした。

    能動態と受動態の意味の違いを読み取れない子どもたちは存在する。
    それに直面した瞬間でした。
    その場合、なぜ英語が身につかないのだろうというレベルの話ではありません。
    日本語の文でも、能動態と受動態の意味の違いが理解できていない可能性があります。
    目立つ単語をちょいちょいっと拾って文意を予想するのが「文章の読解」である子たちは、助詞・助動詞を読み飛ばしますので、能動態・受動態の違いを読み取ることができないのです。
    その読み癖を直すことが必要となります。

    受動態が理解できない子は、まず上のように「受け身の文」ということの意味が理解できないという根本の理由があります。
    その次に、be 動詞をいつも書き忘れるなど、覚え方が雑なために身につかない子もいます。
    「動詞の形は、be 動詞+過去分詞。be 動詞+過去分詞。声に出して言ってみよう。be 動詞+過去分詞。be 動詞のほうをむしろ強めに声に出して覚えようね。そこを忘れてしまう人、多いからね」
    そのように教えると、ものごとを覚えることが得意な子たちは、私が何のために何を強調しているのか、その意図も含めて丸ごと理解してくれますから、あっという間に覚えます。

    一方、勉強が嫌いな子たちが、1週間後、塾に来る直前に慌てて解いてきた宿題は間違いだらけです。
    The letter wrote by her.
    といった英文を書いてきます。
    それは違うよと説明しても、
    「えー?これで正解でしょう?受け身の文って、過去形でしょう?」
    と謎の記憶違いを起こしていたりします。

    be 動詞が抜けています。
    過去形ではなく、過去分詞です。
    The letter was written by her.
    が正しい文です。

    嫌い、興味がない、というのはこれほど雑な記憶違いを起こします。
    本人の頭の良さとはあまり関係ないようです。
    この子は、小学生の頃は頭の良い子だと周囲からも親からも思われていたのではないか?
    勿論本人も、自分の頭の良さにある程度自信があったのではないか?
    小学校の勉強は簡単だと思っていたのではないか?
    会話していても頭の回転の速さを感じる・・・。
    そういう子が、中学生になって急速に成績が低下していくことがあります。
    生まれつきの頭の良さは中学生になっても変わらないけれど、周囲が勉強しているのに本人は勉強しないから、思考の複雑さにおいて周囲に追いつかれているのです。
    それでも「勉強しなくてもできるのがカッコいい」というスタイルを崩せないため、ちょっと厄介なことになっています。
    国語や数学に比べて英語が苦手な子は、そういうタイプが多いです。
    英語は地味な努力がどうしても必要になりますから。

    さて、高校で学習する「受動態」も、基本はここから始まります。
    受動態は、be 動詞+過去分詞。
    この基本ルールを把握しておけば、各時制の受動態も同じルールに貫かれていることがわかります。

    まずは、現在進行形。
    能動態 They are building the house.
    受動態 The house is being built.
    進行形ですから、「be 動詞+~ing 」が必要です。
    でも、受動態ですから、「be 動詞+過去分詞」も必要です。
    したがって、進行形の受動態は、「be being +過去分詞」となります。
    これを理屈でしっかり理解しておくと、単なる丸暗記よりも思い出しやすくなります。

    次に、現在完了形。
    能動態 We have polluted water.
    受動態 Water has been polluted.
    完了形ですから、「have +過去分詞」が必要です。
    でも、受動態ですから、「be 動詞+過去分詞」も必要です。
    したがって、完了形の受動態は、「have been 過去分詞」となります。
    筋が通っていますね。
    このように理屈通りだから、非ネイティブは英語を学びやすいです。
    勿論、長年使われている言語ですから例外的なことも沢山ありますが、英語は文法の基本ルールがスッキリしています。

    さて、完了進行形の受動態。
    理屈上はそういう形もありますが、動詞部分が長くなり過ぎて重いので、現実にはあまり使用されることがありません。

    高校で学ぶ受動態は、まずは各時制の正しい受動態の形を理解し、正確に作れるようにすれば、基本はOKです。

      


  • Posted by セギ at 11:30Comments(0)英語

    2019年04月08日

    奥高尾を歩きました。2019年4月。


    2019年4月7日(日)、奥高尾を歩きました。
    JR高尾駅北口から、陣馬高原下行きのバスに乗りました。8:50。
    車窓からは、高尾の街の桜が見えました。
    青空を背景にした高台に立つ、胸をつかれるような巨木の桜に見とれていたら、多磨霊園の門が見えてきました。
    なるほど。
    1日4500円の臨時駐車場がところどころにあり、花見客目あてだろうかと思っていると、やがて川で釣りをする多くの親子連れが見えました。
    今の季節は何が釣れるんでしょう。

    陣馬高原下。9:20。
    支度を済ませて、さて出発。9:35。
    茶店の店頭に高尾・陣馬スタンプハイクの台紙とスタンプが置いてあったので、参加することにしました。
    花のスタンプです。
    陣馬高原下は、ヤマブキ。
    今の季節によく見る黄色い花ですね。

    バス2台の客が1度に着いたものの、今日は団体客が多いのか、トイレや支度に時間がかかって出発は遅く、登山道はまだ空いていました。
    舗装された林道をしばらく登り、道しるべの出ている分岐から登山道へ。9:50。
    桟道が朽ち始め、それぞれの木が細くなっているのを見て、用心しながら通過。
    この登山道が開かれたのは平成に入ってからですが、平成ももう終わりますものね。

    沢沿いの道を抜けると、1つ目の急登の始まりです。
    ジグザグ道をひたすら登り、大きく左に曲がる道しるべのある場所で、急登はいったん終了。10:15。
    これからの季節は新緑に包まれる良い場所です。

    ちょっと休憩した後、緩やかになった広い道をしばらく行くと、第2の急登が始まりました。
    昔はジクザグに道が切られていて、その跡も残っているのですが、直登する人が多く、今はそちらの道のほうが明瞭になってきました。
    直登は疲れるので、できるだけジクザグ道を歩き、てっぺんの道しるべまで登りきると、そこからは斜面をトラバースする道です。
    やや細いので、冬の凍結時期はヒヤヒヤするところですが、今日はのどかに通過。
    大きなカエデの立つ場所に着きました。10:40。

    そこからは緩い登りを行き、陣馬山山頂。10:50。
    春霞で富士山は見えませんでした。
    近景の山まで霞む、春の空です。
    春の山と空を写真に撮ると、なぜか昔のフィルム写真のような味わいになることがあります。
    今年の風景なのに、30年前の写真みたい。
    草地にレジャーシートを敷いて、休憩。
    寝転んでいる人もいます。
    陣馬山は、桜はまだ固いつぼみで、全く咲いていませんでした。
    陣馬山頂のスタンプは、イカリソウ。
    奥高尾でイカリソウを見た記憶がないのですが、スタンプになっているくらいだから、どこかに咲いているのでしょう。
    奥多摩や山梨の山では、麓近くで見ることがあります。

    さて、ここから高尾山へと縦走します。
    乾いた歩きやすい良い道をどんどん行くと、明王峠。
    ベンチが1つ空いていました。
    この先は花見客で混雑も予想されるので、ここで昼食にしました。11:40。
    明王峠の桜は三分咲きというところ。
    見頃は来週でしょうか。

    再び出発。12:00。
    まき道に咲くスミレを愛でながら、のんびり歩いていきました。
    奥高尾は、多様なスミレが咲きます。
    色もさまざまです。
    尾根道には、ミミガタテンナンショウがにょきにょき生えていました。
    ヒトリシズカを探しながら歩きましたが、まだ少し早かったようです。

    景信山。13:05。
    ここも予想ほど混雑していませんでした。
    桜はこちらも三分咲き。
    景信山のスタンプは、ジュウニヒトエ。
    これは奥高尾でも見たことがある、薄紫色の花ですね。

    さて、ここからは奥高尾縦走路の中では険しい下り道が続きます。
    道が細かったり険しかったりするところでは道を譲れないので、道幅の広いところでは速い人が追い抜きやすいように道の片側に寄って歩きます。
    それでも、ずっと後ろをついてくる人がいるのが「奥高尾あるある」な課題です。
    本音を言えば、こんなに道の広いところでいちいち立ち止まって道を譲っていては、私が時間をロスするので、さっと抜いてほしいところです。
    そう思うのですが、若い子の中には、前の人が立ち止まって譲ってくれるまで、1mくらい後ろをただただついてくる子がいます。
    こんなに道が広いのに?
    二人並んで歩いている人もいるくらいの道で?
    若い子の読む山岳雑誌やネット記事に、間違った「山のマナー」が記されていたりするのでしょうか?
    道幅が広いときは、後ろから「こんにちは」とか「通ります」と声をかけて、さっと横を追い抜いていけばいいのだけれど。
    前の人にわざわざ立ち止まらせるのは、むしろ少し迷惑をかけることです。
    とは思うものの「こんなときは追い抜いていけばいいのよ」とその子に言うのも、山で変な説教をするおばさんという感じで、避けたい。
    それで結局立ち止まり「どうぞ」と道を譲ると、若い子は嬉しそうに追い抜いていきます。
    これでは、その子の成功体験を強化しているだけなので、今後もこれを続けるのでは?
    難しいなあ。

    小仏城山。14:00。
    桜はまだ三分咲きでしたが、桃が満開でした。
    広場を縁取るユキヤナギも咲き始めています。
    ここは茶店の人が下界の花も植えて育てているので、春はひときわ華やかな場所です。
    城山のスタンプはエイザンスミレ。
    うん。沢山咲いています。

    さて、ここからは桜の道が高尾山まで続く、一番楽しみなところです。
    まだ少し早かったですが、早咲きの桜はもう満開でした。
    特に一丁平付近は満開の桜が多く、きれいでした。
    色々な桜が咲くので、白から濃いピンクへと桜のグラデーションが見られました。

    桜の季節は尾根道を選択。
    紅葉台へと久しぶりに木段を登っていきました。
    桜はあまり咲いていませんでしたが、目当てのミツバツツジはもう満開。
    まだつぼみも沢山ついていたので、来週も楽しめると思います。

    紅葉台。15:00。
    そこからさらに、本日は石段を登って高尾山頂へ。
    高尾山。15:10。
    スタンプは、スタンプハイクの黄色い旗の真下に置いてあるので、ここでも黄色い旗をまず探しました。
    ビジターセンターの前に黄色い旗を発見。
    しかし、そこには15人ほどの集団が輪になっていて、旗の下がよく見えません。
    きょろきょろ覗いても、スタンプが確認できず、ふと見ると、「スタンプは展示室にあります」という掲示が。
    どうにかして展示も見てほしいというスタッフの願いなのでしょうか。
    見たことあるから、必要ないんだけどなー。
    飾られている写真はとてもきれいですが。
    ともかく、スタンプは、ヤマザクラ。
    高尾山頂の桜の大木は満開でした。

    ここからは1号路を歩きました。
    薬王院のスタンプはシダレザクラ。
    なるほど、石段の枝垂桜が満開でした。
    満開の枝を石段に投げかける、薬王院で一番華やかな桜です。

    ケーブル山上駅のスタンプはシャガ。
    根を強く張るので斜面の土止めに使われる、アヤメに似た薄紫色の花です。
    これも高尾でよく見る花ですね。

    1号路をとっとこ歩いて下り、ケーブル清滝駅のスタンプはタカオスミレ。16:25。
    1号路に咲くという情報がスタンプ台紙に書いてあり、「本当に?」と驚きました。
    1号路にも咲くのですか。
    タカオスミレは、ヒカゲスミレの変種で、高尾で最初に発見されたスミレです。
    葉は黒味がかった濃い紫色で、白い花をつける、特別な印象のスミレです。
    最近少なくなっている気がして心配していたのですが。

    京王高尾駅からJR高尾駅への連絡通路で、最後のスタンプを押しました。
    イカリソウ。
    これは、陣馬山頂と同じですね。
    さて、スタンプ台紙を見直すと、押せなかったのは、びわ滝と、京王高尾山温泉。
    温泉のスタンプは、温泉に入らなくても押せるのかな?
    ケーブル山頂駅でスタンプを押した後、高尾山の中では一番険しい急坂を琵琶滝に直接降りていけば、1日で全スタンプ制覇も可能でしょうか。
    来年、やってみようかな。
    スタンプハイクは5月末まで開催中です。
    ヽ(^。^)ノ

      


  • Posted by セギ at 13:01Comments(0)

    2019年04月06日

    数A「整数の性質」。不定方程式。文字が3種類で自然数の解を求める問題。


    今回も「不定方程式」。こんな問題です。

    問題 方程式 x+3y+5z=23 を満たす自然数の組(x,y,z)をすべて求めよ。

    方程式は1本。文字は3つ。
    こんな問題、解は無数にあるのでは?
    でも、全部たし算ですし、「自然数」という条件があるので、解は限定されます。
    「自然数」というのは、1,2,3,4,・・・・という、正の整数です。
    どの文字も負の数になってはいけないということです。
    合計23の中で、1つの文字の取り分が増えていけば、他の文字の取り分が減るので、これは限りがあるとわかります。

    さて、こういう問題は、係数の大きい文字の範囲をまず計算します。
    この問題では、zの係数が5と一番大きいので、zの範囲を決めます。
    23からの取り分が大きくなる文字から決定したほうが、その後の計算が楽だからです。
    x+3y+5z=23
    移項して、
    5z=23-x-3y
    ここで、x、yは自然数なので、x≧1、y≧1。
    x=1、y=1を代入して、
    5z≦23-1-3・1
    5z≦19
    z≦19/5
    zは自然数だから、
    z=1,2,3

    ここで一番難しいのは、5z≦23-1-3・1 でしょうか。
    予想していた向きとは不等号の向きが逆で、「え?え?」となってしまう方もいらっしゃるかもしれません。
    合計は常に23です。
    その中で、xとyの最小値1を代入しました。
    その場合、5zの取り分は最大となります。
    だから、実際の5zはその最大値以下となります。

    さて、ここから場合分けして考えていきます。

    [1] z=1のとき
    x+3y+5z=23 に代入して、
    x+3y+5・1=23
    x+3y=18
    よって、
    (x,y)=(3,5),(6,4),(9,3),(12,2),(15,1)

    [2] z=2のとき
    x+3y+5・2=23
    x+3y=13
    よって、
    (x,y)=(1,4),(4,3),(7,2),(10,1)

    [3]z=3のとき
    x+3y+5・3=23
    x+3y=8
    よって、
    (x,y)=(2,2),(5,1)

    これらは、x=1の場合から1つ1つ代入して計算しても勿論求められるのですが、時間がかかります。
    もう少し早く合理的に求めたいです。
    例えば、x+3y=18 の場合、
    x=0ならば、3y=18なので、y=6です。
    しかし、xは自然数なので、x=0は解ではありません。
    そこからyが1減って、y=5になると、3y=15です。
    全体の18から3減ることになります。
    それがxの取り分となりますから、x=3、y=5が最初の解の組だとわかります。
    あとは同じように変化していきます。
    つまり、全体としては常に3だけyからxへとやりとりがあります。
    だから、xは3ずつ増え、yは1ずつ減ります。
    (3,5)が見つかった後は、xは3ずつ増やし、yは1ずつ減らして、yが0や負の数になる前に止めれば良いのです。

    こういうやりとりの問題は、中学受験の受験算数でも出題されます。
    しかし、小学生でも、そして高校生でも、このやりとりがよくわからないという場合があります。
    わからないから、1から全部代入して求めたい。
    よく考えればわかるかもしれないけれど、煩わしいので、普通に計算したい。
    とりあえず解き方の理解に集中したい。
    やりとりの話は全体が見えてからゆっくり考えたい・・・。

    じっくり考えれば何も難しいことではないので、そういう人も大丈夫だと思いますが、これがわからないままとなると、テストでこの問題を解くのに時間がかかり、時間切れの恐れが出てきます。
    これは理解してほしいところです。

    例えば、 2x+3y=24 (x、yは自然数) を解くときに、xが0ならば、yは8です。
    これは暗算ですぐ出てきます。
    ここからxを増やしていきますが、yの項からもらえるものは必ず3の倍数です。
    しかし、2xは2の倍数です。
    だから、余りが出ないようにするには、2と3の最小公倍数の6ずつやりとりをすることになります。
    すなわち、xは3ずつ増え、yは2ずつ減ります。
    だから、
    (x,y)=(3,6),(6,4),(9,2)
    どうでしょうか?
    このことは、理解できる子には何でもないことなのですが、「わかりにくい」と感じる子にとっては、いくら説明を聞いてもわからない、何を言っているのかさっぱりわからない、日本語で説明されているとは思えないくらいわからない、ということのようなのです。
    表現が難しいですが、「数字と友達になっていない」ということなのかもしれません。
    サッカー選手にとって「ボールは友達」で自在に操れるものであるように、数字を自在に操れると、色々なことが楽になります。

    まだ最終解答をまとめていませんでした。
    答えは、(x,y,z)の値の組で答えますから、
    (x,y,z)=(3,5,1),(6,4,1),(9,3,1),(12,2,1),(15,1,1),(1,4,2),(4,3,2),(7,2,2),(10,1,2),(2,2,3),(5,1,3)
    これが最終解答です。

      


  • Posted by セギ at 18:24Comments(0)算数・数学

    2019年04月03日

    学年末テスト結果集計出ました。2019年3月。


    学年末テスト結果が出ました。
    数学 80点台 1人  60点台 1人  40点台 1人
    英語 100点  1人  90点台 1人  30点台 1人

    受験生が卒業したので、中学生・高校生の人数が随分少なくなりました。
    そんな中、今回から英語を受講することになった人が、いきなり90点台となりました。
    「これを覚えて」
    「ここがテストに出ます」
    と指示するだけでスルッと得点が上がりました。
    以前から、自分で勉強はしていたが、何が大事で、何がテストに出るかの焦点があまり定まっていなかった。
    自分で勉強するには、市販の教材では量が不足していた。
    そういう人は、簡単に成績が上がります。

    中学生、特に公立中学生にはそういう人が多いのです。
    何を勉強したら良いのか、わからない。
    基本はわかっているので、もっと応用力をつけたいと思うのに、定期テストに出そうな問題が沢山載っている問題集が手に入らない。
    書店で問題集を探しても、簡単過ぎたり難し過ぎたりで、何だかちょっと違う。
    学校で渡されるワークは簡単な問題が多く、でも、定期テストはそれよりずっと難しい。
    勉強を頑張ろうと思うのに、いつも何かピントがズレてしまうのを自分で感じる。

    そういう人が、早くうちの教室を見つけて、授業を受けにきてくれないかなあと思います。
    定期テストに関する正確な情報さえ提供してくれれば、高い精度で学習すべき内容を提示できます。


      


  • Posted by セギ at 14:33Comments(0)講師日記