2016年03月27日
中学生の学ぶ「場合の数」と公式。
小学校では、「ならべ方と組合せ方」として。
中学では、「場合の数と確率」として。
中学では、まだ順列や組合せの公式は学びません。
順列は、P(permutation)。
組み合わせは、C(combination)。
それぞれの公式は高校の学習内容です。
例題 A、B、C、Dの4人でリレーをする。走る順番は何通りあるか。
高校で学ぶPの公式を用いるならば、
4!=4×3×2×1=24
答えは24通り。
簡単ですね。
簡単なので、中学生の子どもの勉強を見る際にこれを教えてしまう保護者の方もいらっしゃると思うのですが、お子さんが完全に理解できるとは限りません。
この公式は、公立中学では教えないのです。
なぜ教えないのかといえば、教えても理解できない子が多いからだと思います。
私の実感としても、そうです。
4×3×2×1という式が「4」から始まるのが、どうも飲み込みにくいようです。
それまで小中学校で学んできたかけ算とは発想が逆だからでしょうか。
丸暗記してとにかく覚えても、問題に少しひねりが加わると公式をどう活用するかわからないことが多いです。
それよりも、普通の小中学生が理解できる解き方があります。
まずAから始まる樹形図を描いてみます。
規則的なのが明らかな樹形図をわざわざ描く?そんなバカな。
そう思われるかもしれません。
しかし、規則的なのかどうかすら、彼らはまだ判断できないんです。
Aから始まる樹形図を自力で描ける子はそれでもかなり数学の出来る子。
たいてい、大人が見たらびっくりするような、小汚くて間違った樹形図を描きます。
(^-^;
どのように枝が広がるかを予想して大きく余白をとって描いていくことができないので、線が交わりそうでグチャグチャです。
最後のほうは枝が上にも下にも広がって、タオル専用の洗濯ハンガーみたいになってしまう子もいます。
縦列を揃えることができず、終わりの位置がバラバラで、何が何だかわからなくなる子もいます。
描いた本人もその出来上がりの醜さにうんざりしてしまいます。
何でそんなことになるのか?
彼らは、出来上がりのイメージを持っていないのです。
頭の中に完成された樹形図のイメージがありません。
そして、頭の中に正しい樹形図のイメージがなかったら、Pの公式の意味は理解できません。
だから、正しいイメージが持てるまで、自分で樹形図を描いたり、模範解答の樹形図を見たりを繰り返すほうが「場合の数」に対する理解が深まります。
とにかく、Aで始まる樹形図をひとまとまり描いて、全部で6通りあることを数えて確かめる。
これは、Bから始まっても、Cから始まっても、Dから始まっても、同じ樹形図になるだろうと予想する。
だから、式は、6×4=24。
答えは24通り。
小中学校で学ぶ順列は、この解き方で良いのです。
この解き方なら、ほとんどの生徒が理解できます。
そして、この過程をきちんと踏んだ子は、高校数学に進んだとき、順列の公式の意味も理解できます。
公式だからとにかく暗記しなければならないということではなく、意味を理解して使いこなすことができます。
中2のときには理解できなかった4×3×2×1を、高校生になれば理解します。
焦らなくても、それを学ぶにふさわしい年齢になれば、数学はそんなに難しくありません。
中2の場合、かなり学力の高い子でも、6×4の式のほうが理解しやすいようです。
数学の成績が「4」の子の大半はそうだという認識が私にはあります。
意味のわからない公式を無理に使って、足場を失うより、年齢に相応しい学び方があると思います。
その一方、4×3×2×1の式の意味が理解できる子は小学生にもいます。
私立中学を受験するなら、理解できたほうが話が速いし解くのも速いので、受験生には教えます。
また、公立中学の生徒で、大学付属の私立高校または都立自校作成校を受験する子には、教えます。
実際に順列の問題が入試に出るかどうかというよりも、脳のキャパを拡張させたい。
抽象思考が出来るようにしたい。
そういう意味あいもあります。
ただ、これも、理解できないのなら仕方ないので、深追いしなくて良いと思います。
地道な解き方のほうが理解できるのなら、それで良いと思うんです。
本人が理解できたのなら、発展的な公式や定理は、学校の数学の問題を解くときにも普通に使っていいのです。
学校の先生は、生徒全員が理解するのは難しいから教えないだけで、先生本人がその解き方を知らないわけではありません。
「自分が教えた解き方以外は認めない」なんて態度は、およそ数学的ではありません。
教えた解き方以外をバツにする先生はまずいません。
発展的な解き方をしてある答案を見たら、にやっと笑い、「勉強してるな」とつぶやいて丸をつけるのが普通です。
しかし、私のこういう話を聞いて頷く子は、数学が得意な子に限られているようにも感じます。
数学が得意なので、学校の数学の先生と良好な関係を保ち、信用することができるのでしょうか。
数学が苦手な子は、数学の先生のことも信用しないのかもしれません。
嫌な思いをしたことがあるのでしょう。
「いや、うちの数学の先生はダメ」
と言い、その先生の解き方以外はバツになると思い込んでいる子もいます。
あなたの答案が以前に減点されたのは、学校の先生の教えた解き方と違っていたからではないでしょう。
数学的にアウトな答案を書いたのに、どこがアウトでなぜ減点されたのかわかっていないのでは?
そう説明するのですが、なかなかそういう観点からものを見るようにはなれないみたいです。
まだ中学生ですもんね。
ただ、私立の一貫校の場合、減点の基準が正直私にも理解できないということもたまにあります。
卒業生の答案の書き方について、初等科の先生は中等部の先生から苦情を言われ、中等部の先生は高等部の先生から苦情を言われて、自粛し過ぎておかしなことになっているかな?
そう思うこともないわけではありません。
好きで通っている私立ですから、その辺は諦めるしかないかもしれません。
ところで、私立・都立中学の生徒は「体系数学」で学んでいることが多いです。
文科省認定外の特殊な教科書です。
PやCの公式は、「体系数学代数2」でもう出てきます。
中2または中3で学ぶことになります。
学校で教わるので、どうしても理解してもらわなければなりません。
私立・都立中学に通う子が数学が得意とは限らないので、これはなかなか大変です。
数学を嫌いになるために勉強しているような地獄巡りの様相を呈することもあります。
高等部からは「体系数学」ではなく普通の高校数学のカリキュラムに移行する学校だと心底ほっとします。
高校生がその学年に相応しい高校数学の教科書で学んでいる限り、数学は難しくない。
必ずわかるようになります。
2016年03月14日
高尾のハナネコノメ。2016年3月。
2016年3月13日(日)、高尾の春の妖精、ハナネコノメを見に行ってきました。
高尾の花好きはこの花の咲く場所を知っていると思います。
ただ、花を好きではない人が写真を撮ってネットに上げるためだけにやってきて、踏んではいけない場所を踏みつけにすることがあります。
だから、どこで撮影しているかは秘密です。
盗掘はもっと怖いです。
そのため、本日歩いたコースも秘密。
奥高尾はうっすらと雪景色でした。
うわあ、こんなで春の花が咲いているかなあ。
でも、ちょっと高度が下がれば、もう雪はありませんでした。
ドロドロの登山道も乾いていました。
私の知っている場所は2箇所あって、1つは有名な場所です。
上の写真が有名な場所での大きな株。
もう1つはほとんど誰も知らないんじゃないかと思います。
株が小さいし、花の咲くのも遅いです。
いつもの場所に小さな株が今年もありました。
良かった。
2016年03月10日
大学合格結果出ました。2016年。
セギ英数教室、今年度の受験生は高3が1人。
その受験結果が出そろいました。
第一志望の国立大学に合格。
第二志望の中央大学も合格しました。
こちらは、センター利用と一般受験と両方合格。
やったー。
合格おめでとうございます。
ヽ(^。^)ノ
当塾では英語を受講していました。
入塾当時、学校の定期テストはそんなに悪くないけれど、校外実力テストの偏差値は高くないという状態でした。
真面目な子によくみられる傾向です。
範囲のあるテストなら得点できる。
初見の英文は読めない。
塾では、学校の英語の予習復習はしなくて良いという条件だったのが、まず良かったです。
とにかく入試対策に一本化できました。
そして、最初は単語暗記に時間のほとんどを投入できました。
単語暗記に余裕ができたら、残る時間で文法の総復習。
それも目途が立った頃から長文読解演習を始めました。
何の変哲もないカリキュラムです。
ただ、量は普通ではなかったかもしれません。
私の提示する課題の物量に多くの生徒はついてこられません。
受験勉強としては普通の量で、英語の受験勉強は塾の宿題だけやれば十分。
学校でも高3ともなれば何か演習的なことをやるだろうし、それで補強すれば鬼に金棒。
そのように予定しています。
でも、それをこなせる生徒ばかりではないのが現実です。
単語の覚え方もそうです。
例えば、10日で100個の単語を覚えなければならないとしたら。
多くの生徒はこう言います。
「1日に10個ずつ覚えます。そうしたら、10日で100個覚えられる」
しかし、このような覚え方で11日目に100個の単語テストをして、果たしていくつ正答できるのでしょうか?
10日で100個の単語を覚えなければならないのなら。
1日で100個覚えます。
2日目も、同じ100個を反復します。
それを10日繰り返して初めて、高い精度で100個の単語の暗記に成功するでしょう。
あるいは少し譲歩して。
1日で50個覚えます。
2日目に残りの50個を覚えます。
3日目以降は同じ100個を反復します。
さらに譲歩して。
1日目は最初の10個を覚えます。
2日目は、最初の10個を含む20個を覚えます。
3日目は、30個。
そうして、10日目、完璧に100個覚えるのはこのやり方では難しいとしても、50個以上の精度は確保できるでしょう。
どのやり方でもいいのです。
でも、「1日10個ずつ」はダメです。
しかし、それがどうしてダメなのか、多くの高校生は理解していません。
短期記憶は短期で消えます。
長期記憶に変えるためには反復する必要があるのです。
この当たり前のことを高校生は認めたがらないのです。
実際の単語暗記は10日で100個がゴールではありません。
1か月で数千個が目標となります。
それを3か月反復すれば、まあまあ長期記憶になっていきます。
長文を読み進めることが今までほど苦痛ではなくなります。
辞書を使わずに読んでいけます。
自力で読めるようになれば、今までよりも多くの英文を短時間で読めます。
多読は、単語力をさらに増強させていきます。
私の提示するカリキュラムはこのように何の変哲もないものです。
楽ができる特別な方法なんてないのです。
「魔法のような単語の覚え方」や「英文を読まずに正答する方法」がどこかにあると思っているうちに、入試の日は来てしまいます。
そんなものはないと見切ってただ努力する人が栄冠を手にします。
覚えやすい単語集を提示し、さらに覚えやすくするための工夫は指示しますし、そのための副教材も渡しますが、本人が努力しないことにはそんなのは無意味なんです。
それにしても、本当に努力する人でした。
演習教材は無尽蔵と自負していましたが、最後にもう1コマだけ増やしたいと言われたときは、私が音を上げました。
もう演習する教材がないよ。
まさか底をつくとは。
誰も到達しなかった演習量に達しての合格でした。
本当に良かった。
希望通りの大学生活を謳歌し、望む未来を獲得してください。
セギ英数教室、現在、授業コマは全て埋まり、キャンセル待ちをしていただいております。
ありがとうございます。
これからも生徒に負けず精進いたします。
2016年03月03日
平行四辺形の定義や定理と、数学における暗記について。
中学2年生の場合、四角形まで学習が進みますと、もはや図形への苦手意識は深刻過ぎて、何がわからないのかそれすらわからない、という状態になっていることがあります。
2組の対辺が平行な四角形を平行四辺形という。
これが平行四辺形の定義です。
平行四辺形というのは、定義としては、向かいあう辺が平行であることしか決めていません。
しかし、そこから言えることがいくつもあります。
それが定理です。
定理というのは、証明できる事柄のうち、重要なこと。
平行四辺形の2組の対辺は等しい。
平行四辺形の2組の対角は等しい。
平行四辺形の対角線は、それぞれの中点で交わる。
凄いです。
平行であることしか決めなかったのに、長さが等しくなっちゃうんです。
角が等しくなっちゃうんです。
対角線が、ちょうど真ん中で交わるんですよ。
凄いですよ、これ。
しかも、なぜそうなるのか全部証明できるんです。
凄いですよ。
このことに感動してほしいんです。
そうしたら図形は楽しくなるのになあ。
二等辺三角形の2つの底角が等しいことを証明する学習のあたりでは、なんでそんなわかりきったことを先生は必死に証明しているんだろう、バカみたい、こんな授業は意味がない、と斜に構えていた中学生は、平行四辺形に関する証明が始まると、授業で何をやっているのかわからなくなってきます。
定義で決めたことと、定理として証明できることとの区別に対する意識が低く、「バカみたい」と思っていたためか、証明の根拠として使えることと使えないこととの区別がつかなくなってしまうようです。
いったん定理として証明すれば、それは次からの証明問題に当然のように使います。
ぼんやりしていると、使っていいことと使ってはいけないことが区別できなくなります。
定理の証明と、証明問題に定理を使うこととの混同が深刻で、区別できない子は多いです。
もう1つは、「数学は暗記科目ではない」という呪縛があるのかもしれません。
暗記科目ではないのだから、暗記してはいけないと思うのでしょうか。
確かに、意味もわかっていないのに作業手順だけ覚えても仕方ありません。
けれど、大切な定義や定理を暗記していなかったらどうにもなりません。
頭の引き出しに入っていないことは、出して使えません。
証明には、これまで証明してきた全ての定理を使います。
平行四辺形に関する定理だけでなく、二等辺三角形の定理もあれば、平行線の錯角や同位角の定理もあります。
これらの全てを証明で使うということが意識できず、解答解説を読めば理解できるけれど自分で証明の答案は書けないという子は多いです。
理解したら暗記することは、必要なことです。
「数学は暗記科目ではない」という人がいますが、その人が定理や公式を暗記していないわけではないんです。
本人は、何の苦労もなく意識もせずに暗記しているんです。
本人は数学が大好きなので、「理解すること」と「暗記すること」が完全に一致しているのでしょう。
理解するだけでスラスラ覚えられるんです。
そして、自分がそうなので、他人もそうだと思ってしまうのかもしれません。
それは、脳が特殊ということではなく、好きな分野では普通に起こることです。
好きなミュージシャンの新曲の歌詞は、2~3回聞いたら覚えられるでしょう?
好きなマンガ家の作品のタイトルは無理に暗記しなくても全部言えるでしょう?
ファッションが好きな人は、新しいブランドの名前やスタイルの名称を次々と覚えられるでしょう?
好きなことなら「理解すること」=「暗記すること」=「活用すること」なんです。
でも、多くの人にとって、数学では「理解すること」と「暗記すること」と「活用すること」との間には、それぞれ深い溝があります。
大変な距離があります。
その溝を、その距離を、努力で埋めなければなりません。
だったら、数学に興味をもてばいい。
正直面白くないと思っていても、自分に嘘をついても、興味があることにしたらいいと思います。
数学で良い成績を取ることが自分に必要なことなら、そういう方向に気持ちをもっていきましょう。
数学の成績を上げたいと思っているくせに「嫌いな勉強をやらされている」という被害者意識で勉強していると、頭に入りにくいですよね。