たまりば

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お知らせ

2020年11月26日

高校英語。仮定法。if節と主節の時制が異なる場合。


本日は、仮定法の中でもちょっと失点原因になりやすい問題を解いてみましょう。

問題 次の空所を埋めよ。
(1) If you had been a little more careful, you would ( )( )( ) such a mistake.
(2) If I had not taken the wrong train, I ( )( ) there now.

if 節を見ると、「if +主語+過去完了」 となっています。
これは、仮定法過去完了。
過去の事実に反する仮定を述べる文。

仮定法過去完了の主節は、「主語+助動詞過去形+現在完了」です。
ええと、ええと。
(1) If you had been a little more careful, you would (have)(not)(made) such a mistake.
(2) If I had not taken the wrong train, I (would)(have) there now.
よし、できた。

・・・うーん。
(1)は、正解です。
しかし、(2)は、不正解です。

仮定法には、「if 節は仮定法過去完了、主節は仮定法過去」という形があるのです。
すなわち、正解は、
(2) If I had not taken the wrong train, I (would)(be) there now.
です。

・・・何でそんな変な形があるの?

と、生徒に嫌な顔をされることがあるのですが、考えてみれば、そういうことを言いたい場合も多いのではないでしょうか。
過去のあのときこうしていたら、今頃はこうだったろう。
単なる仮定法過去完了よりもさらに根深い「たら・れば」で、気が滅入ること限りなしではありますが、そういうことを言いたいときもあるでしょう。
そのためにあるのが、この形です。

(2)は、「もし私が間違った電車に乗っていなかったら、今頃はそこにいただろう」という意味です。
「もし間違った電車に乗っていなかったら」というのは、過去の事実に反する仮定。
過去の事実に反する仮定だから、if 節は、仮定法過去完了。
今頃、そこにいただろうというのは、現在の事実に反すること。
だから、主節は、仮定法過去です。

もう少し例文を見てみましょう。

If he had not bought that expensive picture, he would have a lot of money now.
もしあの高価な絵を買わなかったら、彼は今頃多くのお金を持っているだろう。

If she had eaten sensibly as a child, she would have better teeth now.
もし子どもの頃に考えて食事をしていたら、彼女は今頃もっと良い歯をしていただろう。


見分け方のコツとしては、主節の最後に now と書いてある場合が多いです。
それを見つけたら、ああ、このパターンだと思い出してください。
ここは大事なところです。
テストにもよく出ます。
これを知っておけば簡単に得点できますから、むしろラッキーなくらいです。

しかし、英語のテストの得点がふるわない子に、
「ここは重要。こういうところがテストによく出るよ」
と強調しても、それを覚えないことがあります。
むしろ、
「そんなはずはない。こんなところはテストに出ない」
とすら思うようなのです。

なぜなのでしょうか?

もしかしたら、英語に関して、「ここはテストによく出る」という感覚がズレているのかもしれません。
それには、「こういうのはテストに出ないでほしい」という願望が入っているような気がします。
「たら・れば」を口にしなければならないような願望まじりの勉強です。
「もしも、あのときこれを勉強していたら、今頃私はこの問題を解いているだろう」
と、テスト中に後悔するような勉強をしているのです。

では、なぜそのような間違った認識をしてしまうのでしょうか。
英語が苦手な人、特に英文法が苦手な人は、文法の中でも基本中の基本だけが大切で、それだけがテストに出ると思ってしまう傾向があります。
それは中学生の頃からそうです。
教科書の各セクションの基本例文だけ暗記して、それで英語は大丈夫と思ってしまう人がいます。
しかし、テストは、主語を変えたり、時制を変えたりした、もう少し細かい文法事項が出題されます。
基本例文だけ丸暗記しても、解けないことが多いです。

文法問題の練習をして、間違えても、あまり気にしないのが、そういう人の不可解な点です。
間違えた問題がテストに出るかもしれないという意識を持っていないようなのです。
間違えた問題からは目をそらし、「基本はできた。大体できた」と思ってしまう様子です。
自分が正解できた問題は、良い問題。
自分が間違えた問題は、些末なくだらない問題。
こんなのは、テストに出ない。
そこまで強く意識しているわけではないにしろ、間違えた問題を復習しないということは、そういう判断をしているということなのですが、それに気づいていないようです。
間違えたということは、そこが学習上の「穴」になっているのですが、そのことに気づいていない。
そういうことが繰り返されているのに、学習方法を改善せず、同じ失敗を繰り返していないでしょうか?

仮定法過去完了で言えば、ごく基本の、
「if +主語+過去完了, 主語+助動詞過去形+現在完了」
という基本だけ覚えて、これがテストに出る、その他のことは些末なことなのでテストに出ない。
出ないでほしい。
そのように思ってしまうようなのです。

基本は基本ですから、大切です。
しかし、それしかテストに出ないと思っていると、テストの得点は、パッとしないままです。
テストは、紛らわしいところを出題するのです。
紛らわしいところの使い分けが、情報伝達の手段としての言語を学ぶのに重要ですから。
当然、今回のパターンのようなところは、テストに頻出の箇所です。
仮定法過去完了の問題が3問出題されていたら、1問はこれでしょう。
2問出題されていても、1問はこれだと思います。
それくらい、よく出る問題です。
細かいところまでよく勉強しているかを試すことができる問題ですから。
テストに出ないほうがおかしいくらいです。

しかし、そうした出題傾向があることを認めない。
そうした人が英語が苦手な人に多いように思うのです。

・・・なぜ基本しか出ないと誤解しているのでしょうか。
細かい文法事項はテストに出ないと決めつけてしまうのは、なぜなのでしょう。
もう高校生なのに、テスト勉強をしているときの姿勢が、まだ小学生なのでしょうか。
小学校のカラーテストなら、確かにこんな些末なことは出題されません。
基本しか出題されないのです。

小学生の頃に戻りたい。
あの頃が一番楽しかった。
ちょっと勉強すれば、テストは80点くらいは取れた。
今は、勉強しても勉強しても、いい点が取れない・・・。

・・・そんな気持ちでいるのかなあと想像することがあります。

小学生の頃とは違い、高校生は脳が発達していますから、もっと複雑なことを理解し、覚えることができます。
だから、複雑なこと、些末がことがテストに出されます。
もう小学生ではない。
あの頃とは、脳が違うのです。
それなのに、自分に対する限界を低く設定していないでしょうか。
覚えることが多いと、こんなの無理だと諦めていませんか?
基本を覚えれば大丈夫と思い込み、簡単なところだけ覚えて、自分を安心させていないでしょうか。
まずいのは、おそらくそれを無意識でやっていることなのです。

以前も書きましたが、高校の英文法テキストに載っていることは、どんなに小さな字で書いてあることも、テストによく出ることばかりです。
あれは、英文法のエッセンスです。
本当は、もっともっと些末な文法事項が無限にあります。
一緒に渡された英文法の参考書はぶ厚いでしょう?
その中で大事なところだけを紙面の限られた中で選び抜き、載せているのが英文法のテキストです。

しかし、英語が苦手な人は、英文法のテキストの中でも、さらに大切なところと大切でないところを選んでしまう癖があります。
結果、基本中の基本だけを覚えて、あとは「テストに出るはずがない」と決めつけて捨ててしまいます。

願望と現実を混同してはいけない。
言語学習で重要なのは、些末なところです。
現実に存在する民族が、現実生活の中で使っている言語です。
細部まで重要。
細部を大切にするのが、外国語を敬意をもって学ぶ姿勢です。
当然、そこがテストに出ます。

繰り返します。
if 節が仮定法過去完了で、主節が仮定法過去である形式は、重要です。
テストにも、よく出ます。

  


  • Posted by セギ at 11:21Comments(0)英語

    2020年11月23日

    玉川上水緑道を歩きました。三鷹から久我山へ。2020年11月。


    2020年11月22日(日)、今週もよく晴れました。
    玉川上水緑道を三鷹から西へ玉川上水駅まで、3回に分けて歩き通し、ひと通り、達成感がありました。
    今週は、三鷹から東へ歩いてみることにしました。

    出発11:20。
    相変わらず遅い。
    今日は出発から徒歩なので、気分ものんびりです。

    三鷹駅南口。
    風の散歩道をまずは井の頭公園へと歩き始めました。
    今回は、玉川上水の左岸、北側を歩いてみました。
    この2週間の間に、夏草の刈り取りが行われていました。
    三鷹の密林はすっきりして、川面が見えるところも多くなりました。
    こうしてみると、玉川上水はそれなりに水量があり、流れもあります。
    ときおり立ち止まって、さらさらと流れる水を眺めました。

    桜の暗い紅葉。
    カエデの明るい紅葉。
    イチョウは、黄葉し始めたばかり。
    山の中のはっとするような鮮やかな色ではないけれど、街の紅葉は、街になじんだ落ち着きがあります。

    風の散歩道は、右岸も左岸も舗装された道ですが、左岸は人通りが少し少なく、ところどころベンチも設置されてありました。
    途中のむらさき橋で、川沿いの歩道は尽きたので、道路の向かい側に渡りました。
    玉川上水駅まで歩いたうえでの感想を言えば、ここは、玉川上水緑道としては、歩きにくい箇所です。
    どちらか舗装を剥がして、緑道として整備し直すと良いのになあ。
    それとも、土の道は歩きにくい、靴が汚れるという人にとっては、未舗装の歩道は迷惑なものなのかな。

    万助橋の交差点を渡って直進すると、そこからは、玉川上水緑道屈指の素晴らしい道が始まりました。
    今回は、行きは川の左岸、帰りは川の右岸を行くことにしました。
    井の頭公園の中央を通っていく道ですから、見渡す限り林の中の道です。
    秋になり、道には枯葉が積もっていました。
    カサコソと風に揺れる枯葉を踏みしめて歩きます。
    木漏れ日に透かすと、思いがけず鮮やかに赤い紅葉。
    マスク越しにも感じられる、木の匂い。
    土の匂い。

    井の頭公園を出ると、道は舗装されていました。
    このまま舗装道路が続くのか、確かめよう。
    そう思ってそのまま行くと、再び、土の道が始まりました。

    そこは、変化に富んだ、面白い道でした。
    生活道路なのです。
    大きな道路の歩道として整備し直した緑道とは異なり、生活道路が未舗装のままなのでした。
    ちょっとした雰囲気の良い林があったり。
    隠れ家的なレストランがあったり。
    普通の住宅が並んでいたり。
    付近の人が生活のために使っている道ですから、後ろからママチャリがさっと通り過ぎることもあります。
    ヘルメットをかぶっているような本気の自転車乗りは、こういう生活道路に入ってきません。
    雰囲気の良い箇所では立ち止まって楽しみ、後ろからの自転車には気をつけて、そんなふうにして歩いていきました。
    もっと途切れ途切れで舗装道路が多くなるかと思いましたが、そんなことはなく、緑道は続いていきました。

    大きな道路との交差点に到着。
    交差する道路の車のスピードの速さに驚きました。
    普通の道路のスピードではありません。
    ここは自動車道なのでしょうか。
    歩道がありません。
    でも、横断歩道はありました。
    信号を渡った先に、玉川上水は続いていましたが、緑道は、舗装されていました。
    「東京都立玉川上水緑道」という碑があり、玉川上水の説明板もあり、史跡として大切にしている様子はあります。
    水はけの良さそうな、ざらざらとした足ざわりの舗装。
    観光地の遊歩道などによくある舗装です。
    歩道の道幅は広く、見た目はきれいですが、歩きやすいわけではありません。

    神田川自転車歩行者道といい、ここといい、杉並区は舗装が好きだなあ。
    小綺麗ではあるのだけれど。
    未舗装の道の管理は難しいとは思うんです。
    舞い上がる土ぼこりだけでも、付近の住民から苦情があることも考えられますし。

    こんな道が続くのなら、もう切りの良いところで終わりにして、Uターンしよう。
    そう思いながら歩いていくと、道は道路と突き当り、そして、そこには、横断歩道すらありませんでした。
    歩行者は、もうこの先には行けないのです。
    玉川上水緑道のイラストマップが立っていましたが、マップもそこで尽きていました。

    帰りは、川の右岸、南側を。
    そう思って玉川上水の反対側に回り、驚きました。
    川岸に緑道がありません。
    玉川上水のすぐ横は広い道路でした。
    その道路を挟んで向かい側に、歩道と自転車道が区分けして付けられていました。
    当然、しっかり舗装されています。

    次の信号から、川の右岸も緑道が付いていました。
    やはり、ざらざらした舗装がされている遊歩道です。
    ところどころにベンチが置かれ、ヘルメットをかぶった自転車乗りが休憩していました。

    舗装された遊歩道をとことこ歩き、自動車道との交差点に戻ってきました。
    信号を渡って、玉川上水の右岸をさらに行きます。
    入口が随分細いなと思いながら入っていくと、入口だけでなく、ずっと道は細いままでした。
    右手は川、左手は高い塀が続きます。
    かなり閉塞感がありました。
    でも、道が舗装されていないのは嬉しい。
    このあたりは、土地の高低差が大きく、玉川上水の右岸と左岸でかなり高さが違います。
    右岸は、左岸よりはるかに高いのです。
    緑道が玉川上水側に傾いているところもあり、さすがにそこはセメント板が埋められていました。
    塀が尽きると、すぐ横に舗装道路が見えたりもします。
    すぐ横の舗装道路とですら、段差があります。
    武蔵野台地の端を歩いているのだろうかと考えながら、淡々と前に進みました。

    塀と川に挟まれた狭い道は、やがて、雰囲気の良い緑道に変わりました。
    法政大学中学高等学校。
    ほほお。ここにあったのかあ。
    林の中の気持ちの良い道がしばらく続きました。

    道はときどき舗装道路になったりもしながら、やがて、井の頭公園の中へ。
    再び、右も左も公園の、気持ちの良い道です。
    足元の落ち葉が、ハッとするほど赤かったり、黄色だったり。
    写真に撮ったらそんなでもないのだろうけれど、足元の紅葉は目を楽しませてくれます。
    秋を堪能して、万助橋へ。
    三鷹駅へと戻りました。

      


  • Posted by セギ at 13:15Comments(0)

    2020年11月19日

    高校数Ⅱ「図形と方程式」。円の方程式の応用。円の極線に関する問題。


    今回は、ちょっと難問です。
    わかっていれば、簡単な解き方があるのですが、少し理解しにくい問題です。
    「円の極線」という用語は習わないかもしれませんが、学校の問題集のB問題あるいは発展問題としては出題されていることの多い問題でもありますす。


    問題 点(5,6)から円 x2+y2=9 に引いた2つの接線の接点をP、Qとするとき、直線PQの方程式を求めよ。

    まずは、普通に発想できる地道な解き方で考えてみます。
    直線PQの方程式を求めるには、点P、Qの座標がわかればいい。
    その考え方で、まずは2つの座標を求めてみます。

    点(5,6)を通る、円x2+y2=9 の接線の接点を(p,q)とおく。
    この接点は、円上の点であるから、
    p2+q2=9 ・・・①
    また、点(x1,y1)を通る接線の方程式は、x1・x+y1・y=r2 だから、
    px+qy=9 ・・・②
    ②の直線は、点(5,6)を通るから、代入して、
    5p+6q=9
    これを変形して、
    5p=-6q+9
    p=-6/5q+9/5 ・・・③
    ③を①に代入して、
    (-6/5q+9/5)2+q2=9
    これを計算します。
    36/25q2-2・6/5・9/5q+81/25+q2=9
    61/25q2-108/25q+81/25=9
    61q2-108q+81=225
    61q2-108q-144=0
    解の公式で解きましょう。
    q=(54±√2916+8784) / 61
    =(54±30√13) / 61
    この2つの値を③に代入すると、pの値も2つ求めることができます。
    よって、接点は、
    (45+36√13 / 61 , 54-30√13 / 61) と、
    (45-36√13 / 61 , 54+30√13 / 61)です。
    この2点を通る直線は、直線の式の公式に代入すれば、求めることができます。
    式が煩雑なので、変化の割合の公式で、傾きだけ先に求めてみましょう。
    さすがに、ネットで表示するには煩し過ぎるので、答だけ書くと、
    この直線の傾きは、-5/6 となります。
    計算過程が鬱陶しいわりに、シンプルな答となります。
    そこで、傾きが-5/6で、点(45+36√13 / 61 , 54-30√13 / 61)を求める式を立て、計算します。
    これも計算過程が非常に鬱陶しいので省略しますが、
    y=-5/6x+3/2
    という式を求めることができます。
    このままでも構いませんが、全体を6倍して整理しておくと、
    5x-6y-9=0 
    です。

    求めることはできるのですが、上の解き方は、ネットに書き込むこともできないほどに煩雑な計算過程があります。
    試しに紙に書いて実際に解いてみてください。
    計算してみると、その煩雑さは、ひどいものです。
    途中のどこかで、符号ミスや計算ミスをおかす可能性が高いです。
    もっと、楽な求め方はないものでしょうか?

    あるのです。
    手品のように簡単な解き方があります。
    しかし、理解しづらい点もあります。
    一度の説明では理解してもらえず、「え?」と声を出す生徒が多いです。
    詭弁を弄された。
    何かおかしい。
    そう感じるらしいのです。

    もう一度問題を見てみましょう。

    問題 点(5,6)から円x2+y2=9 に引いた2つの接線の接点をP、Qとするとき、直線PQの方程式を求めよ。

    先ほどの解き方でも使いましたが、
    円 x2+y2=r2 上の接点(x1 , y1)における接線は、x1・x+y1・y=r2
    という公式があります。
    この公式については、以前に解説しました。

    今回の解き方も、まずはそれを使います。
    2つの接点の座標を、P(p , q)、Q(s , t)とします。
    上の公式を利用すると、それぞれの接線は、
    px+qy=9
    sx+ty=9
    となります。
    これらが、点(5 , 6)を通るから、代入すると、
    5p+6q=9 ・・・①
    5s+6t=9 ・・・②
    これは、2点P、Qが、直線5x+6y=9 上にあることを示しています。
    したがって、直線PQの方程式は、
    5x+6y=9

    ・・・はい?
    今、何が起きたの?

    生徒は呆然とし、以後、授業が先に進まないことがあります。


    ①、②の2本の式を求めたところまでは、理解できると思います。
    その後の、「これは、2点P、Qが、直線5x+6y=9 上にあることを示している」が謎。
    そういう感想の人が多いのではないかと思います。
    ここのところで、何か理屈がくるんと裏返る印象があるのでしょう。

    接線の式を求めて、そこに代入して得た式なのだから、これは接線の式だ。
    そこにとらわれ、脳が惑わされてしまうのでしょう。
    ①、②の2本の式は、接線の式ではありません。
    x も y もないのに、接線の式のわけがありません。
    ①、②の式は、接点P、Qの x 座標と y 座標がどのような関係にあるかを示している式です。
    p と q、そして s と t のそれぞれの関係を表している式です。
    この2点の x 座標と y 座標は、
    5p+6q=9
    5s+6t=9
    という同じ構造の関係を満たしています。
    だとしたら、この2点を通る直線は、
    5x+6y=9
    となります。

    それでも、まだよく呑み込めない、という場合。
    では、接線の式ということを離れて、こんな問題だったら、どうでしょうか?

    問題 2点(p , q) , (s , t)があり、
    5p+6q=9
    5s+6t=9
    の関係を満たすことがわかっている。
    2点を通る直線の式を求めよ。

    先ほどの問題の印象がまだ残って、それにとらわれて、これもまた「わからない」「わからない」となってしまう人もいるかもしれません。
    しかし、ごく単純な気持ちで、この式を見てください。
    直線の式は、ax+by+c=0 という形のものです。
    今、定数 c を右辺に移項するなら、
    ax+by=-c
    です。
    その x と y に、この直線上の具体的な点の座標が入ります。
    今、上の(p , q) , (s , t)が、x と y の具体的な中身です。
    具体的な中身というわりに、文字なのがやや難点ですが。
    1点(p , q)だけなら定まらない。
    しかし、2点ともが、
    5p+6q=9
    5S+6t=9
    と、同じ数を用いた関係である場合、この2点を満たす式は、
    5x+6y=9
    以外にはないでしょう。

    逆に考えてみると、さらにわかりやすいかもしれません。
    5x+6y=9
    という直線の式があるとします。
    その直線上の2点(p , q) , (s , t)の座標を用いて、式を立てろと言われたら、
    5p+6q=9
    5S+6t=9
    という式を立てるのではありませんか?

    では、逆に、
    5p+6q=9
    5S+6t=9
    という関係を満たす2点(p , q) , (s , t)を通る式は、
    5x+6y=9
    以外にありえないでしょう。
    2点を通る直線の式は、1本しかありません。
    これ以外の式が、成立するわけがないのです。

    ・・・脳が揺れる。

    以前、この問題を解説したとき、このような感想を述べた高校生がいました。
    悪くない感想だと思います。
    脳が揺れる。
    何か騙されている気がする。
    でも、何をどう騙されているのかは、わからない。

    何も騙していないですよ?

    1つわかりやすい混乱の要因としては、円外の点(5 , 6)から、円x2+y2=9にひいた接線の式を、
    5x+6y=9
    と誤解してしまうこと。
    5x+6y=9
    をこの円の接線と感じて、「それは求める答ではない」と除外してしまうようなのです。

    円x2+y2=r2 上の接点(x1 , y1)を通る接線の式は、
    x1・x+y1・y=r2
    です。
    しかし、この公式のどこに何を代入したら良いのかで混乱しやすい人がいます。
    そうした人は、この式が、円外の点(5 , 6)を通ると言われたときにも、
    5x+6y=r2
    という式を立ててしまうのです。
    式のどこに何を代入するかで混乱してしまうのです。
    点(5 , 6)を通る接線に関連して成立可能な式は、
    5x1+6y1=r2
    なのですが、xとx1、yとy1は何が違うのかよくわからず、あるいは見間違いを起こして、混乱してしまうのでしょう。
    だから、そういう人にとって、
    5x+6y=r2
    は、何がどうなっても接線の式なのだと思います。
    そういうこともあって、思考は、迷宮に入っていくようです。

    「それは違うよ」
    と根拠をもって指摘されたとき、自分の考え違いに気づき、「あっ」と声をあげてすぐに改善できる人もいます。
    しかし、一度間違えてしまうと、そこは違うと指摘されても、迷宮に入っていく人もいます。

    DVDやブルーレイに、一度録画するともう上書きできないタイプのものと、繰り返し消去したり録画したりできるものとがあります。
    それに似て、一度間違えると、もう上書きできない脳の癖というものがあるのだろうかと不審に感じることがあります。

    自分が何をどう間違えたのか、なかなか納得できないだけではありません。
    時間が経つと、自分が間違えたことのほうを正答と誤認したのか、同じところを同じように間違い続ける人もいます。
    幾度解いても、同じことを同じように間違えます。
    これは、学習上の大きな障壁となります。
    意識して取り除きたい障壁です。

    本当は納得していないから、そういうことが起きているとも考えられます。
    現代の子は、対人関係をとにかく気にしますから、納得していないのに、わかったふりをすることがあります。
    とにかく、今のこの場面だけを穏便に切り抜けたいと思うからなのか、わかったふりをしがちです。
    しかし、本当はわかっていなかったので、自分で問題を解くときにそれがぶり返すのでしょう。

    対人関係ばかり気にしてわかったふりをすると、むしろ、後日、同じところを同じように間違えていることに先生は眉を寄せ、対人関係は逆にピリピリする、という可能性もあるのですが、とにかく問題を先送りしたいという気持ちがあり、そうなってしまうのかと想像します。

    別に何度同じところを間違えてもいいですし、何度でも説明するのが教える者の仕事ですが、それよりも、わからないことは、わかったふりをせず、最初から「わからない」と声を上げたほうがいいのです。
    不思議なもので、
    「わからない」
    と生徒が声を上げた瞬間に、人間関係は逆転するのです。
    わかるように説明できない先生が悪い。
    本当のことを口にした方が、常に圧倒的に強いのです。


    円外の点(p , q)から、円x2+y2=r2にひいた接線の2つの接点を通る直線は、
    px+qy=r2 
    です。
    これを、円の極線と呼びます。
    このとき、点(p , q)を、円の極点と呼びます。
    これは、ただ丸暗記するのではなく、なぜそうであるのか、理屈を理解してください。

      


  • Posted by セギ at 11:22Comments(0)算数・数学

    2020年11月16日

    玉川上水緑道を歩きました。鷹の台駅から玉川上水駅まで。2020年11月。



    2020年11月8日(日)、玉川上水緑道を歩いてきました。
    前回の到達地点、西武国分寺線鷹の台駅の踏切の側に、自転車駐輪場があるのを前回見ていました。
    そこまで、三鷹からまずは自転車で行きました。

    何だかんだで11:00に出発。
    結局、いつもこんな時間になってしまいます。
    山に行くときとは違い、そもそも早起きする気がないうえに、朝食もしっかり作って食べるし、前夜ではなく出発する直前に支度をするし。
    でも、この気軽さがウォーキングの魅力でしょう。

    三鷹駅北口から、玉川上水沿いの道を自転車で出発。
    交通量の多い道路はできるだけ避けて走りたい。
    まずは、川の右岸、南側の道が細いけれど舗装されていて、安心して走れました。
    ほどなく大きな交差点。
    押しボタン式信号で道路を渡り、川の左岸、北側に回ります。
    ここから、やがて境浄水場の脇を通る、桜橋交差点までの一直線の道は、車通りが少なく、信号もない、快適な道でした。
    ここは一方通行だから、交通量が少ないのでしょう。
    ドライバーにとっては、使いにくい道路なのだと思います。

    以後は、五日市街道と合流するので、左岸は避け、右岸の上水桜通りを走りました。
    こちらも、道幅が比較的広いのに車通りは少なく、快適でした。
    道路標識を見ていると、やはり一方通行で、しかも交差点を挟んで一方通行の向きが変わったりします。
    これでは、付近の詳細を知らないドライバーは入ってこられないですね。

    信号が少なく、走っていて楽で、先週よりもあっと言う間という印象で小金井公園付近まで来ました。
    ここから先、しかし、玉川上水緑道の両岸が交通量の多い道路である箇所がありました。
    右岸から、小さな橋を渡って、左岸の緑道へ。
    この付近だけ、緑道が舗装されているんです。
    半分だけ舗装されている道は、途中から、全舗装に変わります。
    これは、両岸の道路が交通量が多いので、自転車のことを考えて舗装してくれているのかもしれません。
    前回歩いたときは、ここも土の道ならいいのにと思ったのですが。
    立場を変えてみなければわからないことがあります。
    ここは舗装してくれて、ありがとうございます。

    緑道の舗装が尽き、再び、大きな交差点。
    五日市街道が大きくそれていくと車の量は減り、再び道路の左端を走れるようになりました。
    少し入り組んだ道から踏切を越え、そこからは川の右岸を走りました。
    そろそろ鷹の台駅。
    前回確認した駐輪場に到着です。11:50。

    しかし、そこは月ぎめ契約している人のための駐輪場でした。
    日曜だから空いているとはいえ、他人のスペースに駐輪したらまずいだろうときょろきょろしていると、奥に一時駐輪場を発見。
    管理人さんがいて、前払い、24時間100円でした。

    さあ歩き始めます。
    今回も、行きは川の左岸、帰りは川の右岸を歩くことにしました。
    まずは、前回も歩いた道を行きます。
    玉川上水と並行して堀があり、水が流れています。
    緑道の両側に樹木が並び、木陰が涼しく、広く気持ちの良い道でした。
    ウオーキングの人が行き来していますが、皆さんマスクをつけていますし、「密」ということはなく、気持ちよく歩けました。
    前回の終点、小平市立上水公園。
    水際ということもあるのか、早い紅葉が始まっていました。
    立ち止まって秋の風景の中にしばらく身をおきました。
    さらに行くと、都立小平西高校。
    ははあ、ここにあったのかあ。

    さらにその先、足湯の施設がありました。
    「こもれびの足湯」。
    ごみ焼却場で生じた熱を利用している施設のようです。
    無料。木曜定休。
    ただし、11月19日~12月1日は、焼却炉定期点検のため休場だそうです。
    屋外施設で、屋根がついている場所、ついていない場所、あわせて3か所ほどの足湯。
    入口付近にザックがまとめて置いてあったりもして、団体客が来ていたのでしょう、それなりに混雑していました。
    コロナ禍でなければ私も入りたかったなあ。
    入口に設置されたアルコール消毒液をありがたく利用させていただき、さらに先に進みました。

    そこまでずっと、道幅の広く気持ちのよい土の道が続いていましたが、足湯の施設からしばらく行くと、何やら玉川上水関連の石碑があり、そこで土の道は途絶えました。
    そこからは、舗装道路を歩きました。
    上水は、浄水場のような施設に変わり、それを眺めながら、舗装道路を歩いていくと、また道路の端には未舗装の道が。
    しかし、乾いた砂利まじりの砂の道で、あまり気持ちのよい道ではありません。
    右手に、駅が見えてきました。
    ああ。玉川上水駅だ。
    では、ここが玉川上水緑道の終点なのでしょうか?

    駅前を通り過ぎて、緑の深いところに近寄っていくと、そこから再び、土の道が始まっていました。
    川幅は広くなり、川面も明瞭で、さらさらと水が流れていきます。
    これはもう、普通の川です。
    三鷹の、水があるのかないのか、緑と底が深すぎてよくわからない玉川上水と同じ川とは思えないほどです。
    緑道の雰囲気が変わるのが楽しく歩いてきたけれど、川がこれほど変わるとは予想していませんでした。

    道に、イラストマップの看板が立っていました。13:30。
    玉川上水緑道は、この先も、西武立川駅付近、拝島駅付近を過ぎ、多摩川まで続いているのが描かれていました。
    緑道が途切れる箇所は少なく、少なくとも川のどちらかは未舗装の様子です。
    これは、凄い。
    凄いけれど、もうこの先は、公共交通機関を使わないと、歩けない。
    コロナ禍が去ったら、電車を使って、この先を歩こうかな。
    でも、そのときには、やっぱり山を歩くほうを選んでしまうかな。

    橋を渡って、右岸へ。
    右岸は南側なので、日当たりのせいでしょう、土が乾いていて、ある意味殺風景な道になりがちです。
    山道でも、本当に気持ちの良い道と、この道あんまり好きじゃないなという道があります。
    でも、それは、季節や天候によっても大きく左右されるので、春の頃に歩いたら、この道も花盛りの気持ちの良い道なのかもしれません。
    左岸と違い、途中で舗装道路になることもなく、浄水施設横を過ぎました。
    その先、前を歩く男性が、道から少し逸れる木段を下りて行ったので、何かあるのかと、それに続いて下りてみることにしました。
    木段の下には、人工的な滝がありました。
    石が何段にも組まれ、そこから、水があふれ出ています。
    「甦る水100選」の説明版がありました。

    「この水は、昭島市にある東京都流域下水道 多摩川上流処理場からの再生水です。
    これによって、水がなくなった玉川上水に清流がよみがえりました。
    わが国の清流復活の先駆けとして全国の甦る水100選に選ばれました」

    木段をさらに下りていくと、細い沢が。
    上の画像がそれです。

    これが、玉川上水。
    水質はわかりません。
    けれど、山の中を流れる沢のように見えました。

    ここまで来てよかった。
    ここを終点として、満足だ。
    そのように思い、川の右岸を戻りました。

      


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    2020年11月13日

    高校英語。仮定法過去完了。


    今回は、仮定法過去完了です。

    例文を見てみましょう。

    If I had left home ten minutes earlier, I would have caught the train.
    もし10分早く家を出ていたら、その列車に乗れたのだが。

    これは、「過去の事実に反する仮定」を表します。
    過去にもしこうだったら、こうなっていただろうということを表したいときの文です。
    事実としては、「私は10分早く家を出なかったので、その列車に乗り遅れた」のです。
    俗に「たら・ればを言っても仕方ないだろう」などと言いますが、仮定法過去完了の文は、どれもこれも、この「たら・れば」ばかりです。

    if 節は、「If+主語+過去完了」。
    過去完了形とはhad+過去分詞の形です。
    英語では、過去形より1つ古い時制にしたいときは、過去完了形にします。
    「大過去」を表すときに過去完了形を用いることは、高校英文法のかなり早い時期に時制のところで学習しました。
    仮定法は、とにかく時制を本来より1つ古くすることで、それが事実ではなく仮定の話であることを伝えます。

    主節は、仮定法過去と同様に、助動詞の過去形を用います。
    しかし、その後ろを動詞の原形にしたのでは、仮定法過去と全く同じになってしまいます。
    かといって、助動詞の後ろに動詞の過去形を置いたりしては、英語の根本のルールに反します。
    助動詞の後ろは動詞は原形にするのが、英語の原則。
    根本のルールの1つです。

    ではどうするか?
    仮定法過去完了の主節は、「主語+助動詞過去形+現在完了」を用います。
    現在完了形は、have+過去分詞です。
    have は原形なので、「助動詞の後ろは原形」という原則に従っています。
    これなら、原則通りです。
    動名詞や不定詞の時制を1つ古くしたいときにも、現在完了形を用いるこの方法は活用されています。
    完了形の動名詞、完了形の不定詞と呼ばれるものです。
    単純な過去形を用いることができないときには現在完了形で代用する。
    これが原則です。
    英語は、同じルールを他の文法事項でもフル活用するので、大原則を理解しておくと覚えやすいのです。

    原則に従ったわかりやすいルールだなあと私は思うのですが、仮定法が嫌いな人には、不評です。
    何だか覚えにくいらしいのです。
    いや、原則を理解したら、覚えやすいですよ。

    「If+主語+過去完了 , 主語+助動詞過去形+現在完了」

    仮定法過去完了のこの形をしっかり覚えて、そのルール通りに英文を作っていきましょう。

    もう少し例文を見てみましょう。

    If I had not broken my leg, I could have gone skiing.
    もし足を骨折しなかったら、スキーに行くことができたのだが。

    「If+主語+過去完了 , 主語+助動詞過去形+現在完了」
    という骨組みがしっかり守られています。

    事実としては、「私は足を骨折したので、スキーに行くことができなかった」のです。
    まさに「たら・れば」です。

    仮定法過去完了の例文や問題文を見ていると、何となくテンションが下がるのは、こうした繰り言が多いからでしょうか。
    しかし、それは、仮定法過去完了に責任のあることではなく、語られている内容の問題です。
    人は、無駄とわかっていて、こういうことを言いたくなるものだ。
    英米の人も、こんなことを言っているんだなあ。
    と、そんな感慨を新たにするのも、語学を学ぶ意味の1つなのかもしれません。


    If I had voted against him, he would have had to resign.
    もし私が彼に反対投票をしたら、彼は辞職しなければならなかっただろう。

    これも、同じ構造なのがわかります。
    事実としては、「私は彼に賛成投票をしたので、彼は辞職しなかった」ということです。

    ところで、この例文になると、仮定法という以前のことで混乱する人がいます。
    中3で現在完了を学習した頃から、英語が苦手な人にありがちな奇妙な「癖」として、have の後ろに had というのはおかしいのではないかと思い込み、そういう英文を書けない人がいるのです。
    1つの文の中で have を2回使うのはおかしいと思うらしいのです。
    この種の「癖」は他にもあります。
    enjoying playing のように、ing 形を続けて書いてはいけないのではないか?
    to を1つの文の中で2回使うのはおかしいのではないか?
    こうした例は、枚挙に暇がありません。
    英語が苦手な人に、こういう奇妙な「ルール」を自分で作ってそれに縛られる癖のある人がいます。

    文法は苦手な様子なのに、なぜ、こんな変なルールを自分で作って、それに縛られてしまうのでしょう?

    それは、正しい文法を覚えられないから、その代わりに、自分で変なルールを発見してしまうのだろうと想像されます。
    文法をいくら嫌っても、いくら無視しても、言語を学ぶときに、やはり何かしらの法則というものを考えずにいられないのでしょう。
    その結果、どこにも存在しない不可解なルールを発見して、それに縛られてしまうのです。

    しかし、それは見方によっては明るい側面かもしれません。
    英語を学ぶとき、結局は、ルールが必要なのです。
    心の底では、ルールを求めているのです。
    ならば、正しいルールを覚えて活用しましょう。
    英語を使う上での正しいルール。
    それが文法です。

    自分が思いこんでいるルールは、正しいものか、それとも単なる幻想か。
    それがわからないときは、質問するのが一番です。
    「そんなことを質問したら、バカにされるのではないか?」
    そんなことを思う必要はありません。

    誰かが言っていました。
    くだらない質問というものは、この世に存在しない。
    くだらない答があるだけだ。

    その通りだと思います。

      


  • Posted by セギ at 11:53Comments(0)英語

    2020年11月12日

    冬期講習のお知らせ。2020年。


    2020年度冬期講習のご案内です。
    詳細は、11月末の授業時に書面をお渡しいたします。
    お申込み受付は、12月1日(火)からとなります。
    メールまたは申込書でお申込みください。
    なお、この期間、通常授業はありませんので、いつもの時間帯の授業を希望される方も改めてお申込みください。
    このブログの「お問い合わせ」ボタンから、お問い合わせください。
    以下は、冬期講習募集要項です。

    ◎期日
    12月26日(日)~12月30日(水)、1月4日(月)~1月7日(木)

    なお、12月31日(木)~1月3日(日)は、休校とさせていただきます。

    ◎時間帯
    10:00~11:30 , 11:40~13:10 , 18:20~19:50 , 20:00~21:30

    ◎費用
    1コマ90分4,000円×受講回数

    ◎指導科目
    小学生 一般算数・受験算数・英語
    中学生 数学・英語
    高校生 数学・英語

    ◎中3冬期講習
    都立高校受験を目的とした、5教科の冬期講習を行います。
    最大3名の少人数制です。
    期日 12月26日(土)~12月30日(水)、1月4日(月)~1月7日(木)の9日間。
    時間 国語13:20~14:10
       社会14:15~15:05
       理科15:10~16:00
       数学16:05~16:55
       英語17:00~17:50
    費用 5教科9日間で、6万円。

      


  • 2020年11月09日

    玉川上水緑道を歩きました。小金井公園から小平上水公園まで。


    2020年11月1日(日)、玉川上水緑道を歩きました。
    2週間前、三鷹駅から小金井公園まで歩きました。
    今日はその先を歩いてみよう。
    そういうわけで、まずは自転車に乗って、小金井公園に向けて出発しました。11:00。

    2週間前はてくてく歩いた玉川上水緑道。
    それに沿った道を自転車で走ってみると、かなり距離があるのに驚きました。
    むしろ逆なのじゃないかと思われるかもしれませんが、歩くこと自体が目的であるときは、長距離を歩いていても、何も感じません。
    小金井公園に行くことだけが目的だと、自転車で走っていても、遠いのです。

    玉川上水の左岸と右岸のどちらかが車で混雑した道路の場合は、そこを避けて走りました。
    とにかく、五日市街道は避けるのが賢明。
    そうやって走っていくと、車も少なく、直線距離の長い道が多く、自転車で走ると気持ちのよい道でした。
    多摩湖歩行者自転車道のように、やたらに歩行者がいたり、信号が多かったり、ということもありません。
    ストレスの少ない道でした。

    小金井公園。11:30。
    前日、小金井公園の駐輪場をネットで調べたのですが、見つかりませんでした。
    駐輪場として指定されているところは特にないようです。
    でも、自転車で来ている人も多いはずだがなあと正門から中へ。
    奥へ入っていくと、自転車が大量に並んでいるところがありました。
    子どもが遊ぶ場所近く、キッチンカーが並び、軽食や飲み物を売っています。
    そこに駐輪し、さて、ここから歩き始めました。11:45。

    玉川上水緑道・小金井公園前。
    上水の左岸、北側をてくてく歩き始めました。
    五日市街道沿いですが、歩道は舗装されていません。
    土の道で歩きやすいです。
    土の道を保存することに決めたのはいつのことなのかわかりせんが、英断だったと思います。
    今よりも、環境に対する意識は低かったと思うのに、よく決断できたと思うのです。
    舗装したほうが管理は楽でしょう。
    先週歩いた、神田川自転車歩行者道は、がちがちに舗装されていました。
    自転車道でもあるので、仕方ない面もありますが、舗装された道は、長距離歩くと、膝に腰に負担があります。
    あの道も、川の片側だけでも舗装を剥がして、土の道に作り直したら良いのになあ。

    ところがしばらく行くと、舗道の半分は舗装されて、自転車が横を走るようになりました。
    それでも、半分は舗装されていないので、そこを歩けばいい、と思っていたら、やがて全て舗装されてしまいました。
    えー、残念。
    帰り道にわかったことですが、ここは、玉川上水の右岸の道が未舗装の土の道で歩きやすかったのです。
    玉川上水を歩くときは、とにかく五日市街道を避けて反対側に回れば、良い歩道があるのですね。

    桜橋交差点。
    ここを左に行けば、国分寺駅。
    昔、国分寺で働いていたことがあります。
    考えたこともなかったけれど、これなら、国分寺まで、自転車通勤できたのかなあ。
    やがて、五日市街道と別れ、その先、踏切。

    そのあたりで気づきました。
    水を忘れてきました!
    これが山だったら大惨事でしたが、街を歩いているので、水はどこかで手に入るはず。
    さらに歩いていくと、また踏切。
    これは、西武国分寺線。
    踏切を渡ると、右手に鷹の台駅が見えたので、そちらに曲がってみました。
    思った通り、駅前にコンビニがあり、そこでスポーツドリンクを購入。

    しかし、玉川上水緑道に戻ってすぐ、右手に別のコンビニを見つけました。
    寄り道をしなくても、すぐにあったんだー。

    そこから、緑道は、広く、まるで林のように雰囲気のある道に変わりました。
    玉川上水と並行して、小さい堀があり、そこも水が流れています。
    ところどころにベンチもあります。
    歩道の両側に樹木が立ち、歩道をおおっているので、晴れていても木陰の道でした。
    湿った土の匂い、草の匂いが、マスクをしていも感じられます。
    森林浴。
    小さいザックを背負って、帽子をかぶった、ウォーキングスタイルの人が行き来しています。
    ここは、今まで歩いた玉川上水緑道の中でも屈指の気持ちのよい道でした。

    時間は13:30。
    そろそろUターンする頃合いです。
    何か目印になるところに来たら、戻ろう。
    そう思って歩いていると、右手に公園が見えてきました。
    小さい公園ですが、ここも静かで雰囲気の良い場所でした。
    小平市立上水公園。
    うん。ここを次回の起点としよう。

    さて、Uターン。
    今度は、川の右岸、南側を歩きます。
    さきほどの左岸と違い、樹木が少ない道でした。
    道幅は十分にあり、土の道で歩きやすいのですが、南側なので日当たりがよく、土が乾いています。
    すぐ横の道路は、車はほとんど通りませんが、何だか味気ない。
    向こう側を歩く人が多い理由がわかるような気がします。

    歩いていき、鷹の台駅前の駐輪場を確認しました。
    うん、次回はここに自転車を置けそうです。

    2つの踏切を越えて、五日市街道と合流すると、上水の右岸は、全く未舗装の歩道でした。
    左岸は緑道でも舗装されているので、この区間は右岸を歩いたほうが気持ちいいようです。
    さらにてくてく歩き、小金井橋から左岸に戻り、正門から小金井公園へ。14:50。

    駐輪した場所に無事に自分の自転車を見つけました。
    すぐに上水の右岸に渡り、車通りの少ない道路を快適に走って、三鷹まで戻りました。
    自転車でも多少歩数計は進み、合計で25,485歩。
    秋晴れの1日を楽しく過ごせました。

      


  • Posted by セギ at 13:13Comments(0)

    2020年11月05日

    神田川自転車歩行者道を歩きました。2020年10月。


    2020年10月24日(土)、神田川自転車歩行者道を歩きました。
    今年度の第2・第4土曜日は、三鷹市の小・中学校は授業があります。
    中学校はその後に部活動もある様子で、いつもなら昼から授業が入っている土曜日も、授業は夜から。
    天気もいいので、歩いてくることにしました。

    東京都区分道路地図を開いたら、印刷が消えかけているコピーが挟まれていました。
    感熱紙コピーだったので、日光に当てなくても、経年劣化で文字がほとんど読み取れないほど薄くなっています。
    これは、いつ挟んだものだろう。
    全く記憶にありませんでした。

    それは、「神田川自転車歩行者道」の記事でした。
    自転車でここを走った記憶ならありました。
    もう20年も前でしょうか。
    代々木公園まで行ったのかな?
    いや、最終的には、自転車ごと船に乗ってお台場まで行ったのかもしれません。

    自転車よりも山のほうが楽しくなって、このコピーも挟んだまま忘れていたのでした。
    20年ぶりに、この道を、今度は歩いてみることにしました。

    まずは三鷹駅北口から、この前と同じ風の散歩道を歩きました。
    前日の雨が今朝は晴れて、青空が広がっています。
    雨あがりのせいか、草の匂いが強く、マスクを通しても感じられました。
    思わず、深呼吸。
    そして、井の頭公園へ。
    土曜日でしたが、学校があるからか親子連れの姿は少なく、さほど混雑していませんでした。

    池の東端、神田川の源流に着きました。
    ここから、さらに東へ。
    川を見失わないように歩いていきます。
    ここは、まだ井の頭公園の一部なのかな?
    小さな橋があったので、川の左岸、北側に渡りました。
    川の両岸とも、道は舗装されていません。
    このままこういう道が続くといいのだけれど、「自転車歩行者道」というのは基本舗装されているものです。
    自転車の走り易さを考えたら、そういうことになりますよね。
    あまり期待はしないことだと自分に言い聞かせ、歩き続けました。

    予想通り、公園はすぐに終わり、舗装道路が始まりました。
    レンガ風に飾られた舗装道路だったりする箇所もありますが、普通のアスファルト道も多いです。
    車が来ない点は安心して歩けました。
    神田川の右岸も同じくらいの幅の道が川の向こうに見えました。
    行きと帰りで岸を変えたら、同じ道を帰るのも退屈せずに済みそうです。

    高い柵越しに見える神田川は、深い底にあり、水量もわずかでした。
    丈の高い草に覆われて、川面が見えないこともあります。
    この川幅。
    コンクリートでがちがちに固めた川の様子。
    このくらい深くないと、もしものときに対応できないのでしょう。
    安心の深さです。

    神田川沿いは、井の頭線の沿線でもあります。
    駅が近くなると、私鉄の駅前らしい雰囲気に変わりました。
    小さなスーパーやドラッグストア、居酒屋。
    小さな踏切。

    しばらく行くと、神田川と井の頭線が交差し、川沿いの歩道は柵で塞がれていました。
    鍵がかけられ、侵入禁止になっています。
    あれ?
    この先、歩けないのかな?
    川よりも1本外側の普通の道をしばらく歩き、通り抜けできそうな道があったので川の近くのほうに入っていくと、また歩道は始まっていました。
    川にかかる小さな橋を渡り、再び川の左岸を歩きます。

    杉並区に入ると、川の柵には、ときおり、「7.4㎞」などの表示がありました。
    これは源流からではなく、杉並区内の下流の端からの距離のようです。
    だんだんと、表示された距離が短くなっていきました。

    あとは、淡々と自転車歩行者道が続きました。
    1時間半ほど歩いて、高井戸駅。
    今日はこれくらいにして戻ろう。

    橋で川を渡り、今度は右岸を戻りました。
    右岸もずっと舗装された道が続きます。
    しばらく行くと、樹木が鬱蒼と茂る高台に阻まれ、こちらも侵入禁止でした。
    橋で左岸に戻り、対岸の樹木が途切れたところで、再び右岸に。
    右岸は、小さな公園や有料駐輪場が点在していました。
    「玉川上水350m」という大きな看板も。
    しかし、これは書店の看板のようにも見えました。
    書店まで350mということだろうか?
    玉川上水まで350mだろうか?
    真剣に見ないのでよくわからないまま、通りすぎました。

    神田川自転車歩行者道は、全部舗装されているわりには、ウォーキングの人が結構歩いていました。
    しかし、舗装された道は、膝や腰への負担がやはり大きいです。
    この道は、自転車で走るのがいいなあ。
    歩くなら、玉川上水緑道のほうが魅力があります。
    土の道を保存した英断に、改めて感謝する気持ちになりました。
    神田川も、左岸と右岸のどちらかだけでも舗装をはがして土の道にしたら、ウォーキングが趣味の人は喜ぶだろうなあ。

    そんなことを考えながらの帰り道はやはり早く、あっという間に井の頭公園に戻ってきました。
    土の道に一歩入ると、その柔らかさに驚きました。
    足裏が喜んでいる。
    膝も腰も。
    舗装されていない道は、歩きやすいですね。

    源流付近の神田川は、水底が浅く、すぐほとりを歩けるようになっていました。
    上の写真がそれです。
    飛び石が置かれた徒渉点も設置されていました。
    すぐ先に橋もあるので、川遊びのために設けられた徒渉点なのでしょう。
    両岸とも公園になっていて、家族連れがレジャーシートを敷いて、のんびりしていました。
    午後になって、やはり人が増えてきた様子です。

    恩賜公園から、万助橋へ。
    風の散歩道を三鷹駅に戻りました。

    歩数計は、24,284歩。
    ちょっと足裏が痛くなりました。
    左のお尻が凝りました。
    次回は、また土の道を歩きます。

      


  • Posted by セギ at 11:54Comments(0)

    2020年11月02日

    2学期中間テストの結果が出ました。2020年度



    2学期中間テストの結果が出ました。

    数学 80点台 2人 70点台 1人 60点台 2人 50点台 1人
    英語 90点台 1人 70点台 2人 60点台 1人 50点台 1人

    高校生の場合、数学は数Ⅱ・数Bなどの2科目の平均。
    英語も2科目の平均です。
    なお、学校の授業内容に沿ったテスト対策を塾ではやっていない高校3年生の得点は除外しています。
    良い成績なので、入れたいですが。

    以前も書きましたが、中学生・高校生の定期テストの得点は、上がった後は下がることが多いです。
    だから、1回のテストで上がった下がったと一喜一憂するよりも、全体の流れを見ることが大切です。
    得点を折れ線グラフにしたときに、そのジグザグが全体として上昇しているか、下降しているか。
    上がった後にいったん下がっても、次に、今までの最高得点になるのは、良い傾向。
    下がった後にいったん上がっても、次に、今までの最低得点に下がってしまうのは、悪い傾向です。


    ただ、中学1年生の場合、2学期は下降傾向が続くことがあります。
    1学期の定期テストは80点台だったのに、2学期中間は60点台、期末はさらに下がってしまう、というように。
    これは、1学期の成績が良すぎたからであり、2学期以降の成績が本人の実力ということが多いのです。
    英語も数学も、中学1年の1学期は、まだ内容も易しく、誰でも高得点を取ることが可能です。
    以前も書きましたが、中1の1学期の成績は幻なのです。

    ところが、小学校のカラーテストの得点と、中1の1学期の定期テストの得点がよく似た点数のため、そこが地続きであるような印象を本人も保護者の方も抱いてしまうことがあります。
    だから、2学期での急落に驚きます。

    小学校のカラーテストがほとんど80点台、90点台だったとしても、中学のテストが60点台なのは、よくあることです。
    中学生になって急に学力が下がったわけではありません。
    テストのレベルや目的が違うのです。

    小学校のカラーテストは、基本が身についていることを確認するためのものです。
    誰でも100点を取ることが可能なように設計されています。
    小学校で得点分布データが示されることはないでしょうが、最頻値は80点台か90点台だったはずです。
    一方、中学の定期テストは、学力を測るためのものです。
    平均点が65点前後で、中央値と平均値と最頻値がほぼ一致する、美しいヒストグラムが作られるのが理想です。
    実際には、なかなかそうはならないのですが。

    「うちの子、小学校のテストはいつも80点台か90点台だったし、中1の1学期も80点台だったけれど、2学期の中間テストは60点台、期末テストはさらに下がった・・・」
    そのように嘆くのは、ちょっと違います。
    むしろ、中学のテストで60点台以下になるだろう学力の子が、小学校のカラーテストで80点、90点を取っていたのだと考えたほうがいいのです。
    学力は下がっていません。
    変わっていないのです。


    では、その得点は、運命なのか?

    いいえ。
    テストの得点が下がるだけ下がり、実力がわかったところで、そこからが勝負です。
    小学生のような気分で勉強していたらダメなことは、もうわかったと思います。
    ザルで水をすくうような勉強をしていると、今後も下がります。
    中1の3学期は少し持ち直す子が多いですが、中2になると、さらに、中1でも取ったことのないような低い点を取る子もいます。
    中2の2学期、悪夢のような「底」の「底」が待っています。

    小学生のような勉強。
    ザルで水をすくうような勉強。

    成績の上がらない子は、勉強のやり方が悪いのです。
    彼らの勉強のやり方は、それをやったらダメだというNG集のようです。

    例えば、定期テストの範囲である、学校のワークや問題集。
    間違えた問題は赤ペンで直して提出。
    それは学校から指示されています。
    しかし、その指示の本質を理解していないのです。
    最初から解答解説を横に開いて、それを見ながら解き、全部丸をつけて提出しています。
    自分で解いて間違えてしまった場合も、自分の答は消しゴムで消して書き直し、丸をつけて提出する子もいます。

    全部正答したことにして提出するという謎の行動は、真面目に勉強しているように見えるのに成績の上がらない子に多い傾向です。
    誤答の多いワークを提出すると、学校の先生に「この子は勉強ができない」と思われてしまうから?
    いや、学力は知られていますから、そんなことは気にしなくていいのです。
    学校の先生が成績をつける際の、提出物に対する加点は、本人に解答を渡してある場合は、やってあれば全員同じ加点です。
    丸が多い子に多くの点を与えるということはないのです。
    ワークはバツだらけだが、テストは頑張って得点している。
    この子は、努力して勉強している。
    そういう子のほうが、むしろ印象が良いのです。
    しかし、まだ子どもなので、それを理解できないのでしょう。
    うわっ面にこだわってしまいます。

    もっとも、さらに勉強が苦手な子になると、学校のワークの解答解説を管理することができず紛失してしまう子もいます。
    解答を持っていても、「赤ペンで直して提出」という先生の指示に従うことが上手くできない子もいます。
    解いていないところが多かったり。
    丸つけをしていないワークを提出したり。
    あるいは提出しなかったり。
    そうやって、さらに成績を下げてしまうこともあります。
    ただ、むしろ、そうした子は、学習上の課題が外からも見えやすいのです。
    こうした課題が簡単に解決するとは限らないものの、何が原因であるかは明瞭です。

    ワークは全部正答の形で提出し、テストの点数は60点台あるいはそれ以下、という子のほうが、問題の根が深いように思います。
    課題が表面化しづらく、保護者の方の目からは、真面目に勉強しているように見えてしまうからです。
    真面目に頑張っているのに、何で成績が上がらないのかしら?

    ・・・いや、上がるわけがないです。

    テスト勉強というと、解答解説を見ながらワークを解くこと。
    そうして、それに全部丸をつけて、正答したかのような形にしてしまう。
    あとは、教科書や学校の授業ノートをきれいに書き写しただけのノート作り。
    市販の問題集があれば、それも解答解説を見ながら解く。
    それが、テスト勉強の全て。
    それ以外に、何をしたらよいか、わからない・・・。
    そんな勉強で、成績が上がるわけがありません。

    仕方ないのです。
    小学校のカラーテストのための勉強も、何をしたらよいかよくわからなかったはずです。
    教科書準拠の市販のワークを持っている子は、漫然とそれを解いたり。
    通信添削をやっている子は、漫然とそれを解いたり。
    それだけで、でも、結構良い点が取れたと思います。
    小学校の学習内容は易しいので、ザルですくうような学習でも、ザルに結構引っかかるのです。
    家庭学習のやり方を自分で考えて実行しなくても、大丈夫だったのです。
    中学に入って、急に学習方法を考えろと言われても、何をどうしていいかわかるわけがありません。

    彼らは「学習する」ということの本質を理解していないのです。
    そして、それはあまりにも本質であるため、言語化しにくく、それがわからない子には、なかなか伝わらないことなのです。

    勉強が得意な人に勉強法を尋ねたら、標準的な答は、
    「テスト勉強?まず、教科書や参考書や授業ノートを読んで、公式や重要事項を覚えて、それから問題を解く。間違えた問題は、赤ペンで答を直して、印をつけて、後で解き直すといいんじゃないかな」
    といったものではないでしょうか?
    その返答は、何も間違っていない。
    しかし、勉強のやり方を知らない子にとっては、それは表面的な「作業」の伝達でしかなく、本質は伝わっていかないのです。

    勉強が得意な子は、間違えた問題、解けなかった問題から多くのことを学び取ります。
    自分がミスをしやすい箇所に気づく。
    解き方のパターンや法則を把握する。
    公式や定理の活用の仕方を把握する。
    発想法を学ぶ。
    無言で解答解説を読んたり書き写したりしているだけに見える作業の中に「学習」の本質があります。

    学校の先生が、ワーク・問題集は丸つけをして赤ペンで直しなさいと要求していることの本質は、そういうことです。
    間違えた問題は解き直しなさい、と要求していることの本質も、そういうことです。

    しかし、それを理解していない子どもたちがいます。
    わからないとすぐ解答を見ているようでは、「考える」とか「発想する」ということが何をどうすることなのかを学ぶことができません。
    数学では、立式するまでが最重要であるのに、そこまでは解答を写し、その先の計算だけ自分でやって、勉強した気になってしまうのです。
    理解したからいいだろう、これは自分で解いた問題だと、丸をつけてしまいます。
    そして、テスト当日、自分が何も解けないことに愕然とする・・・。
    公式だけは丸暗記しても、使い方を知らないことに、テスト当日になって気づくのです。

    「赤ペンで直しなさい」という作業の意味を理解していない子は多いです。
    そうした子にとって、正答を書き写すことは、本当にただ書き写すことなのです。
    正答の内容を理解しようとか、自分が間違えた原因は何かとか、何が大事なことなのか、といったことは考えていません。
    そんなふうだから、自分の誤答を書き直して丸をつけ、間違えたという事実を消してしまうという暴挙に出るのでしょう。
    間違えた問題の価値をわかっていないからそうするのです。
    間違えたことを、自分の記憶の中ですら消してしまいます。
    そうして、大切な学習の機会を自ら失っていきます。

    塾の授業でも同じです。
    「あなたは、前回も、こういう問題のここのところを間違えていましたよ」
    と私が指摘すると、何て嫌なことを言う人だろうと驚いた顔をするか、ごまかし笑いをするか、全く身に覚えがないのできょとんとした顔をするか、です。
    そして、同じような問題の同じようなところを同じように間違い続けます。
    自らの学習能力を封印しているかのように。

    自分は何が出来、何が出来ないのか。
    自分の課題は何か。
    この問題から学ぶべきことは何か。

    勉強が得意な子は、それを自力で分析し、改善します。
    そうすることが学習の本質だとわかっているのです。
    しかし、勉強が苦手な子は、間違えた問題から何かを学ぶということが上手くできません。
    間違えた問題を解き直す習慣も持っていません。
    自分の答を書き直し、丸をつけるだけです。

    なぜそのような行動をとってしまうのかといえば、結局、理由は「勉強が苦手だから」なのでしょう。
    勉強が苦手なことを隠したい。
    認めたくない。
    そうした気持ちが強いので、間違えた問題にバツをつけたり印をつけることさえできないのだと思います。
    印をつけなさいと言われると、恥をかかされた、罰を受けた、と感じるのか、表情の歪む子もいます。
    「間違えた問題は印をつけて、後で解き直すと力がつきますよ」
    そのように、なぜ印をつけるのかを説明しますが、私が言わないと印をつけることが習慣にならない子が、勉強が苦手な子には多いです。
    そして、言われたとおりに印をつけたとしても、助言通りに家に帰って解き直しをしているのかどうか・・・。
    あるいは、言われた通りに解き直しているのだとしても、それは意味のある解き直しになっているのかどうか・・・。
    同じことをまた同じように間違えているだけなのではないか?


    先日、遅ればせながら『鬼滅の刃』を見ました。
    味わい深いと思ったのは、主人公が同期の仲間に「全集中の呼吸・常中」という技を教える場面でした。
    「肺をこう。こうやって大きくするんだ。血が驚いたら、骨と筋肉がブオンブオンて言ってくるから、留めるんだ」

    ・・・何を言っているのか、さっぱりわからない・・・。
    奥義というものは、言葉にしても、本質が伝わりません。

    学習能力も、それを会得していない子にとっては、同じようなものなのかもしれません。
    勉強が得意な子は、数学の問題を1題間違えた際、解答解説を読み取る中で、そこで使われている公式もテクニックも発想法も習得します。
    英語の問題を1題間違えた際、そこで扱われている文法事項や重要表現の何をどう自分が間違えたのか、習得します。
    だから、類題を解くときには、習得した内容を活用して、今度は正答します。

    しかし、勉強が苦手な子は、類題を解いても、同じことを同じように間違えてしまいます。
    「同じことを同じように間違えている」と指摘されても、何がどう同じなのかわからないのかもしれません。
    自ら学べないだけでなく、何をどう間違っているかを解説されても、習得できないことすらあります。
    その後に類題を解いても、また同じことを同じように間違えてしまうのです。

    間違えた問題から学ぶ。
    それが学習の奥義です。
    「間違えた問題があったら、解答解説を読むんだ。そうすると、大事なところがパッとわかるから、それを脳に入れると、他のこととブワンブワンとつながって、次に同じような問題を見たら解けるんだ」
    ・・・勉強が苦手な子にとっては、こんな説明を聞いても、訳がわからないと思います。
    何をどうすることなのか、わからない・・・。
    解答解説を読んでも、大事なところなどわからない。
    次に同じような問題を見ても同じだとわからないし、解けない。
    奥義にアクセスすることができないのです。

    そうするうちに、学習した当初は自力で解いていた基本問題も解き方がわからなくなって解けなくなっていく子も多いです。
    勉強が苦手な子は、間違えた問題だけを解き直していても、学習は完成しません。
    もう一度、その単元の最初から解き直してみると、解けなくなっている問題が多いのです。
    学習した当初は例題をなぞって正解した問題も、記憶にとどめていないので、時間が経過すれば解けなくなっています。
    重要なことを識別し長く脳に留めておくという技術を身につけていないのでしょう。
    勉強した内容はすぐに忘れてしまいます。

    脳の空き容量を常に大きくしておくことが最優先であるかのように。

    脳の使い方が違う。

    脳の出来が違うのではないと思います。
    脳の使い方が違うのです。

    それを教えるのが個別指導です。
    入会当初は自分の誤答を書き直して丸をつけるような暴挙に出ていた子に、不毛に感じるほどに繰り返し繰り返し間違えた問題には印をつけさせ、解き直すように指示します。
    あわせて、類題を宿題に出します。
    同じような問題が同じように解けないときも繰り返し繰り返し説明し、なぜ正答が増えないか、本人が開眼するのを辛抱強く待ちます。
    生徒が把握できないことは私が把握し、学習を設計し、テスト直前まで、解ける問題と解けない問題を区別し続け、何が出来、何が出来ないか、何が課題かを説明し続けます。
    何が重要で、何をどう考えて問題を解くのかを教え続けています。
    自立して学習できるようになるまで。

    中1の2学期、あるいは中2の2学期、「底」を見た生徒が、これまでも多く入会してくれました。
    入会時は40点台。
    いったん底を見たところから、今は80点台に上がった人もいます。
    次のテストではまた下がるかもしれません。
    しかし、40点台になることは、もうないでしょう。
    ザルで水をすくうような勉強は、もうしていないですから。
    他の子も、それぞれに回復を図り、今回のテストでは40点台はなくなりました。

      


  • Posted by セギ at 11:08Comments(0)講師日記

    2020年10月29日

    高校数Ⅱ「図形と方程式」。円の接線の方程式。


    今回は、円の接線の方程式です。
    まずは、公式を確認しましょう。

    円 x2+y2=r2 上の点A(x1 , y1)における接線の方程式は、
    x1・x+y1・y=r2

    証明しましょう。
    この円の中心は原点Oです。
    まず点Aが、x軸・y軸上の点ではないとき、
    直線OAの傾きは、y1/x1 となります。
    また、接線は、円の半径である線分OAと垂直ですから、接線の傾きは、
    -x1/y1 
    となります。
    垂直に交わる直線の傾きの積は-1だからです。
    よって、求める接線は、傾きが -x1/y1 で、点(x1,y1)を通る直線ですから、
    y-y1=-x1/y1(x-x1)

    これを変形しましょう。
    両辺にy1をかけて、
    y1(y-y1)=-x1(x-x1)
    展開すると、
    y1・y-y1の2乗=-x1・x+x1の2乗
    移項して、
    x1・x+y1・y=x1の2乗+y1の2乗
    ここで、点Aはこの円上の点だから、(x1,y1)は、この円の方程式の関係を満たすので、
    x1の2乗+y1の2乗=r2
    よって、
    x1・x+y1・y=r2
    これが、接線の方程式です。

    なお、点Aが、x軸上にあるとき、接線の方程式は、円の半径より、
    x=r または、x=-r です。
    上の公式に代入した場合、
    (x1,y1)=(r,0)のとき、
    rx+0・y=r2
    rx=r2
    x=r
    また、(x1,y1)=(-r,0)のとき、
    -rx+0・y=r2
    -rx=r2
    x=-r
    となり、上の公式を用いてよいことがわかります。

    点Aがy軸上にあるときも同様に、代入すると、
    y=r または、y=-r
    という式を得ることができます。


    さて、公式を証明できたので、練習してみましょう。

    問題 円x2+y2=25がある。
    (1) 円上の点(2,√21)における接線の方程式を求めよ。
    (2) 円外の点(1,7)からこの円にひいた接線の方程式を求めよ。

    (1)は、接線の公式に代入するだけですね。
    x1・x+y1・y=r2 に代入して、
    2x+√21y=25
    これでもう答です。

    (2)は、接点がわからないことに注意が必要です。
    公式に(1,7)を代入しても、別の式が出来てしまうだけです。
    公式を使うだけというわけにいきません。
    では、求める式を、何か文字を使って表すことはできないでしょうか?
    求める式は、接線ですから、直線の式です。
    情報としては、点(1,7)を通ることはわかっています。
    直線の公式を思い出してみると、傾きか、あと1点の座標を文字にすれば、仮の式を立てることができそうです。
    どちらでもいけそうですが、傾きを文字に置いたほうが簡単そうな気がするので、それでやってみましょう。

    求める接線の傾きをmとすると、点(1,7)を通ることより、
    y-7=m(x-1)
    これを整理すると、
    y-7=mx-m
    -mx+y+m-7=0
    mx-y-m+7=0

    あとは、このmの値を求めればよいのです。
    mを使った、何か別の方程式を立てましょう。
    使っていない情報は・・・。
    円の半径をまだ使っていない!
    円の中心Oとこの直線との距離が、円の半径5であることを利用できそうです。
    点と直線との距離の公式に代入して、
    |-m+7|/√(m2+1)=5
    両辺に√(m2+1)をかけて、
    |-m+7|=5√(m2+1)
    両辺を2乗して、
    (-m+7)2=25(m2+1)
    m2-14m+49=25m2+25
    -24m2-14m+24=0
    12m2+7m-12=0
    (4m-3)(3m+4)=0
    m=3/4 , -4/3
    よって、求める接線は、
    y-7=3/4(x-1)を整理して、y=3/4x+25/4
    y-7=-4/3(x-1)を整理して、y=-4/3+25/3

    この2本の式が、答です。


    ところで、上の接線の公式、中心が原点の円のときですが、もっとそれ以外の点が中心の円でも使えないでしょうか?
    そういう公式もあります。

    中心が(a,b)、半径がrの円、すなわち、
    (x-a)2+(y-b)2=r2 上の点(x1,y1)における接線の方程式は、
    (x1-a)(x-a)+(y1-b)(y-b)=r2

    これは、平行移動で考えます。
    上の円をC: (x-a)2+(y-b)2=r2 とします。
    この円を中心が原点になるような平行移動すると、
    円C': x2+y2=r2
    となります。
    この平行移動により、接点A(x1,y1)は、A'(x1-a , y1-b)に移動します。
    この点A'における円C'の接線は、公式により、
    (x1-a)x+(y1-b)y=r2 です。
    この接線をもとに位置に平行移動しましょう。
    x軸方向にa、y軸方向にbだけ平行移動すれば戻ります。
    よって、求める方程式は、
    (x1-a)(x-a)+(y1-b)(y-b)=r2
    です。
    途中でよくわからないところがあった人は、おそらく、平行移動のところが曖昧になっていると思いますので、見直すと、意味がわかると思います。

    問題 円(x-1)2+(y-2)2=25上の点(4,6)における接線の方程式を求めよ。

    上の公式に代入すれば求められます。
    (4-1)(x-1)+(6-2)(y-2)=25
    これを整理します。
    3(x-1)+4(y-2)=25
    3x-3+4y-8=25
    3x+4y=36
    これで答です。

    では、こんな問題は?

    問題 円x2+y2-2x-4y-4=0に接し、傾きが2である直線の方程式を求めよ。

    与えられた円の方程式を整理しておきましょう。
    (x-1)2+(y-2)2=4+1+4
    (x-1)2+(y-2)2=9
    よって、この円の中心は(1,2)、半径は3です。

    さて、求めるのは接線です。
    直線で、傾きが2であることがわかっていますから、文字を用いて、
    y=2x+n とおきましょう。

    nを求めるために、何か方程式を立てたいです。
    円の中心と直線との距離は、円の半径のことですから3です。
    これが使えそうです。
    y=2x+n を整理すると、
    2x-y+n=0
    これと点(1,2)との距離は、
    |2-2+n|/√(4+1)=3
    これを計算すると、
    |n|=3√5
    n=±3√5
    よって、求める直線の式は、
    y=2x±3√5

    できました。

    こういう問題が苦手な人は、とにかく、何か文字を使って、求めたい式を表しておき、その文字に関する方程式を立てるんだ、という解き方の流れを把握しておくと、何をしたらよいか、指針が見えてくると思います。
    解き方を丸暗記するには、問題のバリエーションが多いです。
    1問1問暗記しても、テストは別の形式の問題が出題されるかもしれません。
    覚えるべきは、解き方の指針です。
    そして、どんな公式や定理を使うことが多いのか、です。
    接線の公式は勿論ですが、これまでに学習した直線の式や、点と直線との距離など、よく使う公式を把握しておくと発想しやすくなります。


      


  • Posted by セギ at 12:33Comments(0)算数・数学

    2020年10月26日

    玉川上水緑道を小金井公園まで歩きました。2020年10月。


    2020年10月18日(日)、ウォーキングをしてきました。

    前回、井の頭公園に行こうとして間違って歩いてしまった玉川上水緑道。
    この道は、三鷹から西のほうにもかなり伸びているのでは?
    そういえば、何年か前、多摩湖歩行者自転車道を自転車で走ろうとして、道に迷って玉川上水沿いに出てしまったことがありました。
    その記憶をたどり、東京都区分道路地図を眺めると、道は延々と続いています。
    舗装されている道かもしれないけれど、ちょっと歩いてみることにしました。

    デイパックに、財布・携帯・水・タオル・アルコールティッシュ、そして今回は、もし手を洗う機会があったらと、キッチンペーパーを少し濡らして泡ハンドソープを含ませたものをビニール袋に入れて、それもディパックに入れました。
    マスクをして、さて出発。
    久しぶりに晴れたので洗濯などをしていたせいで、出発は、13:00。
    遅い。
    14:30頃にはUターンしようと決めて出発しました。

    三鷹駅の北口、玉川上水に沿って西へと歩いていきました。
    川のどちら側を歩いたら良いかよくわからないので、とりあえず川の南側を歩いてみました。
    玉川上水は、西側が上流でしょうか。
    だとしたら、川の南側は右岸ですね。
    上水は、草木がやたらと茂っています。
    柵がしっかり張られてあり、川床が深いので、川面はほとんど見えません。
    三鷹の密林。
    それが玉川上水道。
    川の南側は舗装されていましたが、細い道なので、車が来る心配はなく、気楽に歩けました。

    やがて玉川上水は、大きな交差点で方向を変えていきました。
    というより、道路の方向が変わっていくのですね。
    その交差点を渡るのに、押しボタン式信号を渡らねばなりませんでした。
    ボタンに触りたくないなあ。

    そんなときのために、ポケットには、シートタイプのトイレクリーナーを1枚入れてきました。
    アルコール濃度は低いと思うので、ちゃんとした除菌には使いませんが、物に直接触れたくないときに、シート越しに触れるので便利です。

    「この先、バイク・自転車は通行できません」
    という看板が見えてきて、その先は未舗装の道に入りました。

    土の感触が気持ちいい。
    やはり歩きやすいです。
    進行方向、道の左側は普通の住宅街。
    右側は、鬱蒼と草木の茂る玉川上水。
    そのさらに向こうは、車道。
    ここは、街の中。
    それでも、土の道だというだけで楽しくなります。

    「ぎんなんばし」というところで、土の道は終わり、交差点を渡りました。
    川の右岸と左岸の両方を見比べて、もうその先は右岸も舗装されていたので、左岸、川の北側に回りました。
    これが、案外良かったです。
    歩道が未舗装なのです。
    道路は舗装道路ですが、歩道は未舗装。
    土の道です。
    これは素晴らしい。

    その先、さらに交差点を渡ると、浄水場が見えてきました。
    右手は浄水場。
    道の左側の歩道は広く、ときどきベンチも設置されてありました。

    玉川上水は、やがて五日市街道と合流。
    道路の交通量は増えていきましたが、歩道は未舗装のままでした。
    道路より一段高く設置され、柵も高いです。
    両側に草の生える土の道を歩いていきます。
    足元だけに目を落とせば、ここは平らな山道のようです。
    目を上げれば、右手にファミレスなどが次々見えてくるのですが。
    道が平らなので、息が切れるということもなく、どこまでも歩ける気がします。

    やがて、「小金井公園」の掲示が見えてきました。
    駐車場入り口の電光掲示板は「満車」を示していました。
    車でこの公園に来ている人が随分多いようです。

    公園の広い入口から中に入りました。
    花壇には、咲き残るマリーゴールド。

    公園の奥へと進んでいくと、広い広い草地に、いくつかテントが張られていました。
    車でこの公園に来て、テントを張って遊んでいるのでしょう。
    小金井公園は、テント設営OKなのですね。
    調理や宿泊はOKなのかな?ダメかな?
    コロナ禍の中でのレジャー。
    車にテントや折り畳み椅子を載せてきて、広い草地で1日のんびり過ごすのでしょう。

    さて、予定の14:30を過ぎていましたので、ここを一応の目的地として、Uターンすることにしました。
    来た道を戻ります。
    山を歩くときは、下りだから短い時間で下山できて当たり前ですが、平地を歩いても、帰り道のほうが時間は少し短くて済むということに気づきました。
    知らない道を最初に歩くときは、用心して歩くので、少し歩みが遅くなるのかもしれません。
    周囲の様子をうかがいながら歩いているのでしょう。
    帰り道は、淡々と歩くことに集中できるから速いです。

    帰りは、川の左岸、北側のみを歩きました。
    三鷹駅まで、やはり大半は未舗装でした。
    遠くまで歩いたわりに、足に負担がかかりません。
    今度はもっと朝から出かけて、さらに先まで歩いてみるのも楽しそうです。

    帰宅。
    歩数計を見ると、18,779歩でした。


      


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    2020年10月23日

    高校英語。仮定法。仮定法過去。


    仮定法とは何かについて、前回説明しました。
    事実を述べるのではなく、事実に反する仮定の話をするときには、仮定の話だと明確に伝わる異様な時制を用いる。
    まずはそれを理解することで、仮定法に対する抵抗感はかなり薄まると思います。

    今回は、仮定法過去を見ていきましょう。
    仮定法過去とは、文面上は過去形を用いるのですが、表しているのは、現在の事実に反する仮定です。
    仮定法は、時制が1つ古くなる。
    これを覚えておくと、ルールが見えてくると思います。

    まずは例文を見てみましょう。

    If I had enough time and money, I would travel around the world.
    もし十分な時間とお金があれば、私は世界中を旅するだろう。

    if 節に過去形が用いられています。
    仮定法はわざと1つ古い時制を用いています。
    だから、これは、現在の事実に反する仮定です。
    また、主節に、助動詞 will の過去形 would が用いられています。
    仮定法の主節は、助動詞の過去形を用います。
    will の過去形の would 、 can の過去形の could 、 may の過去形の might。
    こうした、助動詞の過去形を主節に用います。
    「~できる」の意味が主節にあるときには、could。
    「~かもしれない」の意味が主節にあるときには、might。
    特に付加された意味のないときには、would を用います。

    仮定法に対する大前提の抵抗感がなくなっても、まだ仮定法で混乱することの1つに、この助動詞があるようです。
    would が will の過去形だと知らなかったと言う子に、何人が出会いました。

    ・・・いや、時制の一致に関する問題で、使ってきたでしょう?
    I know she will go to Osaka tomorrow.
    を過去形にせよという問題の答は、
    I knew she would go to Osaka on the next day.
    でしょう?

    そのように問いかけても、はかばかしい反応がありません。
    そういう問題は全て誤答し、よくわからないままスルーしてきたのかもしれません。

    最初に would を見たとき、それを will の過去形という形では認識しなかった、ということも影響しているのでしょう。

    Would you tell me the way to the station?
    駅への道を教えてくださいませんか。

    といった文は、中学の教科書の会話表現のコーナーなどで学習しています。
    会話表現だから、そういうものなんだと丸暗記で済ませ、この would が何であるのか考えたことがなかったのかもしれません。

    I would like to be a doctor.
    私は、医者になりたい。

    といった文も、中学で学習しますが、この would が何であるかは不明なまま、would like to ~= want to ~と丸暗記する人が多いです。
    というよりも、丸暗記しようとして結局覚えられず繰り返し誤答してきた、という人のほうが多いかもしれません。
    短縮形を用いた、
    I'd ( ) to go abroad.
    といった穴埋め問題で、I'd が I would であることに気づかず、
    I'd (want) to go abroad.
    などとしてしまう誤答はよく見ます。

    丁寧な表現だったり、遠まわしな表現だったりする ときに用いるこの助動詞 would はwill の過去形です。
    これらは、一種の仮定法表現だとみなすと、意味がわかると思います。
    直説ではちょっときつい感じのすることを、仮定の形で伝えると、丁寧になる。
    あるいは、遠回しになる。
    そういうことなんだと理解すると、would の用法とあわせ、これが will の過去形であることも納得のいくことだと思います。


    そんなことではなく、とにかく助動詞の過去形を使う、ということが理解できない!
    何で?
    何でそんなのを使うの?

    ・・・と、やはり、仮定法というものへの抵抗感から、反発心まで起こり、理解を妨げるということもあるようです。
    英語が嫌いなので、とにかく英語に文句を言いたい。
    そういう気持ちは、英語学習の最大の障害です。
    自覚し、意識して取り除きましょう。
    仮定法の主節は、助動詞の過去形を用います。
    主節に助動詞の過去形がなかったら、直説法の過去形との区別がしにくいです。
    主節の助動詞の過去形は、その文が仮定法であるかどうかを簡単に見分ける目印なのです。

    もう少し例文を見ていきましょう。

    If the government worked more efficiently, more people would vote.
    もし、政府がもっと有能に働けば、より多くの人々が投票するだろう。

    これも同じです。
    if 節は、過去形。
    主節は、助動詞過去形+動詞原形。
    助動詞の後ろは動詞原形、という英語の根本ルールに従っています。

    If I could play the piano, I would play it for you.

    このように、if 節に「~できる」という意味があるときには、助動詞を過去形にして用います。
    その際も、勿論、主節は主節で助動詞の過去形を用います。
    文法テキストや問題集に、こうした if 節が助動詞を含んでいる文があると混乱し、どちらに助動詞を使うかわからなくなる人もいるようです。
    if 節は、基本的には助動詞は不要。
    必要だったら書いてもいい。
    どちらにしろ、過去形。
    主節は、助動詞過去形+動詞原形。
    この基本をまずは覚えましょう。

    これが仮定法過去。
    現在の事実に反する仮定です。

      


  • Posted by セギ at 11:53Comments(0)英語

    2020年10月20日

    高校数Ⅱ「図形と方程式」。円の方程式。円の弦の長さ。



    今回は、円の弦の長さを求める問題です。

    問題 直線 y=x+2 が円x2+y2=5 によって切り取られる弦の長さを求めよ。

    上の図のように、円と直線の交点をA、Bとおくと、求める弦の長さは、線分ABです。
    これを求めればよいのですね。

    求めようと思えば、点A、Bの座標を求めることはできます。
    直線と円の方程式を連立すればよいのですから。
    そうやって2点の座標を求めてから、2点間の距離を求めることはできると思います。
    最悪、その求め方も視野に入れておくとして、他にもっと簡単に求める方法はないでしょうか?

    ここで、点Oと点A、Bを結び、△OABを考えてみます。
    線分OA、OBは、それぞれ円の半径ですから、OA=OBです。
    ということは、△OABは二等辺三角形です。
    二等辺三角形・・・。
    二等辺三角形の定理というと・・・。

    ここで、「2つの底角は等しい」しか思い浮かばない人が多いのですが、案外よく使うもう1つの定理があります。
    「二等辺三角形の頂角の二等分線は、底辺を垂直に2等分する」
    というものです。
    図形が苦手な人に、二等辺三角形の定理を言ってもらうと、こちらの定理を言える人はほとんどいません。
    よく使う大切な定理を活用できる状態で記憶していないので、問題を解くことができないのです。
    幾度それで失敗しても、時間が経つと、またこの定理を忘れています。
    この定理、本当によく使いますから、覚えておいてください。

    頂角の二等分線をひき、線分ABとの交点をMとしましょう。
    定理の通り、AM=BMとなります。
    また、∠OMA=∠OMB=90°です。
    △OMAは、直角三角形。
    三平方の定理が使えます。
    OMとOAの長さを求めれば、AMの長さを求めることができます。
    それを2倍すれば、ABの長さとなります。

    やってみましょう。

    OMは、円の中心O(0,0)と、直線ABとの距離ですから、点と直線との距離の公式に代入しましょう。
    直線x-y+2=0 との距離ですから、
    OM=|2| / √1+1=√2
    また、OAは、円の半径ですから、円の方程式より√5 であることが読み取れます。
    よって、△OMAにおいて三平方の定理より、
    AM=√5-2=√3
    AB=2AM=2√3
    これが答となります。

    この問題は典型題で、よくテストに出ます。
    自力で発想できなかった場合は、この解き方のテクニックを覚えておきましょう。
    数学の問題の解法テクニックを覚えておくことは、解き方の丸暗記というのとは少し違います。
    使いまわしが効く覚え方をしておくことは、必要なことです。
    発想のヒントになります。
    他の問題で、この解き方を使えるかもしれません。
    定理を頭に入れておくことと同様に、数学の問題を解くために必要なことです。
    自力で解き方を発想できない人は、定理やテクニックが頭に入っていないことが多いのです。
    使える武器が頭の中にないのに、発想できない、どうしたら解き方を思いつけるようになるのか、と悩んでいます。
    頭の中にないものは、発想できないと思います。
    誰でも、無から有を生み出しているわけではありません。
    発想は空から降ってくるものではなく、自分の中の知識を組み合わせるのです。
    頭の中にあるものから発想するのです。

    頭の中にある武器が有機的につながっていて、網の目のように張っている人ほど、発想しやすいです。
    どうすれば網の目を張れるかといったら、それは問題を解いた経験値を上げていくのが一番です。
    自分で考えてみる。
    試行錯誤してみる。
    そうした思考の痕跡が網の目の1つ1つになります。
    急にスラスラ解けるようになる発想法や頭の使い方があるのだろうにそれを誰も教えてくれないと嘆くより、自分の頭を使って考えてみましょう。
    使えば使うだけ、頭の中の網の目は張ります。


    ところで、最初の発想に戻って。
    点A、Bの座標を求めれば、2点間の距離を求められる。
    この発想にちょっとこだわってみましょうか。
    とはいえ、円と直線との交点です。
    分子に平方根のある分数になる可能性が高く、嫌な予感がしますが。

    y=x+2 と、x2+y2=5 を連立して、
    x2+(x+2)2=5
    x2+x2+4x+4=5
    2x2+4x-1=0
    明らかに、因数分解はできないですね。
    解の公式を用いましょう。
    x=-2±√4+2 / 2
    =-2±√6 / 2

    点Aのx座標が-2-√6 / 2 で、Bのx座標が-2+√6 / 2 です。
    そして、それぞのy座標は、y=x+2 に代入して求めることができますから、
    A(-2-√6 / 2 , 2-√6 / 2)、B(-2-√6 / 2 , 2+√6 / 2) 
    となります。
    この2点間の距離ですから、2点間の距離を求める公式に代入します。
    手書きならば普通に書いていけばよいのですが、ネット上では見た目が煩雑になるので、途中はちょっと省略します。
    x座標の差の2乗+y座標の差の2乗が、2点間の距離の2乗です。
    x座標の差の2乗は、6。
    y座標の差の2乗も、6。
    よって、2点間の距離の2乗は、12。
    2点間の距離は、√12=2√3 です。

    落ち着いて丁寧に計算すれば、正解に至りますが、やはり、煩雑でした。
    この発想で、もう少し計算が簡単になる方法はないでしょうか?
    さらに考えてみましょう。
    2次方程式といえば、解と係数の関係。
    これを使うのは、どうでしょうか。

    点Aのx座標をα、点Bのx座標をβとおきます。
    これは、先ほどのように、y=x+2 と、x2+y2=5 とを連立して整理した方程式である、
    2x2+4x-1=0
    の2つの解です。
    解と係数の関係より、
    α+β=-2、αβ=-1/2
    となります。
    また、y=x+2 に代入すると、点A、Bの座標は、
    A(α , α+2)、B(β , β+2) と表せます。

    2点間の距離の公式を、ただし2乗のままで表すなら、
    AB2=(β-α)2+{(β+2)-(α+2)}2
    =(β-α)2+(β-α)2
    =2(β-α)2

    ここで、
    (β-α)2=(β+α)2-4αβ ですから、
    AB2=2{(α+β)2-4αβ}
    =2{(-2)2-4・(-1/2)}
    =2(4+2)
    =12
    よって、AB=√12=2√3 となります。

    解をいったんα、βと置くのも、よく使う手法ですが、解くことができるという確証が得られないと、なかなか使う気になれないかもしれません。
    しかし、数学の問題で、最初から解くことができるという確証を得られることは少ないです。
    大抵の場合、見切り発車です。
    ダメだったらまた別の解き方で解こうと思う人たちが、試行錯誤を繰り返し、数学を得意になっていきます。


      


  • Posted by セギ at 12:35Comments(0)算数・数学

    2020年10月18日

    井の頭公園まで歩きました。


    コロナ禍で、スポーツジムにも山にも行けなくなって、もう半年以上になります。
    ジムに行けないので、昔購入してあまり使わなかったビリーズブートキャンプのDVDで体操をしています。
    付属品のチューブ(ビリーズバンド)は、さすがに耐用年数を越えていると思うので使用していませんが、むしろ使わないほうがあまりつらくないので、ちょうどいいようです。
    毎日やるのもまたつらいので、とりあえず、週3日くらい。
    忙しくてできなかったときは、それはそれと諦めて。
    そんなふうにして、半年ほど続いています。
    ジムでいい加減なエアロビクスをやるよりも、むしろ身体の歪みは補正された感があります。

    運動不足はそれで解消されるとしても、やはり、できれば自然の中を歩きたいです。
    というよりも、とにかく歩きたい。
    10月16日(金)の昼間、ちょっと散歩をしてみることにしました。
    今後、他のコースも開拓するとして、とりあえず、井の頭公園に行ってみましょう。
    デイパックに財布・携帯・タオル・のど飴・水・アルコールティッシュを入れて、出発しました。

    三鷹駅前の風の散歩道。
    春は桜がきれいですが、今の時期は特に何もありません。
    新緑がきれいということもなく、紅葉がきれいということもない。
    それでも、歩くだけで何だか楽しいのはなぜでしょう。
    普段、教室に行くのも歩くのは面倒で自転車にしているというのに。
    それよりもずっと遠い距離を歩くのに、遠いと思わない。
    心のモードが違っているのでしょう。
    蝶がヒラヒラと飛んでいました。
    うん?アサギマダラ?
    いいえ。よくみたら、普通のアゲハチョウでした。
    アサギマダラ。
    今頃、奥高尾をフワフワ飛んでいるだろうなあ。

    風の散歩道の突き当り、万助橋から横断歩道を渡って、いよいよ緑地に入っていきました。
    土の道に入り、さらに気持ちがはずみます。
    舗装されていない道は、歩いていて本当に足が楽で、いくらでも歩けます。
    木陰の緑道は風も涼しく、清々しい。
    そう思ってどんどん歩いていたら・・・。

    ・・・道に迷いました。

    気がつくと、玉川上水の緑道に入ってしまっていました。
    井の頭公園は何度か行ったから大丈夫さと、地図も持たずに来たのが良くなかったようです。
    ともあれ、土の道であれば何でもいいので、そのまま先に進みました。

    道の右手に壁が立てられているところがありました。
    壁には長方形ののぞき穴が開けられ、数人、そこに佇んで中を見ています。
    カメラを構えている人も。
    ソーシャルディスタンスを保ちながら、空いているのぞき穴からのぞき込むと、壁の向こうは小さな池でした。
    水鳥が来るのでしょうか?
    眼鏡をかけていなかったので、水鳥が来ているのか来ていないのか、よくわからなかったけれど、こんな場所もあるんだなあ。

    玉川上水の脇の遊歩道は、やがて舗装されたところに出てしまいました。
    またしばらく行くと、遊歩道になるのかもしれません。
    今度、確認に行こうかな。
    舗装していない散歩道をもっと整備してくれたら嬉しいけれど、多くの遊歩道は舗装してあります。
    舗装しないと水たまりなどできやすいから遊歩道の安全な維持はむしろ難しいのかなあと考えながら、来た道とは川の反対側のほとりを戻ることにしました。
    こちらも土の道でした。
    嬉しい。
    井の頭第二公園がすぐに見えてきました。
    何もなく、誰もいない。
    そして広い。
    ここで少し休憩。
    良い公園でした。

    またしばらく川沿いの土の道を歩いていき、道しるべの通りに、公園に入りました。
    ここは井の頭恩賜公園。
    木立の中、何となく道らしきものはあるけれど、その他のところを歩いても特に問題はありません。
    歩きやすいし、広いし、何もないのが気持ちいい。
    小学生の集団が、お昼ご飯を食べていました。
    遠足でしょうか。
    小学生の集団としては以前は考えられなかった静けさでした。
    それぞれ座って、黙って食事をしています。
    食事中の会話による飛沫が極めて危険なことは実証されていますから仕方ないのですが、不自由だろうなあ。

    子どもの心の栄養は、三密と不要不急。
    やってはいけないことばかり。
    しかし、それは、クラスターを起こしていい理由にはなりません。
    子どもは重症化しないとしても、後遺症の可能性はあります。
    どうにもならないなあ・・・。

    人類の歴史をさかのぼって考えれば、ペストでも何でも、治療法が見つからなかった時代であっても、流行は年単位で考えれば収束しました。
    謎の弱毒化。
    謎の収束。
    それが繰り返されてきました。
    画期的治療法やワクチンが開発されなかったとしても、長くても数年でこの災いは去るはずです。
    急ぐまい、と思います。
    コロナが収束したら、また山に行こう。

    細い道路を渡ると、池のある井の頭公園。
    舗装された階段を下りていくと、井の頭公園には、山野草のスペースがあります。
    数年前、春に来たときは、山の春の花が咲いていて、ちょっと嬉しかったのですが、しかし、今回は夏草の勢いが凄いです。
    「ヤマホトトギス」や「ヤマジノホトトギス」の札が立てられていましたが、それらしき花はありませんでした。
    今頃、山で咲いているだろうけれど、街ではもう少し早く咲くだろうから、もう終わってしまったのかもしれません。

    そこから、池を1周しました。
    やはり、できるなら土の道のほうを歩きたい。
    ときおり、ベンチに座って静かに池を見ている人がいます。
    少し離れて、その後ろを私も静かに通りすぎます。
    池は、スワン型ボートが何台か稼働中でした。

    歩数計を見ると、ここまでで約6000歩でした。
    全く歩き足りないですが、そろそろ帰りましょう。
    ここは、紅葉の頃にまた来たいな。
    紅葉の頃は、混雑するかな。
    そんなことを思いながら、来た道を戻りました。

      


  • Posted by セギ at 12:23Comments(0)

    2020年10月14日

    高校英語。仮定法。仮定法とは何か。


    さて、今回は仮定法。
    高校の授業が「仮定法」に入ると、「全くわからない」と塾で訴える子が多くなります。
    心の準備なく、いきなり仮定法を学習すると、何がどうしてそうなるのか、全くわからない、ということがあるようなのです。
    前提がわからないので、「仮定法過去の例文から見ていきましょう」といった授業を聞いても、何にもわからないのでしょう。

    こうした状態は、仮定法で最も顕著ですが、人によっては仮定法よりも前の単元でも起こります。
    先日、中学生に、動名詞と不定詞の使い分けについて授業をしたときも、そうでした。

    ①動名詞のみを目的語にとる動詞。
    ②不定詞のみを目的語にとる動詞。
    ③動名詞・不定詞の両方を目的語にとり、意味も変わらない動詞。
    ④動名詞・不定詞の両方を目的語にとるが、意味が異なる動詞。

    この4通りのそれぞれについて解説し、動詞によって使い分けることを強調し、さて、それでは練習問題を解いてみましょう、と声をかけましたが、全くペンが動かないのです。
    完全に固まっていました。

    見分け方がわからないのかと、1問1問、補助し、一緒に解こうとしても、答を書いたり書かなかったりと、反応が変なのでした。
    「・・・どうした?わからない?」
    「・・・」
    「何がわからない?」
    ここから、何を問いかけても反応のない不毛な時間がしばらくありました。
    もしかしたらと思い、私は問いかけました。
    「・・・なぜ動名詞と不定詞を使い分けるのかが、わからない?」
    その子は、うなずきました。

    動名詞と不定詞を「どう使い分けるのか」ではなく、動名詞と不定詞を「なぜ使い分けなければならないのか」、それがわからない・・・。

    こうした疑問は、英語学習の妨げとなることが多いのです。
    そもそもの根本でつまずくので、その後の使い分けの説明など、耳に入らなくなってしまうのでしょう。

    それぞれの言語に、それぞれのルールがあります。
    外国人から見たら、それは意味のない不可解なルールの場合もあるかもしれません。
    しかし、それは、単に言語だけの問題ではなく、その言語を話す民族の歴史や文化と深く関わっています。
    動名詞と不定詞は、使い分けなくても良いだろうけれど、英語では使い分けているんだから、それで仕方ないのです。
    日本語にもそういう不可解なルールは沢山あり、だから、Why Japanese people? なんてお笑いのネタもありました。
    アメリカ人の芸人さんが、漢字の「一」「二」「三」を書いていき、ははあ、パターンがわかったぞ、と思ったら、急に「四」。
    Why Japanese people?
    そこを指摘されても、理由なんか知らないですし、確かにおかしいから「四」という漢字を改めようなんて、誰も思わなかったですよね。

    以前も書きましたが、動名詞は既に起きていること、不定詞はこれから起こることに使われる傾向があることがわかっています。
    他にもいくつか、使い分けの基準があります。
    しかし、なぜそんなことを使い分けなければならないのか、その理由は不明です。

    こうした疑問は、学問の始まりです。
    なぜ、動名詞と不定詞を使い分けるようになったのか?
    それは、英語の歴史をさかのぼってみていかなければならないでしょう。
    いつから動名詞と不定詞は使い分けられているか。
    文献としてさかのぼれるところまでさかのぼって、考えていかなければなりません。
    いえ、さかのぼったところで、なぜ使い分けるようになったのか、その結論は出ないだろうと思います。
    私たちは、歴史的な経緯を知ることができるのみです。
    言語は、誰かが意図的に作ったものではありません。
    だから、意図を問うのは、無意味です。
    ただ、どういう経緯をたどってそうなったのかを知ることには意味があります。
    そうした観点から英語を研究する。
    それを英語学といいます。
    本当に興味を抱いて、それを大学で学びたいと思うなら、それは素晴らしいことだと思います。

    ただ、多くの場合、こうしたことに疑問を抱いて、そこで石のように固まって、その後の説明が耳に入らなくなってしまう人は、そこから英語が苦手になり、英語嫌いをこじらせてしまうのです。


    仮定法に対する違和感・抵抗感も、同じです。
    なぜ、仮定法を使うのかが、わからない。
    なぜ、変な時制にわざわざするのか、意味がわからない。
    そこでつまずいて、その先の授業内容が頭に入らない。
    そういう高校生が多いように思うのです。

    日本語には、仮定法は存在しません。
    事実に反する仮定を述べるときに時制を変えたりはしません。
    英語に仮定法が存在するのは、英語を用いる民族の文化的・歴史的背景に由来するものでしょう。
    1つ可能性として考えられるのは、英米の人は、嘘を嫌う。
    「嘘つき」呼ばわりされることは、ひどい侮辱。
    英米では名誉に関わる重大なことです。
    しかし、仮定法は、仮定の話。
    事実に反する話。
    「嘘」に似ています。
    自分は事実ではないことを述べているが、しかし、それは「嘘」ではなく、仮定の話である。
    わざと奇妙な時制を用いることで、「嘘」ではなく仮定の話をしていることを自分にも相手にも納得させる必要があるのではないでしょうか。

    上のことは、あくまで推論です。
    学問とは呼べない種類の憶測です。
    しかし、仮定法への違和感をなくしたいだけなら、上のように考えておけば十分ではないでしょうか。


    仮定法と比べた場合に、今までの文は、何だったのか?
    今までの文は、「直接法」「命令法」と呼ばれるものです。
    英語の文は、大きく3つ、「直説法」「命令法」「仮定法」に分かれます。

    「命令法」は要するに命令文のことです。
    英語学習の初期の段階から学習していますから、特に問題ないと思います。
    よくよく考えれば、主語を示さず、いきなり動詞の原形で始めるなど、奇妙な形の文が多いのですが、英語を習いたての頃から出てくるので違和感を抱く人は少ないようです。

    「直説法」とは何なのか?
    これまで使ってきたものは、命令法でなければ直説法です。
    しかし、そのように意識したことがなかったので、どういう特徴があるのかわからないかもしれません。
    直説法とは、事実をありのまま述べた文、ということです。

    ・・・ますますわからない。
    これまでも、事実をありのまま述べるのではなく、事実を捻じ曲げて述べた気がするが・・・。
    別に自分はトムではないのに、I am Tom. と平気で書いてきた。
    何の興味もないのに、I like baseball very much. と書いたりもした。

    いえ。
    そういうことではないのです。
    英語の練習のために言ったり書いたりしていることは、別にどうでもいいのです。

    練習ではなく、本当にコミュニケーションの手段として英語を用いた場合、私たちは、I am Tom. とは言いません。
    好きではないのなら、I like baseball. とは言いません。

    練習のために英語を使うだけなので、感覚がおかしくなっている人がいるかもしれませんが、英文というのは、それを語った人・書いた人が実際に存在しているのです。
    その人が見たり聞いたりした事実や、その人が考えたことが述べられているのです。
    事実や、自分では真実と信じることを述べているのです。
    それが直説法です。

    一方、仮定法は、事実に反する仮定を述べています。
    「もし~ならば、・・・だったろう」
    と仮定の話をしています。

    というと、接続詞 if を使うのだろうなと推測できると思いますが、if を使っても、仮定法ではない場合もあります。
    中学生の頃から if は使ってきましたが、別に仮定法ではなかったですよね。
    直説法でも if は使うのです。

    If it is sunny tomorrow, we will go on a picnic.
    明日晴れたら、私たちはピクニックに行きます。

    これは、直説法です。
    事実に反する仮定ではないからです。
    明日晴れる可能性は事実としてあるからです。

    しかし、
    「もし昨日晴れていたら、私たちはピクニックに行ったのだが」
    というのは、事実に反することです。
    昨日は晴れていなかったのです。
    事実は、
    「昨日は晴れていなかったので、私たちはピクニックには行かなかった」
    ということです。
    こうしたことを伝えたいとき、仮定法を用います。
    If it had been sunny yesterday, we would have gone on a picnic.

    事実に反する仮定の際に、仮定法を用いる。
    そのときは、仮定の話であることが明確に伝わる、奇妙な時制を用いる。
    まずは、そのことを納得しましょう。
    心が逆らっている間は、簡単なこともなかなか理解できないですし、覚えられません。
    納得して、学習を進めていきましょう。

      


  • Posted by セギ at 12:14Comments(0)英語

    2020年10月12日

    高校数Ⅱ「図形と方程式」。円と直線の位置関係。


    今回は、円と直線の位置関係。
    こんな問題を解いてみます。

    問題 円 (x+4)2+(y-1)2=4 と直線 y=ax+3 が異なる2点で交わるとき、定数aの値の範囲を求めよ。

    円と直線が、2点で交わる。
    これはイメージしやすいですね。
    この問題の解き方は、2通りあります。

    1つめ。
    「異なる2点で交わる」と言われると、思い出すことがあると思います。
    判別式です。
    数Ⅰで、放物線と直線が異なる2点で交わるときなどに、判別式を用いました。
    同じ考え方が使えます。

    円と直線が2点で交わるということは、円の方程式と直線の方程式を連立したときに、交点のx座標を表す数値、すなわちxの解が2つあるということです。
    ということは、その方程式の判別式は、0より大きいということです。

    y=ax+3を(x+4)2+(y-1)2=4に代入して、
    (x+4)2+(ax+3-1)2=4
    x2+8x+16+a2x2+4ax+4-4=0
    (a2+1)x2+(4a+8)x+16=0
    これが異なる2つの実数解をもつことから、
    判別式D/4=(2a+4)2-16(a2+1)>0
    4a2+16a+16-16a2-16>0
    -12a2+16a>0
    3a2-4a<0
    a(3a-4)<0
    0<a<4/3


    2つ目の解き方。
    円の中心と直線との距離が、円の半径と比べてどうであるか、という考え方でも解くことができます。

    円の中心と直線との距離が、円の半径より長いならば、円と直線は交わりません。
    円の中心と直線との距離が、円の半径と等しいならば、円と直線は接します。
    円の中心と直線との距離が、円の半径より短いならば、円と直線は2点で交わります。

    実際に図を描いて考えれば、それはそうだなと納得のいくことだと思います。
    この考え方を使って解いてみましょう。
    まず、円の中心と直線との距離を求めます。
    点と直線との距離の求め方の公式を使うことができます。

    点(x1 , y1)と、直線ax+by+c=0との距離dは、
    d=Ιax1+by1+c|/ √a2+b2 でした。

    直線y=ax+3 は、ax-y+3=0 と変形できます。
    この円の中心は、式から(-4,1)です。
    よって、
    d=|-4a-1+3|/ √a2+1
    これが、円の半径2より小さいのですから、
    |-4a+2|√a2+1<2
    両辺に√a2+1をかけると、
    |-4a+2|<2√a2+1
    両辺を2乗して、
    16a2-16a+4<4(a2+1)
    16a2-16a+4<4a2+4
    12a2-16a<0
    3a2-4a<0
    a(3a-4)<0
    0<a<4/3

    無事に、同じ答となりました。

    この2つの解き方は、どちらでも好きなほうで良いのですが、好みは分かれるかもしれません。
    判別式のほうは、数Ⅰの放物線と直線の交点の問題のときにも、なぜ判別式を使うのかよく理解できなかった人もいると思います。
    そういうものだと諦めて解き方を暗記した人は、ここでまた亡霊に出会ったような気持ちになるでしょう。

    放物線とx軸との共有点の個数の場合は判別式を使うこともギリギリ理解できるけれど、放物線と直線の共有点の個数を判別式で判断できることは、どうにも理解できない。
    苦痛でたまらない。
    放物線と直線を連立した式が、何を表しているのか理解できない。
    つらい。
    そういう人もいたと思います。
    今回、その放物線が円になったからといって、急に理解できるというものではないでしょう。
    ますます訳がわからない、となっても不思議ではありません。

    円と直線を連立した式は、何を表しているか?
    円の式と直線の式のどちらも満たすxの値がどのようなものであるかを表しています。
    それはつまり、円と直線の交点のx座標が何であるかを表しているということです。
    xの値を求めたいとき、連立方程式は代入法にしろ加減法にしろ、1本の式にします。
    その式が何を表しているのかといえば、両方の式を満たすxの値はどのようなものであるかを表しています。
    そして、そのxの値が、2個あるのか、1個あるのか、0個なのかは、その式の判別式でわかります。

    ところが、こういうことが一瞬理解できても、またすぐに思考が混濁し、わからなくなる、という人は多いです。
    つながったと思った瞬間、わかりかけたことが遠ざかり、消えていきます。
    一瞬つかみかけたことが、幻のように遠ざかっていく。
    余程の天才でない限り、この先はこうしたことの繰り返しで、私はそんなことにもロマンを感じたりします。
    幻のようだけれど、一瞬つかみかけた。
    きっと、またつかむことはできる。
    そう思って考え続けていく、その過程が楽しいのです。

    一瞬でも理解できたような気がするだけでも上出来だと思うのです。
    一瞬の理解を繰り返し、頭の中に筋道を作ること。
    もどかしいようでいて、大事なことだと思います。

      


  • Posted by セギ at 11:49Comments(0)算数・数学

    2020年10月08日

    高校英語。複合関係副詞の wherever と however。



    さて、今回は、複合関係副詞 wherever です。
    これも、前回の whenever 同様、副詞ですので、修飾節しか作りませんが、意味は2通りあります。

    まず、「~するところならどこでも」の用法。
    I followed my mother wherever she went.
    私は、母の行くところならどこでもついて行った。
    =I followed my mother to any place where she went.

    もう1つの用法が譲歩の用法。「どこで~しようとも」の用法です。
    Wherever you are, remember that we will be thinking of you.
    あなたがどこにいても、私たちがあなたのことを考えていることを覚えていて。
    =No matter where you are, remember that we will be thinking of you.

    これもまた、文脈判断です。

    2番目の文が、「~するところならどこでも」という意味にはならないことは、文脈から判断できると思います。
    「あなたがいるところならどこでも、私たちがあなたのことを考えていることを覚えていて」というのは、意味をなさない文ですから。

    しかし、1番目の文は、「母がどこに行こうとも、私はついて行った」と訳したら意味が伝わらないのかというと、そんなことはありません。
    それはそれで意味は通じます。
    「私は、母の行くところならどこでもついて行った」と「母がどこに行こうとも、私はついて行った」は、状況は同じです。
    違うとしたら、力点が「場所」なのか、「母」なのか、ということかもしれません。
    力点が違うということで使いわけられる人もいると思いますが、そういうのはよくわからないという人も多いと思います。
    そうなるとお手上げですが、これの書き換え問題などほとんど出ませんから、安心してください。
    出題されるのは、もっと簡単な、例えば、whenever と wherever の使い分けなどです。
    それなら、わかりますよね。
    ですから、あまり深追いしなくて大丈夫です。


    もう1つの複合関係副詞は、however。
    これは、「譲歩」の意味一択なので、意味としてはわかりやすいです。
    2種類に分けることはできますが、文の構造が異なるので、文脈判断の必要はありません。
    1つは、「however+S+V」の用法で、「どのように~しても」という意味となります。

    However you do it, the result is the same.
    どのようにやっても、結果は同じだ。

    あえて書き換えるのなら、以下のようになります。
    =In whatever way you do, the result is the same.

    テストに出るとは思えないので、一応目を通しておく程度で大丈夫です。


    もう1つは、同じ「譲歩」の意味ですが、however が後ろに形容詞や副詞を伴う用法です。
    むしろこちらのほうが用法としてメジャーだと思います。

    However incredible the rumor was, it was believed by the natives.
    どれほど信じられない噂であっても、それは原住民たちに信じられていた。

    これは語順に特徴があるので、乱文整序問題に出題されることがあります。
    however は形容詞または副詞を伴って文頭にきて、その後にS+Vという語順になります。

    書き換えは、
    =No matter how incredible the rumor was, it was believed by the natives.

    この語順は間違えやすいところなので、もう何年も前、そのことを強調して生徒に説明したことがありました。
    however あるいは no matter how を書いたら、すぐに副詞か形容詞。その後、主語・動詞。
    しかし、説明を聞いている間、その子は、ずっと浮かない顔でした。
    とりあえず練習問題を解いてみよう、と提案しても、手が動かず、何かをずっと考えこんでいるのです。

    語順がわからないのだろうか?
    形容詞・副詞という文法用語はもう幾度も説明したが、やはりわからなかったか?

    「何がわからない?」
    と声をかけても何も言わないので、色々と先回りして解説を加えましたが、浮かない顔のままです。
    「・・・何がわからない?」
    再度声をかけると、その子は、ようやく、こんなことを言いました。
    「however って、違う意味だと思う」
    「・・・え?」
    「・・・」
    「・・・however は、『しかしながら』という意味の譲歩の副詞もありますね。それのことですか?」
    「・・・」
    「・・・見た目が同じだけど、用法の違う単語は、英語には沢山ありますよね。例えば、who は疑問詞だったり、関係代名詞だったり」
    「・・・?」
    「見た目は同じだけど、品詞の違う単語が、英語にはあります。like は、動詞なら『好きだ』ですが、前置詞なら『~のような』ですよね」
    「え・・・?」
    「そういうことがあるということに、気づいていなかった・・・?」
    「・・・」

    ・・・もう高校生なのに、そのことに気づいていなかったようなのでした。
    いや、正確には、気づいたり、気づかなかったりと、曖昧なことを繰り返してきたのではないかと思います。
    だから、別の単語なのに意味を混同して訳がわからなくなることが、これまでも多かったのかもしれません・・・。
    自分が覚えている意味で文の意味をとらえようとしても、よくわからない。
    違う意味だと言われるが、どこがどう違うのか、どう見分けるのか、わからない・・・。

    私が解説している、however を含む文の語順などということよりも、ずっと手前のことで、その子は悩んでいたのでした。

    個別指導をしていると、こういうことはよく起こります。
    こちらが重点的に解説している新しい文法事項のはるか手前で、生徒は、関係ないことを頭の中でつなげて、悩んでいたりします。
    人間の脳は、関係ないことを関連づけてしまう癖があるのです。
    人間の脳は、複雑なことを勝手に簡単なことに直してしまう癖もあります。
    どちらも、学習上の妨げとなることが多いです。

    複合関係副詞 however の解説をしているのに、それを聞いている側は、「however は『しかし』という意味なのに、変だなあ、変だなあ」と、そればかり考えている・・・。
    しかも、口に出さず。
    それでは、学習になりません。
    そういう疑問があるのなら、言ってくれればいいのですが、そうした疑問を口には出さず、そのことをずっと考え続け、しかも、自分の考えのほうが正しいのにと思いこんでいる子もいます。

    英語学習の初期で言えば、this の扱いなどもそうです。
    This is my dog.
    といった文を最初に学習し、this は「これ」という意味だと固定して覚えてしまうと、
    This dog is mine.
    といった文を作れないのです。
    乱文整序問題では、
    This is dog mine.
    といった文を作ります。
    本人の中では、それ以外の正解がないのです。
    それがなぜ間違いなのか、理解できないのです。
    しかも、理解できないけれど、質問もしないのです。

    疑問があっても口には出さず、そのことをずっと考え続け、しかも、自分の考えのほうが正しいと思いこんでいる。
    成績不振の子に多い傾向です。
    自分が誤解しているにも関わらず、教える者に対して懐疑的になることもあるようです。
    この先生が教えていることは、何かおかしいなあと勝手に考えてしまうのです。
    それでいて疑問を口にすることはないので、解決しません。

    学校の先生に対してもそのようです。
    特に現代は、生徒から先生に意見を言うことは、やってはいけないことになっている風潮もあり、さらに質問しにくいのかもしれません。
    内申を気にして、先生の機嫌を損ねたくないといった、計算高い理由もあるのかもしれませんが、それだけではない気がします。
    疑問を口にしたり、反対意見を言ったりすることは、和を乱すよくないことだという意識があるように見えるのです。
    社会が変質してきているということなのかもしれません。
    何かを批判する人に、良い印象を持たないようです。
    自分が批判されたわけではなくても。
    批判したり反対したりする人は、異質な人、良くない人。
    現状や「上の人」が決めたことを全て肯定し、上手くやっていける人が良い人。
    これも同調圧力というものでしょうか。
    それでいて、疑問が消えるわけではないので、心の中では、疑問は相手への不信感に簡単に変わっていきます。

    よくないなあ。

    「好きでもないのに英語を学習させられている」という感覚の人ほど、英語に対する誤解が多いです。
    英語の欠点を見つけて、だから自分は英語は嫌いなんだ、英語なんか勉強する必要はないんだ、としたいからでしょうか。
    英語への見方が、ニュートラルではないのです。
    それが、英語の先生への不信感に簡単に変わっていきます。
    ますます英語が嫌いになります。

    よくないです。
    疑問は小さいところから解決していきましょう。

      


  • Posted by セギ at 14:02Comments(0)英語

    2020年10月05日

    高校数Ⅱ「図形と方程式」。円の方程式。その3。式の中の文字の値の範囲。



    これを書いている現在、高校1年生には「2次方程式の解の個数」に関する問題を指導しています。
    例えば、こんな問題です。

    問題 方程式 x2+6x-2k+1=0 の実数解の個数を求めよ。

    これは、判別式で識別する問題です。
    判別式D>0 ならば、実数解は2個。
    判別式D=0 ならば、実数解は1個。
    判別式D<0 ならば、実数解なし。
    と判別できます。

    判別式 D/4=9-(-2k+1)>0 とおくと、
    9+2k-1>0
    2k>-8
    k>-4

    よって、
    k>-4 のとき、実数解2個。
    k=-4 のとき、実数解1個。
    k<-4 のとき、実数解なし。


    数Ⅱを学習している今なら、こんな問題で済んでいた数Ⅰの頃が懐かしい・・・と遠い目になる人も多いかと思います。
    あの頃、この程度のことを、なぜ難しいと感じていたのだろう・・・。

    しかし、初めてこの問題を解く高校1年生の抵抗感はすさまじいのです。
    5分おきに判別式の解説に戻ってしまうこともあります。
    kについての不等式を立てて解こうとすると、また、
    「何で判別式を使うんだっけ?」
    と言い出すからです。
    ようやく、判別式を使うことは納得できても、解いている途中で、x と k が混ざる・・・。
    方程式を解くのなら、x について何かを求めるのだという意識が抜けず、本人が途中で k を x に書き間違えてしまうこともあります。
    そして、自分の書いた x に自分で混乱して、訳がわからなくなっていきます。
    方程式は x について解くものなのに、k についての、しかも「不等式」を立てている理由が、また一瞬でわからなくなるのです。
    え?
    何のために何でこんな式を立てたんだっけ?
    そこでまた判別式についての解説が必要となります。
    ・・・結局、1問解くために、同じ解説を5回ほど行い、30分以上かかることもあります。

    そもそも、kで場合分けして解の個数を答えるという、答え方そのものが理解しづらい様子です。
    ・・・これで、解いたことになるの?
    方程式は、x について解くものなのに、何で k のことをごちゃごちゃやっているの?
    これじゃ、方程式を解いてないじゃん!
    そんなの、ダメじゃん!
    そういう内心の不満を解決できないようなのです。

    また、こういうのは「超」応用問題だと感じている様子も見られます。
    自分が理解する必要はないんじゃないの?
    こんなのテストに出ないでしょう?
    そうした疑問を抱いているのか、理解しようとする意欲も低いのです。
    x 以外は全て数字の、「以下の2次方程式を解け」という計算問題なら楽しそうに解くのですが、上のような文字kが含まれる問題になると、極端にテンションが低くなる子もいます。
    わからないだけでなく、わかる必要がないと思っていないだろうか・・・?
    そんな心配をしてしまうのです。

    これは、別に応用問題ではありません。
    この先の数学は、こんな問題のほうが多いのです。
    去年までのセンター試験の過去問も、2次関数に関する問題は、x 以外の文字も式に含まれている問題が出題されていました。
    それが「センターレベル」と呼ばれるものでした。
    単純な計算問題なんて、入試には出題されないのです。
    それは共通テストも同様でしょう。
    方程式でも不等式でも関数でも、高校数学では、x 以外の文字が式の中にあって当たり前なのです。
    文字の値の範囲を求めたり、それの範囲によって場合分けしたりする問題は、定番の問題です。
    しかし、これが標準だと説明しても、初めて高校数学を学ぶ子にとって、そんな話は大げさな脅しに過ぎないように感じるのかもしれません。

    高校数学へのぬぐいがたい抵抗感と違和感。
    最近、それを、久しぶりに目のあたりにしています。
    ここ1~2年、数学センスのある高校生ばかり教えていたことに改めて気づかされました。
    この感覚を忘れていました・・・。
    x 以外の文字が出てきた瞬間にアウトな子のほうが、実は多いのでした・・・。

    そんな問題ばかり解いて、苦労して、苦労して。
    やがて、数Ⅱを学習するようになり、さらに苦労して苦労して。
    もう本当にわからない、もうダメだ、とため息をついて。
    そんな高2の夏休みに、学校から出された数ⅠAの復習の宿題が、案外簡単であることに気づいた人もいると思います。
    難しさに対する耐性が増したのです。
    何だ、この程度のことで、難しい難しいと言っていたのか。
    この程度で済むなら世の中平和だ。
    そういう思いで数ⅠAの復習をし、数ⅠAならいける、数ⅠAなら入試に使えるという手応えを得た高校2年生もいると思います。

    そして、この先を学習するなら、数Ⅱだって、これで済むなら世の中平和なのです。
    慣れることは、案外重要なことです。
    難度に慣れること。
    難しい問題と格闘した後、基本問題を解くと、本当に易しくて、心にしみてくると思います。



    さて、数Ⅱに戻ります。
    円の方程式です。
    今回は、こんな問題を。

    問題 方程式x2+y2+2px+3py+13=0 が円を表すとき、定数 p の値の範囲を求めよ。


    x や y 以外に p が出てきても、数Ⅱをここまで学習してきたのですから、もう平気ですよね?
    とりあえず、この方程式を標準形に直してみましょう。

    x2+y2+2px+3py+13=0
    (x+p)2+(y+3/2p)2=-13+p2+9/4p2
    (x+p)2+(y+3/2p)2=13/4p2-13

    これが「円」であるための条件とは?
    右辺は、半径の2乗を表しています。
    であるなら、右辺は、正の数です。

    ・・・わかった!
    13/4p2-13>0 です。
    これが、定数 p の値の範囲です。
    よし、この不等式を解きましょう。

    13/4p2-13>0
    13p2-52>0
    p2-4>0
    (p+2)(p-2)>0
    p<-2 , 2<p

    これが答です。


      


  • Posted by セギ at 11:27Comments(0)算数・数学

    2020年10月04日

    生徒を募集いたします。2020年10月。


    1コマ空きが生じましたので、生徒を募集いたします。

    ◎時間帯 金曜日 20:00~21:30
     
    ◎科目 小学 算数・受験算数
        中学 英語・数学
        高校 英語・数学

    ◎費用 1コマ90分4000円。
        月4コマ+諸経費5000円で、月額21,000円 となります。

    講師との距離は2メートルを保ち、毎時間、換気・消毒を行っております。
    オンライン授業も承ります。
    まずは体験授業を受講してください。
    お問い合わせ、お待ちしております。

      


  • 2020年10月01日

    中学受験をするかどうか。


    お子さんを中学受験させるかどうかで、判断に迷い、塾に相談にいらっしゃる方がたまにいらっしゃいます。

    大手の塾は、そんな場合、とにかく受験する方向に持っていくかもしれません。
    受験することにしたほうが、何だかんだとその後の授業を増やすことが可能です。
    夏期講習だ、勉強合宿だと、さらにお金のかかるサービスも提案できます。
    中学受験をしない小学生の保護者にそうしたメニューを提案したところで、乗ってくる場合はほとんどありません。
    受験してくれたほうが、塾にとっては利益があるのです。
    保護者と話すのは、「教務」であって、講師ではありません。
    営業成績が給料やボーナスに反映する職種です。
    もう絶対に中学受験はするべきだという話になっても仕方ありません。

    実際、どんな学力の子も、受験して悪いことはないのです。
    私立中学は、勉強のできる子が通う中学だけではありません。
    平均以下の学力の子の通う中学もあります。
    生徒の学力にあった基礎力重視の授業をしますので、卒業する段階では、平均以上の学力になることもあります。
    勉強以上に大切なことを、その学校で学ぶこともできます。
    生きる力。
    自己肯定感。
    勉強以外の才能。
    大切なことは、学業成績以外にもあります。
    何が幸いするかなんて、後になってみなければわからないのです。
    塾は、無駄で無意味な「商品」を詐欺のように売りつけているわけではありません。


    とはいえ、無駄な商品を売りつけられるのではないか、と警戒する人の気持ちもわかります。
    可能であるなら受験を考えたい。
    そうした場合の中学受験が、名の通った中高一貫校か、最終学歴として納得できる大学の附属中学に限定されている方もいらっしゃると思います。
    それが無理なら、公立中学でいい。
    だから、我が子の学力を、客観的に知りたい。
    しかし、大手の塾にそんなことを相談したら、営業トークでたちまち受験することになって、後悔するかもしれない。
    大手の塾が主催する無料の全国学力テストも、その後の電話勧誘が予想されて鬱陶しい。
    そういうことからは逃れたい。
    しかし、本当のことが知りたい。
    そういう気持ちの保護者の方もいらっしゃるだろうと思います。


    そうした問い合わせをいただいて体験授業をする場合には、私は、例えば、こんな問題を解いてもらいます。


    問題 0から9までの数字を1つずつ書いた10枚のカードがあります。
    このカードを組み合わせて、2けたの数を5組作ります。
    5組の2けたの数の和が、もっとも大きい奇数になるのは、どのような場合ですか。
    5組の2けたの数をすべて答えなさい。


    生徒には、問題を黙読してもらった後、わからない言葉があるかどうかを、まず訊きます。
    4年生ならば、「奇数」「和」といった言葉の意味を知らないこともあります。
    「2けた」がわからない場合もあります。
    それは、説明します。
    説明が理解できるかどうか、その様子も見ます。
    言葉の意味がわかったうえで、この問題の意味がわかるのかどうか?

    小学生の中には、カラーテストのパターン化された問題を、頭で考えることもほとんどなくパッと式を思いついて解いているだけで、問題文をじっくり読む習慣のない子も多いのです。
    こうした、多少複雑な指示がなされている問題文を読み取ることができない子もいます。
    そうした子が受験算数を勉強する場合、かなり苦しいことになるのは予想できます。

    この問題は、6年生でも正解できない子が多いのです。
    受験勉強をしていない子は、ほとんど正解できません。
    だから、不正解でも別に構いません。
    見たいのは、この問題に向かう姿勢です。

    「考える」ということが、何をどうすることか、わかっている子なのかどうか。
    学校のカラーテストでは良い点を取っていても、「考える」という行為をしたことのない子もいます。
    問題を読んで、考えるふりは一応しますが、何をどうして良いか、全くわからないのです。
    パッと見て解き方がわかる問題しか解くことができません。
    何をどう考えていいのかわからないので、パッと見てわからなければ、あとはぼんやりしています。
    考えているふりはしても、何も考えていません。
    早く答を教えてくれないかなあと思っているだけです。
    5分、10分と時間が経てば、そわそわし始めます。
    もう飽きてしまっている様子が見てとれます。

    ・・・それでも受験したいのなら、するべきです。
    そこからは、保護者の決意の問題です。
    受験勉強はつらいものになると思いますが、勉強をする過程で、「考える」ということは何をどうすることかを学ぶことができれば、それは大きな収穫です。
    最終的に望む結果にはならなくても、受験勉強は決して無駄ではありません。

    10分後、1つヒントを出します。
    「和が大きいということは、2桁の数の1つ1つができるだけ大きいほうがいいですね。
    2桁の数をできるだけ大きくするには、どんなカードを十の位にしたらいいでしょうか」

    このヒントの意味を理解でき、問題に再度向きあう姿勢が見られる子もいます。
    しかし、もう答を教えてほしいと思っていて、10分経ってもヒントが1つ出されただけの状況にうんざりしてしまう子もいます。
    こうしたヒントを聞いても、やはり何をどう考えていいのかわからず、試しに何かをやってみようという様子もない子のほうが、一般的には多いのです。
    「考える」教育というのは本当に難しいのです。
    「考える」ことよりも、「やり方を知って覚える」ことのほうを、多くの子どもは好みます。

    さらに5分。
    きょろきょろしたり、後ろで授業を見学しているお母さまを振り返ったりする子の様子を見て、この問題は終了。
    解説に入ります。

    和をできるだけ大きくするには、2けたの数の十の位の数が大きいほうがいいです。
    0から9までの数のうち、2けたの候補となる大きい数というと、5、6、7、8、9。
    すると、一の位の数は、0、1、2、3、4、ということになります。
    しかし、この4つの数の和は、0+1+2+3+4=10で、偶数です。
    和が偶数か奇数かは、一の位で決まります。
    一の位の和を奇数にする必要があります。
    そこで、十の位の候補と、一の位の候補を、1つずつ、入れ替えます。
    それでも、十の位の数はできるだけ大きいほうが良いでしょう。
    4と5を入れ替えましょう。
    すなわち、十の位の数の候補は、4、6、7、8、9。
    一の位の候補は、0、1、2、3、5。
    十の位の候補と一の位の候補の組み合わせは、どれでも構いません。
    とれでも、5つの数の和は、同じになります。
    ですから、正解の1つは、
    40、61、72、83、95、です。
    この問題の正解は、1つではありません。
    この問題の正解は、5×4×3×2×1=120通りあるのです。

    最後の120通りあるという話は、体験授業でする話ではありません。
    これは、「場合の数」の学習をしなければ理解できない話です。
    最初は、たくさんある、というだけで十分でしょう。

    この解説が本当に理解できているかどうかの様子も見ます。
    わかったふりはするが、実のところ興味を失っている子もいます。
    「正解例の他に、答をもう1種類考えてみて」
    というと急に慌てるので、ああ理解したふりをしているだけだったかな、と気づきます。
    慌てはするけれど、その後じっくり考えて正解を出す子は、ああ、時間はかかるが、考えることはできる子だなと気づきます。

    たった1問で何もかもわかるわけではありません。
    しかし、1つの方向性は見えてきます。

    後は、事前にうかがっていた、やりたい単元、苦手な単元の勉強をして、体験授業は終了します。
    それが、中学受験も視野に入っているという小学生の体験授業の1つの流れです。

    繰り返しますが、中学受験のための勉強を通じて、「考える」ことを学ぶことも可能です。
    全ては、保護者の方の決意次第です。
    自分が決めたことだと思えるほうが、後悔は少ないのです。
    当初の第一志望校に合格できる子はごくわずかです。
    それどころか、当初の第一志望校を受験できる子すら少ない。
    それが中学受験の現実です。
    しかし、受験勉強を通じて、思考の訓練と同時に、心の成長を目指すのならば、その経験は深い意味を持ちます。
    端的に、受験算数を勉強した子と、していない子では、中学入学後の数学の地力が違います。
    勉強に無駄なんてないのです。

      


  • Posted by セギ at 12:18Comments(0)算数・数学