たまりば

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お知らせ

2019年06月17日

1学期中間テストの結果が出ました。2019年。


1学期中間テストの結果が出ました。

数学 70点台 1人 60点台 1人 50点台 2人
英語 80点台 1人 50点台 1人 40点台 2人

受験が終わり、新学期になり、塾生の顔ぶれもかなり変わりました。
さあ、まずはここから。
前回、数学が40点台、英語が30点台だった人は、順調に上昇しました。


数学の成績が思うように伸びない高校生の保護者の方からこんなふうな相談をされることがあります。
「数学はこつこつ勉強しているようなんですが」

数学をこつこつ・・・。
それは、数学を勉強している時間は長いのだろうけれど、質や量の面はどうなのかなあ・・・。
つい、そう考えてしまいます。

大半の高校は、問題集を生徒に配っています。
定期テスト範囲としてその問題集からページ指定があり、テスト当日の朝にそのページの問題を解いたノートを提出することになっている高校が多いです。
数Ⅰと数A、数Ⅱと数Bのように、高校数学は2科目あります。
1回のテスト範囲でそれぞれ15ページから20ページのテスト範囲が指定されます。

数学が苦手な子は、高校数学の問題集を1ページ解くのに、2時間から3時間かかります。
数学2科目で合計30ページの問題集を1回解くのに最低で60時間かかる計算になります。
確かに数学をこつこつ勉強しているでしょう。
けれど、それでもテスト範囲の問題集を1回解いただけなのです。

その1回の中身も、質的にかなり怪しいのが実状です。
公式を覚えていないので、教科書や問題集の解答解説と首っぴきで解いているのではないでしょうか。
公式を代入するだけの基本問題ですら、教科書でその公式を見ながら代入しています。
定期テスト必出の典型題も、解答解説を見ながら解いているだけです。

そのように解答解説を見ながら解いても、時間はかかります。
式を書き写した後は、自分で計算しようとする子が大半だからです。
答えを書き写しているという意識が本人にはなく、わからないところだけ参考にしているつもりですから、そうなります。
そうやって計算し終わって解答を見ると、間違っている・・・。
どこかで計算ミスをしているのです。
どこで計算ミスをしたのか?
その発見と直しに、また時間がかかります。
問題集を1回解き終わる頃には定期テスト前日になっています。

その状態で定期テストを受けると結果はどうなるか?
公式だけは、直前に暗記して、テスト用紙の上のほうに急いでメモしたとしても。
どの問題でその公式を使うのか、よくわからない。
その公式の代入の練習をしたのは随分前なので、どう代入するのかよくわからない。
他の科目と比べて随分勉強時間を使ったのに、どうしてこんなに解けないんだろう・・・。
そういうことになりがちです。

少しの解決策としては。
最初に公式を覚え、重要事項を復習し、その後、教科書や解答解説を見ないで問題を解くことです。
せっかくこつこつ勉強している時間は、有効に使いましょう。
「あとで覚えよう」
と思っていたら、高校の公式は覚えきれません。
忘れるのも早いです。

抜本的な解決策としては。
学校の問題集は最低2周しましょう。
あるいは、少しでも解答解説を見て解いた問題は、時間をおいて解き直す他、別の問題集でも復習すると良いでしょう。

しかし、それには、それだけの勉強をする時間の確保が必要です。
問題集1ページに2時間も3時間もかかっているのを何とかしないといけません。

何で1ページに2時間も3時間もかかるのか?
解き方を考えているから時間がかかっているわけではありません。
それならむしろ良いのですが、大抵は、1分と考えずに解答解説を見ているはずです。
それでも、2時間から3時間かかるのは、計算が遅いからです。
遅い上に計算ミスもするので、その直しにさらに時間がかかります。

数学は頭脳のスポーツと言われるくらいですから、若いほうが有利です。
理系に進む子は、高校生の段階で、私よりも計算は速くなります。
文系でも、最低限、私と同程度のスピードでなければ、センター試験を時間内に最後まで解くことができません。

しかし、現実には、何にそれほど時間がかかっているのだろうと疑問なほどに計算の遅い子が多いのです。
しかも、ノートを覗き込んでも、何をしているのかよくわからないのです。
計算過程が数学が得意な子とは違うため、何をしているのか見てもわからない・・・。
なぜ、( )をそこで開くの?
なぜ、そことそこを約分するの?
なぜ、そんな順番で計算するの?
なぜ、そこで同類項の整理をしないの?

それは、やり方が間違っていることもありますし、間違ってはいないけれど遠回りになっていることもあります。
そういうことの積み重なりが計算ミスをしやすい原因の1つであり、解くのにも直すのにも時間がかかる原因となっています。
数学が頭脳のスポーツであるならば、計算には正しいフォームが必要です。
合理的な正しいフォームで計算すれば、案外ゆっくり解いていても、答えは速く出ます。

しかし、計算フォームというのは癖になっていて、きわめて直しにくいことの1つです。
本人が強く自覚した上でも、矯正に時間がかかります。
最初から正しいフォームを身につけていれば、こんなことにならないのに、と思います。

また、そもそもかけ算・わり算の暗算が上手くできない人は、速く計算できません。
そんなに凄い暗算をしろといっているわけではありません。
×1桁、÷1桁を暗算する力を持っていてほしいのです。
もっと言えば、数字を頭の中で因数分解する力が欲しいのです。
例えば、75=25×3 であることが筆算しなくてもパっとみてわかる力。
48=16×3 であることを見てとれる力。
あるいは、どんな数が7で割りきれ、どんな数が9で割りきれるかを見る力。

これができないと、小学校5年以降の分数の通分・約分にもたつきます。
小6以降、分数のかけ算・わり算にもたつきます。
中1以降、小数の計算がほぼ姿を消し、分数計算ばかりになるため、数学そのものに苦手意識を持ちます。
中3以降、因数分解が上手くできません。
中3以降、平方根の整理にもたつきます。
中3以降、2次方程式の計算にもたつきます。
中3以降、三平方の定理の活用にもたつきます。
高1以降、2次関数の整理にもたつきます。
高1以降、三角比の計算にもたつきます。
高1以降、確率の計算にもたつきます。
高1以降、データの計算にもたつきます。
高1以降、不定方程式の計算にもたつきます。
高2以降、・・・もうやめましょう。

整数を見たときに、その整数が何かの積の形に見えること。
それができない数は素数であることを認識していること。

数学が得意な人にとって当たり前のそのことに、数学が苦手な人は気づいていないことがあります。

小学校5年になって約分・通分を学習してから急に「かけ算・わり算は暗算しろ」と命令されるわけではありません。
そうとは言われない形で練習を繰り返しているのが、わり算の筆算です。
わり算の筆算をスムーズに行う子は、×1桁、÷1桁の暗算がスムーズにできる子です。
さらに言えば、わり算の筆算はそれにひき算も加わりますから、総合格闘技のようなものです。

わり算の筆算自体は、中学以降は使う機会が減っていきます。
全て分数で処理していきますから、筆算で割るのではなく、約分していきます。
しかし、その約分は、わり算の筆算で鍛えてきたからこそ楽にできるようになるものです。
約分は、わり算を暗算で行うものだからです。
約分しなければならない段階になって急に「暗算しなさい」と言われても、練習していない子には難しいのです。
一方、わり算の筆算が得意だった子は、最初から大きな数でバッサバサと約分できます。
ちまちまと2や3で約分することを繰り返して、答案が汚くなって自分で見誤るといったミスを避けることができます。

将来の約分のためにも、わり算の筆算は有効。
ところが、全く暗算しないでわり算の筆算をする小学生もいます。
商にまず「5」を立てて、実際に筆算し、違ったら消してやり直すのです。
何でも「5」から始めて、1ずつ数字を上げていったり、下げていったりするのです。

・・・誰が教えたのだろう、こんな頭を使わない方法を。

人間はコンピュータじゃないんですから、無駄なことを機械的に全部試すようなことは、させたらダメです。
コンピュータはそういうことを猛スピードでできるので計算の結果は速く出ますが、人間がそれをやったら単なるわり算の筆算1問に5分もかかることがあります。
人間を性能の悪い電卓にしてはいけない。
わり算の筆算は、わり算をするためだけに練習しているのではありません。
その先の学習の準備も兼ねています。
全ての学習は、上へ上へと積み上がっていくのです。

ただ、同じようにそれを教わっても、商に何でも「5」を立てることの無駄に早い時期で気づく子もいるでしょう。
もっと予測を立てて、一度で正しい商を立てたら良くないか?
わる数と予測した商との積を頭の中で暗算して、その商が正しいことを確認することは可能ではないか?
繰り上がってくる数があるのが少しややこしいけれど、やろうと思えばできる。
そう思う子は、商をスパスパ立て、わり算の計算問題をこなしながら、暗算力も鍛えていくのです。

何でもまず「5」を立てて順番にやれば頭を使わなくていい。
そんなところに安住していたら、将来、数学は相当苦しいものになると思います。

・・・結局、そういうことの繰り返しだったのではないか?
例えば、中学3年になったとき、平方根の整理は、頭の中で数字を分解せず、何でも素因数分解の筆算をしてきたのではないか。
平方根のかけ算は、平方根どうしをまずかけ算して、たとえ3桁の数になったとしても、それから素因数分解してきたのではないか。

もっとも不器用で回り道なやり方を、それが一番頭を使わない方法だから、常に選択してきた。
その結果が、今、高校数学の、遠回りで計算ミスだらけの答案になっているのではないか?
工夫したやり方、頭を使うやり方を避けて、地道でも必ず答えの出るやり方を選んできたつもりが、地道過ぎて時間ばかりかかり、途中で計算ミスするため正答の出ないやり方にいつの間にかなっていた・・・。

高校生の数学の答案に、そのような痕跡を見ることがあります。
計算のフォームを変えましょう。
遠回りで無駄な計算を長年やってきた分だけ、直すのに時間はかかると思います。
それでも、改革が必要なことはあります。

  


  • Posted by セギ at 14:55Comments(0)講師日記算数・数学

    2019年06月15日

    高校数Ⅱ「式と証明」、4次式の展開と二項定理。



    数Ⅱの学習に入り、まずは3次式の展開、そして3次式の因数分解と学習しました。
    今回は、4次以上の式の展開に進みます。

    例題 (a+b)4 を展開しなさい。

    これは「二項定理」を用いて解いていくのですが、「二項定理」を理解し活用するためには、数Aで学習した「同じものを含む順列」という学習内容が身についていることが必要です。
    そして、「同じものを含む順列」を理解するためには、「組合せ」の基本を理解していることが前提となります。

    前回の3次式の因数分解でもそうでしたが、数Ⅰ・数Aの学習内容が身についていないと、新しい定理の学習が上手く進みません。
    授業では、「二項定理」を説明する前に、「同じものを含む順列」や「組合せ」について確認することが多いです。

    以下は、順列と組合せの復習です。

    例題 a、b、c、dから3つを選んで順番に並べる方法は何通りあるか。

    これが「順列」です。
    樹形図をイメージして考えていきます。
    1番目にくる候補は4通り。
    2番目は、そのそれぞれから樹形図の枝が3通りに広がります。
    3番目は、さらにそこから2通りに広がっていきます。
    したがって、式は、4×3×2=24
    高校数学では、
    4P3=4・3・2=24
    と表します。
    答は24通りです。

    したがって、順列の一般式は、
    nPr=n(n-1)(n-2)・・・・(n-r+1)
    となります。
    最後の(n-r+1)の意味がよくわからないという生徒がときどきいますが、要するに、nから順番に1ずつ小さくなる数を全部でr個かけていくということです。
    上の4P3ならば、4から始めて、4・3・2と全部で3つの数をかけました。

    それに対して「組合せ」は選ぶ順番は関係ない選び方です。

    例題 a、b、c、dから3つを選ぶ方法は何通りあるか。

    3つ選ぶだけなので、順番は関係ないですね。
    abcという選び方も、acbという選び方も、同じ選び方です。
    順番が関係ないことが「順列」との違いです。
    ですから、上の4P3の計算方法では、同じ選び方を何回もダブって数えてしまうことになります。
    具体的には、どれくらいダブって数えてしまうでしょう。
    abcを例にとれば、そのabc3つの並べ方だけダブって数えているでしょう。
    abc、acb、bac、bca、cab、cbaの6通りです。
    この計算方法は、3つから3つを選んで並べる順列です。
    すなわち3P3=3・2・1=6 です。
    よって、組合せは、上の4P3を3P3で割れば求められます。
    (4・3・2)÷(3・2・1)=4
    答えは4通りです。
    一般式としては、
    nCr=nPr÷rPrです。

    「組合せ」の基本の復習が終わったところで、次は「同じものが含まれる順列」の復習に進みます。

    例題 a、a、a、b、bの5文字の並べ方は何通りあるか。

    これは、普通の順列5P5ではダメです。
    普通の順列の計算では、3個あるaや2個あるbをそれぞれ区別して並べてしまうことになりますが、見た目が同じものは、同じ並べ方です。
    このaとあのaは実は違うと言われても、見た目が同じですから、同じ並べ方として数えるしかありません。
    5P5では、同じ並べ方を何回もダブって数えてしまうことになります。

    では、どうするか?
    同じものが含まれる順列は、これらの文字を入れる箱をまずイメージします。
    この問題では、5個の箱が横に並んでいると考えます。
    その箱のどれにa3個を入れるかを考えます。
    残る2個の箱には自動的にbが入ります。
    3個の箱の選び方は、
    5C3=(5・4・3)÷(3・2・1)=10
    答えは10通りです。
    ちなみに、aを入れる箱を選んでから、残る2個の箱からbを入れる箱2個をあえて選んでも同じ結果となります。
    5C3・2C2=(5・4・3)÷(3・2・1)×(2・1)÷(2・1)=10
    同じです。

    さて、以上で復習が終わりました。
    いよいよ、ここから一番上の問題を解いていきます。

    例題 (a+b)4 を展開しなさい。

    ( )を全て書いていけば、この式は、(a+b)(a+b)(a+b)(a+b)
    となります。
    これを、まずは公式を使わず、逐一展開してみましょう。
    4つの(  )から、1つずつ文字を選んで順番にかけていくことで展開できます。
    (a+b)4
    =aaaa+aaab+aaba+aabb+abaa+abab+abba+abbb+baaa+baab+baba+babb+bbaa+bbab+bbba+bbbb
    同類項をまとめると、
    =a4+4a3b+6a2b2+4ab3+b4
    となります。
    ( )の中の文字aとbのどちらか1つを選んで4つ並べていくことで1つの項が形成されるのをご理解いただけるでしょうか。
    地道に展開すると、このように解いていくことになります。

    これを、このように逐一展開するのではなく、計算で解いていく方法はないでしょうか。
    同類項ごとに、同じ同類項が何回出てくるのか考えてみます。
    aaaaすなわちa4という項は1つしかないですね。

    aaab、すなわちa3bは、逐一展開する中で何回か同じものが出てくることが予想されます。
    それは、何回出てくるのでしょうか?
    その回数がa3bの係数となるでしょう。
    その計算方法はないでしょうか?

    それは、aaabの4文字の並べ方と同じ数ではないでしょうか。
    何番目の( )からbを選んだかの数と同じという言い方もできます。
    「同じものを含む順列」の考え方をここで利用します。
    aaabの4文字を並べる順列。
    4つの箱をイメージします。
    bを入れる箱を選びましょう。
    4C1=4です。
    ちなみに、aを入れる箱3つを選んでも、同じ答えになります。
    4C3=(4・3・2)÷(3・2・1)=4です。

    次に、aabb、すなわちa2b2の係数はどうなるでしょう。
    aabbの4文字を並べる順列の数と同じでしょう。
    すなわち、4C2=(4・3)÷(2・1)=6です。

    abbb、すなわちab3の係数はどうでしょう。
    abbbの4文字を並べる順列の数と同じでしょう。
    すなわち、4C3=4C1=4です。

    最後にbbbb、すなわちb4は、1回しか出てこないとすぐに判断できますが、これも組合せの考えを使うならば、
    4C4=1とみなすことができます。
    ならば、最初のaaaaすなわちa4の係数も、4C0=1とみなすことができますね。
    bを1回も選ばないということです。
    よって、
    (a+b)4
    =4C0a4+4C1a3b+4C2a2b2+4C3ab3+4C4b4
    =a4+4a3b+6a2b2+4ab3+b4

    逐一展開したときと同じ結果になりました。ヽ(^。^)ノ

    これを一般化したものが「二項定理」です。
    二項定理をここに書こうかと思いましたが、このブログの形式では、上の式でも読みにくいのに、nだのrだと文字ばかりになると最悪の読みにくさなので、公式の確認はお手元のテキスト等をご覧いただけますと幸いです。
      


  • Posted by セギ at 13:37Comments(0)算数・数学

    2019年06月12日

    高校英語。助動詞 may と慣用表現。



    今回は、助動詞 may とその慣用表現を確認しましょう。
    may と言われて思いつくのは、
    May I help you ?

    「May I help you ? と、Can I help you ? はどう違うの?」
    といった質問をする子は、英語がそんなに得意ではない子に案外多いです。

    本気で訊いているのかな?
    そういう質問を受けた場合、こちらがまず考えるのはそういうことです。
    個別指導の場合、その場で思いついた質問を何でも口にする子がいます。
    本人が本当に疑問を抱き、その疑問が解けないことが英語学習の妨げになっているのならこちらも本気になりますが、どうもそんな印象ではないのです。
    何でも思いついたことを質問し、答えは全て聞き流す。
    そういう不可解な質問の仕方をする生徒もいます。
    「個別指導なんだから、どんどんセンセイに質問しなさいよ」
    と保護者の方に言われている可能性もあります。

    質問するのは良いことなのですが、それは、目の前にある解かねばならない問題に関連して、その問題を解く妨げとなっていることについて質問したほうが学習効果が上がります。
    違いを明瞭に意識しなれければならないことなら、学校でも説明されているはずですし、質問を受ける前に私から説明しています。
    誰からも説明されないことは、あまり気にしなくて良いこと。
    そういう把握ができると、初期の英語学習は楽だと思います。

    しかし、質問を拒絶されるのは結構傷つくことです。
    誰しも、
    「うん。いい質問ですね」
    と言われたい。
    「それは無意味な質問だな」
    と質問内容を否定されたくはないと思います。

    だから、私のわかる範囲で質問には答えます。
    may というのは、話者が与える許可で、can は周囲の事情が許す許可というのが、基本の意味です。
    だから、May I help you ? のほうは、相手の許可を問うという意味で、相手への敬意はより強いと考えられます。
    そういう意味で、多少堅苦しい表現でもあるので、口語では、Can I help you ? のほうが好まれます。
    とはいえ、May I help you ? という表現のほうを好む人はネイティブにもなおいるので、一概に言い切れるものでもありません。

    もともと英語がそんなに得意ではない中学生にそんな解説をすると、途中で目が曇り、眠りかけているのが見てとれます。
    だから、そんな質問はしなければいいのに・・・。
    テスト前で他にやらねばならないことが沢山あるときに、そんな質問をする子には、
    「うん。そういうことに興味があるのなら、大学の英語学科に進むといいよ。そういうことを沢山勉強できるよ」
    と言うこともあります。
    「いや、別にいい。興味ない」
    という反応が返ってくることがほとんどです。
    一種の質問封じです。

    問題演習を始めると、どうにも解けない。
    「どうした?何がわからない?どこがわからない?」
    と問いかけても、反応がない・・・。
    その子が、本当に質問しなければならないのは、そのタイミングです。
    保護者の方が「質問しなさい」と言っているのもそこです。
    でも、そういうときには、言葉が出てこない。
    なぜなら、何がどうわからないのか、自分で言葉にすることもできないから。
    本当に困っているときは、質問もできないのです。

    個別指導のパワーは、ここから発揮されます。
    何がわからないのか。
    どうわからないのか。
    生徒の反応を見ながら、さぐりさぐり説明を変えます。
    わかるまで説明します。
    そういう意味で、質問すること自体はそれほど大切ではありません。
    ただ、表情は正直であってほしい。
    わかっていないのにわかったふりをする子も、案外多いのです。
    「わからない」ということが恥ずかしいのかもしれません。

    伸びる子は、沢山質問をする子ではありません。
    わからないことにわかったふりをしない子です。


    さて、大幅に話がそれました。

    今回は、高校で学習する may の用法です。

    まず、「祈願の may 」と呼ばれるものがあります。
    この may は文頭に来るのが特徴です。
    文末はエクスクラメーションマーク(!)がきます。
    May you find hapiness !
    ご多幸をお祈りします。
    これは、かなり格式ばった言い方です。


    次に、may well の用法。
    「多分~だろう」という、may 単独の場合とあまり変わらない用法もありますが、そんなのはテストに出しにくいので、もう1つの意味のほうが頻出です。
    「~するのも当然だ、~するのはもっともだ」という用法です。
    この副詞 well には、助動詞のもつ可能性や容認の意味を補強する役目があります。
    They may well be proud of their daughter.
    彼らが娘の自慢をするのはもっともだ。

    続いて、may as well は、「~したほうがいい」という用法。
    訳だけですと、had better と同じようですが、may as well のほうが意味が弱く、「したくないならしなくてもいいけど、したほうがいいのでは」という助言の意味となります。
    覚え方としては、had better と同じ2語の may well のほうは全然意味が違っていて、語数の違う3語の may as well のほうが had better と意味が似ていると、そこを強く意識して覚えると混乱を避けられます。
    You may as well tell her the truth.
    彼女に本当のことを言ったほうがいい。

    may as well A as B。
    これは、「BするよりAするほうがいい」という用法です。
    you may as well do your homework now as do it later.
    宿題を後でするよりも今やったほうがいい。
    上の文は、Aのほうがお薦めな内容で、Bはダメな内容ですが、どちらもダメな内容ということもあります。
    そのニュアンスのときは、訳し方が少し変わってきます。
    「BするくらいならAしたほうがましだ」と訳した方がぴったりきます。
    You may as well throw away the money as lend it to him.
    彼に貸すくらいなら、金を捨てたほうがましだ。
    「お金を捨てる」というA内容と、「彼にお金を貸す」というB内容のどちらもお薦めではない場合です。
    なお、この文は、結局、彼に金を貸すことも金を捨てることもしないと思います。
    実現性が乏しい場合、may よりも might のほうが使われることが多いです。


    沢山あり過ぎて覚えられない・・・。
    そうやってこのような熟語や慣用表現をすぐ捨てる人がいるのですが、それは愚挙です。
    中学英語レベルの基本なんか、ほとんど出ないのです。
    テストに出るのは、ここです。
    テストに出るのがわかりきっている、こういうところを覚えましょう。
    英文法問題攻略の鉄則です。


    さて、ここでこんな問題を考えてみましょう。

    問題 ( )に適語を補充せよ。
    (1) She spoke loudly so that the people in the back (  ) hear.
    (2) She spoke loudly in order that the people in the back (  ) hear.

    どちらも「彼女は、後ろの人に聞こえるように大きな声で話した」という意味です。
    主節が spoke と過去形なので、従属節も時制の一致で過去形にしましょう。
    では、どちらも答えはcould かな?
    ・・・いいえ。
    (1)は、could 。
    (2)は、might です。

    ・・・何それ。( 一一)

    これが、私立大学入試レベルです。
    重箱の隅とはこういうことを言います。

    so that も in order that も、「~のために」と目的を表すthat 節を導く用法です。
    so that は口語的で、文意の通りの助動詞を入れればよいのですが、in order that は文語的で、may を入れます。
    ただ、so that にmay を用いることもあります。
    後半は堅苦しい文語表現になってしまいますが、間違っているわけではないので、(1)でmight は、別解としてはありえます。
    難関私立の問題で、どうも助動詞を入れる空所で何を入れたら良いかわからないときは、とりあえず might を入れましょう。
    時制ミスをクリアできる点でも、might はさらに正答率が上がります。
    時制の一致のときも、現在形だが文意を和らげるときも、どちらでも使えますから。
    might 最強。
    ヽ(^。^)ノ

    私は、こういう重箱の隅はあまり好きではありません。
    勿論、センター試験などの文法の基本問題は得点しなければなりません。
    文法知識は、英語の基本の構造を把握する意味でも重要です。
    でも、こんな難問は解けなくても、読解で多数正答できれば、どこの入試も資格試験も合格します。
    こんな問題に振り回されて、英語がわからない、英文法が苦手、などと思う必要はないと思っています。

    ただ、重箱の隅とはいえ、これは、高校生が学校から渡されている文法の参考書には載っています。
    学校の授業では使わないので、学校のロッカーの中や部屋の本棚の隅においやられている文法参考書。
    あれには、こういう「重箱の隅」が沢山載っています。
    索引から may で引いても、出てこないかもしれません。
    しかし、in order that で引けば、どの参考書にも載っているのです。
    細かいところが気になる。
    こういうレベルの問題を正答したい。
    そういう人は、なぜそれで正解なのかわからない問題を見つける度に参考書で索引を引いて調べることをお薦めします。

      


  • Posted by セギ at 13:25Comments(0)英語

    2019年06月09日

    小学校算数。円の面積に関する応用問題。



    問題 半径2㎝の円を組み合わせた上の図の灰色の部分の面積を求めなさい。
    ただし、円周率は3.14とします。

    この図をどう見るか、そして計算の工夫をどうするかで、この問題を解くスピードは大きく違ってきます。
    最短で1分とかかりませんが、計算にまごつくと10分以上かかることもあると思います。

    まずは、比較的発想しやすい普通の解き方で考えてみましょう。
    4つの円が重なっているこの図の、重なって白抜きになっている葉っぱのような形に注目します。
    受験算数では、「葉っぱ形」あるいは「ラグビーボール形」などの通称でおなじみの形です。
    4つの円の面積の和から、この葉っぱ形を引けば、求める面積が出ます。
    葉っぱ形を何個分引けば良いでしょう?
    4個?
    いいえ。
    二重に重なったものが両方の円について白抜きになって失わているのですから、1つの葉っぱにつき2個分の面積が失われていることになります。
    したがって、4つの円の面積の和から、8個の葉っぱ形の面積を引けば、求める面積が出ます。

    ところで、葉っぱ形の面積はどうすれば求められるでしょう。
    近年は、小学校の教科書にも葉っぱ形の面積1つを求める問題は載っています。

    この葉っぱ形の求め方も、考え方は2つあります。
    1つは、まず葉っぱの半分を求めて、それを2倍する方法です。
    中心角90°のおうぎ形から、直角二等辺三角形を引くことで、葉っぱの半分の面積を求めます。
    今、この図の葉っぱ形は、1辺2㎝の正方形に囲まれている葉っぱ形です。
    半径2㎝中心角90°のおうぎ形から、直角を挟む2辺の長さが2㎝の直角二等辺三角形を引くと、
    2×2×3.14÷4-2×2÷2
    =3.14-2
    =1.14
    これが、葉っぱの半分の面積ですから、葉っぱ1つの面積は、
    1.14×2=2.28

    葉っぱ形の面積も求め方の、もう1つの考え方は。
    90°のおうぎ形を向かいあわせに重ねて正方形を作ったときの重なった部分が葉っぱ形となります。
    ということは、おうぎ形2つ分から正方形を1つ引いたものが、葉っぱ形となります。
    2×2×3.14÷4×2-2×2
    =6.28-4
    =2.28

    葉っぱ形の求め方に関する基本的な考え方はこの2つですが、中学受験では葉っぱ形はよく出てくるので、その都度いちいちこんなことをしているのは面倒です。
    正方形の中で葉っぱの面積はどのような割合になっているかを考えてみるのはどうでしょう。
    まず、数値のわかりやすい基本となる正方形で考えてみます。
    1辺1㎝の正方形に囲まれた葉っぱ形の面積は、上の求め方を用いるなら、
    1×1×3.14÷4×2-1×1
    =1.57-1
    =0.57
    面積が1㎠の正方形の中に、0.57㎠の葉っぱ形があります。
    この割合は、正方形が大きくなっても小さくなっても、変らないでしょう。
    つまり、葉っぱ形は、常に正方形の面積の0.57倍です。
    1辺2㎝の正方形に囲まれた葉っぱ形は、
    2×2×0.57=2.28 
    となります。
    0.57倍ということだけ覚えておけば、とても簡単ですね。
    「名探偵コナン」と、ごろ合わせで覚えておきましょう。
    コナンで、57です。

    0.57という数字は、中学生になって円周率がπになったらもう何の意味もない数字ですので、中学受験をするのでなければ覚える必要はありません。
    そんなものを覚えるより、葉っぱ型をどうやって求めるか、その考え方は理解しておいたほうが良いのです。
    その考え方は、中学で円周率がπになっても使います。

    ともかく、上の問題の葉っぱ1つが2.28㎠だとわかりました。
    これで問題を解くことができます。
    円4つから葉っぱ8つを引きます。
    2×2×3.14×4-2.28×8
    真面目に計算してもミスしなければ答えが出ますが、少し計算の工夫をしたほうが簡単でしょう。
    2×2×3.14×4-2.28×8
    =2×3.14×8-2.28×8
    =(6.28-2.28)×8
    =4×8
    =32
    答えは、32㎠ です。


    この解き方でも、勿論答えは出るのですが、よりスマートな解き方はないでしょうか?
    この図を見てください。






    あれ?
    直しても直しても画像が傾く・・・。
    仕方ないので、この図で説明しましょう。
    上の図を、円が4つ重なっているのではなく、東京都のマークのようなイチョウの葉が4つある図と見ます。
    その1つに着目し、葉っぱの茎の付近の部分を上の図のように長方形で囲みます。
    この長方形は、中心角90°のおうぎ形2つと、葉っぱの茎の部分とに分けられるのが見えるでしょうか。
    中心角90°のおうぎ形2つ?
    それは、茎より上の部分の半円を2つに分ければ、ちょうど、中心角90°のおうぎ形2つになります。
    つまり、イチョウの葉と、長方形とは、面積が等しいです。
    この長方形の面積は?
    2×4 です。
    求める面積はイチョウ4個分ですから、
    2×4×4=32
    答えは、32㎠。
    とても簡単に求めることができますね。

    ほんのちょっとした発想や計算の工夫で、難しい問題はとても簡単に解くことができます。
    ヽ(^。^)ノ


      


  • Posted by セギ at 14:30Comments(0)算数・数学

    2019年06月06日

    高校数Ⅱ「式と証明」。3次式の因数分解と対称式の計算。


    今回から数Ⅱの学習に入ります。
    まずは、「3次式の因数分解」です。
    例えば、こんな問題です。

    問題 27x3+8y3 を因数分解せよ。

    3乗+3乗 の因数分解の公式を使うのだと、すぐにピンとくる人が多いと思います。
    この公式は、一応数Ⅱの学習範囲なのですが、数Ⅰの教科書や参考書にも載っていますので、そこで学習済みの人が大半でしょう。
    公式は、
    a3+b3=(a+b)(a2-ab+b2)
    です。
    この公式は、右辺を展開すると左辺と同じになることから証明できます。
    疑問を感じる人は、一度、右辺を地道に展開して、左辺になることを確認すると良いと思います。

    公式が信頼できたところで、利用してみましょう。
    27x3+8y3
    =(3x+2y)(9x2-6xy+4y2)

    できました。ヽ(^。^)ノ

    では、こんな問題はどうでしょう。

    問題 x6-64 を因数分解しなさい。

    上の類題に見えて、これが意外に難しいのです。
    3次式の因数分解の公式のもう1本は、
    a3-b3=(a-b)(a2+ab+b2)
    です。
    直前まで、この公式の基本練習をしていると、それに引きずられやすくなります。

    xの6乗は、xの2乗の3乗。
    ということは、

    x6-64
    =(x2-4)(x4+4x2+16)
    =(x+2)(x-2)(x4+4x2+16)

    よし、できたー、と思ってしまいそうですね。

    しかし、これはまだ正解ではありません。
    x4+4x2+16 は、さらに因数分解できるのです。

    数Ⅰで学習しました。
    複2次式の因数分解というものです。

    x4+4x2+16
    =x4+8x2+16-4x2
    =(x2+4)2-(2x)2
    =(x2+4+2x)(x2+4-2x)
    =(x2+2x+4)(x2-2x+4)

    平方完成の考え方を利用する解き方です。
    存在しないものをあえて足し、その後同じものを引いて辻褄をあわせます。
    そんなことをしていいの?とキョトキョトする高校生もいます。
    答えを見たら理解できるけれど自分ではきっと発想できない、と諦めてしまう子もいます。

    それにしても、この問題、本当にこんなに難しい解き方しかないのでしょうか?
    実は、もっと易しいやり方があるのです。
    中3で学習した2次式の因数分解の公式、a2-b2=(a+b)(a-b)をまず利用します。
    その後、3次式の因数分解の公式を利用します。

    x6-64
    =(x3+8)(x3-8)
    =(x+2)(x2-2x+4)(x-2)(x2+2x+4)

    随分簡単に解いていくことができます。
    3次式の因数分解を勉強したのだから、3次式の公式だけを使うのだ。
    そういうふうに視野が狭くなっていると、一番上の解き方しか発想できません。
    6次式を2次式と4次式に分解したら、後が厄介なのではないか?
    それよりも、3次式と3次式に分解したほうが後がやりやすいのでは?
    慣れてくれば、そのように先の見当をつけて解いていくこともできると思います。


    続いては、「3次式の展開公式の利用」に関する問題。
    こんな問題です。

    問題 x+1/x=3のとき、x3+1/x3の値を求めよ。

    対称式の値に関する問題です。
    中3から既に発展的内容として学習していますし、数Ⅰでも、新しい単元になる度、その都度それに関する対称式の問題を学習してきましたから、そろそろ慣れてきている人も多いと思います。
    しかし、対称式の問題に対処する度に、同じことが同じように解けない人もいます。
    理解できなかったことがそのまま残ってしまっていたり。
    わかったつもりだったのが、結局わかっていなかったりするのだと思います。

    基本対称式に関する問題は、x+yの値と、xyの値、すなわち和と積と2本の式があるはずなのに、この問題は和の式しかない。
    これじゃ、解けない。
    あるいは、積が与えられていなかったから、基本対称式の問題だと気づかなかった。
    そういう人が多いです。
    確かに、この問題では、x+1/x=3 という和しか与えられていません。
    でも、積は計算できるのです。
    積は、x・1/x=1 です。
    これの理解が重要です。

    何年か前、数学が苦手な高校生とこんなふうな会話を交わしたことがあります。
    「積は、x・1/x=1と計算できるんですよ」
    「何でですか」
    「約分すると、そうなりますよね」
    「どうしてですか」
    「分母のxと分子のxを約分すると、1になるでしょう?」
    「でも、xって、何の数かわからないじゃないですか」
    「・・・・え?」
    「何の数かわからないのに、約分していいんですか」
    「・・・・約分していいですよ。分母のxが例えば8なら、分子のxも同じ8なのだから、約分できるじゃないですか」
    「xが8って、何でわかるんですか」
    「今、『例えば』と言いましたよ。8でも7でも、分母のxと分子のxは同じ数ですから、約分できますよ」
    「分母のxが8で、分子のxが7だったら、どうするんですか」
    「そういうことはないから、大丈夫ですよ」
    「何で大丈夫だってわかるんですか」

    ・・・・うーん、これは大変だ。
    数学が苦手な子の頭の中で、「変数x」は、こんなにも不安定なものなのだと実感しました。
    数Ⅰの復習云々ではなく、小学校の「関係をあらわす式」のあたりから、もうxとyに不信感があり、理解したふりで理解できずに高校生になってしまったのだろうと思うのです。
    方程式のときはxの値が定まったり。
    関数になるとxの値は定まらなかったり。
    数学がわからない子は、このあたりが特に混沌としているのだと思います。

    「方程式と関数って、何が違うんですか?」
    と問われることもあります。
    グラフを利用できる点でかなりの部分は重なるが、そもそも定義が異なるものなので違いを考える必要はないと思うが、と説明すると、しかし、彼らは余計に混乱します。
    数学がわからない人は、その学習段階では触れないほうが良い疑問に抵触しやすい人なのかもしれません。
    その一方、中学2年の「1次関数」の学習で、連立方程式をグラフで解く方法はどこの中学でも必ず学習するのです。
    また、x=3 や y=-2 といった式もグラフに表せることを学びます。
    方程式と関数はかなりの部分で重なるものであることがそのときに示され、積年の疑問が晴れて頭がスッキリするはずなのですが、その学習にそれほどの感動を示す子を見たことはありません。

    方程式と関数は、何が違うのか?
    彼らの考えている疑問の正体は、そういうことではないのかもしれません。
    方程式と関数は、同じもののようなのに、使い方が違うのはなぜなのか?
    わからないことの正体は、それなのかもしれません。
    彼らの混沌とした疑問は、言葉の数が少ないこともあって、本当に分析が難しいのです。

    数学が苦手ということは、どういうことなのか。
    その解明は、なお道半ばです。


    ともかく、上の問題をもう一度見直しましょう。

    問題 x+1/x=3のとき、x3+1/x3の値を求めよ。

    対称式の計算のとき、因数分解の公式の他に、便利な公式があります。
    a3+b3=(a+b)3-3ab(a+b)
    というものです。
    これなら、a+b とab さえわかれば代入して求められます。
    この式も、右辺を展開すれば左辺になることで証明できます。
    対称式の値を求めるために作られた公式です。
    使ってみましょう。

    x3+1/x3
    =(x+1/x)3-3x・1/x(x+1/x)
    =33-3・1・3
    =27-9
    =18
    これが答えです。



      


  • Posted by セギ at 11:11Comments(0)算数・数学

    2019年06月03日

    高校英語。助動詞その3。助動詞+have +過去分詞。


    さて、まずはこんな問題から。

    問題 空所に適語を補充せよ。
    The game should (  ) started at noon.

    他の問題に混ざって、ぽこっとこんな問題が出ていると、これがどのような文法事項を問う問題なのかわからず、全く解けない人がいます。
    その結果、
    The game should (to) started at noon.
    など、あり得ない答えを書いてしまうのですが、なぜそれがあり得ないのかについての知識がないので、そうなってしまいます。
    文法知識がないと、文法問題は解けません。
    勘で解くのは不可能です。

    なぜ上の答えはあり得ないのか?
    should は、助動詞です。
    助動詞の後ろは動詞原形がきます。
    to は、何がどうなろうと決してきません。

    また、( ) の後ろは、started です。
    それが過去形であるか過去分詞であるかは見た目ではわかりませんが、少なくとも、to の直後にそんなものはきません。

    ところで、これは、過去形あるいは過去分詞のどちらなのでしょう?
    これが過去形では、「助動詞の後ろは動詞原形」というルールをどのようにしても緩和できません。
    この started は過去分詞と推測できます。
    それを知っているだけで、この問題は、直接この文法事項の知識がなくても答えることが可能です。
    空所に入るのは、動詞の原形であり、かつ、過去分詞の前にくる単語です。
    これは、be か have でしょう。
    さて、どちらでしょう。


    助動詞+have +過去分詞 は、高校で学習する助動詞の中でもよく出題される文法事項です。
    使われる助動詞は、「許可・禁止」系の意味と「推量」系の意味の2系統のうち、未定着な人の多い「推量」系の意味で使いますから、それをあわせて問うことができます。
    そんなの、テストに出るに決まっています。
    なぜそれをスルーする気になれるのか、むしろそれがわからない。
    それくらいによく出題される内容です。

    まず、基本を確認しましょう。
    He may read the book.
    彼は、その本を読むかもしれない。

    これは、現在形の用法です。
    助動詞の後ろは動詞原形しかきませんので、現在の動作に対して、現在の判断をしていることになります。
    でも、過去のことをついて判断したいときもあります。
    過去の出来事について、現在の判断をする。
    すなわち、「彼は、その本を読んだかもしれない」という文を作りたいとき、どうするか?
    「かもしれない」という判断をしているのは現在ですから、may は、そのままです。
    may を過去形 might にしたところで、過去の意味にはなりません。
    意味が和らいで、柔らかい表現になるだけです。
    日常会話では、よく使われます。

    そもそも、この文は、助動詞を過去形にして解決することではありません。
    判断しているのは現在です。
    過去の出来事について、現在の判断を下しているのです。

    でも、助動詞の後ろを過去形にすることはできない。
    それは、英語の根本ルールです。
    こんなときに使われるのが、have +過去分詞です。

    He may have read the book.
    彼は、その本を読んだかもしれない。

    これで、過去の出来事を現在判断する文を作ることができました。

    これらの用法を、
    must have+過去分詞    ~したに違いない。
    should have+過去分詞   ~したはずだ。
    should have+過去分詞   ~すべきだったのに。
    cannot have+過去分詞   ~したはずがない。
    need not have+過去分詞  ~する必要はなかったのに。

    と整理して丸暗記するのがわかりやすいというのなら止めませんが、個々の助動詞の推量系の意味をしっかりと覚え、かつ、have+過去分詞は、過去の出来事についてそれらの判断をしているのだという把握をしたほうが整理しやすいと思います。
    上の丸暗記をする人は、覚えにくいせいかすぐに忘れてしまうことが多いです。

    また、この種の問題を極端に恐れ、絶対に正解できないと思い込んでいる人もいます。
    そういう人の頭の中には、こんな問題があるようです。

    You (  ) have got up at seven.
    1 may  2.must  3.should  4.need not

    和訳がついていれば別ですが、そうでないなら、こんな問題は解けるわけがありません。
    全部、正解です。
    こんな問題はありえません。

    しかし、こういう問題が出された、こういう問題がテストに出る、という謎の主張をする子がかつていました。
    英語のテストに苦しめられ過ぎたのでしょう。
    何を解いてもバツになり、もうどう解いていいのかわからない。
    それを自分に原因があることにはしたくない。
    だから、問題のせいにしたい。
    しかも、問題のせいにして勉強を怠るというのではなく、問題がこんなふうなので、その対策をしてくれと言うのです。
    説得しても、応じません。
    こういう問題が出ると言い張るのでした。

    このような問題は、テストには出ません。
    テストは、必ず1つの選択肢に絞れるように、根拠をもって作成されています。
    1つの選択肢に絞れなかったのは、知識が足りなかったからです。
    判断の根拠のない問題は、テストには出ないのです。

    このような問題ならば出題されます。
    I (  ) attend the meeting yesterday.
    1.should 2.must 3.ought to 4.had to

    上の問題と同じようなもの?
    いいえ、全然違うのです。

    I (should) attend the meeting yesterday.
    とすると、助動詞の後ろに動詞の原形がきているだけなので、これは、現在の出来事を現在判断している文です。
    「私はその会議に出席すべきだ」
    と言っています。
    それなのに、文末に yesterday がくる。
    そんな文は、おかしいです。

    I (must) attend the meeting yesterday.
    も同様です。
    ギリギリ、must を過去形として使用しているのだととらえることは可能で、他に適切な選択肢がないのならこれを選びますが。

    I (ought to) attend the meeting yesterday.
    は、should の言い換えです。
    全く同じ意味で、過去形になっているわけではありません。
    ですから、この文もおかしいです。

    I (had to) attend the meeting yesterday.
    had to は、have to の過去形。
    過去に「~しなければならなかった」という意味です。
    この文は、「昨日、私はその会議に出席しなければならなかった」という意味になります。

    したがって、最適なのは、4.had to です。

    こうして、1つ1つ選択肢を吟味すれば、ただ1つの正答を導くことができます。
    解きようのない問題があったという過去の記憶は、細部まで注意深く観察しなかったからかもしれません。
    あるいは、1つの選択肢に絞るための知識がなかった。
    だから、問題のせいではないのです。

    繰り返しますが、根拠をもって論理的に解くことのできる問題しか出題されません。
    そこを強く意識し、間違えた問題の1問1問について、正解の根拠を意識した見直しをすることで、知識を確かめていくことができます。


    さて、冒頭の問題に戻りましょう。

    問題 空所に適語を補充せよ。
    The game should (  ) started at noon.

    答えは、have です。
    「その試合は、正午に始まったはずだ」という文です。
    The game should (be) started at noon.
    としてしまうと、「その試合は始められる」という受動態の意味になります。
    一見正しいような気がしますが、英語では、そのような受動態表現はありません。
    それでも、be と答えた子がもしいたら、それは頑張った、いいところまで問題を分析したねと褒めたいです。
    少なくとも、それは当てずっぽうの答案ではありません。
    考えて解いた問題です。
    考えて解いた蓄積は、知識の蓄積となり、今後に生かされると思います。

    四択問題を根拠もなく当てずっぽうでいくら解いても、勉強したことになりません。
    最初は時間がかかるかもしれませんが、1問1問、考えて解きましょう。
    類題が極めて多い分野ですので、知識が身につき、考え方に慣れていけば、短時間で解いていけるようになります。

      


  • Posted by セギ at 13:15Comments(0)英語

    2019年05月30日

    高校数A n進法 その3。分数の処理。


    今回が数A最後の内容です。
    内容は、「分数の小数表示と記数法」。
    10進法の分数をn進法の小数に直す問題を解きましょう。

    例題 1/4を5進法の小数で表せ。

    これは、10進法の小数をn進法の小数に直すときと、基本の考え方は同じです。
    まず、
    1/4=a/5+b/5の2乗+c/5の3乗+・・・・① とおきます。
    ①×5をすると、
    5/4=a+b/5+c/5の2乗+d/5の3乗+・・・
    両辺の整数部分を比較して、
    a=1とわかります。
    次に両辺から1を引いて、
    1/4=b/5+c/5の2乗+d/5の3乗+・・・② とおきます。
    ②×5をすると、
    5/4=b+c/5+d/5の2乗+・・・・
    よって、b=1。
    以下同様に、c=d=・・・・・=1とわかります。
    したがって、1/4=0.1111・・・・・です。

    分数や小数とn進法は、さすがにそこまで復習していないという人もいて、センター試験あるいはセンター模試でそれが出てしまうと、もう完全にアウトとなってしまう人が多くいました。
    解き方を知っているか知らないかだけの問題で白紙答案になってしまうのは勿体ないので、解き方をいつでも復元できるように、なぜそれで解けるのか、その理屈を理解しておくことをお薦めします。
    手順だけ覚えるのは、忘れるのも速いです。
    理屈を理解していれば、復元可能です。


    さて、ここで、n進法の応用問題を少し。

    問題 150台が駐車可能な駐車場がある。駐車位置は1から順に番号が付けられているが、4という数は使われていない。駐車位置の番号の中で最大の数は何番か。

    例えば0と1しか使わないのなら2進法だとわかるけれど、逆に、4だけは使わないというのは、どう解いたら良いのかわからない・・・。
    そういう人もいるかもしれません。
    もっと頭を柔らかく。
    4だけは使わないのですから、0、1、2、3、5、6、7、8、9の数字を使う。
    つまり、これは9進法なのだとわかります。
    ただし、普通の9進法は、0から8までの数字を使うのですが、これは4を使わないが9を使います。
    だから、計算した後に数字を変換する必要があります。

    まず、150を普通の9進法で表すと、
    150=1×92+7×9+6
    すなわち、176(9) となります。

    4を使っていないから、このままでいいでしょうか?
    いいえ、そういうわけにはいきません。
    9の2乗の位の数である1は、そのままでいいでしょう。
    9の2乗のまとまりが1組あるということは、4という数字を使っても使わなくても変わらずに1です。
    しかし、9の1乗の位の7は、普通の9進法での7です。
    9のまとまりが7組あるということです。
    その7組に、4を使わずに番号をつけるならば、1組目、2組目、3組目、5組目、6組目、7組目、8組目。
    つまり、これは7ではなく、8と表さなければなりません。
    最後に、一の位の6も、普通の9進法で、1が6個あるということです。
    それに番号をつけるならは、1、2、3、5、6、7。
    つまり、これも6ではなく7と表さなければなりません。
    よって、この駐車場の最大の番号は、187となります。

    さて、数ⅠAの学習がこれでひと通り終わりました。
    最初のほうで学習したことを忘れてしまっていると、数Ⅱの学習は困難を極めます。
    数Ⅱの学習を進めながらも、常に数ⅠAを復習すると良いと思います。
    1度では理解できなかったことも、2度目なら、案外すんなりと理解できることがあります。
    1度目は覚えきれなかった公式も2度目なら見慣れて、頭にすっと入ってきます。
    数学の学習は、諦めなければ必ず前に進むことができます。
    頑張りましょう。
    ヽ(^。^)ノ


      


  • Posted by セギ at 12:28Comments(0)算数・数学

    2019年05月29日

    夏期講習のお知らせ。2019年度。


    2019年度夏期講習のお知らせです。
    7月1日よりお申込みを承ります。
    後日、書面にしてお知らせもいたします。
    申込書またはメールでお申込みください。
    受付順にご予約となります。
    夏期講習期間は、通常授業はありませんので、いつもの時間帯の授業を希望される方も改めてお申込みください。
    8月中は通常授業はありませんので、8月分通常授業料のお支払いは不要です。
    外部生のお申込みは、7月8日から承ります。
    外部生の方は、パソコン画面左のお問い合わせボタンからお問い合わせください。
    なお、8月11日(日)~8月18日(日)は、夏期休業とさせていただきます。
    その間のお問い合わせの返信は8月19日(月)以降となりますので、ご了承ください。

    以下は、夏期講習募集要項です。
    ◎期日
    7月22日(月)~8月31日(土) 
    ただし、毎週日曜日と、8月12日(月)~17日(土)は休校となります。
    また夏期講習以前の7月中に夏期講習の前倒し授業をご希望の方はご連絡ください。
    対応可能です。

    ◎時間帯
    10:00~11:30 , 11:40~13:10 , 13:20~14:50 , 15:00~16:30 , 16:40~18:10 , 18:20~19:50 , 20:00~21:30

    ◎費用
    1コマ90分4,000円×受講回数+諸経費4,000円

    ◎指導科目
    小学生 一般算数・受験算数・国語・英語
    中学生 数学・英語
    高校生 数学・英語

    ◎中3受験講座
    7月22日(月)~8月2日(金)の10日間(土・日は休講です)、中学3年生向けの最大3名までの少人数制夏期講習を行います。
    都立高校受験を目指す中学3年生限定です。
    科目は、国語・数学・理科・社会・英語の5教科です。
    一部の科目のみの受講も可能です。
    お問い合わせください。
    時間は、
    土曜・日曜を除く連日。
    国語 13:20~14:10
    社会 14:20~15:10
    理科 15:20~16:10
    数学 16:20~17:10
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    費用は、
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  • 2019年05月27日

    高校英語 助動詞その3 will の用法。



    まずはこんな問題から。

    問題 以下の空所に適切な語句を選べ。
    He (  ) often go fishing on Sundays.
    1. would   2. used to  3.had  4.has

    こうした四択問題になると、「そんな英語を見た覚えがある」という主観で英文法の問題を解く人がいます。
    勘で解いているので、正解でも不正解でも、学習したことになりません。
    まずその癖を自覚し、直すことが必要となります。
    中学生の頃から、英語の問題はそのように感覚や勘で解いてきたし、それ以外の解き方を知らない。
    こうした問題を「考えて」解くということが、どういうことなのかわからない。
    そういう人もいるかと思います。

    「考える」とは何をどうすることなのか。
    では、こんな問題はどうでしょうか。

    問題 以下の空所に適切な語句を選べ。
    With more than 60 books to his name , the norvelist was one of the most (  ) of the twentieth century.
    1.arcane  2.somber  3.erratic  4.prolific

    普通の英語力を持つ高校生なら、問題文はまあまあ意味が取れると思います。
    しかし、選択肢の単語は、ほとんど意味がわからないのではないでしょうか。
    そんなにスペルが長いわけではなく、一見ありふれた印象の単語なのに、見たことがない・・・。
    意味など想像もつかない・・・。

    この問題を解けと言われたら?
    うーん・・・。
    3と4は語尾が同じ。
    1と3は最初のほうが似ている気がする。
    では、両方がかぶっている3が正解かな?

    ・・・残念。
    正解は、4.prolific「多作な」です。
    「その小説家の名で出版された本は60以上あるので、彼は20世紀で最も多作な一人である」

    これは、英検1級の過去問です。
    高校生がこの問題を解けなくても、落ち込む必要はありません。
    ただ、上のような選択肢の分析で正解が選べるほど甘くはないということです。
    考えるとは、そういうことではないのです。

    考えるとは、知識を根拠としてものごとの筋道を立てていくこと。
    AならばBであり、BならばCである。
    原因と結果を明瞭にしていくこと。
    ですから、根拠となる知識がない場合、考えようがないのです。

    もう一度、最初の問題に戻りましょう。

    問題 以下の空所に適切な語句を選べ。
    He (  ) often go fishing on Sundays.
    1. would   2. used to  3.had  4.has

    この問題で、まず3と4は早めに選択肢から消去できます。
    had にしろ has にしろ、完了形の文を作ろうとしているのだろうと推測できますが、それならば、後に続く動詞は過去分詞 gone になっているはずです。
    go という原形が使われている以上、これは完了形ではありません。
    また、「~しなければならなかった」という意味なのだとしたら、hadだけではダメで、had to としなければなりません。
    3と4は、正解ではありません。

    では、1と2と、どちらか正解か?
    そもそも、1と2は、何なのか?
    考えるためには、その知識が必要です。


    考えようにも、根拠が見つからないという場合。
    それは根拠となる知識がないからです。
    知識がなければ、考えることができません。
    短期記憶でパッと覚えてパッと消去してきた知識が、実は全部必要なものだったのです。

    知識を蓄えましょう。
    問題を解くときは、常に「根拠は?」「理由は?」と自問する習慣をつけましょう。
    根拠は、自分の中の知識です。


    助動詞。今回は、will の学習をします。
    will というと、未来の助動詞。
    will you ~?で相手の意志を尋ねたり依頼したりすることもある。
    そこまではスラスラと出てくる高校生が多いのですが、それらは中学英語です。
    高校で新しく学習した will があるはずなのですが、それを記憶に残さない人が多いのです。

    もう何度も繰り返し書いていますが、高校生になっても中学英語からバージョンアップしない人は、自分が既に知っている基礎知識を確認すると安心し、それだけで大丈夫と思ってしまうようです。
    しかし、高校の定期テストや大学入試に出るのは、高校で学習した will の用法です。
    そこに力を入れて学習するのだという視点を持ちましょう。
    will には他にいくつも意味があります。
    「未来の意味だけ覚えておけば良くない?」
    という感覚を捨ててください。

    では、高校の定期テストでよく出題される will 、あるいはその過去形 would の用法とはどんなものでしょうか?

    1つ目は、強い意志の will です。
    主に否定形で用いられ、「どうしても~しようとしない」「どうしても~しようとしなかった」という強い否定の意志を表します。

    He won't listen to my advice.
    彼は、どうしても私の助言を聞こうとしない。
    この will は、人以外の主語でも成立します。
    The door wouldn't open.
    そのドアは、どうしても開こうとしなかった。


    2つ目は、「性質・傾向のwill」と呼ばれるものです。
    Teenagers will not do as they told.
    10代の子は、言われた通りにはしないものだ。
    Gasoline will float on water.
    ガソリンは水に浮くものだ。
    このように、人やものごとの性質や傾向を表します。


    3つ目は、習慣を表す will です。
    現在の習慣でも用いますが、テストによく出るのは、過去の習慣です。

    He would often go fishing on Sundays.
    彼は、日曜日によく釣りに行ったものだった。

    ただ、過去の習慣を表す助動詞は、この often の他に used to があります。

    He used to go fishing on Sundays.
    彼は、日曜日に釣りに行ったものだった。

    両方とも同じ過去の習慣。
    では、その使い分けは?

    would の後ろは、動作動詞のみがきます。
    語り手・書き手が個人的に過去を回想する場合に用いられ、現在もそうであるかないかを明言するものではありません。
    また、他の would の用法と区別するため、often , sometimes などの頻度の副詞とともに用いられるのが普通です。

    used to の後ろは、動作動詞・状態動詞の両方がきます。
    現在はそうではないが、過去はそうだった場合にのみ用いられます。
    そして、頻度の副詞とともに用いられることはありません。
    「過去は常に~したものだった」という意味になります。

    その視点で、もう一度問題を見直しましょう。

    問題 以下の空所に適切な語句を埋めよ。
    He (  ) often go fishing on Sundays.
    1. would   2. used to  3.had  4.has

    (  )の後ろに、often があります。
    明らかに、正解は、1.would です。

    根拠をもって考える。
    根拠をもって四択問題を解くとは、このようにすることです。
    文法問題を勘で解かず、間違えたら、正答の根拠を把握すること。
    その問題を解くのに必要だった知識を確認すること。
    答えを覚えるのではなく、根拠を覚えます。
    間違えた問題には必ずチェックを入れて、時間をおいて解き直すこと。
    その繰り返しで、力がついていきます。
    頑張りましょう。





      


  • Posted by セギ at 14:25Comments(0)英語

    2019年05月23日

    小学校算数。公式と交換法則・分配法則。


    問題 底辺7㎝、高さ13㎝の平行四辺形の面積を求めなさい。

    四角形の面積は、5年生で学習します。
    平行四辺形の面積の公式は、底辺×高さ=面積 です。

    7×13=91 答え 91c㎡
    となります。
    しかし、これを、
    13×7=91
    と書く小学生は案外多いです。

    問題 直径8cmの円の円周を求めなさい。

    公式は、直径×円周率=円周 です。
    順当に式を書くならば、
    8×3.14
    となります。
    しかし、これも、
    3.14×8
    と書く子を多く見ます。

    Twitterなどで、ときどき、こういう式を書いた子どもがテストでバツにされた、おかしい、という投稿を見かけます。
    この式をどうとらえるかは微妙な問題です。
    かけ算は交換法則が成立します。
    かける数とかけられる数の順番を入れ替えても、計算の結果は変わりません。
    どうせ計算の結果は同じになるのに、公式通りではないからといってバツをつけるのは、おかしい。
    そのように考える人が多いのも理解できます。

    中学生になれば、公式の順番が変わってしまうことがあります。
    円周は、半径をrとし、2πr と表します。
    円周をどのように求めているかの意味を伝えるよりも、文字式の順番を優先した公式に変わってしまいます。
    答えも、文字式の順番が優先されます。
    直径8a cmの円の円周は、8πa cmです。
    8aπ cmと書いたら、誤りです。

    中学に入れば変わってしまう順番なのですから、3.14×8という式でも正解として良いと私も思います。
    小学校の大多数の先生は、3.14×8 という式を見たら、丸をつけた上で、横に、赤ペンで、8×3.14 と書いています。
    それで十分でしょう。

    しかし、1つ気になるのは、なぜわざわざ公式の順番に逆らって、
    3.14×8 
    という式を立てる子が多いのかということです。

    どっちが先でもいいという雑な神経で式を立てているのでしょうか?
    そんな雑な感覚で、中学・高校と複雑になっていく公式を正確に活用できるでしょうか。
    そう思うと、ちょっと心配にはなるのです。
    そういう式を立てている子に対しては、
    「丸をつけていいけれど、公式通りの正しい順番で式を書こうね」
    と助言します。

    公式通りに書かない雑な立式をする子は、例えば、直方体を組み合わせた複雑な図形の体積の問題などで立式ミスをすることがあります。
    常に、縦×横×高さ の順番で立式していれば数値を確認しやすいのですが、適当な順番で数字を並べていくと途中で混乱し、高さ×横×高さ といった式を立ててしまうことがあるのです。
    3つの数字をどれでも適当な順番にかけときゃいいという考えでいると、そんなミスが起こります。
    小学生の中には、面積と体積、平面と立体との識別が、わかっているようで案外わかっていない子もいて、立体の「高さ」と「縦」との区別が曖昧になってしまうことがあります。
    公式通りの順番で式を立てるのは、そうしたミスを防ぐための安全策でもあるのです。


    6年生で、奇妙な立式ミスをする子がかつていました。

    問題 面積が13㎝で、高さが26/3㎝である平行四辺形の底辺の長さを求めなさい。

    こうした問題で、1/13×26/3という式を立ててしまうのです。
    13÷26/3=13×3/26 とすべきところを、わられる数のほうを逆数にしてしまいます。
    分数のわり算のやり方がわかっていないのなら、それを教えれば済みます。
    しかし、単なる計算問題では、そんなミスはしませんでした。
    文章題になると、いきなりそんな式を立ててしまいます。

    「式を書きながらその後の計算のことも考えているから、こういう式になったのかな。わり算だなと思ったら、まずわり算の式を書いて、それを逆数のかけ算に変えて計算しましょう」
    その子には、そういう助言をしましたが、なかなか直りませんでした。
    まずわり算の式を書くことが無駄な作業のように思えて、省略したかったようです。


    式を書きながら、その後の計算のことを考えていると、こういう式になる・・・。

    そのとき、何気なく自分で言ったことに、あ、と気づきました。

    公式通りの順番で式を立てない子は、単に雑なのではなく、その後の計算のことを考えているのではないか?
    円周を求める式を、
    3.14×8
    と立ててしまう子は、その後、3.14×8 と筆算するつもりでいるから、そのように書いてしまうのではないでしょうか。

    しかし、8×3.14 という式を書いても、その後の筆算は、3.14×8 として良いのです。
    もしかしたら、8×3.14 という式を立てたら、その順番で筆算しなければならないと思い込んでいるのでしょうか?
    式は式。
    計算は計算。
    式は8×3.14 でも、計算は交換法則を利用して良いのです。

    8×3.14 ではなく、3.14×8 という式を立てる子は、交換法則が理解できているのだから、むしろ数学センスがある。
    そのように言う人もいます。
    しかし、本当にそうでしょうか。
    小学生から高校生まで、長期に渡って算数・数学の指導をしている実感から言えば、3.14×8 という式を立てるかどうかでは数学センスは測れないと感じます。
    立式と計算とは別だということが理解できていない。
    むしろ、そうしたことが懸念されます。
    式を立てることと計算することを頭の中で分割できず混同しているから、そういう式を立ててしまう。
    式とは、どのように解いたのかを示すもので、計算ではありません。
    自分の思考の過程を示すものです。
    公式を使用したのなら、公式の通りの順番に書いてあるほうが、どのように解いたかを明瞭に示せます。

    小学校で学習する易しい内容ならば、逆に書いても意味はまあまあ伝わります。
    しかし、その習慣は後々まで残る可能性があります。
    高校数学で、何の定理を使ったかを示さず、自分の計算優先で暗算したり順番を変えたりしてある答案は、1週間も経てば、本人もその式の意味を説明できなくなります。
    そして、そういう答案を書いてしまう子ほど、記述式の問題を恐れます。
    何をどう書いていいのかわからないと言うのです。
    答案を読む人が理解しやすい式を書く努力をしてこなかったので、記述答案をどう書いていいかわからなくなるのです。

    式の1行目は、意味の伝わる式を立てる。
    高校数学ならば、何の定理であるか、どういう考え方であるかも示します。
    2行目以降は、ガンガン計算の工夫をします。
    というより、計算過程など書いても書かなくても良いのです。
    そうしたメリハリを理解できていない子が高校生でも多いのが現状です。
    式と計算とを混同しているのです。
    そういう意味では、前述の 3.14×8 という式に褒めるべき要素はありません。
    バツにするのは可哀想だとは思いますが。


    小学生の段階で数学センスを感じるのは、交換法則よりも分配法則を活用できる子です。
    円周の問題や円の面積の問題で分配法則を活用できれば、計算が楽になり、正確になります。
    しかし、活用できない子は多いです。
    例えば、いくつかの半円が組み合わさった図形の面積。
    5×5×3.14÷2-3×3×3.14÷2+2×2×3.14÷2
    =(5×5÷2-3×3÷2+2×2÷2)×3.14
    =(12.5-4.5+2)×3.14
    =10×3.14
    =31.4
    といった計算の工夫ができる小学生は、限られています。
    中学受験生でもこれはできない子が多いのです。

    ☐×〇+△×〇=(☐+△)×〇
    という分配法則は、普通に学校で小4で学習するのにほとんど定着しない内容です。
    それだけに、これを活用する子に出会うと、この子は数学センスがあるなと感じます。

    ただし、センスはあっても、上のように丁寧に式を書かず、1行目から、
    (12.5-4.5+2)×3.14
    といった式を立てる子も多いです。
    そうした子には、
    「式と計算とは違うのですよ」
    と注意をしなければなりません。
    意味のわかる1行目を書くことの意義を理解してもらうのに時間がかかります。
    え?そんなのわかるでしょう?という気持ちが本人の中で強いようです。
    そういう意味では、センスがあっても小学生はまだ主観的ですから、自分が意味がわかることは、他人も意味がわかって当然と思っているのかもしれません。
    あるいは、自分の計算のために式を書いているので、他人がそれを理解するかどうかは、どうでも良いのでしょう。

    高校数学がどのようであるかを想像できるはずのない子に、高校数学に至る道筋を指導していくのは、なかなか難しいです。
    3.14×8 という式が表面上正しいかどうかではなく、その式を書く子が、数学的にこの先どう成長するのか。
    注目すべきはそちらだと思います。

      


  • Posted by セギ at 14:42Comments(0)算数・数学

    2019年05月20日

    高校数A n進法 その2。小数の処理。


    今回も「n進法」の続きです。
    2進法は、「2の0乗の位」「2の1乗の位」「2の2乗の位」というように、1桁上がるごとに桁の2の指数が上がっていくのだということを前回確認しました。
    では、小数はどのように扱われるのでしょうか?

    まず10進法で考えるのならば、小数第1位は「10分の1の位」、小数第2位は「100分の1の位」、小数第3位は「1000分の1の位」です。
    それは、「10分の1の位」「10の2乗分の1の位」「10の3乗分の1の位」と書き表すこともできます。
    1つ下の位から見て、1つ上の位はそれを10倍した数の桁、という関係が成立しているのが10進法です。

    2進法も同じように考えます。
    小数第1位は、「2分の1の位」、小数第2位は「2の2乗分の1の位」、小数第3位は「2の3乗分の位」です。
    そうすることで、1つ下の桁から見て1つ上の桁の数は2倍の関係が成立しています。
    ちなみに、2分の1は、指数では「2の-1乗」、2の2乗分の1は、指数では「2の-2乗」と表します。

    ところで、「2の2乗」を「にのじじょう」と読む人は中高生ではかなり減ってきましたが、まだ一応存在します。
    「2の-2乗」を「にのマイナスじじょう」と読む人はさすがに減っています。
    高校の数学の先生は「にじょう」と正しく読む人が大半であることも関係しているかもしれません。

    「2乗」のときだけ「じじょう」と読むのは、本来、不自然なことです。
    数字は「いち、に、さん」と読みます。
    「いち、じ、さん」ではありません。
    「2乗」だけ「じじょう」と特別扱いの読み方をすることには理由がありません。

    しかし、自分が信じてきたことを否定されると強い拒絶反応を示す人もいます。
    「じじょう」は「自乗」という意味なんだ!
    と言う人がいます。
    「2乗」だけそのような特別扱いをする理由はないのですが。

    「にじょう」なんて読み方はまぬけっぽい、と言う人もいます。
    しかし、そういう主観は、数学とは関係ありません。

    ただ、読み方なんか究極どうでも良いので、生徒が「じじょう」と読むのを訂正しないのですが、私が「にじょう」と読むのを生徒が「このセンセイ、読み方を間違えている」と感じているのではないかと考えてしまうことはあります。
    こういうことは、間違っていてもそれを信じている人のほうが強いのです。

    おっと話が逸れました。
    マイナスの指数の話でした。
    2分の1は、「2の-1乗」、2の2乗分の1は「2の-2乗」、2の3乗分の1は、「2の-3乗」。
    指数はこのように表記されます。
    これは、n進法の桁の仕組みと整合しています。
    指数がこのように負の数に拡張されることは、n進法を理解していると容易に納得できることです。
    指数の拡張は、詳しくは数Ⅱの「指数関数」で学習します。


    では、n進法に戻って、実際に問題を問いてみましょう。

    問題 10進数0.375を6進法で表せ。

    6進法の小数第1位は、6分の1の位。
    6進法の小数第2位は、6の2乗分の1の位。
    ですから、
    0.375=a/6+b/62+c/63+・・・・
    と表すことができます。
    この両辺を6倍すると、
    2.25=a+b/6+c/62+d/63+・・・・・

    b/6以下は、全て分母のほうが分子より大きい真分数です。
    b/6以下の総和は、1より大きくなることはありせん。
    そこで、両辺を比較すると、
    2=aであることがわかります。

    両辺から2=aを引いて、
    0.25=b/6+c/62+d/63+・・・・

    この両辺を6倍すると、
    1.5=b+c/6+d/62+e/63・・・・
    よって、1=bであることがわかります。

    さらに、両辺から1=bを引いて、
    0.5=c/6+d/62+e/63+・・・・
    この両辺を6倍すると、
    3=c+d/6+e/62・・・・・
    3=cであり、d以降は0であることがわかります。

    よって、10進数0.375は、6進法では、2.13です。

    上のように、6倍して整数になったものを次の桁の数字と確定していくと、それを利用した筆算が可能です。
    整数になったものを取り除きながら、次々と×6をしていく方法です。
    数学Aの参考書などに筆算のやり方が載っていますので、参考にしてください。
    そして、やり方だけ覚えるのではなく、なぜそれで筆算できるのか、意味を理解してください。
    意味を伴っていない筆算は、すぐに忘れます。
    n進法の勉強ばかりそんなに毎日していられませんから、突然テストに出て、全く解けないという事態に至ります。
    意味を理解していれば、やり方の復元が可能です。
      


  • Posted by セギ at 12:58Comments(0)算数・数学

    2019年05月17日

    高校英語。助動詞その2。助動詞の否定形。


    助動詞は、肯定形ですら意味が紛らわしくて覚えにくいのに、それぞれの否定形もあるから、本当にわかりにくい・・・。
    そんな話も聞きます。
    でも、実際はそんなに紛らわしくはなく、注意して覚えれば大丈夫です。
    結局、英語を学ぶ意欲の問題が大きいのだと思います。
    できるだけ覚えることを少なくしたいと思う人にとって、英語は覚えることが多過ぎる科目なのかもしれません。

    不思議なのは、彼らは、自分の脳の容量をスマホ並みだと思っているふしがあることです。
    こんなに沢山のことは、自分の脳には入らない。
    あらかじめ、そう決めてしまっている様子が見られます。
    実際、子どもの頃からものを覚えることに脳を使うことが少なかったので、最初のうちは脳が上手く動かず、なかなか覚えられないということはあると思います。
    しかし、暗記はトレーニング次第です。
    沢山覚えると、さらに沢山覚えられるようになるのが人間の脳です。
    最初は苦しくても、頑張れば楽になっていきます。

    覚えたり考えたりするときに脳にかかる負担が嫌だ、怖い、という子もいます。
    運動が苦手な子は、息切れするのをひどく恐れ、嫌がり、走っていてもすぐに立ち止まってしまいます。
    同じように、脳に負担がかかると、苦しくて嫌だ、脳細胞が潰れる、脳が壊れる、と感じる子がいます。
    痛みや苦しさに対する原始的な恐怖があるのでしょう。
    運動嫌いな子に、息切れなんか我慢すれば済むことだ、じきに慣れるよといっても、話は通じません。
    同様に、頭を使うことが嫌いな子に、頭に負荷がかかっても別に大丈夫、じきに慣れるよといっても、なかなか話は通じないのです。
    原始的な恐怖なので、頭が重い、苦しい、と感じた瞬間に、考えることも覚えることも止めてしまいます。
    そうしたことのバカらしさを、本人が客観視し、気づいてくれると良いと思います。
    高校生なら、そういうことに客観的になれるはずです。
    脳に負担がかかり、脳が重くて苦しい、脳細胞が潰れると感じても、実際のところ脳には何らダメージはありません。
    それに耐えれば、前より脳がよく動くようになります。


    さて、助動詞に話を戻します。
    助動詞には否定形があります。
    そこで混乱が生じることがあります。
    それは、中学の頃から始まっています。

    can は「~できる」。
    cannot は「~できない」。

    これは、わかりやすい。
    しかし、次に学習する助動詞 must でもう混乱が始まります。

    must は「~しなければならない」。
    must not は、「~してはいけない」。

    それを覚えるだけで済むのなら良いのですが、疑問文とその答え方との対応は?

    Must I write the report ?
    --- No , you (  )(  )(  ).

    これに答えようとして、
    --- No , you (must)(not)(  ).

    ・・・あれ?
    (  )が1つ余る・・・。
    中2で、この問題に直面します。

    上のやりとりを日本語に直すと、
    「私はそのレポートを書かなければなりませんか」
    「いいえ、書いてはいけません」
    となります。
    それは、会話としては不自然です。
    「私はそのレポートを書かなければなりませんか」
    「いいえ、書く必要はありません」
    が、自然な会話です。

    だから、正解は、
    Must I write the report ?
    --- No , you (don't)(have)(to).

    となります。
    中2の段階で、これが覚えられない。
    毎回毎回、この問題で間違える。
    そういう子は多いです。
    そのまま高校生になっていますから、さらにバリエーションが増えると、ますます混乱し、訳がわからなくなります。

    しかし、なぜ上の問題を毎回毎回間違えるのでしょうか。
    おそらく、例外的なところがテストに出る、そこが問われる、ということを自覚していないのではないかと思うのです。

    勉強が得意な子は、こうした説明を1回受けたときに、「ああ、ここがテストに出るんだな」と理解しています。
    ちょっと変則的で、気をつけなければならない。
    じゃあ、ここがテストに出る、と気づいているのです。
    ここは間違えやすいから、注意してよく覚えておこう。
    そういう覚え方をしています。

    一方、勉強が苦手な子は、規則的なところにばかり目を向けがちです。
    canの反対は、cannot 。
    じゃあ、must の反対は、must not 。
    よーし、覚えた。
    こういう学習をしています。
    ・・・そんなの、あまりテストに出ないんですが。( 一一)

    そうは言っても、1回失敗すれば、あ、ここが問われるんだと理解し、できるようになっても良くないか?

    しかし、そう甘くはありません。
    毎回同じ問題を間違える子は、自分がどの問題を間違い、どの問題を正答したかを記憶しませんし、記録もしません。
    間違えた問題に印をつけ、後で解き直すということをしません。
    しばらく時間をおいて類題を解くときに、同じ発想で同じ誤答をしてしまいます。
    そして、誤答の回数が増えるほど、誤答の記憶のほうが強くなっていきます。
    違ったような気もする・・・とは思いつつも、どちらが正しかったのか、誤答の回数が多くなるほど、曖昧になっていきます。

    変則的なところは、最初の覚え方が大切。
    最初にきちっと覚えて正答しておけば、記憶は曖昧になりません。


    もう1つ、この問題を誤答しがちな人の特徴は、英語の言い換え表現を無視する傾向があるのです。
    must = have to と教わっても、覚えません。
    同じ意味の別の表現なんか要らなくない?
    1つ覚えておけば良くない?
    そういう意識が働いているようです。

    これも、自分の脳の容量をスマホ並みと誤解しているところからきているのかもしれません。
    出来るだけ覚える量を減らしたい。
    2つ同じ意味の言葉があるのなら、1つだけ覚えて済ませたい。
    学習内容をスリム化したい・・・。

    人間の脳の容量はスマホ並みではありません。
    覚えれば覚えるほど自動的に容量が拡張されるから、大丈夫です。
    まず、そのことを信じてほしいと思います。
    一生使わないで終わる脳細胞が無尽蔵にあるんです。

    have to すら眼中にない人は、don't have to は、確かに発想できないですよね・・・。

    全ての言語は多くの類義語をもっているもので、それがその言語の豊かさの表れの1つです。
    また、英語で文章を書く場合、同じ単語ばかり使わず、できるだけ言い換えるのが文章作法です。
    それは、長文を読む場合にも理解しておかなければならないことです。
    筆者が言い換える度に意味を見失ってしまい、そのせいで英文が読めない人は多いのです。

    それだけでなく、個々の助動詞に言い換えがあるのは、時制の上で必要なことです。
    must は現在形です。
    過去も must で表せますが、had to を用いたほうが、過去であることが明瞭です。
    さらに、未来は、will must のように助動詞を2個つなげる用法はありません。
    will have to となります。
    have to は、無視できるものではなく、絶対に使わなければならないものです。


    公立中学ですと、学習するのはそれだけなので、要点をおさえてしっかり覚えれば大丈夫です。
    しかし、中高一貫校の英語は、中学の段階で高校英語の内容が入ってきていますので、別のややこしさがあります。
    高校英語も勿論そうです。


    Must I write the report ?
    --- No , you (  )(  ).

    こういう問題が出題されます。

    ・・・あれ?
    (  )が2つしかない?
    じゃあ、--- No , you (must)(not).
    でいいということ?

    いえ、そんなわけがありません。
    正解は、
    --- No , you (need)(not).
    あるいは、
    --- No , you (may)(not).

    うわあ、色々出てきた・・・。

    覚えることが複数あるなら、その複数のものを全部覚える必要があります。
    それを自覚するだけで、英語力はかなり違ってきます。

    need は、一般動詞でもありますが、否定文・疑問文のみ、助動詞としても使用します。
    だから、don't need to という用法もありますが、 need not でも、「~する必要はない」という意味になります。
    may は「~してもよい」ですから、may not は、「~しなくてもよい」です。

    こうした隅々の学習内容をきちんと押さえていくこと。
    助動詞に限らず、この先の文法学習でも、こうした不規則なところ、色々な言い方があるところがテストに出るのだと注目し、そこをしっかり学習しましょう。

    英語の勉強はテストで良い点を取るためだけにするものではありません。
    しかし、実際に英語のテストで良い点を取ると、気持ちが変わってきます。
    自分が得意なこと・良くできることは、好きになります。
    じゃあ、学校の教科書の勉強だけでなく、英検にも挑戦してみようかなとか、ラジオ講座も聴いてみようかなという気持ちになります。
    そうして、本当に英語が得意になっていきます。
    まずはテストで得点するための勉強のコツを身につけましょう。

      


  • Posted by セギ at 12:06Comments(0)英語

    2019年05月15日

    数A「整数の性質」n進法。


    数A最後の学習内容は、「n進法」です。

    n進法は、中学受験の受験算数でも出題されることがあります。
    容易に理解できる小学生もいれば、高校生でも全く理解できない子もいる単元です。

    理解できない子は、10進法の仕組みの根本を理解できていない可能性があります。
    10進法の仕組みは、子どもの頃から慣れ親しみ過ぎて自明の理のようになっていて、むしろ意識しにくいということはあります。
    しかし、n進法を学ぶことで10進法の仕組みが逆に照射され、それが絶対のものではないことに気づかされます。
    そのとき、頭の中が一瞬揺れるような快感があるはずなんです。

    数が10集まったら上の桁に上げることは、絶対のことではない。
    他の可能性もあるのだ。

    n進法を学ぶ最大の意義は、これに気づくことではないでしょうか。

    当たり前だと思っていることは、実は当たり前ではない。
    そういうルールを皆で守っているだけで、自明の理のわけではない。

    そのことに気づくもう1つの単元というと、これも受験算数で出題される「約束記号」があります。
    しかし、こちらも、理解できない子は、見ていて不可解なほどに理解できません。

    まず、そちらから見ていきましょう。
    なぜn進法の理解が進まないか、原因をさぐる一助になると思います。

    問題 A◎B=A+A×B-B とする。3◎19を計算しなさい。

    何も難しくないはずなんです。
    問題に書いてある通りに代入して、
    3+3×19-19=41
    と解答するだけです。

    ところが、この問題、理解できない子は全く理解できません。
    小学生だけではありません。
    中学生でも、高校生でも、この種の問題には全く対応できない子がいます。
    「問題が何を言っているのか、わからない」
    異口同音にそう言います。

    この問題のときだけ、◎に計算記号の意味をもたせる。
    そのことが理解できないようです。
    そんなことをしていいはずがない。
    あり得ない。
    だから、全く理解できない。
    そういうことなのだろうかと想像するのですが、想像の域を出ません。
    本人が、明確に言葉にして表現することがないからです。

    このことが理解できない子は、大抵うろたえています。
    どこがわからないのか問い返しても、絶句している場合が大半です。
    解き方や正解を教えても、動揺は消えません。
    説明の仕方を変えても、類題を解いても、動揺したまま、理解が進みません。

    「割合」がわからないとか、「速さ」がわからないという場合は、何がどうわかりにくいのか、教える側が推測できる余地があるのですが、約束記号がわからない場合は、違う種類の断絶がそこにある気がします。
    大袈裟に言ってしまえば、世界観が違うのかもしれないというほどの断絶がそこにあります。

    +、-、×、÷なんて計算記号は、単なる記号で、絶対のものではありません。
    そう決めて、その通りに使っているだけです。
    世界中でそうしているので、その記号を使えば便利だから今後も使い続けるでしょうが、絶対のものではありません。
    だから、今だけ◎に計算記号の意味あいをもたせても何も悪くありません。
    勿論、それはその問題だけの約束で、一般には通用しません。

    小学生でも一瞬でそうしたことがわかり、パッと顔の輝く子がいます。
    当たり前だと思っていたことは、何1つ当たり前ではない。
    頭の中がグラッと揺れる快感がそこにあります。
    数学を学ぶ快感の1つだと思います。


    n進法も、そのような単元です。
    小学生でも理解できる一方、高校生でも理解できない子がいます。
    思い込みにしばられると理解しにくいようです。

    2進法を例にとって考えてみましょう。
    便宜上10進法と同じ数字を使いますが、本当は全く別の文字や記号を使っても良いのです。
    受験算数では、むしろ数字を使わない2進法の問題のほうが多く出題されるくらいです。

    10進法と同じ数字を使って2進法で数を表す場合、使える数字は、0と1の2種類だけです。
    これで全ての数量を表します。
    10進法の1にあたる数は、2進法でも、1です。
    10進法の2にあたる数は、2進法では10と表します。
    10進法の3にあたる数は、2進法では11です。
    10進法の4にあたる数は、2進法では100です。
    10進法の5にあたる数は、2進法では101です。
    10進法の6にあたる数は、2進法では110です。
    10進法の7にあたる数は、2進法では、111です。
    10進法の8にあたる数は、2進法では、1000です。
    それぞれの桁で2つ数がたまると、上の桁に上げていくということです。

    それは、10進法で、それぞれの桁で数が10個たまると上の桁に上げていくということと対応しています。
    10進法では、1が10集まると、十の位に数を上げて、「10」と表します。
    10が10集まると、百の位に数を上げて、「100」と表します。
    同じように、2進法では、1が2集まると「10」と上の桁に上げます。
    2が2集まると「100」と上の桁に上げます。

    10進法では、各桁を「一の位」「十の位」「百の位」と通常呼びますが、それは指数を用いて「1の位」「10の位」「10の2乗の位」「10の3乗の位」と呼ぶこともできます。
    同じように、2進法では、「1の位」「2の位」「2の2乗の位」「2の3乗の位」となります。
    さらに言えば「1の位」は「2の0乗の位」、「2の位」は「2の1乗の位」と表しても良いですね。
    n進法と連動させると、指数法則がより明確になってきます。

    しかし、10進法の説明自体を10進法を基盤として行わざるを得ないという皮肉もあり、理解できない子は全く理解できないということが起こります。
    「数字が10個集まると、十の位に上げて、10と表す」
    説明の中に既に10が出てくるので、何のことやらわからない、ということになりがちです。

    「10進法で使う数字は、0から9までの10個でしょう?2進法では、0と1の2個の数字を使うんですよ」
    と説明すると、
    「10進法で使う数字は10個じゃない」
    と言う子がかつていました。
    9の次は、10だし、次は11だし、12だし、数字は無限にあるんだから、数字は10個じゃない。10進法じゃない。
    そう言うのです。

    これが、n進法が理解できない根本の原因だと思います。
    核心が見えた瞬間でした。
    n進法を理解できない原因を言語化できず、ただ動揺する子が多い中で、それを言語化できる。
    言語能力は高いが数学がよくわからない子とのこういう対話は、興味深いです。
    こちらが学べることが沢山あります。

    11は、「11」という数字ではなく、10と1です。
    12は、「12」という数字ではなく、10と2です。
    そのことは、小学校の低学年から幾度も幾度も勉強しています。
    例えば、
    475=100×☐+10×☐+1×☐
    といった穴埋め問題は、新しい桁の数を学ぶ際に、小学生が繰り返し練習させられることです。
    あるいは、
    475は、100が☐こ、10が☐こ、1が☐こ集まってできた数です。
    といった問題もあります。
    この穴埋め問題は簡単に正解できる子が大半です。
    しかし、この問題が何を伝えようとしているのか、その本質を理解できないまま通り過ぎてしまう子が多いのだと思います。
    小学校で学んでいる数理の本質は、あまりにも本質なため、言葉にすると難解になり、子どもに伝えにくい内容です。
    しかし、子どもは、難解なことを言語化されなくても本質的に理解できる能力があります。
    それに頼って繰り返されるこうした問題。
    ここから数理の本質を理解した子と、何も気がつかなかった子と。
    n進法の理解についての根本の差は、そうしたところから生まれているのだと思います。

    就学前、あるいは小学1年生が数を数えると、まだ10進法のルールを理解していないことがあります。
    「1、2、3、・・・・・、9、10、11、12、13、・・・19、100」
    19の次がもう100になってしまう子が、たまにいます。
    12くらいまでは耳慣れているので、その流れで19までは知っているのですが、その先の数の仕組みがどうなっているのかわからないので、19の次は100になってしまうのです。
    10が2個たまったら100にしているので、十の位だけ2進法になっているのです。

    10が10個たまると、100になる。
    このように幼い段階で正しい10進法へと導びかれているのですが、そのことがあまりにも無意識のレベルに沈み込み、意識されないようです。
    小学校で、大きい数や小数へと数が拡張されていく度に、上述のように桁に対して正しい理解をしているかを確認する問題が出されているのですが、何を確認されているのか、意識できないのです。

    それは、10倍、100倍、あるいは1/10、1/100する際に、桁移動で処理できることが身につかない子の中にも見られます。
    ÷100の計算を、真面目に筆算してしまう子がいます。
    ×100の計算も同様です。
    桁を移動すれば良いと助言すると、「あ、そうだった」と言うのですが、100倍するのに3桁移動してしまう子も多いです。
    そのやり方を教わったことがあるのを覚えているだけで、意味を理解していないのだと、そうした様子から気づきます。
    そのまま高校生になって、n進法に出会い、愕然とする。
    どうしてもどうしても理解できない。
    そういう人がいるようです。

    どうか頭を柔らかく。
    小学生のときにはわからなかったことでも、高校生の今なら理解できるかもしれません。
    数字の桁の仕組みについて、改めて考えてみる、良い機会です。
      


  • Posted by セギ at 10:57Comments(0)算数・数学

    2019年05月13日

    鷹ノ巣山を歩いてきました。2019年5月。


    2019年5月12日(土)、奥多摩の鷹ノ巣山を歩いてきました。
    去年は、水根沢林道から登り、時間切れで鷹ノ巣山には到達できませんでしたので、今年は普通のコースを行きます。

    ホリデー快速おくたま1号に乗車。
    国分寺からは座っていくことができました。
    続く立川駅で、ザックを担いだ中高年がどっと乗ってくると、私の両側に座っていた若い登山者がさっと席を立ちました。
    向かい側の若い子も、席を譲っていました。
    いやいや、普段の電車はともかく、これから山に行こうという中高年に席なんか譲らなくていいんですよー。
    これから5時間以上も山を歩こうという人たちばかりなんですから。
    でも、譲られた中高年はやはり嬉しそうで、ほっこりする光景ではありました。
    「年寄り扱いするなっ」
    とプライドをぶつけて怒りだす人がいないのは、むしろ自分の健脚に自信がある表れなのかもしれません。
    えへへ、譲ってもらっちゃった、嬉しい、といった表情です。
    席を1つ移動し、二人連れの登山者が並んで座れるようにして、電車の旅は続きました。

    奥多摩駅8:21着。
    「川乗橋」行きの増発便が、私がバス停の行列の最後尾に着く間もなく出発していきました。
    すぐに次の「東日原」行きの増発がバス停に入ってきて、それも満員となり、出発。
    その次にまたすぐバス停に入ってきた「東日原」行き増発バスに座っていくことができました。

    乗客の半分は川乗橋で下車し、終点「東日原」。8:50。
    バス停は、バスがそこでUターンできるスペースを確保した構造になっているのですが、そこに高校生の集団がたまって身動きとれないようになっていました。
    何だ何だ?
    高校の登山部かな?
    前のバスから下車したばかりで、移動の指示も出ていないようでした。
    バスは、そうした高校生たちを避けて何とかUターンし、停車しました。

    トイレを済ませ、支度をして出発。9:00。
    バスの進行方向のまま、まずは舗装道路を歩いていきます。
    20人ほどの高校生の集団は、場所を別の駐車場に移動していましたが、まだ出発していませんでした。
    集団の動きの鈍さは、思えば不思議です。
    1人なら、さっと出発できます。
    でも、集団になると、「10分後に出発」と指示したところで、実際の出発はそのさらに5分後にできれば早いほうです。

    途中、派出所の登山ポストに登山届を投函し、さらに歩いていくと、稲村岩が大きく見えてきます。
    その左手に、そこから続く尾根も見えました。
    高いなあ。
    あんなところに1時間で行けるんだから、それも思えば不思議な気がします。

    登山口の看板から、裏の畑に下りていくような印象の石段を下ると、登山道の始まりです。
    まだ身体のバランスの悪い朝一番に歩くにしては細めの道で、沢を高まく崖っぷち道が苦手な私は、このコースの最初の緊張箇所です。
    水根沢の登山道ほど細くはないので、気をつけて歩けば大丈夫ですが。
    しっかりとした造りの已ノ戸橋を渡ると、登山道は稲村岩の基部をまわり込みながら登っていきます。
    登山道が崩落した箇所に桟道が作られ、その桟道も老朽化して、今は山側にまわり込んで歩くようになっていました。
    時の流れを感じます。
    さらに登っていくと、高校生が追いついてきました。
    「広くなったところで、抜かせてください」
    先頭を歩くリーダーがはきはきと声をかけてきました。

    已ノ戸沢。
    まず1つ目の木橋を渡り、岩をぬって沢の右岸を上っていきます。
    続いて、2つ目の木橋。
    沢の左岸に渡り返し、これも崩落した登山道をさらに山側に付け替えた道を歩いていきます。
    最後に3つ目の木橋。
    沢の右岸に戻ると、今までよりも平らで歩きやすい道が少しあり、その先、4つ目の木橋は渡りません。
    昔は、渡れそうな印象があり紛らわしかったのですが、今は苔蒸して渡れる気がしない木橋です。
    ここからジグザグの急登の始まりです。

    しばらく登っていくと、再び、高校生20人ほどの集団がやってきました。
    もう1パーティいたんですね。
    私が出発する頃、次のバスがバス停に入ってきていたので、そのバスに乗っていた人たちかもしれません。
    同じ高校の別パーティか、あるいは別の高校か。
    曲がり角のわずかなスペースで道を譲っていると、高校生の集団の先頭のほうの誰かが落石を起こしました。
    ジグザグ道で落石は、まずいです。
    幸い、登山道からそれて落ちていきましたが、後方を歩く顧問の先生らしい人が一喝。
    「落石したら、声を出せっ」
    ピタっと止まり、振り返るパーティの先頭の子たち。
    しかし、落石した子は、自分が落石した自覚がおそらくなかったのでしょう。
    何を怒られたのかよくわからないという様子でポカンとしています。
    わずかなスペースでちょっと無理をして道を譲っているため、右足のふくらはぎに変な負担のかかっている私。
    落石の注意は大切だが、今はさっさと追い抜いてくれるとありがたい気も・・・。
    その場で叱らないと理解できない年齢の子たちでもないし。
    後日、ミーティングで、たっぷり叱ってやってください・・・。
    いや、でも、落石の注意は人命に関わることだから本当に重要・・・。
    ただ、ふ、ふくらはぎが痛い・・・。

    そんなこんなで、高校生たちが通り過ぎていくと、あとは静かな山道でした。
    急登をいったん登り切って、稲村岩手前のコル。10:05。
    ここは狭いので、高校生たちはその上の木の根がややこしくからんでいるあたりのところで休憩していました。
    私は、岩の1つに座って、休憩。
    風の通りがよく、汗がすっとひいていきます。
    稲村岩では数年前に死亡事故があったので「稲村岩への不用意な立ち入りはやめましょう」といった掲示がありました。
    「不用意」という言葉の選択に感心しました。
    技術的にも精神的にも不用意な人は、稲村岩には行ってはいけない。

    さて、出発。
    木の根のややこしいところを上っていき、道はいったん緩やかになりますが、その先はまた急登の連続です。
    コースタイムで2時間10分の連続急登です。
    まだ桜が咲き残っていました。
    風が吹き、桜吹雪の中の急登。
    まだ淡いブナ新緑の中の急登。
    山の雰囲気は素晴らしいのですが、とにかく急登です。

    長い急登を上りきると、ブナの倒木のある少し平らなところに着きました。11:15。
    5年前の大雪で、おそらく雪崩に巻き込まれて倒れた巨木です。
    好きな木だったので、ここを目印にいつも休憩ポイントとしてきました。
    倒れてもなお、ここは大切な休憩ポイントです。

    急登はなおも続きます。
    はあ、暑い。
    坂に緩急がなく、とにかく急坂一辺倒なので、ここがどこなのかの把握もしにくく、あとどれくらいなのか目途が立たないので気持ちも疲れます。
    耐えて登っていくと、ヒルメシクイノタワ。12:05。
    アセビの花が沢山咲いていました。

    さあ、山頂まであと30分。
    ここからは道の記憶も明瞭で、精神的には楽になりました。
    傾斜の緩いところも多いです。
    最後に、木の根につかまりながら登るような急登を越えると、空が見えてきて、鷹ノ巣山山頂。
    この山も慰霊碑のような山頂標識が立っていました。12:40。

    空は雲に覆われ、大岳山すら霞んでいました。
    雨が降るかもしれません。
    ラジオに雑音は入っていないので、今のところは大丈夫でしょうが、早めに標高を下げたほうが良さそうです。
    昼食を取り、出発。13:00。

    まずは山頂直下の急な下り。
    道が乾いているので、まあまあ歩きやすくて助かりました。
    そこからは、広い石尾根の道です。
    まだこれから咲く桜がありました。
    枝先のつぼみがようやく開きかけています。

    足許には、マルバダケブキ。
    まだ背も低く、葉も小さい。
    昔、ここはお花畑だったそうですが、鹿の食害にあい、毒のあるマルバダケブキの巨大な葉ばかりが繁茂するようになりました。
    今は、それすら数が減ってきているそうです。
    鹿は、毒草まで食べるのですね。
    毒ではない部分を選んで食べるのか。
    毒に耐性がついたのか。
    鹿って凄い・・・。

    1か所急な下りはありますが、おおむね平坦な広い尾根道を歩いていくと、雨がぽつぽつと降ってきました。
    ラジオに雑音はないので、激しい雷雨に変わることはないだろうと思い、ザックにカバーだけかけて、先を急ぎます。
    道はやがてピークを巻くようになっていきました。
    そこから、急下降点。
    このコースでちょっと嫌だなと感じる箇所です。
    木につかまったり、重心を低くしたりして、用心して通過しました。
    下りきると細めの尾根歩きとなり、尾根が広くなっていくと、石尾根縦走路のまき道と合流。
    もう雨は止んでいましたが、遠雷が聞こえるようになりました。
    ラジオに雑音は入らないのに、微かな遠雷が長く長く鳴り続けます。
    このとき、山梨県では線路が冠水するほどのゲリラ豪雨が降っていたようです。
    中央線のダイヤが乱れ、あずさが30分遅れになるなどの影響が出たのを帰りの電車で知りました。
    山梨県というと遠いようですが、雲取山の向こうは山梨県。
    雲取山から続く石尾根で遠雷が聞こえたのも不思議はないのでしょう。

    とにかく、高度を下げよう。
    石尾根縦走路を道なりに左に曲がっていくと、やがてジグザグの下りとなりました。
    ショートカットの踏み跡が明瞭だったので、そちらを選び、いったん大きく下ります。
    一番低い地点にあるベンチ代わりの丸太に座って、ちょっと水分補給。
    そこから、六ツ石山分岐へと緩く登っていきました。
    右手の尾根がいったん切れて、その先に現れるのが六ツ石山の尾根。
    尾根の高さとだんだん差がなくなっていくと、分岐。14:30。

    今日は六ツ石山へ寄り道せず、先を急ぎます。
    少し段差もある道を行くと、ぱっと尾根が開けます。
    広い尾根の急な下りが始まりました。
    晴れている日なら、御前山の眺めが素晴らしい尾根ですが、遠雷が鳴っているときに広い尾根はただ怖い。
    一所懸命くだって樹林帯に入り、ほっと息をつきました。

    三ノ木戸の林道との分岐。15:00。
    道なりに歩いていくと、右側が崖の道から、左側が崖の道へと変わります。
    新緑の中を歩く、美しい道でした。
    もう雷の心配もなさそうで、安心して歩いていくことができました。
    しばらく行くと、登山道は深くえぐれた溝となり、泥がたまって歩けなくなっていました。
    その右手の林の中を行きます。
    木の根の作る段差をどんどん下っていくと、再び登山道と合流。
    秋や冬は落ち葉が深く積もって歩きにくいところですが、今は、落ち葉は踏み砕かれて粉々で歩きやすい道が続きました。
    緩やかな坂道をただただ同じ方向に下っていきます。
    石尾根の長さを実感します。
    植林帯となり、道が緩やかに右にカーブすると、下に登山道が見えてくるようになり、あともう少しだと励まされます。
    三ノ木戸の林道からの道との合流点。
    そこから一段下がって左に曲がります。
    さらに歩いていくと、桟道。16:05。
    桟道の直前に少し歩きにくい箇所もあります。
    桟道は隙間が広いので、一歩ずつ用心して通過しました。
    本日のコースでちょっと嫌だなと思う箇所は、これで全てクリア。

    崩れかけた小さな小屋の前を過ぎ、文字の消えてしまった道しるべのところを右に曲がります。
    あとは道なりにジグザグに下っていくと、林道がみえてきました。
    登山口。16:15。

    舗装された林道を下り、去年は見逃したショートカットコースを今回は下ることができました。
    いったん舗装道路に出て、またすぐにショートカット。
    羽黒三田神社を通って、林道と合流。
    最後のショートカットの階段を下りていくと、コンビニのすぐ横に出ます。
    橋を渡って、ビジターセンターの前から、もえぎの湯へ。17:05。
    ゴールデンウィーク翌週で、さらに天気もあまりよくなかったからか、もえぎの湯は空いていました。
    入館待ちもなく、すんなり入ることができ、脱衣所も洗い場も空いていました。
    本日は珍しく女湯が温泉のほうでした。
    露天から見る山の眺め、目の前の新緑の美しさ。
    汗を流して気持ちもさっぱり。
    奥多摩駅18:16発の電車も空いていました。

      


  • Posted by セギ at 14:09Comments(0)

    2019年05月10日

    高校英語。助動詞その1。基本の助動詞。


    今回は、助動詞の学習です。
    助動詞というと、まずは基本の助動詞の意味を覚えきれていないためのミスが多く出るところです。
    基本助動詞とは、can , may , should , must の4つです。
    この4つの助動詞の訳し方を1種類しか知らない、あるいは1種類しか覚えていないために、助動詞の問題を正答できなくなっている場合があります。
    自分の知らない用法が文法テキストの問題に載っているので何かモヤモヤするものの、何となく見過ごしてテストを受けてしまう・・・。
    英語が苦手な人は、そんな人が多いのではないでしょうか。
    中学で初めてその助動詞が出てきた段階で知識が固定され、その先に進んでいないようなのです。

    すなわち、
    can は「~できる」
    may は「~してもよい」
    should は「~するべきだ」
    must は「~しなければならない」

    その意味しか知らないし、それ以上は覚えられない・・・。

    こうしたことを避けるために、まずはその助動詞が持つ根本のニュアンスを理解しましょう。

    can のイメージは、「可能性」。
    その気があれば実行できる可能性がある。
    状況次第で起こる可能性がある。
    そういう可能性を意味するのが、この助動詞です。
    よって、訳し方は、
    「~できる」
    「~してもよい」
    「~でありうる」

    may のイメージは、「容認」。
    そうしてもしなくても構わないという容認。
    そうであってもなくてもおかしくないと思う容認。
    よって、訳し方は、
    「~してもよい」
    「~かもしれない」

    should のイメージは、「正当性」。
    そうであるのが当然だという正当性。
    それが正しいことだという正当性。
    よって、訳し方は、
    「~すべきだ」
    「~のはずだ」

    must のイメージは、「必然性」。
    そうでないとおかしいという必然性。
    そうに決まっているという必然性。
    よって、訳し方は、
    「~しなければならない」
    「~に違いない」

    このイメージの中で、訳し方は2系列があるとわかると、基本助動詞の意味はさらに把握しやすくなると思います。
    つまり、「許可・義務」系の流れと、「推量」系の流れです。

    「許可・義務」系の流れだけまとめると、
    can は、「~できる・~してもよい」
    may は、「~してもよい」
    shouldは、「~すべきだ」
    must は、「~しなければならない」

    「推量」系の流れだけまとめると、
    can は、「~でありうる」
    may は、「~かもしれない」
    should は、「~のはずだ」
    must は、「~に違いない」

    こうしてまとめると、それぞれの助動詞の意味が見えてくると思います。
    中学英語の知識で止まっている人は、上の「許可・義務」系の意味しか把握していないことが多いのです。
    下の「推量」系の意味もそれぞれの助動詞がもっているのだと認識すると、理解の幅が広がります。
    当然ですが、高校の定期テストや大学入試に多く出題されるのは、「推量」系の意味のほうです。
    テストに出るとわかっているところをみすみす見逃してしまう状況が、助動詞という単元でも起こりやすいのです。

    なぜ英語が苦手な人は、そういうことを見逃してしまうのでしょうか。
    どうやら、1つの単語には1つの意味しかない、という思い込みが原因のようです。
    それは、1つの日本語の単語には1つの英単語が必ず1対1で対応しているはずだという思い込みでもあります。
    だから、1つの英単語がいくつも意味を持っていることが理解できない。
    許せない。
    覚えない。
    そういう狭量な学習姿勢になってしまうことがあるようです。

    とにかく英語が嫌いで、英語を勉強しない口実を探したい。
    英語に難癖をつけたい。
    そういう意識が根底にあると、そうなってしまうのかもしれません。

    英語と日本語は2000年以上もの間、全く関係ない離れた土地でそれぞれ発達した言語です。
    文法も語法も異なります。
    単語の意味が1対1の対応であるはずがないのです。
    世界の全ての言語は日本語と同じ構造であるべきなのに、英語はそうじゃないから許せない。
    嫌いだ。
    そうした主観的な思い込みを捨てましょう。

    意識を変えましょう。
    英語の嫌なところを探している間は、得意にはなれないです。
    英語ができるようになりたいのなら、英語の嫌なところを探して難癖をつけることを自分に禁じましょう。


    助動詞は、これだけでは終わらず、覚えることがもっと沢山あります。
    でも、まずは基本助動詞4つの2系統の意味を把握するのが基本です。


    個々の助動詞の訳し方を覚えられない、という人がいます。
    その日本語の意味をあまり正確に理解できないというのです。
    「~しなければならない」と「~すべきだ」は、どちらが強制力が強いのか、わからない・・・。
    「~のはずだ」とか「~に違いない」とか、意味の違いがよくわからない・・・。

    そういうときは、意味の強弱で把握すると理解しやすいと思います。
    「許可・義務」系の意味では、should と must の間に had better という熟語の助動詞があります。
    must > had better > should
    という意味の強さの順を知っておくと目安となるでしょう。
    must は強い義務を表します。強制・命令的な意味があります。
    had better は、忠告を表しますが、命令的な感じを与える忠告です。「~したほうがいい」という訳が与えられているため、弱い印象がありますが、意味はかなり強く、目上の人に使うべきではないとされています。
    should は、当然そうするべきだという意味を表しますが、「正当性」というのは主観的なものなので、強制力はそれほどありません。

    20年くらい前からでしょうか、今もよくあるのですが、日本の英語教育は間違っている、現代英語はそんなふうではないといった内容の本が出版されるようになりました。
    「間違いだらけの学校英語」という内容の本です。
    同じ頃、日本にALTのネイティブ講師が、それまでと比べて急激に増え、日本の英語教育を多くの英語ネイティブの人が目撃するようにもなりました。
    そこで注目されたのが、had better と should の日本語訳は、現実の英語と逆なのではないかということでした。
    「~したほうがいい」と「~すべきだ」では、「~すべきだ」のほうが意味が強いが、英語では、had better のほうが意味が強い。
    日本の英語教育は間違っている、というのです。

    それを受けて、had better は「~すべきだ」、should は「~したほうがいい」と訳している文法テキストや、両方を併記しているテキストも一時期あったのですが、そうしない参考書や問題集も多くありました。
    大学の入試問題、特に過去問は、「~すべきだ」は should なのですから、そこをいじると受験生が混乱します。
    また、別の機会に書く予定ですが、「~すべきだったのに」という表現は、やはり should を用います。
    結局、無駄に混乱するだけなので、had better は「~したほうがいい」、 should は「~すべきだ」という訳のまま、しかし、had better のほうが意味は強いということを教えるという形で今は安定しています。

    日本の英語教育は、勿論、今も間違っているところがあるかもしれませんが、ネイティブの助言を受け入れて進化しています。
    ガラパゴス化したまま変な英語教育をしているわけではありせん。
    指摘されたことの妥当性を確認するのに多少時間がかかるというだけのことです。
    日本の英語教育は間違いだらけだ、といった内容の本にかぶれて、学校の英語の授業を軽視し勉強するのをやめるのは、リスクだけを自分が負うことになります。
    本を売るために先鋭的な口調で日本の英語教育を攻撃している本もあります。
    その本に書いてあることが本当に正しい保証はありません。
    気をつけて。

    明治時代の英語教育では、
    To be or not to be. That is the question.
    を、「あります。ありません。あれが質問です」と訳したという逸話があります。
    ハムレットは何に悩んでいるのか、これでは全くわからない・・・。
    その時代から考えれば、英語教育は進歩しました。
    ラジオ講座は、ネイティブ講師が日本語で授業をしてくれるものが増えました。
    映画を見れば、生きた英語がそこにあります。
    日本の英語教育はそんなに大きくズレているわけではありません。
    ズレたままでいられる世の中ではありません。
    安心して、学校英語を学びましょう。


      


  • Posted by セギ at 12:45Comments(0)英語

    2019年05月08日

    なぜ子どもは「速さ」の問題が苦手なのか。


    ラジオ講座と同様、好きなラジオ番組は録音して、家事などやりながら、あるいは寝る前に聴くことにしています。
    どうしても録音はたまりがちで、ひと月ほども後に番組を聴くことがあります。
    前にもこのブログで書いた、『%がわからない大学生』という本の著者がゲスト出演しているラジオ番組を昨日になって聴きました。

    日本の算数・数学教育がつまらない。
    その例として、ラジオ番組で語られた内容に、再び首を傾げてしまいました。

    「花子さんは、340円のお弁当を6個買いました。いくら払ったでしょうか」
    例えば、かけ算の文章題はこんなのばかりだからつまらないと、その著者は言うのです。
    代案としては、
    「稲妻が光った後、6秒経って雷の音が聞こえました。雷が落ちた場所は、ここから何m離れているでしょう?」
    という問題が良いというのです。

    ・・・いやいやいや。
    それ、音の速さの問題ですよね?
    その問題で、340×6という式の意味を理解でき、面白いと感じる子は、ほおっておいても数学や理科が好きです。
    数学嫌いな子は、何かのトラウマでもあるのかというくらいに「速さ」が苦手です。
    それに「音速」という物理の要素が加わると、ごく簡単なことも全く理解できない様子の子に何人も出会ってきました。

    「速さ」という単元は、小学校6年生で学習します。
    これといって難しい要素はないはずなのに、苦手な子は多いです。
    速さ×時間=みちのり
    という感覚的にもごく自然な式がわからない子もいます。
    実感がわかない。
    理解できない。
    自分は絶対に速さの問題は解くことができないという謎の主張をする子をなだめ、落ち着かせてようやく学習に入ることもあります。

    「速さ」という単元の難しさは、まず「速さ」の定義にあるのだと思います。
    学校や塾での最初の授業時に正確に定義されているはずなのですが、子どもは、多くの場合、そういうものは聞き流します。
    速さの定義がそれほど重要なものであることに気づかないのだと思います。
    言葉の意味を聞き流す学習習慣がついているのでしょう。
    必要なのは解き方を丸暗記することだけ。
    そういう学習姿勢が既に出来上がっているのかもしれません。

    「速さ」とは何か?
    目の前を何かビューンと動いていく物のスピードのこと。
    速いほど、ビューンというスピードが速い。
    ・・・実感としては、そんなふうではないでしょうか。
    そして、この実感が、「速さ×時間=みちのり」という公式の理解を阻む最初の壁です。

    ビューンというのは擬声語です。
    何かを表現しているようでも、これでは何も説明していません。
    スピードというのは「速さ」のことですから、英語で言い換えただけです。
    結果として、何も説明していないことになります。

    でも、速さは、実感としては確かにそういうことです。
    速いと遅いはどう違うのか?
    どうすれば、速さを比べられるか?
    どうすれば、速さを量的に表すことができるか?

    目の前をビューンと動いていくスピードそのものを表すことは、現実には不可能です。
    でも、同じ時間を与えられたら、速いものほど長い距離を移動します。
    そのことで、速さを量的に表すことができるでしょう。
    そこから生まれたのが速さの定義です。

    1時間で進む道のりを速さとして表したものが、時速。
    1分で進む道のりを速さとして表したものが、分速。
    1秒で進む道のりを速さとして表したものが、秒速。
    単位時間で進む道のりを、速さと定義しています。

    この定義をしっかり理解した子と理解していない子とで、その後の理解が大きく異なります。
    わかったような顔でふんふんとうなずいて見せても、「速さ」が後になるほどわからなくなる子は、この定義が理解できていないのです。
    速さに時間をかけるとなぜ道のりになるのか理解できないのは、速さの定義を理解していないからです。

    ここで恐ろしいのは、短期記憶能力の高い子ほど、その場では完全に理解したような顔をすることです。
    教わったときだけは完璧に公式を活用できます。
    しかし、言葉の定義や公式の意味は、すぐに忘れます。
    1週間後には、もう速さの定義を忘れています。
    公式だけは、必要だと思うからか覚えています。
    意味は本人の中で後退し、公式は、もはや単なる記号です。

    その繰り返しで、算数・数学は意味のわからないものになっていきます。
    そうした学習方法が後になるほどどれだけの困難を本人にもたらすか、本人には自覚がないので、注意して治るようなものではありません。

    中学生や高校生になってから、
    「数学は意味がわからない」
    と、急に本人が意味を重視した発言をすることがあります。
    しかし、小学生の頃、本人が意味を重視した学習をしていたのかどうかは疑問です。
    立ち止まって意味を理解しようとするより、公式を丸暗記して目の前の問題を解くほうが楽ですから。
    小学校の算数の頃に学習したことの意味が記憶の中で後退し、全てはただの作業手順となっている子が、中学や高校の数学の意味を理解しようとしても、それには多くの労力が必要となります。
    中学・高校の数学の意味を理解するための前提となる知識が本人の中にないのです。
    頭の中にあるのは、形骸化し記号化した公式と作業手順だけです。

    教え方をちょっと変えたくらいでこういうことが改まるとは思えません。
    意味を含んで全部を理解するのは、重いのです。
    学習内容を軽量化するには、公式や解法手順だけ丸暗記すること。
    本人がそのように無意識に判断し、全てを忘却しようとする脳の仕組みがそれを助けています。
    それで一見上手くいっているように見えることに楔を打ち込むのは、大変な作業です。

    しかし、楔は打ち込まなければなりません。
    解法手順だけ丸暗記して解いている子に、数学的な未来はありません。


    「速さ」に話を戻します。
    例えば、時速。
    時速は、1時間に進む道のりのことです。
    だから、時速4kmの人は、1時間に4km歩きます。
    では、2時間では、何km歩くことができるか?
    2時間は、1時間が2個分ですから、
    4×2=8 で、8kmです。
    速さ×時間=道のり
    この公式の意味は、そういうことです。

    15kmの道のりを、3時間で歩いたとします。
    この人の時速は?
    時速というのは、1時間で何km進んだか、です。
    15kmは、3時間の道のりなのだから、1時間あたりの道のりは、
    15÷3=5 で、
    時速5km。

    時間を求めるのも簡単ですね。
    時速3kmの人が、12km歩くのに何時間かかるか?
    時速3kmというのは、1時間で3kmということだから、12kmの中に3kmが何個分あるかと考えると、
    12÷3=4
    4時間です。

    速さ×時間=道のり
    道のり÷時間=速さ
    道のり÷速さ=時間

    この3つをまとめて「速さの3公式」と呼びます。
    全て意味を理解できる公式ですので、覚え方は本来必要ありません。
    意味から考えれば、当然そうなるものです。
    そういう点では、「速さ」は「割合」とは異なります。
    「割合」は式を変形しただけなので意味を実感できませんが、「速さ」は、常に意味を伴っています。

    だから、私は「は・じ・き」や「は・じ・み」の図は基本的には教えません。
    速さの問題は、文章題から意味を汲み取って正しい式を立てることが可能だからです。
    しかし、私が教えなくても「は・じ・き」の図を誰かから教わって使うようになる子が大半です。

    気持ちはわからないでもありません。
    上の3つの公式は意味から理解できる公式ですが、「単位量あたり」の問題など、それ以前の学習が未消化で終わっている子の場合、公式の意味がわからないことがあります。
    この単元はかけ算。
    この単元はわり算。
    そういう把握をしてきた子は、かけ算かわり算かを自分で判断しなければならない単元が苦手です。
    そもそも意味を考えて公式を利用したことがなく、意味から算数にアプローチをした経験がないのだと思います。
    理解するのではなく、覚えることが算数。
    そういう学習をずっと続けてきた子が、いきなり「速さ」だけは意味を理解するというのは、困難を伴うことだと思います。


    速さを本当に理解しているかどうかは、問題のレベルを少し上げると露呈します。

    問題 時速4kmで歩く人が、30分歩きました。何m歩きましたか。

    4×30=120
    答え 120m

    速さの本質を理解していない子は、こういった誤答をしがちです。
    そして、公式通りに式を立てたのに正解できなかったことで混乱し、「速さ」という単元にトラウマを抱き、「速さ」と聞いただけで嫌な顔をするようになっていきます。

    意味から考えるならば、時速4kmの人、とは1時間で4km歩く人のことです。
    4×30 という式では、30時間歩いた道のりが出てしまうと気づきます。
    30分というのは、1時間の半分なのだから、進む道のりも半分になるでしょう。
    それは、30分=1/2時間ということでもあります。
    4×1/2=2
    この2は2kmということだから、mに単位を直して、答えは、2000m。
    意味を考えれば、このように楽に解いていけます。

    しかし、意味を考えず、全てが公式と作業手順だけになっている子にとって、単位換算は作業手順として複雑で厄介です。
    単位換算の1つ1つに実感はなく、作業手順として暗記しようとしているので、覚えきれないのです。
    分を時間に直すとき、60倍するのだったか、1/60にするのだったか、すぐわからなくなってしまいます。
    長さの単位換算をただの丸暗記をしている子は、1km=100m としがちです。
    1kmに対して、100mに対して、何も実感がないのだと思います。
    あるいは、それぞれの距離感は実感しているのだとしても、それを算数と結びつける発想がないのかもしれません。
    算数は、とにかく公式と手順を丸暗記するものと思い込んでいるのでしょう。

    こんなに簡単な問題を、なぜこんなに大変そうに解いているのだろう・・・?
    そう感じるとき、この子は意味を理解していない、作業手順で解いているのだと透けて見えてきます。
    「速さ」だけ理解させようとしても、そう簡単にいかないのです。


    6年生で「速さ」を学習した後、現行のカリキュラムでは中学1年の理科で「音」について学びます。
    「音」や「光」は、中学1年で学習するのは無理なのではないかと感じるほど、苦手な子が多い単元です。
    中学3年になって、高校受験のために復習しても、中1の他の分野ほどには理解が進まないことが多いです。
    ともあれ、中1以降は、理科で既に学習済みということで、数学でも音に関する文章題がたまに出題されることがあります。
    そして、ほとんどの生徒が、補助しなければその問題を解けません。
    「音の速さを秒速340mとして求めなさい」
    というように、解き方の何もかもが問題文の中に書いてあるのに正答率が低い。
    それが音の速さに関する問題です。
    速さだけでも苦手なのに、さらに嫌いな理科の要素が加わったら、もう解ける気がしない・・・。
    そういう子が多いのです。

    現実に雷が鳴ったときに、雷と自分との距離の求め方がわかる。
    だから、こういう問題なら興味をもって生き生きと学習できるだろう・・・。
    『%がわからない大学生』の著者のそうした狙いはわかるのですが、そのような安易な理想を全て踏みつぶしていくのが現実の子どもたちです。
    雷と自分との距離なんて、現実の子どもたちは「興味ない」で終わりにします。
    もう恐ろしいくらいに全てのことに「興味ない」なんです。
    勉強に関わることは全部「興味ない」のかもしれません。
    そもそも勉強が嫌いなので、勉強に興味をもたせようと大人が仕向けてくる気配を感じると、早めにシャットアウトするのかもしれません。

    そういう現実の子どもたちに拒否され、安易な理想は簡単に潰されて。
    現実の数学教育は、しかし、そこから始まります。
    地獄絵図のような思い出もあれば、宝石のような思い出もあります。
    算数・数学を長く教えてきて、振り返った感想はそういうものです。
    なかなか理想通りにはいかないけれど、思いもしなかった成果もありました。

    ただ、こういう著者の勘違いはわからないでもないのです。
    この人、大学教授なのだそうです。
    数学教員になりたい教育学部の学生に教えているようです。
    現実にうといのは、そういう立場だからかもしれません。
    毎日子どもたちに算数・数学を教えている立場の人ではないのです。

    学校の学習内容を扱う民放のテレビ番組などもそうです。
    生徒役の若い女性タレントなどが、
    「わかりやすーい。学校でも、こうやって教えてくれたら授業を聞いたのにー」
    といった感想を口にすることがあります。
    番組的にはそれで良いわけですが、あの女性タレントは、収録が終わったら番組の内容はほとんど覚えていないのではないかと思います。
    わかりやすーい。
    理解できた気がするー。
    しかし、それはそれだけのこと。
    右の耳から左の耳へと通り抜けていき、記憶には残りません。

    その教授は、子どもたちに実際に授業をすることもあるのかもしれません。
    そんなときの子どもたちの反応もそういうものではないのでしょうか。
    大学の先生が、自分たちに授業をしてくれる。
    普段とは違う、その特別な雰囲気。
    そんなときには、
    「わかりやすーい」
    「面白ーい」
    「はじめて算数がわかったー」
    子どもは、そういう感想を口にすると思います。

    私も、そういう子どもの称賛を受けることがあります。
    「わかりやすーい」
    「学校の先生もこうやって教えてくれればいいのにー」
    そのように褒めてくれる生徒は昔も今もいます。
    若い頃は、そういう称賛に自惚れたこともありました。

    でも、今は、そういう褒め言葉は聞き流すことにしています。
    「わかりやすーい」
    と言った子は、翌週にはその内容を覚えていないかもしれません。
    「学校もこうやって教えてくれればいいのにー」
    と褒めてくれたところで、その考え方を利用した問題を解けるとは限りません。

    私は何のために存在するのか?
    わかりやすいけれど子どもの耳を素通りしていく授業ではダメなのです。
    「わかりやすーい」だけではダメ。
    理解したら、その理論を利用する問題を自力で解いて正答する。
    それが本当に理解したということです。
    そこに至れない子がいくら褒めてくれても、それではダメだと思っています。
    褒めてくれるその気持ちを大切にしたいからこそ、その子が本当に算数・数学の問題を解けるようにしたいのです。

    「花子さんは、340円の弁当を6個買いました。いくら支払ったでしょうか」

    旧態依然としたこの問題は、確かに面白くないかもしれません。
    けれど、かけ算の概念を子どもが最も理解しやすいのは、こうした値段に関する問題です。
    340円の弁当を6個。
    それなら、340×6だ。
    この式は、多くの子が自力で立てられます。
    面白いかどうかよりも、自分が理解できて正答できることのほうが、子どもにとってはどれほど嬉しいことか。
    花子さんには、永遠に弁当を買わせてやってほしい。
    私は、そう思います。

    そのラジオ番組で面白かったのは、数学が大嫌いな番組のパーソナリティーが、子どもの頃の思い出を語った部分でした。
    わり算を勉強したときに、先生が、8÷2を教えるのに、
    「8の中に2は大体いくつあるでしょう」
    という教え方をしたのにつまずいたというのです。
    算数に「大体」はありえないと思い、そこからわり算がわからなくなった、という話でした。
    それに対して、その教授は、
    「わり算というのは難しいですからね」
    などと言葉を濁して済ませていました。
    学校の先生がうっかり使った「大体いくつ」という言葉でつまずく子どもがいる・・・。
    そのことの恐ろしさに、もっとビンと反応しても良かったのではないかと思います。
    その番組の中で、最も聴く価値があったのは、その部分でした。

    しかし、本当にそんなたった一言でつまずくものでしょうか。
    「大体」という言葉につまずくのは、それ以前に算数に対する苦手意識や嫌悪感があったからではないかと思うのです。
    もともと、算数・数学に対して良い感情を持っていなかったのではないか?
    否定するための理由を無意識にずっと探していたのではないか?
    だから、その一言に飛びついたのではないか?
    理由さえ見つければ、算数が嫌いな自分を肯定できる・・・。

    子どもは、ありとあらゆる理由を見つけて、算数を嫌います。
    幼く判断力不足な子どもは、安易に算数・数学を嫌い、理解することよりも解き方を暗記することを選びます。
    理解しなさい、考えなさい、と言われることをひどく嫌います。
    学習の軽量化・スリム化には、丸暗記が有効。
    深い理解は脳の容量をやたらと喰うだけ。
    無意識に、そのような判断をしているようです。

    しかし、そうやって意味を失い形骸化した公式や作業手順の集積の上に、高校数学の知識は乗りません。
    高校生になると数学が全くわからなくなるのは、そのためです。
    数学がわからないことは、進路を決める上で大きく影響します。
    そのリスクを、幼い子どもは知りません。
    自分の将来を自分が狭めていることを、知りません。

    大人の責任は重い。
    そのことに関しては、その教授の言いたいことはわかります。
    頑張らなければ。
    そう思います。

      


  • Posted by セギ at 14:24Comments(0)算数・数学

    2019年05月05日

    相模湖与瀬神社から奥高尾を歩き、雷雨にあいました。2019年5月。


    2019年5月4日(土)、奥高尾を歩きました。
    三鷹駅に行ってみると、いつもの7:47発の中央特快高尾行きがありません。(''_'')
    ゴールデンウィーク期間は、臨時の「あずさ」か「かいじ」のために、この中央特快が間引きされたのでしょうか。
    ショックを受けつつ、次の中央快速に乗車。
    ベストな接続の中央本線には乗れず、1本後の8:45高尾発の中央本線に乗りました。
    相模湖駅着8:53。

    支度をして、出発。9:00。
    これまでは甲州街道に出て歩道を歩いていたのですが、どうやら1本線路側に歩いていける道があるようなので、今回はその道を模索しました。
    駅前の階段を下りて、甲州街道には出ず、すぐに右へ。
    公民館の前を過ぎると、道はさらに線路のフェンス脇へと曲がっていきました。
    袋小路じゃないよね?とおそるおそる覗き込むと、線路脇に細い道がどこまでも続いているのでした。
    途中、古い歩道橋で線路を渡っていく登山者の姿が見れました。
    そのコースからも与瀬神社に行けるようです。
    私はもう少し直進。
    前回、「あれ?こんなところに階段がある?」と気づいた階段から、中央自動車道を渡ることができました。
    上の写真は、中央自動車道の真上の階段踊り場で撮影したものです。
    山も空もすっかり初夏の気配ですね。

    与瀬神社の苔蒸した急な石段も嫌いではないのですが、今日は石段の右手にある緩やかなスロープのコースをとりました。
    苦もなく、与瀬神社。
    石段を上っていた若い登山者たちが、なぜかそこでたまってキョロキョロしています。
    あ、登山口がわからないんだ。
    道しるべの位置がちょっと奥まっていて、わかりづらいんですね。
    神社に向かって左に歩いていくと、道しるべがあり、すぐに登山口。
    振り返ると、若い子たちは皆、後ろをついてきていました。
    朝から急登なので、若い子たちに道を譲り、ゆっくり登っていきました。

    展望台。9:30。
    ベンチとテーブルがあり、相模湖を見晴らすことができます。
    座って休憩。

    ここからさらに道は急な木段が続きます。
    登山道にずり落ちてきたように斜めに生えている大木の右手を強引にまわり込んで、登っていきました。
    朝一番の急な箇所を越えると、道はほぼ水平になりました。
    キイチゴの白い花が登山道の両側に咲き乱れています。
    これは、クサイチゴでしょうか。
    キイチゴ類の識別ができないので、よくわかりません。
    ニガイチゴ・モミジイチゴ・クサイチゴ・・・。
    モミジイチゴだけは、葉の形で何とかわかります。
    ゴールデンウィークに奥高尾を歩くのは初めてですが、花盛りで気持ちのよい道でした。

    道が広くなり、緩い上り坂になりました。
    右手に、林道でも作ろうとしたのか幅広い道のようなものがあり、しかし、そのまま放置されているようでした。
    去年の9月に歩いたときも気になったのですが、これは何だろう?
    ほどなく、大平小屋跡。10:35。
    何年も前、初めてこのコースを歩いたときは、まだ売店のように見えなくもなかった建物も、今は屋根があるだけです。
    その代わり、ベンチがいくつも整備され、気持ちのよい休憩適地です。

    ここからは短いジクザグ道の急坂が始まりました。
    その先、また道は平らになり、以後、少し急な道と平らな道が繰り返されます。
    林道を横切り、石投げ地蔵尊のこんもり積もった石を右手に見て、しばらく行くと、木段が始まりました。
    最初の木段は短く、また平坦な道。
    次の木段も短く、また平坦な道。
    そして、最後の木段は長く、一気に明王峠へと登っていきます。
    夏に歩くときつい道ですが、今日は木陰は案外涼しく、淡々と登っていくとあっけなく明王峠に着きました。11:20。
    ここまで、後ろから来る人はほとんどなく、木段を上る頃になってすれ違う人が何組か現れる静かな登山道でした。
    ゴールデンウィークの奥高尾でも、道を選べばこんなに静かな山歩きが楽しめるんですね。

    明王峠は、奥高尾縦走路を行く人たちで大賑わいでした。
    さあ、いよいよメインストリート。
    混雑は予想通りですが、道が広いのでさほどストレスはありませんでした。
    この時期は新緑が美しいので、まき道よりも尾根歩きが楽しみです。
    高尾方面に歩いていく左側、北斜面の雑木林の新緑の美しさ。
    5月の明るい日差しにきらきら光っていました。

    景信山。12:35。
    展望の良いベンチは満席でした。
    富士山が見えるほうのベンチは空いていました。
    新緑を眺められるベンチなので、富士山は雲の中でも、やはり特等席です。
    昼食。

    さて出発。13:05。
    小型ラジオをつけると、ザザッと雑音が入りました。
    おかしい。
    奥高尾縦走路の尾根で、こんなに電波状態が悪いわけがないのです。
    ラジオの調子が悪いのかな?
    それとも、・・・雷?
    小仏峠まで下りていく間も、断続的に謎の雑音は入り続けました。

    小仏峠。
    地図を売っています。
    1万2500分の1の、高尾山登山詳細図です。
    実際に歩いて確認し、登山道以外の歩ける道も記載されている地図です。
    見る度に気になっていたものの結局買いそびれているうちに、今年2月に新版が出たとのこと。
    今回、ついに購入しました。

    そんなこんなで、少し時間がかかったのと、まき道の花を見たかったので、小仏城山は巻きました。

    日影沢林道の頂上点。13:50。
    花の写真を撮った後にふと見上げると、明らかに雲の様子がおかしいのです。
    黒い雲が西から迫ってきています。
    ラジオに雑音。
    ここで、初めて、微かな遠雷を聞きました。

    同じようにまき道を歩いてきた人たちは、何も聞こえなかったように高尾へと進んでいきます。
    ちょっと棒立ちになって考えた後、日影沢林道を下山することに決めました。
    遠雷は徐々に確かなものになっていきました。
    ラジオに雑音が入って、1、2、3秒後に雷鳴。
    まだ遠い。
    まだ雨も降っていない。
    雲は西に流れ、日影林道はギリギリ逸れていくようにも見えます。
    このまま、降られずに逃げ切れるかな?

    日影林道の上部は舗装された歩きやすい道です。
    林道を閉じている扉の脇をすり抜け、さらにどんどん下っていくと、ぽつぽつと雨が降り始めました。
    ついに雨です。
    急いで折り畳み傘を出し、ザックにカバーをかけました。
    今日の天気予報は、上空の大気が不安定。
    局地的に雨の可能性あり。
    でも、この時期、雨具は暑いし、奥高尾の登山道は広いから、雨具よりも傘でしょう。
    そう思って持ってきた傘が役に立ちました。
    高い山や尾根での使用は危険ですが、低山の林道歩きに便利な超軽量折り畳み傘が山の道具屋さんで売られています。
    それよりは重くなる、まあまあ軽量な廉価版なら、衣料品店にもあります。

    雨はしとしとと本降りに。
    ついに稲妻が空に走りました。
    雲に覆われた空が一瞬全体に光ります。

    尾根にいる人たちは、大丈夫でしょうか。
    今日は山慣れない観光客も多いでしょう。
    雨具の準備のない人もいそうです。
    レジャーシートをかぶれば大丈夫かな。
    雨よりも稲妻や雷の音のほうが怖いと思います。

    日影沢林道のてっぺんで棒立ちになったとき、実は、そういう尾根の様子を見たいとチラと思ったのです。
    私は傘もツエルトも持っているし、登山道を把握しているから何とでもなる。

    ・・・いや、そういうのは本当にダメ。
    台風の日にわざわざ危険な場所に行って写真を撮っている人と同じでしょう。
    危険を察知したら、1秒でも早く行動。
    でも、城山直下のまき道を歩いていたとき「雷が来ますよ」と周囲の登山者に声をかける勇気はありませんでした・・・。
    来ますよ来ますよと言って来なかったら恥ずかしいし迷惑をかけるという気持ちのほうが強かったです。

    稲妻で時おり空が光りますが、雨はしとしと降るのみで、日影沢林道は穏やかでした。
    雷雲の中心は高尾山は逸れている様子で、稲妻と雷鳴の差が2秒ほどの状態を維持しています。
    林道の砂利道を歩いていくと、前を行く人たちに追いつきました。
    どの人も、傘を差していたり、しっかりとした山用の雨具を着ていたり。
    危険を察して早めに下山する人は、もともとの備えも良い人なのでしょう。

    雷の直撃はなかったので、奥高尾の尾根でもそんなにひどいことは起こらなかったと思います。
    ただ、雷の影響で、一時的にケーブルカーとリフトが運休になったとか。
    最大2時間待ちの行列ができたそうです。
    雨がその後も降り続ける中、登山者の大半が大混雑の1号路をのろのろ下った様子を想像すると、それを避けられて良かったと思います。

    日影沢登山口。14:50。
    道路を右にしばらくいくとバス停があり、10人ほどの行列ができていました。
    次のバスは15:03。
    そんなに悪くないタイミングです。
    やってきた3台のバスは、立っている人が少しいる程度の混雑で、身動きできないような不快感はありませんでした。
    始発の小仏バス停は、景信山から下山してくる人の乗るバス停。
    景信山からでは時間がかかるので、雨が降った直後にすぐに下山者が増えることはなく、まだ混雑しなかったようです。
    バスは出発。
    途中、小仏行きのバスと何台もすれ違いました。
    臨時増発便が出ている様子です。
    この雨で日影林道を降りてくる人が普段より多くなるからという判断でしょうか。

    高尾駅に着くと、雨はぽつぽつと降っている程度で、もう傘も差さずに済みました。
    空いている電車の中で身支度を整え、ようやくスマートフォンを見て、驚きました。
    高尾山よりも、府中や国分寺で雹が降ったり豪雨になったりと、とんでもないことになっていたのですね。
    高尾山で雹が降ったら、恐ろしいことだった・・・。
    運が良かったと思います。

      


  • Posted by セギ at 14:26Comments(0)

    2019年05月02日

    高校英語。受動態その3。受動態の疑問文。


    受動態の問題で失点が多いのは、まず、byを使わない受動態です。
    しかし、それは覚えれば大丈夫な問題です。
    be caught in a shower にわか雨にあう
    などの具体例を熟語として覚えてしまえば、失点原因はむしろ得点源に変わります。
    とりあえず、学校で使用している文法テキストに載っているものを全て覚えるようにすれば、定期テストは大丈夫です。

    それが覚えられないんだ、だから困っているんだという人もいるかと思います。
    覚え方としては、前置詞を隠したり、日本語だけを見たりして、繰り返し自分にテストをすることが最善です。
    暗記が苦手な人は、自分にテストをしない人が多いのです。
    自分にテストした結果、出来が悪いと、ひどく気が滅入ってしまうらしいのです。

    自分で自分にテストしているだけですから、最初は5割程度の正答率でも構わないのに、それに耐えられないようです。
    「暗記ができない自分」ということを直視できないのかもしれません。
    それだけ劣等感が強い、自己否定の感情が強いということなのかと推測すると、あまり強いことは言えないのですが、でも、それは違いますよね。
    繰り返し自分にテストし、出来るようになって、本番のテストに臨めば、高い得点が取れるのです。
    一度で覚えられないのは当たり前なのに、一度で覚えられない自分にすぐ傷ついてしまうのは、それは違います。
    自分にテストできず、他人からテストされて、練習不足で出来が悪く、ますます劣等感が強くなる・・・。
    その繰り返しで、さらにテストが苦手になってしまうのは、残念です。

    覚えるべきことは早めに覚えてしまいましょう。
    その後、練習問題は、一覧表を見ずに解きます。
    間違っていたら、また覚え直します。
    その繰り返しで、暗記事項は身につきます。

    暗記が比較的得意な人の中には、覚えるべきことをテスト直前までほおっておく人もいます。
    テスト前日に覚えるからいいや、と思うようです。
    たとえそれが上手くいくとしても、それらは全て短期記憶となります。
    テストが終わればすぐに忘れます。
    しかし、byを使わない受動態などの知識は、以後もずっと使い続けるものです。
    長期記憶にとどめておかないと、他の文法事項の英作文や課題作文を書く際に影響します。
    長期記憶にとどめたいなら、テキストに出てきたらすぐ暗記し反復し、練習ができるだけ長期に渡るように工夫しましょう。
    忘れたら覚える、その繰り返しで長期記憶になります。
    それは無駄なことではないのですが、暗記ものは前日にやらなければ損だと思っている人は、多いです。
    それは、勉強ができなくなるように自分を誘導してしまうやり方です。

    英語に限らず、数学でも、高校1年生まではギリギリ何とかなっていたのに、高校2年になった途端に手も足も出ない、まるで歯が立たないという状態に追い込まれる人は、案外多いのです。
    短期記憶で全部済ませてきたツケが高校2年で一気に表れます。

    コミュニケーション英語は教科書の本文が急に難しくなったように感じて、自力で読めなくなります。
    高1で学習した単語や熟語、文法事項を覚えていないのが原因なのですが、本人にとっては不意打ちと思えるほど、高1と高2で教科書の英文のレベルに差があると感じるようです。
    当然ですが、高3のリーディングは、もっと各段に難しくなります。

    英語表現は、高校1年でひと通りの文法事項を終えてしまう学校の場合は、高2からは総合演習に入ります。
    実は単なる復習なのですが、何も覚えていない人にとっては、急に授業スピードが速くなり、難しくなったと感じるようです。
    1つ1つの知識を身につけていなかったことが、ここで大きく影響します。

    高校1年までに学習した内容が身についていることが前提の演習を、短期記憶でやり過ごしてしまって頭の中に何も残っていない人がやらなければならない。
    ついていけなくなるのが当たり前です。
    高校2年でそのことに気づいても、遅い。
    どうか高1から、短期記憶で処理する学習習慣を改めてください。
    後悔しないために。


    前置きが長くなりました。
    本日のメインは、暗記ものの話ではなく、疑問文の受動態。
    例えば、こんな問題です。

    問題 以下の文を受動態にせよ。
    Who turned on the radio ?

    結論から言えば、こういう問題は、丸暗記で解くのは難しいタイプの問題です。
    何通りもバリエーションがありますから。
    こういう問題は、理屈で理解することで応用が効くようになります。
    理屈とは何か?
    文法です。
    S・V・O・Cの分析が、この問題に正解する近道です。

    上の文は、能動態の文です。
    who が主語S。
    turned on が動詞V。
    the radio が目的語Oです。

    冒頭の who は能動態では主語なのですから、受動態では by ~「~によって」という修飾語Mに転換されます。
    しかし、いずれにせよ疑問詞は先頭に置くものですから、とりあえず、書き出しは who で良いでしょう。
    疑問文なのですから、その後ろ、主語よりも前に何か1語書きますね。
    受動態は、be動詞を主語の前に置くことで疑問文となります。
    新しい主語は the radio 。
    時制は過去形。
    ではbe動詞は、was が適切でしょう。
    Who was the radio
    ここまで作れました。
    この後は、過去分詞。規則動詞ですから、ed をつければ良いですね。
    Who was the radio turned on
    これで完成でしょうか?
    いいえ。
    繰り返しますが、冒頭の who は、主語ではありません。
    by ~「~によって」というものが、疑問詞なので先頭に来ているだけです。
    では、by が必要ですね。
    よって正解は、
    Who was the radio turned on by ?
    となります。

    書き言葉としては、冒頭の who が主語ではないことを明確にしたほうが読みやすいので、
    Whom was the radio turned on by ?
    あるいは、
    By whom was the radio turned on ?
    という解答もあります。
    堅苦しい言い回しにはなりますが、文の構造が明確であることは、書き言葉としては意味が取りやすい文です。
    話し言葉としても、先頭で By whom と言ってしまうほうが疑問の中心が何であるかを相手に伝えることができるので、論理的な話をしているときなら好まれます。


    疑問文の受動態は、以上のように能動態のSVOを分析すると正確に作っていくことができます。
    感覚に頼り、英語の語順は大体こんなものだろうと、自分のセンス任せで書いていく愚は避けたいものです。
    日本生まれの日本育ちの日本人。
    学校の授業と自分で勉強している時間しか英語に触れていない。
    それで英語センス、英語の感覚を養うのは無理です。
    理屈で並べましょう。
    初学者の味方は、感覚ではなく、文法です。


    問題 次の文を受動態にせよ。
    Who did they elect mayer ?

    この能動態の文の主語は who ではありません。
    主語が who である疑問文は、肯定文と同じ語順になります。
    疑問文を作るための助動詞 did を使う必要がありません。
    Who elected mayer ? となります。
    上の文は、これとは違います。
    では、上の文の who は何なのか?
    これは、目的語Oです。
    仮にこの who を Bob として、能動態の肯定文に直してみると、
    They elected Bob mayer.
    ボブは市長に選ばれた。
    という文になります。
    SVOCの文です。
    その Bob がわからず誰なのかを訊いている文なので、文頭に who があり、疑問文の語順の通りに続いているのが、問題文です。
    Who did they elect mayer ?
    who は目的語O。
    they が主語S。
    elect が動詞V。
    mayer が補語C。
    ちなみに、こうしたときの mayer は、役職・機能なので、冠詞をつけません。

    さて、これを受動態に直すのですから、主語は who です。
    受動態としては、主語が疑問詞の疑問文となります。
    主語が疑問詞の疑問文は肯定文の語順です。
    Who was ellected mayer ?
    これが正解です。
    この場合、by them は必要ありません。
    この they は「一般の人々の they 」と呼ばれるものです。
    誰か特定の「彼ら」を示すものではありません。
    そういうものは、受動態では省略されます。

    「一般の人々の they 」は、昔なら、『ガンダーラ』を歌えば一度で理解してもらえました。
    They say it was in India.
    この they が、それですね。
    今は、『ガンダーラ』という歌を知る子が少ないので、これで説明しても伝わりません。
    誰もが知っている現代のヒット曲でこの they を含むものがあると良いのですが。


    疑問文を受動態にするには、SVOCの分析が必要。
    文法知識はこのように互いに連動しています。
    5文型の分析なんて何の必要があるの?
    そう思っていた人は、今後はさらにSVOCの分析が活きてきますので、復習してください。
    SVOCを分析する力は、全ての文法の理解につながります。
    もっとも大切なことであるのに、「それだけは嫌だ」と避けたがる人が多数出るところでもあります。
    このブログも、文法的な分析のところは、飛ばし読みしてしまう・・・。
    気持ちはわかりますが、文法的なことが嫌いなのに文法問題で正答したいというのは、矛盾しています。
    ここは、頑張りどころです。

      


  • Posted by セギ at 12:34Comments(0)英語

    2019年04月29日

    川苔山を歩きました。2019年4月。


    2019年4月28日(日)、久しぶりに川苔山を歩きました。
    アラームをかけた時間よりも早く目が覚めたので、そのまま早めに出発し、ホリデー快速おくたま1号よりも1本早く、8:13に奥多摩駅に到着しました。
    おかげで、いつもは長すぎる行列に諦める奥多摩駅のトイレに入ることができました。
    バスは、臨時増発便「川乗橋」行きに座っていくことができました。
    ホリデー快速が到着し、駅前が人でごった返し、バスを待つ人の行列が蛇行して道路にはみ出す中、バスは何とか出発。

    「川乗橋」到着。8:45。
    バス停の前に林道入口があります。
    支度をして歩きだしました。

    まずは川苔谷に沿った舗装された林道歩きが長く続きます。
    山桜がまだ咲き残り、新緑が光り輝き、林道歩きの退屈さをあまり感じることなく、細倉橋。9:30。
    ここから登山道です。
    沢を高まく登山道は、道幅はそこそこあり、小さな滝や、沢にかかる木橋が見える良いポイントがあるのですが、登山者の行列が延々と続き、立ち止まって写真を撮るのはちょっと難しい状況でした。
    しかも、行列は渋滞ではなく、流れが速いのです。
    あまり傾斜がないので歩きやすいからでしょうか。
    朝、駅へと急ぐ勤め人のようなスピードです。
    流れを止めるわけにもいかず、ひたすらたったか歩きました。

    昔の記憶よりも木橋や桟道が少なくなった気がします。
    5年前の大雪で登山道が崩れ、橋も落ちたと聞きました。
    それ以降、このコースは歩いていません。
    その後、登山道が付け替えられたのかもしれません。
    登山道はいったん沢と合流。
    河原で休憩している人が多く見られました。
    この場所に、見覚えがあるような、ないような。
    大雪の前にも橋が落ちている箇所が1つあったのですが、ここは、そこかな?
    今は木橋がかかっています。

    だんだん登山道は詰まり気味になり、滝が近いのを感じます。
    滝は、山頂を目指す登山道からは少し外れます。
    上りの人と下りの人と順番に譲り合って、ロープを頼りに急な階段を下りると、百尋ノ滝。10:15。
    落差20メートルのこの滝は、しぶきがかかるほど真下まで行くことができました。
    上からストンと落ちてくる滝を滝壺から見上げることができます。
    マイナスイオンをたっぷり浴びて休憩しました。

    滝から、先ほどの急な木段を登り返すと、ここからは登山道の様子が大きく変わり、岩がちな急登が始まりました。
    すると、今度は行列のスピードが遅い。
    急登だから遅くなるというよりも、バテている人が多いような気がします。
    朝から急ぎ過ぎて、力尽きてしまったのかもしれません。

    急登は20分ほどで終わり、また尾根を巻く平らな道が始まりました。
    この辺りで人がばらけてきて、前後に人のいない時間もあるようになりました。
    崖っぷち道とはいえ道幅はあるので、楽しく歩いていくと、また少し急登。
    それを繰り返し、やがて少し下りになると火打石谷。11:00。
    夏に歩くと枯れているときもある細い沢で、休憩適地です。
    凍らせてきたゼリー飲料がほどよく融けていました。
    頬に当てるとヒンヤリと気持ちいい。
    よく晴れていますが、立ち止まると涼しい風を感じます。

    まだ、まるで別の山のように見えている川苔山へと、ここから登っていきます。
    ほどなく分岐。
    道しるべはどちらも川苔山を示しています。
    右の足毛岩の肩を経由する道は、少し遠回り。
    左の道を選びました。
    古い苔蒸した石垣がところどころに残っています。
    去年の今頃歩いた水根沢林道の石垣と同じ造りだなあと思いながら、谷筋を歩いていきました。
    道幅も広く、安定した楽しい道が続きます。
    やがて、再び急登が始まりました。
    いよいよ川苔山の尾根へと登っていきます。

    登り詰めると、茶屋跡。
    他の尾根道との合流点です。
    今は、ベンチがあるのみで、跡地の気配も残っていません。
    ここから、山頂への最後の登りを頑張って、川苔山山頂。12:05。
    雲取山その他とお揃いの、慰霊碑のような山頂標識が立っていました。

    前日の雨で空は澄んで、樹間からは南アルプスもくっきりと見えました。
    富士山も、はっきり。
    今年の富士山は、まだ雪が多いですね。

    レジャーシートを敷いて、お昼ご飯はカレーヌードル。
    何とか喉を通りましたが、やはり多少持て余し、食べ終わるのに時間がかかりました。
    私も少しバテたかなあ。

    さて、下りは、鳩ノ巣駅へと降りていく道を選びました。
    茶屋跡まで戻り、まずは急な下りがしばらく続きます。
    さらに、細いトラバース道。
    また急な下り。
    歩きにくいのはそこまでで、あとは穏やかな道が続くコースです。
    でも、以前と比べて石がゴロゴロしていました。
    大雪や台風の影響なのかもしれません。
    幅広の尾根の下りの箇所も、石がやたらとゴロゴロ。
    段差の多少あるところを過ぎると石はなくなり、長いけれど歩きやすい道が延々と続きました。
    左下に舗装された林道が見えてきて、階段を降りると、大根ノ山ノ神。14:15。
    木陰のベンチで休憩。

    そこから、また石がゴロゴロしている道を下っていきます。
    右手にフェンスが見えてきて、分岐。
    どちらからでも鳩ノ巣駅に着きますが、直進コースは少し遠回りです。
    左に曲がり、歩きやすい緩い下り道をたったか行くと、登山口。
    ここから舗装道路です。
    少し下ると右手にトイレもあります。
    舗装道路をどんどん下り、踏切を渡ってすぐ左に曲がると鳩ノ巣駅。14:50。
    次の上り電車は15:13。
    ホームのベンチで、身支度をし山を眺めているうちに、電車が入ってきました。

      


  • Posted by セギ at 14:36Comments(0)

    2019年04月26日

    割合を理解できない子どもたちと「く・も・わ」の図。


    『%がわからない大学生』といったタイトルの本が出版されたようで、そのプロモーションのネット記事を今読んだところです。
    その本そのものは読んでいないのですが、その記事を読んだ限りでは、ちょっと読む気が起こりません。
    もしかしたら、本は、ネット記事とは異なり、良い内容なのかもしれませんが、プロモーション記事には、新しい内容が何にもない・・・。

    %がわからない大学生がいるのは事実だと思います。
    例えば「2億は50億の何%か」といった問題に正答できない大学生。
    それは存在すると思います。
    それは、もうずっと前から言われていることです。
    大学の歯学科や獣医学科など、理系の学生なのに分数のたし算ができない子のいる大学もあると聞きます。
    そういう大学では、算数や中学数学の復習を1年次に履修させているそうです。
    そういう話は、ゆとり教育を受けた子たちが大学生になった頃からずっと言われ続けていることです。
    それほど学力基準が高いわけではない大学に、しかもAO入試や推薦入試で合格した子の中には、そういう子もいるでしょう。

    その記事の中で現代と比較されていたのが、1980年代のデータでした。
    ゆとり教育の始まる前、詰め込み教育の時代は、こういう問題には正答できる子どもが多かったのです。
    ゆとり教育以降、「割合」の問題を解けない子どもが激増している。
    それは、わかります。

    小学校5年で学習する「割合」という単元を理解できる小学生は、全体の50%に満たないだろうというのが私の実感です。
    問題は、その分析です。
    なぜその子たちは、「割合」を理解できないのでしょうか?

    そのネット記事で不愉快だったのは、「誤答している子ほど、答案の隅に『く・も・わ』の図を描いている」という一種の揶揄でした。
    まるで、深い理解を阻む犯人が「く・も・わ」の図であるような書きぶりでした。
    それは違うと思います。
    その書き手こそ、「割合」という単元について理解していないから、そういうことを平気で書くのではないか?
    小学生が初めて「割合」を学ぶとき、どのような反応であるかを知らないからではないか?
    そう感じるのです。

    その記事を書いた人は、おそらく「く・も・わ」の図を使わずに割合の問題を解けるのでしょう。
    では、そもそも、「割合」は、なぜ「比べられる量÷もとにする量」で求めるのか?
    その問いに、その人は答えられるのでしょうか?
    また、「もとにする量」は、「比べられる量÷割合」で求められるのはなぜなのか?
    そして、「比べられる量」は、「もとにする量×割合」で求められるのはなぜか?
    この式に子どもが感じる違和感を想像できない人に、子どもがなぜ「割合」を理解できないのかを語ってほしくない。
    原因は、正答の求め方だけを安易に教える数学教育にあるとする。
    しかし、表面の正答率だけ見ているのはあなたのほうではないのか?
    そう思うのです。

    「く・も・わ」の図を使わない人も、公式を「そういうものだ」と思い込み、暗記して使っているだけではないでしょうか。
    何十年もそういうものだと思って使ってきたせいで、それが自明の理のように思えるだけで、理由の説明はできないのではないでしょうか。

    「く・も・わ」の図を使った子が記事の中で揶揄されているのは、正答できなかったからです。
    正答できればそれでいい。
    記事を書いている本人の中にも、その意識が濃く漂っているのを感じます。

    私自身は、割合の問題を解く際に「く・も・わ」の図は使いません。
    子どもの頃も、使っていませんでした。
    大学生になって、塾講師のアルバイトを始めたとき、バイト仲間が「く・も・わ」の図を使って子どもたちに教えているのを見て、へえ便利な教え方があるものだと思い、私も教えるときには使うようになりました。
    それが、まさに80年代です。
    だから、この教え方は古くから存在します。
    今に始まったことではないのです。
    80年代も、その図を使って解いていた子は多いと思います。
    ただ、その図を使って正答していたから、「%がわからない」と言われることはなかった。
    それだけのことだと思うのです。

    「割合」はかなり特殊な単元で、これを「正答さえ出れば良いという教育が理解を妨げる」例に挙げるのには無理があります。

    「割合」は、なぜ「比べられる量÷もとにする量」で求められるのか?
    このブログの中で幾度も書いてきましたが、その根本は分数です。

    問題 サッカー選手のA君は、7本シュートして、2本ゴールしました。A君がゴールした割合は、どれだけでしょうか?

    答えは、2/7 ですね。
    このことは、実感をもって理解できることです。
    しかし、「割合」で実感をもって理解できることは、これしかありません。
    あとは、理論上の操作ばかりです。

    2/7 という分数を式で表すと、
    2/7=2÷7 です。
    では、2÷7 とは、上の文章題で何を意味するでしょうか。
    2とは、ゴールした数。
    7とは、シュートした数。
    全体の中での2の量的価値を、判断しようとしています。
    そういうときの2を「比べられる量」と呼びます。
    全体の7のほうが「もとにする量」です。
    割合=比べられる量÷もとにする量 という公式は、ここから生まれています。
    このわり算の公式そのものが、子どもにとっては実感を伴うものではないのです。

    大人の多くは、この公式を沢山使うことで実感を後付けしています。
    だから、自明の理のように感じています。
    しかし、初めて学ぶ小学生がこの公式に強い違和感を抱くのは普通のことです。

    小学校低学年で割り算を最初に学ぶとき、わり算と言えば「大きい数÷小さい数」なのが当たり前でした。
    だから、文章題をろくに読みもせずにただ「大きい数÷小さい数」で式を立ててやり過ごしてきた子も多いのです。
    しかし、「割合」は、「小さい数÷大きい数」であることのほうが多くなります。
    その違和感に耐えられず、「小さい数÷大きい数」の式を立てることが不安で、どうしてもその式を立てられない子が存在します。

    そんなのは、文章題をろくに読みもせず、「大きい数÷小さい数」なんてくだらない考え方で問題を解いてきた本人が悪いんだろう?

    ・・・確かに、そうかもしれません。
    でも、子どもは、学習の先に何があるかを知りません。
    「わり算だったら、大きい数÷小さい数」という解き方は、大人が教える解き方ではありません。
    その解き方に未来がないことを大人は知っていますから。
    「大きい数÷小さい数」は、子どもが自ら発見してしまうのです。
    しかも、目端の利く子ほど、そういう解き方を発見します。
    算数を、考え方よりも正解が出ればそれで良いものとしてしまうのは、子ども本人であることが多いのです。
    答えよりも考え方を大切にしなさい、などと言っても、聴く耳を持ちません。
    実際、正解が出ているのですから、それの何が問題であるのか、幼い子どもにはなかなか通じません。

    勿論それは、式の見た目さえあっていて正答さえ出ていれば何も言わない周囲の大人の反応を感じているからのことでしょう。
    そもそも、「%がわからない大学生」ということが言われるのは、表面上、%を求める問題で正答できない大学生が存在するから、それを課題ととらえています。
    本質は理解していないけれど、やり方だけ知っていて正解している大学生のことは、問題視しないのです。
    80年代だって、本質を理解していない子は多かったのかもしれないのにです。
    それもまた、正解さえ出せればそれでいいという考え方です。
    問題意識を持っている人も、そこから脱却できていないのです。

    比べられる量÷もとにする量=割合 
    という式だけでもこんな実感から乖離して難しいというのに、残る2本は、さらに実感とは無関係です。
    それらは、逆算で式を操作しただけの式です。
    ☐を使った式から☐を求めるのが逆算です。
    式の変形ということですね。

    上の式から、比べる量を求める式を導くと、
    もとにする量×割合=比べられる量

    もとにする量を求める式を導くと、
    比べる量÷割合=もとにする量

    これは式を変形して公式としたものですから、何の実感も伴わなくて当然です。
    比べる量を割合で割ると、もとにする量に戻る・・・。
    よくよく考えたら気持ち悪くないですか?
    気持ち悪いのは、それが意味を持たないからです。
    式を変形しただけだからです。
    ただ、実感はなくても、これは正しい式なのです。

    意味なんてない。
    式を変形しただけ。
    それならば、公式を3つも1度に覚えられない子のために「く・も・わ」の図を使うのは有効だと思います。
    実際に「く・も・わ」の図を使って割合の問題を正答できるようになっている子は沢山います。
    意味を教えなければならないものなら、そうした教え方は避けるべきです。
    しかし、もともと意味なんかないものは、「く・も・わ」で教えて構わないでしょう。


    ところで、「く・も・わ」の図で教えているのは、80年代も現代も同じであるのに、なぜ、現代の子は「割合」の正答率が低いのか?
    正当できない原因の第一は国語力でしょう。
    そのことは、その本の中でも述べられているようです。

    低学年で問題文をろくに読まず、
    「今はわり算を勉強しているんだから、大きい数÷小さい数の式を立てときゃいいんだろう」
    という判断で文章題をこなし、それで正答してきた子たちは、小学校高学年になると、それでは解決できない文章題に突き当たります。
    「単位量あたり」の問題がそうです。
    「割合」の問題もそうです。
    かけ算なのか、わり算なのか。
    わり算だとして、どの数字をどの数字で割るのか?
    数量の関係を見極めて式を立てなければなりません。
    そのときになって、しぶしぶ問題文を真面目に読もうとしても、数量の関係を読み取れない子がいます。
    「比べられる量÷もとにする量」という式を使うとわかっていても、どれが比べられる量で、どれがもとにする量か、読み取れない。
    大学生になっても、それが読み取れない。
    そういう子が、今は本当に多いだろうと思います。
    それは、確かに問題です。
    ただ、それは、数学教育に問題があるとは言い切れないと思うのです。

    記事中には、
    「数学が苦手な生徒には、答えを当てるマークシート問題だけ解ければ良いという困った指導が広く行われている」
    という記述がありました。
    なぜそんなに雑な総括をするのでしょう。
    数学のマークシート問題で答えだけを当てるのは不可能に近いです。
    数学のセンター試験の正答率の低さを知らないのでしょうか。
    答えだけ当てることなどできないから、あの正答率なんです。
    数学のセンター試験は、論理を追っていけないと空欄が埋まらないのです。

    今の小学校の教科書は、子ども自身に考えてみるよう常に問いかけています。
    改訂前の今も十分にそうです。
    それでも、考えない。
    解き方だけ覚えようとする子どもは多いです。
    指導がそうなのではなく、本人がそうである場合が本当に多い。
    どうしてそうなってしまうのでしょう?

    そうして、高校生になり、覚えきれない複雑な公式や解法手順ばかりなると、数学は完全に諦める・・・。
    本当にそれは日本の数学教育のシステムが悪いからそうなってしまうのでしょうか?

    比較的理解力の高い、中学受験をする小学生でもそうです。
    小学校では教えない特殊算。
    例えば植木算や、分配算など、基本の考え方を塾ではまず解説します。
    その上で、例題は、本人に解き方を考えてもらいます。
    塾としてはそれが普通の授業形態だと思うのですが、その授業に不満を抱いていた子と話をしたことがあります。
    「初めて見る問題なんだから、教わらなければわかるわけがないのに、自分で考えろって言うんだよ。おかしいでしょう」
    「・・・でもね、入試問題は、初めて見る問題だよ。見たことある問題、解いたことある問題なんて、いくつもないよ」
    「・・・」
    解いたことのある問題しか解けるわけがない・・・。
    初めて見る問題を自分で考えてみろと言うのは、相手がおかしい・・・。
    かなり理解力の高い子でそこまで言い切る子に初めて会いましたが、公式や解法手順だけ丸暗記して済ませたいタイプの子の、これが本音なのだと思います。
    自分で考えろと言われることが、本当に不愉快で、それを要求してくる相手は敵であると感じるようです。
    その子は、その塾がお母様に薦めた家庭学習法として、その週のうちにテキストの問題を3回解き直していました。
    それには素直に従っていたようです。
    解き方を完璧に丸暗記するための、1週間で3回の解き直し・・・。
    私が小学生だったら、そっちのほうに猛反発したと思います。
    何で1度解いた問題を3回も解かないといけないの?
    ・・・写経?

    確かに解法の丸暗記教育は、一部で現実に行われているのだと思います。
    そんな解き直しよりも、類題を自分で考えて考えて考え抜くほうが、段違いの学力がつくのですが。
    しかし、そういうことができない子もいます。
    感情的に反発します。
    それを見越して、何もしないよりは週3回の解き直しを提案するほうが、今よりは正答率が上がるのも事実です。



    「割合」の学習は、5年生でひと通り学んだ後、6年生で「比」を学び、それと連動して復習します。
    中学の数学では、「割合」は、方程式の文章題の中で再び使用します。
    5年生のときには数量の関係を把握できなかったけれど、ここで回復する。
    そういう子も多く存在します。
    一方、この段階でもやはり把握できない子は、ここで典型題の解法のみを何とか丸記憶してやり過ごします。
    あるいは、割合の文章題が出たらもう諦めて解かない子もいると思います。

    中学になって「割合」を復習しても、やはり理解できない子は存在します。
    幾度復習しても、理解できない。
    割合の3用法に意味などない、式の変形だけなのだと説明しても、その説明が理解できない。
    問題文から比べられる量ともとにする量を識別することがどうしてもできない。
    割合というものが何を表すものなのか、その本質を理解できない。
    そういう単元が「割合」です。
    それは、直接「割合」とは関係ないように見える単元にも表れます。

    例えば、中学3年で学習する「相似」。
    △ABCと△DEFが相似で、相似比が3:2である。
    AB=60のときの、DEの長さは?

    こういう問題で、
    60:DE=3:2
    3DE=120
    DE=40
    という比例式を用いた定型的な解き方でないと解けない子がいます。

    「割合」と「比」が、無関係な知識として頭の中に存在し、連動しないのです。

    「相似比が3:2なんだから、DEはABの2/3でしょう?だから、40でしょう。これは見たらわかるよね」
    数学が苦手な子はともかく、都立自校作成校を受験する子には、そう説明するのですが、
    「いや、そういうのはわからないから」
    と頑なに比例式を立て続ける子もいました。
    数学の定期テストで90点台を取れるようになっていても、頭の奥まで数学的思考が染みていっていないのです。

    数学的思考が頭の中まで染みていくのを拒み、跳ね返すものがある。
    それは、何なのだろう?
    それが、なかなか見えてこないのです。

    答えを当てるマークシート問題だけ解ければ良いという困った指導なんかしていません。
    そんな指導をしている気配を学校の先生から感じることもありません。
    答えではなく、数学的な考え方を理解してほしいと、みんな思っています。
    でも、考えることを拒否する子どもは、確実に存在します。


    小学生の頃は、解き方を暗記したほうが簡単だから、それで済ませたいという、ある意味目端の利く子が多いのだとしても、中学・高校と数学の学習が進むにつれて、論理や考え方が重視され、論理を追えないと正解が出せない問題が増えていきます。
    しかし、本人の意識が切り替わらないのです。
    結果、高校数学になると、解き方が複雑になって暗記できなくなり、ついていけなくなる・・・。
    数学が苦手な子の、それが現実ではないかと思うのです。

    一方、私の問いかけが通じる子も、また少なくないのです。
    現在数学ができるかどうかは、あまり関係ありません。
    「座標平面上の求めたい点のx座標を自分で勝手に t と置いたのに、t が求められるわけがない。自分で勝手に置いたんだから」
    「√36は、2乗したら36になる数なんだから、√36=36だと思う」
    といった数々の妄言を繰り返し、何かと授業中に私と議論になった中学生は、気がつくと自力で応用問題を解けるようになり、数学のテストで高得点を取るのが当たり前になっていました。
    考える子は、いくらでも伸びます。

    考える子と、考えることを徹底して拒否する子とは、何が違うのだろう?

    大学生になっても%を理解できない子のことを誰よりも悲しんでいるのは、子どもの頃のその子たちの算数・数学教育に携わっていた人たちでしょう。

    記事には、ある学生が、
    「数学を苦手としている者でも、本心は時間をかけてでも内容をよく理解したいと思っているのです」
    と熱く語った、という記述がありました。

    そういう子は、早い時期に出会えれば、確実に助けられます。
    解き方だけ覚えようとするのをさえぎり、
    「今の、本当にわかった?」
    と問いかける度、嫌な顔をされることのほうが多いけれど。
    そう思います。

      


  • Posted by セギ at 14:11Comments(0)算数・数学