たまりば

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お知らせ

2018年12月13日

数A「整数の性質」合同式の利用。



前回、合同式とはどういうものか学習しました。
それでは、この合同式、具体的にはどういうことに利用するのか。
例えば、こんな問題です。

問題 nは13で割って5あまる数であるとき、3n4-7n2を13で割ったあまりを求めよ。

半角の数字は指数だと思ってください。

これを、合同式を利用せず、普通に解くと、
n=13m+5 と表す。(mは整数)
3n4-7n2
=3(13m+5)4-7(13m+5)2
=3(132m2+13・10m+25)2-7(13・13m2+13・10m+25)
=3(134m4+132・102m2+625+2・133・10m3+2・13・10・25m+2・25・132m2)-7・132m2-7・13・10m-7・25
=3・134m4+3・132・102m2+1875+6・13・10・25m3+6・25・132m2-7・132m2-7・13・10m-175
=13(3・133m4+1500m3+13・359m2-70m)+1700
=13(3・133m4+1500m3+13・359m2-70m+130)+10
よって、余りは10。

上の途中式、書き間違いをしているかもしれません。
それくらいに面倒くさい。
この問題を解く上で大事なところは、あまりはいくつかなのですから、13という因数をもっていない部分です。
上の式でいえば、1700は13で割ると余りはいくつなのか。
そこだけに着目すれば余りが出るのに、13という因数を含んでいることがわかりきっている、いわばどうでもいい部分の計算に神経を使います。
これを簡単にクリアできるのが、合同式です。


合同式を用いると、n≡5(mod13) となります。
よって3n4-7n2≡3・54-7・52=3・252-7・25
ここで25≡-1(mod13)ですから
3・252-7・25≡3・(-1)2-7・(-1)=3+7=10
ゆえに、あまりは10です。

合同によって言い換えたものを数字としてそのまま計算し、また合同で言い換えていきます。
あまりにだけ注目している合同式ならば、それが可能です。
ちょっと手品のようですが、慣れると、もう一番上のような解き方はやりたくない。
それくらいに便利なものが合同式です。

あるいは、こんな問題。

問題 a、bを整数とする。aを5で割ると3余り、bを5で割ると4余る。このとき、abを5で割ったときの余りを求めよ。

これも、合同式を用いないで解くことも勿論可能です。

m、nを整数とすると、a、bは、m、nを用いて、
a=5m+3、b=5n+4 と表すことができます。
ab=(5m+3)(5n+4)
  =25mn+20m+15n+12
  =5(5mn+4m+3n+2)+2
よって、abを5で割った余りは2。

これを合同式を用いて解くと、
a≡3、b≡4 (mod5)
ab≡3・4=12≡2 (mod5)
よって、abを5で割った余りは2。

合同式を用いると余計な文字を使わずに済むので、答案がシンプルです。
実は考え方の本質は同じなので、ぜひ合同式を身につけて簡単に解いていただきたいと思います。

また別の問題。

問題 2012の200乗を7で割ったときの余りを求めよ。
200乗?
普通の解き方だと、さすがにこれはどう解くのだろうか、と考え込んでしまいます。
しかし、合同式を用いればこれも簡単です。
まず2012を実際に7で割って確認すると、
2012≡3 (mod7) です。
よって、
2012200≡3200=9100≡2100=833・2≡133・2≡2 (mod7)
よって、余りは2。

合同で言い換えては計算し、また合同で言い換える。
指数法則がわかっていないと、この計算はピンとこないかもしれません。
こうした指数計算は、この後、数Ⅱ「指数関数」、数B「数列」でもよく使うのですが、よく詰まるところです。
模範解答を見ても、何をどう計算して次の行になっているのかわからないという話をよく聞きます。

上の答案では、
2100≡833・2
のところがわかりにくいかと思います。
2の100乗を、(23)33・2 と直しているのですが、指数法則が理解できていないと、
「そんなことをしていいんですか?」
と感じるかもしれません。

指数がわからなくなったら、指数法則の基本に戻りましょう。
a2×a3=(a×a)×(a×a×a)=a5 でした。
(a2)3=(a×a)×(a×a)×(a×a)=a6 でした。
ですから、(23)33・2=299・2=2100 となりますね。
逆の操作で、2100=299・2=(23)33・2=833・2 とすることができます。

ところが、上のような説明も、
(a×a)×(a×a×a) の( ) は、どういう意味なんですか?
( )がないときと、どう違うんですか?
それは要らないんじゃないんですか?
と、それこそ不要な質問で頭がいっぱいになり、このほうがわかりやすいだろうと思って使った( )があだとなることもあります。
何かがわからないというのはそういう場合が多く、本筋ではないところに目がいき、主要なところの理解を阻む。
そういう傾向があります。

しかし、なぜ本筋ではないところに目がいってしまうのでしょうか。
その原因を考えれば、そもそも、( )の使い方について不安があるのではないか?
小学校で( )を使った式を立てることを学習した小学校3年生の頃に、( )の使い方をしっかり身につけることができなかったのではないか?
それは四則演算の原則がどこか曖昧になっているということでもあります。
あるいは、( )の使い方の基本はわかっているのだけれど、自分で式を立てるときには、つい( )をつけ忘れたり、不要な( )を書いてしまったりを繰り返して、何となく苦手という感覚が高校生になっても残ってしまっているのではないか?
さらには、几帳面な正確もあって、以前、自分が( )を使ったときには不要だと言われたのに、説明のためという理由で使用されているのが納得できないのかもしれません。
先生や教科書・参考書が使用している( )のニュアンスを理解できない。
そういうことが学習を阻む場合もあるかと思います。

もう1つの壁は、やはり指数に対する感覚でしょう。
同じ数を何回もかけるときに指数を使うという根本が理解しきれていないのではないか想像される場合もあります。
23=2×2×2ということが、ふっと頭から抜ける。
そのため、23=6と、気がつくと思い違いをしている。
そんな場合もあると思います。
(23)33・2=833・2 という転換が理解できず、
「そんなことして、いいんですか?」
と不安になるのは、指数の定義や乗法の交換法則が頭の奥まで染み込んでいないのが一因ではないかと感じます。

それは、普通の指数計算の際にも表れます。
26 を計算せよと言われて、
2、4、8、16、32、64 と、逐一2倍していないでしょうか?
26=84 と一瞬で転換している人を、「暗記しているのかな?」と思っていないでしょうか?
26=(23)2=82=64 です。
同じように、34=(32)2=92=81 です。
指数を一瞬で計算している人は、この作業を一瞬で行っている場合が多いのです。
答えを暗記しているとは限りません。
あまりにも繰り返される計算に関しては、さすがに答えを覚えてしまっている場合もありますが。
こうした指数に対する感覚、かけ算に対する感覚は、誰かに教えられたのではなく、本人が計算する過程で身につけていることが多いです。
むしろ、このやり方を教えても、
「いいの!私は普通にやらないとわからないの!」
と意固地になられたりもするので、教えてわかるものではないのかもしれません。
しかし、教えてわかるわけではないことがわからないと、合同式や、高校数Ⅱで学習する指数関数・対数関数の理解に大差が生じるようになる・・・。

いやいやいや。
こんなこと、教われば、わかることです。
わかってください。
・・・と最後は古いフォークソングみたいになって、また次回。
ヽ(^。^)ノ



  


  • Posted by セギ at 13:08Comments(0)算数・数学

    2018年12月10日

    蕨山を歩きました。2018年12月。


    2018年12月9日(日)、奥武蔵の山、蕨山を歩きました。
    三鷹から国分寺、東村山、所沢と乗り継いで、飯能駅。
    飯能駅から名郷行きのバスに乗り出発。8:00。
    終点名郷。8:45。

    名郷バス停には、トイレがありました。
    個室2つの男女兼用トイレです。
    支度を済ませ、さて、ここからどちらに行けば良いのか?
    バス停には道しるべはありませんでした。

    コピーしてきたガイドブックを確認し舗装された沢沿いの道を下流に向かって歩きだしました。
    少し歩くと最初の道しるべを発見。
    蕨入橋で沢を渡り、林道に入りました。
    後ろから来た速い2人連れに追い抜かれました。
    先行者がいるのは少し安心。

    林道を緩やかに登っていき、林道終点で沢を渡りました。
    適当に3本組まれた丸太橋でした。
    1本はグラグラしていて、おっとっととバランスを取りながら通過。
    そこからは登山道です。
    いきなり急な登りが始まりました。
    木の根で段差が作られている道をジクザグに登り、登り詰めると沢を高まく崖っぷちの道。
    しかし、あまり高度感がないので通行にそれほどストレスはありませんでした。
    今日は山頂までの道は険しいみたいだと、ガイドブックを読んで諦めてきているので、まあこの程度ならという気持ちがあったのかもしれません。
    右下に見えていた沢はどんどん細くなり浅くなり、水たまりレベルになった沢をひょいと越えると、そこからは尾根へと登っていく急登の始まりでした。

    今日は都心でも最高気温が10℃に満たない、この冬一番の寒い日。
    山もことのほか寒く、空も予報ほど晴れず、日差しがありません。

    植林帯の暗い斜面を登り詰めると、尾根。
    狭い細い尾根でした。
    全体に細い尾根歩きがその先も延々と続きました。
    ガイドブックには「伊豆ヶ岳方面の眺めが良好な明るい尾根道」とあるのですが、そんな天気でもないし、そんな気分でもありません。
    山の印象は季節と天気で随分変わりますね。

    伊豆ヶ岳は、とりあえず、あれかな。
    一度そう確認はしたものの、立っている尾根はそんなに広くないし、ところどころ岩が出ているし、枯葉が積もっているのでどこで滑るかわからないし。
    足元に注意を払って先に進みました。
    ガイドブックにはここから「蕨山に着くまで4段の急峻な段差の続く悪場」とありました。
    山地図には危険マークもあります。
    いったいどの程度のものなのだろう?

    進んでいくと、最初の段差が始まりました。
    岩や木の根が階段のように段差を作っています。
    ロープが垂らしてありましたが、傾斜は緩く、ロープを使う必要はありませんでした。
    このレベルで済むのかな?

    またしばらく行くと、2つ目の段差。
    ここは傾斜も急で、両手両足をフルに使ってむき出しの岩を登っていかなければならない箇所でした。
    幸いホールドは豊富でしたので、垂らしてあるロープがあまり信用できないこともあり、岩をつかんで登りきりました。
    このレベルがあと2つ続くのかな?

    しばらく行くと、3つ目の段差。
    これは段差というより急登という印象で、ジクザグに登っていく坂道でした。
    枯葉に注意しながら、ここも通過。

    4つ目の段差。
    ここも、ジグザグの急登。
    あまり岩場感はありませんでした。
    結局、印象的な「急峻な段差」は2つ目だけでした。
    むしろ、道全体が岩がちな細い尾根で、枯葉が積もっていることのほうがストレスが強いのです。
    結局、ずーっと少し怖い。

    緩い坂道を登っていくと、「危険 通行注意」という看板が立っていました。
    ここが山地図に載っている危険マークのところかな?
    段差はなく、ただ尾根が細い。
    痩せ尾根です。
    吹きっさらしなので、枯葉は積もっておらず、淡々と歩いていくことができました。
    痩せ尾根を渡りきると再び「危険 通行注意」の看板があり、では、危険個所は先ほどの箇所からここまでなのだなと確認できました。

    4段の段差は終わったものの、歩き始めてまだ1時間と少ししか経っていません。
    山頂まで、山地図のコースタイムは2時間50分。
    ガイドブックのコースタイムは2時間05分。
    こんなにコースタイムに差があるのは、技術的難度をどう時間に反映させるかという問題なのでしょうか。
    今日は本当に寒いので、汗もかかず、コースタイムより少し早く着くかもしれないけれど、まさか1時間とちょっとでは着かないでしょう。
    そんなことを考えながら、尾根道を歩いていくと、再び段差が。
    しかも、倒木が道を塞いで、ちょっとややこしい感じになっていました。
    あれ?私、段差を数え間違えた?
    段差に入れてはいけないところを入れたのかな?
    どれを段差に加えてはいけなかったのかと悩みつつ、ややこしい箇所を通過。
    最後の段差を越え、広くなった道を登っていくと、視界が開け、小広い場所に、分岐を示す道しるべがぽつんと立っているのが見えました。
    ああ、今度こそ本当にもうすぐ山頂です。

    道しるべに従い、まずは少し下り、なだらかな登りを行くと、山頂らしいベンチと、そこに座る人影が見えてきました。
    蕨山山頂。10:05。
    そんなに広くない場所にベンチが3つ。
    朝同じバスで来て、林道をさっさか歩いていった2人。
    途中で道を譲った男性。
    みんなまだ山頂にいました。
    少し怖い道だったけれど、振り返れば面白い道だったなあ。
    上空は雲に覆われ、地平線との隙間に青空。
    上の写真が蕨山山頂から撮ったものです。

    ここでお昼にしました。
    カップ麺にお湯を入れていると、しかし、急に風が強くなってきました。
    「ひゃー寒い。お湯を入れたら、もう動けないのに」
    思わず声が出ます。
    途中で道を譲った男性は、
    「一段下がると、風はなくなるよ」
    「そうですよね。失敗したかなあ」
    ビュービュー風の吹く山頂で、カップ麺を食べました。
    長い休憩を取ったのは、2年前、さわらびの湯からのピストンでこの山を歩いたとき、山頂からの下りにあまり良い記憶がなかったからでもあります。
    ちょっと心構えをしておきたい。

    さて出発。
    山頂から少し下ると、平坦な広い道にいったんはなるのですが、その道の先、急降下があるのです。
    私の苦手な、つかまるところがあまりない下り道です。
    一応ジグザグなんですが、乾いてザレて滑り易い。
    しかも、枯葉混じり。
    本日の山で手ごわいのは、もうここだけ。
    頑張れ頑張れ。
    そう念じて、ゆっくりゆっくり下りました。

    下り終わると、道は林道のように広くなり、脇の林では車座になって休憩中のパーティもいました。
    その先、林の中の緩やかな下り道でも、休憩している人たちや、向こうから登ってくる人たちの姿が。
    山頂までの荒涼とした山の風景が一変し、ここは、楽しい初冬のハイキング道です。
    冬枯れた自然林。
    その下を落ち葉をカサコソと踏みしめて歩きます。
    コナラの木々の向こうに奥武蔵の山々。
    日差しまで明るくなってきました。

    藤棚山。11:40。
    ベンチがぽつんと1つ。
    遠くで犬の吠える声。
    鉄砲の音。

    道はときどき細くなり、枯葉で滑らないよう、なお注意は必要でした。
    新しい枯葉がサラサラと風に流れてくるので、踏み跡は不明瞭。
    地形を見ながら、ここが登山道だろうと判断して歩いていきました。
    奥武蔵の腐葉土は柔らかく、登山道なのかちょっと不安になってしまう箇所も。
    広い尾根の所では、案外本当に間違えたのかもしれません。

    真下に舗装道路があるところでは、木の柵で登山道がガードされていました。
    道路に転落する登山者を防ぐためなのでしょう。
    里山感が増してきたなあと思うと、しかし、ちょっとした岩場の下りがあったり、案外細いまき道があったり。
    道に変化があるので飽きずに歩いていけます。

    中登坂。12:40。
    植林帯に入り、登山道はうす暗いもののさらに安定して歩きやすくなりました。
    金比羅神社跡。13:10。
    あとはさわらびの湯へと下っていくだけです。
    あとひと頑張り。
    案外急な箇所などもあり用心して降りていくと、麓では、まだ少し紅葉が残っていました。
    墓地を越えて、さわらびの湯バス停。13:50。

    バス時刻を確認して、敷地の奥のさわらびの湯へ。
    駐車場を通り過ぎ、トイレを過ぎ、右に曲がって舗装道路をさらに進んでいきます。
    バス専用の駐車場にバスが4台停まっていました。
    山歩きのバスツアーの下山地点がここで、客が下山してくるのを待っているだけのバスもあるだろうけれど、今さわらびの湯に客が入っているバスもあるのかな?

    自動ドアを開けて入るとすぐに、「館内ただいま大変混雑しております」のアナウンスが聞こえてきました。
    靴を靴箱に。
    100円が後に返却される靴箱でした。
    券売機で入浴券を買います。
    受付には、帰るときに券を見せるシステムでした。
    階段を下りていくと、風呂場。
    予想通り、脱衣所は大混雑でした。
    しかも、脱衣所のロッカーも100円が後に返却されるロッカー。
    これは煩わしい。
    ロッカーが小さいので、ザックは入りませんでした。
    貴重品のみロッカーに入れ、ザックは脱衣所の隅に置きました。
    浴場に入ると、ここも洗い場の順番待ちでしたが、幸い、すぐに順番が回ってきました。

    露天風呂もイモ洗い状態。
    皆、顔見知りの様子で山の話をしているので、やはり山歩きバスツアーの客のようです。
    上がると、脱衣所は、やはり大混雑。
    ただ、ツアー客も含め登山客は、混雑している温泉での身の処し方が卓越している方が多いです。
    混雑しているわりに動線が確保され、ロッカーの前のベンチ、さらのその手前や、出入り口付近の空間まで人が散り、譲り合って身支度していました。
    ビールの自販機まで行列に並んで購入するのはさすがに初めての経験でした。
    缶ビール500mL390円。
    5分で飲み干し、次のバスにあわせて、さわらびの湯を出発。
    あわただしかったけれど、やはり温泉に入るとさっぱりします。
    しかし、湯上りに今日の風は冷たく、これからの季節、温泉に入るならもう1枚上着が必要だと感じる頃にバスがやってきました。
      


  • Posted by セギ at 12:40Comments(2)

    2018年12月07日

    高校数A 合同式とは何か。


    今回の学習内容は「合同式」です。

    2つの整数a、bを自然数mで割ったあまりが等しいとき、aとbをmを法として合同であるといい、a≡b(mod m)と表す。
    このような式を合同式という。

    定義は上のようにシンプルで、難しい言葉は何1つなく、込み入った論理も何1つないのですが、多くの場合、数学の授業史上一番の停滞となります。
    新課程になったばかりの頃は、「発展」として一応教科書に載っているこの内容を教える高校は多かったのですが、今は、私立高校や都立中高一貫校でも、教えない学校が増えてきました。
    あまりにも理解が進まないので、先生たちも匙を投げたかもしれません。
    苦労して時間をかけて教えても、入試にほとんど出ないですし。

    合同式を解説する難しさの1つは、具体的に説明すれば理解してもらえるとは限らず、その具体例に縛られて混乱したり誤解をしてしまう子が多いことにあります。
    それでも、具体例で説明しないわけにいきません。

    例えば整数を7で割った余りで分類することを考えてみましょう。
    7で割ると1余る数。
    こういう数には、1、8、15などがあります。
    これらは7を法として合同と言い、8≡1(mod7)と表すことができます。
    15≡1(mod7) でもあります。

    7で割ると2余る数はどうでしょうか。
    2、9、16などがあります。
    これらはこれらで、7を法として合同です。
    9≡2(mod7) 、16≡2(mod7) となります。

    あるいは、整数を4で割った余りで分類したらどうでしょうか。
    例えば、4で割ると2あまる数。
    こういう数には、2、6、10などがあります。
    これらは4を法として合同です。
    6≡2(mod4)、10≡2(mod4) と表すことができます。

    ルールの基本はおわかりいただけたでしょうか?ヽ(^。^)ノ


    ぱっと感覚的に理解できれば何も問題ないのですが、最初に上手く呑み込めないと結局最後まで何だか納得できないという感情が尾をひくことになるようです。
    それは理解力の問題ではなく、何か固定観念があり、このことの理解を阻んでいるものがあるせいなのかもしれません。

    それが何であるのか、新課程にこの単元が登場し教えるようになってから、私はずっと不思議に思っています。
    混乱は、例えば「1は7で割ると1あまる数である」ということを知らなかった、あるいは納得できない、という小さいことからも起こります。
    1÷7=0あまり1
    商は0でも良いというのは単なる知識ですが、初めて知ると、これだけでも衝撃のようです。

    自然数に限っての話でもなかなか大変なのですが、合同式は整数全体、すなわち負の数も含んで考えます。
    例えば、6で割った余りで整数を分類してみましょう。
    6で割ってあまり0。
    自然数の範囲では、6、12、18、・・・・
    6≡0(mod6)、12≡0(mod6)。
    これはもう大丈夫でしょうか?
    次に負の整数を含めて考えると、-6も-12も6で割ってあまり0の数です。
    すなわち、-6≡0(mod6)、-12≡0(mod6)。

    同様に、6で割った余りが1の数を考えれば、
    ・・・・-17、-11、-5、1、7、13、・・・・
    という数列が見えてくると思います。
    この数列に出てくる数は全て法を6として合同です。
    -5=6・(-1)+1
    -11=6・(-2)+1
    -17=6・(-3)+1
    どの数もあまりが1になるのがわかります。
    よって、-5≡1(mod6)、-11≡1(mod6)、・・・。

    これでいかがでしょうか。ヽ(^。^)ノ

    「いや、わからない。-5=6・(-1)+1って、何ですか?」
    そういう質問を受けることがあります。
    高校ではわり算の式は基本書きませんので、上のようにかけ算の式で表すのですが、それがそもそも納得できない、意味がわからないという声を聞くことがあります。
    (わる数)×(商)+(あまり)=(もとの数)
    こういう、わり算の検算の式と同じ構造ですよ、小学校3年生でやっていますよ、と説明しても、知らない、教わったことがない、と言う高校生もいます。
    習っていることなのですが、全く覚えていないようです。

    「次のわり算をしなさい。検算もしなさい」
    という問題の後半を全部見落として解いたことがない。
    あるいは、暗記した通りに検算の式を書くだけで済ませて、本当に検算したことがないので、身についた知識になっていない。
    そういうことかなと想像したりもします。

    中学の方程式の利用でも、この考え方は使っています。

    問題 37をある数で割ると商が5、あまりが2となった。ある数を求めよ。

    という文章題で、この考え方を利用します。
    ある数をxとすると、
    5x+2=37
    という式を立てることができます。
    これも、(わる数)×(商)+(あまり)=(もとの数) という検算の式を使っています。

    こう説明するとやったことがあると思い出す子もいますが、中学の方程式の文章題でも、わり算の検算の式を使用するこのタイプの問題は自力で解いたことがなく、定着しないまま高校生になってしまった子もいて、首を傾げたままということもあります。
    かけ算とわり算との関係を理解しないまま、それぞれを無関係にただ暗記し、作業手順だけ覚えてきた子の場合、合同式の理解は確かにかなりつらいものがあるのかもしれません。


    上の式の意味が一応は理解できても、-5が6で割って1余る数であるというのがピンとこない子もいます。
    そうした子は、-5は、6で割って5不足する数ととらえることならギリギリできます。
    そうです。ヽ(^。^)ノ
    整数を6で割るとき、すなわち、6を法とするとき、「1余る」ということと「5不足する」ということは、同じことなのです。
    例えば7は、6で割ると1余る数ですが、6で割ると5不足する数ととらえることも可能です。
    1も、6で割って1余る数ですが、6で割って5不足する数でもあります。
    ですから、-5は、6で割って5不足する数であると同時に、1余る数ととらえることができます。

    何年か前、大人のための数学教室では、授業はここで長い長い停滞を迎えました。
    繰り返し繰り返し同じことを説明しても、理解が深まる様子が全く見られない・・・・。
    しかし、ようやく理解してくださった参加者の発言は私には大変興味深いものでした。
    「あっ。わかった。商は何でもいいのね」
    「・・・・・・?」

    え?
    ・・・・そうですよ?
    最初から余りの話だけをしていますよ?
    割る数と余りの数だけに注目していますよ?

    そのとき、ふっと見えたのです。
    商が重要だとずっと思っていらっしゃったんだ。
    高校生がこの単元を全く理解してくれない原因もそれかもしれません。

    わり算の式を立てるとき、立てた本人は商を求めるために立てている感覚があります。
    求めているのは商だから、それが何より大切だと思ってしまうのかもしれません。
    子どもの頃から、算数はとにかく答えを出すことが大事、式なんかより答え、と思い込んでいる子は多いです。
    そういう思い込みがあると、「整数をある数でわった余りによって分類しています」と幾度説明しても、その部分を聞き流す。
    あまりがいくつであるかが大切なので、商なんか問題にしていない。
    しかし、本人は、商にしか目がいかない習慣があるので、その説明が頭に響かない・・・。
    思い込みのせいで重要な情報を聞き流す不思議な仕組みが人間の脳にはあるようなのです。
    商なんかどうでも良くて、割る数と余りの話をしています。
    しかし、それが普段の計算の常識とは異なるために、そこに立ち位置を移せない高校生は多いのでしょう。


    「あまりと不足に関する問題」は、中学受験の受験算数の単元の1つです。
    しかし、何回復習してもこの問題を解けるようにならない子がいます。
    高校生でも大人でも理解してくれないので、小学生が理解できないのは無理からぬところがあります。

    例えばこんな問題です。
    例題 4で割ると3あまり、6で割ると1不足する数のうちで100にもっとも近い数を求めなさい。

    4で割ると3あまる数は、言い換えれば4で割ると1不足する数です。
    ですから、この問題は、4で割っても6で割っても1不足する数を求めます。
    ならば、まずは4で割っても6で割っても割り切れる数を考えます。
    それは4と6の最小公倍数の12で割り切れる数です。
    100÷12=8あまり4
    12で割り切れる数で100に一番近い数は、上の式から、12×8=96であるとわかります。
    それは、上の式から100-4=96と求めることもできます。
    では、12で割って1不足する数は?
    96-1=95。
    よって、問題の答えは95となります。

    この問題、スラッと理解する小学生もいますが、幾度解説しても、何度同じ問題を解いても、全く解けるようにならない子も多いです。
    何がそんなに難しいのか教える側として疑問だったのですが、何だか少しわかった気がします。
    あの子どもたちも、あまりや不足に着目するより、商のことばかり考えてしまうのかもしれません。
    4で割って3余るということは1不足するということ。
    しかし、その言い換えをするときには商が変わるだろうに、それを無視する姿勢が理解できない。
    商が変わればそれは同じ計算ではないのに、同じだと言っている神経が理解できない。
    そもそも、商を無視して、余りだ不足だばかり言っている姿勢が理解できない。
    そういうことなのでしょうか?

    「あまりと不足」に関する問題が解けない小学生たちは、こんなふうに思っているのかもしれません。
    「算数の問題を解くって、そういうことじゃないでしょう!」
    「式を立てて、計算して、答えを出すんでしょう!」
    「商が問題の答えでしょう!」
    「算数の問題はそうでなければならないよ!」

    子どもたちの無言の中に、実はそんな心の抗議があったのでしょうか?
    しかし、それはあまりにも頭が硬い。
    ガチンゴチンです。
    子どもの頭というのは大人がびっくりするくらい石頭で、妙な思い込みに凝り固まっているものですから、そのように頑固でも驚くに値しませんが。

    でも、1つ言えること。
    子どもの石頭は一度割ることに成功すれば、そこからは柔軟です。
    新しい考え方を受け入れ、無限に伸びていきます。
    子どもには、それだけ成長する力、生命力があります。

    高校生は、どうでしょうか。
    硬い頭をやわらかく。
    商なんてどうでもいいから、余りによって整数を分類する。
    ある数で割って、同じ余りである数は、その数を法として合同な数。
    合同式は、それさえ理解できれば、そんなに難しくありません。

      


  • Posted by セギ at 13:43Comments(0)算数・数学

    2018年12月02日

    中3英語 関係代名詞その2 which


    前回扱ったのは、関係代名詞 who を用いた文でした。

    I have an aunt who lives in New York.

    それに対して、今回扱うのは、関係代名詞 which を用いた文です。
    まずは2文で考えてみます。

    I will show you the pen. It was given to me by my uncle.
    あなたにペンを見せましょう。それは、私のおじさんからもらったものです。

    これを「私のおじさんからもらったペンをあなたに見せましょう」という意味の英文にすると、

    I will show you the pen which was given to me by my uncle.

    となります。
    作り方の基本は、who のときと同じですね。
    先行詞(修飾される名詞)がきたら、関係代名詞。
    名詞を修飾する2語以上の意味のまとまりの語句は、名詞の直後に置くのが英語のルールです。


    The dog is Mike's.  It is running over there.

    これを「向こうで走っている犬は、マイクのです」という文にすると、

    The dog which is running over there is Mike's.

    先行詞である dog がきたら、すぐに関係代名詞。
    主節をいったん停止して、関係代名詞節。
    関係代名詞節が終わったら、停止していた主節に戻る。
    このルールをしっかり理解して活用できるようになれば、大丈夫です。

    ところで、who と which との使い分けは?
    これは簡単です。
    先行詞が人ならば、who。
    先行詞が、人以外。すなわち物や動物であれば、which。
    この使い分けで苦労する人はあまりいないと思います。

    上の例文を見ていて、勘の良い子は気づくのですが、関係代名詞と分詞は使い方が似ています。
    「これ、分詞で良くね?」
    と英語の得意な子から質問されたりします。
    そうです。
    関係代名詞を用いた文と分詞を用い文との書き換え問題は多く出題されます。

    問題 次の文がほぼ同じ意味を表すように空所を埋めなさい。
    (1)I will show you the pen given to me by my uncle.
      I will show you the pen (  ) (  ) given to me by my uncle.
    (2)The dog running over there is Mike's.
      The dog (  ) (  ) running over there is Mike's.
    (3)I have an aunt living in New York.
    I have an aunt (  ) (  ) in New York.

    なーんだ、簡単だ。
    (1)は、which is
    (2)は、which is
    (3)も、which is

    ・・・こんな答案を書いてしまっていないでしょうか?
    これ、正解なのは、(2)だけです。

    こんな答案を書いておいて、
    「ひっかけだ!」
    と抗議する子がいるのですが、こんなのはひっかけではありません。
    違うパターンがくるのが当たり前なのに、その予想が立っていない。
    予見性が足りないのです。

    「1つの大問は同じパターンの問題が延々と続く」という思い込みから脱却しましょう。
    普段、そういうドリル的な英文練習帳でも解いているのでしょうか?
    そういう頭を使わない練習は、それでパターンを理解できるという効用もありますが、「英語なんてそんなもの」という間違った思い込みを助長する弊害も大きいのです。

    頭を使わない作業を勉強時間からなるべく排除することが大切です。
    頭を使わない作業とは、例えば、単語のスペル練習といえば、ただ10回ずつ書く作業。
    書き終わってその単語を覚えているかというと、全く覚えていない。
    なのに勉強した気になっている。
    頭を使わない作業は、そういう弊害の大きい勉強方法です。

    単語練習は回数が問題ではありません。
    自分にテストする気持ちで書くなら、1回でもいいのです。
    1回で書けなかった単語は、何回でも、何も見ないで書けるか、自分を試します。
    そして、全部書けると思ったら、もう一度、最初の単語から自分にテストをします。
    それで書けなかったら、再度練習し、またテスト。
    これの繰り返しで、全ての単語が書けるまで自分をテストします。
    実際のテスト問題を解くためには、普段の勉強も頭を使い、テスト形式の勉強が常態であることが望ましいのです。


    1回間違えて解き直すときには、少し慎重になる子は多いです。
    関係代名詞とbe動詞の形が少しずつ違うのかな?
    では、
    (1)は、which was
    (2)は、which is
    (3)は、who is

    (1)は正解になりました。
    おじさんからペンをもらったのは過去ですから、be動詞は過去形にしますね。
    しかし、(3)は、まだ課題があります。

    I have an aunt (who) (is) in New York.

    うーん・・・。
    意味から考えれば、間違いではありません。
    入試なら別解として正答扱いになるかもしれません。
    しかし、そのように審議の対象となる別解ではなく、ど真ん中の正答を出したい。
    どうせなら、上の文と同じ動詞を使いたいものです。
    同じ動詞 live を使うとどうなるでしょう?

    「あ。わかった。 I have an aunt (who) (living) in New York.」

    ・・・それは明らかな間違いです。
    審議の対象にすらならない、完全な誤答です。

    この問題の誤答パターンは他に、
    I have an aunt (is) (living) in New York.
    と。苦し紛れに who を省略する子もいます。
    しかし、主格の関係代名詞は省略できません。

    正解は、
    I have an aunt (who) (lives) in New York.
    です。
    分詞を用いた文が living となっているのは、現在分詞の形容詞的用法だからであって、進行形として使っているのではありません。
    live という動詞は状態動詞。
    一時的に住んでいるという意味のとき以外は、進行形にしない動詞です。
    だから、関係代名詞節の中では、進行形にせず、現在形で表します。

    しかし、そのことに気づかない子は多いです。
    本当は、I have an aunt (who)(is)(living) in New York.
    としたいのに、( )が2つしかないので、何かを省略しようとして、間違ってしまうのです。


    繰り返しますが、英語の問題は、1問1問、微妙にパターンが変わるのが普通です。
    同じパターンが続くことのほうが珍しいのだと認識するだけで、問題を解く際の覚悟が違ってくると思います。
    勉強している間は思考停止せず、気を緩めずに考え続けましょう。
    ミスの多い人は、大問1つは丸ごと同じパターンだと思いこんで雑に解いていないでしょうか?
    (1)がこうだったから(2)や(3)もこうだと思った、という謎の思い込みをしていないでしょうか?
    そのあたりの意識を変えるだけでも、英語のテストの得点は劇的に変化します。


      


  • Posted by セギ at 16:43Comments(0)英語

    2018年11月30日

    数A「整数の性質」に関する証明問題。


    数A「整数の性質」の学習の続きです。
    いよいよ難しいところに入ってきました。
    例えば、こんな問題です。

    問題 自然数aとbが互いに素であるとき、a+2bと3a+5bも互いに素であることを背理法を用いて証明せよ。

    問題を解く前に解決すべき点が2つあります。
    「互いに素」とは何なのか?
    「背理法」とは何であるか?

    「互いに素」は、今回初めて学ぶ内容です。
    定義はこうです。
    2つの整数a、bの最大公約数が1であるとき、aとbは互いに素であるという。
    うわあ、これだけでは何を言っているのかわからなーい。

    例をあげて考えてみましょう。
    例えば、15と28について考えてみます。
    素因数分解すると、
    15=3・5
    28=2・2・7
    それぞれの素因数の中に共通のものがありません。
    この場合、15と28の最大公約数は1となります。
    このように、共通の素因数を持っていない関係が「互いに素」です。
    これは今回だけ出てくる内容ではなく、この先、不定方程式を解く際にも使用します。

    では、「背理法」とは何でしょうか?
    これは、数Ⅰ「数と式」の単元で学習しました。
    高校生に、「何か数学でわからないところはある?」と質問すると、
    「背理法がわからない」
    という答えがすぐ返ってくるほど、もう圧倒的にわからないところのようです。

    背理法は、証明すべき結論をまず否定します。
    その否定を根拠に論を進めていくと、しかし、矛盾が生じます。
    矛盾が生じたのは、根拠が間違っているからです。
    否定したから、矛盾が生じた。
    これは否定してはいけない内容だった。
    だから、結論が正しいことが導かれる。
    そういう証明方法です。

    こういう論理の進め方が肌に合わない人もいるようです。
    「だって、さっき結論は否定したのに、何で結局それでいいことになったの?」
    と、論理展開に追いついていない反応もあれば、
    「矛盾が生じたからといって、間違っているとは限らないんじゃないの?」
    という懐疑にとりつかれてしまう子もいます。
    矛盾は抱えつつも、一概に間違っているとは言えないのでないか、と考えてしまうようです。
    「否定すると矛盾が生じるから、否定は間違っているのだというところまではわかる。でも、だから、肯定する、というのがわからない」
    と言う子もいます。
    否定が間違っているのなら、肯定は正しい。
    そうとは言い切れないのではないか?
    否定も間違っているが、肯定も間違っている可能性もあるのではないか?
    肯定と否定との間に「隙間」を感じてしまい、気になってしまう・・・。
    気持ちはわからなくもありません。
    しかし、否定も肯定も間違っているって、どんなことなのでしょう。
    有理数でなければ、無理数。
    そのような単純な二択に絞り込めることで利用するのが、背理法です。

    そうした悩みはないけれど、実際に問題を解くことに悩んでいる高校生も多いです。
    背理法の論理の構造は理解できるけれど、実際に何をどうやって矛盾を指摘すれば良いのか自力で発想できないというのです。
    こうした子は、実はかなり優秀です。
    そんなのは初学者なんだから当たり前で、典型題のテクニックを自分のものとして蓄積していく以外に方法はありません。
    1題2題解いたくらいで背理法を自力で操れるようになるわけがありません。
    学校の定期テストで背理法の証明問題が出題される場合は、典型題ばかりです。
    有理数・無理数に関する問題などが大半ですね。

    さて、話を戻し、もう一度上の問を見てみましょう。
    これを背理法で証明するのですから、まず結論を否定した仮定を立てます。

    a、bが互いに素であるとき、a+2bと3a+5bは互いに素ではないと仮定する。
    互いに素ではないということは、1より大きい最大公約数が存在するということ。
    つまり、共通因数があるということです。
    その1以外の最大公約数を自然数gで表します。
    他に、k、L(本当は小文字で表しますが、ネットでは1と区別がつきにくいので大文字にしました)を自然数とすると、
    a+2b=kg ・・・①
    3a+5b=Lg ・・・②
    と表すことができます。

    さて、上の仮定を突き崩し矛盾を指摘するのですから、これを用いて、aとbが互いに素ではないことを示せば良いのです。
    では、とりあえず、連立方程式のようにして、a、bについて解いてみましょう。
    共通因数が出てくれば、aとbは互いに素ではないことになりますね。

    ①×3-②
      3a+6b=3kg
    -)3a+5b=Lg
           b=g(3k-L) ・・・③
    ①×5-②×2
      5a+10b=5kg
    -)6a+10b=2Lg
      -a    =g(5k-2L)
            a=g(2L-5k) ・・・④

    おや?
    ③、④より、aとbは、gという1以外の共通因数を持つことになります。
    これは、aとbが互いに素であることに矛盾します。
    何でこんな矛盾が生じたのでしょう?
    それは前提とした仮定が間違っていたからです。
    「aとbが互いに素であるとき、a+2b、3a+5bは互いに素ではない」という仮定が間違っていたのです。
    したがって、aとbが互いに素であるとき、a+2b、3a+5bも互いに素です。

    これが背理法による証明です。

    「そんなの、gという共通因数を勝手にあることにしたからこうなったので、gが残るのが当たり前。こんなのインチキだ」
    と、どこかで思考がねじれてしまうかもしれませんが、落ち着いて、式の1行1行を読み飛ばさず見ていくことが大切です。
    gが残るのは、当たり前ではありません。
    消えるかもしれなかったのです。
    でも、残ってしまった。
    それは、仮定に矛盾があったからです。
    a+2bと、3a+5bには、初めから、共通因数gなど存在しなかったのです。

    とはいえ、やはり難しいですね。
    1回目の学習で難しかったら、しばらく放置しておくのも1つの手です。
    次に復習するとき、案外、スルッと理解できることもあります。
    最初は脳が慣れていなかった。
    ただそれだけのこと。
    そんなこともありますから。


      


  • Posted by セギ at 12:21Comments(0)算数・数学

    2018年11月28日

    英語中3 関係代名詞。


    さて、今回は、関係代名詞です。
    まずは、こんな文から。

    I have an aunt.  She lives in New York.
    私には叔母がいます。彼女はニューヨークに住んでいます。

    この2文を、後ろの文が前の文を修飾するようにして1文にできないでしょうか?
    つまり「私には、ニューヨークに住む叔母がいます」という文を作りたいのです。
    このときに使うのが、関係代名詞です。

    I have an aunt who lives in New York.

    修飾される「叔母」という名詞を書いたらすぐに2個目の文を続けます。
    しかし、そのまま続けてもつながりませんから、she を who という関係代名詞に変えます。
    関係代名詞は、she という代名詞の働きもしますし、前の名詞を修飾するという働きを示しながら2文をつなぐ働きもできるのです。
    ここまでが、基本。

    では、こんな文ではどうでしょうか?

    The man is Mr.Tanaka. He is talking to my sister.

    この2文を、後ろの文が前の文を修飾する文、すなわち「私の姉に話しかけている男性は田中さんです」という文にしたいとき。
    以下のようになります。

    The man who is talking to my sister is Mr.Tanaka.

    「私の姉に話しかけている」という修飾語は、「男性」にかかります。
    修飾語が2語以上の意味のまとまりであるとき、修飾される名詞の直後に修飾語を置くのは英語の原則。
    だから、上のように、man の直後に who is talking to my sister がきます。
    この文を作れない。
    あるいは、この英文の意味を取れない。
    関係代名詞が苦手な子の第一関門がこれです。

    関係代名詞節に修飾される名詞を「先行詞」と呼びます。
    先行詞が来たら、すぐに関係代名詞。
    主節を一旦停止して、関係代名詞節。
    授業では繰り返し繰り返しその話をして、補助しながら英文を作って、練習して練習して、これで大丈夫と私は思っていても、翌週、その子の解いてきた宿題の答えは、
    The man is Mr.Tanaka who is talking to my sister.
    と誤答していて、天を仰ぐこともあります。

    勉強が全部簡単だといいのになあ。
    英語がもっと簡単だといいのになあ。
    小学校の低学年の頃のように、何も考えなくても正解が見えた時代に戻りたい。
    あの頃の「勉強のできる自分」と「易しい勉強」。
    あれが、本来の姿であるべきなんだよ。

    そういう願望でもあるのではないか?

    そう勘繰りたくなるほど、幼稚で雑なことをやってしまう子がいます。
    全部1つのパターンで問題を解いてしまうのです。
    説明したルールの複雑なところを省略して、幼稚に簡略化したルールで解いてしまいます。

    上の例で言えば、「先行詞の直後に関係代名詞節」という正しいルールを教えても、それは忘れてしまい、第1文を全部書いて、その後 who を書いて、第2文。
    そんな単純なルールにすりかえてしまうのです。

    小学校低学年の頃には勉強ができたのに、学年が上がるにつれてどんどん出来なくなっていく子の多くはこういう子です。
    1つには、小学校低学年の頃の成功体験の悪影響があるのかもしれません。
    高学年になっても、中学生になっても、小学校低学年のような解き方をしてしまうのです。
    頭を使わない、とても単純な解き方をしてしまいます。
    いつまでもそれが通用すると思ってしまう。
    ・・・というよりも、他の解き方ができない。
    他の解き方を知らない。
    「考えて取り組む」ということが実感としてよくわかっていない様子の子が多いです。

    難しいことを理解するのに本当に苦労している・・・。
    それなら仕方ないのですが、そんなふうには見えない子が、ものを考えることができず、凡庸な成績で低迷しています。
    関係代名詞のルールなんてそんなに難しいものではないのですが、そういう子にとっては、それですら複雑過ぎて不愉快らしいのです。
    でも、スポーツでもゲームでも、もっと複雑なルールのものは沢山ありますよね。
    それは受け入れるのに、勉強の難しさ、英語の難しさは受け入れない。
    サッカーをするのに「手を使わなきゃ何でもいいんだろ?」なんて把握をしたらバカにされます。
    同じことを勉強でやっているのに、気づかない。
    勉強は自分が思うよりも複雑なものだと認識を改めれば成績の上がる子は多いと思います。

    関係代名詞に話を戻しましょう。

    先行詞がきたら、関係代名詞。
    これが正しいルールです。
    そのため、主語を修飾する関係代名詞節が挿入されれば、主節をいったん分断することになります。

    「え?先行詞って何?」
    「・・・だから、修飾される名詞のことですよ」
    「え?修飾って何?」
    「・・・」

    修飾というのは、その名詞をより詳しく説明することです。
    「男」とどんな男なのか?
    男だけでは漠然としています。
    向こうを歩いている男ではなく、あそこで立っている男でもなく、私の姉に話しかけている男のことですよ。
    これでより詳しくなり、誰のことか限定されました。
    この働きを修飾、といいます。

    こういう説明が不思議なほど頭に残らない子もいます。
    分詞の学習の際に説明したばかりなのに、また同じ質問をするなあと不可解に感じることがあります。
    しかし、本人が、日本語でも修飾語を使うことがないようでは、無理もないのかもしれません。
    文は、主語と述語だけ。
    修飾節を含む文など、口にしたことも書いたこともない。
    それなのに、母国語でもない英語で、こんなにきちんとした修飾節を含む文を作らねばならない。
    これは厄介かもしれません。
    本人の日本語能力を越える英文は作れない。
    そういう根本の原因もあると思います。

    しかし、それで諦めるわけにはいきません。
    英語で複文を作ることにより、日本語で複文を作れるようになるといいなあと思います。
    こういう文の構造を知ることにより、日本語の能力も高まる。
    外国語を学ぶのには、そういう効果もあるのですから。

    ところで、先ほどの誤答、
    The man is Mr.Tanaka who is talking to my sister.
    では、なぜダメなのか?
    Mr.Tanaka のような人名や地名などを「固有名詞」といいます。
    英語では文中でも大文字で始める名詞です。
    固有名詞には、修飾節はつきません。
    日本語に訳してみるとわかります。
    「その男性は、私の姉に話しかけている田中さんです」
    違和感があります。
    別の田中さんもそこらへんにいるような気がします。
    作りたかったのは、「私の姉に話しかけている男性は田中さんです」という文だったはずです。
    これでは、意味が違ってきます。

    実は、
    The man is Mr.Tanaka , who is talking to my sister.
    という英文なら存在します。
    「その男性は田中さんで、私の姉に話しかけています」という意味です。
    でも、それは、高校英語で学習すること。
    中3の段階では、「固有名詞は先行詞にならない」。
    そう思っていて大丈夫です。


    The man who is talking to my sister is Mr.Tanaka.

    自分で作るのではなく、この英文がポンと出てきたときに、意味がわからない、構造が読み取れない、と悩む子もいます。
    どこで切れるのかわからない、というのです。
    慣れるまでは、2個目の動詞に注目し、その前で切るのが1つの作戦です。
    2つの文が1つの文になっているのですから、動詞は2個あります。
    上の文は、2つともis ですね。
    2個目の is の前で文をいったん切って、意味を考えてみます。

    The man who is talking to my sister
    私の姉に話しかけている男性

    それがどうしたのかな?

    is Mr.Tanaka.
    は、田中さんです。

    というように区切ると、意味が見えてきます。

    一般動詞の文の場合は、動詞の前に頻度の副詞が入っていることなどもありますが、その程度のことは自分で微調整できるでしょう。
    基本は2個目の動詞の前で区切って考えてみる。
    それで随分スッキリすると思います。

    関係代名詞は、中学の文法でちょろっと出てくるだけのものではありません。
    高校のコミュニケーション英語では、関係代名詞が1語も出てこないページを探すのが逆に難しいくらい頻繁に使われるものです。
    ここを理解しておかないと、この先、ちょっとやばいぞ。
    そのような緊張感で取り組みたいですね。

      


  • Posted by セギ at 12:23Comments(0)英語

    2018年11月26日

    丹沢大山を歩きました。2018年11月。


    2018年11月25日(日)、丹沢大山を歩きました。
    前回歩いたのは、2012年。
    でも、このときは、金比羅尾根から登り、北尾根を降りています。
    登山道ではない尾根歩きでした。
    今回のコースを前に歩いたのはいつだったか記録を調べたら、2006年に遡りました。
    というわけで、12年ぶりの表参道です。

    三鷹7:33発の中央特快に乗り、新宿で小田急に乗り換え。
    伊勢原着8:55。
    駅前のバス停は既に長蛇の列でした。
    バスは大山ケーブル下までの臨時直通便がガンガン出ていました。
    バスの中は地元出身の落語家さんの軽妙な案内が放送されています。
    まずは小噺を披露。
    面白いサービスです。

    直通バスは20分で大山ケーブル下へ。
    バス停前に大きなトイレがあり、支度をして、さて出発です。9:25。
    まずは「こま参道」の石段道を登っていきます。
    両側に食堂や土産物屋が軒を並べる道です。
    シイタケや柿の直売。
    おせんべい屋さん。
    きゃらぶき専門店。
    1軒1軒個性があって面白いです。
    石段を数段上がるとしばらく平らになり、また石段を数段。
    両側の店を眺めながら、飽きずに歩いていき、店が尽きて左手の橋を渡ると、ケーブルの券売所がありました。
    ケーブルカーに乗る人の大行列で、列を横切って登山道に入るのに苦労するほどでした。
    ケーブルカーに乗るまで、何十分かかるのだろう?
    乗ってしまえば6分で下社まで上がれるそうです。

    ここから、本格的な石段道が始まりました。
    最初はよく整備されている石段ですが、だんだん石の配置が雑になり、石がごつくなり、段差も急になっていきました。
    おや、鹿だ。
    階段脇の草地で草を食べていました。
    こんな麓まで下りてきています。
    観光客に混じって、私も鹿の写真を撮影。
    そうした人々に怯える様子もなく、むしゃむしゃと草を食べる鹿。
    丹沢の鹿は、いつ見ても態度がでかいです。
    奥多摩の鹿は、人を見るとぎょっとし、目を丸くしてUターンするのですが。
    ハンターに遭遇した経験の差異というものでしょうか。

    さて、延々と続く石段道を登っていきます。
    登山客と観光客と半々。
    でも、案外人の流れはスムーズです。
    というより、こんなに速いペースで石段を登ったらバテるのでは?
    観光客は、案外歩くのが速い気がします。
    がむしゃらに登って疲れ果てて、もう2度と行きたくないと言う人は、歩くペースに問題があることが多いのです。
    もっとゆっくり歩けば、息も切れないし、休憩もあまり必要ないので、結局がむしゃらに登るのと同じくらいの時間で上まで着くのですが。

    男坂と女坂との分岐に着きました。
    久しぶりなので、女坂で様子を見ることにしました。
    とはいえ、女坂も、ごつごつした不ぞろいな石段が続きました。

    大山寺。10:00。
    本堂まで、よく整備されたまっすぐな石段道が続きました。
    石段に両側から覆いかぶさるカエデ。
    紅葉の盛りは過ぎて、黒ずんだ濃い赤になっていましたが、これだけの量があるとやはり壮観です。
    上の写真がそれです。

    本堂の右手から登山道はさらに上に伸びていきます。
    再びごつごつした不ぞろいな石段道。
    歩荷のお兄さんを前方に発見。
    この石段を登るのは、バランス面でも難しいでしょう。

    阿夫利神社下社。10:25。
    前に来たときと比べるとびっくりするくらい整備され、古びた茶店が、カフェとラーメン屋に変わっていました。
    観光化の波が山の中腹まで押し寄せてきている印象です。
    ベンチに座ってちょっと休憩。
    見上げる紅葉は、昔と変わりません。

    さて、「登山道」という看板に従い、まずは急な石段を登っていきます。
    登りきると、ここまでのオール石段道から、石段+登山道に道は変化しました。
    下社を1丁目、頂上を28丁目とする古い石柱が立てられています。
    すぐに次の石柱が見えてくるので、励みになります。
    ときどき眺望が開け、座り込んで休憩している人も多くなってきました。
    8丁目夫婦杉。
    10丁目大杉。
    21丁目富士見台。11:15。
    晴れの予報でしたが、地平線付近は雲が多く、富士山は見えませんでした。
    ベンチで休憩。

    隣りの家族連れの男の子が、
    「YouTube少し見ていい?」
    と親に問いかけていました。
    お母さんは苦笑して、
    「それは、帰りの電車で見ようね」

    少しの休憩に、YouTubeを1本見たくなる。
    うーむ。今どきの子どもですね。
    そう言えば、昔、やはりこの大山の山頂で、
    「驚いた。〇〇さんの子どものザックの中、『ハリーポッター』が入ってた」
    「ええ?あんな分厚い本を担いできたの?」
    という会話を聞いたのを思い出しました。
    ハリーポッターの何作目かが発売された直後の日曜日でした。
    親とのつきあいで山に来なければならないが、ハリーポッターは読みたい。
    せめて山の行き帰りはハリーポッターを読みたい。
    休憩時間や山頂でもハリーポッターを読みたい。
    そういう気持ちが分厚い本を担いでの山歩きになったのだろうなあと感心したので、よく覚えています。

    あの頃にはもう、子どもが本を読まなくなったとは言われていたけれど、ハリーポッターはベストセラーでした。
    本など読みそうにない生徒から、
    「え?先生、『バッテリー』を知らないの?何で?」
    と驚かれたこともあります。
    今の子どもから、本の話を聞くことは本当に少なくなりました。
    ふと振り返ると、時代は流れているなあ。

    25丁目ヤビツ峠分岐。
    青い鳥居は銅製とのこと。
    丹沢大山は山頂付近は案外平らで、最後のきついひと登りというのがありません。
    山頂の阿夫利神社の建物が見えてきました。
    28丁目山頂。12:00。
    ちょうどお昼どきでもあり、山頂は大混雑でした。
    神社の裏側に回り、ベンチが偶然1つ空いていたので、そこで昼食。
    関東平野が広く見晴らせました。
    今日もお昼はカップラーメン。
    周囲もお湯を沸かしてカップラーメンを作って食べている人が大半です。
    通りかかる人が、
    「わあ、いい匂いがするなあ」
    「お腹空いたねえ」
    とキョロキョロと周囲を見回し、レジャーシートを敷く場所もないほど満員なのにがっかりして先に進んでいきました。
    大丈夫。
    この先にも、まだ休憩できるところはあるよー。

    さて、下りは少し遠回りして、雷の峰尾根を歩きます。
    昔、この道は土がむき出しで滑りやすく、歩きにくいところも少しあった記憶があります。
    今は、木段・木道が完全に整備されていました。
    歩きやすくなったせいか、人も多いです。
    山頂に来た人の大半はこの道を下るのだろうか?というくらいの大行列で下っていきました。
    この道は、本当は独りしみじみと歩きたいなあ。
    こんな観光シーズンに来たらこうなるのは仕方ないので、初冬の頃とか平日とか、時期を変えてまた歩きたい道です。
    ときおり樹間から、ケーブル沿いの紅葉の道が見下せたり、相模湾が見えたり。
    眺望は素晴らしい道でした。

    見晴台。13:25。
    ここはテーブルとベンチが並ぶ広い休憩適地で、久しぶりに来てもこの場所の記憶はすぐによみがえりました。
    この先は、直進すると日向薬師へと向かう関東ふれあいの道。
    ここで、右にV字を描いて曲がり、下社に戻りました。
    崖っぷちの平坦な道がずっと続いていました。
    崖側にワイヤーが3本平行に張られていました。
    延々と下社までワイヤーは続きました。
    崖っぷち道が基本嫌いな私の感覚でも道幅は十分過ぎるほどで、こんなワイヤーは不要だろうという気がしたのですが、どんどん歩いていくと、意外なほど多くの観光客とすれ違います。
    この道を歩いても観光的には面白いところはないのですが、下社から平坦にこの道につながっているので、ふらっと入ってきてしまう人が多いようです。
    途中、2段の細い滝があります。
    滝が龍のように蛇行し、傍にある社の狛犬も龍のブロンズ。
    足を伸ばすとしてもここまでで、その先は本当に何にもないのに、観光客がその先にうっかり進んで滑落事故を起こしたことがあったのかもしれません。
    「道悪い」の古い看板が残っていますが、橋のような立派な桟道がつけられていて、道は別に悪くない。
    山の観光化と滑落事故と過剰整備と。
    そんなことを思いながら、下社まで戻ってきました。13:55。
    ここは、午後も大盛況でした。

    ケーブルで上がり、徒歩で下りる。
    観光客はそうする人も多いのですが、体力的には楽でも技術的には難しいのが下りです。
    石段には手すりや鎖のついているところが多いですが、ないところもあります。
    そういうところでは、しゃがみこんで手をついて石段を下りている観光客もいました。
    足許が不安定な年齢になると、この石段の下りは怖いですね。
    私もトレッキングポールを出しました。

    大山寺。
    石段の灯篭にローソクが灯っていました。
    紅葉シーズンは、夜になるとライトアップされるそうです。
    それを目当てにか、午後もどんどん人が登ってきていました。

    下山。14:40。
    こま参道を下り、バス停へ。
    すぐにバスに乗車できました。
    発車し、道路を下っていくバスは、こちらに向かってくるバスと次々にすれ違いました。
    どれだけ増発してもきりがないほど大盛況の丹沢大山でした。
    こういうのも嫌いじゃないけれど、静かな時期にまた来ようと思います。
    これから、どこの低山も冬枯れの良い雰囲気に変わっていきます。
      


  • Posted by セギ at 13:34Comments(0)

    2018年11月23日

    高校数A「整数の性質」公倍数・公約数に関する問題。



    今回も高校数A「整数の性質」。
    「最小公倍数・最大公約数」の性質について。
    例えば、こんな問題です。

    問 最小公倍数が144、積が864である自然数の組(a,b)をすべて求めよ。ただしa<bとする。

    まずは受験算数の解き方で解いてみます。
    2つの数aとbの連除法をイメージした図を描いてみます。

    ☐) a b
      A B

    ☐は、最大公約数です。
    本来、共通に割れる数で何段階にも割っていったものの積が最大公約数ですが、一気に最大公約数を見つけたのなら、こうして一段で連除法が終わっても良いでしょう。
    連除法のこの図からわかるように、最小公倍数は☐×A×B。
    問題によれば、これが144なのですから、
    ☐×A×B=144 ・・・① となります。
    さらに、上の図から、
    a=☐×A。
    b=☐×B も読み取れます。
    よって、2数の積は、
    a×b=☐×A×☐×B。
    問題によれば、これが864ですから、
    ☐×A×☐×B=864 ・・・② となります。
    ①、②より
    ☐=864÷144=6
    ①に代入して、6×A×B=144 となりますので、
    A×B=144÷6
    A×B=24
    AとBとはもう公約数はないのですから、候補としては、
    1と24、または3と8でしょう。
    2と12や、4と6は、まだ共通に割り切れる数があるので、上の連除法の図に当てはまらなくなってしまいます。
    よって、A=1、B=24のとき、a=6、b=144。
    A=3、B=8のとき、a=18、b=48。 
    よって、(a,b)=(6,144),(18,48)
    これが答えとなります。

    高校数Aの解き方もこれと同じで、小学生よりも少し大人っぽく文字を使用するだけです。

    まず、aとbとの最大公約数をgとすると、
    a=ga'
    b=gb'と表すことができます。
    (a'、b'は互いに素な自然数で、a'<b')
    最小公倍数から、
    ga'b'=144 ・・・・①
    また、積が864だから、
    ab=864
    よって、ga'gb'=864・・・・②
    ②÷①より
    g=864÷144=6・・・・③
    ③を①に代入して
    6a'b'=144
    a'b'=24
    となります。
    a'とb'は互いに素な自然数で、a'<b'ですから、
    (a'、b')=(1、24)、(3、8)です。
    それぞれ6倍して、
    (a、b)=(6、144)、(18、48)


    解き方は小学生も高校生も同じです。
    連除法を知らないと、論理展開についていくのが少しつらいかもしれません。
    自然数を他の自然数の積の形として見ることに慣れていると楽に解けます。
    これは、計算の工夫の上でも必要な感覚ですが、自然数が他の自然数の和に見える「和の感覚」だけでなく、自然数が他の自然数の積の形に見えている「積の感覚」が身についていると、こうした問題は楽に解けると思います。
    簡単に言えば、15=3×5 という形に見えていること。
    因数分解した形が常に見えているということです。

    これは中3の「平方根」の単元でも重要な感覚です。
    例えば、
    √45×√40
    =3√5×2√10
    =3・2・5√2
    =30√2
    という計算は、この「積の感覚」があるからできることです。
    この感覚が育っていないため、
    √45×√40
    =√1800
    ここで、素因数分解の筆算をして、
    =30√2
    という形でしか計算できない子は案外多いです。
    どちらでも正しい答えを導けますが、上の解き方のほうが暗算がやりやすく精度が高いです。

    小学校4年生で学ぶ「計算のきまり」という単元も、この「積の感覚」があると、工夫を思いつきやすいです。
    問題 12×25 を工夫して計算しなさい。
    そう言われても普通に筆算することしか思いつかない、工夫を考えている時間に筆算できるのに・・・という子が案外多いのです。
    12×25
    =3×4×25
    =3×100
    =300
    というのが、期待されている工夫です。
    小学4年生がこの単元で習得することを期待されているのは、表面的には「交換法則」と「分配法則」ですが、交換法則をより効果的に利用するには、このように自然数を積の形に分解できることが必要となります。

    この「積の感覚」は、教わっていなくても自然と身についていることも多いのですが、教わっても身につかないこともあります。
    言われればわかるけれど、自分で思いつくことはできないようです。
    1つには、算数というのは、もっと単純に1つの解き方に統一されるべきなのだという思い込みがあるのかもしれません。
    色々な解き方があるというのが好きではない。
    色々覚えなければならないのは面倒だから、そういうのはやめてほしい。
    そういう気持ちが根底にあるような気がします。

    だから、どれほど教わっても進んで活用しようという気持ちになれない。
    一応は理解しても、そういう「他の解き方」というのが好きではない。

    私はいついつまでも、地道に計算します。
    それ以外のことを勧められても迷惑です。

    中学3年で「平方根」を学習する頃には、すでにそのように凝り固まってしまう子も多く、上の解き方を説明しても、
    「いいの!私はこのやり方じゃないとわからないの!」
    と拒絶されたこともあります。
    作業手順だけを暗記しているので、他のやり方を勧められても混乱するからやめてくれ、という気持ちだったのでしょう。
    「他の解き方」が好きではないのは、それを理解する余裕がなくなっていることの表れであり、算数・数学がわからなくなってきているサインととらえて良いと思います。
    全ての単元に共通する数理の根本がわかっていないので、1つ1つの単元ごとの解き方を別べつに暗記するしかなく、それがとても苦しくなっているサインではないかと思うのです。

    気持ちに余裕がなくなっている。
    それは計算が速い遅いの話とは違います。
    精度の話ともまた違います。
    計算は遅いし、計算ミスも多いけれど、気持ちに余裕のある子はいます。
    考えるのにとても時間がかかるけれど、考え続けることはできる。
    表面的なテストの点数はともかく、「他の解き方」を受け入れられる。
    そういう子はいずれ開花するので、あまり心配はいらないのです。


      


  • Posted by セギ at 12:22Comments(0)算数・数学

    2018年11月21日

    英語能力指数 日本は非英語圏で49位とのこと。


    先日、EF EPI 英語能力指数2018年のスコアというものが発表されました。
    日本は、非英語圏88か国中で49位。
    アジア21か国中で11位。
    5段階で下から2番目の「低い」だそうです。
    2011年は44か国で14位。
    2012年は54か国で22位。
    2013年は60か国で26位。
    2014年は63か国で26位。
    2015年は70か国で30位。
    2016年は72か国で35位。
    2017年は80か国で37位。
    そして、
    2018年は88か国中で49位。
    参加国が年々増える中で、どんどん日本の順位が下がっています。
    5段階判定では、2015年までは真ん中の「標準」でしたが、最近3年は下から2番目の「低い」に陥落とのことです。

    こういう記事を新聞やネットで見ますと、さあ大変だ、日本の英語教育はやはり方向が間違っているのだと、つい思ってしまうのですが、ここで落ち着きたいと思います。
    そもそも、このテストはどういうものなのでしょうか?
    それを知らないうちは、何とも言えません。

    EF EPIテストは、誰でもインターネットですぐに受けることのできる無料の英語テストです。
    昨年、日本では数千人が受検。
    日本の受検者は二十代が多いとのことです。
    どんなテストなのだろう?
    今回、私も試しに受けてみました。

    テスト内容は、リーディングとリスニング。各25分。
    それぞれ大問が3題あり、それを25分で解く形式でした。
    まずはリーディング。
    英文の書体の読みにくさに、ちょっと驚きました。
    昔の英文タイプのような書体です。
    ネットでは少し読みにくい。
    目が慣れるまで時間がかかります。

    問題の難度はどうか?
    例えばTOEICならば、易しい問題から始まり、徐々にレベルが上がっていきます。
    だから、前半の問題で得点することが可能です。
    英検ならば、級ごとに問題が作られ、それぞれのレベルの問題が出題されます。
    EPIテストは最初からマックスのレベルでした。
    同じ難度の英文が3題。
    リーディング問題は、大学のセンター試験よりも難しいです。
    国公立大学の2次試験や難関私立大学の入試問題レベル。
    英検で言うと、準1級くらいでしょうか。
    この難度ですと、うっかり受けてしまったけれど本文が全く読めない人も多いと思います。

    出題形式は?
    全て記号問題で、大問それぞれに小問が各8問ありました。
    問1以外は、1問につき2つの答えを選ばねばなりません。
    この複数回答制も、日本人にはあまりなじみがないと思います。
    大問の最後に正しい選択肢を4つ選ぶなどの形式はありますが、小問でいちいち2つの正答を選ぶ形式は入試であまり見たことがありません。
    設問をよく読まず、1つずつしか選択肢を選ばずに大量失点する人もいそうです。

    25分で大問3題ということは、大問1題でおよそ8分。
    本文を読む時間が必要ですから、小問1問あたり正味30秒くらいでしょうか。
    英検や大学入試よりも時間制限が厳しく、速読力が必要です。
    落ち着いてゆっくり読めば正解が出せる人も、この時間制限では厳しいと思います。

    続いてリスニング。
    リスニングも時間は25分でした。
    大問3題。それぞれ小問8問。やはり正解を2つ選ぶ方式です。
    ボタンをクリックすると音声が流れます。
    2~3分の会話やアナウンスです。
    小問と選択肢は音声ではなく、文字を読み取って解きます。
    音声は2回聴くことが可能です。
    難度は、スピードと語彙から感じて、やはり英検準1級程度。
    これも複数回答なので選択肢の吟味に時間がかかります。
    選択肢の読み取りに手間取ると、音声を2回聴く時間はなさそうです。


    英語を勉強中の人が、どこかでこのEF EPIテストのことを知って、試しに受けてみる。
    受けてみて、レベルの高さにドン引きする。
    予想を越えたレベルの英文とリスニング。
    何よりそのスピード。
    そして、惨敗の結果が次々と残されていく。
    ・・・日本のスコアが低いのは、そういう事情かもしれません。
    テストのレベルとして、あまり感心しません。
    このテストでは、「わかる」か「全くわからない」かの二極に別れてしまうと思うんです。
    大学入試ならば、この難度をクリアできる人しか入学させないという意味で、こういうテストで良いと思います。
    しかし、色々なレベルの英語力の人を評価するためのテストならば、易しい問題も出したほうが正しい指数が出るでしょう。
    正答の多い一部の人以外は、皆、団子状態の低い結果になるのでは、正しい数値は出ません。
    勘が当たってたまたま正答した人が抜きん出てしまうような結果は、正しい結果ではないですよね。
    日本と他国とのスコアの差も、団子状態の僅差です。
    それもこのテストのレベルが招いていることと感じます。
    この順位にそんなに意味はないんじゃないかというのが、受けてみての実感でした。
    TOEICのように易しい問題から難しい問題へとバランス良く並んでいるタイプのテストならば、日本人のスコアももう少し高いでしょう。

    ただ、英語を学ぶ誰もがこのレベルに到達するのは望ましいこと。
    今の日本で、このテストに一応は歯が立つ英語力に到達できる高校生は全体の1割程度でしょう。
    今後はどうなるか?
    テスト内容がリーディングとリスニングですから、英語4領域の教育改革でどうにかなる話ではありません。
    「日本人はスピーキングが弱いから」
    テストの内容を見なかったら、こんな見当違いな評価をしそうなところでしたが、そういう話ではありませんでした。

    この難度とスピードで英語力を試されるとは想像もしなかった。
    受検した日本人には、そういう人が多かったのではないでしょうか。
    日本人は、英語力の到達点に関して理想が低いかもしれません。
    正直、私ももっと簡単なテストだと思っていました。
    このレベルだとは思っていなかったので、厳しい時間制限に焦りました。
    テストの結果、
    「全ての場面で不自由のない英語力」
    とか何とかいう評価をいただきましたが、実感としてはそんなことはなく、まだまだ自分は不自由です。
    個人的には、たまにこうやって冷や汗をかくのは刺激になり、受けて良かったと感じました。


    「英語能力指数」で検索すれば、簡単にテストページに行きつきます。
    こういうタイプのテストだと知れば逆に受ける気になる腕に覚えのある人も、日本には多いと思います。
    結果ばかりがニュースになるわりにテストの知名度が低いのも、日本のスコアが低い原因かもしれません。

      


  • Posted by セギ at 13:34Comments(0)英語

    2018年11月19日

    高尾山から南高尾山稜を歩きました。2018年11月。


    2018年11月18日(日)、高尾を歩きました。
    三鷹発7:48の中央特快で高尾駅へ、そこから京王線に乗り換えて、高尾山口へ。
    高尾山口駅に降り立つと、やはり混雑はしていましたが、例年の紅葉シーズンの高尾の物凄い混雑と比べると人が少ないように感じました。
    例年は駅の階段を下りるのも渋滞でなかなか進めなくなりますが、今回はそこそこのスピードで下りていけました。
    駅前からケーブル清滝駅までの人の流れもスムーズです。
    朝から曇っているからかな?
    高尾の紅葉は例年勤労感謝の日前後が最盛期で、まだ1週間早いのも理由でしょうか。

    ケーブル清滝駅到着。
    Suicaでリフト片道券を購入しました。
    切符を買う行列もなく、前の人が買うのを待つだけですぐに私の順番になりました。
    リフトの乗車口までは石の階段を登っていきます。
    朝からなかなかの登りで、ここで疲れてしまう日もありますが、今回はわりとすぐに乗車口に着いた感覚がありました。
    今日は体調もいいのかな。

    リフト山頂駅。8:48。
    ベンチの1つで身支度し、さて出発です。
    高尾山1号路の混雑もそこそこ。
    もう下山してくる人も多いですが、その行列は途切れ気味で、間合いを見計らって前の人を追い抜いていけました。

    薬王院でお詣り。
    おや、また何か新しいアクティビティができています。
    石を持ち上げるものです。
    その石の重さが自分の業の重さなのだとか。
    お、重いっ。(^-^;

    高尾山頂。9:30。
    紅葉の色は、例年よりも暗めでした。
    今日の曇天のせいもあるでしょうか。
    でも、人が少なく、ゆったり見られるので、これもまた良い風情と思えなくもありません。
    大見晴台から、丹沢も見えませんでした。
    雲が低くたれこめ、地平線との隙間の空だけが白く明るい。

    歩き始めは霧雨が降っていましたが、止んだようです。
    天気は好転するという予報を信じ、紅葉台へと石段を下りて行きました。
    この辺りは雑木林の風情が良いところです。
    石段を降り切って、「ここより奥高尾」という道しるべを眺め、さて紅葉台へと少し登り返します。
    お蕎麦屋さんへの坂道の紅葉はライトな色合い。
    枯葉も混ざっていますが、ちょっといい感じです。

    紅葉台のベンチが空いているとは、やはり今日は人が少ないようです。
    ここから、よく整備された木段を下っていきました。
    ときどき良い紅葉もあって、立ち止まって写真を撮りながらのんびり下っていき、少し登り返すと、一丁平。10:05。
    奥のほうのベンチでちょっと休憩しました。
    気温が低くなってくると身体に熱がこもらないのでどんどん歩けます。
    4月の終わりには最高気温が25度を越してしまう昨今、やっと山歩きをしやすいシーズン到来です。

    私の目の前を通っていった男性が、しばらくして戻ってきました。
    あれ?
    南高尾に行くのだろうと思ったのに、戻ってきた?
    私も出発しました。
    細い踏み跡をたどり、まずは分岐へ。
    「倒木・枯枝にご注意ください」
    といった内容の掲示が貼られていました。
    以前には見なかったものなので、台風の影響で倒木が増えているということかもしれません。
    分岐を左折。
    しばらく行くと、今度は「熊出没注意」の掲示が。
    なるほど。
    このどちらかを見て、先ほどの男性は戻ってきたのかもしれません。
    服もザックもタウンユースの人だったから、戻るのも賢明な判断だと思います。
    熊鈴をザックの鳴りやすい位置につけて、再び出発。
    倒木注意とは言うものの、たまに細い倒木をまたぐことがあるだけで、他は全て片付けられていました。
    登山道の周囲には、切られたばかりの丸太や、細い枝がからまってぐちゃぐちゃな樹が転がっています。
    歩きやすい下り坂をとんとん下っていくと、電波塔の立つ分岐に出て、ここからは大平林道。
    でも数歩で次の道しるべがあり、大垂水峠を示す道しるべの通りに左の細い道に入りました。
    斜面につけられた細い道を下っていきます。
    土が流れたのか道が細くなっているところもあり、用心して歩いていくと、しばらくして道は十分な幅になり、さくさく歩いていくと、階段を下りて、甲州街道。
    ここが大垂水峠です。10:35。

    歩道橋の階段を登り、甲州街道を渡ると、そのまま登山道に入っていきます。
    ここは関東ふれあいの道の中の「湖の道」。
    看板も出ています。
    甲州街道が樹間から見えるちょっと高度感のある細い道をいき、そこから数段の木段を登ります。
    そこからもまだ細い道が続きます。
    トレイルランナーが後ろから来て、どうにか道を譲りました。
    時間をおかず、今度は向こうからトレイルランナーの集団が。
    南高尾山稜は、最近トレイルランナーが多いのですが、道の細いところでのすれ違いはさすがにストレスを感じます。
    今は紅葉シーズンで高尾主脈は走れないから余計にランナーが多いのでしょうか。
    木の根の作る段差をひと登りして、ようやく道が広くなり、安堵。
    木段の登り、その後しばらくは緩やかな坂道、また木段の登りと繰り返して、樹間から空が見えてくると、ベンチが幾つか横に並ぶ箇所に。
    そこから右が植林帯、左が雑木林の道をしばらく歩いていくと大洞山でした。11:00。

    大洞山は眺望はありませんが、ベンチとテーブルと山頂標識や看板があります。
    ベンチに座って休憩。
    さて、ここからの南高尾の秋の道は風情があって好きな道です。
    毎年秋になると、ここを歩きたくて南高尾に向かいます。
    雑木林の紅葉。
    カエデだけでなく、色々な木が紅葉・黄葉しているので、林が明るい。
    一歩ずつが楽しい。
    道も緩やかな下りで、歩きやすいです。
    たまに急な下りや岩がちな下りもありますが。

    中沢山のまき道に入りました。
    もともと細い崖っぷちの道ですが、山から土が崩れてきて、さらに道が細く斜めに傾いてきている気がします。
    でも、紅葉もここらへんが一番きれいなんです。
    足許に気をつけつつ、紅葉を眺めつつ、でも、あまり長く居たくないなあとも思いつつ。
    道が崖を離れ、歩きやすくなると、少し登ってはまた平坦な道、少し下ってはまた平坦な道が繰り返されます。
    鉄塔を左に見て、さらに進んでいくと、樹間の中の道の先がふっと明るくなり、見晴台。11:45。
    冬晴れの日は、富士山だけでなく南アルプスも見える展望地ですが、今日は丹沢も見えない曇り空。
    とはいえ、足許の津久井湖と街並みが箱庭のようです。
    ベンチが横にずらっと並ぶ休憩適地です。
    ここも今日は空いていました。
    ベンチに座って、昼食休憩。
    今日もポットのお湯でカップラーメンを作って食べました。
    ああ、温かくてしょっぱいスープが嬉しい。
    スポーツドリンクもごくごく飲んで、さて出発。

    ここから、また道が細くなります。
    道が細くなると、決まってトレイルランナーの集団が現れる。
    いや、それは気のせいでしょう。
    先程の崖っぷちのまき道など、すれ違う人が現れたら本当に本当に最悪のところではランナーは現れませんでしたから。
    ここも何とか道を譲って通過。
    そこかしこの淡い紅葉を楽しみ、あ、ここにもベンチ、あそこにもベンチがあると確認しながら、どんどん歩いていきます。
    いくつかの登りを越えていくと、向こうから来た二人連れに話しかけられました。
    「どこから来たんですか?」
    うん。これこれ。
    南高尾山稜を歩いていて特有の質問、今回も来ました。ヽ(^。^)ノ
    「ええと。高尾山から一丁平に行って、甲州街道を越えて、大洞山からここまで来ました」
    「高尾山から?凄い距離でしょう。いや、色んな人がいるんで、面白くて訊いているんですよ。さっきの人は陣馬山から来たと言っていましたよ」
    「ああ、陣馬山から?凄いですね」
    「ねえ」
    にこにこと別れました。

    三沢峠。12:40。
    まき道も含め、登山道が集まる五叉路です。
    ここもベンチやテーブルがあり、休憩適地。
    道しるべが増え、ここから草戸山・高尾山口への道がわかりやすくなりました。
    緩い登り坂を歩いていきます。
    ここからの道も好きな道です。
    道幅も広く、歩きやすく、紅葉が美しい。
    のんびり歩いていくのに適した道です。
    やがて、ものすごい段差の階段道が始まりました。
    膝と股関節がガクガクいうような段差の下り道です。
    でも、この階段がなかったらすぐ横に見える物凄い急坂の道を降りることになるので、この階段は有難い。
    しばらく平坦な道。またガクガクいう階段道。
    これが繰り返されます。
    やがて、珍しく登りの階段道を越え、また登った分だけ下ると、そこからひと登りで草戸山。13:10。
    いつ来ても、ここは人が多くにぎやかです。
    ベンチで休憩。

    さて、ここから高尾山口への道は今日のコースの中で一番アップダウンの激しい道です。
    あとは下るだけと思っていると、思わぬ難度にびっくりするのがこの道。
    危険個所はないのですが、人が少なくアップダウンが激しいので、こんな道が本当に高尾山口につながるの?と最初に歩いたときは不安にかられました。
    まずは木の根の段差の道を下り、しばらく平坦かと思うと、その先は次々と小さなピークが現れます。
    土がむき出しになった、段差の大きい登りもあります。
    登ると下る。
    登ると下る。
    台風後の整備もここまでは進まず、倒木が登山道に倒れかかっている箇所もありました。
    樹間の向こうに高尾の町並みは見えているのに、登山道はどこの深山だろうという風情。
    京王電鉄のアナウンスが聞こえてくるのに、まだ深山の風情です。
    暗い林の中で道しるべを見て、湿った下り道を行くと、やがて民家が見えてきました。
    民家の横の細い道を通っていくとポコッと舗装道路に出て、そのすぐ先が甲州街道の横断歩道。14:35。
    観光客あふれる雑踏に、さっきまで歩いていた道が何だか幻に思えてきました。
    この落差が南高尾山稜の醍醐味かもしれません。
      


  • Posted by セギ at 15:09Comments(0)

    2018年11月19日

    大人のための数学教室、個別指導のご案内。


    隔週土曜日に行っておりました大人のための数学教室は、この度、休会とさせていただくこととなりました。
    2010年秋、中1「正負の数」の学習から始め、高2「図形と方程式」の学習まで進みました。
    今後は個別指導で学習を継続していただけますよう、よろしくお願いいたします。

    以下、大人のための個別指導コースのご案内です。

    ◎日時
    月曜日・水曜日・木曜日・金曜日の13:20~14:50 , 15:00~16:30
    土曜日の11:40~13:10 , 13:20~14:50
    からお好きな日時を選び、ご予約ください。
    ◎内容
    中学・高校の数学(テキストはこちらで指定いたします)。
    就職試験対策など別教材での授業をご希望の場合は、内容等を具体的にお問い合わせください。
    ◎費用
    90分1回 4,000円。
    週1回、隔週、月1回など、ご希望のペースでご予約ください。
    ◎予約方法
    メールまたはLINEでお申込みください。
    ご予約は前日までにお願いいたします。

    初めてのお問い合わせは、左側「お問い合わせ」ボタンからお問い合わせください。
    初めてのお問い合わせの際は、返信に時間がかかることがありますので、1週間前を目途にご予約ください。



      


  • 2018年11月16日

    冬期講習のおしらせ 2018年。


    2018年度冬期講習のご案内です。
    詳細は、11月末の授業時に書面をお渡しいたします。
    お申込み受付は、12月1日(土)からとなります。
    メールまたは申込書でお申込みください。
    なお、この期間、通常授業はありませんので、いつもの時間帯の授業を希望される方も改めてお申込みください。
    今回は、外部生の受講は承っておりません。
    大変申し訳ありません。
    以下は、冬期講習募集要項です。

    ◎期日
    12月25日(火)~12月30日(日)、1月4日(金)~1月7日(月)

    なお、12月23日(日)、24日(月)、31日(月)、1月1日(火)~3日(木)は、休校とさせていただきます。

    ◎時間帯
    10:00~11:30 , 11:40~13:10 , 13:20~14:50 , 15:00~16:30 , 16:40~18:10 , 18:20~19:50 , 20:00~21:30

    ◎費用
    1コマ90分4,000円×受講回数

    ◎指導科目
    小学生 一般算数・受験算数・英語
    中学生 数学・英語
    高校生 数学・英語

    ◎空きコマ状況 12月12日現在
    12月25日(火)
    15:00~16:30 , 18:20~19:50 , 20:00~21:30
    12月26日(水)
    18:20~19:50
    12月27日(木)
    10:00~11:30 , 11:40~13:10 , 20:00~21:30
    12月28日(金)
    18:20~19:50
    12月29日(土)
    18:20~19:50 , 20:00~21:30
    12月30日(日)
    18:20~19:50 , 20:00~21:30
    1月4日(金)
    11:40~13:10 , 20:00~21:30
    1月5日(土)
    10:00~11:30 , 11:40~13:10 , 18:20~19:50
    1月6日(日)
    11:40~13:10 , 18:20~19:50 , 20:00~21:30
    1月7日(月)
    11:40~13:10 , 13:20~14:50 , 15:00~16:30 , 16:40~18:10

      


  • 2018年11月14日

    2学期中間テスト結果出ました。2018年。



    2学期中間テストの結果が出揃いました。
    数学 80点台 2人 70点台 2人 60点台 2人 
    英語 90点台 2人

    数学は90点台こそ逃しましたが、高めに安定してきています。
    英語も好調です。ヽ(^。^)ノ

    さて、公立中学はもう期末テストの時期です。
    しかし、相変わらずテスト勉強のやり方を知らない子もいると思います。

    三頭山に行くバスの中でのこと。
    混雑したバスの中はグループごとのおしゃべりでアナウンスが聞こえにくいほど賑やかでした。
    その中で若い女性2人の話し声が、私の近くの席だったこともあり、特によく聞こえてきました。
    話の内容から察するに、2人とも高校の先生のようでした。
    せっかく日曜日に山に遊びに行くのに、話の内容は教育論。
    それで気分転換になるのかなあと心配になるのですが、学校で意見を通すにはまだ若過ぎるので、対等に教育論を交わせる相手ととことん話すのは、ある意味ストレス解消なのかもしれません。
    その中で、ちょっと面白かった会話。
    「成績の悪い子って、ノート、きれいだよね」
    「何であんなにきれいにノートを作って、あんなに成績悪いんだろうって思うよね」
    「ノート作りが目的になっちゃっているんだろうね。違うのにね」

    学校の先生が、そんなことをバスの中で大声で言う是非というのはあると思います。
    でも、生徒のことを心配して言っている気持ちも本物だと思うんです。
    私も実感として知っています。
    ノートがやたらにきれいで勉強ができない子は一定の割合で存在します。

    以前、勤めていた集団指導塾でのこと。
    明日は定期テストという子ばかりだったので、普段の授業は中止し、自習に切り替えていた日のことでした。
    英語や数学は、テスト前日は最終チェックと微調整をすればいいだけなので、テスト前日は、案外やることがありません。
    生徒も、理科や社会の勉強をやりたがります。
    自習している様子を見ていると、ある女子生徒が、ノートに、それはそれは精密な細胞の図を描いていました。
    教科書に描いてある、動物細胞と植物細胞の図です。

    「それ、何にするの?」と訊くと、
    「明日の1時間目は自習だから、これを見て、覚える」
    と言うのです。
    覚えるのなら、今、教科書を見て直接覚えたらいいのに、彼女は図を描くのにとにかく夢中なのでした。

    覚えるためのノートを作らないと覚えられないという人は、います。
    しかし、それは少なくともテスト1週間前には完成させておくものです。
    それを見て暗記するのに、また時間がかかりますから。
    テスト前日に精密な図を描いているのは、学習の方向性にかなり疑問を感じます。
    覚えることが最優先のはずです。
    きれいなノートを作ることが目的ではありません。

    他の子が、理科のプリントが欲しい、と言いだしたので、私は全員にテスト範囲の一問一答形式のプリントを渡しました。
    幸い、その子もプリントを受け入れてくれたのですが、今度は手が動きません。
    テスト範囲の重要事項や用語をまとめた、簡単なプリントでした。
    なのに、1問も解けない様子です。
    しばらくして解答を渡すと、彼女はプリントに解答を丁寧に写し始めました。
    きれいな字で、丁寧に、丁寧に。
    そして、全てに赤丸をつけて、プリント作業終了。

    学習の方向が、間違っているのです。
    暗記する。
    問題を解いてみる。
    間違えたところをチェックして、覚えなおす。
    問題を再度解く。

    こういう当たり前の勉強方法を、その子は知らない様子でした。
    あるいは、知っていたのかもしれません。
    でも、その勉強方法は、その子にとっては、とても苦しいのでしょう。
    なかなか覚えられない自分。
    問題を解けば、間違いだらけの自分。
    ダメな自分。
    そういうものと向き合う作業になります。

    それは、どんな秀才だって、最初はそうなのです。
    訓練しているから、そういう作業が速くスムーズになっているだけです。
    でも、その子は、それを知らない。
    あるいは、そう説明されても信じない。
    そういう作業に、立ち向かえない。
    逃げてしまって、頭を使わない作業ばかりしてしまう。
    ほとんど頭を使っていない作業を「勉強している」と称してしまうのです。

    このように、やけにきれいなノートを作ったり、解答を見ながらプリントに答えを埋めたりと、何か作業はしているけれど実質的な勉強はしていない子が、勉強のできない子には多いと私も思います。


    また別のとき、英語の勉強の仕方がよくわからないという質問を受け、その子のコミュニケーション英語のノートを見せてもらいました。
    これは使えないノートだ・・・とため息がもれました。
    まず教科書の英文をノートに3行おきに書いてあります。
    その英文の真下に、和訳が書いてあります。
    英文には、学校の授業中に説明のあった文法事項や指示語の指示内容などがカラフルに書き加えてありました。

    え?
    良いノートじゃないかって?

    ・・・いいえ。
    そのノートを、その後、何に使うのでしょう?
    テスト前に繰り返し眺めるだけでしょうか?
    眺めるだけで、覚えられるのでしょうか?
    本当に覚えているかどうか、そのノートで確かめられるのでしょうか?

    それを考えると、そのノートの体裁はベストではないのです。

    ノートの見開き左側に英文。
    右側にその和訳。

    そういうノートの形式を指示しますと「何だ、古臭いな」という声もあるかと思います。
    これを古いと感じる人は、このノートの古い使い方をイメージしているのでしょう。
    とにかく教科書の英文をひたすら書き写し、その和訳を右ページに書くのが英語の予習の全て。
    そして、学校の英語のリーディングの授業は、生徒の1人に英文を1段落音読させて、続いて同じ生徒にその1段落を訳させる、眠くなるばかりの授業。
    テストは、新出単語を書く問題の他は、本文の傍線部の和訳ばかり。
    あの英語の授業もテストも、つまらなくて嫌いだったなー。
    あれで英語が嫌いになった。
    ・・・そんな声も聞こえてきそうです。

    ノートはそれと同じ見た目かもしれませんが、やることは英文を眺め、和訳を覚えること、ではありません。
    和訳を見て、教科書本文の英文を復元する作業をします。
    余裕がないなら、重要表現や重要文法事項の含まれている文だけでも。
    余裕があるなら、本文全文を。

    家庭学習で行うことは他にもあります。
    教科書準拠のCDで、教科書本文の朗読を聞いて、内容が聴き取れるか確認します。
    次に、そのCDと一緒に音読。
    同じスピードで同じ発音で音読できることが目標です。

    あるいは、新出単語のスペル練習。
    和訳を見ながら教科書本文を書く作業も、せめて重要文だけはやっておきたいです。
    学校から配られているワークで演習もしなければ。

    英語の家庭学習は、やるべきことが沢山あります。
    しかも、これは「コミュニケーション英語」の学習であって、「英語表現」の学習がこれにさらに加わります。

    ノート作りは、家庭学習をスムーズに行うためのもの。
    ノート作りが目的ではありませんよね。
    だから、学校から禁止されていない限り、英文は教科書をコピーしたものをベタっとノートに貼っても良いと思います。
    新出単語をいちいち辞書で引くことの意義はわかるものの、それに時間を取られ、それが英語学習の全てになるくらいなら、教科書準拠の単語集をささっと写しても構わないと思います。
    ただ、その浮いた時間で必ずその単語を覚えましょう。
    品詞も含めて正確に。
    派生語も覚えておくと完璧です。
    和訳が本当に苦手でひどく時間がかかり、それだけで英語の家庭学習時間の全てが潰れてしまうようなら、ネットの教科書全訳サイトを適宜利用するのだって1案ではあります。

    私の塾では、一度本人に口頭で教科書本文の和訳をしてもらった後、私から全訳を渡しています。
    学校から全訳が配られている場合も今はあります。
    調べものや単なる作業の時間をできるだけ減らし、英語をインプットし活用する時間を増やすためです。
    教科書以外の英文に触れる機会を増やすことも大切です。
    長文問題集や英検問題集をどんどん解きたいですね。
    今の定期テストは、読んだことのない英文も出題される場合がほとんどです。

    この学習方法は、英語学習の最初からそれをやっていれば、抵抗は少ないのです。
    教科書本文は徐々に長くなっていきますが、長年の継続の中で徐々に長くなっていったものには耐えられます。
    中3、あるいは高校生になって、突然この学習方法に切り替えると、最初はひどく苦しく感じると思います。
    苦しいことからは逃れたい。
    どうやって逃れるか?
    「こんなことをやっても意味がない」と理論武装する子がいます。
    本人が効果を実感し、積極的にこの学習方法を取り入れるまでは、このやり方を受け入れてほしいこちら側と、何とか否定したい生徒側との闘争が続きます。
    本来、英語が得意になりたいと望んでいるのは生徒のはずですが、その生徒が最大の障壁となることがあります。

    水は低きに流れる・・・。
    嫌いなことわざですが、一面真理ではあるのでしょう。
    教科書全訳はちゃっかり受け取り、サブテキストの全訳もほしいと要求するけれど、その和訳から英語に直す練習はしない。
    音読練習もしない。
    長文問題は「わからなかった」と言って、解いてこない。
    「英語にそんなに時間はかけられないから」
    とうそぶいて、スマホを眺めて1日過ごす子もいるかもしれません。

    しかし、私は問い続けます。
    学校の教科書の英文だけなら勉強した後にそこそこ意味がわかるくらいの英語力がほしいのですか?
    定期テストを何とかこなし、高校卒業の資格がほしいだけですか?
    それとも、次元の違う英語力がほしいのですか?

    英語教育改革の足音は近づいています。
      


  • Posted by セギ at 14:34Comments(0)講師日記英語

    2018年11月12日

    三頭山を歩いてきました。2018年11月。


    2018年11月11日(日)、三頭山を歩きました。
    ホリデー快速あきかわ3号に乗車。
    立川から座ることができました。
    紅葉の観光シーズンですが、電車内はそれほどの混雑ではなく、終点武蔵五日市駅下車。8:48。
    駅前のバスの行列もいつも通り。
    数馬行きのバスは、3台で発車です。

    さまざまな山の登山口で人が下りていき、終点数馬で下りた人は、各バスで10人未満。
    ここから、都民の森行きの無料バスに乗り換えて、都民の森下車。10:10。
    トイレも済ませて、さて出発です。

    三頭山に登るときは、いつも三頭の大滝経由の石段の道を選んでいましたが、今回は反対回りの鞘口峠を経由するコースを選びました。
    どんな道だろう?
    森林館の裏から、道しるべの通りに、登山道が始まりました。
    道幅もそれなりにあり、石段や木段が整備されていて、歩きやすい道です。

    冬枯れの木が多く、登山道は枯葉に覆われ、あたりは晩秋の気配でした。
    これは台風の影響でしょう。
    紅葉する前に、台風で葉の多くが吹き飛んでしまったのだと思います。
    あるいは、紅葉する前に枯れてしまった。
    それでもときどき、ハッとするような紅葉がありました。
    予報は晴れだったのに、山は案外雲が多く、光が足りないので、写真に撮っても紅葉はあまりきれいに見えそうにありません。
    でも、肉眼で見る分には、きれいな紅葉でした。

    登っていくと分岐があり、右は「三頭山登山道」、左は「三頭山ブナの道」。
    左の道は少し下り気味に見えたので、せっかく登った分をまた下るのは嫌だからと右の登山道を選びましたが、これは失敗だったと思います。
    右の登山道は、道幅は十分にありましたが、崖っぷちの道でした。
    檜原都民の森の中の三頭山への道が、こんなごつい道なのはおかしくないか?
    道幅はありますけれども、高度感もかなりあるのですが?
    普通の山ならわかりますけど、都民の森が?
    頭に疑問符をいくつも抱きながら進んでいくと、ブナの道との合流点。
    振り返ると、ブナの道はいかにも歩きやすそうな平坦な尾根道でした。
    やっぱり、こちらを歩くべきだった。
    そんなわけで、崖っぷちのごつい「登山道」はさらに続いていましたが、そこからは「ブナの道」を選択しました。
    都民の森の言う「登山道」は、歩けるけれど険しい道という意味のようです。
    では「ブナの道」は何なのかというと、遊歩道なのでしょうか。
    面白い識別です。

    多少段差はあり、アップダウンもあるけれど、高度感はほとんどない歩きやすい尾根道「ブナの道」をのんびり歩いていきました。
    紅葉シーズンの三頭山なのに、人はまばらです。
    今年の紅葉が良くないことを情報として得ている人が多いのかもしれません。
    冬枯れの山の雰囲気も私は好きなので、これはこれでいいなあ。
    人が少ないので、好きなときに立ち止まり、写真を撮ることができました。

    見晴らし台。11:10。
    屋根のついた大きな休憩所でした。
    土足で歩きまわってしまう人が多いのか、板張りの部分も砂や泥で座れなくなっているのが残念。
    入口と板張りの部分との段差がないための構造的な問題もあるのでしょう。
    汚れていないところもあったので、そこに座り、ちょっと休憩。
    御前山と大岳山が見えます。
    先客が、
    「ねえ、あれ、大岳山?」
    「違うよ。大岳山は、あんな山容じゃないよ」
    と会話していました。
    いや、大岳山はあんな山容だと思うけれど、どういうことだろう?
    三頭山から見ると、左の肩だけ張っているように見えるせいかな?
    しかし、他パーティのこういう会話に首を突っ込むには、私はまだ年齢が足りない気がします。
    今はまだ、教えたがりの嫌なヤツに見えてしまうんじゃないかな。

    そこからいったん下り、また登り返していくと、今度は展望台。11:40。
    階段を登り、張り出したデッキへと出ていけます。
    高度が少し上がって、御前山と大岳山の眺望もさらに良くなりました。
    空が曇っているので、どこか荒涼とした景色です。
    山って怖いなあ。
    そんなふうに感じる眺めでした。

    山頂付近はさすがに人が多くなりました。
    まず三頭山東峰。
    ベンチは既にぎっしりと人で埋まり、皆にぎやかに昼食をとっています。
    レジャーシートに座っている人も大勢いました。
    続いて、三頭山中央峰。
    ここも人でいっぱい。
    少し下って、木段を登り返すと、三頭山西峰。11:50。
    ここは、毎度おなじみの峰なのですが、反対方向からやってくると、ちょっと方向感覚がおかしくなってしまいました。
    富士山が見えたらまた違うんですが、今日は雲の中。
    ここも人でいっぱいです。
    道しるべを良く見て、ああ、こっちがいつもの道かと確認して下りていきました。
    少し下りていくともう見覚えがあり、なるほど、これはいつもの道です。
    長い木段を下りきると、ムシカリ峠。
    まだどんどん登ってくる人が現れます。
    人の少ない静かな山だと思ったけれど、たまたま空いている道と時間帯だっただけかもしれません。
    ここのベンチも人でいっぱいでした。

    道しるべをよく見て、三頭山避難小屋・槇寄山方面への登り坂を歩きだしました。
    喧騒から離れ、また静かな山道です。
    三頭山避難小屋の前にはザックが2つ置いてありましたが、人の姿はありませんでした。
    さらに進んでいくと、大沢山。12:10。
    先客もいましたが、ベンチが1つ空いていました。
    ちょうど時間帯も良いので、ここで昼食。
    晴れた日なら大きく富士山の見えるところですが、今日は雲に覆われています。
    座ると汗が引いて少し寒くなる季節にようやくなりました。
    今年はいつまで暑いのだろうと心配になるくらいでしたが。
    ポットに詰めてきたお湯で、カップ麺を作って食べました。
    本当はお湯を沸かすと良いのですが、今日は温泉セットも持ってきているので、これ以上ザックが重くなるのは避けたい。
    熱々とは言えませんが、そこそこおいしくカップ麺を食べました。

    さて、ここから笹尾根を下ります。
    枯葉が多く、紅葉が少なく、やはり台風の被害が深刻だったのは伝わってくるのですが、登山道はよく整備され、道を塞ぐ倒木はありません。
    都民の森は整備が早いなあ。
    でも、この前歩いた大マテイ山も、その前の扇山も、もう整備が進んでいるかな。
    大沢山からしばらくは山頂直下の急な下りが多いです。
    岩がちな段差のある下りなので、土ののっぺりした下りと比べると歩きやすいです。
    岩につかまったりしながら段差を下っていくと、「倒れるぞー」という声が聞こえてきました。
    うん?
    見ると前方に、薄茶色の制服を着た男性が2人、倒木を登山道から除去する作業をしていました。
    登山道に斜めにかかった倒木を倒して、脇へどけているのです。
    制服には、「奥多摩レンジャー」の文字が。
    わあ、カッコいいなあ。
    ちょうど作業が終わったところだったので、挨拶をして先に進みましたが、すぐに2人に追いつかれ、道を譲りました。
    上手い歩き方だなあ。
    重心が安定して、無駄がないんです。
    だから、急いでいる様子はないのに、実際にはすごく速い。

    山頂直下の急な下りが終わると、尾根は広くなり、道はなだらかになりました。
    そして、美しい紅葉が見え始めました。
    樹間のむこうが赤くきらきら光って見える紅葉。
    頭上高く、深紅のカエデ。
    足元は、茶色の枯葉の上に黄色い葉や真っ赤なカエデが混じり、明るい登山道が続きます。
    どれも今日の光量では写真にはきれいに撮れないだろうなあ。
    立ち止まり、目に焼き付けて、またゆっくりと歩きだしました。

    道が再び登りとなり、槇寄山。13:30。
    ここはベンチもテーブルもあり、休憩適地です。
    先刻の奥多摩レンジャーの人も休憩中でした。
    「いやあ、倒木があると危ないからね」
    と、登山者にねぎらわれながら談笑していました。

    さて、もう少し笹尾根を歩きたいところですが、笹尾根そのものは整備されていても、そこから檜原街道に降りる道は台風の影響で荒れているかもしれません。
    予定通り、温泉センター数馬の湯へと下山します。
    槇寄山から緩くくだっていくと、西原峠。
    ここは四辻で、笹尾根から南に下るのは郷原への道。
    上野原駅行きのバス停に降りられる道ですが、まだ歩いたことはありません。
    今日もお馴染みの北へくだる道をとりました。
    仲の平へと降りていく道です。

    ここも紅葉が盛りでした。
    空は曇っているのに、紅葉に照らされて、登山道が明るい。
    細いまき道を過ぎると登山道は深くえぐれ、春に歩くと泥でぐちゃぐちゃなのですが、枯葉で泥道が埋まっていて、サクサク歩いていけました。
    痩せ尾根、木段など、道の様子は次々に変わり、飽きずに歩いていくと、あっけなく農地に挟まれた細い道に出ます。
    舗装された細い道をとことこ下り、石段を下りていくと、舗装道路。
    あとは、分岐の度に下るほう、下るほうと歩いていけば、 檜原街道です。
    街道を右にずっと下っていくと、仲の平のバス停をすぐに越えて、温泉センターが見えてきました。14:45。
    次のバスは14:53。
    バス停には行列ができていました。
    これなら温泉は空いています。
    次のバスに乗ることにして、温泉に入りました。

    100円投入式の靴箱に靴を入れ、靴箱の鍵を受付に渡して、入浴料820円。
    よく磨かれた廊下の奥が温泉です。
    広く機能的な脱衣所。
    洗い場も空いていました。
    数馬の湯は、内湯からの山の眺めがよく、開けてある窓から冷たい外気も入って、気持ちよく入浴できました。
    風呂上がりは、廊下のベンチに座って、発泡酒。
    500mL380円。
    温泉は大好きなのに湯あたりしやすいので、ちょっと長湯すると発汗が凄い。
    次のバスまでのんびり休みました。
    16:08。
    バスは3台でやってきました。
      


  • Posted by セギ at 12:26Comments(0)

    2018年11月09日

    英文解釈に頼り過ぎると。


    錯誤は、学習の過程で起こりやすいものです。
    例えば、以前、ある生徒に「5文型」の指導をしていたときのこと。
    This meat doesn't look fresh.
    という英文を分析せよという問題がありました。
    正解はSVCです。

    SVCとSVOの見分け方は、S(主語)とイコールの関係になっているのが、C(補語)。
    その子も、学校の授業でそう教わっていました。
    S=C。 S‡O。
    わかりやすい判断の仕方です。
    でも、その子の答えは、「SVO」でした。

    理由を訊くと、
    「だって、This meat は、freshじゃないんだから、イコールじゃあない。S=C、じゃない。だから、SVO」
    「・・・・・・・肯定文が否定文になった途端に文型が変わることはないよ」

    錯誤を起こしやすい原因の1つは、文法学習であるのに、英文の意味に頼り過ぎてしまうことにあるのかもしれません。
    なんでも意味から判断しようとしているので、このような錯誤が起こりやすいのでしょう。
    文法が嫌いで、文法なんか必要ない、英語は意味がわかれば何とかなるとよく口にする子でした。
    むしろ、とにかく文法がわからないので、意味から判断しようとしていたのかもしれません。

    CとOの識別は、品詞からも判断できます。
    Cになるのは、名詞・代名詞または形容詞。
    あるいは、それと同じ働きをする句や節。
    Oになるのは、名詞・代名詞。
    あるいは、それと同じ働きをする句や節。
    ですから、動詞の後ろに形容詞がある場合、それはCです。
    動詞の後ろが名詞の場合は、OかCか、さらに考える必要がありますが。

    しかし、文法が苦手な子は、このような話は嫌いです。
    「形容詞」「名詞」という言葉を聞いた瞬間に電源オフ。
    そんな子が多いです。
    彼らは、名詞と形容詞の区別がつきません。
    freshの意味を訊くと「新鮮」と答えてしまいます。
    「新鮮な」と正しい形で覚えていることがほとんどありません。
    文法が苦手な子の多くは、単語の意味をほとんど名詞の形で覚えています。
    動詞も名詞の形で覚えています。
    例えば、understndは「理解」。

    英語なんて単語の意味がわかれば何とかなると、そういう子は言いがちです。
    しかし、文が複雑になるにつれて、品詞や文法を把握していない子たちは、文意を読み取れなくなっていきます。
    個々の単語の意味をすべて名詞で理解しているのですから。
    そういう子にとっては、文は名詞の羅列です。
    それぞれの語の関係はつかめないので、文全体として何を言っているのかわからなくなっていきます。

    別の子の例。
    この子は、「現在完了」を勉強しているところでした。
    I haven't done my homework yet.
    この英文は、「完了」「経験」「継続」「結果」のうちのどの用法か。
    この問いに、彼女は、「継続」と答えました。
    「私は、まだ宿題をやっていない」
    やっていないのだから、完了していない。
    きっと今もやっている。
    だから、「継続」。
    そういう判断でした。
    ここにも、文法と文意の混同が見られました。
    文意だけで判断すると、否定文になった途端、分析できなくなってしまいます。

    「already やyet を使っている現在完了の文は、完了の用法だよ」
    「えー?そうなのお?」
    と驚くのですが、その話をするのは、もう何度目がわからなかったのです。
    ちょっとしたことで簡単に分析できるのに、それを覚えようとしませんでした。
    常に意味から判断しようとしていました。
    幾度間違えても。

    意味から判断する子は和訳は得意なのかというと、そうではありません。
    同じ子が、英文を訳したときのこと。
    My grandmother sends me a postcard every month.
    「私の祖母は、毎月私に絵手紙を送る」
    この和訳を見たとき、「絵手紙」という言葉に、虚をつかれました。
    絵手紙?
    postcard が?

    「postcardって、葉書という意味だけど?」
    「え?」
    「絵手紙という意味はないよ。単なる葉書だよ?」
    「えー?これ、間違いになりますか?」
    「・・・この単語の分だけ減点されます」
    「えー?」

    「祖母」だから「絵手紙」という推量なのでしょうか。
    確かに、絵手紙を趣味とする人は、若い人よりは中高年が多いでしょう。
    確認すると、本人のおばあさんが絵手紙が趣味だというわけではありませんでした。
    なのに、一般論で、そういう推量をしてしまう。
    それが、正しいと思ってしまう。
    かなり面倒くさい誤読の仕方です。

    おそらく、普段から、名詞の羅列に過ぎない英文をどうにか想像で補って意味を取っているので、ちょっと想像のピントがずれると、たちまちこのような誤読が起こるのだと思うのです。
    文を読むというのは、英文にしろ日本文にしろ、そのように単語の羅列を勝手に想像で補って意味を取るものではないのですが、目立つ単語をちょいちょいと拾って意味を想像しているだけの読み方をしている子は、このような誤読の罠に簡単に陥ります。

    When I saw the picture , I couldn't help thinking of her.
    「その写真は彼女であると、私は思わずにいられなかった」
    これも、不可解な混線を感じる和訳です。
    正しい訳は、「その写真を見ると、私は彼女のことを思わずにいられなかった」です。
    ここでは「写真」と訳しましたが、これは、「絵」である可能性もあります。
    そして、それは彼女の写真や肖像画であるとは限りません。
    何かの風景画かもしれません。
    別の人物の写真かもしれません。
    とにかくそれを見ると、彼女のことを思わずにいられないのです。
    しかし、そういう可能性を全て排除して、いきなり the picture を「彼女の写真」と思い込んでしまうと、これが長文の中の一文であった場合、その前後の読み取りに錯誤や混乱が起こる可能性があります。

    何かを頭の中で想像してしまい、それを和訳に反映させてしまう。
    前の「絵手紙」も、そういうことでしょう。
    これは、英語に限らず、国語の問題を読んでいてもやってしまう可能性のあることです。

    なぜ、書いていないことを読み取ってしまうのでしょう。
    「行間を読め」と言う人がいますが、行間なんて勝手に読んだらダメです。
    書いてないことは、読み取ってはいけません。
    必要なことは、全部書いてありますから。
    書き方が遠回しだったり高度な修辞が用いられていたりして、読み取りが難しい場合があるだけで、読解とは、基本、書いてあることしか読まないことです。
    書いてあることは正確に読み飛ばさず読み取る。
    書いていないことは一切読み取らない。
    読解とは、そういうものだと思うのです。
    書いてあることを読み飛ばすのに勝手に行間を読んでいては、必ず誤読してしまいます。

    1つ1つのズレは小さいけれど、積もり積もって本来の英文とは全く違うストーリーが頭の中で組み立てられてしまう子がいます。
    英文解釈の苦手な子に多いです。
    単語の意味が全部わかっていても解釈が歪んでしまうのですから、意味のわからない単語もあってそこは推測しながら全体の意味を読み取るとなると、さらにおかしな誤読が始まってしまいます。
    これをただすのは、英語力の問題だけではないので、厄介で時間がかかります。
    繰り返し繰り返し、何をどのように誤読しているか、本人とともに誰かが伴走し、指摘していかなればなりません。

      


  • Posted by セギ at 11:47Comments(0)英語

    2018年11月07日

    中3英語。分詞の形容詞的用法の英作文。


    さて、分詞の形容詞的用法に関する問題。
    乱文整序問題でも、日本語を英語に直す問題でも、分詞がからむと語順でミスをする人が多くなります。
    例えば、こんな問題です。

    次の日本語を英語に直しなさい。
    「ベンチに座っているあの老人は、私の祖父です」

    これのよくある誤答。
    That old man is siting bench is my grandfather.

    細かいところから解説すると、「ベンチに座っている」は、sitting on the bench です。
    語末の直前に短母音、すなわち詰まっている音を感じたら、語尾の子音字は2回重ねてing。
    だから、sit の現在分詞は、sitting。
    こういう細かいルールが覚えられず、常に減点との闘いの子が多いです。
    さらに、前置詞や冠詞の有無。
    on the bench がスラッと出てこない。
    前置詞や冠詞は、個々に覚えて脳内に蓄えてきた英文の集積がものを言います。
    英語学習の最初から前置詞や冠詞を1度も自力で思いついたことがない子は、そのままでは、その後も延々と前置詞や冠詞のない英文を量産し続ける可能性が高いです。
    今学習している文法事項と関係ないミスでも、
    「また、このミスをした」
    と強く意識し、間違えた問題にはバツ印をつけ、後で解き直し、また同じ間違いをしたら、さらに問題にバツ印をつけ、また後で解き直し、ミスをしなくなるまで反復することが必要です。
    同じミスを繰り返す人は、この作業をしていない人が多いのです。

    そういう人が、ミスに鈍感なのかというとむしろ逆で、自分のミスに精神的に耐えられず、ミスしたことを目に見える形で残すことが嫌で、問題にバツ印をつけられない、ミスしたことを記憶したくない、というタイプの子のほうが多いです。
    根底にあるのは、勉強に対する苦手意識なのでしょう。
    自分のテストの点数がそんなに高くないことはさすがに自覚しているのですが、それでむしろ、
    「こんなことくらいは、わかってる。今ちょっとミスしただけ」
    「私は、一度ミスしたらもう一度やらなくたって理解できる」
    と自分を守ってしまうタイプです。
    より完璧を目指す秀才の心のあり方とは、随分違っています。
    自分のテキストや問題集に自分でバツ印をつける程度のことが、なぜプライドの問題になってしまうのか?
    今、練習しているときに間違ったことは、本番で間違わなければ良いのです。
    ここを完璧にしておけばいいんだ。
    そう思って冷静に、というよりむしろ何も思わず機械的にバツ印をつけ、後日解き直すのが秀才の心のあり方です。
    大事なテストで同じミスをして失点するほうが余程プライドが傷つきます。
    秀才になるには、まず心のモードを秀才スタイルにしましょう。ヽ(^。^)ノ

    もう1つ言えば、前置詞や冠詞のミスが多い人は、そもそも英作文の演習をあまりしていない人が多いです。
    英語の勉強というと、英文を眺めて意味が理解できればOK。
    そんなふうに、できるだけ楽な勉強方法に流れていないでしょうか。
    日本語を英語に直すのは、上手くできないし苦しいから、避けてしまう。
    嫌なこと・苦手なことはやりたくない。
    気持ちはわかるのですが、それでは、テストのときだけ自分の一番苦手なことと直面することになります。
    結果が良くなるわけがありません。


    さて、前置詞・冠詞など、範囲外でミスする話はこれくらいにして。分詞の話。

    That old man is sitting on the bench is my grandfather.

    これもまだ間違っています。
    「分詞」の理解が不十分です。
    これまで学習してきた英文の語順から解放されていないのでしょう。

    「ベンチに座っているあの老人は、私の祖父です」

    この日本文から、主語は「あの老人」と判断し、That old man と書き出したところまでは素晴らしいのです。
    しかし、主語を書くと、次はいつも通りの動詞を書きたくなってしまう身についた習性で、
    That old man is sitting on the bench
    と書いてしまう。
    その後、「・・・は私の祖父です」という日本語を見て、
    is my grandfather.
    と続けてしまう。
    本当によくあるミスです。

    もう一度、日本文を確認してみます。
    「あの老人はベンチに座っている」ということを言いたいわけではないのです。
    「ベンチに座っている」という語句は「あの老人」を修飾しています。
    修飾とは、より詳しく説明すること。
    言い方を変えれば、意味を限定すること。
    「あの老人」では、まだどの老人なのか漠然としています。
    向こうを歩いている老人かもしれません。
    あそこでテニスをしている老人かもしれません。
    目の前にいない、さっき話題に出た老人のことなのかもしれません。
    ベンチに座っているあの老人。
    と、より詳しく説明し、対象を限定すること。
    それが修飾する、ということです。

    英語では、2語以上の意味のまとまりで名詞を修飾するとき、名詞の直後にその修飾語句を置く、というルールがあります。
    だから、That old man と言ったら直後にその修飾語句 sitting on the bench をつけます。
    つまり正解は、
    That old man sitting on the bench is my grandfather.

    です。
    is の前までが主語とその修飾語。
    長いですね。
    こういう主部の長い文のバランスに耐えられない子は、こんなミスもしがちです。
    That old man is my grandfather sitting on the bench.
    これでは、修飾されている名詞は「私の祖父」になってしまいます。

    分詞の文は、これまでとは異なるバランス、異なる語順だと念頭におくこと。
    どうか頭を柔軟に。

    もう1問。
    次の日本文を英文に直しなさい。
    「ぜいたく品の販売が増加したことが、その国の繁栄の指標であった」

    単語を補助しましょう。
    増加する increase
    贅沢品の販売 the sale of luxuries
    指標 an index
    繁栄 prosperity

    これのよくある誤答。
    The sale of luxuries increasing was an index of the country's prosperity.

    何が違うのか?
    現在分詞の位置です。
    2語以上の意味のまとまりならば、名詞の直後に修飾。
    しかし、単独ならば名詞の直前で修飾します。
    だから正解は、
    The increasing sale of luxuries was an index of the country's prosperity.

    前から名詞を修飾するのを「前置修飾」、後ろから名詞を修飾するのを「後置修飾」と呼びます。
    現在分詞だけでなく、過去分詞も、前置修飾と後置修飾があります。
    現在分詞か過去分詞か。
    前置修飾か後置修飾か。
    この組み合わせで合計4通りが存在し、そのどれであるかを判断して英文を作っていくのが、分詞の形容詞的用法の課題です。

    その名詞がその動作をするならば現在分詞、その動作をされるならば過去分詞。
    単独ならば前置修飾、2語以上の意味のまとまりならば後置修飾。
    分析の基準はこれだけです。

    理屈が好きな子は、このルールさえ守れば済むと理解すると、楽々と単語を並べていけるようになります。
    しかし、文法に対して抵抗感のある子は、このルールが身につきません。
    「もうわからないから、全部後ろにする。そういう問題のほうが多いし」
    などと、ヤマを張り始めます。
    そんな諦め方をしなければならないほど難しいことではないのですが。

    ここが頑張りどころです。
    「何で英語ってこんなに難しいの!」と癇癪を起さないで。
    ルールを理解できれば、あとはスムーズです。
      


  • Posted by セギ at 12:23Comments(0)英語

    2018年11月04日

    数A「整数の性質」公倍数と公約数。



    今回も「整数の性質」、公倍数・公約数の学習です。
    公倍数・公約数は、小学校5年生で最初に学習します。
    分母の異なる分数のたし算・ひき算を学習する前に、通分・約分ができるよう、まず学習するのが公倍数・公約数です。

    現在、学校では使うことがほとんどない略称に、G・C・DとL・C・Mというものがあります。
    G・C・Dは、the Greatest Common Divisor すなわち、最大公約数。
    L・C・Mは、the Least Common Multiple すなわち、最小公倍数。

    連除法も、現在の小中学校では学習しません。
    連除法とは以下のようなものです。

    例 72と108の最大公約数と最小公倍数を求めなさい。

    ここで、2つの数に共通する因数で割っていきます。

    3)72 108
    3)24  36
    2) 8  12
    2) 4   6
       2   3

    共通する因数がなくなるまで割り進めたら、共通する因数を全てかけます。
    3・3・2・2=36
    これが最大公約数です。
    さらに、共通する因数と、残った2数の因数とを全てかけていきます。
    すなわち、3・3・2・2・3・2=216
    L字の形にかけていくので、上のL・C・Mの「L」で覚えたりしたものです。
    これが最小公倍数です。

    今の小中学生は、この解き方を知らない子が多いです。
    中学受験をした子や私立小学校の子はこの解き方を習っていますが、公立の小中学校では学習しません。
    じゃあ、どうやって最大公約数を求めるのか?
    地道に、108と72の両方を割ることのできる数は最大で何かなと考えていくのです。
    思いつかないときは、両方とも全ての約数を書きだして、共通する最大のものを調べます。
    なかなか答えが出てこない場合は、かなりの苦行です。
    最大公約数の定義通りの作業ですので、学習効果の意味はあるのですが、学習能率は低いです。
    小学生の場合、かけ算・わり算の得意・苦手が如実に現れてしまう単元です。
    72は何で割れるかを暗算できず、いちいち筆算し、108は何で割れるかを暗算できず、またいちいち筆算する。
    かけ算・わり算が苦手だと、そういうことになってしまいます。
    そういうことのわずらわしさを実感して、2桁×1桁の暗算や、3桁÷1桁の暗算ができるようになると大きな進歩ですが。

    さて、高校数Aの「公倍数・公約数」の問題とは?

    問題 35/18、50/63 のいずれに掛けても積が自然数となるような有理数のうち最小のものを求めよ。

    この問題、「積が自然数となる有理数」という言い方で混乱が起こりやすいようです。
    内容自体は、中学受験の受験算数で小学生もこの問題を解きますので、そんなに難しいわけではありません。
    しかし、用語がネックとなることがあるようです。
    「自然数」「有理数」あるいは「実数」という言葉が問題文中に出てくると、何のことだったっけとなるようなのです。
    そういう定義をあまり気にしない子は、案外楽にこういう問題を解いたりもしますが。

    「自然数」とは、1、2、3、4、・・・と無限に続く正の整数のこと。
    最も自然発生しやすい数の概念です。
    原始人は、森で見つけた獲物の数を仲間に伝えるために自然数を発見したかもしれませんね。

    その後、人類の歴史の中で負の数や0が発見されていきます。
    そうして生まれたのが「整数」。
    「整数」は、0と負の整数と自然数を含みます。
    「0は整数なんですか?」と質問されることが多いのですが、0は整数です。

    小数や分数という考え方も同時に生まれたでしょう。
    ものごとは整数で表されることばかりではありません。
    分数という概念が生まれます。
    分数で表すことができる数が「有理数」です。

    「分数」と「整数」を区別する人がいますが、整数は全て分数で表すことができます。
    例えば、2=2/1です。
    ですから、整数は分数に含まれます。
    このように、数は拡張される度に以前の数の概念を含み込んでいきます。
    それは、数が発見された歴史と一致しているでしょう。

    そういう「含み込んでいく」という概念が理解しづらいのかもしれません。
    整数と自然数は別のもので、1つもかぶっていないと誤解してしまう。
    整数と有理数は別のもので、1つもかぶっていないと誤解してしまう。
    そういう誤解が問題の読み解きを難しくしてしまうことがあるのかもしれません。

    「分数」と「小数」はきっちり区別されるという誤解も、そういう考え方でしょう。
    それは表記法が異なるだけ。
    「分数」と「小数」を区別する考え方にあまり意味はありません。
    同じ数を分数でも小数でも表すことができるのですから、その区別は無意味です。
    存在する数そのものをどう分類していくかが重要です。

    さて、ここで問題となるのは、分数で表すことができない数はどうなるのかということ。
    小数で表そうとしても永遠に循環もせずに不規則に数字が続いていく数。
    これが「無理数」です。

    そんな数あるの?
    と、これだけ聞くと不思議に感じるかもしれませんが、そんなに特別な数ではありません。
    √2、√3など、根号を使ってしか表せない数が無理数ですね。
    他に、円周率π(パイ)がそうです。
    こうやって具体例を聞くと、無理数なんて名前のわりによくある数だなと感じると思います。

    有理数と無理数は、1つもかぶっていません。
    これは、はっきり二分されます。
    有理数でなければ無理数。
    そして、有理数と無理数を合わせた数を「実数」と言います。
    実数の中に、有理数も無理数も含まれます。

    ここでまた何か誤解があり、「無理数は実数じゃない!」と言い張る高校生に困惑したこともありますが、無理数は実数です。
    どちらも現実にこの世に存在している数です。
    「実数」と「無理数」の語感が馴染まないことからくる誤解なのだろうと思いますが、「有理」の反対は「無理」であり、「実」と対比される概念ではありません。

    では、「実数」と対立する概念は何か?
    それが「虚数」です。
    虚数を学ぶと、「実数」や「有理数」という言葉も頭の中に定位置をもって整理されるのかもしれません。

    さて、話を戻して、上の問いは、どう解いていくのか。
    求めるものは、35/18、50/63 のいずれに掛けても自然数となる有理数のうち最小のもの。
    有理数ですから、分数で表すことができます。
    この有理数をb/aと表すことにしましょう。
    35/18×b/a
    50/63×b/a
    の答えが自然数になるということは、約分されて分母が1になるということです。
    ということは、bと分母の18や63を約分して、分母が1になれば良い。
    つまり、bは18と63の公倍数であれば良いのです。
    ただし、「最小のもの」という指示が問題文にありますので、公倍数の中で最小のものでしょう。
    すなわち、bは、18と63の最小公倍数である126。
    また、aについては、約分して分母が1になることを優先するなら、最初からaが1であれば面倒がないような気がしますが、これも「最小のもの」という指示があるため、分母aはできるだけ大きい数であるほうが、有理数b/aは小さい数となります。
    ということは、aは35や50と約分して1になる数のうちで最大のものであれば良い。
    すなわち、aは35と50の最大公約数。
    よって、答えは、126/5となります。

    小学生ならば、b/aではなく、☐/△で良いのですが、とにかく、そのように、問題をわかりやすい形に自分で直してみるのが秘訣です。
    それをせず、問題文を睨んで頭の中で全部やろうとする子は、受験算数にしろ数学にしろ、あまり得意にならずに終わってしまう可能性が高いのです。

    手を使うこと。
    自分なりの工夫で整理すること。
    試行錯誤すること。

    そういうことが一切できず、問題をパッと見て解ける問題は解ける。
    それ以外は、わからない。
    考えろと言われても、考え方がわからない。
    手を使えと言われても、使い方がわからない。
    工夫しろと言われても、どう工夫するのかわからない。
    そういう子は多いです。

    そういう子のノートを見ますと、
    35/18×b/a
    50/63×b/a
    といった考えるヒントは、私が板書しても書かなかったりします。
    式だけ書けば良いと思い、こういうものは不要と考えてしまうのでしょうか。
    工夫の具体例が頭の中に材料としてなければ、工夫の仕方は1つも発想できないと思います。

    小学生は、算数の問題は答えだけ書けば良いと誤解している子が多いです。
    (式) という欄が解答用紙にない限り、式も書かなくて良いと思っています。
    式さえ不要と思っている子が、考え方の工夫など落書きレベルのものと思っていても不思議はありません。
    不要と思っているものを自力で書くことはできないでしょう。

    不要と思っているものが、実は答えよりも式よりも大切かもしれません。
    そこに発想の根元があります。
    きれいなノートを残すことが勉強の目的ではありません。
    算数・数学のノートには落書があって当然なのです。
    落書きはいずれ洗練されていきます。
    無からは何も生まれません。
    とにかく、ノートに、問題を解くための落書きを書いてみましょう。
    その書き方がわからない?
    書き方は、人それぞれです。
    自分がわかれば良いのですから。

    ・・・それすらも何も浮かんでこないなら。
    せめて、先生や友達の書いている「落書き」をノートに写しておきましょう。
    「落書き」の書き方のヒントがそこに詰まっています。
    そして、同じ問題を解き直すときや類題を解くときに、自分も真似して落書きを書いてみましょう。
    全てはそこから始まります。

      


  • Posted by セギ at 15:43Comments(0)算数・数学

    2018年11月02日

    中3英語。分詞の形容詞的用法。


    中学3年生の秋になると、「分詞」「関係代名詞」と立て続けに修飾句・修飾節の学習に入り、1文が長くなり、難しくなります。
    感覚で単語を並べて英文を作ってきたタイプの子たちが、ここで大きくつまずきます。
    分詞や関係代名詞を含む文は、感覚でつかめないためでしょう。
    これらは、感覚でつかむものではなく、理屈で理解するもの。
    システムを理解するものです。
    いよいよ文法知識が力を発揮します。

    問題 次の文を英文に直せ。
    「イタリアは、長靴のような形をしている半島です」

    単語の補助をするならば、「長靴」は、a boot。「形づくる」はshape。
    「半島」は、peninsula。
    これで大丈夫でしょうか?

    いや、これが大丈夫ではないことがあるのです。
    よくある誤答。
    Italy is a peninsula shaping like a boot.

    では、次の問題。
    「カナダで話されている言語は、英語とフランス語です」
    これのよくある誤答。
    The languages speaking in Canada are English and French.

    上の2つの共通の間違いは何か?
    過去分詞を使用すべきところで、現在分詞を使用しているのです。

    正解は、
    Italy is a peninsula shaped like a boot.
    The languages spoken in Canada are English and French.

    現在分詞と過去分詞は、どうやって使い分けるのか?
    高校生になると、自動詞と他動詞でどうのこうのと、かなり難解な解説もされますが、わかりづらいので、できるだけ柔らかくわかりやすい説明をしますと、
    修飾される名詞がその動作をするなら現在分詞。
    修飾される名詞が、その動作をされるなら過去分詞。
    この理解で大半はOKです。
    そのルールから外れる動詞は例外として個々に覚えてしまったほうがむしろ楽だと思います。

    すなわち、「半島」は「形づくられる」ものだから、過去分詞。
    「言語」は「話される」ものだから、過去分詞です。

    では、なぜ誤答する子が多いのか?
    覚え方を間違えているのです。
    「~ている」なら現在分詞。
    「~した」なら過去分詞。
    と、日本語訳から判断している子が案外多いのです。
    正しい説明を受けても、難しく感じて、自分なりにアレンジしてしまうようです。
    英語に関しては、こういう「先生の説明が難しいから自分なりにアレンジ」する子ほど徐々に英語ができなくなっていく可能性が高く、恐ろしいのです。
    簡単にアレンジできるのなら、最初から簡単に説明します。
    難しくしか説明できないことだから、難しく説明しているのです。

    そもそも、そんなに難しくないです。
    修飾される名詞が、その動作をするのなら、現在分詞。
    修飾される名詞が、その動作をされるなら、つまり受け身なのなら、過去分詞。

    文法を理解するだけで、文法問題をスラスラ解けるようになります。
    教科書の練習問題を丸暗記したって、テストに出るのは、その類題。
    解き方のルール、すなわち文法がわかっていればそれも楽々と解けますが、ルールがわかっていないと全く別の問題に見えますので、勘が頼りの当てずっぽうで解くことになります。

    問題 ( )内の語を適切な形にせよ。

    The man (stand) at the door is my father.

    修飾される名詞は、直前のmanです。
    man は stand という動作をするのでしょうか?
    されるのでしょうか?
    組体操ではないので、man が誰かに立たれたりはしません。
    man は立っています。その動作をしています。
    だから、答えは、standing です。

    当てずっぼうの感覚や聞き覚えに頼って解いていた子は、最初はこうした解き方に戸惑ったりイライラしたりすることがあるのですが、汎用性の高さに気づくと、必ずこの解き方にシフトします。
    文法問題への不安は氷解していきます。

    最低限の文法を理解することは、賢い選択ですよ。
    ヽ(^。^)ノ
      


  • Posted by セギ at 10:55Comments(0)英語

    2018年10月31日

    方べきの定理。



    高校数A「図形の性質」の重要定理、最後は「方べきの定理」です。
    上の画像の左図を見てください。
    円の2つの弦、AB、CDの交点をPとすると、
    PA・PB=PC・PD

    これが方べきの定理の基本です。
    交点Pが円の内側にあるときが左図。
    真ん中の図は円の外側に交点があるときですが、式は同じです。
    PA・PB=PC・PD

    この2つの図は、交点と弦の両端との線分同士をかけるのだというイメージを大切にすると共通のイメージを持ちやすく覚えやすいです。
    これの特殊な例が右図で、1つは弦、もう1つは円の接線となっている場合です。
    弦ABと接線PTとの場合は、
    PA・PB=PT2

    パターンは、この3つです。
    証明は、いずれも、三角形の相似を利用します。
    左図の場合は、
    △PACと△PDBにおいて、
    対頂角は等しいから、
    ∠APC=∠DPB
    等しい弧の円周角は等しいから、
    ∠CAP=∠BDP
    2組の角がそれぞれ等しいので、
    △PAC∽△PDB
    よって、PA:PD=PC:PB
    内項の積=外項の積なので、
    PA・PB=PC・PD

    他の2つも、三角形の相似を利用する流れは同じで、角が等しいことを示すための根拠が上の証明とは異なるだけです。
    円に内接する四角形の定理だったり、接弦定理だったり。
    共通の角だったり。

    方べきの定理は、その名称に違和感を抱く人もいます。
    チェバの定理ならば、どうせチェバという数学者が発見したんだろう、で済ますことができますが、「方べき」と日本語で言われると聞き慣れない言葉なので違和感があるのですね。
    「方」は平方、立方などの「方」。
    累乗を意味します。
    「べき」は「冪」と書き、これは箱を意味する語。
    等しい面積の長方形の2辺の長さを示す定理。
    ある正方形と等しい面積の長方形の2辺の長さを示す定理。
    そのようにイメージしておくと、名前と定理の内容が一致しやすいと思います。

    方べきの定理は、覚え間違えてしまうことが案外多いです。
    3つの図とも交点Pから式が始まるという共通点を強く意識するのがポイント。
    そこを意識せずに別々に覚えると、覚え間違えてしまう可能性が高まります。
    左の図を、AP・PB=CP・PDというイメージで覚えてしまい(これ自体は間違いではないです)、その影響で、真ん中の図を、PA・AB=PC・CDと間違って記憶してしまう人がいるのです。

    こういうことは、ちょっとした覚え方が大きく影響します。
    繰り返しますが、方べきの定理は、全て、交点Pから式が始まります。
    その共通点を強く意識すれば、3つのパターンは、全く別のものではなく、根本は同じものであることが見えてきます。

    方べきの定理は、センター試験でよく用いる定理です。
    センター過去問などを解いていて、方べきの定理を使うと知ると、
    「あー、方べきかー。気づかなかったー」
    とつぶやく子は多いです。
    円に関する問題を解く際に、方べきの定理を使う可能性は極めて高いです。
    方べきの定理が、いつも使える状態で頭の中にあるでしょうか?
    自力で発想できる状態、使える武器の状態で方べきの定理が頭の中に存在していれば、気づくことができると思うのです。

    図形が苦手な子と一緒に問題を解いていて、
    「どういう定理を使える可能性がある?間違っていてもいいから、何でも思いつくものを言ってみて」
    と声をかけても、何も出てこないことが多いです。
    「使える使えない関係なく、知っている定理の名前を全部言ってみて」
    と声をかけても、やはり何も出てきません。
    残念ですが、その状態では解き方を発想できる可能性はほとんどないと思います。
    とにかく、定理の名称を言えと言われたら、学習した定理の名称をズラズラと並べたてられるようになるまで暗唱してください。

    高校数Aで学習する定理のうち、重要なものは限られています。
    三角形の五心に関する定理。
    角の二等分線の定理。
    接弦定理。
    チェバの定理。
    メネラウスの定理。
    方べきの定理。

    それに、数Ⅰで学習している三角比の正弦定理や余弦定理、中学で学習済みの三平方の定理など。

    それらが頭の中に列挙されるなら、
    今回はどれを使う?
    どれなら使える?
    と、吟味できます。
    図形の解き方は、空から降ってくるように発想できるわけではありません。
    頭の中にある定理を吟味するのです。
    図形問題が得意な人は、そんなことをしていないように見えますが、それを瞬時に、ほぼ無意識にやっています。
    この作業に慣れているため、吟味していることを本人が自覚することもないほどのスピードで使える定理を選び出し、すぐに解きだしているのです。

    もう 1つ。
    現行のセンター試験では、図形問題の図も自分で描く場合があります。
    その図が下手過ぎて、解き方が発想できない。
    そう嘆く人が多いです。

    図が実際と異なってしまうのは、3辺の長さから鈍角三角形であるとわかるのに、鋭角三角形を描いてしまっているなど、描き出しのミスのため、その後の全てに無理が生じていることが多いです。
    そんなに厳密に指示通りの長さで描く必要はないですが、あまりに指示と異なる長さや角の大きさで描かないほうが後が楽です。
    また、正確な図を描こうとして、デッサン的なヒゲ線の多い図を描いてしまう人や、ぐりぐりとなぞってしまう人もいます。
    シンプルな1本の線で円や直線を描いたほうが見やすいです。
    余計な線は、見るときに邪魔です。
    フリーハンドでは円や直線が描けない、とひるまないで。
    上の画像は、私がフリーハンドで描いたものです。
    こんなもんで大丈夫です。
    これくらいなら、誰でも描けるはずです。
    あとは、図の大きさ。
    私は、円は直径5cmくらいのものを描きます。
    どうせ、問題が進むにつれてごちゃごちゃとさらに線分が加わるのはわかっています。
    直径3cmの円では、追加の線分に耐えられないかもしれません。
    線分が重なり、角が明確に見えてこなくなります。
    あるいは、どの線分も平行に見えてきたりします。
    結局、大きく正しく描く自信がないので図が小さくなるのだと思いますが、下手でも大きく。
    ヒゲ線抜きで、下手でも大きく。
    使える図は、そういう図だと思います。
    また、追加の線分に自分の図が耐えられないと感じたら、もう1枚描きましょう。
    例えばメネラウスの定理を使うとわかったら、使う三角形と線分だけ抜き出して描いてみても良いと思います。
    そんな時間はない?
    図をサッと描ければ、時間はかかりません。
    1本の線で短時間でサラッと正確な図を描く。
    図を描くのに時間のかかる子の様子を見ていると、円を正確に描けない、真っ直ぐな線を引けないということにこだわりが強く、幾度も線を引き直しています。
    こだわりが強いわりに練習不足なのだと思います。
    こだわりを捨てるか、練習するか。
    こだわりを捨てたほうが早いと私は思います。

      


  • Posted by セギ at 11:58Comments(0)算数・数学

    2018年10月29日

    奈良倉山・鶴寝山・大マテイ山を縦走しました。2018年10月。


    2018年10月28日(日)、2年ぶりに大マテイ山を歩きました。
    三鷹発7:22、高尾で中央線に乗り換えて、上野原8:26。
    バス停は北口。
    階段を下りていって、驚きました。
    上野原駅はすっかりきれいに改築され、駅前には整備されたロータリーが広がっています。
    うわあ、浦島太郎の気分。
    元来た家も村もなく。
    でも、ロータリーのところに、小菅村の職員の方が立っていて、
    「三頭山に登る人いる?じゃあ、これ持っていってね」
    と、略地図のコピーを渡している光景は2年前と同じでした。
    今回も、小菅の湯の割引券をいただきました。

    松姫峠行き。8:32。
    松姫峠までいくバスはこの1本しかありません。
    「松姫行き1日1本」と、懐かしのNHK人形劇『ネコジャラ市の11人』の主題歌を心の中で口ずさみながらバスは出発。
    まだ紅葉の季節には少し早いので、バスはそんなに混雑せず、空席もありました。
    1時間ほどののんびりとしたバス旅です。
    バスは市街地を抜け、山へと入っていきました。
    ヘアピンカーブが続きます。
    あれ?
    山の上のほうは、紅葉が始まっています。
    標高が高くなるにつれ、道路脇のカエデも、半分紅葉している木が現れました。
    わあ、これは、予想外。
    人が少ない中で紅葉を堪能できそうです。

    鶴峠。9:40。
    下りた人は10人ほどでした。
    しかし、皆、道路の反対側、三頭山登山口のほうに向かっていきます。
    奈良倉山のほうが人気があると思ったのに、私1人でした。
    バス停のすぐ前が奈良倉山登山口です。
    縦書きの渋い登山口の表示があります。
    よく整備された坂道を登っていきました。

    子ども向けの自然教育の掲示が立っています。
    しかし、その掲示板にはナタのようなものでえぐられた傷が。
    「これ何だ?」
    と矢印でその傷を示す掲示があり、
    「正解 ツキノワグマがやったものです」
    おいおいおい・・・・。
    熊鈴を良く鳴るようにザックに付け替えました。

    舗装されていない林道とそれをショートカットする登山道。
    坂道が続きますが、それほどの急登はありません。
    やがて道は林の中に入りました。
    薄日の中も登山道は紅葉で明るい。
    秋の林の中を軽く彷徨う気分で歩いていきます。
    紅葉を熱心に撮影している登山者が時おり前方に現われ、道を譲っていただきながら、林の奥へ奥へと進んでいきました。
    坂道をジクザグに登り、林の向こうに空が見えて、奈良倉山山頂。10:45。
    広い山頂にはいくつものパーティが休んでいました。
    少し下がったところは伐採されていて、展望地になっています。
    ベンチに座って、煮炊きを始めている人も。
    ここは富士山の展望地だそうです。
    予報ほど晴れず、富士山は見えませんでした。

    さて、今日は行程が長いので、ひと息ついてすぐに出発。
    松姫峠に向かいます。
    緩やかに下っていくと、紅葉の林。
    上の写真がそれです。
    光が足りず、目に見えているほどの鮮やかな写真にならないのが、残念。
    足許には黄色い落ち葉。
    時おり混ざる赤い葉が鮮やかな明るい秋の山道です。

    道は舗装されていない林道に出ました。
    林道をゆるくくだっていくと、分岐。
    どちらも松姫峠に行きます。
    右は少し遠回りの、登山道。
    林道を選びました。
    後半、登山道と並走していく道となり、松姫峠。11:25。
    ここは朝乗ってきたバスの終点。
    バスはまだ駐車場に停まっていました。
    13:15に、1日1本の上野原行きとして出発するのでしょう。

    ペーパーも整備されたバイオトイレに入って、さてここからは2年前にも歩いた道です。
    やはり縦書きの渋い「牛ノ寝 大菩薩峠登山口」と書かれた道しるべを見て、枯葉の積もるゆるい坂道を登っていきました。
    道はニリンソウの群生地を通るコースを右に分け、やがて急坂となって、鶴寝山山頂。11:50。
    ベンチが2つある、こじんまりとした山頂でした。
    雁ヶ原摺山の稜線が見えます。
    晴れた日は、その向こうに富士山が見えるそうです。

    さて、ここからいったん尾根を下ります。
    緩く下っていくと、分岐。
    道しるべが立っています。
    「巨樹のみち」と「日向みち」。
    どちらも大マテイ山へと通じています。
    今回も2年前と同じ巨樹のみちを選びました。
    2年前は紅葉の終わり頃に訪れたのですが、そのときと同じくらい道には枯葉が積もっています。
    踏む人が少ないのか、道は一部不明瞭でした。
    よく目を凝らし、足元を確かめながら下っていくと、休んでいる人が。
    「あ、そっちの道、壊れているよ」
    と声をかけられました。
    「壊れている?」
    「倒木でね、道がなくなっちゃっているんだよ。ほら、こっちから歩けるから」
    「え?」
    「向こうに、大きな木が見えるでしょう。あれに向かって歩いていくと、元の道と合流できるから」
    踏み跡はなく、ここが道だと全くわからない状態でした。
    礼を言って進んでいくと、確かに、大きな木の先からは踏み跡があり、ゆるく登っていくのでした。
    さらに行くと、分岐。
    「山沢入りのヌタ」と呼ばれるところです。
    2年前は、間違えて尾根よりはるかに下がった崖っぷちの道を歩いてしまいました。
    ここで道は3つに別れ、右に下っていく道は「栃の巨木コース」。
    小菅の湯への近道ですが、危険個所があるらしいです。
    左に登っていく道は、前回選んでしまった、尾根道と見せかけて大マテイ山を巻いてしまう崖っぷちのまき道でしょう。
    よく確認し、真ん中の尾根道を選択。

    ガイドブックによれば、尾根道はさらに南面ルートと北面ルートに分かれて、両方とも大マテイ山山頂に向かうそうなのですが、歩きだした尾根道は、自然に北面コースにつながっていきました。
    枯葉は積もっていますが、踏み跡は比較的明瞭です。
    尾根から一段下がったまき道でしたが、斜面が緩いため道は細いもののそれほど怖くはありません。
    見上げる尾根は、ところどころ倒木が折り重なっているのが見えました。
    少し前の台風の被害でしょう。
    この季節にしては枯葉が多いのも、台風の影響なのだと思います。

    踏み跡をずっとたどっているのですが、尾根に登る道は見つかりませんでした。
    そのうち道が下り始め、あれ?と思うと、道しるべ。
    ああ、やはり、大マテイ山を巻いてしまったようです。
    道しるべに従い、そこから登り返すことができ、5分ほどで山頂へ。12:40。

    大マテイ山の名は、一説に「大迷い」から転化したものと言われるほどですから、このくらいの迷い方で山頂を踏めれば、まあ助かったと思います。
    前回は、山の南の崖っぷち道から随分な急登を登り返してやっと山頂にたどりつきました。
    今日、山頂の道しるべを見ると、その方向を示す「大ダワ」にはテープでバツ印がつけられていました。
    通行不能のようです。
    それも台風の影響でしょうか。
    尾根道を示す道しるべにもバツ印がついていました。
    今は、尾根を歩けないんだなあ。
    折れ重なった倒木を片付けないと無理ですよね。

    ベンチに座って昼食休憩。
    ここはもともと眺望はそんなにない山ですが、樹木の様子がしみじみと良い風情です。
    今日はアルファ米のドライカレーを朝、家で水を入れて持ってきました。
    ピリッと辛く、疲れていても食べやすいです。
    ポットに詰めて来た、食後のコーヒー。
    ようやく温かいものを山で飲む気候になりました。

    さて、下山。
    先程の道を戻り、道しるべに従って細いまき道を進みます。
    2年前の道の記憶とまるで違っているので、道しるべだけが頼りです。
    大マテイ山をずっと巻いていき、北の崖っぷち道と合流すると、すぐに大ダワ。13:05。
    棚倉小屋跡とも呼ばれる小広い平地です。
    良かった。見覚えのあるところに出ました。

    ここから、大きく右に折れて、また崖っぷちの道が始まりました。
    ここは、切れ落ちている崖っぷち道で、今までよりも高度感があります。
    でも、この春に歩いた檜原都民の森から月夜見山への道や、水根沢林道と比べたら、何てことないさ。
    道幅があるということは、こんなにもありがたいこと。

    とはいえ、たまに道は細くなり、下り坂になり、途中に桟道もありました。
    そういうところは用心してそろそろと通過。
    もう1つ桟道を越え、やがて道は大きく右に旋回して下り始めました。
    歩きやすくなり、もう怖くないかなと思うと、再び崖っぷちの道。
    しかも、倒木で道が壊されている箇所がありました。
    道の外側半分は倒木とともに一段下がってグチャグチャになっています。
    うわあ。ここに足を置くのは危険では?
    木の根が横に張っていたので、それを支えに、残っている登山道に足を置いて何とか通過。

    どんどん下って、モロクボ平。13:50。
    道しるべに従い、田元・小菅の湯方面へ。
    広く平らな尾根に枯葉が積もり、道を見失いかけましたが、赤テープに救われました。
    ここからはジグザグに斜面を降りていきます。
    植林帯に入ると、倒木が目立つようになってきました。
    伐採された木が斜面を滑り落ちて登山道を塞いでしまったようです。
    1本なら軽くまたいで通過できますが、4本まとめて登山道を塞いでいる箇所もあり、一瞬通行止めの可能性を疑いました。
    しかし、やろうと思えばまたげるものですね。
    ここをまたがないと下山できないのですから、もう必死です。

    九十九折りの道をどんどん下っていくと、自動車の音や沢音が近づいて来ました。
    作業小屋の屋根の横を通過し、登山道はようやく平らに。
    小さい道しるべに沿って左に曲がり、コンクリートの小さな橋を渡ると、舗装道路に出ました。
    そこから、道は再び未舗装の道を通ったりもしますが、もう基本は歩きやすい道。
    ただ、登り坂なのがちょっときついです。
    最後の最後に急な登り。
    息が切れる頃、小菅の湯の建物が見えてきました。14:40。

    入口左手が下駄箱。
    下駄箱の鍵を受付に渡し、入浴料を払って脱衣所のロッカーの鍵をもらいます。
    脱衣所までの廊下が長い。
    曲がり角の右側にザック置き場があったのですが、それは帰り道に気づき、ザックを持ってそのまま脱衣所に入ってしまいました。
    ロッカーには、ザックは入りきらなかったので、貴重品はロッカーに入れ、それ以外はザックごと脱衣所の隅に置かせてもらいました。

    洗い場は、空いていました。
    お湯は、内湯は普通の湯。ジェットバス。寝湯。打たせ湯。
    外は普通の露天、ハーブ湯。
    お湯はトロトロのアルカリ泉です。
    お風呂上がり、玄関の下駄箱と反対側に酒類の自販機。
    麦とホップ350mL、250円。
    靴を履いて外に出ると、玄関のすぐ左手にバス停があります。
    バス停の横にザックを置き、ベンチに座って発泡酒を飲みました。
    ほどよく冷たい風に、風呂上がりの汗がすっと引いていきます。
    至福のひと時。
    出発5分前、バスが入ってきました。
    15:25、定刻に発車。
    ここから1時間20分の長い長いバス旅です。
    一番前の1人がけ席に座りました。

    今朝下りた鶴峠バス停。
    往路も復路もバス停は共通なので、1人が道路まで出て、手を振ってバスを止めていました。
    8人ほどがここで乗車。
    運転手さんが無線でやりとりしています。
    反対方向からやってくる、次のバスの運転手さんと交信している様子です。
    細い道だから、どこですれ違うのか、打ち合わせが必要なんだろうな。
    しかし、それだけでなく、反対方向からの運転手さんは、どこのバス停で乗客がどれだけ待っているという情報を伝えてくるのでした。
    「乗れば乗れるけれど」
    と、こちらの運転手さんの反応。
    「こちらから連絡しておきます」
    と、向こうの運転者さんの応答。
    郷原というバス停に、10人ほど待っていました。
    笹尾根から降りてきた人たちでしょう。
    バスの席は埋まり、立っている人も目立つようになりました。
    そのまましばらく行くと、増発バスが待機していました。
    立っている人たちは、そのバスに移動していきました。
    乗れば乗れるけれど、バスを増発してくれたんですね。
    サービスいいなあ。

    上野原駅。16:47。
    朝のロータリーにバスは到着。
    そこからの階段の登りの多さが、歩き疲れた身体に応えました。
    ここは土合駅かと言いたいほど。
    高尾行きの電車はすぐにやってきました。
    行楽客で、本日も帰りの電車は満員でした。
      


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