たまりば

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2024年02月03日

アクティブラーニングはどうなったのか。

アクティブラーニングはどうなったのか。

セツブンソウが、都立野川公園で咲き始めました。
上の画像がそれです。
今週はまだぽつぽつと咲き始めたところでした。

さて、共通テストは、今年も難しかったですが、全体の平均点はむしろ年々上がっていると聞きます。
ということは、生徒の学力が上がっているということなのか?
どうも、そうではなさそうです。
学力がおもわしくない層は、もうそもそも共通テストを受けなくなった可能性が高いのです。
学校推薦や総合型選抜という形で、自分の成績で入れる大学に進学する子が過半数。
それもありますが、それだけでもなさそうです。

本来、共通テストは、国公立大学を受ける子にとって必須なだけでなく、私立志望の子も、受けることがあります。
私立大学が、共通テスト利用枠を用意しているからです。
個々の大学入試を受けなくても、共通テストの得点で、合否を判断される枠です。

ただ、勿論、一般受験と比べて合格人数が少なく、倍率は高い。
共通テストは、昔のセンター試験とは違って癖が強いので、そのための準備をしなければなりません。
準備せずに受けても、いい点は取れないので、合格しないから、意味がない。
国公立大学が第一志望の人たちは、共通テスト対策も十分なので、「別の勉強」をする必要がなく、私立大学の滑り止めを確保する。
そういう人たちで、共通テスト枠の合格者は上から埋まっていきます。
ならば、私立志望の人は、受けても意味のない共通テストのために中途半端に勉強するよりも、志望校の出題傾向に合わせた勉強をしたほうがいい。
そのように考える受験生が増えているのかもしれません。

共通テストはセンター試験とどう違うのか?
もう、十分わかっている人が多いと思いますが、あえて簡単に説明すれば、問題文が長いのです。
数学ですら、読解力が必要となります。
一方、国語や英語でも、分析力や思考力が必要となります。
しかも、問題量が多い。
時間内に全問解くには戦略が必要です。
厄介です。

すべては教育改革の一環。
センター試験が共通テストに変わったのと同じ頃、盛んに言われるようになったのが、アクティブラーニングでした。
しかし、今、学校では、アクティブラーニングは以前ほどは言われなくなったような気がします。
やっても、そんなに効果があるわけではないからでしょうか。
最初の頃は、文科省の意向を汲んで、形だけやってみた。
効果がないのを確認して、なし崩しに、以前の授業の形式に戻った。
そんなこともあるような気がします。
プリントによるグループ学習の形では残っているようですが、討論の形は、すたれつつあるように思います。

共通テストと、アクティブラーニングは、同じものを目指しています。
思考力を問う。
ただの暗記ではない学力を養う。
あるいは、そういう学力を試す。

では、そうした「新しい学習」の恩恵を生徒全員が受けたのかというと、実際はそうではなく、むしろ格差が開いた、と感じることのほうが多いのです。
共通テストに歯が立つ子は、限られています。
そして、そうした子たちならば、アクティブラーニングで学習を深めることもできるのだと思うのです。


アクティブラーニングが盛んに言われた当時、それを推奨する学者がツイッターで、こういうのがアクティブ・ラーニングだと説明しているのを目にしたことがあります。

「黒板に先生が文を書く。
『正方形の右に正三角形が2つ並んでいる』
これを表す図を描いてみましょう、はアクティブ。
『隣りの人と絵を交換して、合っているかどうか確認してみよう』
もアクティブ。
『合っているかどうかわからなかったのはある?』
黒板にその図を貼って、みんなで議論。十分アクティブ」

・・・・うわあ・・・。

何というか、過去に引きずり込まれるような嫌悪感がありました。
確かに、これが、アクティブ・ラーニング。
私が中学生の頃、毎日毎日、学校で受けていた授業です。
私は、国立大学教育学部の附属中学に通っていました。
新しい形の授業を、有能な先生たちが実験的に行う。
私たちは、その実験台でした。

ツイートはさらに続きました。
「先ほどの問題。
□△▽や◇▽▽について
『間違っている』
『よくわからない』
に手を揚げる子は当然予想されて、
『合っていると思います』
という子と議論になる。
それで『正方形とは何か』『正三角形とは何か』というまさに『定義とは何か』を学ぶことになる」

・・・うわあ。
いやだいやだ。

上のツイートを見て、
「わあ、面白そう。そういう授業を私も受けたかったなあ」
そう思われる方もいらっしゃるかもしれません。
でも、それは、今、大人として、上のように平易な課題を見るからだと思うのです。
正しい結論がすぐにわかりますから、議論に参加できそうで「面白そう」と感じるという側面はないでしょうか。
知識も判断力も小学生に戻って、学校でその課題を与えられる幼い自分を想像してみてください。
そのストレスの大きさ。
正解がわからない議論に常に参加していくプレッシャー。
何が最終目的なのかわからない課題を積極的に解決していかなければならないのです。
子どもには、先生の意図や、この学習の真の目的は、見えないのです。
謎解きの喜びと同じだけ、困惑と負荷の伴う学習です。


そもそも、子どもというのは案外保守的で、固定観念が強いものです。
上の課題が与えられて、◇▽△という、先生が歓喜するような非凡な図を描く子は、ほぼいないと考えたほうが良いのです。
賢い子は、「□△△」という平凡な正答の図を描くと思います。
一方、「△□□」などの明らかに間違った図を描いてしまう子も多いでしょう。
凡庸な正解と、ただの不正解。
それしか現れない可能性があります。

間違った図を描いた子の中で、自分の間違いにすぐに気がついた子は、間違ってしまった恥ずかしさから立ち直るのに時間が必要です。
その精神状態で、後の議論に参加するのは難しいかもしれません。
もっとまずいのは、間違った図を描いて、隣りの子にバツをつけられても、なぜ間違っているのか理解できない子が一定数いると予想されることです。
間違いを具体的に指摘されても、なぜ間違いなのか理解できない学力層の子が存在します。
「△□□」の図が間違っていることに本来議論の余地はないのですが、間違っている子が多ければ、それも議論しないわけにはいきません。
しかし、それは、その授業で予定していた学びとは違うでしょう。

先生はそれを手短に終わらせるよう、議論をコントロールしなければなりません。
予定していた学びとは異なる、つまらないミスによる間違いに関する議論は、深い学びにはつながらないからです。

間違った図を描いたのに、それのどこが間違っているのか理解できない子は、そこで授業に取り残されます。
その先の議論には参加できないと思います。
その後の議論など耳に入らず、自分の間違った図をぼんやり見つめるだけでしょう。
そして、その子のノートには、△□□という謎の図だけが残されます。

家庭で、保護者の方が、
「今日は学校で何を勉強してきたの?」
と尋ねても、
「わからない」
以外の応えは返ってこないかもしれません。
ノートを見ても、謎の図しか残っていません。
アクティブ・ラーニングには、そうなる危険性があります。

興味深く議論の題材になるような非凡な図を生徒が描く可能性は低いです。
賢い子たちは、□△△という、わかりやすい正解の図を描きます。
それでは、議論になりません。
ですから、先生は、あらかじめ用意していた図を黒板に貼ることになるでしょう。
◇▽△ といった図です。
さて、これは正しい図でしょうか?

「正方形の右に正三角形が2つ並んでいる」
この図は、それを正しく示しているでしょうか?
正しいと思う人と思わない人に分かれて、議論を始めるための図です。

この図を「間違っている」と考え、しかも積極的に議論に参加してくれる生徒は、この授業にとって貴重な存在です。
この図を間違っていると思う生徒の学力評価がそれで下がることはありません。
むしろ、議論の中で思考が深まり、劇的に考えが変わっていくなら、先生は特にその子を高く評価する可能性があります。

しかし、秀才たるもの、最初からこんなことはわかっていることを周囲に示したい。
最初から、正しい答えを選びたい。
間違った判断は最初からしたくない。
そんなこと、本当は誰も気にしていないのに、それを気にして立ち回り、疲れ果ててしまう子もいるでしょう。
こうした学習が、秀才にとってもストレスであるのは、そうした点です。

繰り返しますが、大人にとっては、□も◇も正方形、△も▽も正三角形であることは自明の理です。
正解がわかり、何のための授業であるのか、その道筋もわかるから、この議論に参加するのは楽しいことに思えます。
□も◇も正方形であることを理解することから、正方形の定義というものに考えが至り、さらには定義とは何かまで学習を深めていくのだ。
凄いなあ。
楽しい授業だろうなあ。
アクティブだなあ。
アクティブ・ラーニングっていいなあ。
そんな授業、私も受けたかったなあ。
そう思うかもしれません。

しかし、好きでも得意でもない高等数学で、課題を与えられ、多様な解き方を示されて、どれが正しい解き方かを議論することを要求される自分を想像してみてください。
恐怖しませんか?
どれが正しい解き方か、どの解き方が一番合理的かなど、見てもわからないのだとしたら。
議論に参加できる可能性がゼロなのだとしたら。
そんなのはいいから、正しくて簡単な解き方を1つ教えてくれ、それを覚えるから、となりませんか?
小学生にとっては、上の課題はそういう課題です。
「定義とは何か」にまで学習を深めることができる子は、少数です。
一握りの秀才の学力は飛躍的に伸びますが、大多数の子を置き去りにする可能性があります。

新しい学習のように言うけれど、私が中学生の頃と何も変わりません。
結局、日本の教育はこの40年、ここから一歩も先に進んでいないのかもしれません。
私は、そのような授業でよく発言していました。
あれは、面白い授業でした。
当時の深い学びが、今の自分につながっていると、言えば言えるのかもしれません。
それでも、ある種ぞっとする感じがつきまとうのです。
深い霧の中で目的も定まらず、ただ生き残るために全神経を張り詰めるサバイバルゲームを常に続けていたような。
自分は闘いたくはないのに、常に闘いを強いられていたような。
そして、その授業でほとんど意見を言うことはなく、
「勉強がわからない」
「学校がつまらない」
と言っていたクラスメートたちの顔が浮かぶのです。

この仕事をするようになって、国立大学の附属中学に通う生徒の個別指導を受け持つ機会が幾度かありました。
私の頃と同様に、そうした学校では実験授業が行われていました。
アクティブ・ラーニングです。
「学校の授業は、何をやっているのかわからない」
「学校の授業は、勉強のできる何人かと先生が話しあっているだけ」
同じような感想を異口同音に聞きました。

そういう学校は、授業は難解でも、定期テストは、特別難しい問題が出題されるわけではありません
前半は易しい基本問題、後半にいくにしたがって、難度を増していく、良問ぞろい。
実験授業を行っている先生たちは有能ですから、テストもほれぼれするような構成になっていることが多かったのです。
しかし、私が個別指導をすることになった子たちは、そのテストの基本問題さえ正解できていませんでした。
単なる1次方程式や連立方程式の計算問題が解けないのでした。
普通の公立中学に通っている数学が「2」の子だって、それくらいは正解するのに。

国立の附属中学校は、私立の中高一貫校のように進度を速めた授業をしているわけでもありません。
学年相当の普通のことを学んでいました。
ただし、実験的な手法で。
アクティブ・ラーニングで。
学校の授業で何をやっているのかわからないので、家でも何を学習して良いのかわからず、テストに何が出題されるのか、わからないというのです。

その子たちにも原因はあります。
せめて、家に帰ったら、コツコツと基礎的学習をしたら良かったのです。
そうした学校は、普通の教科書に沿った普通の教科書準拠ワークを生徒に配布していました。
それをコツコツ解いたら良かったのです。
学校で何をやっているかわからないから勉強しない、というのは言い訳です。
学校の授業を口実に勉強しないでいるだけです。

私が個別指導を担当した、学校の授業内容がわからず成績不振に悩んでいる子たちは、学習習慣が身についていない子ばかりでした。
塾で基本を丁寧に教え、それについて復習するだけの宿題を出しても、解いてきませんでした。
1週間後、塾に来る直前になって慌てて手をつけ、上手く解けず、もう忘れた、わからなくなったと言い訳することが多かったのです。
宿題を解いてくるようになるまでが、まず第一関門。
錆びついた巨大な機械に油を差し、動きだすようにするまでには、大変な時間と労力が必要でした。

でも、その子たちだけを責めて、切り捨てるのは、いかがなものか。
学習目標を明確に提示し、何を覚え何ができるようになれば良いかを示された授業で懇切丁寧に教えてもらえていれば、彼らはそれほどの学業不振にはならなかったでしょう。
アクティブ・ラーニングは、両刃の剣です。

もう一つ言うならば。
◇が正方形に見えない子、▽を正三角形と認識できない子は、いつの時代にもいます。
学校でのクラス全体の議論や、グループ・ディスカッションには参加できず、学校でどのよう結論が出されようとも、◇は正方形ではない、これはひし形だ、と心の中で思っている子はいます。

そうした子が何をどのように誤解しているのか、それを明らかにしていくことでしか解決のつかないことがあります。
時間はかかるかもしれませんが。




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