たまりば

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2018年11月30日

数A「整数の性質」に関する証明問題。


数A「整数の性質」の学習の続きです。
いよいよ難しいところに入ってきました。
例えば、こんな問題です。

問題 自然数aとbが互いに素であるとき、a+2bと3a+5bも互いに素であることを背理法を用いて証明せよ。

問題を解く前に解決すべき点が2つあります。
「互いに素」とは何なのか?
「背理法」とは何であるか?

「互いに素」は、今回初めて学ぶ内容です。
定義はこうです。
2つの整数a、bの最大公約数が1であるとき、aとbは互いに素であるという。
うわあ、これだけでは何を言っているのかわからなーい。

例をあげて考えてみましょう。
例えば、15と28について考えてみます。
素因数分解すると、
15=3・5
28=2・2・7
それぞれの素因数の中に共通のものがありません。
この場合、15と28の最大公約数は1となります。
このように、共通の素因数を持っていない関係が「互いに素」です。
これは今回だけ出てくる内容ではなく、この先、不定方程式を解く際にも使用します。

では、「背理法」とは何でしょうか?
これは、数Ⅰ「数と式」の単元で学習しました。
高校生に、「何か数学でわからないところはある?」と質問すると、
「背理法がわからない」
という答えがすぐ返ってくるほど、もう圧倒的にわからないところのようです。

背理法は、証明すべき結論をまず否定します。
その否定を根拠に論を進めていくと、しかし、矛盾が生じます。
矛盾が生じたのは、根拠が間違っているからです。
否定したから、矛盾が生じた。
これは否定してはいけない内容だった。
だから、結論が正しいことが導かれる。
そういう証明方法です。

こういう論理の進め方が肌に合わない人もいるようです。
「だって、さっき結論は否定したのに、何で結局それでいいことになったの?」
と、論理展開に追いついていない反応もあれば、
「矛盾が生じたからといって、間違っているとは限らないんじゃないの?」
という懐疑にとりつかれてしまう子もいます。
矛盾は抱えつつも、一概に間違っているとは言えないのでないか、と考えてしまうようです。
「否定すると矛盾が生じるから、否定は間違っているのだというところまではわかる。でも、だから、肯定する、というのがわからない」
と言う子もいます。
否定が間違っているのなら、肯定は正しい。
そうとは言い切れないのではないか?
否定も間違っているが、肯定も間違っている可能性もあるのではないか?
肯定と否定との間に「隙間」を感じてしまい、気になってしまう・・・。
気持ちはわからなくもありません。
しかし、否定も肯定も間違っているって、どんなことなのでしょう。
有理数でなければ、無理数。
そのような単純な二択に絞り込めることで利用するのが、背理法です。

そうした悩みはないけれど、実際に問題を解くことに悩んでいる高校生も多いです。
背理法の論理の構造は理解できるけれど、実際に何をどうやって矛盾を指摘すれば良いのか自力で発想できないというのです。
こうした子は、実はかなり優秀です。
そんなのは初学者なんだから当たり前で、典型題のテクニックを自分のものとして蓄積していく以外に方法はありません。
1題2題解いたくらいで背理法を自力で操れるようになるわけがありません。
学校の定期テストで背理法の証明問題が出題される場合は、典型題ばかりです。
有理数・無理数に関する問題などが大半ですね。

さて、話を戻し、もう一度上の問を見てみましょう。
これを背理法で証明するのですから、まず結論を否定した仮定を立てます。

a、bが互いに素であるとき、a+2bと3a+5bは互いに素ではないと仮定する。
互いに素ではないということは、1より大きい最大公約数が存在するということ。
つまり、共通因数があるということです。
その1以外の最大公約数を自然数gで表します。
他に、k、L(本当は小文字で表しますが、ネットでは1と区別がつきにくいので大文字にしました)を自然数とすると、
a+2b=kg ・・・①
3a+5b=Lg ・・・②
と表すことができます。

さて、上の仮定を突き崩し矛盾を指摘するのですから、これを用いて、aとbが互いに素ではないことを示せば良いのです。
では、とりあえず、連立方程式のようにして、a、bについて解いてみましょう。
共通因数が出てくれば、aとbは互いに素ではないことになりますね。

①×3-②
  3a+6b=3kg
-)3a+5b=Lg
       b=g(3k-L) ・・・③
①×5-②×2
  5a+10b=5kg
-)6a+10b=2Lg
  -a    =g(5k-2L)
        a=g(2L-5k) ・・・④

おや?
③、④より、aとbは、gという1以外の共通因数を持つことになります。
これは、aとbが互いに素であることに矛盾します。
何でこんな矛盾が生じたのでしょう?
それは前提とした仮定が間違っていたからです。
「aとbが互いに素であるとき、a+2b、3a+5bは互いに素ではない」という仮定が間違っていたのです。
したがって、aとbが互いに素であるとき、a+2b、3a+5bも互いに素です。

これが背理法による証明です。

「そんなの、gという共通因数を勝手にあることにしたからこうなったので、gが残るのが当たり前。こんなのインチキだ」
と、どこかで思考がねじれてしまうかもしれませんが、落ち着いて、式の1行1行を読み飛ばさず見ていくことが大切です。
gが残るのは、当たり前ではありません。
消えるかもしれなかったのです。
でも、残ってしまった。
それは、仮定に矛盾があったからです。
a+2bと、3a+5bには、初めから、共通因数gなど存在しなかったのです。

とはいえ、やはり難しいですね。
1回目の学習で難しかったら、しばらく放置しておくのも1つの手です。
次に復習するとき、案外、スルッと理解できることもあります。
最初は脳が慣れていなかった。
ただそれだけのこと。
そんなこともありますから。


  


  • Posted by セギ at 12:21Comments(0)算数・数学

    2018年11月28日

    英語中3 関係代名詞。


    さて、今回は、関係代名詞です。
    まずは、こんな文から。

    I have an aunt.  She lives in New York.
    私には叔母がいます。彼女はニューヨークに住んでいます。

    この2文を、後ろの文が前の文を修飾するようにして1文にできないでしょうか?
    つまり「私には、ニューヨークに住む叔母がいます」という文を作りたいのです。
    このときに使うのが、関係代名詞です。

    I have an aunt who lives in New York.

    修飾される「叔母」という名詞を書いたらすぐに2個目の文を続けます。
    しかし、そのまま続けてもつながりませんから、she を who という関係代名詞に変えます。
    関係代名詞は、she という代名詞の働きもしますし、前の名詞を修飾するという働きを示しながら2文をつなぐ働きもできるのです。
    ここまでが、基本。

    では、こんな文ではどうでしょうか?

    The man is Mr.Tanaka. He is talking to my sister.

    この2文を、後ろの文が前の文を修飾する文、すなわち「私の姉に話しかけている男性は田中さんです」という文にしたいとき。
    以下のようになります。

    The man who is talking to my sister is Mr.Tanaka.

    「私の姉に話しかけている」という修飾語は、「男性」にかかります。
    修飾語が2語以上の意味のまとまりであるとき、修飾される名詞の直後に修飾語を置くのは英語の原則。
    だから、上のように、man の直後に who is talking to my sister がきます。
    この文を作れない。
    あるいは、この英文の意味を取れない。
    関係代名詞が苦手な子の第一関門がこれです。

    関係代名詞節に修飾される名詞を「先行詞」と呼びます。
    先行詞が来たら、すぐに関係代名詞。
    主節を一旦停止して、関係代名詞節。
    授業では繰り返し繰り返しその話をして、補助しながら英文を作って、練習して練習して、これで大丈夫と私は思っていても、翌週、その子の解いてきた宿題の答えは、
    The man is Mr.Tanaka who is talking to my sister.
    と誤答していて、天を仰ぐこともあります。

    勉強が全部簡単だといいのになあ。
    英語がもっと簡単だといいのになあ。
    小学校の低学年の頃のように、何も考えなくても正解が見えた時代に戻りたい。
    あの頃の「勉強のできる自分」と「易しい勉強」。
    あれが、本来の姿であるべきなんだよ。

    そういう願望でもあるのではないか?

    そう勘繰りたくなるほど、幼稚で雑なことをやってしまう子がいます。
    全部1つのパターンで問題を解いてしまうのです。
    説明したルールの複雑なところを省略して、幼稚に簡略化したルールで解いてしまいます。

    上の例で言えば、「先行詞の直後に関係代名詞節」という正しいルールを教えても、それは忘れてしまい、第1文を全部書いて、その後 who を書いて、第2文。
    そんな単純なルールにすりかえてしまうのです。

    小学校低学年の頃には勉強ができたのに、学年が上がるにつれてどんどん出来なくなっていく子の多くはこういう子です。
    1つには、小学校低学年の頃の成功体験の悪影響があるのかもしれません。
    高学年になっても、中学生になっても、小学校低学年のような解き方をしてしまうのです。
    頭を使わない、とても単純な解き方をしてしまいます。
    いつまでもそれが通用すると思ってしまう。
    ・・・というよりも、他の解き方ができない。
    他の解き方を知らない。
    「考えて取り組む」ということが実感としてよくわかっていない様子の子が多いです。

    難しいことを理解するのに本当に苦労している・・・。
    それなら仕方ないのですが、そんなふうには見えない子が、ものを考えることができず、凡庸な成績で低迷しています。
    関係代名詞のルールなんてそんなに難しいものではないのですが、そういう子にとっては、それですら複雑過ぎて不愉快らしいのです。
    でも、スポーツでもゲームでも、もっと複雑なルールのものは沢山ありますよね。
    それは受け入れるのに、勉強の難しさ、英語の難しさは受け入れない。
    サッカーをするのに「手を使わなきゃ何でもいいんだろ?」なんて把握をしたらバカにされます。
    同じことを勉強でやっているのに、気づかない。
    勉強は自分が思うよりも複雑なものだと認識を改めれば成績の上がる子は多いと思います。

    関係代名詞に話を戻しましょう。

    先行詞がきたら、関係代名詞。
    これが正しいルールです。
    そのため、主語を修飾する関係代名詞節が挿入されれば、主節をいったん分断することになります。

    「え?先行詞って何?」
    「・・・だから、修飾される名詞のことですよ」
    「え?修飾って何?」
    「・・・」

    修飾というのは、その名詞をより詳しく説明することです。
    「男」とどんな男なのか?
    男だけでは漠然としています。
    向こうを歩いている男ではなく、あそこで立っている男でもなく、私の姉に話しかけている男のことですよ。
    これでより詳しくなり、誰のことか限定されました。
    この働きを修飾、といいます。

    こういう説明が不思議なほど頭に残らない子もいます。
    分詞の学習の際に説明したばかりなのに、また同じ質問をするなあと不可解に感じることがあります。
    しかし、本人が、日本語でも修飾語を使うことがないようでは、無理もないのかもしれません。
    文は、主語と述語だけ。
    修飾節を含む文など、口にしたことも書いたこともない。
    それなのに、母国語でもない英語で、こんなにきちんとした修飾節を含む文を作らねばならない。
    これは厄介かもしれません。
    本人の日本語能力を越える英文は作れない。
    そういう根本の原因もあると思います。

    しかし、それで諦めるわけにはいきません。
    英語で複文を作ることにより、日本語で複文を作れるようになるといいなあと思います。
    こういう文の構造を知ることにより、日本語の能力も高まる。
    外国語を学ぶのには、そういう効果もあるのですから。

    ところで、先ほどの誤答、
    The man is Mr.Tanaka who is talking to my sister.
    では、なぜダメなのか?
    Mr.Tanaka のような人名や地名などを「固有名詞」といいます。
    英語では文中でも大文字で始める名詞です。
    固有名詞には、修飾節はつきません。
    日本語に訳してみるとわかります。
    「その男性は、私の姉に話しかけている田中さんです」
    違和感があります。
    別の田中さんもそこらへんにいるような気がします。
    作りたかったのは、「私の姉に話しかけている男性は田中さんです」という文だったはずです。
    これでは、意味が違ってきます。

    実は、
    The man is Mr.Tanaka , who is talking to my sister.
    という英文なら存在します。
    「その男性は田中さんで、私の姉に話しかけています」という意味です。
    でも、それは、高校英語で学習すること。
    中3の段階では、「固有名詞は先行詞にならない」。
    そう思っていて大丈夫です。


    The man who is talking to my sister is Mr.Tanaka.

    自分で作るのではなく、この英文がポンと出てきたときに、意味がわからない、構造が読み取れない、と悩む子もいます。
    どこで切れるのかわからない、というのです。
    慣れるまでは、2個目の動詞に注目し、その前で切るのが1つの作戦です。
    2つの文が1つの文になっているのですから、動詞は2個あります。
    上の文は、2つともis ですね。
    2個目の is の前で文をいったん切って、意味を考えてみます。

    The man who is talking to my sister
    私の姉に話しかけている男性

    それがどうしたのかな?

    is Mr.Tanaka.
    は、田中さんです。

    というように区切ると、意味が見えてきます。

    一般動詞の文の場合は、動詞の前に頻度の副詞が入っていることなどもありますが、その程度のことは自分で微調整できるでしょう。
    基本は2個目の動詞の前で区切って考えてみる。
    それで随分スッキリすると思います。

    関係代名詞は、中学の文法でちょろっと出てくるだけのものではありません。
    高校のコミュニケーション英語では、関係代名詞が1語も出てこないページを探すのが逆に難しいくらい頻繁に使われるものです。
    ここを理解しておかないと、この先、ちょっとやばいぞ。
    そのような緊張感で取り組みたいですね。

      


  • Posted by セギ at 12:23Comments(0)英語

    2018年11月26日

    丹沢大山を歩きました。2018年11月。


    2018年11月25日(日)、丹沢大山を歩きました。
    前回歩いたのは、2012年。
    でも、このときは、金比羅尾根から登り、北尾根を降りています。
    登山道ではない尾根歩きでした。
    今回のコースを前に歩いたのはいつだったか記録を調べたら、2006年に遡りました。
    というわけで、12年ぶりの表参道です。

    三鷹7:33発の中央特快に乗り、新宿で小田急に乗り換え。
    伊勢原着8:55。
    駅前のバス停は既に長蛇の列でした。
    バスは大山ケーブル下までの臨時直通便がガンガン出ていました。
    バスの中は地元出身の落語家さんの軽妙な案内が放送されています。
    まずは小噺を披露。
    面白いサービスです。

    直通バスは20分で大山ケーブル下へ。
    バス停前に大きなトイレがあり、支度をして、さて出発です。9:25。
    まずは「こま参道」の石段道を登っていきます。
    両側に食堂や土産物屋が軒を並べる道です。
    シイタケや柿の直売。
    おせんべい屋さん。
    きゃらぶき専門店。
    1軒1軒個性があって面白いです。
    石段を数段上がるとしばらく平らになり、また石段を数段。
    両側の店を眺めながら、飽きずに歩いていき、店が尽きて左手の橋を渡ると、ケーブルの券売所がありました。
    ケーブルカーに乗る人の大行列で、列を横切って登山道に入るのに苦労するほどでした。
    ケーブルカーに乗るまで、何十分かかるのだろう?
    乗ってしまえば6分で下社まで上がれるそうです。

    ここから、本格的な石段道が始まりました。
    最初はよく整備されている石段ですが、だんだん石の配置が雑になり、石がごつくなり、段差も急になっていきました。
    おや、鹿だ。
    階段脇の草地で草を食べていました。
    こんな麓まで下りてきています。
    観光客に混じって、私も鹿の写真を撮影。
    そうした人々に怯える様子もなく、むしゃむしゃと草を食べる鹿。
    丹沢の鹿は、いつ見ても態度がでかいです。
    奥多摩の鹿は、人を見るとぎょっとし、目を丸くしてUターンするのですが。
    ハンターに遭遇した経験の差異というものでしょうか。

    さて、延々と続く石段道を登っていきます。
    登山客と観光客と半々。
    でも、案外人の流れはスムーズです。
    というより、こんなに速いペースで石段を登ったらバテるのでは?
    観光客は、案外歩くのが速い気がします。
    がむしゃらに登って疲れ果てて、もう2度と行きたくないと言う人は、歩くペースに問題があることが多いのです。
    もっとゆっくり歩けば、息も切れないし、休憩もあまり必要ないので、結局がむしゃらに登るのと同じくらいの時間で上まで着くのですが。

    男坂と女坂との分岐に着きました。
    久しぶりなので、女坂で様子を見ることにしました。
    とはいえ、女坂も、ごつごつした不ぞろいな石段が続きました。

    大山寺。10:00。
    本堂まで、よく整備されたまっすぐな石段道が続きました。
    石段に両側から覆いかぶさるカエデ。
    紅葉の盛りは過ぎて、黒ずんだ濃い赤になっていましたが、これだけの量があるとやはり壮観です。
    上の写真がそれです。

    本堂の右手から登山道はさらに上に伸びていきます。
    再びごつごつした不ぞろいな石段道。
    歩荷のお兄さんを前方に発見。
    この石段を登るのは、バランス面でも難しいでしょう。

    阿夫利神社下社。10:25。
    前に来たときと比べるとびっくりするくらい整備され、古びた茶店が、カフェとラーメン屋に変わっていました。
    観光化の波が山の中腹まで押し寄せてきている印象です。
    ベンチに座ってちょっと休憩。
    見上げる紅葉は、昔と変わりません。

    さて、「登山道」という看板に従い、まずは急な石段を登っていきます。
    登りきると、ここまでのオール石段道から、石段+登山道に道は変化しました。
    下社を1丁目、頂上を28丁目とする古い石柱が立てられています。
    すぐに次の石柱が見えてくるので、励みになります。
    ときどき眺望が開け、座り込んで休憩している人も多くなってきました。
    8丁目夫婦杉。
    10丁目大杉。
    21丁目富士見台。11:15。
    晴れの予報でしたが、地平線付近は雲が多く、富士山は見えませんでした。
    ベンチで休憩。

    隣りの家族連れの男の子が、
    「YouTube少し見ていい?」
    と親に問いかけていました。
    お母さんは苦笑して、
    「それは、帰りの電車で見ようね」

    少しの休憩に、YouTubeを1本見たくなる。
    うーむ。今どきの子どもですね。
    そう言えば、昔、やはりこの大山の山頂で、
    「驚いた。〇〇さんの子どものザックの中、『ハリーポッター』が入ってた」
    「ええ?あんな分厚い本を担いできたの?」
    という会話を聞いたのを思い出しました。
    ハリーポッターの何作目かが発売された直後の日曜日でした。
    親とのつきあいで山に来なければならないが、ハリーポッターは読みたい。
    せめて山の行き帰りはハリーポッターを読みたい。
    休憩時間や山頂でもハリーポッターを読みたい。
    そういう気持ちが分厚い本を担いでの山歩きになったのだろうなあと感心したので、よく覚えています。

    あの頃にはもう、子どもが本を読まなくなったとは言われていたけれど、ハリーポッターはベストセラーでした。
    本など読みそうにない生徒から、
    「え?先生、『バッテリー』を知らないの?何で?」
    と驚かれたこともあります。
    今の子どもから、本の話を聞くことは本当に少なくなりました。
    ふと振り返ると、時代は流れているなあ。

    25丁目ヤビツ峠分岐。
    青い鳥居は銅製とのこと。
    丹沢大山は山頂付近は案外平らで、最後のきついひと登りというのがありません。
    山頂の阿夫利神社の建物が見えてきました。
    28丁目山頂。12:00。
    ちょうどお昼どきでもあり、山頂は大混雑でした。
    神社の裏側に回り、ベンチが偶然1つ空いていたので、そこで昼食。
    関東平野が広く見晴らせました。
    今日もお昼はカップラーメン。
    周囲もお湯を沸かしてカップラーメンを作って食べている人が大半です。
    通りかかる人が、
    「わあ、いい匂いがするなあ」
    「お腹空いたねえ」
    とキョロキョロと周囲を見回し、レジャーシートを敷く場所もないほど満員なのにがっかりして先に進んでいきました。
    大丈夫。
    この先にも、まだ休憩できるところはあるよー。

    さて、下りは少し遠回りして、雷の峰尾根を歩きます。
    昔、この道は土がむき出しで滑りやすく、歩きにくいところも少しあった記憶があります。
    今は、木段・木道が完全に整備されていました。
    歩きやすくなったせいか、人も多いです。
    山頂に来た人の大半はこの道を下るのだろうか?というくらいの大行列で下っていきました。
    この道は、本当は独りしみじみと歩きたいなあ。
    こんな観光シーズンに来たらこうなるのは仕方ないので、初冬の頃とか平日とか、時期を変えてまた歩きたい道です。
    ときおり樹間から、ケーブル沿いの紅葉の道が見下せたり、相模湾が見えたり。
    眺望は素晴らしい道でした。

    見晴台。13:25。
    ここはテーブルとベンチが並ぶ広い休憩適地で、久しぶりに来てもこの場所の記憶はすぐによみがえりました。
    この先は、直進すると日向薬師へと向かう関東ふれあいの道。
    ここで、右にV字を描いて曲がり、下社に戻りました。
    崖っぷちの平坦な道がずっと続いていました。
    崖側にワイヤーが3本平行に張られていました。
    延々と下社までワイヤーは続きました。
    崖っぷち道が基本嫌いな私の感覚でも道幅は十分過ぎるほどで、こんなワイヤーは不要だろうという気がしたのですが、どんどん歩いていくと、意外なほど多くの観光客とすれ違います。
    この道を歩いても観光的には面白いところはないのですが、下社から平坦にこの道につながっているので、ふらっと入ってきてしまう人が多いようです。
    途中、2段の細い滝があります。
    滝が龍のように蛇行し、傍にある社の狛犬も龍のブロンズ。
    足を伸ばすとしてもここまでで、その先は本当に何にもないのに、観光客がその先にうっかり進んで滑落事故を起こしたことがあったのかもしれません。
    「道悪い」の古い看板が残っていますが、橋のような立派な桟道がつけられていて、道は別に悪くない。
    山の観光化と滑落事故と過剰整備と。
    そんなことを思いながら、下社まで戻ってきました。13:55。
    ここは、午後も大盛況でした。

    ケーブルで上がり、徒歩で下りる。
    観光客はそうする人も多いのですが、体力的には楽でも技術的には難しいのが下りです。
    石段には手すりや鎖のついているところが多いですが、ないところもあります。
    そういうところでは、しゃがみこんで手をついて石段を下りている観光客もいました。
    足許が不安定な年齢になると、この石段の下りは怖いですね。
    私もトレッキングポールを出しました。

    大山寺。
    石段の灯篭にローソクが灯っていました。
    紅葉シーズンは、夜になるとライトアップされるそうです。
    それを目当てにか、午後もどんどん人が登ってきていました。

    下山。14:40。
    こま参道を下り、バス停へ。
    すぐにバスに乗車できました。
    発車し、道路を下っていくバスは、こちらに向かってくるバスと次々にすれ違いました。
    どれだけ増発してもきりがないほど大盛況の丹沢大山でした。
    こういうのも嫌いじゃないけれど、静かな時期にまた来ようと思います。
    これから、どこの低山も冬枯れの良い雰囲気に変わっていきます。
      


  • Posted by セギ at 13:34Comments(0)

    2018年11月23日

    高校数A「整数の性質」公倍数・公約数に関する問題。



    今回も高校数A「整数の性質」。
    「最小公倍数・最大公約数」の性質について。
    例えば、こんな問題です。

    問 最小公倍数が144、積が864である自然数の組(a,b)をすべて求めよ。ただしa<bとする。

    まずは受験算数の解き方で解いてみます。
    2つの数aとbの連除法をイメージした図を描いてみます。

    ☐) a b
      A B

    ☐は、最大公約数です。
    本来、共通に割れる数で何段階にも割っていったものの積が最大公約数ですが、一気に最大公約数を見つけたのなら、こうして一段で連除法が終わっても良いでしょう。
    連除法のこの図からわかるように、最小公倍数は☐×A×B。
    問題によれば、これが144なのですから、
    ☐×A×B=144 ・・・① となります。
    さらに、上の図から、
    a=☐×A。
    b=☐×B も読み取れます。
    よって、2数の積は、
    a×b=☐×A×☐×B。
    問題によれば、これが864ですから、
    ☐×A×☐×B=864 ・・・② となります。
    ①、②より
    ☐=864÷144=6
    ①に代入して、6×A×B=144 となりますので、
    A×B=144÷6
    A×B=24
    AとBとはもう公約数はないのですから、候補としては、
    1と24、または3と8でしょう。
    2と12や、4と6は、まだ共通に割り切れる数があるので、上の連除法の図に当てはまらなくなってしまいます。
    よって、A=1、B=24のとき、a=6、b=144。
    A=3、B=8のとき、a=18、b=48。 
    よって、(a,b)=(6,144),(18,48)
    これが答えとなります。

    高校数Aの解き方もこれと同じで、小学生よりも少し大人っぽく文字を使用するだけです。

    まず、aとbとの最大公約数をgとすると、
    a=ga'
    b=gb'と表すことができます。
    (a'、b'は互いに素な自然数で、a'<b')
    最小公倍数から、
    ga'b'=144 ・・・・①
    また、積が864だから、
    ab=864
    よって、ga'gb'=864・・・・②
    ②÷①より
    g=864÷144=6・・・・③
    ③を①に代入して
    6a'b'=144
    a'b'=24
    となります。
    a'とb'は互いに素な自然数で、a'<b'ですから、
    (a'、b')=(1、24)、(3、8)です。
    それぞれ6倍して、
    (a、b)=(6、144)、(18、48)


    解き方は小学生も高校生も同じです。
    連除法を知らないと、論理展開についていくのが少しつらいかもしれません。
    自然数を他の自然数の積の形として見ることに慣れていると楽に解けます。
    これは、計算の工夫の上でも必要な感覚ですが、自然数が他の自然数の和に見える「和の感覚」だけでなく、自然数が他の自然数の積の形に見えている「積の感覚」が身についていると、こうした問題は楽に解けると思います。
    簡単に言えば、15=3×5 という形に見えていること。
    因数分解した形が常に見えているということです。

    これは中3の「平方根」の単元でも重要な感覚です。
    例えば、
    √45×√40
    =3√5×2√10
    =3・2・5√2
    =30√2
    という計算は、この「積の感覚」があるからできることです。
    この感覚が育っていないため、
    √45×√40
    =√1800
    ここで、素因数分解の筆算をして、
    =30√2
    という形でしか計算できない子は案外多いです。
    どちらでも正しい答えを導けますが、上の解き方のほうが暗算がやりやすく精度が高いです。

    小学校4年生で学ぶ「計算のきまり」という単元も、この「積の感覚」があると、工夫を思いつきやすいです。
    問題 12×25 を工夫して計算しなさい。
    そう言われても普通に筆算することしか思いつかない、工夫を考えている時間に筆算できるのに・・・という子が案外多いのです。
    12×25
    =3×4×25
    =3×100
    =300
    というのが、期待されている工夫です。
    小学4年生がこの単元で習得することを期待されているのは、表面的には「交換法則」と「分配法則」ですが、交換法則をより効果的に利用するには、このように自然数を積の形に分解できることが必要となります。

    この「積の感覚」は、教わっていなくても自然と身についていることも多いのですが、教わっても身につかないこともあります。
    言われればわかるけれど、自分で思いつくことはできないようです。
    1つには、算数というのは、もっと単純に1つの解き方に統一されるべきなのだという思い込みがあるのかもしれません。
    色々な解き方があるというのが好きではない。
    色々覚えなければならないのは面倒だから、そういうのはやめてほしい。
    そういう気持ちが根底にあるような気がします。

    だから、どれほど教わっても進んで活用しようという気持ちになれない。
    一応は理解しても、そういう「他の解き方」というのが好きではない。

    私はいついつまでも、地道に計算します。
    それ以外のことを勧められても迷惑です。

    中学3年で「平方根」を学習する頃には、すでにそのように凝り固まってしまう子も多く、上の解き方を説明しても、
    「いいの!私はこのやり方じゃないとわからないの!」
    と拒絶されたこともあります。
    作業手順だけを暗記しているので、他のやり方を勧められても混乱するからやめてくれ、という気持ちだったのでしょう。
    「他の解き方」が好きではないのは、それを理解する余裕がなくなっていることの表れであり、算数・数学がわからなくなってきているサインととらえて良いと思います。
    全ての単元に共通する数理の根本がわかっていないので、1つ1つの単元ごとの解き方を別べつに暗記するしかなく、それがとても苦しくなっているサインではないかと思うのです。

    気持ちに余裕がなくなっている。
    それは計算が速い遅いの話とは違います。
    精度の話ともまた違います。
    計算は遅いし、計算ミスも多いけれど、気持ちに余裕のある子はいます。
    考えるのにとても時間がかかるけれど、考え続けることはできる。
    表面的なテストの点数はともかく、「他の解き方」を受け入れられる。
    そういう子はいずれ開花するので、あまり心配はいらないのです。


      


  • Posted by セギ at 12:22Comments(0)算数・数学

    2018年11月21日

    英語能力指数 日本は非英語圏で49位とのこと。


    先日、EF EPI 英語能力指数2018年のスコアというものが発表されました。
    日本は、非英語圏88か国中で49位。
    アジア21か国中で11位。
    5段階で下から2番目の「低い」だそうです。
    2011年は44か国で14位。
    2012年は54か国で22位。
    2013年は60か国で26位。
    2014年は63か国で26位。
    2015年は70か国で30位。
    2016年は72か国で35位。
    2017年は80か国で37位。
    そして、
    2018年は88か国中で49位。
    参加国が年々増える中で、どんどん日本の順位が下がっています。
    5段階判定では、2015年までは真ん中の「標準」でしたが、最近3年は下から2番目の「低い」に陥落とのことです。

    こういう記事を新聞やネットで見ますと、さあ大変だ、日本の英語教育はやはり方向が間違っているのだと、つい思ってしまうのですが、ここで落ち着きたいと思います。
    そもそも、このテストはどういうものなのでしょうか?
    それを知らないうちは、何とも言えません。

    EF EPIテストは、誰でもインターネットですぐに受けることのできる無料の英語テストです。
    昨年、日本では数千人が受検。
    日本の受検者は二十代が多いとのことです。
    どんなテストなのだろう?
    今回、私も試しに受けてみました。

    テスト内容は、リーディングとリスニング。各25分。
    それぞれ大問が3題あり、それを25分で解く形式でした。
    まずはリーディング。
    英文の書体の読みにくさに、ちょっと驚きました。
    昔の英文タイプのような書体です。
    ネットでは少し読みにくい。
    目が慣れるまで時間がかかります。

    問題の難度はどうか?
    例えばTOEICならば、易しい問題から始まり、徐々にレベルが上がっていきます。
    だから、前半の問題で得点することが可能です。
    英検ならば、級ごとに問題が作られ、それぞれのレベルの問題が出題されます。
    EPIテストは最初からマックスのレベルでした。
    同じ難度の英文が3題。
    リーディング問題は、大学のセンター試験よりも難しいです。
    国公立大学の2次試験や難関私立大学の入試問題レベル。
    英検で言うと、準1級くらいでしょうか。
    この難度ですと、うっかり受けてしまったけれど本文が全く読めない人も多いと思います。

    出題形式は?
    全て記号問題で、大問それぞれに小問が各8問ありました。
    問1以外は、1問につき2つの答えを選ばねばなりません。
    この複数回答制も、日本人にはあまりなじみがないと思います。
    大問の最後に正しい選択肢を4つ選ぶなどの形式はありますが、小問でいちいち2つの正答を選ぶ形式は入試であまり見たことがありません。
    設問をよく読まず、1つずつしか選択肢を選ばずに大量失点する人もいそうです。

    25分で大問3題ということは、大問1題でおよそ8分。
    本文を読む時間が必要ですから、小問1問あたり正味30秒くらいでしょうか。
    英検や大学入試よりも時間制限が厳しく、速読力が必要です。
    落ち着いてゆっくり読めば正解が出せる人も、この時間制限では厳しいと思います。

    続いてリスニング。
    リスニングも時間は25分でした。
    大問3題。それぞれ小問8問。やはり正解を2つ選ぶ方式です。
    ボタンをクリックすると音声が流れます。
    2~3分の会話やアナウンスです。
    小問と選択肢は音声ではなく、文字を読み取って解きます。
    音声は2回聴くことが可能です。
    難度は、スピードと語彙から感じて、やはり英検準1級程度。
    これも複数回答なので選択肢の吟味に時間がかかります。
    選択肢の読み取りに手間取ると、音声を2回聴く時間はなさそうです。


    英語を勉強中の人が、どこかでこのEF EPIテストのことを知って、試しに受けてみる。
    受けてみて、レベルの高さにドン引きする。
    予想を越えたレベルの英文とリスニング。
    何よりそのスピード。
    そして、惨敗の結果が次々と残されていく。
    ・・・日本のスコアが低いのは、そういう事情かもしれません。
    テストのレベルとして、あまり感心しません。
    このテストでは、「わかる」か「全くわからない」かの二極に別れてしまうと思うんです。
    大学入試ならば、この難度をクリアできる人しか入学させないという意味で、こういうテストで良いと思います。
    しかし、色々なレベルの英語力の人を評価するためのテストならば、易しい問題も出したほうが正しい指数が出るでしょう。
    正答の多い一部の人以外は、皆、団子状態の低い結果になるのでは、正しい数値は出ません。
    勘が当たってたまたま正答した人が抜きん出てしまうような結果は、正しい結果ではないですよね。
    日本と他国とのスコアの差も、団子状態の僅差です。
    それもこのテストのレベルが招いていることと感じます。
    この順位にそんなに意味はないんじゃないかというのが、受けてみての実感でした。
    TOEICのように易しい問題から難しい問題へとバランス良く並んでいるタイプのテストならば、日本人のスコアももう少し高いでしょう。

    ただ、英語を学ぶ誰もがこのレベルに到達するのは望ましいこと。
    今の日本で、このテストに一応は歯が立つ英語力に到達できる高校生は全体の1割程度でしょう。
    今後はどうなるか?
    テスト内容がリーディングとリスニングですから、英語4領域の教育改革でどうにかなる話ではありません。
    「日本人はスピーキングが弱いから」
    テストの内容を見なかったら、こんな見当違いな評価をしそうなところでしたが、そういう話ではありませんでした。

    この難度とスピードで英語力を試されるとは想像もしなかった。
    受検した日本人には、そういう人が多かったのではないでしょうか。
    日本人は、英語力の到達点に関して理想が低いかもしれません。
    正直、私ももっと簡単なテストだと思っていました。
    このレベルだとは思っていなかったので、厳しい時間制限に焦りました。
    テストの結果、
    「全ての場面で不自由のない英語力」
    とか何とかいう評価をいただきましたが、実感としてはそんなことはなく、まだまだ自分は不自由です。
    個人的には、たまにこうやって冷や汗をかくのは刺激になり、受けて良かったと感じました。


    「英語能力指数」で検索すれば、簡単にテストページに行きつきます。
    こういうタイプのテストだと知れば逆に受ける気になる腕に覚えのある人も、日本には多いと思います。
    結果ばかりがニュースになるわりにテストの知名度が低いのも、日本のスコアが低い原因かもしれません。

      


  • Posted by セギ at 13:34Comments(0)英語

    2018年11月19日

    高尾山から南高尾山稜を歩きました。2018年11月。


    2018年11月18日(日)、高尾を歩きました。
    三鷹発7:48の中央特快で高尾駅へ、そこから京王線に乗り換えて、高尾山口へ。
    高尾山口駅に降り立つと、やはり混雑はしていましたが、例年の紅葉シーズンの高尾の物凄い混雑と比べると人が少ないように感じました。
    例年は駅の階段を下りるのも渋滞でなかなか進めなくなりますが、今回はそこそこのスピードで下りていけました。
    駅前からケーブル清滝駅までの人の流れもスムーズです。
    朝から曇っているからかな?
    高尾の紅葉は例年勤労感謝の日前後が最盛期で、まだ1週間早いのも理由でしょうか。

    ケーブル清滝駅到着。
    Suicaでリフト片道券を購入しました。
    切符を買う行列もなく、前の人が買うのを待つだけですぐに私の順番になりました。
    リフトの乗車口までは石の階段を登っていきます。
    朝からなかなかの登りで、ここで疲れてしまう日もありますが、今回はわりとすぐに乗車口に着いた感覚がありました。
    今日は体調もいいのかな。

    リフト山頂駅。8:48。
    ベンチの1つで身支度し、さて出発です。
    高尾山1号路の混雑もそこそこ。
    もう下山してくる人も多いですが、その行列は途切れ気味で、間合いを見計らって前の人を追い抜いていけました。

    薬王院でお詣り。
    おや、また何か新しいアクティビティができています。
    石を持ち上げるものです。
    その石の重さが自分の業の重さなのだとか。
    お、重いっ。(^-^;

    高尾山頂。9:30。
    紅葉の色は、例年よりも暗めでした。
    今日の曇天のせいもあるでしょうか。
    でも、人が少なく、ゆったり見られるので、これもまた良い風情と思えなくもありません。
    大見晴台から、丹沢も見えませんでした。
    雲が低くたれこめ、地平線との隙間の空だけが白く明るい。

    歩き始めは霧雨が降っていましたが、止んだようです。
    天気は好転するという予報を信じ、紅葉台へと石段を下りて行きました。
    この辺りは雑木林の風情が良いところです。
    石段を降り切って、「ここより奥高尾」という道しるべを眺め、さて紅葉台へと少し登り返します。
    お蕎麦屋さんへの坂道の紅葉はライトな色合い。
    枯葉も混ざっていますが、ちょっといい感じです。

    紅葉台のベンチが空いているとは、やはり今日は人が少ないようです。
    ここから、よく整備された木段を下っていきました。
    ときどき良い紅葉もあって、立ち止まって写真を撮りながらのんびり下っていき、少し登り返すと、一丁平。10:05。
    奥のほうのベンチでちょっと休憩しました。
    気温が低くなってくると身体に熱がこもらないのでどんどん歩けます。
    4月の終わりには最高気温が25度を越してしまう昨今、やっと山歩きをしやすいシーズン到来です。

    私の目の前を通っていった男性が、しばらくして戻ってきました。
    あれ?
    南高尾に行くのだろうと思ったのに、戻ってきた?
    私も出発しました。
    細い踏み跡をたどり、まずは分岐へ。
    「倒木・枯枝にご注意ください」
    といった内容の掲示が貼られていました。
    以前には見なかったものなので、台風の影響で倒木が増えているということかもしれません。
    分岐を左折。
    しばらく行くと、今度は「熊出没注意」の掲示が。
    なるほど。
    このどちらかを見て、先ほどの男性は戻ってきたのかもしれません。
    服もザックもタウンユースの人だったから、戻るのも賢明な判断だと思います。
    熊鈴をザックの鳴りやすい位置につけて、再び出発。
    倒木注意とは言うものの、たまに細い倒木をまたぐことがあるだけで、他は全て片付けられていました。
    登山道の周囲には、切られたばかりの丸太や、細い枝がからまってぐちゃぐちゃな樹が転がっています。
    歩きやすい下り坂をとんとん下っていくと、電波塔の立つ分岐に出て、ここからは大平林道。
    でも数歩で次の道しるべがあり、大垂水峠を示す道しるべの通りに左の細い道に入りました。
    斜面につけられた細い道を下っていきます。
    土が流れたのか道が細くなっているところもあり、用心して歩いていくと、しばらくして道は十分な幅になり、さくさく歩いていくと、階段を下りて、甲州街道。
    ここが大垂水峠です。10:35。

    歩道橋の階段を登り、甲州街道を渡ると、そのまま登山道に入っていきます。
    ここは関東ふれあいの道の中の「湖の道」。
    看板も出ています。
    甲州街道が樹間から見えるちょっと高度感のある細い道をいき、そこから数段の木段を登ります。
    そこからもまだ細い道が続きます。
    トレイルランナーが後ろから来て、どうにか道を譲りました。
    時間をおかず、今度は向こうからトレイルランナーの集団が。
    南高尾山稜は、最近トレイルランナーが多いのですが、道の細いところでのすれ違いはさすがにストレスを感じます。
    今は紅葉シーズンで高尾主脈は走れないから余計にランナーが多いのでしょうか。
    木の根の作る段差をひと登りして、ようやく道が広くなり、安堵。
    木段の登り、その後しばらくは緩やかな坂道、また木段の登りと繰り返して、樹間から空が見えてくると、ベンチが幾つか横に並ぶ箇所に。
    そこから右が植林帯、左が雑木林の道をしばらく歩いていくと大洞山でした。11:00。

    大洞山は眺望はありませんが、ベンチとテーブルと山頂標識や看板があります。
    ベンチに座って休憩。
    さて、ここからの南高尾の秋の道は風情があって好きな道です。
    毎年秋になると、ここを歩きたくて南高尾に向かいます。
    雑木林の紅葉。
    カエデだけでなく、色々な木が紅葉・黄葉しているので、林が明るい。
    一歩ずつが楽しい。
    道も緩やかな下りで、歩きやすいです。
    たまに急な下りや岩がちな下りもありますが。

    中沢山のまき道に入りました。
    もともと細い崖っぷちの道ですが、山から土が崩れてきて、さらに道が細く斜めに傾いてきている気がします。
    でも、紅葉もここらへんが一番きれいなんです。
    足許に気をつけつつ、紅葉を眺めつつ、でも、あまり長く居たくないなあとも思いつつ。
    道が崖を離れ、歩きやすくなると、少し登ってはまた平坦な道、少し下ってはまた平坦な道が繰り返されます。
    鉄塔を左に見て、さらに進んでいくと、樹間の中の道の先がふっと明るくなり、見晴台。11:45。
    冬晴れの日は、富士山だけでなく南アルプスも見える展望地ですが、今日は丹沢も見えない曇り空。
    とはいえ、足許の津久井湖と街並みが箱庭のようです。
    ベンチが横にずらっと並ぶ休憩適地です。
    ここも今日は空いていました。
    ベンチに座って、昼食休憩。
    今日もポットのお湯でカップラーメンを作って食べました。
    ああ、温かくてしょっぱいスープが嬉しい。
    スポーツドリンクもごくごく飲んで、さて出発。

    ここから、また道が細くなります。
    道が細くなると、決まってトレイルランナーの集団が現れる。
    いや、それは気のせいでしょう。
    先程の崖っぷちのまき道など、すれ違う人が現れたら本当に本当に最悪のところではランナーは現れませんでしたから。
    ここも何とか道を譲って通過。
    そこかしこの淡い紅葉を楽しみ、あ、ここにもベンチ、あそこにもベンチがあると確認しながら、どんどん歩いていきます。
    いくつかの登りを越えていくと、向こうから来た二人連れに話しかけられました。
    「どこから来たんですか?」
    うん。これこれ。
    南高尾山稜を歩いていて特有の質問、今回も来ました。ヽ(^。^)ノ
    「ええと。高尾山から一丁平に行って、甲州街道を越えて、大洞山からここまで来ました」
    「高尾山から?凄い距離でしょう。いや、色んな人がいるんで、面白くて訊いているんですよ。さっきの人は陣馬山から来たと言っていましたよ」
    「ああ、陣馬山から?凄いですね」
    「ねえ」
    にこにこと別れました。

    三沢峠。12:40。
    まき道も含め、登山道が集まる五叉路です。
    ここもベンチやテーブルがあり、休憩適地。
    道しるべが増え、ここから草戸山・高尾山口への道がわかりやすくなりました。
    緩い登り坂を歩いていきます。
    ここからの道も好きな道です。
    道幅も広く、歩きやすく、紅葉が美しい。
    のんびり歩いていくのに適した道です。
    やがて、ものすごい段差の階段道が始まりました。
    膝と股関節がガクガクいうような段差の下り道です。
    でも、この階段がなかったらすぐ横に見える物凄い急坂の道を降りることになるので、この階段は有難い。
    しばらく平坦な道。またガクガクいう階段道。
    これが繰り返されます。
    やがて、珍しく登りの階段道を越え、また登った分だけ下ると、そこからひと登りで草戸山。13:10。
    いつ来ても、ここは人が多くにぎやかです。
    ベンチで休憩。

    さて、ここから高尾山口への道は今日のコースの中で一番アップダウンの激しい道です。
    あとは下るだけと思っていると、思わぬ難度にびっくりするのがこの道。
    危険個所はないのですが、人が少なくアップダウンが激しいので、こんな道が本当に高尾山口につながるの?と最初に歩いたときは不安にかられました。
    まずは木の根の段差の道を下り、しばらく平坦かと思うと、その先は次々と小さなピークが現れます。
    土がむき出しになった、段差の大きい登りもあります。
    登ると下る。
    登ると下る。
    台風後の整備もここまでは進まず、倒木が登山道に倒れかかっている箇所もありました。
    樹間の向こうに高尾の町並みは見えているのに、登山道はどこの深山だろうという風情。
    京王電鉄のアナウンスが聞こえてくるのに、まだ深山の風情です。
    暗い林の中で道しるべを見て、湿った下り道を行くと、やがて民家が見えてきました。
    民家の横の細い道を通っていくとポコッと舗装道路に出て、そのすぐ先が甲州街道の横断歩道。14:35。
    観光客あふれる雑踏に、さっきまで歩いていた道が何だか幻に思えてきました。
    この落差が南高尾山稜の醍醐味かもしれません。
      


  • Posted by セギ at 15:09Comments(0)

    2018年11月12日

    三頭山を歩いてきました。2018年11月。


    2018年11月11日(日)、三頭山を歩きました。
    ホリデー快速あきかわ3号に乗車。
    立川から座ることができました。
    紅葉の観光シーズンですが、電車内はそれほどの混雑ではなく、終点武蔵五日市駅下車。8:48。
    駅前のバスの行列もいつも通り。
    数馬行きのバスは、3台で発車です。

    さまざまな山の登山口で人が下りていき、終点数馬で下りた人は、各バスで10人未満。
    ここから、都民の森行きの無料バスに乗り換えて、都民の森下車。10:10。
    トイレも済ませて、さて出発です。

    三頭山に登るときは、いつも三頭の大滝経由の石段の道を選んでいましたが、今回は反対回りの鞘口峠を経由するコースを選びました。
    どんな道だろう?
    森林館の裏から、道しるべの通りに、登山道が始まりました。
    道幅もそれなりにあり、石段や木段が整備されていて、歩きやすい道です。

    冬枯れの木が多く、登山道は枯葉に覆われ、あたりは晩秋の気配でした。
    これは台風の影響でしょう。
    紅葉する前に、台風で葉の多くが吹き飛んでしまったのだと思います。
    あるいは、紅葉する前に枯れてしまった。
    それでもときどき、ハッとするような紅葉がありました。
    予報は晴れだったのに、山は案外雲が多く、光が足りないので、写真に撮っても紅葉はあまりきれいに見えそうにありません。
    でも、肉眼で見る分には、きれいな紅葉でした。

    登っていくと分岐があり、右は「三頭山登山道」、左は「三頭山ブナの道」。
    左の道は少し下り気味に見えたので、せっかく登った分をまた下るのは嫌だからと右の登山道を選びましたが、これは失敗だったと思います。
    右の登山道は、道幅は十分にありましたが、崖っぷちの道でした。
    檜原都民の森の中の三頭山への道が、こんなごつい道なのはおかしくないか?
    道幅はありますけれども、高度感もかなりあるのですが?
    普通の山ならわかりますけど、都民の森が?
    頭に疑問符をいくつも抱きながら進んでいくと、ブナの道との合流点。
    振り返ると、ブナの道はいかにも歩きやすそうな平坦な尾根道でした。
    やっぱり、こちらを歩くべきだった。
    そんなわけで、崖っぷちのごつい「登山道」はさらに続いていましたが、そこからは「ブナの道」を選択しました。
    都民の森の言う「登山道」は、歩けるけれど険しい道という意味のようです。
    では「ブナの道」は何なのかというと、遊歩道なのでしょうか。
    面白い識別です。

    多少段差はあり、アップダウンもあるけれど、高度感はほとんどない歩きやすい尾根道「ブナの道」をのんびり歩いていきました。
    紅葉シーズンの三頭山なのに、人はまばらです。
    今年の紅葉が良くないことを情報として得ている人が多いのかもしれません。
    冬枯れの山の雰囲気も私は好きなので、これはこれでいいなあ。
    人が少ないので、好きなときに立ち止まり、写真を撮ることができました。

    見晴らし台。11:10。
    屋根のついた大きな休憩所でした。
    土足で歩きまわってしまう人が多いのか、板張りの部分も砂や泥で座れなくなっているのが残念。
    入口と板張りの部分との段差がないための構造的な問題もあるのでしょう。
    汚れていないところもあったので、そこに座り、ちょっと休憩。
    御前山と大岳山が見えます。
    先客が、
    「ねえ、あれ、大岳山?」
    「違うよ。大岳山は、あんな山容じゃないよ」
    と会話していました。
    いや、大岳山はあんな山容だと思うけれど、どういうことだろう?
    三頭山から見ると、左の肩だけ張っているように見えるせいかな?
    しかし、他パーティのこういう会話に首を突っ込むには、私はまだ年齢が足りない気がします。
    今はまだ、教えたがりの嫌なヤツに見えてしまうんじゃないかな。

    そこからいったん下り、また登り返していくと、今度は展望台。11:40。
    階段を登り、張り出したデッキへと出ていけます。
    高度が少し上がって、御前山と大岳山の眺望もさらに良くなりました。
    空が曇っているので、どこか荒涼とした景色です。
    山って怖いなあ。
    そんなふうに感じる眺めでした。

    山頂付近はさすがに人が多くなりました。
    まず三頭山東峰。
    ベンチは既にぎっしりと人で埋まり、皆にぎやかに昼食をとっています。
    レジャーシートに座っている人も大勢いました。
    続いて、三頭山中央峰。
    ここも人でいっぱい。
    少し下って、木段を登り返すと、三頭山西峰。11:50。
    ここは、毎度おなじみの峰なのですが、反対方向からやってくると、ちょっと方向感覚がおかしくなってしまいました。
    富士山が見えたらまた違うんですが、今日は雲の中。
    ここも人でいっぱいです。
    道しるべを良く見て、ああ、こっちがいつもの道かと確認して下りていきました。
    少し下りていくともう見覚えがあり、なるほど、これはいつもの道です。
    長い木段を下りきると、ムシカリ峠。
    まだどんどん登ってくる人が現れます。
    人の少ない静かな山だと思ったけれど、たまたま空いている道と時間帯だっただけかもしれません。
    ここのベンチも人でいっぱいでした。

    道しるべをよく見て、三頭山避難小屋・槇寄山方面への登り坂を歩きだしました。
    喧騒から離れ、また静かな山道です。
    三頭山避難小屋の前にはザックが2つ置いてありましたが、人の姿はありませんでした。
    さらに進んでいくと、大沢山。12:10。
    先客もいましたが、ベンチが1つ空いていました。
    ちょうど時間帯も良いので、ここで昼食。
    晴れた日なら大きく富士山の見えるところですが、今日は雲に覆われています。
    座ると汗が引いて少し寒くなる季節にようやくなりました。
    今年はいつまで暑いのだろうと心配になるくらいでしたが。
    ポットに詰めてきたお湯で、カップ麺を作って食べました。
    本当はお湯を沸かすと良いのですが、今日は温泉セットも持ってきているので、これ以上ザックが重くなるのは避けたい。
    熱々とは言えませんが、そこそこおいしくカップ麺を食べました。

    さて、ここから笹尾根を下ります。
    枯葉が多く、紅葉が少なく、やはり台風の被害が深刻だったのは伝わってくるのですが、登山道はよく整備され、道を塞ぐ倒木はありません。
    都民の森は整備が早いなあ。
    でも、この前歩いた大マテイ山も、その前の扇山も、もう整備が進んでいるかな。
    大沢山からしばらくは山頂直下の急な下りが多いです。
    岩がちな段差のある下りなので、土ののっぺりした下りと比べると歩きやすいです。
    岩につかまったりしながら段差を下っていくと、「倒れるぞー」という声が聞こえてきました。
    うん?
    見ると前方に、薄茶色の制服を着た男性が2人、倒木を登山道から除去する作業をしていました。
    登山道に斜めにかかった倒木を倒して、脇へどけているのです。
    制服には、「奥多摩レンジャー」の文字が。
    わあ、カッコいいなあ。
    ちょうど作業が終わったところだったので、挨拶をして先に進みましたが、すぐに2人に追いつかれ、道を譲りました。
    上手い歩き方だなあ。
    重心が安定して、無駄がないんです。
    だから、急いでいる様子はないのに、実際にはすごく速い。

    山頂直下の急な下りが終わると、尾根は広くなり、道はなだらかになりました。
    そして、美しい紅葉が見え始めました。
    樹間のむこうが赤くきらきら光って見える紅葉。
    頭上高く、深紅のカエデ。
    足元は、茶色の枯葉の上に黄色い葉や真っ赤なカエデが混じり、明るい登山道が続きます。
    どれも今日の光量では写真にはきれいに撮れないだろうなあ。
    立ち止まり、目に焼き付けて、またゆっくりと歩きだしました。

    道が再び登りとなり、槇寄山。13:30。
    ここはベンチもテーブルもあり、休憩適地です。
    先刻の奥多摩レンジャーの人も休憩中でした。
    「いやあ、倒木があると危ないからね」
    と、登山者にねぎらわれながら談笑していました。

    さて、もう少し笹尾根を歩きたいところですが、笹尾根そのものは整備されていても、そこから檜原街道に降りる道は台風の影響で荒れているかもしれません。
    予定通り、温泉センター数馬の湯へと下山します。
    槇寄山から緩くくだっていくと、西原峠。
    ここは四辻で、笹尾根から南に下るのは郷原への道。
    上野原駅行きのバス停に降りられる道ですが、まだ歩いたことはありません。
    今日もお馴染みの北へくだる道をとりました。
    仲の平へと降りていく道です。

    ここも紅葉が盛りでした。
    空は曇っているのに、紅葉に照らされて、登山道が明るい。
    細いまき道を過ぎると登山道は深くえぐれ、春に歩くと泥でぐちゃぐちゃなのですが、枯葉で泥道が埋まっていて、サクサク歩いていけました。
    痩せ尾根、木段など、道の様子は次々に変わり、飽きずに歩いていくと、あっけなく農地に挟まれた細い道に出ます。
    舗装された細い道をとことこ下り、石段を下りていくと、舗装道路。
    あとは、分岐の度に下るほう、下るほうと歩いていけば、 檜原街道です。
    街道を右にずっと下っていくと、仲の平のバス停をすぐに越えて、温泉センターが見えてきました。14:45。
    次のバスは14:53。
    バス停には行列ができていました。
    これなら温泉は空いています。
    次のバスに乗ることにして、温泉に入りました。

    100円投入式の靴箱に靴を入れ、靴箱の鍵を受付に渡して、入浴料820円。
    よく磨かれた廊下の奥が温泉です。
    広く機能的な脱衣所。
    洗い場も空いていました。
    数馬の湯は、内湯からの山の眺めがよく、開けてある窓から冷たい外気も入って、気持ちよく入浴できました。
    風呂上がりは、廊下のベンチに座って、発泡酒。
    500mL380円。
    温泉は大好きなのに湯あたりしやすいので、ちょっと長湯すると発汗が凄い。
    次のバスまでのんびり休みました。
    16:08。
    バスは3台でやってきました。
      


  • Posted by セギ at 12:26Comments(0)

    2018年11月09日

    英文解釈に頼り過ぎると。


    錯誤は、学習の過程で起こりやすいものです。
    例えば、以前、ある生徒に「5文型」の指導をしていたときのこと。
    This meat doesn't look fresh.
    という英文を分析せよという問題がありました。
    正解はSVCです。

    SVCとSVOの見分け方は、S(主語)とイコールの関係になっているのが、C(補語)。
    その子も、学校の授業でそう教わっていました。
    S=C。 S‡O。
    わかりやすい判断の仕方です。
    でも、その子の答えは、「SVO」でした。

    理由を訊くと、
    「だって、This meat は、freshじゃないんだから、イコールじゃあない。S=C、じゃない。だから、SVO」
    「・・・・・・・肯定文が否定文になった途端に文型が変わることはないよ」

    錯誤を起こしやすい原因の1つは、文法学習であるのに、英文の意味に頼り過ぎてしまうことにあるのかもしれません。
    なんでも意味から判断しようとしているので、このような錯誤が起こりやすいのでしょう。
    文法が嫌いで、文法なんか必要ない、英語は意味がわかれば何とかなるとよく口にする子でした。
    むしろ、とにかく文法がわからないので、意味から判断しようとしていたのかもしれません。

    CとOの識別は、品詞からも判断できます。
    Cになるのは、名詞・代名詞または形容詞。
    あるいは、それと同じ働きをする句や節。
    Oになるのは、名詞・代名詞。
    あるいは、それと同じ働きをする句や節。
    ですから、動詞の後ろに形容詞がある場合、それはCです。
    動詞の後ろが名詞の場合は、OかCか、さらに考える必要がありますが。

    しかし、文法が苦手な子は、このような話は嫌いです。
    「形容詞」「名詞」という言葉を聞いた瞬間に電源オフ。
    そんな子が多いです。
    彼らは、名詞と形容詞の区別がつきません。
    freshの意味を訊くと「新鮮」と答えてしまいます。
    「新鮮な」と正しい形で覚えていることがほとんどありません。
    文法が苦手な子の多くは、単語の意味をほとんど名詞の形で覚えています。
    動詞も名詞の形で覚えています。
    例えば、understndは「理解」。

    英語なんて単語の意味がわかれば何とかなると、そういう子は言いがちです。
    しかし、文が複雑になるにつれて、品詞や文法を把握していない子たちは、文意を読み取れなくなっていきます。
    個々の単語の意味をすべて名詞で理解しているのですから。
    そういう子にとっては、文は名詞の羅列です。
    それぞれの語の関係はつかめないので、文全体として何を言っているのかわからなくなっていきます。

    別の子の例。
    この子は、「現在完了」を勉強しているところでした。
    I haven't done my homework yet.
    この英文は、「完了」「経験」「継続」「結果」のうちのどの用法か。
    この問いに、彼女は、「継続」と答えました。
    「私は、まだ宿題をやっていない」
    やっていないのだから、完了していない。
    きっと今もやっている。
    だから、「継続」。
    そういう判断でした。
    ここにも、文法と文意の混同が見られました。
    文意だけで判断すると、否定文になった途端、分析できなくなってしまいます。

    「already やyet を使っている現在完了の文は、完了の用法だよ」
    「えー?そうなのお?」
    と驚くのですが、その話をするのは、もう何度目がわからなかったのです。
    ちょっとしたことで簡単に分析できるのに、それを覚えようとしませんでした。
    常に意味から判断しようとしていました。
    幾度間違えても。

    意味から判断する子は和訳は得意なのかというと、そうではありません。
    同じ子が、英文を訳したときのこと。
    My grandmother sends me a postcard every month.
    「私の祖母は、毎月私に絵手紙を送る」
    この和訳を見たとき、「絵手紙」という言葉に、虚をつかれました。
    絵手紙?
    postcard が?

    「postcardって、葉書という意味だけど?」
    「え?」
    「絵手紙という意味はないよ。単なる葉書だよ?」
    「えー?これ、間違いになりますか?」
    「・・・この単語の分だけ減点されます」
    「えー?」

    「祖母」だから「絵手紙」という推量なのでしょうか。
    確かに、絵手紙を趣味とする人は、若い人よりは中高年が多いでしょう。
    確認すると、本人のおばあさんが絵手紙が趣味だというわけではありませんでした。
    なのに、一般論で、そういう推量をしてしまう。
    それが、正しいと思ってしまう。
    かなり面倒くさい誤読の仕方です。

    おそらく、普段から、名詞の羅列に過ぎない英文をどうにか想像で補って意味を取っているので、ちょっと想像のピントがずれると、たちまちこのような誤読が起こるのだと思うのです。
    文を読むというのは、英文にしろ日本文にしろ、そのように単語の羅列を勝手に想像で補って意味を取るものではないのですが、目立つ単語をちょいちょいと拾って意味を想像しているだけの読み方をしている子は、このような誤読の罠に簡単に陥ります。

    When I saw the picture , I couldn't help thinking of her.
    「その写真は彼女であると、私は思わずにいられなかった」
    これも、不可解な混線を感じる和訳です。
    正しい訳は、「その写真を見ると、私は彼女のことを思わずにいられなかった」です。
    ここでは「写真」と訳しましたが、これは、「絵」である可能性もあります。
    そして、それは彼女の写真や肖像画であるとは限りません。
    何かの風景画かもしれません。
    別の人物の写真かもしれません。
    とにかくそれを見ると、彼女のことを思わずにいられないのです。
    しかし、そういう可能性を全て排除して、いきなり the picture を「彼女の写真」と思い込んでしまうと、これが長文の中の一文であった場合、その前後の読み取りに錯誤や混乱が起こる可能性があります。

    何かを頭の中で想像してしまい、それを和訳に反映させてしまう。
    前の「絵手紙」も、そういうことでしょう。
    これは、英語に限らず、国語の問題を読んでいてもやってしまう可能性のあることです。

    なぜ、書いていないことを読み取ってしまうのでしょう。
    「行間を読め」と言う人がいますが、行間なんて勝手に読んだらダメです。
    書いてないことは、読み取ってはいけません。
    必要なことは、全部書いてありますから。
    書き方が遠回しだったり高度な修辞が用いられていたりして、読み取りが難しい場合があるだけで、読解とは、基本、書いてあることしか読まないことです。
    書いてあることは正確に読み飛ばさず読み取る。
    書いていないことは一切読み取らない。
    読解とは、そういうものだと思うのです。
    書いてあることを読み飛ばすのに勝手に行間を読んでいては、必ず誤読してしまいます。

    1つ1つのズレは小さいけれど、積もり積もって本来の英文とは全く違うストーリーが頭の中で組み立てられてしまう子がいます。
    英文解釈の苦手な子に多いです。
    単語の意味が全部わかっていても解釈が歪んでしまうのですから、意味のわからない単語もあってそこは推測しながら全体の意味を読み取るとなると、さらにおかしな誤読が始まってしまいます。
    これをただすのは、英語力の問題だけではないので、厄介で時間がかかります。
    繰り返し繰り返し、何をどのように誤読しているか、本人とともに誰かが伴走し、指摘していかなればなりません。

      


  • Posted by セギ at 11:47Comments(0)英語

    2018年11月07日

    中3英語。分詞の形容詞的用法の英作文。


    さて、分詞の形容詞的用法に関する問題。
    乱文整序問題でも、日本語を英語に直す問題でも、分詞がからむと語順でミスをする人が多くなります。
    例えば、こんな問題です。

    次の日本語を英語に直しなさい。
    「ベンチに座っているあの老人は、私の祖父です」

    これのよくある誤答。
    That old man is siting bench is my grandfather.

    細かいところから解説すると、「ベンチに座っている」は、sitting on the bench です。
    語末の直前に短母音、すなわち詰まっている音を感じたら、語尾の子音字は2回重ねてing。
    だから、sit の現在分詞は、sitting。
    こういう細かいルールが覚えられず、常に減点との闘いの子が多いです。
    さらに、前置詞や冠詞の有無。
    on the bench がスラッと出てこない。
    前置詞や冠詞は、個々に覚えて脳内に蓄えてきた英文の集積がものを言います。
    英語学習の最初から前置詞や冠詞を1度も自力で思いついたことがない子は、そのままでは、その後も延々と前置詞や冠詞のない英文を量産し続ける可能性が高いです。
    今学習している文法事項と関係ないミスでも、
    「また、このミスをした」
    と強く意識し、間違えた問題にはバツ印をつけ、後で解き直し、また同じ間違いをしたら、さらに問題にバツ印をつけ、また後で解き直し、ミスをしなくなるまで反復することが必要です。
    同じミスを繰り返す人は、この作業をしていない人が多いのです。

    そういう人が、ミスに鈍感なのかというとむしろ逆で、自分のミスに精神的に耐えられず、ミスしたことを目に見える形で残すことが嫌で、問題にバツ印をつけられない、ミスしたことを記憶したくない、というタイプの子のほうが多いです。
    根底にあるのは、勉強に対する苦手意識なのでしょう。
    自分のテストの点数がそんなに高くないことはさすがに自覚しているのですが、それでむしろ、
    「こんなことくらいは、わかってる。今ちょっとミスしただけ」
    「私は、一度ミスしたらもう一度やらなくたって理解できる」
    と自分を守ってしまうタイプです。
    より完璧を目指す秀才の心のあり方とは、随分違っています。
    自分のテキストや問題集に自分でバツ印をつける程度のことが、なぜプライドの問題になってしまうのか?
    今、練習しているときに間違ったことは、本番で間違わなければ良いのです。
    ここを完璧にしておけばいいんだ。
    そう思って冷静に、というよりむしろ何も思わず機械的にバツ印をつけ、後日解き直すのが秀才の心のあり方です。
    大事なテストで同じミスをして失点するほうが余程プライドが傷つきます。
    秀才になるには、まず心のモードを秀才スタイルにしましょう。ヽ(^。^)ノ

    もう1つ言えば、前置詞や冠詞のミスが多い人は、そもそも英作文の演習をあまりしていない人が多いです。
    英語の勉強というと、英文を眺めて意味が理解できればOK。
    そんなふうに、できるだけ楽な勉強方法に流れていないでしょうか。
    日本語を英語に直すのは、上手くできないし苦しいから、避けてしまう。
    嫌なこと・苦手なことはやりたくない。
    気持ちはわかるのですが、それでは、テストのときだけ自分の一番苦手なことと直面することになります。
    結果が良くなるわけがありません。


    さて、前置詞・冠詞など、範囲外でミスする話はこれくらいにして。分詞の話。

    That old man is sitting on the bench is my grandfather.

    これもまだ間違っています。
    「分詞」の理解が不十分です。
    これまで学習してきた英文の語順から解放されていないのでしょう。

    「ベンチに座っているあの老人は、私の祖父です」

    この日本文から、主語は「あの老人」と判断し、That old man と書き出したところまでは素晴らしいのです。
    しかし、主語を書くと、次はいつも通りの動詞を書きたくなってしまう身についた習性で、
    That old man is sitting on the bench
    と書いてしまう。
    その後、「・・・は私の祖父です」という日本語を見て、
    is my grandfather.
    と続けてしまう。
    本当によくあるミスです。

    もう一度、日本文を確認してみます。
    「あの老人はベンチに座っている」ということを言いたいわけではないのです。
    「ベンチに座っている」という語句は「あの老人」を修飾しています。
    修飾とは、より詳しく説明すること。
    言い方を変えれば、意味を限定すること。
    「あの老人」では、まだどの老人なのか漠然としています。
    向こうを歩いている老人かもしれません。
    あそこでテニスをしている老人かもしれません。
    目の前にいない、さっき話題に出た老人のことなのかもしれません。
    ベンチに座っているあの老人。
    と、より詳しく説明し、対象を限定すること。
    それが修飾する、ということです。

    英語では、2語以上の意味のまとまりで名詞を修飾するとき、名詞の直後にその修飾語句を置く、というルールがあります。
    だから、That old man と言ったら直後にその修飾語句 sitting on the bench をつけます。
    つまり正解は、
    That old man sitting on the bench is my grandfather.

    です。
    is の前までが主語とその修飾語。
    長いですね。
    こういう主部の長い文のバランスに耐えられない子は、こんなミスもしがちです。
    That old man is my grandfather sitting on the bench.
    これでは、修飾されている名詞は「私の祖父」になってしまいます。

    分詞の文は、これまでとは異なるバランス、異なる語順だと念頭におくこと。
    どうか頭を柔軟に。

    もう1問。
    次の日本文を英文に直しなさい。
    「ぜいたく品の販売が増加したことが、その国の繁栄の指標であった」

    単語を補助しましょう。
    増加する increase
    贅沢品の販売 the sale of luxuries
    指標 an index
    繁栄 prosperity

    これのよくある誤答。
    The sale of luxuries increasing was an index of the country's prosperity.

    何が違うのか?
    現在分詞の位置です。
    2語以上の意味のまとまりならば、名詞の直後に修飾。
    しかし、単独ならば名詞の直前で修飾します。
    だから正解は、
    The increasing sale of luxuries was an index of the country's prosperity.

    前から名詞を修飾するのを「前置修飾」、後ろから名詞を修飾するのを「後置修飾」と呼びます。
    現在分詞だけでなく、過去分詞も、前置修飾と後置修飾があります。
    現在分詞か過去分詞か。
    前置修飾か後置修飾か。
    この組み合わせで合計4通りが存在し、そのどれであるかを判断して英文を作っていくのが、分詞の形容詞的用法の課題です。

    その名詞がその動作をするならば現在分詞、その動作をされるならば過去分詞。
    単独ならば前置修飾、2語以上の意味のまとまりならば後置修飾。
    分析の基準はこれだけです。

    理屈が好きな子は、このルールさえ守れば済むと理解すると、楽々と単語を並べていけるようになります。
    しかし、文法に対して抵抗感のある子は、このルールが身につきません。
    「もうわからないから、全部後ろにする。そういう問題のほうが多いし」
    などと、ヤマを張り始めます。
    そんな諦め方をしなければならないほど難しいことではないのですが。

    ここが頑張りどころです。
    「何で英語ってこんなに難しいの!」と癇癪を起さないで。
    ルールを理解できれば、あとはスムーズです。
      


  • Posted by セギ at 12:23Comments(0)英語

    2018年11月04日

    数A「整数の性質」公倍数と公約数。



    今回も「整数の性質」、公倍数・公約数の学習です。
    公倍数・公約数は、小学校5年生で最初に学習します。
    分母の異なる分数のたし算・ひき算を学習する前に、通分・約分ができるよう、まず学習するのが公倍数・公約数です。

    現在、学校では使うことがほとんどない略称に、G・C・DとL・C・Mというものがあります。
    G・C・Dは、the Greatest Common Divisor すなわち、最大公約数。
    L・C・Mは、the Least Common Multiple すなわち、最小公倍数。

    連除法も、現在の小中学校では学習しません。
    連除法とは以下のようなものです。

    例 72と108の最大公約数と最小公倍数を求めなさい。

    ここで、2つの数に共通する因数で割っていきます。

    3)72 108
    3)24  36
    2) 8  12
    2) 4   6
       2   3

    共通する因数がなくなるまで割り進めたら、共通する因数を全てかけます。
    3・3・2・2=36
    これが最大公約数です。
    さらに、共通する因数と、残った2数の因数とを全てかけていきます。
    すなわち、3・3・2・2・3・2=216
    L字の形にかけていくので、上のL・C・Mの「L」で覚えたりしたものです。
    これが最小公倍数です。

    今の小中学生は、この解き方を知らない子が多いです。
    中学受験をした子や私立小学校の子はこの解き方を習っていますが、公立の小中学校では学習しません。
    じゃあ、どうやって最大公約数を求めるのか?
    地道に、108と72の両方を割ることのできる数は最大で何かなと考えていくのです。
    思いつかないときは、両方とも全ての約数を書きだして、共通する最大のものを調べます。
    なかなか答えが出てこない場合は、かなりの苦行です。
    最大公約数の定義通りの作業ですので、学習効果の意味はあるのですが、学習能率は低いです。
    小学生の場合、かけ算・わり算の得意・苦手が如実に現れてしまう単元です。
    72は何で割れるかを暗算できず、いちいち筆算し、108は何で割れるかを暗算できず、またいちいち筆算する。
    かけ算・わり算が苦手だと、そういうことになってしまいます。
    そういうことのわずらわしさを実感して、2桁×1桁の暗算や、3桁÷1桁の暗算ができるようになると大きな進歩ですが。

    さて、高校数Aの「公倍数・公約数」の問題とは?

    問題 35/18、50/63 のいずれに掛けても積が自然数となるような有理数のうち最小のものを求めよ。

    この問題、「積が自然数となる有理数」という言い方で混乱が起こりやすいようです。
    内容自体は、中学受験の受験算数で小学生もこの問題を解きますので、そんなに難しいわけではありません。
    しかし、用語がネックとなることがあるようです。
    「自然数」「有理数」あるいは「実数」という言葉が問題文中に出てくると、何のことだったっけとなるようなのです。
    そういう定義をあまり気にしない子は、案外楽にこういう問題を解いたりもしますが。

    「自然数」とは、1、2、3、4、・・・と無限に続く正の整数のこと。
    最も自然発生しやすい数の概念です。
    原始人は、森で見つけた獲物の数を仲間に伝えるために自然数を発見したかもしれませんね。

    その後、人類の歴史の中で負の数や0が発見されていきます。
    そうして生まれたのが「整数」。
    「整数」は、0と負の整数と自然数を含みます。
    「0は整数なんですか?」と質問されることが多いのですが、0は整数です。

    小数や分数という考え方も同時に生まれたでしょう。
    ものごとは整数で表されることばかりではありません。
    分数という概念が生まれます。
    分数で表すことができる数が「有理数」です。

    「分数」と「整数」を区別する人がいますが、整数は全て分数で表すことができます。
    例えば、2=2/1です。
    ですから、整数は分数に含まれます。
    このように、数は拡張される度に以前の数の概念を含み込んでいきます。
    それは、数が発見された歴史と一致しているでしょう。

    そういう「含み込んでいく」という概念が理解しづらいのかもしれません。
    整数と自然数は別のもので、1つもかぶっていないと誤解してしまう。
    整数と有理数は別のもので、1つもかぶっていないと誤解してしまう。
    そういう誤解が問題の読み解きを難しくしてしまうことがあるのかもしれません。

    「分数」と「小数」はきっちり区別されるという誤解も、そういう考え方でしょう。
    それは表記法が異なるだけ。
    「分数」と「小数」を区別する考え方にあまり意味はありません。
    同じ数を分数でも小数でも表すことができるのですから、その区別は無意味です。
    存在する数そのものをどう分類していくかが重要です。

    さて、ここで問題となるのは、分数で表すことができない数はどうなるのかということ。
    小数で表そうとしても永遠に循環もせずに不規則に数字が続いていく数。
    これが「無理数」です。

    そんな数あるの?
    と、これだけ聞くと不思議に感じるかもしれませんが、そんなに特別な数ではありません。
    √2、√3など、根号を使ってしか表せない数が無理数ですね。
    他に、円周率π(パイ)がそうです。
    こうやって具体例を聞くと、無理数なんて名前のわりによくある数だなと感じると思います。

    有理数と無理数は、1つもかぶっていません。
    これは、はっきり二分されます。
    有理数でなければ無理数。
    そして、有理数と無理数を合わせた数を「実数」と言います。
    実数の中に、有理数も無理数も含まれます。

    ここでまた何か誤解があり、「無理数は実数じゃない!」と言い張る高校生に困惑したこともありますが、無理数は実数です。
    どちらも現実にこの世に存在している数です。
    「実数」と「無理数」の語感が馴染まないことからくる誤解なのだろうと思いますが、「有理」の反対は「無理」であり、「実」と対比される概念ではありません。

    では、「実数」と対立する概念は何か?
    それが「虚数」です。
    虚数を学ぶと、「実数」や「有理数」という言葉も頭の中に定位置をもって整理されるのかもしれません。

    さて、話を戻して、上の問いは、どう解いていくのか。
    求めるものは、35/18、50/63 のいずれに掛けても自然数となる有理数のうち最小のもの。
    有理数ですから、分数で表すことができます。
    この有理数をb/aと表すことにしましょう。
    35/18×b/a
    50/63×b/a
    の答えが自然数になるということは、約分されて分母が1になるということです。
    ということは、bと分母の18や63を約分して、分母が1になれば良い。
    つまり、bは18と63の公倍数であれば良いのです。
    ただし、「最小のもの」という指示が問題文にありますので、公倍数の中で最小のものでしょう。
    すなわち、bは、18と63の最小公倍数である126。
    また、aについては、約分して分母が1になることを優先するなら、最初からaが1であれば面倒がないような気がしますが、これも「最小のもの」という指示があるため、分母aはできるだけ大きい数であるほうが、有理数b/aは小さい数となります。
    ということは、aは35や50と約分して1になる数のうちで最大のものであれば良い。
    すなわち、aは35と50の最大公約数。
    よって、答えは、126/5となります。

    小学生ならば、b/aではなく、☐/△で良いのですが、とにかく、そのように、問題をわかりやすい形に自分で直してみるのが秘訣です。
    それをせず、問題文を睨んで頭の中で全部やろうとする子は、受験算数にしろ数学にしろ、あまり得意にならずに終わってしまう可能性が高いのです。

    手を使うこと。
    自分なりの工夫で整理すること。
    試行錯誤すること。

    そういうことが一切できず、問題をパッと見て解ける問題は解ける。
    それ以外は、わからない。
    考えろと言われても、考え方がわからない。
    手を使えと言われても、使い方がわからない。
    工夫しろと言われても、どう工夫するのかわからない。
    そういう子は多いです。

    そういう子のノートを見ますと、
    35/18×b/a
    50/63×b/a
    といった考えるヒントは、私が板書しても書かなかったりします。
    式だけ書けば良いと思い、こういうものは不要と考えてしまうのでしょうか。
    工夫の具体例が頭の中に材料としてなければ、工夫の仕方は1つも発想できないと思います。

    小学生は、算数の問題は答えだけ書けば良いと誤解している子が多いです。
    (式) という欄が解答用紙にない限り、式も書かなくて良いと思っています。
    式さえ不要と思っている子が、考え方の工夫など落書きレベルのものと思っていても不思議はありません。
    不要と思っているものを自力で書くことはできないでしょう。

    不要と思っているものが、実は答えよりも式よりも大切かもしれません。
    そこに発想の根元があります。
    きれいなノートを残すことが勉強の目的ではありません。
    算数・数学のノートには落書があって当然なのです。
    落書きはいずれ洗練されていきます。
    無からは何も生まれません。
    とにかく、ノートに、問題を解くための落書きを書いてみましょう。
    その書き方がわからない?
    書き方は、人それぞれです。
    自分がわかれば良いのですから。

    ・・・それすらも何も浮かんでこないなら。
    せめて、先生や友達の書いている「落書き」をノートに写しておきましょう。
    「落書き」の書き方のヒントがそこに詰まっています。
    そして、同じ問題を解き直すときや類題を解くときに、自分も真似して落書きを書いてみましょう。
    全てはそこから始まります。

      


  • Posted by セギ at 15:43Comments(0)算数・数学

    2018年11月02日

    中3英語。分詞の形容詞的用法。


    中学3年生の秋になると、「分詞」「関係代名詞」と立て続けに修飾句・修飾節の学習に入り、1文が長くなり、難しくなります。
    感覚で単語を並べて英文を作ってきたタイプの子たちが、ここで大きくつまずきます。
    分詞や関係代名詞を含む文は、感覚でつかめないためでしょう。
    これらは、感覚でつかむものではなく、理屈で理解するもの。
    システムを理解するものです。
    いよいよ文法知識が力を発揮します。

    問題 次の文を英文に直せ。
    「イタリアは、長靴のような形をしている半島です」

    単語の補助をするならば、「長靴」は、a boot。「形づくる」はshape。
    「半島」は、peninsula。
    これで大丈夫でしょうか?

    いや、これが大丈夫ではないことがあるのです。
    よくある誤答。
    Italy is a peninsula shaping like a boot.

    では、次の問題。
    「カナダで話されている言語は、英語とフランス語です」
    これのよくある誤答。
    The languages speaking in Canada are English and French.

    上の2つの共通の間違いは何か?
    過去分詞を使用すべきところで、現在分詞を使用しているのです。

    正解は、
    Italy is a peninsula shaped like a boot.
    The languages spoken in Canada are English and French.

    現在分詞と過去分詞は、どうやって使い分けるのか?
    高校生になると、自動詞と他動詞でどうのこうのと、かなり難解な解説もされますが、わかりづらいので、できるだけ柔らかくわかりやすい説明をしますと、
    修飾される名詞がその動作をするなら現在分詞。
    修飾される名詞が、その動作をされるなら過去分詞。
    この理解で大半はOKです。
    そのルールから外れる動詞は例外として個々に覚えてしまったほうがむしろ楽だと思います。

    すなわち、「半島」は「形づくられる」ものだから、過去分詞。
    「言語」は「話される」ものだから、過去分詞です。

    では、なぜ誤答する子が多いのか?
    覚え方を間違えているのです。
    「~ている」なら現在分詞。
    「~した」なら過去分詞。
    と、日本語訳から判断している子が案外多いのです。
    正しい説明を受けても、難しく感じて、自分なりにアレンジしてしまうようです。
    英語に関しては、こういう「先生の説明が難しいから自分なりにアレンジ」する子ほど徐々に英語ができなくなっていく可能性が高く、恐ろしいのです。
    簡単にアレンジできるのなら、最初から簡単に説明します。
    難しくしか説明できないことだから、難しく説明しているのです。

    そもそも、そんなに難しくないです。
    修飾される名詞が、その動作をするのなら、現在分詞。
    修飾される名詞が、その動作をされるなら、つまり受け身なのなら、過去分詞。

    文法を理解するだけで、文法問題をスラスラ解けるようになります。
    教科書の練習問題を丸暗記したって、テストに出るのは、その類題。
    解き方のルール、すなわち文法がわかっていればそれも楽々と解けますが、ルールがわかっていないと全く別の問題に見えますので、勘が頼りの当てずっぽうで解くことになります。

    問題 ( )内の語を適切な形にせよ。

    The man (stand) at the door is my father.

    修飾される名詞は、直前のmanです。
    man は stand という動作をするのでしょうか?
    されるのでしょうか?
    組体操ではないので、man が誰かに立たれたりはしません。
    man は立っています。その動作をしています。
    だから、答えは、standing です。

    当てずっぼうの感覚や聞き覚えに頼って解いていた子は、最初はこうした解き方に戸惑ったりイライラしたりすることがあるのですが、汎用性の高さに気づくと、必ずこの解き方にシフトします。
    文法問題への不安は氷解していきます。

    最低限の文法を理解することは、賢い選択ですよ。
    ヽ(^。^)ノ
      


  • Posted by セギ at 10:55Comments(0)英語