たまりば

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2021年09月30日

1年7か月ぶりに山を歩きました。2021年9月。


2021年9月29日(水)、緊急事態宣言も明日で解除となります。
そろそろ大丈夫かな?
意を決し、山を歩いてきました。

とはいえ、休日の山は混雑が予想され、避けたい。
平日が無難です。
電車移動となると、平日の朝晩のラッシュ時も避けたい。
朝遅めに出発して、短時間で登ってこられる山がいい。
となると、高尾山です。

1年7か月ぶりに山に行く準備をして驚いたのは、山シャツと山ズボンが古びていたことでした。
いや、前から古びていたのかもしれません。
久しぶりに見ると、余計にそう見えるのだと思います。
え?これ、ボロくない?
そろそろ新調しなくては。

ザックの小さいポケットのファスナーが、錆びて開かない!
大きいファスナーは開くからいいですけれど。
軽登山靴は、風通しのよい場所において、ときどき手入れはしていたけれど、この靴底、加水分解しないかな?
もしも、歩いている途中で靴底がポコッと外れてしまったときのために、ビニールひもやらガムテープやらを準備。
うわあ。
アルファ米の賞味期限が、今月で切れる!
ギリギリだった。
これをお昼ご飯にしましょう。

マスクの予備を忘れずに。
手指の消毒液。
ジェルタイプの石鹸も。
アルコール除菌ティッシュも。

さて、三鷹駅発、8:50の中央快速に乗りました。
ラッシュ時は過ぎていますし、下り電車でしたので、乗客は少なめ。
なるほど、話には聞いていましたが、車両の中央部分の大きな窓の上部を細めに開けてあり、空気が流れるようになっているのですね。
乗客は、びっくりするほど整然と、1人おきに座っていました。
席が空いていても、無理に座る人はいません。
立っている人は、数人。
誰もつり革につかまりません。
中央快速は、そこそこ揺れるけれども、踏ん張って立っています。
そして、誰も喋らない。
乗客は、完全にニューノーマルに対応しています。

・・・と思っていたら、山歩き姿の高齢者の二人連れが乗ってきて、私の隣りに座り、しかも会話を始めました。
あー・・・。
ワクチンを接種したから自分は安全、他人も安全と信じ込んでいる高齢者が、世の中と摩擦を起こしていると聞きますが、これは確かに・・・。
そっと席を立ちました。
揺れる電車で立っているには、足で踏ん張るよりも、腹筋に力を入れると安定します。
以前、電車通勤していた頃、バランス訓練のために、電車でつり革につかまらないようにしていたことがありました。
腹に力を入れて生きていこう。
他人を責めても、仕方ない。
他人には他人の考えがある。

高尾駅で乗り換えて、高尾山口駅下車。
トイレに立ち寄りました。
コロナ禍から、トイレも怖い場所になっていますが、山歩きとなると行かないわけにもいきません。
ここのトイレは清掃頻度も高そうだし、洗面台にはプッシュ式の液体石鹸の設備がありました。
水は以前から自動で出てくる仕組みなので、心の負担は少ないです。

さて、支度をして出発。
まずケーブル駅まで歩きます。
1年7か月ぶりの清滝ケーブル駅。
そこから左にそれて、舗装道路をとことこ歩いていくと、6号路琵琶滝コースの登山口です。
登山口に看板。
マスクをしましょう。
混雑しているときのおしゃべりはひかえめに。
・・・なるほど。
それはともかく、出発。9:50。

ゆるやかな砂利道を登っていきます。
右手に沢。
疲れている帰り道は結構長く感じる道ですが、何だかあっという間に琵琶滝まで歩いてきてしまいました。
何だろう、この軽快な感じは。
山って、こんなに歩きやすいんですね。
前のペースで歩けるか実際不安だったのですが、昨日も山を歩いたようなこの感覚。
いや、むしろ、昨日山を歩いたのなら、筋肉痛で、こんなに軽快ではない。

琵琶滝と別れる登山道は、中央に支柱が立っていて、まるで通行禁止のようだった記憶があるのですが、支柱は撤去されていました。
ここを侵入禁止と誤解する人が多いからでしょうか。
琵琶滝と別れてすぐの場所は落石が多く、波形のプラスチック屋根がボコボコになっていたのを覚えていますが、それがきれいに直されていました。
私がこない間に、高尾山の整備は進んでいます。

沢沿いの道を行きます。
浅い沢に下りていける道もあります。
あたりにはシダが繁茂しています。
人がいないのを確認して、マスクを外して、深呼吸。
冷たく湿った清浄な空気。
土の匂い。
緑の匂い。
ああ、気持ちいい。

しかし、高尾山は、平日でも、人はひっきりなしに通ります。
「こんにちは」
と声をかけてくる人も。
私は、うつむいて、返事をしませんでした。
無礼なのはわかっているのですが。
でも、どうか、「こんにちは」はやめてほしいのです。
やめて。
声をかけてこないで。
飛沫が飛びますよ?

山の挨拶は、「こんにちは」。
しかし、なぜ、山でそのように挨拶をするのか。
街では、知らない人に挨拶などしないのに。

それは、山奥で人と会うのはまれで、そして、ある意味とても怖いことだからだと思うのです。
相手は、悪人かもしれません。
敵意はない。
自分は強盗ではない。
互いにそれを確認しあうための、「こんにちは」だと思うのです。

例えばアメリカなどで、エレベーターに乗り合わせた他人同士が、軽く挨拶をしあうのと同じ心理だと思います。
とにかく、互いに悪意がないことを確認しあわないと、正直、おっかない。

高尾山に、山賊は出ないです。
ちょっと山を歩きに来た善良な市民であることは、お互いわかっています。
だから、「こんにちは」は、今の時期はやめませんか?

野外では感染リスクは低い。
それもわかっています。
でも、リスクがゼロなわけではない。
あえて飛沫を飛ばす理由はない。
声を出す必要はありません。

声を立てるな。

・・・いや、そんなことを言う私のほうがよほど強盗っぽいか。


苦笑しながら歩いていくと、再び、山を下りてきた人が現れました。
少し脇によけて道を譲ると、その人は、黙って会釈し、通り過ぎていきました。
しっかりマスクをつけていて、黙って会釈をしてくれました。
目が明らかに笑っていて、好意が伝わる。
何てスマートなコミュニケーション。
その後も、そのようにしてくれる人を多くみかけました。
皆、山慣れた様子の人でした。

マスクをしながらの山歩きは、高所登山訓練のつもりでなかったら、きつい。
特に、汗でマスクが全体に湿ってくると、通気性が著しく低下し、息苦しい。
マスクを外してしまう人の気持ちもわかります。

そんなとき、前方に、マスクを外して、しかもおしゃべりしている人が!
私の表情は、楳図かずおの漫画の登場人物みたいになっていたと思います。
・・・恐ろしい。
息苦しくてマスクを外したところまでは、わかる。
でも、そういうときは、黙りませんか?
喋る余裕があるなら、マスクをつけましょうよ。
しかも、喋っている内容が、「あたし、走馬灯を見たことがある」という、もう全くどうしようもない内容でした。
それは、山でわざわざ話すこと?

・・・しかし、おしゃべりな人は、場所とか場合とかは、関係ないのです。
話題すらどうでもよく、とにかく口を動かし、何か発語するのが楽しい。
それがもう生きがい的に楽しい。
これを止めるのは不可能に近い。
コロナ禍でストレスもたまっていて、話したいのだろうなあ。

他人には他人の考えがあります。
この時期に山に来るということは、多少のリスクは覚悟するということ。
昔、大手の個別指導塾で働いていたときは、空気のこもる狭いブースの中で、ずっと咳をしているのにマスクをしない子どもを相手に授業をしていました。
感染するかどうかは、私の体力次第でした。
そんな環境では、インフルエンザも、子どもの間で流行していた肺炎も、感染しました。
今は、感染を避けるための環境整備を自力で行うことができます。
マスクをしないでおしゃべりしている登山客は、追い越せばよいのです。

そんなわけで、ガシガシ登っていきました。
あっという間に、沢の中の道になり、台風で流れてしまった飛び石は、そのままだなあと感じながら登りきると、木段が見えてきました。
うわあ。
階段がデッキ状に整備されている・・・。
ものすごく歩きやすくなっていました。
それでも、ここの階段道は長い。
さすがに息苦しく、人が向こうから来ないときは、マスクから鼻を出すと、それだけで、何て息がしやすい!
マスクから鼻を出している人の気持ちが初めてわかりました。
それでも息が続かず、途中休憩も入れて何とか階段を登り切り、ベンチの1つで大休憩。
登山道に背を向けて、林を眺めました。
ああ、やっぱり、山はいいなあ。
今は、季節のはざまで、わりと何もない時期だけど、それでも十分に、山はいいなあ。

そこから、舗装された道を山頂まで歩きました。
1号路には、「マスクをつけましょう」の横断幕。
上の画像がそれです。

高尾山山頂。11:15。
雲が出て富士山は隠れていましたが、丹沢が大きい。
青い空と、緑の夏の丹沢。
ああ、私は山に帰ってきました。

人が多いので、山頂での休憩は避けて、すぐに木段を下りました。
帰り道は、稲荷山尾根を下ります。
こちらのほうが少し空いていました。
やはり、琵琶滝コースは、沢沿いの道が涼しくて面白いので、人気があるのですね。
木段を下りるだけ下りると、ベンチがあり、そこで休憩。
アルファ米に朝水を入れて持ってきましたが、空いているというもののときどき人は通るので、ここで食事は無理かなあ。
スポーツドリンクをごくごく飲み、チョコレートや飴を口に入れているので、エネルギー切れということはないから、まあ大丈夫。
大体、まだお昼前だし。
お腹はすきましたが。

稲荷山コースは、たまに歩くと、整備が進んでいて驚きます。
前回歩いたのは、いつだったか。
あれから、また整備が進み、気持ちよくたったか下れる場所がさらに増えたと感じました。
道幅が広いところも多いので、すれ違いも楽です。
でも、同じような道が繰り返されるので、飽きてきて、長いなあと感じます。
あずまやは老朽化で取り壊され、ベンチが新たに作られていました。
その付近の段差も整備され、歩きやすくなっていました。

たったか歩いて、稲荷に手をあわせ、さらにどんどん下っていくと、下界の音が。
階段を下りると、ケーブル駅の脇にポンと出て、下山完了。12:45。

ああ、楽しかった。
今度は、もっと人の少ないコースを歩きます。

  


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    2021年09月26日

    高校数Ⅱ「三角関数」。三角不等式の応用。


    さて、三角不等式の応用。
    前回よりも少し難しい問題を解いてみましょう。
    こんな問題です。

    問題 0≦θ<2π のとき、2cos(2θ-π/3)≦-1 を解け。

    とりあえず、θの定義域から、( )内の角度、すなわち、2θ-π/3 の変域を求めておくことが第一歩です。
    これを忘れてしまう人が多いので気をつけてください。
    2θ-π/3 の変域をうんうんうなって暗算で出す人もいますが、そんなに無理をする必要はありません。

    0≦θ<2π より
    0≦2θ<4π
    よって、
    -π/3≦2θ-π/3≦11/3 π

    と、順番に計算していけば、大丈夫です。
    しかし、分数計算が苦手な人は、ここでつまずくことがあります。
    中学生でも、4π=12/3 π がわからない人は、案外多いです。
    12/3=4/1=4は、機械的な作業として知っている。
    でも、4=12/3 はわからないのです。
    整数を分数に直すという発想そのものがないのだと思います。
    約分を、作業手順として覚えただけで、意味がわかっていないことが大きいのでしょう。
    その後に分数計算について新しい学習をしたわけでもない場合、高校生になっても、
    4π-π/3=11/3 π
    が、よくわからないということはあっても仕方のないことです。

    0≦θ<2π より
    0≦2θ<4π
    よって、
    -π/3≦2θ-π/3≦11/3 π

    この4行がわからない・・・。
    昔、そのように言う生徒との個別指導で、長時間格闘したことがあります。
    若かった私は、高校数学レベルでの疑問だと決めてかかっていました。
    だから、こんなふうな説明になりました。

    「えーとね、0≦θ<2π の定義域のまま、この問題を解いてしまってはダメなんですよ。
    この問題は、2θ-π/3 の範囲について、2cos(2θ-π/3)≦-1を解けということなんです。
    だから、まず、2θ-π/3 の変域を求めないと、どういう範囲なのかわからないんです。
    これ、単位円の2周目にも答があるんですね」

    このように、なぜそのように変域を定めるのか、理由の説明に終始しました。
    しかし、どんなに言葉を変えて解説しても、生徒は首をひねるばかり。
    徐々に反応は薄くなっていきました。
    「・・・何がわからない?」
    と尋ねても、生徒は黙りこみ、何も言わない・・・。

    数学が苦手な生徒との個別指導の「あるある」です。
    生徒の疑問と講師の解説が、かみ合っていないのです。
    若かった私は、4π-π/3=11/3 π がわからない高校生がいると、思っていなかったのです。

    生徒の大半は、今学んでいること以外のことでつまずいています。
    その原則を体得して以降はかなり上手くいくようになりましたが、個別指導は、生徒の言語能力によって質が違ってくるのは事実です。
    そして、数学が苦手というよりも、そもそも勉強が苦手な子は、言葉による説明を苦手としている子が多いのです。

    日本語がおかしいことなんか、何でもない。
    とにかく、具体的に、カタコトの日本語でいいので何か言ってくれればいいのですが、それすらできないことが多いです。
    例えば、上の場合も、せめて、
    「何で11/3 πになるの」
    と質問してくれれば、解決までそんなに時間がかからなかったと思います。
    「何で11/3 πになるか・・・?4π-π/3 をしたからです」
    「・・・」
    「4π-π/3をしたから、11/3 π です」
    「・・・」
    「4π-1/3 π=11/3 π です」
    「・・・」
    「4π-1/3 π=4/1π-1/3 π=12/3 π-1/3 π=11/3 π です」
    「・・・!」

    本人のわからないところにポイントをしぼった解説をすれば、先に進めます。


    ともあれ、-π/3≦2θ-π/3≦11/3 π という定義域で、2cos(2θ-π/3)≦-1。
    とりあえず、先頭の2が邪魔なので、両辺を2で割りましょう。
    cos(2θ-π/3)≦-1/2

    ここで、2θ-π/3を、何か別の文字に置き換えて考えて構いませんが、そんなことはしなくても、このままいける人はいってしまいましょう。
    コサインの値が、-1/2以下なのです。
    単位円を描いて考えます。
    まず第1象限で考えると、コサインの値が1/2のときは、角度は60°すなわちπ/3。
    コサインの値が、-1/2ということは、第2象限か第3象限。
    つまり、コサインの値が-1/2のとき、角度は、2/3 πと、4/3 π。
    コサインの値が、-1/2以下ということは、2/3π以上4/3π以下ということ。
    単位円の1周目でそうだということですから、今回、定義域は2周目も入ります。
    -π/3≦2θ-π/3≦11/3 π という定義域を考えなければならないのはそういう意味です。

    すなわち、
    2/3 π≦2θ-π/3≦4/3 π , 8/3 π≦2θ-π/3≦10/3 π

    ここで終了してはいけません。
    三角不等式を解くということは、θ の範囲を求めるということです。
    上の不等式を、θ について解いていきます。
    これも、いきなり暗算でうんうんうなってやっていく必要はありません。
    できるのならば止めませんが、時間ばかりかかってミスが多いのなら、丁寧にやっていきましょう。
    まず、辺々に、π/3を加えます。
    π≦2θ≦5/3 π , 3π≦2θ≦11/3 π
    さらに、辺々を2で割ります。
    π/2≦θ≦5/6 π ,  3/2 π≦θ≦11/6 π
    これが解です。

    今回は、分母がすべて3だったので、計算は比較的楽でした。
    しかし、問題によっては、通分が必要な複雑な計算の場合も多いです。
    暗算できなかったら、分数の通分とその計算は、別に計算用紙を用意して、そこにやっていくのも1つのやり方です。
    通分や、分数の足し算引き算の計算の過程は、答案に残す必要はありません。
    答案としては、

    0≦θ<2π より
    0≦2θ<4π
    よって、
    -π/3≦2θ-π/3≦11/3 π
    このとき、
    2cos(2θ-π/3)≦-1 より
    cos(2θ-π/3)≦-1/2
    よって、
    2/3 π≦2θ-π/3≦4/3 π , 8/3 π≦2θ-π/3≦10/3 π
    π≦2θ≦5/3 π , 3π≦2θ≦11/3 π
    よって、
    π/2≦θ≦5/6 π ,  3/2 π≦θ≦11/6 π

    これで通じます。

    「三角関数」の学習は、このあたりから、泥沼の死闘になっていくことがあります。
    「テキストの何ページを見て」
    と指定しているのに、生徒は別のところを見ていたりします。
    定理の説明をしているのに、例題解説を必死に読んでいたりします。
    2θ-π/3 と問題に書いてあるのに、なぜそんなのが出てくるのだろうと独りで考えこんでいたりします。
    学校の問題集からの質問を受けて解説している際、解答解説集の正解をその子が見間違っているため、話が噛み合わないということもあります。
    それほどに混乱してしまう人も、います。
    これは、すでに気持ちで負けている場合が多いのです。
    わからない、わからない、わからない・・・。
    そうして、「三角比」の冒頭からある混乱、サイン・コサイン・タンジェントの値を、角の大きさのことだと思っている誤解が、常にぶり返してきます。

    でも、諦めるのは、まだ早いのです。
    「わからない」と思っていることの多くは、三角関数についてのことではありません。
    何かの見間違い。
    見落とし。
    そして、基礎知識の欠落。
    原因は、それらです。
    それを解決すれば、まだ先に進めます。
    頑張りましょう。

      


  • Posted by セギ at 15:34Comments(0)算数・数学

    2021年09月20日

    小金井公園へと歩きました。2021年9月。



    2021年9月15日、小金井公園まで歩きました。
    三鷹駅北口から、玉川上水緑道の左岸を行きます。
    あ、ヒガンバナ。
    木の根元にかたまって咲いていました。
    ちょうど日の光がスポットのようにあたって、赤く光っていました。
    鮮やかな赤です。

    交差点を渡ると、歩道は広くなります。
    右手は、境浄水場。
    いつ歩いても気持ちのよい散歩道です。
    桜橋交差点で右折。
    舗装された歩道をとことこ歩き、次の交差点「浄水場西」で左折。
    ここからは、細長い公園になっていて、未舗装の道を歩けます。

    足元が何かゴリゴリするので、立ち止まりました。
    よく見ると、大きな木の下に、どんぐりが無数に落ちていました。
    そうすると、この木は、コナラ?シイ?
    驚くほど無数にどんぐりが落ちていて、どんぐり拾いが好きな人は大喜びするだろなあ。
    山では、一度にこんなに大量のドングリを見ることはありません。
    山のドングリは、動物たちが好んで食べるので、そんなに落ちていないのでしょう。

    次の大きな交差点を渡ると、多摩湖自転車歩行者道の入り口です。
    ここまで、徒歩で35分。
    ここは、歩道部分も舗装されているので、そんなに歩きやすいわけではありません。
    でも、往復ともに同じ道だとさすがに少し飽きるので、行きはこちらの道を選ぶのが習慣になりました。
    大きなマンションの前など通過し、小さな横断歩道をいくつか渡り、小学校の前から、歩道はなだらかに土手に上がっていきます。
    土手に上がらない歩道もありますが、土手部分は眺めもよく、未舗装なので、必ず歩いてしまいます。
    土手の終了とともに、Uターン。
    そして、土手の途中から、平らな歩道に下りて、銀色の道しるべにしたがい、小金井公園へと向かいます。
    ここが、小金井公園と多摩湖自転車歩行者道が最接近するポイントなのです。
    畑の中の道を少し歩き、鈴木街道で押しボタン式信号を渡ると、もう小金井公園入口です。
    小金井公園の東北部分に入っていきます。
    公園のはずれの畑なども見えている、東端部分です。

    とことこ歩いて、草原へ。
    初夏の頃には、ヒナゲシ畑になっていたところです。
    今は、コスモスの花が咲き始めました。
    これからもっと花が咲いて、コスモス畑になるのかな。

    さらに公園の中央部分に進むと、広場にヒマワリ畑が作られていました。
    あまり背丈の伸びない種類のヒマワリが、大量に植えられて、花盛りでした。
    ヒマワリ畑だけを目的に遠出するとしたら、この規模ではちょっとがっかりするかもしれません。
    1アールを少し越えているのかなという程度の、細長いヒマワリ畑。
    でも、たまたま来て、この数のヒマワリが咲いていると、心弾みます。
    みんな一斉に太陽を向いています。
    その周りを縁取るように、コスモス。

    さらにとことこ歩いて、公園の西のはずれに向かいました。
    公園は、舗装された遊歩道がはりめぐらされていて、自転車で来たときなどは便利なのですが、徒歩のときは未舗装のほうが足腰の負担が少ないです。
    小金井公園に来るのももう何度目かなので、慣れてきて、未舗装の道を選ぶことができるようになってきました。
    ここは、桜の名所のゾーンです。
    桜の木の下に寄れるように、未舗装の道が多いのです。

    その奥にも、花畑。
    ピンクの花が並んで咲いていました。
    この花は、ホウセンカ。
    懐かしい。
    子どもの頃に、庭で育てました。

    小金井公園は、季節ごとの園芸種の花を楽しめる公園。
    山に行けるようになっても、たまに散歩に来たいなと思います。

    さて、少し歩き過ぎました。
    帰りも徒歩だというのに。
    これは、今日は25000歩を越えるなあ。
    とはいえ、山歩きなら、ちょっとしたところでも30000歩を越えるので、足がなまってきているのを感じます。
    このまま、何とか緊急事態宣言が解除されたら、来月は、山に行けるかなあ。

      


  • Posted by セギ at 11:55Comments(0)算数・数学

    2021年09月14日

    高校数Ⅱ「三角関数」。三角不等式。


    さて、今回は、三角不等式です。

    問題 0≦θ<2π のとき、次の不等式を解け。
    1/2<cosθ≦1/√2

    不等式は、単位円を描いて考えます。
    等号を含んでいてもいなくても、まずは等式として解き、動径を書き込みます。
    動径というのは、動く半径のこと。
    要するに、その角度を示す半径を単位円に書き込むということです。
    まず、cosθ=1/2 を考えてみましょう。
    コサインの値が1/2。
    第1象限で言えば、60°のところ。
    すなわち、θ=π/3。
    第4象限にも、コサインが1/2のところがあります。
    よって、θ=π/3、5/3 π。
    単位円に、その2本の動径を書き込み、不等式として考えます。
    1/2<cosθ なのですから、xの値が1/2より大きいということです。
    単位円上の点で、x座標が1/2より大きい部分というと、
    0≦θ<π/3 , 5/3 π<θ<2π ・・・①

    次に、cosθ=1/√2 を考えます。
    コサインの値が、1/√2。
    第1象限で言えば、45°のところ。
    すなわち、θ=π/4。
    上と同様に、第4象限にもあります。
    よって、θ=π/4 , 7/4 π。
    実際には、θ≦1/√2 ですから、
    その動径よりもxの値が小さい部分。
    π/4≦θ≦7/4 π ・・・②

    ①、②の共通部分が、答となります。
    よって、不等式を満たすθの範囲は、
    π/4≦θ<θ/3 , 5/3 π<θ≦7/4 π

    実際に単位円を描いて考えても、単位円上の x 座標の大小ということで混乱してしまう人もいます。
    円周上を動く点のx座標がどんなときに大きくてどんなときに小さいかが、実感として、よくつかめない。
    そういう人は、x軸上にその点を落とすために、x軸と垂直な線を引いてみるとわかりやすいかと思います。

    もっと根本的なこととしては、cos θ の値ということと、θ の大きさということが、わかっているつもりでいて、問題を解くときには混線してしまう人。
    あるいは、コサインの値を間違って覚えていて、何でも1/√2 と答える人もいます。
    cos π/3 でも、cos π/6 でも、1/√2。
    うっかりと、「cos π/3=1/√2 だから、θ=1/√2」といった謎の解答を書くようになり、しかも、いったんこの迷宮に入ると、自力での脱出は困難です。
    数Ⅰの「三角比」を十分に理解できなかったか、あるいは、そのときは理解したが、テストが終われば全部忘れてしまったか。
    そうした曖昧な状態で、それでも数Ⅱ「三角関数」を学習しなければならない。
    後戻りは許されない。
    これは、きついです。

    しかし、このきつい状態が、数学が苦手な高校生の大多数の状態なのだと思います。
    以前に学習したことは、ほとんど忘れてしまった。
    だから、今、学んでいることがわからない。
    でも、後戻りして学習する時間も余裕もない・・・。

    高校数学がわからない人は、どこか1か所がわからなくてつまずいているという場合は少ないのです。
    過去に学んだことの大半を忘れてしまっています。
    中学数学の基礎知識も覚えていないことがあります。
    まして、数ⅠAの学習内容なんて、複雑な分だけ覚えにくいですから、記憶にとどめているわけがありません。
    理解せず、丸暗記で済ませた知識は、テスト終了とともに消えていきます。

    「三角関数」がわからないことの背景には、「三角比」を理解していないし覚えていないことがあります。
    「三角関数」の学習の冒頭部分も、もう忘れているということもありす。
    なかでも、三角比を角度のことだと誤解し、そこから脱出できていないことが特に大きく影響しています。
    サイン・コサイン・タンジェントとは何であったか、すぐにわからなくなるのです。
    わかっていても、三角比を角度のことだとふっと誤解して問題を解いてしまう人もいます。
    繰り返し定義に戻って確認しても、1週間経つと、もうわからない・・・。
    夏休みに「三角比」は総復習したのに、もうわからなくなっている・・・。
    理解したはずのことが、砂の城のように崩れていく・・・。

    それでも、諦めるのはまだ早いのです。
    崩れない砂の城もあります。
    精巧な砂の城は、まず土台作りにかける時間が常識を越えています。
    砂に圧力をかけ、固めて固めて固めて、強固な砂の塊を作り出し、それを刻んで作り上げるのが本物の砂の城です。
    そこを目指し、復習を繰り返し繰り返し繰り返し、知識を固めれば、必ず理解できる日がきます。
    1度や2度の復習で身につかなかったからといって、諦めるにはまだ早い。
    3度、4度、5度、復習し続ければ、マスターできる日がきます。
    頑張りましょう。
    数ⅠAの教科書や参考書は常に手元におき、わからなかったらすぐにそこに戻れる状態をキープしてください。
    常に定義に戻って意味を確認することで、モヤモヤは晴れていきます。

      


  • Posted by セギ at 12:48Comments(0)算数・数学

    2021年09月08日

    散歩しながら聴くラジオ英会話。2021年9月。


    2021年9月7日(火)、ようやく涼しくなり、長雨もやんだので、2か月ぶりに散歩をしてきました。
    足が向くのは、たっぷり歩ける、玉川上水緑道から井の頭公園へのコースです。
    三鷹駅南口から、玉川上水の左岸を行きます。
    最後に歩いたときはノカンゾウが盛りでしたが、今は、ツルボが沢山咲いていました。
    上の画像がそれです。
    ピンク色の優しげな花。
    秋の訪れを感じます。

    歩くだけでは退屈なので、片耳イヤホンでラジオを聴くのが習慣です。
    NHK第2のラジオ英語講座。
    昼の12時台は、「英会話タイムトライアル」「ラジオ英会話」「ビジネス英語」「ニュースで英語術」と、英語番組が連続します。

    「英会話タイムトライアル」は、もう4~5年聴いていますが、10分という短い時間の中でも、自分が英語を話すことが多い構成の番組なので、飽きずに聴き続けられます。
    聴く・読む・話す・書くの4領域の中で、「話す」に特化した番組です。
    現代アメリカの口語英語は、今、こんなふうなんだと知ることができます。
    例えば、食べ物が「おいしい」ときはdelicious は少しおおげさ。
    それはすごくおいしいときの表現。
    good が普通。
    知ったところで、私は学校英語に即して教えるのが使命。
    生徒が作文に delicious と書いていても、何も言いません。
    生徒にうっかりそんな知識を披露して、それを生徒がまた聞きで学校の英語の先生に、
    「普通は、delicious なんて言わない。good って言うんだよ」
    などと余計なことを言うのを避けるためにも、余計なことは一切言いません。
    そもそも、学校の先生だって、そんなことは百も承知なんです。
    生徒が英作文で good と書いてあるのをバツにしたりはしないから、それで大丈夫なんです。


    話は逸れて、数学のことになりますが、中学生に数学を教えていて、毎回大幅にズレた直線のグラフを描いてしまう子に、
    「・・・うーん。これ、学校のテストでは、バツになりますよ。中学では、1ミリずれたらバツになるんですよ」
    と教えたところ、その子は、学校の先生に確認を取り、
    「1ミリずれていても、点をぐりぐり大きく描いて、そこを通っていれば大丈夫だって言ってた」
    と言うので、頭を抱えたことがありました。

    わかった、私が悪かった。
    学校の採点基準のせいにしたのがいけなかった。
    方眼の格子点から1ミリずれた直線を描いて、それで作業終了と思ってしまう、その考え方を改めてください。
    私の採点基準として、そんなものは、正解ではない。

    格子点から1ミリずれていても、平気。
    円をコンパスで描いて、蚊取り線香みたいになっていても、平気。
    見た目が明らかに直角ではないのに、「垂線の描き方」に沿って垂線を描いたんだから、平気。

    ・・・なぜ、それで平気なのか、私にはわからない・・・。
    私は、神経質なほうではありません。
    各種リモコンがテーブルの淵とちゃんと平行になっていないと気持ち悪いとか、そんなことはありません。
    でも、格子点から1ミリずれている直線は、ダメだと思います。
    それを、点をぐりぐり大きく描いてそこを通っていれば可とするのもダメだと思います。
    そもそも、点をぐりぐり直径3ミリほどにも描く小学校からの習慣を、まず否定してほしいです。
    点に直径なんか存在しないんですから。
    ぐりぐり描いていたら、それは、「黒い円」でしょう?

    とはいえ、これまで30年以上、中学生にグラフを描く指導をしていて、
    「1ミリずれていたらバツ」
    というルールを否定されたのは初めてでしたので、これは衝撃でした。
    この条件で採点することができないほど、現代の公立中学の生徒は、定規で直線を引く能力が衰えているのでしょうか。
    確かに、字を書くのも遅くたどたどしく、道具を上手く使えない子が多いのは認めますが。


    そんな中、この夏、例によって中学3年生と国語の入試問題を読んでいたときのこと。
    便利な道具を使うことによって、人間は能力を失うといった内容でした。
    例えば、ナイフで鉛筆を削れない。

    それは確かに私の世代でもそうで、手動の鉛筆削り、さらには電動鉛筆削りを当たり前に使っていましたから、ナイフで鉛筆を削れと言われたら、今もかなり苦労すると思います。
    赤鉛筆などは芯が柔らかく、鉛筆削りで削ると、削っても削っても芯のない状態で鉛筆削り機から出てきてしまうので、仕方なくナイフで削りましたが、あまり好きな作業ではなかったです。

    だから、この評論の読解は、論説部分は少し難解だけれど具体例が身近でわかりやすいので、きっと読解できるだろうと思ったら、その子は内容をほとんど理解できなかったようでした。
    え?
    こんなにわかりやすいのに?
    便利な道具は、人間の能力を奪いますよね?

    色々話してわかったことは、その子は、ナイフで鉛筆が削れるのでした。
    できるようになっておいたほうがいいと保護者に言われ、ナイフで鉛筆を削ってきたとのこと。
    ・・・良い教育をされています。
    とはいえ、自分はナイフで簡単に鉛筆を削れるので、それができない人のことがわからず、便利な道具が人間の能力を奪うということの意味が理解できないというのは、しかし、頭を抱えました。

    ナイフを使えること。
    火を起こせること。
    飲み水を作れること。
    サバイバル能力が見直され、それが定着したのは、自然災害が毎年のように起こっていることと関係があるのかもしれません。
    DIYも変わらず人気です。
    その一方で、定規で線を引くと、1ミリ以上ずれてしまう子は多い・・・。
    道具が上手く使えない。
    そして、それが許容されます。

    高校生になれば、方眼紙にグラフを描くことがそもそもなくなり、フリーハンドでグラフを描いていくことになりますから、大きな問題ではないのかもしれません。
    フリーハンドで描くグラフには、また、そのルールがあります。
    繰り返し助言しても、x軸、y軸を示す、「x」、「y」の文字を書き込まず、原点の「0」も記入せず、y切片は書き込むけれど、x切片のことなど気にしない子が続出します。
    このグラフ、傾きが読み取れないですよと言われても、何を注意されているかよく理解できない様子の子は多いです。
    グラフは、概念図であっても、そのグラフから、式を復元できなければならないんですよ、それが根本ルールですよと話しても、そもそも、グラフから式を読み取ることができると思っていないので、何の話かわからないのも無理はないのです。
    個別指導で丁寧に丁寧に指導していくことが必要となります。
    こちらのほうが、やはり重大問題でしょうか。



    「英会話タイムトライアル」が終わる頃、万助橋の信号を渡って、玉川上水緑道はいよいよ土の道に入りました。
    入り口が相変わらず鬱蒼として暗い。
    目が慣れるまで、足元の水たまりもわからないくらいです。
    セミしぐれ。
    長雨の間は静かにしていたセミも、また騒がしく鳴き始めました。

    続いて番組は「ラジオ英会話」。
    この番組は「ハートでつかめ英語の極意」という副題にあるように、英文法をわかりやすく解説しようと努力しています。
    ラジオ英会話は、NHK語学番組の中でも看板番組。
    何年でも継続して聴き続けるリスナーが多い番組です。
    歴代の講師が、リスナーから絶大な人気を得てきました。
    今の講師も、とても人気があるのがうかがえます。
    10月からはEテレの英語番組にも出演するそうです。

    話の端々から、本当は物凄く細かい専門的な知識のある人なのだとわかります。
    熟語解説や前置詞の働きなどの解説は、参考になることが本当に多いです。
    しかし、その日その日のメイン解説は、むしろ曖昧で、首をひねることが多いのです。
    例えば、修飾語の位置についての解説。
    「指定ルール」。指定語は前に置く。
    「説明ルール」。説明は後に置く。

    私のハートは、「指定」と「説明」の違いをつかめません。

    どんなリンゴなのかを指定する。
    赤いリンゴでも、黄色いリンゴでもなく、青いリンゴと指定する。
    だから、「青い」という語は、指定ルールでリンゴの前に置く。

    どんな場所なのかを説明する。
    「彼と初めて会った」場所。
    説明しているから、場所の後ろに置く。

    ・・・これ、「指定」と「説明」を逆に使っても、全く問題ないと思いませんか?
    だって、修飾語って、そういうことですから。
    指定することは、説明することです。
    それが修飾するということ。
    赤いリンゴでもなく、黄色リンゴでもなく、青いリンゴなのだと説明する。
    他のどんな場所でもなく、彼と初めて会った場所なのだと指定する。

    「指定ルール」と「説明ルール」。
    それは、わかりやすく説明しようと努力し過ぎた末の、まやかしということは、ないのかな。

    1語の修飾語は前から。
    2語以上の意味のまとまり、すなわち修飾句や修飾節は後ろから。
    その説明で何がいけないのだろう?

    「修飾語」「修飾句」「修飾節」という文法用語を用いただけで意味がわからなくなる子は多いです。
    「名詞」「形容詞」「副詞」というだけで、もうわからなくなる子もいます。
    何度説明を聞いても、なぜか品詞名が一切覚えられないのです。
    文法アレルギーの強い子は多いです。

    そういう子は、「指定ルール」「説明ルール」なら理解できるのでしょうか。
    そんなふわふわした曖昧な言葉で、本当に理解できるのでしょうか。
    理解したつもりになることだけでも、大切ということでしょうか。
    拒絶反応があると、使うことが全くできないですから。
    感情的に嫌なことは、率先的に忘れていきますし。

    実際に英語を話す、あるいは書くつもりになったとき、その立場から考えると、さっさと指定してしまいたい修飾語は名詞の前にもう言ってしまい、名詞を言い終わった後、さらに説明したいことがあるときには、それは1単語では済まない内容のことがそもそも多いので、後ろに付け加えていく。
    そういう話し手の「気分」のことを言っているのでしょうか。
    「文法」と「気分」。
    それは共存するような気もすれば、しない気もします。
    文法はハートでつかめるものなのか。
    頭で理解するほうが速く正確ではないのか。
    難しい課題です。


    文法を理解できると、英語力はロケット発射のように上昇します。
    何人も、そうした生徒に出会ってきました。

    英語学習の方法として、毎回、基本文が示され、その基本文の形を真似て使ってみましょうといった、漠然としたやり方はあると思います。
    例えば、
    I want to ~.
    の文を使ってみよう、作ってみよう、という練習をしますが、「不定詞」という文法用語は一切使わない指導です。
    「to の後ろは動詞の原形」という説明すらしないこともあります。
    文法的な解説はしない学習方法です。
    示された基本文が、どういう文法事項のどういう文であるかは説明しないのです。
    ただ、それを真似てみる。
    使う単語を変えて、別の文を作ってみる。
    そのように、単発的でふわふわした英語学習は、初歩の英語学習では特にありがちです。
    そうした学習が合わず、英語不振に陥ってしまう子は多いです。
    全体の展望が開けないので、上手く学習できないのです。
    自分が何のために何をやっているのか、今学習していることは何と結びついているのか、よくわからない。
    そうした子には、文法の骨組みをしっかり教えると、見違えるように英語の成績が上がっていきます。
    文法を文法用語で正確に理解した子は、あとは単語・熟語を覚えるだけで、どんな複雑な英文も前からどんどん意味を取って読んでいけます。

    個人の好み、学習の癖というものがありますから、一長一短なのでしょう。

    とはいえ、「ラジオ英会話」。
    私は、go on a trip の on は何であるのかといった細かい知識に興味があり、そういう解説部分が好きです。
    on は細い線状のものの上を移動する意味があるそうです。
    起点と終点のあることを行う場合、go on になるとのこと。


    玉川上水緑道は、ツルボの花盛り。
    街の散歩をするようになって、もうすぐ1年。
    やがて季節もひと巡りします。

    ラジオは、「ビジネス英語」が始まりました。
    昨年までの「実践ビジネス英語」を長年聴いていてファンだったので、最初は抵抗があったのですが、慣れてくると良い内容であると感じられるようになってきました。
    内容があまりにもビジネス英語なので、高校生に勧められないのが残念。
    でも、木曜日・金曜日のインタビューは、お勧めです。
    「生の英語が聞き取れない」という人すべてにお勧めでもあります。
    今月は、バリ島で「バイバイ・プラスティック・バッグ」という活動を行った十代の少女へのインタビュー。
    三鷹市で採択されている現行の中3の英語教科書にも、彼女たちの活動が載っています。


    今年からの新課程の英語教科書は、扱う単語数が爆発的に増え、高校の学習内容だったことがいくつか中学に下りてきました。
    全体に難しいのですが、三鷹市が採択した教科書はその中でも特に教えにくいと感じます。
    今に始まったことではなく、三鷹市は英語教科書採択のセンスが悪い気がするのですが。
    実際に教えてみると評判が悪かったからか、毎回、次の採択では別の出版社の教科書になり、そしてまた失敗しています。
    前回の東京書籍は、それでも、そんなに悪くなかったけれど。
    そうしたなかで、三省堂のクラウンだけは決して採択しないけれど、なぜなんでしょうね?

    個別指導の性質上、生徒ごとに教科書も異なるので、いくつかの教科書を並行して教えていますが、クラウンは抜群に教えやすいと感じます。
    文法事項をひとまとめに1つのレッスンにしていることが大きいです。
    「接続詞」を学習するのなら、1つのレッスンで接続詞だけ整理して学習。
    「不定詞」を学習するのなら、1つのレッスンで3用法を整理して学習。
    そのような学習のしやすさと教えやすさを重視しています。

    今の三鷹市採択の教科書は、1つのレッスンのパート1は接続詞の if のみ、パート2は不定詞の形容詞用法だけ、パート3は、また別の文法事項といった構成で、バラバラで関連性がなく、極めて教えにくいです。

    三省堂のクラウンを採択をしている市や区は、ずっとそれを継続していることが多いので、教えやすいから変えないでほしいという要望が現場で高いのではないかと思うのですが、どうなんでしょう。


    いつものように、大きな通りでUターンして、玉川上水緑道をてくてく戻り、井の頭公園へ。
    2か月前、わさわさ生えていたヤブミョウガは、青黒い実をつけていました。
    ここも、ツルボが花盛り。
    人も少なく、のんびり歩くことができました。

      


  • Posted by セギ at 14:33Comments(0)英語

    2021年09月03日

    「夜ごはん」という言葉と、英語教育の変化と。


    長くこの仕事をしておりますと、生徒の言葉の変化に気づくことがあります。
    日常の言葉遣いは、本人の話したいように話したらいいと思っていますが、勉強に関係のあることの場合、訂正が必要になります。
    英語を教えていると、どのように日本語に訳すかというのは、ある時期までは重要な問題でした。
    テストに和訳問題が多く出題されていたからです。
    テストで減点されたら、困る。
    私が門番となり、生徒の日本語をチェックしなければならない場面は多くありました。

    I eat dinner at seven every day.

    中学1年生に、こうした英文を訳してもらうと、以下のような訳をする子は、30年前からいました。
    「私は毎日7時に夜ごはんを食べます」

    ・・・夜ごはん?

    30年前、「夜ごはん」という言葉を用いる子は、学力の低い子が多かったように思います。
    個別指導をしていて、「夜ごはん」という訳を見ると、うーん、やはり、この子は、英語能力というよりも、まず日本語能力に課題があるのかもしれないと感じていました。
    その言葉だけでそう感じたのではなく、日頃から感じていたことが「夜ごはん」という言葉に集約された印象でした。
    そんな言葉は、日本語にないよ?
    朝ごはん。
    昼ごはん。
    だから、夜ごはん?
    それは、「夕ごはん」または「晩ごはん」と言うのです。
    「ゆう」の意味が音としてよくわからないから、「朝」「昼」なので「夜」と類推して使っていたのでしょうか。
    周囲の大人の使う言葉をよく聞いていないから、そういう類推となり、それを訂正する能力が本人の中にない。
    言葉を注意深く聴く力が弱く、本もあまり読まないから、そういうことになるのかもしれない・・・。

    20年前も、集団指導塾で、そのような訳をする子のことを、秀才たちが失笑していたのを記憶しています。
    「朝ごはん」という訳には特別反応していなかったので、「夜ごはん」という言い方がおかしかったのでしょう。
    中学生ともなれば、秀才たちは、そもそも「夕ごはん」という訳し方もしませんでした。
    子どもっぽいと感じたからでしょうか。
    「朝食」「昼食」「夕食」。
    食事を訳すときは、そのように硬い漢語を使うのが普通でした。


    英文をどのように日本語に訳すか。
    どうすれば、減点されないか。
    それに対する感覚は総じて古くさく、なかなか改定されないことが昔は多かったことも影響していたと思います。

    He is a chef at the French restaurant.
    彼は、そのフランス料理屋の料理長だ。

    そんな模範解答が、ほんの10年くらい前まで、当たり前のように、テキストの解答集に掲載されていたのです。
    「彼は、そのフレンチ・レストランのシェフだ」
    という訳では、英語を日本語に訳したことにならないと判断された時代がありました。
    いや、実際にはそんなことでは減点されなかったのかもしれませんが、万が一されると怖いので、訳し方は徹底して保守的であるほうが良いとされたのです。
    むしろ、日本語として違和感があるくらいに、全て日本語に直さなければならない時代がありました。


    といっても、言葉には流行があります。
    「料理長」という言葉は、以前ほど古い語感の言葉ではなくなっているようにも思います。
    料理人への尊敬が世間に広まり、特に和食の場合は、「シェフ」と呼ぶわけにもいきません。
    大きな店の「料理長」、ホテルの「総料理長」といった、その職場での役職を日常で耳にするようになると、「料理長」という言葉は新しくなりました。
    むしろ「シェフ」という言い方のほうが軽々しく感じられるということもあるようです。

    英語をどこまで日本語に訳すべきか。

    My father has been cooking in the kitchen since this morning.
    私の父は今朝からキッチンで料理をしています。

    「キッチン」は、「台所」と訳すべきなのかどうか?
    今の一般家庭にあるのは、「キッチン」で、「台所」ではないのではないか?
    「キッチン」と「台所」は、もう指す対象が異なる言葉になってしまっていないか?
    十代の感覚はまた別かもしれませんが、「キッチン」よりも「台所」のほうが、本質的に良い場所であるような語感が私にはあります。
    使いこまれて清潔な道具が揃い、調理のベテランが腕をふるう場所が「台所」。
    おいしい和食の作られる場所が「台所」。
    だから、「キッチン」は「キッチン」と訳して構わないのではないか?

    しかし、生徒本人の言語感覚と、テストの採点者の言語感覚との両方を想像し、その橋渡しをするのが塾講師で、私自身の言語感覚はあまり関係ないのでした。
    その訳で、減点されるか、どうか?
    判断基準はそれだけでした。



    この10年で、英語教育は激変しました。
    英文を日本語に訳す問題が、まず中学で消滅しました。
    高校入試に和訳問題がないからです。
    さらに高校でも、消えつつあります。
    大学入試に和訳問題が消えつつあるからです。

    英文を、1段落ずつ、または1文ずつ、生徒に音読させ、訳させる授業が、消えていこうとしています。
    アップデートされた高校コミュニケーション英語の授業は、例えばこんなふうです。
    まず、音源によるか、または教師による本文の音読が行われます。
    生徒は、文字は見ず、まずその音声を聴きます。
    その後、聴き取った内容に関する簡単な問いのプリントを解きます。
    その答えあわせと、解説。
    そして、本文を読みます。
    またも、その内容に関する問いのプリントがあり、それを解きます。
    その答えあわせと、解説。
    文法的に重要な文や重要語句があれば、それも解説。
    その後、全訳プリントが配られ、それを逆に英文に直す練習。

    新しい授業は、これまでの授業と異なり、英語の先生の授業準備が授業内容のすべてを左右するほどに重要となります。
    ある程度は指導用の教材もあるでしょうが、本文の内容に関する四択問題を沢山作らねばなりません。
    英問英答形式にするとしても、プリントを作るためには、そのタイピングと印刷だけでも作業量は膨大です。
    全訳プリントの作成もあります。

    しかも、そこまでの労力を使っても、生徒の英語力がそれで向上するとは限らないのです。
    深く学ばず、プリントを解き散らかすだけの子。
    全訳を読んで、何が書いてあるかわかれば、それで勉強した気になってしまう子。
    単語を覚えないので、徐々に自力で英文を読むことができなくなり、学年相当の英語力から遅れていく子。
    「何かよくわからないまま授業が進んでいく。何も教えてくれない」
    と不満をもらす子。

    「読んで訳す」だけの授業を受けてきた世代にとっては夢のような授業も、生徒にとっては、新しい不満の種となっていくようです。
    個別指導で、生徒に1文ずつ読んで訳してもらい、訳せないときに、単語のいちいちの意味を教え、英文の構造を解説すると、
    「そういうことだったんだ。やっとわかった」
    と言う子もいます。

    では、昔ながらのそういう授業のほうが本当は良いのでしょうか。
    そういうことでもないと思うのです。

    新しい英語の授業は、先生の準備が重要なのと同じくらい、生徒の復習が重要。
    一度読んだ英文を繰り返し繰り返し読み、全訳を英文に復元する練習も自主的に繰り返す。
    口で言うだけでなく、書いてみる。
    昔のようなノート作りを強制されない分、形に残らないそうした練習を繰り返し、余った時間で、単語暗記も繰り返す。
    さらに自主的に教科書以外の英文を読んだり、英検などの長文読解問題を解いたり。
    できることは沢山あり、そうしたことをやっている人は学年以上の英語力を身につけ、それをしない人は、気がつくと永遠に中学英語レベルのまま、取り残されていくのです。

    テストに和訳問題が出題されることは少なくなりました。
    昔ながらの、ノートの左半分に教科書英文を書き写し、ノートの右半分にその和訳を書いていかなければならないノート作りとその提出も、強制されることは少なくなりました。
    全訳は、授業時に渡されます。
    要求されているのは、初めて聴いた英語の内容を大体聴き取れること。
    さらに、初めて読む英文の内容を把握できること。
    常にその練習をするのが、新しいコミュニケーション英語です。

    和訳はどこまで日本語に直すべきかなんて、もうどうでもいいのです。


    さて、そこで「夜ごはん」問題。

    近年、dinner を「夜ごはん」と訳す子は、学力の低い子だけとは限らなくなっています。
    朝ごはん。
    昼ごはん。
    夜ごはん。
    食事時間が、夕方ではなく、完全に夜に移行したことも大きいのでしょう。
    今、夕食の時間は、7時台、あるいは8時台の家庭も多いと思います。
    それは、「夕ごはん」と呼べる時間帯ではなくなってきています。

    その一方、では、漢語としてはどうなのか?
    朝食。
    昼食。
    ・・・夜食?
    それは、夜遅くまで勉強したり働いたりする人が、夜更けに食べる軽い食事を指す言葉なのでは?
    漢語では、今も、「朝食」「昼食」「夕食」「夜食」でしょう。
    そして、この漢語を正しく言えるかどうかは、今も基礎学力と多少関係があるように思います。
    国語が苦手な子は、特に「昼食」が言えません。
    「昼」を「ちゅう」と読むことをそもそも知らない様子です。
    しかし、便利な言葉があります。
    「昼食」が言えない子は、「ランチ」と言うことが多いです。

    そんなことを考えていたら、最近、ファストフードのCMで、
    「お母さん、夜ごはんは」
    と堂々と言い出したので驚きました。
    時代は、ここまで来た。
    「夜ごはん」という言葉がついに市民権を得た。
    辞書に載る日も近い。
    いや、もう載っているのかもしれません。

    一方、NHKの料理番組は今もなお「夕ごはん」という言葉を使っています。

    言葉は、どれが正しいとか間違っているとかいうことはありません。
    使う人が多くなれば、その言葉が認知されていきます。
    「夜ごはん」「夕ごはん」の攻防は、なかなかに興味深いです。
      


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