2021年09月03日
「夜ごはん」という言葉と、英語教育の変化と。
長くこの仕事をしておりますと、生徒の言葉の変化に気づくことがあります。
日常の言葉遣いは、本人の話したいように話したらいいと思っていますが、勉強に関係のあることの場合、訂正が必要になります。
英語を教えていると、どのように日本語に訳すかというのは、ある時期までは重要な問題でした。
テストに和訳問題が多く出題されていたからです。
テストで減点されたら、困る。
私が門番となり、生徒の日本語をチェックしなければならない場面は多くありました。
I eat dinner at seven every day.
中学1年生に、こうした英文を訳してもらうと、以下のような訳をする子は、30年前からいました。
「私は毎日7時に夜ごはんを食べます」
・・・夜ごはん?
30年前、「夜ごはん」という言葉を用いる子は、学力の低い子が多かったように思います。
個別指導をしていて、「夜ごはん」という訳を見ると、うーん、やはり、この子は、英語能力というよりも、まず日本語能力に課題があるのかもしれないと感じていました。
その言葉だけでそう感じたのではなく、日頃から感じていたことが「夜ごはん」という言葉に集約された印象でした。
そんな言葉は、日本語にないよ?
朝ごはん。
昼ごはん。
だから、夜ごはん?
それは、「夕ごはん」または「晩ごはん」と言うのです。
「ゆう」の意味が音としてよくわからないから、「朝」「昼」なので「夜」と類推して使っていたのでしょうか。
周囲の大人の使う言葉をよく聞いていないから、そういう類推となり、それを訂正する能力が本人の中にない。
言葉を注意深く聴く力が弱く、本もあまり読まないから、そういうことになるのかもしれない・・・。
20年前も、集団指導塾で、そのような訳をする子のことを、秀才たちが失笑していたのを記憶しています。
「朝ごはん」という訳には特別反応していなかったので、「夜ごはん」という言い方がおかしかったのでしょう。
中学生ともなれば、秀才たちは、そもそも「夕ごはん」という訳し方もしませんでした。
子どもっぽいと感じたからでしょうか。
「朝食」「昼食」「夕食」。
食事を訳すときは、そのように硬い漢語を使うのが普通でした。
英文をどのように日本語に訳すか。
どうすれば、減点されないか。
それに対する感覚は総じて古くさく、なかなか改定されないことが昔は多かったことも影響していたと思います。
He is a chef at the French restaurant.
彼は、そのフランス料理屋の料理長だ。
そんな模範解答が、ほんの10年くらい前まで、当たり前のように、テキストの解答集に掲載されていたのです。
「彼は、そのフレンチ・レストランのシェフだ」
という訳では、英語を日本語に訳したことにならないと判断された時代がありました。
いや、実際にはそんなことでは減点されなかったのかもしれませんが、万が一されると怖いので、訳し方は徹底して保守的であるほうが良いとされたのです。
むしろ、日本語として違和感があるくらいに、全て日本語に直さなければならない時代がありました。
といっても、言葉には流行があります。
「料理長」という言葉は、以前ほど古い語感の言葉ではなくなっているようにも思います。
料理人への尊敬が世間に広まり、特に和食の場合は、「シェフ」と呼ぶわけにもいきません。
大きな店の「料理長」、ホテルの「総料理長」といった、その職場での役職を日常で耳にするようになると、「料理長」という言葉は新しくなりました。
むしろ「シェフ」という言い方のほうが軽々しく感じられるということもあるようです。
英語をどこまで日本語に訳すべきか。
My father has been cooking in the kitchen since this morning.
私の父は今朝からキッチンで料理をしています。
「キッチン」は、「台所」と訳すべきなのかどうか?
今の一般家庭にあるのは、「キッチン」で、「台所」ではないのではないか?
「キッチン」と「台所」は、もう指す対象が異なる言葉になってしまっていないか?
十代の感覚はまた別かもしれませんが、「キッチン」よりも「台所」のほうが、本質的に良い場所であるような語感が私にはあります。
使いこまれて清潔な道具が揃い、調理のベテランが腕をふるう場所が「台所」。
おいしい和食の作られる場所が「台所」。
だから、「キッチン」は「キッチン」と訳して構わないのではないか?
しかし、生徒本人の言語感覚と、テストの採点者の言語感覚との両方を想像し、その橋渡しをするのが塾講師で、私自身の言語感覚はあまり関係ないのでした。
その訳で、減点されるか、どうか?
判断基準はそれだけでした。
この10年で、英語教育は激変しました。
英文を日本語に訳す問題が、まず中学で消滅しました。
高校入試に和訳問題がないからです。
さらに高校でも、消えつつあります。
大学入試に和訳問題が消えつつあるからです。
英文を、1段落ずつ、または1文ずつ、生徒に音読させ、訳させる授業が、消えていこうとしています。
アップデートされた高校コミュニケーション英語の授業は、例えばこんなふうです。
まず、音源によるか、または教師による本文の音読が行われます。
生徒は、文字は見ず、まずその音声を聴きます。
その後、聴き取った内容に関する簡単な問いのプリントを解きます。
その答えあわせと、解説。
そして、本文を読みます。
またも、その内容に関する問いのプリントがあり、それを解きます。
その答えあわせと、解説。
文法的に重要な文や重要語句があれば、それも解説。
その後、全訳プリントが配られ、それを逆に英文に直す練習。
新しい授業は、これまでの授業と異なり、英語の先生の授業準備が授業内容のすべてを左右するほどに重要となります。
ある程度は指導用の教材もあるでしょうが、本文の内容に関する四択問題を沢山作らねばなりません。
英問英答形式にするとしても、プリントを作るためには、そのタイピングと印刷だけでも作業量は膨大です。
全訳プリントの作成もあります。
しかも、そこまでの労力を使っても、生徒の英語力がそれで向上するとは限らないのです。
深く学ばず、プリントを解き散らかすだけの子。
全訳を読んで、何が書いてあるかわかれば、それで勉強した気になってしまう子。
単語を覚えないので、徐々に自力で英文を読むことができなくなり、学年相当の英語力から遅れていく子。
「何かよくわからないまま授業が進んでいく。何も教えてくれない」
と不満をもらす子。
「読んで訳す」だけの授業を受けてきた世代にとっては夢のような授業も、生徒にとっては、新しい不満の種となっていくようです。
個別指導で、生徒に1文ずつ読んで訳してもらい、訳せないときに、単語のいちいちの意味を教え、英文の構造を解説すると、
「そういうことだったんだ。やっとわかった」
と言う子もいます。
では、昔ながらのそういう授業のほうが本当は良いのでしょうか。
そういうことでもないと思うのです。
新しい英語の授業は、先生の準備が重要なのと同じくらい、生徒の復習が重要。
一度読んだ英文を繰り返し繰り返し読み、全訳を英文に復元する練習も自主的に繰り返す。
口で言うだけでなく、書いてみる。
昔のようなノート作りを強制されない分、形に残らないそうした練習を繰り返し、余った時間で、単語暗記も繰り返す。
さらに自主的に教科書以外の英文を読んだり、英検などの長文読解問題を解いたり。
できることは沢山あり、そうしたことをやっている人は学年以上の英語力を身につけ、それをしない人は、気がつくと永遠に中学英語レベルのまま、取り残されていくのです。
テストに和訳問題が出題されることは少なくなりました。
昔ながらの、ノートの左半分に教科書英文を書き写し、ノートの右半分にその和訳を書いていかなければならないノート作りとその提出も、強制されることは少なくなりました。
全訳は、授業時に渡されます。
要求されているのは、初めて聴いた英語の内容を大体聴き取れること。
さらに、初めて読む英文の内容を把握できること。
常にその練習をするのが、新しいコミュニケーション英語です。
和訳はどこまで日本語に直すべきかなんて、もうどうでもいいのです。
さて、そこで「夜ごはん」問題。
近年、dinner を「夜ごはん」と訳す子は、学力の低い子だけとは限らなくなっています。
朝ごはん。
昼ごはん。
夜ごはん。
食事時間が、夕方ではなく、完全に夜に移行したことも大きいのでしょう。
今、夕食の時間は、7時台、あるいは8時台の家庭も多いと思います。
それは、「夕ごはん」と呼べる時間帯ではなくなってきています。
その一方、では、漢語としてはどうなのか?
朝食。
昼食。
・・・夜食?
それは、夜遅くまで勉強したり働いたりする人が、夜更けに食べる軽い食事を指す言葉なのでは?
漢語では、今も、「朝食」「昼食」「夕食」「夜食」でしょう。
そして、この漢語を正しく言えるかどうかは、今も基礎学力と多少関係があるように思います。
国語が苦手な子は、特に「昼食」が言えません。
「昼」を「ちゅう」と読むことをそもそも知らない様子です。
しかし、便利な言葉があります。
「昼食」が言えない子は、「ランチ」と言うことが多いです。
そんなことを考えていたら、最近、ファストフードのCMで、
「お母さん、夜ごはんは」
と堂々と言い出したので驚きました。
時代は、ここまで来た。
「夜ごはん」という言葉がついに市民権を得た。
辞書に載る日も近い。
いや、もう載っているのかもしれません。
一方、NHKの料理番組は今もなお「夕ごはん」という言葉を使っています。
言葉は、どれが正しいとか間違っているとかいうことはありません。
使う人が多くなれば、その言葉が認知されていきます。
「夜ごはん」「夕ごはん」の攻防は、なかなかに興味深いです。
日常の言葉遣いは、本人の話したいように話したらいいと思っていますが、勉強に関係のあることの場合、訂正が必要になります。
英語を教えていると、どのように日本語に訳すかというのは、ある時期までは重要な問題でした。
テストに和訳問題が多く出題されていたからです。
テストで減点されたら、困る。
私が門番となり、生徒の日本語をチェックしなければならない場面は多くありました。
I eat dinner at seven every day.
中学1年生に、こうした英文を訳してもらうと、以下のような訳をする子は、30年前からいました。
「私は毎日7時に夜ごはんを食べます」
・・・夜ごはん?
30年前、「夜ごはん」という言葉を用いる子は、学力の低い子が多かったように思います。
個別指導をしていて、「夜ごはん」という訳を見ると、うーん、やはり、この子は、英語能力というよりも、まず日本語能力に課題があるのかもしれないと感じていました。
その言葉だけでそう感じたのではなく、日頃から感じていたことが「夜ごはん」という言葉に集約された印象でした。
そんな言葉は、日本語にないよ?
朝ごはん。
昼ごはん。
だから、夜ごはん?
それは、「夕ごはん」または「晩ごはん」と言うのです。
「ゆう」の意味が音としてよくわからないから、「朝」「昼」なので「夜」と類推して使っていたのでしょうか。
周囲の大人の使う言葉をよく聞いていないから、そういう類推となり、それを訂正する能力が本人の中にない。
言葉を注意深く聴く力が弱く、本もあまり読まないから、そういうことになるのかもしれない・・・。
20年前も、集団指導塾で、そのような訳をする子のことを、秀才たちが失笑していたのを記憶しています。
「朝ごはん」という訳には特別反応していなかったので、「夜ごはん」という言い方がおかしかったのでしょう。
中学生ともなれば、秀才たちは、そもそも「夕ごはん」という訳し方もしませんでした。
子どもっぽいと感じたからでしょうか。
「朝食」「昼食」「夕食」。
食事を訳すときは、そのように硬い漢語を使うのが普通でした。
英文をどのように日本語に訳すか。
どうすれば、減点されないか。
それに対する感覚は総じて古くさく、なかなか改定されないことが昔は多かったことも影響していたと思います。
He is a chef at the French restaurant.
彼は、そのフランス料理屋の料理長だ。
そんな模範解答が、ほんの10年くらい前まで、当たり前のように、テキストの解答集に掲載されていたのです。
「彼は、そのフレンチ・レストランのシェフだ」
という訳では、英語を日本語に訳したことにならないと判断された時代がありました。
いや、実際にはそんなことでは減点されなかったのかもしれませんが、万が一されると怖いので、訳し方は徹底して保守的であるほうが良いとされたのです。
むしろ、日本語として違和感があるくらいに、全て日本語に直さなければならない時代がありました。
といっても、言葉には流行があります。
「料理長」という言葉は、以前ほど古い語感の言葉ではなくなっているようにも思います。
料理人への尊敬が世間に広まり、特に和食の場合は、「シェフ」と呼ぶわけにもいきません。
大きな店の「料理長」、ホテルの「総料理長」といった、その職場での役職を日常で耳にするようになると、「料理長」という言葉は新しくなりました。
むしろ「シェフ」という言い方のほうが軽々しく感じられるということもあるようです。
英語をどこまで日本語に訳すべきか。
My father has been cooking in the kitchen since this morning.
私の父は今朝からキッチンで料理をしています。
「キッチン」は、「台所」と訳すべきなのかどうか?
今の一般家庭にあるのは、「キッチン」で、「台所」ではないのではないか?
「キッチン」と「台所」は、もう指す対象が異なる言葉になってしまっていないか?
十代の感覚はまた別かもしれませんが、「キッチン」よりも「台所」のほうが、本質的に良い場所であるような語感が私にはあります。
使いこまれて清潔な道具が揃い、調理のベテランが腕をふるう場所が「台所」。
おいしい和食の作られる場所が「台所」。
だから、「キッチン」は「キッチン」と訳して構わないのではないか?
しかし、生徒本人の言語感覚と、テストの採点者の言語感覚との両方を想像し、その橋渡しをするのが塾講師で、私自身の言語感覚はあまり関係ないのでした。
その訳で、減点されるか、どうか?
判断基準はそれだけでした。
この10年で、英語教育は激変しました。
英文を日本語に訳す問題が、まず中学で消滅しました。
高校入試に和訳問題がないからです。
さらに高校でも、消えつつあります。
大学入試に和訳問題が消えつつあるからです。
英文を、1段落ずつ、または1文ずつ、生徒に音読させ、訳させる授業が、消えていこうとしています。
アップデートされた高校コミュニケーション英語の授業は、例えばこんなふうです。
まず、音源によるか、または教師による本文の音読が行われます。
生徒は、文字は見ず、まずその音声を聴きます。
その後、聴き取った内容に関する簡単な問いのプリントを解きます。
その答えあわせと、解説。
そして、本文を読みます。
またも、その内容に関する問いのプリントがあり、それを解きます。
その答えあわせと、解説。
文法的に重要な文や重要語句があれば、それも解説。
その後、全訳プリントが配られ、それを逆に英文に直す練習。
新しい授業は、これまでの授業と異なり、英語の先生の授業準備が授業内容のすべてを左右するほどに重要となります。
ある程度は指導用の教材もあるでしょうが、本文の内容に関する四択問題を沢山作らねばなりません。
英問英答形式にするとしても、プリントを作るためには、そのタイピングと印刷だけでも作業量は膨大です。
全訳プリントの作成もあります。
しかも、そこまでの労力を使っても、生徒の英語力がそれで向上するとは限らないのです。
深く学ばず、プリントを解き散らかすだけの子。
全訳を読んで、何が書いてあるかわかれば、それで勉強した気になってしまう子。
単語を覚えないので、徐々に自力で英文を読むことができなくなり、学年相当の英語力から遅れていく子。
「何かよくわからないまま授業が進んでいく。何も教えてくれない」
と不満をもらす子。
「読んで訳す」だけの授業を受けてきた世代にとっては夢のような授業も、生徒にとっては、新しい不満の種となっていくようです。
個別指導で、生徒に1文ずつ読んで訳してもらい、訳せないときに、単語のいちいちの意味を教え、英文の構造を解説すると、
「そういうことだったんだ。やっとわかった」
と言う子もいます。
では、昔ながらのそういう授業のほうが本当は良いのでしょうか。
そういうことでもないと思うのです。
新しい英語の授業は、先生の準備が重要なのと同じくらい、生徒の復習が重要。
一度読んだ英文を繰り返し繰り返し読み、全訳を英文に復元する練習も自主的に繰り返す。
口で言うだけでなく、書いてみる。
昔のようなノート作りを強制されない分、形に残らないそうした練習を繰り返し、余った時間で、単語暗記も繰り返す。
さらに自主的に教科書以外の英文を読んだり、英検などの長文読解問題を解いたり。
できることは沢山あり、そうしたことをやっている人は学年以上の英語力を身につけ、それをしない人は、気がつくと永遠に中学英語レベルのまま、取り残されていくのです。
テストに和訳問題が出題されることは少なくなりました。
昔ながらの、ノートの左半分に教科書英文を書き写し、ノートの右半分にその和訳を書いていかなければならないノート作りとその提出も、強制されることは少なくなりました。
全訳は、授業時に渡されます。
要求されているのは、初めて聴いた英語の内容を大体聴き取れること。
さらに、初めて読む英文の内容を把握できること。
常にその練習をするのが、新しいコミュニケーション英語です。
和訳はどこまで日本語に直すべきかなんて、もうどうでもいいのです。
さて、そこで「夜ごはん」問題。
近年、dinner を「夜ごはん」と訳す子は、学力の低い子だけとは限らなくなっています。
朝ごはん。
昼ごはん。
夜ごはん。
食事時間が、夕方ではなく、完全に夜に移行したことも大きいのでしょう。
今、夕食の時間は、7時台、あるいは8時台の家庭も多いと思います。
それは、「夕ごはん」と呼べる時間帯ではなくなってきています。
その一方、では、漢語としてはどうなのか?
朝食。
昼食。
・・・夜食?
それは、夜遅くまで勉強したり働いたりする人が、夜更けに食べる軽い食事を指す言葉なのでは?
漢語では、今も、「朝食」「昼食」「夕食」「夜食」でしょう。
そして、この漢語を正しく言えるかどうかは、今も基礎学力と多少関係があるように思います。
国語が苦手な子は、特に「昼食」が言えません。
「昼」を「ちゅう」と読むことをそもそも知らない様子です。
しかし、便利な言葉があります。
「昼食」が言えない子は、「ランチ」と言うことが多いです。
そんなことを考えていたら、最近、ファストフードのCMで、
「お母さん、夜ごはんは」
と堂々と言い出したので驚きました。
時代は、ここまで来た。
「夜ごはん」という言葉がついに市民権を得た。
辞書に載る日も近い。
いや、もう載っているのかもしれません。
一方、NHKの料理番組は今もなお「夕ごはん」という言葉を使っています。
言葉は、どれが正しいとか間違っているとかいうことはありません。
使う人が多くなれば、その言葉が認知されていきます。
「夜ごはん」「夕ごはん」の攻防は、なかなかに興味深いです。
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