2016年01月26日
雪の奥高尾を歩いてきました。2016年1月。

2016年1月24日(日)、奥高尾を歩いてきました。
高尾駅到着。8:20。
雪の陣馬山付近がどうであるかは何度か歩いて知っているので、今回は小仏に行くことにしました。
バスに乗って、終点小仏。8:40。
バスが回転するための駐車場にトイレがあるのですが、女子が入れるトイレは多目的トイレが1つだけ。
今のシーズンはいいけど、春・秋の混雑時は、ここのトイレ待ちは大変でしょう。
トイレは高尾駅で済ませたほうが良さそうです。
さて、ストックを調節して、出発。
まずは、舗装道路をゆるやかに登っていきます。
道路の雪はもう全て融けていました。
結構歩いて、登山口を見落としたかなあと思う頃、右手に登山口発見。
道しるべも明瞭なので、見落とすことはなさそうです。
登山口からもう積雪していました。
トイレ待ちで一番最後に出発したのですが、衣服調節の人、アイゼンをつけることにした人などがそこかしこにいて、2人、3人と追い抜きながら登っていきました。
雪の状態はザラメ状で、危険個所もないので、登る分には軽アイゼンは不要と感じましたが、それは各自の判断。
奥高尾は、早めに軽アイゼンを装着する人が大半のようです。
日本列島を未曾有の大寒波が襲っていて、耳元で低くかけてあるラジオは、九州や中国地方の積雪状況などを報道していましたが、奥高尾は快晴。
日差しが雪に反射して目が痛くなってきたので、サングラスをかけました。
木下沢林道からの登山道との合流点。10:00。
雪道だと、いつもより時間はかかっているのに、むしろあっという間に到着したような感覚があるのが不思議です。
それだけ、雪道を歩くことそのものが楽しいのかもしれません。

景信山。10:20。
雪の中ですが、茶店は営業中。
火の燃える匂いにほっとします。
富士山方面は雲の中。
やはり、西のほうが天気が荒れているようです。
少し休んで、さて小仏城山へ。
景信山からの急な下りは日当たりが良いので、もうほとんど雪はなく、軽快に下ることができました。
しかし、その先、S字カーブの連続する日陰の下り道で難渋。
雪ならばいいのですが、ガチガチに凍結している上にうっすら氷の粉が載っている程度。
しかも、かなりの斜度の下り。
うわ、これはやばいなとそろそろと降りていくと、通りがかりの人に、
「アイゼン持っていないんですか?」
と心配されてしまいました。
「あ。持っています。練習しているんです」
「ははあ。お気をつけて」
他人に心配されるほどのへっぴり腰でやせ我慢して歩くくらいなら軽アイゼンつけろと、私も思います。
(´_ゝ`)
ピンチだったのはそこだけで、あとは、楽しい雪道歩きでした。
小仏城山。11:40。
ここの茶店は、本日はお休み。
でも、お昼どきということもあり、ベンチのほとんどが埋まる盛況でした。
2年前もそうでしたが、奥高尾に積雪があると、小仏城山には猫が現れます。
雪の上は冷たいので、ベンチやテーブルに日向ぼっこをしに来るんですね。

普段は林の中でのんびり暮らしているのかなあ。
人を恐れる様子は皆無です。
野良猫だけど、何か栄養が良さそうです。
高尾の小鳥を狩って食べたりしているかなあ。
うーむ・・・・。
昼食をのんびりとって、さて出発。
一丁平の見晴らし台から、富士山の麓が少し見えました。
雲が切れてきたかな?
紅葉台の茶店も本日休業。
高尾山。13:05。
大見晴台から、富士山の中腹まで見えました。

さて、まだ早いけど、寒波がさらに強くなるそうだから、今日は早めに帰ります。
稲荷山コースを下山。
日向の明るい尾根道は、「ヘビの種類」の看板が出ているあたりからはもうほとんど雪がなく土が見えていました。
ただ、日陰に回ると、ときどき凍結箇所が。
でも、段差がある分だけ足を置く場所は比較的水平なので、気をつければ大丈夫でした。
登山口の階段付近もガリガリに凍結していて、こんな麓に最後の難所がと思いながら通過。
ケーブル清滝駅。14:20。
6号路は倒木により通行禁止という掲示が出ていました。
そうなのか。
凍結している時期の沢沿いは嫌いだから行かないけれど、春までに通行可能になるといいなあ。
ちょうどケーブルカーが到着し、観光客の人たちがたくさん降りてきたのと一緒に、のんびりと駅へと向かいました。
2016年01月22日
頭の良さと学力。

少し前、このブログを訪問してくださった方の検索キーワードを見ていたら、
「自分より頭が悪い 成績がいい」
という検索ワードが1件入っていました。
そういうことを疑問に感じている人がいる。
そして、そのワードで私のブログがヒットする。
両方に驚きました。
それに関することは繰り返し書いてきたのですが、そんなに露骨な表現はしなかったように思うのです。
もう何年も前のことですが、こんなエピソードをここに書いたことがあります。
もう一度、以下に書いておきます。
1960年にノーベル物理学賞を受賞したドン・グレイザーという人がいます。
この人は、小学3年生のときに、学習障害児の施設に移るべきであると学校から助言されました。
簡単な足し算すらできなかったからです。
しかし、ドンの両親は断固として譲りませんでした。
そして、普通学級のまま4年生に進級すると、ドンは、わり算の筆算において誰よりも優れた能力を示しました。
ドンは、後に語りました。
低学年のバカげた明白な問題のどれにも、自分はわざわざ答える気になれなかったのだと。
わり算の筆算は、少し難しく、答えは明らかではなく、過程が魅力的だった。
だから、ドンは、解き始めたのです。
昔、私が個別指導した子にも、これに少し似たエピソードがありました。
入会時に、その子は学習障害のグレイゾーンであると、講師である私にも知らされていました。
しかし、実際に教えてみると、何がどう学習障害なのかわかりません。
その子よりも学習において困難を抱えている子をたくさん教えてきたからです。
その子は、秀才とは言わないけれど、普通の学力の子でした。
説明を少しゆっくりしてあげる必要があるかな、という程度です。
宿題等を真面目にこなしてきますので、成績は順調に上昇していきました。
その子がある日、問題を解きながら、世間話のように話し始めました。
「小学校4年生のとき、勉強って大切なんだと気がついて、泣いたんだ」
「・・・・え?」
「何か突然、ああ勉強ってしなくちゃいけないんだと気がついて、大泣きした。それまでは、勉強なんかどうでもいい、やらなくていいんだと思っていたんだけど」
「・・・・・あの、あなたのことで、多分お母さんからの話として聞いたことがあるんだけど、低学年の頃、授業を座って受けることができず、すぐ立ち歩いたり、教室を脱走したりしていたというのは・・・・」
「ああ、うん。だって勉強なんかどうでもいいんだから、座っている必要ないと思っていたんだ」
「え・・・・?」
私は医者でもないし、障害児教育の専門家でもないので、こういうことの判断は難しいのですが、あの子は本当にグレイゾーンだったのかなあと今でも懐疑的です。
子どもは、大人がびっくりするような判断を勝手にしていることがあるのかもしれません。
将来に関わることを、幼い頃に勝手に判断してしまうのです。
勉強をする必要がないなんて、そんな思い込みをしてしまうところが、やはり「定型の子」とは違うんじゃないんですかと言われると、まあそうかもしれないのですが、でも、問題にされないだけで、そういう判断はどんな子でもしている可能性があります。
比較的頭がいいと思われている子の判断も、大人から見ると恐ろしいものであることが多いです。
小学校低学年の算数は、頭の回転の速い子にとっては、考える必要もないようなレベルです。
今は足し算を勉強しているんだから、文章題は、出てくる数字を足した式を書けばいいだけ。
今はわり算を勉強しているんだから、文章題は、大きい数を小さい数で割る式を書けばいいだけ。
そういう判断をしている子は、多いです。
別に文章が読めないわけでも理解できないわけでもなく、ただ面倒くさいし、どうせそうだから、そのように処理してしまう。
そういうショートカットが常態になってしまいます。
ところが、高学年になると、そうではない単元が出てきます。
単位あたり量の問題がまずそうです。
例えば、こんな問題。
0.3Lで600円のペンキがあります。1.7Lでは値段はいくらになりますか。
ぱっと見たときに、かけ算なのかわり算なのか、わからない。
こういう問題から、文章題が全く解けなくなる子が現れます。
「考えなさい。考えたらわかるから」
と言っても、もう何年も考えることというのは「今は何の単元をやっているか」とか、「大きい数と小さい数を見つけて割る」とか、そんなことばかりでしたから、算数の問題を「考える」とは何をどうすることかわからないのです。
なまじ「頭がいい」から誰にも教わらなくても自然と身につけてしまったショートカットが、以後、永遠に本人を苦しめる可能性があります。
その後の「割合の問題」も「速さの問題」も、小数や分数が数値に含まれることもあって、見た目で判断できなくなります。
かけるのか、割るのか?
どれとどれをかけるのか、割るのか?
今まで文章を読んで関係をつかんで式を立てるということをしてこなかったので、その判断ができせん。
思考をショートカットすることに気づかなかった不器用なタイプの子に、学力で抜かれていきます。
これは「頭のいい子」だけの話ではありません。
「頭がいい」という形容からは無縁だったと想像される、勉強が苦手な子も、こういうショートカットを身につけていることがあります。
例えば、三角形の合同の証明問題の宿題を、何か一応形のついた答案として解いてきます。
理解しているのかなあと思うと、しかし、合同条件のどれを使うかで、かなりの確率で間違えてしまいます。
ここまで証明を書けるのなら、最後のそんな判断は簡単なのに、と不思議に思っていたのですか、あるとき気がつきました。
いつも、問題集の同じページの例題と同じ合同条件を使っているのです。
では例題の丸写しなのかというと、記号は問題に合わせて変えています。
うまく例題を利用する技術はむしろ高度です。
しかし、内容を理解しているかというと、残念ですが全く理解していない可能性のほうが高い。
そこまで面倒くさい模倣をするくらいなら、むしろ、真正面から理解したほうが楽だよ。
そう呼びかけても、では、真正面から理解するとは何をどうすることなのか、よくわからないようなのです。
何を説明しても、慌てて理解したふりをします。
しかし、こんな緻密な模倣ができる人を「頭が悪い」とは呼べません。
頭の使い方を間違えているだけなのです。
これは根深い。
でも、そこに光を感じてもいます。
少なくとも、そういう頭の使い方ができる。
ならば、違う頭の使い方もきっとできるようになる。
考えるということは、目に見えません。
教えることが極めて難しいことの1つです。
「自分より頭の悪い」子に、成績で負けているのだとしたら。
あなたは、考えることを学びそこねているのではないですか?
勉強することの意味が理解できていないことも含め。
努力ができないことも含め。
あなたは、考えることの大切さや面白さがわかっていないのではないですか?
もう一度同じ検索をかけてくれたなら、これが、私の1つの答えです。
2016年01月19日
丸山・日向山を歩いてきました。2016年1月。

寒波が近づいてきているというので、奥高尾でも歩いて早く家に帰ろうかなと思っていたのですが、朝起きたら快晴。
急遽予定を変えて、かねてより行きたいと思っていた埼玉県の低山に行くことにしました。
しかし、遠出するには少々遅かったです。
電車の接続が悪く、芦ヶ久保駅到着は、10:09。
朝早いと、もっと接続の良い電車もあるのですが。
やはり、行くのなら前日からきちんと予定しておかないと。
ともあれ、電車の中で身支度は済ませ、電車を降りるとすぐ出発しました。
駅前の信号を渡って右折。
まずは国道を歩きます。
歩道が広いのであまりストレスはありませんが、30分ほど歩きます。
まだかな、まだかな、道しるべを見落としたかなあと不安になってきました。
ようやく道しるべを発見し、国道とお別れ。10:35。
坂道の要所要所に道しるべがあり、突き当たりの大きなツバキの木と岩が一体化しているところからは農道。
「蜜蜂注意」の看板があり、なるほど巣箱が置いてありました。
道はゆっくりと上り坂になり、山道に入っていきます。
ガイドブックでは「初級」となっているし、道しるべにも「ハイキングコース」と書いてあります。
でも、低山にありがちなちょっとした険しさがありました。
登山道は思ったほど広くありません。
地滑りが起きて道が斜めになっているところや、地面に穴の空いているところ、細くなっているところもあります。
用心して歩いていきました。
ガイドブックに注意書きがあり気になっていた木橋は頑丈なもので安心。
その先の飛び石で沢を渡るところが少し心配だったのですが、下の画像のようになっていました。

飛び石ではなく木橋がかけられていましたが、平均台みたいな細さです。
水量も少なかったので、この木橋を手でつかんで支えとしながら、飛び石を越えました。
そこから登山道は尾根に乗り、一気に登っていきます。
反対回りの人と出会うようにもなってきて、少し安心です。
整然とした植林の尾根道で、今日一番の急登が続きます。
登りきったところが、大野峠。
舗装道路でした。12:00。
うーん。
ここは外秩父七峰縦走大会のコースにも近いので、こんなことは想定していましたとも。
めげません。
道路を横切って、さらに登山道は続きます。
また急登を登りきると、ハンググライダーの出発点らしい名前のないピーク。
ここを出発したのかどうかはわかりませんが、1人、空を飛んでいる人がいました。
大霧山や堂平山が近い。
そういえば、外秩父七峰縦走ハイキング大会の告知がまだネット上でされていないようなのですが、どうしたのかなあ。
私の検索が下手なのかなあ。
気が付くと空は高曇り。
日差しがなくなり、空気が冷えてきました。
気持ちの良い雑木林の道を丸山へと急ぎます。
白石峠との分岐があり、道しるべの通りに左へ。
あとは緩やかに登っていき、電波塔を過ぎると、丸山山頂。12:30。
「山頂を占拠するコンクリートの展望台はいかにも無粋」
とガイドブックにも書いてあったので、ここは特に失望することなく、淡々と展望台の階段を登りました。
屋上は、木に遮られることのない大展望です。
あまり遠望は効かなかったですが、期待していた武甲山と両神山が見えました。
下の画像がそれです。
武甲山は、いつ見ても勇ましい。
昔の武甲山を知る人には耐えられない眺めなのかもしれません。
しかし、こんなにも山肌を削られてなお、この山は何て美しいのだろう。
武甲山は、見る者に気迫をもって問いかけてきます。

この姿の意味がわかるか?
それは、少し突飛と思われるかもしれませんが、昨夜見た「SMAPの生放送謝罪」と同じ種類の気迫と感じるのです。
この意味がおまえにわかるか?
ここから発せられたメッセージをおまえは読み取れるか?
おまえに解釈できるか?
それを試されているような光景だと感じます。
展望台の下にはいくつかベンチもあり、1枚はおってそこで昼食休憩。
手袋を取るのが嫌なほどの寒さでした。
さて、出発。12:45。
展望台下に立つ地図を見たのですが、地図の中で現在地や方角が明瞭でないため、何だかよくわかりませんでした。
ともあれ、登山道は明瞭なので、来た道とは反対方向へ木段を降りていきました。
駐車場下降点に「迂回路」の看板。
何か工事中のようです。
迂回路の指示通りに駐車場に向かって途中まで下り、そこから舗装された遊歩道を尾根と平行に歩いていきました。
尾根との合流点から再び山道へ。
しばらくは枯葉の積もった気持ちの良い道でしたが、次第に真ん中がえぐれた歩きにくい道に変わり、石もゴロゴロしてきました。
そして、また舗装道路に。
Y字路です。
うん?
どちらに行くんだろう?
ここで、道路の向かい側に立っていた大きな地図看板を見たら良かったのですが、先週の蕨山登山口で見た地図と、今日、山頂で見た地図があまりにも役に立たなかったので、あんなの見てもまたわからないよと思ってしまったのが失敗のもとでした。
「県民の森」と書いてある道しるべに何となくしたがって、右折してしまいました。
しばらく歩いて、県民の森登山口に。
しかし、ここに描かれていた「熊出没注意」の看板が、これヒグマなんじゃないの?というくらいに、熊が正面から吠えている迫力のあるイラストで、もう午後だというのに今さらこんなところに入っていくかなあと違和感を抱き、来た道を戻りました。
再びY字路。
地図看板を見ると、日向山への明瞭な案内が描いてある、とてもわかりやすい地図でした。
やはり、どんな情報も見過ごしてはならない。
しばらく舗装道路を行くと、今度は「山の花道」の看板が。

芦ヶ久保 山の花道。
昔、山の雑誌で見て、まず言葉の響きがいいなあ、行ってみたいなあと憧れた山の花道は、ここだ。
セツブンソウも咲くんだなあ。
今度は花の季節に来ようと思いました。
看板に背を向けて左手に「山の花道」とは別の登り坂があり、それが日向山への道でした。
途中、見晴らしの良いところにロウバイが咲いていました。
武甲山の眺めもよく、ここでしばらく休憩。
さらに登って、日向山。14:20。
ここにも、昔の民家が無理に2階に作った物干し台みたいな小さな展望台があり、一応そこにも登って飽きることなく武甲山を眺めました。
さて、下山。
登ったのと反対方向に降りていきます。
左手にずっとフェンスが続いていましたが、それが尽きたところに道しるべがあり、その通りに左折。
木段をどんどん降りていくと、琴平神社でした。
もうここから舗装道路かなと思うと「風の道コース」という道しるべがあり、さらに山道は続きました。
落ち葉が積もっている下を足で探ると木の根や岩があります。
うわ、これは危ないと用心してそろそろと降りていくと、沢沿いの道が部分的に細くなったりもします。
もうすぐ駅だとわかっているのにこの険しさは・・・と思っているとふっと舗装道路に出ました。
そこからすぐに足久保大観音。15:05。
駅からも見えた、大仏ならぬ大観音の鎮座するお寺です。
大観音越しに、本日最後の武甲山が見えました。
あとは、舗装道路を淡々と降りていきました。
朝も気になったのですが、道路沿いに「氷柱」の旗の列がずっと続いています。
これは、「ひょうちゅう」と読むのか「つらら」と読むのか、どっちで読ませたいのかなあ?
観光名所なのかな?
まだ時間も早いし、駅から徒歩10分というので、見物していくことにしました。
旗に導かれて道の駅に入り、そこから道しるべ通りにゆるく登っていきます。
チップを細かく砕いて撒いているのか、フカフカの良い道でした。
観光客もかなり来ていました。
入り口で入場料200円を払い、電車の高架下をくぐると、風景は一変しました。
そこら中に氷柱。
一面の氷の世界でした。

上に登れば登るほど、氷の世界は広がっていきます。
駅から徒歩10分でこの光景は、確かに凄い。
一番上で、甘酒または地元産の紅茶のふるまいがありました。
甘酒おいしーい。
1日寒い山を歩いてきましたから、温かさがしみました。
「電車に手を振る運動」というのがあって、そのために、電車時刻を表示してくれているのもありがたい。
時間を読んで、道の駅の隣りの芦ヶ久保駅へ。
16:02、急行池袋行きの電車に乗ることができました。
2016年01月15日
かいぼり中の井の頭公園に行ってきました。2016年1月。

1月15日(金)、やっと先月分の指導レポートも書き終えて時間が空いたので、井の頭公園まで散歩してきました。
井の頭池のかいぼりは、井の頭恩賜公園100周年に向けて初めて行われた取り組みだと、先月ラジオで聞きました。
現代においては、そうした清掃・点検に加え、外来生物の駆除や水草の植え付けなどもかいぼりの重要な目的。
はあ、冬枯れの木立がすがすがしい。
弁財天から池を見下すと、本当だ、水がない!
来週の土日には、再び魚獲りが行われるようです。
2016年01月11日
蕨山を歩いてきました。2016年1月。

2016年1月10日(日)、埼玉県の蕨山を歩いてきました。
三鷹6:59発で、国分寺、東村山、所沢と電車を乗り継いで、飯能駅着。7:50。
飯能駅から名郷行きのバスに乗って、さわらびの湯下車。8:45。
まずはバス停のずっと奥にあるトイレへ。
トイレの前にはハイキング地図の看板もあり、登山口を確認。
でも、その絵地図の通りに少しバスが来た方向に道路を戻ってみたら、失敗しました。
行っても行っても登山口はありません。
5分ほど歩いて不審に感じ、とりあえずバス停まで戻りました。
うーん?
バス停の横に道しるべがありました。
この道しるべが、実は物凄く正確なものでした。
道しるべが指す方向の通りに道路を渡り、向かい側の墓地に入っていくと、その先に細い登山道が見えてきました。
そして、2本目の道しるべも。
里の裏山を登っていくような道がしばらく続きます。
木に関するミニ知識の看板なども立っています。
高尾山にたくさん立っているような自然教育の看板です。
そして、「見晴らし」と書いてあるポイントに到着。
名栗湖と棒ノ嶺を一望できる展望台とのことで、看板にも力が入り、
「この尾根はどうなっているかな?」
「この谷は?」
など、観察ポイントがたくさん書いてあります。
でも、木が育って、眺望ゼロ。( ;∀;)
樹間から少しは見える、というレベルのものですらない、完全な藪でした。
ラジオで「NHK日曜討論」を聞きながら歩いていて、眉間に皺が寄っていたときでしたので、虚をつかれ、
「うそー」
とつぶやいて笑ってしまいました。
看板を立てて何年も立って、もうそのプロジェクトは解散しているのかもしれません。
そう考えると、高尾山は自治体が恒常的に力を入れて整備しているのだと改めて感じます。
金毘羅神社跡。9:45。
バスを一緒に降りた人は10人くらいいたのですが、皆さん棒ノ嶺のほうに行ったのでしょうか。
山道に人の気配がありません。
と思ったら、オレンジ色のベストをつけ鉄砲を肩に提げた人が前方に。
折しも、遠くの峰では発砲音が。
赤い山シャツを着てきて良かったー。
地図を見ると、さわらびの湯から蕨山への道は、白く浮き上がって見えるほど緩くて明瞭な尾根道です。
急なところはほとんどありません。
眺望も良く、枯れた木立を通してずっと山々が見えています。
左手は奥多摩の山々。
右手は伊豆ヶ岳方面。
よく晴れて風もなく、陽だまりの中を歩いていきました。
大きな尾根を1つ、まき道で避けていくのですが、枯葉がたまって歩きにくく、道が少し細くなっているところもありました。
帰り道は、ここは尾根を通ったほうがいいかなあ。
合流点で尾根道も踏み跡があることを確認。
そこからいったん林道を横切って、さらに緩やかに登っていきました。
大ヨケノ頭。10:45。
ここで道はぐっと右に曲がり、今までよりは少し険しい印象になっていきますが、ここから岩場かなと思うとすぐ終わり、急登だなと思うとまたすぐ終わります。
冬に歩くにふさわしい、のんびり楽しい尾根道でした。
そして、下山してくる人とすれ違うようになりました。
単独、または2人連れの人たちばかりでした。
早い時間に登り始めた人たちなのか。
それとも、名郷から縦走してきた人たちなのか。
名郷からの道は北面の急坂で岩場もあり、凍結していると厄介だなと思って今回は避けたのですが、この陽気ならそんな心配は不要だったかもしれません。
それでも、標高が高くなると、霜柱が盛り上げて地面がデコボコになっているのをガシガシと踏みしめる箇所は多少ありました。
やがて、まるで林道のように道幅が広くなり、これは良い道だと思っていると、その道を木で塞がれているのを発見。

うん?
これは、侵入禁止の合図かな?
山道を木が塞いでいる場合、偶然の倒木もありますが、意図的なものを感じたら、それは侵入禁止の印。
この先に進んではいけない。
あまりにも道が良いのでちょっと信じられないくらいでしたが、周囲をきょろきょろ見回すと、そこから右へ斜面を登っていく道がありました。
そこをぐんぐん登っていくと、また道は広く平らになり、やはりこっちの道で良かったようです。
その先、また少し岩がちな急登。
また道が緩くなると、ちょっとびっくりするくらいの急登が見えてきました。
それが山頂への最後の急登でした。
蕨山。11:55。
山頂には10人ほどの人がいました。
木が成長し、山頂の眺めもそんなにすっきりしませんが、一番上の画像が山頂からの眺望です。
顕著な三角形のピークは、大持山。
ベンチの1つに腰を下ろし、それでも山頂の晴れやかな雰囲気を楽しみながら昼食をとって、さて下山。
来た道を戻ります。
びっくりするくらいの急登は、帰り道には、勿論、びっくりするくらいの急な下りとなりました。
そろそろと通過。
そこからは、緩い下り道です。
のんびりと冬枯れの山の雰囲気を楽しんで歩いていきました。
藤棚山。12:45。
大ヨケノ頭。13:10。
さて、その先。
まずは林道を横切って。
その先のまき道はちょっと怖かったから、帰りは尾根道を行こう。
山頂まではスムーズでした。
しかし、何も考えずぼんやり踏み跡をたどっていくと、途中で踏み跡が消えました。
あれ?
そのとき山頂から声が。
「そっち、踏み跡ありますか?」
見上げると、男性が2人、山頂に立っていました。
「あ。いえ、わかりません。迷ったみたいです」
慌てて登り返しました。
あれ?
山頂に戻って見下ろすと、下に明瞭な尾根道が。
あ、こっちだこっちだ。
その方向に枯葉の上を少し行くと、踏み跡が続いていました。
あー、良かった。
声をかけてもらえて、助かりました。
ふっとぼんやりした瞬間に道迷いは起こるなあ。
一番気をつけなければいけない場面だったのに。
そこから先は特に問題なく尾根道を下っていきました。
金毘羅神社跡。14:05。
登山口。14:45。
道路を渡ってバス停の奥のトイレから右折し、しばらく歩くとさわらびの湯です。
入館料800円。
脱衣所が狭く、ロッカー前は特に混雑していましたが、山帰りの人が多く、こういうことに慣れていて、譲りあって上手に利用していました。
山帰りに歩いて寄れる温泉施設というだけで有難い。
はあ、さっぱりした。
お風呂上がり。
ビールの自販機発見。
500mL390円。
畳の座敷は満員だったので、その隣りの木の床に座卓と座布団が並んでいるスペースでいただきました。
バス時刻をみはからって出発。
バスまでの道には、十月桜が咲いていました。
しみじみと良い山道でした。
また何年かしたら来ようと思います。

2016年01月03日
南八ヶ岳 硫黄岳に登ってきました。2016年1月。

新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、今年のお正月は天候に恵まれ、雪山を歩くことができました。
2016年1月1日。
スーパーあずさ5号に乗車。
中部地方全域が快晴でも八ヶ岳だけ雲に覆われていることがあります。
八ヶ岳の姿が見えるまでは心配だったのですが、今年は赤岳から裾野まで全てくっきりと見えていました。
やったー。
茅野駅下車。10:06。
美濃戸口行きのバス乗車。10:25。
乗客は10人程度でした。
大晦日に入山する人が多いので、元旦の登山は穴場的な静けさがあります。
美濃戸口。11:05。
家から書いてきた登山届をポストに入れ、ストックを出して、さあ出発。
まずは林道歩きです。
ここから積雪している年が大半なのですが、今年は、わあ雪がないや。
しかし、日影は土全体が凍ってガチガチで歩きにくーい。
緊張して通過。
あとは、少し積雪しているところや凍結しているところの繰り返しで、慎重に歩いて美濃戸山荘。13:05。
美濃戸山荘は小屋前のベンチでストーブを炊いてくれている、雪山の憩いの場所です。
今年もストーブはありましたが、気温が高いのでむしろコーラやビールを水で冷やして売っているのが目をひきました。
さて、橋を渡って、まだしばらく林道歩きです。
カチカチに凍結しているところと土が出ているところの繰り返し。
林道が終わって、ようやく北沢の山道へ。
最初の急勾配のところが木段がむき出しで、しかも凍結していました。
すぐ下は沢です。
あー、雪が少ないと麓は怖い。
涙目で通過。
北沢は名前の通り沢沿いを歩いていくので橋や桟道が多く、私はたとえ夏でもこの道はあまり好きではないと思います。
しかし、下山してくる人の大半はこんな道でもアイゼンをつけていません。
やはり南八ヶ岳に来る人は北八ヶ岳よりも技術レベルが高いなあ。
雪ならば踏み固められた圧雪でもまあまあ大丈夫なんですが、凍結箇所は本当に苦手です。

赤岳鉱泉到着。14:55。
案内された部屋は、9人部屋でしたが、私1人。
多分、大部屋は主に男性用で、私が案内されたのは女性用の部屋だったのだと思いますが、女性の1人とか2人客が他にいなかったようで、結局、私1人で独占しました。
個室状態で、申し訳ないくらいでした。
温度調節できるガスヒーターが入っていて、あったかーい。
布団は羽毛布団で、毛布もモコモコです。
早速、缶ビール350mL500円を購入し、自分をねぎらいました。
あー、お疲れー。
夕食。17:30。

やったー。ステーキだ。
霜降りの柔らかいお肉を自分で焼いて食べます。
つけあわせの玉ねぎやナスやエリンギもおいしい。
しかも、お代わり自由のトン汁もあります。
ステーキとトン汁。
赤岳鉱泉のメニューのかぶり方、大好きです。
6年前に大晦日に泊まったときのメニューは、ビーフシチューとポトフでした。
どちらか一方で良くないですか?(*^^)
でも、積雪期の普通の日に行くと、高カロリーを嫌うクライマーたちにあわせてか、ホッケの干物とキムチ汁だったりしますので、注意が必要です。(笑)
それにしても柔らかくておいしい牛肉でした。
ボリュームも凄かった。
私は翌日山道を歩きながらも、ああ、夕べの肉はおいしかったと思い出していました。
1月2日。快晴。
朝食。6:30。
アジの干物。なめこの味噌汁。温泉卵。栗きんとん。こぶ巻き。味付け海苔。生野菜。グレープフルーツ。
支度をして出発。7:30。
道しるべに従い、小屋前の石段を登っていきます。
小さな沢を渡り、さらにジョウゴ沢にかかる橋を渡ると道は少し急な登りになってきました。
階段は鉄網がほぼむき出しでした。
アイゼンが網に刺さって引っかかるので、慎重に一歩ずつ上がりました。
そこからは、快適な雪道。
念のため小屋からアイゼンを着けてきたけれど、必要ないようなハイキング道でした。
傾斜が緩くなり、のんびりと尾根道を通過すると、今度はジグザグ道になり、どんどん高度を稼ぎます。
樹間から赤岳が見えてくると、やがて、森林限界を越え、素晴らしい眺望が始まりました。
峰ノ松目への分岐。9:15。
360°の展望を楽しみ、少し休憩。
ここから稜線歩き。
アウターのジッパーを全部閉め、フードを被って、風に備えました。
硫黄岳は、南八ヶ岳の中では最も易しい山なのですが、稜線の風が強く、転落の危険があります。
また稜線が広いため、視界不良時は道迷いを起こしやすいです。
今回は、そのどちらの心配もなさそうな登山日和でした。
しかし、赤岩ノ頭を過ぎると、さすがに風が強くなってきました。
ピッケルをきちんと刺して、いつでも耐風姿勢に入れるように一歩ずつ行きます。
風には呼吸があるはずなのに、少しも止まない強風です。
でも、一定の強風のほうが、耐風は楽。
岩をぬって一歩ずつ登っていくと、稜線に出ました。
大きなケルンが点々と並んでいます。
ああ、ここが硫黄岳。9:40。
山頂表示のあるところで記念撮影。
一番上の画像がそれです。
風でブレて、ピントがいつも以上に甘いですが、雪をかぶっている2つの山は北八ヶ岳の天狗岳です。
その向こうは、蓼科山。
もう1枚。横岳と赤岳。
ああ、赤岳の斜面はいつ見ても急だなあ。

さて、下山。
とにかく強風は精神的にもストレスなので、早く風のないところへ。
赤岩ノ頭まで戻って、ほっと安心。
眺望を楽しみながらピッケルをしまい、トレッキングポールを出しました。
無風の林の中の下り道は、トレッキングポールのほうが快適で安心。
朝、小屋で詰めてもらったお茶(200円)を飲み、行動食をとり、出発。
さくさく歩いて、あっという間に赤岳鉱泉。11:10。
そこからの下りも例によってアイゼン着けっぱなしです。
そんなだから技術的進歩がないのですよ。(´_ゝ`)
山道の終わりで、アイゼンを外しました。
さて、この先の凍結した林道は、道は広いし沢の側でもないから、転んでもいいかー。
と思ったら、1分も経たないうちに転びました。
やっぱり凍結は苦手だー。
美濃戸山荘。13:05。
そこから先はもう凍結箇所もなく、ただの夏道の林道をたんたんと歩きました。
美濃戸口。14:05。
ストックをしまったりしているうちにバスが入ってきました。
のんびりした雪山を満喫した良いお正月でした。