たまりば

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2020年12月26日

小金井公園の江戸東京たてもの園に行っていきました。2020年12月。


2020年12月20日(日)、さあ今日も歩こうと、出発しました。
10月に小金井公園に行ったときは、広場を眺めてすぐ帰りました。
今回は、小金井公園の中までしっかり歩くことにしました。
勿論、小金井公園までも徒歩です。

三鷹駅北口から、玉川上水緑道を歩きました。
上水の北側、川の左岸の舗装されていない歩道をとことこ歩きました。
信号を渡って、さらに上水の左岸を行きます。
ここの歩道は少し狭く、たまに木の根も出ていますので、つまずかないように注意して歩く必要があるのですが、紅葉がきれいなところでもあり、上を見たり下を見たり、忙しい。
カエデの落ち葉が歩道にたまり、草の緑とのコントラストで、きれい。
やがて、境上水場が見えてきました。
歩道は広くなり、簡易舗装がされています。
土と見間違うほどの舗装で、そんなに足への負担は感じません。
寒いけれど、案外風がないので、歩いていると少し汗ばんできました。

山では、どんな気温のときにどんな服装にしたらよいかを大体把握しているつもりですが、平地を歩くときはどうなのかは、まだよくわかりません。
寒いと最悪。
あまり汗をかくのも、どうかなあ。
というわけで、薄い服を重ねるレイヤリングに努めたのが、上手くいきました。
歩いている人は、もともとそんなに多くありませんが、秋の頃よりさらに減り、後ろや前を気にせず、気持ちよく歩けました。

イヤホンで聴いているラジオは、決まって1年に1度出演するゲストが出ていたり、年末恒例の企画が始まったり。
このゲストのとき、何年か前は、中央線沿線の山を歩いたなあ。
年末恒例のこの企画のときは、毎年のように、北高尾山稜を歩いていたっけ。
主に時計代わりにつけているようなラジオですが、山道の印象と案外深く結びついています。
今年も、コロナがなかったら、北高尾山稜を歩いたのでしょう。
よく晴れているから、帰り道に高尾のダイヤモンド富士を見たのかもしれません。

次の交差点は、五日市街道との合流点。
玉川上水緑道の左岸は五日市街道沿いとなります。
交通量の多い五日市街道を避けて、そこから川の南側、右岸に入りました。
自転車での通過も含め、この秋に何度も来たので、土地勘が生まれつつあります。
秋の頃は、まだ木陰が恋しく、その点では左岸が圧勝でしたが、この季節になると、いずれにせよ木は葉を落としていますし、ぽかぽかの日差しがむしろ恋しいので、右岸歩きが気持ちいい。
右岸は、足元の雑草も少なく、土がむきだしの道です。
小金井公園が見えてきたので、橋を渡り、信号を渡って、都立小金井公園へ。
駐車場は「満車」ではなくなり、車を誘導する人の姿もありません。
しかし、広場にはまだいくつも個人のテントが張られてありました。

久しぶりに江戸東京たてもの園に入ろうかな?
以前に行ったのは、もう10年前になります。
入園料はいくらかなあ。
200円くらいだと嬉しいなあ。
500円以上なら、入るのはやめよう。

行ってみると、一般個人400円。
微妙な金額でした。

入り口で係員の誘導があり、まずは、検温。
平熱であることを確認し、受付へ。
アルコール消毒液で、手を消毒。
入場料を払うと、「ご来園のお客様へのお願い」というチラシと、靴を入れるポリ袋を渡されました。
あとは、無料の薄いパンフレットをいただき、園内に入りました。

観光シーズンは終わったので、園内は閑散としていました。
建物のそれぞれには、定員が明示されています。
「定員10名」または「定員2組」というように。
靴箱に靴を置くのではなく、靴は袋に入れて各自保管。
建物は窓を開け放ち、扇風機で換気に努めています。

そうは言っても、靴を脱いで中に入る気にはちょっとなれず、ひたすら玄関や窓から覗き込みました。
これはこれで楽しいかも。

場内を循視する係員がそこらじゅうにいて、プラカードで感染対策を訴えています。
「他のお客様とは、できるだけ2メートルの距離をおとりください」
というアナウンスが、人がそこを通る度、センサーで自動的に流れるようになっています。
閑散としていて、そもそも2メートル以内に接近する理由がありませんが。
さすがは都立の施設。
コロナ対策は万全ですね。

10年前の記憶でも明瞭なのが、江戸時代の建物でした。
まずはそこにまっすぐ向かいました。
あったあった、綱島家。
多摩川をのぞむ崖線上にあった、茅葺屋根の農家。
土間と板の間のシンプルな構造です。
表には、大根が干してありました。
こうした展示のちょっとした工夫が、ここの良さですね。
ただ建物を保存しておくだけでなく、小物に気を配っています。
20年前に来たときは、1月だったということもあってか、だるまが置かれ、囲炉裏に火が起こされていました。

明治・大正の建物も好きなのですが、それらは、普通に建っているのを子どもの頃に見ているので、その価値があまりよくわかっていないのかもしれません。
生まれ故郷の新潟市は、明治時代から外国に向けて開港された港街です。
当時の洋風建築が、私が子どもの頃にはまだ普通に残っていました。
だから、どこにでもあるような気がしてしまうのかもしれません。
実はもうどこにも存在しない建物なのに。
だから、こうして保存しているのに。

そういえば、『犬神家の一族』という映画がありますが、戦後すぐの街並みをロケで撮影することが、1970年代は可能だったのです。
南アルプスを背景にした、諏訪の街並み。
後の、市川崑監督自身によるリメイクのときは、もう撮影する場所がなく、当時撮影した素材に重ねて人物を写すことで処理したそうです。

あの映画では、金田一耕助が、旅館で女中さんに、
「お客さん、外食券はお持ちですか」
と尋ねられ、
「これで頼みます」
と、米の袋を渡す場面など、終戦直後らしいディテールも描かれていました。

10代の頃、戦争なんて大昔のこと、自分には無関係の原始時代のことのようなつもりでいましたが、今になって考えると、戦争が終わったのは、私が生まれた何年前のことだろう?
同じ年数を現代から引くと、それは何年のことだ?
と考えると、
え?
と思ってしまいます。
・・・一昨日じゃない、そんなの?
何でそれを、自分には関係のない原始時代のことのように感じていたのだろう?

だから、毎年のように中3の生徒が、戦後の高度経済成長とバブル経済の区別がつかないことも、ニューヨークの同時多発テロを知らないことも、まあ、そういうものだろうなあと思うのです。
自分が生まれる前のことは、全部原始時代。
あまり興味を持てない、という感覚もわかるのです。

都立高校の入試は現代史がよく出ます。
しかし、そこを重点的に学習しようとしても、社会科の教材は1990年代の解説で止まっていることが多いです。
教材製作者の感覚も、私に近いのかもしれません。
この20年が存在しないのです。
入試を受ける子たちは、その20年間にしか存在していないのに。

本当はこういうことは、古い建物の縁側に座ってしみじみと思いたいところですが、どこにも座る気になれないので、歩きまわりながら考え続け、そして、建物を眺め、写真を撮り続けました。
観光シーズンを過ぎた、閑散とした江戸東京たてもの園。
とりとめのない考えごとをするのに良い場所でした。

時計を見ると、14:30。
帰りも徒歩です。
暗くなる前に帰ろう。
ゆっくりと、出口に向かって歩き始めました。


  


  • Posted by セギ at 23:47Comments(0)

    2020年12月23日

    小学校算数。おうぎ形を含む図形の面積の難問。


    今回は、小学生向けの図形の計量の難問を考えてみます。
    上の図の濃く塗られた部分の面積を求めます。

    まずは、左の図から。
    円を元にして描いた、同じ図形が3つ組み合わせされた図形であることは、すぐに見てとれます。
    これは、小学生が解く問題です。
    平方根を使ってはいけません。
    三平方の定理も使えません。
    高校数学の三角比も使えません。
    さて、どうしましょうか?

    複雑な図形の面積の求め方は、主に3通りに分けられます。
    ①分ける。
    ②全体から要らない部分を引く。
    ③形を変える。

    こういうことを解説すると、大人は、おお、これは重要ポイントだ、良いことを聞いたと思ってくださるのですが、小学生は、こういう授業がピンとこない子が多いのです。
    上のようなまとめは、すなわち抽象化です。
    子どもは、抽象化が苦手です。
    具体的に、「この問題はこう解く」ということしか理解できない子のほうが、まだ多いのです。

    受験校の過去問だけ一所懸命解き方を覚える子がいます。
    しかし、過去問というのは、「過去」問ですから、その問題は今年は出題されません。
    受験校の過去問ばかり勉強した子が、受験当日パニックに陥ることがあります。
    全く見たことのない問題が出題され、その解き方を自分は知らないことに愕然とするのです。

    出題レベルや出題傾向というものはありますから、過去問の学習は重要です。
    何より、受験校の過去問で実際に何点取ることができるかの確認は、事前に合否を判断するために必須です。
    しかし、ほおっておくと、小学生は過去問に執着し過ぎます。
    過去問の解き方だけ丸暗記しようとします。
    「今年の入試に、その問題は出ないよ」
    ということは、教えておいたほうがよいことです。
    類題は出るかもしれない、同レベルの問題なら出る、といったことは、大人なら理解できるのですが、子どもは、類題のどこらへんが類題なのかわからない子が多いのです。
    全く同じ構造で数値の異なる問題だけが類題だと思ってしまいます。
    少し構造が変われば、それは違う問題。
    そういう感覚で入試を迎えると、入試問題は、解いたことのない問題ばかりとなります。


    話がそれました。
    図形の解き方は以下のようにまとめることができます。

    ①分ける。
    ②全体から要らない部分を引く。
    ③形を変える。

    さて、今回は、どれを使うか?
    大人は、やろうと思えば「分ける」で解くことが可能です。
    「半径36㎝」とか、「円周率は3.14」といったことは、大人にとっては面倒くさいので、半径はr、円周率はπで、まずは大人向きに解いてみましょう。
    同じ図形が3つ。
    その1つに注目すると、それは三角形と、葉っぱの一部分みたいな図形とに分けられます。

    三角形は、二等辺三角形。
    その2辺の長さは、円の半径r。
    2辺の間の角は、120度。
    したがって、面積は、
    1/2r・r・sin120°=√3/4r2

    また、葉っぱの一部分みたいな図形は、中心角60度のおうぎ形から、1辺がrの正三角形を引いたものだとわかります。
    したがって、その面積は、
    πr2×1/6-1/2r・rsin60°
    =1/6πr2-√3/4r2

    求める図形の1つ分は、その和ですから、
    √3/4r2+1/6πr2-√3/4r2
    =1/6πr2
    となります。

    求め方として一番楽な三角比を利用して解きましたが、勿論、中学で学習する三平方の定理を利用して三角形の高さを求め、底辺×高さ×1/2をすることでも三角形の面積は計算できます。
    いずれにしろ、答えは 1/6πr2 となります。

    ・・・うん?
    それは、中心角60度のおうぎ形の面積では?

    はい。
    もっと早くに気づいていた方も多いかもしれません。
    この問題は、
    「形を変える」
    で、一度で解ける問題なのです。



    平行線を利用した等積変形ということで証明が可能ですが、小学生は等積変形があまり好きではありません。
    同じ形の図形を移動させる、ということのほうがピンときます。
    この図で、直角三角形アとイは、同じ図形です。
    それを用いてこの図形の形を変えると、中心角60度のおうぎ形となります。

    それが3つ分ですから、求める図形の面積は、この円のちょうど半分、半円の面積となります。

    問題の指示に従い、半径36㎝、円周率は3.14とすると、求める図形の面積は、
    36×36×3.14×1/2=2034.72
    面積は2034.72㎠となります。


    さて、それでは右の図はどうでしょうか?
    求める図形は、左の図と同様、同じ形に3つに分割できますが、図形同士がくっついているため、少し混乱しやすくなりそうです。
    太い線でなぞって、1つの図形の姿をまずしっかり把握しておくと、解きやすくなります。

    等しく3つに分けたうちの1つ分は、中心角60度のおうぎ形と、葉っぱの一部分みたいな図形と、三角形の1辺が曲線になってえぐれているような図形の3つに分けることができます。
    まずは、大人の求め方で考えてみましょう。

    中心角60度のおうぎ形は、先ほどと同じです。
    1/6πr2

    葉っぱの一部分みたいな図形も、先ほどと同じで、中心角60度のおうぎ形から、正三角形を引いた面積です。
    πr2・1/6-1/2・r・r・sin60°
    =1/6πr2-√3/4r2

    最後の、三角形の1辺が曲線になってえぐれているような図形の面積は、三角形からおうぎ形を引くことで求めることができます。
    2辺の長さがrで、頂角120度の二等辺三角形から、中心角30度のおうぎ形を引きましょう。
    1/2・r・r・sin120°-πr2・1/12
    =√3/4r2-1/12πr2

    それらの合計は、
    1/6πr2+(1/6πr2-√3/4r2)+(√3/4r2-1/12πr2)
    =1/4πr2

    求める図形の面積はその3つ分ですから、
    3/4πr2
    です。
    元にしている円の3/4の面積ということになります。

    ・・・3/4?
    随分すっきりしている数字です。
    これは、やはり、何か工夫した解き方がありそうです。

    小学生ならどう解くか?
    求める図形を3つに分けた1つ分では、難しい。
    3つ分も、難しい。
    しかし、2つ分なら、等しい面積の移動で解けるのです。
    すなわち、これも活用するのは、
    ③形を変える。
    です。



    上の図では、3つに分けたうちの、右側に位置する2つ分に着目しています。
    図のアはイに、ウはエに移動可能です。
    すると、3つに分けたうちの2つ分で、ちょうど半円になります。
    では、1つ分は、円の1/4。
    求めるのは3つ分ですので、円の3/4の面積となります。

    式は、
    30×30×3.14×3/4=2119.5
    答は、2119.5㎠です。





      


  • Posted by セギ at 11:49Comments(2)算数・数学

    2020年12月21日

    期末テストの結果が出ました。2020年2学期。


    2020年度2学期期末テストの結果が出ました。
    数学 80点台 1人 70点台 1人 60点台 2人 50点台 1人
    英語 80点台 1人 70点台 2人 60点台 1人 40点台 1人

    中間テストで上がった人は期末テストは少し下がる傾向がそのまま表れましたが、下がり度合いが小さいのは良い傾向です。
    全体にじわじわと上昇傾向にあり、安堵しています。
    特筆すべきは、中高一貫校に通う女子生徒の数学が、中学数学から高校数学に進んでから、上がってきていること。
    中学数学の間は、あまりにもハイスピードで授業が進むので、あれよあれよという間に1つの単元が終わり、理解する暇も練習を重ねる時間もなかったのです。
    高校数学に入り、さすがに授業スピードが弱まり、じっくり腰をすえて学習できるようになったことが大きいと思います。

    これは、今年に限っては、公立中学でも言えることです。
    7月から、本格的な授業が始まると、スピードが速い速い速い。
    ちょっと速すぎます。
    学年内にその学年の学習を終了できる目途が立ってからも、スピードが弱まらないのです。
    3学期に再び休校になることを恐れてのことなのかもしれません。

    特に中1は、中学の数学に慣れることが必要です。
    もう少しじっくり丁寧にやらなければ理解できない子が沢山います。

    正負の数は、まあまあ理解できました。

    文字式は、計算だけなら何とか。
    でも、数量を文字で表すことができるようになった子が、どれほどいるか。

    1次方程式も、計算だけなら何とか。
    しかし、文章題は、壊滅状態です。

    「比例・反比例」という単元は、学習したのかしないのか、わからないくらいのスピードで駆け抜けました。
    比例のグラフすら正しく描けない子がいます。

    そうこうするうちに、図形分野に突入。
    作図の何たるかをわかっていないため、円の接線を目分量で引こうとします。
    もっとじっくりやりたいと思っているうちに、学校の授業はおうぎ形の計量に進んでいました。
    π(パイ)を使うことを忘れ、3.14で解いている宿題に頭を抱えているうちに、学校は空間図形に突入しました。
    「何か、三角柱とかやってる」
    「・・・多面体のことですか?」
    「わからない・・・」
    と、学習の目的すら周知されていない様子の中、翌週には、
    「何か、わからないのがある」
    「何?」
    「わからない・・・」
    「何がわからないのかも、わからない?」
    よくよく聞くと、ねじれの位置がわからないのでした。
    ねじれの位置という言葉の意味がわからない中1に、私は初めて出会いました。
    問題に正答できる・できないはまた別ですが、ねじれの位置という概念は、学校の授業で簡単に理解できるもののはず・・・。


    上のような状態が、数学は常に「2」になるか「3」になるかギリギリ、という学力の子であるなら、それは納得できる側面もあります。
    しかし、そうではありません。
    もっとずっと高い学力層の子で、それが起こっています。
    学校の授業が理解できないので、塾でようやく理解するということが増えているのです。

    学校の先生と生徒との間に、距離があるのではないか?

    今の中学に「不良」は存在しません。
    みんな「良い子」です。
    授業中は皆で積極的に手を上げ、熱心に授業に参加し、先生の言うことをよく聞く子ばかりだそうです。

    そうした上っ面の背後で何が起こっているのか?
    わかってもいないことを、わかったふりをしている子が増えてはいないか?
    皆がわかったふりをするので、授業スピードはどんどん上がり、それで大丈夫ということになってはいないのでしょうか?

    うちの塾でも、どう見てもわかっていないのに、
    「わかりましたか?」
    と訊くと、うなずく子が増えています。
    「いやいやいや。わかっていないでしょう?」
    生徒の表情を見て、こちらで判断して、さらに解説をしています。
    生徒の表情を読んで、わかっていないことを汲み取らないといけません。

    わからないことを「わからない」と言ったからといって、成績は下がらないのに。
    わからないことをわからないままにしておくから、テストで得点がふるわず、それは、成績にダイレクトに響くのに。
    「わからない」と相手に告げる際に生じる人間関係の緊張に耐えられないということもあるのでしょうか。

    とにかく、波風を立ててはいけない。
    反対意見を言ってはいけない。
    先生は頑張っているのだから、批判してはいけない。
    いや、「わからない」と言うことは、先生を批判することではないのですが。

    高校数学に入って数学の成績がじわじわと上がっている子は、わからないことは、わからないと言う子です。
    言葉は足りない。
    上手く伝えられない。
    論理的にものごとを語るのは難しい。
    それは、そういう練習をしている年齢なのだから当然です。
    でも、「わからない」という意思表示をします。
    それは学校でも。
    だから、基本的な疑問は学校で解決し、具体的な問題への対応の仕方を中心に塾で演習できます。

    中高一貫校の生徒なので、休校中もリモート授業が行われ、学校の先生が進度の心配をしなくて済み、じっくりと学習できているのも大きいでしょう。
    そうはいっても・・・。
    そんなことを思う日々です。

      


  • Posted by セギ at 10:59Comments(0)講師日記

    2020年12月17日

    高校数Ⅰ三角比の相互関係の難問。


    三角比の問題はパターン化されていて、定型の問題が大半です。
    そうした中で、苦手な人が多く、また、パズル的要素が強いのが、三角比の相互関係の公式を利用する問題です。
    例えば、上の画像の問題がそうです。

    数Ⅰ「図形の計量」の範囲で学ぶ三角比の相互関係の公式は以下の3つです。

    sin2乗θ+cos2乗θ=1
    tanθ=sinθ / cosθ
    1 / cos2乗θ=tan2乗θ+1

    数Ⅱ「三角関数」になると、異様なほど公式が増えますが、数Ⅰならば、3つしかありません。
    そのどれかを使えば解けるはずなのに。
    あれ?
    何をどうしていいか、わからない・・・。
    上の問題は、一度はまってしまうと、あれ、どうするんだろう?となってしまうタイプの問題です。

    こういう問題こそ、時間をかけたいです。
    思いつくまで、とことんこだわりましょう。
    自力で解法を思いついたら、凄く嬉しいですから。
    数学が好きな人は、こうした難問を自力で解くのが好きなのです。


    1+2sinθcosθ / cos2乗θ-sin2乗θ

    全体をぼんやり眺めていても何も思いつかないかもしれません。
    ここでも、「分割」ということが重要になってきます。
    問題は全体をまるごと見ない。
    分割して考えます。
    いきなり、最終解答にたどりつくことなど想定しない。
    まず、何ができるかを考えます。

    数学の問題を解くことは、論理を積み上げていくことです。
    問題をできるだけ分割し、今、何ならできるか、何をすることは可能かを考えます。
    あわせて、問題を後ろから見ることも考えます。
    何がわかれば、解答にたどりつくことができるか?
    そのためには、何を求めればよいか?
    そうした論理的思考をすることが必要です。
    論理的思考を続け、前から考え、また後ろから考え、わからないところの距離が縮まった瞬間、放電する。
    ひらめきは、そこでやってきます。
    問題全体を眺めているだけでは、ひらめきは訪れないのです。

    ものごとは、分けて考えましょう。
    ステップを刻みましょう。
    それで、問題はほぐれてきます。


    1+2sinθcosθ / cos2乗θ-sin2乗θ

    この問題を分割するとは、どういうことか?
    分子と分母に分けて注目してみてはどうでしょうか?
    どちらから先に見ても大丈夫です。
    しかし、発想しやすいのは、おそらく、分母からでしょう。

    cos2乗θ-sin2乗θ

    2乗-2乗 ・・・。
    あれ?
    分母は因数分解できる?
    やってみましょう。

    cos2乗θ-sin2乗θ
    =(cosθ+sinθ)(cosθ-sinθ)

    うーん・・・。

    それで、これをどう使うの?
    そう思いながら分子に目を移すと、電流が走るのです。

    あ!
    1=sin2乗θ+cos2乗θ だ!

    つまり、分子は、
    1+2sinθcosθ
    =sin2乗θ+cos2乗θ+2sinθcosθ
    と書き換えられるのです。

    この式は・・・。
    これも、因数分解できます!
    =(sinθ+cosθ)2

    したがって、
    (与式)=(sinθ+cosθ)2 / (cosθ+sinθ)(cosθ-sinθ)
    となります。
    分母分子を sinθ+cosθ で約分できます。
    =sinθ+cosθ / cosθ-sinθ

    しかし、このままでは、tanθ=a は使えません。
    タンジェントというと、三角比の相互関係の公式の、
    tanθ=sinθ / cosθ
    を変形した、
    sinθ=cosθtanθ
    というのが、使い道があります。
    となると、上の式は、
    =cosθtanθ+cosθ / cosθ-cosθtanθ
    となります。
    分子分母の全ての項にcosθという因数がありますので、cosθ で約分することができます。
    =tanθ+1 / 1-tanθ
    =a+1 / 1-a

    よって、最終解答は、1+a / 1-a となります。

    これは、他にも解き方がありますが、この解き方が、一番発想しやすい地道な解き方だと思います。
    sin2乗θ+cos2乗θ=1
    という公式は、左辺から右辺への転換は練習することが多いです。
    しかし、逆に、1をsin2乗θ+cos2乗θに置き換えるという発想は抱きにくい。
    試しに分母を因数分解してみたからこそ、得られる発想です。
    問題を分割する。
    思考錯誤する。
    それができれば、途中でひらめきは訪れます。

      


  • Posted by セギ at 10:52Comments(2)算数・数学

    2020年12月14日

    野川を西へ歩いてみました。2020年12月。


    2020年12月12日(土)、今週も野川に行ってきました。
    まずは、自転車で野川公園へ。
    先週と同じく、武蔵境駅の少し東、武蔵境通りという南北に走る大きな道路の自転車レーンをのんびり南へ下り、「野崎八幡」交差点で右折。
    国道14号線・東八道路の自転車レーンを西へとのんびり進みました。
    野川公園到着。11:30。
    トイレの前、自転車が数台置いてあるところに自分も駐輪。
    ランナーの人たちの荷物らしいザックもまとめて置いてありました。
    トイレ休憩中ということなのか、1人、荷物の番をしている様子でした。
    さて、出発。

    前回は、野川公園内部の野川を東へと歩きました。
    今回は、西へと歩いてみます。
    道路を渡って、まずは川の右岸を行きます。
    西部多摩川線の高架下を過ぎると、左手は野球場、次に、武蔵野公園。
    ここは、煮炊きができるのですね。
    土曜日の昼どきとあって、大勢の人が、紅葉の下、何やら煮たり焼いたりしていました。
    土手の道からそれを眺めながら、とことこ歩くと、土手道は舗装されているようになりました。
    土の道を歩きたいので、土手を下って、野川のほとりへ。
    ここを歩く人も多いのでしょう、獣道のように、踏跡は続いています。

    野川公園内の野川は、よく手入れされたおとぎ話の川。
    公園から出た野川は、少し生活感のある川になっているように感じました。
    川幅が少し広いせいかもしれません。
    とはいえ、コンクリートによる護岸がされていない点は変わりません。
    川のすぐほとりを歩ける点も同じです。

    顔にまで覆いかぶさるような木の枝。
    これは、枝垂桜でしょうか。
    桜の咲くころ、ここはどれほどきれいだろう。

    川の中に、白い大きな鳥が立っていました。
    ときおり、くちばしを川の中につけて、何か食べているようです。
    サギ?
    シラサギでしょうか、コサギでしょうか。
    野川は、サギがやってくる。
    この街中にサギがいる・・・。
    カモも泳いでいました。

    野川公園内の野川とはまた雰囲気が違いますが、地元の子どもたちにとって、ここは良い遊び場所なのでしょう。
    川岸に直接行けるように緩い階段が設置されている箇所。
    対岸に渡れるような飛び石が設置されている箇所。
    犬の散歩をしている方とも、ときどき出会いました。

    とことこ歩いていきます。
    橋が低く、かなり背をかがめないと通りぬけられないところもありました。
    足元も鉄板が1枚敷いてあるだけで、何だか不安定。
    ここを歩く人はあまりいないのかな?
    そう思いながらも歩いていくと、とうとう突き当たってしまいました。
    橋の下には柵が設置され、人は通れません。
    ここから、川は暗渠になるようです。
    土手に上がる階段は、対岸にありました。
    飛び石は設置されていて、子どもなら気軽に対岸に渡ることができそうです。
    私は飛び石が苦手なので、少し戻ったところにある階段から土手の道にあがりました。
    道は舗装されていますが、車の侵入は止められてあり、遊歩道になっていました。

    暗渠の上には、小学校が建っていました。
    川の南側には道がなかったので、北側に回り込むと、小さな児童公園があり、そこから細い道が通じていました。
    舗装されていない、路地裏の道という印象です。
    舗装道路に出て、小学校を迂回していきます。
    その先、野川は地表に出てきていました。
    階段を下りて、再び、野川のほとり、右岸を歩きました。

    左岸は、岸が削られて、直接土手になり、歩けないところがあるのが見て取れました。
    歩くには、コース取りが難しい。
    とはいえ、突き当たったら、戻れば、階段から土手に上がることができます。

    踏跡が薄れ、人の歩いている様子がなくなったので、階段から土手に上がりました。
    舗装された遊歩道をしばらく歩いていくと、野川は、橋の下、その上流から、コンクリートで細く固められていました。
    その先の野川を見下ろすと、コンクリートで底も横も固められた細い川が続いていました。
    普段の水量と、水かさが増したときの水量とに二重に設計されたコンクリートの護岸。
    川幅が狭いこともあり、まるで灰色のプラレールのようです。
    野川の管理責任者は、ここから別れるという表示が示されていました。
    川の管理方針もここから変わっているのでしょうか。
    あるいは、もう少し歩いていくと、また野川はコンクリートで固められていない野川に戻るのかもしれません。

    時計を見ると、もう1時間半歩いています。
    そろそろ戻ろう。

    しばらく土手の遊歩道を行くと、そこは思ったよりもずっとにぎやかな道で、橋の上はバスが通る道路でした。
    横断歩道が設置されていないのに交通量が多く、回り道をしなければならない道もありました。
    川のほとりなら、橋の下をくぐるだけで済みます。
    しかし、人が通ることが想定されていない箇所もあり、見極めが難しい。

    帰り道は、様子を見ながらできるだけ川の左岸を歩きました。
    いつもながら、帰り道は早いと感じます。
    そして、また別の場所でサギに出会い、写真など取りながら、のんびり歩いて戻りました。

      


  • Posted by セギ at 13:25Comments(0)

    2020年12月10日

    高校数Ⅱ「図形と方程式」。円の方程式。放物線と円の接点・共有点。


    急いで描いたこともあって、あまりにも下手な図で、申し訳ありません。
    しかし、今回は、こんな図を描いてイメージを明確にして解く問題です。

    問題 放物線 y=x2+a と円 x2+y2=9 が接するとき、定数 a の値を求めよ。

    放物線と円が接するとはどういうことか?
    頭の中だけで上手く思い描けないときは、実際に図を描いて考えてみます。
    この問題では、円の方程式は明確に定まっていますので、まずそれを描きます。
    式から、中心が(0 , 0)で、半径が3の円であることがわかります。
    その円を座標平面上に描きます。

    この円に接する放物線とは、どのようなものか?
    与えられた放物線の式は、軸が y 軸の放物線だとわかります。
    すなわち、円も、放物線も、y 軸において対称です。
    具体的にそう考えることで、上の図の3本の放物線を描くことができると思います。
    雑に描いたので、y軸が対称の軸に見えない放物線もあるかと思いますが、心の目で補正してください。

    このように描いてみると、放物線と円が接するときは、放物線の頂点の1点で接する場合と、頂点以外の2点で接する場合とがあることがわかります。
    その2つに分けて考えてみましょう。

    すなわち、
    [1] 放物線の頂点で接する場合
    図より、点(0 , 3)で接する場合と、点(0 , -3)で接する場合とがあります。
    放物線 y=x2+a の頂点は、(0 , a)ですから、
    a=±3
    となります。

    [2] 放物線と円が2点で接する場合
    接点といえば、判別式。
    与えられた放物線の方程式と円の方程式を連立し、判別式を考えましょう。
    接するということは、判別式D=0 です。
    y=x2+a を変形して、
    x2=y-a
    これを x2+y2=9 に代入して、
    (y-a)2+y2=9
    y2+y-a-9=0
    判別式 D=1-4(-a-9)=0
    1+4a+36=0
    4a=-37
    a=-37/4

    よって、解答は、a=±3 , -37/4 となります。


    関数の問題でも、図形の問題でもそうなのですが、
    「座標平面を描いて考えてみて」
    「図を描いて考えましょう」
    と声をかけても、なかなか手が動かず、描きだせない人がいます。

    グラフなどを手早く描くコツを知らないということがまず大きいでしょう。
    例えば放物線を描くなら、まず頂点を打ち込み、次にy切片(y軸との交点)を打ち込み、さらに上に凸か下に凸かを確認したら、それでもうサッと描いていけます。
    x軸、y軸を描き始めてから、放物線を描き終わるまで、1分程度で済む作業です。
    しかし、そうした描き方を、知識として知らないのだと思います。

    中学生の頃に方眼紙に描いたように、点をいくつも打ち込んでいかなければならないと思っている人もいるかもしれません。
    方眼紙に放物線を描くのなら、確かに、そのようにしなければなりません。
    そういう意味では、方眼紙なんて、放物線を描くためには、むしろ足かせです。
    真っ白な紙に放物線を描くのなら、それは概念図であり、書いた者勝ちなのです。
    放物線の向きと、頂点の位置、y切片さえ正しければ、それでいいのです。
    また、今回は違いますが、放物線は、x軸やy軸を描く必要がないことも多いです。
    2次関数の最大値・最小に関する問題などがそうですね。
    問題を解くため、自分のために描いている図です。
    必要ない部分は描かなくても良いのです。
    そういう自由があることを知っているだけで、かなり楽になると思うのですが、
    「描く以上は正確でなければならない」
    という思い込みの強い人もいるようです。

    センター試験・共通テストでありがちなのですが、図形問題で自分が描いた図が、実際と異なってしまう人もいます。
    実際は鈍角三角形なのに、鋭角三角形を描いてしまっていることが多いのです。
    「どうやって判断するのか、わからない」
    と相談されることがあります。
    「・・・問題に書いてあるコサインの値が負の数ですから、それは、鈍角でしょう」
    と説明すると、驚愕した表情を浮かべます。
    三角比のそうした単純な知識が、図を描くことと結びついていないのです。
    間違った図でもいいから、まず描いてみましょう。
    描いてみないと、どういう知識が足りず、何が描けないのか、判断できません。
    実際に描いてみると、正しい図と何がどう違うか確認できます。
    その練習を重ねることで、正しい図を描けるようになります。

    練習しても、「絵」として上手くなるとは限りません。
    私の図も、上の通り、下手です。
    下手でも、問題を解くのに差支えはありません。
    ならば、それで良いのです。
    変なところでの完璧主義はやめましょう。
    「描くなら、きれいに描かなければならない」
    という思い込みは、数学の問題を解くのには邪魔です。

    「どうせ図を描いたって解けない」
    という思い込みも邪魔なものの1つです。
    それは、実際に自分で図を描いたことで数学の問題を自力で正答できた経験がないからなのかもしれません。
    学校の問題集でも、解答解説の図を見て、解き方を真似て解くだけで、自力で解いたことは一度もない。
    数学が苦手な人の多くはそうかもしれません。
    図やグラフを描いたから問題が解けた、という成功体験がない。
    描いても描かなくても、正答できないことに変わりがない。
    これでは、図やグラフを描くことへのモチベーションは高まらないかもしれません。

    描いても解けないかもしれないが、描かなかったら、絶対に解けない。
    「どうせ」という自分の気持ちを客観的に分析し、乗り越えていってほしいと思います。
    10代は心の問題が学習に大きく影響します。
    そのときは本当に切実な問題でも、大人になって振り返れば、
    「何でそんなことで・・・」
    と思うようなことばかりです。
    試しに、自分のノートに、
    「どうせ図を描いても解けないと思うので、図は描かない」
    と書いてみてください。
    自分の考えていることのアホらしさに、気づくと思います。
    文字にするだけで、自分のことを少し客観的に見ることができると思います。

    描きたい気持ちはある。
    描き方がわからないんだ。
    ・・・そうなると、このブログの一番上に戻るのですが、問題文を読み取る力と数学的な知識に課題があるということです。
    この問題で言えば、円のグラフは描けるということに気づかない人がいます。
    「まず、円は描けるよね?」
    と声をかけても、呆然としています。
    円のグラフの描き方を忘れたか?
    問題文に円の方程式が書かれていることに気づいていないのか?
    あるいは、円は描けることはわかるけれど、それと放物線の関係がわからない限り描くことはできないという、これもまた謎の思い込みをしてしまう人もいるようです。
    ものごとを分割して考えることができないのでしょう。
    常に1つのまとまりにしか見ることしかできない。
    それで混乱しやすいのだと思います。

    方程式などの立式をするときでも、計算しながら立式するので、1行目から意味がわからない数値だらけになってしまう人がいます。
    しかも符号ミスや計算ミスをしてしまったり、途中から式の意味がねじれていき、わからなくなってしまうこともあります。
    「立式と計算は分割しなさい。立式は立式。計算は計算と分けるほうが、正確だよ」
    と私に言われても、それがどういうことなのかわからず、呆然としてしまう・・・。
    ものごとを分割して考えることができない。
    したことがない。
    混乱しやすいだろうし、パニックも起こしやすいだろうし、ろくなことがないなあと思います。
    そういうのは思考の癖なので、意識して改善していかないと変わらないのです。
    統合する力は、分割する力。
    作業を分けて考えることができるようになると、数学の問題を自力で解くことに近づいていきます。



    問題 放物線 y=x2+a と円 x2+y2=9 が異なる4個の交点をもつような定数aの値の範囲を求めよ。

    一番上の問題と、放物線と円の方程式は同じです。
    同じ図で考えていくことが可能です。
    放物線と円は、どのような状態のときに、4個の交点を持つでしょうか。
    円は固定されています。
    放物線は、式から明らかなとおり、軸はy軸です。
    y軸を軸として、上下することしかできません。

    上の図からわかるように、放物線の頂点が(0 , 3)のとき、放物線と円は1点で接するのみです。

    それより少し下に放物線が移動すると、放物線と円は2点で交わります。
    放物線を少しずつ下に移動しても、しばらく2点で交わる状態が続きます。

    変化が起こるのは、放物線の頂点が(0 , -3)のとき。
    このとき、放物線の頂点は円と接します。
    それだけでなく、この放物線は2点で円と交わります。
    すなわち、このとき、放物線と円の共有点は3個です。

    そこより、少し下に下がると、放物線と円の共有点は4個になります。

    その後、上の図の一番下の位置まで下がり、放物線と円が2点で接するとき、共有点は2個になります。
    そして、それ以降、放物線と円は共有点を持たなくなるのです。

    だから、放物線と円が共有点を持つのは、放物線の頂点が(0 , -3)だったところから、放物線と円が2点で接するところまで、となります。

    放物線の頂点が(0 , -3)のとき、a=-3。
    放物線と円が2点で接するとき、a=-37/4

    よって、求めるaの範囲は、
    -37/4<a<-3
    です。

    こんな問題は、図を描かないとわかるわけがないのです。
    図を描きましょう。
    下手でも、いいのです。
    最初は間違っていてもかまいません。
    問題を解くのに必要な図を描いて考える習慣を持ってください。

      


  • Posted by セギ at 12:32Comments(0)算数・数学

    2020年12月07日

    野川公園を歩きました。2020年12月。


    2020年12月6日(日)、今週は、自転車で都立野川公園に行ってきました。
    自転車移動は、安全性が課題。
    近年、大きな道路ほど自転車道が整備され始めたのがありがたいです。
    道路との間に柵を設けず、ただの自転車レーンにしておくと、車が平気で路上駐車をして余計に危険です。
    自動車が走る部分ときっちり分離し、柵を設けて、自転車が安心して走れる自転車道が整備されるようになりました。
    車にとっても、道路を自転車がうろちょろしないので、安心して運転できますよね。

    武蔵境駅の少し東を南北に走る大きな道路、武蔵境通りは、自転車道がしっかり整備されています。
    まずはその道を南下。
    「野崎」交差点で人見街道と交差します。
    様子を見ましたが、人見街道は自転車道は整備されていませんでした。
    歩道も細い。
    さらに南へ行くと、国道14号線・東八道路と「野崎八幡」で交差。
    ここを右折しました。
    東八道路も、広い歩道と並走する自転車道が整備されてありました。
    良かった。
    あとは、この道をひたすら走るのみです。
    街路樹のイチョウは、今年は、上手く黄色くならずに散っていく葉が多いですね。
    その中でも、たまにハッとするような黄色いイチョウを眺めながら、延々と西に走っていきました。
    天文台通りと交差。
    国際基督教大学裏門を通過。
    やがて、道の両側に緑地が見えてきました。
    都立野川公園です。

    野川公園に来たのは初めてです。
    地図で見ても巨大な公園でしたが、来てみると、呆然とするほど広大です。
    まず、一番近い入口から中に入ってみましたが、ただっ広い緑地がただ広がっていました。
    自転車をどこに置いたら良いのだろう?
    いったん道路に戻り、正門的なものを探しましたが、どの入口から入っても、緑地と立木のみです。

    目標は野川を見ることだったので、歩道橋で国道14号線を渡り、公園の北側に入りました。
    公園の周囲に設置された歩道を行くと、ようやく、自転車置き場を発見。
    自転車を置きながらも、私は既に呆然としていました。

    何、この風景?
    おとぎ話?

    上の画像がそれです。
    明るくのどかな田舎の風景が広がっていました。
    いや、今、日本の田舎にこのような風景は存在しないと思います。
    川は、がちがちにコンクリートで固めるのが普通です。

    野川は、むかし話の、おばあさんが川で洗濯をするような川でした。
    そして、おじいさんが柴刈りに行くような山も。
    いやいや、あれは国分寺崖線(ハケ)。

    秋の終わり、もう景色はくすみ始めている時期でこの眺め。
    春に来たら、ここは桃源郷なのではないか?
    物凄い場所に来てしまいました。

    とりあえず、野川に沿って歩いてみることにしました。
    土手の上の道も、川の右岸は未舗装。
    川の左岸は舗装されている様子です。
    凄いのは、土手の下、まさに川っぷちも歩くことが可能なこと。
    柵もなく、望めば川に手を入れられる距離です。
    川が浅いから危険がないので、このようにしておけるんでしょう。

    台風などの豪雨のときには、どれくらい水位が上がるのでしょう。
    土手くらいまでは上がってくるのかなあ。
    それでも、大丈夫なんだろうなあ。
    色々、凄いなあ。
    ときおり川にかかる橋の下を、少し背をかがめて通り過ぎます。
    川の風景は少しずつ変わり、鴨が泳いでいる箇所もありました。

    最初の感動が少し収まると、そうまで感動している自分をふと振り返ってみるようにもなりました。
    山の景色は、どこも、このように素晴らしいのです。
    私は、笠取山の麓、多摩川の源流、最初の一滴も見ました。
    沢も谷も滝も、日本の自然の風景をたくさん見ました。
    写真に撮るだけ撮った後は、肉眼でよく見るようにしてきました。
    いつか、この風景を見られなくなる日がくる。
    よく見ておこう。
    常に自分に言い聞かせてきました。

    それでも、山に自然の眺めがあることを、当たり前に感じていたのではないか?
    ここは、自転車で30分の場所。
    そんなところにこんな風景が保存されているから感動しているのではないか?
    私は、山の風景にも、もっともっと感動すべきではなかったのか?

    目の前の野川の風景。
    ここは、やはり凄い。
    そして、いつかまた山を歩いて、凄い風景を1つ1つ見に行きたいものです。
    今度こそ、ちゃんと見よう。

    野川は、小説『野川』の一部を、国語入試問題で読むことがときどきあるので、名前を知っていました。
    修辞が多用された難解な文章で、子どもたちはほとんど読みこなすことができない小説です。
    地元に密着した聞きなれた地名が出てくるからといって、安易に入試に出すと、全員が不正解なので差がつかず、入試的には失敗するのが小説『野川』です。
    しかし、三鷹で、昔、白い煙のような天の川が見られたなど、心惹かれる描写のある小説です。
    文庫になったら読もう。
    そう思いながら、まだ読んでいません。

    川の左岸に「自然観察園」といった名称の柵と網で閉じられた場所があったので、橋を渡って、入ってみることにしました。
    野川と国分寺崖線に挟まれた土地を特に力を入れて保存している様子です。
    崖線からしみ出した水でいくつか池ができています。
    水際なので、カエデが、明るく鮮やかに紅葉していました。
    湿地は、木道を歩くようになっています。
    この木道が結構ゆらゆらギシギシいうので、歩いていてちょっと不安です。
    山の木道がこんなにギシギシいっていたら大問題ですぐに修理されるけれど、平地の木道はこの程度ならばまだ大丈夫とみなされるのでしょうか。
    本当にまずい箇所だけ、修繕するのかな?
    ときどき、上から板が打ち付けられています。
    山で木道の不備から事故が起きたら、その怪我人をどう運ぶか?
    その危険を考えたら、できるだけ事前に完璧な修繕をするのが当然。
    平地は、そのあたりがわりとアバウトかもしれません。
    それとも、予算がないのかな。
    都に?
    などと考えながら、立ち入り禁止のホタル見学場所を通り過ぎました。
    およそ風情がないことを考えながら、風情ある道を歩いています。

    野川に戻り、さらに東へ。
    気がつくと、左右はもう野川公園ではなくなり、普通の住宅が並んでいました。
    それでも、川沿いに道は続き、勿論未舗装で、まだどこまでも歩いていけそうでした。
    寸胴をつけて、川遊びをしている子もいます。

    そろそろ戻ろう。
    また来よう。
    まだ、この広大な公園をほとんど歩いていないようなものです。
    本当にここは広い。
    冬が来て、公園遊びをする人が減ったせいもあるのか、人が少なく、気持ちのよい場所ばかりでした。

      


  • Posted by セギ at 12:29Comments(0)

    2020年12月04日

    高校英語。仮定法。be動詞と仮定法。


    仮定法。
    今回は、be動詞と仮定法です。

    まず例文を見てみましょう。

    If she were here, we could begin the meeting.
    もし彼女がここにいれば、会議を始められるのだが。

    if 節が過去形。主節は、主語+助動詞過去形+動詞原形。
    これは、仮定法過去の文だとわかります。
    現在の事実に反する仮定です。

    仮定法過去で用いる be動詞は、上の例文のように、一人称・二人称・三人称にかかわらず、were。
    昔は、必ずそう教わりました。
    しかし、現在は、一人称・三人称のときは、普通に was を用いることが許容されています。

    15年くらい前までは、それでも、大学入試のときには、安全のために were を書いておいたほうが良い、などという指導が行われていました。
    しかし、大学教授も若返り、現代英語について一番よく知っているのが大学教授だという安心感のある時代になりましたので、were でも was でも好きなほうを書きなさい、どちらでも正解なのだから、という指導が現在は普通です。

    英語のこうした変化は、言語が生き物であることを感じさせます。
    最初はそれは誤用でした。
    しかし、使う人が多くなれば、それが許容されます。

    日本語もそうです。
    例えば「わかりみが深い」。
    形容詞に接尾語「み」「さ」をつけて名詞化するのは、日本語として正しい形。
    「旨い」に「み」をつけて、「旨み」。
    「美しい」に「さ」をつけて、「美しさ」。
    しかし、動詞「わかる」に「み」をつけるのは、誤用。
    でも、だからこそ、耳目をひき、何となく魅力的な言葉に感じます。

    こうした若者言葉は、5年と待たずに消えてしまうことも多いですが、何だかいつまでも消えずに大人が使い続けて残る言葉もあります。
    「無理くり」などがそうで、昔の辞書にはこの言葉は掲載されていません。
    「無理やり」で良いはずなのに、「無理くり」を使う人、今は多くなりました。
    テレビ局の報道記者まで使用するので、「え?」と思うこともあります。
    そのうち、NHKのアナウンサーも使うようになるのでしょうか。
    そうなったとき、この言葉は完全に認知されたということかもしれません。

    私は、「無理くり」の語感があまり好きではないので使いません。
    でも、昔、詩人の谷川俊太郎さんが、雑誌のアンケートで「嫌いな言葉はありますか」という問いに、
    「ありません。言葉は皆好きです」
    と答えていて感銘を受けたことがあるので、見習いたいものだと思い、嫌いな言葉はないというのを建前にしています。

    話がそれました。

    仮定法過去の if 節において、be動詞は必ず were というのは昔の話で、今は、were とwas を使い分けることが許容されています。
    いずれにしろ、仮定法過去の if 節は、動詞を過去形にしましょう。
    現在の事実に反する仮定です。
      


  • Posted by セギ at 17:27Comments(0)英語

    2020年12月02日

    高校数Ⅰ「三角比」の学習の終わりに、学習が突然瓦解する話。



    今回は、「三角比」を学習していて、さあいよいよこの単元の最終目標というところで、それまで学習を積み上げてきたことが一瞬で瓦解した話。
    教える者としては、ホラーに類する話です。
    もう5年以上前の話です。
    会話は、大体こんなふうだったと当時のことを思い出して復元しています。

    問題 円に内接する四角形ABCDがあり、AB=4、BC=5、CD=7、DA=10である。
    (1) cosAを求めよ。
    (2) 四角形ABCDの面積を求めよ。

    その前の週の授業で、三角形・四角形の計量の問題の解き方をひと通り解説し、演習もしたので、大丈夫と思って出した宿題でした。
    しかし、この宿題が引き金を引き、それまで学習した全てが瓦解したのです。

    上の問題は、いきなり「四角形の面積を求めよ」という出題形式でもいいのです。
    (1)で、まずコサインを求めよとしてあるのは、だから、大きなヒントです。
    解答者にとっては親切な問題だと思います。
    いきなり面積と言われても何をどうしていいかわからないけど、コサインを求めよと言われたら、まずそれを考えます。
    次に、求めたコサインの値を活用することを考えれば、問題がほぐれてきます。

    大丈夫と思い込んでいた私は、上機嫌で答え合わせを始めました。
    「(1) の答は?」
    「2/5」
    「・・・え?どうやって求めたの?」
    「普通に求めた」
    「・・・え?式は?」
    「式なんかない。2/5」
    「・・・どういうこと?」

    この問題は、cosAを求めるまでに、どんなに省略しても、10行程度の答案が必要です。
    しかし、その子のノートには、答しか書かれてありませんでした。

    「暗算したらダメだよー。どのように解いたかを書いていくのが、数学の答案なんだよー」
    「暗算はしてない。4/10だから、2/5」
    「・・・4/10?」

    4/10って何だろう?

    問題の図を眺めて、私は気づきました。
    「cosAを、AB/ADで求めたの?」
    「そう!」
    褒めてもらえることを期待しているのではないかと感じるほどに明るい声です。
    「・・・△ABDは、直角三角形ではないよ」
    「え?」
    「直角三角形ではないから、コサインを辺の比で求めることはできないよ」
    「え?」

    これはちょっとした勘違い。
    すぐに修正が可能。
    そのとき、私はまだそう思っていました。
    しかし、それは間違いでした。

    その子は、憮然とした顔で言いました。
    「直角三角形でもないのに、何でコサインが求められるんですか」
    「・・・え?」
    「三角比は、直角三角形で使うものなんだから、これは直角三角形でしょう?」
    「え?」

    え?
    この子は、何を言っているの?

    「直角三角形でなくてもサインやコサインを使うために、今までの長い学習があったんですよ」
    「はあ?三角比は、直角三角形でしょう?」
    「違う。違うよ」
    「違いませんよ!」
    顔を真っ赤にして、その子は怒りだしました。
    怒りたいのはむしろこっちでしたが。

    前週の授業まで、正弦定理も余弦定理も、三角形の面積の公式も、普通に理解し、普通に問題を解いているように見えたのです。
    なぜ、たった1週間で、こんなことになったのか?
    もう、「三角比」の単元は終わるのに。
    定期テストはもうすぐなのに。
    何で全崩壊のようなことが突然起こったのだろう?


    振り返れば、最初から、少しの違和感はあったのでした。
    まず、三角比の基本を学習するときに、三角比を角度と混乱していたのが第一段階。
    sinA=60° といった不可解な答案を初期の頃に書くことがあったのです。
    「違うよ。サインは、直角三角形の辺の比だよ。角度のことではないんだよ。sin60°=√3/2 というように、Aのところに角度が入って、sinAは、辺の比なんだよ」
    「・・・」
    理解しづらい様子で、その子は無言で顔をしかめていました。

    次に、三角比の拡張。
    直角三角形を離れ、鈍角の三角比を求めたときの違和感が第二段階でした。
    その子のノートには、必ず単位円が描かれ、動径の左側に、直角三角形が描かれていました。
    「・・・その直角三角形は、描かなくていいんですよ。鈍角の三角比は、その左側の直角三角形の辺の比ということではないよ。ここで、三角比の定義は変わったでしょう?三角比はここから定義し直されたんだよね?」
    「学校の先生が、必ず描けと言った」
    「必ず?その左側の直角三角形を?学校の先生が?そんな話、聞いたことがないよ」
    「・・・」
    「それは、三角不等式の問題のときは、必ず単位円を描いて解きなさいという話じゃないのかな?鈍角の三角比を求めるだけの問題で、いちいち単位円は描かないでしょう?」
    「・・・」
    学校の授業のほうが少し先に進んでいて、三角方程式、三角不等式の学習まで進んでいることは授業の初めに確認してありましたので、多分そういうことだろうと想像されました。
    それに対しては、納得することがあった様子でした。
    鈍角の三角比、そして三角比の拡張ということについても、静かに話を聞いてくれました。

    その後、正弦定理・余弦定理の学習に入ると、公式に代入するだけということもあってか、むしろ抵抗感はなくなり、するすると問題を解くようになっていました。
    前週は、三角形の面積の求め方について学習し、そしてその発展である、円に内接する四角形の計量も、難なくこなしているように見えました。

    もう「三角比」の学習は終わる。
    今日は空間図形と三角比について学習し、後半は定期テスト対策に入れる。
    そのように思っていた矢先のことでした。
    その子は、突然、三角比は直角三角形でしか使えないという思いにとりつかれてしまったのです。

    その子は言いました。
    「直角三角形でないなら、どうやってコサインを求められるんですか!」
    「どんな場合でも三角比を使えるように定義し直したでしょう?三角比は、角度ごとに固有の値で、その三角形の辺の比ということではなくなったよね。じゃあ、テキストを開いて。鈍角の三角比のところ」
    「三角比は、直角三角形の辺の比のことですよ!」
    「うん。最初はそうなの。でも、三角比はとても便利だから、どんな角度でも、どんな三角形でも使えるように、定義し直したよね?」

    そこで、鈍角の三角比のページに戻って解説をしました。
    想像した通り、その子は、鈍角の三角比は、動径の左側、第2象限に描いた直角三角形の辺の比と誤解していました。
    それは違うと以前も私は強調したつもりだったのです。
    しかし、人は、自分の理解とは異なる情報は聞き流すことがあります。
    静かに聞いてくれていたからといって、理解していたわけではなかったのでしょう。
    そして、三角比の学習の終わり間際になって、自分の考えを憤然と主張し始めたのです。
    今さら自分が理解していたことが覆されるのは嫌だという気持ちもあったのかもしれません。

    まっさらな状態で三角比の拡張について学習するよりも、誤解した後に正しく理解するのは、困難を極めました。
    「鈍角に三角比なんてないですよ!直角三角形じゃないんだから!」
    「うん。そうなんだけど、だから、定義をし直したの。半径1の単位円の円周上の点Pの座標を(x , y)とするとき、サインは y の値、コサインは x の値になるでしょう。そのように定義し直すと、鈍角でも三角比を求めることができます」
    「でも、さっきの問題の三角形は、鈍角三角形じゃないじゃないですか!」
    「鋭角三角形か、鈍角三角形か、まだわからないですね。でも、鋭角でも、鈍角でも、とにかく、三角比は、角度ごとの固有の値で、その三角形の辺の比じゃないんですよ。だから、どんな三角形でも三角比は使うことができるんです」
    「三角比は角度のことじゃないって、前に言ったじゃないですか!」
    「・・・はい。三角比は角度のことではないです。その角度ごとに固有の値です」
    「何の値なんですかっ」
    「・・・」

    突然、初期化されたかのように、三角比は直角三角形でしか使えない、と主張し始めた生徒。
    なぜ、このようなことが起こったのでしょう?

    宿題で解いた、円に内接する四角形の問題は、∠ABDが直角に見えないことはないのでした。
    そのように見えるというだけで、実際は直角ではないのですが。
    とにかく、直角に見える。
    コサインは、辺の比。
    そのように思って、宿題を解く。
    その気持ちのまま、寝る。
    その睡眠中に、脳は知識を整理する。
    三角比は直角三角形の辺の比。
    そのように整理し直されたのではないかと想像します。
    睡眠中に、脳の初期化が行われたのだと思うのです。

    では、この宿題さえ出さなければ、そのようなことは起きないのでしょうか?
    いいえ。
    根本の原因は、その子が三角比のことを、本当は理解していなかった、ということに尽きるのです。
    わかっていないこと、誤解したまま済ませてきたことは、いつか何かのきっかけで噴出します。
    1つの単元の最初に学習したことは、印象深い。
    しかし、途中で学習することは、復習していないと忘れてしまい、知識が抜け落ちていきます。
    途中がもろくなっていたのです。
    三角比の拡張のことも、正弦定理や余弦定理も、三角形の面積の公式も、記憶から消えかけていたのだと思います。
    そんな状態で応用問題を解いたので、一気に瓦解したのでしょう。

    前週に類題を解いたノートは、残っていました。
    それを見るよう促すと、しぶしぶその子はノートを開き、じっと見つめました。
    自分の字で、正しい解き方が記入されてあるノート。
    想像もしていなかった複雑な解き方で方程式を立て、ようやくコサインの値にたどりつく、その解き方。
    「・・・わからない・・・」
    と彼はつぶやきました。
    「何で余弦定理を使うんですか?」
    「コサインの値を求めたいなら、余弦定理を使うだろうというのが、最初の発想の糸口ですよね」
    「余弦定理って、何なんですか?」
    「・・・コサインと、三角形の3辺の関係を表している定理です」
    「何でそんなことが言えるんですか?」
    「・・・余弦定理の証明ということですか?」
    「はい」
    「余弦定理の証明は、学校で学習したから大丈夫だと、前に言っていましたよね?」
    「・・・」

    定期テストが近いのに、今更、定理の証明をしなければならないのか・・・。
    定理の証明はテストには出ないことは、数回のテストで確認してありました。
    高校の定期テストは、定理の証明ではなく、その定理をどう活用するかを問う問題が出題されるのが普通です。
    共通テストの出題傾向を鑑み、今後は変わっていくかもしれませんが。

    私は、余弦定理を証明するための図を板書しました。
    座標平面を描いて、△ABCを、頂点Aが原点にくるように描く。
    頂点Bはx軸上。
    頂点Cから、辺ABにおろした垂線の足をHとする。
    A(0 , 0)、B(c , 0)。
    そして、C(b cosA , b sinA)。
    しかし、それを説明するには、直角三角形の辺の比を用いることになります。

    「・・・やっぱり、直角三角形じゃないですか!」
    「うん。直角三角形のときは、辺の比で、サインやコサインを表してもいいんです」
    「直角三角形だって、どうやってわかるんですか!」
    「点Cから垂線をおろしたんですから、直角です」
    「直角じゃなかったら、どうするんですか!」
    「・・・直角にしたんだから、直角ですよ」
    「そんなの、わからないじゃないですか!」
    「・・・」

    理解したい気持ちが半分。
    でも、私を言い負かしたい気持ちも半分。
    もう、訳がわからなくなっているようでした。

    余弦定理の証明は、何通りかありますが、どれも複雑な過程があります。
    その過程を一応はたどることができたところで、ああそうだったのか、とスッキリするとは限りません。
    高校で学ぶ定理なんて、大半がそうです。
    小学校で学習する三角形の面積の公式のように、見ればよくわかりスッキリするというようなものではありません。
    実感を伴うことは滅多にありません。
    理屈が通っているから、それで正しいようだ。
    正しいらしいから、使おう。
    大半の高校生が、そうやって定理を使っていると思います。

    わからない、わかりたくない、という気持ちで見ていたら、余弦定理の証明は、わからないです。
    証明がわからない。
    だから、定理も使えない。
    ひと通り余弦定理の証明を解説しても、その子が納得していないのは、表情からありありと見てとれました。

    もう、三角比の何もかもがわからなくなってしまった子。
    近づいている定期テスト。
    約2か月かけて少しずつ学習し積み上げてきた単元の、最後の最後に来て、一気に瓦解しました。
    全崩壊。
    何で今更・・・。
    徒労感と焦りで、私は頭を抱えたくなりました。

    その前の「2次関数」の単元のときは、平方完成の仕組みを理解するところから、本当に苦労しました。
    それに比べたら、今回の三角比は、かなりスムーズに学習が進んでいた印象がありました。
    しかし、むしろ、そのほうがまずい状態だったのかもしれません。

    「定期テストが近いですよ。どうですか。余弦定理は、このように証明できるものです。正しいものです。だから、使ってみませんか?」

    わからないのに使っても、仕方ないじゃないですかっ!

    そのような反抗も予想しましたが、さすがに、それはありませんでした。
    定期テストが近い。
    このままでは、まずい。
    それは、本人にもわかったのだと思います。


    もう一度、最初の問題を見てみましょう。

    問題 円に内接する四角形ABCDがあり、AB=4、BC=5、CD=7、DA=10である。
    (1) cosAを求めよ。
    (2) 四角形ABCDの面積を求めよ。


    余弦定理は、コサインと三角形の3辺の関係を表した定理です。
    四角形では使えませんから、上の図のように、頂点BとDを結び、2つの三角形に分けて考えます。
    しかし、ここで気づきます。
    余弦定理からコサインを求めるには、3辺の長さが必要。
    しかし、まだ、辺BDの長さがわからない・・・。

    ここで、1つのテクニックを用います。
    BDは、△ABDにとっても、△BCDにとっても、三角形の1辺です。
    共通の辺です。
    それを利用して、方程式を立てることができます。

    △ABDにおいて、余弦定理より、
    BD2=AB2+AD2-2・AB・AD・cosA
      =16+100-2・4・10cosA ・・・①
    また、△BCDにおいて、余弦定理より、
    BD2=BC2+CD2-2・BC・CD・cosD
    ここで、四角形ABCDは、円に内接する四角形です。
    円に内接する四角形の対角の和は180°です。
    和が180°である2つの角のコサインは、絶対値が等しく符号は正負が逆となります。
    よって、
    BD2=BC2+CD2-2・BC・CD・(-cosA)
      =25+49+2・5・7・cosA ・・・②
    ①、②より、
    116-80cosA=74+70cosA
    -150cosA=-42
    cosA=42/150=7/25
    これが、(1)の答です。


    次に、(2)を考えましょう。
    四角形ABCDの面積です。
    これは、△ABD+△BCDで求めればよいことはすぐ発想できると思います。
    三角形の面積を求めるには、2辺の長さと、その間の角のサインの値が必要です。
    では、まず、サインを求めましょう。
    (1)で cosAを求めてありますから、そこからサインの値を求めることができます。
    三角比の相互関係の公式を利用します。
    sin2A=1-cos2A
       =1-49/625
       =576/625
    よって、
    sinA>0 より
    sinA=24/25
    和が180°である2つの角のサインの値は等しいので、
    sinC=24/25
    よって、
    四角形ABCD
    =△ABD+△BCD
    =1/2・AB・AD・sinA+1/2・BC・CD・sinC
    =1/2・4・10・24/25+1/2・5・7・24/25
    =36
    四角形ABCDの面積は、36です。


    5年ほど前のこの出来事を、私はほとんど忘れていました。
    先日、同じテキストのこの問題を宿題に出した際、同じところを同じように間違えて解いてきた子がいました。
    学習の初期の段階で、sinθ=60° といった不可解な答案を書いてきたことも同じ。
    しかし、その後、逆に不思議ほど学習が順調に進んでいたのも同じでした。
    そして、三角形や四角形の面積を求める頃になって突然、この混乱が起こりました。
    三角比は、直角三角形の辺の比。
    直角三角形でしか、使えない。
    なぜ、直角三角形ではない三角形でサインやコサインを使っているのか?

    正直、ぞっとしました。
    また、全崩壊か?

    「いや。落ち着いてね。三角比は、直角三角形の辺の比から離れて、どんな角度でもサインやコサインを求められるんだよね。あなたは、先週までそれをよく理解して使っていたじゃないですか」
    「・・・あ」
    「うん。思い出したね。良かった。あなたは、三角比が、よくできる。すごくよくわかっている」
    「はーい」
    足元に開いていた奈落をすっと跳び越えて、その子は、正しい解き方で、その問題を解き直し始めました。

    今回は生徒を呑み込むことのなかったその奈落。
    しかし、それは変わらず存在していました。
    どうすれば、その奈落は消えるのだろう?
    その答は、まだ見つかっていません。

      


  • Posted by セギ at 11:25Comments(0)算数・数学