たまりば

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2017年03月22日

南高尾山稜を歩きました。2017年3月。

 
2017年3月19日(日)、南高尾山稜を歩きました。
週半ばに冷たい雨が降り、檜原村や奥多摩では麓にもうっすらと雪が積もったと聞いていました。
あれから暖かくなったとはいえ、山道で凍結箇所や泥濘に悩まされるのは嫌だなあ。
そういう山に行きたい日もあるのですが、今週はもっと楽をしたい気分です。
そんなときは奥高尾が一番。

というわけで、高尾駅北口から小仏行きのバスに乗車。
高尾温泉のラッピングバスを含む3台のバスが同時発車しました。
春の観光シーズンが来ましたね。
日影下車。8:50。
支度をして出発です。

日影林道は毎月歩いているような錯覚がありますが、よく考えたら秋から来ていませんでした。
半年ぶりに沢沿いの道は、かなり舗装が進んでいました。
え?
通行禁止のときもあったんですか?
全然知らなかった。
今は休工中だそうです。

暖かくよく晴れた日でしたが、まだこのくらいの気温ならバテることはなく、小仏城山到着。10:20。
空いているトイレに入ろうとすると、若い女の子に声をかけられました。
「そこ、鍵がかからないんです」
「鍵ですか?」
試しに鍵の突起部分を押しながら回してみると、しかし、特に問題なく動きます。
「・・・・あれ?」
声をかけてくれた子は不思議そうにしていました。

以前も、ここのトイレで同じやりとりがあったことを思い出しました。
若い子は、たてつけの悪い戸に慣れていないのかもしれません。
鍵が固まって動かないときは、突起を抑えて鍵を回すと動きだすことがあります。
上手く鍵穴に入らないときは、隙間から覗き込みながらドアを少し押したり引いたりするなどの調節をすると上手く入ることが多いです。
山のトイレは、風雨にさらされ、寒暖の差も激しいですから、そんなにたてつけはよくないので、工夫して入りましょう。
ヽ(^。^)ノ

さて、昼にはまだ早い時間帯ですが、ベンチはほぼ埋まる盛況でした。
早咲きの梅の花もちらほら。
ここから高尾山までの尾根道は桜の名所。
今から楽しみです。

さて、今日は南高尾山稜を歩きます。
ちょっと休憩し、高尾方面に向かって木段を降りてすぐの分岐を右へ。
大垂水へと降りていきます。
急坂ですが木段が整備され、足止めも多く埋められて、昔と比べると本当に歩きやすくなったなあと、毎回同じ感想を抱きながら、たったか降りて行きました。
下りるだけ下りきると、その先は斜面をトラバースする細い道。
そこから、斜面をジグザグに下っていくと浅い沢沿いの道に出ます。
すぐに沢と別れ、鉄柵に頼って急な下りを慎重に行くと甲州街道です。

甲州街道を渡る歩道橋は、そのまま南高尾の登山道につながっています。
このあたりでトレイルランナーと多くすれ違いました。
登山者も多いです。
南高尾も賑やかになったなあ。
数年前までは、スミレや桜の季節ですら、こんなに人はいなかったように記憶しています。

大洞山。11:35。
ここのテーブルとベンチが無人だったのは、逆に驚きました。
何事もタイミングというものでしょうか。

ここからは緩やかに登ったり下ったり。
まき道は崖っぷちで少し細いところもあり、慎重に通過しました。
段差の大きいところは木段が整備され、新たに鎖がつけられていました。
ここも来る度に少しずつ変わっていますね。
ベンチなどが多く整備され、休憩できる場所が増えているのも感じます。

見晴台。12:20。
幸いベンチがちょうど1つ空いていたので、ここで昼食。
冬は陽だまりが気持ち良い場所ですが、この陽気ではちょっと暑かったです。
これからの季節は、ここではなく、木陰の場所で昼食をとるのがいいかなあ。
でも、眺望は間違いなくここが一番です。
春霞で丹沢もぼやけていましたが、沢筋や山頂付近は積雪しているのが見えました。
やはり数日前の雪が残っているのだなあ。

さて出発。
この先もベンチが増えているのを確認しながら、歩きやすい道をどんどん行き、三沢峠。13:05。
おや、ここも新しく丸太型のベンチが設置されています。
そこに座って、ちょっと休憩。
今日はここから、いつもとは違う、梅ノ木平への道を歩いてみることにしました。

「車両侵入禁止」の看板が道の真ん中に立っています。
林道レベルの幅広な道でした。
平坦で、ゆったりと下っていくことができました。
尾根道ではないので展望はありませんが、歩きやすい道でした。
足許には早咲きのスミレが。

やがて道は沢に沿って進むようになりました。
未舗装ですが途中からは車の侵入もOKな林道となりました。
でも、車は全く通りませんでした。
どんどん歩いていくと老人ホームがあり、そこからは舗装道路でした。
道なりにさらに歩いていくと、高尾の有名な料理屋さんに出ました。
ははあ。ここに出るのかあ。
山支度では前を通るのでも気がひけるわあと思いながら通り過ぎると、その先は分岐ごとに道しるべがありました。
その通りに歩いていくと、甲州街道に。

しかし、ここは高速道路の入り口でもありました。
歩行者がどう進めば良いかは明確で危険もないのですが、交通量が多いので若干ストレスがあります。
歩道を渡って、地下道を通って、高速道路と別れてからは、甲州街道を淡々と行きます。
道の両側にしっかりした歩道がありますので、ここも危険はありません。
でも、やっぱり、いつもの草戸山から高尾山口に降りていく道のほうがいいなあ。
1回歩くと、こういうことがわかりますね。

  


  • Posted by セギ at 11:17Comments(0)

    2017年03月17日

    消しゴムやシャーペンの使い方。




    もうすぐ新年度。
    教科書もテキストも新しくなり、気分も一新されます。
    高等部に進学する子たちの高校数学の予習も始まりました。

    高校数学の最初の学習内容は、「式の計算」。
    まずは、「降べきの順」というルールについて。
    次数の高い項から順番に項を書いていくということで、中学生の頃から数学の教科書や問題集は降べきの順で書いてあります。
    例えば、 5x2+2x-3 といった形ですね。
    そうやって何年もかけて無意識に訴えかけていますので、大体は問題ありません。

    ところが、中学生の中に、なぜか降べきの順に逆らって書く子がいます。
    問題に 5x2+2x-3 と書いてあるのに、わざわざ -3+2x+5x2 と書き直すんです。
    なぜそのように書き直すのか尋ねても、明確な理由を語りません。

    「次数の高い項から書いていったほうがいいよ」
    「でも、これでも、いいんでしょう?」
    「中学生の間は、それでもいいけど」
    「・・・・・これでもいいんなら、いいでしょう?」
    「いいんだけど、なぜ、わざわざ順番を換えて、そう書くの?問題の通りに順番に書いていったら、そうはならないよね?」
    「・・・・・でも、これでも、いいんでしょう?」
    「・・・・・いいけどねえ・・・・・」
    と、歯切れの悪い会話を交わすことがあります。
    本人の中で、「昇べきの順」のほうが気持ちがいいというルールがあるのなら、それは仕方ないのですが、その「本人ルール」が私には読み取れないこともあります。
    いつもそのように書くわけではないからです。
    そのときどきで順番はバラバラです。

    ・・・・目についたものから書いているだけなのではないか?
    ルールをもって整理しながら書いていくということが、出来ないのではないか?
    「ルールをもって順番に」ということが、理解できていないのではないか?
    それは、分析力に関わっていくことなので、心配になります。

    あるいは。
    うっかり書き始めて、消すのが面倒くさいだけなのではないか?
    消しゴムを使うのが面倒くさいのではないか?
    そんなふうに思えてくることもあります。

    消しゴムの使い方1つとっても、個別指導をしていますと心配なことがあるんです。
    「この消しゴム、消えない」
    と文句を言う子どもがいます。
    消し方が汚く、元の文字が残っていて、その上に新しく書いても、何を書いたのかよくわかりません。
    玩具みたいな消しゴムを使っている場合は、それは消えないでしょうと思いますが、普通の消しゴムを使っていても、そんなことがあります。
    「貸して」
    と受け取って、試しに消してみますと、別に何の問題もない消しゴムです。
    本人の消し方が悪いんです。
    力の入れ方や、丁寧に消すやり方が身についていないのでしょう。

    「消しゴム」を使わない勉強方法というのは、あります。
    間違えた答案を消して直すのではなく、きちんとバツをつけて、横か下に赤で正答を書き込むという勉強方法です。
    間違えた答案をすぐ消して書き直し、赤で堂々と丸をつけて、正答したと自分でも思い込む不可解な子どももいますから、その勉強方法を小中学校の先生が生徒に義務づけるのは理解できます。
    でも、書き間違いには消しゴムを使います。
    そんなのをいちいち残していたら、答案が汚ならしくて、読み取れないですから。
    そんなときに、消しゴムをきれいに使えない子がいます。

    なぜ、消しゴムを正しく使えないか。
    それは、教わっていないからなんでしょう。
    手取り足取り教わらないと、消しゴムの正しい使い方が身につかない子はいます。
    大人がやっているのを観察して、見よう見真似で正しい方法を身につけていくということができないようです。
    あるいは、消し方を自分なりに少しずつ工夫し、改善していくということもできないのでしょう。
    教わらない限り、消しゴムを使ってきれいに消す方法が身につかないのです。

    学習能力の根本は、自分で観察し、考え、工夫していくところにあると思うのですが、教わらないと自分では改善できない子は一定数います。
    自分で改善しなければならないという発想そのものがないようにも感じます。
    そして、自分の技能の低さを無視し、消しゴムのせいにします。

    シャーペンもそうですね。
    芯を折りまくる生徒は多いです。
    バキバキボキボキ、90分間に5回や10回は芯を折っている子がいます。
    あげく、シャーペンを詰まらせて、その修理のために授業停止。
    (^_^;)

    「このシャーペン、芯がすぐ折れる」
    と生徒は言います。
    本当にそう思うのなら、シャーペンの先端をよく観察したほうが良いです。
    ペン先に微かな凹凸がある場合、それにひっかかって芯が折れやすいということはあると思います。

    芯が粗悪品ということも、ないわけではありません。
    以前は、100円ショップで購入した芯は、折れやすかったかもしれません。
    かなり当たり外れがある印象は、私も持っていました。
    でも、最近は、そうでもないような気がします。

    多くの場合、芯がすぐ折れるのは、ペンや芯のせいではなく、本人のせいです。
    芯を出し過ぎているんです。
    出し過ぎた芯で、シャーペンを斜めに持って、高い筆圧で書いたら、それは折れます。
    力学的に考えたらわかることです。

    自分が何をしているために、どういう結果になっているか。
    シャーペン1つのことでも、少し考えて、少し工夫したら、わかること。
    どうして何年も何年も、そのことに気づかず、芯を折り続けているのか。
    家電ですら学習能力を持つ昨今、そんなことでどうするのか?
    どうしてもどうしても芯を折ることを改善できないのなら、芯の折れないシャーペンも発売されていますよ。
    (*^_^*)

    消しゴムを使うと、よく消えない。
    シャーペンを使うと、すぐ折れる。
    勉強自体よくわからないのに、勉強の周辺にもストレスがいっぱい。
    これは、学習意欲に影響します。
    同時に、目の前の課題を解決できないという点において、学習能力が多少表れていると見ることもできます。

    シャーペンの芯くらいいいじゃないか、好きなだけ折らせておけば、というのも1つの見解かもしれませんが、何しろ個別指導をしていますで、折れた芯が私の顔に当たることがあります。
    さすがに ┐(´д`)┌ヤレヤレ という気持ちになります。
    私は眼鏡をかけているから良いですが、他人の目に芯が入る危険もあります。
    芯を折っている子は、そういうことに気づかないという点も、私は心配しています。

    そういうわけで、自衛の意味もあり、シャーペンの芯をよく折る子には、その指導も行っています。
    面白いもので、シャーペンの使い方に改善が見られ、芯を折らなくなる子は、成績も上がっていきます。
    細かいことではあるけれど、私が何のために何を言っているのか理解でき、改善できるということは、学習面の他のことも改善可能だからでしょうか。
    技術の伝達が可能だということかもしれません。

    一方、助言や注意がいちいち耳に逆らう様子の子もいます。
    ありのままの自分が最高に素晴らしいことを褒めてほしい。
    褒めて伸ばしてほしい。
    そういう願望の子どもや保護者の方は最近減ってきました。
    褒めるだけでは限界があることが広く知られるようになってきました。
    それでも、自分のやり方を直させられることに不満を感じる子も中にはいます。
    しかし、その子がスポーツをやっている場合、スポーツになぞらえて説明すると案外理解してくれます。
    フォームが悪ければ直すでしょう。
    我流の間違ったフォームでどれだけ練習したって、結果なんか出ないでしょう。
    逆に、ちょっと直すだけで大きく変わってくることはあるでしょう。
    こう言うと、反発せず、耳を澄まして聞いてくれたりします。
    腑に落ちる経験があるのだと思います。


    私が何か言うまでもなく、成績の良い子は、勉強するための正しい形が小学生でも身についています。
    どこをどう直せばさらに良い結果が出るようになるか。
    その助言が欲しくて個別指導塾に来ています。

    そうした内面だけでなく、見た目も勉強するにふさわしい良い形を身につけている子が多いです。
    「姿勢が良い」といっても、変に緊張した姿勢の良さではなく、何時間でも楽にそのままでいられる座り方をしています。
    勉強道具は使いやすい大きめのペンケースに必要なものが入っています。
    シャーペンの使い方も、消しゴムの使い方も、無駄な動きがなく、安定しています。
    使い終わった消しゴムを放り投げるように置いて、机から落として、身をかがめてそれを拾って、といったくだらないストレスとも無縁です。
    勉強をたくさんする毎日なので、文房具は友達。
    大切に使って失くしませんし、新しい文房具にも興味があり、新製品を私に見せてくれたりします。
    (*^_^*)

      


  • Posted by セギ at 14:26Comments(0)講師日記

    2017年03月06日

    藤野駅から日連アルプスを歩きました。2017年3月。


    2017年3月5日(日)、藤野駅近くの低山、日連アルプスを歩いてきました。
    日連は「ひづれ」と読むそうです。
    コースタイムでも4時間足らずのご当地アルプスです。

    支度をして、藤野駅出発、8:40。
    2週間前に歩いたのとは反対側の金剛山を目指します。
    駅前の階段を下りて直進してすぐの県道を左へ。
    歩道があまり整備されていないわりに交通量が多く、ちょっとストレスを感じながら歩いていき、道なりに日連大橋を渡ります。
    橋は広い歩道が整備されていました。
    橋の左手にはスーパー、少し行くと右手にコンビニ、さらに行くと追分のバス停があり、その先の分岐を道なりに右方向に行きます。
    歩道の整備されていない道を車の行き来に注意しながらしばらく行くと、金剛山のバス停が見えてきました。
    その手前の赤い鳥居が登山口です。9:05。

    赤い鳥居をくぐると後は明瞭な踏み跡のある登山道でした。
    小さな沢をしっかりした木橋で渡り、植林帯をジグザグに登っていきます。
    やがて道は直登になり、ひと登りで金剛山。9:30。
    金剛山神社の小さな祠があり、説明書きがありました。
    火伏せの神様なんだなあ。
    木立に囲まれ、展望はあまり良くないですが、ベンチがあり、休憩適地でした。

    さて、縦走路に戻り、道しるべを確認して、次は「峰への分岐」を目指します。
    5分とかからず分岐に到着。
    ここで、縦走路からいったん外れ、分岐を左へ。
    1分で「峰」に到着。
    木立が切れて、左手に展望が広がりました。

    さらに道しるべの通りに2分ほど先に進むと八坂山。9:40。
    ここからは「富士山が見える」とガイドブックにあり、楽しみにしていたのですが、なるほど見えることは見えても、てっぺんの平らな部分がちょっと見えるだけでした。
    「うわー、富士山なんか1cmくらいしか見えないよ」
    と独り言。
    その1cmとは、何を基準とした、どういう縮尺の1㎝ですか!
    自分のつぶやきに自分で突っ込みを入れつつ、そこにあった低いベンチに座ってちょっと休憩。
    下に見える町と山々とのバランスが良く、低山らしい眺めで、寄り道した価値はありました。

    分岐まで来た道を戻り、縦走路を先に進みます。
    少し道は細いですが、気持ちの良い尾根道が続きました。
    しばらく行くと、杉峠。
    ここにもしっかり道しるべがありました。
    小さい道しるべですが要所要所にあり、最近整備された印象です。

    ここを右折。
    またも縦走路と別れ、今度は鉢岡山へ寄り道です。
    しばらく行くと右に民家があり、車道が突き当たってきます
    そのまま直進し、舗装されていない、車がギリギリ1台通れる林道を行きます。
    林道をどんどん行くと、左に駐車スペースがあり、そこからは道は少し細くなり山道らしくなってきます。
    送電鉄塔の横を通っていくと、右手に骨組みだけの2階建ての廃屋があり、その少し先の左には白い乗用車が廃棄されていました。
    何がどうなるとこんなところに車を廃棄することになるんだろうと首を傾げながらしばらく行くと、展望台でした。
    丹沢方面の展望が広がりました。
    上の画像がそれです。

    この先、登山道には細い丸太が横たえられていて、これは侵入禁止という意味なのかなとも思いましたが、その先の踏み跡も明瞭でしたので、とりあえず行ってみることにしました。
    道はときどき細くなり、笹竹などの丈が高く、少し不安になりましたが、踏み跡は途切れることはありませんでした。
    登っていくと、鉢岡山山頂。10:30。
    ここが本当の山頂なのでした。
    杭の形の山頂標識が斜めに傾いていて、電波塔がどーんと立っている山頂です。
    笹竹が育ちすぎて、展望はありません。
    先程の展望台までで十分だったかなあと感じながら、来た道を戻りました。

    戻っていくと、本日1人目の登山者と遭遇。
    「良いお天気ですねえ」
    と挨拶を交わしました。
    今日は、結局、その人1人としか出会いませんでした。
    静かな山です。

    杉峠まで戻りました。10:50。
    ここからまた縦走路を行きます。
    春めいたぽかぽか陽気の明るい日差しの下、尾根道をのんびりと歩いていき、日連山。11:10。
    展望もなく、ベンチもなく、狭い山頂でした。
    ベンチがあったらここで早めのお昼にしようかと思いましたが、どうもそういう雰囲気の場所ではないので、先に進みました。

    さらに5分歩いて、宝山。11:15。
    日連山と同じ雰囲気です。
    カラスが木の枝にとまっています。
    これは、山の中でお昼ご飯を食べるのは、今日は諦めよう。
    昼前に下山しそうですし。

    さて、ここからの下りが、このコース唯一の難所でした。
    最初は木段の下りですが、だんだん傾斜がきつくなり、やがて、ローブの張ってある下りとなりました。
    トラロープの他、新しい白く太いロープで整備されていますので、落ち着いて足場を選び、ロープに頼り切らないようにして降りれば大丈夫でした。
    難所はそこだけで、それもほんの短い距離でした。

    一昨年の4月に九鬼山から猿橋駅近くの御前山へと縦走したときは、こんな道が延々と続いてすっかり心が折れたなあ。
    そんなことを思い出しながら下りていくと、今までより広めの登山道に出て、そこも道しるべの通りに左に進んでいきます。
    崖っぷちの道がしばらく続きます。
    ときどき道が細くなるので、私はこういうところのほうが苦手だなあ。
    でも、そうした道もすぐに終わり、舗装道路にポンと出ました。
    ここも登山口を示す新しい小さな道しるべが立っていました。
    舗装道路を左に進み、車がときどき通るのに気をつけていくと、日連神社が見えてきます。
    ガイドブックの通りに、その手前で道が二股に別れるところで右に下り、細い舗装道路をとことこ歩いていくと、県道に出て、そこは左へ。
    日連橋を渡り、少し先の三叉路では右の舗装道路をゆるく登っていくと、朝歩いた県道に出ました。
    日連大橋を渡って、藤野駅へ。12:25。

    一泊の山でもあるまいに、お昼どきに下山とは。
    春期講習と新学期準備の仕事がたまっているので、これは早めに帰って仕事をしろということでしょうか。
    2週間前の金剛山とあわせて両方一度で歩くと良いのかもしれませんか、そうなると今度はコースタイムは8時間近くなり、日没との闘いになりそうですね。

      


  • Posted by セギ at 12:32Comments(0)