たまりば

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2018年10月31日

方べきの定理。



高校数A「図形の性質」の重要定理、最後は「方べきの定理」です。
上の画像の左図を見てください。
円の2つの弦、AB、CDの交点をPとすると、
PA・PB=PC・PD

これが方べきの定理の基本です。
交点Pが円の内側にあるときが左図。
真ん中の図は円の外側に交点があるときですが、式は同じです。
PA・PB=PC・PD

この2つの図は、交点と弦の両端との線分同士をかけるのだというイメージを大切にすると共通のイメージを持ちやすく覚えやすいです。
これの特殊な例が右図で、1つは弦、もう1つは円の接線となっている場合です。
弦ABと接線PTとの場合は、
PA・PB=PT2

パターンは、この3つです。
証明は、いずれも、三角形の相似を利用します。
左図の場合は、
△PACと△PDBにおいて、
対頂角は等しいから、
∠APC=∠DPB
等しい弧の円周角は等しいから、
∠CAP=∠BDP
2組の角がそれぞれ等しいので、
△PAC∽△PDB
よって、PA:PD=PC:PB
内項の積=外項の積なので、
PA・PB=PC・PD

他の2つも、三角形の相似を利用する流れは同じで、角が等しいことを示すための根拠が上の証明とは異なるだけです。
円に内接する四角形の定理だったり、接弦定理だったり。
共通の角だったり。

方べきの定理は、その名称に違和感を抱く人もいます。
チェバの定理ならば、どうせチェバという数学者が発見したんだろう、で済ますことができますが、「方べき」と日本語で言われると聞き慣れない言葉なので違和感があるのですね。
「方」は平方、立方などの「方」。
累乗を意味します。
「べき」は「冪」と書き、これは箱を意味する語。
等しい面積の長方形の2辺の長さを示す定理。
ある正方形と等しい面積の長方形の2辺の長さを示す定理。
そのようにイメージしておくと、名前と定理の内容が一致しやすいと思います。

方べきの定理は、覚え間違えてしまうことが案外多いです。
3つの図とも交点Pから式が始まるという共通点を強く意識するのがポイント。
そこを意識せずに別々に覚えると、覚え間違えてしまう可能性が高まります。
左の図を、AP・PB=CP・PDというイメージで覚えてしまい(これ自体は間違いではないです)、その影響で、真ん中の図を、PA・AB=PC・CDと間違って記憶してしまう人がいるのです。

こういうことは、ちょっとした覚え方が大きく影響します。
繰り返しますが、方べきの定理は、全て、交点Pから式が始まります。
その共通点を強く意識すれば、3つのパターンは、全く別のものではなく、根本は同じものであることが見えてきます。

方べきの定理は、センター試験でよく用いる定理です。
センター過去問などを解いていて、方べきの定理を使うと知ると、
「あー、方べきかー。気づかなかったー」
とつぶやく子は多いです。
円に関する問題を解く際に、方べきの定理を使う可能性は極めて高いです。
方べきの定理が、いつも使える状態で頭の中にあるでしょうか?
自力で発想できる状態、使える武器の状態で方べきの定理が頭の中に存在していれば、気づくことができると思うのです。

図形が苦手な子と一緒に問題を解いていて、
「どういう定理を使える可能性がある?間違っていてもいいから、何でも思いつくものを言ってみて」
と声をかけても、何も出てこないことが多いです。
「使える使えない関係なく、知っている定理の名前を全部言ってみて」
と声をかけても、やはり何も出てきません。
残念ですが、その状態では解き方を発想できる可能性はほとんどないと思います。
とにかく、定理の名称を言えと言われたら、学習した定理の名称をズラズラと並べたてられるようになるまで暗唱してください。

高校数Aで学習する定理のうち、重要なものは限られています。
三角形の五心に関する定理。
角の二等分線の定理。
接弦定理。
チェバの定理。
メネラウスの定理。
方べきの定理。

それに、数Ⅰで学習している三角比の正弦定理や余弦定理、中学で学習済みの三平方の定理など。

それらが頭の中に列挙されるなら、
今回はどれを使う?
どれなら使える?
と、吟味できます。
図形の解き方は、空から降ってくるように発想できるわけではありません。
頭の中にある定理を吟味するのです。
図形問題が得意な人は、そんなことをしていないように見えますが、それを瞬時に、ほぼ無意識にやっています。
この作業に慣れているため、吟味していることを本人が自覚することもないほどのスピードで使える定理を選び出し、すぐに解きだしているのです。

もう 1つ。
現行のセンター試験では、図形問題の図も自分で描く場合があります。
その図が下手過ぎて、解き方が発想できない。
そう嘆く人が多いです。

図が実際と異なってしまうのは、3辺の長さから鈍角三角形であるとわかるのに、鋭角三角形を描いてしまっているなど、描き出しのミスのため、その後の全てに無理が生じていることが多いです。
そんなに厳密に指示通りの長さで描く必要はないですが、あまりに指示と異なる長さや角の大きさで描かないほうが後が楽です。
また、正確な図を描こうとして、デッサン的なヒゲ線の多い図を描いてしまう人や、ぐりぐりとなぞってしまう人もいます。
シンプルな1本の線で円や直線を描いたほうが見やすいです。
余計な線は、見るときに邪魔です。
フリーハンドでは円や直線が描けない、とひるまないで。
上の画像は、私がフリーハンドで描いたものです。
こんなもんで大丈夫です。
これくらいなら、誰でも描けるはずです。
あとは、図の大きさ。
私は、円は直径5cmくらいのものを描きます。
どうせ、問題が進むにつれてごちゃごちゃとさらに線分が加わるのはわかっています。
直径3cmの円では、追加の線分に耐えられないかもしれません。
線分が重なり、角が明確に見えてこなくなります。
あるいは、どの線分も平行に見えてきたりします。
結局、大きく正しく描く自信がないので図が小さくなるのだと思いますが、下手でも大きく。
ヒゲ線抜きで、下手でも大きく。
使える図は、そういう図だと思います。
また、追加の線分に自分の図が耐えられないと感じたら、もう1枚描きましょう。
例えばメネラウスの定理を使うとわかったら、使う三角形と線分だけ抜き出して描いてみても良いと思います。
そんな時間はない?
図をサッと描ければ、時間はかかりません。
1本の線で短時間でサラッと正確な図を描く。
図を描くのに時間のかかる子の様子を見ていると、円を正確に描けない、真っ直ぐな線を引けないということにこだわりが強く、幾度も線を引き直しています。
こだわりが強いわりに練習不足なのだと思います。
こだわりを捨てるか、練習するか。
こだわりを捨てたほうが早いと私は思います。

  


  • Posted by セギ at 11:58Comments(0)算数・数学

    2018年10月29日

    奈良倉山・鶴寝山・大マテイ山を縦走しました。2018年10月。


    2018年10月28日(日)、2年ぶりに大マテイ山を歩きました。
    三鷹発7:22、高尾で中央線に乗り換えて、上野原8:26。
    バス停は北口。
    階段を下りていって、驚きました。
    上野原駅はすっかりきれいに改築され、駅前には整備されたロータリーが広がっています。
    うわあ、浦島太郎の気分。
    元来た家も村もなく。
    でも、ロータリーのところに、小菅村の職員の方が立っていて、
    「三頭山に登る人いる?じゃあ、これ持っていってね」
    と、略地図のコピーを渡している光景は2年前と同じでした。
    今回も、小菅の湯の割引券をいただきました。

    松姫峠行き。8:32。
    松姫峠までいくバスはこの1本しかありません。
    「松姫行き1日1本」と、懐かしのNHK人形劇『ネコジャラ市の11人』の主題歌を心の中で口ずさみながらバスは出発。
    まだ紅葉の季節には少し早いので、バスはそんなに混雑せず、空席もありました。
    1時間ほどののんびりとしたバス旅です。
    バスは市街地を抜け、山へと入っていきました。
    ヘアピンカーブが続きます。
    あれ?
    山の上のほうは、紅葉が始まっています。
    標高が高くなるにつれ、道路脇のカエデも、半分紅葉している木が現れました。
    わあ、これは、予想外。
    人が少ない中で紅葉を堪能できそうです。

    鶴峠。9:40。
    下りた人は10人ほどでした。
    しかし、皆、道路の反対側、三頭山登山口のほうに向かっていきます。
    奈良倉山のほうが人気があると思ったのに、私1人でした。
    バス停のすぐ前が奈良倉山登山口です。
    縦書きの渋い登山口の表示があります。
    よく整備された坂道を登っていきました。

    子ども向けの自然教育の掲示が立っています。
    しかし、その掲示板にはナタのようなものでえぐられた傷が。
    「これ何だ?」
    と矢印でその傷を示す掲示があり、
    「正解 ツキノワグマがやったものです」
    おいおいおい・・・・。
    熊鈴を良く鳴るようにザックに付け替えました。

    舗装されていない林道とそれをショートカットする登山道。
    坂道が続きますが、それほどの急登はありません。
    やがて道は林の中に入りました。
    薄日の中も登山道は紅葉で明るい。
    秋の林の中を軽く彷徨う気分で歩いていきます。
    紅葉を熱心に撮影している登山者が時おり前方に現われ、道を譲っていただきながら、林の奥へ奥へと進んでいきました。
    坂道をジクザグに登り、林の向こうに空が見えて、奈良倉山山頂。10:45。
    広い山頂にはいくつものパーティが休んでいました。
    少し下がったところは伐採されていて、展望地になっています。
    ベンチに座って、煮炊きを始めている人も。
    ここは富士山の展望地だそうです。
    予報ほど晴れず、富士山は見えませんでした。

    さて、今日は行程が長いので、ひと息ついてすぐに出発。
    松姫峠に向かいます。
    緩やかに下っていくと、紅葉の林。
    上の写真がそれです。
    光が足りず、目に見えているほどの鮮やかな写真にならないのが、残念。
    足許には黄色い落ち葉。
    時おり混ざる赤い葉が鮮やかな明るい秋の山道です。

    道は舗装されていない林道に出ました。
    林道をゆるくくだっていくと、分岐。
    どちらも松姫峠に行きます。
    右は少し遠回りの、登山道。
    林道を選びました。
    後半、登山道と並走していく道となり、松姫峠。11:25。
    ここは朝乗ってきたバスの終点。
    バスはまだ駐車場に停まっていました。
    13:15に、1日1本の上野原行きとして出発するのでしょう。

    ペーパーも整備されたバイオトイレに入って、さてここからは2年前にも歩いた道です。
    やはり縦書きの渋い「牛ノ寝 大菩薩峠登山口」と書かれた道しるべを見て、枯葉の積もるゆるい坂道を登っていきました。
    道はニリンソウの群生地を通るコースを右に分け、やがて急坂となって、鶴寝山山頂。11:50。
    ベンチが2つある、こじんまりとした山頂でした。
    雁ヶ原摺山の稜線が見えます。
    晴れた日は、その向こうに富士山が見えるそうです。

    さて、ここからいったん尾根を下ります。
    緩く下っていくと、分岐。
    道しるべが立っています。
    「巨樹のみち」と「日向みち」。
    どちらも大マテイ山へと通じています。
    今回も2年前と同じ巨樹のみちを選びました。
    2年前は紅葉の終わり頃に訪れたのですが、そのときと同じくらい道には枯葉が積もっています。
    踏む人が少ないのか、道は一部不明瞭でした。
    よく目を凝らし、足元を確かめながら下っていくと、休んでいる人が。
    「あ、そっちの道、壊れているよ」
    と声をかけられました。
    「壊れている?」
    「倒木でね、道がなくなっちゃっているんだよ。ほら、こっちから歩けるから」
    「え?」
    「向こうに、大きな木が見えるでしょう。あれに向かって歩いていくと、元の道と合流できるから」
    踏み跡はなく、ここが道だと全くわからない状態でした。
    礼を言って進んでいくと、確かに、大きな木の先からは踏み跡があり、ゆるく登っていくのでした。
    さらに行くと、分岐。
    「山沢入りのヌタ」と呼ばれるところです。
    2年前は、間違えて尾根よりはるかに下がった崖っぷちの道を歩いてしまいました。
    ここで道は3つに別れ、右に下っていく道は「栃の巨木コース」。
    小菅の湯への近道ですが、危険個所があるらしいです。
    左に登っていく道は、前回選んでしまった、尾根道と見せかけて大マテイ山を巻いてしまう崖っぷちのまき道でしょう。
    よく確認し、真ん中の尾根道を選択。

    ガイドブックによれば、尾根道はさらに南面ルートと北面ルートに分かれて、両方とも大マテイ山山頂に向かうそうなのですが、歩きだした尾根道は、自然に北面コースにつながっていきました。
    枯葉は積もっていますが、踏み跡は比較的明瞭です。
    尾根から一段下がったまき道でしたが、斜面が緩いため道は細いもののそれほど怖くはありません。
    見上げる尾根は、ところどころ倒木が折り重なっているのが見えました。
    少し前の台風の被害でしょう。
    この季節にしては枯葉が多いのも、台風の影響なのだと思います。

    踏み跡をずっとたどっているのですが、尾根に登る道は見つかりませんでした。
    そのうち道が下り始め、あれ?と思うと、道しるべ。
    ああ、やはり、大マテイ山を巻いてしまったようです。
    道しるべに従い、そこから登り返すことができ、5分ほどで山頂へ。12:40。

    大マテイ山の名は、一説に「大迷い」から転化したものと言われるほどですから、このくらいの迷い方で山頂を踏めれば、まあ助かったと思います。
    前回は、山の南の崖っぷち道から随分な急登を登り返してやっと山頂にたどりつきました。
    今日、山頂の道しるべを見ると、その方向を示す「大ダワ」にはテープでバツ印がつけられていました。
    通行不能のようです。
    それも台風の影響でしょうか。
    尾根道を示す道しるべにもバツ印がついていました。
    今は、尾根を歩けないんだなあ。
    折れ重なった倒木を片付けないと無理ですよね。

    ベンチに座って昼食休憩。
    ここはもともと眺望はそんなにない山ですが、樹木の様子がしみじみと良い風情です。
    今日はアルファ米のドライカレーを朝、家で水を入れて持ってきました。
    ピリッと辛く、疲れていても食べやすいです。
    ポットに詰めて来た、食後のコーヒー。
    ようやく温かいものを山で飲む気候になりました。

    さて、下山。
    先程の道を戻り、道しるべに従って細いまき道を進みます。
    2年前の道の記憶とまるで違っているので、道しるべだけが頼りです。
    大マテイ山をずっと巻いていき、北の崖っぷち道と合流すると、すぐに大ダワ。13:05。
    棚倉小屋跡とも呼ばれる小広い平地です。
    良かった。見覚えのあるところに出ました。

    ここから、大きく右に折れて、また崖っぷちの道が始まりました。
    ここは、切れ落ちている崖っぷち道で、今までよりも高度感があります。
    でも、この春に歩いた檜原都民の森から月夜見山への道や、水根沢林道と比べたら、何てことないさ。
    道幅があるということは、こんなにもありがたいこと。

    とはいえ、たまに道は細くなり、下り坂になり、途中に桟道もありました。
    そういうところは用心してそろそろと通過。
    もう1つ桟道を越え、やがて道は大きく右に旋回して下り始めました。
    歩きやすくなり、もう怖くないかなと思うと、再び崖っぷちの道。
    しかも、倒木で道が壊されている箇所がありました。
    道の外側半分は倒木とともに一段下がってグチャグチャになっています。
    うわあ。ここに足を置くのは危険では?
    木の根が横に張っていたので、それを支えに、残っている登山道に足を置いて何とか通過。

    どんどん下って、モロクボ平。13:50。
    道しるべに従い、田元・小菅の湯方面へ。
    広く平らな尾根に枯葉が積もり、道を見失いかけましたが、赤テープに救われました。
    ここからはジグザグに斜面を降りていきます。
    植林帯に入ると、倒木が目立つようになってきました。
    伐採された木が斜面を滑り落ちて登山道を塞いでしまったようです。
    1本なら軽くまたいで通過できますが、4本まとめて登山道を塞いでいる箇所もあり、一瞬通行止めの可能性を疑いました。
    しかし、やろうと思えばまたげるものですね。
    ここをまたがないと下山できないのですから、もう必死です。

    九十九折りの道をどんどん下っていくと、自動車の音や沢音が近づいて来ました。
    作業小屋の屋根の横を通過し、登山道はようやく平らに。
    小さい道しるべに沿って左に曲がり、コンクリートの小さな橋を渡ると、舗装道路に出ました。
    そこから、道は再び未舗装の道を通ったりもしますが、もう基本は歩きやすい道。
    ただ、登り坂なのがちょっときついです。
    最後の最後に急な登り。
    息が切れる頃、小菅の湯の建物が見えてきました。14:40。

    入口左手が下駄箱。
    下駄箱の鍵を受付に渡し、入浴料を払って脱衣所のロッカーの鍵をもらいます。
    脱衣所までの廊下が長い。
    曲がり角の右側にザック置き場があったのですが、それは帰り道に気づき、ザックを持ってそのまま脱衣所に入ってしまいました。
    ロッカーには、ザックは入りきらなかったので、貴重品はロッカーに入れ、それ以外はザックごと脱衣所の隅に置かせてもらいました。

    洗い場は、空いていました。
    お湯は、内湯は普通の湯。ジェットバス。寝湯。打たせ湯。
    外は普通の露天、ハーブ湯。
    お湯はトロトロのアルカリ泉です。
    お風呂上がり、玄関の下駄箱と反対側に酒類の自販機。
    麦とホップ350mL、250円。
    靴を履いて外に出ると、玄関のすぐ左手にバス停があります。
    バス停の横にザックを置き、ベンチに座って発泡酒を飲みました。
    ほどよく冷たい風に、風呂上がりの汗がすっと引いていきます。
    至福のひと時。
    出発5分前、バスが入ってきました。
    15:25、定刻に発車。
    ここから1時間20分の長い長いバス旅です。
    一番前の1人がけ席に座りました。

    今朝下りた鶴峠バス停。
    往路も復路もバス停は共通なので、1人が道路まで出て、手を振ってバスを止めていました。
    8人ほどがここで乗車。
    運転手さんが無線でやりとりしています。
    反対方向からやってくる、次のバスの運転手さんと交信している様子です。
    細い道だから、どこですれ違うのか、打ち合わせが必要なんだろうな。
    しかし、それだけでなく、反対方向からの運転手さんは、どこのバス停で乗客がどれだけ待っているという情報を伝えてくるのでした。
    「乗れば乗れるけれど」
    と、こちらの運転手さんの反応。
    「こちらから連絡しておきます」
    と、向こうの運転者さんの応答。
    郷原というバス停に、10人ほど待っていました。
    笹尾根から降りてきた人たちでしょう。
    バスの席は埋まり、立っている人も目立つようになりました。
    そのまましばらく行くと、増発バスが待機していました。
    立っている人たちは、そのバスに移動していきました。
    乗れば乗れるけれど、バスを増発してくれたんですね。
    サービスいいなあ。

    上野原駅。16:47。
    朝のロータリーにバスは到着。
    そこからの階段の登りの多さが、歩き疲れた身体に応えました。
    ここは土合駅かと言いたいほど。
    高尾行きの電車はすぐにやってきました。
    行楽客で、本日も帰りの電車は満員でした。
      


  • Posted by セギ at 14:53Comments(0)

    2018年10月24日

    11月10日(土)、大人のための数学教室を開きます。


    10月20日(土)の大人のための数学教室は延期となりました。
    次回は、3週間後の11月10日(土)に開催予定です。

    さて、授業が進みませんでしたので、今回も余談です。
    今回は対称式の話。
    対称式とは、文字式で、文字の値を入れ替えても式全体の値が変わらないものをいいます。
    例えば、x2+y2などがそうです。

    対称式の問題は、多くの単元に登場します。
    平方根と対称式。
    三角比と対称式。
    虚数と対称式。
    新しい事柄を学習する度に、それとからめて対称式の値に関する問題を演習します。
    しかし、対称式の問題を苦手とする高校生は多いです。

    対称式の計算は、発展的なテキストでは中学3年から登場します。
    例えば、こんな問題です。

    問題 x+y=3、xy=2であるとき、x2+y2の値を求めよ。

    x2+y2
    =(x+y)2-2xy
    =32-2・2
    =9-4
    =5

    上の式の1行目から2行目への転換がわからないという子は案外多いのです。
    無いものを足して、その後同じものを引いて辻褄を合わせる、その考え方が難しいのだろうと私は思っていました。

    実際、この考え方を利用する2次関数の平方完成でも最初は苦労する子がいます。
    例えば、2次関数 y=x2+4x+7 を、
    y=(x2+4x)+7
    =(x+2)2-4+7
    =(x+2)2+3 
    と平方完成する際にも、最初は何をやっているのか理解できず、かなり補助が必要な子はいます。

    しかし、習得まで時間がかかることはありますが、2次関数の平方完成に関しては最後まで理解できないということは少なく、大抵の高校1年生ができるようになる作業です。
    平方完成に関する練習問題は豊富にあるので、自力でできるようになるまで練習できるから、ということもありますが、それだけでなく、対称式の値に関する問題ほどの激しい抵抗感を示さずに理解するのです。

    この2つは、わかりやすさという点で、何が違うのでしょう?
    不思議です。
    つまずきやすい理由がわかっていれば、事前にそこを強調し、
    「そこに石がある。そこにつまずくから注意して」
    と促していけるのです。
    しかし、教える側には、平らな道に見えるところでつまずく子がいるように感じることがあります。
    平らな道なのにそこでつまずく子が多いことだけは現象としてわかっているのです。
    なぜなのかはわかりません。
    目を凝らしても、つまずく石は見えない。
    教えることの難しさの1つです。

    これは以前、中学3年生に理科を教えたときのこと。
    「塩化銅水溶液が青く見えるのは、あるイオンが原因です。そのイオン名を答えなさい」
    という問題を解いたときのことです。
    正解は銅イオンです。
    その子の誤答は「水素イオン」でした。
    しかし、その子は納得しませんでした。
    「水素イオンじゃないんですか?水素イオンは必ずあるって学校で言われた」
    「・・・・水素イオンは水溶液中にあるけど、青く見える原因ではないですよ」
    「酸性は青いって学校で言われた」
    「うん?どういうこと?」
    「・・・・銅イオンが青いのは、覚えなければならないことですか?」
    「まあ、そうですね」
    「何だよ、いちいち覚えるのかよ。学校では、理科は暗記するなと言われた」
    「・・・・うん?」
    その子の言うことは一言一言の飛躍が激しく、あっという間に怒り出していました。

    彼の中で、いくつかの知識が頭の中で癒着し、妙なつながり方をしているようでした。
    水溶液の中には水素イオンがある。
    水素イオンがあるものは酸性。
    酸性は青い。
    最後の「酸性は青い」が特に謎なのですが、とにかくこの論法でいくと、塩化銅水溶液を青く見せているものの正体は水素イオンということになってしまうのでした。
    この誤解を解くのはかなり大変でした。

    「わからない」というのは、論理を追えないことではないのかもしれません。
    少し複雑な論理だから途中で迷子になっているのだろうとこちらは思い、ゆっくり説明したり繰り返したりしても、生徒の理解が進まないときがあります。
    「どこからわからない?」と質問します。
    板書の1行ずつを示しながら、あるいは、論理を細かく段階に区切りながら、「ここまではわかる?」と確認しようとします。
    どこからわからないのか、どこから説明すればいいのか。
    しかし、こうした指示に反応してくれず、生徒が何か別のことをずっと言い続けることがあります。
    論理の癒着がその子の中で起きている場合に、そうなることが多いようです。
    他人にはその論理は追えません。
    でも、その子は論理的なことのつもりで話しているので、私が怪訝な顔をすればするほど、むしろ私を説得しようとします。


    対称式の問題でも、先日、そんなことが起こりました。

    問題 x+y=3、xy=2のとき、x2+y2の値を求めよ。

    x2+y2
    =(x+y)2-2xy
    =32-2・2
    =9-4
    =5

    「それ、最初に入れたらダメ?」
    この問題を解説していたとき、そう質問されたのです。
    最初に入れる・・・・?
    「最初に入れるって、どういうこと?」
    「最初に2乗したらだめ?」
    「うん?どういうこと?式を言ってみて」
    具体的な式を言ってくれれば、最初に入れる、最初に2乗するとは何をすることなのか、わかるかもしれません。
    しかし、それには答えてくれず、何かをずっと説明しているのですが、よく意味がわからないのです。

    授業はここで膠着するか?
    でも、この件に関して、以前に、私は大人のための教室で、重要なヒントを得ていました。

    x2+y2
    =(x+y)2
    =32
    =9

    私はそう板書して、その子に問いかけました。
    「こういうこと?」
    その子の顔がパッと輝きました。
    「そう!そういうこと」
    「・・・うーん。これは間違っています。どこが間違っているか、わかりますか?」
    「えっ?」

    その子は、何を誤解していたのか?
    x2+y2=(x+y)2
    だと思っていたのです。
    x2+y2
    =(x+y)2
    =32
    =9
    と、最初に数字を入れて2乗すれば済むことなのに、なんでまわりくどい計算をしなければならないのかと、それを訴えていたのでした。

    x2+2xy+y2=(x+y)2 です。
    因数分解の公式ですから、当然わかっていると教える側は思いこんでいます。
    しかし、当人は、x2+y2=(x+y)2 
    だと、そのときはなぜか思いこんでいるので、対称式の問題の説明が理解できません。
    x2+y2=(x+y)2 
    とすれば済むことを、なぜまわりくどい変な解き方をしなければならないのかと不思議に思い、正しい解き方が理解できないようなのでした。

    x2+2xy+y2=(x+y)2
    という因数分解の公式は知っているのです。しかし、同時に、
    x2+y2=(x+y)2
    だとも思っている。
    知識が二重構造になっていて、上の2つのことが頭の中に同時に存在している。
    それはそれ、これはこれ、になってしまっているようでした。

    乗法公式を学習する前の、例えば文字式を学習し始めたばかりの中学1年生に解かせたら、
    (x+y)2=x2+y2
    としてしまうと思います。
    そうしてしまう感覚が、乗法公式を学習した後も残ってしまうのだと思います。

    (x+y)2=x2+y2 ではありません。
    数字を代入してみるとわかります。
    (3+2)2=52=25 です。
    32+22=9+4=13 
    とは異なります。
    しかし、そう説明しても、
    それは、最初に(  )の中の3と2を足してしまうからそうなるので、別々に計算すれば、違う結果になるのでは?
    小学生ならそう思ってしまう子もいるかもしれません。

    ルールに従っている限り、どこからやっても同じ結果になる。
    それが数理の根本です。
    いや、そうではないことがあった気がする。
    自分はそうではなかった場合を経験している。
    変だなあと思ったけれど、まあ仕方ないと諦めた気がする。
    数学に対して、こうした根本の不安定さや不信感がある子は、案外多いのだと思います。

    このことは、大人のための数学教室で私が教わったことでした。
    大人のための数学教室では、2次式ではなく、
    x3+y3=(x+y)3
    という思い込みがもとで、3次式の解と係数の関係に関する問題が理解できない場面があり、長いやりとりの末、この誤解が発見されました。
    そうではないことも知っている。
    しかし、そうだとも思っている。
    あるいは、そのときだけふっとそう思ってしまう。
    そのときだけは、そう思い込んでしまっていた。
    そういうことだったようです。

    しかし、2次関数の平方完成では、普通、そのような誤解が顔を出しません。
    x2+6x+7
    =(x+3)2-9+7
    =(x+3)2-2
    という作業は誰でも比較的すんなりと理解できるのです。
    xと数字なら大丈夫だが、xとyだと誤解が顔を出す。
    同じことなのですが、違うように見えるようです。
    xと数字なら、xが主体で、数字は添え物的な見方になるが、xとyだと、対等の印象があり、見え方がまた違ってくるのでしょうか。
    そうした見え方の偏りが、数学のわかりにくさの正体なのかもしれません。

    x2+y2
    =(x+y)2-2xy

    この解き方の理解を妨げるものの正体。
    それは、この解き方の難しさにあるのではなく、本人が何か間違った思い込みをしているため、正しい理解が妨げられている。
    つまり、間違った思い込みが解消されれば、この問題は解けるようになるのです。

    難しいから、わからないのかなあ・・・・。
    教える側が勝手にそう思い込んで諦めてしまうことの多くの中に、こうした単純な障壁さえ取り除けば簡単に理解できることがあるのかもしれません。

    次回の数学教室のお知らせです。
    ◎日時  11月10日(土)10:00~11:30
    ◎内容  数Ⅱ「図形と方程式」を続けます。p.48例題14の解説から。
    ◎場所  セギ英数教室
           三鷹市下連雀3-33-13
             三鷹第二ビル 305
           春の湯さんの斜め前のビルです。
    ◎用具   ノート・筆記用具
    ◎参加費 2,000円
           当日集めさせていただきます。
    ◎予約  私の携帯メールかLINEに、ご予約をお願いいたします。






      


  • Posted by セギ at 11:44Comments(0)大人のための講座

    2018年10月22日

    百蔵山・扇山を縦走しました。2018年10月。


    2018年10月21日(日)。久しぶりの快晴の日曜日、中央線沿線の山を歩いてきました。
    百蔵山と扇山を歩いたのは、4年前の12月。
    あの日は昼食時も手袋を外せないほど寒い日で、斜面にシモバシラの氷花が見られましたが、今日はポカポカ陽気で、日向は暑いくらいです。

    三鷹発7:48。高尾駅で乗り換えて、中央線猿橋駅下車。8:52。
    北口に出るとすぐ、駅前にバスが入ってきました。
    9:00、バス出発。
    9:10、百蔵山登山口下車。
    三叉路を左に入り、自販機前のスペースで山支度。
    そこからしばらく舗装道路の坂道が続きます。
    かなり急な登り坂です。
    しばらく登って振り返ると、大きな富士山。
    もう五合目まで雪に覆われ真っ白な富士山でした。

    途中で再び道は三叉路に。
    左の道は「百蔵山」、右の道は「百蔵山・扇山」の道しるべが壁に貼り付けてあります。
    もう十年以上前に、右の道を行って、ロープにすがって登る荒れた急坂だった記憶があるので、今回も左の道を選びました。
    今は整備されているのかもしれませんが。

    さて、左の道は舗装された急坂がまだまだ続きました。
    「侵入禁止」の掲示もありますが、それは林の中に入るなという意味のようです。
    私有地なのでしょう。
    舗装が切れて、ようやく登山口。9:25。
    水道タンクの横、沢沿いの薄暗い細い道に入っていきます。
    登山者を数えるカウンターが置いてありました。
    1回チンと押して先へ。
    沢沿いの道は記憶の通りだったのですが、その先の道が記憶と随分違って戸惑いました。
    季節が異なるため、道が違って見えるのでしょうか。
    いや、道の幅も全く違うような気がするのですが。
    登山道が付け替えられたのかなあ?
    歩きやすい良い道でしたが。

    前を行く高齢の男性2人に追いつきました。
    ゆっくり歩きながら静かに話しています。
    「もう1つの候補は、どういう山だったの?」
    「ああ。倉岳山。孫がこの前遠足で登ったというんでね。どんな山かなと思ってね」
    「ほお」
    「ここらの小学生が遠足で行く山なんだろうね」
    「うん」
    足元に咲くコウヤボウキ。
    歩調も会話もゆっくりのこのペースが、秋の山に似合っていました。
    少し道が広くなったところで、道を譲っていただきました。

    稜線鞍部。10:05。
    まっすぐ並ぶ木の向こうに、大きく富士山。
    足許に目を落とすと、中央自動車道、大きな川と橋、大月の街並み。
    箱庭のような眺めです。
    ベンチが1つあり、休憩適地です。

    さて、ここから稜線歩き。
    そう思っていたのですが、別れ道の度に踏み跡の明瞭なほうを選んでいくと、稜線から離れ、まき道に入ってしまいました。
    ここも、記憶にない道です。
    道に迷ってしまったかなあ?と不安にかられた頃、道しるべが出てきて、少し安心。
    感覚的にはかなり回り道になっているような印象がありましたが、ともあれ無事に百蔵山山頂へ。10:35。

    広い山頂です。
    思い思いにビニールシートを広げて、早くも煮炊きを始めているグループも。
    小型の草刈り機のエンジン音。
    釜を手に草を刈る人々。
    地元有志か、それとも山の会の方がたでしょうか。
    この山もこうして大切に整備されている山。
    この地域の子どもたちが遠足に来る山なのでしょう。
    春には山頂で桜が咲く、お花見の山のようです。
    大きな富士山を堪能し、さて、ここから扇山へと縦走します。

    登ってきた道なりに、まずは緩やかに下っていきましたが、道はだんだん急に。
    やがて、立って歩くのが大変なほどの急な下りになりました。
    しかも右側は崖です。
    難所はここしかないから、頑張ろう。
    そんな思いで何とか通過しました。

    急な下りの後は、ほぼ平坦、あるいは緩い下りの良い道が続きました。
    たまに痩せ尾根があります。
    落ち着いて通過すれば大丈夫です。

    独立した2つの山をつないで歩いているので、いったんかなり下り、それから登り返します。
    扇山が近づいてくると、道は記憶にある箇所が多くなりました。
    ああ、これは知っている道だ。
    記憶の中の道は、落ち葉の降り積もる冬枯れの道。
    しみじみとして歩きやすい道。
    しかし、目の前に広がる道は、記憶と同じ道ですが倒木が多い。
    この前の台風のせいなのか、それとももっと前のものなのか、しばしば倒木が道を塞いでいます。
    台風のとき、この山はどんなふうだったのだろう。
    倒木がそれを思わせます。

    倒木をまたいだり、くぐったり。
    「しみじみ」とはちょっと違う印象になってきました。
    またぐのか、くぐるのか、どっちなのかちょっと微妙な高さの倒木が続きます。
    アスレチック気分で、越えていきました。

    道は、長く緩い下り坂に。
    これから登り返す山が見えているときの下り坂は、あまり嬉しくないです。
    向こうから歩いてくる人とすれ違うことが増えてきました。
    反対回りに歩くのと、どちらが楽なのだろう?

    やがて、記憶に強く残る急坂が始まりました。
    大久保山の山頂まで、ずっと坂道が続きます。
    急坂、少し緩い坂、急坂、少し緩い坂。
    その繰り返しです。
    下りてくる人は、滑りやすい急な下りに難渋している様子です。
    この縦走は、どっち回りが楽なのか?
    先程の百蔵山からの急な下りも嫌だけど、滑りやすい下りがこんなに長いのも嫌です。
    でも、この急坂は道幅が広いので、恐怖感は少ないかもしれません。

    疲れて立ち止まり振り返ると、権現山が大きく見えました。
    遠い山のように見えるけれど、山地図によれば2時間で縦走できるそうです。
    私が登れば登るほど、権現山も高く感じるようになってきて、ようやく大久保山山頂。12:40。
    ここも倒木だらけでした。
    前に来たときは、小さな山頂標識とベンチ代わりの丸太が1つある、こじんまりとした気持ちの良い山頂だった記憶があります。

    急登はここで終了。
    大久保のコルへとなだらかな道を歩いていきました。
    急登に体力を消耗したせいか、ここからの道を長く感じました。
    大久保のコルを越え、また少し登り。
    ポカポカ陽気が暑くてつらい。
    ようやく扇山山頂。13:00。

    ベンチ代わりの丸太が1つ空いていて、そこに座って晴れ晴れと富士山を眺め、昼食。
    ここの印象は、4年前と全く変わりません。
    広く平らな山頂。
    ススキ越しの富士山と青空。
    きれいだなあ。

    暖かいので、30分も休みました。
    上着を着る必要もありませんでした。
    さて、そろそろ下山します。

    先程の大久保のコルまでいったん戻り、そこから下り道へ。
    登山道は杉などの葉が敷き詰められた状態でした。
    枯葉もありますが、大半は緑の葉です。
    この前の台風で落ちたものなのでしょう。
    そしてやはり倒木。
    倒木が道を壊し、そのため道が付け替えられている箇所もありました。
    まだ足元の固まっていない滑りやすい下りです。
    ひえーとつぶやきながら通過。
    あとは、記憶の通りの歩きやすい道でした。
    登山道に石が沢山転がっているのは、落石が多いからでしょうか。
    そういう意味では、あまり長居したくない道。
    先を急ぎました。

    山の神の水場まで下り、ベンチでほっとひと息。
    沢沿いの道は、元から歩きにくかったのか、台風で荒れたのか、どちらでしょうか。
    石段が崩れていました。
    しばらく行くと、道も広くなり、なだらかになって、梨の木平。14:35。
    ここから舗装道路です。

    ゆるい下り道を行きます。
    ゴルフ場をまわり込んでのんびり下っていきました。
    舗装道路なのですが、車はほとんど通らないのか、道路に枯葉が積もっていました。
    ゴルフ場を左に見ながら下っていくと、以前、迷い込んでしまった大きな公園施設との分岐。
    最初の分岐は道しるべがあるのですが、その先、もう1つの分岐でうっかり道なりに下るとその施設の駐車場に入ってしまうのです。
    ここは、注意して左折。
    電柱に、「鳥沢駅」と矢印のついたポスターが貼ってありました。
    以前はなかったものです。

    ゆるい下り道をどんどん行きます。
    分岐に、新しい道しるべが立てられていました。
    ここは右に下った記憶があるのですが、道しるべは直進を示しています。
    え、そうなの?
    正しく鳥沢駅に着いたことが1回もないので、その道しるべに従うことにしました。
    道は少し登り坂になり、再び山に入っていくようです。
    大丈夫なの、この道?
    そう思ったちょうどその頃、ポスターを発見。
    この道は鳥沢駅に行きます。
    途中でジャリ道になりますが、大丈夫です。
    概ねそのようなことが書かれてあるポスターでした。
    え、本当?
    そう思いながらも、その通りに歩いていくと、確かにジャリ道になり、農地の脇を通り、やがて下っていきました。
    道は住宅街に入りました。
    ここら辺が一番迷いやすいところ。
    基本は道なり。
    たまにある道しるべに安堵しながら、とことこ歩いていきます。
    鳥沢駅に行くには、中央自動車道をどう越えるかが課題なんです。
    この道は正しかった。
    前回歩いたときの、車1台しか通れない細いトンネルではなく、歩道のついた広いトンネルを通過できました。
    そのまま、民家の間を道なりにとにかくまっすぐまっすぐ歩いていくと、甲州街道へ。
    すぐ左側に歩行者信号付きの横断歩道があり、それを渡ると鳥沢駅でした。15:40。
    初めて正しく鳥沢駅に下山できたー。ヽ(^。^)ノ
      


  • Posted by セギ at 13:33Comments(0)

    2018年10月19日

    数A「整数の性質」平方根の利用。


    高校数Aの最後の単元は、「整数の性質」です。
    前半の学習内容は、約数・倍数、平方根の利用、約数の個数や約数の総和の求め方など、小学校・中学校の復習内容が多いです。
    平方根の利用は、例えばこんな問題です。

    問題 √120n が整数となるときの自然数nを小さいものから3つ求めよ。

    これは中3で学習する内容です。
    高1になると数Ⅰの「式の計算」の単元で復習します。
    そして、数A「整数の性質」でも、再度復習します。
    その都度、ガツッとつまずく子がいます。
    どうにも納得できない。
    何のことか呑み込めない。
    そういう状態に陥ってしまいます。

    120=2・2・2・3・5
    よって、最小のnは、2・3・5=30

    これの理解が最初の課題です。

    n=2・3・5とすると、
    √120n=√2・2・2・3・5・2・3・5
    =√(2・2・3・5)2
    =2・2・3・5
    =60
    と無事に整数になります。

    √ の屋根の中に、同じ整数が2つあれば、それが1組みのペアとなり、整数となって√ の外に出ることができます。
    硬い説明では伝わりにくいかと思い、「屋根」とか「ペア」とか、柔らかい言葉遣いをするのですが、それで余計にわからないと言われ、普通の言葉に直して説明しても、やはりわからない。

    √120n=√(2・2・2・3・5)×(2・3・5)
    と分けて書けばわかりやすいかと思い、そうしてみると、
    「なぜ( )でくくるんですか?」
    「・と×は何が違うんですか?」
    と些末な疑問がさらに増えてしまうだけの様子で、やっぱりわからない。

    根本の原因は、平方根というものがよくわかっていないこと。
    これに尽きると思います。

    √a・a・b=a√b
    このシステムが理解できていないのだと思うのです。
    √75=5√3 など、平方根を整理することは一応できるようになっていても、作業手順として覚えているだけで、その意味をあまりわかっていない子がいます。
    だから、5√3=5×√3 と書き換えただけでうろたえてしまいます。
    そういう意味だと知らなかったと言うのです。

    応用問題以前の、平方根の計算でも、例えば、
    √21×√3 といった計算で、
    =√63
    としてから、素因数分解をして、
    =3√7
    という解き方しかできない子は、平方根の意味が根本的には理解できていない可能性があります。
    √21×√3
    =√7・3 ×√3
    =3√7
    と解くことができないのです。

    この解き方が上手く理解できない人は、平方根の根本が理解できていない可能性が高いです。
    平方根とは何のことかよくわからないのに諦めて、作業手順だけ覚えてごまかしてきた可能性はないでしょうか?
    基本がわかっていないと、応用問題の理解は難しいです。
    まず基本に戻ったほうが、遠回りのようで近道です。

    でも、平方根は中3のときから苦手だったし・・・・・。
    そうやって諦めてしまう人もいますが、中3のときは、初めてのことに抵抗感が強く、処理しきれなかっただけかもしれません。
    寝て起きたら何となく理解できていたということもあるように、脳には新しい情報を勝手にどんどん整理していく力があります。
    高校1年になって、中3の「平方根」の勉強をやり直すと、案外スルッと理解できるかもしれません。
    何であんなにわからなかったのだろう?
    むしろ、それが逆に不思議というくらいに、理解できることがあります。
    10代の脳は年々成長しますから。
    応用問題だけ無理に理解しようとしないで、まず基本に戻って復習すると良いと思います。

    もう1つのわからない原因は、指数法則のようです。
    n=2・3・5とすると、
    √120n=√2・2・2・3・5・2・3・5
    =√(2・2・3・5)2
    =2・2・3・5
    =60
    これの、
    2・2・2・3・5・2・3・5
    =(2・2・3・5)2
    のところが理解できないのは、指数法則がわかっていないからでしょう。

    aabb=(ab)2

    中1から学習していることですから高校生にはもう説明不要と思っていると、高1になっても指数法則は意味不明、という子は案外います。
    (ab)2を展開してみると、
    (ab)2=ab×ab=aabb
    なのですから、
    aabb=(ab)2
    です。
    と説明しても、納得した顔をしない子もいます。
    さらに根本には、2乗とはかけ算のことだということが、心の底に沁みて理解できていないのが原因なのかもしれません。
    (ab)2=ab×ab だということが、わかっているつもりでわかっていない。
    だから、aabb=(ab)2
    と言われると、ちょっと不安になってしまい、本当にそうかな?と感じてしまうことがあるようです。

    a2b2=(ab)2
    という書き方をしても、これは同じことです。
    そのあたりのルールに不安を感じるのは、
    a2b2=a×a×b×b
    だという根本に揺らぎがあるからかもしれません。

    中1の頃、2乗と2倍の違いがわかっているようでもふっとわからなくなり、
    32=6
    といった誤った計算を繰り返してきた記憶が頭をよぎり、指数法則をすっきりと理解することができない。
    頭が晴れ晴れとクリアーな日は理解できるが、頭の中がよどんでいるように感じる日は理解できない。
    そんなことがあるようです。

    (a2)3=a6
    a2×a3=a5
    こうしたことに対し、
    「え?え?え?」
    といつまでも不安を感じてしまう・・・。

    わからなくなったら、全部書いてみましょう。
    (a2)3
    =(a×a)×(a×a)×(a×a)
    =a6

    a2×a3
    =(a×a)×(a×a×a)
    =a5

    これで理解できれば大丈夫です。
    これでも理解できず、
    a×a×a×a×a=a5 なんですか?初めて知った・・・・。
    と言った高校生もかつていましたから。
    累乗はかけ算だということを心の底に沁みるほど理解できるまで、自分で繰り返し繰り返し、これを具体的にやってみると良いと思います。


    さて、√a・a・b=a√b という仕組み、そして指数法則は理解できるようになったとして。
    だから、最小の自然数nを求めるだけの問題なら解けるようになったとして。
    実はnは1つではなく無数にあるという話になると、今までの理解も吹っ飛ぶほどにわからなくなる人もいます。

    例えば、n=2・3・5・2・2とすると、
    √120n
    =√2・2・2・3・5・2・3・5・2・2
    =√(2・2・2・3・5)2
    =2・2・2・3・5
    =120

    やはり、整数になります。

    nは120の中のペアのいない素数の積2・3・5だけとは限らず、nの中に2の2乗を含んでいても良いわけです。
    したがって、n=2・3・5・2・2=120 としても大丈夫です。

    次のnは、もともと必要な2・3・5の他に、3・3を含む数。
    すなわち、n=2・3・5・3・3=270とすると、
    √120n=√2・2・2・3・5・2・3・5・3・3
    =√(2・2・3・3・5)2
    =2・2・3・3・5
    =180
    これも整数になります。
    よって、n=30、120、270です。


    「整数の性質」という単元は、このようにこれまでの復習内容から始まる、というよりも、小学校や中学校で十分に理解できなかった急所を突いてくる単元なのかもしれません。
    理解できないまま、まあまあまあ、この単元さえやり過ごせば、とごまかしてきたことが濃縮された単元。
    つまりはそれだけ、数学的な考え方や数理の根本を問う単元と言えるのかもしれません。
    復習内容が終われば、この単元は、「合同式」そして「不定方程式」の学習に入ります。
    斜め上どころか、火星方向からやってきた論理が金星方向に抜けていくような凄まじいアサッテ感との闘いとなるかもしれません。
    1問の解説を聞き終わったときには、もう最初のほうがわからなくなっている・・・・。
    論理的に正しいはずのことが、どうしてこんなに淡雪のように儚いのだろう・・・・。
    正しいことなのだろうに、なぜ、こうも確信がもてないのか・・・・。
    大袈裟でなく、そんなふうになってしまうかもしれません。
    しかし、それも、初めて学ぶ、脳に全く道筋のない学習内容だから抵抗感が強いせいだと思います。
    繰り返し学習することで、頭を慣らすのが、何より特効薬と思います。

      


  • Posted by セギ at 15:35Comments(0)算数・数学

    2018年10月17日

    雨に似ている?雨が好きです?



    It looks like rain.

    「雨に似ている」と訳してしまう子は、文法的な把握はできています。
    少し誘導すれば、正解に達することができます。
    「うん。雨に似ている、雨のように見える。というのは、つまり、どういうことかな」
    「あ。雨が降りそうだ、だ」
    「そう。正解」
    英語の表現の仕方って、即物的というか、そのまんまだよね、わかりやすいよねー、と話も弾みます。

    ところが、わからない子は、ヒントを出しても、わからない。
    いえ、私の誘導が悪いのでしょう。
    「雨に似ている、というのは、つまり、どういうことかな?」
    「・・・・雪?」
    「いや、雪ではなく」
    「みぞれ?」
    「いや、そういうことではなく」
    「わかった、あられ?」
    うーむ。

    でも、もっと深刻なのは、下のような誤訳。
    「私は、雨が好きです」
    It と I を見間違えています。
    把握できない look は、無視しています。
    英文を読む姿勢が雑で、目についた単語をちょいちょいと拾っているだけです。
    文法なんかわからなくても、英語はニュアンスで何とかなる。
    単語さえわかれば、何とかなる。
    そんなふうに思っていて、限界が来ている姿です。

    like には、動詞の like と、前置詞の like があります。
    その2つは見た目はそっくりですから、文の中の位置や働きで識別しなくてはなりません。
    すなわち、文法的な把握が必要です。

    そういう事実を示すと、英語に対して怒り出す子が、かつていました。
    「何だよ、面倒くせえ。だから英語なんか嫌いなんだよ」

    他人の子どものこととして聞くと、ダメな子だなあという感想が湧くかもしれません。
    しかし、口に出さないだけで、英語が苦手な子は、多かれ少なかれこういうことを内心で思っているのかもしれません。
    口に出しても出さなくても、ダメな考え方であることに変わりはありません。

    英語に限らず、学習に対する姿勢が雑な子は、そうした雑な姿勢でも小学校の頃は大丈夫だったのではないかと思います。
    斜め読みでも、拾い読みでも、正解を出すことができたのだと思うのです。

    学年が上がるにつれて、学習内容は複雑になり、緻密な読み取りが要求されます。
    今までのような雑な姿勢は通用しなくなります。
    子どもは子どもの全人生で雑なやり方を今まで通してきたのですから、変えることには抵抗があります。
    今までのやり方で雑にやっていきたいのです。
    自分のスタイルを変えたくない。
    その抵抗感が、
    「何だよ面倒くせえ。だから英語なんか嫌いなんだよ」
    という怒りに表れているのかもしれません。

    自分のスタイルを変えてでも得るものがあるかどうか。
    あるいは、そういう判断ができるほどにその子の心が成長しているかどうか。
    面倒くせえけど、でも、この面倒くせえことをやると、ああなってこうなって、こういう可能性が広がって、だから、この面倒くせえことはやる価値がある。

    実利の面からそのようにやり方を変えるのは、受験期の子どもに起こり得ることです。
    特に中3の受験生で秋以降に急激に学力をつけていく子は、こういう子が多いです。

    しかし、そうならない子もいます。
    面倒なことを丁寧にやる努力なんかしたくない。
    努力しなくてもできるのがカッコいい。
    本気なんか出したくない。
    そう思っているかのように、受験が近くなっても努力できない子もいます。

    ・・・・努力してもできるようにはならないかもしれない、という内心の不安も原因の1つかもしれません。
    努力しないでいる間の自分の可能性は無限です。
    しかし、本気で努力しても結果が出ない場合、自分の可能性はそこまでだと思い知ることになります。

    同じように受験に失敗するのだとしても、
    「あまり勉強しなかったから、まあ仕方ない」
    と言い訳できるほうがいい。
    全力で頑張ったのに不合格だったら、自分の能力を思い知ることになる。
    そのとき、自分がどれだけ傷つくだろうと考えたら、怖くて努力できない。
    努力すれば合格していたんだ、自分は本当は素質があるんだ、とずっと思っていられるほうがいい。

    努力しても結果につながらないと知るのが怖いから、努力できない。
    そういう気持ちになっている子は、そう簡単には努力できるようにならないと思います。

    努力しなかった場合は、結果はダメでも、
    「まあまあまあ。まあこんなもんでしょう」
    とごまかすことが可能です。

    努力してダメだった場合、それとは次元の違う傷つき方をするのは事実です。
    でも、傷は時間が解決しますし、その後、また頑張れるのですが、努力したことのない子は、それを知りません。

    努力しなかった場合、逃げ癖がつきますから、その先もずっと努力せず言い訳だけしていくかもしれません。
    傷は表面化しないが、確実に内攻していきます。
    努力して傷ついた場合よりも、長い時間をかけて深く深く、傷は心の内をえぐっていきます。
    いくら何でも30歳を過ぎてまで「自分は本気出してないだけ。本気でやればできるんだ」と思っていられるほど、人は愚かではありませんから。
    努力できない自分、大事なところで努力できなかった自分を呪う気持ちのほうが年月とともに強くなっていくかもしれません。

    子どもを褒めるときは、その子の素質を褒めるのではなく、努力していることを褒めなさい。
    近年、そう言われることが多いのは、努力と結果と素質が上のようにグチャグチャに絡んで努力できなくなってしまうことを避けるためもあるのでしょう。
    素質はあるのに努力できない子は多いですから。
    それは、勉強に限らず、あらゆる分野で。
    努力を、結果や素質と切り離し、とにかく努力していることを褒める。
    努力していることに褒賞がある状態にする。
    努力が喜びと繋がるようにする。
    そういう教育論は納得できます。

    本来、勉強は、結果が得られるからするというものではありません。
    勉強すること自体が喜びです。
    難しいことを理解する喜び。
    理解できる自分を知る喜び。
    努力する喜び。
    それを知っている子は、目先の試験の結果などを越えて、もう大丈夫だと思うのです。
    幸福な人生は、必ずしも成功と結びついているわけではない。
    そういうことも、過程を重視できるようになれば実感できるようになると思います。
      


  • Posted by セギ at 14:06Comments(0)英語

    2018年10月14日

    数学の文章題が理解できない理由は何なのか。



    近年、読解力のない子どもが多数存在することがクローズアップされるようになりました。
    国語ができない子は、数学ができない。
    国語ができない子は、そもそも全ての教科の伸びが限定的。
    そのように言われます。

    国語といっても、文学作品の鑑賞力というような話ではありません。
    古文・漢文の素養でもありません。
    本当にシンプルに読解力です。
    実用的な文章に書いてあることをそのまま理解する力。
    それが絶望的に足りない子どもが、近年、多数存在するようになりました。
    確かに、それでは、数学は理解できません。
    単純な計算だけはできるでしょうが、理論は、言葉で説明され、言葉で理解されます。
    言葉を理解できない子は、理論を理解できないと思います。

    問題 ある数の2乗をするところを、誤って2倍してしまったため、計算の結果は19小さくなった。ある数を求めよ。

    これは、2次方程式の文章題です。
    この問題に書いてあることの意味がわからない。
    あるとき生徒にそう言われて、ギョッとしました。
    方程式の文章題は苦手とする子が多いですが、その中では、こうした「数に関する問題」は立式しやすいほうです。
    「速さの問題」「食塩水の問題」「売買の問題」「動点の問題」など、難しい問題は他にもっと存在します。
    この問題が全くわからないというのは、どういうことなのだろう?

    ある数をxとするところまでは、誰でも発想できます。
    ある数の2乗は、x2。
    ある数の2倍は、2x。
    それを表すことはできる。
    でも、19をどうしたらいいのかわからない。
    どちらにたすのか、どちらから引くのか、わからない。
    文が伝えていることの意味が、よくわからない。
    そう言うのです。

    「x2と2xと、どちらが大きいと思う?」
    私は尋ねました。
    「わからない。2乗のほうが普通大きくなるだろうから、大きいんだろうけれど、文章からは読み取れない」
    その子は答えました。
    2乗のほうが普通大きくなる。
    数に対する感覚はむしろ数学センスを感じます。
    私は説明を試みました。
    「計算の結果は19小さい、と言っているから、計算の結果のほうが小さいんでしょう?それなら、2xのほうが小さいよね?」
    「2xのほうが計算の結果?」
    「そう」
    「どうしたら、それがわかるの?」
    「・・・・・」
    いやいやいや、書いてある。
    書いてあるよ?
    何で書いてあるのに、読み取れないの?


    これは想像の域を出ないのですが、このような読解力の子は、文を読むとき、目立つ単語の拾い読みをしているだけなのではないか?
    自立語以外の語句の機能を理解していないのではないか?
    特に助詞の働きを理解しないまま成長しているのではないか?

    つまり、彼らが読んでいる文章は、このようなものなのではないかと思うのです。

    問題 ある数の2乗・・・・2倍・・・・・計算・・結果・・・19小さく・・・・。

    これでは、関係が読み取れません。
    単語と単語とのつながりが理解できない限り、本人に問題文を音読させても、私が読んであげても、上のようにしか読み取れないという点で、絶望的な要素をはらんでいます。
    「よく読みなさい」
    「細部まで読みなさい」
    と言っても、変化はないのです。

    助詞を理解しない子どもは、実は、相当数いるのかもしれません。
    子どもの発する言葉を聴き取ると、助詞を使用しない子どもは多いです。
    それは日常会話だから、で済まされるレベルのことなのでしょうか。
    作文を書けば、助詞を使用できるのでしょうか。
    読解力のない子の大半が作文も苦手なのは、そもそも助詞を使えないので、文を書くことに困難があるのではないでしょうか。

    助詞といっても、「が」「は」くらいは使えると思います。
    問題は、「の」「を」「に」「へ」「と」などを多用する文を使うことができるか、です。
    つまりは、それだけ1文の長い、語句の関係が複雑な文を話したり書いたりすることができるでしょうか?
    日常生活の子どもの言葉に耳を傾けたとき、幼児の頃と同じように助詞を省略した2語文で生活している、ということはないでしょうか?

    努力すれば助詞の働きを理解できなくもないし、使用できなくもないが、普段の読み取りでそこが抜け落ちるということもあるかもしれません。
    単語の拾い読みが習慣化しているため、文を精読し、単語と単語との関係をつかむのが文を読むことだということが、実感としてつかめない。
    単語と単語の関係を把握しながら読解することができない。
    そういう子も多いのかもしれません。

    小学生では、例えば、「倍数と約数」の問題で端的なのは、このような問題です。
    ☐に「倍数」または「約数」を入れなさい。
    (1)8は2の☐です。
    (2)2は8の☐です。

    これが、どちらがどちらなのか、わからないことがあるようです。
    その子の目に、
    (1)8・・・2・・・・☐。
    (2)2・・・8・・・・☐。
    としか見えていないのであれば、それは答えられないと思います。

    目立つ自立語しか読み取らず、その他の部分を読み飛ばす。
    あるいは、目には入っていても、その機能を意識できない。
    それは、おそらく、文字を覚えた頃からの読み癖で、小学校の低学年までは、それで事足りたのだろうと思います。
    それでも文章の意味はわかるので、そういう読み方が本人の中で固定したのかもしれません。
    それが無意識のレベルまで本人の中に浸透し、文章が複雑になったときにも、他の読み方ができなくなっているとしたら?

    もう一度、最初の問題に戻ります。
    問題 ある数の2乗をするところを、誤って2倍してしまったため、計算の結果は19小さくなった。ある数を求めよ。

    この問題がわからないという子は特異な素質を持っていました。
    読解力のない子は、普通、わからないことを伝えるのも諦めてしまいます。
    何がわからないかを伝えるのにも言葉を使わねばなりません。
    読解力のない子の多くは、そうした表現力を持っていません。
    わからないまま、黙る。
    わからないまま、諦める。
    わからないまま、ごまかす方法を獲得する。
    そうして重症化していく子は多いです。
    しかし、その子は諦めませんでした。

    「計算の結果って、どっちの結果?2乗?2倍?」
    「実際に計算したのはどっちなの?誤って2倍したんだから、2倍のほうが実際に計算した結果でしょう?」
    「どこでそれがわかるの?」
    「『ある数を2乗するところを誤って2倍したため計算の結果は』と書いてあるから、2倍したんでしょう?」
    「えー?書いてあるかな?」
    「『誤って2倍した』と書いてあるでしょう?」
    「えー?」
    「書いてあるよ?」

    このやりとりにどこまで効果があったのかは、実際のところは不明です。
    とりあえず類題は正しく立式できるようになりましたが、それはパータン化して覚えただけかもしれせん。
    ただ、思うのは、この子は、現時点では読解力に欠ける面もあるのかもしれませんが、表現力があるということ。
    数学の文章題が解けない他の子とは、そこが少し違うのです。
    その子が何かを伝えようとする限り、靴の上から足の裏を掻くようなもどかしさはあるものの、確実にその子の疑問が伝わってくるのでした。


    もう随分昔の話なので、私が誤解したまま間違った解釈をしているのかもしれませんが、遠い昔、『機動戦士ガンダム』というテレビアニメが初めて放送された頃のこと。
    私は他の同級生と同様に、普通にアニメが好きでした。
    私は「アニメ第1世代」と呼ばれる世代です。
    『宇宙戦艦ヤマト』の劇場公開が成功したのは、その数年前。
    今から考えれば隔世の感がありますが、テレビアニメの総集編を映画館で上映して、それが興行的に成功するなど、当時の普通の大人は予想しなかったのです。
    まして、その続編をオール新作の映画として公開して、初日の映画館前に徹夜で行列を作る若者たちが存在するほどに成功することなど。
    『宇宙戦艦ヤマト』の作品としての価値に、現在の私は何の感想も抱いていませんが、アニメーションの興行的成功としての歴史的意味は大きいと思います。
    そんなわけで、話題のアニメは何歳になっても普通に見る最初の世代に属する私ですが、『起動戦士ガンダム』は、アニメから遠ざかるきっかけになりました。
    むしろ『ガンダム』からアニメに没入していった後の世代とは対照的に。

    あそこに出てくるニュータイプというのが、気持ち悪かったんです。
    機械との親和性が高く、反応が速い。
    そういうことだけなら良いのですが、どうも彼らはニュータイプ同士で瞬時に互いのことを全面的に理解しあうらしい。
    そのことがとてつもなく肯定的に描かれていました。
    主人公がコミュニケーション不全なタイプの少年で、周囲と和解できないまま、否応なく戦争に巻き込まれてロボットで闘っているという状況ですから、ありのままの自分を丸ごと誤解なく受け入れてもらえることは究極の理想だったのかもしれませんが。

    最終回を見て、私ははっきりと声に出してつぶやきました。
    「言いたいことは、言葉にして言いなよ」
    私自身がそんなにコミュニケーションが得意なわけではなかったにも関わらず、あるいは、むしろそれだからこそだったかもしれませんが、声に出してつぶやいてしまうほど、強くそう思ったのです。
    ニュータイプなんかに進化しなくても、人間には言葉があるよ。
    使えよ、言葉を。
    何の努力もせず、丸ごと完璧に自分を好意的に理解してもらおうなんて、甘えているんじゃないよ。
    ああ、こんなアニメを見ている場合じゃない。
    私は、現実と関わろう。

    以後、アニメを全く見なかったというわけではありませんが、心理的距離はかなり開きました。

    わかってほしいことがあるなら、言葉にして伝えないと。
    何かを伝えるにも、何かを理解するにも、言葉を使えば可能なのだから。
    私たちは今もニュータイプには進化していないですが、言葉によって感情を伝え、意思を伝え、情報を伝えることはできるのです。

    しかし、あれから40年、言葉を使えない子は増える一方です。
    頭が悪いわけではないのに国語力の低い子が目立つようになりました。
    国語力の低い子の学力は限定的になってしまうと、私も思います。
    国語ができれば必ず数学ができるとは限りません。
    数学ができるようになるには、数学的な才能も必要です。
    ただ、数学的才能がその子の中に眠っている様子なのに、国語力のせいで開花しないのは、本当に勿体ない。
    意識して文章の読み方を変えたり、自分で文章を書く練習をすることで、単語と単語とのつながりや、そこから意味が生まれる言葉の機能を理解できるはず。
    何歳からでも、遅すぎるということはないはずです。

      


  • Posted by セギ at 15:12Comments(0)算数・数学

    2018年10月10日

    ラジオ講座「高校生からはじめる現代英語」はお薦めです。


    「読む」「聴く」「話す」「書く」の4領域が、高校入試や大学入試に今後どのように影響し、今とはどう違ってくるのか、いまだに揺れている英語教育界です。
    とはいえ、入試に限定せず視野を広げた場合、音声としての英語に触れていくことは、英語教育に必須のことです。

    「読む」「書く」は、自宅でもコツコツ学習できますが、問題は「聴く」「話す」力をどう伸ばすか。
    セギ英数教室では、毎回の授業でリスニング問題を解いたり、英検の2次試験の模擬面接を行うなどで「聴く」「話す」演習をしています。
    しかし、週1回の授業だけでなく、日常でもっともっと練習できる方法はないだろうか?
    できれば、無料で。
    あるいは初期費用のみで。
    しかも、信頼できる内容の教材で。

    そう考えると、NHKラジオ講座がやはり有効です。
    街の英会話教室よりもはるかに能力の高い講師が教えてくれて、番組自体に英語教育のノウハウの長い蓄積もあります。
    食わず嫌いで避けているのは勿体ないです。

    私自身のことで言えば、中学に入学する際、入学案内の書類の1枚に「ラジオ講座『NHK基礎英語』を必ず聞きなさい」と記された案内が入っていました。
    入学式より前にその年度の初回放送が始まるので、事前にそういう連絡をしたようです。
    初回放送日・放送時間・NHK第2の周波数がその書類に記されていたと記憶しています。

    ラジオ講座を聴かねばならない。
    でも、『基礎英語』は朝早くとか、午後とか、夜の6時台とか、変な時間にやっていて、学校が始まったらその時間には聴けない。
    ラジオ放送を録音できるようにラジカセが欲しいと、私は母にねだって買ってもらいました。
    そのラジカセは、実際にはラジオ講座以外での活用も多かったです。ヽ(^。^)ノ
    いえ、ラジオ講座もそこそこ真面目に聴きましたが。

    ラジオ講座は、毎晩勉強を開始する良いきっかけでもありました。
    ラジオ講座を聴くためにとりあえず机に向かう。
    ラジオ講座を聴く。
    その後、テキストの日本語訳を見ながら、英語の全文を言えるまで暗唱する。
    それから、テキストの日本語訳を見ながら、英語の全文を書く。
    テキストを見て、自分の書いたものを添削。

    この作業で、当時、40分から50分かかっていました。
    月曜から金曜まで毎日これでしたから、学習時間の中で英語に使う時間が随分多かったかもしれません。
    しかし、これさえやっていれば、学校の英語の予習・復習はほとんど必要ありませんでした。
    他には、テスト前に教科書準拠ワークを解くくらい。
    それ以外の英語の勉強は必要なかったのです。
    ただ聴くだけでなく、テキストを暗唱したり書いたりする学習が効果的だったのだと思います。

    ラジオ講座を聴くために机に向かうのが毎日の習慣になり、いったん机に向かえば弾みがついて英語に続いて他の科目も勉強しましたので、毎日2~3時間の家庭学習も自然に行うことができました。

    ただ、これは、私が自ら進んでやっていたから効果的だったことです。
    これを強制されたらたまったものではないというのも理解できます。
    ラジオ講座については、生徒からは否定的な話を多く聞きます。
    いや、むしろ、生徒からラジオ講座について好意的な話を聞いたことがありません。

    私立の中学校では『基礎英語』がテスト範囲に含まれることがあります。
    しかし、ラジオ講座を聴く習慣を作れない子は多いです。
    下手をするとテキストすら買い忘れています。
    家にラジオがないし、ラジオの聴き方がわからない、と言う子もいます。
    2か月分のラジオ講座のテキストが定期テストの範囲。
    文法事項は何とかカバーできても、単語・熟語の数は膨大です。
    そして、定期テストで出題されるのは、大半はその単語・熟語なのです。
    他をどれだけ指導しても、『基礎英語』からの出題で失点があるので、80点取るのでも必死でした。
    「塾で英語を習っているのに、なぜ70点台なの?私は中学時代に英語でそんな点を取ったことがないけど?」
    と親から怒られたと、生徒から愚痴を聞かされたりもしました。
    『基礎英語』の単語・熟語を宿題にして塾でテストしたりもしましたが、どうも定着が悪く、結局、テスト前には何も覚えていない子もいました。
    教科書のほうが大事なんだから『基礎英語』なんかそんなにテストに出ないよと毎回言い出し、そうして、テストが終わったら落ち込む繰り返し。
    教科書以外のテスト範囲を簡単に捨てる子は、親が思う以上に多いです。

    また、もっと積極果敢に家庭で英語教育に関わるお母様が、『基礎英語』を自ら録音し、子どもに毎日聴かせているという話も、生徒からは愚痴として聞かされたことがあります。
    「『基礎英語』って、月曜日と火曜日は同じ内容なのに、いちいち録音していちいち聴かせられるんだけど、無駄じゃね?そう言ってもママは怒るだけだし」
    「・・・・・2回聴いたほうが勉強になるから。そういう意味じゃないのかな」
    「どうせ聴くふりだけで聴いてないから、無駄だよ」
    「・・・・聴こうよ、それは。その時間、縛られているのなら、せめて聴こうよ。意味のあるものにしよう」
    「聴いていると何か別のことを考えちゃう。眠くなっちゃうし」
    ( ;∀;)

    どんなに素晴らしいコンテンツが存在しても、本人が自らやる気にならない限り、何の意味もありません。
    『基礎英語』が押し付けられた義務である限り、それは呪いでしかない。
    そんなわけで、私は、生徒にラジオ講座を勧めることはありません。

    とはいえ、良質で新鮮なコンテンツが豊富なので、本当に勿体ない。
    ラジオは無料で聴き放題です。
    学校のテスト範囲でない限り、テキストなんていちいち買わなくていいのです。
    「聴く」「話す」練習のためにラジオ講座を利用するなら、テキストはないほうが良いくらいです。
    ラジオ講座に関する負のイメージを払拭し、活用する生徒が多くなることを願います。
    実際に英語が得意な人は、ラジオ講座肯定派が大半です。
    一番良い方法を否定しながら「英語が得意になる良い方法はないですか?」といつもきょろきょろし、読まない参考書を買い、続かない英語教材を購入し、効果の薄い英会話教室に高いお金を払うのは勿体ないです。


    「実践ビジネス英語」は安定のコンテンツで、私は、最初の「やさしいビジネス英語」の時代からもう30年聴いています。
    NHKのラジオ講座の中ではもっとも難しい。
    高校生では、英検準1級に挑戦するレベルの子にお薦めです。

    最近新たに聴き始めたのは「高校生からはじめる『現代英語』」。
    毎週火曜日と水曜日の18:30~18:45に放送しています。
    土曜日・日曜日の昼の12:40~12:55に再放送があります。
    日曜日の夜22:25~22:55にまとめて2回分再放送もあります。
    しかし、どれもこれも不便な時間帯です。
    私は、ポータブル・ラジオ・レコーダーを使用しています。
    予約録音が可能で、一度設定すれば毎週同じ時間帯に自動録音されていますし、スピーカーのついた土台からはずせば、ガラケーほどの重さとサイズになり、どこでもイヤホンで聴くことができます。
    夕飯を食べている途中で、時間を見てカセットテープの録音スイッチを入れにいっていた中学生の自分に教えてあげたい便利さです。

    さらに言えば、NHKは「らじる☆らじる」というアプリでインターネット放送が聴けますので、今はスマホでラジオ放送を聴くことが可能です。
    「NHKゴガク」というアプリもあります。
    これは、先週放送分の語学放送を聴くことが可能なアプリです。
    とにかく、「オンタイムでしかラジオを聴く方法がないが、そんな時間にラジオは聴けない」という件をクリアしないと、ラジオ講座を聴く習慣は作れません。
    物理的に無理、ということになってしまいます。
    ラジオなんて家にない、という子も今は多いですから。
    一方、radikoというアプリで、スマホで民放ラジオを聴くのを好む若者も静かに増えてはいるのですが。

    「高校生からはじめる『現代英語』」。
    内容は時事英語です。
    英語ニュースの原稿を高校生向けに易しく書き直したものが使用されています。
    範読も比較的ゆっくりで明瞭です。
    週に2回だけのプログラムで、1回目は、その英語ニュースの内容解説。
    全体の和訳と重要表現の確認などで、ラジオ講座としては普通の内容です。
    興味深いのが2回目の放送。
    まず、もう一度、1回目と同じ英語ニュースの範読を聴いておさらいします。
    その後、「反訳トレーニング」というのを行います。
    英語ニュース本文からピックアップした文を、日本語から英語に直す練習です。
    まずは、1文を3つに分けて、範読に続いてリピート。
    次に、分解した1部分ずつを日本語の後に自分で英語で言ってみる練習。
    さらに、1文全部を日本語の後に自分で英語で言ってみる練習。
    これを3つの文で練習します。

    上にも書きましたが、これは私が中学時代に自分でやっていた練習法です。
    そして、今も塾で生徒に学校の教科書の本文を使ってやっている学習法です。
    塾ではこれを「その英文を書く」までやりますので、さらにレベルが上がりますが。
    英語学習としては一番ハードで、一番効果がある方法です。
    とにかく、重要な英語表現を自分の中にインプットしないと、アウトプットなんて一生できません。
    口をついて出る英語、すっと書くことのできる英語は、いつか覚えた英語そのままか、そのバリエーションです。
    また、これはケアレスミス対策でもあります。
    時制、冠詞の有無、前置詞は何を使うかなど、今学習している単元とは直接関係ないのに常に失点原因になることへの対策としても有効です。
    ただの丸暗記ではなく、文法的把握をし、英語の構造を理解しながらの暗記が効果的です。

    3つの文の暗唱の後、まだ続きがあります。
    「では、今覚えた表現を利用して、別の英文を作ってみましょう」
    そして、日本文が言われ、それを自力で英訳します。
    発展練習まであるとは。
    その後は、日本人講師と外国人講師とで、その英語ニュースに関する短い会話があります。
    先程練習した重要表現をわざと織り込んで会話しています。
    色々と工夫されたプログラムです。
    これは、高校生にお勧めの番組です。
    英語が得意な高校生なら、テキストは要らないと思います。
    むしろテキストがあると「読む」ことに注意がいってしまい、ちゃんと聴かないし、反訳トレーニングもテキストをつい見てしまい、結果テキストを音読するだけになって効果激減の可能性があります。
    テキスト無しで聴いて、内容の聞き取りも反訳トレーニングもどこまで可能か頑張ってみるとやりがいがあると思います。
    ラジオ講座を聴こうと思い立った人が、書店で来月分のテキストを買い、いざその月になると思い立ったときの意欲がなくなっているというのはよくある話です。
    今週から聴くことにしないと、モチベーションなんて泡のように消えていきます。
    この番組、週に2回、合計で30分というのも、初めてラジオ講座に接する人にはハードルが低いと思います。

    他にも、文科省の意向に沿って、今は「聴く」「話す」を意識した番組が多いです。
    「世界へ発信!ニュースで英語術」という5分間の番組もあります。
    月曜日から金曜日まで、毎日昼の12:55~13:00に放送。
    土曜日の夜23:00~23:25に5回分まとめて再放送があります。
    こちらも時事英語ですが、少しレベルが上がり、実際のニュース原稿が使用されます。
    明瞭な範読と明晰な和訳の後、実際のニュースを聴きます。
    「聴く」力の養成に特化した番組です。
    テキストはありません。

    「遠山顕の英会話楽習」という番組も最近試しに聴いてみました。
    月曜日・火曜日・水曜日の朝の10:30~10:45。
    土曜日の朝7:50~8:35と夜の21:00~21:45に3回分まとめて再放送があります。
    遠山顕先生というと、もう30年近く前、「やさしい英会話」で、ネイティブ講師2人と声を揃えてノリノリで放送していたのを楽しく聴いたなあと懐かしく思い出します。
    その後、「ラジオ英会話」に変わっても同じノリの番組を続け、長年のファンが沢山いるのだと思います。
    英語学習という目的を越えた番組自体のファンがいるのですね。
    私が初めて聴いた30年ほど前は若々しい声の溌剌とした先生でしたが、30年ぶりに聴くと、声がかなり老けていました。
    口調が民放の名物ラジオパーソナリティーみたいになっています。
    この番組は、高校生向けというよりも、長年のファンのための番組なのでしょう。
    遠山顕の、と銘打っているところからもそれがうかがえます。
    ノリについていけると楽しい。
    そうでないと、ちょっと困惑するかもしれません。
    テキスト範読は案外スピードが速い。
    そして、高校英語・受験英語のボキャブラリーにはない語句が出てきます。
    「話す」コーナーもスピーディーです。
    長年の番組ファンへの信頼から、レベルはおのずと高くなる。
    そんな印象の番組です。
    高校生よりも、社会人・主婦・シニアの方にお薦めです。


    「ラジオ英会話」も聴いてみました。
    月曜日から金曜日まで、朝6:45~7:00。
    再放送はその日の夜9:45からあります。
    さらに、5回分まとめて日曜日16:30~17:45に放送されます。
    「基礎英語3」を卒業して、なおもラジオ講座を聴きたい高校生は、この番組に進級するのが順当なのでしょう。
    今月は「不定詞・動名詞」を扱っています。
    内容は簡単で、英語が得意な高校生にはおそらく物足りない。
    英語が苦手な子にはとっつきやすく、レベルもあっている番組と思います。
    月曜日から木曜日までは毎日新しい会話文です。
    文法事項や重要表現などの解説、リピート練習など普通の内容の番組です。
    その日の重要文法事項を用いて日本語を英語に直す練習もありますが、これも文法の典型題という印象で、平易です。
    易しいなあと思いながら月曜日から木曜日まで聴くと、金曜日は復習の日。
    易しい番組のはずが、この日だけレベルが上がります。
    「話す」力を鍛えるコーナーがあるのです。
    例えば、
    「あなたは、学校の先生です。いつも遅刻してくる生徒がいます。もう遅刻はしないと約束したのに、また遅刻をしてきました。その生徒の将来の夢は電車の運転士になることです。遅刻をする癖があっては、夢は叶いません。そのことを叱ってください」
    ・・・・はあ?
    テキストがあればまた違うのでしょうが、耳で聴くだけですと、その英文が口をついて出るかどうか以前に、言うべき内容を覚えきれない・・・。
    「ラジオ英会話」は、金曜日だけ聴くのもありです。

    「英会話タイムトライアル」も聴いてみました。
    月曜日~金曜日の朝8:30~8:40。
    土曜日の朝7:00~7:50に5回分まとめて再放送があります。
    これは「話す」に特化した番組です。
    言われた日本語をとにかく英語に直す練習が繰り返されます。
    日常レベルの英語がとっさに口をついて出るようにする練習です。
    これも金曜日がハイレベルです。
    対話形式の練習があり、放送の「無音」の部分を自分の英語で埋めていきます。
    1文しか言えないこともあるでしょうし、5文くらいのまとまった内容を返すことも可能です。
    模範を聴いて、もう一度トライできるのも良い構成です。
    番組のレベル設定は「基礎英語3」と「ラジオ英会話」の間くらいで、ヨーロッパ言語共通参照枠A2~B1と、基礎学習者のレベルです。
    しかし、「話す」というのは通常4領域の中で最も遅れてしまう能力で、その分やりがいもありますので、実際にやってみるとそんなに易しくないと思います。
    これもテキストは見ないでやるほうが力がつくでしょう。

    「聴く」「話す」をラジオ講座で伸ばす。
    今回は、そんな話でした。
      


  • Posted by セギ at 14:18Comments(0)英語

    2018年10月07日

    10月20日(土)、大人のための数学教室を開きます。


    10月6日(土)の大人のための数学教室は延期となりました。
    次回は、10月20日(土)の予定です。

    さて、前回の授業で学習しました、直線と対称な点の座標を求める問題。
    今回はこれを少し掘り下げてみます。
    こんな問題でした。

    問題 直線y=2x+1に関して、点A(3,2)と対称な点Bの座標を求めよ。

    数Ⅱ「図形と方程式」の問題です。
    前回も書きましたが、これは、線対称の性質を利用して解くのでした。
    求める点Bの座標を(p,q)とします。
    pとqに関する方程式を2本作ることができれば、それを連立して、p、qの値を求めることができます。
    1本はすぐに思いつきますね。
    直線ABは、直線y=2x+1と垂直に交わりますので、傾きの積は-1です。
    すなわち、
    q-2 / p-3 ・ 2=-1
    これを整理して、
    2(q-2)=-p+3
    p+2q-4=3
    p+2q=7 ・・・①
    さて、もう1本。
    対称な点から対称の軸までの距離は等しいです。
    言いかえれば、線分ABの中点は、直線y=2x+1を通ります。
    線分ABの中点の座標は、(p+3 / 2 , q+2 / 2)。
    この中点がy=2x+1の関係を満たすということですから、代入して、
    q+2 / 2=2(p+3 / 2)+1
    これを整理して、
    q+2=2p+6+2
    -2p+q=6
    2p-q=-6 ・・・②
    ①と②を連立して解くと、p=-1, q=4 
    よって、B(-1,4)

    そんなに複雑な問題ではないと思っていたのですが、この問題、教室では案外難渋しました。
    何をやっているのか全くわからない、という感想を参加者の方が口にしたのです。

    何をやっているのか、全くわからない?(''_'')
    え?
    何でだろう?

    後になって振り返ると、分岐点は、①の式を作るときにありました。
    垂直に交わるのだから、傾きの積は-1になりますよね?と、
    q-2 / p-3 ・2=-1
    という式を板書したとき、質問があったのです。
    「それ、直線ABの傾きは、-1/2 である、という式にしていいですか?」
    つまり、q-2 / p-3 =-1/2 という式にしたいと言うのです。
    私は、内心、何でわざわざそうするのだろう?
    と微かな違和感を抱きました。
    私が板書した式は、テキストの例題解説にも載っている式そのままでした。
    なぜ、それをアレンジするのか?
    これから式を整理するのだから、わざわざ直線ABの傾きは-1/2であることを暗算した上での式など立てなくても良いのだが?
    しかし、参加者の方が書きたい式は、間違った式ではありません。
    その式にして良いかと問われて、ダメという理由はないのです。
    「あ。いいですよ」
    と、私は軽く受け流したのですが、後から考えれば、ここが分岐点だったのです。

    どういうことだったのか?
    参加者の方は、そのとき、p、qに関する式を求めようとしていたのではなく、直線ABの式を求めようとしていたのです。
    直線ABの式を求めようとしているのに、解説される答案がその方向にいかず、pとqの式を整理したりしている。
    何のために何をやっているのか、全くわからない・・・。
    その誤解がようやく理解でき、解決してから、私は、その方に尋ねました。
    「何で直線ABの式を求めるんですか?」
    「今まで、ずっと直線の式を求めていたから」
    「・・・・なるほど」

    大人のための教室はいつも示唆的です。
    数学の問題を解説していて、これは誤解の余地などないはずだと私が思っていることも、誤解の余地はあるのだということを教えてもらっています。
    数学が苦手な子どもの多くは、何がわからないのかを語る言葉を持ちません。
    日常のルーティンではおしゃべりな子も、論理的なことを正確に語るのは難しいことも多いです。
    「どこがわからない?」
    という質問は、その字面通りの質問なのですが、どんなに柔らかい口調で尋ねてもなお、責められているように感じることがあるようです。
    もともと言葉で説明するのが苦手な子どもが、さらに責められていると感じたら、黙り込んでしまうのも道理。
    板書を1行ずつ指差しながら、
    「ここはわかる?ここはわかる?何行目がわからない?」
    と、私は、わからなくなっている行をまずは明確にしようとするのですが、こちらのそういう意図を理解してくれず、黙り込んでしまう子もいます。
    「まあ、いいや。次いこう、次」
    などと、勝手に諦める子もいます。

    生徒がどこでつまずくのかを知りたい。
    何がわからないのかを知りたい。
    何を誤解しているのかを知りたい。
    今回も、大きな答えを1ついただきました。

    直線の式に関するさまざまな公式など、直線の式を求めることをずっとやっていると、応用問題でも、絶対に直線の式を求めるものだと思い込んでしまう。
    わからない原因はそれだったのです。

    板書に書いてあること・テキストに書いてあることと違うことを生徒がやろうとしているとき、生徒の頭の中で何か異変が起きている可能性を考えること。
    微かな違和感を大切にすること。
    それを改めて感じました。

    ところで、上の問題ですが、では、直線の式を求めてはいけないのか?
    いえ、いけないことはありません。
    そうやって解く方法もあります。

    もう一度問題に戻って考えてみましょう。

    問題 直線y=2x+1に関して、点A(3,2)と対称な点Bの座標を求めよ。

    線対称の性質から、直線y=2x+1と直線ABとは垂直に交わります。
    それを利用して、直線ABの式を求めてみましょう。
    傾きは-1/2で、点A(3,2)を通る直線ですから、公式に代入して、
    y-2=-1/2(x-3)
    これを整理して、
    y=-1/2x+3/2+2
    y=-1/2x+7/2
    次に、直線ABと、y=2x+1の交点を求めましょう。
    2本の式を連立して、
    -1/2x+7/2=2x+1
    これをxについて解きます。
    -x+7=4x+2
    -5x=-5
    x=1
    これをy=2x+1に代入して、
    y=2・1+1
     =3
    よって、2本の直線の交点の座標は、(1,3)。
    さて、ここからどうするか?
    点Aとこの交点との距離は、この交点と点Bとの距離と等しいです。
    すなわち、点Aからこの交点への移動は、この交点から点Bへの移動と等しくなります。
    点A(3,2)から交点(1,3)へは、x軸方向に-2、y軸方向に1だけ移動しています。
    よって、交点の座標を同じだけ移動させると、
    x座標は、1-2=-1。
    y座標は、3+1=4。
    よって、点B(-1,4)

    あれ?
    この解き方のほうがわかりやすいし、解きやすい。
    そう思うでしょうか?
    今回は、確かにそうでした。
    しかし、中点の座標が分数になったりすると、途端に計算が面倒くさくなります。
    さらに、今後のさらなる応用問題の解き方とのつながりがありません。
    ABの中点の座標が直線を通ることを用いる解き方は、汎用性があります。
    この先の学習のために身につけておきたい解き方です。
    ただ、そういうことも理解した上で、この問題をこのように解いてはダメなのかといえば、そんなことはありません。
    この解き方、ありです。

    秋になり、高校3年生には、同じ入試問題を解くのでも、どう解けば時間を短縮できるのか、どの解き方が計算ミスが少なく楽なのかという方針で授業を進めるようになってきました。
    基礎学力はあるので、普通の解き方ならもう説明は不要なのです。
    どうブラッシュアップしていくかが今後の課題です。
    例えば、反復試行の確率に関する条件付き確率の問題などで、
    「私もこれを自分で解いたとき、うっかり数値をそのまま代入しちゃって、計算がウザくてウザくて大変だったんだけど、ここは数値をいったん文字にして式を整理すると、すぐにスッキリするよね」
    といった解説をしますと、
    「ははあー。文明開化の音がしますね」
    といった反応があり、手応えを感じています。
    解き方は1つではない。
    より洗練された解き方は、どういうものか?
    それを模索していくのも、数学の楽しみの1つです。

    さて、次回の数学教室のお知らせです。

    ◎日時  10月20日(土)10:00~11:30
    ◎内容  数Ⅱ「図形と方程式」を続けます。p.48例題14の解説から。
    ◎場所  セギ英数教室
           三鷹市下連雀3-33-13
             三鷹第二ビル 305
           春の湯さんの斜め前のビルです。
    ◎用具   ノート・筆記用具
    ◎参加費 2,000円
           当日集めさせていただきます。
    ◎予約  私の携帯メールかLINEに、ご予約をお願いいたします。





      


  • Posted by セギ at 14:35Comments(0)大人のための講座

    2018年10月03日

    不定詞の学習。中学3年レベルその3。want~to 不定詞などの文。



    中3で学習する不定詞。最後は、「
    want ~to不定詞」などの用法です。

    中2では、以下のような文を学習しました。
    I want to play the piano.
    「私はピアノを弾きたい」
    この文で、to play the piano をするのは、主語である「私」です。
    それに対して、中3で学習する文は、
    I want you to play the piano.
    「私はあなたにピアノを弾いてもらいたい」
    この文で、to play the piano をするのは、「あなた」です。
    意味の違いはこれで明瞭ですね。
    不定詞の動作主(意味上の主語)は誰であるのかを強く意識するとこの文のパターンは理解しやすいと思います。

    この構造の文は、動詞ごとに理解しておくと楽です。
    高校英語ではもっと増えますが、中学3年生が学校で学習するこの構造の文の動詞は、基本的にはwant、tell、askの3つです。
    この3つの動詞を使った文の構造と意味をまずは正確に理解しましょう。

    ①「主語+want +誰々+to不定詞」。
    主語は、誰々に、~してほしい。
    I wanted him to play baseball together.
    私は、彼に一緒に野球をしてほしかった。
    「誰々」の部分は、「世界」など、人間でないものが入ることもありますが、「誰々」で覚えておくとわかりやすいでしょう。

    ②「主語+tell+誰々+to 不定詞」。
    主語は、誰々に、~するように言う。
    Our teacher told us to read many books.
    私たちの先生は、私たちに多くの本を読むように言った。

    ③「主語+ask+誰々+to不定詞」
    主語は、誰々に~するように頼む。
    これは依頼の文です。
    I asked my mother to help me.
    私は母に手伝ってくれるよう頼んだ。

    基本は、want,tell,ask の3つの動詞でこの構造の文を作れるようになっておけばOKですが、教科書によっては他の動詞でもこの構造の文が出てきます。
    教科書にそうした形の文が出てきたら、学校の定期テスト対策としては、それもあわせて覚えておきます。
    teach,advise,warn,order,expect,allow など、この構造の文を作る動詞は沢山あります。


    さて、実際の問題を考えてみましょう。

    問題 以下の2文がほぼ同じ意味になるように空所を埋めなさい。
    Our teacher said to us,"Read many books."
    Our teacher (  ) us (  ) read many books.

    このような形式で出されると、これが不定詞の問題であることを発想できず、混乱する子がいます。
    答えは、最初の(  )がtold、次の(  )がtoです。

    正解を聞けば、理解できる。
    でも、自分で発想できない。
    特に、入試問題など、テスト範囲というものがないときには、全く発想できない。
    そういう人が案外多いと思います。
    こういう問題は1から発想するものではなく、このパターンが頭の中に入っているかどうかで正解できるかどうかが決まります。
    文法として整理されて頭の中に入っていると、こういう問題は楽に解けるようになります。
    最初の(  )は、saidではなぜダメなのかと訊かれることがあるのですが、sayは、この構造の文を作れない動詞なのです。
    また、sayという動詞は、誰それに言うという意味のときは、say to usのように前置詞を必要とします。
    said us ということはできないのです。
    また、sayと言う動詞は単に「言う」という意味なので、伝達内容が命令文のとき、その命令のニュアンスを伝えることができません。
    セリフの部分、つまり伝達内容が命令文なので、命令の意味を持つtellを入れる必要があるのですね。

    次の問題はどうでしょうか?
    I said to my mother,"Please help me."
    I (   ) my mother (  ) help me.

    やはり、セリフ部分に着目します。
    please が入っているので、伝達内容は依頼の文であることがわかります。
    だから、最初の(  )はasked、次の(  )はtoが入ります。
    他に、Will you help me? などがセリフ部分に入っているときにも、この書き換えになります。

    では、この問題は?
    May I wash the dishes?
    Do you (  ) me (  ) wash the dishes?
    こんな書き換えは、覚えておかないと発想できません。
    大胆に構造を変える書き換えです。
    正解は、最初の(  )がwant、次の(  )がtoです。


    文法問題はパターンが明確です。
    どんな文法事項を問われている、どういう構造の問題であるか、それを意識しながら練習しておくと、テストに出ている問題は、自分の練習した問題の類題だと意識できます。
    落ち着いて、楽に解くことができます。
    常に自分の「勘」が頼りで、感覚で英語の問題を解いていると、何の文法事項の問題であるか気づくことができませんし、パターンも類題もすっ飛んでしまいます。
    毎回毎回最初から考えなければならず、時間もかかりますし、常にモヤモヤしてしまいます。
    パターンを理解しましょう。

      


  • Posted by セギ at 14:33Comments(0)英語