たまりば

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2023年08月26日

自分のミスを自分で修正する力。


生徒と大学入試共通テストの模試問題を解いていたときのことです。
英語力のある子ですので、共通テストの英語リーディングなら、100点満点のうち90点以上は取りたい。
共通テストは、易しい英文を80分で大量に読まなくてはなりません。
そういう意味で、ペース配分の難しさはありますが、大問1の最初の英文などは、中学生でも読めるものです。
その模試も、最初の英文は、非常に易しい内容でした。
それは、学校の掲示板に貼られていた英文という設定でした。
日本語に訳してみます。

ぼくは、1年間ここで学ぶためにロンドンから来ました。
ぼくの日本語の能力は基本的なものですが、みなさんの助けで、すぐに向上できると思います。
ぼくは新しいロックバンドを作るために仲間を探しています。
ぼくは故郷で日本の音楽を沢山聴きました。
そして、去年、有名な日本のミュージシャンの素晴らしいコンサートにいくつか行きました。
すごくかっこいいと思いましたが、歌の意味がわかりませんでした。
そういうわけで、ぼくは日本語を学び始め、ここに来ることに決めました。
ぼくは、自分たちのバンドが日本語と英語でパフォーマンスをするのを望みます。
そうすれば、あなたの英語もきっと上達するでしょう。


高校三年生が読む英文としては、非常に易しい。
ところが、英語秀才が、この英文をなかなか読み取れなかったのです。
状況と人間関係がよくわからない、というのです。
設問の大半にはかろうじて正答していましたが、難しかったし時間がかかったというのです。

こんなシンプルな英文のどこに落とし穴があるのでしょう?

実は、この告知文の上には、短い英文が載っていました。

You visited your school bulletin board where students often share information.
あなたは、生徒たちがよく情報を共有する学校の掲示板を訪れた。

ここで、難しい単語はただの1語「bulletin」ですし、これは読解の妨げにはならないと思います。
こんな1語くらい、意味がわからなくても、前後から推測できます。
「生徒たちが情報を共有する」bulletin board。
それは、掲示板でしょう。
内容から考えても、これは学校の掲示板に貼られた文章です。

ところが、その子は、bulletin を、Britain と読み間違えたのです。

私が、生徒のその誤読に気づくまで、本当に時間がかかりました。
そんな誤読、起こるわけがない。
大文字で始まっていないし、スペルもかなり異なるのだし。
そもそも、そんな勘違いをするような学力の子ではないのに、なぜ?

でも、どんな誤読も、起こるときは起こるのです。

school Briten board って、何?
そもそも、その言葉が奇妙なので、そこで自分の誤読に気づいても良さそうなのですが、誤読しやすい子は、そこで引き返さないのです。
「これは、イギリスの掲示板」
と、そこは断定してしまうのが、誤読のメカニズムです。
そうなると、この告知を書いた少年は、イギリスにいて、イギリス人の生徒たちに向けて告知しています。
この少年がイギリスにいると断定したうえで、上の文章をもう一度読んでください。
わかりにくいです。
矛盾に満ちています。
この少年は、いったい何を言っているんだろう?
ロンドンから、イギリスのどこか他の町に、やって来たのだろうか?
それで何で日本語がどうとか言っているのだろう?
どういうこと?
それで、バンドを結成する?
バンドを結成するために、この町に来たの?
日本語と英語の両方を使うバンドを、イギリスで?
この少年は、誰に向かって何を言っているの?

この意味不明な状況を、論理的に飲み込もう、何とか辻褄を合わせようとして読むので、ひどく読みにくく、意味をつかみにくい英文になったようなのです。
いや、そんな無理な辻褄合わせをするより、最初に戻って、自分の誤読に気づけばいいだけなのに・・・。

こんな誤読のため、大問1の読解に時間がかかってしまい、焦りが生じて、あとはドミノ倒し。
得意な英語でこの子がなぜこんな出来なんだろう、という得点になってしまっていました。


一般に、英語は、スペルの似た単語が多いです。
例えば、through , thought , though などは、よく似たスペルの語です。
ただ、これらの単語は、英文の中で出てくる場所が異なります。
意味も大きく異なるので、文脈上、どの単語であるか特定しやすい。
だから、本来、誤読する可能性は低いのです。
英語が得意な人は、これらの語のスペルが似ていると感じたことすらないかもしれません。
それぞれ、全く別の単語として認識できますので、紛らわしくないのです。

ところが、誤読する子もいます。
まず、音読できません。
訳も、意味を取り違えて変な訳をしてしまいます。

一つには、個々の単語を把握できていない、ということがあるかもしれません。
thought という単語が、何かの過去分詞だったのは、ぼんやりと覚えている。
一方、through という前置詞や、though という接続詞は、その存在を把握していない。
何度も教科書その他の英文に出てきている単語なのですが、前置詞や接続詞を無視する心理的傾向があるようで、覚えられない。
前置詞といえば、on , at , in , to , from くらいしかイメージにない。
それも、言われればわかるけれど、自分では書き忘れる。
接続詞といえば、and , but , because くらいしかわからない。
それ以外のものもあると言われると、何となく不愉快で、嫌な気分になる。
もやもやと、似ているものがあったようだという印象しか残らない・・・。
英語が苦手な子の典型的な状態です。

これは、基礎力不足なので、誤読が大きな課題、というわけではないと思います。
根本の問題は、英語力不足です。
英語学習にそれなりの時間をかけて、努力をして脱出してほしいです。


気になるのは、そうではない誤読。
十分な力があるのに、なぜ、ふっと奇妙な誤読をしてしまうのか?
それもまた英語力の一種なのだといってしまえばそれまでなのですが、それでは可哀相です。
努力しているのに、なぜ、そうなってしまうのか。

振り返ると、私も、生徒の前で音読するときなどに単語を読み間違うことがあります。
でも、すぐに気づいて、読み直します。
すぐに、あ、間違えた、違う単語だと気づくのです。

間違えることは、ある。
でも、自分で気づく。
自分が間違える可能性を想定しているからです。

一方、誤読をしやすい人は、自分が誤読をしたことに気づかず、そのまま突き進んでしまう傾向が強いです。
自分が何か読み間違えているんじゃないかと思うことがないようなのです。

誤読しやすい人は、自分が間違える可能性を想定していないのではないか?
何かおかしいと感じたときに、そのままの方向で辻褄合わせをしてしまい、後戻りできない。
自分のやったことを点検する機能が働いていない。
先ばかり見てしまい、視野が狭い。
では、なぜ、視野が狭いのか?
それは、経験値が足りないからでしょうか。

そうなのだとすれば。
本番の前に、できるだけ失敗しておくことです。
そして、自分が誤読しやすいことを、自覚しておくこと。
自分の特徴、特性を知っておくことは、最大の武器です。

  


  • Posted by セギ at 14:02Comments(0)英語

    2023年08月19日

    夏休みなので難問を。数Ⅰ三角比と三角形の面積の最大値。


    夏休みなので、難問を。

    問題 △ABCにおいて、BC=6、tan A=4/3 である。△ABCの面積の最大値を求めよ。

    さて、まずは自分で解いてみたいという方は、問題を書き写し、ここでブログを閉じてください。
    こういう、情報の少ない問題は、簡単そうに見えて、意外に難しいですね。


    さて、ここからは、解答・解説です。

    底辺だけわかっていても、高さが無限に伸びるのだから、この三角形の面積に最大値なんてないんじゃないの?

    と、一瞬思ってしまいそうですが、この三角形は、∠Aの大きさは決定しているのです。
    tan A=4/3 ですから。

    三角比は、それぞれの角の大きさに固有のものです。
    「直角三角形の辺の比」という感覚から意識が拡張されていないと気づきにくいことですが、サイン・コサイン・タンジェントの値は、角の大きさによって決まっています。
    三角比の表を見てもわかります。
    角度ごとに、サイン・コサイン・タンジェントの値は定まっていて、それが一覧表になっています。
    今回の問題でも、タンジェントの値が定まっていますので、∠Aの大きさも決定しています。

    それならば、△ABCの形は、1つに定まるのか?

    いや、そうではないですよね。
    ∠Aの大きさと、その対辺であるBCの長さが決まっているだけでは、△ABCは、色々な形をとることができます。
    でも、共通な性質というのはあるはずです。

    どんな性質?

    ここで発想の飛躍ができると、もうこの問題は解けたも同然。
    辺BCの長さは決定している。
    ∠Aの大きさも決定している。

    ・・・あれ?
    この三角形は、色々な形をとるけれど、どれも、1つの円に内接する三角形なのでは?
    なぜなら、辺BCを弦ととらえ、その弧BCの円周角が∠Aだと考えるならば、等しい弧の円周角は等しいですから、頂点Aが、その円周上のどこにあっても、∠Aは一定です。

    では、円を描き、辺BCを底辺として見やすい位置に描きこんでみましょう。
    頂点Aは、円周上のどこでもいい。
    だとすれば、△ABCの面積が最大になるのは、頂点Aがどこにあるときでしょうか?



    雑に描いたので、本当に下手な絵ですみません。
    △ABCは、上の図の黒い三角形でも、他に描いた赤い三角形でも、BC=6、tan A=4/3を満たします。
    では、この中で、もっとも面積の大きい三角形は?
    頂点Aと底辺BCとの距離が大きいほど、三角形の面積は大きくなります。
    ここで、辺BCを水平に描いたことが功を奏すると思います。
    どこに頂点Aを描けば、辺BCからもっとも遠いか?
    それは、てっぺんの位置。
    円を1つの時計と見立てるならば、12時の位置。

    そして、頂点Aがてっぺんの位置にあるのだとすれば、この△ABCは、AB=ACの二等辺三角形です。
    点Aが、てっぺんから少しでも下がれば、AB=ACではなくなりますよね。

    よし、わかった!

    二等辺三角形の頂角の二等分線は、底辺を垂直に二等分します。
    底辺BCの中点をMとし、線分AMを描きましょう。
    このAMが、△ABCの高さです。

    さて、△ABMは、直角三角形です。
    三平方の定理を使えば、AMを求めることができます。
    それには、他の2辺の長さが必要。
    BMは、BCの半分ですから、6×1/2=3
    それでは、ABは?

    ここで、tang A=4/3 が生きてきます。
    三角比は、サイン・コサイン・タンジェントのどれかの値がわかれば、残る2つの値を計算で求めることができます。
    タンジェントから、公式を使ってコサインの値を求められます。

    三角比の相互関係の公式を用います。
    1/cos^2 A=1+tang^2 A
    =1+(4/3)^2
    =1+16/9
    =25/9
    よって、
    cos^2 A=9/25

    ここで、0°<A<180° 
    tan A>0、sin A>0 より、
    cos A>0
    よって、
    cos A=3/5

    よし、これで、辺ABの長さを求めることができます。
    AB=AC=x とおくと、
    △ABCにおいて、余弦定理より、
    6^2=x^2+x^2-2x・x・cos A
    36=2x^2-2x^2・3/5
    2x^2-6/5x^2=36
    4/5x^2=36
    x^2=36×5/4
    x^2=45
    x>0より、
    x=3√5

    よって、AB=3√5。
    そして、先ほど求めた通り、BM=3 ですから、
    △ABMにおいて三平方の定理より、
    AM^2=(3√5)^2-3^2
    =45-9
    =36
    AM>0より
    AM=6

    これで△ABCの高さの最大値は6とわかりました。

    よって、△ABCの面積の最大値は、
    1/2・6・6=18

    面積の最大値は、18です。
      


  • Posted by セギ at 14:21Comments(2)算数・数学

    2023年08月12日

    説明の伝わりにくさ。



    例えば、私の解説が、生徒に伝わらない。
    あるいは、学校の問題集のかなり丁寧な解答解説集が、その生徒には理解できない。
    そうした方向の伝わりにくさは常に課題です。
    それとともに、反対方向から、すなわち生徒からの質問が、私には意味がわからない、ということもあります。

    例えば、こんな問題を解いていたときのことです。
    高校数Ⅰ「2次関数」の問題でした。

    問題 x^2+(2-a)x+4-2a=0 が、-1<x<1の範囲に2つの実数解を持つような定数aの範囲を求めよ。

    この2次方程式の左辺を、関数として考えましょう。
    すなわち、
    f(x)=x^2+(2-a)x+4-2a
    このグラフは、下に凸の放物線です。
    この放物線が、x軸に、-1<x<1の範囲で2か所交わればよいのです。
    よし、わかった。

    満たすべき条件は、
    (1)判別式D>0
    (2)軸が、-1<x<1の範囲にある。
    (3) f(-1)>0、f(1)>0

    こう言われても何のことやらさっぱりわからない、という場合は、もっと基礎からゆっくりと解説することになります。
    しかし、その子は、ここまでの解説はわかるようでした。
    初めて学習するわけではなく、「2次関数」を復習している受験生でしたので、それも当然です。

    しかし、(2) の、「軸が-1<x<1の範囲にある」に関して、その子は、奇妙な質問を口にしました。

    「軸は0じゃないんですか?」

    ・・・軸は0・・・?
    何のことだろう?

    「どういうこと?」
    「・・・え・・・」

    さて、ここからが大変なのでした。
    私には、解き方の正しい道筋が見えています。
    逆に言えば、正しい道筋しか見えない状態なのかもしれません。
    生徒がよくつまずくところならば把握していますが、数学が得意・不得意に関係なく、生徒はこちらの想像を絶する思い込みをすることがあります。
    しかも、生徒の質問の多くはカタコトで、伝えたいことが不明瞭です。
    何を尋ねているのか、本当にわからないときがあります。

    「軸が0って、どういうこと?」
    「・・・え・・・」

    ここで、生徒もひるんでしまうのです。
    もともと数学に関してはカタコトなのに、動揺してしまうと、言いたいことがさらに不明瞭になります。
    私は責めているのではなく、「軸が0」という言葉の意味が、本当にわからないだけなのですが。

    何往復ものやりとりが必要でした。
    真摯に告げる必要もあります。
    私は責めているのではない。
    質問の意味が本当にわからないのだ。
    私には正しい筋道が見えている分だけ、間違った考え方は見えにくい。
    脇道や獣道は、目に入らない。
    あなたに見えている、それは、何なのですか?

    そうして、ようやく質問の意味を理解しました。
    その子は、この放物線の軸の方程式は x=0 、すなわち y 軸しかないと思い込んだのです。

    ・・・何で?

    それは、その子が自分で描いた x 軸と放物線の図のせいでした。
    いや、私が描いても、多分同じ見た目のグラフになったとは思います。
    -1<x<1の範囲で、x軸と2か所交わる、下に凸の放物線。
    範囲が狭いこともあり、バランスよく、-1<x<1のちょうど真ん中を軸が通るような放物線を描いてしまうでしょう。
    でも、それはたまたまのこと。
    放物線はもう少し左に寄っても右に寄っても、構わないのです。

    「放物線の軸の方程式は、x=0 ではないのですか」

    このように質問してくれたら、質問の意味はもう少し早く理解できたと思います。
    「軸は0じゃないんですか?」
    と似ているようで、伝わり方が全く違うのです。

    正しいことならば、カタコトでも伝わります。
    でも、間違ったことは、カタコトになると、全く伝わらなくなります。
    とはいえ、高校生でそこまで正確に数学用語を駆使できる子は、めったにいないのですが。


    教える者の能力は、正しいことをわかりやすく解説する能力と同じくらいに、生徒の言うカタコトでしかも間違った内容のことをどれだけ理解できるか、その理解力によるところも大きいのだと思います。
    理屈に合わない間違ったことを、なぜか生徒は思い込んでいて、しかもそれをカタコトで発信してきます。
    それを受信し、何をどう誤解しているのかを理解し、解説する。
    どのように間違っているのかを説明し、誤解を解く。
    それをしないと、生徒は、自分の答は「別解」であると信じてしまうことすらあります。


    また別のとき、別の生徒で。
    今度はさらにレベルの高い問題を解いていました。

    問題 関数 f(x)= | x^2-4x | -2x について、
    曲線y=f(x) と、直線 y=a(x-6)-8が共有点を4個もつような定数 a の値を求めよ。

    式の中に絶対値の部分のある2次関数に関する問題です。
    まずは、グラフを描いてみましょう。
    絶対値を含む関数は、絶対値の内側の部分が0以上であるか0未満であるかに場合分けして考えます。

    x^2-4x≧0 のとき。
    よって、x(x-4)≧0、すなわち、x≦0 , 4≦x のとき、
    もとの2次関数は、そのまま絶対値記号を外すことができますから、
    f(x)=x^2-4x-2x
      =x^2-6x
      =(x-3)^2-9
    これは、頂点(3 , −9) の下に凸の放物線です。
    ただし、x≦0 , 4≦xの範囲で。

    また、
    x^2-4x<0 のとき。
    よって、x(x-4)<0、すなわち、0<x<4 のとき、
    絶対値記号の内側は負の数なので、絶対値記号を外すときには符号を変えることによって正の数になりますから、
    f(x)=-x^2+4x-2x
      =-x^2+2x
      =-(x^2-2x)
      =-(x-1)^2+1
    これは、頂点(1 , 1) の、上に凸の放物線です。
    ただし、0<x<4 の範囲で。

    理解していれば簡単なのですが、実際には、これをスラスラ描ける高校生は、ある程度の学力のある子たちです。
    その子は、自力でこのグラフを描いていました。
    さすがです。
    さて、問題を見直すと、これと、直線 y=a(x-6)-8 との共有点の個数を考えればよいわけです。
    この直線は、a によって傾きが変わるものの、点(6 , −8) を必ず通ります。
    その子は、そのことも理解していました。
    グラフは、下のようになります。



    赤い直線は、曲線 y=f(x) との共有点が3個の直線。
    青い直線もまた、y=f(x)との共有点が3個の直線です。
    この間の傾きのとき、y=f(x)とこの直線は、共有点を4個持ちます。

    赤い直線は、曲線 y=f(x) の上に凸の部分と接する直線です。
    では、接点の座標を求めれば、何とかなりそうです。
    上に凸の曲線と直線の式を連立して y を消去し、x についての2次方程式を作って、それが重解を持つのだから、判別式D=0とすれば・・・。

    しかし、そこで、その子は、奇妙なことを言い始めたのです。
    「いちいちを通るんじゃないんですか?」
    「・・・え?」

    いちいち・・・。
    意味がわかりませんでした。
    ・・・何の話だろう?

    「え?」
    「・・・」

    主語がない。
    「いちいち」とは何なのか、意味がわからない・・・。
    さすがにちょっとわからな過ぎて、そのまま、正しい解き方の解説をひと通り終えました。

    次の問題を解く生徒を眺めながら、私は、意味を考え始めました。
    「いちいち」とは、何のことだろう?

    思い出しました。
    その子は、座標の読み方に癖があるのでした。
    いちいちとは、(1 , 1) のことだったのです。
    「1カンマ1」と読まず、「いちいち」と読む癖のある子でした。
    その読み方は、例えば、「じゅういち」のとき、それは(10 , 1) なのか、単なる11なのか伝わらないので、あまり良くないのです。
    でも、数学の答案の読み方は、中1の初めからつきっきりで指導した子でない限り、どの子も癖がありますし、ついてしまった癖はほとんど直りません。
    数学の答案を音読する機会は、週に1度、私との授業のときのみなのですし。

    「いちいち」とは、点(1 , 1) のこと。
    点(1 , 1) を通るのではないかと、その子は言ったのでしょうか?
    点(1 , 1) を通る?
    何が点(1 , 1) を通るのでしょうか。
    主語がないというのは、本当に不便です。
    でも、おそらく、直線 y=a(x-6)-8 が、点(1 , 1) を通る、ということでしょう。

    なぜ?
    そんなところを通る直線に大した意味はありませんけど?
    点(6 , -8) と、あとは、上に凸の放物線との接点を通る図中の赤い直線が、a に関する1つの境目になります。

    点(1 , 1) って、何だろう?
    グラフを眺めて、気づきました。
    それは、上に凸の放物線の頂点の座標でした。

    ・・・何でそんなところを通る直線が境目になると思ったのだろう?

    そして、気づきました。
    グラフだ!
    その子は、グラフをノートに小さく描き、しかも、上に凸の放物線を尖り気味に描いていたため、頂点のところで、直線 y=a(x-6)-8 はその放物線に接しているように見えていたのだと気づきました。

    放物線の頂点で接する直線の傾きは、0です。
    x軸と平行な直線になってしまいます。
    そんな直線は、点(6 , -8) は通りません。

    放物線の頂点を通る接線の傾きは0。
    それは、微分を学習し、増減表から曲線のグラフを描くときに理解したはずの知識です。
    微分の学習が終わっている受験生が、それに気づかないはずがない。
    でも、それは、逆に私の思い込みでしょう。
    手書きのグラフのせいでそのような誤解をしてしまうことも、日によってはあるかもしれない・・・。

    「点(1 , 1) は関係ないですよ」
    顔を上げたその子に、ホワイトボードに大きくグラフを描いて再度解説すると、その子は、あっと気づいた様子で、自分のノートの放物線を丸みをつけて直していました。

    そもそもグラフを描くことができない人は、こうした問題には手も足も出ません。
    解き方がわからず、答案を1行も書くことができません。
    グラフを自分で描いて考えているだけで、さすがに数学を受験科目に使うつもりだけのことはあります。
    一定のレベルは越えています。
    しかし、自分の描いたグラフの見た目が、思わぬ誤解を生むこともある。
    そして、それをカタコトで伝えても、私にはなかなか伝わらない・・・。
    正確に入念にすべてを説明しなければ相手に伝わらないとは、まさか思っていないので、話し方が雑になるということもあるでしょう。

    でも、数学ってそういうものです。
    ちょっと言葉を省略しただけで、もう伝わらないのです。


    それにしても、何年数学を教えていても、まだ発見があります。
    生徒は新しい誤解を繰り出してきます。
    そして、それを分析し、理解することは、私にはとても興味深いことです。
    厄介だけれど、面白いです。

      


  • Posted by セギ at 16:12Comments(0)算数・数学

    2023年08月05日

    +、-を「たす」「ひく」と読む中学生・高校生。


    小学生が+、-を「たす」「ひく」と読むのは当然なのですが、中学生になっても、そして高校生になっても、+、-を「たす」「ひく」と読む癖の抜けない子たちがいます。
    例えば、
    -6-3
    を「マイナス6ひく3」と読みます。
    その子の頭の中では、先頭の符号だけは「マイナス」であり、式の中の「-」は「ひく」であるらしいのです。

    慣れ親しんだ記号の読み方について、本人なりの辻褄合わせが生んだ結果なのだと思うのですが、さて、これは放置しておいていいものなのかどうか。

    私の狭い見聞の中でのことでしかありませんが、中学生・高校生で+、-を「たす」「ひく」と読む子たちは、数学が全くできないわけではないけれど、数学が得意というわけでもない・・・。
    何となく伸び悩んでいく子たち、という印象があるのです。


    これは数学に限らない、学力の問題だからかもしれません。
    中学に進学した段階で、学校の数学の先生から、最低一度は、
    「今後、この記号は、たす、ひくではなく、プラス、マイナス、と読む」
    と教わっているはずです。
    さらに、学校の先生が、授業中に解説しながら数式を読むときは、常に、プラス、マイナス、のはずです。
    しかし、そうした授業を受けていても読み方を改められない子どもたちがいます。
    プラス、マイナス、と読むように自分を改革できないのです。
    小学校で6年間慣れ親しんだ「たす」「ひく」と読む習慣を改められない。
    知識の刷新ができない。
    脳がそのように刷新されない。
    これは、学ぶ力、すなわち学力と多少関係があるのではないか?


    これと似ている件に「>」「<」という不等号の読み方があります。
    「>」は「大なり」。
    「<」は「小なり」と読みます。
    不等式を音読する機会は、めったに訪れませんから、これの読み方を知っている生徒は、少ないです。
    それでも、パソコンで文字入力をするとき、「だいなり」と入力すれば、一発変換で「>」が出てきます。
    知る人は少ないけれど、これは現代も生きている正しい読み方です。

    うちの教室では、宿題の答え合わせなどでは、生徒は自分の答案を音読します。
    私は、自分の解いたものかテキストの模範解答を見ながら、その解答を聴き取り、正解かどうかの判断をしています。
    私が生徒の答案と自分の答をいちいち見比べて採点するよりも、音読してもらうほうが速いですし、私だけが採点していると、生徒は暇そうにしてしまいます。
    その間に他の問題を解いてもらっていると、わからなくて質問してくる子もいます。
    採点している暇がなくなります。
    答え合わせは、生徒参加型のほうが能率的であり、生徒もその時間を無駄な時間とは思わなくて済みます。
    というわけで、生徒に答案を音読してもらっています。

    +、-を「たす」「ひく」と音読する子については、私の頭の中でそれを「プラス」「マイナス」と変換しなければならないという手間はあるものの、答え合わせでの実害はありません。
    小学生に教えるときは「たす」「ひく」、中学生以上に教えるときには「プラス」「マイナス」と、私自身が長年使い分けていることもあり、頭の中での変換はスムーズです。

    しかし、不等号の読み方が逆になってしまう子の音読は実害しかありません。

    「a 大なり1」とその生徒は音読する。
    しかし、それは、本当に、
    a>1
    なのか、それとも、その子が読み間違えていて、その子の書いた答案は、
    a<1
    なのか、音読では判断がつかないのです。

    かといって、いちいちノートを受け取って見るというのも、このコロナの時代に、あまり好ましいことではありません。
    どうしても見なければならないときは見るけれど、音読で済ませられるときには、それで済ませたい。

    不等号の読み方くらい、覚えてほしい。
    それで万事解決するのだから。
    大したことではないし、邪魔になる知識でもないから。
    それでも、不等号の読み方をどうしても正しく覚えられない子たちがいます。
    そして、そうした子たちは、私が接してきた範囲では、例外なく、数学があまり得意ではありません。
    不等号を読み間違える子は、x についての不等式に他の文字 a などが入っている問題や、文章題など、応用問題になると歯が立たないのです。

    これは、数学センスがないということではなく、学力そのものに関係するのではないか?
    「>」を「大なり」と読む。
    「<」を「小なり」と読む。
    たったそれだけの読み方を、覚えられないのだから。

    a>1
    は、「a 大なり1」と読みます。
    それは、
    「a 大なり」で止めて考えれば、意味的にも明瞭です。
    「a 大なり」と断定したのですから、a は大きいのです。
    その言い方は、英語的です。
    a is larger than 1
    ということです。
    事実を最初に言い切ってしまう。
    主語がどのようであるのかを、まず断定する。
    補足事項は、その後につける。
    論理的な言語の特徴です。

    不等号の読み方と合わせて、そのように解説もするのですが、それでも、次の授業では、また読み間違える・・・。
    仕方ないので、ホワイトボードに、
    <  小なり
    と書いておくと、音読するときは、ボードをちらちら見ながら正しく音読します。
    しかし、毎回そうしてあげなければ、次の授業ではまた間違えます。
    定着する、ということがありません。


    もの覚えの悪い子には2通りあります。
    ①本当に記憶力が悪く、頑張っているが覚えられない子
    ②そんなことは覚える必要がないと、本人が判断している子

    そして、②の場合は、判断力がある分だけ頭が良さそうな感じがしますし、本人の自己肯定感も高いのですが、結果がついてきません。
    誤った判断が、その子の可能性を奪ってしまうのです。
    判断ミスの繰り返しですから。

    いえ。
    正直言って、不等号の読み方は覚えられなくても、教室での答えあわせ以外には何も影響しません。
    不等号の意味を理解していれば、大丈夫です。
    ただ、こういうことは氷山の一角です。
    本人の判断は随所に表れます。
    不等号の読み方を覚えられない子は、2次方程式の解の公式では、xの係数が偶数の場合の公式を、本人の判断で覚えないことがあります。
    判別式も、Dだけでなく、D/4も覚えたほうが計算する数字が小さくて済むのに、本人の判断で覚えない。
    乗法公式は意味がなさそうに思えても因数分解のときに使うのに、本人の判断で覚えない。
    組み立て除法は、微分などで3次方程式を解くときに使うのに、本人の判断で覚えない。
    等差数列の和の公式も、初項+末項のほうの公式しか覚えない。
    意味を考えて、自分で復元できるわけでもない。
    2種類公式がある場合、たいてい1種類しか覚えない。
    本人の判断で。

    それでは、本当に記憶力が悪く、頑張っているが覚えられない子と、表面的には同じことになってしまいます。
    教えられたことに、いちいち自分の判断を加えてしまい、そして判断ミスを繰り返す。
    そうしたほうが良い理由を説明されているのに、聞いていないのか、理解できないのか、自分の判断を優先する。
    性格なのか能力なのかは、微妙なところですが、客観的には、それが「能力」として評価されます。

    個別指導では、ここでいつも苦労しています。
    言われたことを言われた通りに覚えて活用してくれる子ならば、簡単に伸びる。
    でも、大抵の場合、それは期待できません。
    何にでも本人の判断が常に加わり、本人はそれを優先しようとします。
    それを論理で抑え、本人の失敗による経験で悟らせ、何とか合理的な方向に進んでもらう。
    数学指導は、煎じ詰めればそういうことです。

    さて、冒頭の、+、-を「たす」「ひく」と読み続ける中学生・高校生に戻ります。
    -6-3
    を、「マイナス6ひく3」と、謎の読み分けをする子たちです。
    たす、ひく、という読み方を直せない。
    これは、やはり、早い時期に直したほうがいいと思うのです。
    なぜなら、-6-3 を、引き算としか認識できていないかもしれないからです。
    -6-3
    =(-6)+(-3)
    という、負の数の和であるという見方ができていないから、そのように読んでいるのかもしれません。
    正負の数の計算をマスターしているようには見えるけれど、負の数の和と考えれば単純な計算を、その子は何か独特の理解の仕方で、複雑に把握しているのではないか?
    簡単なことがいちいち難しいことになっているのではないか。
    そのため、応用まで手が回らないのではないか。
    この場合、この先の数学の学習に影を落としかねません。

    すべての数には、プラスとマイナスの符号がある。
    それを理解していること。
    それは、移項の意味につながり、方程式を理解することにつながります。
    絶対値を含む式の理解につながり、絶対値を自ら活用できることにつながります。

      


  • Posted by セギ at 14:50Comments(0)算数・数学