たまりば

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2012年10月22日

成功体験をこじらせている子


毎週日曜日は模擬試験の会場責任者の仕事が入り、11月半ばまで休日なしです。
次に山に行くときは、低山も紅葉が真っ盛りでしょう。
それを見るのを楽しみに、頑張ります。

さて本題。
小学生から高校生までを長年教えてまいりますと、子どもの成長過程では、小学校から中学校に上がる際の段差がとにかくきつい、と感じます。

私が子どもの頃は、小学生でも、3年生からは5段階相対評価で成績がつきましたから、親も本人も、露骨なくらい学力を把握できました。
この子は、4教科全部「5」をとっているから、中学受験をさせてみようか、みたいな話にもなった一方、成績表に「1」と「2」しか並んでいないということもありました。
自分なんかどうせダメだと、小学生のうちから強い劣等感を抱いてしまう子どもが多かったのは事実だと思います。
自暴自棄になってしまう可能性もあるので、現在、小学校が、よくわからない観点別の絶対評価になっているのは、一概に悪いと言い切れるものではありません。

子どもに自信をもってもらいたい。
成功体験を与えたい。
ほめて伸ばしたい。
小学生のお母さんは、特に、そういう思いが強いのかもしれません。

先日、小学校低学年向けの塾についてのテレビ番組を見て、「何だこれは?」と思ったのですが、その塾は、間違えても、そのことを問題にしないのだそうです。
解き直して、正解できたら、丸。
だから、みんな満点。
みんな花丸。

小学校というところも、ある程度はそうであって、子どもに自信をつけさせたい、という教育方針の先生は多いように感じます。
カラーテストの点数でどうのこうのと評価されるということは、公立の小学校では、あまりないですよね。
授業中の発言も、よく考えた深い意見を発表した子も、表面的で内容のない意見を言った子も、みんな平等です。
発言することが大切だ。

小学生は、まあ、それで仕方ないのかなあ・・・・・・。
運動会の徒競走で順位をつけず、みんなで手をつないでゴールし、「みんな1等賞」みたいなもんかなあ。
しかし、それは、本当に1等賞をとれる子にとっては、苦々しい話です。

「みんな満点」も、勉強で本当に満点がとれる子には、奇異に感じられます。
間違えているやつが、自分と同じ満点をもらって浮かれているのを見たら、多少は腹が立つかもしれません。
違うじゃん。
あいつ、間違えたじゃん。
でも、そういうことを考えては、いけないのかなあ。
秀才は、子どもの頃から「勉強だけ出来てもダメなんだよ」と言われることが多いので、成功体験どころか、満点をとって落ち込むようなことさえあります。

とはいえ、そういう能力があり、プライドも人一倍高い子には、そういう子のための塾がありますから、問題はないんですが。
真剣勝負のテストが毎週、毎月、繰り返される塾。
テストによってあからさまに順位が定まり、クラスが決まります。
スポーツや芸術分野の教室もそうで、本当に能力のある子には、別コースが用意されます。
だから、「できる子」の心配をする必要はない。
できない子にやる気を出させることが大切なのだ。


ただ、現実世界は、「みんな満点」「みんな花丸」ではありません。
小学校の間は通用していたことが、中学になると途端に通用しなくなります。
「みんな満点」の価値観に首までどっぷり浸かっている子どもが、そこから抜け出せず、おいてきぼりをくらうことがあるんです。

本人は、ハキハキしていて、性格も明るく感じられることが多いです。
少なくとも、これまで傷ついてこなかったのですから。
小学校時代は、「授業中、よく発言しています」と褒められていたのかもしれません。
でも、残念なことに、その子の発言の多くは、ピントがズレています。
小学生の頃は、それでも、発言しただけで褒めてもらえました。
1つの大切な意見として、認めてもらえました。
その子の「成功体験」です。
褒めてもらえるのだから、直す必要があるなんて思ったことがありません。

ところが、同じ調子で中学の授業で一生懸命発言しても、進度が気になっている中学の先生に顔をしかめられることがあります。
授業が停滞するだけの、あまり意味のない発言をしているのですから、そうなります。
でも、本人は、そのことが理解できません。
テストの記述問題も、一生懸命答を書くのですが、今まで低いレベルで許されてきたので、日本語としておかしいことが多く、内容も薄いため、得点は期待できません。

数学や英語を勉強していても、そうです。
計算ミスやスペルミス。
それがなければ正解できた問題。
理解は、していたのです。
本人にとっては、今まで通り褒めてもらってもおかしくない出来です。
しかし、中学の定期テストは、はっきり点数化され、度数分布表にされ、学年内のおおよその順位もわかる形で返却されます。
高校入試がひかえていますから、解き直して正解できたら「みんな満点」なんてことは言っていられません。

でも、小学生の頃は、間違えても解き直せば花丸がもらえたので、気をつけて問題を解く習慣がありません。
何か発言すれば、その積極性だけで、発言内容とは関係なく褒めてもらえたので、深く考えた経験もありません。
それで褒めてもらえたのだから、それで良いのだと思っていました。
なのに、中学生になった途端、通用しなくなります。

この段差が越えられない子が、かなりいます。
これまで、低いレベルで褒められてきたので、それが「合格ライン」と思ってきたのに、急に要求されるレベルが高くなっても、何が何だかわかりません。

ついでに言えば、この段差を越えられない保護者も多いのです。
現実の競争社会。
褒めるだけでは、勝ち抜けません。
勝たなくてもいい。負けてもいい。
楽しく生きていってくれれば、それでいい。
私は、この子の在り方を常に全面的に認める。
そこまで思い切れたら問題ないのですが、やっぱり偏差値の高い高校に入ってほしい。
有名大学に入ってほしい。
望む職業について、社会で活躍してほしい。
それが願いである場合、下手をすると、親子でおいてきぼりをくらいます。

褒めるだけでは、子どもは、伸びません。
出来てもいないことを、出来た出来たと褒めると、子どもはたかをくくってしまいます。
低いレベルで褒めてもらえるなら、それ以上に自分を高める必要がありませんから。
そうした、成功体験をこじらせてしまっている子は、中学生になり、悪い成績をとっても、自分をかばってしまいます。
「でも、僕は、僕なりに頑張った」
「僕は、理解はしていた」
周囲が誰も褒めなくなったので、自分で自分を褒めています。
いたいたしい光景です。

褒めてやるのは簡単です。
褒め殺して、情でからめとっていくことは不可能ではありません。
でも、そんなことをしたら、成績は上がりません。
子どもの将来をつぶします。

頑張れ。
本当に出来るようになったら、褒めるから。
私の主観で褒めるのではなく、学校のテストの点数や模試の偏差値で、はっきり形が出たことを称賛するのだから。
実力というものは、他人のあやふやな褒め言葉にすがるものではなく、実績を出して証明していくものなのだから。

本当に満点をとってから、「満点」を喜びましょう。
  


  • Posted by セギ at 13:41Comments(0)塾選び

    2012年10月15日

    武川岳・大持山・小持山・武甲山縦走 2012年10月



    10月14日(日)、秩父の山を縦走してきました。
    三鷹から国分寺、東村山、所沢と電車を乗り継いで、飯能駅へ。
    西武線は接続がスムーズで、便利です。
    三鷹から飯能まで、1時間で到着。
    飯能駅北口から7:10発のバスに乗り、名郷で下車。8:05。
    バス停から少し戻る位置に、立派なトイレと地図の描かれた看板がありました。

    道標は特にありませんでしたが、地図を確認し、川に沿った道に入っていきました。
    キャンプ場が見えてきたところで、戻る感じに右折。
    ここから上り道です。
    以前に来たのは、8年前。
    記憶もあいまいですが、ここも、林道が伸びた印象でした。
    いつまで舗装道路が続くのかなあ、と不安を感じる頃、1つ目の道標を見つけ、まずは安心。
    やっと登山道が始まった、と思ったら、無理に作られた感じの細い道で、ただのショートカットコースでした。
    また林道に出て、そこには大きな掲示があり、そこからは本当の登山道。
    植林帯の細い道でした。
    そろそろ尾根に出られるかな、と思う頃、う回路の掲示を見て、がっかり。
    尾根道は、今は通れなくなってしまっているようです。
    いや、尾根道そのものが、削られて、なくなってしまったのでしょう。

    秩父の山は、石灰岩の山。
    セメント会社が所有し、石灰石を採掘しています。
    山が、削られて、なくなっていきます。
    資源の乏しい日本。
    でも、セメント原料は自給率100%。
    それは、こういうことなんだなあ。
    しかし、資源は必要。
    外国から輸入すれば、外国の山がこうなるだけです。
    一概に良いとか悪いとか言えることではなく、考えこんでしまいました。

    人工的に造られたう回路は、山の斜面をまいていき、中腹から急に上がっていく道でした。
    こういう道は、やはり、あまり良い印象の山道ではありません。
    登山道の品格を損なっている、というのは少し大げさかな。
    楽しみにしていた天狗岩も、削られてなくなってしまったかなあ。
    そう思いながら急登を上り、尾根に出ました。
    フェンスが張ってあり、そこから採掘場を見下ろすことができました。
    休日なので、重機があるだけ。
    人の姿はありませんでした。

    そこからは、尾根道でした。
    しばらく行くと、天狗岩。
    良かった。天狗岩は、まだありました。
    岩屑をぐしゃぐしゃに積んだみたいな岩場です。
    8年前に来たとき、ルートが読めないと悩みながら、がむしゃらに登りました。
    今、改めて見ると。
    うーん。やはり、ルートが読めない。
    というより、どこからでも、登れる?
    というわけで、適当に登って、天狗岩山頂。9:05。

    快適な尾根道を登って、武川岳山頂。10:10。
    ここは、いくつかのコースが集まる十字路で、本日初めて、他の登山者と遭遇しました。
    ベンチに座って、汗を拭き、水分補給。
    空も晴れてきました。

    さて、妻坂峠へ。
    急な下りが始まりました。
    トレッキングポールなしで立って歩いていける限界くらいの傾斜を、おっとことー、すっとことーと下っていきました。
    若干スピードが出ているのは、技術があるからではなく、止まらないんだよー。
    転んだら、終わりです。
    それでも、あまりプレッシャーを感じずに歩けたのは、空と道が明るかったからだと思います。
    妻坂峠。10:35。

    ここからは、本日一番の長い急な上りでした。
    登山道がえぐれ、土嚢を入れてもさらにえぐれて歩けない状態でしたので、申し訳ないけれど、その脇の尾根を歩きました。
    アキレス腱がよく伸びる感じの急登です。
    単調な一本調子の上り坂。
    でも、広葉樹林の明るい道です。
    足もとには、山栗とドングリがたくさん落ちていました。
    栗のイガだけでなく、中身が詰まっているのが落ちているのは、珍しいなあ。
    豊かな山です。

    ふと顔を上げると、向こうから登山者が見えてきました。
    逆コースのほうが、この山は、楽かもしれないと考えていたら、何か生き物が登山道を横切って走り抜けていきました。
    犬?
    それにしては、足が短かったような?
    すれ違う登山者と挨拶をして、
    「・・・・・・今の、イノシシですか?」
    「そうそう。イノシシですよね」
    と確認しあい、別れました。

    イノシシに体当たりされるのは、まずい。
    見ていると、イノシシは、また登山道を横切ったので、熊鈴を手にとり、ガンガン鳴らしました。
    イノシシは、一目散に斜面を下りていきました。
    ごめんねー。
    日曜日には、登山道に来ないでねー。

    大持山の手前、鳥首峠との分岐は、展望の良い、晴れ晴れとした場所でした。
    上の写真がそこです。11:45。
    大持山は、狭く、木に囲まれている場所だった記憶があるので、ここで昼食。
    大持山のほうから、ときどき人が下りてきます。
    やはり、このコースは、逆に歩くほうが普通のようです。
    どちらを歩いても危険度は同じくらいなので、体力的には、逆コースのほうが楽かもしれません。
    さて出発。12:00。

    すぐに大持山到着。12:05。
    8年前に来たとき、このあたりは、ツツジが美しかったところです。
    アカヤシオはほぼ終わっていましたが、シロヤシオとミツバツツジがきれいだった記憶があります。
    しかし、ツツジの咲くところって、大体ややこしい岩場なんですよね。
    (^_^;)
    道は、岩がちになってきました。
    そんなに難しい岩場はありませんでしたが、切れ落ちているところもあるので、慎重に歩を進め、小持山。12:35。
    山頂を少し過ぎると分岐。
    左は「武士平」という道標もあり、赤いリボンもつけられていますが、何の表示もない右へ。
    右が、武甲山への縦走路です。
    岩がちな下り道。
    武甲山が大きく見えています。
    こちらから見る武甲山は、緑豊かな山だなあ。

    やがて道が緩くなり、また少し上ったり下ったりを繰り返し、シラジクボ。13:10。
    ここからは、また急登でした。
    本日最後の上りを頑張って、武甲山山頂。13:45。
    武甲山は、観光的に整備されている山なので、トイレもあります。
    神社を回り込んで奥に進むと、展望台。
    フェンスの下には、石灰石の採掘場。
    そして、眼下に横瀬の街並み。
    8年前は、羊山公園の芝桜がきれいに見下ろせました。

    さて、下山。浦山口登山道へ。14:05。
    道標には、「駅まで約3時間」とありますが、よほど歩き慣れていない人でない限り、そんなにはかからないと思います。
    多少急な下りもありましたが、歩きやすい広い道もあり、変化を楽しみながらどんどん下りていくと、水音が大きくなっていき、沢が見えてきました。
    水量豊富で、小さな滝もいくつかあります。
    迫力ある眺め。
    その脇をずっと歩いていくと、林道終点。15:10。
    そこからは、砂利道の林道でした。
    沢沿いの道で、道幅もそう広くないせいか、林道といってもストレスが少なく、楽しく歩き続けていくと、やがて民家のところまで下りてきました。
    セブンイレブンの看板が見えたところで左折し、急坂を上ると、秩父鉄道浦山口駅。16:05。
    16:29発の電車は、西武線直通池袋行き。
    ラッキーです。
    横瀬駅で途中下車し、武甲温泉に寄ることも考えていたのですが、便利な電車が来たので、やっぱり、まっすぐ帰ろう。

    でも、武甲温泉は、良い温泉です。
    3回ほど入ったことがあります。
    脱衣所からすぐ露天風呂の隣りのデッキに出ることが出来て、ビールの自販機が置いてあって、お風呂上りに、爽やかな風に吹かれながらビールを飲めるところに、個人的には一番感動しました。
    今は、変わっているかな?
    (*^_^*)

    武甲山が、車窓から大きく見えました。
    山腹から山頂まで削りとられた姿。
    何度眺めても、その姿は、不思議な印象があります。
    昔の武甲山を知る人には、痛ましい姿なのだろうと思います。

    私は、削られた武甲山しか見たことがありません。
    そのせいか、ある種の勇猛さも感じます。
    削られてなお、この山は、なんて美しいのだろう。
    車窓から見えなくなるまで、仰ぎ続けました。
      


  • Posted by セギ at 12:53Comments(0)

    2012年10月11日

    脳が追いつかない



    このブログを始めたばかりの頃にも書いたのですが、まだ何とか、スポーツジムの平日デイタイム会員として、エアロビクスに励んでおります。
    もう13年ほど続けていますので、下手の横好きながら、一番難しいクラスに参加します。
    当たり前ですが、やはり難しい。
    そもそも、音楽が、わかりやすいエイトビートではありません。
    どこが一拍目かわからないような音楽で踊ります。
    しかも、振りは、リズムチェンジの連続です。
    3週にわたって同じ振付けでやってくれるのですが、1週目は、大体ボロボロです。

    エアロビクスは、60分なら60分のレッスンの中で、初めは簡単なステップから始まり、徐々にリズムが変わったり、新しいことが加わったり、手の振りがついたりと、複雑になっていくのが基本です。
    そうしたほうが、いきなり複雑なことをやるより覚えやすいからですよね。
    ところが、初めの簡単なステップをあまりかっちり覚えてしまうと、変化したときに対応できないことがあります。
    頭ではわかっています。
    あ、振りが変わった、自分も変えなくちゃっ。
    でも、足は、前の通りに動いてしまう。
    わかっているのに、何回でも、何回でも。
    脳が正しい信号を送っていません。

    で、いきなり仕事の話になりますが、教室で、生徒が算数・数学の問題を解く様子を見ていると、同じ状態になってしまう子が、ときどきいます。
    新しいところをやっているのに、その前にやった公式を使ってしまいます。
    何回でも、同じところを間違えます。
    計算ミスとか、符号ミスとか、初歩的なミスも多発します。
    何か書いて、「違う」と自分でわかるようで、慌てて消しゴムで消します。
    ところが、消しても、なぜか、また同じことを書いてしまいます。
    ますます慌てて、急いで消すと、ノートにぐしゃっとシワが寄ったり、切れたり。
    瞬く間にパニックが起こるので、教えることより、落ち着かせることが、まず私の仕事になります。

    こういう状態が起こるのは、その子にとっては、ちょっと複雑で、やや手にあまることをやっているときです。
    私がテクニカルなエアロビクスをやっているときと、同じ。
    脳が追いついていっていない。
    情報処理が追いつかない。
    だから、上手くいかない。


    でも、人間の脳ってやっぱりすごいです。
    そのときは、処理が追いつかなかったことを、終わった後も、脳はずっと整理し続けているのでしょう。
    エアロビクス、同じ振りの2週目。
    家で復習したわけでもないのに、するっと出来るようになります。
    手と足が全く違う振り。
    一体何がどうなっているのか、1週目は全くわからなかったことを、既に脳が分析している。
    脳は、無言で、宿題をこなしていたんですね。
    2週目のレッスンでようやくわかった、という感じではないんです。
    私は、既にわかっていた。
    そういう感覚で、2週目のレッスンを受けます。


    エアロビクスをやっていて、もう1つ感じるのは、1度ちゃんと出来た振りが、同じことを何回も繰り返しているうちに、かえって出来なくなることがあること。
    あまり同じことばかり繰り返すと、逆に、どんどんダメになっていくことがあるんです。

    子どもも同じです。
    単に公式に当てはめるだけの練習問題。
    最初は出来ているのに、途中で間違え始める子がいます。
    それからは、やってもやっても、間違えてしまいます。
    本人は、わかっているんです。
    そこを間違えたらダメだとわかっていて、間違える。
    何で出来ないのか、自分でもよくわからない。
    で、慌てて消す。
    焦って、また、同じことを書いてしまう。
    ノート、ぐしゃぐしゃ。

    向学心がある限り、あせらなくても、大丈夫。
    家に帰ったら、出来ているかもしれません。
    あるいは、次の週には出来るようになるでしょう。
    脳に任せておきましょう。
    帰り道も、ご飯食べてる間も、脳は、情報処理を続けてくれていますから。

    おっと、全然意欲がなく、努力もしていないのに、自然に勉強が出来るようになることは、決してありませんよー。
    (*^_^*)

    ところで、昨日は10月10日。昔の「体育の日」でした。
    「昔の体育の日なのに、あまり晴れじゃないですね」と知人に言われ、10月10日は晴れの特異日ではないんですよ、なんて話になりました。
    去年の今頃、このブログにも書いたのですが、自分でも、わりとうまく説明できた、と思っています。
    興味のある方、読んでいただけると嬉しいです。
    下のをクリックすると、跳べます。
    http://seghi.tamaliver.jp/e190459.html
      


  • Posted by セギ at 14:00Comments(0)算数・数学

    2012年10月08日

    高柄山を歩きました 2012年10月


    10月8日体育の日、高柄山を歩いてきました。
    高柄山は、中央線沿線の低山。タカツカヤマと読みます。
    駅から歩いていける山なのですが、多少険しいせいか、あまり人が来ない、静かな山です。
    秋晴れの休日だったのに、私が出会った登山者は、15人ほど。
    私は、普通のガイドブックに載っているのとは逆コースを歩きましたので、これが本日の登山者全員である可能性もあります。
    お隣りの倉岳山なら、この10倍は登山者がいたはず。
    山の人気・不人気って不思議ですね。

    中央線上野原駅で下車。桂川橋を渡り、集落を通り、墓地を右手に御前山登山口へ。
    え、ここ?と驚く、狭い登山口でした。
    そして、いきなりの階段上の急登。
    夏草がまだ生い茂っているせいもあるでしょうが、人1人やっと通れる狭さの登山道です。
    少し広くなったと思ったら、傾斜が急すぎて、そこら中にトラロープが張ってあります。
    えらいところに来てしまったかもしれない。
    朝から、プレッシャーを感じながら歩きました。
    駅から30分しか歩いていないのに。
    電車の音は、ゴーゴー聞こえてくるのに。
    それでも、この山、今日は、私しか来ていない可能性があると感じると、深山と同じ気持ちになってしまいます。
    古いトラロープはいつ切れるかわかりませんので、あまり体重をかけず、信用せずに急登を登っていくと、人影が見えました。
    先行者がいた!
    さらに驚いたことには、小さな男の子と、若いお母さんでした。

    「よくこんな山に来ましたね」
    私自身が精神的にきついと感じていましたので、つい余計なことを言ってしまうと、若いお母さんは、
    「こんなだと、知らなかったんです。後悔してます」
    と答えました。
    急とはいえ、距離は短いんですが、でも、この先も、どれだけやばいところがあるか、この山、よくわかりません。
    とりあえず、追い抜かせていただき、先へ。
    トラロープは、延々張られています。

    急登を登ること30分。鶴島御前山山頂に着きました。10:15。
    山頂の標識が、また、難解。
    私が登ってきた方向は、「墓地コースを経て上野原駅へ」。
    道なりに進む方向は、「鶴鉱泉を経て上野原駅へ」。
    まだ朝だというのに、駅に戻ってしまいそうです。
    私は、高柄山に縦走したいんですが。
    (^_^;)

    ともかく、登山地図では、道なりに先に進んで行けば良いはずなので、「鶴鉱泉を経て上野原駅へ」の道標通りに進みました。
    結果的に、それで良かったですが、この山、道標も何のトラップ?という印象で、やはり、かなりやばいです。

    しばらくは、尾根上を歩くと、分岐。
    道標はありません。
    直進すると、岩が2つ、爪のように立っていて、その向こうには、高柄山が見えます。
    でも、そこは行きどまり。
    右に折れる道はあるようですが、蜘蛛の巣があり、長い間、人が通った様子がありません。
    だから、左の下り道を選びました。
    結果的に、これも、それで良かったです。

    急登の後は、当然、急な下り。
    昨日の雨で、土が濡れているので、余計に滑ります。
    トレッキングポールを持ってくれば良かった。
    しばらく下ったところで、「鶴鉱泉」への分岐の標識がありました。10:35。
    その標識の通りに行けば、鶴鉱泉経由で、上野原駅に戻ってしまう、ということなんですね。

    では、この道は、高柄山への縦走路で間違いないだろう。
    斜面につけられた細い登山道を登っていきました。
    ときどき、左手には、樹間から、ゴルフ場が見えます。
    地図と全て一致。間違いないです。
    やがて道は下っていき、小さな沢。
    昨日雨が降ったというのに、枯沢でした。

    そこから、登り返しです。
    斜面につけられた道は、全体に細い。
    木の根や岩が段差を作ってくれていたら歩きやすいのですが、そういうものはなく、のっぺりとした坂です。
    私は、こういう道、下るよりは、上るほうが好きです。
    体力的には、上るほうがきついですが、こういう下りは、精神的に疲れます。
    自分にあったコースとして、私が上野原駅から登ったのは、間違いではないだろう。
    ガイドブックでは、私が今日歩いたのと逆コースが紹介されている場合が多いようです。


    山は、登ったら、下りなければならない。

    先週の日曜日、『世界の果てまでイッテQ』というテレビ番組で、タレントのイモトアヤコさんが、マッターホルンに登った様子が放映されました。
    バラエティ番組ですから、主な視聴者は若い子なのでしょう。
    「イモトすげえっ」
    という賛辞が、ツイッターには多く寄せられていました。
    「感動をありがとう!」
    「勇気をありがとう!」
    みたいな話にもなっていて、さすがにそれはどうなんだろう?とも感じたのですが、そういうところから勇気をもらって、自分も頑張ろうと思う子はいるでしょうし、それはそれで悪くありません。

    1人の人が、野口健さんに質問をしたところから、雲行きが怪しくなりました。
    「イモトさんは、下山にヘリを使っていましたが、登山ってそういうものなんですか?」
    この質問、無視しても良かったんじゃないかと私は思います。
    質問した人は、答えはわかっていたと思いますから。

    野口健さんは、
    「イモトさん、ヘリで下山したんですか(笑)僕は、それは登山ではないと思います」
    とツイッター上で答えました。
    そこから、ネットは大もめです。
    (^_^;)

    自分の登った山を自分で下りられず、ヘリで下山。
    それは、登山ではないと私も思います。
    でも、あの番組を見ている子の大半は、登山なんて知らない。
    話がかみあうとは思えません。

    こういうことは、他にもあります。
    「それは、SFではない」
    「それは、詩ではない」
    「それは、文学ではない」
    そのように一言で否定されたら、イラッとし、カチンとくることがありますよね。
    では「SFとは何なのか」と尋ねても、明確な答えが得られないことのほうが多いのですし。
    そんなことは、簡単に説明できることではないですから。

    何だかわからないことを根拠に全否定される。
    イラッとしますよね。(^_^;)
    「それは、芸術ではない」
    「それは、ジャズではない」
    「それは、映画ではない」
    いろいろあります。
    わかる人には明瞭に見える境界線。
    でも、簡単に説明できることではない。

    イモトさんを擁護する人たちの気持ちも、わかります。
    マッターホルンは、登山シーズンの終わり。
    少し積雪があり、ベストコンディションとは言えない条件でした。
    登るのに、時間がかかります。
    下りる時間を確保できない。
    しかし、中止するわけにはいかない。
    マッターホルンに登らないと、特番が成立しない。
    登るのは、登山と真摯に向き合っている市民クライマー、というわけではなく、タレントです。
    とにかく、登ればいいんです。
    番組側からか、現地ガイドからか、提案したのは本当はどちらなのか、真実はわからないけれど、下山はヘリを使用するというのは、安全面と番組の成立と、両方を考えた苦肉の策だったんじゃないでしょうか。
    今回、イモトさんがすごく頑張ったということと、あれが登山ではないということは、両方認められることだと思います。

    私は、イモトさんが山に登るときは、必ずあの番組を見ているのですが、見ていて気持ちいいのは、彼女が、決して自惚れないこと。
    常に謙虚です。
    勘違いをしません。
    「アルピニストとしての成長を」なんて言うときは、冗談であって、誰も、そんなこと本気で思っていない。
    本気で思っていないけど、山というのは、やっぱり、努力しないと登れない。
    そこらへんのバランスが絶妙で、面白いです。
    イモトさんが少しずつ上手くなっていくのを見るのも、楽しみ。

    マッターホルンというのが、また絶妙な山です。
    山歩きが大好きな日本の中高年。
    金銭的に余裕のある人は、海外にも行きます。

    エベレスト街道とか、キリマンジャロくらいですと、誰でも歩けます。
    まだ「登山」というレベルではなく、山歩きです。
    高山病のリスクはありますが。

    モンブランも、日本でひと冬、雪の上を歩く練習をすれば、登れるみたいです。
    以前、お世話になっていたガイドさんに、
    「私、モンブラン、登れますか?」
    と質問したら、変な顔をされました。
    「登れますけど、登りたいんですか?」

    マッターホルンは、少し人を選ぶ山です。
    登山ツアーもあるので、中高年の山好きが、たくさんチャレンジしていますし、登れてしまう人も結構いるのですが、登るのが遅いと、安全に下山できなくなるので、現地ガイドに強制的に途中で下山されられてしまいます。
    しかし、以前、「世界の名峰グレートサミッツ」という番組で、NHKの女性ディレクターがマッターホルンに登ったときも、今回のイモトさんと同じくへっぴり腰で、もたもたしていて、何だか私とレベルが大差ない気がします。
    私でも登れるかも。

    高柄山の下りが急で怖いとか言っといて、どの口がそれを言うか、ですね。
    (*^_^*)
    しかし、マンツーマンガイドで登るということは、それくらい楽なんです。
    ロープさえ結べば、客は怖くありません。
    ガイドさんが登らせてくれます。
    私も結構ホイホイ登っていました。

    だけど、そんなの、自分の実力じゃないんですよね。
    (-_-;)

    ガイドとではなく、自力でマッターホルンに登れたら、ヨーロッパでは、アルパインクライミングの初級者として認められるらしいです。
    カッコいいなあ。
    そうして経験をたくさん積んで、いつか、未踏の岩壁とか、登っちゃうんだなあ。

    しかし、私には、そもそも、ガイド登山をするお金も暇も今はありません。
    金と暇も実力のうち。
    日に日に技術は落ちていく。
    以前は登れた岩も、今の私にはもう無理かもしれません。
    せめて日帰り山歩きを楽しもう。
    (*^^)v

    そう、現実は、高柄山。
    これが、なかなかに急で、人が少なくて、不安にさせる山です。
    新矢ノ根峠。11:30。
    そこからは尾根歩きだから大丈夫。
    と思ったら、確かに快適な尾根道も多いのですが、またもトラロープの張られた急登が何箇所も出てきました。
    このあたりのトラロープは新しく、最近整備された様子です。
    「危険」「通行注意」と書かれた黄色いビニールテープが張ってあるところもありました。
    しかも、今度は、1か所あたりが、結構長いです。
    逆方向から歩いてきている人とすれ違い始めましたが、片手にトラロープをつかみ、片手でトレッキングポールをつき、そろそろと下っていく人を見ると、やはり、この山、逆コースは精神的につらいわ、と感じました。
    なんで下りが難しいコースのほうがガイドブックに紹介されているんだろう。
    それは、紹介している山岳ライターに登山技術があるので、その程度の下りは全然気にならないからかなあ。
    体力だけで山を量るので、登りのゆるいコースを紹介するのかもしれません。

    高柄山山頂到着。12:30。
    今回は、おにぎりもおいしく食べることができました。
    ポットに熱いカフェオレも詰めてきました。
    空が高い。
    秋だなあ。

    さて、下山。12:50。
    高柄山から、大地峠に向かって下っていきました。
    登山道には、コウヤボウキの花。ヤマハッカ。アキノキリンソウ。
    高柄山は、花の多い山でした。
    木の根が良い段差を作ってくれていて、こちらの道は、下りやすかったです。

    尾根道の小さな登り下りを繰り返し、そろそろ下山路への分岐が気になります。
    千足峠からも「四方津へ」という道標がありますが、道が少し荒れているらしいので、見送り、大地峠から下るつもりでいました。
    でも、分岐を見過ごしてしまいました。
    正確に言えば、分岐の道標はちゃんと確認したのですが、この分岐も、まだ違うのだ、と思ってしまったんです。
    舗装された林道を横切って、登り返し。
    そこから10分のところにあるはずの道標が、すぐ出てきたので、まだこれじゃないだろうと思ってしまいました。

    まだまだ分岐は先のつもりで、さらにしばらく歩いて、別の道標を発見して、意味がよくわからず、立ち止まりました。
    1:55。
    いろんな方向とその行先は示しているのですが、肝心の、今いるここは、どこなのかが書いてない。
    四方津は、戻る方向に矢印がついていました。
    正確には、今来た尾根道とは違う道をV字を描くように戻る道を示していました。

    地形から、道標の立つそこが大地峠であると判断し、道標の通りに、シモバシラの花が道を塞ぐほど咲いている道に入っていくと、ふっとまた尾根に戻ってしまいました。
    そこにも、小さい道標。
    ここで、一気に方向感覚が狂いました。
    登山地図しか持ってこなかったことを後悔。
    25000分の1地形図とコンパスがあれば、もっとちゃんと地形を判断できるのに。
    普段はしないのですが、登山地図を回して、確認。
    地図は頭の中で回すもの。
    というより、自分と地面を地図の向きに回して判断するもの。
    地図を回してたらダメなんですが。
    高柄山がこっちの方向で、大丸山がこっちの方向なら、矢印が何もない、こっちの道が、多分、四方津駅への道。

    でも、さっきの尾根をただ戻っているような、変な不安をぬぐえません。
    舗装された林道がまた見えてきて、階段を下りていき、林道を渡りました。
    さっきとは違う道だと明らかにわかるのに、同じように見えてきます。

    これは、やばいぞ、と思いながら、林道を渡って、「四方津駅へ」の道標を発見し、少し安心。
    しかし、すぐに突き当り、丁字路。道標はなし。
    普通とは逆コースを歩いていることが、ここで災いし始めていました。
    ついでに言えば、林道が伸びていて、登山地図と実際が違うことも、大きな災いです。
    しかし、道標がないのは、逆コースで来た人は、ここの丁字路を迷うわけがないということなのでしょう。
    ということは、逆コースの人は、普通に登ってきているのだ。
    ならば、普通に下るほうに曲がればいい。
    ということで、左折。
    左下には、舗装された林道が見えました。
    それも下っています。
    多分間違いはない。
    でも、不安です。
    そして、その不安は、以後、1時間続きました。
    それきり、1時間、道標はなかったんです。
    林道と並走するように続く登山道。
    少し離れては、また林道が見えてくる繰り返しでしたが、やがて、林道と別れ、道は暗い感じになってきました。
    緩い下りの広い道。
    整備されたとても歩き易い道ですが、不安なときは、そんなことはどうでもよくなります。
    ショッキングピンクのリボンは、うるさいくらい張られていて、こっちだよ、こっちだよ、といざなってくれるのですが、大量のリボンより、1本の道標。
    紙に書いてビニール張ってあるだけのでいいから、1枚、掲示が欲しい、とつくづく思いました。

    樹間からは、奥多摩の山々が遠く見えています。
    中央線沿線の市街地も見えます。
    方向的には間違っていないのですが、1度不安になると、確信が持てず、歩きながらも不安が増します。
    もしも道を間違えて1時間も下ったら、ほぼ取り返しがつかない。
    ですが、これだけピンクのリボンがあり、登山道が明瞭ならば、どこかの道路には出るのだろうし、そこから、バスなりタクシーなり使って、何とか帰れるだろう。
    そう覚悟を決めて歩いていくと、道はだんだんえぐれてきて、もこもこしているのに段差があったりもして、何だか荒れてきました。
    でも、正しい道でした。
    ついに道標。
    「四方津駅まで、40分」
    やったー。
    あとは、ほどなく舗装道路に出て、そこからは道標も豊富でした。
    川合の集落で、通りかかった人に「お帰りなさい」と言われ、それがしみじみ嬉しくて、会釈を返しました。
    四方津駅着。3:25。
      


  • Posted by セギ at 23:28Comments(2)

    2012年10月04日

    大脳の消費カロリー 


    集団指導塾に勤めていた頃、生徒たちが塾にお菓子を持ち込むのが悩みの種でした。
    塾は飲食禁止と注意しても、なかなか言うことを聞きません。

    「センセイ、知らないの?大脳は、すごくカロリーを消費するんだよ。お菓子を食べながら勉強すると、頭が良くなるんだよ」
    そんなことを言います。

    ・・・・・何だ、それ?

    複数の生徒から情報を入手してわかったことは、その当時流行していた『デス・ノート』の登場人物に、お菓子ばかり食べている天才がいる、ということでした。

    『デス・ノート』って・・・・・。
    『デス・ノート』って、マンガでしょう?
    フィクションでしょう?
    キャラクターを際立たせるために、そういう設定にしてあるだけでしょう。
    なんで、そんな話を鵜呑みにしているんだろう。

    「大脳はすごくカロリーを消費する」

    その「すごく」が曲者です。
    何と比べ、どのくらい「すごく」なのか、子どもたちは、実は何も確認していませんでした。
    ただ、「すごく」消費する。
    頭からそれを信じているのでした。
    ・・・・・・そんなふうだから、あなたたちは、勉強ができるようにならないんだよー。
    心の中で絶叫しました、私は。
    何でも鵜呑みにせず、本当かどうか、確認しようよー。

    勉強をすると、大脳は、それ以外のことをしているときと比べて、どれくらいカロリーを多く消費するのか。
    そのことに関しての、明確なデータはないようです。
    それは、そうですよね。
    身体の全ての器官をコントロールしているのが大脳。
    多岐にわたる仕事を同時にこなし、常に機能しています。
    勉強している分の消費カロリーなんて、どう区別していいかわかりません。
    大脳は、もともと多くの仕事をこなしている器官ですから、消費カロリーが多いのは、当たり前の話。
    逆に言えば、勉強したからといって、そんなに過剰に消費カロリーが増えるものではないと感じますが。

    運動部を引退した中3男子は、多くの場合、入試までに5㎏程度は体重が増えます。
    あんなに一所懸命勉強していても、太ります。
    体重は増える一方です。
    運動不足には勝てないんです。
    女子は体重を気にしますから、それほどの増減はありませんが、男子は、食べ盛りですし、高校に入ったらまた運動部に入って身体をしぼるつもりでいるので、体重増加に無頓着なことが多いです。
    毎年、そういう実例を多数見ている私には、大脳がカロリーを「すごく」消費するなんてのは、実感からは遠い話です。
    そもそも、頭を使えば痩せるなら、私だってもう少しは痩せていますよ。

    勉強するしないはともかく、一説によれば、大脳は、身体が消費する全カロリーの20%程度を消費するとのことです。
    ということは、1日に500kcal程度ということでしょうか?
    確かに、少なくはないですよね。
    大脳1つがそんなに消費するというのは、「すごく」消費する、と言えなくはない。
    だけど、頭を使えば使うだけ、無限に何千kcalと消費するというのは幻想でしょう。
    チョコレート1箱は600kcal以上。
    大脳のような精密な器官が、チョコレート1箱で1日動くのだと思うと、逆に、すごく燃費がいい気もします。

    そういう話を生徒にしますと、
    「でもでも、センセイ、大脳は、ブトウ糖しか消費しない、贅沢な器官なんだよ」
    と、一応知識の裏付けのあることを言う子もいました。
    「血糖値が下がると、だから、勉強できなくなるんだよ」

    ・・・・・・・へえ。

    確かに、大脳は、「ブトウ糖しか消費しない」でしょうが、ブトウ糖というのは、別に、そんなに珍しく貴重なものではなく、身体中に普通に存在するものです。
    ご飯もパンも麺類も、炭水化物は、消化・吸収されて、血液中のブトウ糖になる。
    そして、血液中の余分なブドウ糖は、肝臓がたくわえる。
    だから、血糖値が下がれば、また肝臓からブトウ糖は放出される。
    健康体である限り、そんなに心配しなくても、血糖値は正常に保たれます。
    勉強している間、お菓子を食べ続けて、糖分を補給し続けなくてはならない、というほど、健康な人間の身体は、自転車操業的なものではないでしょう。
    普通に規則正しく食事をとっていれば、血糖値は安定し、大脳に必要なブドウ糖は、いきわたりますよ。
    むしろ、お菓子ばかり食べて、血糖値をドカンと上げたら、肝臓が急いで血糖値を下げるので、逆に頭がぼんやりしてしまう可能性だってあると思います。

    そういえば、私は『3月のライオン』というマンガが好きなのですが、あのマンガに出てくる天才棋士も、対局中にブトウ糖をガバガバ摂取するという設定です。
    でも、そのコミックスに掲載されている、本職の棋士のエッセイによれば、対局中は食欲がわかないし、そんな余裕もないので、あまり食べない棋士のほうが多いらしいです。
    現実は、そういうものですよね。

    天才の脳が、どれくらいのカロリーを消費するかは知りません。
    しかし、糖分をたくさん摂ったからといって、そもそも、我々の脳が、天才のように動くわけではない。
    私たちの脳は、私たちが普段使うようにしか動かない。
    糖分を摂ったからといって、頭が良くなるわけではないです。

    かえって心配なのは、朝食を食べない子。
    夕食を食べた後、朝食を抜いて、昼食まで何も食べないとなると、18時間くらい経ってしまいます。
    さすがに血糖値が下がるでしょう。
    だから、朝食を抜いたら、午前中はぼんやりして、学校の授業が頭に入りません。
    そういうことのほうを心配してほしいです。
    お菓子より、普通のご飯を、バランスよく、きちんと食べましょう。


    塾業界で伝わってきた、風の噂があります。
    埼玉のある予備校が、自習室に無料のドリンク・バーを設置し、勉強しながら、コーヒーやジュースを自由に飲めるようにしました。
    もちろん、お菓子の持ち込みも自由。
    しかし、無料になると、扱いが雑になるのが、子どもの常です。
    好き勝手に飲み、飲み残し、こぼす。
    自習室は、たちまち荒れました。
    そして、その予備校の生徒たちの学力は、目に見えて落ちていったそうです。

    頭が疲れたとき、甘いものを食べると、確かに、少しすっきりします。
    しかし、それは、節度を保って、ほんの少量摂れば済むこと。
    食糧事情の悪かった戦中・戦後の人たちが、私たちより頭が悪かったとも思えません。
    気力で補えるレベルのことを、大げさに言いたてたり、あやふやな情報を鵜呑みにすることを、むしろ反省したほうが良いように思います。
      


  • Posted by セギ at 14:34Comments(0)講師日記