たまりば

  地域と私・始めの一歩塾 地域と私・始めの一歩塾  三鷹市 三鷹市

2019年10月31日

近所の都立高校。


昔、集団指導塾に勤め、中2のクラス担任をしていたある夏のこと。
保護者面談を行っていたときのことです。
集団指導塾といっても1クラス10人ほどで、その子の授業態度や宿題をやってきているかなどを正確に伝えることは問題ありませんでした。
月例テストの成績の推移を示すことで、学力の伸びなども伝えることができました。
しかし、保護者の中には、
「〇〇高校に入れそうですか?」
と、直球の問いを投げかけてくる方もいらっしゃいました。
無理もありません。
知りたいですよね、そういうこと。
その子の成績は、3が大半でたまに4。
授業中の私語が多く、宿題もやってきません。
それなのに、志望校は、都立自校作成校でした。
うーん・・・。

月例テストは、目安として志望校の合格判定も出ました。
中3の模試とは違いますので、そんなに正確な数値が出るわけではないですが、目安にはなります。
本人の記入した志望校の合格判定は、無論、泣き顔の顔文字。
とはいえ、どの高校を志望するのが妥当かを例示してくれるのが参考になりました。
その子の場合、月例テストがお薦めする妥当な志望校として、その子の家の近くの都立高校の名前が上がっていました。
これから頑張れば、そこを受験できるだろうと予想できました。
しかし、その学校の名前を出すと、お母様は顔をゆがめました。
「あんな高校」

第一子のお子さんの高校受験の場合、進路指導でこういうことが起こりがちです。
さすがに、中3の秋になってそうしたことをおっしゃる方は少ないのですが、まだ中2ですと、入試情報をほとんど得ていない中でイメージが先行し、志望校が高くなる傾向があります。
近所の都立高校の実力を理解しづらいのも一因かもしれません。

「あんな高校というのは、近所ですと、やはり、〇〇高校の生徒さんの登下校で迷惑を感じることがあるのでしょうか?」
と質問してみると、そのお母様は具体的に不快な点を列挙されました。
制服を着くずしたり、オーバーサイズのセーターやカーディガンをだらだら着ていたりするので、服装の印象がだらしない。
道いっぱいに広がって大声で話しながら下校していく。
自転車の子が徒歩の子と並んでだらだら下校するので、交通の邪魔。
お菓子を食べながら歩き、道にゴミを散らかしていく子もいる。

うーん・・・。
大したことではないという見方もできるし、それが毎日のことであれば不愉快極まりないと見ることもできる・・・。
そのイメージですと「あんな高校」と思ってしまうのも仕方ないのです。
しかし、その「あんな高校」は、内申が3の中にたまに4があるという状態ですと、これから努力して何とか合格できる高校なのでした。
中3までにもう少し4を増やして、その上で、入試できちんと得点できるように受験勉強を頑張れば合格できる。
目標としてほしい、良い高校でした。


非常にざっくりした話で、例外はいくらでもあり、正確にはきちんと数字を計算すべきことですが、一般に、内申に「2」があると、都立高校に入るのは難しいと言われています。
言い換えれば、内申がオール3で、ようやく都立高校の学力的に一番下の高校に入れそうだということ。
一方で、内申オール3は学力的には「普通」なのではないかと感じている保護者の方も多いです。
普通なんだから、都立高校の「真ん中」くらいのランクのところに入れるのではないか?
3の中に4もあるなら、中の上くらいの高校に入れるのではないか?
そして、これから頑張れば、自校作成校に入れるのではないか?

このような、中学校の内申と都立高校のランクとの感覚のズレは、中3の晩秋まで是正されないことがあります。
それは生徒本人もそうで、中2から中3の夏休みくらいまでは、1000点満点で本人の実力よりも200点も上の高校を見学してしまうことがあります。
昔は、入試情報を一般には得にくく、それで誤解している場合も多かったと思います。
しかし、今は、そうした情報は得ようと思えばすぐに手に入れることができます。
模試を開催する会社が、都立高校の60%合格基準点を1000点満点で明示し、全ての都立高校を得点の高い順に並べています。
それは、学校の先生や塾だけの資料ではなく、誰でも見ることができます。
1000点満点の得点の出し方も調べればすぐにわかります。

具体的に計算してみましょう。
まずは内申点。
5教科はそのまま、実技4教科は2倍にして得点を出します。
オール5の場合、5×5+5×2×4=65
オール3の場合、3×5+3×2×4=39
これを300点満点に換算します。
65点満点を300点満点に変えるのですから、300/65倍すれば良いです。
39×300/65=180
一方、入試は5教科500点満点。
これを700点満点に換算します。
すなわち、500×700/500=500×1.4
例えば、入試で平均60点取れたら、
60×5×1.4=420
先程の内申との和が、その子の得点です。
180+420=600

内申と入試が4 : 6の高校もありますが、大多数の高校は上の計算で得点を出すことができます。

600点で入れる高校はどこであるか、一覧表を見てがっかりされる方は、都立高校の見方にズレがある方です。
実際には、学校の成績が「3」で、入試当日に60点を取るというのは、相当な受験指導がされて、その結果が出ている場合です。

都立入試は、難しいです。

国語は、大問1、2の漢字の読み書き、大問3の小説の読み取りまでは自力で何とかなります。
しかし、大問4の論説文を読み通せない子はざらにいます。
大問5の古典の鑑賞文となると、内容に興味が持てないことも手伝って、これも読み通せない子が続出します。
古典の原文だけでなく、その口語訳も載っているので、落ち着いて読めば大丈夫なのですが、「古文はわからない」と言い出し、大問ごと捨てる子もいます。

社会は、資料や表・グラフを読み取れない子は悪戦苦闘します。
自校作成校を受験する子ですら、得点は70点台ということがあります。
社会が得意な子にとっては得点源なのですが、そうではない子にとっては、地理分野の問題と「現代の日本と世界」に関する問題で得点を固めるのが難しい科目です。

数学は、大問1だけは何とかなるはずです。
しかし、せめてそこだけはとりこぼしのないようにと努めても、そこでミスをし、ポロポロととりこぼす子はあとをたちません。
あとは、残る大問のそれぞれ問1しか解けない子が多いですし、その問1を解けることに気づかせることも大きな課題となりがちです。

理科は、大問1と2の短問集は知識が定着していないためのとりこぼしが多いです。
その上、大問3から6は、実験や観察の記述が膨大であるため読み通せない子が続出します。
入試で理科が最低点となるのは常態です。

英語は、初見の長文を読み通せない子が多いです。
1~2行で本文を読むのを諦めてしまいます。
大問1のリスニングと大問2の短文を読む問題以外は、苦戦が必至です。

内申が「3」の子が独りで受験勉強をしていると、この学力で入試当日を迎えることになってしまいかねないのです。
50点を取るのも難しい場合もあります。

入試得点は、平均が50点ならば、
50×5×1.4=350
内申との和は、
180+350=530
都立高校一覧表と見比べてみると、この数字で合格できる都立高校が極めて少ないことがわかると思います。

内申が「3」でも、入試本番で頑張れば・・・と、つい思ってしまうのですが、入試本番で高い得点が取れるなら、それ以前に内申はもっと高いはずなのです。
内申には様々な観点が加味されているといっても、ざっくりいって、定期テストで80点台を取っていれば大抵は「4」になりますし、90点台を取っていれば大抵は「5」になります。
定期テストで70点台の、「4」に近い「3」の子なら入試問題への対応力もそれなりにありますが、定期テストで50点台をいったりきたりの「2」に近い「3」となりますと、入試問題への対応力はかなり弱まります。

さらに、入試直前になると、志望校を下げる子が現れます。
特に、自校作成校を志望していた子の多くが、普通の都立に志望を変えます。
「上から受験生が降ってくる」という状況が起こります。
どんどん押し出されて、一応合格しそうだった高校も、決して安心できない状況になっていきます。
都立高校は、中位から下位になるほど合否の見極めが難しいのは、こうした事情もあるからです。

そうした中で、入試得点を何とか固めていくこと。
上のように、子どもに任せていたら全く歯が立たない問題を解けるようにしていくこと。
塾の腕の見せどころであり、上のような学力の子が、ひと通りまともに入試問題を解いていけるようになった結果が、入試平均60点。
そうであることは、塾講師と生徒本人はわかっています。
受験をともに乗り越えれば、保護者の方も理解してくださることです。

自校作成校に合格させることだけが難しいわけではありません。
素質があり、自発的にどんどん勉強する子なら、むしろ指導は簡単なのです。

入試問題の難しさに跳ね返され、眺めた瞬間に「無理」と諦めて解こうとせず、独りで勉強させると考える前に解答を見てしまう・・・。
そういう子が、どうにか都立入試問題を6割解けるようになる。
そこに詰まっている受験技術と指導技術。
こちらのほうが仕事としては大変です。

入試問題を解けない子は、学力の問題以前に、「応用問題は自分は解けない」という思い込みが強いのです。
そして、解き方を知りません。
問題への切り込み方がわかっていない。
問題の亀裂にぐいぐい食い込んでいく方法を知らない。
問題を眺めて、ぱっとわかれば「解ける問題」。
ぱっと見てわからなければ「解けない問題」。
入試問題は、ぱっと見てわかる問題ではありません。
だから、入試問題は、永久に解けない問題。
それで終わってしまいかねないのです。

国語の評論も英語の長文も、ちょっと読みづらいとすぐに諦める。
自分には無理だと思ってしまう。
読み方がわかっていない以前に、勉強に対する耐性がない。
しかも、自分だけでなく、みんなそうだと思っている。
秀才は、あれは異人種。
自分はそういうのではないから。
と自己評価の低い子は多いです。
小学校の頃は、誰でも解ける基本問題以外は解く必要がありませんでした。
中学になってそれが通用しなくなっても、その現実と向き合えない。
勉強に対して心傷ついたまま、まともに向き合えない。
難しい問題と正対できない子は多いです。
自分の潜在能力をギリギリまで発揮しようとしない。
すぐに逃げてしまう・・・。
「2」に近い「3」の子の受験勉強は、そうした「逃げ」との闘いから始まります。

自校作成校に〇〇人合格とうたいながら、その他の都立高校には大量の不合格ということもあるのが塾です。
実際、私が昔勤めていたその集団指導塾も、上のクラスの半分以上の生徒が自校作成校を志望し、私の在籍した5年間では、もともと無謀な受験だった1人を除いて全員合格しましたが、下のクラスの都立の合格率は50%に満たない年もありました。

1つには、進路指導上の困難があったこと。
過去問の得点を生徒に自己申告してもらうシステムを取っていたのです。
模試の判定も参考にしていましたが、模試の問題は本物の入試問題と比較するとやはりちょっとあっさりしています。
「都立そっくり」といっても、国語や英語ほどの再現度にはなっていない科目もあります。
難度は一致しているのですが、読み取らなければならない文字数がやたら多いのが都立入試です。
くどくどと長い説明と設問を読み通す力が必要です。
だから、模試も大切ですが、最終的には過去問で何点取れるかが合否の判断で重要となります。
しかし、その塾の下のクラスでは、解答解説を見ながら解いた過去問の得点を申告してくる子が多く、進路指導の誤差が大きかったのです。
中3のそのクラスは塾長が担任をするのが毎年の慣例で、塾長は、生徒のことを無条件に信じる人でした。
この子がこんな点を取るはずがないと思うことが多く、私なりにそれを進言したりもしましたが、私の言うことよりも生徒の申告を信じてしまう人でした。
生徒たちが解答を持っていない古い過去問を授業中に解いてその結果を塾長に渡したり、生徒本人に嘘の申告がどのような結果を招くか説明したりしましたが、解答解説を見て解いていながらも自力で解いているような錯覚に陥っている子も多く、なかなか改善しませんでした。
水増しの過去問得点を申告した子たちは残念な結果に終わっていきました。
志望校をあと1つ下げるべきだった子が多かったのです。

勿論、それだけではなく、下のクラスの子は演習量を確保しづらいという課題もありました。
宿題を出しても「難しかった」と言って解いてこない子が多いのです。
易しいドリル形式の問題しか自力で解いてきません。
しかし、入試問題はそんなレベルではありません。
常に傍らにいて、
「この問題は解けるよ」
「この問題は、この前も解いたばかりだよ」
と声をかけて励ますと解けるのですが、独りでは、すぐに諦めてしまうのです。
自力で課題をぐんぐんこなす子たちとは学力差がさらに開いていってしまいます。

過去問を買って、自分で解こうとしても、数問眺め、歯が立たないと諦めて、答えを見てしまう。
解き方と答えをノートに書き写すことで勉強した気になってしまう。
そして、難しい問題は解けないからと、易しい1問1答形式の薄い問題集などを自分で買って、それで受験勉強をした気になってしまう。
自力で入試問題を解いた経験が一度もないまま、入試を迎える。
そして、残念な結果に終わってしまうのですが、なぜ合格できなかったのか、保護者の方は真の理由を知らないままということもありました。
生徒本人が上のような分析を自力ではできないですから、知りようもないことです。
内申は他の子と同じで、何とか合格できるのではないかという高校を受けても結局合格しなかった子の中には、受験勉強らしい受験勉強をできずに終わってしまっている子も多かったのです。

うちの塾は、今年で8年目になりますが、都立高校に不合格だったのは、開校した最初の1人だけです。
あとは、全員合格しています。
5教科全てのその子の実力を把握し、私が直接保護者に連絡できるシステムがあること。
常に傍らにいて、その子が解ける問題は絶対に解かせることが可能であること。
受験事情を知らない人にとっては「何でもない都立高校」に合格させることが、私の大切な仕事です。


都立高校に合格した子たちは、勉強のやり方を知っている子たちです。
だらだらした服装でだらだら歩いている子も、勉強は標準以上にできるんです。
そうした見た目と勉強ができるかどうかは、観点が異なります。
道路にゴミを捨てていくのは・・・、それは絶対やめてほしい。


近所の高校に対する不快な感情というのは、しかし、消え難いものなのかもしれません。
お母様が「あんな高校」と言ったその生徒は、中3になって4をいくつか増やし、受験勉強を頑張って、都立高校に合格しました。
ただし、1000点満点の数字がほぼ同じ、隣りの旧学区の高校に。
その高校は、その地域の近所の人には「あんな高校」と言われていたかもしれません。
近所の高校と何が違うというのだろう?
そうも思いましたが、本人も保護者も納得しているのなら、それで良いのでしょう。
自分が納得できる高校生活をおくれることが何よりも大切なこと。
そう思います。
  


  • Posted by セギ at 13:13Comments(0)講師日記

    2019年10月28日

    高校英語。分詞構文その3。慣用表現。


    分詞構文、今回は3回目。
    基本は理解できたかと思いますので、今回は、慣用表現についてまとめます。
    分詞構文から派生して、慣用表現として固定したものです。
    高校の英文法テキストで一覧としてまとめてある場合が多いです。

    代表的なものを例文とともに示します。
    ① strictly speaking 厳密に言うと
    Strictly speaking, this sentence is not grammatical.
    厳密に言うと、この文は文法的ではない。

    これと似ているものに、
    frankly speaking 率直に言って
    generally speaking 一般的に言って
    などがありますので、まとめて覚えてしまうと良いですね。

    ② speaking of ~ ~と言えば
    Speaking of traveling, have you ever been to Athens?
    旅行と言えば、アテネに行ったことがありますか。

    talking of ~ でも、同じ意味となります。

    ③ judging from ~ ~から判断すると
    Judging from her elegant dress, she must be going to the party.
    優雅な服から判断すると、彼女はパーティに行くに違いない。

    ④ weather permitting 天候が許せば
    Weather permitting, we are going on a picnic tomorrow.
    天気が良ければ、私たちは明日ピクニックに行く。

    ⑤ taking ~ into consideration  ~を考慮に入れると、
    Taking her age into concideration, she did it very well.
    年齢を考慮に入れれば、彼女はそれをとても上手くやった。


    もはや分詞1つしか残っていないため、分詞構文の慣用表現であることに気づきにくいものもあります。

    ⑥ assuming ~ ~だとしたら
    Assuming it rains tomorrow, what shall we do?
    明日雨が降るとしたら、どうしましょう。

    ⑦ granting that ~ ~だとしても
    Granting that he has enough money to buy the new car, it doesn't mean he is going to do so.
    彼にその新車を買う金があるとしても、彼がそれを買うということにはならない。


    また、もともとは分詞構文の慣用表現だったのですが、今や接続詞としてとらえられているものには、以下のものがあります。

    ⑧ providing (that)~ もし~ならば
    Providing that it rains tomorrow, what shall we do?
    もし明日雨が降るとすれば、どうしますか。

    この providing は、provided としても可能です。
    これは、分詞構文にする前のもとの形の従属節が能動態も受動態もありえるからです。
    If we provide that it rains tomorrow, what shall we do?
    を分詞構文にするならば、
    Providing that it rains tomorrow, what shall we do?
    ですし、
    If it is provided that it rains tomorrow, what shall we do?
    を分詞構文にするならば、
    Provided that it rains tomorrow, what shall we do?
    となります。

    ➈ seeing that ~ ~だから
    Seeing that he loved his mother, he called out her with tears.
    彼は母を愛していたから、涙を流して彼女に大声で呼びかけた。

    ⑩ supposing that ~  もし~ならば
    Supposing that your husband dies, you will get the insurance money.
    もしご主人が亡くなられたら、あなたは保険金を手に入れますよ。


    以前も書きましたが、こういう慣用表現はテストには必ず出ます。
    大学入試によく出るからです。
    単純な分詞構文を書き換える問題などは全員正解できますので、むしろ入試にはほとんど出題されません。
    出るのは慣用表現です。
    まず、そのことをしっかり理解しておくことが大切です。
    何がテストに出るかを理解していない高校生が多いのです。
    定期テストは、基本が身についているかを確認する問題も多少は出題されますが、大学入試につながる英語力ということを、進学校の先生は考えて定期テストを作ります。

    しかし、そのことを理解していない高校生もいます。
    文法の基本だけ理解すれば、それで大丈夫だと思ってしまうようです。
    「だって、学校のプリントで練習したのはそれだから」
    と思ってしまうのです。
    基本を身につける練習は、それは学校の授業でやりますよ。
    せめて基本くらいは身につけてほしいですから。
    それとテストはまた別です。

    基本だけ身につけておけば何とかなるのは、小学校までです。
    小学校のカラーテストは基本しか出ません。
    学習習慣としてそこから脱却できず、中学生になり高校生になってしまっている人が案外多いのかもしれません。
    小学校の頃は、基本だけわかっていれば良いので、余裕をもって学校の授業を受け、テストを受けます。
    勉強というのはそういうもの。
    テストはそういうもの。
    とても簡単なもの。
    私が余裕をもって取り組めるもの。
    そういう誤解をしたまま中学生になり、高校生になり、テストで思うように得点できなくなっていく中でも学習習慣を変えられず、基本しか身につけようとしない人がいます。
    学校のワークを解くのでも、自分は基本問題だけ解ければいいと思っていたりします。
    基本問題は解けるから大丈夫だと口に出して言う子もいます。

    本当はもうそうではないことにうすうす気づいているけれど、それを認めて難しい勉強をするのは、自分の負担が大きくなるから避けたい。
    そんな意識も働いているのかもしれません。
    自分は基本は身につけた。
    勉強はした。
    そうした「アリバイ」だけ作っておきたいというような勉強をしていては、中学・高校と難しくなっていくテストに対応できません。
    定期テストを1回受けたら、レベルはわかると思います。
    そのレベルにあわせて、次からは勉強のレベルを上げましょうよ。

    いや、テストのレベルなんてわからない?
    テストが終わればそれっきりで、解き直したり反省したりしていないからです。
    嫌なことは忘れたい。
    一刻も早く忘れたい。
    そんなふうに目を逸らして、毎回新鮮に失敗していませんか。

    塾の生徒で、自力でテストのレベルを判断できないならば、私が判断して、以降のテスト対策に生かしていきます。
    しかし、テスト問題を持ってくることができない子もなかにはいます。
    答案用紙が返却される頃には、問題用紙を失くしてしまっている子たちです。
    テストの点数だけを知りたいわけではないので、答案用紙だけ見せられても困るのです。
    私は出題レベルと出題形式を知りたい。
    それぞれの問題が出題範囲のどこから出たのかを知りたい。

    問題用紙を見たときに、この問題は出題範囲のどこから出たのか、私には全く見覚えがなくて困惑することもあります。
    「これは、どの範囲から出た問題?」
    「多分、朝学習プリントから・・・」
    「・・・何ですか、それは?」
    というように、私の知らないテスト範囲から多数出題されていて唖然とすることもあります。
    テスト範囲の正確な把握は、テスト対策の要です。
    そして、テスト範囲はまんべんなく取り組みましょう。
    捨てていい範囲はありません。

      


  • Posted by セギ at 11:19Comments(0)英語

    2019年10月24日

    中学数学「2乗に比例する関数」。変化の割合と a(p+q)の威力。



    さて、今回は中学数学に戻り、「2乗に比例する関数」を考えてみます。

    中学数学では、2次関数のグラフの頂点は常に原点です。
    一般式は、y=ax2 となります。
    これが、「2乗に比例する関数」と呼ばれるものです。

    この単元で重要なのは、単元の後半の「放物線と直線」「放物線と図形」などの問題です。
    高校入試で出題されるのもそこです。
    しかし、学習の前半、意外に苦戦するのが、「変化の割合」に関する問題です。

    問題 関数 y=-1/4x2 において、xが-9から-6まで増加するときの変化の割合を求めよ。

    変化の割合とは、
    yの増加量
    xの増加量

    で求められるものです。
    それは、グラフ上の2点を結んだ直線の傾きでもあります。

    1次関数においては、変化の割合はグラフの傾きと等しく、y=ax+b のaの値そのものでしたから、特に問題ありませんでした。
    しかし、2乗に比例する関数は、yの増加量が刻々と変化するものですから、変化の割合は計算しないと求められません。

    上の問題で言えば、まずそれぞれのxの値に対するyの値を計算する必要があります。

    x=-9のとき、y=-1/4×(-9)2=-81/4
    x=-6のとき、y=-1/4×(-6)2=-36/4
    xの増加量は3。
    yの増加量は、-36/4-(-81/4)=45/4
    よって、変化の割合は、45/4÷3=15/4

    負の数の計算であること。
    変化の割合を計算する際に、分子が分数である、繁文数になってしまうこと。
    そういうこともあって、途中で計算ミスをしたり、計算の仕方がわからなくなって答えが出せない子が多い問題です。


    計算力がないから、自分はこういう問題は正答できない・・・。

    しかし、諦める必要はありません。
    2乗に比例する関数の変化の割合は、簡単に求める公式があります。
    関数 y=ax2 において、xがpからqに増加したときの変化の割合は、
    a(p+q) で求められるのです。

    上の問題で言えば、-1/4(-9-6)=-1/4×(-15)=15/4
    と、実にあっけなく、正解を出すことができます。

    何で a(p+q) で変化の割合が求められるのか?
    まずはその証明をしましょう。

    y=ax2 において、
    x=p のとき、y=ap2
    x=q のとき、y=aq2
    よって、変化の割合は、
    (aq2-ap2)/(q-p)
    分子を因数分解しましょう。
    =a(q2-p2)/(q-p)
    =a(q+p)(q-p)/(q-p)
    分母・分子に同じ(q-p)がありますから、それで約分できます。
    =a(q+p)
    =a(p+q)

    pやqが負の数のときは、その符号も含めて単純に足したものに a をかければ、すぐに変化の割合を求めることができるのです。


    この公式は公立の中学校では教えません。
    変化の割合の本来の意味と公式の見た目とがかけ離れているため、理解できない子や誤用する子が多いからだと思います。
    中学の段階では、変化の割合の本来の意味をしっかり理解することのほうが重要です。
    変化の割合は、高校数学では「平均変化率」という言葉に変わり、これが微分で大きな意味を持ちます。
    非常に重要な学習事項です。
    a(p+q) という公式は、頂点が原点にある放物線、すなわち y=ax2 においてのみ使用できる公式です。
    高校に入って、もっと一般的な2次関数 y=a(x-p)2+q の学習をするようになったときには使用できません。
    使用期間が限定的であり、かつ、実感に乏しい。
    こんな公式、教えませんよね。

    ところが、中高一貫校では教えます。
    進学塾の、学力が上のクラスでは教えます。
    私も、学力の高い子には教えます。

    だって、本来の求め方をすると、時間がかかる上に計算ミスのリスクが高いのです。
    この公式で求められるのなら、この公式で解いたほうが良いでしょう。

    この公式を教えたときの公立中学の生徒の反応は色々です。
    積極的に活用する子もいますが、教わってもこの公式を使わない子もいます。
    理解できなかったからかな?というとそうではなく、学校で教わっていない公式を使ったらダメなのではないか、というためらいがあるようなのです。
    学校の問題集の発展問題に、a(p+q)を証明する問題が載っている場合は、
    「先生に、何でこんな解き方をしたのと言われたら、学校の問題集に載っていたと説明すれば大丈夫だよ」
    と言うと、ほっとした顔をして、それからは安心して使う子もいます。
    学校で教わった解き方をしないとテストでバツにされる、あるいは目をつけられると思っているのかもしれません。
    数学の先生にそんな人はいないのですが、何だか信用していないんですね。

    小学生の子が、夏休みの筆算の宿題で定規を使っていなかったので全問解き直しをさせられたとか、かけ算の順番を逆に書いたのでバツにされているテストの画像がネット上げられているのを見たりします。
    なるほど、日本は広い。
    そんな目にあう子もいるのだなあと思うのですが、それは小学生の話。
    小学校の先生は、数学の先生ではないのです。
    数学的に正しいとはどういうことかという感覚のない人もなかにはいるので、そんな「事故」もときに起こってしまうのだと思います。
    小学校の先生は、もっと別のことの専門家なので、仕方ないんじゃないかなと思います。

    中学の数学のテストは、「数学のテスト」なのですから、数学的に正しければ、その先生が教えた解き方であろうとなかろうと、マルをもらえます。
    その先生が、その解き方を知らないわけではないですから。
    公立中学で教えても教育効果が上がらないと思うから教えないだけです。
    その子がわかって活用しているのなら、例えば中学生が三角形の面積を求めるのに三角比を使おうとベクトルを使おうと、マルはくれます。
    そこは信用していいところだと思います。

    こういうことは、でも、その子はむしろ被害者かもしれません。
    大人を怒らせないように言動に気をつける。
    目をつけられないように用心する。
    それが行動規範になると、数学よりも、むしろ他の科目で弊害が出ます。
    特に、国語と社会。

    高校の入試問題は、偏差値の高い高校になればなるほど、出題される小説は規範を外れた内容だったりします。
    川端康成や三島由紀夫の小説がさらっと出題されています。
    文学の毒がたっぷり盛られた小説を、そういう子たちは読み取れません。
    小説は「人はこう生きるべきである」といった、正しいこと、ためになることが書いてあると思い込んでいるのかもしれません。
    四択問題ですと、やたら道徳的でもっともらしいことが述べられている選択肢にあっさり引っかかり、失点します。
    「国語は道徳の時間じゃありませんから、そんな説教くさいことを書いてある選択肢は、見た瞬間に消去しなさい。出題されている文章が説教くさい文章だったら仕方ないですけど、これはそうじゃないでしょう?」
    と言っても、キョトンとした顔をします。

    入試問題は、論説文もかなりエッジが効いていることがあります。
    それを読んだ上での200字作文が「私もこれからは一生懸命努力して~」といった決意表明になってしまう子もいます。
    いやいやいや、そんな決意表明は要求されていない・・・。
    この文章を読んで、なぜその決意になる?
    むしろ、読解できていないことを表明しているだけなのでは?
    しかし、そういう作文しか書けない子もいるのです。
    道徳的なことを書いておけば安心。
    それ以外のことを書けと言われると、途端に言葉を失う・・・。

    社会は、地理や歴史はそれほど影響が出ないのですが、公民で妙な選択肢に引っかかります。
    「日本国憲法は、国民の義務を明確にし、国民の権利の過剰な行使を制限するものであり、その改正は内閣が決定し、内閣総理大臣が公布する」
    といった、社会科の先生が遊んでいるとしか思えない選択肢を選んでしまうのです。
    ここまでくると、
    社会科の授業、ちゃんと聞いてる?
    憲法の原文を読んだことある?
    もしかして、世の中ってそういうものだと思っている?
    君を縛るものは、日本国憲法ではなく、そうだと思い込んでいる君の心の中にある何かだよ?
    と心配になってしまいます。

    真面目な優等生なんだけれど、テストで案外得点が伸びないのは、むしろそういうところが原因かもしれない。
    志望校に合格すれば、そんな固定観念を易々と打ち破る人間関係や経験に恵まれるだろう。
    何年かに1人現れるそのような子には、それに期待し、とにかく志望校に合格してもらいました。


    話がかなり逸れましたので、数学の話に戻って。
    上の、変化の割合を求める a(p+q) の公式は、計算ミスをしなくて済むという点で、計算に自信のない人ほど活用してほしい公式です。

    数学力をどのように判断するか、さまざまな観点があると思いますが、「思考力」「計算力」の2点だけで見ても、
    思考力も計算力もある子。
    思考力に乏しいが、計算力のある子。
    思考力はあるが、計算力に乏しい子。
    思考力も計算力も乏しい子。
    の4つのタイプに分かれます。
    それもそれぞれどの程度なのか、グラデーションのある話ではありますが。

    思考力に乏しいが計算力のある子は、数学的思考の面白さに本人が気づくことさえできれば学力が飛躍します。
    中1の段階では数学の成績は「3」で、言うことも何だかトンチンカンだけれど、計算ミスはほとんどない。
    計算する様子を見ていると、地道でもっさりしたやり方ではなく、クールな計算方法を身につけている。
    暗算するところと、しっかり書いていくところのメリハリがある。
    学校で最初に学ぶ、地道でモタモタした計算過程をいつまでも踏んでいるようなところがなく、本人の理解により省略すべきところは省略し、書くべきところはしっかり書いている。
    こういう子は、いずれ大バケする可能性があります。
    問題を解く過程で対話を繰り返しながら、そのうちどうにかなると呑気に構えていると、予想通りに中3では「5」になった。
    そんな子を、今まで何人も見てきました。
    計算を正しくできるというのは、やはり数学的には何らかの達成を見せているのだと思います。
    計算をする際に使っている論理を思考に生かせていないだけで、思考力がないわけではなかったのだ、ということかもしれません。

    「クールな計算方法」を身につけているのが鍵です。
    計算をこのように論理的にこなしているのに、問題を解く際になぜその思考力を使わない?
    そのように感じる子は、いずれどこかの回線がつながって何とかなるだろうという予感がするのです。

    反対に「地道でもっさりした計算」というのは、しかし、多くの子がやってしまう計算です。

    例えば、25000×5000 といった計算。
    これは、25×5を計算して(暗算もできるはずです)、それに0を6個つけたらいいですね。
    小学校でも教えている計算の仕方です。
    習ったときは、誰でもできます。
    しかし、その単元が終わると、それをコロッと忘れて、以後ずっと、0の大行進的な筆算をしてしまう子がいます。
    そして、桁がズレてしまい、誤答します。
    そういう計算をしているのを発見する度に助言しますが、しばらく経つと、また同じ0の大行進を行ってしまう子は多いです。
    つまりは、なぜそれで計算できるのか理解していないのだと思います。
    そういう解き方があることを習えば、そのときだけそのように計算しても、根本を理解できていないのです。
    数字の桁に関する感覚が脆弱なのかもしれません。
    25000×5000
    =25×5×1000×1000
    =125000000
    数字を上のように分解した上で、さらに交換法則・結合法則を利用して計算するのが、この計算方法の意味です。
    やり方だけ覚えるのではなく、その意味がわかっている子は、以後、ずっとこの計算方法で計算します。
    意味がわかっていない子は、やり方をすぐ忘れてしまい、このやり方を自分のものとすることができないのです。

    また、例えば、312×205 といった計算。

      312
     ×205
     1560
    624
    63960

    といった筆算をすれば良いのですが、

      312
     ×205
     1560
     000
    624
    63960

    といった余計な1行を書かずにいられない子もいます。
    これも、省略するよう小学校で教えられているのですが、それを省略できることをすぐに忘れ、型通りに計算してしまうのだと思います。

    また、例えば、25000÷5000 といった計算。
    割られる数と割る数とに、それぞれ同じ数をかけても、あるいは同じ数で割っても、商は同じです。
    だから、
    25000÷5000
    =25÷5
    =5
    と暗算できます。
    慣れてくれば、0がついたままの状態でも桁を読むことで暗算できます。
    しかし、これも、0が3個ついたまま、もっさりした筆算をする子は多いです。
    25000÷5000=25÷5 であることは、小数のわり算を行うためにも重要な考え方です。
    例えば、2.5÷0.5 をなぜ小数点を移動して計算するのかは、上の考え方がもとになっています。
    小数点の移動は、すなわち、割られる数と割る数とをそれぞれ10倍して、25÷5 として筆算しているのです。
    しかし、そのことを理解せず、ただ筆算のやり方だけを覚えている子のほうが多いです。
    計算は意味を失い、ただの作業手順となっています。

    これは学校教育が悪いのではありません。
    学校の授業でも、教科書でも、このことは強調されているのです。
    ただ、本人が、やり方しか覚えない。
    小学校でやり方しか覚えなかったため、中学生・高校生になって、論理的思考についていけなくなってしまうのです。
    どれだけ意味を説明されても、それをまだるっこしいと感じて「やり方だけ教えて」「やり方だけ知りたい」となってしまう子が多いのです。
    頭の回転が速いように見える子に、案外このタイプが多いので、苦慮するところです。
    本人の頭の働かせ方の癖なのでしょう。
    一方で、どんなに小さなことでも、意味を知りたいタイプの子もいます。
    そして、意味を知っている子は、時間が経っても、25000÷5000 といった計算で同じ論理を利用できます。
    算数・数学が統一された論理で動いていることを実感しています。
    数理の根本がわかっているというのは、そういうことだと思います。
    中学や高校の数学になって、何をして良くて、何をしたらダメなのか、自分で判断できなくなるのは、やり方だけ覚えてきたけれど意味を理解していなかったからなのです。

    また、例えばこんな計算。
    -27+18-33+26
    中1の最初に学習する「正負の数」の計算です。
    これも、同符号の計算をまとめてやれば楽であることを学校で指導されているはずです。
    =-60+44
    =-16
    というように。
    しかし、これを、
    -27+18-33+26
    =-9-33+26
    =-42+26
    =-16
    と、順番通りに計算しなければ答えが出せない中学生もいます。
    順番通りでなければ計算できないと思っているのか?
    数字の前にある符号は、計算記号ではなく、その数のもつ正負の符号であることを、学習が終わると忘れてしまうのか?
    つまり、その子にとって上の式は、小学校からお馴染みのたし算と引き算の式のままで、中学で新しく学習した、
    (-27)+(+18)+(-33)+(+26)
    と見ることができないのではないかと思うのです。
    「正負の数」の学習の最初は、このように(  )がついています。
    省略して書くことができるというだけで、(  )は常に存在すると思って計算して良いのです。
    全てたし算ですから、交換法則も結合法則も利用できます。
    そのことを、忘れてしまう。
    あるいは、最初から理解していない。
    だから、法則が使えることがわからない。
    「え?ひき算って、順番変えたらダメなんじゃないの?」
    という小学生の感覚に戻ってしまうのだと思います。

    -27+18-33+26
    =-9-33+26
    =-42+26
    =-16
    という順番で正確に計算している子は、計算力はあるのではないか?
    確かに「人間電卓」的な計算力はあると思います。
    しかし、論理的思考力を感じさせるものではないのです。

    交換法則も結合法則も分配法則も、桁移動の仕組みも、全ては小学校で学習しています。
    大切なことは全て小学校で学んでいます。
    しかし、大切なことを学んでいることに気づかない。
    大切なことを、大切なことだと認識できず、記憶の中からあっさり消して、筆算のやり方や公式の丸暗記のみ行う子は、計算の過程にそれが表れます。
    そうではないクールな計算方法を身につけている子は、数学的思考が可能な子、いずれ大バケする子、と感じるのです。

    一方、思考力はあるが計算ミスの多い子というのも存在します。
    計算のやり方がわからないわけではありません。
    ただ、雑なのか、正確さを保てないのか、計算の正答率はかなり低い。
    計算問題を正答できるかどうか五分五分ということもあります。
    しかし、理解力や思考力があるので、座標平面と図形の問題、動点に関する問題、図形の証明問題、空間図形の求積の問題のような、数学嫌いな子が避けたがる問題も自力で解いていくことができます。
    ただ、計算は合わないことが多いです。

    なぜケアレスミスをそれほど繰り返すのか?
    特定の計算でミスをしやすいのならそこを強化すれば良いのですが、多種多様なミスをその都度新たに繰り出してくるタイプの子が多いのも特徴です。
    ある日は数字を書き間違い、ある日はひき算なのにうっかり足してしまい、ある日は無理な暗算をしてしまい、ある日は符号を書き忘れる・・・。
    考えることに夢中で、手元がおろそかになっているのか?
    式を書いている間に、他のことを考えているのではないか?
    思考力はあるが、集中力が足りないのか?
    さまざまな理由が考えられますが、受験を機に解消される子と、それでは解消されず高校生になってしまう子とがいます。

    ケアレスミスをしやすい傾向は、残念ですが非常に直りにくいものです。
    計算ドリルを何冊解いても、目立った改善は見られないことがあります。
    あとは、ミスしやすい自分と折り合いをつけながら、それを含み込んで点数を読んでいく。
    複雑な計算過程を踏まないよう、上の公式のように、ミスしなくて済む解き方を身につけていく。
    そういうことで対応していけば良いのではないかと思います。
    多少の改善はみられても根本的には直らない。
    この計算力を前提としてやっていくしかない、と感じます。
    本人が一番嫌な思いをしているのですから、自覚すれば直るというものではないのです。
    まして、それを叱ったりしても、直りません。
    誰にも苦手はあります。
    その代わり、思考力を伸ばすだけ伸ばす。
    基本問題で失点する分、テストの後半の応用問題で部分点を取る。
    そういう得点の取り方を考えていくのが現実的ではないかと思います。
    また、そうやってあまり思いつめないようにしていると、前よりは改善されていることも多いです。

      


  • Posted by セギ at 13:48Comments(0)算数・数学

    2019年10月21日

    台風一過の奥高尾を歩いてきました。2019年10月。


    2019年10月20日(日)、奥高尾を歩いてきました。
    今年は日曜日に晴れが少なく、5月は立て続けに雷雨にあい、それから少し慎重になったら、毎週曇り。
    気象情報を信用して山に行かないことにすると日曜日当日は案外晴れ。
    そうかと思って前日から準備していると、当日は朝から雨。
    そうこうするうちに、10月12日、台風19号が来襲しました。
    三鷹はほとんど被害なく済みましたが、八王子市内、特に高尾周辺に大きな被害が出て、胸が痛みます。
    おぼろげな記憶ですが新潟地震で街が黒い水に浸かった光景を知る私には、水害がその後どれほどの被害を残すのか実感があります。
    被災された方に、心よりお見舞い申し上げます。

    朝9:00。高尾山口のケーブル清滝駅到着。
    ケーブルの線路にも土砂が流れ込んで一時期不通となっていましたが、数日前に復旧。
    リフトは被害がなく、台風翌日から運行していました。
    現在、高尾山の1号路が倒木と土砂崩れで不通となっています。(追記 10月24日、通行可能となりました)
    完全舗装のあの1号路が?と驚きます。
    電車を降りた人たちは稲荷山尾根に次々と入っていきました。
    登山口から数珠つなぎの行列ができています。
    私はリフトを選択。

    リフトから見る山は、特にいつもと変わりないように見えました。
    倒木も見られません。
    ネットの張られた足許も、落ち葉や枯れ枝などはほとんどありません。
    清掃されたからかもしれません。
    ただ、どんどん上がっていくと、一部赤土の露出しているところが見えました。
    土砂崩れが起きた様子です。

    9:10。リフト山上駅。
    さて、ここから上の1号路は通行可能です。
    リフトかケーブルを利用しないとここを歩けないので、道は空いていました。
    山はすっかり秋。
    コウヤボウキの花など撮影しながら、ゆっくり歩いていきました。
    雨上がりで空気が澄んでいるので、高曇りながら眺望は良好です。
    スカイツリーもくっきりと鉛筆のようなシルエットを見せています。
    杉苗の奉納者名簿の並ぶところで小さな土砂崩れが起きていました。
    土砂はまだそのままですが、ブルーシートで覆われています。
    道が広いので、ブルーシートを避けて歩いていくことができます。

    薬王院。9:35。
    読経が響いています。
    あ。京王のスタンプラリーの台紙が置いてあります。
    そうか。
    もう秋のスタンプラリーの時期なんですね。
    見ると、昔と比べて随分スタンプ箇所が減り、陣馬山から高尾山へと1日で歩けるコース設定になっていました。
    でも、琵琶滝のスタンプは今は押せません。
    6号路琵琶滝コースは、登山道崩落と一部水没により、通行不可。
    登山道が水没・・・。

    高尾山頂。9:50。
    厚い雲に覆われ、富士山は見えませんでした。
    丹沢がいつもよりくっきりと大きく見えましたが、山頂は雲の中。
    丹沢は、大倉尾根や、大倉から鍋割山への道は通行可能とのこと。
    西丹沢はバスが不通で、ビジターセンターも休館中だそうです。
    二ノ塔・三ノ塔付近は、危険個所があるとのこと。
    全て、10月20日付けの情報です。

    さて、どこまで行けるか、奥高尾を歩いてみます。
    いつもより人が少ない高尾縦走路へ。
    紅葉台から木段を降りていくと、あ、アサギマダラ。
    アザミの花に止まりました。
    上の画像がそれです。
    相変わらず、地面近くを飛ぶときは不安定なふわふわした飛び方です。
    台風の最中は、どうしていたんだろう。
    大変だったろうなあ。
    後ろから来た人も、私が撮影しているところをちょっと覗き込み、「あ」と小さい声をもらして、いそいそとスマホを取り出しました。

    一丁平。10:35。
    久しぶりの山歩きなので、ここまでで大汗をかきました。
    ベンチの1つに座って休憩。
    大垂水方面へ歩いていったトレイルランナーの集団が、しばらくすると戻ってきました。
    南高尾への道も、今は歩けないようです。
    一丁平の手前にある大垂水方面への道も封鎖されていました。
    後に得た情報では、南高尾山陵の見晴台付近が崩落しているとのことです。
    順次復旧するだろうけれど、紅葉シーズンに間にあうかなあ。

    そこから木段を上っていくと、小仏城山。11:05。
    茶店は2軒ともお休みでした。
    日影沢林道が土砂崩れで不通になっているので、茶店の人が登ってこられないのでしょう。
    スタンプラリーのスタンプ台は設置されていました。
    これは、京王の人が毎日回収して、また設置しているのかなあ?
    茶店の人に委託していると思い込んでいたので、ちょっと驚きながら、スタンプを押しました。

    向こうから歩いてくる人もいるので、景信山まで行ってみることにしました。
    尾根道の登山道で歩きにくいところは特にありません。
    雨上がりなので少し用心が必要な他は、いつも通りの奥高尾の山道でした。
    木の根の作る段差を下ってしばらくいくと、相模湖を見晴らせるベンチ。
    相模湖は茶色に濁っていました。
    川の水がまだ濁っているのでしょう。
    そこからさらに下っていくと小仏峠。
    小仏へと下っていく道は封鎖されていました。
    高尾・小仏間のバスは、今週から一部運行再開とのことです。
    まだかなりの間引き運転らしいですが。

    小仏峠からは景信山へ登り返します。
    前後に全く人がいないので、自分のペースで淡々と歩いていけました。
    ゆっくり歩くと、高尾では今まで見たことがなかった花を見つけたりします。
    わあ、センニンソウ。
    しかもこんな大きな株。
    今まで見つけなかったことがむしろ不思議なほどです。

    最後の急坂をゆっくり登って、景信山。12:15。
    ベンチはそこそこのにぎわい。
    茶店も営業中でした。
    下の茶店のベンチを1つ借りて、昼食。
    隣りのベンチの人が、
    「あれ、江の島か?」
    と話しているので、見ると、確かに、あれは江の島のよう。
    奥高尾から相模湾なんて、冬でなければ見られないと思っていました。

    さて、ここから戻ることにしました。
    高尾駅・陣馬高原下のバスは、高尾駅-大久保間のみ運行。
    登山口まではバスはきていません。
    道路崩落は改善されたそうですが、まだバスが運行できる状況ではないそうです。

    雨上がりなのでいつもより滑り易く、用心しながらとっとこ下っていき、小仏峠。13:10。
    さすがに登山地図を売る人の姿もありません。
    ベンチに座って休憩していると、相模湖への道を降りていく人がいました。
    ちょっと心惹かれ、地図を見ました。
    今年中には一度歩いてみたいと思っていた、相模湖へと降りていく道。
    舗装道路歩きが長いので、こんな機会でなければまた先伸ばしにしそう。
    行ってみようかな?

    降りていく道の始まりには看板があり、「甲州道中」という表示もありました。
    ここは昔の甲州街道。
    歴史のある道なのでした。
    江戸時代の旅人も飛脚も大名も、この道を通ったのだそうです。
    道は多少でこぼこしていましたが、道幅が広く、傾斜も緩やかで、歩きやすい道でした。
    台風で荒れている箇所もありません。

    途中、登ってくる方と出会いました。
    「ああ良かった。下まで通じてますね」
    「うん。倒木でもあるかと思ったけれど、大丈夫だね」
    そんな会話を交わしました。
    マイナーな道を下る人にあるあるの安堵をし、歩を進めました。
    登山口。13:50。

    ここからは舗装道路です。
    下り道なので、歩くのは楽でした。
    すぐ上が高速道路なので、車の音が後ろから来ているのか上からの音なのかよくわからないのが多少難点。
    でも、後ろから来る車は結局ありませんでした。
    美女谷への分岐まで下りてくると、橋からは川の水が轟々と流れている様子が見られました。
    狭い川なのに、まだこんなに勢いがある。

    底沢バス停。14:20。
    次の相模湖行きのバスは、14:50。
    あと1.6kmなので、歩くことにしました。
    ここは甲州街道。
    歩道が整備されていて、歩きやすいです。
    しばらく行くと、小原の里へ。
    小原宿の本陣も見えてきました。
    普通の民家もそれらしく暖簾を下げて、街の美観に協力し、宿場町らしい雰囲気を醸し出しています。
    散歩するのにちょっと良い感じの道をてくてく歩き、キンモクセイの大きな木を写真に撮ったりして、相模湖駅。14:50。
    改札前に臨時時刻表が置かれてありました。
    高尾行きは、14:40の次は、16:00。
    うわ、本当に?
    びっくりして見ていると、職員の方がすすっと近づいてきました。
    「何がご不明な点がおありですか」
    「いえ、随分本数が少ないなあと思って見ていただけです」
    「相模湖・高尾間で単線運行になっておりまして。明日からは1時間に1本となりますので」
    「はあ・・・。はい、わかりました」
    バスのことばかり気にしていて、電車のことに気づいていなかった・・・。
    というより、相模湖に降りることに急に決めたので、その方面の下調べが足りなかったです。

    相模湖と高尾駅との間で土砂崩れがあり、線路が片側不通で、単線運行中。
    底沢には八王子駅行きや高尾山口行きのバスもあったようだったので、確認すれば良かったなあ。
    そんなに本数があるとは思えないけれど。
    まあ、電車があるだけ有難い。
    通学通勤の人は、随分不便な思いをされているだろうと思います。

    とりあえず座って休憩したいので、2番線・3番線ホームのベンチへ。
    山支度を解いたりしていると、甲府からの普通電車がやってきました。
    電車は相模湖で折り返し、また甲府行きとなり戻っていきました。
    高尾へ行く乗客は、1番線ホームに移動。
    これで、次に来る高尾行きの電車が、その電車のもともとの乗客プラス今降りた乗客だと、大変な満員電車になるのかなあ。
    ぎゅうぎゅう詰めでもいいけれど、乗れないと嫌だな。
    そう思っていると、15:45頃、予想に反し、高尾のほうから、中央快速の車両の電車が入ってきました。
    あ。
    ひと駅だけ、折り返し運転をしているんですね。
    10両編成?12両編成?
    普段の高尾・甲府間は6両編成ですから、キャパは2倍。
    電車が入ってきてから慌ててホームを移動した私でも座ることができました。
    相当な人員配置と車両配置で、この危機を乗り切ろうとしている様子です。

    16:00。予定通り電車は出発。
    電車からは、線路復旧のために働く人達の姿が見えました。
    ご苦労様です。
    たったひと駅ですが、徐行運転なので、20分近くかかって高尾駅に到着。
    そこからは、ホームの向かい側の東京行き中央快速に乗り換えでき、スムーズに三鷹まで帰ることができました。
      


  • Posted by セギ at 12:51Comments(0)

    2019年10月17日

    高校英語。分詞構文その2。


    分詞構文の学習。
    前回は、分詞構文の作り方の基本を学習しましたので、今回は、否定文や各時制の分詞構文を見ていきましょう。

    ①否定語を含む従属節
    As I didn't know which way to go, I had to guess.
    どちらの道を行けばよいかわからなかったので、私は勘に頼らねばならなかった。

    さて、これを分詞構文にしましょう。
    簡単に復元できるものはどんどん省略するのがルールでした。
    理由を表す接続詞 as と、主節と同じ主語 I は省略します。
    主節も従属節も過去形で、時制のズレはないので、これも復元可能ですから気にしなくてよいです。
    問題は、否定語 not。
    これを省略したら、意味が真逆になってしまいます。
    だから、これは残します。
    分詞構文の冒頭に残します。

    Not knowing which way to go, I had to guess.

    これで、分詞構文にすることができました。
    否定語を先頭に立てて、その後、従属節の動詞を現在分詞に変える。
    これで分詞構文への書き換えはOKです。


    ②完了形の従属節
    Since I had lost the bet, I had to pay for dinner.
    私は賭けに負けたので、夕食代を払わなければならなかった。

    従属節は過去完了形で、主節は過去形です。
    この過去完了は、大過去を表します。
    大過去とは、過去よりもさらに古い過去のことです。
    掛けに負けたのは、夕食代を払うときより前です。
    また、この文の場合は、「賭けに負けてしまった」という完了の意味ととらえることも可能です。
    過去完了は、このようにどちらの用法なのか曖昧なものも多いのです。
    どちらに解釈しても文意が変わらない場合は、曖昧なままで良いのです。

    さて、接続詞 since と、主節と同じ主語 I が省略可能なのは、もう大丈夫でしょう。
    その後、動詞 lose を単純に現在分詞の losing にしていいかというと、これでは、従属節に復元しようとしたとき、主節と同じ過去形と同じ時制に戻すことになってしまいます。
    分詞構文をもとの従属節に戻す際のルールは、「主節と同じ時制に復元する」だからです。
    時制が1つ古いことを示したいとき、あるいは、完了形だったことを示したいときは、どうしたら良いでしょうか。
    動詞を「having +過去分詞」にします。

    Having lost the bet, I had to pay for dinner.

    分詞構文は、とにかく何かを~ing 形にする、と覚えておくと、印象に残ると思います。
    完了形を作る助動詞 have をhaving にするのです。
    印象的ですね。


    ③受動態の従属節
    Since this book is written in simple English, it is easy to read.
    この本は簡単な英語で書かれているので、読みやすい。

    接続詞 since は省略可能です。
    主語は、従属節の this book と主節の it は同じものを表していますから、主節のほうに this book を移動させれば、従属節の主語は省略可能です。
    さて、どこを現在分詞にするか?
    be 動詞を現在分詞にします。

    Being written in simple English, this book is easy to read.

    これはこれで正しい英語ですが、この being も要らないですね。
    being を省略しても、いきなり過去分詞から始まっていれば、「ああ、being を省略したんだな」とわかります。
    だから、
    Written in simple English, this book is easy to read.
    と書くのが普通です。
    これを「過去分詞による分詞構文」ととらえる文法書もありますが、面倒くさくなるだけですので、being が省略されていると考えたほうが、1つのルールで統一されている感があります。
    ルールは、シンプルなほうが良いのです。
    分詞構文は、とにかく現在分詞~ing を用いるものなのだと思っていたほうがスッキリします。
    先程の完了形の分詞構文 having+過去分詞という荒業も、統一されたルールから考えれば何となく腑に落ちてきますし。


    ④独立分詞構文
    急に文法用語が出てきて、え、何それ、と思うでしょうが、これは、主語が従属節と主節で異なる分詞構文という意味です。
    歴史的には、ラテン語の用法を英語が模倣して広まったとのことです。
    へえ・・・以外の感想も特にないだろう豆知識ですが、ともあれ、実際の用法を見てみましょう。

    Because it was Tuesday , the barber shop was closed.
    火曜日だったので、その理髪店は閉まっていた。

    接続詞 because は省略できます。
    従属節の主語は、時や曜日を表す主語の it 。
    主節の主語は、barber shop です。
    主語が異なるのに省略すると、復元できません。
    そこで、従属節の主語は先頭に残し、動詞は現在分詞にすることで、分詞構文を作ります。

    It being Tuesday , the barber shop was closed.

    これを独立分詞構文と呼びます。
    また別の例を。

    When the ceremony was over, the crowd dispersed.
    式が終わって、群衆は散った。

    これも、接続詞 when は省略可能です。
    従属節の主語は ceremony 、主節の主語は crowd ですから、省略できません。
    The ceremony being over, the crowd dispersed.
    となります。
    ここで、この being を省略しても意味がわかるので、これも省略してしまうことがあります。
    The ceremony over, the crowd dispersed.
    従属節がSVCで、Cが名詞のときは、 being は省略しにくいですが、この文のように、従属節がSVCでCが形容詞のとき、特に over のときは、省略してもいいかなという意識が働く様子です。
    よくわからないときは、省略しないでおくのが賢明でしょう。

    ところで、従属節と主節とで主語が異なるときは、主語を省略してはいけないといっても、言語というのは人間が日常生活で用いるものですから、省略してはいけないのに省略しちゃった、ということはありがちです。
    意味はわかるから、これはこれでいいじゃないという意識が働くのも、ネイティブならば自然なことです。

    Looking out of the window, the mountains were beatiful.
    窓から外を眺めると、山々が美しかった。

    するっと読めてしまう文ですが、よく見ると、分詞構文の主語は I で、主節の主語は mountains です。
    文法的正確さにこだわるならば、I は省略してはいけないのです。
    だから、英米の文法学者はこれは誤りであると言うのですが、一般人にとっては、そんなのどうでもいい・・・という、日本語でも「あるある」な状況が起きているそうです。
    言語は今を生きる人が使うもの。
    言語は生き物。
    そういうことが英語にも日本語にもいえるのだと気づくと、言語を学ぶことがまた少し楽しくなるかと思います。



      


  • Posted by セギ at 14:21Comments(0)英語

    2019年10月16日

    高校数Ⅱ「式と証明」。恒等式。


    今回は「恒等式」の学習です。
    恒等式とは、その名の通り、常に成り立つ式のことです。
    「xについての恒等式」でしたら、xにどのような値を入れても常に成り立つことを意味します。
    これも、
    「そんなの何に使うの?」
    という疑問がわくかもしれませんが、後になって別の単元でそれを利用して解く問題が出てきますから、ここでしっかり身につけたいところです。

    問題 次の整式がxについての恒等式となるように、定数a、b、cの値を定めよ。
    x2+2x+3=a(x+1)(x-1)+b(x-1)+c

    問題文中にある「整式」とは、「xの係数が整数の式」という意味ではありません。
    分母にxがある「分数式」ではないという意味です。
    xの係数やxの値は整数である必要はありません。

    さて、この問題の解き方は2つあり、それぞれ「係数比較法」「数値代入法」という名前がついています。
    まずは係数比較法から考えてみましょう。
    とりあえず、右辺を展開します。
    a(x+1)(x-1)+b(x-1)+c
    =a(x2-1)+bx-b+c
    =aX2-a+bx-b+c
    これをxについて降べきの順に整理します。
    =ax2+bx+(-a-b+c)
    右辺をこの状態にしてから、もう一度左辺と等号で結びます。
    x2+2x+3=aX2+bx+(-a-b+c)
    この左辺と右辺の係数を比較します。
    これがxについての恒等式なのですから、左辺・右辺それぞれの係数や定数項は等しいです。
    よって、
    1=a
    2=b
    3=-a-b+c
    の3本の式が得られます。
    わからない文字が3つあるとき、式が3本あればその文字の値を求めることができます。
    連立方程式ですね。
    a=1、b=2を-a-b+c=3に代入して、
    -1-2+c=3
    -3+c=3
    c=6
    よって、a=1、b=2、c=6です。

    もう1つの解き方が「数値代入法」。
    xに適当な値を代入して、式を解いていく方法です。
    やはり、わからない文字が3つあるので、式は3本用意します。
    xにどんな値を代入した式でも良いのですが、どうせなら計算しやすいほうがいいです。
    x2+2x+3=a(x+1)(x-1)+b(x-1)+c
    という式から、x=0、1、-1の値を代入すると判断します。

    どういう基準で、それらの値を代入すると判断するのでしょうか?
    x=0ならば、左辺の2つの項が0になり、計算が楽です。
    同様に、x=1ならば、右辺の2つの項が0になり、その後の計算が楽になります。
    x=-1ならば、右辺の第1項が0になり、その後の計算が少し楽です。
    少しでも楽をするために数字を選んでいるだけで、別の他の数字を代入したからといって間違っているわけではありません。

    では、やってみましょう。
    x=0を代入すると、
    0+0+3=a・1・(-1)+b・(-1)+c
    すなわち、
    -a-b+c=3 ・・・・①
    x=1を代入すると、
    1+2+3=a・2・0+b・0+c
    すなわち、
    c=6 ・・・・②
    x=-1を代入すると、
    1-2+3=a・0・(-2)+b・(-2)+c 
    すなわち、
    -2b+c=2 ・・・・③
    0には何をかけても0になるので、消えてしまう項が多いですね。
    だから、xそのものが0になる値や、(x+1)や(x-1)が0になる値を用いています。

    この3本を連立方程式として解いていきます。
    ②を③に代入して、
    -2b+6=2
    -2b=-4
      b=2 ・・・④
    ②、④を①に代入して、
    -a-2+6=3
    -a+4=3
    -a=-1
     a=1

    先程の係数比較法と同じ値が出ましたが、数値代入法の場合、このまま解答してしまうわけにはいきません。
    なぜなら、x=0、1、-1のときにそれが成立することしか今のところわかっていないからです。
    xがいくつかの値に対して成り立つようにa、b、cの値を決定したに過ぎません。
    これは、xについての恒等式であるための必要条件であって、十分条件ではありません。
    そこで、a=1、b=2、c=6をもとの式に代入して、本当に大丈夫なのか確認します。
    すなわち、「十分性を示す」のです。
    a=1、b=2、c=6を与式に代入すると、
    右辺=1・(x+1)(x-1)+2(x-1)+6
       =x2-1+2x-2+6
       =x2+2x+3
    よって左辺=右辺 となり、与式は恒等式となる。
    ゆえに、a=1、b=2、c=6

    数値代入法は、このように最終確認をしなければならないことが答案的には難しく、しかもわかりにくいかもしれません。
    「必要条件」「十分条件」という言葉の意味も忘れかけていた頃に突然これが出てくるので、戸惑う高校生は多いです。
    必要条件と十分条件は、数Ⅰの最初の頃に学習した内容です。
    pならばqであるとき、pをqであるための十分条件、qをpであるための必要条件という
    上の問題でいうならば、「a=1、b=2、c=6ならば、与式はxがどのような値でも成立する」
    ということを示さなければなりません。
    「x=0、1、-1ならば、a=1、b=2、c=6である」
    では、矢印の方向が逆ですね。
    必要条件であるというのはそういう意味です。
    ですから、逆方向の矢印でも大丈夫であること、すなわち「十分性」を示すことが重要です。


    恒等式で難しいのはそこだけだと思うのですが、実際の計算で苦労する高校生もいます。
    3元1次方程式の解き方がわからないわけではないのに、正しい答えを出せない子は案外多いのです。

    中学2年の「連立方程式」の学習のとき、「代入法は嫌い」と言って加減法しかやらない子がいます。
    代入法で簡単に解ける見た目になっている問題も、わざわざ加減法にふさわしい形に式を変形して解いています。
    そういうことも少し尾を引いているのかもしれません。
    代入法が嫌いというのは、代入法の理屈が上手く理解できず、加減法のように手順を把握しやすいほうに逃げているのかもしれません。
    あるいは、2通りの解き方があるなら、1つしか覚えないという学習姿勢がその子にあるのかもしれません。
    解き方を覚える・・・。
    つまり、理解しているわけではなく、作業手順を覚えるだけなので、2通りも覚えられないから加減法しか覚えないということになっている可能性があります。
    型通りの加減法の連立方程式なら解けるのですが、手順を覚えているだけで、なぜそれで解けるのか理解していないのかもしれません。
    しかし、高校生になって使うのは、加減法よりも代入法のほうが多いのです。
    2つの解き方があるとき、1つのやり方しか覚えないのは危険です。
    というよりも、解き方を理解せず、作業手順だけ暗記しようとする姿勢そのものが危険です。
    数学は、論理を理解する科目です。

    理解するのではなく作業手順を暗記する子は、中学からではなく、おそらく小学校の低学年からそういう学習姿勢が始まっています。
    算数の問題を解くときに頭を使っている気配が見られない子は、小学校の算数の成績の良い子にも見られます。
    理解できないから頭を使わないのではないのです。
    「え?その式、どういう意味?ちゃんと考えている?」
    そう呼びかけるだけで、ハッと目が覚めたようになり、問題を解き直す子もいます。
    算数の問題を考えずにパターンで判断して解く習慣がついてしまっているのです。
    おそらく、低学年の頃についた癖なのでしょう。
    しかし、高学年になるとそのパターンが通用しない単元もあり、とんでもない式を立ててしまうようになります。
    「これはわり算だな」と判断すると、問題文の中の大きい数を小さい数で割る式を立てて済ませてしまうのが典型的な例です。
    問題文の中の数値の関係性の把握をしている様子がありません。
    低学年の子どもがパターンを読んでしまい、そのパターンに当てはめて解くようになってしまう背景は、慎重に考えなければならない課題だと感じます。
    国語が苦手で、文章の読み取りに苦しさが伴うことも一因なのかもしれません。
    努力すれば読み取れるけれど、その「努力」には頭に一定の負荷がかかるので、できれば避けたい。
    それは文章の読み取りだけでなく、「考えること」で頭に負荷がかかることをそもそも避けている可能性もあります。
    以前も書きましたが、息が切れて苦しいのが嫌で運動嫌いになる子がいるように、頭に負荷がかかるのが苦しくて考えることが嫌いになる子もいます。
    「考えると脳細胞が潰れる」
    と本気で口にする子たちです。
    実際、何かを考えようとして頭に負荷がかかることが、その子たちにとって本当に苦しくて嫌なことのようなのです。
    必ずしも学力が低いわけではありません。

    パターンで済んでしまう小学校の教科書やカラーテストにも問題はあるのかもしれません。
    あまり難しい問題を解かせていると、小学校低学年で学ぶことを諦める子も出始めるでしょうから、それも大きな問題ですが。

    小学校の算数の成績の良い子が、中学受験を目指したときに、受験算数で信じられないほどに伸び悩むのは、よくあることです。
    受験算数は「大きい数を小さい数で割る」というような安易なパターンは通用しません。
    公式もありますが、それよりも、問題文に書かれてある内容を自力で線分図や面積図に書き起こすことができ、その関係を読み取って立式する能力が必要です。
    あるいは、「速さ」や「時間と水量」などのグラフを読み取る力。
    図形を読み取る力。
    それは読解力と分析力と思考力。
    つまり「学力」が問われています。
    塾のテキストの基本問題は式も答えも暗記してしまうため、基礎力があるように見えても、それは暗記しているだけで、理解はしていない子が案外多いのです。
    そのため、テストは壊滅的な得点となります。
    あの問題もこの問題も本当は理解していなかったんだね、と露呈しますが、では復習しようとなっても、またその問題の式と答えを暗記するだけです。
    暗記するのではなく理解するんだよと教えても、それは何をどうすることなのか本質が理解できないので、何をどうして良いか本人にはわからないことがあります。
    覚醒には時間がかかります。

    問題文を内容を理解して読むことのできる子は伸びる。
    自力で考えることのできる子は伸びる。
    きわめてシンプルですが、最も教えにくいことの1つです。

      


  • Posted by セギ at 13:03Comments(0)算数・数学

    2019年10月09日

    台風当日と大雪初日の休校または欠席のご案内。


    大きな台風が直撃する可能性が高い場合、前日までに休校を決定し、該当生徒の保護者の方にメールで連絡いたします。
    直撃ではない場合は、当日の授業の数時間前に風雨の様子を判断し、休校あるいは授業実施のご案内をいたします。
    大雪初日の場合も、当日の降雪量・道路状況から判断し、数時間前に休校あるいは授業実施のご案内をいたします。
    なお、台風当日・大雪初日は、通塾に危険が伴うと保護者の方が判断された場合、当日の欠席連絡でも欠席扱いとせず、振替が可能です。

    なお、台風の翌日・大雪の2日目以降は、これに該当しません。
    欠席連絡がない場合は当日欠席扱いとなりますので、前日までに欠席の連絡をお願いいたします。
    ただし、大規模停電に伴い電話・メールでの連絡が不可能となった場合は、連絡なく欠席されても、後日振替可能といたします。

    安全な通塾を最優先に、その都度判断してまいりますので、ご安心ください。

      


  • Posted by セギ at 14:57Comments(0)よくある質問

    2019年10月07日

    叱るよりも、支えること。


    もう何年も前のことになりますが、高校生に学校の英語のサイドリーダーの読解を授業でやってほしいと頼まれたことがありました。
    授業をするには、そのサイドリーダーの本文が必要です。
    しかし、サイドリーダーは、学校販売のみで、個人が書店やネットで入手するのは難しい場合がほとんどです。
    本文が私の手元にないのでは授業がしづらい。
    授業前に下調べをすることもできません。
    重要表現をまとめたり、重要文の暗唱のためのプリントを作ることもできません。

    「サイドリーダーをコピーして持ってきてください。1度に全部コピーしてきてくれると嬉しいけれど、まずは第1章だけでもいいよ」
    そのように、その高校生に話しました。
    しかし、翌週、その子はコピーするのを忘れてきていました。

    その翌週も、その子はコピーを持ってきませんでした。
    それだけでなく、
    「コピーがなくても良くないですか?」
    と言い出しました。
    なぜコピーが必要なのか、最初に説明したのですが、一度では理解できなかったようです。
    もう一度、
    「1冊しかサイドリーダーがないんだから、私が逆さに英文を読まないといけないでしょう。中学の教科書のような、字が大きくて簡単な内容なら平気だけれど、この字の小ささで、この内容を逆さに読むのは無理ですよ」
    と私が説明すると、その子はがっかりした顔をしました。
    このセンセイはそんなこともできないのかと、少し笑っているようにも見える表情でした。
    そこで、サイドリーダーを私が読みやすい向き、つまり生徒には逆さに向けて、
    「ずっとこれで授業しますが、これで大丈夫ですか?」
    と尋ねると、
    「大丈夫」
    と言うのです。
    私が逆さで読めない英文を、その子が逆さで読めるわけがなかったのですが。
    それでは自分の勉強にはならないということに気づかないのでした。
    「私の手元にコピーがなかったら、重要表現をまとめたプリントや予想問題を作ることもできないですよ」
    と説明しても、
    「どこがテストに出るのか、口で説明してくれればいい」
    と言い出すので、頭を抱えました。
    教材研究の時間を私に1秒もくれる気がない。
    その必要性を想像できないようでした。
    結局、私のほうにサイドリーダーを向けたまま全訳し、ここの表現は重要だねと次々指摘しました。
    5分ほどで、その子はギブアップしました。

    コピーがなければサイドリーダーの授業は無理です、来週はコピーを持ってきてねと頼んだ、その翌週。
    ようやく、その子は、コピーを持ってきました。
    「すっごく大変だった」
    と愚痴をこぼしながら手渡してくれたコピーは、1ページ目は曲がって左端が大きく欠け、2ページ目はぼやけて文字が見えませんでした。

    生徒が持ってくるコピーは、多少曲がっていようが、汚れていようが、必要な部分が読み取れれば良いのです。
    しかし、英文の左端が大きく欠けているコピーとか、ぼやけて文字が判読できないコピーは、さすがに使用に耐えるものではありませんでした。

    なぜそのようなことが起きたのか?
    その子は、家庭用プリンタでコピーしてきたのでした。
    家庭用プリンタは、コピー機としての性能は低いです。
    業務用のものと比べると解像度が低いので、文字がぼけやすいのです。
    1枚の書類をコピーするのはまだ楽ですが、本をコピーする場合には、手でしっかり本を押さえ、光が通り過ぎる間、その状態をキープする必要があります。
    しかし、その子は、本をガラス面に置くと手を離し、プリンターの蓋をしてコピーボタンを押したのでしょう。
    手を離した瞬間に本は位置がズレ、浮き上がって文字はぼけ、使い物にならないコピーになったようです。

    初めてコピーをとるときは、高校生でもそんなふうなことがあります。
    「コピーもろくに取れないのかっ」
    などと叱る必要はなく、やり方を知らないだけです。
    ただ、出来上がった失敗コピーを見て、これは取り直しだとなぜ判断できなかったのか?
    コピーするという作業が目的にすり替わってしまい、文字を読み取れるコピーでなければ意味がないということが理解できなかったようでした。

    「これ、家のプリンタでコピーしたの?これじゃ読めないですよ。家のプリンタは上手くコピーできないでしょう?」
    「すごく難しかった」
    「コンビニのコピー機でコピーしたほうがいいですよ。来週までに取り直してきてください」
    そう頼むと、しかし、その子の顔は曇りました。
    「・・・お金が勿体ない」
    「家のプリンタも紙代とインク代がかかるんですよ。特にインクは高い。1枚あたりにすれば、コンビニのコピーと大差ない金額になります」
    「え?そうなんですか」
    「お母さんに話して、コピー代を、お小遣いと別にもらいなさい。何なら、私からお母さんにメールするよ」
    「いや、それはいい。お金が勿体ないと言ったのがわかったら、怒られる」
    しかし、顔は曇ったままです。
    「うん?あとは何が問題?」
    「コンビニのコピーのやり方がわからない」
    「・・・じゃあ、お母さんに頼んで、一緒にコンビニに行ってコピーの取り方を教えてもらうといいよ」
    「・・・」
    もはや、それは嫌だという反応もなくなったのは、失敗しているという実感が自分でもあったからでしょうか。

    その翌週。
    B4版の美しいコピーの束を、その子は持ってきました。
    ただ、1枚目を見た瞬間に、異常に気づきました。
    文字が原本よりも大きく、その一方、上下左右に余白がなく、ページいっぱいに文字が広がっていたのです。
    本文のみを最大限に大きくする拡大コピーがされていたのでした。
    「お母さんが、凄く難しかったと言っていた」
    「・・・」
    余白がないように拡大コピーしたので、ページを示す数字はカットされていました。
    ページ数の記載がないコピーが40枚ほど。
    うっかり落として、紙をバラまいてしまったら終わりです。
    恐ろしいものを受け取ってしまいました。


    それにしても、なぜお母様は、拡大コピーをしたのでしょうか。
    余白なく、しかし本文は確実に入るよう拡大コピーするには、拡大率をあれこれ考え、数枚は試して、ようやく出来たと思うのです。
    拡大コピーなど頼んでいないのに、何でそんなことになったのでしょう?

    推測するに、
    「こんなに小さな字のサイドリーダーを逆さに読むことはできない」
    「このコピーは、字がぼやけていて読めない」
    と私が言ったという情報が、少し曲がった形でお母様に伝えられたのではないかと思うのです。
    そう言えば、塾のブログも何だか字が大きかったような気がする。
    もう1つ。
    お母さんに頼んで、一緒にコンビニに行ってコピーしなさいと私が言ったことが、お母様には理解しかねることだったのではないかと思うのです。
    何で私がやらなければならないのだろう?
    なぜ、子どもがやるのではダメなのだろう?
    何かとても難しいことを要求されて、だから私の助けが必要なのかしら?
    切れ切れの情報を統合した結果、お母様の判断は、
    「字が小さくて読めないからセンセイが困っていて、だから拡大コピーが必要なのだろう」
    というものになったのでしょうか。

    字が小さ過ぎて読めないっ。

    いやいや、本当にそんなことなら例のルーペを買います。
    逆さに読むのでなければ、小さい字でも読めるのです。
    そんなことよりも、ページ数の情報のほうが、コピーには重要です。

    そのお母様は、自分がコンビニでコピーを取らねばならない理由を、自分の子どもに原因があることと考えれられず、外部に理由を求めた。
    高校生である自分の子どもがコピーを取れないことなど想像もしなかったので、私の老眼を疑うほうに発想がいってしまったのだと思うのです。


    こんなのは笑い話ですが、このような「伝言ゲームの失敗」は、塾ではときどきあります。
    大きな理由の1つは、保護者が見ているお子さんと、私が見ているその子とは、見え方がかなり違うということ。
    家庭内ではしっかりしていても、外の世界で起こることには上手く対応できない子もいます。
    「もう中学生だから、もう高校生だから、大丈夫」
    と保護者の方は思っていても、新しいことへの対応力に乏しい子もいます。
    そこに、子どもの口から語られるあやふやな情報が加わると、こうした「伝言ゲーム」が起こります。

    家庭内では、子どもは生まれ育った安全な空間の中でルーティンで生活していますので、それなりにしっかりしているように見えるのかもしれません。
    親に対して一人前の口をきくこともあるでしょう。
    しかし、未経験のこと・新しいことに上手く対応できない。
    それだけでなく、当然その年齢ならばできるだろうと期待されていることを上手くできない傾向がある。
    そういう子が今は多いです。
    そのことに親は気づかない、ということがあるのかもしれません。
    その子が不器用であることよりも、その子の不器用さを保護者が気づいていないことのほうが根深い課題であると感じることがあります。
    必要なサポートがされないからです。

    忘れ物が多い。
    何が宿題に出されたのか忘れてしまう。
    メモをしても、そのメモを後で見ることを忘れてしまう。
    メモを失くしてしまう。
    学校の定期テスト日程を把握していない。
    テスト範囲を把握していない。

    失くし物も多い。
    塾で渡したプリントを、翌週には失くしてしまう。
    しばらく使っていなかった冊子テキストは、ほぼ100%失くしてしまっている。
    学校のワークや問題集の解答集を失くしてしまうこともあり、学校の宿題を提出したい気持ちはあっても、解答がないので丸つけして提出することができない。
    解答集だけでなく、ワークや問題集本体も、失くしてしまうことがある。
    学校の机の中かロッカーか、散らかった自分の部屋のどこかにはある。
    でも、どこにあるかはわからない・・・。

    定期テストが終われば、問題用紙を学校の机かカバンの中に突っ込んでしまい、そのまま失くしてしまう。
    「テストを持ってきてね」
    と頼んでも、答案用紙が返却された頃には問題用紙を失くしているので、セットで塾に持ってくることができない。


    コピー取りが上手くできなかったその子も、そういう傾向がありました。
    塾に持ってくる物の把握を上手くできませんでした。
    持ってくるものリストを作ってあげても、それを見てチェックすることも忘れてしまうので、結局リストも役に立ちません。
    教材不足の中で授業を成立させるのに苦慮しなければならない日も多くありました。
    宿題を解いたノートと、宿題に使ったテキストだけを持ってきて、あとは全部忘れてくるのです。
    宿題をやったときは、宿題のことだけで頭がいっぱいになってしまうようでした。
    他の教材を全部忘れてきているので、宿題の答えあわせが終わると、では授業は何をするの?という状態になってしまうのでした。
    あるいは、その日、自分が勉強したい学校の教材だけを持ってくることもありました。
    宿題はやってきたの?と尋ねると、そう言えばそんなものがあった、と驚いた顔をしていました。

    また、定期テスト前はテスト対策を2週ほどします。
    そうすると記憶がリセットされてしまうのか、テストの翌週は、筆記用具しか持ってこなかったこともありました。
    塾に何を持ってくればいいのか、わからなくなってしまったようでした。
    そうしたことが繰り返されていました。
    高校生です。

    コミュニケーションがとりづらい。
    私の要求していることが上手く伝わらない。
    スケジュールの管理・物の管理が上手くできない。
    不器用で、色々なことにつまずき、それが学習に影響している・・・。


    もう1つ驚いたことがありました。
    私は、ひと月ごとにまとめて授業の内容をメールで報告しています。
    その指導レポートの送り先として登録されていたメールアドレスは2つあり、お母様のアドレスと、もう1つはその子本人のアドレスだったことが、レポートを送り始めて数か月後にわかったのです。
    勉強のことで参考にするのは本人なので、本人が読むのが良いと思ったというのでした。

    お母様が、その子のことをそんなにも信用し、大人のように扱っていることに、私は心底驚きました。
    小学生ができることをできないでいる高校生を、大人と同じように扱っている・・・。
    テスト範囲を把握できないことも、持ち物を管理できないことも、その子の自覚に任され、家庭内で補助されていないのではないか?
    その一方、学校の成績が良くないことだけは問題視されているとしたら・・・。

    ちょっとだらしない性格傾向はあるけれど、能力の問題ではないと思われているのではないか?
    テスト範囲がわからなくても、教材の管理ができなくても、それは大きな問題ではないとされているのではないか?
    ただ、その性格は直したほうが良いので、ときどき、両親が叱る。
    部屋が散らかっていること。
    テストの点数が低いこと。
    叱って直させたいと思っているが、根本の解決には至らない・・・。
    そうなのだとしたら・・・。

    テスト日程やテスト範囲が把握できない。
    教材の管理が上手くできない。
    この2点は成績に大きく影響します。
    過保護になってはいけないと、物や情報の管理を子どもに任せ、失くすに任せていては、そのままです。
    そのように信頼しているのなら、子どもの成績についても子どもの自覚に任せたほうがいいです。
    それはできず、口を出す。
    口を出すが、助けない。
    ときどき、わっと叱る。
    叱るわりに、その子の課題が見えていない・・・。
    むしろ、課題があることなど認めたくないから、その子を一人前の大人のように扱っているということはないのだろうか。


    他人ごととして読むと「その子は発達障害なのかしら?」という疑問が浮かぶかもしれません。
    しかし、実際に発達障害と診断されていたり、グレーゾーンとされている子の指導もしてきましたが、彼らは、情報や持ち物の管理はしっかりしていました。
    この子のどこがグレーゾーンなのだろう?と、むしろ疑問に思うことのほうが多かったのです。
    高知能であることも多く、望む大学に進学していきました。
    ご両親が専門家と連絡をとり、勉強し工夫して子育てをされてきたからだと思います。

    むしろ、そのような診断をされていない子に、上のような状態の子が多いと感じます。
    物や情報の管理ができないのは、本人がだらしないから。
    勉強ができないのは、努力が足りないから。
    性格的にだらしないだけで、やればできるはずだ。
    叱れば直るはずだ。
    とされてしまうこともあると思います。

    グレーゾーンの一歩定型側は、グレーゾーンとどこが違うのでしょう?
    全てはグラデーションで、線引きなど本当はできないのではないでしょうか。

    ただ、他人ごととしては「発達障害の傾向があるのかしら?」で済むことも、保護者にとっては決して認められない場合もあると思います。
    実際、そのような診断は受けていないのだから認められるわけがない。
    事実として違う。
    それだけでなく、わが子のことと考えると、そのような「レッテル」は受け入れられない。
    その一言で勉強ができない理由を説明されてはたまらない。
    他人のこととしてなら偏見なく受け入れられるけれど、わが子のこととしては、受け入れられない。
    うちの子は、グレーゾーンではない。
    ただ、だらしないところがあるだけ。
    幼いところがあるだけ。
    努力が足りないだけ。
    それは直さなければならない。
    本人にもっと自覚してもらわなければ。
    ・・・そういう考えになってしまう親を誰が責められるでしょうか。

    そもそも必要なのは診断ではありませんでした。
    グレーゾーンかそうでないかなど、その方面の専門家ではない私にとっては、何の意味もないのです。
    ただ、課題は確実に存在し、それは、本人だけで解決できることではないように感じました。
    叱ればきちんとできるようになるわけではないと思いました。
    どうすれば教材を失くさないようになるのか。
    どうすればテスト範囲などの情報を正確に得て、私に正確に伝えられるようになるのか。
    どうすれば、必要なコピーを取って私に渡し、塾の授業をスムーズに受けられるようになるのか。

    しかし、私もまたその子にとっては、ただ注意ばかりするだけの嫌な大人の1人なのかもしれませんでした。
    その子が学校や家庭内で教材を失してくるのを、私は傍観することしかできません。
    サイドリーダーのコピーを渡してくれるまでにひと月かかり、定期テストはおそらく目前。
    詳しい日程はよくわからないし、テスト範囲もわからない。
    学校の問題集はまたも解答集を失くしている。
    テスト当日におそらく提出しなければならないだろう宿題のページもどこかわからない・・・。
    それがテスト範囲そのものであるのは、他の高校の例から考えて確実なのですが、それがわからない・・・。
    「とにかく解答集を探しなさい。それから、友達に、宿題のページを教えてもらいなさい。見つかったら、解答集は必ず問題集に挟み込んでおくんだよ。使ったら挟む、使ったら挟む。離しておいたら絶対なくなるから」
    そのように助言しても、実際にその子がどこまで実行できるのか、傍にいて気にしてあげることはできませんでした。
    1週間後、まだ解答集が見つからないこと、テスト範囲もわからないこと、テストはどうやら来週であることを確認し、注意するだけでした。
    お父さんかお母さんが、その子と一緒にその子の部屋を片付けて、必要な教材を見つけてくれないかなあ・・・。
    その子が友達に電話してテスト範囲やテスト日程を確認するのを傍にいてサポートしてくれないかなあ・・・。
    そうした作業が確実に終了するまで、傍にいて面倒をみてくれないかなあ・・・。
    たまにわっと叱るより、必要なのはそれだと思うなあ・・・。

    そう思うなら、それを伝えればいい。
    より具体的に解決策を提案してはどうだろう?

    私は指導レポートに、上の件の他、物の管理の仕方の具体例をいくつか提示し、メールで送信しました。

    その後、大きな変化が表れました。
    ただし、私が提案したことは一切実行されませんでした。
    しかし、教材を失くしてくること、忘れてくることは、ほとんどなくなりました。
    また、テスト日程とテスト範囲だけは、変な例えですが「歯を食いしばるようにして」正確に私に連絡してくれるようになったのです。
    そこが雑な間は、成績が上がるわけがない。
    逆に言えば、そこが正確になったとき、それでも成績が上がらない理由は、後は、何があるのか?
    そう反問されている、と感じるほどでした。
    そう。
    そこから先は、私の仕事でした。

    なぜかはわかりません。
    けれど、あのメールを境に、確実な支援がその子に入ったと感じました。
    その子の意識も変わりました。
    そして、成績は少しずつ上昇していきました。

    想像するに、その指導レポートの提案のあまりの具体性に、お母様は違和感を抱いたのではないか?
    そして、今度は、私の老眼を疑う方向には向かわなかったのではないか?
    高校生の子どもに対し、まるで小学生にするようにあれをしてくれ、これをしてくれと、親にやけに具体的に要求するメールの意図は何なのか?
    何か起きているのではないか?
    ようやく、その違和感が伝わったのではないかと思います。

    このセンセイ、目だけでなく、言うこともピントがズレてない?
    そんなふうに思われる危険性もあったかもしれません。
    良い感情はもたれなかったようにも思います。
    けれど、成績は少しずつ上昇していきました。

      


  • Posted by セギ at 14:29Comments(0)講師日記

    2019年10月03日

    中3数学「2次方程式の利用」文章題の立式とその後の計算。


    今回は中3に戻って、2次方程式の文章題を解いてみます。
    計算問題なら大丈夫なんだけれど、文章題は苦手、という人、多いですよね。

    問題 兄は弟より4歳年上で、兄の年齢の平方は、弟の年齢の平方の3倍より8小さい。兄と弟の年齢を求めよ。

    もう幾度も書いてきましたが、方程式の文章題の答案の1行目は、何をxとしたかを書きます。
    しかし、これを書かない子は多いです。
    つい忘れてしまうようで、答案作成の習慣として定着しません。
    何を文字で表したのか定義しなければ答案を読む人に伝わりません。
    けれど、本人としては、そもそも x を使うように要求しているのは数学の先生なので、自分の関知するところではない、自分の責任ではないという意識があるのかもしれません。
    自分は x なんか使いたいわけではない、使わされているだけだ、という気分なのでしょうか。
    「そんなの書かなくて大体わかるじゃん」
    という気持ちになってしまう底には、そういう意識があるのではないかと思うのです。

    もっと単純に、小6で初めて x や y を使うことになったときは、そんなことは要求されなかった、中学になったら何でそんなにうるさいんだろう、という気持ちもあるのでしょうか。
    小学生にそこまで要求しても無理だから要求されなかっただけなのですが。

    xの定義は重要です。
    式を見て、
    「このxは何を表しているの?」
    と尋ねても、即答できない場合がほとんどだからです。
    自分でもわからないものを他人にはわかれと要求することはできません。

    そういう、「答案を読む人に迷惑をかけるな」系の理由の他に、何をxとするかを明記することは本人にとっても利点が大きいのです。
    文章題が苦手な中学生は、文章題を見た途端に小学生に戻ってしまう傾向があります。
    どうやって答えを求めよう?
    どういう式なら答えが出るだろう?
    かけ算?
    割り算?
    そんなことをうっかりすると考え始めてしまいます。

    「・・・何を x としますか?」
    そう声をかけると、はっと目が覚めた様子で、まずその1行を書き、そうだった、これは方程式だったと気がついて、立式し始める子は多いです。
    私がそのように声をかけなくても、自分で何を x とするかを考えるならば、文章題は自力で解けるようになります。
    数学は、常に1行目の書き出しが一番難しい。
    それさえ書きだせれば、次の段階に進めるのです。

    さて、無事に1行目が書けたとして。

    方程式の文章題の採点基準は、
    ①何を文字においたかを書いてあるか。
    ②方程式が正しいか。
    ③計算の結果が正しいか。
    ④変域について考察してあるか。
    ⑤最終解答が書いてあるか。
    です。

    つまり、立式が正しいことを確認した後は、すぐに計算の結果に目を移し、途中は読まない先生が多いのです。
    ③の計算の結果が正しくない場合のみ、その前に戻って、どの行まで計算が正しいかを確認し、そこまでを赤ペンで区切って部分点を決定というのが採点の普通の流れです。
    どこを採点されているのか、そのメリハリを理解し、答案を書いていくと良いですね。

    さて、問題に戻りましょう。
    これは、兄と弟の年齢のどちらをxとしても構わないです。
    ただ、兄の年齢をx歳とすると、弟の年齢は(x-4)歳と、負の符号が出てきますので、符号ミスが多い人は、ちょっと危険要素が加わることにはなります。
    とりあえず、今回は、弟の年齢をx歳としてみましょう。
    答案に、「弟の年齢をxとする」と書く人も多いですが、xは単位をつけて書きます。
    年齢なら単位は「歳」に決まっているのでまだましですが、例えば速さに関する問題で、xの単位が「分」なのか「秒」なのかわからず、実は本人も混乱しているとなると、大変です。
    「弟の年齢をx歳とする」と書くのが正しい書き方です。

    弟の年齢をx歳とする。

    さて、ここから立式です。
    よくあるのが、こんなミスです。

    (x+4)2-8=3x2

    ・・・うん?
    もう一度問題を読み直しましょう。
    「兄は弟より4歳年上で、兄の年齢の平方は、弟の年齢の平方の3倍より8小さい」

    上のような間違った式を書いてしまうのは、小学生時代に文章題に苦しめられ過ぎた後遺症なのかもしれません。
    「8小さい」をどう処理するか、頭の中であれこれ考えた結果、左辺にくっつけてしまうのです。
    小学校の文章題は、答えを求める式を立てますから、加えたと言われたら引かなければならず、かけたと言われたら割らねばなりません。
    とにかく、裏を裏を考えないと、正しい式が立ちません。
    その癖が中学生になっても抜けない人は多いです。
    方程式は、裏を考える必要はありません。
    問題文に書いてある通りに書いて行けば良いのです。
    「兄の年齢の平方」は「弟の年齢の平方の3倍より8小さい」。
    この前半のカギかっこが、左辺。
    後半のカギかっこが、右辺。
    書いてある通りに書けば、式になります。
    兄の年齢の平方は、(x+4)2。
    弟の年齢の平方の3倍より8小さい数は、3x2-8。
    その2つが等しいのですから、
    (x+4)2=3x2-8
    これが正しい立式です。
    式が表しているのは、兄の年齢の平方です。
    そこから8を引いたりしては、左辺だけが一方的に小さくなっていきます。

    考え過ぎたあげく、
    (x+4)2+8=3x2
    という式を立てる人もいます。
    この式は、間違ってはいません。
    ただ、本人の苦闘が如実に表れているわりに、「あー、はいはい。別に間違ってはいませんよ」程度の評価しか受けません。
    せっかくの方程式の旨味をなぜ生かさない?
    書いてある通りに式を立てるだけでいいのに。
    採点官の感想はその程度です。
    余計なことを考えずに、その方程式が何を表すのかを意識しながら、文章の通りに式を立てるのが、立式のコツです。

    さて、立式したら、計算です。
    (x+4)2=3x2-8
    右辺にもx2の項がありますので、これは一度左辺を展開すると良いですね。

    x2+8x+16=3x2-8
    2x2-8x+8=0

    ・・・うん?
    何か間違っていますね。
    今度は何をしたの?
    単純に移項すれば、
    -2x2+8x+24=0 
    となります。
    そうなると、x2の項に負の符号がついてしまい、それが嫌なのは、わかります。
    だから、移項しつつ、符号を転換することもしたかったようです。
    そして、定数項でしくじった・・・。

    そういうことをやりたい場合、書いているのは左辺でも、意識は全ての項を右辺に移項するイメージでやっていくと、比較的ミスなく書いていけます。
    つまり、本当は、
    0=2x2-8x-24
    と移項しているのですが、「0=」は書かず、いきなり右辺を書いていき、最後に「=0」を書き加えるイメージです。

    2x2-8x-24=0

    しかし、別にそんな無理をせず、
    -2x2+8x+24=0 
    x2-4x-12=0
    としていくのでも、手間は変わりません。
    結局、式全体を割って、x2の係数を1にしますから。

    ちょっとした手間を惜しんで、暗算で済ませて、符号ミスや計算ミスのリスクを抱え込む。
    暗算に時間がかかる上に、実は手間もそんなに違わない。
    そういうことが、方程式の計算には多いです。
    計算は正確であることが大切です。
    というより、正確であること以外は何も求められていません。

    さて、
    x2-4x-12=0
    (x-6)(x+2)=0
    x=6 , -2

    ここで、xの変域(高校生になると定義域と呼びます)を考えます。
    人間の年齢なので、-2歳などありえません。
    そこで、「x≧0 だから」 あるいは、「xは正の整数なので」といった変域を考察する1行が必要となります。
    これが上に書いた、
    ④変域について考察してあるか。
    という採点基準です。

    x=6 , -2
    xは正の整数だから、
    x=6
    兄10歳、弟6歳

    これで答案は終了です。
    さて、もう1問。


    問題 原価500円の品物に、原価のx割の利益を見込んで定価をつけたが、売れないので定価のx割引で売ったところ、45円の損失となった。xの値を求めよ。

    こうした売買損益の問題が苦手な子は、本当に多いです。
    そもそも割合の問題が苦手な上に、「原価」「定価」「売値」「利益を見込む」といった商業用語が出てくるので、ハードルが高いのでしょう。
    原価というのは、仕入れ値。
    お店の人が仕入れた値段です。
    お店の人は、その原価のまま商品を売ったら、1円ももうかりません。
    それでは商売になりません。
    だから、原価に利益を見込んだ定価をつけます。
    まだその利益は確定ではないので、「利益をつける」という言い方はできません。
    これだけの利益を得る予定である、という意味で、「利益を見込む」という言い方をします。

    上の問題は、まずは定価の表し方を考えてみましょう。
    そう呼びかけると、こんな答えが返ってくることがあります。

    500x

    ・・・え?
    500円にx割の利益を見込んだ定価は、500x?
    この答え、数学の成績が「4」の子でも出てくる答えです。

    「・・・1割って、分数ではどう表しますか?」
    「ええと・・・」
    これが、まず出てこないのです。
    「割合」の学習は、小5の3学期に行う場合が多いですが、そのときはまだ「分数のかけ算・わり算」は学習していないため、割合の数値は小数を用います。
    小6になって、分数のかけ算・わり算を学習した直後や「比」を学習する直前に、改めて「割合と分数」を学習するのですが、そこで学びそこねてしまう子は多いです。
    自分は小数を使うからいいや、と思ってしまうのでしょうか。
    また、中1では、「文字式」の学習の際に「a円の1割」といったことを文字式にする練習をします。
    しかし、それもよく理解できないまま、そんなのは多くの問題の中の1問、結局最後までできなかったけれど、まあいいか、と通り過ぎていきます。
    中1の「1次方程式」、中2の「連立方程式」で、文章題を学ぶ度に割合の問題は出てきますが、それもまた、そういうのは自分は難しいからよくわからないけど、まあいいや、と通り過ぎていきます。
    繰り返し繰り返し、幾度学習しても、割合が定着しない子は多いです。

    「1割は、1/10。わかりますか?」
    「ああ、そうだ。1/10」
    「じゃあ、x割は、どう表されるでしょう?」
    「5/10」
    「・・・え?」
    ・・・どこから湧いてきたの、その5/10は?
    500円からきたの?
    やはり、本当に混乱しているのだなあと、驚くことが多いです。

    500円のx割は、500×x/10。
    まず、ここの理解までが大変で、理解できないからとにかくそこは暗記して済ます・・・という子も多いところです。
    方程式の文章題を学ぶ度に丸暗記でやり過ごそうとし、そしてすぐ忘れてしまうのでしょう。
    もとにする量×割合=くらべる量
    この公式は、「比べる量÷もとにする量=割合」という基本の公式を使いやすいように変形しただけの式なので、確かに暗記するしかありません。
    本来、感覚的に実感できる種類のものではありません。
    しかし、私は、この式に実感があります。
    多くの大人もそうだと思います。
    それは、子どもの頃から数限りなく使用し、それで正解が出ることがわかっているので、実感と結びついたのだと思います。
    500円を1/10にしたいときは、500×1/10なのだ。
    それは、500円を3倍したいときに、500×3をするのと同じだ。
    少しも間違っていない。
    沢山使っていくうちに実感を伴ってくるものなのですが、間違った式ばかり立てている子は、その実感が育たないのです。
    この公式が脳の奥まで染みていれば何も問題がないところですが、全く納得しないまま、ただやり過ごして中3まできてしまう子は、相当数いると思います。

    小学生のうちに、何とか割合の基本は身につけてほしい。
    そう思っても、なかなかに厄介なのが割合という単元です。
    うちの塾でも、ことあるごとにふりかえって復習していますが、その都度新鮮に間違えて、また覚え直して、の繰り返しの子は多いです。
    「300円の1/3はいくらですか」
    といった問題で、
    300÷1/3 
    という式を立てることをどうしてもやめられない小学生が多いのです。
    300を1/3にするんだ。
    だったら、わり算だな。
    という感覚が真っ先にきてしまうのだろうと想像されます。
    彼らの中では、300÷1/3と、300÷3 は、同じ意味なのだと思います。
    違いが意識できないのだろうと思うのです。
    だから、300÷3 をする気持ちで、300÷1/3 をしてしまうのでしょう。


    しかも、上の問題は、500円のx割ではなく、原価500円にx割の利益を見込んだのです。
    500(1+x/10)円が、定価となります。
    しかし、ここで突然現れた「1」の意味が理解できない子が多いです。
    もともと500円はある。
    それは、全体1。
    それにさらに、x/10の利益を見込む。
    だから、定価は、500円の(1+x/10)倍になる。
    このことが、実感としてなるほどその通りだと理解できれば、以後、このタイプの問題が幾度出てきても何も困ることはありません。
    しかし、全くわからないまま解き方を暗記しては忘れ、間違えては混乱し、どっちが正しかったからわからなくなってはまた混乱し、を繰り返し、中学生になり高校生になってしまう人は多いです。

    1つのわかりやすい考え方としては、もともと500円の原価はあり、それに利益を見込んで付け加えるのだから、
    500+500×x/10 
    という式なら、ギリギリわかる、という子は多いです。
    それを500でくくると、
    500(1+x/10) になりますよ、と説明すると、
    「本当だ!初めて意味がわかった!」
    と感動します。
    しかし、その感覚のまま、その続きを立式すると、
    500+500×x/10-500×x/10
    という間違った式を導きやすいのです。
    意味が理解できたら、必ず、500(1+x/10) と(  )でくくっておきなさいと厳命しておかないと危険です。
    本当は、最初から 500(1+x/10) の意味を当たり前に理解し、500+500×x/10 という式を介さずに式を立てられるようであってほしい。

    それには、線分図です。

    線分図を描いて、全体を①として、そこにx割、すなわちx/10をたして、・・・という解説が意味をなし、理解してもらえると、私は心底安堵します。
    もう大丈夫。
    この子は、売買損益の文章題をマスターした、大丈夫だ、と感じます。
    しかし、中学受験をした子以外は、線分図の見方をほぼ知りません。
    中学受験生だって、線分図の見方を初めから理解できる子は少ないです。
    4年生の頃から毎週のように見せられ、それを描けと要求され、よくわからないまま物真似のように図を描き続け、反復して反復して、ようやく、6年生になった頃に違和感がなくなり、うっすらとその意味がわかってくる、という子も多いのです。
    数量を線分の長さで表すという概念の理解は、子どもには一大事なのだと思います。
    まして、その線分が、実数と割合と二重の意味を持っているという概念の理解は、さらに困難を極めます。
    わかりやすく目に見える形にしたつもりの図が、子どもに負担を与えるだけで、意味をなさないのです。
    線分図を見ても、何1つ理解できない子は多いです。

    そんな中で、何の偶然なのか、突然ふっと理解できる子がいます。
    頭の中も清明な良く晴れた秋の日に、突然、それはやってくるかもしれません。
    ユ・リイカ!
    我、発見せり!
    センセイが線分図とかいう妙な図で何か繰り返し力説していたことの意味が、今わかった!

    そんな晴れ晴れとした日は、長い格闘の時間があってこそ訪れます。
    諦めてはいけない。
    焦ってもいけない。
    割合の学習は、繰り返し繰り返し根気よく続けていくしかないと思っています。

    上の問題に戻ります。
    この問題、さらに続きがあります。
    その定価を、今度はx割引きするのです。
    したがって、売値は、
    500(1+x/10)(1-x/10)

    1+x/10 が理解できなかったら、1-x/10 が理解できるわけがありません。
    この文章題は、ハードルが高過ぎる。
    というより、ほぼ障害物競走に近い・・・。
    割合が理解できない子を見分け選別するために存在している文章題なのか?
    それほどに、割合が苦手な子には立式が困難なのがこの文章題です。

    500(1+x/10)(1-x/10)
    それでも何とかここまで理解したとして。
    この売値で、45円の損失があった。
    原価500円の品物を500円で売ったら、損失0円。
    では、45円の損失があったということは、売値は、500-45(円)だったということでしょう。
    したがって、式は、
    500(1+x/10)(1-x/10)=500-45
    となります。
    この式を自力で立てられる中3は、本当に凄いのですよ。
    ヽ(^。^)ノ

    ともかく、立式はできたとして。
    しかし、その後の計算も困難を極める子が多いのがこの問題です。

    500(1+x/10)(1-x/10)=455

    これをどう解くか?
    単なる計算問題と異なり、文章題で立てた式は、計算しにくいことが多いです。
    何も指示せず、好きに解いてもらうと、大半の中学生がこの式をグチャグチャにしてしまいます。

    5000(10+x)(10-x)=4550

    ・・・うん?
    何をしたの?

    (500+50x)(500-50x)=455

    ・・・うん?
    大丈夫?

    (1+x/10)(1-x/10)=455/500
    「センセイ、この先どうするの?全部分数になっちゃって、計算できない」
    「・・・うん、そうですね」
    ( 一一)

    500(1+x/10)(1-x/10)
    というのは、
    500×(1+x/10)×(1-x/10) という意味です。
    下手をすると、そういう意味だということすら忘れて、ただ手順だけ覚えて計算している中学生もいます。
    この式、左辺全体がかけ算の大きな1つのまとまりです。
    かけ算のまとまりのところは、1箇所を10で割り、代わりに他の箇所を10倍しても、計算の結果は変わりません。
    それは、小学校の算数で学習していることです。
    50×0.2=5×2=10
    といった数理の仕組みは、小学4年生で学習します。
    こうした計算も、その単元のときだけわかったような顔をするが、以後、全く活用しない小学生が多いです。
    小学校の算数は、数理の根本が詰まっています。
    「小学校のこの単元は苦手だったけど、まあ中学の数学とは関係なくない?」
    とやり過ごして良い単元は1つもありません。
    些末なことに見えることほど、後になって重大事となります。

    これを活用すれば、上の式は極めて簡単になります。
    500(1+x/10)(1-x/10)=455
    5(10+x)(10-x)=455
    全体を10倍する、100倍するといったことは、この式には必要ないのです。

    ここで慌てて(  )を開いてしまう人もいますが、得策ではありません。
    まず、両辺を5で割りましょう。
    (10+x)(10-x)=91
    ここで展開します。
    乗法公式が使えますね。
    100-x2=91
    -x2=-9
    x2=9
    x=±3

    ここで、xの変域について考察します。
    -3割の利益を見込む、といったことはありえません。
    それでは、最初から3割引きしていることになります。
    だから、x>0です。
    x>0 より x=3
    この問題は、問題文の中にxがあり、その値を求めよと言われましたので、これで最終解答です。
    答を書く前に問題文を見直すことが必要ですが、それをしない子も多く、「3割」などと答えて、つまらない減点をされてしまいます。

    さまざまな困難を乗り越えて、文章題をパーフェクトに解く快感。
    そういうものを味わい、どうか文章題を得意になってください。


      


  • Posted by セギ at 11:24Comments(0)算数・数学