2011年11月30日
be動詞と一般動詞
さて、公立中学など、2学期末テスト日程が早めの学校は、そろそろ結果が出揃いました。
現在のところ、2学期中間テストと比較しますと、平均で18点アップしました。
上がれ上がれ、ゴールの90点台まで。
とはいえ、これから、私立中学と高校の期末シーズン。
こちらは、そう簡単には得点が動かないかもしれません。
頑張らなくちゃー。
数学も結局はそうなのですが、英語の場合、最近習ったことだけをやっていても、それほど得点が伸びないことがあります。
苦手をこじらせて、成績が下がるだけ下がってしまった子の場合、本人の現在の学年とは関係なく、中1・中2の英文法の知識がガタガタであることが多いです。
特にこじらせているのが、be動詞の文と一般動詞の文の区別。
1度や2度、解説し直したくらいでは、定着しないと覚悟しなくてはなりません。
①( ) you write a letter in English every Sunday?
②( ) you busy now ?
この2文の空所補充は、それほど難しいものではありません。
けれど、英語が苦手な子は、まず、ここがあやふやで、定着しません。
①の空所に、Are を入れてしまいます。
②の空所に、Do を入れてしまうこともあります。
1度逆になってしまったものは、なかなか訂正されません。
何回も、そして何ヵ月も、間違い続けた記憶のほうが強いのでしょう。
説明を聞いた直後から、再び曖昧になり、混乱が始まります。
be動詞とは何か。
一般動詞とは何か。
文法嫌いな子は、中1の1学期から2学期に、そんなのどうでもいいじゃん、と説明を聞き流してしまうようです。
そして、テストで間違える度に混乱し、何が正しいのかわからなくなったまま、何年も過ごしてしまいます。
英語は、文頭から理解していく言語なので、Are you という音を聞いた瞬間に、あなたは何かとイコールなのかと訊かれている、という把握がされます。
be動詞の持つ最大の意味は、「イコール」ということ。
ものごととイコールのこともあれば、状態とイコール、すなわち、その状態であるということもあります。
そして、Do you という音を聞いた瞬間に、あなたは何かをするのかと訊かれている、という把握がされます。
この使い分けは、簡単なんだけどなあ。
でも、定着しないまま間違い続けた時期が長いと、もう定着しないというのは、わかります。
実は、私、日本語の「くま」のアクセントが、いまだに正しく身につきません。
「く」にアクセントがあるほうが、森や山に棲む動物で、
「ま」にアクセントがあるほうが、目の下にできるもの。
何回練習しても、身につきません。
いざ使う必要があるとき、間違えてしまいます。
(@_@;)
間違えていた期間が長いからだと思います。
そういうわけで、苦手をこじらせないうちに、どうか早めに塾へ。
画像は、去年の奥高尾の紅葉。
2011年11月28日
数学は暗記科目ではないけれど
たとえば、三角関数の加法定理。
sin(α+Β)=sinαcosΒ+cosαsinΒ
sin(α-Β)=sinαcosΒ-cosαsinΒ
cos(α+Β)=cosαcosΒ-sinαsinΒ
cos(α-Β)=cosαcosΒ+sinαsinΒ
これを使う問題を、なぜ私が解けるかといえば、この加法定理を覚えているからです。
それも、短期記憶ではなく、長期記憶として保存しているから、特に困難を感じずに利用することができます。
だけど、この定理の証明はというと、うーん、確か余弦定理を使うんだよ、単位円上に点Pと点Qをとったなあ、くらいの把握しか普段はしていないので、教える必要があるときに、見直します。
そういう自分を反省しますと、つまり、私は、この公式を、ただ単に暗記して使っています。
「数学は、暗記科目ではない」
それは嘘ではないのですが、暗記することが何もない科目だというのも誤解かもしれません。
証明を理解し、納得できたら、あとは定理を覚える。
そういうことも必要になります。
そういうことと、意味が全然わかっていないのに、作業手順だけ暗記して問題を解いているのは、似ているけれど、別のことです。
意味がわかっていないのに、先に進んではいけない。
でも、証明を確かに理解し、細部はいちいち覚えていないが、この定理に間違いはないと感じているのなら、あとは暗記して使っても、別に構わないんじゃないでしょうか。
となると、あとは、覚え方なんですが、加法定理、覚えにくいですね。
(*^_^*)
「咲いたコスモス。コスモス、咲いた」
「コスモス、コスモス。咲いた、咲いた」
・・・・・センセー、その2つ、何が違うの?
それ、覚えやすい?
うーん。
なんか、一面のコスモス畑が頭の中に広がるねえ。
風に揺れているよ。
昭和記念公園かなあ。
私は、「サイン・コス コス・サイン」というシンプルなほうが好きです。
2011年11月26日
下手な暗算、休むに似たり
本日、11月26日(土)は、三鷹中等教育学校の学校説明会。
同時に、願書の配布が始まりました。
さあ、いよいよ、中学受験シーズンが近づいてまいりました。
セギ英数教室としましては、中学受験生には、全員第一志望に合格してもらわなくてはなりません。
合格率100%。
理想ではなく、現実としてそうでなくては、小さい塾は維持できません。
頑張らなくちゃ。
小6対象、中高一貫校対策の冬期講習、あと3名募集しています。
ご参加お待ちしております。
(*^_^*)
私が、受験算数を勉強し始めた子の、どこを見ているかというと、1つは、基本的な計算力と学習姿勢を見ています。
小学生は、筆算が嫌いで、暗算をやりたがる傾向があります。
たとえば、2桁×2桁。
そういう式が立って、さあ計算というときに、手を動かさず、じっと見ている子がいます。
おや?
この子は、これを暗算できるのかなと、こちらも様子を見ます。
インド式数学を多少知っているなどで、暗算できる子がいないわけではありませんから。
しかし、ほとんどの場合、1~2分考えたあげく、諦めて、筆算を始めます。
だったら、最初から筆算したらいいのに。(^_^;)
そういう子は、何度でも、同じことをします。
2桁×2桁のかけ算は、自分は暗算できないのだ、という自覚が持てず、その都度試してしまうんです。
わり算のトライも、ほぼ毎回です。
3桁÷2桁のわり算。
これも、手を動かさず、まず、じっと見ています。
筆算したって間違えるくせに、なぜ、暗算できると思うのだろう?
私は、30年ごしの疑問符を、頭の上に浮かべながら、受験算数初心者の小学生たちが、諦めて筆算を始めるまで待ちます。
これは、単に計算力がない、ということではありません。
もちろん、計算力もないのですが。
自分は、何桁までなら暗算できて、何桁からは、暗算できないのか。
それが自覚できていないということは、計算の経験が浅いということ。
数字と遊んだ経験が少ないということ。
数字とその子の間に、距離があるということです。
そういう暗算ができるようになりたいという望みが本当にあるなら、塾の時間ではなく、家で、自分で考えて、何かやり方を見つけるでしょう。
それをせず、塾の算数の時間になるとそれを試しているのは、数字とその子の間に、かなり距離がある証拠です。
となると、十進法の感覚もぐらついている可能性があります。
もしかしたら、かけ算・わり算の意味も、本当には理解していないかもしれません。
学校では、「今は、わり算を勉強しているから、わり算の式を立てればいいんだろう」という判断で、文章題の中の大きい数字を小さい数字でわる式を立ててきた。
それで正解だった。
算数は、そういうものだ。
そうした認識かもしれません。
そうしたところを、まず観察するところから始まります。
2桁×2桁を暗算する必要はありません。
インド式数学をやらなくちゃ、とか、やっぱりソロバンがいいというのは本当だったのね、とか、そういうことではありません。
筆算が必要なら、素早く正確に筆算する。
そのことに、迷いもなく、ミスもない。
そういう状態であれば良いのです。
頭は、そんなことには使わず、問題を読み取り、立式することに使います。
2011年11月22日
25歳の我が子をイメージして
秋も深まり、日曜日は、大学入試の模擬試験の会場責任者の仕事が多く入ります。
もう6年ほど、この仕事をしています。
年に15日から20日ほどしかない仕事ですが、何年も続けていますと、やはり、そこから感じることがあります。
2~3年前のことになりますが、ある大学会場の責任者をしたときのことです。
もうすぐ1時間目が始まるという頃、運営本部から電話がかかってきました。
受験生のお母様から、クレームの電話が来ている、というのです。
そのお母様のお子さんが、入口にある教室案内の大掲示を読み取ることができず、わからないからと、家に帰ってきた。
「これが本番だったら、どうしてくれるんですか」
と、お母様は、非常に怒っているとのこと。
うーん。
本当に、これが本番の大学入試だったら、どうするつもりなんだろう?
受験番号の何番から何番までは何階の何番教室、と一覧になっている大掲示は、それほど読み取りにくいものではありません。
ただ、それが読み取れない高校生が存在する、とは感じていました。
掲示に書いてあることが、読み取れない。
掲示に書いてあることの中から、自分に必要な情報を読み取るという、こう書くと難しそうですが、生活していくのに必要なことが、できない高校生がいる。
とはいえ。
大掲示が読み取れなかったら、大掲示の横に立っている誘導係に、自分の受験番号を見せて尋ねたらいいのです。
読み取れない子が増えたから、そういう配慮をしています。
・・・・模試を受けたくなかったんじゃ、ないかなあ。
根拠があるわけではありませんが、電話を切って、私はそう考えていました。
本当に本当に模試を受けたかったら、訊けばいい。
他人に訊くこともせず、家に帰ってしまった。
既に、気持ちで負けています。
本当は、模試を受けたくなかったんじゃないかなあ。
悪い結果が出るのが、嫌だったんじゃないかなあ。
掲示がよくわからなかったと、会場側のせいにすれば、お母さんの怒りがそっちに向くのを、その子は、知っていたんじゃないかなあ。
掲示をしてありましたし、誘導係も配置してありましたから、こちらにミスはなかったということで、それ以上の問題には発展しませんでした。
ただ、切ない。
そういう親子関係は、そのとき突然始まったわけではなく、似たようなことを繰り返してきた可能性があります。
子どもが、もっと幼い頃から、ずっと。
かばうから、子どもは成長できないのですが、子どもが成長できないから、親は、かばい続けなければなりません。
それを批判したり、否定したりしても、解決しません。
お母さんも、苦しいと思います。
模試運営側としては、大掲示の前に立ったまま、なかなかその場を動かない子には、こちらから積極的に声をかけ誘導するよう、指導しているのですが、誘導係も学生バイトですから、暗い顔で「おはようございます」を言うのが精一杯なのが実状です。
単発のバイトで、その朝、突然、誘導係を任命され、笑顔と大きい声と積極的な気配りで見事にやり通せたら、それは凄い人材ですが、そういうことが求められていると気がついていない子が大半です。
レベルの低い雑用係を言いつけられた、と思っているのかもしれません。
誘導係って、会場の「顔」なんだけどなあ。
大人が、そういうことを高く評価する、ということに気がついていないのでしょう。
ただ、質問されれば、一所懸命に説明する子が多いです。
それをさぼる子は、最近の学生バイトでは見かけません。
私が去年まで勤めていた塾の副学院長が、保護者会で十八番にしている話がありました。
「25歳の我が子をイメージして、子育てをしてください」というもの。
25歳の我が子に、どのようであってほしいか。
現実には、25歳よりももっと前に、就活という大きな関門が待っています。
画像は、センニンソウのそう果。
2011年11月16日
絶対に伸びる子
どの子も伸びる可能性があります。
しかし、いつまでに、どれくらい、ということになりますと、本人の性格、生活習慣、といった要素が複雑にからんできて、なかなか先が読めない場合があります。
そうした中で、この子は、絶対伸びる、飛躍的に伸びる、受験の朝まで伸び続ける、と確信が持てるのはどんな場合かというと、いくつかの条件がそろっている場合です。
今日は、その理想の条件が全てそろっている場合のお話を。
中3の夏まで部活ばっかりやっていて勉強してこなかったので成績が悪い男子というのは毎年多いです。
都立で言うと国立高校とか国分寺高校に入りたい、あるいは大学付属の有名私立高校に入りたいと言われると、こちらも、うーん、もう中3の夏ですよ、今からですか?という気持ちになります。
でも、小金井北高校や、昔で言えば三鷹高校に行きたいという場合、本人のそれまでの成績にもよりますが、それは実現可能な目標として見えてきます。
なぜ男子限定なんだ、男女差別なのかというと、女子でも、部活動で、人間関係のつまらないゴタゴタにうんざりしてきたようなタイプの子なら大丈夫です。
しかし、
「あの2年は、先輩に会ったら3回ずつ『おはようございます』を言うルールなのに、2回しか言わなかった。生意気だ」
みたいなことを本気で言っている子は、伸びることは伸びるけれど、今回お話するタイプの子とは少し違うかなあ、と感じます。
客観性に乏しく感情的になりやすい子は、勉強しているときにもそれが表れて、ブレーキがかかる可能性があるからです。
常にその子の感情に気を遣って指導しなければなりません。
最短最速で最高の伸び、とはいきません。
部活、特に運動部で、仲良しサークル的なものではなく、コーチや監督に怒鳴られ、厳しい練習が当たり前だった子は、勉強も、厳しいのが当たり前とわかっています。
これだけの質の、これだけの分量の練習を、毎日毎日こなせばこうなる、ということを体感しています。
努力の大切さ、練習の大切さが、わかっています。
本気の努力をしたこともないくせに、「努力しても自分はどうせダメだ」みたいな面倒なことを言いません。
サボらず勉強してくれます。
仲間と競いあい、自分の得点を声に出し、勝った、負けたと言い合うことにも慣れています。
あいつが毎日5時間勉強するなら、俺は、毎日6時間勉強する。
そんなことにも慣れています。
もう1つ。
絶対に必要なこと、ではありませんが。
学校の先生に、勉強のことでけなされ、傷つけられた過去がある。
あるいは、前に通っていた塾の先生に傷つけられた過去がある。
内容にもよりますが、そういうのは、本人の受け止め方によっては、自分を伸ばすきっかけになります。
だから、その先生はあえて悪役を引き受けてくれたのだろう、と私は判断することにしています。
どういうつもりで言ったのかは、本人に訊かないとわからない。
だったら、良い方向に解釈しておけばいい。
誰かが悪者になって、本当のことを言わないと、何も変わらない。
その悪役をあえて引き受けてくれたのだろう。
短期間で、飛躍的に伸ばすには、荒療治が必要なことがあります。
その荒療治を既にその人がやってくれていて、後は、フォローするだけ。
有難い、と心の中で手を合わせます。
もっとも、これは、子どもの性格によるので、
「わかったよ。俺は、どうせダメだから、もう2度と勉強しない」
と思ってしまう子には、言わないほうがいいことですが。
否定された。
悔しい。
何とかして、あいつを見返したい。
自分がダメではないことを証明したい。
そういう方向にものを考えることのできる子は、既にモチベーションはマックスですので、質の高い課題を与えれば、どんどんこなし、伸びていきます。
実は、そういうふうにものを考えることのできる子は、中3にして案外戦略的で、表面は感情的になっていません。
時間がかかることも、努力が必要なこともわかっているので、いちいち感情的になってはいられない。
いい顔つきをしているな、と感じます。
これだけの条件がそろっていれば、奇跡が起きます。
いえ、それは、奇跡ではなく、伸びるのが当たり前です。
努力の大切さを既に実感している。
努力し続けた経験がある。
他人と競いあうことができる。
悔しさを自分で良い方向に導く心の力がある。
この条件をそなえている子、実は、かなりの確率で存在します。
もう何十人と出会ってきました。
こうした子に出会うと、私の頭の上では勝利の鐘が鳴ります。
この子は、絶対に伸びる。
こうした子、今年も生徒にいます。
私は見るたび目を細めてしまいます。
とはいえ、セギ英数教室の基本コンセプトは、こういう生徒が対象ではないんです。
このような飛躍的な伸びはないだろうし、心の力も、弱いのかもしれない。
ガサガサした感じは嫌いだし、競いあうのも苦手。
でも、本当は、勉強ができるようになりたい。
そのことだけは、嘘ではない。
そういう子を、内気な秀才に変容させる。
条件なんかそろわなくても。
時間は、かかりますが。
写真は、去年撮影した、丹沢大山北尾根の黄葉。
北尾根は、交通の便が悪く、道も多少不明瞭で、山地図ではなく、地形図を読むことができる人以外は、入らないほうがいいですが、それだけに、素晴らしい紅葉が見られました。
2011年11月05日
「新人類」という言葉がありました
もうじき終わる、ゆとり教育。
その教育を受けた最初の子どもたちは既に社会人になりましたが、あまりに「使えない」ので、大人たちはあきれ果て、「おゆとり様」という言葉が生まれました。
これは、揶揄です。
完全にバカにしています。
いわく、「能力が、低い」。
いわく、「自分の能力の低さが自覚できていず、自己肯定感が強い」。
全否定です。
世代論というのは、どうしてもかなり乱暴なくくりになってしまい、例外はいくらでもあります。
でも、血液型や星占いよりは、多少、根拠がある気がします。
それは、成育歴と密接な関係があるものだからでしょうか。
思い出してみれば、私が本当に若かった頃、私たちの世代は、「新人類」と呼ばれました。
今や、完全な死語ですが。
当時の大人にとっては、理解不能な世代だった様子です。
何が新しかったんでしょう。
1つ、大きな特徴は、生まれたときから家にテレビがあったこと。
だから、『となりのトトロ』のような子ども時代を経験していません。
子どもの心を深く成長させる、静かで暗く長い夜を知らない。
家の中は、常に蛍光灯で明るく照らされ、寝る寸前まで、テレビがやかましく騒いでいました。
もう1つ、「広場」の消滅。
塾やお稽古事で忙しい子どもが増え、同時に空き地が減り、学年を越えた近所の外遊び集団が構成されなくなっていった、最初の世代です。
遊ぶのは、同学年の子のみ。
時代は、スプートニク・ショック。
宇宙開発競争で、アメリカがソ連に先を越され、資本主義諸国では知識偏重の詰め込み教育が行われていました。
授業時数も、教わる内容も、戦後の教育史上、マックスの詰め込み方でした。
真面目な話を嫌う。
議論を嫌う。
熱い奴を見ると照れる。
明るいが、軽い。
個人主義である。
いろいろ言われましたが、私たちが社会に出てしばらくすると、日本はバブルの時代に突入しましたので、もう、新人類なんか、どうでもよくなりました。
日本中が浮かれていましたし、バブル期に入社した、もっと甘っちょろい世代が下にいましたので、アラも見えなくなりました。
そして、バブルが崩壊しました。
私が、同世代として、一番ぞっとしたのは、地下鉄サリン事件です。
教祖は、もっと年上でしたが、幹部信者たちは、同世代でした。
ああ、そうか、と納得するものがありました。
勉強は、できる。
でも、こんなものに、簡単にだまされてしまう。
ノストラダムスの大予言とか、アルマゲドンとか、そんなものが何故か大好きで、楽しむ分にはいいけれど、本気で信じてしまう。
この判断力のなさは何だろう?
本当かどうかわかりませんが、当時の報道の中で印象に残ったことの1つは、幹部信者たちが毎晩のように開いていたという宴会のメニュー。
寿司と、から揚げと、メロン。
何だ、その組み合わせは?
中学生の誕生日か?
食に対する、この教養のなさは、何なんだ?
私たちの周りには、サブカルチャーは腐るほどあったけれど、カルチャーがなかったのかもしれません。
私たちの親の世代は、戦前の教育を受けた世代。
実際に戦争に行った世代ではなく、子どもとして戦争の被害を受けた世代です。
その重い鎧を、私たちには受け継がせたくなかったのかもしれません。
それは、親心だったと思います。
けれども、そのせいで伝統から切り離され、教養がない。
頭をかかえ、ため息をつき、それに気がついた者から、大人になって勉強を始めました。
同世代を眺めると、何だかそうであったような気がします。
何しろ、子どもの頃から、勉強量だけは、ずば抜けていた。
勉強の仕方だけは、知っていたのです。
「おゆとり様」というのは、私の同世代が育てた子どもたちです。
私自身には子どもがいませんが、いたとして、これ以上にうまく育てたとは、到底思えません。
「ゆとり世代とバカにされるけれど、実は、ぼくたちはー」
などと主張する子をはがいじめにし、後ろから口をふさいで、
「本当にすみません。もう、本当に、バカでしょう?もう、恥ずかしい。本当にすみません」
と言いたくなってしまいます。
けれど、人生は、長い。
足りないものは、自分で補えばいい。
自分には、足りないものがある。
それが自覚できれば、何か変わるだろう。
「センセー、人は、褒められて伸びるんだよー」
今日も、ゆとり世代は、呑気なことを言っています。
「出来てないのに褒められても、こんなのでいいのかと思うだけで、伸びません。出来なかったことが出来るようになったら褒めるから、出来るようになりなさい」
と、叱咤激励する毎日です。
2011年11月03日
曲岳と黒富士を歩きました
さて文化の日。
本日は祝日休講のセギ英数教室、角木です。
セギ英数教室は、月4回の個別指導。
1学期(4・5・6・7月)、2学期(9・10・11・12月)、3学期(1・2・3月)と学期ごとに、祝日休講をはさみながら、月あたり4回の授業回数になるよう予定を組んでいます。ただし、月あたり4回の授業が確保できない場合の祝日は、授業を行います。詳細は、各生徒さんとご家庭に、別途ご連絡しております。
前置きが長くなりました。
晴れの特異日の文化の日。
あんまり晴れなかった今日でしたが、山に行ってきました。
山梨県の曲岳です。
茅ヶ岳の近くの山、と言っても、知らない人はさらに知らないわけですが、中央線韮崎駅付近で、下り進行方向右手に見えてくる、八ヶ岳に似ている山が、茅ヶ岳です。
その近くの山。
さらにマイナーですね。
ここには昔、仙人がいたとか。
「甲斐国志」には、「浅尾村の樵夫、孫左衛門、山中に入りて仙人となれり」とあるそうです。
目が大きく、草や木で編んだ服を着て、言葉は話せなかったとのこと。
鹿を追い、山をかけめぐっていたそうです。
そんな話もうなずける、山深い土地。
山梨百名山というものに選定されているので、歩く人は案外多いのですが、道はあまりよくありません。
観音峠の登山口から歩き始めましたが、いきなりの急登。
晩秋の山は、浮石が落ち葉の下に隠れていますので、少し前を行く人の落としたこぶし大の石が急斜面の上から落ちてくる。
どわっと声を上げながら、よけました。
正式には、「ラク!」と叫びます。
急登がいったん終わると、今度は、崖っぷち。
低山にしてはなかなかの高度感。
というより、道が細いんです。
さらに、頂上付近には、下りの岩場。
岩に丸みがあり、ハング気味になっているせいで、上からでは、左足のステップが見えません。
さぐりながら、足を置く。
コブをいくつもつくってあるロープがかかっていますが、ロープは、紫外線に弱く、消耗が激しいので、あまり信用する気になれません。
ちょっぴり難所でした。
しかし、展望は抜群でした。
もちろん、富士山。
五丈岩がくっきり見える金峰山。
ギザギザの瑞牆山。
オベリスクの鳳凰三山。
甲斐駒・仙丈ケ岳などの南アルプスも、壁のようにそびえていました。
奥にてっぺんだけうっすら姿を見せていたのは、多分、北岳。
八ヶ岳もくっきり。
曇っているわりに眺望がよく、360度の展望を堪能しました。
近くの升形山と黒富士にも寄り、こちらのほうが木の枝のさえぎりがなく、さらに展望を満喫。
平見城への下り道。
道幅はあるのですが、落ち葉の下がまたも浮石だらけで、うっかり足を置くとグキっと捻挫しそうな歩きにくい道でした。
山梨の山は、もう晩秋。
紅葉も終わりかけでした。
カサカサと落ち葉を踏みしめながら、山道を歩きました。
いい山だったけれど、もう来ることはないだろうな。
そう思って、振り返る。
また見ることもない山が遠ざかる 山頭火
そんな俳句を思い出した、秋の1日でした。
多分、山頭火の振り返った山は、もっと重い。
自分のしくじりで逃げなければならなかった、もう二度と見ることのかなわぬ故郷の山だったかもしれないのですが。