たまりば

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2022年03月28日

2022年度から高校数ⅠAは新課程。「期待値」の学習が加わります。


2022年度から、高校1年生の数ⅠAが新課程になります。
ただ、数ⅠAに関しては、単元名こそ変更されるものの、いくつか細かい学習内容の追加があるのみで、それほどの大移動はない印象です。

来年度から、数B「ベクトル」が消え、数Cに移行されるのは衝撃的変更ですが。
文系の生徒は、「ベクトル」を学習せずに高校課程を修了するのか・・・。
まあ、過去にも、文系の生徒は複素数平面を学習しなくなったり、理系生徒でも「行列」を高校で学習しなくなったりといった驚愕の変更はありましたが。
一方、学習内容で新たに追加されたものは、すべて統計関係のものであるのが、時代を感じさせます。
データの整理は、コンピュータがやってくれる。
人間は、そのデータを分析する能力が必要。
それは、文系の生徒でも。
そういう明確な指向が見えている改革です。

で、数A「場合の数と確率」に新たに加わった「期待値」の学習。
これは、旧課程では、数B「確率分布と統計的な推測」の学習内容だったのが下りてきた形です。

ただ、旧課程では、この単元を実際には数Bで学習しない学校が多かったのです。
数Bは、大きな単元が3つありました。
「数列」と「ベクトル」は学習するが、「確率分布」はやらない。
単位数(=週あたりの授業時数)から考えて、そんなことをやる時間がない。
そういう高校が多かったのです。
だから、期待値を学ばずに大人になった人も結構います。

「確率分布」を学校で学習しないので、センター試験も共通テストも、数Bの選択問題は、自動的に「数列」と「ベクトル」しか選べない。
どちらも、物凄く苦手なのに・・・。
そういう追い込まれ方をした受験生も多かったと思います。
「確率分布」のほうが問題が素直で易しいとささやかれてはいたのですが、学校で学習しなかった大きな単元を自学しようとする受験生はさすがにあまりいませんでした。
大学に入れば、社会科学系の学部は統計学が必修のことが多いのに、生徒の多くは確率分布の基礎を学んでいない。
そういう矛盾もありました。
今回、その補正が行われた形です。
さて、今回の改訂で、文科省の望む通り、すべての高校が「確率分布と統計的な推測」も数Bで学習するようになるのか?
現場には現場の論理があり、そんなに思うようには動かないのかもしれません。
それは来年度以降に判明すること。
今回は、まずは数ⅠAの改定です。

期待値。

これは、さらに前の旧旧課程では数A「確率」で普通に学習する内容だったので、それが復活しただけとみなすこともできます。
実際、そんなに難しい内容ではないです。

期待値とは何か?

1回の試行の結果期待される数値の大きさ。
確率変数のすべての値に確率の重みをつけた加重平均。

これが期待値の定義です。
・・・何を言っているのかわからない・・・。
そんな感想も予想されますが、このような定義とは裏腹に、具体的に考えればとても簡単です。

例えば、当たれば賞金がもらえるくじを想定してみましょう。
そのくじは、1枚100円。
1等10,000円があたる確率は、1/1000。
2等1,000円があたる確率は、1/100。
3等100円があたる確率は、1/10。

このくじの期待値は?
10000×1/1000+1000×1/100+100×1/10
=10+10+10
=30

よって期待値は30円。
このくじを1枚買ったときに、実際に戻ってくるお金の平均は、30円。
このくじを買って、戻ってくると期待できる金額は、30円。
それが期待値です。
何か結構あたりそうな確率のくじなのに、それでも、実際に買ったら損をする可能性が高いなあとわかります。


これは、上の式だけでピンとくる人が多いとは思いますが、一度、より丁寧に考えてみましょう。
このくじが、全部で1000枚販売されるとします。
すると、確率から考えて、10,000円のあたりはその中で1枚。
1000円のあたりはその中で10枚。
100円のあたりはその中で100枚です。
あたり金額は総額で、
10000×1+1000×10+100×100
=10000+10000+10000
=30000
くじは全部で1000枚ですから、あたり金額の平均は、
30000÷1000=30
よって30円。

これを、いったん総額を出すのではなく計算したのが上の式で、それが期待値の公式となっています。


では、実際の問題を解いてみましょう。

問題 目の数が2、2、4、4、5、6である特製のさいころが1個ある。このさいころを繰り返し2回投げて、出た目の数の和を5で割った余りをXとする。確率変数Xの期待値E(X)を求めよ。

急にややこしくなりましたね。
こういうのは、表にして整理すると楽です。
1回目のさいころの目をa、2回目のさいころの目をbとすると、目の出方は6×6で36通り。
目の2と2や4と4は、それぞれ別の目として把握し、表に書いていきます。
6×6のマスに、a+bを5で割ったあまりを書き込んでいき、すべてのXの出方を把握していきます。
Xは5で割った余りですから、0から4までとなります。
36通りのうち、0は5通り。
1は10通り。
2は5通り。
3は8通り。
4は8通り出てきます。
よって、それぞれの確率は、
X=0の確率は、5/36
X=1の確率は、10/36
X=2の確率は、5/36
X=3の確率は、8/36
X=4の確率は、8/36

このあたり、小学校から折り目正しい学習をしてきて、「約分しないと気持ち悪い」という人がいますが、今後の計算を考えれば、ここは約分しないほうが楽ですね。

求める期待値
E(X)=0×5/36+1×10/36+2×5/36+3×8/36+4×8/36
=1/36(10+10+24+32)
=76/36
=19/9

最終解答は勿論約分します。

  


  • Posted by セギ at 11:55Comments(2)算数・数学

    2022年03月25日

    神代植物公園多様性センターに春が来ました。2022年3月。


    2022年3月24日(木)、久しぶりに神代植物公園多様性センターに行きました。
    武蔵境通りの自転車レーンをひたすら南下。
    東八道路を横切って、さらに南を目指します。
    神代植物園の敷地の一角にあるのが、多様性センターです。
    ここは、入場無料。

    まん延防止措置で、長く閉園になっていた多様性センター。
    ようやく開園しました。
    春の花を見に来たかったので、ちょうどいいタイミングです。
    平日ですが、春ということもあり、いつもよりは人の姿が見られました。
    ほぼ誰もいないこともある、穴場の公園です。
    東京の色々な地域の植物を生きたまま展示してあります。
    名札がついているので、植物名もすぐわかり、楽しいです。

    入口からすぐ、奥のほうで花盛りの木が見えて、嬉しくなりました。
    白い花。
    桜?
    近づいてみると、スモモの花でした。
    今が見頃です。
    モクレンは、これから。
    硬いつぼみがついているのが見えました。
    来週には花開くかな?
    ハクモクレンは、ちょうど花開いたばかりの様子で、陽に透けるようなきれいな白でした。

    武蔵野に暮らしながら、武蔵野ゾーンをあえて歩きます。
    だって、武蔵野ゾーンがやはり、今、一番花が見られます。
    各種スミレや、コチャルメソウ。
    望遠レンズで、ほぼ寝そべるようにして、がっつり撮影中の人もいました。

    奥多摩ゾーンは、まだ冬。
    これからの季節が楽しみですね。
    ふと、足が止まりました。
    むむ?
    これは、アズマイチゲ?
    それとも、キクザキイチゲかな。

    1周し、満足して、さて、ここから都立野川公園に移動。
    いったん東八道路に戻って、西へ向かいました。
    行きは下り坂なので、自転車だととても楽です。
    スピードが出過ぎてやや怖いくらいです。

    いつものようにトイレ横に自転車を置いて、さて、ここからは徒歩です。
    都立野川公園の自然観察園。
    ここは、まん延防止措置の間も、ずっと開いていました。
    前回見たフキノトウがすっかり育って、普通の草と化しているのを面白く眺め、さらにスミレのお花畑に満足。
    ヒメオドリコソウも咲き始めました。
    これから、4月、5月と、さらに華やかに次々と花が咲き始めるのが楽しみです。

    さて、まだ歩きたりないので、東八道路を歩道橋で渡り、野川公園の南側を歩きました。
    梅と、早咲きの桜が見られ、お花見客がちらほらと、木の根本にシートを敷いてお弁当を食べていました。
    満開になるのは、来週以降かな。
    ともあれ、春ですねえ。

    春といえば、NHKの朝ドラ「カムカムエヴリバディ」ももうすぐ終わります。
    先週、2代目ヒロインるいが家族を連れて岡山に帰ったところまでは面白かったんですが、亡霊を見て決意するストーリー展開に唖然として、そこからはドン引きして見ています。
    なぜ、あんな大事なところを「亡霊を見た」で片づけるかなあ・・・。
    ヒロインたちの背中を押すことが、生身の登場人物にはもうできず、亡霊に何か言わせるしかなかったのでしょうか。

    「カムカムエヴリバディ」の脚本家は、「ちかえもん」という時代劇の脚本を書いた人です。
    「ちかえもん」では、初登場からこの世のものとは思えなかった登場人物が、その通り、この世のものではありませんでした。
    主人公の身体的かつ精神的危機を救いにやってきた、幼い頃の「友達」。
    それは、物語で繰り返し語られる「原形」です。
    その形に沿った、良い物語でした。

    虚実皮膜論。

    そんな言葉、そして賛美が、この脚本家を理論武装させ、そして、おかしくさせたのでしょうか。
    ストーリーに詰まると亡霊が登場する脚本を書くようになってしまったみたいです。
    いや、虚実皮膜論って、そういうことではないと思うのです。

    振り返れば、あんこのおまじないを唱えただけで何の修行もしていないのにたちまち老舗和菓子屋の味を凌駕するあんこを炊けるのも、やっぱり変な話でした。
    30年ブランクのあったミュージシャンが、半年や1年ピアノを練習しただけで、日本のトッププレイヤーのバンドで演奏できるようになるのも変です。
    才能やセンスがあれば、何でも可能、みたいな話になっています。
    そのくせ、日々精進し鍛錬することが大切ということも同時に訴えてくるのです。
    いや、才能やセンスだけで大した努力もなく成功するのなら、日々の鍛錬は無意味でしよう。

    朝ドラって、こんなものなのでしょうか?
    毎朝、時計代わりに楽しく見れば、それでいいのかな。
    途中まで楽しく見ていたのですが、ストーリーの欠陥に目がいくようになってからは、どうもいかん。

    テーマ曲の背景で描かれた三世代のイラストに引っ張られ過ぎなのでしょうが、ああいうシンプルな話が見たかったなと今になると思います。
    初代ヒロインは、基本はあのままでいいです。
    激動の戦中・戦後を生き抜き、でも、渡米はせず、日本にとどまり、女手ひとつで娘を育ててほしかった。
    娘の I hate you. に負けないでほしかった。
    何を言うの、この子は、この子は、と背中やお尻をバシバシ叩き、抱きしめて一緒にわあわあ泣いて、でも決して離れないでほしかった。
    娘の額につけてしまった傷は私が働いて絶対に治すと言い張ってほしかったです。
    どんなに無理なことでも。

    そして、娘は、子どもの頃からラジオで英語を学び続け、父親ゆずりの頭の良さでフルブライトで留学し、通訳でも、翻訳家でも、大学の先生でも、とにかく英語を仕事とするようになるのがいいなあ。
    しかし、そのような偉大な祖母と立派な母のもとに生まれた孫娘は、平凡で劣等感が強い。
    いろいろと悩みながら、やがて自分なりの人生を見つけていく。
    そういう三代の堅実な人生の傍らに、常にラジオ英語講座があった・・・。
    そんな普通の話を見たかった気がします。

    でも、そんな地味な話を毎日飽きずに見させるとなると、脚本家に相当な力量が必要です。
    そんなの向田邦子でなければ無理でしょう。
    だから、仕方ないのかなあ。

    ラジオ講座「ラジオで!カムカムエヴリバディ」はそれでも、毎回楽しく聴いています。
    これは、三月で終わるのが残念です。

      


  • Posted by セギ at 12:40Comments(0)

    2022年03月22日

    英語の誤答のリアリティ。


    春なので、インターネットのニュースサイトなどでも、教育関係の記事が掲載されていることが多くなってきました。
    しかし、大手の民間教育機関が出している記事の中には、何かちょっと嘘くさいものもあります。
    この記事を書いている人は、実際は子どもに授業をしている立場の人ではないのではないか?
    そう感じるような、作りごとめいた印象があるのです。
    例えば、先日見た、こんな記事。

    「彼は、幸せに見える」を英訳すると、
    He seems happily.
    と誤答してしまう子が多い、というのです。
    happy を「幸せな」、happily を「幸せに」と日本語訳で覚えている子は、「彼は幸せに見える」は、「幸せに」だから、happilyを使うのだと思ってしまうからだ。
    という記事内容でした。

    ・・・そんなお行儀の良い誤答、私は見たことがないですけど・・・。

    現実にそんな誤答をする子がいたとしたら、かなり特殊な例でしょう。

    その記事の趣旨は、英単語を日本語訳で覚えるからそういうことになるので、形容詞、副詞、という単語の働きで覚えるべきなのだというものでした。
    それには、大賛成です。
    でも、それを伝える具体例としては、説得力がない。
    英語が苦手な子は、普通、そんなミスはしないのです。

    英語が苦手な子は、happy を「幸せな」、happily を「幸せに」と、正確に語尾まで覚えることはほぼありません。
    happy は、「幸せ」と覚えます。
    「幸せ」は名詞ですから happiness ですよ、なんて言っても、聞く耳を持ちません。
    「幸せ」=happy と覚えるので、使える単語はそれしかないですから、逆に、「彼は幸せに見える」は、
    He seems happy.
    と正答します。
    しかし、「彼は幸せそうに昼食を食べた」も、
    He had lunch happy.
    と誤答します。
    英語が苦手な子は、happily という単語は、見れば意味はわかるかもしれませんが、自分では使えないことが多いのです。

    単語を覚えるときは、その単語の品詞を理解しておかないと、正しい使い方ができない。
    それは、本当にそうです。
    しかし、日本語の語尾に意識が向いている子は、ある程度、品詞の知識のある子です。
    happy を「幸せな」、happily を「幸せに」と覚える力のある子は、同時に、その語尾がつくのだから、happy は形容詞、happily は副詞と理解していることが多く、その目印として語尾を覚えます。
    だから、その覚え方で、大丈夫ですよ。

    真面目に努力をしている子に、
    「そんなやり方は古い。そんなやり方はダメだ」
    という情報を与えて、揺さぶりをかける。
    そういうやり口があります。
    動じないようにしましょう。


    英語が苦手な生徒の誤答というのは、そんなふうにつじつまのあうものではありません。
    もっと、こちらの意表をつくものであることが多いです。
    例えば、何年か前の、高校生の定期テストでの、英訳問題。
    「昨日起きた事故はひどかった」を英語に直せという問題に対する誤答。

    It is suffered from accident yesterday.

    ・・・何だ、これ?

    唐突に suffer from という熟語が使われているのは、これがそのときのテスト範囲の熟語だったからでした。
    でも、正しい意味を覚えていないので、関係ない問題で使ってしまったようです。
    suffer from を「ひどい」と覚えていたのかもしれません。

    なぜ、そんな誤解をしたのか?
    問いかけても、誤答に関しては沈黙し、その話が終わるのをひたすら待つのが、勉強が苦手な子がとりがちな行動です。
    自分の間違いを直視できないのかもしれませんし、自分でも何でそうなったのかわからないのかもしれません。
    だから、なぜそうした誤解が生じたかについて解決がなく、その後も、suffer from を「ひどい」と覚えたままになってしまいがちです。
    間違えた際に、正しい知識に入れ替えるという作業が頭の中で行われず、「間違えた」という嫌な記憶を消去する力が働きます。
    間違いの多い子ほど、自分がどの問題をどのように間違えたかを覚えていません。
    だから、何度でも、同じ誤答を同じように繰り返します。
    訂正しても、訂正しても、なかなか治りません。

    なぜ、suffer from を「ひどい」と覚えてしまったのでしょう?
    suffer from は、「~に苦しむ」「~をわずらう」という意味です。
    その子のテスト範囲の熟語例文を見て、私は「ああ・・・」と声をあげました。

    I suffer from hay fever.
    私は花粉症です。

    「私は花粉症」→「私は花粉症がひどい」→suffer from は「ひどい」、という連想が頭の中で行われたのでしょうか。
    その語句が動詞なのか形容詞なのかには、全く興味がない。
    英語が苦手な子は、品詞を無視する。
    本当に、それはその通りなのです。
    品詞を意識しなければ、その英単語を置く適切な位置がわからないのに。

    学校の英語の先生は、こういう英作文の答案には、時制ミスや冠詞・前置詞の有無などについて、赤ペンで書きこんでくれるのが普通です。
    過去の文なのに is を使っているとか、accident という可算名詞の単数形をむきだしで使っている件など、赤ペンで指摘されてもおかしくない。
    しかし、この答案に関しては、もう何の書き込みもなく、ただバツがつけられていました。
    学校の先生も、この答案に対しては「何だこれ?」以外の感想のもちようがなかったのか・・・。

    なぜこの文を、It is から書き始めたのかも、よくわからない・・・。
    現実の誤答は、このくらい型破りなものです。
    「英語蛮族」と命名したいほどの破壊力です。
    こういうのを見慣れているので、He seems happily. のような、律儀でお上品なミスに、私はリアリティを感じません。
    たとえこんなミスをする子が現実にいたとしても、そんなのは一度の解説で治せますよ。

    英語蛮族。
    それでも、空欄にしなかったのは、前向きなのです。
    英訳問題でも、テーマ英作文問題でも、一番困るのは、白紙の子です。
    何か書いてきてねと言っても、毎回白紙。
    正答を教わって赤ペンで書きこめば、勉強した気持ちになって、満足。
    これでは、進歩しようがありません。

    だから、どんなミスをしていても、何か書こうとしている限り、何とかなります。
    諦めない限り、きっと何とかなります。
    品詞を意識すること。
    文法をしっかり学ぶこと。
    それを言い続けて、少しずつ少しずつ改善を促した結果、その子は、英検2級に合格し、志望していた大学にも合格しました。
    諦めない限り、何とかなるのです。

    ちなみに、「昨日起きた事故はひどかった」の英訳の解答例は、

    The accident which happened yesterday was terrible.

    です。

      


  • Posted by セギ at 12:14Comments(0)英語

    2022年03月19日

    高校数学。数Ⅱ「三角関数」。和積の公式。


    さて、「三角関数」の公式も、今回が最後です。
    和積の公式。
    以下の通りです。
    sinA+sinB=2sin(A+B)/2・cos(A-B)/2
    sinA-sinB=2cos(A+B)/2・sin(A-B)/2
    cosA+cosB=2cos(A+B)/2・cos(A-B)/2
    cosA-cosB=-2sin(A+B)/2・sin(A-B)/2

    見た目が似ていることからもわかると思いますが、これは積和の公式の変形です。
    興味がある方は、参考書などで証明をご確認ください。

    さて、これの覚え方。
    これも、語呂合わせはあるようですが、その語呂合わせが覚えにくい・・・。
    私はこれも、4本まとめて機械的に覚えています。

    左辺は規則的です。
    上から、サインの和、サインの差、コサインの和、コサインの差。
    問題は右辺。
    これは、加法定理を唱えながら書いていきます。
    「サイン・コス。コス・サイン。コス・コス-サイン・サイン」
    最後の「マイナス」だけ、強く意識しないと忘れがちです。
    あとは、右辺の先頭に係数「2」を置くことも忘れずに。
    A+B、A-Bは、どれも共通です。

    では、問題を解いてみましょう。

    問題 sin75°+sin15°の値を求めよ。

    見るからに和積の公式を利用するものなので、こういうのはどの公式を利用するか悩まずに済んでありがたいですね。

    sin75°+sin15°
    =2sin(75°+15°)/2・cos(75°-15°)/2
    =2sin45°cos30°
    =2・√2/2・√3/2
    =√6/2

    うん。
    公式さえ覚えていれば、簡単ですね。
    しかし、それが落とし穴でもあるんです。
    公式を使うだけの問題を自分で練習するとき、教科書や、問題集の下段に書いてある公式を見ながら、単純に代入するだけで解いてしまい、ああ簡単だと思ってしまう。
    自力で解けると思ってしまう・・・。
    こういう問題の練習は、まず、公式を暗記して、練習するときは、その公式を見ないで解いてみましょう。
    「あれ?え?何だっけ?」
    となる場合、もう一度公式を覚え直して、そしてもう一度、その公式を見ないで解いてみましょう。
    そもそも、数学の問題を解くときは、常に、公式などは見ないで解きましょう。
    それだけで、少なくとも、自分の実力が理解できます。
    わざわざAIに分析してもらわなくても、自分は何ができて何ができないのかを知る方法は、あるのです。
    公式を見ながら解いた基本問題を「簡単だったから」「自分で解けたから」と、テスト直前もノーマークにしていたので、実際にテストを受けると、自分がそれを上手く解けないことに動揺してしまう・・・。

    「覚えても、どうせ忘れてしまうから」
    と思う人もいると思います。
    確かに、1週間経つともう忘れてしまう人は多いです。
    覚えても、覚えても、端から忘れていきます。
    でも、記憶というのはそういうものなので、定着するまで反復するしかないのです。
    むしろ反復しないと定着しないので、学習の初期の段階から、繰り返し繰り返し暗記すると、やがて定着します。


    もう少し問題を見てみましょう。

    問題 0≦θ≦π のとき、次の方程式を解け。
    sin2θ+sin3θ+sin4θ=0

    これは、このままの形で定期テストに出ることがある、典型題です。
    さて、どう解きましょうか。
    sin2θや、sin3θは、2倍角の公式、3倍角の公式を使えるけれど、残るsin4θは、どうするんだろう?
    2θの2倍ということで処理するのかなあ?
    計算が複雑そうだなあ・・・。
    もっと簡単な方法はないのか?

    ・・・ここで、和積の公式です。
    (2θ+4θ)/2=3θ となるので、何か共通な部分ができるんじゃないでしょうか。
    少なくとも、2θと3θをたして2で割るようなのは、θの係数が分数となり、悪手であるような気がします。

    どうなるかわからないけれど、ちょっとやってみよう!

    数学の問題を解くには、とにかくやってみることが大切。
    最終過程まで見通せなくても、先に光が見えたら、やってみましょう。
    ダメなら、戻る。
    そうした試行錯誤が必要です。

    実際にやって無駄になったらつまらないからと、すぐ解答解説を見てしまう人もいると思います。
    それでいて、「どうしたら応用力がつくんだろう」と思っている。
    応用力をつけるには、すぐに解答解説を見る習慣を改めると良いですよ。

    sin2θ+sin3θ+sin4θ=0
    (sin4θ+sin2θ)+sin3θ=0
    2sin3θ・cosθ+sin3θ=0
    sin3θ(2cosθ+1)=0

    これは、「値を求めよ」という問題ではなく、「方程式を解け」という問題です。
    だから、上のように因数分解できれば、もうこっちのものですね。
    sin3θ=0、または、2cosθ+1=0
    と、わかります。

    え?え?
    と思ってしまう人は、中学3年の2次方程式の解き方に戻って復習すると良いです。
    解き方の作業手順だけ覚えて、意味を忘れてしまっている可能性があります。
    もう一度意味に戻って考えられるような中学3年の教科書か参考書を読んでみてください。

    まだ終わっていません。
    sin3θ=0、または、2cosθ+1=0 ですから、
    sin3θ=0、またはcosθ=-1/2
    ここで、問題によれば、0≦θ≦πですから、
    0≦3θ≦3π
    この範囲でsin3θ=0 を解くと、
    3θ=0、π、2π、3π
    よって、θ=0、π/3、2/3π、π
    また、cosθ=-1/2より、
    θ=2/3π

    よって、この方程式の解は、
    θ=0、π/3、2/3π、π

    後半の計算がわからないという人は、三角方程式の解き方を忘れていますので、この単元の前半のほうに戻って復習すると良いと思います。
    頑張ってください。
      


  • Posted by セギ at 11:48Comments(0)算数・数学

    2022年03月16日

    高校英語。部分否定。


    さて、今回は英語。部分否定です。
    部分的に否定する。
    つまり、「すべてが~なわけではない」「いつも~なわけではない」という言い方です。
    世の中のことの多くは、「すべてかゼロか」なわけではないので、この言い方は使い道が多いです。

    まずは例文を見てみましょう。
    You can tell a child what to do, but he or she doesn't always obey.
    子どもに何をしたらよいかを教えることはできるが、その子が必ずしも従うとは限らない。

    ・・・身につまされる例文です。
    この文の but 以降が、部分否定です。
    常に完全に従う。
    常に従わない。
    そのどちらでもないのです。
    従う場合もあれば、従わない場合もあります。

    部分否定の文は、作り方のルールさえ理解すれば簡単なのですが、苦手に感じる人が多いです。
    「部分否定」という文法用語を学ぶのは高校生になってからですが、中学の頃から、こうした文は出てきています。

    I like English very much.
    私は英語が大好きです。

    これの否定文は?

    I don't like English very much.

    この文を、「私は英語がとても嫌いです」という意味で使ってしまう中学生がいます。
    しかし、これは、そういう意味ではありません。
    「私は英語があまり好きではありません」
    という意味になります。
    大好きというわけではなく、大嫌いというわけでもない。
    好きという気持ちを部分的に否定しています。
    どうしてそうなるのか?
    very much という、強める言葉を用いて否定文にしているため、「大好きというわけではない」ということになるからです。

    このように、意味の強い言葉や、完全性、全体性を示す言葉を否定文で用いると部分否定になります。

    具体的には、上の very の他、all , both , always , necessarily , totally , completely , quite などを用いた否定文が部分否定です。

    Not all of the members attended the meeting.
    メンバー全員がその会議に出席したわけではなかった。

    I haven't read both articles.
    私はその記事を両方とも読んだわけではない。

    He is not always agree with me.
    彼はいつも私に同意するとは限らない。

    このように使用します。
    ほとんどの場合は、いつもの位置に単語を置いて、それを否定文にすればよいだけですが、 all の場合だけは、not all の配置になります。

    All of the members didn't attend the meeting.
    としたとき、完全否定である「メンバー全員がその会議に出席しなかった」という意味にとられる可能性があり、紛らわしいからです。


    と、ここまで説明して。
    以上のことは、わかる人には何でもないことなのですが、英語が苦手な子、勉強が苦手な子は、ここらへんになると定着は難しく、英語学習のいばらの道が続きます。

    部分否定の理屈がわからないのか?
    いや、それは、説明を聞けばわかるのです。
    でも、実際には使えない。
    なぜかというと、単語の意味を覚えていないことが1つの原因となっています。
    always はどういう意味なのかを確認すると、「ときどき」と答えたりします。
    always は、「いつも」です。
    全体性を表していることを覚えていないと、その否定文が部分否定になる理屈がそもそもわからない・・・。
    necessarily , totally , completely なども、見たことはあるような気がするが、正確な意味を知らない。
    quite も、どういう意味なのかわからない。
    「静か」と誤答してしまう子も多いです。
    それは、quiet 。
    しかも「静か」ではなく、「静かな」「静かだ」と語尾まで覚えるよう助言するのですが、そういうのもなかなか治りません。
    その単語が名詞なのか形容詞なのか、その覚え方ではわからなくなるのに。

    細かいところを正確に覚えていないので、なかなか英語が得意になりません。

    最大の原因は、覚えようと思うけれど、覚えられないこと。
    単語も熟語も、細かい知識も、覚えたくないわけではないけれど、覚えられない・・・。


    話は変わりますが、ここ2年ほどなかった、「タレントが大学受験をしてみる」テレビ企画が、今年、始まりました。
    志望校が早稲田大学教育学部というのが、できそうで無理そうな微妙なラインで、視聴者の興味をひく仕掛けになっています。
    しかも、それは今のところの第一志望で、徐々に志望を下げても良いらしいです。
    タレントの「東大受験」は、もう視聴者が飽きたのかもしれません。
    無理なのはわかっていますし。

    いつも見ている番組ではないのですが、ちょうど帰宅してテレビをつけるとやっていることがあります。
    曜日も番組名も覚えていないのですが。
    その中で、英語担当の講師が言っていたことは、私も心より同意しました。
    大学受験に必要とされる英単語。
    それを覚えれば、受験生の上位10%に入れる。
    でも、現実にはなかなか覚えられない・・・。
    だから、上位10%に入れない。

    その続きとして話された、「英単語の覚え方」。
    語源的な覚え方が紹介されていました。
    しかし、あのやり方は、万能ではありません。
    覚えることが苦手な子は、まず語源的な最小単位を覚えられないのです。
    番組でやっていたのは、uni がつく語はどういう意味になるか、でした。
    そういうことを、覚えられない子も、多いです。
    そもそも、そういうことにそれほど興味を示しません。
    現実の高校生は、そういうことを「えー。面白い。わかりやすい」とは言わないのです。
    「面白い」の基準が違うのだと思います。
    知的な面白さにあまり興味がないのかもしれません。
    そういうことに興味を示す子は、それこそ上位10%の子たちです。

    あれは、東大受験のドラマでも扱われていて、面白いな、そういう覚え方を学生の頃に教えてほしかったなと思った方もいらっしゃると思います。
    ドラマを見た方、今、uni の意味を覚えていますか?
    記憶力の良い方は覚えているでしょう。
    でも、
    「あれ?何だったかな?あのときは面白いと思ったんだけど」
    という方も多いのではないかと思います。
    記憶というのは、反復しないとすぐに消えていくのです。
    興味深いことであっても。

    どんな覚え方でも、英語を覚えるのは大変です。
    それでも、覚えてしまえば、英語の成績は上がります。
    でも、覚えられないから、英語の成績が上がらない。
    この当たり前の真理に、どうくさびを打ち込むか。

    単語を覚えるためのトレーニングスケジュールを塾で組むことがあります。
    それほどの苦しさは要求していません。
    毎日1時間、CDを聴きながら、テスト形式でトレーニングするだけです。
    しかし、本人にとっては、それがとても苦しいのかもしれません。
    地道に続けていける子なら、3か月で、大学受験に必要な単語力がつきます。
    それだけのことが、しかし、実行できない。
    毎日1時間を3か月。
    それに、耐えられないのです。
    言われた通りのやり方をせず、勝手にアレンジして、効果のある方法を骨抜きにしてしまう子は多いです。
    別に毎日やらなくても良くない?
    そんなことしている時間はないし。
    そのように考え、効果のあるやり方を無効にしているのは本人なのに、「やっぱり効果がない」と不満を抱くようになります。
    不満というよりも、それをやらない言い訳にしてしまうのかもしれません。
    どこかに、もっと簡単に英語が身につく魔法の方法があると思っているのならば、特に。
    この先生は、それを知らないから、こんな地道なことを要求してくるんだと思っていたら、努力はできないのでしょう。
    まさに、
    You can tell a child what to do, but he or she doesn't always obey.
    なのです。

    朝ドラでヒロインひなたは、「手っ取り早く英語を話せるようになりたい」と、駅前留学し、書店で英語の本を買い込み、聞き流し教材に手を出そうとして貯金が尽きてしまっていました。
    母親るいがラジオ英会話で英語を習得している、良い見本が身近にあっても、なお。

    今、甘い誘惑はさらに多種多様です。
    ゲームをするだけで、英語が身につく。
    LINE で会話するだけで英語が身につく。
    AIが分析してくれて、弱点を補強してくれるから、簡単に成績が上がる。
    神授業動画を見るだけで、するすると英語がわかるようになる。
    英文法なんかわからなくても、この本を読めば英語はできるようなる。
    この単語集なら、誰でも単語を覚えられる。

    現代の視点からなら、駅前留学も聴き流し教材も効果はないとわかっているのですが、それがわかっている人でも、新しい英語学習法の宣伝を見ると、これなら効果があるのではないかと思ってしまう。
    だって最新の学習方法だから。
    AIを使っているそうだから、と。

    金儲けしたい人たちの宣伝文句が自分に都合のいいものであるときは、それを利用するわけではなくても、その宣伝文句だけは自分の内側に取り込んでしまい、地道な努力ができず、大学受験までの期間を空費していく子は多いです。
    どんなやり方でも、一定期間努力しなければ英語は身につきません。
    でも、そのことをどうしても受け入れられない。
    だから、上位10%には、入れない。

    才能の差はあまり感じません。
    ただ、性格の違いは、あるのかもしれません。

    いよいよ今年から、高校も新学習指導要領に入ります。
    ひと足早く新学習指導要領で授業が行われている公立中学のテスト結果を見る限り、「ゆとり教育」の再来と思われる事態が起こり始めているように思います。
    どんな問題が出るかを前もって教えるなどして、平易な定期テストが行われた場合、テスト結果は、80点台か90点台に大きな山があるヒストグラムになっています。
    しかし、今まで通りの難度のテストを行っている科目では、「ふたこぶラクダ」の兆候が表れています。
    どちらも、ゆとり教育の時代によく見たテスト結果です。
    アクティブラーニングは、優秀な子はさらに主体的で深い学びができる一方、その他の子は、授業で何をやっているのかよくわからない事態に陥りやすいのです。

    勉強がわからない。
    では、どうするか?
    ここで、楽なほうに流れる子が、さらに増えていくのかもしれません。
    楽で、新しそうな方向に。
    それでも、しばらくは様子を見守るしかないのでしょうか。

      


  • Posted by セギ at 13:02Comments(0)英語

    2022年03月10日

    真面目に数学を勉強しているが、成績が上がらない高校生。



    中高一貫校や都立自校作成校に通う高校生にときどき起こることですが、真面目にこつこつ勉強しているのに、数学の成績がじわじわと下がってくるということがあります。
    そうした子に少し授業をしてみるとわかるのですが、本人が学校の教材に拘泥している傾向が強いです。
    とにかく全て学校の教材で勉強したがるのです。
    学校に進度を合わせて他の教材で演習するのではなく、学校の問題集を塾でもやりたがります。

    気持ちはわからなくもありません。
    数学の場合、学校の問題集は、見た目はそんなに多い量には見えなくても、実際に解いてみると、数学が得意な子を除けば、解くのに結構時間がかかります。

    例えば、数学が得意な子が、1問解くのに5分かかる問題。
    しかし、数学が苦手な子は、まず解き方がわかりませんので、解答解説集を開き、それを見ながら解くことになります。
    解説を読んでも、何で急にそんな式が立てられているのか、その先、どうして式がそんな変形をされたのか理解できないこともあります。
    教科書や他の参考書を開いて、あれこれ調べなければなりません。
    それでもとにかく解き方はわかり、あとは自力で計算しようとしますが、悲しいかな、高校数学は計算自体が複雑ですので、小学校の頃から計算ミスのあった子は、一度で計算ミスなく正答に至る可能性は低いです。
    一応最後まで解いたが、答が違う。
    再び、解答解説集と首っぴきとなり、どこで計算ミスをしたのか確認することになります。
    単純な書き間違いや符号ミスが原因のことが多いのですが、自分のミスというのは発見しにくいもの。
    しかし、それを発見するまでは気持ち悪いので、ずっとそのミスを探す作業を続けます。
    ようやくミスを発見し、そこから解き直して、やっと正解。
    そこまでに、1問30分かかることも珍しくありません。

    定期テストの朝に問題集のテスト範囲を解いたノートを提出しなければならない学校は多いです。
    だから、どんなに時間がかかっても、学校の問題集をこつこつ解いていくことになります。
    当然、他の科目よりも、数学には時間をかけることになります。
    定期テスト前ぎりぎりで何とかノートを完成させて提出します。

    そんなに時間をかけているのに、テストでは、数学が一番得点が低い・・・。
    一番時間をかけているのに、一番得点が低い・・・。


    しかし、考えてみれば当然なのです。
    定期テスト前までに、学校の問題集を1回解いた。
    それも、解答解説集を見ながら。
    それだけが数学の勉強のすべてになってしまっています。
    解いたことがあるような気がするが自力では解けない問題がテスト用紙に並んでいることに、本人が一番驚いてしまうでしょう。

    高校の数学のテストは、何でこんなに難しいんだろう・・・。
    うちの学校の数学のテストは難しい。
    そんな感覚に陥る人もいるでしょう。
    実際は、テストの3分の2は基本問題であることが多いのですが、本人の実感はそうではありません。


    その打開策として、個別指導塾に入会する人がいます。
    個別指導塾に入る目的が、そもそも、学校の問題集の消化なのです。
    いや、保護者としては、数学の成績が下がっていることを心配してのことなのでしょうが、生徒本人の目的は、学校の問題集の消化です。
    しかし、それでは、「成績の上がらない前提条件」が成立してしまいます。

    通塾の目的が、学校の問題集の消化。
    「学校の問題集をやってくださるんですよね?」
    とお母様から念を押されてしまうこともあります。
    「やりません」と答えたら、入塾しないのではないか?
    そうなると、こちらとしては譲歩しないわけにいかなくなります。
    ・・・それ、数学の成績が最も上がらない個別指導の受け方ですけど、いいんですか?
    内心でそう思っていても、初対面でそんなにアクの強いことを言うと、入会してくれません・・・。

    独りで勉強していると、わからない問題は参考書などを色々調べなくてはならない。
    調べても、解答解説の意味がわからない問題もある。
    それを解決したい。
    それが解決できれば、きっと私の数学の成績は上がる。

    本人は、そのように思い込んでいます。

    中高一貫校や都立自校作成校の生徒です。
    言ってみれば、「地頭」は悪くない。
    受験で一度は勝利していることも自信につながっているでしょう。
    自分の学習方法に自負があります。
    自分の数学の成績不振は、応用問題が解けないことが原因。
    そのように誤解していることが多いです。
    だから、学校の問題集の応用問題を、個別指導塾で教わりたい。
    基本問題は、解答解説を読めばわかるから。
    学校の問題集に載っていて、解答解説集を読んでも意味のわからない応用問題を、教えてほしい。

    ・・・いや、平均点が50点台から60点台の数学の定期テストの点数が40点台なのでしょう?
    それは、明らかに基礎力不足です。
    公式を使うだけの基本の典型題で誤答しているはずです。
    そして、基本問題でそんなに失点してしまうのは、勉強不足です。
    学校の数学の問題集を1回解いたノートを提出するために、他のどの科目よりも数学に時間をかけているのであっても、それでもなお、勉強不足なのです。
    教科書の解説や公式、そして問題集の解答解説集を見ながら、問題集を1回解いただけ・・・。
    それは、自力で解いた問題は1問もないということです。
    公式も、もちろん、覚えていない。
    公式は、テスト前日に暗記するから・・・。
    しかし、そうやって言い訳しているから、実際のテストで上手く活用できず、基本問題も正答できないのでは?

    でも、学校の問題集をやるという約束で入会してもらいましたから・・・。
    こちらとしては、「学校の問題集をやる」と「数学の成績を上げる」を両立させるために、何とかプランを練ります。
    塾の授業は塾用テキストで解説・演習する。
    しかし、塾から出す宿題は学校の問題集。
    テスト1週間前までに最低1回は学校の問題集が終わるようにスケジュールを組みます。
    宿題として出す学校の問題集を解きやすいように、あらかじめその類題を塾で演習するのです。

    これで、おおむね、改善されていきます。

    塾の授業の直後に宿題を解けば、今までよりは格段に学校の問題集を解きやすくなります。
    少なくとも、解答解説を読めば、理解できるようになります。
    それでもわからない問題は次の授業で質問してもらいます。
    質問は、応用問題が1~2問程度にしぼられてくるのが理想です。
    今すぐ成績を上げるためには、正直それも時間の無駄なのですが、1~2問なら、授業時間の使い方として許容できる範囲のことです。
    学校の問題集と塾のテキストと。
    単純に、演習量が今までの2倍になり、勉強不足が解消されます。
    そして、テスト前の授業では、テストに出そうな問題を私が学校の問題集から選んで解いてもらいます。
    教科書類は開かず、例題ではないのでヒントもありません。
    見た目は易しそうな問題ですが、自力では解けない。
    そのことを自覚してもらうという意味もあります。
    どのレベルの問題が解けないために定期テストの点数が低いのか。
    どのレベルの問題を解けるようになればいいのか。
    それを理解した生徒は、一気に得点が上がっていきます。


    しかし、それでも上手くいかない生徒も存在します。
    本人の学習意欲や数学的能力が関係します。
    これは、都立自校作成校の生徒よりも、中高一貫校の生徒に多いです。
    高校入試を経ていないので、中学の数学も忘れてしまっている場合があるのです。
    しっかりとした中学数学の土台がないのに、無理に高校数学を学習しています。
    もともと、中学受験でも、受験算数は苦手だったのかもしれません。
    他の科目でカバーして合格したけれど、そのまま数学は苦手科目になった・・・。
    そうした子は、高校生だけれど、乗法公式を正しく覚えていなかったりします。
    2次方程式の解の公式を、普段使うとも思っていません。
    この問題は使うと言われると、「えー」と嫌な顔をして、問題集のどこかに書いていないか探し始める・・・。
    勿論、高校数学で学習した公式は、ほとんど覚えていません。
    そのような学力で高校数学の学習を先へ先へと進めています。

    学校は、数学学習を先へ先へと急いでいます。
    しかし、本人は数学が苦手だし、興味がない。
    そんなことより、英語の予習。
    そんなことより、古文の予習。
    他にやるべき勉強は沢山ありますし。

    そうして、次の塾の日の直前にあわてて学校の数学の問題集を開きますが、以前と同じで、やはり上手く解けません。
    1週間経っていますから、数学が苦手で興味のない子にとって、解き方を忘れてしまうのに十分な時間が経過しています。
    「解こうと思ったけれど、わかりませんでしたー」
    悪びれもせず笑顔でそう言う生徒に、私は軽い絶望を感じますが、私の絶望は生徒にはあまり伝わっていきません。
    「わからない」と言われれば、その内容を授業中にもう一度復習しなければなりません。
    その場合、どうせなら、学校の問題集で演習したほうが早い。
    生徒も大喜び。
    しかし、それでは、その授業で演習できるはずだった内容は後回しになります。
    授業の後半、短時間でさっと演習して、そこを宿題にしても、1週間後、自力で解こうとするとやはりわからない。
    わからないから、塾で教わりながら解こう。
    生徒はそのように考えます。

    その結果、どういうことが起こるか?
    結局、家では数学の勉強をしなくなるのです。
    塾で学校の問題集を解く。
    それだけが数学の勉強のすべてになっていきます。
    それでも、学校に提出するためのノートは着々と仕上がっていますから、本人は不安を感じないのです。
    むしろ、以前より効率的な学習ができ、理解も深まっていると誤解している場合すらあります。

    家で、1人で学校の問題集を解答解説を見ながらこつこつ解くのと、塾で学校の問題集を解き方を教わりながら解くのと。
    自力で発想できていないという点で、どちらも同じです。
    しかも、学校の問題集を1回解いたきりという学習量も変わりません。

    本人は、「わからないから、塾で教わろう。塾で解こう」と考えています。
    そのように考える自分が間違っているとは思わないのでしょう。
    入塾の最初の目的がそもそもそれなのですから。
    そのために個別指導塾に通っているのです。

    塾で学校の問題集を解くことができるんだから。
    それを言い訳に、家で数学の勉強をする時間がむしろどんどん減っていく。
    最悪なのは、定期テスト1週間前になっても、学校の問題集が残ってしまう場合です。
    学校によっては、「章末演習問題」のページもテスト範囲であり、ノート提出しなければなりません。
    テスト直前の最後の塾の授業も、テスト対策をできず、章末演習問題の解説をするだけ。
    テストに出るとは思えないのに・・・。
    こんなことより、この子がテスト前に学習しなければならない問題は他にあるのに・・・。


    以前は、うちの塾にそういう生徒が多かったこともあり、そのへんのことをよくこのブログに書いていたのですが、根気よく説得し改善していきました。
    そのため、最近、そのタイプの生徒がうちの塾にはいなくなり、私の興味も他に移っていました。
    先日、久しぶりにそういうタイプと思われる子に体験授業をして、ああ、この感じは懐かしいと思いました。

    メールでやりとりしていた準備段階では、数Ⅱ「不等式の証明」を授業してほしいということでした。
    なるほど、あそこはちょっと面倒なところがあります。
    個々の証明方法はわかるけれど、実際の問題では、どのやり方で解くのか?
    それを見分けるコツは?
    教わりたいのはそういうところだろうし、私が教えたいのもそういうところです。
    そう思い、プリントなど用意して待っていました。
    あわせて、学校の問題集などでわからない問題があったら持ってきていいですよと私はメールに書いたのですが、それがおそらく悪い誘い水になってしまったのだと思います。
    最近、そのタイプの生徒と接していなかったので、そこらへんの勘が鈍っていました。

    現れたその子は、開口一番、不等式のことはもう解決したから、数Ⅰ「整数の性質」のところをやりたいと言いました。
    しかも、学校の問題集のわからないところを質問したいというのです。
    どの問題を質問したいのか尋ねたところ、問題集のB問題の後半と発展問題ばかりでした。
    聞けば、前回の定期テストの得点は平均点以下・・・。

    その得点で、そんな問題にしか目がいっていないことが、成績不振のそもそもの原因なのではないか?
    おそらく、その子の課題は、B問題の後半や発展問題が解けないことではない。
    平均点も取れていないということは、テストでは基本問題で正答できていない可能性が高いのです。

    学校の問題集の解答解説集は市販の問題集よりもずっと詳しいものです。
    問題集よりも薄い紙が使用されていてなお、問題集と同じくらいの厚みがあります。
    そうした詳しい解答解説を読んでも意味がわからないような問題は、その問題だけ解説を聞いて意味がわかったところで、類題を今すぐ自力で解けるようにはなりません。

    しかし、生徒本人は、そうした現状分析をできません。
    真面目に学校の問題集に取り組んで、わからない問題を質問して解決することの何が悪いのか?
    ここを説得するのに、生真面目な子ほど時間がかかります。
    名の通った高校に通い、ある程度「秀才」としての社会的評価を得ている子なら、なおさらです。
    しかし、学習方法を改善しない限り、成績は上がりません。
    ここの攻防は、1度の体験授業で解決できることではありません。
    長期戦が必要です。

    学校の問題集のわからない応用問題なんか、赤ペンで解答を丸写ししてノートを提出したらいいんです。
    だって、解答解説を読んでも意味がわからないんですから。
    定期テストで平均点以下の子がそれをやったことを叱り、「ノート再提出」という数学の先生なんかいません。
    そんなことより、基本問題を何も見ないで自力で解けるようにしておくことのほうが重要です。

    この当たり前のことを当たり前に自覚できるようになるまでの期間が、成績低迷の期間とイコールです。
    高校数学は、数学に興味のない生徒にとっては、淡雪のように記憶が消えていく内容です。
    1週間前に解いた問題も、今日解けるとは限りません。
    土台がすぐに崩れていきます。
    強固な数理の基礎が築かれていないと、高校数学には耐えられない。
    すぐに土台の底が抜けていきます。
    だから、高校数学は、さらに細かく解き方を丸暗記するしか対応できなくなります。
    しかし、高校数学は覚える量が多い。
    解いても解いても、端から忘れていきます。
    そういう状態では、問題集の解答解説を読んでも、意味がわかりません。
    そのような自分の現状を、まずは理解することが必要です。

    いつまでもそのレベルのわけではありません。
    基礎が築かれ、学校の定期テストの得点が十分に上がる頃には、そもそも、解答解説を読んでも意味のわからない問題を学校の問題集で発見することがなくなります。
    自力で発想できない問題は変わらず存在するでしょう。
    でも、解答解説を読めばわかる。
    では、どうやって、自力で発想するのか。
    その技の伝授に多くの時間をかけるようになる頃には、塾から出す宿題は、相変わらず「学校の問題集」でも、ページ指定すらしなくなります。
    そのように雑な宿題でも、学校の問題集はさっさと解いてしまい、市販の問題集も本人の意思で解くようになります。
    保護者の方から、
    「うちの子、暇さえあれば数学の問題を解いています。他の科目にもう少し時間をかけてほしいとも思いますが、今は見守っています」
    といった、喜びに満ちた苦情がメールの末尾に寄せられ、頭をかいてしまうこともあります。

      


  • Posted by セギ at 12:50Comments(0)算数・数学

    2022年03月05日

    都立野川公園のフキノトウ。2022年3月。


    2022年3月2日(火)、都立野川公園に行きました。
    例によって自転車で、武蔵境通りから東八道路を右折。
    自転車レーンをひたすら走っていくと、都立野川公園です。
    トイレの脇に自転車を置いて、さてここからは徒歩。

    これも例によって散歩のおともは、ラジオ英語講座「ラジオで!カムカムエヴリバディ」です。
    3月2日放送分は、「ひなたの初恋について説明してみよう」。
    発売時にテキストを読んで予想した通り、ドラマでは、ひなたの恋愛に進展あり。
    なるほど、なるほど。
    3月号のテキストを読む限り、るいやジョーのことも、安子や算太のことも、英語講座のことも、3月のドラマの中で回収されていく気配濃厚です。
    そして、ひなたがもう一度ラジオ英会話を聴くことになるのなら、1990年代の講師は、今、このラジオ番組の講師である大杉正明先生です。
    ひなたは観光業に従事しているので、仕事で英語が必要になるから、いずれ必ず聴くでしょう。
    ああ、だから、このラジオ番組の講師を大杉先生がやっているんだと、そこの伏線も回収されるように感じます。

    子どものひなたが1週間で挫折した東後先生のラジオ英会話。
    ドラマの中で、その東後先生役で声の出演をしたのは、「高校生から始める現代英語」の講師、伊藤サム先生でした。
    そこらへんも、ラジオ英語講座好きには味わい深かったです。

    でも、「高校生から始める現代英語」は、3月で放送終了。
    また良い英語講座が1つなくなってしまいます。
    テレビの英語講座がほとんどなくなり、ラジオの英語講座も1つ1つ減っています。
    何でかなあ。
    テキストだけでもそれなりに収益があると思うのに。

    とはいえ、良いニュースも1つ。
    音声ダウンロードブック「杉田敏の現代ビジネス英語」は継続。
    あらたに、音声ダウンロードブック「遠山顕のいつでも!英会話入門」が季節刊で発売されることになりました。
    本当は、ラジオ番組のほうがいいんですけど。
    ちょっとした冒頭の挨拶とか余談とか、そういうのがダウンロードブックにはないので。
    音声をもっと番組っぽく作ってくれるといいんだけどなあと思います。

    などと思いながら歩いていくと、都立野川公園内の自然観察園のゲートに到達。
    おや?
    木道が一部工事中でした。
    老朽化したところから部分的に改修していくようです。
    古い木道を踏み抜くと怖いので、真ん中の釘の多い部分をそろそろと歩き、まずはセツブンソウの咲く場所へ。
    もうないかなと思っていたのですが、まだ咲いていました。
    その先で工事中となったので、いったん戻って、逆回りで歩いていくと、小さな沢のほとりにフキノトウが芽吹いていました。
    春ですねえ。
    こうやって眺めるフキノトウはかわいい。
    とはいえ、おいしそう。
    フキノトウ、食べたいなあ。
    細かく刻んで玉子と混ぜて焼くフキノトウのオムレツを食べたくなりました。
    ほろ苦い、春の味わいです。
    今度スーパーに行ったらフキノトウを探そう。

    自然観察園を出て、そこからいったんトイレまで戻り、道路を渡って都立武蔵野公園に向かいました。
    ここは、とにかく歩くのが目的。
    公園を大回り1周することにしました。
    遊歩道は舗装されているけれど、大回り1周なら、土の道だけ選んで歩けます。
    途中、梅園で、紅梅・白梅を撮影。

    梅の季節です。
    奥多摩の吉野梅郷の梅は、あれから成長したでしょうか。
    梅と桃だけがかかる病気になり、公園の梅が全伐採されて数年後、ウイルスの消去が確認されて再び植えられた始めた梅の若木。
    今年は吉野梅郷にも行けると思ったのですが、コロナ感染者が高止まりのまま、なかなか下がりません。
    行こうと思えば、行ける。
    しかし、無謀なことはしたくない。
    これまでやってきたことをこれからも淡々と繰り返していこうと思います。

      


  • Posted by セギ at 11:56Comments(0)