たまりば

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2012年03月30日

那須朝日岳に登ってきました


ブログに書きたいことはたくさんあるのですが、何もかもが押せ押せとなっております、セギ英数教室、角木です。
とはいえ、受講生は随時募集中です。
お気軽にお問合せください。
(*^_^*)

さて、春期講習直前の3月20日、那須朝日岳に登ってきました。
去年は2月に行き、爆風に敗退し、鎖場までも到達できず、代わりに茶臼岳に登りました。
まだこのブログを始めたばかりの頃でした。
今年は、これも、何だかんだで予定が押しまして、3月になってしまいました。
季節の進みも、なんだかんだで押していたので、ちょうど良かったです。

今シーズンは、雪山は、これでもう登りおさめです。
ピッケルを使う山には、2回しか行かなかったなあ。
そういえば、日本で使われている山の用語は、ドイツ語が多く、世界ではなかなか通じないので、英語で統一しようかという動きがあります。
そうすると、ピッケルはアックスになるのですが、どうもアックスというとアイス・アックスのほうをイメージしがちで、縦走用のまっすぐなものは、やっぱりピッケルのほうがいいなー。
ザイルは、ロープ。
これは、わりと理解できるのですが、では、ザイル・パートナーは、ロープ・パートナーと言い換える気になるかというと、なりませんね。
アイゼンは、英語でクランポン。
そんなお調子ものみたいな名前の奴に、命を預けるのは、何か嫌だ。
(^_^;)

ストックは、トレッキング・ポール。
スパッツは、ゲーター。
どんどん名前が変わります。
ここらへんになると、英語かどうかというよりも、山ガール・山ボーイに向けて、新しい名前で呼んだほうがファッショナブルに聞こえるという思惑がある気がします。
ファッション用語なんて、どんどん変わりますもんね。
1周まわって、古い言い回しが復活したりします。
サロペットという言葉を久しぶりに聞いたときは、耳を疑いました。
サロペットって、私が10代の頃は、確か、死語に加えるべき古い言い回しだったような。

なんてくだらないことを考えながら、朝日岳への斜面をトラバースしていきました。
集中力が切れてはいけないんですが、変に緊張してガチガチになると、また逆に歩けなくなるので、適度にくだらないことを考えながら歩くのは、必要なことです。

うん。これは、勉強でもいえる。
変に緊張してガチガチになると、出来ることも、出来なくなります。
安定した精神状態を自ら作り出すこと。
問題に向かうときは、いつも、ニュートラルであること。

さて、那須朝日岳は狭い山頂でした。
写真は、朝日岳山頂から振り返った、茶臼岳。
風と強い太陽光の中、やみくもに撮影したので、何だかどうでもいい感じの1枚となりました。
いつもか。
(*^_^*)

明日も、朝から授業。
春期講習はまだまだ続きます。
  


  • Posted by セギ at 23:16Comments(0)

    2012年03月22日

    通信添削は有効か



    さて、今日は、通信添削の話。
    去年まで働いていた、集団指導の塾の中学生たちの中には、通信添削もやっているという子が多くいました。
    一種の流行りという印象でした。
    子どもにねだられれば、出してしまう程度の金額なのが、通信添削。
    しかし、現実には、あまり役に立っている印象はありませんでした。
    課題を出さず、ため込んでいる子が大半。
    出すとしても、きちんと予習をしてからではなく、やっつけ仕事のようにぱっと課題を解いて出すだけ。
    添削された答案が返ってきたら、見ることは見るけれど、それで復習するわけではありません。
    やらないか、やりっぱなし。
    どんな精選された良問ばかりの添削課題だろうと、その学習姿勢では、効果は期待できません。

    なぜ、それでもやるのかと生徒たちに訊くと、何人かの生徒がこう答えました。
    「付録の教材がいい」
    へえ・・・・・。

    どんなにいい教材なんだろう。
    中学生が言う、良い教材とは、どんなものだろう。
    非常に興味があり、見せてもらって、びっくりしました。
    彼らの言う、良い教材とは、実技4教科のポイントを整理したテキストだったんです。

    実技4教科。
    音楽・美術・体育・技術家庭。
    それの参考書が欲しくて、それで通信添削?
    通信添削の費用を考えると、その1冊の値段の高さにぞっとします。
    実技教科の成績の大半は、提出物の出来や、授業中に行われる実技テストによって決まります。
    ペーパーテストだけ頑張っても、良い成績は取れません。
    参考書は不要だと思います。

    でも、中学生は、その実技4教科のテスト対策テキストを持っている友達がうらやましくて、それで自分も通信添削をやりたいと、親にねだっていたんです。
    その他にも、ちょっと心惹かれる薄いテキストが何種類か。
    昔なら、「中一時代」「中1コース」などの学年別の学習雑誌の付録についていたようなものです。
    はあ・・・・・。
    いろいろな意味で、ズレている。
    でも、それが子どもというものでしょう。

    東京に住む生徒が、通信添削を受けなければならない理由はありません。
    近くに勉強を教えてくれる場所がいくらでもある、この都会で。
    勉強は、対面で教わるのがもっとも効果的です。
    目の前で、肉声で、直接教わることに勝るものは、ありません。
    講師は、目の前の生徒の目の動き、声の調子、微かな表情の変化から、常に、その生徒の理解を確認しています。
    紙を郵送して教わる。
    その情報量の少なさ。
    もどかしさ。

    それでも、近くに良い塾のない地方の生徒にとっては、通信添削は命綱。
    衛星予備校に通うのだって、家からバスに乗って、それから電車に乗って、と時間のかかる生徒にとっては、全国レベルの課題を、全国の仲間と競いあえる数少ない場です。
    そして、そういう一種の逆境から、物凄い才能が立ちあがってくる。
    通信添削の本質は、そういうものだと思います。

    ある英語教科書を出版しているのは通信添削会社で、準拠ワークのようなものは一切市販されず、そこの通信添削課題が唯一の準拠教材という場合がありますが、他の問題集を使っても勉強できますし、個別指導なら、準拠教材を講師に手作りしてもらえますよ。

    そんなわけで、一般的には、東京に住む中学生がやることに、あまり意味を感じないのが、通信添削。
    子どもがやりたいと言ったら、よくよく確認したほうがいいと思います。
    何のためにやりたいのか。
    教材が欲しいというのなら、何の科目のどんな教材が欲しいのか。
    それは、本当に必要なものなのか。
    書店で見つけることは、無理なのか。
    そこも、よく確認してください。

    通信添削のお金と、安いけれどあまり効果を感じない塾の費用を合わせたら、ちょっと高いけれど効果のある個別指導を受けることができるんですから。
    と、最後のは、宣伝でした。
    (*^_^*)
      


  • Posted by セギ at 00:02Comments(2)塾選び

    2012年03月19日

    奥久慈男体山を歩きました


    先週は、高校や私立中学の期末テストが終わったばかりで、テスト前に授業を前倒しした人が多く、1日、授業のない日がありました。
    そこで山へ。

    奥久慈男体山は、茨城県の山。
    去年のうちに行こうと思っていたのですが、男体山から袋田の滝への縦走路は、地震で荒れているのではないかと、実家がその近くの方からの助言があり、確かにそうかもしれないので、先延ばしにしていました。

    以前に同じコースを歩いたのは、2005年の5月。
    7年も前です。
    あのときは、水戸駅で電車を待っていたら、ハイキング姿の女性に、突然、どこに行くのか訊かれ、そして、「ご一緒していい?」と訊かれて、驚きました。
    見ず知らずの人と、いきなりパーティを組むことはできないので、丁重にお断りしました。
    誰かと一緒に山を歩くということは、互いに相手の安全に責任をもつこと。
    知らない人とできることではありません。
    でも、そんな硬いことばっかり言っているから、結局、1人が一番安心で安全、ということになってしまうのだな。
    (^_^;)

    7年前は、大円地から大円地越を経由するハイキングコースをとりましたが、今回は、鎖場コースを歩きました。
    鎖と言っても、そんなに太いものはありません。
    細い鎖が何だか延々と続いていました。
    道が崩れているところはありませんでした。
    岩が少し滑りやすいところはありますが、慎重に行動すれば、特に問題はありませんでした。

    もし鎖場を登っている最中にあの地震に遭遇していたら、それは、恐ろしいことだったと思います。
    そういう人も、いるのではないでしょうか。
    ただ、日常生活の中での被害があまりにも甚大で過酷で、解決のつかない問題がたくさんあるので、山歩きをしていて地震に遭ったという、ある意味呑気な話は、まだまだなかなかできない状況です。
    早く、そんなレベルの話もできるようになるといい。
    今年も、頑張って働いて、寄付しよう。

    奥久慈男体山の山頂直下には、まだ雪が残っていました。
    多少滑りやすかったですが、ここも落ち着いて歩けば、軽アイゼンは不要でした。

    低山といっても、素晴らしい眺望で、雪をかぶった那須の峰々が遠く見えました。
    筑波山は、もっと近くにくっきり見えるかと思いましたが、案外遠く、奥多摩あたりから見るのと大差ない印象でした。

    さて、奥久慈男体山だけなら、短時間の山歩きなのですが、そこから袋田の滝まで縦走するとなると、かなり長いです。
    前回歩いたのは5月で、山道は新緑に覆われ、シロヤシオの木が1本、花をつけていました。
    すれ違った登山者が、
    「ゴヨウツツジ!」
    と指さすのへ、
    「きれいですねー」
    と短い会話を交わしました。
    シロヤシオの別名は、五葉ツツジ。
    葉が5枚あるところからきています。
    シロヤシオで有名な丹沢檜洞丸や那須岳は別ですが、他の山では、登山道に1本だけポツンと生えていることが多く、それを見つけると、とても嬉しく、印象に残る花です。

    あのときは、したたるような新緑の中の、細い細い道をどこまでも歩きました。
    今年は春が遅く、日当たりの良い岩場で一か所スミレが咲いていたのと、やはり日当たりの良いピークに一か所アブラチャンの黄色い花が咲いていたのが、わずかに早春の気配を感じさせる他は、まだまだ冬の気配が濃く、木々は葉を落とし、そのため枝越しの眺望がずっと続くのが楽しみでした。
    草に覆われていないため、山道も若干広く感じました。
    雪が残っているところが多く、凍結箇所もありました。
    やはり、長い長い道でした。

    あの地震以来、東北の中学・高校生で、山岳部に入部する生徒が増えていると、山岳雑誌で読んだことがあります。
    危機的状況におけるサバイバル技術。
    それを学べる場は、山岳部だから。
    実際、定職をもたないクライマーや、夏は山小屋で働き、冬はスキー場で働く人たちの多くは、あの地震の後、長期的に東北に入り、ボランティアに従事した様子で、山でそういう話を聞く機会も何度かありました。
    山の技術は、ボランティアが現地に滞在するにも役に立っただろうと思います。
    中学生・高校生の中には、そういう人たちを目にした人が多かったのかもしれません。

    だけど。

    やっぱり、中学生・高校生には、ちょっと古いですが、「『スラム・ダンク』読んで、カッコ良かったから、バスケ部に入った」くらいの感じていてほしい気がします。
    子どもには、それくらいの感覚でいてほしい。
    生き残る技術を学ぶために山岳部なんか入らなくていいです。
    いや、入れば入ったで、楽しいことはあると思うけれど、それは逆に、単純な気持ちでバスケ部に入っても、苦しいことはあるのだから。
    子どもが、単純で呑気でいてくれることは、平和な証拠。
    世の中と、周囲の大人が、しっかりしているから、子どもは安心して呑気でいられるのだから。
    早く、また、そういう時代がくるといい。

    そんなことを考えながら、山道を登っては下りて、もういい加減疲れた頃に、ようやく月居山へ。
    そこからは、古くて歩きにくい石段が連続するようになり、まだ登るのか、と思う頃に下りが始まり、やがて、滝が見えてきました。
    袋田の滝。
    今年は寒くて、凍結することが多かったと聞きます。
    もう水はぬるんで、4段の滝は、音をたてて流れ落ちていました。
    滝の左岸をさらに石段を下りて下りて、やっと土産物屋の並ぶ滝付近の観光地へ。
    もう日が傾きかけていました。

    長かったけど、面白かった。
    季節を変えて、また来よう。
    歩き終えると、またそういう気持ちになる縦走路です。
      


  • Posted by セギ at 14:01Comments(0)

    2012年03月15日

    頭のいい人の勉強法


    例えば、こんな問題。
    ( )に入れる適切な語を下から選びなさい。

    I don't know (  ) he has.

    ア. who イ. where ウ. what エ. whom

    この問題を解くのに、声に出して、似ている例文を暗唱する子がいます。
    「あ。I don't know who he is. だ」
    私は、基本例文を暗記するように言うことはないので、多分、その勉強法は、学校の先生かご両親が薦めているか、前の塾で教わったやり方か、あるいは、何かで聞いたか読んだかしたのでしょう。
    基本例文の暗記は、ある程度より学力が下回ると、効果は期待できないのですが、かといって弊害があるものではないので、とりあえず、そのことに関して、私は、何も言及しません。
    ただ様子を見ています。
    he is ではなく、 he has であることには気づいた様子で、考え込んでいます。
    さて、どうなるか。
    1分ほども考え込んでから、彼は、選びました。
    「答は、ア」
    不正解。
    答は、ウです。
    うーん・・・・。


    こんな場合もあります。

    次の日本語を英語に直しなさい。
    「あなたは、何冊の本を持っていますか」

    「知ってる。これ書ける」
    How many books do you have ?
    歌うように唱えながら書いていきます。
    抑揚から、丸暗記しているのが感じられます。

    同じ子に、この問題を出します。
    「彼は、何枚のCDを持っていますか」
    もう書けません。
    How many CDs does he have?
    「いくつの〜」の学習と、三単現が組み合わさると、もう解けない。

    「あなたは、お金をいくら持っていますか」
    書けません。
    How much money do you have?
    数えられない名詞の場合は、many ではなく much を使うという、名詞に関する知識が頭の中で連動していないので、解けないんです。

    「1週間は、何日ありますか」
    書けません。
    How many days are there in a week ?
    あるいは、
    How many days dose a week have ?
    存在を表す構文の知識と連動していないので、解くことができません。


    基本例文を暗記しても、その例文とそっくりの問題しか解けない。
    そういう学力の子は、多いです。
    例文とそっくりの問題がテストに出ることは、ほとんどありません。
    なので、テストで得点することは、ほとんどできません。


    なぜ、そのようなことになるのでしょうか。
    私は、むしろ、なぜ、例文を暗記しろという人がいるのかを、考えてしまいます。
    その人は、当たり前ですが、学生時代、英語の成績が良かった人でしょう。
    だから、自分の勉強法を他人にも薦めているのだと思います。
    しかし、それは、頭のいい人の勉強法です。

    おそらく、その人は、例文を暗記する過程で、その例文の文法的な把握を行っています。
    頭の良い人は、何かを学ぶとき、その法則性をさぐらずにいられません。

    I am a boy.
    You are a boy.
    He is a boy.

    その共通点は、何か。
    相違点は、何か。
    英語は、どういうシステムのものなのか。
    言われなくても、そういうアプローチをします。
    それが、頭のいい人の、頭の構造です。
    だから、例文を1つ覚えるだけで、システム通りに、類題を自在に解いていくことができます。

    ところが、法則性を見抜くことを全くしない頭の動かし方をする子どもたちがいます。
    本人に任せていると、そういうふうには、頭を動かしません。
    覚えられないわけではありません。
    例文は暗唱できます。
    でも、応用がききません。
    How many の例文と、三単現の例文は、別の例文で、それらは、連動しません。
    歌うように覚えているだけで、なぜそのような順番で語句が並んでいるのかには関心がありません。
    使い回しのきかない例文が、頭の中の広い広い海にぷかぷか浮いているようなイメージです。お互いは、何十kmと離れていて、橋はかからない。

    頭のいい人の勉強法は、大筋で間違ってはいない。
    ただ、彼らが言語化しない部分に、本質があります。
    本人が意識していない、頭の動かし方。
    そこを理論化しない限り、その勉強法は、同じような頭の構造の人にしか効果が期待できないのです。

    「英語なんて、単語を覚えれば大丈夫」
    「例文を覚えれば大丈夫」
    「文法なんかに、そんなに時間をかけるな」
    これらの、頭のいい人たちの言葉は、英語ができない子には、夢のように甘く響きます。

    でも、信じてはいけない。

    頭のいい人たちが、本人は自覚もせずに行っているアプローチ。
    それが文法というものではないでしょうか。
    無意識に、瞬時に、文法把握をしている。
    彼らの頭の中で、文法は、既に前提として存在しているのです。

    では、法則性を無意識に見抜く頭の構造ではない子には、挽回の機会は巡ってこないのか。
    そんなことは、ありません。
    無意識で行えないことは、意識して行えば良いのです。
    広い海にぷかぷか浮いている知識を集めて集めて、近づけて、互いに橋をかける作業。
    それをすれば良いのです。
    しかも、一度それができるようになれば、橋はかかりやすくなります。
    人間の頭は、使えば、良くなる。
    使い方を変えれば、良くなる。

    うまく頭が働かず、そのせいか性格も頑固で、間違った勉強法をなかなか改めてくれない子とは、長い時間、格闘しなければなりませんが、可能性がないことはないのです。
    タイムリミットは、いつも、あります。
    早く気づけ。気づいてくれ。
    高校入試が近づいている。
    それでも、あきらめる必要はないのです。

      


  • Posted by セギ at 13:20Comments(4)英語

    2012年03月12日

    字幕で映画を見ましょうか


    中学生というのは、大人が思うよりも、ずっと子どもで、精神面はもとより、わかりやすい表面的なことでも、例えば、コーヒーが飲めなかったり、字幕スーパーの映画を見ることが出来なかったりします。
    だから、中学生が、映画館でも、吹き替え版で映画を見るのは、まあ仕方ないのですが、少しずつ背伸びして、字幕スーパーで映画を見てくれないかなあ、と思います。
    いえ、登場人物が英語をしゃべっている、アメリカやイギリスの映画限定でいいですから。

    中学生になって、洋画が面白く感じられるようになって、友達と映画館に行って、「字幕速いっ」と思いながら、頑張って見た映画の記憶。
    案外大切な記憶として残っている方、多いのではないでしょうか。
    少しずつ、字幕を読むのが速くなり、そして、切れ切れに、簡単な英語が耳に入ってくるようになる。
    日本語字幕があるので、聞き取りやすいせいもあります。
    それも、嬉しいものですね。
    私が、一番最初に聞き取れたセリフは、確か、1970年に製作された英米合作ミュージカル映画、『クリスマス・キャロル』だったと思います。
    中学生の頃、名画座で見ました。

    主人公スクルージは、クリスマスの朝、改心し、見ているほうがびっくりするくらいに歌い踊り、町の人たちや疎遠になっていた甥と和解した後、自分の事務所兼住居に帰ってきて、ドア飾りの顔(前の晩、亡くなったビジネスパートナーの顔に見えたもの)に、礼を述べます。
    そして、「もう行くよ」と言うんです。
    「食事の約束をしているんだ」
    その最後の部分。
    ・・・・with my family.

    その3つの単語を、スクルージが、どれほどの幸福感に包まれて、明瞭に発音しているか。
    あれは、英語で聞いたほうがいいです。

    もっと手軽に、家庭で楽しめるのは、レンタルDVDやブルーレイ。
    これは、英語音声・英語字幕で映画を見ることが可能なので、さらに楽しいです。
    日本語字幕で慣れておかないと、英語字幕は目が追いつかないので、中学生のうちは日本語字幕、高校生になったら英語字幕にするのが良いでしょう。
    私は、字幕なしで見て、聴き取りにくいと、英語字幕を出して、確認します。

    高校生が英語字幕で見るのに向いているなと思う映画は、『フォレスト・ガンプ』。
    易しいゆっくりした英語なので、高校英文法がひと通り身についていれば、単語力は、そんなに要らないです。

    映画の終盤。
    ジェニーは、フォレスト・ガンプに問いかけます。
    ベトナムは怖かったかと。
    ガンプは、それに答え、ベトナムの星空の美しさ、エビ漁をしながら眺めた日没の美しさ、走りながら眺めたアメリカ大陸の美しさを語ります。
    それを聞いたジェニーの言葉。

    I wish I could be there with you.

    字幕なしで聴き取って、お、仮定法だ、と思います。
    うん?でも、仮定法過去?
    なんて仮定法過去完了じゃないんだろう。
    そこで、英語字幕を出して確認。

    I wish I could've been there with you.
    「私も、あなたと一緒にいることができたら良かったのに」

    おお。やっぱり仮定法過去完了か。
    そうだなー。beにしては、音が強かった。beenって言ってたね。
    聴き取れなかったー。ははは。
    そんなくだらないことに感心していると、次のガンプのセリフにしてやられます。

    You were.
    「君は、いたよ」

    さすがに、愛が何であるかを知っている男の言うことは違う。
    なんという名セリフだろう。

    ただ、これで英語がめきめき上達するというものではないことは、ご承知おきください。
    中学生・高校生は、そういうレベルの勉強では結果は出せません。

    楽しみながら英語を学ぶ。
    そういうゆるい勉強は、やはり、ゆるい結果しか得られないんです。
    映画で学ぶ英語には、体系がありません。
    行き当たりばったりです。
    大人が楽しみで英語を学ぶのには向いています。
    でも、中学生・高校生が学ぶ英語には、いつまでに、どのレベルに、という期限があります。
    大学受験で使える英語力を身につけること。
    大学生になったら、学習の方向を少し修整して、社会人になって使える英語力を身につけること。
    目標は、それです。

    どうやったら英語が身につくか。
    そんなの、わかりきっています。
    文法書を読んで、理解して、問題を解いて解いて解いて。
    英語長文問題集を読んで読んで読んで、解いて解いて解いて。
    単語集で単語を覚えて覚えて覚えて。
    音声教材を聴いて聴いて聴いて。
    自分で英語を書いて書いて書いて。
    あるゆる機会に、英語を話して話して話して。

    吐き気がするくらいにやらないと、ものにならないです。
    英語は好きだけど、正直、つらい。
    そこまでやるから、光が見えてきます。
    楽して身につくものは、その程度のもの。

    でも、いつもいつもそれだと、長い停滞期には閉塞感で耐え切れなくなります。
    だから、ときどき、英語学習のアクセントに、英語で映画を見ましょう。
    まずは、日本語字幕から。

    画像は、高尾のハナネコノメ。
    一昨年の春に撮影。
      


  • Posted by セギ at 12:35Comments(0)英語

    2012年03月08日

    山が見える



    「日本のとある町で」となっている、ダイハツ「第3のエコカー」のCM撮影地は、山梨県だそうです。
    最新CMでは、高台にドライブしているので、ああ、本当だ、甲府盆地だとわかります。
    カメラが少し横に振れたら、南アルプスや、富士山や、金峰山が見えるでしょう。
    それでも、一番地味な山塊を気持ちよさそうに眺める登場人物たち。
    彼らが見ているのは、大蔵経寺山かな?
    上の画像は、甲府盆地から見上げた、南アルプス北岳です。
    実際は、こんな山が見えるのに、CMに映っているのは、あれです。
    ある意味、贅沢です。

    CMといえば、もう5年ほど前になりますが、クリームシチューにサツマイモを入れるのもいいんじゃないか、と提案するCMがありました。
    サツマイモ農家の方が、広大なサツマイモ畑から、そのようにおっしゃるわけですが、その背景に映っていたのが、見事な円錐形の山でした。
    うわあ、開聞岳だ、かっこいー、と私はいたく感激しました。
    サツマイモ。
    開聞岳。
    それでは、あの撮影地は、鹿児島県。
    知識として頭の中にあることが、見事に1つの映像の中でつながる。

    サツマイモ・・・・鹿児島県

    この無味乾燥に思える知識の断片が、生きているものであることを実感する瞬間です。

    その前年には、たしか、クリームシチューにキャベツを入れたらいいんじゃないかという提案がされたんです。
    広大なキャベツ畑。
    その後ろにも、山が映っていたはず。
    その山は、浅間山だったのか。八ヶ岳だったのか。
    うーん、そのときは、きちんと確認しなかった。
    悔やまれます。

    当時、中3に社会科を教えていた私は、早速生徒たちにこの話をしました。
    でも、まあ、反応の薄いこと、薄いこと。
    この先生、いったい何にそんなに感動しているわけ?
    シチューのCMの後ろの山なんかどうでもいいよー。
    声なき声が聞こえてきました。(^_^;)

    問題は山ではないんです。
    山はその土地がどこかを確認するためのもので、要するに、サツマイモは鹿児島だし、キャベツは群馬・長野。
    教科書に書いてあることは、本当にそうなんだということ。
    教科書に堂々と書いてあるほどの産業が、どれほどのパワーを持っているものか。
    そこまで突出するには、どれほどの時間がかかったか。
    どれほど多くの人の労苦があったか。
    それに感動しないから、地理の重要事項を覚えられないんだよー。

    スーパーに行けば、高知のナスやピーマンを売っている。
    和歌山や愛媛のミカンを売っている。
    本当にそうなんだということ。
    教科書に書いてあることは、本当なんだということ。
    教室で勉強していることが、日本中と、世界中と、つながっているということ。

    それが地理を学ぶ喜びだと思うんです。
    しかし、何だか漠然と生きている中学生たちには、これはなかなか伝わりません。
    暗記すべき重要事項や知識の断片に興味を持てず、覚えられない、覚えられない、とこぼします。
    フカフカのタオルで顔をふいて、いいタオルだなあと思い、ふとタグを見ると、「今治」と書いてある。
    「タオル・・・今治」を覚えていれば、その瞬間の感動を共有できるのに。

    教科書や参考書は、この世界を知るガイドブック。
    「教科書に載っていないこと」を知ろうとするのもいいけれど、まず、「教科書に載っていること」を知ってほしいと思います。
    それは、本当のことで、現実とつながっている。
    ここに、リアルがある。
    社会科を学ぶ意味も、社会科を学ぶ喜びも、そこにあるんだと思います。
      


  • Posted by セギ at 12:21Comments(0)講師日記