2012年03月15日
頭のいい人の勉強法

例えば、こんな問題。
( )に入れる適切な語を下から選びなさい。
I don't know ( ) he has.
ア. who イ. where ウ. what エ. whom
この問題を解くのに、声に出して、似ている例文を暗唱する子がいます。
「あ。I don't know who he is. だ」
私は、基本例文を暗記するように言うことはないので、多分、その勉強法は、学校の先生かご両親が薦めているか、前の塾で教わったやり方か、あるいは、何かで聞いたか読んだかしたのでしょう。
基本例文の暗記は、ある程度より学力が下回ると、効果は期待できないのですが、かといって弊害があるものではないので、とりあえず、そのことに関して、私は、何も言及しません。
ただ様子を見ています。
he is ではなく、 he has であることには気づいた様子で、考え込んでいます。
さて、どうなるか。
1分ほども考え込んでから、彼は、選びました。
「答は、ア」
不正解。
答は、ウです。
うーん・・・・。
こんな場合もあります。
次の日本語を英語に直しなさい。
「あなたは、何冊の本を持っていますか」
「知ってる。これ書ける」
How many books do you have ?
歌うように唱えながら書いていきます。
抑揚から、丸暗記しているのが感じられます。
同じ子に、この問題を出します。
「彼は、何枚のCDを持っていますか」
もう書けません。
How many CDs does he have?
「いくつの〜」の学習と、三単現が組み合わさると、もう解けない。
「あなたは、お金をいくら持っていますか」
書けません。
How much money do you have?
数えられない名詞の場合は、many ではなく much を使うという、名詞に関する知識が頭の中で連動していないので、解けないんです。
「1週間は、何日ありますか」
書けません。
How many days are there in a week ?
あるいは、
How many days dose a week have ?
存在を表す構文の知識と連動していないので、解くことができません。
基本例文を暗記しても、その例文とそっくりの問題しか解けない。
そういう学力の子は、多いです。
例文とそっくりの問題がテストに出ることは、ほとんどありません。
なので、テストで得点することは、ほとんどできません。
なぜ、そのようなことになるのでしょうか。
私は、むしろ、なぜ、例文を暗記しろという人がいるのかを、考えてしまいます。
その人は、当たり前ですが、学生時代、英語の成績が良かった人でしょう。
だから、自分の勉強法を他人にも薦めているのだと思います。
しかし、それは、頭のいい人の勉強法です。
おそらく、その人は、例文を暗記する過程で、その例文の文法的な把握を行っています。
頭の良い人は、何かを学ぶとき、その法則性をさぐらずにいられません。
I am a boy.
You are a boy.
He is a boy.
その共通点は、何か。
相違点は、何か。
英語は、どういうシステムのものなのか。
言われなくても、そういうアプローチをします。
それが、頭のいい人の、頭の構造です。
だから、例文を1つ覚えるだけで、システム通りに、類題を自在に解いていくことができます。
ところが、法則性を見抜くことを全くしない頭の動かし方をする子どもたちがいます。
本人に任せていると、そういうふうには、頭を動かしません。
覚えられないわけではありません。
例文は暗唱できます。
でも、応用がききません。
How many の例文と、三単現の例文は、別の例文で、それらは、連動しません。
歌うように覚えているだけで、なぜそのような順番で語句が並んでいるのかには関心がありません。
使い回しのきかない例文が、頭の中の広い広い海にぷかぷか浮いているようなイメージです。お互いは、何十kmと離れていて、橋はかからない。
頭のいい人の勉強法は、大筋で間違ってはいない。
ただ、彼らが言語化しない部分に、本質があります。
本人が意識していない、頭の動かし方。
そこを理論化しない限り、その勉強法は、同じような頭の構造の人にしか効果が期待できないのです。
「英語なんて、単語を覚えれば大丈夫」
「例文を覚えれば大丈夫」
「文法なんかに、そんなに時間をかけるな」
これらの、頭のいい人たちの言葉は、英語ができない子には、夢のように甘く響きます。
でも、信じてはいけない。
頭のいい人たちが、本人は自覚もせずに行っているアプローチ。
それが文法というものではないでしょうか。
無意識に、瞬時に、文法把握をしている。
彼らの頭の中で、文法は、既に前提として存在しているのです。
では、法則性を無意識に見抜く頭の構造ではない子には、挽回の機会は巡ってこないのか。
そんなことは、ありません。
無意識で行えないことは、意識して行えば良いのです。
広い海にぷかぷか浮いている知識を集めて集めて、近づけて、互いに橋をかける作業。
それをすれば良いのです。
しかも、一度それができるようになれば、橋はかかりやすくなります。
人間の頭は、使えば、良くなる。
使い方を変えれば、良くなる。
うまく頭が働かず、そのせいか性格も頑固で、間違った勉強法をなかなか改めてくれない子とは、長い時間、格闘しなければなりませんが、可能性がないことはないのです。
タイムリミットは、いつも、あります。
早く気づけ。気づいてくれ。
高校入試が近づいている。
それでも、あきらめる必要はないのです。