2024年09月28日
クジラが魚でないのは、馬が魚でないのと同じだ。高校英語。比較。

画像は、キバナアキギリ。
さて、
「クジラが魚でないのは、馬が魚でないのと同じだ」
この例文が非常に有名であることから、クジラ構文、あるいは「クジラの公式」と呼ばれているものがあります。
「馬が魚でないのと同様に、クジラは魚ではない」
と後ろから訳すこともありますが、意味は同じです。
意味が同じなら、前から順番に意味を取っていくほうが楽ですね。
英語にも直しやすいです。
A whale is no more a fish than a horse is.
高校生になっても、中学で学習した英文法のみ理解し、
「自分は基礎はわかっている」
と思っている高校生は一定数います。
確かに、共通テストでは文法問題は出題されませんし、英文科や国際コミュニケーション学科などでは、筆記試験は読解問題や課題英作文のみで、文法問題は出題されないこともあります。
一方、特に私立大学では、英文科以外の学科で、今もなお、英語の筆記試験は、長文読解問題と文法の短問集、という形式の学部学科も多いです。
過去問を解く頃になってようやくそのことを自覚し、文法の短問に歯が立たないことに浮かない顔になる。
そんな生徒もいます。
大学入試問題の文法・語法の短問は、大学の難度にもよりますが、かなり厄介で、全問正解は到底望めないことも多いです。
そんな熟語、一度も見たことがないが?
と言いたくなるような、重箱の隅をつつく難問も、相変わらず出題されています。
しかし、そういう問題は、自分が解けないのと同様に、他人も解けないのです。
課題となるのは、他人は解けるのに自分は解けない問題。
その問題は、基本でしょう、よく知られているものでしょう、という問題で、決して失点しないことです。
クジラ構文を知らないなんて、受験生の名折れですよー。
はいはい、クジラ構文ですね、はい、正解できます、ごっつぁんです。
そういう問題としてクリアしたいです。
クジラが魚でないのは、馬が魚でないのと同じだ。
個々の問題を見てもピンとこなくても、この日本語訳を見ると、ああ、そんなの習った気がする・・・という人は多いと思います。
A whale is no more a fish than a horse is.
構造としては、
A is no more B than C is D.
AがBでないのは、CがDでないのと同じだ。
となります。
ただし、BとDが同一のものであることが多く、その際にDは省略されます。
上の文も、省略しなかったら、
A whale is no more a fish than a horse is a fish.
となりますが、英語は同じ言葉の繰り返し使用を嫌いますので、最後の a fish は省略されます。
構造の理解としては、否定語 no が一度使われていますので、これで否定文です。
主語である a whale が否定されますので、「クジラは魚ではない」という情報をまず正確に受け止めてください。
とりあえず、クジラは魚ではない。
それも普通の否定の仕方ではなく、絶対に魚ではない、と強く否定したい。
どれくらい強く否定したいかというと、「馬が魚である」こと以上に否定したい。
馬が魚であるわけがないので、それ以上に、クジラは魚ではないのだ。
常識的に絶対違うこと以上に、それは違うのだ。
そういう強い否定になります
だから直訳は、「CがDでない以上に、AはBではない」です。
この構造を理解したら、とにかく覚えましょう。
文の構造の「A is no more B than C is D.」か上のクジラの例文か、とにかくどちらかを丸暗記しましょう。
覚えなければどうにもならないことが英語にはあります。
さて、何度も口の中で唱えて、覚えたら、以下の問題を解いてみてください。
問題 以下の空所に適語を入れよ。
The ability to write poetry made ( )( ) money at that time ( ) it does now.
今日と同じように、当時も詩を書く能力はお金にはならなかった。
覚え方がbe動詞を使うものだったせいで、be動詞の文でしか使わないと思うかもしれませんが、実は一般動詞でも大丈夫です。
例文の is のところに一般動詞が入っているだけで、構造は同じです。
正解は、
The ability to write poetry made (no)(more) money at that time (than) it does now.
では、こんな問題は?
問題 以下の空所に適語を入れよ。
A whale is ( ) a fish ( )( )( ) a horse is.
暗唱した文と同じ意味のようなのに、空所の位置が何だか違う・・・。
ここで生きてくる知識は、no more = not ~any more だということ。
この知識があると、解くことができます。
知識を身を助けます。
正解は、
A whale is (not) a fish (any)(more) than a horse is.
この例文もあわせて暗唱しておくと安全ではありますが、混同しやすいので、一番上の形だけしっかり覚えて、あとは他の文でも使える知識、no more = not ~any more で補うことをお勧めします。
勿論、not と any more を文の中のどこに置くのかよくわからないと、難しいかもしれません。
英語の基本の語順、どの単語がどの位置にくるかという文法の基礎を身につけておくと、こういうときに楽ができます。
さて、クジラ構文は、もう1つあります。
「クジラが哺乳類であるのは、馬が哺乳類であるのと同じだ」
というものです。
A whale is no less a mammal than a horse is.
構造は、A is no less B than C is D.
AがBであるのは、CがDであるのと同じだ。
これも、B=Dのときは、Dは省略されます。
省略せずに書けば、以下のようになります。
A whale is no less a mammal than a horse is a mammal.
less は little の比較級。
little は準否定表現で、否定語の仲間です。
だから、less も否定語の仲間となります。
したがって、no less は否定語を2つ使っていますから、二重否定となり、結果的に強い肯定を意味します。
Aは絶対にBだ、という意味になります。
クジラは、絶対に哺乳類だ。
どれくらい哺乳類なのかというと、馬が哺乳類であるのと同じくらい確実に哺乳類だ。
そういう意味です。
no less を、not ~any less に書き換えることは理論上は不可能ではありませんが、あまり見られない形です。
さて、no more とno less と2種類あるとなると、空所補充問題は、文意を読み取ってどちらであるかを判断する必要があります。
問題を解いてみましょう。
問題 以下の空所に適語を補充せよ。
Air pollution does ( )( ) harm to birds and animals ( ) it does to human being.
高校生として、特に難しい単語はないはずなのですが、それでも、air pollution や、harm や、human being の意味がわからない、という人もいると思います。
どれも、中3か高1の教科書や単語集で一度は目にしているはずなのですが。
このあたりのレベルの単語に1つ大きな壁があり、英語が苦手な人は、このレベルの単語を覚えていない場合があります。
そして、このレベルの英単語を覚えていないとなると、高校の英語コミュニケーションの定期テストで出題される初見の英文は読解できないですし、文意がわからないと解けないタイプの文法問題も解けなくなります。
だって、単語が覚えられない・・・・。
そのように悩んでいる人は、悩んでいるわりに、単語暗記に関して、実際にはほとんど何もしていない場合が多いです。
あるいは、本人はそれなりにやっているつもりでいるが、世間的には、それはやっているうちに入らない。
「やらなければならないのはわかるが、やる気がでない」
という気持ちはわかりますが、やる気は、待っていてもおそらく一生出ないです。
単語を暗記する習慣づけを自分に行うことが効果的です。
通学電車の中では必ず単語を暗記する。
机に向かったら、毎日まず30分、単語を暗記する。
何でもいいですから、ルールを設けて、それで実行できたかどうか成果を示すツールも使って、習慣づけてください。
「やる気」とか「意欲」とかは、いつまで待っても湧いてこないことが多いですし、湧いてもすぐにまた冷めてしまい、不安定です。
やる気がなくても、意欲が低くても、習慣化するまで続ければ、強いです。
とはいえ、言うは易し、行うは難し。
今年の夏、うちの塾生の1人は、ほとんど毎日授業を取って、そして、やったことは、授業中の単語暗記でした。
宿題に出しても、覚えてこなかったからです。
意識が低いというのか、意欲が低いというのか。
英語に関して、認識が間違っているのか。
とにかく、単語暗記を宿題に出しても、覚えてこないのでした。
だから、個別指導の90分、やったことは、単語暗記。
費用的に考えれば物凄く無駄なことですし、私も心が痛むことでしたが、本人の自覚に任せても覚えてこないので、もう仕方ありませんでした。
90分間、黙って単語暗記。
15分に一度のペースで、覚えたところまでテスト。
そして、また暗記を続ける・・・。
しかし、このひと夏で、その子は変わりました。
以前は、初見の英語長文問題はほぼ歯が立たなかった子でした。
それが、大学入試問題の英語長文を読むことが可能になりました。
教室で、私に監視されて、単語暗記をするしかなかった毎日の90分。
それが、英語力を激変させたのです。
本当は、それは、自分で作れる時間です。
それだけで、人生が変わるかもしれません。
問題に戻りましょう。
問題 以下の空所に適語を補充せよ。
Air pollution does ( )( ) harm to birds and animals ( ) it does to human being.
air pollution は「大気汚染」、harm は「害する、傷つける」、human being は「人間」です。
そうすると、前半の内容は、「大気汚染は鳥や動物に害を与える」という内容です。
これは、肯定される内容か、否定される内容か?
大気汚染は、鳥や動物に害を与えるでしょう。
だから、これは肯定文。
no less と二重に否定することで、強く肯定すれば良いとわかります。
正解は、
Air pollution does (no)(less) harm to birds and animals (than) it does to human being.
問題 以下の空所に適語を補充せよ。
A home without love is ( )( ) a home ( ) a body without a soul is a person.
前半は「愛のない家庭は家庭である」という内容。
後半は、「魂のない肉体は人間である」という内容。
この文は、B=Dではないので、Dにあたる内容も省略されず書かれています。
内容から判断して、これは否定文でしょう。
だから、正解は、
A home without love is (no)(more) a home (than) a body without a soul is a person.
となります。
「愛のない家庭が家庭でないのは、魂のない肉体が人間ではないのと同じだ」
クジラ構文は、理解し、整理して覚えれば、そんなに難しくありません。
比較表現の学習は、このように1つ1つの表現を正確に理解し、整理して、あとは丸暗記してください。
さて、
「クジラが魚でないのは、馬が魚でないのと同じだ」
この例文が非常に有名であることから、クジラ構文、あるいは「クジラの公式」と呼ばれているものがあります。
「馬が魚でないのと同様に、クジラは魚ではない」
と後ろから訳すこともありますが、意味は同じです。
意味が同じなら、前から順番に意味を取っていくほうが楽ですね。
英語にも直しやすいです。
A whale is no more a fish than a horse is.
高校生になっても、中学で学習した英文法のみ理解し、
「自分は基礎はわかっている」
と思っている高校生は一定数います。
確かに、共通テストでは文法問題は出題されませんし、英文科や国際コミュニケーション学科などでは、筆記試験は読解問題や課題英作文のみで、文法問題は出題されないこともあります。
一方、特に私立大学では、英文科以外の学科で、今もなお、英語の筆記試験は、長文読解問題と文法の短問集、という形式の学部学科も多いです。
過去問を解く頃になってようやくそのことを自覚し、文法の短問に歯が立たないことに浮かない顔になる。
そんな生徒もいます。
大学入試問題の文法・語法の短問は、大学の難度にもよりますが、かなり厄介で、全問正解は到底望めないことも多いです。
そんな熟語、一度も見たことがないが?
と言いたくなるような、重箱の隅をつつく難問も、相変わらず出題されています。
しかし、そういう問題は、自分が解けないのと同様に、他人も解けないのです。
課題となるのは、他人は解けるのに自分は解けない問題。
その問題は、基本でしょう、よく知られているものでしょう、という問題で、決して失点しないことです。
クジラ構文を知らないなんて、受験生の名折れですよー。
はいはい、クジラ構文ですね、はい、正解できます、ごっつぁんです。
そういう問題としてクリアしたいです。
クジラが魚でないのは、馬が魚でないのと同じだ。
個々の問題を見てもピンとこなくても、この日本語訳を見ると、ああ、そんなの習った気がする・・・という人は多いと思います。
A whale is no more a fish than a horse is.
構造としては、
A is no more B than C is D.
AがBでないのは、CがDでないのと同じだ。
となります。
ただし、BとDが同一のものであることが多く、その際にDは省略されます。
上の文も、省略しなかったら、
A whale is no more a fish than a horse is a fish.
となりますが、英語は同じ言葉の繰り返し使用を嫌いますので、最後の a fish は省略されます。
構造の理解としては、否定語 no が一度使われていますので、これで否定文です。
主語である a whale が否定されますので、「クジラは魚ではない」という情報をまず正確に受け止めてください。
とりあえず、クジラは魚ではない。
それも普通の否定の仕方ではなく、絶対に魚ではない、と強く否定したい。
どれくらい強く否定したいかというと、「馬が魚である」こと以上に否定したい。
馬が魚であるわけがないので、それ以上に、クジラは魚ではないのだ。
常識的に絶対違うこと以上に、それは違うのだ。
そういう強い否定になります
だから直訳は、「CがDでない以上に、AはBではない」です。
この構造を理解したら、とにかく覚えましょう。
文の構造の「A is no more B than C is D.」か上のクジラの例文か、とにかくどちらかを丸暗記しましょう。
覚えなければどうにもならないことが英語にはあります。
さて、何度も口の中で唱えて、覚えたら、以下の問題を解いてみてください。
問題 以下の空所に適語を入れよ。
The ability to write poetry made ( )( ) money at that time ( ) it does now.
今日と同じように、当時も詩を書く能力はお金にはならなかった。
覚え方がbe動詞を使うものだったせいで、be動詞の文でしか使わないと思うかもしれませんが、実は一般動詞でも大丈夫です。
例文の is のところに一般動詞が入っているだけで、構造は同じです。
正解は、
The ability to write poetry made (no)(more) money at that time (than) it does now.
では、こんな問題は?
問題 以下の空所に適語を入れよ。
A whale is ( ) a fish ( )( )( ) a horse is.
暗唱した文と同じ意味のようなのに、空所の位置が何だか違う・・・。
ここで生きてくる知識は、no more = not ~any more だということ。
この知識があると、解くことができます。
知識を身を助けます。
正解は、
A whale is (not) a fish (any)(more) than a horse is.
この例文もあわせて暗唱しておくと安全ではありますが、混同しやすいので、一番上の形だけしっかり覚えて、あとは他の文でも使える知識、no more = not ~any more で補うことをお勧めします。
勿論、not と any more を文の中のどこに置くのかよくわからないと、難しいかもしれません。
英語の基本の語順、どの単語がどの位置にくるかという文法の基礎を身につけておくと、こういうときに楽ができます。
さて、クジラ構文は、もう1つあります。
「クジラが哺乳類であるのは、馬が哺乳類であるのと同じだ」
というものです。
A whale is no less a mammal than a horse is.
構造は、A is no less B than C is D.
AがBであるのは、CがDであるのと同じだ。
これも、B=Dのときは、Dは省略されます。
省略せずに書けば、以下のようになります。
A whale is no less a mammal than a horse is a mammal.
less は little の比較級。
little は準否定表現で、否定語の仲間です。
だから、less も否定語の仲間となります。
したがって、no less は否定語を2つ使っていますから、二重否定となり、結果的に強い肯定を意味します。
Aは絶対にBだ、という意味になります。
クジラは、絶対に哺乳類だ。
どれくらい哺乳類なのかというと、馬が哺乳類であるのと同じくらい確実に哺乳類だ。
そういう意味です。
no less を、not ~any less に書き換えることは理論上は不可能ではありませんが、あまり見られない形です。
さて、no more とno less と2種類あるとなると、空所補充問題は、文意を読み取ってどちらであるかを判断する必要があります。
問題を解いてみましょう。
問題 以下の空所に適語を補充せよ。
Air pollution does ( )( ) harm to birds and animals ( ) it does to human being.
高校生として、特に難しい単語はないはずなのですが、それでも、air pollution や、harm や、human being の意味がわからない、という人もいると思います。
どれも、中3か高1の教科書や単語集で一度は目にしているはずなのですが。
このあたりのレベルの単語に1つ大きな壁があり、英語が苦手な人は、このレベルの単語を覚えていない場合があります。
そして、このレベルの英単語を覚えていないとなると、高校の英語コミュニケーションの定期テストで出題される初見の英文は読解できないですし、文意がわからないと解けないタイプの文法問題も解けなくなります。
だって、単語が覚えられない・・・・。
そのように悩んでいる人は、悩んでいるわりに、単語暗記に関して、実際にはほとんど何もしていない場合が多いです。
あるいは、本人はそれなりにやっているつもりでいるが、世間的には、それはやっているうちに入らない。
「やらなければならないのはわかるが、やる気がでない」
という気持ちはわかりますが、やる気は、待っていてもおそらく一生出ないです。
単語を暗記する習慣づけを自分に行うことが効果的です。
通学電車の中では必ず単語を暗記する。
机に向かったら、毎日まず30分、単語を暗記する。
何でもいいですから、ルールを設けて、それで実行できたかどうか成果を示すツールも使って、習慣づけてください。
「やる気」とか「意欲」とかは、いつまで待っても湧いてこないことが多いですし、湧いてもすぐにまた冷めてしまい、不安定です。
やる気がなくても、意欲が低くても、習慣化するまで続ければ、強いです。
とはいえ、言うは易し、行うは難し。
今年の夏、うちの塾生の1人は、ほとんど毎日授業を取って、そして、やったことは、授業中の単語暗記でした。
宿題に出しても、覚えてこなかったからです。
意識が低いというのか、意欲が低いというのか。
英語に関して、認識が間違っているのか。
とにかく、単語暗記を宿題に出しても、覚えてこないのでした。
だから、個別指導の90分、やったことは、単語暗記。
費用的に考えれば物凄く無駄なことですし、私も心が痛むことでしたが、本人の自覚に任せても覚えてこないので、もう仕方ありませんでした。
90分間、黙って単語暗記。
15分に一度のペースで、覚えたところまでテスト。
そして、また暗記を続ける・・・。
しかし、このひと夏で、その子は変わりました。
以前は、初見の英語長文問題はほぼ歯が立たなかった子でした。
それが、大学入試問題の英語長文を読むことが可能になりました。
教室で、私に監視されて、単語暗記をするしかなかった毎日の90分。
それが、英語力を激変させたのです。
本当は、それは、自分で作れる時間です。
それだけで、人生が変わるかもしれません。
問題に戻りましょう。
問題 以下の空所に適語を補充せよ。
Air pollution does ( )( ) harm to birds and animals ( ) it does to human being.
air pollution は「大気汚染」、harm は「害する、傷つける」、human being は「人間」です。
そうすると、前半の内容は、「大気汚染は鳥や動物に害を与える」という内容です。
これは、肯定される内容か、否定される内容か?
大気汚染は、鳥や動物に害を与えるでしょう。
だから、これは肯定文。
no less と二重に否定することで、強く肯定すれば良いとわかります。
正解は、
Air pollution does (no)(less) harm to birds and animals (than) it does to human being.
問題 以下の空所に適語を補充せよ。
A home without love is ( )( ) a home ( ) a body without a soul is a person.
前半は「愛のない家庭は家庭である」という内容。
後半は、「魂のない肉体は人間である」という内容。
この文は、B=Dではないので、Dにあたる内容も省略されず書かれています。
内容から判断して、これは否定文でしょう。
だから、正解は、
A home without love is (no)(more) a home (than) a body without a soul is a person.
となります。
「愛のない家庭が家庭でないのは、魂のない肉体が人間ではないのと同じだ」
クジラ構文は、理解し、整理して覚えれば、そんなに難しくありません。
比較表現の学習は、このように1つ1つの表現を正確に理解し、整理して、あとは丸暗記してください。
2024年09月21日
中学数学 方程式の文章題の式が上手く立てられない。

「方程式の利用」すなわち、文章題の立式が苦手な子は多いですが、その立式を見ていると、簡単なことを難しくしている場合があります。
問題 ある数に4を加えて2倍した数は、もとの数の4倍よりも2小さい。ある数を求めよ。
これは、書いてある通りに立式するだけなので、易しい問題のはずです。
それでも、苦手な子は苦手です。
まず、何をどうすればいいのか、何も思いつかない子がいます。
こういう問題を見ると、心が小学生に戻ってしまうようなのです。
方程式を学習したのだから、方程式を使えばいいのだという発想がない。
すなわち、ある数を x とする発想がないのです。
なぜ、これが定着しないのかは、非常に難しい課題です。
まず、本人が、文章題を解く必要はないと思い込んでいる場合。
あるいは、文章題は難しいから自分には解けないと思い込んでいる場合。
その自己評価の低さはどこからきているものなのか、そこから考える必要があるのかもしれません。
次に、文章題を解こうとは思っている子の場合。
けれど、ある数を x として解くのだということに気づかない。
どれだけ練習しても、新しい問題になると、気づかない。
全部忘れてしまう・・・。
我々は数学者ではないですし、そもそも、こんな易しい問題は現代の数学者が考えるレベルのものでもありません。
基礎は、「習う」ものなので、自力で苦労して発想しなくてもよいのです。
大昔の数学者が、これをゼロから発想するのは確かに大変だったろうと思うのですが、現代において、そんな必要はないのです。
このあたりは数学の基礎の基礎なので、道は拓かれ、舗装された大通りになっています。
そういう発想で解くのだ、という知識を得て、その通りに解いていけばいいだけです。
それなのに、大昔の数学者のように、これをゼロから発想しようとしているのではないのか?
そして、さすがに大昔の数学者のような才能はないので、何も思いつかないのではないか?
方程式を使うことをゼロから発想するのは、ニュートン並みの才能が必要です。
それは、さすがに・・・。
固まったようになっている生徒を見ると、そのように想像してしまうことがあります。
憶えるだけの勉強は確かにつまらない。
手順の記憶だけの勉強は、いずれ袋小路に突き当たります。
しかし、何もかもゼロから発想しろとも言っていないのです。
「ある数を x として式を立てる」
という発想は、学習して、頭の中にストックすればよいこと。
この発想は、他で応用できますから。
そのようにストックしたいくつもの武器を使って、初見の問題を解くのが、高校までの数学です。
これは、問題ごとに細かく手順を丸暗記するだけの勉強とは、質が違うことです。
ともかく、ある数を x としましょう。
ところが、それはわかっていても、実際に式を立てられない子もいます。
問題 ある数に4を加えて2倍した数は、もとの数の4倍よりも2小さい。ある数を求めよ。
一般的にこういう問題では文中にある「は」という助詞が=の合図です。
だから、「は」の前までが左辺です。
すなわち、「ある数に4を加えて2倍した数」が左辺。
ですから、
(x+4)×2。
文字式のルールに沿って書くと、
2(x+4)
しかし、これにも問題はあります。
小学生の頃に( )の使い方を正しく身につけていない子は、( )のついている式を解くことはかろうじてできても、自ら( )を使った式は立てられないことがあります。
注意されない限り、ほぼ必ず、書き忘れるのです。
x+4×2
という式を普通に書いてしまいます。
こう書いてしまうと、後の計算が違ってきてしまいます。
それは、文章題が苦手だから、ではなく、四則計算の基本が身についていないからです。
反省し、補強する点が違うのですが、そこが曖昧になっている子も多いです。
そこも何とかクリアしたとして。
さて、右辺を作りましょう。
それは、助詞「は」の後ろの部分。
「もとの数の4倍よりも2小さい」。
つまり、4x-2
左辺=右辺ですから、方程式は、
2(x+4)=4x-2
問題文の通りに、このように式を立てていけば、スムーズです。
しかし、四則演算のルールは身につけているのに、簡単なはずのこうした問題でもかなり苦戦する子もいます。
そういう子の立てる式は、こんなふうなことがあります。
問題 ある数に4を加えて2倍した数は、もとの数の4倍よりも2小さい。ある数を求めよ。
ある数を x とすると、
2(x+4)-4x=2
・・・うん?
この式、形は違うけれども、合っている・・・?
いいえ。
これは間違っています。
ある数に4を加えて2倍した数のほうが小さいのですから、あえてこの形で式を立てるのならば、
4x-2(x+4)=2
です。
面倒くさいですね。
大小を、文章から正確に読み取らないと、正しい式が立てられない・・・。
だから、文章題で正答できなくなります。
・・・いいえ!
こんな発想で立式しているから難しくなるのであって、この問題は、もっと簡単なんです。
どうしてこういう式を立ててしまうのでしょうか?
考えられることの1つは、小学校の算数をいまだに引きずっていて、中学の数学に上手く移行できていないのではないかということ。
小学校の算数の文章題は、問題文を読み取って関係をつかんだうえで、答えを求める式を立てます。
そのために問題にある「加える」「引く」を頭の中で「ひき算」「たし算」に転換する作業が必要になります。
逆算の発想で、問題文で加えているんだから引く式を立てなくちゃ、かけているから割る式を立てなくちゃ、と考えなくてはなりません。
小学生は、脳の発達過程の関係で、具体的なことしかわからないため、そういう解き方しかできないのです。
その癖がついてしまい、中学生になってもそのように考えてしまう・・・。
本人が、まだ、そのようにしか考えられないのなら、仕方ない面もあるのかもしれません。
まだ、方程式を学ぶべき発達段階ではない。
まだ、実質は、小学生。
それでも、中学の数学は、そのように解くものではないのだということを、できれば教えたいのです。
こういう発想がある。
こういう解き方がある。
もうそろそろ、あなたの頭脳は、それを理解できるようになっているんじゃない?
使おうとしないだけで、あなたの頭脳は、本当はもっと動くんじゃない?
方程式は等しい数量の関係を表す式。
そのように学習します。
ここで重要なのは「関係を表す」ではなく、「等しい数量」ということです。
問題文の中の、何かの数量を2通りの方法で表すこと。
そう考えたほうがシンプルです。
だから、
4x-2(x+4)=2
という式が間違っているわけではないけれど、
2(x+4)=4x-2
という式のほうが、シンプルで立てやすいのです。
「は」とあるなら等しいのだし、「小さい」と書いてあれば、引けばいい。
とても簡単です。
「あなた書いた方程式は何の数量を表しているの?」
と質問すると、黙りこんでしまう子は多いです。
どうせ間違っているから何か文句を言われているんだろうと勝手に察して黙ってしまう子が今は多いですが、
「いや、式自体は間違っていないんだけど」
と伝えても、やはり何も答えられない子が多いです。
何の数量を表そうとしたのかではなく、何かの関係を表そうとしているからだと思います。
それは、小学生の、答を求める式を立てる発想に近いと思うのです。
方程式は、もっと単純に立式できるんです。
問題 ある数に4を加えて2倍した数は、もとの数の4倍よりも2小さい。ある数を求めよ。
ある数を x とすると、
2(x+4)-4x=2
この間違った式を立ててしまった子に、
「何の数量を表しているのかがわかれば、この方程式は手直しできるよ」
と重ねて問いかけると、
「ある数」
という答が返ってきました。
頑張ったね。
何か答えられるだけ、素晴らしいのです。
黙り込んでスルーを目論む子もいます。
個別指導で黙り込んだら、効果は半減します。
講師と対話できる子は、伸びます。
でも、この式が表しているのは、「ある数」ではないのです。
2数の差、です。
2数の関係を表そうとして、大小が逆になってしまっているのです。
関係を表すのは難しいので、式が歪んでしまったのです。
数に関する問題では、何の数量を表しているのかは自覚しにくいのは事実です。
しかし、これが「速さ」に関する問題になって、
「あなたの式は、何の数量を表しているの?距離?時間?」
と質問しても、文章題が苦手な子は、答えられません。
食塩水の問題でも、
「あなたの式は何の数量を表しているの?食塩水の量?食塩の量?」
この問いかけにも、そんな質問をされるとは思わなかった、考えたことがないという表情をする子が多いのです。
式が何の数量を表しているかは非常に重要なことなのに、それを意識しないで立式しているから、式が途中で歪むのです。
方程式は何かの「関係」よりも、何かの「数量」そのものを表していることが多い。
左辺も右辺も同じ何かの数量を表している。
そうとらえたほうが、シンプルです。
問題 ある数に4を加えて2倍した数は、もとの数の4倍よりも2小さい。
ある数をxとすると、
2(x+4)=4x-2
この方程式が表している数量は、「ある数」ではありません。
「ある数に4を加えて2倍した数」です。
それが、「もとの数の4倍よりも2小さい」のです。
右辺では同じ数量を言われた通りに別の表現で表しているだけです。
2(x+4)-4x=2
と、間違った立式をしてしまう子は学力が低いわけではありません。
問題文を読み、大小関係を把握しようと努めているのです。
問題文を読解しようとする意志は、むしろ強い。
才能が眠っています。
ただ、才能の使い途を間違えています。
もう1つ心配なのは、立式の後の計算のことまで考えて、左辺に x を集めようとしている場合。
立式と計算を分けて考えることができず、立式のときに、もうその後の計算のしやすさを考えている場合です。
それが成功するほどの並外れて高い能力の子ならば、私も放置しておくのですが、実際には、余計なことを考える分だけ脳のキャパを奪われ、立式を失敗することのほうが多いです。
立式と実際の計算とを分割して考えることができないほどに思考が混沌としている場合が大半です。
問題 ある数に4を加えて2倍した数は、もとの数の4倍よりも2小さい。
ある数をxとすると、
2(x+4)+2=4x
という立式をする子もいます。
この式も間違ってはいません。
何でこの問題文からこの立式になるんだろう、何を複雑なことを考えているんだろう、とは思うのですが、式として間違ってはいないのです。
しかし、これも、
2(x+4)-2=4x
と、間違った式を立ててしまうリスクが高い。
大小関係を文章から読み取って立てる式は難しいのです。
そんなことをしなくても、問題に書いてある通りに、書いてある順番に書いてけば、正しい式になります。
「大きい」と書いてあればプラス、「小さい」と書いてあればマイナス。
問題に書かれていることと式のプラス・マイナスが一致します。
難しいことを考え過ぎるから、むしろ間違えるのです。
方程式は、難しいことをとても簡単にすることができるから、利用価値があるのです。
2024年09月14日
中学数学「1次関数」変域と1次関数の式。

さて、2学期からは多くの中学校で関数の学習が始まります。
高校数学になると、数学は大半が関数という印象になるので、しっかり基礎を身につけておきたい単元なのですが、中学生の多くが、関数から数学嫌いをこじらせていきます。
先日、NHK「3か月でマスターする数学」という番組でも関数が取り上げられ、例によってブラックボックスが登場していました。
ブラックボックス。
文字通りの黒い箱です。
その箱そのものが、関数の機能を表しています。
入口から何かを入れると、それが半分になって、出口から出てくる。
つまり、その箱の機能は、y=1/2 x
私自身が中学校で受けた授業そのものです。
それが、まるで新しい授業の工夫であるかのように語られるところが、数学教育がこの数十年、そこから先に一歩も進んでいない証拠であるような気がして、がっかりしました。
昭和の数学の先生たちも、そういう授業をしていたのです。
私も、若い頃は、一所懸命、このブラックボックスを使って教えていました。
それでも、生徒は、関数がわかる子とわからない子に、はっきりと分かれました。
原因は、授業のわかりにくさではないのではないか?
徐々に、そう考えるようになりました。
生徒の数学に対する姿勢がそもそも違うのではないか?
すなわち、関数を理解できる子は、小学生の頃から、算数・数学を理解しようとしてきた子。
関数が理解できない子は、問題の解き方や手順だけ覚えようとしてきた子。
問題の解き方や手順だけ覚えようとする子を跳ね返し、
「あなたは、数学ができるようにはならない。考え方を改めない限り」
と宣告するのが、関数という単元なのではないか?
問題の解き方しか覚えない子にも、2通りあります。
小学校の低学年の頃に、算数の問題があまりにも易しかったので、
「こんなのいちいち考える必要はない。手順だけ覚えればいい」
と判断してしまった子。
同じく低学年の頃に、問題の意味がわからなかったので、手順を覚えることに活路を見出してしまった子。
これは、小学校の高学年以上になると、ほぼ合流します。
解き方や手順だけ覚える数年を過ごした子は、なぜそう解くのか、なぜそれで解くことができるのか、意味を理解することができなくなってしまうことが多いからです。
解き方や手順だけ覚えようとする子をいさめても、もう、本人には、それ以外やりようがなくなっています。
数理の重要な法則を理解していないからでもありますし、そのほうが本人にとっては楽なので、頑なに自分のやり方を変えない場合も多いです。
そのまま、数学が全く理解できなくなって終わっていく子もいますが、中学数学あるいは高校数学で奇跡の復活を果たす子もいます。
意味を理解することができるようになるのです。
意味を理解できるほど十分に脳が発達してきたところに、何かのきっかけがあり、「理解する」ということに覚醒するのだろうと思います。
そのきっかけが「ブラックボックス」であるのなら、確かにその授業も意味があるのです。
ともあれ、問題を解いてみましょう。
問題
1次関数 y=ax+b において、x の変域を 1≦ x ≦4 とすると、y の変域は 1≦ y ≦7 である。 a <0であるとすると、x=3のときの y の値を求めよ。
前にも書きましたが、中学数学では、「定義域」「値域」という言葉は使いません。
x も y も「変域」と呼びます。
この問題、簡単そうに見えて、正答率は低い問題です。
中学生で、これを正答できる子は、数学が得意な子たちです。
何問か類題を演習して、解き方を「覚えた」子は、そのときは正解できますが、定期テストが終わってひと月ほどすれば、解けなくなってしまいます。
理解したのではなく、解き方の手順だけを覚えたので、記憶が長持ちせず、忘れてしまうのです。
さて、どう解きましょうか。
x=3のときの y の値を出すためには、まず1次関数の式を求めなければなりません。
目標は、この1次関数の式を求めること。
すなわち、一般式 y=ax+b の、a と b を求めることです。
それがピンとこなくて、いきなり答えを出す方法をうんうん考え込んでしまう子がいます。
そういう子は、数学は、そんなにいきなり答えが出るものではないという前提を、まず理解する必要があります。
小学校の算数の尻尾をいまだにひきずる中学生は、いきなり答えを求める式を立てるものと思い込んで、途方に暮れてしまうのです。
数学は何段階も手順を踏んで解くもの。
まずは、関数の式を求めます。
「でも、どんな式なのかわからない」
と言う子が、かつていました。
問題に書いてなくても1次関数の式は、y=ax+b だし、そもそも今回は書いてあるし、と説明しても、釈然としない顔をしていました。
「本当に?本当に、いつも、y=ax+b を使っていいの?」
「1次関数なら」
「どんなときが1次関数なの?」
「問題に1次関数と書いてあるときが1次関数です」
「・・・・・・」
「・・・今、あなたは、文章題か何かの心配をしていますか」
その子は、驚き、そして、うなずきました。
「そう。文章題、苦手」
今、この問題とは関係のないことでモヤモヤして、それで不安になっているのでした。
数学に苦手意識のある子で、そういう子は多いです。
数学が苦手な子は、苦手意識だけは強いものの、過去に何をどう間違えたか、自分は何がわかっていないか、といったことを正確に把握していません。
常にモヤモヤと苦手意識にとりつかれています。
そのため、今考えても混乱するだけのことを一緒に考えてしまう傾向があります。
文章題のことは、文章題のときに考えたらいい。
文章題は、アプローチがまた違ってきます。
文章題のときは、自分で関係を表す式を作りますから、1次関数かどうかは式が出来てから判断します。
それは、今回の問題を解くときに考えることでないのです。
そうした意識の上での分割が上手くできない子が、数学が苦手になる傾向が強いような気がします。
不安が強いから先回りしてものを考えてしまうのだとは思うのですが、結局、今解いている問題の理解が曖昧な結果に終わってしまうことにもなりますので、不安の先回りは止められるといいですね。
「目の前の問題のことだけ考えましょう。今は問題に1次関数と書いてあるから、1次関数です。1次関数ならば、使う式は、y=ax+bです。y=ax+b の形で表される関数を1次関数と呼びます。これは定義なので、理由は必要ないのです。大丈夫?」
「多分・・・・・」
さて、問題に戻りますと、a <0 とありますから、この1次関数は、グラフにすると右下がりの直線となります。
これのせいで、この問題の正答率は低いのです。
y=ax+b の a は、「傾き」とも呼ばれ、名前の通り、グラフの傾き具合を表すものです。
a が正の数ならば、グラフは右上がり、a が負の数ならば、グラフは右下がりになります。
今回は、右下がりのグラフ。
x が大きくなれば、 y は小さくなるという関係です。
x が最小のとき y は最大。 x が最大のとき、 y は最小。
ですから、今回の変域の中では、 x=1 のとき、 y=7 であり、 x=4 のとき、 y=1 という関係が読み取れます。
ここの理解が最大のヤマ場です。
「a<0のとき、グラフが右下がりになる」という意味がどうしてもわからない子もいます。
グラフが右下がりになると、xの最小値のときyが最大値になり、xの最大値のときyが最小値になる、ということがわからない子もいます。
右下がりのグラフを実際に描いてみせても、わからないものは、わからない。
そうした概説は、こういう問題を解くずっと前に学習しているのですが、問題を解くのに直接関係のないそういうことは、すべて聞き流すのが、解き方だけ覚えようとする子たちです。
実際にグラフを描いて、a との関係を調べて確認する学習を、学校の先生たちは工夫しているはずなのに、そういうものは無視。
大切なことだと思えないようなのです。
問題を解くことに直接関係のないことには関心がなく、それが自分の首を絞めていることに無自覚です。
だから、解き方の意味がわからないのですが、わからないから、手順だけ覚えることになります。
悪循環です。
「a<0なら、xが大きいときyは小さくて、xが小さいときyが大きい」
「a>0なら、xが大きいときにyは大きくて、xが小さいときにyも小さい」
教わったことを、理解し、復唱したくてそう言っているのか?
わからないから、手順だけ覚えようとしているのか?
生徒のつぶやきに、私は首をかしげます。
このあたりが、微妙な場合が多いのです。
それ、丸暗記するのは、むしろ面倒くさくない?
理解したほうが楽じゃない?
でも、彼らにとっては、そうではないらしいのです。
ともあれ、具体的な x と y の値の組が2組見つかれば、それを代入することで、 a と b が何であるか求めることができます。
一般式 y=ax+b に代入して、
7=a+b
1=4a+b
これは、 a と b の連立方程式として、解くことができます。
今回、解き方は省略して、 a=-2 , b=9
もうかなり解答に近づいてきました。
しかし、ここまで夢中で求めて、「あれ?ここから何だっけ?」となる中学生もいます。
何のために、何をしていたのか、ふっとわからなくなってしまうようです。
作業手順だけ暗記して数学を乗り切ろうとする子に多いです。
作業手順の暗記じゃなくて、意味を理解しよう、と繰り返し励ましたいところです。
1次関数の式を求めようとしていたんですよね。
a=-2、 b=9 なのだから、 y=ax+b の一般式にこれを代入して、この1次関数の式は、
y=-2x+9
となります。
それでも、まだ最終解答ではないです。
求めたいのは、 x=3 のときの y の値ですから、この式に、 x=3 を代入して、
y=-2×3+9
y=3
これが、この問題の解答です。
この手順、覚えきれないでしょう?
だから、定期テストが終われば、すぐ忘れてしまうのです。
でも、理解していれば、忘れないのです。
さらに難問になると、
問題
1次関数 y=ax+b において、x の変域を 1≦ x ≦4 とすると、y の変域は 1≦ y ≦7 である。 x=3のときの y の値を求めよ。
という問題もあります。
これは、まず、a=0を否定したうえで、a>0、a<0の場合に分けて、それぞれの答を求めていかなければなりません。
発展的な問題集には載っている問題ですが、中学生でこれを自力で完答できる子は、相当に数学的な才能がある子です。
そもそも、答案の書き方がわからないでしょう。
そういう答案の「ひな型」を学んでいない時期ですし。
しかし、高校数学になると、当然のようにそれを要求されることになります。
中学の難問が、高校では、基本問題になるのです。
解いてみましょう。
1)a=0 のとき
y=bとなり、yの値は常に一定なので、1≦y≦7という値域と一致せず、不適。
2)a>0 のとき
y=ax+bのグラフは右上がりとなり、xが最小のときyは最小、xが最大のときyは最大となるから、
x=1のとき、y=1
x=4のとき、y=7
高校数学として解いているので、1次関数の式の求め方も、中学の求め方ではない、高校数Ⅱで学習する「図形と方程式」で学習した直線の式の求め方でいきましょうか。
すなわち、点(x1,y1)を通り、傾きmの直線の式は、
y-y1=m(x-x1)
という式です。
これでさらに、今は、(1 , 1) , (4 , 7) という2点がわかっているので、この2点から傾きはサクッと求めることができます。
変化の割合=yの増加量 / xの増加量
という、中学で学んだ公式をそのまま活用すればよいのです。
というわけで、代入するのに使う点を(1 , 1)とするなら、
この1次関数の式は、
y-1=6/3(x-1)
y=2x-2+1
y=2x-1
したがって、x=3のとき、y=5
3)a<0 のとき
y=ax+bのグラフは右下がりとなり、xが最小のときyは最大、xが最大のときyは最小となるから、
x=1のとき、y=7
x=4のとき、y=1
よって、この1次関数の式は、
y-7=-6/3(x-1)
y=-2x+2+7
y=-2x+9
したがって、x=3のとき、y=3
1)~3)より
a>0のとき、y=5
a<0のとき、y=3
これが、最終解答となります。
2024年09月06日
図形の回転移動。正三角形の回転。

問題 1辺の長さが8㎝の正三角形を上の図の線分に沿ってすべらないように、アの位置まで回転させる。頂点Aが回転した跡の曲線の長さを求めよ。
「うちの子は、この問題を全く理解していません!」
という悲鳴にも似たご連絡をいただいて、授業をしたことがあります。
類題を含め何を解いても誤答なのは事実だったのですが、全く理解していないのかというと、そうではありませんでした。
こういう問題を解く場合、頂点Aの軌跡を実際に描いていきます。
そのために、まずは、回転後の正三角形をあるだけ描きこんでいく必要が生じます。
小学生の場合、そうした図は、げんなりするほど雑です。
下手なのは仕方ないのですが、雑なのは回避したいのです。
正三角形の大きさが極端に不揃い。
曲がり角のところに頂点が来ない。
隣りあう三角形の頂点が一致しない。
そして、自分の描いた雑な図が、自分の足を引っ張っていることに無自覚です。
授業中退屈で描いているいたずら書きは緻密なのに、なぜ、算数の図はこんなに雑なのか?
以前も書きましたが、私が子どもだった頃は、逆に、算数・数学の図は緻密でしたが、図画工作や美術の授業で描く絵は、雑でした。
例えば人物画を描くと、顔はまあまあ丁寧に描くのですが、着ている服は、単色をぬりたくって、終わりでした。
服のしわとか、光の加減とか、全く考えていませんでした。
そういうことを考えなければならないという発想がなかったのです。
だから、算数・数学の図を雑に描いている子たちは、私とは感覚が逆で、算数・数学の図は丁寧に描かなければならないという発想がないのだと思うのです。
人物画は服や背景まで丁寧に描く、という発想がなかった私には、絵の才能がありませんでした。
それと同様に考えれば、算数・数学の図を丁寧に描くという発想がない子たちは、算数・数学の才能がないのでしょうか。
それは、ある意味そうだと思いますが、それで切り捨てていいものでもありません。
子どもだった私に「服まで丁寧に描きなさい」と助言してくれる人が誰もいなかったから、私は、高校生になってもそのままだったけれど、もしその助言があったら、違っていたかもしれないのです。
本当にエアポケットのように、私の絵について誰も何も言いませんでした。
言うほどの価値のある絵ではなかったからでしょう。
誰も私にそういうことは期待していなかった。
でも、助言があれば、多少はましな絵が描けるようになっていたかもしれません。
同じように、もし助言して直るものであるなら、算数・数学の図を丁寧に描くことで、そこそこ算数・数学が得意になる可能性はあるのです。
算数・数学が他の教科の足を引っ張らないように、そこそこできるようになりたい、というのが切実な願いである生徒と保護者の方は多いと思います。
絵の才能がないので、下の私の手書きの図も、下手です。
でも、算数・数学の問題を解く上で必要な緻密さは、クリアしています。
端々は、押さえてあるのです。
問題を解く上で不都合になるようなことはない。
目標はそれであり、それは、誰にでも可能なことだと思います。

さて、必要な図を描きこんでみました。
正三角形はこの図のように回転していき、頂点Aの軌跡は、上の水色の曲線になります。
自力ではこの図を描けない、という子は多いです。
例えば、点の軌跡が、直線になってしまう子。
回転移動ということがイメージできないのです。
曲線を描くということはかろうじて理解できるが、その弧が隣りに描いた三角形の頂点を通っていくということがイメージできない子も多いです。
ひらがなの「つ」みたいな、潰れた奇妙な曲線を描きます。
「へ」に少し丸みがついたような曲線の子も多いです。
これは、昔の子どもも今の子どももそうです。
現代の子は動画世代と言われても、動画的なイメージ力が高いわけではありません。
受動的であるだけ、むしろイメージする力は貧困である可能性すらあります。
それでも、イメージする力がなければ、知識で補正すれはいいのです。
知識で補えばいいのですが、正しい図が正しく見えないという課題を抱えている子もいます。
頂点Aがそのように美しいおうぎ形の弧を描くことがイメージできない。
「へ」みたいな動きしかイメージできない。
そして、その間違ったイメージに、固執してしまう・・・。
本当に理解できない場合は、正三角形をボール紙などで作り、それをホワイトボードの上で実際に回転させてみるなどの授業の工夫が必要になります。
「うちの子は、この問題を全く理解していません!」
というご連絡をいただいた当のお子さんは、そこまでしなくても、理解できました。
図の描き方がおそろしく雑で、点の軌跡が「へ」みたい、という課題はありましたが、正しい弧を描いてみせると、納得していました。
おうぎ形の弧を描いて回転することを、解説しても理解できない子は大勢います。
解説を聞いて理解できるのなら、大したものです。
図形は、もっと壊滅的に理解できない子たちがいるのです。
理解できないのだから、もう仕方ないのだろうか、と思うほどに理解できないのです。
図形が回転するということが、そもそも理解できない。
三角形が動くはずがないので、理解できない。
角ばった図形が曲線を描いて回転することが、理解できない。
空間図形になると、理解不足はもっと深刻になります。
平面的なテキストから空間をイメージすることが難しいからでしょうか。
高校生で、正四面体の見取り図を描くことができず、真上から見たような平面的な図しか描けなかった子。
「円」と「球」の違いが、どうしても理解できなかった子。
面積と体積は同じものだと思い、1㎡=10000㎠だったり1㎥=1000000㎤だったりするのは、先生が勘違いしているからだと思い込んでいた子。
底知れない深淵が、そこには存在します。
その子は、説明されれば理解できる子でした。
では、その子の課題は何だったのか?
図を描くのと同様に、解き方も雑だったのです。
上の図の水色のおうぎ形はどれも、半径8㎝のおうぎ形です。
中心角の合計は、図から、
120°+210°+120°=350°
です。
では、どのような式を立てればいいか?
その子の立てた式は、
350×16
というものでした。
・・・何それ?
確かに、これは「何も理解していない」と見ることもできます。
ただ、これには理由があるのでした。
正しい式は、
16×3.14×350/360
です。
その式を説明すると、それも理解できたのです。
この式が理解できるというのは、かなり高度なことです。
中学生でも、この式を理解できない子は普通にいます。
割合の考え方や分配法則を理解していなければ、この式は理解できないのです。
ただ、その子は、類題を解くと、
270/360×16×3.14
という式を立てました。
使っている数値に間違いはありませんでした。
これは、計算しやすさを優先した式です。
約分するものを先に書いて、最後に計算する×3.14は後に書いていたのです。
かけ算は、どこから計算しても同じですから。
かけ算の交換法則を理解している子に、こういう式を書く子がいます。
例えば、円の面積を求める式でも、
3.14×36
といった式を立てます。
正しい式は、
6×6×3.14
です。
結果が同じなんだから、別にいいじゃないか。
それは、算数・数学の解き方が緻密な子にだけ通用することです。
円の面積を求める際に、
3.14×36
という式を立てる子の中には、「円」の単元が終わると、もう公式を忘れてしまう子がざらにいます。
そうなると、この式の意味は後退し、自分でノートを見返しても、何をしたのかわからなくなります。
他の単元で円の面積を求めることが必要になったときに、公式が出てこないのです。
練習の際にしっかりと公式通りに式を書いていないことが、それに影響していないはずがありません。
立式と計算は別のものです。
立式は、
6×6×3.14
実際の筆算は、
3.14×36
このメリハリがなく、ぐちゃっと潰れて一緒になってしまっている子は、時間が経つと、正しい立式をできなくなる可能性があるのです。
「割合」の単元などでも、それが顕著です。
例えば、「比べる量÷割合」という公式通りに正しい立式をするならば、
200÷4/3
という式を立てるべきところを、計算の工夫を優先させ過ぎたあげくに間違えて、
1/200×4/3
という式を立ててしまう子は少なくありません。
「かけ算は順番は関係ない」という知識と、「分数のわり算は、逆数のかけ算」という知識が歪んだ形で合体すると、こういう間違った式になります。
200÷4/3
=200×3/4
としていけば間違えないところで、くだらない誤答を繰り返すのです。
それは、算数が苦手だからでも、理解していないからでもなく、雑なだけです。
君は、算数が理解できないのではなく、雑なんだよ。
理解はしているんだよ。
交換法則や分配法則が理解できているだけで、立派なものだよ。
それがわからない子も大勢いるんだよ。
私は、分配法則が理解できない子たちと長年格闘してきたんだよ。
雑に間違わないでくれよ、頼むから。
そう思うことは多いです。
350×16
という間違った式は、
16×3.14×350/360
という正しい式の、なれの果ての式、なのだと思います。
順番はどうでもいいという知識が雑に入り込み、結局、記憶の中に、正しい式の片りんしか残らなかったのです。
常に正しい順番で公式通りに式を書いていくことには、意味があります。
どういう公式を使用して、どのように解いているか、答案を読む人に伝える、という意味でも、それは重要なことです。
計算の結果が同じだからいいだろう、ではないのです。
ただ、こうも思うのです。
これだけ計算の工夫を考えて式を立てられるのだから、理解していないということはない。
ただ、すべてが雑なので、正答に至ることはない。
実に勿体ないのです。
内側に、原石の光が見える。
ただ、本人すら、その光に気づいていない。
そんなことも、あります。
「うちの子は、この問題を全く理解していません!」
という悲鳴にも似たご連絡をいただいて、授業をしたことがあります。
類題を含め何を解いても誤答なのは事実だったのですが、全く理解していないのかというと、そうではありませんでした。
こういう問題を解く場合、頂点Aの軌跡を実際に描いていきます。
そのために、まずは、回転後の正三角形をあるだけ描きこんでいく必要が生じます。
小学生の場合、そうした図は、げんなりするほど雑です。
下手なのは仕方ないのですが、雑なのは回避したいのです。
正三角形の大きさが極端に不揃い。
曲がり角のところに頂点が来ない。
隣りあう三角形の頂点が一致しない。
そして、自分の描いた雑な図が、自分の足を引っ張っていることに無自覚です。
授業中退屈で描いているいたずら書きは緻密なのに、なぜ、算数の図はこんなに雑なのか?
以前も書きましたが、私が子どもだった頃は、逆に、算数・数学の図は緻密でしたが、図画工作や美術の授業で描く絵は、雑でした。
例えば人物画を描くと、顔はまあまあ丁寧に描くのですが、着ている服は、単色をぬりたくって、終わりでした。
服のしわとか、光の加減とか、全く考えていませんでした。
そういうことを考えなければならないという発想がなかったのです。
だから、算数・数学の図を雑に描いている子たちは、私とは感覚が逆で、算数・数学の図は丁寧に描かなければならないという発想がないのだと思うのです。
人物画は服や背景まで丁寧に描く、という発想がなかった私には、絵の才能がありませんでした。
それと同様に考えれば、算数・数学の図を丁寧に描くという発想がない子たちは、算数・数学の才能がないのでしょうか。
それは、ある意味そうだと思いますが、それで切り捨てていいものでもありません。
子どもだった私に「服まで丁寧に描きなさい」と助言してくれる人が誰もいなかったから、私は、高校生になってもそのままだったけれど、もしその助言があったら、違っていたかもしれないのです。
本当にエアポケットのように、私の絵について誰も何も言いませんでした。
言うほどの価値のある絵ではなかったからでしょう。
誰も私にそういうことは期待していなかった。
でも、助言があれば、多少はましな絵が描けるようになっていたかもしれません。
同じように、もし助言して直るものであるなら、算数・数学の図を丁寧に描くことで、そこそこ算数・数学が得意になる可能性はあるのです。
算数・数学が他の教科の足を引っ張らないように、そこそこできるようになりたい、というのが切実な願いである生徒と保護者の方は多いと思います。
絵の才能がないので、下の私の手書きの図も、下手です。
でも、算数・数学の問題を解く上で必要な緻密さは、クリアしています。
端々は、押さえてあるのです。
問題を解く上で不都合になるようなことはない。
目標はそれであり、それは、誰にでも可能なことだと思います。

さて、必要な図を描きこんでみました。
正三角形はこの図のように回転していき、頂点Aの軌跡は、上の水色の曲線になります。
自力ではこの図を描けない、という子は多いです。
例えば、点の軌跡が、直線になってしまう子。
回転移動ということがイメージできないのです。
曲線を描くということはかろうじて理解できるが、その弧が隣りに描いた三角形の頂点を通っていくということがイメージできない子も多いです。
ひらがなの「つ」みたいな、潰れた奇妙な曲線を描きます。
「へ」に少し丸みがついたような曲線の子も多いです。
これは、昔の子どもも今の子どももそうです。
現代の子は動画世代と言われても、動画的なイメージ力が高いわけではありません。
受動的であるだけ、むしろイメージする力は貧困である可能性すらあります。
それでも、イメージする力がなければ、知識で補正すれはいいのです。
知識で補えばいいのですが、正しい図が正しく見えないという課題を抱えている子もいます。
頂点Aがそのように美しいおうぎ形の弧を描くことがイメージできない。
「へ」みたいな動きしかイメージできない。
そして、その間違ったイメージに、固執してしまう・・・。
本当に理解できない場合は、正三角形をボール紙などで作り、それをホワイトボードの上で実際に回転させてみるなどの授業の工夫が必要になります。
「うちの子は、この問題を全く理解していません!」
というご連絡をいただいた当のお子さんは、そこまでしなくても、理解できました。
図の描き方がおそろしく雑で、点の軌跡が「へ」みたい、という課題はありましたが、正しい弧を描いてみせると、納得していました。
おうぎ形の弧を描いて回転することを、解説しても理解できない子は大勢います。
解説を聞いて理解できるのなら、大したものです。
図形は、もっと壊滅的に理解できない子たちがいるのです。
理解できないのだから、もう仕方ないのだろうか、と思うほどに理解できないのです。
図形が回転するということが、そもそも理解できない。
三角形が動くはずがないので、理解できない。
角ばった図形が曲線を描いて回転することが、理解できない。
空間図形になると、理解不足はもっと深刻になります。
平面的なテキストから空間をイメージすることが難しいからでしょうか。
高校生で、正四面体の見取り図を描くことができず、真上から見たような平面的な図しか描けなかった子。
「円」と「球」の違いが、どうしても理解できなかった子。
面積と体積は同じものだと思い、1㎡=10000㎠だったり1㎥=1000000㎤だったりするのは、先生が勘違いしているからだと思い込んでいた子。
底知れない深淵が、そこには存在します。
その子は、説明されれば理解できる子でした。
では、その子の課題は何だったのか?
図を描くのと同様に、解き方も雑だったのです。
上の図の水色のおうぎ形はどれも、半径8㎝のおうぎ形です。
中心角の合計は、図から、
120°+210°+120°=350°
です。
では、どのような式を立てればいいか?
その子の立てた式は、
350×16
というものでした。
・・・何それ?
確かに、これは「何も理解していない」と見ることもできます。
ただ、これには理由があるのでした。
正しい式は、
16×3.14×350/360
です。
その式を説明すると、それも理解できたのです。
この式が理解できるというのは、かなり高度なことです。
中学生でも、この式を理解できない子は普通にいます。
割合の考え方や分配法則を理解していなければ、この式は理解できないのです。
ただ、その子は、類題を解くと、
270/360×16×3.14
という式を立てました。
使っている数値に間違いはありませんでした。
これは、計算しやすさを優先した式です。
約分するものを先に書いて、最後に計算する×3.14は後に書いていたのです。
かけ算は、どこから計算しても同じですから。
かけ算の交換法則を理解している子に、こういう式を書く子がいます。
例えば、円の面積を求める式でも、
3.14×36
といった式を立てます。
正しい式は、
6×6×3.14
です。
結果が同じなんだから、別にいいじゃないか。
それは、算数・数学の解き方が緻密な子にだけ通用することです。
円の面積を求める際に、
3.14×36
という式を立てる子の中には、「円」の単元が終わると、もう公式を忘れてしまう子がざらにいます。
そうなると、この式の意味は後退し、自分でノートを見返しても、何をしたのかわからなくなります。
他の単元で円の面積を求めることが必要になったときに、公式が出てこないのです。
練習の際にしっかりと公式通りに式を書いていないことが、それに影響していないはずがありません。
立式と計算は別のものです。
立式は、
6×6×3.14
実際の筆算は、
3.14×36
このメリハリがなく、ぐちゃっと潰れて一緒になってしまっている子は、時間が経つと、正しい立式をできなくなる可能性があるのです。
「割合」の単元などでも、それが顕著です。
例えば、「比べる量÷割合」という公式通りに正しい立式をするならば、
200÷4/3
という式を立てるべきところを、計算の工夫を優先させ過ぎたあげくに間違えて、
1/200×4/3
という式を立ててしまう子は少なくありません。
「かけ算は順番は関係ない」という知識と、「分数のわり算は、逆数のかけ算」という知識が歪んだ形で合体すると、こういう間違った式になります。
200÷4/3
=200×3/4
としていけば間違えないところで、くだらない誤答を繰り返すのです。
それは、算数が苦手だからでも、理解していないからでもなく、雑なだけです。
君は、算数が理解できないのではなく、雑なんだよ。
理解はしているんだよ。
交換法則や分配法則が理解できているだけで、立派なものだよ。
それがわからない子も大勢いるんだよ。
私は、分配法則が理解できない子たちと長年格闘してきたんだよ。
雑に間違わないでくれよ、頼むから。
そう思うことは多いです。
350×16
という間違った式は、
16×3.14×350/360
という正しい式の、なれの果ての式、なのだと思います。
順番はどうでもいいという知識が雑に入り込み、結局、記憶の中に、正しい式の片りんしか残らなかったのです。
常に正しい順番で公式通りに式を書いていくことには、意味があります。
どういう公式を使用して、どのように解いているか、答案を読む人に伝える、という意味でも、それは重要なことです。
計算の結果が同じだからいいだろう、ではないのです。
ただ、こうも思うのです。
これだけ計算の工夫を考えて式を立てられるのだから、理解していないということはない。
ただ、すべてが雑なので、正答に至ることはない。
実に勿体ないのです。
内側に、原石の光が見える。
ただ、本人すら、その光に気づいていない。
そんなことも、あります。
2024年09月02日
久しぶりに、算数チャチャチャ

「算数チャチャチャ」という歌が、昔、「みんなのうた」にあったんです、ということを2011年にブログに書いたら、読んでくださった方が、YouTubeで見ることができますよ、と教えてくださったことがあります。
以後、ときどき、見ています。
疲れた頭がズキズキドキドキします。
算数チャチャチャ
歌は3番まであり、1番ずつ1問、問題を解いていく形式です。
第1問
(2+√2) / (√2+1)を簡単にせよ。
これを歌いながら解いているのです。
しかも、かなりシャープな解き方で。
最初に見たのは私が小学生のときでしたが、衝撃を受けました。
まったくわからない内容でしたから。
算数じゃなかったのです。
さて、これをどう解きましょうか?
地道な方法としては、普通に分母を有理化します。
有理化とは、無理数である√2 を有理数にすることです。
有理数とは、分数で表すことのできる数のこと。
・・・と、延々と説明しなければならないくらいに、これは算数ではない。
中三の数学です。
さて、分母分子に、√2-1をかければ、分母の√ は消えます。
やってみましょう。
(2+√2) / (√2+1)
=(2+√2)(√2-1) / (√2+1)(√2-1)
=(2√2-2+2-√2) / (2-1)
=√2 / 1
=√2
地道に解くと、このようになるのですが、この「算数チャチャチャ」という歌では、非常にスマートに解いています。
まず、分子を√2 でくくっているのです。
(2+√2) / (√2+1)
=√2(√2+1) / (√2+1)
そうすると、分母と分子に√2+1が現れますから、それで約分します。
=√2
あっという間に、答が出ます。
この考え方は、高校数Ⅰ「三角比」余弦定理の計算で、利用価値があります。
θ の角度を問う問題では、「三角比の表を用いて」という指示がない限り、特別な比の三角形の角度であることは明白です。
ということは、cos θの値は、1/√2 , 1/2 , √3 / 2、または絶対値は同じでその負の数になると予想されます。
その予想に従って、うまく分母・分子を約分しようとするなら、√2でくくるなどの発想が役に立ちます。
2=√2×√2
という理屈が理解できれば、分子を√2でくくることができます。
中3で学習する「平方根」の理解が表面的で、
√2×√2=√4=2
という計算ならできるけれど、
2=√2×√2
が、わからない。
2を√2で割ると商は√2になる、ということが、わからない。
そこからの脱却が、スマートな解き方につながります。
第2問 sin θ=cos θ×√3 を解け。
(ただし、θは鋭角とする)
うわ、三角方程式だ。
数Ⅱ「三角関数」ですか?
三角比の合成をするのかな?
いいえ。
これは数Ⅰ「三角比」のレベルで解ける問題です。
両辺をcos θで割ります。
sin θ / cos θ=√3
ここで、左辺は、三角比の相互関係の公式より、tan θ と等しいですから、
tan θ=√3
よって、θ=60°です。
第3問 y=cos(θ+π/2) のグラフを描け。
まさに数Ⅱ「三角関数」です。
これを、軽快なチャチャのリズムであっという間に描いています。
まずは、y=cos θのグラフを点線で描きましょう。
横軸は θ 軸、縦軸は、y 軸。
θ=0のとき、y=1。
θ=π/2のとき、y=0。
θ=πのとき、y=-1
θ=3/2πのとき、y=0
θ=2πのとき、y=1
これらをなめらかな曲線で結びます。
これを繰り返す、周期関数です。
y=cos(θ+π/2) のグラフは、それを、θ軸方向に-π/2だけ平行移動したものになります。
「なります」と断言して、「あ、そうか」とわかってくれる生徒もいますが、意外に難しいところです。
数Ⅰ「2次関数」で学習した、グラフの平行移動の考え方をもう忘れている場合が多いのです。
そこを復習する必要が生じます。
復習して、それで理解してくれればいいのですが、そこだけピンポイントで復習しても、モヤモヤの消えない人もいます。
「何で-π/2移動するんですか、+π/2じゃないんですか」
その疑問は、一度頭に残ってしまうとかなり厄介な疑問です。
これの証明は、数式上の操作に終始し、実感として、ああそうなのか、よくわかった、とはならない場合が多いのです。
簡単な1次関数を例にとり、実際にそのように平行移動することを納得するまで自分で試してみるほうが良いかもしれません。
例えば、y=3(x+2)は、y=3x のグラフを、x軸方向に−2だけ、平行移動したグラフになります。
+2の方向ではないのです。
実際に描いてみると、わかります。
ともあれ、-π/2だけ、平行移動しましょう。
θ=-π/2のとき、y=1。
θ=0のとき、y=0。
θ=π/2のとき、y=-1
θ=πのとき、y=0
θ=3/2πのとき、y=1
そのような、周期2πの周期関数となります。
そんな内容を、この歌は、
「コサインθのグラフは、1、0、-1。θ+π/2は、π/2ズレる。0、-1、0、+1で、θと平行さ」
と歌っています。
イラストがついているとはいえ、速い、速い、速い。
わからない。
それは、わからないぞー。
でも、そのスピード感が面白くて、そこらへんで、毎回笑ってしまいます。
画像も、最初のこの歌についてブログに書いたときのもの。
富士山頂で撮影したものです。
気圧の低さがよくわかる、袋のふくらみ具合です。