2024年11月28日
高校英語長文。わからなくても諦めず、わかるところから読み直す。

単語力がぎりぎりでも、何とか入試レベルの長文を読んでいかねばなりません。
勿論、単語力があればあるだけ楽になります。
そして、文法的分析は、できること。
うちの塾の生徒の場合、英文を前から順番に文法的に把握していく練習をしているので、わからない単語はあっても、それなりに読んでいくことができるのは強みです。
以下の文を読んでみましょう。
In Chicago, a 31-year-old man wonders why colleagues and friends have suddenly started saying "BIPOC" pronounced "bye-pock," an acronym that covers individuals who are Black, Indigenous or other People Of Color.
Americans have always wrestled with language to describe race, with phrases and vocabulary changing to meet the values of current times. But especially since protests for social justice in the summer of 2020, there has been heightened attention to this language as liberals try to advance changes in the culture through words. "You can't change what you can't name," said the vice president of the racial justice NPO named Race Forward.
However, for some people, the new language has become a kind of incomprehensible code that only a small number of educated people can understand. Others feel disappointment, after so many protests have demanded far deeper change on human rights issues like criminal justice and voting rights. They feel language change is not enough.
問 下線部 some people とは、具体的にどのような人物か。本文中から探し、日本語で10字以内で説明せよ。
単語力のない子にとっては、かなり難しい英文です。
まず、第1文から。
In Chicago, a 31-year-old man wonders why colleagues and friends have suddenly started saying "BIPOC" pronounced "bye-pock," an acronym that covers individuals who are Black, Indigenous or other People Of Color.
「訳してください。わからない単語はそのままで」
「シカゴでは、31歳の男が不思議に思う。なぜコリグーと友達が突然言い始めたのか。ビーポックと・・・」
「バイポックです。続けて」
「もうわかりません」
「 Black, Indigenous or other People Of Color.のところは?」
「ブラック、インディジナス、あるいは他の人々の色」
「of は、of の後ろから訳しましょう」
「色の他の人々」
「・・・他の色の人々です。大体、どういうことかわかる? "BIPOC" って、何ですか?」
「わかりません」
「・・・そう。では、次の文を訳してください」
Americans have always wrestled with language to describe race, with phrases and vocabulary changing to meet the values of current times.
「アメリカ人はいつもレッスルする。言葉で。レースを述べるために。フレーズとボキャブラリーを変える。バリューと出会うために。カレントなときの」
「うーん・・・。わかりますか」
「わかりません」
「race って何?」
「・・・競走?」
「ああ・・・・」
話題をつかむためのキーワードの意味をほぼつかめていませんでした。
これではさすがに読解は難しいです。
でも、我慢強く読んでいきましょう。
But especially since protests for social justice in the summer of 2020, there has been heightened attention to this language as liberals try to advance changes in the culture through words.
「しかし、特に、プロテストから。ソーシャル・ジャスティスのための。2020年の夏の。ハイテンされた注目がある。この言葉に。リベラルな挑戦として。変化をアドバンスするために。文化の中で。言葉を通して」
"You can't change what you can't name," said the vice president of the racial justice NPO named Race Forward.
「あなたは変えることができない。あなたが呼べないものを。と、バイス・プレジデントは言った。レースのジャスティスのNPO。レース・フォワードという名前の」
However, for some people, the new language has become a kind of incomprehensible code that only a small number of educated people can understand.
「しかし、何人かの人々にとって、新しい言葉はなる。一種のインコンプレヘンシブルなコードに。小さな数の教育を受けた人々が理解できる」
「・・・おお。急に最後のほうだけ訳せましたね」
Others feel disappointment, after so many protests have demanded far deeper change on human rights issues like criminal justice and voting rights.
「他の人々は、がっかりを感じる。そんな多くのプロテストがデマンドした後で。深い変化を。人間の右のことに。クリミナルなジャスティスとボーティングな右のような」
「rights は右ではありません。これは、中学の英語でも出てきましたね」
「・・・」
わからない?覚えていない?キング牧師の話。バスボイコットの話」
「・・・ああ、権利!」
「そう。よく思い出しました。では、human rights は?」
「・・・人間の権利?」
「そう。人権」
「ああ・・・」
「そういう話をしているみたいですよ。そういう話なのだと考えると、前のほうに出てきた race は、競走ではないですよね。何でしょう?単語集でも覚えました。絶対、覚えているはずなんです」
「・・・」
長い沈黙の後。
「わかった!人種!」
「そうです。よく思い出しました!これは大ヒントですよ。そういう意味で、第一文を見直しましょう。何の話をしているんでしょうか」
In Chicago, a 31-year-old man wonders why colleagues and friends have suddenly started saying "BIPOC" pronounced "bye-pock," an acronym that covers individuals who are Black, Indigenous or other People Of Color.
「シカゴの31歳の男は、友達が、突然 "BIPOC" と言うようになったのを不思議に思っているのですよね。その "BIPOC" とは、何なのでしょう」
「・・・ individuals って何?」
「これも、覚えていてほしい単語ですが、わからなかったら、もうそれでいいです。でも、後ろに who がありますよね。この who は何?」
「関係代名詞」
「ですよね。だったら、 individuals は、何か人間を指す言葉なんじゃない?」
「ああ・・・」
「どんな人間?」
「ブラック・・・黒人?」
「そうです!そう!」
「黒人をブラックと言っていいの?」
「大文字の Black は、今は、むしろ、黒人の人たちが、自信をもって自らを表現する言葉らしいですよ」
「へえ・・・」
「 "BIPOC"って、大文字ばかりでしょう?何かの略なんじゃない?何の略?」
「・・・あ!Black, Indigenous or other People Of Color」
「そうです。よく気づきました。大体、どんな人たちでしょうか?」
「・・・移民?」
「・・・アメリカ人は、ネイティブ・アメリカン以外は、皆、移民ですよ」
「・・・白人じゃない人?」
「そう!頭がいい!そういう人たちを "BIPOC"と言うんですって」
「知らない・・・」
「私もです。新しい言葉のようですね」
「ああ・・・」
Americans have always wrestled with language to describe race, with phrases and vocabulary changing to meet the values of current times.
「アメリカ人はいつもレッスルしてきた。レッスルって何でしょう?これ、ing 形なら、どうなりますか」
「レッスリング・・・レスリング?」
「そうです。動詞です。どんな意味だと思う?レスリングって、何の一種?」
「スポーツ?」
「・・・じゃあ、プロレスリング。プロレスは?」
「・・・格闘技?ああ、格闘する?」
「そう。アメリカ人はいつも格闘してきたんですよ。何と?」
「・・・言葉と?」
「そう!凄い!もう、ほとんど意味がわかりましたね」
1文飛ばして、第三段落。
もう一度見てみましょう。
However, for some people, the new language has become a kind of incomprehensible code that only a small number of educated people can understand.
「しかし、ある人々にとって、新しい言葉は、一種の incomprehensible code である。少数の教育を受けた人々だけが理解できる。ここ、もうわかると思うんですよ。新しい言葉とは、例えば、どんな言葉?」
「"BIPOC"」
「そうです!それが、教育を受けた人にしか、理解できない言葉である、と言っているんです」
「ああ・・・」
Others feel disappointment, after so many protests have demanded far deeper change on human rights issues like criminal justice and voting rights. They feel language change is not enough.
「がっかりしている人々もいるんですね。ここのところ、少し難しいですが。次の文の they も、このがっかりしている人々です。次の文を訳すと?」
「・・・彼らは、感じる。言葉の変化は十分ではない」
「そう!つまり、Others のほうは、言葉はもっと変わってほしいと思っていて、現在の状態にがっかりしているんですね。"BIPOC" でもまだ不十分で、もっともっと変わってほしいのでしょう。その前の、some people のほうは、"BIPOC" という言葉すら、もう理解できない人たちです」
「・・・はい」
「もう、答えられます。問に答えてください。some people とは、具体的には誰?」
「・・・BIPOC がわからない人」
「うん。内容的には正解なんですが、それを答えようとすると、どうやっても日本語で10字以内にはならないんです。この文章に出てくる、その人は、誰?」
「・・・」
「具体的に出てきた人物は、一人しかいないんです。誰?」
「シカゴの31歳の男?」
「正解」
「嘘・・・。そんなのが、答なの?」
「はい。そんなのが、正解です。この問題は、このタイトな字数制限のおかげで、むしろ正解を判断できます。字数が無制限ならば、色々な答え方が可能です」
「・・・」
基本単語をほとんど忘れているので、冷や汗をかきましたが、それでも、注意深く読めば、何とかなります。
ただ、これは本当につらいので、単語力の増強が課題です。
もう少し単語の意味がわかれば、もっと意味はとりやすかったと思います。
2024年11月23日
定期テストの得点をどう見るか。テストの後に何をするか。

画像は、久しぶりに見た虹です。
薄いですが。
さて、2学期は、難しい学期です。
テスト範囲の難度が高いにも関わらずあまり勉強に集中している様子の見られない生徒が現れる時期です。
中だるみですし、2学期は学校行事も多いですし。
毎年のことなので、ああ、またか、今度はこの子かと私は思います。
本人は肝が冷えて3学期は頑張るでしょう。
一方、公立中学の、特に中1の場合は、これまで幾度も書いてきましたが、いよいよ生徒本人の実力が現れてくる時期です。
小学校の頃は、易しいカラーテストと肯定的な観点別評価のため、本当の学力は実際のところよくわからなかったのです。
小学校のカラーテストは、生徒の学力を選別するためではなく、個々の生徒の到達度を測る目的のものなので、基本をしっかり理解していれば100点が取れるように設計されています。
100点は取れなくても、80点台、90点台は普通に取れている子が大多数です。
成績もまた好意的につけられていますので、小学校では、過半数の子は秀才のような成績だったと思います。
そのまま、公立中学に入学して。
中1の1学期も、まだ学習内容が易しいため、定期テストの得点は案外良いことが多いのです。
まるで、小学校のカラーテストの得点と地続きであるかのように。
1学期の成績は、英語も数学も「5」。
ああ、大丈夫だと安心し、自信を持ちます。
そのように自信をもって学習することは良いことではありますが、自信だけでどうにかなるわけでもないのが、公立中学の定期テストです。
以下は、勿論、5教科についての話です。
公立の定期テストは、「5」と「4」、「4」と「3」の違いを明確にするテストです。
中3になれば、それが「内申」となり、高校進学で大きな意味を持ちます。
無論、成績評価はテストだけで決まるものではありません。
評価基準を学年の初めに明示する学校も今は多いでしょう。
「授業態度」や「提出物」にも配点はあります。
しかし、成績が「3」以上の子なら、それらは良いのがあたりまえです。
今どきの公立中学で、授業態度の悪い生徒はそんなにいませんし、いても「1」か「2」の生徒です。
「提出物」を出さないのも、「1」か「2」の生徒です。
「3」以上の生徒では、それらの観点では差はあまりつかないのです。
やはり、差は、テストでつきます。
非常に雑なことを言えば、定期テストで90点以上を取っていれば、たいていの場合、「5」がつきます。
80点以上を取っていれば、「4」がつきます。
それ以下は、「3」です。
勿論、誤差はありますが。
中1の1学期の成績は「5」。
2学期の成績は「4」。
3学期の成績は「3」。
そのまま、「3」で安定した。
そういう成績表をこれまで多く見てきました。
これは、成績が下がったのではなく、残念ですが、成績と本人の学力とがそこで一致した、と見たほうがいいのです。
保護者の方は、お子さんの実際の定期テスト問題を自分で解いてみてください。
いまどきの公立中学のテストは、解きにくく、難しいです。
英語も数学も、まだ中1なのに、難しいのです。
このテストで90点以上取るなんて、不可能ではないのか?
そういうテストに、今はなっています。
基本だけ理解している学力では、解けません。
思考力や応用力が必要な問題が後半に並んでいます。
一方、中堅私立の中高一貫校の多くの定期テストは、不可解なほどに基本問題ばかりが並んでいます。
中学だけでなく、高等部になっても。
勉強すれば100点を取ることが可能なテストです。
授業も基本問題しか扱いません。
道は明瞭に分かれています。
中堅私立の中高一貫校は、学校推薦や総合型選抜で生徒が大学に進学するのをアシストするために、評定は高く維持してくれます。
自分の学校の生徒に悪い評定をつけて、それで総合型選抜で他校の生徒に競り負けたら意味がありませんから。
自覚して学校以上のレベルの学習を進めている子が、自力で進学してくれるのなら、それも良し。
だから、努力して高い成績を維持している子には、一般受験することを勧めます。
自力で一般入試に受かりそうな子には、評定が高くても学校推薦の枠は使わせず、いまいち心許ない子のほうを学校推薦で合格させる。
そんな「黒い噂」を聞くことさえあります。
そうやって進学実績を上げることで、また多くの生徒が中学受験をしてくれます。
一方、都立の中高一貫校や、都立高校の自校作成校は、大学入試では、
「学校推薦は基本的に行わない。推薦枠は使わせない」
と公言することがあります。
実際に高校3年生になったときに本当にそうなのかどうかはまた別の話ですが、自力で大学に進学させるのが基本路線です。
授業もテストも、大学入試を意識したものです。
道は、明瞭に分かれています。
どちらがいいとか悪いとかではなく、どちらがその子に合っているか、です。
だから、保護者の方は、子どもが持ち帰ってくるテストの得点は何を意味しているのか、理解してください。
中堅私立に通う子の定期テストの得点が100点でも、学力が高いとは限りません。
一方、公立中学に通う子の定期テストの得点が70点でも、学力が低いとは限りません。
頑張っています。
あとは、どうやって、それを80点台に押し上げるか、です。
英語も数学も、返却された定期テストをよく見て、出題傾向を把握することが大切です。
テストが終わると、その解き直しはするけれど、それはそれとして、次の定期テスト前の勉強は、相変わらず学校のワークを解くだけ。
そんな通りいっぺんの学習では、次回も同じ得点です。
英語は、文法にしろ読解にしろ、教科書の範囲だけがテスト範囲のほうが対策がしやすいです。
テスト範囲だけにしぼって対策すれば良いのですから。
何が出るかは、わかりきっています。
しかし、実際には、公立中学の場合は、教科書の本文そのままが出題される場合は少なく、初見の英文を読んで解かなければならないテストが多いです。
学校の教科書でしか英文を読んでいないような英語学習をしていては、テストに対応できないのです。
常により多くの英文に触れているほうが有利です。
毎日毎日フレッシュな英文を怒涛のごとく提供してくれるNHK「基礎英語」が、低コストで高パフォーマンスなのは、言うまでもありません。
また、スピーキングテストや都立入試の英作文問題を意識してか、スピーキングテストのようなイラストを見たり英文を読んで、答を英作文する問題を出す学校が増えてきました。
しかし、英作文は、そんなに簡単に実力の上がるものではありません。
結局、以前に書いたことのある英文と、そのバリエーションしか、テストでは書くことができません。
まずは、和文英訳から、沢山練習しましょう。
教科書の英文を、日本語訳から逆に英文に戻す「反訳トレーニング」は当然のこと。
さらに、学校のワークにこだわらず、多くの問題に触れましょう。
文法を意識しながら、日本語を英語に直すことに日頃から十分に慣れておきましょう。
その上で、課題英作文に普段から積極的に取り組み、採点してもらうことの繰り返しで力がついてきます。
数学も、出題傾向を把握することが重要です。
子どもの学習姿勢は、親が思う以上に受け身です。
「学校の先生は、プリントで授業をするから、何をやっているのか、よくわからない」
という悩みを生徒から聞くことがあります。
学校の先生のプリントは、何も特殊なものではなく、教科書の順番通りであり、教科書の例題がそのままプリントされているだけだったのですが、その子はそのことに気づいていなかったのでした。
学校ではプリントを使う、となると、教科書を開かない。
教科書を開いて確認することさえしない。
学習姿勢が幼いのです。
学校のプリントと教科書の両方を塾にもってきてもらい、このプリントは教科書のここ、このプリントは、教科書のこのページで、学校は何も特別なことはやっていない、教科書通りのことを教科書通りの順番でやっているんだよと説明すると、愕然としていました。
また、その子は、教科書は確認しない一方、学校からもらった問題集は一所懸命解いていました。
数学の勉強というと、ただただ数学の問題集を解くだけ。
それは、別に間違っていませんが、公式を見ながら、あるいは、問題集の解答解説を見ながら解いているだけでは、数学の力はつきません。
わからないとすぐに答を見てしまう・・・。
気持ちはわかりますが、その学習では、解いたことのある問題とそっくりな問題しか解けるようにはなりません。
何回も解き直して、その問題はマスターしても、その類題が、類題であることにすら気づかない、ということがあります。
最悪の場合は、解いた問題すら実は身についていないこともあります。
テストを受けるときになって自分が公式を使うだけの基本問題を解くこともできないと気づいて呆然とすることになります。
公式の意味や証明をまずは理解し、理解したら、公式は丸暗記する。
そして、活用します。
いつでも使えるように頭の中に入れます。
問題の解法パターンも、頭の中に入れます。
そして、初見の問題を自力で考えます。
わからなくて、つらくても、我慢して、最低30分はその問題と格闘してください。
グラフを描く、図を描く、も必ず行うことです。
問題に書いてある情報を目に見える形で整理します。
頭の中だけで処理できるレベルの問題を解いているわけではないのに、いつまでも小学生のつもりで、問題をパッと見て、パッと解き方がわかるのがカッコいい、そういう自分でありたい、と思っていると、取り残されます。
考えて考えて考え抜いて、ついに応用問題を自力で解く人が、数学ではカッコいいのです。
時間をかけて分析して。
ついに自力で解けたときの爽快感を知っている子、とうとうわからなくて解答解説を読んだときの悔しさを知っている子は、数学は爆発的に伸びます。
そうやって、頭の中に解法の筋道を刻み付けていくと、発想力が強化されるのです。
そういう学習法を提案しても、
「数学にそんなに時間はかけられない」
という場合は、それはもう、それで仕方ないので、数学的な達成は諦めるのもありだと思います。
見切ることも、また賢さです。
向いていないことに時間はかけない。
ただ、基本問題だけは絶対に解けるようにしておく。
それの何が悪いのか?
・・・何も悪くないと、私は思うのです。
とはいえ、毎日毎日スマホを見ている3時間のうちの1時間を勉強に振り分ければ、人生が変わります。
才能の問題ではなく、具体的に時間を作って学習できるかどうかが大きいのです。
そのような話をしたとき、ある生徒は、
「3時間なんか見てないしー」
と言いました。
私はよく知りませんが、iPhone だと、スクリーンを開いている時間を調べることができるらしいですね。
「調べてみる!」
とその子が言うので結果を待つと、その子は、その日、6時間以上スマホを見ていました。
・・・6時間?
さすがに、本人も驚き、
「考えてみる」
と言って、帰っていきました。
本当に、隙間時間も含めて、驚くほどの時間を、誰もがスマホに使っています。
それは、多分、私もそうです。
そんな時間があったら、本を読もう。
そんな反省も、私自身、することになりました。
2024年11月17日
中学数学・方程式。新傾向の文章題。

画像は、先月の都立小金井公園で撮影。十月桜の一種のようです。
さて、今回は、中学の文章題が難しいという話。
公立中学の数学の定期テスト問題は、私立中学のテスト問題と比べてかなり難しい問題が出る傾向があります。
例えば、こんな問題。
中1の数学。
単元は「1次方程式」です。
問題 ゆうさくさんはなおきさんと昼休みに校舎の周りで鬼ごっこをしています。ゆうさくさんは昇降口の前から校舎を左回りに秒速8mの速さで、鬼のなおきさんから逃げました。それを見たなおきさんは、6秒後に同じ昇降口から右回りに秒速5mの速さでこっそり回り込みました。校舎の1周の道のりは360mです。次の問いに答えなさい。
(1) ゆうさくさんが走り始めてx秒後に出くわすとおく。2人の走った道のりの関係から方程式を作りなさい。
(2) (1) の方程式を解いて、2人が何秒後に出くわすかを求めなさい。
(3) 2人が出くわしたところで、鬼のなおきさんを避けて再び逃げるために、ゆうさくさんは秒速7mの速さで右回りに走り始めた。そのようすを昇降口で見ていたたかひこさんは、秒速17mの速さで右回りにゆうさくさんを追いかけました。たかひこさんは走り始めてから何秒後にゆうさくさんに追いつきますか。ただし、なおきさんはゆうさくさんを追いかけるのを諦めてもう関わらないものとする。
自分で解きたい方は、ここでいったん、ブログを閉じてください。
とはいえ、これ、読むだけで疲れて、解く気が失せませんか?
数学が相当好きな私ですら、そうです。
何か読みにくいですよね。
どうしてでしょう?
これ、数学の問題としては「要らない情報」が入っているのが、ノイズとなって、わずらわしいのです。
問題の分析の邪魔なのです。
「昼休み」「校舎」「昇降口」「鬼のなおきさんから逃げました」「それを見たなおきさん」「こっそり回り込み」「鬼のなおきさんを避けて再び逃げるために」とか、数学的には、全部、必要ない情報なんです。
そもそも、名前が全部ひらがなであるのも、読みにくい。
「ゆうさくさん」「なおきさん」「たかひこさん」。
なぜ、これはA君、B君、C君、ではダメなのでしょう。
そして、最近の公立中学の数学の定期テストには、こういうわずらわしい問題が出るのです。
「活用」というものです。
新傾向のような姿をしています。
応用問題のような見た目をしています。
しかし、実際の構造は、応用でも何でもないのです。
従来の考え方で解ける問題です。
ただ、文章が長く、余計な情報が多くてわずらわしい。
大学入試共通テストがそうであるように、不要な読解を強いられる文章題が中学まで降りてきています。
そういうのが今の文科省の意向なので、私立よりも公立の学校のほうがそういうことの影響が強いということかもしれません。
問題自体は、昔からある、追いかけと出会いの問題。
池の周りを追いかけたり出会ったりする問題と構造は同じです。
中学受験の受験算数でも典型題ですし、中学数学の方程式の文章題としても典型題です。
以下、従来の典型題を書きます。
問題 周囲が2700mある池のまわりを、兄と弟が同じ地点から反対方向に向かって同時に歩き始めた。兄は分速90m、弟は分速60mで歩くとき、2人がはじめて出会うのは、歩き始めてから何分後か。
きわめてシンプルです。
一番上の問題は、出発時間にズレがあるという点で、これよりも一段難しい要素は加わっていますが、その点を差し引いても、一番上の問題の解きにくさの正体は、文章の読みにくさであり、共通テストの数学問題が苦手な人の多くが、それで苦労しています。
一番上のような問題が作られるようになった背景には、2つの考え方があります。
1つは、数学と現実の事象とを結びつければ、生徒たちは、数学をもっと身近なものに感じて興味をもつだろうという考え方。
もう1つは、定型の数学の問題では、文章をろくに読まず、手順だけで解く生徒が多いため、それらの「本当に学力があるわけではない生徒」に考えを改めさせ、本当に学力のある生徒を評価するために、こうした問題をテストに出す、という考え方。
1つ目の考え方については。
数学と現実の事象を結びつけたところで、数学に興味のない生徒は、徹底して数学には興味を持ちません。
その程度のことで子どもが数学が好きになると思うほうが、甘い。
追いかけっこという遊びに数学が関係すると気づいて、
「わあ、面白い。数学って面白いな」
と思う生徒は、そもそも、最初から数学が好きです。
数学が嫌いな子は、そんなことには興味を持ちません。
こんな文章題は、むしろ、小手先のやり方で生徒に余計な負担をかけてしまう可能性のほうが高い。
それでも、そういうことをやってみたいなら、授業で扱ったらいいのです。
グループでわいわいと話しあって、結論を出すのは、面白いかもしれません。
そうした授業を受けての類題をテストに出すのならばわかります。
授業は普通の問題を扱っているのに、テストだけ「活用」というのは、いただけない・・・。
2つ目の考え方については。
「学力」とは何なのかによります。
一番上の文章題を正答できる生徒は、確かに学力が高いと私も思います。
ただ、それには文章読解力がかなりの割合で含まれます。
数学力って、読解力なのでしょうか?
数学センスは物凄くあるのに、読解力の低い生徒を、こういう問題ではじき飛ばしていませんか?
高校3年生の理系の生徒で、例えば数Ⅲ「積分法」を学習しているときに。
積分の問題なんて、1行か2行で問題文は終わる場合が大半です。
要するに、積分しろと要求しているだけです。
しかし、普通に積分しようと思っても、できない問題のときに。
置換積分するとして、どの部分を t に置き換えるか?
定石をどれだけ知っているかにもよれば、センスにもよります。
むしろ定石に縛られている私とは異なり、嘘みたいな置換をして、力技で正答を出す子もいます。
そういう子と話し合うのは、手応えがあり、面白い。
その同じ子が、共通テストの文章題は苦手だったりします。
では、その子は、数学が苦手な子なのでしょうか?
・・・あり得ないです。
センター試験だったら、高得点が確実だったのに、生まれた時代が悪かった・・・。
そんなふうに思うことがあります。
もう一度、従来型の問題文を見てください。
問題 周囲が2700mある池のまわりを、兄と弟が同じ地点から反対方向に向かって同時に歩き始めた。兄は分速90m、弟は分速60mで歩くとき、2人がはじめて出会うのは、歩き始めてから何分後か。
確かに、この問題は、あまりにも機械的で無味乾燥で、何でこの兄弟は一緒に歩かないんだろう、という疑問が生じます。
なぜ、わざわざ別の速さで、反対方向に歩くのだろう?
仲が悪いのならば、なぜ同じ池にやってくるのだろう?
そういうツッコミは昔からあるのです。
一番上の文章題は、そういう点はクリアしています。
追いかけっこをしているのならば、走る速さも違うだろうし、反対方向にも進むでしょう。
状況に説得力があります。
しかし、数学の文章題に、そんな「物語」は必要なのでしょうか。
設定に説得力をもたせるために、数学的には不要な情報を大量にまぶした問題を、生徒は喜ぶでしょうか。
一番上の文章題は、読みやすいですか。
楽しく解く気になりますか。
余計に面倒くさいだけではないですか。
読む気も解く気も失せる文章題は、本当に生徒のためになっているのでしょうか。
そういう疑問もあるのです。
とはいえ、世の中の流れがそうなのですから、対応しないわけにはいきません。
まずは従来の定型の問題で、解き方の確認をしましょう。
問題 周囲が2700mある池のまわりを、兄と弟が同じ地点から反対方向に向かって同時に歩き始めた。兄は分速90m、弟は分速60mで歩くとき、2人がはじめて出会うのは、歩き始めてから何分後か。
池の周りを反対方向に歩いている場合、出会うまでで、二人の進んだ道のりの和は、池1周分になります。
歩き始めてから x 分後に、2人が初めて出会うとすると、
「道のり=速さ×時間」ですから、
兄の道のりは、90x m
弟の道のりは、60x m
その和が、池1周 2700m ですから、式は、
90x+60x=2700
これを解きます。
150x=2700
x=18
この値は、問題に適しているので、
答えは、18分後 です。
この構造を忘れずに、では、一番上の文章題を見てみましょう。
問題 ゆうさくさんはなおきさんと昼休みに校舎の周りで鬼ごっこをしています。ゆうさくさんは昇降口の前から校舎を左回りに秒速8mの速さで、鬼のなおきさんから逃げました。それを見たなおきさんは、6秒後に同じ昇降口から右回りに秒速5mの速さでこっそり回り込みました。校舎の1周の道のりは360mです。次の問いに答えなさい。
(1) ゆうさくさんが走り始めてx秒後に出くわすとおく。2人の走った道のりの関係から方程式を作りなさい。
(2) (1) の方程式を解いて、2人が何秒後に出くわすかを求めなさい。
校舎1周は、360m。
これが、従来型の問題の「池1周2700m」にあたります。
1周の長さが定められて閉じていれば、池だろうが沼だろうが、運動場のトラックだろうが、校舎1周だろうが、同じことなのです。
左回りとか右回りといった情報もわずらわしいですが、要するに、同じ地点(昇降口)から、反対方向に走っているだけです。
ゆうさくの速さは秒速8m。
なおきの速さは秒速5m。
必要なデータはそろっています。
ただ、注意すべき点は、出発が同時ではなかったこと。
なおきの出発は、6秒後なのです。
(1) で、xが指定されています。
出会うまでにゆうさくが走っている時間が x 秒。
では、なおきは、何秒走るのか?
6秒後に出発しているのですから、6秒少なくなります。
なおきの時間は、(x-6) 秒です。
二人の道のりの和が、1周分であることは変わりません。
したがって、方程式は、
8x+5(x-6)=360
これが(1) の答です。
さて、(2) は、この方程式を解くだけです。
解きましょう。
8x+5(x-6)=360
8x+5x-30=360
13x=390
x=30
この値は問題に適しているので、
答えは、30秒後、です。
さて、次は。
(3) 2人が出くわしたところで、鬼のなおきさんを避けて再び逃げるために、ゆうさくさんは秒速7メートルの速さで右回りに走り始めた。そのようすを昇降口で見ていたたかひこさんは、秒速17mの速さで右回りにゆうさくさんを追いかけました。たかひこさんは走り始めてから何秒後にゆうさくさんに追いつきますか。
問題の最後の、鬼のなおき云々は、もうどうでもいいので割愛しました。
今度は、ゆうさくをたかひこが追いかけていくだけです。
2人とも右回りなので、同じ方向です。
これは、「追いかけ」の問題です。
「追いかけ」は、2人の間に距離があるのが前提です。
その距離を、速い人のほうが、徐々に縮めていき、最終的に追いつきます。
これも、道のりで考えれば、
逃げている人の道のり+2人の間の道のり=追いかけている人の道のり
という関係が成り立ちます。
同じ問題の中の (3) なので、同じ x という文字を使うのは、はばかられるところではありますが、まだ中1で、x が y になった途端に方程式が解けなくなる子もいる時期ですから、ここはもう一度 x でいきます。
たかひこが追いかけ始めてから追いつくまでの時間を x 秒とおくと、
しかし、ここまで書いて、「2人の間の道のりは?」という疑問が生じます。
そうだ。
まずは、2人の間の道のりを求めましょう。
それには、(2) で求めた値を用います。
ゆうさくが、なおきと出会った瞬間に、この追いかけっこが始まりました。
それは、出発から30秒後でした。
つまり、ゆうさくは、秒速8メートルで30秒走っていましたから、走った道のりは、
8×30=240 (m)
1周は360m
したがって、あと、
360-240=120 (m) で、昇降口に戻ってくる位置にいました。
これが、(3) の、新しい追いかけっこが始まった瞬間の、ゆうさくとたかひことの間の道のりです。
この瞬間から、ゆうさくの速さも変わりました。
新しい速さは、秒速7m。
たかひこの速さは、秒速17m。
よし、わかりました。
たかひこが追いかけ始めてから追いつくまでの時間を x 秒とおくと、
7x+(360-8×30)=17x
解きましょう。
7x+120=17x
-10x=-120
x=12
この値は問題に適しています。
したがって、答えは、12秒後、です。
2024年11月10日
冬期講習のお知らせ。2024年度。

2024年度冬期講習のご案内です。
詳細は、11月末の授業時に書面をお渡しいたします。
お申込み受付は、12月1日(日)からとなります。
メール・LINEまたは申込書でお申込みください。
12月1日(日)になりました深夜から、先着順で承ります。
申し込み受付完了の返信は、12月1日の午後となりますのでご了承ください。
12月1日22:00を過ぎても受付完了の返信がない場合は、再度お問い合わせください。
なお、この期間、通常授業はありませんので、いつもの時間帯の授業を希望される方も改めてお申込みください。
なお、冬期講習を前倒しし、12月中の、
13:20~14:50 , 15:00~16:30
の時間帯にご予約いただくことも可能です。
初めての方は、このブログの「お問い合わせ」ボタンから、お問い合わせください。
外部生のご予約は、12月8日(日)からとなります。
以下は、冬期講習募集要項です。
◎期日
12月23日(月)~12月30日(月)、1月4日(土)・1月5日(日)
なお、12月31日(火)~1月3日(金)は、休校とさせていただきます。
通常授業は1月6日(月)から始まります。
◎時間帯
10:00~11:30 , 11:40~13:10 , 13:20~14:50 , 15:00~16:30 , 16:40~18:10 , 18:20~19:50 , 20:00~21:30
◎費用
1コマ90分4,000円×受講回数
◎指導科目
小学生 一般算数・受験算数・英語
中学生 数学・英語(中3受験生のみ、国語・社会・理科)
高校生 数学・英語
2024年11月10日
高校数Ⅱ「軌跡」。文字が何を表しているのかで混乱する。

今回は、数Ⅱ「軌跡」の問題を解いてみましょう。
問題 直線 3x+2y-6=0 と点A (4 , 5) がある。点Qがこの直線上を動くとき、線分AQを 3:2 に内分する点Pの軌跡を求めよ。
軌跡に関する問題としては、基本問題です。
ところが、x、y の使い方や代入を間違えて、奇妙な混乱を起こす子も珍しくありません。
例えば、こんな答案。
書き出しはこんなふうでした。
P (x , y)、Q (X , Y)
・・・相変わらず、答案がカタコトで、日本語による説明がありません。
おそらく、
点Pの座標を (x , y)、点Qの座標を (X , Y) とおく。
という意味なのだと思いますが、こういうところの書き方、幾度助言しても、直らない子は永久レベルで直らないです。
せめて、
P (x , y)、Q (X , Y) とおく。
くらいは書いてほしいのですが、数学の答案に日本語は絶対に書かないと決めてしまっているかのように書かないのです。
とはいえ、今回はその話ではないので、ここはスルー。
むしろ気になったのは、点Qの座標を (X , Y) とおいた点でした。
これ、今でも、そのようにしている参考書や問題集がありますが、生徒の誤解を招きやすいので、私は授業時に、大文字のX、Yは使わないように言っています。
高校の先生たちも、使わない場合が多いです。
これのせいで混乱する生徒が多いことを肌で感じているからです。
大文字のX、Yは使わず、点Qの座標は (a , b) などにしなさい、といくら助言をしても、生徒が宿題を解くのは、塾の授業日の前日か当日、という場合が多いので、すっかり忘れて、テキストの例題解説が (X , Y) なら、そのまま使ってしまう場合があります。
修正テープで消させて直させないと定着しないレベルです。
そのときも、そんなことが原因の混乱が、その後、起こっていました。
その子の答案は。
P (x , y)、Q (X , Y)
3x+2y-6=0
x=(8+3X) / 5 , y=(10+3Y) / 5
3×(8+3X) / 5+2×(10+3y) / 5-6=0
24+9x+20+6y-30=0
9x+6y+14=0
・・・何だこれ?
そして、こういうカタコトの答案を書く子に、その式の意味を尋ねても、明確な答は返ってこないことが多いのです。
計算メモは、時間が経てば、自分で書いたことの意味も自分でわからなくなります。
何をどうしてそうなっているのかを答案に書きなさい、と言っているのですが、数学が苦手な子は、徹頭徹尾、数学答案と呼べるものは書きません。
別に反抗したいわけではなく、その場になると忘れてしまうらしいのです。
問題を解くのに夢中になって、ついついいつもの癖で、カタコトの計算メモになってしまうようです。
小学生の頃から延々とそのように書いてきたことを、今回も書いてしまう。
そういうことなのだと思います。
さて、そうなると、このよくわからない誤答の分析をしていかなければなりません。
何をどう間違えると、こういうことになるのか?
数学答案らしい語句を補いながら、その子と一緒に考えました。
1行目は、
点Pの座標を(x , y)、点Qの座標を(X , Y)とおくと、
という意味でしょう。
では、2行目の、
3x+2y-6=0
は、どういう意味なのでしょうか。
この2行目の式は、問題文にある直線そのままなのですが、これを何のつもりで書いているのかが、微妙です。
ただ、問題文の式を書き写しただけなのか?
・・・いや、これは、本当は、
点Qは、この直線上の点なのだから、
3X+2Y-6=0 ・・・①
と書くべきところを、何の説明もなく、文字の使い方も間違えてしまっている式なのではないか?
そもそも大文字と小文字を使い分ける意味がわからないので、すぐに小文字に直してしまったのではないか?
関数の式なら、小文字の x と y を使うのが普通だという誤解も加わって・・・。
だから、点Qは(a , b) としたほうがいいのです。
これなら、さすがに間違いようがないのです。
点Qの座標を直線の式に代入して、
3a+2b-6=0・・・①
という答案を書くほうが誤解が少ないのです。
これは、問題文にある直線の式ではなく、a と b との関係を表した式なのだとひと目でわかるようになります。
さて、誤答をさらに見ていきましょう。
P(x , y)、Q(X , Y)
3x+2y-6=0
x=(8+3X) / 5 , y=(10+3Y) / 5
3×(8+3X) / 5+2×(10+3Y) / 5-6=0
24+9x+20+6y-30=0
9x+6y+14=0
・・・この3行目は、何なのか?
見にくくなっていますが、この右辺は分数です。
勝手に暗算もしているので、ますますわかりにくくなっていますが、内分点の座標を表しているのでしょう。
答案の最初から正しく書くならば、
点Pの座標を(x , y)、点Qの座標を(a , b)とおくと、
点Qは、3x+2y-6=0 上の点であるから、
3a+2b-6=0・・・①
また、点Pは、AQを 3:2 に内分することから、
x=(2・4+3a) / (3+2)
=(8+3a) / 5
y=(2・5+3b) / (3+2)
=(10+3b) / 5
実際には、分数の分子・分母の( )は不要ですが、見やすいように、( )をつけました。
では、誤答の4行目、
3×(8+3X) / 5+2×(10+3Y) / 5-6=0
は、何をしているのでしょうか。
文字の使い方を間違えているので、
3x+2y-6=0
という、問題文にある直線の式に、今求めた、点Pの x 座標と y 座標の値をそのまま代入したのでしょう。
点Pの座標を点Qを通る直線の式に代入して、どうなるというのか?
しかし、そういうことは、もう解いている本人にもわからないのだと思います。
点P (x , y)、点Q (X , Y) としているから、混線したのでしょう。
点Q(a , b) の a と b との関係を表す式を、
3a+2b-6=0・・・①
と立ててあれば、さすがに、ここの a に、x の値を代入しようとは考えないでしょう。
だから、点Qの座標に使う文字は、x や y とは全く違う文字にすることをお勧めします。
軌跡を求めたい点Pの座標のみが (x , y) で、他の点は、他の文字を使う。
それが、安全な解き方です。
①の式は、a と b の式なので、先ほど求めた内分点に関する式を、a や b について解いてから代入しなければならないのだと気づくことができます。
やってみましょう。
x=(8+3a) / 5 より、
8+3a=5x
3a=5x-8
a=(5x-8) / 3・・・②
y=(10+3b) / 5 より、
10+3b=5y
3b=5y-10
b=(5y-10) / 3・・・③
②・③を①に代入して、
3・(5x-8) / 3+2・(5y-10) / 3-6=0
(5x-8)+2/3・(5y-10)-6=0
3(5x-8)+2(5y-10)-18=0
15x-24+10y-20-18=0
15x+10y-62=0
よって、点Pの軌跡は、
直線 15x+10y-62=0
これが正解です。
このあたりの計算、今回は丁寧に書きましたが、1行目の次は「よって」と書き込んで、もう最終行でも構いません。
途中のこういう計算は、提出しない計算用紙に書いてもいいのです。
高校数学の答案は、こうした計算過程は採点対象ではありません。
正直に言えば、採点する人は、そうした途中は読みません。
1行目がしっかり書いてあることを確認すれば、次はその計算の結果の行に目を移します。
それが間違っているときには、どこから計算ミスをしているのか目を戻し、そこまでで赤線を引きます。
文字式の整理や方程式を解いた途中が書いてあってもなくても、得点は変わりません。
中学数学ならばそこを丁寧に書くのがメインですが、高校数学ですので、既にそれは「出来て当たり前」の領域です。
採点対象ではないのです。
だからこそ、1行目は暗算せずに、意味のわかる式をしっかり書きます。
あとは、適宜、自分の計算力にあわせて計算過程は省略して構いません。
こうした数学答案の機微を理解しない子は多いです。
1行目から暗算した式を書いてしまう。
そして、その後の計算過程こそが「数学答案」だと本人は思っています。
そこを省略すると、本人の思う「数学答案」には、もう何も残りませんから、気持ちはわかりますが、採点者は、そこは見ないのです。
ただ、計算過程は省略してもいいけれど省略しなくてもいいので、その点は構いません。
いくらでも丁寧に書いたらいいと思います。
問題なのは、1行目から、意味のうすれる暗算をしてしまうこと。
上の誤答でも、内分点を表すのに、分母の 3+2 を暗算して 5 としていました。
それが絶対にダメだとは言いませんが、何をしているのか、意味が伝わりにくくなるだけなので、そんなのは無駄な暗算です。
内分点の場合は、分母を 3+2 としっかり書くことで、分子をスムーズかつ正確に書いていくこともできます。
でも、3+2と書かず、いきなり5と書いてしまうような無駄な暗算を式の1行目からやってしまう子は多いです。
1行目は、意味のわかる式を丁寧に書き、以後は本人の計算力にあわせて省略してもいいということが、伝わらない。
いや、伝わっていても、実際に解くときには、いつもの癖で1行目から暗算した意味のわからない式を書いてしまいます。
そして、
「どうやって解いたのですか?」
と問われると、自分でも意味がわからず、絶句するのです。
とはいえ、今回言いたいことは、それではなく、点Pの軌跡を求める問題では、点P以外の座標に、X、Yは使わないほうがいいということ。
混乱の種ですから。
点Q の座標を (a , b) とすれば解けるのになあ・・・。
そう思っていたのですが、ある日、私のその考えを超えていく生徒が現れました。
点Qの座標を (a , b) とし、
3a+2b-6=0・・・①
という式も書いているのに、その a と b に、x と y の値を代入していたのです。
そのような代入で、a と b との式が、さらに複雑な a と b の式になった後、その a と b を、最後に x と y に書き換えて、それで最終解答としていました。
・・・なぜ?
「a と b は、本当は x と y だから」
というのが、その子の答でした。
一度そう思い込むと修正は難しく、正しい解き方の解説をしても、固まったまま、ホワイトボードを凝視していました。
数学が苦手な子に多いのですが、
「それはそれ、これはこれ」
という、矛盾した内容が頭の中に共存することがあります。
a と b は、決して点Pの x と y ではない。
でも、そのことがわからない・・・。
問題文の直線の式に代入して、x と y を a と b に書き換えたのだから、戻してもいいだろうと本人は思っていたのでした。
問題文の直線の式の x と y の関係と、求めたい点Pの x と y との関係とは違いますよ?
そんなことを説明すればするほど、その子の固まり具合は深まり、絶句していました。
それは、例えば、
(a+b)^2=a^2+2ab+b^2
という乗法公式を知らないわけではないし、そういう計算問題なら正解できるのに、
a^2+b^2=(a+b)^2
だということも普通に信じている・・・。
そういう子が多いこととも関係があるのだろうと思います。
点Pの x 座標と y 座標の関係を表す式は、点Pを含む直線や曲線の式なのである、という中学数学でわかっていてほしいことが理解できていない子は多いです。
根本の理解がなく、表面的な解き方だけを覚えてきたので、何をしても良くて、何をしたらダメなのか、よくわかっていないのだと思うのです。
軌跡の問題の解き方は何となく知っている。
手順は何となくわかる。
でも、何でそうやれば解けるのか、根本が理解できていない・・・。
説明を聞いても、高校数学の説明は、もう、よくわからない・・・。
中学数学を理解していないのですから、そうなります。
その子の理解のレベルにあわせて、かみくだいて、中学数学に戻って解説をすることの必要性を痛感するこの頃です。
a と b を x と y に直してもいいと思っていた子は、それでも、とりあえず、それをしたらダメなのだという第一歩は踏みました。
a と b の関係を表す式は、点Qの式。
x と y の関係を表す式は、点Pの式。
でも、a と x、b と y の関係を表す式が別にあれば、それを代入して、a と b だけの式を、x と y の式に生まれ変わらせることができる。
そういう構造が理解できれば、軌跡の問題は、あとは式を立てて解くだけです。
問題 直線 3x+2y-6=0 と点A (4 , 5) がある。点Qがこの直線上を動くとき、線分AQを 3:2 に内分する点Pの軌跡を求めよ。
軌跡に関する問題としては、基本問題です。
ところが、x、y の使い方や代入を間違えて、奇妙な混乱を起こす子も珍しくありません。
例えば、こんな答案。
書き出しはこんなふうでした。
P (x , y)、Q (X , Y)
・・・相変わらず、答案がカタコトで、日本語による説明がありません。
おそらく、
点Pの座標を (x , y)、点Qの座標を (X , Y) とおく。
という意味なのだと思いますが、こういうところの書き方、幾度助言しても、直らない子は永久レベルで直らないです。
せめて、
P (x , y)、Q (X , Y) とおく。
くらいは書いてほしいのですが、数学の答案に日本語は絶対に書かないと決めてしまっているかのように書かないのです。
とはいえ、今回はその話ではないので、ここはスルー。
むしろ気になったのは、点Qの座標を (X , Y) とおいた点でした。
これ、今でも、そのようにしている参考書や問題集がありますが、生徒の誤解を招きやすいので、私は授業時に、大文字のX、Yは使わないように言っています。
高校の先生たちも、使わない場合が多いです。
これのせいで混乱する生徒が多いことを肌で感じているからです。
大文字のX、Yは使わず、点Qの座標は (a , b) などにしなさい、といくら助言をしても、生徒が宿題を解くのは、塾の授業日の前日か当日、という場合が多いので、すっかり忘れて、テキストの例題解説が (X , Y) なら、そのまま使ってしまう場合があります。
修正テープで消させて直させないと定着しないレベルです。
そのときも、そんなことが原因の混乱が、その後、起こっていました。
その子の答案は。
P (x , y)、Q (X , Y)
3x+2y-6=0
x=(8+3X) / 5 , y=(10+3Y) / 5
3×(8+3X) / 5+2×(10+3y) / 5-6=0
24+9x+20+6y-30=0
9x+6y+14=0
・・・何だこれ?
そして、こういうカタコトの答案を書く子に、その式の意味を尋ねても、明確な答は返ってこないことが多いのです。
計算メモは、時間が経てば、自分で書いたことの意味も自分でわからなくなります。
何をどうしてそうなっているのかを答案に書きなさい、と言っているのですが、数学が苦手な子は、徹頭徹尾、数学答案と呼べるものは書きません。
別に反抗したいわけではなく、その場になると忘れてしまうらしいのです。
問題を解くのに夢中になって、ついついいつもの癖で、カタコトの計算メモになってしまうようです。
小学生の頃から延々とそのように書いてきたことを、今回も書いてしまう。
そういうことなのだと思います。
さて、そうなると、このよくわからない誤答の分析をしていかなければなりません。
何をどう間違えると、こういうことになるのか?
数学答案らしい語句を補いながら、その子と一緒に考えました。
1行目は、
点Pの座標を(x , y)、点Qの座標を(X , Y)とおくと、
という意味でしょう。
では、2行目の、
3x+2y-6=0
は、どういう意味なのでしょうか。
この2行目の式は、問題文にある直線そのままなのですが、これを何のつもりで書いているのかが、微妙です。
ただ、問題文の式を書き写しただけなのか?
・・・いや、これは、本当は、
点Qは、この直線上の点なのだから、
3X+2Y-6=0 ・・・①
と書くべきところを、何の説明もなく、文字の使い方も間違えてしまっている式なのではないか?
そもそも大文字と小文字を使い分ける意味がわからないので、すぐに小文字に直してしまったのではないか?
関数の式なら、小文字の x と y を使うのが普通だという誤解も加わって・・・。
だから、点Qは(a , b) としたほうがいいのです。
これなら、さすがに間違いようがないのです。
点Qの座標を直線の式に代入して、
3a+2b-6=0・・・①
という答案を書くほうが誤解が少ないのです。
これは、問題文にある直線の式ではなく、a と b との関係を表した式なのだとひと目でわかるようになります。
さて、誤答をさらに見ていきましょう。
P(x , y)、Q(X , Y)
3x+2y-6=0
x=(8+3X) / 5 , y=(10+3Y) / 5
3×(8+3X) / 5+2×(10+3Y) / 5-6=0
24+9x+20+6y-30=0
9x+6y+14=0
・・・この3行目は、何なのか?
見にくくなっていますが、この右辺は分数です。
勝手に暗算もしているので、ますますわかりにくくなっていますが、内分点の座標を表しているのでしょう。
答案の最初から正しく書くならば、
点Pの座標を(x , y)、点Qの座標を(a , b)とおくと、
点Qは、3x+2y-6=0 上の点であるから、
3a+2b-6=0・・・①
また、点Pは、AQを 3:2 に内分することから、
x=(2・4+3a) / (3+2)
=(8+3a) / 5
y=(2・5+3b) / (3+2)
=(10+3b) / 5
実際には、分数の分子・分母の( )は不要ですが、見やすいように、( )をつけました。
では、誤答の4行目、
3×(8+3X) / 5+2×(10+3Y) / 5-6=0
は、何をしているのでしょうか。
文字の使い方を間違えているので、
3x+2y-6=0
という、問題文にある直線の式に、今求めた、点Pの x 座標と y 座標の値をそのまま代入したのでしょう。
点Pの座標を点Qを通る直線の式に代入して、どうなるというのか?
しかし、そういうことは、もう解いている本人にもわからないのだと思います。
点P (x , y)、点Q (X , Y) としているから、混線したのでしょう。
点Q(a , b) の a と b との関係を表す式を、
3a+2b-6=0・・・①
と立ててあれば、さすがに、ここの a に、x の値を代入しようとは考えないでしょう。
だから、点Qの座標に使う文字は、x や y とは全く違う文字にすることをお勧めします。
軌跡を求めたい点Pの座標のみが (x , y) で、他の点は、他の文字を使う。
それが、安全な解き方です。
①の式は、a と b の式なので、先ほど求めた内分点に関する式を、a や b について解いてから代入しなければならないのだと気づくことができます。
やってみましょう。
x=(8+3a) / 5 より、
8+3a=5x
3a=5x-8
a=(5x-8) / 3・・・②
y=(10+3b) / 5 より、
10+3b=5y
3b=5y-10
b=(5y-10) / 3・・・③
②・③を①に代入して、
3・(5x-8) / 3+2・(5y-10) / 3-6=0
(5x-8)+2/3・(5y-10)-6=0
3(5x-8)+2(5y-10)-18=0
15x-24+10y-20-18=0
15x+10y-62=0
よって、点Pの軌跡は、
直線 15x+10y-62=0
これが正解です。
このあたりの計算、今回は丁寧に書きましたが、1行目の次は「よって」と書き込んで、もう最終行でも構いません。
途中のこういう計算は、提出しない計算用紙に書いてもいいのです。
高校数学の答案は、こうした計算過程は採点対象ではありません。
正直に言えば、採点する人は、そうした途中は読みません。
1行目がしっかり書いてあることを確認すれば、次はその計算の結果の行に目を移します。
それが間違っているときには、どこから計算ミスをしているのか目を戻し、そこまでで赤線を引きます。
文字式の整理や方程式を解いた途中が書いてあってもなくても、得点は変わりません。
中学数学ならばそこを丁寧に書くのがメインですが、高校数学ですので、既にそれは「出来て当たり前」の領域です。
採点対象ではないのです。
だからこそ、1行目は暗算せずに、意味のわかる式をしっかり書きます。
あとは、適宜、自分の計算力にあわせて計算過程は省略して構いません。
こうした数学答案の機微を理解しない子は多いです。
1行目から暗算した式を書いてしまう。
そして、その後の計算過程こそが「数学答案」だと本人は思っています。
そこを省略すると、本人の思う「数学答案」には、もう何も残りませんから、気持ちはわかりますが、採点者は、そこは見ないのです。
ただ、計算過程は省略してもいいけれど省略しなくてもいいので、その点は構いません。
いくらでも丁寧に書いたらいいと思います。
問題なのは、1行目から、意味のうすれる暗算をしてしまうこと。
上の誤答でも、内分点を表すのに、分母の 3+2 を暗算して 5 としていました。
それが絶対にダメだとは言いませんが、何をしているのか、意味が伝わりにくくなるだけなので、そんなのは無駄な暗算です。
内分点の場合は、分母を 3+2 としっかり書くことで、分子をスムーズかつ正確に書いていくこともできます。
でも、3+2と書かず、いきなり5と書いてしまうような無駄な暗算を式の1行目からやってしまう子は多いです。
1行目は、意味のわかる式を丁寧に書き、以後は本人の計算力にあわせて省略してもいいということが、伝わらない。
いや、伝わっていても、実際に解くときには、いつもの癖で1行目から暗算した意味のわからない式を書いてしまいます。
そして、
「どうやって解いたのですか?」
と問われると、自分でも意味がわからず、絶句するのです。
とはいえ、今回言いたいことは、それではなく、点Pの軌跡を求める問題では、点P以外の座標に、X、Yは使わないほうがいいということ。
混乱の種ですから。
点Q の座標を (a , b) とすれば解けるのになあ・・・。
そう思っていたのですが、ある日、私のその考えを超えていく生徒が現れました。
点Qの座標を (a , b) とし、
3a+2b-6=0・・・①
という式も書いているのに、その a と b に、x と y の値を代入していたのです。
そのような代入で、a と b との式が、さらに複雑な a と b の式になった後、その a と b を、最後に x と y に書き換えて、それで最終解答としていました。
・・・なぜ?
「a と b は、本当は x と y だから」
というのが、その子の答でした。
一度そう思い込むと修正は難しく、正しい解き方の解説をしても、固まったまま、ホワイトボードを凝視していました。
数学が苦手な子に多いのですが、
「それはそれ、これはこれ」
という、矛盾した内容が頭の中に共存することがあります。
a と b は、決して点Pの x と y ではない。
でも、そのことがわからない・・・。
問題文の直線の式に代入して、x と y を a と b に書き換えたのだから、戻してもいいだろうと本人は思っていたのでした。
問題文の直線の式の x と y の関係と、求めたい点Pの x と y との関係とは違いますよ?
そんなことを説明すればするほど、その子の固まり具合は深まり、絶句していました。
それは、例えば、
(a+b)^2=a^2+2ab+b^2
という乗法公式を知らないわけではないし、そういう計算問題なら正解できるのに、
a^2+b^2=(a+b)^2
だということも普通に信じている・・・。
そういう子が多いこととも関係があるのだろうと思います。
点Pの x 座標と y 座標の関係を表す式は、点Pを含む直線や曲線の式なのである、という中学数学でわかっていてほしいことが理解できていない子は多いです。
根本の理解がなく、表面的な解き方だけを覚えてきたので、何をしても良くて、何をしたらダメなのか、よくわかっていないのだと思うのです。
軌跡の問題の解き方は何となく知っている。
手順は何となくわかる。
でも、何でそうやれば解けるのか、根本が理解できていない・・・。
説明を聞いても、高校数学の説明は、もう、よくわからない・・・。
中学数学を理解していないのですから、そうなります。
その子の理解のレベルにあわせて、かみくだいて、中学数学に戻って解説をすることの必要性を痛感するこの頃です。
a と b を x と y に直してもいいと思っていた子は、それでも、とりあえず、それをしたらダメなのだという第一歩は踏みました。
a と b の関係を表す式は、点Qの式。
x と y の関係を表す式は、点Pの式。
でも、a と x、b と y の関係を表す式が別にあれば、それを代入して、a と b だけの式を、x と y の式に生まれ変わらせることができる。
そういう構造が理解できれば、軌跡の問題は、あとは式を立てて解くだけです。
2024年11月01日
英語長文読解。一般論に反する内容が書いてあると予測する。

画像は、太陽系ウォークの途中で見上げた青空。
さて、本日は英語長文です。
大学入試レベルになると、英語長文もやや難解になってきます。
At some point in the 1650s, the French philosopher and mathematician Blaise Pascal wrote down one of the most unexpected observations of all time: "The sole cause of man's unhappiness is that he cannot stay quietly in his room."
Really? Surely having to stay quietly in one's room must be the start of a particularly evolved kind of psychological torture? What could be more opposed to the human spirit than to have to inhabit four walls when, potentially, there would be a whole planet to explore?
And yet Pascal's idea usefully challenges one of our most cherished beliefs: that we must always go to new places in order to feel and discover fresh and worthwhile things. What if, in fact, there were already a treasury inside us?
Being confined at home gives us a range of curious benefits. The first is an encouragement to think. We might stumble upon new ideas if we did travel more ambitiously around our minds while lying on the sofa.
さて、この文章を、高校生と読んでいたときのこと。
まずは、第1文。
At some point in the 1650s, the French philosopher and mathematician Blaise Pascal wrote down one of the most unexpected observations of all time: "The sole cause of man's unhappiness is that he cannot stay quietly in his room."
長いし、わかりにくいですね。
「わからない単語はありますか」
「some point」
「これは、無視しましょう」
「ある時点」という意味ですが、こういう簡単な単語なのに日本語にしようとするとよくわからない表現は入試長文問題にはよく出てきます。
教科書にはあまり載っていない表現なので、定期テスト対策として教科書の英文はよく勉強している子ほど、こういう表現につまずきます。
隅々まで全部を覚えるか、些末なところは無視するか。
大学入試が近い場合は、些末なところは無視する読解方法を身につけていくほうが有効です。
どうしても気になるのなら、自分の受験する大学の過去問集は全訳が載っているのが普通ですから、それで確認し、心の安寧を図る方法もあります。
そうやって確認すると、もうどうでもよくなって忘れてしまうのが人の常ですが。
解決すると、もう忘れてしまうんです。
未解決のままでも、同じことなのだと思います。
「とりあえず、それ以外を訳すと?」
「1650年代、フランスの哲学者と数学者のブレイズ・パスカルは、書きとめた。もっとも予期しないオブザベーションの1つを。オールタイムの。『男の不幸の単独の原因は、彼が静かに滞在できないことだ。彼の部屋の中に』」
「・・・いいですよ。ただ、『男』ではありません。1650年代のことですから、man は『人間』を指します」
「え?」
「20世紀までは、通用した表現です。だから、それを受けている he も人間です。ポリティカルコレクトネスが言われるようになるまで、これで当たり前だったのですよ。ポリティカルコレクトネスは、教科書にそういう文章が載っていたから、知っていますよね」
「・・・」
「政治的妥当性。差別の匂いを感じる表現は使わず、妥当な言葉に言い換えること。それはともかく、全体の意味はわかりましたか?」
「オブザベーションがわかりません」
「そのままでいいです。今の自分の語彙力で読むしかないのです。わからなくても、わからないまま読む。つらいなと思ったら、単語集で単語を覚え直す。その繰り返しで語彙力はついてきます」
「・・・」
「大事なことは、パスカルが何を言っているのか、です。それがわかれば十分です。パスカルは、何を言っているの?」
「わかりません・・・」
「・・・では、もう少し読み進めていくことにしましょう」
Really? Surely having to stay quietly in one's room must be the start of a particularly evolved kind of psychological torture?
「わからない単語はありますか」
「evolved」
「品詞はなんでしょう」
「動詞?」
「そうですね。今は過去分詞の形ですが。これもそのまま訳してください」
「本当に?確かに、1つの部屋に静かに滞在しなければならないことは、パティキュラリーにエボルボされた種類の心理的なトーチャーだ」
「うーん。後半、つらいですね」
「つらいです・・・」
「evolve も torture も、単語集で覚えた単語です。でも、覚えきれなかったのだから、今は仕方ない。単語集は、今後も繰り返し反復してください。単語力が読解を助けることを、そろそろ痛感しているでしょう。それと、前半の one's は、『1つの』ではありません。『人の』です」
「・・・」
「もう一度、パスカルの言葉を振り返りましょう。パスカルは何と言っているの?」
「『人の不幸の単独の原因は、彼が静かに滞在できないことだ。彼の部屋の中に』」
「うん。人の不幸の1つの原因は、部屋の中で静かにしていられないことだ」
「ああ・・・」
「つまり、パスカルの考えは、部屋の中で静かにしていることは素晴らしいことなのに、人間にはそれができない、それが人間の不幸だということです」
「・・・」
「次の文を読みましょう」
What could be more opposed to the human spirit than to have to inhabit four walls when, potentially, there would be a whole planet to explore?
「訳してください」
「何がもっと opposed できるのだろうか。人間の精神に。4つの壁に inhabit しなければならないことよりも。潜在的に、惑星全体があるときに。探検する」
「・・・少し見えてきませんか」
「わかりません」
「2つの対立事項が見えてきませんか。1つは、部屋の中で、静かにしていること。もう1つは?」
「・・・惑星を探検すること?」
「素晴らしい!だとすれば、『4つの壁に inhabit しなければならないこと』は、そのどちら側のこと?」
「・・・」
「4つの壁とは何?」
「・・・惑星?」
「4つの壁があるものは、普通は?」
「部屋?」
「そうですよ。『4つの壁に inhabit しなければならないこと』は、『部屋で静かにしていること』と、この文章では同じ意味です。英語は、常に言い換えていきます。だから、どれかがわかればいいんです」
And yet Pascal's idea usefully challenges one of our most cherished beliefs: that we must always go to new places in order to feel and discover fresh and worthwhile things.
「訳してください」
「And yet の訳し方がわかりません」
「無視しましょう」
「パスカルの考えは役に立つように挑戦する。私たちのもっともチェリッシュなビリーフに。私たちはいつも行かなければならない。新しい場所に。感じて発見するために。新鮮で価値のあるものごとを」
「cherish も belief も、単語集で覚えましたよー。単語集、繰り返し覚え直しましょうね。でも、とりあえず、ここでもまた、前に出てきた2つの対立する事項が繰り返されているだけです。1つは、パスカルの考えである『部屋の中にとどまっていることは素晴らしい』。もう1つは、この文では?」
「新鮮で価値のあるものごとを感じて発見するために、私たちはいつも行かなければならない」
「素晴らしい!先ほどの、惑星を探検することと同じ意味ですね」
「ああ・・・」
「パスカルの考えと、私たちのチェリッシュなビリーフは、対立しているのです」
「はい・・・」
What if, in fact, there were already a treasury inside us?
「訳してください」
「実際、既にトレジャリーが私たちの内側にあるとしたらどうだろうか」
「トレジャリーって、何ですかね」
「わかりません」
「似ている単語を覚えていない?」
「わかりません」
「では、トレジャリーのままでいきましょう」
単語力がないと、かなり苦しいのは、事実です。
ある程度の基本単語は覚えてきた生徒なのですが、英文を前にすると度忘れすることもあり、苦戦していました。
Being confined at home gives us a range of curious benefits.
「訳してください」
「家でコンファインドされていることは、私たちに与える。キュリアスな利点を」
「よかった!benefits も覚えていなかったらどうしようと思いました。これで、意味は取れますよ」
「・・・」
ついでに言えば、さりげなく a range of を無視していたのも良かったのです。
この際、些末なところは無視しましょう。
The first is an encouragement to think.
「訳してください」
「最初は、励ますことだ。考えるのを」
「最初は、ではなく、1つ目は、でしょう。利点をここからいくつか挙げていくつもりなんでしょう」
「ああ・・・」
We might stumble upon new ideas if we did travel more ambitiously around our minds while lying on the sofa.
「訳してください」
「私たちはスタンブル・アポンするかもしれない。新しい考えを。もし私たちが旅行をしたら。もっと野心的に。私たちの精神の周りを。ソファに横たわっている間に」
「素晴らしい!」
「さて、ここまで読むと、著者の立場がわかったと思います。2つの対立する事項があります。1つはパスカルの考え方。つまり、『人間は、部屋の中にとどまっているほうがいいのだ』。もう1つは、『新鮮で価値のあるものごとを感じて発見するために、私たちはいつも外に行かなければならない』という考え方。筆者は、どちらに賛成なの?」
「出ていくほう」
「・・・何でそう思うの?」
二択に失敗したことをもうその生徒は勘づいた様子で黙り込んでしまいましたが、それでも、繰り返し問うと、ようやく答えてくれました。
「私たちが旅行するんだから」
「・・・最後の文ですか?これ、本当に旅行するんですか。ソファに横たわって、精神をめぐる野心的な旅をすることは、実際に外出することですか?」
「・・・」
「ソファに横たわっていますよね?」
「・・・」
木を見て森を見ず。
その周辺はわりと明確に訳せているのに、travel の1語に騙されてしまったのでした。
「この『旅行する』は、比喩でしょう?心の中の旅ですよ?」
「・・・ああ」
英文そのものは、まだこの3倍近い内容が続くのですが、ここまで読めば、文脈は理解できます。
この英文は、典型的な構造です。
2つの対立事項を挙げて、そのどちらに自分は賛成なのかを述べる文章です。
国語の現代文でも、この構造の評論は多いです。
このような文章を読むときに重要なのは、2つの対立事項を明確にしておくこと。
そのうえで、著者はどちらの考えに賛成なのかを読み取ること。
この生徒は、それに失敗しました。
だから、設問では、単純な語句穴埋め問題などは正答していましたが、文脈に関わる問題では、ほぼ全滅に近い惨状となりました。
travel という単語に騙された、というのが大きいのですが、そんな1語にすがりつき、around our minds while lying on the sofa の部分は、意味を理解していたのに無視した理由は何だったのか?
誤読のメカニズムとして、興味深いです。
1つには、わからない単語が多くて、全体にモヤモヤしたまま読み進めたため、結局文意を把握しきれなかったこと。
これは大きいと思います。
でも、この単語力でも、文意は取れたはずなのです。
Pascal's idea usefully challenges one of our most cherished beliefs
という部分からも、それはわかります。
パスカルの考えは、usefully に challenges するものなのです。
では、著者は、パスカルの考えを評価しているでしょう。
何よりも決定的だったのは、この2文。
Being confined at home gives us a range of curious benefits.
The first is an encouragement to think.
at home はわかるのですから、家にいることが私たちに利点を与えるという大意は読み取れるのです。
そして、その利点の1つは。
「考えることを促すこと」
なのですから、それは、部屋の中にいるほうを良いとしているのだろうとわかります。
外出するよりも、部屋の中にいるほうが、ものごとを考えるのを促すといっているのです。
わからなかった単語も、わかってみると、それほどの意味を付加していないのです。
けれど、単語力がやや乏しい子は、単語がわからないことに惑わされて英文がわからなくなって混乱しがちです。
頑張って語彙を増やすか。
わからない単語があっても、それを何とか補って読み進めるか。
そのどちらも選べず、立ちすくんでしまうのです。
むしろ、その両方を選んでほしいのです。
頑張って語彙を増やす。
でも、それにも限界はあるから、知っている単語だけで何とか読み進めていく力もつける。
大きな課題は、文章の読み取りに、その子の主観が入ってしまったことだろうと思います。
travel の1語にすがりつく誤読が生じたのは、その子自身が、パスカルの考えに反対だったからでしょう。
部屋の中でじっとものを考えているほうが、外に出て新しいことを感じたり発見したりするよりもいい、なんてありえない。
そのような常識に縛られたのだと思います。
あるいは、本人の主観に縛られた。
しかし、ここで考えてみるべきです。
大学入試の英語長文というのは、筆者がいるのです。
アメリカかイギリスのコラムニストか作家か評論家が、実際に書いて、新聞か雑誌に掲載されて、原稿料をもらっている文章なのです。
「外に出て新しいことを感じたり発見したりするのは、部屋にいるよりも素晴らしいですね」
といった常識的なことを書いて、原稿料がもらえるものでしょうか?
誰がそんな文章を読むの?
つまらない。
それこそ、何も新しい発見がない。
日本語の評論も多くはそうですが、文章というのは、もっとエッジが効いていて、いわゆる「逆張り」をしていることが多いのです。
常識を覆す内容。
一般論を蹴散らす、独自の視点。
外に出て新しいことを感じたり発見したりするよりも、部屋の中で思索にふけるほうが、ずっと利点があるのだよ。
こういう新しい観点でものを見ている文章だから、読む価値があるのです。
それを読んで、その通りと思うか、いや違うんじゃないかと思うのは、本人の自由。
でも、著者はどう考えているのかは、正確に読み取りましょう。
そこを混同せずに、国語の評論も、英文も、賢く読み取りましょう。
この文章、後半もかなり面白いです。
実際の旅行よりも、自分の部屋で、昔の旅行を後になって思い出すほうが良いというのです。
実際の旅行は、どれほど美しい風景でも、そこに存在する自分が邪魔だ、というのです。
思い出す風景ならば、自分は存在しない。
それだけ純粋に風景を楽しめる。
どこに行っても、自分という存在が邪魔である。
何やら哲学的で面白い考え方だと思います。
外に出なくても、こういう文章を読むだけで新しい発見がある。
読書することも含めて、部屋の中で思索することには価値がある。
とはいえ、外に出るのもやはり楽しいのですが。
さて、本日は英語長文です。
大学入試レベルになると、英語長文もやや難解になってきます。
At some point in the 1650s, the French philosopher and mathematician Blaise Pascal wrote down one of the most unexpected observations of all time: "The sole cause of man's unhappiness is that he cannot stay quietly in his room."
Really? Surely having to stay quietly in one's room must be the start of a particularly evolved kind of psychological torture? What could be more opposed to the human spirit than to have to inhabit four walls when, potentially, there would be a whole planet to explore?
And yet Pascal's idea usefully challenges one of our most cherished beliefs: that we must always go to new places in order to feel and discover fresh and worthwhile things. What if, in fact, there were already a treasury inside us?
Being confined at home gives us a range of curious benefits. The first is an encouragement to think. We might stumble upon new ideas if we did travel more ambitiously around our minds while lying on the sofa.
さて、この文章を、高校生と読んでいたときのこと。
まずは、第1文。
At some point in the 1650s, the French philosopher and mathematician Blaise Pascal wrote down one of the most unexpected observations of all time: "The sole cause of man's unhappiness is that he cannot stay quietly in his room."
長いし、わかりにくいですね。
「わからない単語はありますか」
「some point」
「これは、無視しましょう」
「ある時点」という意味ですが、こういう簡単な単語なのに日本語にしようとするとよくわからない表現は入試長文問題にはよく出てきます。
教科書にはあまり載っていない表現なので、定期テスト対策として教科書の英文はよく勉強している子ほど、こういう表現につまずきます。
隅々まで全部を覚えるか、些末なところは無視するか。
大学入試が近い場合は、些末なところは無視する読解方法を身につけていくほうが有効です。
どうしても気になるのなら、自分の受験する大学の過去問集は全訳が載っているのが普通ですから、それで確認し、心の安寧を図る方法もあります。
そうやって確認すると、もうどうでもよくなって忘れてしまうのが人の常ですが。
解決すると、もう忘れてしまうんです。
未解決のままでも、同じことなのだと思います。
「とりあえず、それ以外を訳すと?」
「1650年代、フランスの哲学者と数学者のブレイズ・パスカルは、書きとめた。もっとも予期しないオブザベーションの1つを。オールタイムの。『男の不幸の単独の原因は、彼が静かに滞在できないことだ。彼の部屋の中に』」
「・・・いいですよ。ただ、『男』ではありません。1650年代のことですから、man は『人間』を指します」
「え?」
「20世紀までは、通用した表現です。だから、それを受けている he も人間です。ポリティカルコレクトネスが言われるようになるまで、これで当たり前だったのですよ。ポリティカルコレクトネスは、教科書にそういう文章が載っていたから、知っていますよね」
「・・・」
「政治的妥当性。差別の匂いを感じる表現は使わず、妥当な言葉に言い換えること。それはともかく、全体の意味はわかりましたか?」
「オブザベーションがわかりません」
「そのままでいいです。今の自分の語彙力で読むしかないのです。わからなくても、わからないまま読む。つらいなと思ったら、単語集で単語を覚え直す。その繰り返しで語彙力はついてきます」
「・・・」
「大事なことは、パスカルが何を言っているのか、です。それがわかれば十分です。パスカルは、何を言っているの?」
「わかりません・・・」
「・・・では、もう少し読み進めていくことにしましょう」
Really? Surely having to stay quietly in one's room must be the start of a particularly evolved kind of psychological torture?
「わからない単語はありますか」
「evolved」
「品詞はなんでしょう」
「動詞?」
「そうですね。今は過去分詞の形ですが。これもそのまま訳してください」
「本当に?確かに、1つの部屋に静かに滞在しなければならないことは、パティキュラリーにエボルボされた種類の心理的なトーチャーだ」
「うーん。後半、つらいですね」
「つらいです・・・」
「evolve も torture も、単語集で覚えた単語です。でも、覚えきれなかったのだから、今は仕方ない。単語集は、今後も繰り返し反復してください。単語力が読解を助けることを、そろそろ痛感しているでしょう。それと、前半の one's は、『1つの』ではありません。『人の』です」
「・・・」
「もう一度、パスカルの言葉を振り返りましょう。パスカルは何と言っているの?」
「『人の不幸の単独の原因は、彼が静かに滞在できないことだ。彼の部屋の中に』」
「うん。人の不幸の1つの原因は、部屋の中で静かにしていられないことだ」
「ああ・・・」
「つまり、パスカルの考えは、部屋の中で静かにしていることは素晴らしいことなのに、人間にはそれができない、それが人間の不幸だということです」
「・・・」
「次の文を読みましょう」
What could be more opposed to the human spirit than to have to inhabit four walls when, potentially, there would be a whole planet to explore?
「訳してください」
「何がもっと opposed できるのだろうか。人間の精神に。4つの壁に inhabit しなければならないことよりも。潜在的に、惑星全体があるときに。探検する」
「・・・少し見えてきませんか」
「わかりません」
「2つの対立事項が見えてきませんか。1つは、部屋の中で、静かにしていること。もう1つは?」
「・・・惑星を探検すること?」
「素晴らしい!だとすれば、『4つの壁に inhabit しなければならないこと』は、そのどちら側のこと?」
「・・・」
「4つの壁とは何?」
「・・・惑星?」
「4つの壁があるものは、普通は?」
「部屋?」
「そうですよ。『4つの壁に inhabit しなければならないこと』は、『部屋で静かにしていること』と、この文章では同じ意味です。英語は、常に言い換えていきます。だから、どれかがわかればいいんです」
And yet Pascal's idea usefully challenges one of our most cherished beliefs: that we must always go to new places in order to feel and discover fresh and worthwhile things.
「訳してください」
「And yet の訳し方がわかりません」
「無視しましょう」
「パスカルの考えは役に立つように挑戦する。私たちのもっともチェリッシュなビリーフに。私たちはいつも行かなければならない。新しい場所に。感じて発見するために。新鮮で価値のあるものごとを」
「cherish も belief も、単語集で覚えましたよー。単語集、繰り返し覚え直しましょうね。でも、とりあえず、ここでもまた、前に出てきた2つの対立する事項が繰り返されているだけです。1つは、パスカルの考えである『部屋の中にとどまっていることは素晴らしい』。もう1つは、この文では?」
「新鮮で価値のあるものごとを感じて発見するために、私たちはいつも行かなければならない」
「素晴らしい!先ほどの、惑星を探検することと同じ意味ですね」
「ああ・・・」
「パスカルの考えと、私たちのチェリッシュなビリーフは、対立しているのです」
「はい・・・」
What if, in fact, there were already a treasury inside us?
「訳してください」
「実際、既にトレジャリーが私たちの内側にあるとしたらどうだろうか」
「トレジャリーって、何ですかね」
「わかりません」
「似ている単語を覚えていない?」
「わかりません」
「では、トレジャリーのままでいきましょう」
単語力がないと、かなり苦しいのは、事実です。
ある程度の基本単語は覚えてきた生徒なのですが、英文を前にすると度忘れすることもあり、苦戦していました。
Being confined at home gives us a range of curious benefits.
「訳してください」
「家でコンファインドされていることは、私たちに与える。キュリアスな利点を」
「よかった!benefits も覚えていなかったらどうしようと思いました。これで、意味は取れますよ」
「・・・」
ついでに言えば、さりげなく a range of を無視していたのも良かったのです。
この際、些末なところは無視しましょう。
The first is an encouragement to think.
「訳してください」
「最初は、励ますことだ。考えるのを」
「最初は、ではなく、1つ目は、でしょう。利点をここからいくつか挙げていくつもりなんでしょう」
「ああ・・・」
We might stumble upon new ideas if we did travel more ambitiously around our minds while lying on the sofa.
「訳してください」
「私たちはスタンブル・アポンするかもしれない。新しい考えを。もし私たちが旅行をしたら。もっと野心的に。私たちの精神の周りを。ソファに横たわっている間に」
「素晴らしい!」
「さて、ここまで読むと、著者の立場がわかったと思います。2つの対立する事項があります。1つはパスカルの考え方。つまり、『人間は、部屋の中にとどまっているほうがいいのだ』。もう1つは、『新鮮で価値のあるものごとを感じて発見するために、私たちはいつも外に行かなければならない』という考え方。筆者は、どちらに賛成なの?」
「出ていくほう」
「・・・何でそう思うの?」
二択に失敗したことをもうその生徒は勘づいた様子で黙り込んでしまいましたが、それでも、繰り返し問うと、ようやく答えてくれました。
「私たちが旅行するんだから」
「・・・最後の文ですか?これ、本当に旅行するんですか。ソファに横たわって、精神をめぐる野心的な旅をすることは、実際に外出することですか?」
「・・・」
「ソファに横たわっていますよね?」
「・・・」
木を見て森を見ず。
その周辺はわりと明確に訳せているのに、travel の1語に騙されてしまったのでした。
「この『旅行する』は、比喩でしょう?心の中の旅ですよ?」
「・・・ああ」
英文そのものは、まだこの3倍近い内容が続くのですが、ここまで読めば、文脈は理解できます。
この英文は、典型的な構造です。
2つの対立事項を挙げて、そのどちらに自分は賛成なのかを述べる文章です。
国語の現代文でも、この構造の評論は多いです。
このような文章を読むときに重要なのは、2つの対立事項を明確にしておくこと。
そのうえで、著者はどちらの考えに賛成なのかを読み取ること。
この生徒は、それに失敗しました。
だから、設問では、単純な語句穴埋め問題などは正答していましたが、文脈に関わる問題では、ほぼ全滅に近い惨状となりました。
travel という単語に騙された、というのが大きいのですが、そんな1語にすがりつき、around our minds while lying on the sofa の部分は、意味を理解していたのに無視した理由は何だったのか?
誤読のメカニズムとして、興味深いです。
1つには、わからない単語が多くて、全体にモヤモヤしたまま読み進めたため、結局文意を把握しきれなかったこと。
これは大きいと思います。
でも、この単語力でも、文意は取れたはずなのです。
Pascal's idea usefully challenges one of our most cherished beliefs
という部分からも、それはわかります。
パスカルの考えは、usefully に challenges するものなのです。
では、著者は、パスカルの考えを評価しているでしょう。
何よりも決定的だったのは、この2文。
Being confined at home gives us a range of curious benefits.
The first is an encouragement to think.
at home はわかるのですから、家にいることが私たちに利点を与えるという大意は読み取れるのです。
そして、その利点の1つは。
「考えることを促すこと」
なのですから、それは、部屋の中にいるほうを良いとしているのだろうとわかります。
外出するよりも、部屋の中にいるほうが、ものごとを考えるのを促すといっているのです。
わからなかった単語も、わかってみると、それほどの意味を付加していないのです。
けれど、単語力がやや乏しい子は、単語がわからないことに惑わされて英文がわからなくなって混乱しがちです。
頑張って語彙を増やすか。
わからない単語があっても、それを何とか補って読み進めるか。
そのどちらも選べず、立ちすくんでしまうのです。
むしろ、その両方を選んでほしいのです。
頑張って語彙を増やす。
でも、それにも限界はあるから、知っている単語だけで何とか読み進めていく力もつける。
大きな課題は、文章の読み取りに、その子の主観が入ってしまったことだろうと思います。
travel の1語にすがりつく誤読が生じたのは、その子自身が、パスカルの考えに反対だったからでしょう。
部屋の中でじっとものを考えているほうが、外に出て新しいことを感じたり発見したりするよりもいい、なんてありえない。
そのような常識に縛られたのだと思います。
あるいは、本人の主観に縛られた。
しかし、ここで考えてみるべきです。
大学入試の英語長文というのは、筆者がいるのです。
アメリカかイギリスのコラムニストか作家か評論家が、実際に書いて、新聞か雑誌に掲載されて、原稿料をもらっている文章なのです。
「外に出て新しいことを感じたり発見したりするのは、部屋にいるよりも素晴らしいですね」
といった常識的なことを書いて、原稿料がもらえるものでしょうか?
誰がそんな文章を読むの?
つまらない。
それこそ、何も新しい発見がない。
日本語の評論も多くはそうですが、文章というのは、もっとエッジが効いていて、いわゆる「逆張り」をしていることが多いのです。
常識を覆す内容。
一般論を蹴散らす、独自の視点。
外に出て新しいことを感じたり発見したりするよりも、部屋の中で思索にふけるほうが、ずっと利点があるのだよ。
こういう新しい観点でものを見ている文章だから、読む価値があるのです。
それを読んで、その通りと思うか、いや違うんじゃないかと思うのは、本人の自由。
でも、著者はどう考えているのかは、正確に読み取りましょう。
そこを混同せずに、国語の評論も、英文も、賢く読み取りましょう。
この文章、後半もかなり面白いです。
実際の旅行よりも、自分の部屋で、昔の旅行を後になって思い出すほうが良いというのです。
実際の旅行は、どれほど美しい風景でも、そこに存在する自分が邪魔だ、というのです。
思い出す風景ならば、自分は存在しない。
それだけ純粋に風景を楽しめる。
どこに行っても、自分という存在が邪魔である。
何やら哲学的で面白い考え方だと思います。
外に出なくても、こういう文章を読むだけで新しい発見がある。
読書することも含めて、部屋の中で思索することには価値がある。
とはいえ、外に出るのもやはり楽しいのですが。