2021年06月30日
高校数Ⅱ「三角関数」。三角関数の性質。

三角関数の性質には、以下のものがあります。
sin(θ+2nπ)=sinθ ただしnは整数
cos(θ+2nπ)=cosθ
tan(θ+2nπ)=tanθ
sin(-θ)=-sinθ
cos(-θ)=cosθ
tan(-θ)=-tanθ
sin(π/2-θ)=cosθ
cos(π/2-θ)=sinθ
tan(π/2-θ)=1/tanθ
sin(θ+π/2)=cosθ
cos(θ+π/2)=-sinθ
tan(θ+π/2)=-1/tanθ
sin(θ+π)=-sinθ
cos(θ+π)=-cosθ
tan(θ+π)=tanθ
・・・でも、これは、覚えなくていいんです。
理解すればいいだけなんです。
単位円の正しいイメージを持っていれば、実際の問題で普通に利用できます。
まず第1グループ、θ+2nπから。
2π=360° ですから、単位円では動径は1周し、元に戻ってきます。
ここでnは整数ですので、2nは偶数。
だから、2nπは何周しているかは不明ですが、動径は必ずθの位置に戻ってきています。
何周したところで、動径が同じ位置なら、サイン・コサイン・タンジェントの値に変化はありません。
これは、それだけのことです。
理解すれば、OKですね。
その次あたりから、暗雲がたちこめてきます。
sin(-θ)=-sinθ
cos(-θ)=cosθ
tan(-θ)=-tanθ
これは、何でしょう?
具体的に、まず鋭角で考えてみましょう。
わかりやすいように、度数法でいきましょうか。
θ=60° としてみましょう。
sin60°=√3/2、cos60°=1/2、tan60°=√3 です。
ところで、-60°というのは、動径が第4象限にあります。
sin(-60°)=-√3/2、cos(-60°)=1/2、tan(-60°)=-√3 です。
見比べるとわかります。
上の関係が成り立っています。
単位円をイメージすれば、それはそうだなという話です。
θを第1象限の角としてみましょう。
-θは、第4象限の角。
sin(-θ)とsinθは、絶対値は等しく、符号が逆となります。
cos(-θ)とcosθは、絶対値も符号も等しいです。
tan(-θ)とtanθは、絶対値が等しく、符号が逆です。
これは、θが第2象限の角でも、成り立ちます。
-θは、第3象限の角。
やはり、サインとコサインは、絶対値が等しく符号が逆で、コサインの値は絶対値も符号も等しいです。
θが第3象限の角でも、成り立ちます。
-θは、第2象限の角になります。
やはり、サインとコサインは、絶対値が等しく符号が逆で、コサインの値は絶対値も符号も等しいです。
θが第4象限の角でも、成り立ちます。
-θは、第1象限の角になります。
やはり、サインとコサインは、絶対値が等しく符号が逆で、コサインの値は絶対値も符号も等しいです。
どの象限でも成り立つことがわかったら、θの大きさが不明なままの問題を解くときには、θが第1象限のときのイメージだけで、いつでもこの性質を利用できます。
sin(-θ)=-sinθ
cos(-θ)=cosθ
tan(-θ)=-tanθ
を、公式として暗記する必要は特にありません。
このように解説し、生徒がクリアにイメージできたときは、生徒はニンマリ笑って「すげえ」とつぶやいてくれます。
ところが、正確にイメージできない場合、不毛な議論が始まります。
例えば、θが第3象限の角のとき、-θは第2象限の角だということが、イメージできない場合。
「-θは第4象限だっ」
と主張する生徒との不毛な格闘が始まることがあります。
正しいイメージを持つことができない生徒は、なぜそのような誤解をしているのか、上手く説明できないことも多いです。
辛抱強く聞き込み、どんな誤解なのか確かめていく必要があります。
まずは、θを第1象限の角に限定して説明します。
しかし、不可解なことに、わかりやすいように第1象限の角で説明しても、聞いている生徒は、一番わかりにくい第3象限の角でイメージしていたりします。
しかも、単位円から直接イメージするわけではなく、途中で謎の計算や転換をしています。
「・・・第3象限?第3象限の角って、例えば何度のことをイメージしていますか?」
と尋ねると、
「-220度」
と答えたりします。
「・・・それは、第2象限の角です」
「ええっ」
「・・・それで、それと符号が反対の220度の動径はどこにあると思ったの?」
「第3象限。-220°=220° だから」
「・・・え?-220°=220°って、何の話?」
生徒の思考のねじれやひずみは、こちらの理解を超越しています。
あるいは、非常に単純に、第3象限と第4象限の位置を取り違えていた生徒もかつていました。
第2象限の下が第4象限だと思い込んでいたのです。
位置を取り違えていたにも関わらず、
「第3象限のときはサインは負の数、コサインは負の数、タンジェントは正の数」
という情報だけを丸暗記していました。
単位円上の事実関係とは異なるので、そこで認識に歪みが生じていました。
それでも、口に出して言ってくれればまだ誤解を解くことができます。
具体的に説明できず、黙ってしまう子も多いです。
一所懸命話してくれていても、何の話をしているのかこちらは理解しかねて途方に暮れることもあります。
「前にやったときはこうだった」
「学校ではこう教わった」
といったことを訴えてくるのですが、前とはどのときか、学校では具体的にどの問題でそれを教わったのか、問い返しても、返答はありません。
「例えばどういうこと?」「式は?」とこちらが具体的な話にしようとしても、向こうも必死で、耳に入っていないのか、説明のスタイルが変わることはありません。
何か誤解があり、
「sin(-θ) は、-sinθ にはならない。sin(-θ)=sinθ のはずだ」
と考え、
「わからない。わからない。わからない」
と頭を抱えています。
そして、結局わからないから全部暗記するといい、できるはずもなく、すべて諦めることになっていきます。
諦めないで。
理解しましょう。
ここは、公式を丸暗記するところでは、まだないのです。
前回の繰り返しになりますが、この先、加法定理以降は、丸暗記しないことにはどうにもならない公式が、三角関数には山程あります。
「公式はその場で復元できる」などとうそぶくには無理がある。
復元に最低10分はかかるような公式は、丸暗記したほうがいいのです。
1~2分で公式を復元できる人もいます。
しかし、そんな人と自分を同列に扱うことに意味はない。
突出した才能をもつ数学モンスターの言うことなんか真に受けても仕方ない。
我々は、常に現実的にものを考えましょう。
丸暗記で済ますべきものは、丸暗記で済ませます。
もしも丸暗記したものを忘れた場合に、公式を復元する手がかりは頭に残しておきますが。
でも、今はまだそのレベルではありません。
理解するだけでそのまま使えます。
理解すれば利用できることは、暗記しなくてもよいのです。
では、問題を解いてみましょう。
問題 次の値を求めよ。
sin 17/18π+cos 13/18π+sin 7/9π-sin π/18
この手の問題は、どうせ答は「0」か「1」になるか、特別な比の三角比の値になるか、です。
どうせそのようになるんだという結末をぼんやりと見ておくことで、まず気持ちを落ち着けましょう。
常に単位円をイメージします。
絶対値は動径が第1象限にある場合と等しい。
符号は変わるか、同じままか?
それだけ考えていきましょう。
sin 17/18π は、第2象限に動径があります。
サインは第1象限と同じく正の数。
単位円をイメージしましょう。
sin 17/18π=sin π/18 です。
cos 13/18π は、第2象限に動径があります。
コサインは、第2象限なら負の数。
この cos 13/18π という値は負の数です。
それを強く意識しましょう。
動径が第1象限のときは、サイン・コサイン・タンジェントはすべて正の数です。
だから、cos 13/18π=-cos 5/18π です。
ここで、コサインをサインに変えましょう。
コサインとサインは、和が90度になる関係で、変換できるのでした。
「三角比」で学習しました。
cos50°=sin40° のように変換できました。
直角三角形の対辺と底辺の位置が置き換わることから、サインとコサインが交代するのでした。
それを使いましょう。
上の一覧の、
sin(π/2-θ)=cosθ
cos(π/2-θ)=sinθ
tan(π/2-θ)=1/tanθ
は、そういう意味です。
90°は、ラジアンにすると、π/2=9/18π。
cos 5/18π=sin 4/18π=sin 2/9π
よって、
-cos 5/18π =-sin 2/9π
次は、sin 7/9π 。
これも第2象限に動径があります。
sin 7/9π=sin 2/9π です。
よって、
sin 17/18π+cos 13/18π+sin 7/9π-sin π/18
=sin π/18-sin 2/9π+sin 2/9π-sin π/18
=0
もう1問解いてみましょう。
問題 sin(-23/6π)+tan 13/6π+cos 11/2π+tan(-25/6π) の値を求めよ。
やり方は同じです。
sin(-23/6π) は、頭の中で動径をいつもとは逆、すなわち時計回りに回転させると、-24/6πより少し手前で止まりますから、第1象限の角。
sin(-23/6π)=sin π/6 です。
tan 13/6π は、動径が12/6πより少し先に進んでいますから、第1象限。
tan 13/6π=tan π/6 です。
cos 11/2π は、動径が12/2π-π/2 の位置ですから、3周する手前の、第3象限と第4象限の間のy軸上。
cos 11/2π=0 です。
tan(-25/6π)は、逆回転で考えて、動径は-24/6πより少し先に進んでいますから、
tan(-25/6π)=tan(-π/6)
第4象限の角なので、タンジェントは負の数ですから、
tan(-π/6)=-tan π/6
よって、
sin(-23/6π)+tan 13/6π+cos 11/2π+tan(-25/6π)
=sin π/6+tan π/6+0-tan π/6
=sin π/6
=1/2
慣れれば簡単です。
中3で「平方根」を学習するときにも感じることですが、「三角関数」の学習は、生徒の抵抗感や誤解が強すぎて、全く授業にならない日もないわけではありません。
何をどのように説明しても通じないのです。
前提の違う会話をしていることだけはわかるけれど、生徒がどういう前提でものを見ているのかが、伝わってこない。
表現力のある生徒ならば、何をどう誤解しているのかが私に伝わりますが、あまり期待できないことが多いです。
生徒が、例えば単位円においては「220°=-220°」だと誤解していることなど、どうして予想できるでしょう。
言ってくれなければ、それはわからないのです。
黙って困惑して考えこみ理解できないままでいる生徒を前に、時間だけが過ぎる・・・。
ところが、翌週の授業では、前回と同じ解説をしているだけなのに、ストンと理解してくれることがあります。
1週間、眠っているときも、脳は情報を整理し続けている。
わからないことがあっても、そのときわからないだけで、時間が経てばわかるようになることがあります。
諦めないことです。
諦めなければ、先に進めます。
2021年06月27日
高校数Ⅱ「三角関数」特別な角の三角関数。

さて、三角関数の学習の3回目。
今回は特別な角の三角関数。
これは、「三角比」の学習のときに覚えたことを「三角関数」用にバージョンアップするだけです。
特別な角とは、三角定規の角とそのバリエーションです。
すなわち、30°、45°、60°です。
180°がπ。
度数法で30°は、弧度法では、π/6です。
だから、例えば、
sin π/6=sin30°=1/2
cos π/4=cos45°=1/√2
tan π/3=tan60°=√3
三角定規の角は、直角三角形をイメージして、サイン・コサイン・タンジェントの最初の定義通りに辺の比を考えればわかります。
暗記できるなら暗記したらよいですが、暗記しなくても、三角定規の三角形を頭の中にイメージするだけで、いつでも復元できます。
私自身は、sin45°=sinπ/4=1/√2、cos45°=cosπ/4=1/√2 はさすがに覚えてしまっていて、何もイメージせずに直接変換していますが、他は紛らわしいので、直角三角形をイメージして変換しています。
実際に図を描く必要はなく、頭の中で直角三角形をイメージするだけなので、1秒ほどで変換できます。
しかし、その1秒が惜しいと思う人は、すべて暗記したらいいと思います。
覚え間違いだけは、くれぐれも注意してください。
何となく覚えているつもりで、いつの間にか値が逆になってしまっていて、基本問題で失点してしまうのは、残念なことです。
・・・と、ここまで説明して、不安に感じていることが1つあります。
この説明は少なくとも「三角比」はマスターしている人への説明です。
しかし、現実の高校生は、「三角関数」を学習する頃には、「三角比」の基本を忘れている場合があるのです。
そういう意味では一気に学習するほうが効率的なので中高一貫校向けの教科書「体系数学」などは、三角比と三角関数の学習を合体させ、1つの単元として学習します。
都立高校でも、高校1年の3学期に「三角比」を学習し、高校2年の1学期に「三角関数」を学習するというように、カリキュラムの順番を組み替えて、生徒が基本を忘れてしまうのを回避しているところもあります。
このブログにもよく書くことですが、現代は、学力優秀な子も多い一方で、ものを覚えない子たちも多く存在します。
記憶の大半を「外付けのデバイス」に頼っている子たちです。
確かに、わからないことは調べたらいい。
検索したり、機械に問いかければ、すぐ答えてくれます。
そうしたこともあって、ものを覚えることに価値を感じていない人もいるかもしれません。
テスト前だけ、無理に記憶を詰め込むが、すぐに忘れる。
必要ない記憶だからと、消去する。
脳の空き容量は常に最大限に確保。
頭が軽くて清々する。
そうした人たちは、高校生になると、数学でどうしても苦戦します。
高校1年で学んだ知識がないのに、高校2年の数学を理解するのは、さすがに無理です。
理解できないまま、公式を丸暗記してやり過ごすことしかできなくなっていきます。
だから、年に何回かの校外模試では、テスト範囲が指定されていないため、数学の問題はほとんど解くことができません。
単純な計算問題だけは解くことができたりしますが、最近の模試は、そんな問題はないことが多いのです。
問題が何を要求しているのか、わからない。
何の単元の問題なのか、判断できない。
知識が頭の中に入っていないので、どうにもなりません。
「三角比」の知識のない人に、「三角関数」を理解するのは無理です。
「三角比」をわかっていることが前提で授業は進んでいきます。
学校の先生が加法定理を理解してもらおうと躍起になっているというのに、それを聞いている生徒は、
「角度のたし算?普通にたせばいいじゃん。こんな公式要らないだろ」
と内心思っている。
このすれ違いは深刻です。
単に角度をたすのではなく、角度の和のサインの値を求めようとしているのだと説明されると、
「サインって何だっけ?角度のことじゃないの?」
と思ってしまう・・・。
サインって何でしたっけ?
三角比とは何か?
まずは、直角三角形を整地しましょう。
∠θが左下。
直角が右下。
このように直角三角形を置きます。
この位置が、最初は一番理解しやすいです。
直角三角形の各辺には名前があります。
直角と向き合う辺が「斜辺」。
∠θと向き合う辺が「対辺」。
残る辺を「底辺」と呼びます。(「隣辺」と呼ぶこともあります)
そして、
sinθ=対辺/斜辺
cosθ=底辺/斜辺
tanθ=対辺/底辺
こうして、辺の名称で覚えるのが基本です。
しかし、それでもまだ覚えにくいですね。
アルファベットの筆記体のsを描くように分母からなぞるのがサイン。
cを描くようになぞるのがコサイン。
tを描くようになぞるのがタンジェント、と覚えます。
筆記体のSを知らない人は、Cを描くようになぞるのがコサインというのはブロック体でも同じなので、それで覚えましょう。
そうではないほうが、サインです。
最初はそのように三角形を「整地」して考えますが、慣れてくればサインとコサインの分母は常に斜辺だと気づきます。
サインは、斜辺から、∠θとは遠いほうに進む。
コサインは、斜辺から∠θのほうに進む。
そう理解すると、三角形がどんな向きになっていても、サインとコサインを瞬時に判断できるようになります。
このように、三角比の始まりは、直角三角形の辺の比です。
角度から辺の長さを求めることができるので、測量に非常に便利です。
しかし、直角三角形である限り、∠θは常に鋭角で、限定的です。
何とか鈍角でも三角比は使えないでしょうか?
はあ?
直角三角形に鈍角なんてあるわけないし!
そんな反応も予想できます。
それは当然そうなのですが、とにかく便利なので、使えるようにしたいのです。
その発想が原点です。
とにかく、1つのことが言えたら、それを一般化したいのです。
何事においても限定解除を求めていくのが、数学の基本方針です。
三角比の拡張は、単位円を描くことから始まります。
単位円とは、座標平面上に描いた、原点を中心とした半径1の円です。
この円周上を動く動点Pの座標を(x , y)とします。
中心と結んだ線分OPを動径と呼びます。
「動く半径」です。
Pを円周上のどこにとってもOPは円の半径ですから常に1です。
まずは今まで通り、第1象限の円周上に点Pをとってみます。
Pからx軸に垂線を下ろします。
そうすると、直角三角形を座標平面上に描くことができます。
斜辺は半径ですから、長さは1です。
P(x , y)ですから、この直角三角形の対辺の長さはy、底辺の長さはxとなります。
動径とx軸の正の方向との成す角をθとすると、
sinθ=y/1=y
cosθ=x/1=x
tanθ=y/x
となります。
これは便利です。
サインがy座標そのもの、コサインがx座標そのものになります。
このように、三角比を定義し直します。
原点Oを中心として半径rの円において、x軸の正の向きから左まわりに大きさθの角をとったとき定まる半径をOPとし、点Pの座標を(x , y)とする。このとき、
sinθ=y/r
cosθ=x/ r
tanθ=y/x と定める。
というのが、拡張した三角比の定義です。
実際には、r=1のとき、サインがy座標そのもの、コサインがx座標そのもの、タンジェントは直線OPの傾きそのものになり、とても便利なので、この単位円で話を進めていきます。
しかし、数学が苦手な子は、ここで混乱を起こすことがあります。
「単位円上の動点Pの座標を(x , y)とする」
というのは定義であるのに、
「どうしてそうなるんですか?」
「点Pが円周上にないときはどうするんですか?」
といった不要な質問で頭がいっぱいになって、理解できなくなる人がいます。
それは定義なんだから、疑義を挟むところではないんです。
そう定義することで後々便利なのです。
しかし、そう言っても、納得できない様子です。
xやyというのは、もっと使い方に別のルールがあって、そこで勝手に使ってはいけないのではないか?
そういう思い込みがあるのかもしれません。
あるいは、直角三角形の辺に注目し過ぎていて、重要なのは角度なのだということがうまく呑み込めないのかもしれません。
単位円をはみ出す直角三角形が頭の中にちらついて、説明がよく理解できないということがあるように思います。
直角三角形は、単位円からはみ出すことはありません。
なぜなら、ここで注目しているのは、直角三角形ではなく、x軸の正の方向と動径との作る角度だからです。
直角三角形のサイズは関係ないのです。
常に、単位円上に点Pがあるサイズで話を進めていくのです。
サイン・コサイン・タンジェントは、それぞれの角に固有の値であり、もう直角三角形の辺の比ではなくなるようにしたい。
そのための単位円であり、P(x , y)という定義なのです。
話を戻しましょう。
sinθ=y
cosθ=x
tanθ=y/x
このように定義し直したら、もう直角三角形から離れ、三角比は1人歩きできます。
座標平面の第2象限、すなわち、単位円の半円の左側に動径OPが来ても、同じ定義が使えます。
それで鈍角の三角比を求めることができます。
サインは、点Pのy座標そのもの。
コサインは、点Pのx座標そのもの。
タンジェントは、直線OPの傾き。
そう把握します。
しかし、点Pが第2象限にあるとき、反対向きの直角三角形を描き、その辺の比を求めようとしてサインとコサインがグチャグチャになってしまう人がいます。
うんうんうなりながら、反転している直角三角形と格闘しています。
でも、そういうことではないんです。
∠θはあくまでも、x軸の正の方向と動径OPとの成す角です。
考えるヒントとして反対向きの直角三角形を描いて解説するのは、第1象限の直角三角形とy軸に対して線対称であることを示すためです。
線対称だから、第1象限に置き換えて考えると楽ですよと説明しているだけなのですが、ノートに第2象限の直角三角形が残るせいか、そっちで求めるのだと誤解してしまう人がいます。
第2象限の三角比は、絶対値を第1象限の直角三角形で把握し、それにプラス・マイナスの符号をつけて求めていくと楽です。
拡張された定義から明らかですが、サインはyの値ですから、相変わらず正の数です。
コサインはxの値ですから、負の数。
タンジェントもxの値が負の数であることが影響し、負の数となります。
考えるヒントとして反対向きの直角三角形をイメージしたい人はすればよいのですが、それで混乱するのは無駄なことだと思います。
その結果、
「鈍角の三角比とは、左側の直角三角形の辺の比を求めること」
と思い込み、
「三角比とは直角三角形の辺の比である」
というところから意識を拡張できない子もいます。
三角形の面積を求める頃になって、
「直角三角形以外では、三角比は使えないですよっ」
と言い張る高校生と不毛な議論をした経験もあります。
実際の問題で考えてみましょう。
例えば、∠θ=120°=2/3 πのとき。
P(x , y)は、∠θ=60°=π/3 のときのPとy軸について線対称ですから、yの値、すなわちsinの値は同じです。
xの値、すなわちcosの値は負の数となります。
y/xであるtanの値も負の数となります。
∠θ=π/3のときは、特別な比の直角三角形をイメージして解くと、
sinθ=√3/2 , cosθ=1/2 , tanθ=√3/1=√3 ですから、
∠θ=2/3 πのときは、
sinθ=√3/2 , cosθ=-1/2 , tanθ=-√3 となります。
慣れてしまえば、いちいち単位円を描かなくても、頭の中で特別な比の直角三角形をイメージするだけで解けます。
上手くイメージできない間は、第1象限に直角三角形を描いて解いても良いでしょう。
さて、数Ⅰの基本学習としては、三角比は0°≦θ≦180° でした。
勿論、学校の先生の判断によっては、数Ⅰの学習時に、もう全円で学習した人もいると思いますが、数Ⅱ「三角関数」で、単位円は全円に拡張されるのが標準です。
考え方は同じです。
単位円は、下半分、第3象限も第4象限も描きます。
sinθ=y
cosθ=x
tanθ=y/x
という定義は変わりません。
そうすると、動径が第3象限にあるとき、
サインの値は負の数になります。
コサインの値も負の数。
したがって、タンジェントの値は正の数になります。
動径が第4象限にあるとき、
サインの値は負の数。
コサインの値は正の数。
タンジェントの値は負の数となります。
絶対値は、第1象限に角を置き換えて判断します。
動径が第3象限にある場合は、x軸の負の方向と動径とのなす鋭角で考えます。
符号は、sinはyの値なので負の数、cosはxの値なので、これも負の数、tanは正の数となります。
動径が第4象限にある場合は、x軸の正の方向となす鋭角で考えます。
符号は、sinはyの値なので負の数、cosはxの値なので正の数、tanは負の数となります。
そうすることで、どのような角の三角関数も求めることができます。
問題 θが次の値にとき、sinθ、cosθ、tanθの値を求めよ。
(1) 7/3 π (2) -13/4 π (3) 13/2 π (4) -7π
まずは(1)から。
2πで1周ですので、7/3 πは、動径が1周回ってプラスπ/3となります。
小学校の頃から分数が苦手だった子にはちょっと戸惑いがあるかもしれません。
練習すれば速くなる作業ですので、ひたすら練習あるのみです。
7/3=6/3+1/3
ということが瞬時にわかれば、すっと書き換えていけます。
分数の操作に慣れれば、さほど考えなくても転換できるようになっていくのです。
動径は7/3 πもπ/3も同じ位置ですから、三角関数の値も同じです。
したがって、答は、
sinθ=√3/2、cosθ=1/2、tanθ=√3 です。
(2) -13/4 π
考え方はいろいろあります。
sin(-θ)=-sinθ
といった公式を覚えて活用しても勿論構わないのですが、
cos(-θ)=cosθ
と混ざりやすいので、私はあまり勧めていません。
この先、覚えなければならない公式が三角関数には大量にあります。
覚えなくて済むことまで覚えていたら、頭がパンクします。
しかも、「サインのときはこうで、コサインのときはこう」といった公式を、なぜか必ず逆に覚えてしまう人は案外多いのです。
どうして物事を逆に覚えてしまうのか?
本人に尋ねたところで、理由がわかるはずもありません。
私は、負の数のときは、負の数のまま、動径をいつもとは逆、すなわち時計回りに回しています。
-13/4=-12/4-1/4
時計回りに3π 回転すると、1周半。
その時点で、動径は第2象限と第3象限との境の x 軸上にあります。
さらに1/4 πだけ時計回りに動かすと、それは、3/4 πと同じ位置に動径があるということです。
したがって、
sinθ=1/√2、cosθ=-1/√2、tanθ=-1
(3) 13/2 π
13/2=12/2+1/2 です。
6πというのは、3回転ということですので、動径は、π/2 と同じ位置にあります。
π/2=90°
sinθ=y、cosθ=x、tanθ=y/x
という定義に従って解いていきます。
したがって、
sinθ=1、cosθ=0、tanθはない。
分母に0をおく、すなわち0で割ることは行わないことなので、そのような値はないとします。
(4) -7π
これも負の数なので、時計回りに回転させます。
-7π=-6π-π
時計回りに3周した後、さらに半周。
動径は、第2象限と第3象限との境の x 軸上です。
これも定義にしたがって、
sinθ=0、cosθ=-1、tanθ=0
となります。
あとは、こうした作業にとにかく慣れることです。
三角関数の本当の恐ろしさは、学習の後半、加法定理以降にあります。
まだ、学習は序盤です。
三角比も三角関数も、角度を表すものではありません。
思考の妨害となるのは、気がつくと三角関数は角度のことだと思ってしまっている、その思い違いです。
あるいは、直角三角形の辺の比という初歩から拡張できていない場合。
そうして、角度ではない、直角三角形の辺の比でもないと言われると、では何のことなのかわからない。
結局、作業手順と公式を丸暗記して、それで何とかやり過ごそうとする人もいるかもしれません。
確かに、この作業手順までなら覚えられるかもしれません。
しかし、作業手順の丸暗記で済まそうと思っている人にこの先待っているのは、悪夢です。
とても覚えきれません。
意味のわからない作業としては、この先は、複雑すぎます。
でも、意味がわかれば、何とかなります。
繰り返し繰り返し定義に戻って、意味を理解してください。
2021年06月25日
都立小金井公園の桔梗がきれいでした。2021年6月。
週一の楽しみになってきた散歩。
遅くとも冬には山歩きを再開できそうですが、その後も、散歩も続けたいなという気持ちになってきました。
早起きしなくてもいいし、準備もそんなに要らないし。
季節ごとに違う花が咲いていて楽しいです。
今週は、都立小金井公園に行ってきました。
三鷹駅北口の玉川上水緑道の左岸、舗装されていない土の歩道をいきます。
上水沿いに点々とノカンゾウが咲いていました。
濃い緑の中に、オレンジ色の花が鮮やかです。
ユリと比べると、はなびらの1枚1枚が完全に分かれていて、だらんと広がっているところが、野趣あふれる印象です。
花びらに入っている縦線も面白い。
山では見たことがなかった花です。
山では、こういう花はみんなシカが食べてしまうせいもあるのかなあ。
浄水場の横をずっと歩いていき、桜橋交差点で右折。
舗装された歩道をしばらく歩いて、井の頭通りの交差点を左折。
ここからは細い公園が道路沿いに続いているので、再び土の道を歩いていくことができます。
とことこ歩いて、大きな交差点。
あ、信号が青だ。
と急いで渡りましたが、途中で赤信号になってしまい、中央分離帯に取り残されました。
樹木がたくさん残されて、舗道も整備されている中央分離帯なので、危険ということはありません。
長い信号を待って、ようやく向こう側にわたると、多摩湖自転車歩行者道の入り口です。
ここは、歩行者専用道も舗装されています。
略地図があったので見ると、その上に、「都立狭山・境緑道」と書いてありました。
え?
ここは、多摩湖自転車歩行者道じゃないの?
名称が変わったの?
スマホで調べると、最近名称が変わったというわけではなく、歩行者専用道の部分が、「都立狭山・境緑道」で、アスファルトで舗装されてセンターラインの入っている部分が「多摩湖自転車歩行者道」のようです。
・・・知らなかった。
名称的には、「多摩湖自転車歩行者道より」も、「狭山・境緑道」のほうが、起点と終点が明確で、どういう道なのかわかりやすいですが。
多摩湖と境浄水場までの水道管を敷設した道路を緑化したのが、この道だそうです。
大正12年に作られた水道施設の上の緑道。
現在も、下は水道管が走っているのだとか。
あまりにもまっすぐな道がずっと続いているので、戦前の線路の跡地か何かだろうと思っていました。
多摩湖と境浄水場を結ぶ道。
考えたら、それは水道施設だ。
当たり前のことでした。
20年も前から自転車で年に一度は来ていた道の「新事実」に気づいて驚いたのも、歩いたからこそかもしれません。
自転車に乗っていたら通り過ぎていくことに1つ1つ気づけるのが、徒歩の良さですね。
気になったらすぐ写真を撮ったり、立ち止まってスマホで調べたりできるのは、20年前にはなかったありがたさです。
とはいえ、この緑道、舗装しないでおいてくれていたらもっとありがたかった。
でも、そうすると、自転車道のほうにはみ出す歩行者がもっと増えるから、これでいいのかな。
平日なので、歩行者も自転車も少なく、のんびりと自分のペースで歩いていくことができました。
緑道唯一の未舗装区画である土手の道はどうしても歩きたくて、遠回りとわかっていてもしっかり歩きました。
いったん、土手を最後まで歩いてから、Uターン。
途中の木段で下の歩道に下りて、銀色の太い角柱の道しるべに従い、南へ。
都立小金井公園へと歩きだしました。
農地の真ん中の道を歩いていくと、鈴木街道という道路に出て、信号を渡ると、もう都立小金井公園でした。
あれ?
前回入った入り口とは違う。
もっとずっと東よりの入り口から入ることができました。
都立小金井公園は、入り口もたくさんあるようです。
公園の東の端に入ったので、そこから西に向かいました。
ヒナゲシももうほぼ終わった様子です。
広大なこの公園。
何回も来ているのに、まだ歩いていない区域があります。
公園の一番西の部分です。
今日はそこに行こうと思います。
舗装された遊歩道もありますが、草原の広場には土の道もあります。
江戸東京たてもの園の柵の前を西へとずっと歩いていきました。
園内の案内図を見ると、西側は桜の園になっています。
その中で、狭いですが「宿根草園」というスペースがあるようでした。
何か咲いているかも。
行ってみることにしました。
多年草の咲くスペースらしいのですが、花壇の印象の強いところでした。
キキョウがたくさん植えられ、咲いていました。
上の画像がそれです。
キキョウは、山で1輪咲いているのを見つけるとすごく嬉しい花です。
ここのキキョウは、明らかに栽培種。
たくさん並んで植えられ、1つの株から花がたくさん咲いていて、きれいでした。
そういう視点で見直すと、都立小金井公園は、花を栽培し世話している公園です。
野草が自然に咲いているというのではなく、手入れされた栽培種がきれいに咲いています。
いや、都立野川公園の自然観察園だって、世話しているからこそあんなに多様な花が咲いているので、結局は同じことなんだけれど。
花選びの志向がちょっと違うということはあるのかな。
野草園といったスペースは、小金井公園にはないようです。
野原ですので、何気なくネジバナが咲いていたりはしますが。
帰り道は正門へ。
花壇のサルビアとマリーゴールドがきれい。
夏ですねえ。
信号を渡って、帰り道は玉川上水緑道の右岸をたどりました。
上水の土手には、やはり点々とノカンゾウが咲いていました。
群生しているところも。
あれ?
ノカンゾウとよく似ているけれど、花びらがくるりと複雑に巻いている花もたくさん咲いています。
うーむ。
これは、ヤブカンゾウかな。
いつ来ても、新しい花が咲いています。
玉川上水緑道は、花の道です。
五日市街道と別れたところで、左岸に回りました。
このあたりから、歩道は細くなり、緑が濃くなって、狭いんですよね。
前回は、体を横にして通らなければならない箇所もあった。
そう思い出しながら歩いていくと、道は全部草刈りされて、きれいになっていました。
あまり藪になってしまうと、蚊の発生も心配だからかな。
歩きやすくなった道をとことこ進み、三鷹まで戻りました。
遅くとも冬には山歩きを再開できそうですが、その後も、散歩も続けたいなという気持ちになってきました。
早起きしなくてもいいし、準備もそんなに要らないし。
季節ごとに違う花が咲いていて楽しいです。
今週は、都立小金井公園に行ってきました。
三鷹駅北口の玉川上水緑道の左岸、舗装されていない土の歩道をいきます。
上水沿いに点々とノカンゾウが咲いていました。
濃い緑の中に、オレンジ色の花が鮮やかです。
ユリと比べると、はなびらの1枚1枚が完全に分かれていて、だらんと広がっているところが、野趣あふれる印象です。
花びらに入っている縦線も面白い。
山では見たことがなかった花です。
山では、こういう花はみんなシカが食べてしまうせいもあるのかなあ。
浄水場の横をずっと歩いていき、桜橋交差点で右折。
舗装された歩道をしばらく歩いて、井の頭通りの交差点を左折。
ここからは細い公園が道路沿いに続いているので、再び土の道を歩いていくことができます。
とことこ歩いて、大きな交差点。
あ、信号が青だ。
と急いで渡りましたが、途中で赤信号になってしまい、中央分離帯に取り残されました。
樹木がたくさん残されて、舗道も整備されている中央分離帯なので、危険ということはありません。
長い信号を待って、ようやく向こう側にわたると、多摩湖自転車歩行者道の入り口です。
ここは、歩行者専用道も舗装されています。
略地図があったので見ると、その上に、「都立狭山・境緑道」と書いてありました。
え?
ここは、多摩湖自転車歩行者道じゃないの?
名称が変わったの?
スマホで調べると、最近名称が変わったというわけではなく、歩行者専用道の部分が、「都立狭山・境緑道」で、アスファルトで舗装されてセンターラインの入っている部分が「多摩湖自転車歩行者道」のようです。
・・・知らなかった。
名称的には、「多摩湖自転車歩行者道より」も、「狭山・境緑道」のほうが、起点と終点が明確で、どういう道なのかわかりやすいですが。
多摩湖と境浄水場までの水道管を敷設した道路を緑化したのが、この道だそうです。
大正12年に作られた水道施設の上の緑道。
現在も、下は水道管が走っているのだとか。
あまりにもまっすぐな道がずっと続いているので、戦前の線路の跡地か何かだろうと思っていました。
多摩湖と境浄水場を結ぶ道。
考えたら、それは水道施設だ。
当たり前のことでした。
20年も前から自転車で年に一度は来ていた道の「新事実」に気づいて驚いたのも、歩いたからこそかもしれません。
自転車に乗っていたら通り過ぎていくことに1つ1つ気づけるのが、徒歩の良さですね。
気になったらすぐ写真を撮ったり、立ち止まってスマホで調べたりできるのは、20年前にはなかったありがたさです。
とはいえ、この緑道、舗装しないでおいてくれていたらもっとありがたかった。
でも、そうすると、自転車道のほうにはみ出す歩行者がもっと増えるから、これでいいのかな。
平日なので、歩行者も自転車も少なく、のんびりと自分のペースで歩いていくことができました。
緑道唯一の未舗装区画である土手の道はどうしても歩きたくて、遠回りとわかっていてもしっかり歩きました。
いったん、土手を最後まで歩いてから、Uターン。
途中の木段で下の歩道に下りて、銀色の太い角柱の道しるべに従い、南へ。
都立小金井公園へと歩きだしました。
農地の真ん中の道を歩いていくと、鈴木街道という道路に出て、信号を渡ると、もう都立小金井公園でした。
あれ?
前回入った入り口とは違う。
もっとずっと東よりの入り口から入ることができました。
都立小金井公園は、入り口もたくさんあるようです。
公園の東の端に入ったので、そこから西に向かいました。
ヒナゲシももうほぼ終わった様子です。
広大なこの公園。
何回も来ているのに、まだ歩いていない区域があります。
公園の一番西の部分です。
今日はそこに行こうと思います。
舗装された遊歩道もありますが、草原の広場には土の道もあります。
江戸東京たてもの園の柵の前を西へとずっと歩いていきました。
園内の案内図を見ると、西側は桜の園になっています。
その中で、狭いですが「宿根草園」というスペースがあるようでした。
何か咲いているかも。
行ってみることにしました。
多年草の咲くスペースらしいのですが、花壇の印象の強いところでした。
キキョウがたくさん植えられ、咲いていました。
上の画像がそれです。
キキョウは、山で1輪咲いているのを見つけるとすごく嬉しい花です。
ここのキキョウは、明らかに栽培種。
たくさん並んで植えられ、1つの株から花がたくさん咲いていて、きれいでした。
そういう視点で見直すと、都立小金井公園は、花を栽培し世話している公園です。
野草が自然に咲いているというのではなく、手入れされた栽培種がきれいに咲いています。
いや、都立野川公園の自然観察園だって、世話しているからこそあんなに多様な花が咲いているので、結局は同じことなんだけれど。
花選びの志向がちょっと違うということはあるのかな。
野草園といったスペースは、小金井公園にはないようです。
野原ですので、何気なくネジバナが咲いていたりはしますが。
帰り道は正門へ。
花壇のサルビアとマリーゴールドがきれい。
夏ですねえ。
信号を渡って、帰り道は玉川上水緑道の右岸をたどりました。
上水の土手には、やはり点々とノカンゾウが咲いていました。
群生しているところも。
あれ?
ノカンゾウとよく似ているけれど、花びらがくるりと複雑に巻いている花もたくさん咲いています。
うーむ。
これは、ヤブカンゾウかな。
いつ来ても、新しい花が咲いています。
玉川上水緑道は、花の道です。
五日市街道と別れたところで、左岸に回りました。
このあたりから、歩道は細くなり、緑が濃くなって、狭いんですよね。
前回は、体を横にして通らなければならない箇所もあった。
そう思い出しながら歩いていくと、道は全部草刈りされて、きれいになっていました。
あまり藪になってしまうと、蚊の発生も心配だからかな。
歩きやすくなった道をとことこ進み、三鷹まで戻りました。
2021年06月22日
高校英語。感嘆文の確認と、話法での伝達。
感嘆文の伝達。
でも、その前に感嘆文の基本をおさえておく必要があるかもしれません。
感嘆文とは、「何て~なのだろう!」と感動を表す文です。
はるか昔は、中学の学習内容でした。
「ゆとり教育」の時代に、中学の学習内容から外されました。
ゆとり教育が終わって、中学の学習内容にさりげなく戻りましたが、文法事項として扱うのではなく、まるで慣用表現であるかのように、ただ決まり文句として覚えるだけでした。
How cool!
といったように、主語・動詞は省略した形でしか出てきません。
それは、今回の新指導要領でも基本的にはそうなのですが、学校の先生の判断で、文法事項として正面から扱っている学校もあります。
感嘆文の学習はその後どうなるのかというと。
高校では、英語表現の「文の種類」という学習で、まるで既習事項であるかのように出てきます。
肯定文・疑問文・否定文・命令文・感嘆文。
そのように、文の種類を整理する単元です。
ところが、高校生にとっては、「感嘆文」は、新しい学習内容です。
そこで不幸な誤解が起こることがあります。
「文の種類」という学習をしているのではなく、「感嘆文」の学習をしているのだ、という誤解です。
そうなると、次の「時制」の学習は、12種類の時制の意味と用法を整理しているということが理解できず、新しく出てきた「過去完了」などを学習しているのだ、と誤解します。
学習のピントがここでズレてしまうのです。
一緒に出てくる他の時制は復習をしているだけなのだと思ってしまいます。
そうなると、テスト勉強は「感嘆文」と「過去完了」の学習が中心となります。
しかし、テストは、そういう目的で作られているものではありません。
感嘆文や過去完了の問題など、ほんの数問しか出ません。
出題意図のよくわからない問題が大量に並んでいて、中学の復習なのかなあと思いながら何となく解いて不正解ばかり、となってしまうことがあります。
どういう文法事項を学習しているのか、もっと明確にすれば、こうした誤解は避けられると思うのです。
しかし、今は何しろ「過度に文法を重視した学習」は避けろと言われている時代。
指示があいまいなので、生徒の誤解は増すばかりです。
まずは、全体を俯瞰で見ているのです。
文にはどんな種類があるか。
文型にはどのようなものがあるか。
時制にはどのようなものがあるか。
決して、「感嘆文」の学習をしているのでも、「過去完了」の学習をしているのでもないのです。
とはいえ、感嘆文は初めて学習する内容なので、基本の形はおさえておきたいのも事実です。
ということで、まずは感嘆文の学習から。
感嘆文は、how で始まるものと what で始まるものがあります。
How boring it is !
それは何て退屈なんだろう。
How beautifully she sings !
彼女は何てきれいに歌うのだろう。
「How+形容詞または副詞+主語+動詞!」が基本構造です。
What a beautiful flower this is !
これは、何てきれいな花なのだろう。
What an interesting book you have !
あなたは何て面白い本を持っているのだろう。
「What+形容詞+名詞+主語+動詞!」が基本構造です。
ここで、「a , an があるときはwhat」という、本質から外れた覚え方をする人がいます。
そういう人は、
( ) beautiful flowers these are !
といった空所補充問題で、
「a がないから、how だ」
と間違った判断をして、誤答してしまいます。
この分は、複数形だから a がない。
冠詞 a , an の有無は、本質ではないのです。
どういうことでしょうか?
冠詞はどこに使うのでしょう?
冠詞は、名詞の前におくものです。
つまり、重要なのは、冠詞の有無ではなく、その後ろにある名詞の有無です。
what で始まる感嘆文は、感嘆内容が名詞で終わっているのです。
一方、how で始まる感嘆文は、感嘆内容が、形容詞または副詞で終わっています。
感嘆内容とは、感嘆している意味のまとまり、すなわち、主語の始まる直前までのところのことです。
名詞の有無。
英語の品詞を覚えなければならない理由は随所にあります。
こういうところでも、結局、必要なのは文の構造と品詞の知識なのです。
基本を理解すればよい人は、ここまで。
ここからは重箱の隅の知識です。
実は、感嘆内容に名詞があっても、how を用いることができます。
しかし、語順が少し異なります。
What a beautiful flower this is !
これを、 how を用いて、
How beautiful a flower this is !
とするなら、それは正しい英文です。
マイナーで発展的な知識なので、教えない学校が多いです。
中高一貫校向けの、検定ではない英語教科書に小さい字で掲載されていたりします。
こんなことまで覚えると混乱しますので、学校で学習したのでなければ覚えなくていいです。
と、感嘆文の学習はここまで。
ここからは、感嘆内容を伝達する話法の転換について確認しましょう。
I said, " What a clever idea !"
私は言った、「何て名案なんだ!」
感嘆文はしばしば後ろの主語・動詞を省略します。
日常会話では省略されることが多いです。
これを間接話法に変えるならば、例えば、
I exclaimed that it was a very clever idea.
となります。
I said what a clever idea it was.
などもありえます。
動詞は、say のままでもいいですし、文意から判断して、exclaim(叫ぶ)、cry(叫ぶ)、shout(叫ぶ)、complain(不満を言う)などに変えることも可能です。
伝達内容は、感嘆文のままでもよいですし、平叙文に戻すことも可能です。
ただし、間接話法では、主語・動詞は復元します。
感嘆文というのは、そのセリフを言っている人が、どのような気持ちでその発言をしたのかによって、書き換え方も多様です。
状況をよく判断して、それにふさわしい書き換えが必要となります。
ところで、exclaim の名詞形が、exclamation。
exclamation mark とは、感嘆文でおなじみの感嘆符(!)のことです。
ちなみに、「感嘆符」が日本語での正式名称。
「ビックリマーク」は俗称です。
! という記号は数学でも用います。
6!のように使います。
6!=6・5・4・3・2・1のこと。
「6の階乗」と読みます。
これを、「6ビックリ」と読んでいる子がいました。
「うん。6の階乗ね」と私はその都度訂正していたのですが、いつもスルー。
「階乗」という言葉を使うのが面倒くさくてそのように言っているだけなのだと思っていたら、テストで「整数の階乗を用いて表せ」という問題文の指示が理解できず解けなかったという悲しい出来事がありました。
三角関数の弧度法の「ラジアンで表せ」という言葉の意味がわからなくて答えられなかった子とともに、印象深いです。
正しい用語を知っておくことは、大切なことです。
数学用語も、英語の文法用語も。
でも、その前に感嘆文の基本をおさえておく必要があるかもしれません。
感嘆文とは、「何て~なのだろう!」と感動を表す文です。
はるか昔は、中学の学習内容でした。
「ゆとり教育」の時代に、中学の学習内容から外されました。
ゆとり教育が終わって、中学の学習内容にさりげなく戻りましたが、文法事項として扱うのではなく、まるで慣用表現であるかのように、ただ決まり文句として覚えるだけでした。
How cool!
といったように、主語・動詞は省略した形でしか出てきません。
それは、今回の新指導要領でも基本的にはそうなのですが、学校の先生の判断で、文法事項として正面から扱っている学校もあります。
感嘆文の学習はその後どうなるのかというと。
高校では、英語表現の「文の種類」という学習で、まるで既習事項であるかのように出てきます。
肯定文・疑問文・否定文・命令文・感嘆文。
そのように、文の種類を整理する単元です。
ところが、高校生にとっては、「感嘆文」は、新しい学習内容です。
そこで不幸な誤解が起こることがあります。
「文の種類」という学習をしているのではなく、「感嘆文」の学習をしているのだ、という誤解です。
そうなると、次の「時制」の学習は、12種類の時制の意味と用法を整理しているということが理解できず、新しく出てきた「過去完了」などを学習しているのだ、と誤解します。
学習のピントがここでズレてしまうのです。
一緒に出てくる他の時制は復習をしているだけなのだと思ってしまいます。
そうなると、テスト勉強は「感嘆文」と「過去完了」の学習が中心となります。
しかし、テストは、そういう目的で作られているものではありません。
感嘆文や過去完了の問題など、ほんの数問しか出ません。
出題意図のよくわからない問題が大量に並んでいて、中学の復習なのかなあと思いながら何となく解いて不正解ばかり、となってしまうことがあります。
どういう文法事項を学習しているのか、もっと明確にすれば、こうした誤解は避けられると思うのです。
しかし、今は何しろ「過度に文法を重視した学習」は避けろと言われている時代。
指示があいまいなので、生徒の誤解は増すばかりです。
まずは、全体を俯瞰で見ているのです。
文にはどんな種類があるか。
文型にはどのようなものがあるか。
時制にはどのようなものがあるか。
決して、「感嘆文」の学習をしているのでも、「過去完了」の学習をしているのでもないのです。
とはいえ、感嘆文は初めて学習する内容なので、基本の形はおさえておきたいのも事実です。
ということで、まずは感嘆文の学習から。
感嘆文は、how で始まるものと what で始まるものがあります。
How boring it is !
それは何て退屈なんだろう。
How beautifully she sings !
彼女は何てきれいに歌うのだろう。
「How+形容詞または副詞+主語+動詞!」が基本構造です。
What a beautiful flower this is !
これは、何てきれいな花なのだろう。
What an interesting book you have !
あなたは何て面白い本を持っているのだろう。
「What+形容詞+名詞+主語+動詞!」が基本構造です。
ここで、「a , an があるときはwhat」という、本質から外れた覚え方をする人がいます。
そういう人は、
( ) beautiful flowers these are !
といった空所補充問題で、
「a がないから、how だ」
と間違った判断をして、誤答してしまいます。
この分は、複数形だから a がない。
冠詞 a , an の有無は、本質ではないのです。
どういうことでしょうか?
冠詞はどこに使うのでしょう?
冠詞は、名詞の前におくものです。
つまり、重要なのは、冠詞の有無ではなく、その後ろにある名詞の有無です。
what で始まる感嘆文は、感嘆内容が名詞で終わっているのです。
一方、how で始まる感嘆文は、感嘆内容が、形容詞または副詞で終わっています。
感嘆内容とは、感嘆している意味のまとまり、すなわち、主語の始まる直前までのところのことです。
名詞の有無。
英語の品詞を覚えなければならない理由は随所にあります。
こういうところでも、結局、必要なのは文の構造と品詞の知識なのです。
基本を理解すればよい人は、ここまで。
ここからは重箱の隅の知識です。
実は、感嘆内容に名詞があっても、how を用いることができます。
しかし、語順が少し異なります。
What a beautiful flower this is !
これを、 how を用いて、
How beautiful a flower this is !
とするなら、それは正しい英文です。
マイナーで発展的な知識なので、教えない学校が多いです。
中高一貫校向けの、検定ではない英語教科書に小さい字で掲載されていたりします。
こんなことまで覚えると混乱しますので、学校で学習したのでなければ覚えなくていいです。
と、感嘆文の学習はここまで。
ここからは、感嘆内容を伝達する話法の転換について確認しましょう。
I said, " What a clever idea !"
私は言った、「何て名案なんだ!」
感嘆文はしばしば後ろの主語・動詞を省略します。
日常会話では省略されることが多いです。
これを間接話法に変えるならば、例えば、
I exclaimed that it was a very clever idea.
となります。
I said what a clever idea it was.
などもありえます。
動詞は、say のままでもいいですし、文意から判断して、exclaim(叫ぶ)、cry(叫ぶ)、shout(叫ぶ)、complain(不満を言う)などに変えることも可能です。
伝達内容は、感嘆文のままでもよいですし、平叙文に戻すことも可能です。
ただし、間接話法では、主語・動詞は復元します。
感嘆文というのは、そのセリフを言っている人が、どのような気持ちでその発言をしたのかによって、書き換え方も多様です。
状況をよく判断して、それにふさわしい書き換えが必要となります。
ところで、exclaim の名詞形が、exclamation。
exclamation mark とは、感嘆文でおなじみの感嘆符(!)のことです。
ちなみに、「感嘆符」が日本語での正式名称。
「ビックリマーク」は俗称です。
! という記号は数学でも用います。
6!のように使います。
6!=6・5・4・3・2・1のこと。
「6の階乗」と読みます。
これを、「6ビックリ」と読んでいる子がいました。
「うん。6の階乗ね」と私はその都度訂正していたのですが、いつもスルー。
「階乗」という言葉を使うのが面倒くさくてそのように言っているだけなのだと思っていたら、テストで「整数の階乗を用いて表せ」という問題文の指示が理解できず解けなかったという悲しい出来事がありました。
三角関数の弧度法の「ラジアンで表せ」という言葉の意味がわからなくて答えられなかった子とともに、印象深いです。
正しい用語を知っておくことは、大切なことです。
数学用語も、英語の文法用語も。
2021年06月18日
都立神代植物公園に行ってきました。2021年6月。
2021年6月15日(火)、今回は都立神代植物公園に行ってきました。
自転車に乗り、武蔵境通りを南下。
東八道路との交差点をそのまま直進しました。
自転車レーンはそのまま続き、自転車でも安心して走っていける道です。
東八道路を越えると、街路樹の緑が濃くなり、もう植物園に入ったような気がします。
神代植物公園北の交差点で左折。
走っていくと、都立神代植物園の案内板がありました。
現在、入園は予約制とのことでした。
梅雨の晴れ間のこんな暑い日に植物園を散策しようという酔狂な人がそんなに多いとは思わないのですが、それでも予約制なんですね。
緊急事態宣言下の都立の施設はしっかり自粛中。
都立高校も、リモート授業にしたり、学年別登校日にしたり。
私立高校でそんな話を聞いたことはないのに、都立は学習が遅れています。
神代植物公園は、無料スペースも広くて緑が濃かったはず。
そこの木陰を歩こう。
そう思って直進していくと、左手に立派な門構えの施設が見えてきました。
「植物多様性センター」と書いてあります。
入園無料。
ほほお?
門の前に駐輪スペースがあったので、そこに自転車を止めて、中に入ってみました。
門からまっすぐに舗装された道が続いていますが、そこから脇道に逸れることができ、脇道は未舗装でした。
敷地は各エリアに分けられ、東京都内のさまざまな植相を生きた植物のままで展示しています。
伊豆諸島エリア、奥多摩エリア、武蔵野エリア、火山岩エリア、石灰岩エリア、河川敷、その他もろもろ。
なるほど、東京都は多様です。
今回、野川公園に足が向かなかったのは、スズメバチが怖かったからです。
ここは、スズメバチはいないのかな?
「カチカチ」という威嚇音を聞いたら注意が必要だというけれど、どんな音なのか、実際に聞いたことがありません。
白いシャツを着ているから、虫はそんなに寄ってこないと思うけれど。
突然、カチカチ・・・という音が!
ええっ!
・・・と思ったら、カメラのシャッターを切る連写音でした。
腹ばいになって撮影しています。
ああ、良かった。
しかし、普通のナシの木をなぜそんなに連写しているのだろう・・・。
そこは、果樹エリアでした。
東京都で栽培可能な果樹を集めてあるようです。
ナシの木は花も実もまだ先。
ザクロが朱色の花をつけ、スモモは実が生っていました。
空は青く、緑は濃い。
暑いけれど、気持ちいいなあ。
木陰の中には沼も作ってあり、あずまやもありました。
人が少ないです。
広い園内に1時間ほども滞在したのですが、すれ違った人は、5人ほどでした。
ここは、散歩の穴場ですね。
花の時期には混雑するのかな。
東に隣接する公園も、無料開放区域でした。
ここも広い公園です。
舗装された遊歩道もありますが、人が歩いて道になった様子の土の道も公園を1周していました。
お昼どきなのに、人の姿がほとんどありません。
井の頭公園ほどアクセスが良くないので、昼休みにちょっと公園でお昼を食べよう、という人はいないようです。
面白かったのは、大人向けのアスレチック器具が点在していること。
一見ベンチとテーブルのように見えて、腰をひねる運動ができる器具。
平行棒につかまりながら、足元の丸太の上を歩いていく運動ができる器具。
同じく平行棒につかまって、今度は足元の丸太を避けて歩くことも説明板で推奨されていました。
壁面の指定されたところを触わっていくことで、背筋を伸ばしながら左右に曲げる運動ができる器具。
コロナ禍でなければやってみたかったです。
人がほとんどいないこともありますが、運動器具も誰も使っていませでした。
本当に静かな公園。
・・・と思ったら、高校生の集団が、ベンチとテーブルで昼食を取っていました。
高校生の集団は、急にじゃれあったり大声でふざけたりするから、コロナ的に嫌だなあと思って少し警戒しましたが、そういう「急に〇〇」のない集団でした。
穏やかに談笑する横を、距離をとって通過。
再び自転車に乗り、さて、深大寺にでも行こうかなと、植物公園を回り込むようにまずは東に向かい、そこから細い道に右折して入っていくと、駐輪場がありました。
あれ、ここからも植物園に入れるんですね。
予約は当日でも大丈夫のようで、QRコードの立て看板が出ていました。
ちょっと入ってみよう。
スマホをかざして、予約。
簡単に予約でき、検温と予約済を示すQRコードを見せて、入園OK。
その後、普通に、窓口横の自販機で入園券を購入します。
500円。
年間パスポート2500円。
都立小金井公園の江戸東京たてもの園のときも感じましたが、都立の施設は、微妙な金額設定です。
安くはないが、高過ぎるからやめようというほどでもありません。
都立神代植物公園。
入ったのは、学生時代に一度だけです。
バラ園だけが印象に残っています。
木陰の道をてくてく歩いていき、道しるべに従って左折し、まずはバラ園へ。
バラの時期はもう終盤ですが、まだ咲いているバラも多いです。
何しろ広いので、これを1つ1つ見ていくのは大変です。
帽子をかぶっているけれど、久しぶりの晴天で暑い。
頭が痛くなる前に、水分補給をしなくては。
バラ園は、西洋庭園ふうで、噴水が上がり、白いステージが作られています。
バラには1つ1つ名称が示されています。
薄紫色の大輪のバラを見つけました。
シャルルドゴール。
名前もすごいです。
第二次世界大戦の英雄だ。
奥にどんと構える大温室が気になり、入ってみました。
もともと暑いので、温室に入ったとき特有のモワッとした感じがありませんでした。
むしろ、ミストが常に降り注いでいるので快適です。
熱帯の植物は、大きくてカラフルでした。
唐突ですが、大岡昇平『野火』を思い出しました。
餓死の迫る中、熱帯の中をさまよう日本兵。
熱帯の密林。
鮮やかな花。
巨大な虫。
眩暈。
飢え。
肌にまとわりつく湿度と熱気。
どんなに鮮やかできれいでも、こういう花の中で死ぬのは、嫌だなあ。
鮮やかな花を見ているわりに落ち込んで、次の部屋に入ると、そこはランの部屋でした。
さらに次の部屋は冷房が入っていました。
おお、外気より涼しい。
通路を挟んで別室は、ハスのコーナー。
タイル張りの水槽に、色々なハスが咲いています。
そこからまた別室のサボテンのコーナーへと下っていき、出口。
外国の花の迫力に圧倒されて、大温室を出ました。
バラ園テラスまで戻り、その奥に道が続いていたので、入っていきました。
雑木林の道から、芝生広場の道しるべを見て、その通りに進んでいくと、小川に出ました。
平らな岩が並んで、小川を渡れるようになっています。
足を踏み外すはずのない造りでも、渡渉となると慎重に歩を進め、対岸に渡りました。
上の画像がその小川です。
木陰で気持ちの良いエリアでした。
芝生広場はだたっ広く、誰の姿もありません。
広場を回り込むように、はなみずき園、マグノリア園、はなもも・むくげ園と歩いていきます。
どこも花の時期ではないので、人の姿はなく静かでした。
はぎ園に入ると、ハギの花が咲いていました。
キキョウも。
紫のキキョウと、白いキキョウ。
山野草園も特に花はなし。
なじみのある植物の名前の立て札を眺めて歩いていきました。
何も咲いてないけれど、やはりこういう道のほうが落ち着きます。
見慣れた植相が精神に与える影響はかなり大きい。
正門付近の売店は、花の苗や鉢を売っていました。
花関連のグッズもあります。
さすがに歩き疲れて、自転車を停めた深大寺門へと戻りました。
橋を渡った向こうは、回り切れませでした。
神代植物公園、広いなあ。
はあ、よく歩いた。
有料エリアは、もうしばらくいいけれど、無料エリアだけでも歩きがいがあるので、また来ようと思います。
結局、深大寺には寄らず、自転車で帰途につきました。
自転車に乗り、武蔵境通りを南下。
東八道路との交差点をそのまま直進しました。
自転車レーンはそのまま続き、自転車でも安心して走っていける道です。
東八道路を越えると、街路樹の緑が濃くなり、もう植物園に入ったような気がします。
神代植物公園北の交差点で左折。
走っていくと、都立神代植物園の案内板がありました。
現在、入園は予約制とのことでした。
梅雨の晴れ間のこんな暑い日に植物園を散策しようという酔狂な人がそんなに多いとは思わないのですが、それでも予約制なんですね。
緊急事態宣言下の都立の施設はしっかり自粛中。
都立高校も、リモート授業にしたり、学年別登校日にしたり。
私立高校でそんな話を聞いたことはないのに、都立は学習が遅れています。
神代植物公園は、無料スペースも広くて緑が濃かったはず。
そこの木陰を歩こう。
そう思って直進していくと、左手に立派な門構えの施設が見えてきました。
「植物多様性センター」と書いてあります。
入園無料。
ほほお?
門の前に駐輪スペースがあったので、そこに自転車を止めて、中に入ってみました。
門からまっすぐに舗装された道が続いていますが、そこから脇道に逸れることができ、脇道は未舗装でした。
敷地は各エリアに分けられ、東京都内のさまざまな植相を生きた植物のままで展示しています。
伊豆諸島エリア、奥多摩エリア、武蔵野エリア、火山岩エリア、石灰岩エリア、河川敷、その他もろもろ。
なるほど、東京都は多様です。
今回、野川公園に足が向かなかったのは、スズメバチが怖かったからです。
ここは、スズメバチはいないのかな?
「カチカチ」という威嚇音を聞いたら注意が必要だというけれど、どんな音なのか、実際に聞いたことがありません。
白いシャツを着ているから、虫はそんなに寄ってこないと思うけれど。
突然、カチカチ・・・という音が!
ええっ!
・・・と思ったら、カメラのシャッターを切る連写音でした。
腹ばいになって撮影しています。
ああ、良かった。
しかし、普通のナシの木をなぜそんなに連写しているのだろう・・・。
そこは、果樹エリアでした。
東京都で栽培可能な果樹を集めてあるようです。
ナシの木は花も実もまだ先。
ザクロが朱色の花をつけ、スモモは実が生っていました。
空は青く、緑は濃い。
暑いけれど、気持ちいいなあ。
木陰の中には沼も作ってあり、あずまやもありました。
人が少ないです。
広い園内に1時間ほども滞在したのですが、すれ違った人は、5人ほどでした。
ここは、散歩の穴場ですね。
花の時期には混雑するのかな。
東に隣接する公園も、無料開放区域でした。
ここも広い公園です。
舗装された遊歩道もありますが、人が歩いて道になった様子の土の道も公園を1周していました。
お昼どきなのに、人の姿がほとんどありません。
井の頭公園ほどアクセスが良くないので、昼休みにちょっと公園でお昼を食べよう、という人はいないようです。
面白かったのは、大人向けのアスレチック器具が点在していること。
一見ベンチとテーブルのように見えて、腰をひねる運動ができる器具。
平行棒につかまりながら、足元の丸太の上を歩いていく運動ができる器具。
同じく平行棒につかまって、今度は足元の丸太を避けて歩くことも説明板で推奨されていました。
壁面の指定されたところを触わっていくことで、背筋を伸ばしながら左右に曲げる運動ができる器具。
コロナ禍でなければやってみたかったです。
人がほとんどいないこともありますが、運動器具も誰も使っていませでした。
本当に静かな公園。
・・・と思ったら、高校生の集団が、ベンチとテーブルで昼食を取っていました。
高校生の集団は、急にじゃれあったり大声でふざけたりするから、コロナ的に嫌だなあと思って少し警戒しましたが、そういう「急に〇〇」のない集団でした。
穏やかに談笑する横を、距離をとって通過。
再び自転車に乗り、さて、深大寺にでも行こうかなと、植物公園を回り込むようにまずは東に向かい、そこから細い道に右折して入っていくと、駐輪場がありました。
あれ、ここからも植物園に入れるんですね。
予約は当日でも大丈夫のようで、QRコードの立て看板が出ていました。
ちょっと入ってみよう。
スマホをかざして、予約。
簡単に予約でき、検温と予約済を示すQRコードを見せて、入園OK。
その後、普通に、窓口横の自販機で入園券を購入します。
500円。
年間パスポート2500円。
都立小金井公園の江戸東京たてもの園のときも感じましたが、都立の施設は、微妙な金額設定です。
安くはないが、高過ぎるからやめようというほどでもありません。
都立神代植物公園。
入ったのは、学生時代に一度だけです。
バラ園だけが印象に残っています。
木陰の道をてくてく歩いていき、道しるべに従って左折し、まずはバラ園へ。
バラの時期はもう終盤ですが、まだ咲いているバラも多いです。
何しろ広いので、これを1つ1つ見ていくのは大変です。
帽子をかぶっているけれど、久しぶりの晴天で暑い。
頭が痛くなる前に、水分補給をしなくては。
バラ園は、西洋庭園ふうで、噴水が上がり、白いステージが作られています。
バラには1つ1つ名称が示されています。
薄紫色の大輪のバラを見つけました。
シャルルドゴール。
名前もすごいです。
第二次世界大戦の英雄だ。
奥にどんと構える大温室が気になり、入ってみました。
もともと暑いので、温室に入ったとき特有のモワッとした感じがありませんでした。
むしろ、ミストが常に降り注いでいるので快適です。
熱帯の植物は、大きくてカラフルでした。
唐突ですが、大岡昇平『野火』を思い出しました。
餓死の迫る中、熱帯の中をさまよう日本兵。
熱帯の密林。
鮮やかな花。
巨大な虫。
眩暈。
飢え。
肌にまとわりつく湿度と熱気。
どんなに鮮やかできれいでも、こういう花の中で死ぬのは、嫌だなあ。
鮮やかな花を見ているわりに落ち込んで、次の部屋に入ると、そこはランの部屋でした。
さらに次の部屋は冷房が入っていました。
おお、外気より涼しい。
通路を挟んで別室は、ハスのコーナー。
タイル張りの水槽に、色々なハスが咲いています。
そこからまた別室のサボテンのコーナーへと下っていき、出口。
外国の花の迫力に圧倒されて、大温室を出ました。
バラ園テラスまで戻り、その奥に道が続いていたので、入っていきました。
雑木林の道から、芝生広場の道しるべを見て、その通りに進んでいくと、小川に出ました。
平らな岩が並んで、小川を渡れるようになっています。
足を踏み外すはずのない造りでも、渡渉となると慎重に歩を進め、対岸に渡りました。
上の画像がその小川です。
木陰で気持ちの良いエリアでした。
芝生広場はだたっ広く、誰の姿もありません。
広場を回り込むように、はなみずき園、マグノリア園、はなもも・むくげ園と歩いていきます。
どこも花の時期ではないので、人の姿はなく静かでした。
はぎ園に入ると、ハギの花が咲いていました。
キキョウも。
紫のキキョウと、白いキキョウ。
山野草園も特に花はなし。
なじみのある植物の名前の立て札を眺めて歩いていきました。
何も咲いてないけれど、やはりこういう道のほうが落ち着きます。
見慣れた植相が精神に与える影響はかなり大きい。
正門付近の売店は、花の苗や鉢を売っていました。
花関連のグッズもあります。
さすがに歩き疲れて、自転車を停めた深大寺門へと戻りました。
橋を渡った向こうは、回り切れませでした。
神代植物公園、広いなあ。
はあ、よく歩いた。
有料エリアは、もうしばらくいいけれど、無料エリアだけでも歩きがいがあるので、また来ようと思います。
結局、深大寺には寄らず、自転車で帰途につきました。
2021年06月12日
井の頭公園を散歩してきました。2021年6月。
2021年6月8日(火)、東京で今年初めて最高気温が30度を越えた日、暑さをものともせず散歩してきました。
桜桃忌も近いので、久しぶりに三鷹の跨線橋を渡ってみようと思いつきました。
まずは車通りの激しい三鷹通りを避けて、1本西の道を。
ここを歩くのは初めてです。
わあ、銭湯がありました。
朝日湯。
名前は聞いたことがあったのですが、ここにあったんだ。
「黙浴」を推奨する掲示が貼ってありました。
コロナが収まったら、行ってみようかな。
山の麓の温泉も、もう随分行ってないです。
電車庫通りを西へ。
跨線橋が見えてきました。
ここを渡るのは、もしかしたらもう10年ぶりくらいだと思います。
鉄道というのは、昔の川と同じ作用を心にもたらすと聞いたことがあります。
職場が向こう側にあるなど生活に必要のある場合を除いて、人の気持ちとして、川と線路は越えない。
私も、中央線の北側には、必要なとき以外は足を踏み入れません。
日常の買い物のために線路の向こう側に出るということがありません。
線路のなかった時代は、川を越えるということは、大きな意味があったと聞きます。
「渡河の文学」という言葉もあったのではなかったかな。
広い石段を登っていきます。
何だか、この幅広さがちょっと怖い。
上がりきると、線路を渡っていく水平部分も幅が広く、両側は高いフェンスで保護されているのですが、何だかちょっと怖いのです。
おかしな話です。
山ではもっと高度感のある道も普通に歩くのに、多摩湖自転車歩行者道の土手の道や、この三鷹跨線橋を、何か怖いなあと感じるのです。
人が怖さを感じる微妙な高さというものがあるのかもしれません。
北アルプスくらい高くなると、現実感がなさ過ぎて、恐怖も感じません。
跨線橋からの眺めは、昼間は何ということもありません。
太宰治は、三鷹に来た人をよくここに案内したというけれど、何を見せたかったのだろう。
広がる武蔵野の森でしょうか。
富士山のシルエットがくっきりと大きく見える夕焼けでしょうか。
天の川の広がる夜空でしょうか。
膝が震えるほど怖いというのではないけれど、何となく不安を感じながら、跨線橋を越えて、中央線の北側に出ました。
線路沿いの道路から、住宅街を抜けて北へ。
紫陽花の咲いている庭が多く、鮮やかでした。
赤い紫陽花。
青い紫陽花。
ビワの実も生っています。
大きな通りに出ると、そこはけやき橋西の交差点近くでした。
ここから、玉川上水緑道に合流です。
そこまでずっと舗装道路だったので、土の道がやはり嬉しいです。
三鷹駅付近は、これまで舗装された歩道を歩いていましたが、今回は、玉川上水沿いを選んでみました。
ここは小さな公園のようになっています。
上水は本当に細い水路になり、すぐ足元を流れています。
木陰が多く、ベンチもあって、気持ちがいい。
と思ったら「ケムシに注意」という掲示があって、ぎょっとしました。
そうか。
桜の木が多いから、ケムシも多いのですね。
三鷹駅の連絡通路を通って、南口へ。
玉川上水の左岸を行きます。
ここも紫陽花がきれいでした。
玉川上水沿いの紫陽花は、住宅街の庭に咲く紫陽花と比べて、花が大きい。
栄養がいいのでしょう、やはり。
そして種類も多いです。
次の信号から右岸に回り、風の散歩道を進みます。
万助橋を渡ると、そこからは再び土の道です。
木陰の下の気持ちの良い道で、ほっとひと息。
立ち止まって、水分補給。
右手には運動場が広がっています。
ここが、オリンピックのパブリックビューイング会場予定地。
まだ何の建設も始まっていませんでした。
資材が運びこまれている様子もありません。
どうなるんだろうなあ。
三鷹でクラスターが発生したら、嫌だなあ。
木陰の下の道は風も通り抜け、それほど暑さは感じませんでした。
夏は、エアコンをつけていれば別ですが、家の中よりも外の木陰のほうが風が通って涼しいです。
30度の中で散歩するのは私くらいのものかと思いましたが、ときおり人とすれ違いました。
大きなザックを背負い、汗だくで歩いている人も。
玉川上水沿いを世田谷から歩いてきたのだろうか?と思うほどの装備と汗。
ジョギングをしている人もときおり通ります。
道路を横切って、さらに先、さらに先と、土の道は続きます。
一羽のムクドリが突然桜の木から飛び出し、大声で鳴きました。
危険を知らせる鳴き声だったのか、その桜の木から出るわ出るわ。
こんなに隠れていたの?というほどのムクドリの集団が大騒ぎで飛び立ちました。
いやいやいや。
私はあなたたちの天敵ではない。
あなたたちの食物連鎖の頂点に君臨してはいない。
驚かせて悪かったけれども。
桜の木の実を集団で食べていたのでしょう。
ついでにケムシも食べるのでしょうか。
「ケムシに注意」の掲示は、この緑道では見ませんでした。
勿論、姿も見ません。
三鷹駅の近くは、交通量が多くて鳥が来ないのが、ケムシ発生の一因かもしれません。
大きな道路の前、「むれ橋」まで歩いて、Uターン。
おや、ホタルブクロが咲いている。
帰り道も特に長さを感じず、気持ちよく歩いて、井の頭公園へ。
例によって真っ先に山野草のスペースに行くと、オレンジ色のユリに似た花が咲いていました。
夏草が多くて、花の名前の掲示も隠れて見えないけれども、これはノカンゾウでしょうか。
上の画像がそれです。
夏らしい鮮やかな色の花の咲く季節になりました。
木段を下りて、池を1周。
歩いている人は多くないですが、ベンチはほとんど埋まっています。
池の周囲で涼んでいるのでしょう。
こちら側も奇妙な伐採の様子はありません。
井の頭公園は、いつも通り、市民の憩いの場です。
変化といえば、池の藻がちょっと増えているかな、というくらい。
あとは、売店の1つが改装中。
おしゃれな店になったりするのかな。
そういえば、去年『愛しているといってくれ』というテレビドラマが毎週日曜日にまとめて再放送されていました。
どこにも行けないので、パソコン仕事などしながらぼんやり見ていたのを思い出します。
ロケ地の多くが、井の頭公園でした。
玉川上水緑道でも撮影されたのだろうと思います。
新緑の季節に撮影されていたので、緑がきれいで。
主役の二人が若くてきれいで。
ヒーリングムービーのような映像でした。
一番暑い日に外を歩きながらも、そんなに暑さを感じず、緑と風を感じて歩くことができました。
歩数計は2万歩を越えました。
さて帰ろう。
今日も夕方から授業です。
桜桃忌も近いので、久しぶりに三鷹の跨線橋を渡ってみようと思いつきました。
まずは車通りの激しい三鷹通りを避けて、1本西の道を。
ここを歩くのは初めてです。
わあ、銭湯がありました。
朝日湯。
名前は聞いたことがあったのですが、ここにあったんだ。
「黙浴」を推奨する掲示が貼ってありました。
コロナが収まったら、行ってみようかな。
山の麓の温泉も、もう随分行ってないです。
電車庫通りを西へ。
跨線橋が見えてきました。
ここを渡るのは、もしかしたらもう10年ぶりくらいだと思います。
鉄道というのは、昔の川と同じ作用を心にもたらすと聞いたことがあります。
職場が向こう側にあるなど生活に必要のある場合を除いて、人の気持ちとして、川と線路は越えない。
私も、中央線の北側には、必要なとき以外は足を踏み入れません。
日常の買い物のために線路の向こう側に出るということがありません。
線路のなかった時代は、川を越えるということは、大きな意味があったと聞きます。
「渡河の文学」という言葉もあったのではなかったかな。
広い石段を登っていきます。
何だか、この幅広さがちょっと怖い。
上がりきると、線路を渡っていく水平部分も幅が広く、両側は高いフェンスで保護されているのですが、何だかちょっと怖いのです。
おかしな話です。
山ではもっと高度感のある道も普通に歩くのに、多摩湖自転車歩行者道の土手の道や、この三鷹跨線橋を、何か怖いなあと感じるのです。
人が怖さを感じる微妙な高さというものがあるのかもしれません。
北アルプスくらい高くなると、現実感がなさ過ぎて、恐怖も感じません。
跨線橋からの眺めは、昼間は何ということもありません。
太宰治は、三鷹に来た人をよくここに案内したというけれど、何を見せたかったのだろう。
広がる武蔵野の森でしょうか。
富士山のシルエットがくっきりと大きく見える夕焼けでしょうか。
天の川の広がる夜空でしょうか。
膝が震えるほど怖いというのではないけれど、何となく不安を感じながら、跨線橋を越えて、中央線の北側に出ました。
線路沿いの道路から、住宅街を抜けて北へ。
紫陽花の咲いている庭が多く、鮮やかでした。
赤い紫陽花。
青い紫陽花。
ビワの実も生っています。
大きな通りに出ると、そこはけやき橋西の交差点近くでした。
ここから、玉川上水緑道に合流です。
そこまでずっと舗装道路だったので、土の道がやはり嬉しいです。
三鷹駅付近は、これまで舗装された歩道を歩いていましたが、今回は、玉川上水沿いを選んでみました。
ここは小さな公園のようになっています。
上水は本当に細い水路になり、すぐ足元を流れています。
木陰が多く、ベンチもあって、気持ちがいい。
と思ったら「ケムシに注意」という掲示があって、ぎょっとしました。
そうか。
桜の木が多いから、ケムシも多いのですね。
三鷹駅の連絡通路を通って、南口へ。
玉川上水の左岸を行きます。
ここも紫陽花がきれいでした。
玉川上水沿いの紫陽花は、住宅街の庭に咲く紫陽花と比べて、花が大きい。
栄養がいいのでしょう、やはり。
そして種類も多いです。
次の信号から右岸に回り、風の散歩道を進みます。
万助橋を渡ると、そこからは再び土の道です。
木陰の下の気持ちの良い道で、ほっとひと息。
立ち止まって、水分補給。
右手には運動場が広がっています。
ここが、オリンピックのパブリックビューイング会場予定地。
まだ何の建設も始まっていませんでした。
資材が運びこまれている様子もありません。
どうなるんだろうなあ。
三鷹でクラスターが発生したら、嫌だなあ。
木陰の下の道は風も通り抜け、それほど暑さは感じませんでした。
夏は、エアコンをつけていれば別ですが、家の中よりも外の木陰のほうが風が通って涼しいです。
30度の中で散歩するのは私くらいのものかと思いましたが、ときおり人とすれ違いました。
大きなザックを背負い、汗だくで歩いている人も。
玉川上水沿いを世田谷から歩いてきたのだろうか?と思うほどの装備と汗。
ジョギングをしている人もときおり通ります。
道路を横切って、さらに先、さらに先と、土の道は続きます。
一羽のムクドリが突然桜の木から飛び出し、大声で鳴きました。
危険を知らせる鳴き声だったのか、その桜の木から出るわ出るわ。
こんなに隠れていたの?というほどのムクドリの集団が大騒ぎで飛び立ちました。
いやいやいや。
私はあなたたちの天敵ではない。
あなたたちの食物連鎖の頂点に君臨してはいない。
驚かせて悪かったけれども。
桜の木の実を集団で食べていたのでしょう。
ついでにケムシも食べるのでしょうか。
「ケムシに注意」の掲示は、この緑道では見ませんでした。
勿論、姿も見ません。
三鷹駅の近くは、交通量が多くて鳥が来ないのが、ケムシ発生の一因かもしれません。
大きな道路の前、「むれ橋」まで歩いて、Uターン。
おや、ホタルブクロが咲いている。
帰り道も特に長さを感じず、気持ちよく歩いて、井の頭公園へ。
例によって真っ先に山野草のスペースに行くと、オレンジ色のユリに似た花が咲いていました。
夏草が多くて、花の名前の掲示も隠れて見えないけれども、これはノカンゾウでしょうか。
上の画像がそれです。
夏らしい鮮やかな色の花の咲く季節になりました。
木段を下りて、池を1周。
歩いている人は多くないですが、ベンチはほとんど埋まっています。
池の周囲で涼んでいるのでしょう。
こちら側も奇妙な伐採の様子はありません。
井の頭公園は、いつも通り、市民の憩いの場です。
変化といえば、池の藻がちょっと増えているかな、というくらい。
あとは、売店の1つが改装中。
おしゃれな店になったりするのかな。
そういえば、去年『愛しているといってくれ』というテレビドラマが毎週日曜日にまとめて再放送されていました。
どこにも行けないので、パソコン仕事などしながらぼんやり見ていたのを思い出します。
ロケ地の多くが、井の頭公園でした。
玉川上水緑道でも撮影されたのだろうと思います。
新緑の季節に撮影されていたので、緑がきれいで。
主役の二人が若くてきれいで。
ヒーリングムービーのような映像でした。
一番暑い日に外を歩きながらも、そんなに暑さを感じず、緑と風を感じて歩くことができました。
歩数計は2万歩を越えました。
さて帰ろう。
今日も夕方から授業です。
2021年06月06日
多摩湖自転車歩行者道から都立小金井公園へ歩きました。2021年6月。
2021年6月1日(火)、今週も散歩をしてきました。
三鷹駅北口から、玉川上水緑道を西へ。
昨夜の雨で、大きな水たまりが2か所。
水たまりを避けて歩きます。
そういえば、尾瀬や東北の山は、晴れた日も登山道が泥でぐちゃぐちゃで、大きな水たまりのできている山が結構ありました。
山全体が水を含んだスポンジみたいなのかもしれません。
池塘や沼も点在しています。
沢も多く、水に不自由しない山。
そんなことを思い出します。
玉川上水で水はけが悪かったのは三鷹駅周辺のみで、あとは、土の道でも水たまりはありませんでした。
交差点を渡って、玉川上水緑道の左岸をさらに進みます。
夏草がわさわさ生えて、もともと狭い道がさらに狭くなり、緑に押しやられるようにして緑道の淵を歩くこともあります。
道路とは段差があるので、落ちたらちょっとまずい。
慎重に歩いていきました。
次の信号を渡ると、緑道は広くなりました。
右手は、浄水場。
歩道も半舗装でちょっと固いけれど、気持ちのよい散歩道です。
浄水場の終わり、桜橋の交差点で今日は右折しました。
舗装された歩道を歩きます。
その次の浄水場西の交差点で、左折。
井の頭通りを行きます。
ここから自転車道の入口までの区間だけ、井の頭通りには、土の歩道がついています。
細長い公園のようになっているのです。
花も多く植えられています。
紫陽花がきれい。
・・・え?
・・・これは、ムサシノキスゲ?
一株だけ、黄色い花が咲いていました。
そう見えるのは、私の植物を見る力が足りないのだろうか?
突き当たりの大きな交差点を渡ると、多摩湖自転車歩行者道の入口です。
センターラインの入っているアスファルトの自転車道と、舗装された歩行者道に別れています。
歩行者道をとことこ歩きました。
ここは、毎年春に自転車でお花見に来る道です。
桜並木が、ずっと多摩湖まで続いています。
今は実がなる時期かな?
そう思って、葉の裏をよくのぞくと、赤い実や黒っぽい実がついていました。
食べられそうにありませんが。
鳥は食べるかなあ?
平日なので、散歩の人やジョギングの人もまばらでした。
自分のペースでとことこ歩いていきます。
大きなビワの木がたわわに実をつけていたり。
紫陽花がきれいだったり。
そうこうするうちに、右手に小学校が見えてきました。
そこから、歩行者道は土手の上に上がっていきます。
土手に上がらない歩行者道も整備されてありますが、土手の道は舗装されていないので、何となく歩きたくなります。
土手から、左手にこんもりと森が見えました。
あれは、小金井公園ではないかな?
とすると、そろそろ、左折したほうがいい。
下の道に、道しるべのようなものが立っているのも見えました。
あそこで左折するのが、小金井公園への近道なのだろうか。
とりあえず、土手の道をそのまま歩き、なだらかに下って、自転車道と合流。
その先の小さな交差点でV字の形に戻ることにしました。
しかし、その道は、道路を歩く時間が多少長かったので、やはり、道しるべの通りに曲がるのがベストの選択なのでしょう。
小金井公園の森は目の前に見えているのですが、フェンスで覆われているのです。
ともあれ、とことこ歩いていくと都立小金井公園の入口にたどりつきました。
花小金井口、というのでしょうか。
いつもの入口が正門とすれば、こちらは裏門の印象です。
大樹が並び、濃い影を落とす広い道を公園へと入っていきました。
都立小金井公園のたたずまいは、他のどの公園とも違っています。
大半の土地が平らで、そして広大です。
面積は約80ヘクタール。
都立公園としては最大規模。
武蔵野の雑木林を生かし、そこかしこに草原も広がる、贅沢な造りの公園です。
裏門から入っていくと、前回ヒナゲシが咲いていた草原が左手に見えました。
まずそこに向かっていきました。
前回は点々と不規則に咲いて、怪しい印象のあったヒナゲシ。
今は、一斉に咲いて、風に揺れていました。
赤いヒナゲシが大半ですが、中にはピンクや白も見られます。
上の画像がそれです。
ヒナゲシの草原の周囲を1周し、そこから、前回とは逆コースをたどりました。
濃い緑の葉の繁る八重桜の中の緩い坂道を登っていきます。
登りきると、富士見の丘。
てっぺんは平らな丘で、ベンチが並んでいます。
今は木が育って、富士山も見えないそうです。
斜面に、スノーボートで滑り降りるスロープが設置されてありました。
ただの芝生ではなく、ローラーのようなものが敷かれています。
見た目はかなりスピードが出そう。
しかし、滑っているのは、たいてい幼児とお母さん。
実際はそんなにスピードは出ないようで、安全に遊んでいました。
係員の人がいて、滑る人たちを補助しています。
1回使ったスノーボードは、液体につけているのが見えました。
除菌しているのでしょう。
このご時世、余分な仕事が多くて、大変ですよね。
うちの教室もそうです。
1回の授業ごとに机や椅子に洗剤のスプレーを吹きかけ、拭き取る。
早い時期に、新型コロナウィルスを除去できるという研究結果が発表された製品です。
研究結果が出ないうちから、データを公表してくれて構わないとした会社の英断は、格好よかったなあ。
漠然と「除菌」「殺菌」と書いてある製品よりも、信用できます。
換気をして、ドアノブとインターホンも除菌。
そんなことも、もう1年以上続き、普通の習慣になりました。
コロナ禍が落ち着いた後も、やり続けるかもしれないほどに。
やったほうが気持ちがいいですから。
コロナが去った後も、エレベーターや信号のボタンは、手で直接は触われないかもしれません。
コロナが私たちに残していくものは、たぶんとてつもなく大きい。
富士見の丘から木段の道を下り、のんびりと正門へと歩いていきました。
正門の花壇には、サルビア。
すべての花壇にサルビアが植えられていました。
信号を渡り、帰り道はいつもの玉川上水緑道を歩きました。
草むらの中に、ホタルブクロの花。
ここはすぐ横が住宅街なので、庭から逃げ出した園芸種も見られます。
ムラサキカタバミと交代して、今、目立つのは、タチアオイ。
赤い花、白い花。
タチアオイのすっと立つ姿は、気持ちいいですね。
夏らしい花と感じます。
土の道はやはり歩きやすい。
どんどん進むことができます。
五日市街道が玉川上水から逸れていったので左岸に回りました。
ここは夏草の勢いがすごくて、体を横にして通らなければならないところもありました。
草いきれの中の道です。
夏の山道。
轟々と流れる沢。
焼け落ちた赤い夕空。
テントを張って、低くラジオをかけて、コーヒーを飲んで。
そんな日も、来年には戻ってくるはず。
そうしたことを考えながら歩くと、あっという間に三鷹駅北口まで戻ってきました。
さあ、今日も夕方から授業です。
三鷹駅北口から、玉川上水緑道を西へ。
昨夜の雨で、大きな水たまりが2か所。
水たまりを避けて歩きます。
そういえば、尾瀬や東北の山は、晴れた日も登山道が泥でぐちゃぐちゃで、大きな水たまりのできている山が結構ありました。
山全体が水を含んだスポンジみたいなのかもしれません。
池塘や沼も点在しています。
沢も多く、水に不自由しない山。
そんなことを思い出します。
玉川上水で水はけが悪かったのは三鷹駅周辺のみで、あとは、土の道でも水たまりはありませんでした。
交差点を渡って、玉川上水緑道の左岸をさらに進みます。
夏草がわさわさ生えて、もともと狭い道がさらに狭くなり、緑に押しやられるようにして緑道の淵を歩くこともあります。
道路とは段差があるので、落ちたらちょっとまずい。
慎重に歩いていきました。
次の信号を渡ると、緑道は広くなりました。
右手は、浄水場。
歩道も半舗装でちょっと固いけれど、気持ちのよい散歩道です。
浄水場の終わり、桜橋の交差点で今日は右折しました。
舗装された歩道を歩きます。
その次の浄水場西の交差点で、左折。
井の頭通りを行きます。
ここから自転車道の入口までの区間だけ、井の頭通りには、土の歩道がついています。
細長い公園のようになっているのです。
花も多く植えられています。
紫陽花がきれい。
・・・え?
・・・これは、ムサシノキスゲ?
一株だけ、黄色い花が咲いていました。
そう見えるのは、私の植物を見る力が足りないのだろうか?
突き当たりの大きな交差点を渡ると、多摩湖自転車歩行者道の入口です。
センターラインの入っているアスファルトの自転車道と、舗装された歩行者道に別れています。
歩行者道をとことこ歩きました。
ここは、毎年春に自転車でお花見に来る道です。
桜並木が、ずっと多摩湖まで続いています。
今は実がなる時期かな?
そう思って、葉の裏をよくのぞくと、赤い実や黒っぽい実がついていました。
食べられそうにありませんが。
鳥は食べるかなあ?
平日なので、散歩の人やジョギングの人もまばらでした。
自分のペースでとことこ歩いていきます。
大きなビワの木がたわわに実をつけていたり。
紫陽花がきれいだったり。
そうこうするうちに、右手に小学校が見えてきました。
そこから、歩行者道は土手の上に上がっていきます。
土手に上がらない歩行者道も整備されてありますが、土手の道は舗装されていないので、何となく歩きたくなります。
土手から、左手にこんもりと森が見えました。
あれは、小金井公園ではないかな?
とすると、そろそろ、左折したほうがいい。
下の道に、道しるべのようなものが立っているのも見えました。
あそこで左折するのが、小金井公園への近道なのだろうか。
とりあえず、土手の道をそのまま歩き、なだらかに下って、自転車道と合流。
その先の小さな交差点でV字の形に戻ることにしました。
しかし、その道は、道路を歩く時間が多少長かったので、やはり、道しるべの通りに曲がるのがベストの選択なのでしょう。
小金井公園の森は目の前に見えているのですが、フェンスで覆われているのです。
ともあれ、とことこ歩いていくと都立小金井公園の入口にたどりつきました。
花小金井口、というのでしょうか。
いつもの入口が正門とすれば、こちらは裏門の印象です。
大樹が並び、濃い影を落とす広い道を公園へと入っていきました。
都立小金井公園のたたずまいは、他のどの公園とも違っています。
大半の土地が平らで、そして広大です。
面積は約80ヘクタール。
都立公園としては最大規模。
武蔵野の雑木林を生かし、そこかしこに草原も広がる、贅沢な造りの公園です。
裏門から入っていくと、前回ヒナゲシが咲いていた草原が左手に見えました。
まずそこに向かっていきました。
前回は点々と不規則に咲いて、怪しい印象のあったヒナゲシ。
今は、一斉に咲いて、風に揺れていました。
赤いヒナゲシが大半ですが、中にはピンクや白も見られます。
上の画像がそれです。
ヒナゲシの草原の周囲を1周し、そこから、前回とは逆コースをたどりました。
濃い緑の葉の繁る八重桜の中の緩い坂道を登っていきます。
登りきると、富士見の丘。
てっぺんは平らな丘で、ベンチが並んでいます。
今は木が育って、富士山も見えないそうです。
斜面に、スノーボートで滑り降りるスロープが設置されてありました。
ただの芝生ではなく、ローラーのようなものが敷かれています。
見た目はかなりスピードが出そう。
しかし、滑っているのは、たいてい幼児とお母さん。
実際はそんなにスピードは出ないようで、安全に遊んでいました。
係員の人がいて、滑る人たちを補助しています。
1回使ったスノーボードは、液体につけているのが見えました。
除菌しているのでしょう。
このご時世、余分な仕事が多くて、大変ですよね。
うちの教室もそうです。
1回の授業ごとに机や椅子に洗剤のスプレーを吹きかけ、拭き取る。
早い時期に、新型コロナウィルスを除去できるという研究結果が発表された製品です。
研究結果が出ないうちから、データを公表してくれて構わないとした会社の英断は、格好よかったなあ。
漠然と「除菌」「殺菌」と書いてある製品よりも、信用できます。
換気をして、ドアノブとインターホンも除菌。
そんなことも、もう1年以上続き、普通の習慣になりました。
コロナ禍が落ち着いた後も、やり続けるかもしれないほどに。
やったほうが気持ちがいいですから。
コロナが去った後も、エレベーターや信号のボタンは、手で直接は触われないかもしれません。
コロナが私たちに残していくものは、たぶんとてつもなく大きい。
富士見の丘から木段の道を下り、のんびりと正門へと歩いていきました。
正門の花壇には、サルビア。
すべての花壇にサルビアが植えられていました。
信号を渡り、帰り道はいつもの玉川上水緑道を歩きました。
草むらの中に、ホタルブクロの花。
ここはすぐ横が住宅街なので、庭から逃げ出した園芸種も見られます。
ムラサキカタバミと交代して、今、目立つのは、タチアオイ。
赤い花、白い花。
タチアオイのすっと立つ姿は、気持ちいいですね。
夏らしい花と感じます。
土の道はやはり歩きやすい。
どんどん進むことができます。
五日市街道が玉川上水から逸れていったので左岸に回りました。
ここは夏草の勢いがすごくて、体を横にして通らなければならないところもありました。
草いきれの中の道です。
夏の山道。
轟々と流れる沢。
焼け落ちた赤い夕空。
テントを張って、低くラジオをかけて、コーヒーを飲んで。
そんな日も、来年には戻ってくるはず。
そうしたことを考えながら歩くと、あっという間に三鷹駅北口まで戻ってきました。
さあ、今日も夕方から授業です。
2021年06月03日
「連立方程式」と、数学答案の骨組みと、思考力。
中2になると、中1の頃よりも数学らしい答案を要求されることが多くなってきます。
例えば、「式の計算の利用」の学習の中で「式による説明」を学習します。
「奇数と奇数の和は偶数になる。このことを文字を使って説明しなさい」といった問題です。
中1で「方程式」の学習をしたときも、途中式を省略したらダメ、正解とはみなされないと言われ、よくわからないなりに言われた通りにしてきた人は多かったと思います。
中2になると、「途中を省略したらダメ」がさらに増えていきます。
上の問題で言えば、答案に、
2m+1+2n+1=2(m+n+1)
しか書かず、それで十分説明した気になってしまう人も多いのです。
m、nを整数とすると、
2つの奇数は、2m+1、2n+1と表すことができる。
その和は、
(2m+1)+(2n+1)
=2(m+n+1)
m+n+1は整数だから、2(m+n+1)は偶数である。
よって、奇数と奇数の和は偶数である。
これのどこかが欠けると、答案としてその部分は確実に減点されるのだということが、理解できないのです。
数学の答案は、どのような考え方でどのように解いているかを示すものです。
しかし、彼らは、何しろまだ小学校の記憶のほうが濃いのです。
小学校の算数では、式と答さえあっていれば丸がもらえた。
答さえあっていればよい問題もたくさんあった。
そういう状態で6年間を過ごしてきた子たちにとって、「途中を丁寧に説明する」ということが納得できないのは無理もありません。
14歳にとっての6年間は、「人生の大半」です。
彼らが、自分の「人生経験」から、「式と答だけ合ってりゃいいだろう。何で途中がどうとか言ってんだよ」と思っていても、不思議はないのです。
小学生に途中を丁寧に説明する能力は期待できないから、今までは許されていただけなんです。
そろそろ、数学のモードに入りましょう。
そのように説明しても、気乗りしない顔の子は多いです。
今までは許されていたのなら、永遠に許してほしいのでしょう。
毎回の授業でくどいほど話すので、うちの塾の中2の生徒たちは、毎年、このタイプの問題は正解しています。
今回の中間テストでは3題もこのタイプの問題が出題されている学校があり、それはそれで驚きましたが。
・・・1題で十分では?
ともあれ、平均点がそう高くないテストで高得点をおさめることができ、何よりでした。
「数学の答案は書き方が大切であるらしい」と子どもたちがようやく感じ始める頃。
次の「連立方程式」の学習が始まります。
「連立方程式」は、子どもの感覚では、答案の書き方がガチガチに指定されていて、それ以外の書き方をすると減点されるものです。
ただの計算問題なのに、解き方をかっちり指定される。
そのことの意味がうまく伝わらず、答案の書き方を身につけられずに終わってしまう子もいます。
中2の夏から秋に塾に入会してくれる生徒の多くは、この連立方程式の答案が奇妙なことが多いのです。
どう書くべきなのか、学校の授業だけでは学びそこねてしまうのでしょう。
例えば、こんな問題。
次の連立方程式を解け。
y=-3x
3x-y=12
この問題に対して、ある子の答案は、
3x+3x=12
x=2
y=-6
というものでした。
答はあっていますが、これは計算メモであり、答案ではありません。
どのように解いたかを示すのが数学の答案です。
以下が模範解答です。
y=-3x ・・・①
3x-y=12・・・②
①を②に代入すると
3x+3x=12
6x=12
x=2 ・・・③
③を①に代入すると、
y=-6
よって、x=2、y=-6
式に番号を振り、どの式をどう使っているか、「ナビ」を示す。
数学の答案には、それが必要です。
しかし、学校だけの学習、あるいは独学をしていると、そういう「ナビ」を「解説」と誤解し、自分が解くときにはそれは書かなくてもよいものと思ってしまう子が一定数います。
書かないと減点されるという事実を期末テストで初めて知り、愕然とするのです。
なぜ、そんなものが必要なのか?
ナビがないと、どのように解いているか、わからないからです。
それは、本人ですらそうです。
上のような「計算メモ」しか書いていない子に、
「どのように解いたの?」
と質問すると、説明できる子はほとんどいません。
自分の答案なのに、何をどうしたのか、時間が経つと自分でもわからないのです。
中2の連立方程式くらいならば、正直に言えば、「計算メモ」を見れば、何をしているのかは、大体わかります。
しかし、高校数学になると、誤答であればあるほど、何をどうしてそうなったのか、答案を読む側にとっては謎に満ちています。
それでも、それなりに数学的な考え方をしているのであれば、部分点はあげたい。
何をどうしてそうなったのかわからない答案では、部分点すらあげられないのです。
どの式をどのように使ったのか。
文字を新たに使うならば、どのように定義しているのか。
どの定理を使ったのか。
それを示していくのが、数学の答案。
根本のルールはそれだけです。
それの練習として、中2の連立方程式があります。
だから、むしろ、高校数学に入れば、連立方程式の答案など、省略しても構わないのです。
「①、②を連立して解くと」という1行があれば、何をどうしたのかわかりますから、その次は、xとyの解を書くだけでも答案として許容されます。
しかし、中学生の間は、初めてそれを学習している段階ですから、そのような省略は許容されません。
途中を丁寧に書いていかねばなりません。
あなたが「解説」だから省略していいと思っていることは、「解説」ではなく「答案」。
そこを書かないと、テストでは減点されますよ。
余程話の通じにくい子以外は、それで理解し、説明した通りの答案を作ってくれます。
「式による説明」もそうでしたが、連立方程式も、答案の書き方に明らかな「型」があります。
その「型」通りの答案を書いていけば良いだけなので、「型」が理解できた子にとっては、むしろ楽な作業です。
・・・とはいえ、だから安心とは、限らないのが、数学学習です。
連立方程式は、2通りの解き方があります。
1つは、加減法。
2つの式を足したり引いたりすることで、どちらかの文字だけの式にし、解を求めていく方法です。
例えばこんなふうに。
7x+4y=4 ・・・①
5x+8y=-10 ・・・②
①×2 14x+8y=8
② -)5x+8y=-10
9x =18
x=2 ・・・③
③を①に代入すると
14+4y=4
4y=-10
y=-5/2
よって、x=2、y=-5/2
もう1つは、上のほうで解いた「代入法」。
1つの式をもう1つの式に代入することで解く方法です。
どんな連立方程式も、式を変形すれば、どちらの方法でも解くことができます。
しかし、わざわざ変形する必要もないので、パッと見て、解きやすい方法で解けばよいでしょう。
ある年、私は、テキストから生徒に宿題を出しました。
以下のような問題です。
問題 次の連立方程式を代入法で解きなさい。
(1)
y=-3x
3x-y=12
(2)
y=2x+5
y=-x-4
(3)
4x=5y+1
4x+3y=25
(4)
7x+4y=4
5x+8y=-10
あらかじめ問題を読んでいた私は、このすべてを「代入法で」解く必要はないと思いました。
代入法は、一方の式をもう一方の式に、直接代入できるときに有利な解き方です。
(1)は勿論代入法がいい。
(2)も、混乱する子もたまにいますが、「右辺=右辺」という形で式を結ぶのは、理屈としては代入法です。
「1次関数」の学習の際に、2直線の交点を求めるときによく使う方法なので、練習しておくとよい問題です。
(3)も代入法が便利です。
1本目の4xの値を、2本目の4xにところにカポッと代入できますから。
しかし、(4)は?
代入法で解けば、以下のようになります。
7x+4y=4 ・・・①
5x+8y=-10・・・②
①より
4y=-7x+4・・・③
③を②に代入すると、
5x+2(-7x+4)=-10
5x-14x+8=-10
-9x=-18
x=2 ・・・④
④を①に代入すると、
14+4y=4
4y=-10
y=-5/2
このように解くことはできますが、ちょっと高度です。
①の式を、わざわざ代入法がしやすいように移項します。
それでいて、②の式は、③の式の値である4yがそのまま書いてある式ではありません。
相手は8yです。
これを2×4yと読み替えて代入しなければなりません。
理解できない子も多いと思います。
どうしても理解しなければならない内容とも思えません。
この問題は、加減法で解けばよいでしょう。
そこで私は、修正テープで問題文の「代入法で」という文字を消させました。
「加減法でも代入法でも、好きな方法で解いていいよ」
とそのように話して、授業は終わりました。
翌週。
宿題の答えあわせを始めると、その子は、その問題の(1)から(4)まで、全問解いてきていませんでした。
「・・・え?なぜ?」
「何か修正テープで文字が消されていたので、どうやって解いていいかわからなかった」
「・・・」
これが現代の子どもであり、これを解決するのが私の課題なのだと思い至りました。
「修正テープで文字が消されていた」
という、他人事的な描写の凄味にノックアウトされたのです。
他人が消したのではないのです。
私の指示に従って、本人が消したのです。
もしかしたら、そのことを記憶していないのではないか?
塾の宿題は、できればその日のうち、遅くても翌日には解くほうがいい。
学校より進度が進んでいる予習内容なので、学習した内容を忘れてしまったら、まったく解けなくなるから。
もし、塾の前日か当日になってぎりぎりに宿題を解くような場合は、例題解説をよく読んで、予習内容をよく確認してから解きましょう。
そうでないと、間違った解き方を大量に練習してくることになり、変な癖がついてしまって、予習なんかしないほうがまだましだということになりかねないから。
そのように話してはいるのですが、結局、ぎりぎり前日に宿題を解こうとし、「なぜか」修正テープでテキストの文字が消されていることに驚き、どうしていいかわからなくなった・・・。
何やかや、どうでもいいような小さな理由を見つけては、だから宿題が解けなかったという口実に利用する子もいないわけではありません。
勉強することが本当に嫌いなのでしょう。
そういう子は昔も今も存在します。
「謎の修正テープ」は、そういう子にとっては、格好の口実です。
しかし、その子は、そういうタイプではありませんでした。
出された宿題は解きたい。
勉強ができるようになりたい。
そういう気持ちが私にも普通に伝わる、真面目な子でした。
「次の連立方程式を代入法で解きなさい」という問題の「代入法で」を消されると、一切解けない・・・。
「加減法で」か「代入法で」か、指示されないと解けない。
どちらの解き方がよいか、自力で判断できない。
自力で判断するものなのだという発想がない。
そもそも、どんな連立方程式も、どちらの方法で解くことも可能だということに気づいていないのではないか?
その中で、より便利な方法で解くのだという発想がないのではないか。
・・・確かに、私は、それを教えていなかったかもしれないのです。
そして、それこそを言葉にして教えなければならない子は、今、確実に増えていると感じます。
私は空想上のアクティブラーニングの授業を想像してみました。
7x+4y=4 ・・・①
5x+8y=-10・・・②
この連立方程式を、できるだけ何通りもの方法で解いてみましょう。
各グループで考えなさい。
ほおっておけば、全員が加減法で解くと思います。
だから、「できるだけ何通りもの方法で」という条件が必要です。
まず、加減法の解き方が普通に発想できます。
それから、①を4y=-7x+4と変形して代入する、上のほうで書いた解き方。
その他にも、①の式をx= や、y= に変形してから②に代入する方法もありえます。
途中が分数になるのが嫌だけれど、正答は出ます。
そうした何通りもの方法を考えだしたうえで、最適の方法はどれかを議論する。
それによって、どの連立方程式も加減法と代入法の両方で解くことは可能だが、解きやすい最適な方法というものがあるということを学びとる・・・。
そのようなアクティブラーニングの授業はあり得ると思います。
ただ、アクティブラーニングのことを考えるときにいつも思い至ることですが、そうした授業の目的を理解できるのは、ひと握りの子どもたちだけになってしまう可能性が高い。
そんな授業など行わなくても加減法と代入法の使い分けを自力で習得する子たちだけが、その授業の意味も理解するでしょう。
そうではない子たちは、何のための何の授業なのかわからないまま、授業は終わっていくのです。
加減法と代入法の使い分けなんて、解説されなくても、ほぼ自動的に理解することなのではないか?
わかるだろう、そんなことは?
加減法と代入法とでは、式の見た目が違うんだから。
そんなのは、暗黙知だろう?
・・・昔は、そうでした。
今は、そうではありません。
丁寧に説明されなければ理解しない子は、今は多数存在します。
逐一説明しなければ、理解しないのです。
逆に言えば、逐一説明すれば、理解します。
連立方程式の解法には、加減法と代入法があり、どちらのやり方でも解くことは可能だが、より便利な解き方というものがある。
どんなときに代入法がより便利なのかといえば・・・。
こうしたことを、具体的にすべて説明されれば、理解し、その通りに解き、正解できる子は多数存在します。
そうした子どもたちに自力で発想してもらおうとするのは、かなり難しいことです。
加減法と代入法とでは、式の見た目が違う。
そこまでヒントを出しても、見た目がどう違うのか、自力では発見できません。
「文字の前の数字が違う」
「こっちは正の数でこっちは負の数」
といった、頭を抱えたくなるような意見しか本人からは出てこないものだと覚悟する必要があります。
そんなことを分析できるくらいなら、自力で加減法と代入法を使い分けられるのです。
それが分析できないのです。
物事を分析し判断した経験に乏しく、その能力が育っていないのです。
なぜ分析できないのか?
分析するための材料が本人の中にないことが大きいのでしょう。
すなわち、本人が記憶している情報が少ない。
分析というのは、これまでの記憶や経験から類推して行うものです。
記憶の少ない子は、それだけ、分析する際の助けとなる情報が少なくなります。
そして、記憶の少ない子が、今は多い。
何もかも、忘れていきます。
1週間前に自分が修正テープで文字を消したということを忘れてしまう。
そのときに、どういう指示があったかも、勿論覚えていない。
覚えておくと、脳が重くなり、つらい。
脳の空き容量は常に最大に確保しておくべきだ。
そのように、自らをコンピュータか何かのように認識しているのかもしれません。
そもそも脳は不要な記憶を消去していくものですが、それに抗うことを一切しないのです。
どんどん忘れていきます。
しかし、今もなお、自力で判断できる子たちが存在するのも事実です。
昔と同様、覚えるべきことは普通に記憶し、普通に思考し、判断する子たちもいます。
現在は、その二極化が言われています。
連立方程式には2つの解き方がある。
何が違うのだろう?
どう使いわけるのだろう?
言われなくてもそのように自分で考え、自分で積極的に解決している子はいます。
それが分析力であり、思考力です。
そうした思考力を持つことが目標なのだと示せば、自分が何を獲得する必要があるのかを理解する子も現れます。
中2では思考力があるとは言いがたい様子だったその生徒は、都立高校に合格し、数Ⅰのテスト対策で、私に問いかけました。
「因数分解のやり方がわからない」
どの問題がわからないのかを尋ねると、4項式でした。
私は尋ねました。
「因数分解の際の最大の指針は?」
「次数の低い文字でくくる」
「わかっているじゃありませんか」
さらに具体的に、4項式、5項式、6項式それぞれは何に着目して解くか、わずかな解説で自力で因数分解できるようになり、帰っていきました。
連立方程式の加減法と代入法の使い分けもわからなかった人が。
人は成長します。
大変な時代であることは確かですが、光も見えているのです。
例えば、「式の計算の利用」の学習の中で「式による説明」を学習します。
「奇数と奇数の和は偶数になる。このことを文字を使って説明しなさい」といった問題です。
中1で「方程式」の学習をしたときも、途中式を省略したらダメ、正解とはみなされないと言われ、よくわからないなりに言われた通りにしてきた人は多かったと思います。
中2になると、「途中を省略したらダメ」がさらに増えていきます。
上の問題で言えば、答案に、
2m+1+2n+1=2(m+n+1)
しか書かず、それで十分説明した気になってしまう人も多いのです。
m、nを整数とすると、
2つの奇数は、2m+1、2n+1と表すことができる。
その和は、
(2m+1)+(2n+1)
=2(m+n+1)
m+n+1は整数だから、2(m+n+1)は偶数である。
よって、奇数と奇数の和は偶数である。
これのどこかが欠けると、答案としてその部分は確実に減点されるのだということが、理解できないのです。
数学の答案は、どのような考え方でどのように解いているかを示すものです。
しかし、彼らは、何しろまだ小学校の記憶のほうが濃いのです。
小学校の算数では、式と答さえあっていれば丸がもらえた。
答さえあっていればよい問題もたくさんあった。
そういう状態で6年間を過ごしてきた子たちにとって、「途中を丁寧に説明する」ということが納得できないのは無理もありません。
14歳にとっての6年間は、「人生の大半」です。
彼らが、自分の「人生経験」から、「式と答だけ合ってりゃいいだろう。何で途中がどうとか言ってんだよ」と思っていても、不思議はないのです。
小学生に途中を丁寧に説明する能力は期待できないから、今までは許されていただけなんです。
そろそろ、数学のモードに入りましょう。
そのように説明しても、気乗りしない顔の子は多いです。
今までは許されていたのなら、永遠に許してほしいのでしょう。
毎回の授業でくどいほど話すので、うちの塾の中2の生徒たちは、毎年、このタイプの問題は正解しています。
今回の中間テストでは3題もこのタイプの問題が出題されている学校があり、それはそれで驚きましたが。
・・・1題で十分では?
ともあれ、平均点がそう高くないテストで高得点をおさめることができ、何よりでした。
「数学の答案は書き方が大切であるらしい」と子どもたちがようやく感じ始める頃。
次の「連立方程式」の学習が始まります。
「連立方程式」は、子どもの感覚では、答案の書き方がガチガチに指定されていて、それ以外の書き方をすると減点されるものです。
ただの計算問題なのに、解き方をかっちり指定される。
そのことの意味がうまく伝わらず、答案の書き方を身につけられずに終わってしまう子もいます。
中2の夏から秋に塾に入会してくれる生徒の多くは、この連立方程式の答案が奇妙なことが多いのです。
どう書くべきなのか、学校の授業だけでは学びそこねてしまうのでしょう。
例えば、こんな問題。
次の連立方程式を解け。
y=-3x
3x-y=12
この問題に対して、ある子の答案は、
3x+3x=12
x=2
y=-6
というものでした。
答はあっていますが、これは計算メモであり、答案ではありません。
どのように解いたかを示すのが数学の答案です。
以下が模範解答です。
y=-3x ・・・①
3x-y=12・・・②
①を②に代入すると
3x+3x=12
6x=12
x=2 ・・・③
③を①に代入すると、
y=-6
よって、x=2、y=-6
式に番号を振り、どの式をどう使っているか、「ナビ」を示す。
数学の答案には、それが必要です。
しかし、学校だけの学習、あるいは独学をしていると、そういう「ナビ」を「解説」と誤解し、自分が解くときにはそれは書かなくてもよいものと思ってしまう子が一定数います。
書かないと減点されるという事実を期末テストで初めて知り、愕然とするのです。
なぜ、そんなものが必要なのか?
ナビがないと、どのように解いているか、わからないからです。
それは、本人ですらそうです。
上のような「計算メモ」しか書いていない子に、
「どのように解いたの?」
と質問すると、説明できる子はほとんどいません。
自分の答案なのに、何をどうしたのか、時間が経つと自分でもわからないのです。
中2の連立方程式くらいならば、正直に言えば、「計算メモ」を見れば、何をしているのかは、大体わかります。
しかし、高校数学になると、誤答であればあるほど、何をどうしてそうなったのか、答案を読む側にとっては謎に満ちています。
それでも、それなりに数学的な考え方をしているのであれば、部分点はあげたい。
何をどうしてそうなったのかわからない答案では、部分点すらあげられないのです。
どの式をどのように使ったのか。
文字を新たに使うならば、どのように定義しているのか。
どの定理を使ったのか。
それを示していくのが、数学の答案。
根本のルールはそれだけです。
それの練習として、中2の連立方程式があります。
だから、むしろ、高校数学に入れば、連立方程式の答案など、省略しても構わないのです。
「①、②を連立して解くと」という1行があれば、何をどうしたのかわかりますから、その次は、xとyの解を書くだけでも答案として許容されます。
しかし、中学生の間は、初めてそれを学習している段階ですから、そのような省略は許容されません。
途中を丁寧に書いていかねばなりません。
あなたが「解説」だから省略していいと思っていることは、「解説」ではなく「答案」。
そこを書かないと、テストでは減点されますよ。
余程話の通じにくい子以外は、それで理解し、説明した通りの答案を作ってくれます。
「式による説明」もそうでしたが、連立方程式も、答案の書き方に明らかな「型」があります。
その「型」通りの答案を書いていけば良いだけなので、「型」が理解できた子にとっては、むしろ楽な作業です。
・・・とはいえ、だから安心とは、限らないのが、数学学習です。
連立方程式は、2通りの解き方があります。
1つは、加減法。
2つの式を足したり引いたりすることで、どちらかの文字だけの式にし、解を求めていく方法です。
例えばこんなふうに。
7x+4y=4 ・・・①
5x+8y=-10 ・・・②
①×2 14x+8y=8
② -)5x+8y=-10
9x =18
x=2 ・・・③
③を①に代入すると
14+4y=4
4y=-10
y=-5/2
よって、x=2、y=-5/2
もう1つは、上のほうで解いた「代入法」。
1つの式をもう1つの式に代入することで解く方法です。
どんな連立方程式も、式を変形すれば、どちらの方法でも解くことができます。
しかし、わざわざ変形する必要もないので、パッと見て、解きやすい方法で解けばよいでしょう。
ある年、私は、テキストから生徒に宿題を出しました。
以下のような問題です。
問題 次の連立方程式を代入法で解きなさい。
(1)
y=-3x
3x-y=12
(2)
y=2x+5
y=-x-4
(3)
4x=5y+1
4x+3y=25
(4)
7x+4y=4
5x+8y=-10
あらかじめ問題を読んでいた私は、このすべてを「代入法で」解く必要はないと思いました。
代入法は、一方の式をもう一方の式に、直接代入できるときに有利な解き方です。
(1)は勿論代入法がいい。
(2)も、混乱する子もたまにいますが、「右辺=右辺」という形で式を結ぶのは、理屈としては代入法です。
「1次関数」の学習の際に、2直線の交点を求めるときによく使う方法なので、練習しておくとよい問題です。
(3)も代入法が便利です。
1本目の4xの値を、2本目の4xにところにカポッと代入できますから。
しかし、(4)は?
代入法で解けば、以下のようになります。
7x+4y=4 ・・・①
5x+8y=-10・・・②
①より
4y=-7x+4・・・③
③を②に代入すると、
5x+2(-7x+4)=-10
5x-14x+8=-10
-9x=-18
x=2 ・・・④
④を①に代入すると、
14+4y=4
4y=-10
y=-5/2
このように解くことはできますが、ちょっと高度です。
①の式を、わざわざ代入法がしやすいように移項します。
それでいて、②の式は、③の式の値である4yがそのまま書いてある式ではありません。
相手は8yです。
これを2×4yと読み替えて代入しなければなりません。
理解できない子も多いと思います。
どうしても理解しなければならない内容とも思えません。
この問題は、加減法で解けばよいでしょう。
そこで私は、修正テープで問題文の「代入法で」という文字を消させました。
「加減法でも代入法でも、好きな方法で解いていいよ」
とそのように話して、授業は終わりました。
翌週。
宿題の答えあわせを始めると、その子は、その問題の(1)から(4)まで、全問解いてきていませんでした。
「・・・え?なぜ?」
「何か修正テープで文字が消されていたので、どうやって解いていいかわからなかった」
「・・・」
これが現代の子どもであり、これを解決するのが私の課題なのだと思い至りました。
「修正テープで文字が消されていた」
という、他人事的な描写の凄味にノックアウトされたのです。
他人が消したのではないのです。
私の指示に従って、本人が消したのです。
もしかしたら、そのことを記憶していないのではないか?
塾の宿題は、できればその日のうち、遅くても翌日には解くほうがいい。
学校より進度が進んでいる予習内容なので、学習した内容を忘れてしまったら、まったく解けなくなるから。
もし、塾の前日か当日になってぎりぎりに宿題を解くような場合は、例題解説をよく読んで、予習内容をよく確認してから解きましょう。
そうでないと、間違った解き方を大量に練習してくることになり、変な癖がついてしまって、予習なんかしないほうがまだましだということになりかねないから。
そのように話してはいるのですが、結局、ぎりぎり前日に宿題を解こうとし、「なぜか」修正テープでテキストの文字が消されていることに驚き、どうしていいかわからなくなった・・・。
何やかや、どうでもいいような小さな理由を見つけては、だから宿題が解けなかったという口実に利用する子もいないわけではありません。
勉強することが本当に嫌いなのでしょう。
そういう子は昔も今も存在します。
「謎の修正テープ」は、そういう子にとっては、格好の口実です。
しかし、その子は、そういうタイプではありませんでした。
出された宿題は解きたい。
勉強ができるようになりたい。
そういう気持ちが私にも普通に伝わる、真面目な子でした。
「次の連立方程式を代入法で解きなさい」という問題の「代入法で」を消されると、一切解けない・・・。
「加減法で」か「代入法で」か、指示されないと解けない。
どちらの解き方がよいか、自力で判断できない。
自力で判断するものなのだという発想がない。
そもそも、どんな連立方程式も、どちらの方法で解くことも可能だということに気づいていないのではないか?
その中で、より便利な方法で解くのだという発想がないのではないか。
・・・確かに、私は、それを教えていなかったかもしれないのです。
そして、それこそを言葉にして教えなければならない子は、今、確実に増えていると感じます。
私は空想上のアクティブラーニングの授業を想像してみました。
7x+4y=4 ・・・①
5x+8y=-10・・・②
この連立方程式を、できるだけ何通りもの方法で解いてみましょう。
各グループで考えなさい。
ほおっておけば、全員が加減法で解くと思います。
だから、「できるだけ何通りもの方法で」という条件が必要です。
まず、加減法の解き方が普通に発想できます。
それから、①を4y=-7x+4と変形して代入する、上のほうで書いた解き方。
その他にも、①の式をx= や、y= に変形してから②に代入する方法もありえます。
途中が分数になるのが嫌だけれど、正答は出ます。
そうした何通りもの方法を考えだしたうえで、最適の方法はどれかを議論する。
それによって、どの連立方程式も加減法と代入法の両方で解くことは可能だが、解きやすい最適な方法というものがあるということを学びとる・・・。
そのようなアクティブラーニングの授業はあり得ると思います。
ただ、アクティブラーニングのことを考えるときにいつも思い至ることですが、そうした授業の目的を理解できるのは、ひと握りの子どもたちだけになってしまう可能性が高い。
そんな授業など行わなくても加減法と代入法の使い分けを自力で習得する子たちだけが、その授業の意味も理解するでしょう。
そうではない子たちは、何のための何の授業なのかわからないまま、授業は終わっていくのです。
加減法と代入法の使い分けなんて、解説されなくても、ほぼ自動的に理解することなのではないか?
わかるだろう、そんなことは?
加減法と代入法とでは、式の見た目が違うんだから。
そんなのは、暗黙知だろう?
・・・昔は、そうでした。
今は、そうではありません。
丁寧に説明されなければ理解しない子は、今は多数存在します。
逐一説明しなければ、理解しないのです。
逆に言えば、逐一説明すれば、理解します。
連立方程式の解法には、加減法と代入法があり、どちらのやり方でも解くことは可能だが、より便利な解き方というものがある。
どんなときに代入法がより便利なのかといえば・・・。
こうしたことを、具体的にすべて説明されれば、理解し、その通りに解き、正解できる子は多数存在します。
そうした子どもたちに自力で発想してもらおうとするのは、かなり難しいことです。
加減法と代入法とでは、式の見た目が違う。
そこまでヒントを出しても、見た目がどう違うのか、自力では発見できません。
「文字の前の数字が違う」
「こっちは正の数でこっちは負の数」
といった、頭を抱えたくなるような意見しか本人からは出てこないものだと覚悟する必要があります。
そんなことを分析できるくらいなら、自力で加減法と代入法を使い分けられるのです。
それが分析できないのです。
物事を分析し判断した経験に乏しく、その能力が育っていないのです。
なぜ分析できないのか?
分析するための材料が本人の中にないことが大きいのでしょう。
すなわち、本人が記憶している情報が少ない。
分析というのは、これまでの記憶や経験から類推して行うものです。
記憶の少ない子は、それだけ、分析する際の助けとなる情報が少なくなります。
そして、記憶の少ない子が、今は多い。
何もかも、忘れていきます。
1週間前に自分が修正テープで文字を消したということを忘れてしまう。
そのときに、どういう指示があったかも、勿論覚えていない。
覚えておくと、脳が重くなり、つらい。
脳の空き容量は常に最大に確保しておくべきだ。
そのように、自らをコンピュータか何かのように認識しているのかもしれません。
そもそも脳は不要な記憶を消去していくものですが、それに抗うことを一切しないのです。
どんどん忘れていきます。
しかし、今もなお、自力で判断できる子たちが存在するのも事実です。
昔と同様、覚えるべきことは普通に記憶し、普通に思考し、判断する子たちもいます。
現在は、その二極化が言われています。
連立方程式には2つの解き方がある。
何が違うのだろう?
どう使いわけるのだろう?
言われなくてもそのように自分で考え、自分で積極的に解決している子はいます。
それが分析力であり、思考力です。
そうした思考力を持つことが目標なのだと示せば、自分が何を獲得する必要があるのかを理解する子も現れます。
中2では思考力があるとは言いがたい様子だったその生徒は、都立高校に合格し、数Ⅰのテスト対策で、私に問いかけました。
「因数分解のやり方がわからない」
どの問題がわからないのかを尋ねると、4項式でした。
私は尋ねました。
「因数分解の際の最大の指針は?」
「次数の低い文字でくくる」
「わかっているじゃありませんか」
さらに具体的に、4項式、5項式、6項式それぞれは何に着目して解くか、わずかな解説で自力で因数分解できるようになり、帰っていきました。
連立方程式の加減法と代入法の使い分けもわからなかった人が。
人は成長します。
大変な時代であることは確かですが、光も見えているのです。