2023年11月24日
「覚える」ということが、何をどうすることか、わからない。

画像は、都立小金井公園のコスモス。
さて、一度で理解して以後二度と忘れない子。
何回解説してもほとんど覚えない子。
個別指導の特徴なのでしょうが、その中間という子は少なく、生徒はどちらかに偏ります。
英語が苦手、と漠然と言いますが、英語が苦手な子は、まず単語を覚えていない子が大半です。
そして、文法を覚えていません。
英語が苦手の子の多くは、覚えることが苦手な子たちです。
小学生の頃から、そして中学入学後も、英語がきわめて苦手な子たちの場合。
初めて英語を学び始めた段階で、曜日や月の名称、数字のスペルなどの基本を覚えられないことが多いです。
名詞を複数形にするルールも覚えられません。
人称代名詞も覚えられません。
3単現のルールも覚えられません。
一般動詞の疑問文の作り方を覚えず、何でも Are you ~?としてしまうことをやめられません。
とにかく、覚えない、覚えない、覚えない。
覚えれば済むのに、何でこうも覚えないのか?
本人は「覚えたくても覚えられないんだ」と言う場合が多いです。
しかし、本当にそうなのでしょうか?
あるいは、中学英語はそこそこ出来た子たち。
英検3級は合格し、英検準2級も何とか合格します。
でも、その先には、永久に進めない子たちがいます。
高校で英語が急速に苦手になっていく子たちです。
もう何度も書いてきましたが、そうした子たちは、高校で学習する英単語を覚えないのです。
高校で学習する英文法も覚えません。
中学生の英語力のまま、高2になり、高3になり、大学受験を迎えます。
しかし、本人は、それなりに英語を勉強している気でいる場合が多いです。
なぜ、こうまで覚えられないのだろうか?
小学生の頃、九九を覚えられなくて苦労した。
今でも、七の段はちょっと厳しい・・・。
そういう子の場合は、わかります。
本当にものを覚えるのが苦手なのだと思うのです。
でも、九九はそこそこ問題なく覚えられたという場合は、記憶力のせいではないのではないか?
「覚える」ということが何をどうすることなのか、あまりよくわかっていないのではないか?
そう感じることがあるのです。
小学生の頃は、身につけなければならない知識もそんなに多くはないので、小学校の授業中や宿題で何度か練習しているうちに大抵覚えてしまいます。
その経験があるので、「覚える」というのは、そういうふうに苦もなく自然に覚えることを指すと、思い込んでいるのではないでしょうか。
覚えるためには、覚えるための作業と反復が必要になります。
それは、基本的に、つらくてつまらない作業です。
それをせず、自然に覚えられるものだと誤解しているため、「覚えられない」と言っている子もいるのではないかと思うのです。
もう1つは、覚えるときに脳にかかる負荷が嫌いな子。
頭が重くなって、つらくて嫌なので、ものを覚えるのが嫌いな子たちがいます。
覚えられないのではなく、つらいから、嫌で、避けているのです。
幾度も唱え、反復し、自分にテストを繰り返し、大脳に刻みつける作業。
そういうことはしたくない。
覚えるというのは、自然に頭に入ってくるものであってほしい。
でも、自然に頭に入ることだけを期待していても、中学・高校と学年が進むにつれ、学習量は爆発的に増えていきます。
自然に覚えるには、量が多いです。
だから、人工的に、意図的に、無理をして覚える作業が必要になるのです。
それをしないでいると、本人の生来の能力に応じて、中学で、あるいは高校で、停滞していくのです。
2~3度眺めるだけで覚えられるわけがないのです。
楽をして自然に覚えたい、という気持ちはわかるけれど、それは、無理な望みなのです。
金儲けをしたい人が、それができるかのような宣伝をしていることがありますが、罪深いことだと思います。
そんなものにお金を払っても、楽をして自然に覚えることは、結局できません。
だって、文科省だってそんなにバカじゃないんですから、そんな方法があるなら、学校の正規のカリキュラムに導入しますよ?
楽して自然に覚える方法は、ないんです。
覚えようと強く意識し、大脳に刻み込むように、覚える、覚える、覚える。
大脳に負荷がかかるように、覚える、覚える。
そうやって暗記するのだということを、あきらめて、悟ってください。
でも、好きなことなら楽しく覚えられます。
ゲームやアニメのキャラクターの名前。
好きなアイドルグループ全員の名前とメンバーカラー。
好きなアニメの全サブタイトル。
そういうことなら、いくらでも覚えられる。
それなら、生来の暗記力はあるはずです。
その能力を使って、好きではないことも、覚える。
必要なことだから、覚える。
そういうふうに意識を変えてほしいんです。
英語を好きになれれば良いけれど、ある程度英語ができるようにならない限り、好きにはなれないと思います。
まず、できるようになることが先です。
それには、好きじゃないけれど暗記する、つまらないけれど暗記する、そういう作業が必要です。
暗記したことが反映されて、英語がわかるようになれば、好きになります。
基本、自分が上手くできることには、人は良い感情を持ちますから。
暗記はしないけれど、英語を完全に捨ててしまっているのかというとそうでもなく、今学校で学習していることはそれなりに勉強する子は多いです。
学校の教科書の英語の本文の重要事項を解説すると、そういうことは熱心に聞いています。
けれど、テストで間違えるのは、習いたての文法事項ではありません。
空所補充問題や和文英訳問題で、以前に習っている単語のスペルを正しく書くことができなかったり。
名詞を複数形にすることや、冠詞を書くことを忘れたり。
今回のテスト範囲の文法事項をクリアできても、上に書いたようなところを間違えていたらテストでは逐一減点されますから、本人が達成感を味わえるような得点にはなりません。
本人なりに頑張っているつもりでも成績に変化がないので嫌気がさし、ますます学習意欲が下がっていく・・・。
英語という科目に起こりやすいことです。
本人の脳の癖なのかもしれませんが、新しいことを学習する度、古いことを頭の中から一掃する人もいます。
1つ覚えると、1つ忘れる。
何も積みあがっていかないのです。
新しいことを学習しても、それと同時に、英語学習の初期に習った時制の使い分けや、曜日や月名のスペルは永遠に必要な知識です。
しかし、脳にそんな容量はないと思い込んでいることも手伝い、びっくりするほどあっさりと記憶を捨てていくタイプの人がいます。
そして、せっかく学習した新しい内容も、定期テストが終わると、すっぱりと忘れていきます。
もともと脳は、不要な記憶をどんどん消していきます。
それにストップをかけ、「あ、これは消去したらダメな記憶なんだ」と脳に悟らせるには、反復です。
他人よりも記憶が消えるのが速いなと感じたら、自分の脳にストップをかけましょう。
本来、10代の記憶は、一生消えないものになるのです。
ストップをかけていないのは、本人の意思も入っていると思います。
テストが終わったら、後は要らない記憶と思い、忘れるままにしていないでしょうか。
本来、10代で得た知識の多くは、一生消えません。
そういう人は多いと思います。
今では役に立たない妙な記憶が残っている、そういう大人は多いと思います。
大人の人と話す機会があったら、
「中学や高校の頃に暗記したことで、今でも妙に覚えていること、ありますか」
と話を振ってみてください。
変な暗記事項を披露してくれる人は多いと思います。
徳川十五代の名前を全部言える人。
中国の王朝名を順番に言える人。
なかには、私のように「ソ連のコンビナート」という、本当にそれは何なんだという使えない記憶を披露してくれる人もいるかもしれません。
3日前の昼ご飯に何を食べたかはもう忘れたけれど、10代の頃に勉強した記憶は、消えない。
記憶とは、そういうものです。
10代のうちに、せめて英単語は最大限頭に入れておけば良かった・・・と後悔している大人は多いと思うのです。
あの頃ならば、今よりもずっと暗記は楽だった、と。
それでも、何歳になっても、それなりに、やりようはありますが。
脳は大容量です。
無制限に何でも記憶し、保存できます。
それを信じ、全てため込みましょう。
また、脳にどれほど負荷がかかっても、それで脳細胞がつぶれてダメになったりはしません。
負荷をかけると、むしろ頭は良くなります。
筋肉と同じです。
筋肉は、ダメージから回復した後のほうが強くなります。
だから、負荷をかけ、アイシングして、休む。
脳も同じです。
まず、脳に負荷をかける方向に自分の気持ちをもっていってください。
脳に負荷をかけた後、リラックスして、そしてよく寝る。
これを繰り返すことで、脳は強くなります。
そのように「覚えるぞ!」という意欲をもつことが第一。
そのうえで、英単語の暗記には、いくつかコツがあると思います。
例えば、よくある暗記のダメな例。
1日10個ずつ英単語を覚える。
次の日は、別の10個を覚える・・・。
しかし、そんなやり方では、翌日にはもう前日の10個は忘れています。
何1つ頭に残らないのですが、それを称して「単語暗記はやっている」、「でも、覚えられない」としてしまうのは、残念です。
それは、覚えられないやり方をわざわざ選んでいるのです。
ちょっと苦しくても、頑張って、1日100個覚える。
翌日も、同じ100個を覚える。
その翌日も、同じ100個を覚える。
覚えているかどうか、毎日自分にテストをして、覚えていなかったら覚え直す。
そうして、最低でも1週間、同じ100個を繰り返します。
翌週は、新しい単語を1日100個覚える。
ついでに、先週の100個のテストをして、覚えていなかったら覚え直す。
翌日、同じ100個を覚える。
ついでに、先週の100個のテストをして、覚えていなかったら覚え直す。
これを繰り返します。
あるいは、覚えるべき英単語が1つの例文や文章中にぎゅうぎゅうに詰まっているタイプの単語集を購入し、それの音声もスマホなどの機器にダウンロードしておきます。
これを繰り返し聴きます。
あるときは、文字を見ないで聴く。
あるときは、文字を見ながら聴く。
慣れてきたら、その音声にあわせて、文字は見ないでシャドーイング。
そして、また、文字を見ながら聴く。
毎日1時間、これをやり続けます。
上のやり方よりも効率は悪いのですが、長い目で見れば、いつの間にか知っている単語が増えています。
時間はかかりますが、比較的負荷の少ない方法です。
日本語と英語が交互に繰り返されるタイプの音声も、自分にテストをするのに向いています。
英語が先の場合は、日本語が流れる前に、自分で先に日本語を言う。
日本語が先の場合は、英語が流れる前に、自分で先に英語を言う。
そのように、常にテストを繰り返します。
聞き流すだけでは、ダメなのです。
日本人は、英語を音楽のように聞き流す習慣が脳についている場合が多く、意味などわからなくても平気なのです。
聞き流していたら、ある日突然、意味を伴って英語が聞こえてくる、ということはありません。
英語の抑揚がちょうどいい感じに脳から α 波でも出す様子で、心地よく眠くなることすらあります。
英語をBGMとして、快適に別のことを集中して考えたりもします。
だから、聞き流すだけでは、何も身につきません。
自分からアクションを起こすようにして聴かないと、音声教材は身につきません。
そして、回数も、「え?そんなに?」と驚くほどの回数を聴く必要があります。
2~3回では覚えられないのです。
100回聞いたら、そのうちの1つ2つは自然に覚えている単語があるかもしれないね、という程度です。
基本は、1,000回以上聴くことが必要です。
それくらいの反復が必要だと、知ってください。
それも、上の1日100単語ずつ意図的に覚えることと並行して行えば、1,000回までいかなくても、かなりの単語を覚えられます。
普通にしていれば覚えられないのは、誰でもそうです。
苦労して覚えることをしているかどうか、だと思うのです。
つらくても頑張ることが、必要なときも、あるのです。
その作業は、必ず実を結び、良い結果につながります。
初見の英文を普通に読むことができ、テストの得点も上がり、模試も苦痛ではなくなります。
英語が楽しくなります。
2023年11月19日
高校数学と計算力。
数学の場合、本人の理解力の他に、計算力という課題があります。
説明されたことは理解できる。
ああ、そういうことだったのか。
疑問が晴れた。
これなら数学がわかる。
成績はきっと上がる。
そう思って頑張り始めた子の前に、すぐに壁が立ちはだかります。
正しい式を立てることができても、その後の計算が上手くいかないのです。
例えば、ある問題で、
-x^2+4kx+4k=0
という正しい式を立てることができたとします。
これを x について解くことができれば、もう正解なのです。
しかし、それが上手くいかないのです。
あるとき、
x=-2±√(16+16k)
という生徒の答を見て、私は首を傾げました。
その子は、中高一貫校に通う子で、高校生になってから、うちの教室に通い始めました。
2次方程式の解の公式の学習は入塾する1年も前に、すでに終わっていました。
「・・・解の公式の、2本目のほうを使っていますか?」
「2本目?」
「x の係数が偶数の場合の、b' を使う公式です」
「ああ・・・。使っていません」
「あれは使ったほうがいいですよ?」
「D/4は使ってますけど、あっちは別に・・・」
あっちは別に、意味はないから覚えなかったし、使ったことがない・・・。
そういうことのようでした。
数学が苦手になってから塾に通い始める子の1つの傾向として、使うべき公式を使っていないために計算がもっさりしてしまう、ということがあります。
しかし、もっさりしていても、正確に計算すれば同じ答が出ます。
まずはもっさりと正しく計算してみましょう。
-x^2+4kx+4k=0
両辺に-1をかけて、
x^2-4kx-4k=0
解の公式を用いて、
x=4k±√(16k^2+16k) / 2
=4k±4√(k^2+k) / 2
=2k±2√(k^2+k)
しかし、その子の誤答は x=-2±√(16+16k)
ノートを見ると、ミスの原因がわかりました。
-x^2+4kx+4k=0
x=-4±√(16+16k) / 2
=-4±√(16+16k) / 2
=-2±√(16+16k)
「・・・これ、式の両辺に-1をかけていないのですね」
「え?」
「x^2の係数が負の数のとき、まず、因数分解できるかどうかを見るため、両辺に-1をかけて、x^2の係数を正の数にしますが、それをやっていますか?」
「やってません。必要ですか?」
「・・・絶対に必要なわけではないんですが、x^2の係数は、正の数のほうが、扱いやすいと思いますよ。そういうことをしたことがない?」
「ありません」
中学の頃からうちの教室に通っている子では見ることのない種類のミスでした。
学校の授業でも注意はされていると思うのですが、そういう細かい注意は、口頭でなされるので、ノートに残らないことが多いです。
そのため、身につかなかったのでしょう。
あるいは、「そんなのはどうでもいい」と判断してしまったのか・・・。
それで間違えなければ別に構わないのですが、今回の符号ミスの原因は明らかにそれでした。
すべての符号を変えないまま計算しているのに、分母を-2 とするのを忘れたのだと思うのです。
方程式ならばまだましですが、2次不等式の場合は、x^2の係数が負の数のまま、その都度、放物線が上に凸か下に凸かあれこれと頭をひねって解いている子を見たこともあります。
簡単なことを複雑にしてしまっています。
どうでもいいようなことですし、それをやらなくても正解は出せるけれど、やったほうがミスはしにくいのです。
常に同じ計算方法を行うことで、計算は安定し、速くなります。
また、明らかに、xの1次の項の係数-4kの「k」が飛んでしまっていました。
解の公式を使うときに、x以外の文字はすべて係数なのですが、見落としてしまうのは、よくあるミスです。
さらに問題は、√ の中身の整理。
√ の中身を外に出す方法を知らなかったのか、それとも、うっかり忘れたのか。
間違った式とはいえ、せめて、
√(16+16k)=4√(1+k)
と直したい。
正しくは、√(16k^2+16k)=4√(k^2+k)
√16=4ですから、その部分は√ の外に出すことができるのです。
丁寧に書いていくならば、
√(16k^2+16k)
=√16・√(k^2+k)
=4√(k^2+k)
となります。
平方根を深く理解していないと、平方根が出てくる度に計算ミスをしてしまう、ということが起こります。
また、分母を払うならば、分子の2つの項は平等に2で約分しなければならないのですが、整数の部分のみ約分し、√ のほうは放置してしまっていました。
このあたりも、間違えてしまう子が多いです。
中学1年生の計算問題で言えば、
4+3a / 8
=1+3a / 2
というように、4と8だけ約分し、3aはそのままにしてしまうミスをする子は多いです。
解説するとそのときはわかった顔をするのですが、「作業手順」として覚えようとするだけで、なぜそうしてはいけないのか、本質は理解しなかった様子で、しばらく経つとまた同じミスをしてしまうのです。
前にも書きましたが、小学校の頃だけ計算重視の塾に通っても、中学で十分に計算練習をしなかったため、小学校では学習しない種類の計算に弱い子は多いです。
上のような文字式の約分。
文字式の通分。
負の数の計算。
式の変形。
指数計算。
平方根の計算。
中学で学習する計算内容に習熟していないと、高校の数学で計算力不足が大きく足を引っ張ります。
そもそも小学生の頃から計算が苦手という場合もありますが、
中高一貫校の生徒で、中学進学後に気持ちが緩んで、あまり勉強しなかったために、中学数学がよく身についていず、正しい計算ができない、という場合も多いです。
特に指数計算は深刻で、2^3=6 としてしまう癖が、なかなか治らない・・・という子がいます。
累乗が理解できないほど理解力のない子ではないのですが、学習した最初に間違えて覚えてしまったため、その記憶を修正するのが難しく、直しても、直しても、少し時間が経つとまた誤解が復活していました。
時間が経つと、またふっとわからなくなるのです。
指数に対するその認識で、高校数学の「数列」や、「指数関数・対数関数」を学習するのは、本当に大変でした。
小学生のときだけでなく、中学の時期にも、数学的に重要なことを学ぶのですが、高校受験がないので定着しない・・・。
これは、中高一貫校の最大の欠点で、意識して練習しないと、数学で浮上できなくなります。
中1・中2とずっと勉強をさぼって、中3になってから、そろそろ・・・と重い腰を上げたものの、そうやって高校数学を学び始めても、中学数学の基礎がないので、何をやっても脆弱な計算力が障害となるのです。
数学は、積み上げ科目なので、中学受験に成功したと気を抜いていると、後で苦しむことになります。
「わかる」ことと「できる」ことは違うことです。
解き方が理解できても、自分で実際に正答できるとは限りません。
やり方がわかるだけで済むのなら、例えば誰でもピアノは弾けるでしょう。
やり方は、見ていればわかります。
鍵盤を叩けばいいんでしょう?
スポーツだってそうです。
バスケなら、ボールを持ったままにしないように注意しながら、シュートすればいいんでしょう?
やり方は、見ていれば、わかります。
でも、そんなものではない。
わかっていても、できないのです。
芸術やスポーツに限りません。
勉強もまたそうです。
わかるだけでは無理なんです。
できるようになるには、練習が必要です。
しかし、そのことに対して無自覚な人は多いです。
勉強だけは、「わかれ」ばすぐ「できる」と思ってしまうようなのです。
「わかる」ことを「できる」ことに変えるためには、練習が必要です。
素晴らしい授業を聞けば魔法のように成績が上がる、というわけにはいきません。
授業を聞く時間の何倍も自分で努力する時間が必要となります。
高校生になって、数学が苦手になって、塾に来る。
さて、そのときに、それでも、「わかる」ことだけを重視して「わからない難しい問題」の解説だけを聞きたいのか?
それとも、スポーツ的に言えば、「フォーム」を改良し、数学答案の書き方と計算処理の合理的なやり方を身につけ、さらには問題文の分析の仕方、何をどのように考えるかを学ぶか?
前者ではダメなことは、冷静に考えれば理解できると思うのです。
幸い、そのことを理解してくれる生徒は、順調に成績が上がっています。
本人が何年も続けてきた、もっさりした計算を改良するのは、癖になってしまっている分だけ難しいです。
最初からスマートな計算方法を身につけるよりも大変です。
さらに、何でも作業手順で暗記しようとする癖。
複雑なことを単純化しようとする癖。
こうした癖は、高校数学の問題を解く際に、大きな障壁となります。
しかし、改善していくことは、不可能ではないのです。
説明されたことは理解できる。
ああ、そういうことだったのか。
疑問が晴れた。
これなら数学がわかる。
成績はきっと上がる。
そう思って頑張り始めた子の前に、すぐに壁が立ちはだかります。
正しい式を立てることができても、その後の計算が上手くいかないのです。
例えば、ある問題で、
-x^2+4kx+4k=0
という正しい式を立てることができたとします。
これを x について解くことができれば、もう正解なのです。
しかし、それが上手くいかないのです。
あるとき、
x=-2±√(16+16k)
という生徒の答を見て、私は首を傾げました。
その子は、中高一貫校に通う子で、高校生になってから、うちの教室に通い始めました。
2次方程式の解の公式の学習は入塾する1年も前に、すでに終わっていました。
「・・・解の公式の、2本目のほうを使っていますか?」
「2本目?」
「x の係数が偶数の場合の、b' を使う公式です」
「ああ・・・。使っていません」
「あれは使ったほうがいいですよ?」
「D/4は使ってますけど、あっちは別に・・・」
あっちは別に、意味はないから覚えなかったし、使ったことがない・・・。
そういうことのようでした。
数学が苦手になってから塾に通い始める子の1つの傾向として、使うべき公式を使っていないために計算がもっさりしてしまう、ということがあります。
しかし、もっさりしていても、正確に計算すれば同じ答が出ます。
まずはもっさりと正しく計算してみましょう。
-x^2+4kx+4k=0
両辺に-1をかけて、
x^2-4kx-4k=0
解の公式を用いて、
x=4k±√(16k^2+16k) / 2
=4k±4√(k^2+k) / 2
=2k±2√(k^2+k)
しかし、その子の誤答は x=-2±√(16+16k)
ノートを見ると、ミスの原因がわかりました。
-x^2+4kx+4k=0
x=-4±√(16+16k) / 2
=-4±√(16+16k) / 2
=-2±√(16+16k)
「・・・これ、式の両辺に-1をかけていないのですね」
「え?」
「x^2の係数が負の数のとき、まず、因数分解できるかどうかを見るため、両辺に-1をかけて、x^2の係数を正の数にしますが、それをやっていますか?」
「やってません。必要ですか?」
「・・・絶対に必要なわけではないんですが、x^2の係数は、正の数のほうが、扱いやすいと思いますよ。そういうことをしたことがない?」
「ありません」
中学の頃からうちの教室に通っている子では見ることのない種類のミスでした。
学校の授業でも注意はされていると思うのですが、そういう細かい注意は、口頭でなされるので、ノートに残らないことが多いです。
そのため、身につかなかったのでしょう。
あるいは、「そんなのはどうでもいい」と判断してしまったのか・・・。
それで間違えなければ別に構わないのですが、今回の符号ミスの原因は明らかにそれでした。
すべての符号を変えないまま計算しているのに、分母を-2 とするのを忘れたのだと思うのです。
方程式ならばまだましですが、2次不等式の場合は、x^2の係数が負の数のまま、その都度、放物線が上に凸か下に凸かあれこれと頭をひねって解いている子を見たこともあります。
簡単なことを複雑にしてしまっています。
どうでもいいようなことですし、それをやらなくても正解は出せるけれど、やったほうがミスはしにくいのです。
常に同じ計算方法を行うことで、計算は安定し、速くなります。
また、明らかに、xの1次の項の係数-4kの「k」が飛んでしまっていました。
解の公式を使うときに、x以外の文字はすべて係数なのですが、見落としてしまうのは、よくあるミスです。
さらに問題は、√ の中身の整理。
√ の中身を外に出す方法を知らなかったのか、それとも、うっかり忘れたのか。
間違った式とはいえ、せめて、
√(16+16k)=4√(1+k)
と直したい。
正しくは、√(16k^2+16k)=4√(k^2+k)
√16=4ですから、その部分は√ の外に出すことができるのです。
丁寧に書いていくならば、
√(16k^2+16k)
=√16・√(k^2+k)
=4√(k^2+k)
となります。
平方根を深く理解していないと、平方根が出てくる度に計算ミスをしてしまう、ということが起こります。
また、分母を払うならば、分子の2つの項は平等に2で約分しなければならないのですが、整数の部分のみ約分し、√ のほうは放置してしまっていました。
このあたりも、間違えてしまう子が多いです。
中学1年生の計算問題で言えば、
4+3a / 8
=1+3a / 2
というように、4と8だけ約分し、3aはそのままにしてしまうミスをする子は多いです。
解説するとそのときはわかった顔をするのですが、「作業手順」として覚えようとするだけで、なぜそうしてはいけないのか、本質は理解しなかった様子で、しばらく経つとまた同じミスをしてしまうのです。
前にも書きましたが、小学校の頃だけ計算重視の塾に通っても、中学で十分に計算練習をしなかったため、小学校では学習しない種類の計算に弱い子は多いです。
上のような文字式の約分。
文字式の通分。
負の数の計算。
式の変形。
指数計算。
平方根の計算。
中学で学習する計算内容に習熟していないと、高校の数学で計算力不足が大きく足を引っ張ります。
そもそも小学生の頃から計算が苦手という場合もありますが、
中高一貫校の生徒で、中学進学後に気持ちが緩んで、あまり勉強しなかったために、中学数学がよく身についていず、正しい計算ができない、という場合も多いです。
特に指数計算は深刻で、2^3=6 としてしまう癖が、なかなか治らない・・・という子がいます。
累乗が理解できないほど理解力のない子ではないのですが、学習した最初に間違えて覚えてしまったため、その記憶を修正するのが難しく、直しても、直しても、少し時間が経つとまた誤解が復活していました。
時間が経つと、またふっとわからなくなるのです。
指数に対するその認識で、高校数学の「数列」や、「指数関数・対数関数」を学習するのは、本当に大変でした。
小学生のときだけでなく、中学の時期にも、数学的に重要なことを学ぶのですが、高校受験がないので定着しない・・・。
これは、中高一貫校の最大の欠点で、意識して練習しないと、数学で浮上できなくなります。
中1・中2とずっと勉強をさぼって、中3になってから、そろそろ・・・と重い腰を上げたものの、そうやって高校数学を学び始めても、中学数学の基礎がないので、何をやっても脆弱な計算力が障害となるのです。
数学は、積み上げ科目なので、中学受験に成功したと気を抜いていると、後で苦しむことになります。
「わかる」ことと「できる」ことは違うことです。
解き方が理解できても、自分で実際に正答できるとは限りません。
やり方がわかるだけで済むのなら、例えば誰でもピアノは弾けるでしょう。
やり方は、見ていればわかります。
鍵盤を叩けばいいんでしょう?
スポーツだってそうです。
バスケなら、ボールを持ったままにしないように注意しながら、シュートすればいいんでしょう?
やり方は、見ていれば、わかります。
でも、そんなものではない。
わかっていても、できないのです。
芸術やスポーツに限りません。
勉強もまたそうです。
わかるだけでは無理なんです。
できるようになるには、練習が必要です。
しかし、そのことに対して無自覚な人は多いです。
勉強だけは、「わかれ」ばすぐ「できる」と思ってしまうようなのです。
「わかる」ことを「できる」ことに変えるためには、練習が必要です。
素晴らしい授業を聞けば魔法のように成績が上がる、というわけにはいきません。
授業を聞く時間の何倍も自分で努力する時間が必要となります。
高校生になって、数学が苦手になって、塾に来る。
さて、そのときに、それでも、「わかる」ことだけを重視して「わからない難しい問題」の解説だけを聞きたいのか?
それとも、スポーツ的に言えば、「フォーム」を改良し、数学答案の書き方と計算処理の合理的なやり方を身につけ、さらには問題文の分析の仕方、何をどのように考えるかを学ぶか?
前者ではダメなことは、冷静に考えれば理解できると思うのです。
幸い、そのことを理解してくれる生徒は、順調に成績が上がっています。
本人が何年も続けてきた、もっさりした計算を改良するのは、癖になってしまっている分だけ難しいです。
最初からスマートな計算方法を身につけるよりも大変です。
さらに、何でも作業手順で暗記しようとする癖。
複雑なことを単純化しようとする癖。
こうした癖は、高校数学の問題を解く際に、大きな障壁となります。
しかし、改善していくことは、不可能ではないのです。
2023年11月12日
手段と目的が転倒する人。

少し前の画像ですが、都立野川公園のヒガンバナ。
今年は花が少なかったかもしれません。
さて、本題。
学校の問題集を解くのは、生徒に任せていますが、そうすると、数学の問題集をため込む生徒がいないわけではありません。
「学校の進度にあわせてこつこつ解いておくと楽ですよ」
と話すと、
「範囲がまだ発表されていないから」
という反応が返ってくることがあります。
定期テスト当日の朝に、テスト範囲の問題集を解いたノートを提出という学校は多いです。
テスト範囲は、年度の最初に一覧表にしてある学校もありますが、テスト1週間前に発表という学校もあります。
「でも、テスト範囲は、前のテスト範囲の後から、学校の授業が進むまでなんですから、毎日の復習も兼ねてやっておくといいんですよ」
「偶数番号の問題だけのときもあるので」
・・・え?
「・・・それは、ノート提出するのは偶数番号だけなのに、奇数番号まで解いてしまったら、損だということですか?」
まだ子どもなので仕方ないのですが、そういうことを言っているから、数学の力が群を抜いて伸びていくという感じにならないのです。
そこそこできる、でとどまってしまうんです。
奇数番号まで解いたほうが、勉強になる。
むしろ、そのほうが得なのです。
学校の問題集は、学習の手段なのですが、それがノート提出という目的になってしまうと、上のようなことが起こります。
とはいえ、子どものそうした考え方を非難ばかりもできません。
大人でも、目的と手段が転倒してしまう人はいます。
授業に使うので、私はコンビニでコピーを取ることが多いです。
ある日も、コピーを取りに行ったところ、先客の男性がいました。
その人は、何か書籍のコピーを取ろうとしていました。
該当ページを開いて、コピー機の鏡面に乗せると、それから、コピー機の蓋をして、コピーを開始していました。
傍で見てもそれとわかるほど、手を離した途端に、書籍は鏡面から浮き上がり、そして、蓋をした瞬間に本の位置はズレていました。
出来上がったコピーはピンボケで位置のズレた、ろくでもない仕上がりになったと思います。
ところが、その人は、機械から吐き出されたコピーの仕上がりは確認せず、本をめくって、次のページのコピーを始めました。
また同じように、書面と鏡面の間に空間ができてピンボケになり、位置もズレただろうコピーを取り続けたのです。
うわあ・・・。
使えないコピーをせっせと取っている・・・。
「コピーを取る」
という作業が、目的化していて、コピーを取るという手段を通じて何がしたいのかが置き去りにされたのだと思うのです。
コピーをとることだけが目的。
仕上がりに興味はない・・・。
読めないコピー、使えないコピーを何枚取っても、意味はないのに。
もう1つ考えられることは、
「コピー機は蓋をするものだ」
という思い込みがあったのかもしれません。
それは、固定観念、といえるかもしれません。
蓋をしないとコピーが開始されないと誤解している人もいるのでしょう。
蓋などしなくてもコピーはできます。
勿論、薄い書類をコピーするときは、蓋をしたほうがきれいにコピーできますが、書籍をコピーする場合、コピー機の蓋はせず、書籍をしっかり鏡面に押し付けてコピーを取るほうが、文字をきれいにコピーできます。
書籍が閉じた状態に戻ろうとすると、鏡面から浮き上がるので、コピーはピンボケになってしまうのです。
蓋で上から押しつければ大丈夫?
それでは、書籍の位置がズレてしまう可能性が高いです。
コピー機の放つ光は目にあまり良くないですが、別にあれは放射線が出ているわけではありません。
強い光なので、直視はしないほうがいいというだけです。
すぐに閉じようとしがちな製本の書籍をコピーするときは、自分の手で書籍を鏡面に押さえつけて、目を背けてコピーする。
そうすれば、きれいなコピーが取れます。
しかし、コピーの取り方に誤解のある人は、その男性だけではありません。
以前、うちの生徒にも、そういう高校生がいました。
受験校の過去問、いわゆる「赤本」は、すべて塾で買うとなると高価です。
都立高校の過去問や、大学入試共通テストの過去問は、使いまわしが効きますので、塾の費用で購入しますが、個々の過去問は生徒に購入してもらい、それを貸していただいて、コピーを取って授業をしています。
ある年、その生徒は、赤本を自分で購入するのは嫌だったようで、高校の進路指導室の赤本を借りて利用することにしたのでした。
1年古いものだったりするけれど、それで構わない。
そう考える生徒でした。
それは、本人の判断なので、別に構いません。
高校の進路指導室の赤本は、そんなに長期の貸し出しはできません。
その子が学校から借りて、それを私が又借りして、1週間後の次の授業に返すとなると、貸出期限は切れてしまう・・・。
そういうわけで、過去問は、その生徒がコピーして持ってきてくれることになりました。
不安がなかったわけではありません。
高校生がコピーをきちんと取れるかなあ・・・。
え?
高校生なら、取れるでしょう?
そう思う方も多いと思います。
きれいにコピーを取れる高校生もいるとは思います。
しかし、その子は、取れないタイプでした。
手段と目的が転倒するタイプだったのです。
大人でもそういう人がいるのですから、仕方ないです。
持ってきてくれたコピーは、もともと解像度の低い家庭用コピー機で取ったものでした。
その上、案の定、赤本を開いて鏡面に乗せた後、蓋をしてコピーした様子で、すべてピンボケでした。
小さい文字はほぼ読み取れませんでした。
ときどき本がズレて、問題が途中で切れて読めなくなっているページもありました。
なげやりになったのか、ページが折れた状態でコピーされているものもありました。
とにかく「コピーを取ればいい」。
それが目的になり、そのコピーを何に使うのかを考えていない。
そういうコピーでした。
どうすれば使えるコピーを取れるのか、それを考えない。
そういう発想がない。
自分が取ったコピーを確認することもなく、ただコピーをするだけ。
言われた通りにコピーを持ってくれば、それでいいと思ってしまう・・・。
役に立たない数十枚のコピーを見たときの私の衝撃は、大きかったです。
その子の学力がなかなか伸びない根本の原因が、形になって表れているようでした。
何のために何をやっているのか。
これをやれば、どういう効果があるか。
そういうことを考えながら勉強すれば、役に立たないコピーを取り続けるような無駄なことにはならない。
必ず結果が表れると思うのです。
少なくとも、学校から出されている宿題や、学校が設定してくれている単語テストを、一番無駄な方法で浪費してしまうようなことは避けられると思います。
今年。
生徒にコピーを取ってきてもらうことには、上のような経験から用心が働き、どうしてもコピーを取ってきてもらわなければならないときには、あれこれと細かく注意をしがちです。
その注意が細かすぎて、受け止めきれなかったのか、頼んだコピーをなかなか取ってきてくれない子がいました。
もうギリギリの時期でもあり、保護者の方にメールで頼んだところ、数日後に、レターパックが届きました。
そこに入っていたコピーは、
指数も、指数の指数も、クリアに読み取れる、完璧な解像度。
各大学の問題と解答解説が個々にクリップで止められ、入試日の一覧表も添付されていました。
それは、オフィスワークの経験のある人の、プロの仕事でした。
久しぶりに「大人の仕事」を見て、身が引き締まりました。
私自身の仕事は、「大人の仕事」になっているか?
役に立たないコピーを取り続けるような仕事をしていないか?
と、我が身を省みずにいられないほどの、「仕事」を見た気がしました。
大丈夫。
効果は上がっている。
テストの得点は上がっている。
過去問の得点も上がっている。
ともすれば、役にたたないコピーを取り続けるような勉強をしてしまう子をカバーして、それでも結果を出してもいる。
でも、さらに、今以上の結果を。
そうした思いを強くしました。
今年は花が少なかったかもしれません。
さて、本題。
学校の問題集を解くのは、生徒に任せていますが、そうすると、数学の問題集をため込む生徒がいないわけではありません。
「学校の進度にあわせてこつこつ解いておくと楽ですよ」
と話すと、
「範囲がまだ発表されていないから」
という反応が返ってくることがあります。
定期テスト当日の朝に、テスト範囲の問題集を解いたノートを提出という学校は多いです。
テスト範囲は、年度の最初に一覧表にしてある学校もありますが、テスト1週間前に発表という学校もあります。
「でも、テスト範囲は、前のテスト範囲の後から、学校の授業が進むまでなんですから、毎日の復習も兼ねてやっておくといいんですよ」
「偶数番号の問題だけのときもあるので」
・・・え?
「・・・それは、ノート提出するのは偶数番号だけなのに、奇数番号まで解いてしまったら、損だということですか?」
まだ子どもなので仕方ないのですが、そういうことを言っているから、数学の力が群を抜いて伸びていくという感じにならないのです。
そこそこできる、でとどまってしまうんです。
奇数番号まで解いたほうが、勉強になる。
むしろ、そのほうが得なのです。
学校の問題集は、学習の手段なのですが、それがノート提出という目的になってしまうと、上のようなことが起こります。
とはいえ、子どものそうした考え方を非難ばかりもできません。
大人でも、目的と手段が転倒してしまう人はいます。
授業に使うので、私はコンビニでコピーを取ることが多いです。
ある日も、コピーを取りに行ったところ、先客の男性がいました。
その人は、何か書籍のコピーを取ろうとしていました。
該当ページを開いて、コピー機の鏡面に乗せると、それから、コピー機の蓋をして、コピーを開始していました。
傍で見てもそれとわかるほど、手を離した途端に、書籍は鏡面から浮き上がり、そして、蓋をした瞬間に本の位置はズレていました。
出来上がったコピーはピンボケで位置のズレた、ろくでもない仕上がりになったと思います。
ところが、その人は、機械から吐き出されたコピーの仕上がりは確認せず、本をめくって、次のページのコピーを始めました。
また同じように、書面と鏡面の間に空間ができてピンボケになり、位置もズレただろうコピーを取り続けたのです。
うわあ・・・。
使えないコピーをせっせと取っている・・・。
「コピーを取る」
という作業が、目的化していて、コピーを取るという手段を通じて何がしたいのかが置き去りにされたのだと思うのです。
コピーをとることだけが目的。
仕上がりに興味はない・・・。
読めないコピー、使えないコピーを何枚取っても、意味はないのに。
もう1つ考えられることは、
「コピー機は蓋をするものだ」
という思い込みがあったのかもしれません。
それは、固定観念、といえるかもしれません。
蓋をしないとコピーが開始されないと誤解している人もいるのでしょう。
蓋などしなくてもコピーはできます。
勿論、薄い書類をコピーするときは、蓋をしたほうがきれいにコピーできますが、書籍をコピーする場合、コピー機の蓋はせず、書籍をしっかり鏡面に押し付けてコピーを取るほうが、文字をきれいにコピーできます。
書籍が閉じた状態に戻ろうとすると、鏡面から浮き上がるので、コピーはピンボケになってしまうのです。
蓋で上から押しつければ大丈夫?
それでは、書籍の位置がズレてしまう可能性が高いです。
コピー機の放つ光は目にあまり良くないですが、別にあれは放射線が出ているわけではありません。
強い光なので、直視はしないほうがいいというだけです。
すぐに閉じようとしがちな製本の書籍をコピーするときは、自分の手で書籍を鏡面に押さえつけて、目を背けてコピーする。
そうすれば、きれいなコピーが取れます。
しかし、コピーの取り方に誤解のある人は、その男性だけではありません。
以前、うちの生徒にも、そういう高校生がいました。
受験校の過去問、いわゆる「赤本」は、すべて塾で買うとなると高価です。
都立高校の過去問や、大学入試共通テストの過去問は、使いまわしが効きますので、塾の費用で購入しますが、個々の過去問は生徒に購入してもらい、それを貸していただいて、コピーを取って授業をしています。
ある年、その生徒は、赤本を自分で購入するのは嫌だったようで、高校の進路指導室の赤本を借りて利用することにしたのでした。
1年古いものだったりするけれど、それで構わない。
そう考える生徒でした。
それは、本人の判断なので、別に構いません。
高校の進路指導室の赤本は、そんなに長期の貸し出しはできません。
その子が学校から借りて、それを私が又借りして、1週間後の次の授業に返すとなると、貸出期限は切れてしまう・・・。
そういうわけで、過去問は、その生徒がコピーして持ってきてくれることになりました。
不安がなかったわけではありません。
高校生がコピーをきちんと取れるかなあ・・・。
え?
高校生なら、取れるでしょう?
そう思う方も多いと思います。
きれいにコピーを取れる高校生もいるとは思います。
しかし、その子は、取れないタイプでした。
手段と目的が転倒するタイプだったのです。
大人でもそういう人がいるのですから、仕方ないです。
持ってきてくれたコピーは、もともと解像度の低い家庭用コピー機で取ったものでした。
その上、案の定、赤本を開いて鏡面に乗せた後、蓋をしてコピーした様子で、すべてピンボケでした。
小さい文字はほぼ読み取れませんでした。
ときどき本がズレて、問題が途中で切れて読めなくなっているページもありました。
なげやりになったのか、ページが折れた状態でコピーされているものもありました。
とにかく「コピーを取ればいい」。
それが目的になり、そのコピーを何に使うのかを考えていない。
そういうコピーでした。
どうすれば使えるコピーを取れるのか、それを考えない。
そういう発想がない。
自分が取ったコピーを確認することもなく、ただコピーをするだけ。
言われた通りにコピーを持ってくれば、それでいいと思ってしまう・・・。
役に立たない数十枚のコピーを見たときの私の衝撃は、大きかったです。
その子の学力がなかなか伸びない根本の原因が、形になって表れているようでした。
何のために何をやっているのか。
これをやれば、どういう効果があるか。
そういうことを考えながら勉強すれば、役に立たないコピーを取り続けるような無駄なことにはならない。
必ず結果が表れると思うのです。
少なくとも、学校から出されている宿題や、学校が設定してくれている単語テストを、一番無駄な方法で浪費してしまうようなことは避けられると思います。
今年。
生徒にコピーを取ってきてもらうことには、上のような経験から用心が働き、どうしてもコピーを取ってきてもらわなければならないときには、あれこれと細かく注意をしがちです。
その注意が細かすぎて、受け止めきれなかったのか、頼んだコピーをなかなか取ってきてくれない子がいました。
もうギリギリの時期でもあり、保護者の方にメールで頼んだところ、数日後に、レターパックが届きました。
そこに入っていたコピーは、
指数も、指数の指数も、クリアに読み取れる、完璧な解像度。
各大学の問題と解答解説が個々にクリップで止められ、入試日の一覧表も添付されていました。
それは、オフィスワークの経験のある人の、プロの仕事でした。
久しぶりに「大人の仕事」を見て、身が引き締まりました。
私自身の仕事は、「大人の仕事」になっているか?
役に立たないコピーを取り続けるような仕事をしていないか?
と、我が身を省みずにいられないほどの、「仕事」を見た気がしました。
大丈夫。
効果は上がっている。
テストの得点は上がっている。
過去問の得点も上がっている。
ともすれば、役にたたないコピーを取り続けるような勉強をしてしまう子をカバーして、それでも結果を出してもいる。
でも、さらに、今以上の結果を。
そうした思いを強くしました。
2023年11月03日
高校数B 数学的帰納法の問題を解きながら。

数学的帰納法。
数学B「数列」の単元の最後に登場するのが、これです。
問題
数学的帰納法を用いて、すべての自然数nについて、
1+2+3+・・・+n=1/2n(n+1)
が成り立つことを証明せよ。
かつて、この問題を見つめたまま凝固していた子がいました。
「どうですか?」
と声をかけても、無言。
「何がわからないですか?」
と問いかけても、やはり、無言。
言葉が上手く出てこない子で、わからないことがどのようにわからないのか、説明できないようでした。
それでも、辛抱強く聞き取って、その子の疑問がわかりました。
その式は、今まで普通に使ってきたものなのに、なぜ証明しろと言われるのか、まずそれがわからない・・・。
その違和感に凝固していたのでした。
公式や定理を使って何か別のことを証明する問題と、公式や定理そのものを証明する問題と。
中学生の頃から、そのあたりでモヤモヤしてしまう子は多いです。
公式や定理を証明しなければならないのなら、証明の中で公式や定理を使ってはいけないのではないか?
でも、解答を見ると、普通に定理を使っている証明問題も多い。
じゃあ、何で、定理の証明をする必要があるのだろう?
そういう、わかるようなわからないような迷宮に迷い込んでしまうのです。
定理は一度、しっかり証明する。
証明できた定理は、その後は、別の証明問題で、普通に使っていいんですよ。
そう解説するとすんなり理解する子も多いのですが。
上の問題は、初項1、公差1の等差数列の和の問題とみれば、等差数列の和の公式を使って簡単に右辺のように整理できます。
それをなぜ今さら証明しろと言うのか?
証明方法は他にもあるけれど、数学的帰納法という新たに学習した証明方法で、この公式を証明する問題なのです。
これは、そういう問題です。
そう説明すると、一応は理解したのか、笑顔を見せたのですが、やはり少し難しかったようでした。
例題の模範解答を見ながら書いた、その子の答案は、以下のようなものでした。
1+2+3+・・・+n=1/2n(n+1) ・・・①
[1] n=1のとき
左辺=1+2+3+・・・+1
右辺=1
よって、①は成り立つ。
[2] n=kのとき、
1+2+3+・・・+k=1/2k(k+1)
n=k+1のとき、
1+2+3+・・・+k+1=1/2n(n+1)
よって、①は成り立つ。
[1]、[2]より、①は成り立つ。
数学の答案の「形骸化」というものを生徒の答案から感じることがあります。
何をどのように解いているのか、意味はわからないけれど、例題の模範解答を真似て何か書いてみる。
しかも、例題の模範解答は、解説が多めだと感じるので、そこは本人の判断で適宜省略する。
そうした結果、上のような形骸化した答案が出来上がるのでしょう。
この答案、1行目から、大きな課題を感じます。
1行目に、結論を書いてしまっているのです。
本人は、問題に書いてある「与式」をそのまま書き写しただけのつもりだと思うのですが、証明ではそれはまずいのです。
この式は、まだ証明していない式。
これから証明する式。
だから、結論をするっと書いてはいけないのです。
1+2+3+・・・+n=1/2n(n+1) ・・・① を証明する。
このように書けば、読む者に、これが結論であることが伝わります。
しかし、そうした証明文の「文脈」を、理解しない子たちがいます。
言われていることの意味がわからないようなのです。
あるいは、
「そんなことは、どうでもいいことだ」
と思ってしまうのかもしれません。
書いて何が悪いのか?
いつもは与式を書け書けとうるさいのに、こういうときだけ書くなと言う。
見やすいように書いただけで、それ以外の意味はないんだから、文句言うな。
・・・という気持ちなのかあ?と想像します。
本人は、それほど重要なことだとは感じていないので、するっと書いてしまいます。
なぜ書いてはいけないのかと、反論してくるわけでもない。
指摘されれば、笑顔でうなずきます。
しかし、宿題は、また全部同じように書いてきてしまいます。
定期テストでも、同じように書いてしまい、学校の先生に赤ペンで指摘されてしまいます。
答案を見ながら、
「これは、何回も注意しましたよね?」
と悲しい気持ちで私が言うと、防衛的な笑顔を見せます。
この子の笑顔は、一種の拒絶なのかもしれない・・・。
次に、[1] の部分。
[1] n=1のとき
左辺=1+2+3+・・・+1
右辺=1
よって、①は成り立つ。
1+2+3+・・・+n
という左辺は、nが十分大きいときの書き方です。
nが1ならば、この左辺は、1です。
ここでは関係ありませんが、n=2ならば、左辺=1+2=3となります。
1+2+3+…と、順番に n までたしていくのが左辺なので、n=1ならば、1だけで終わるのです。
でも、そのことが、呑み込めないのでした。
説明すると笑顔でうなずくのですが、
左辺=1+2+3+・・・+1
と、何度でも書いてしまうのです。
そのように書いたら、左辺は最低でも、7より大きくなりますよ?
それでは、左辺=右辺にはならないですね。
そう問いかけても、反応はありません。
そのことには疑問はないようなのです。
いや、正確には、そんなところは気にしていないので、本人にとっては、どうでもいいのかもしれません。
模範解答を真似て書いているだけなので、左辺=右辺になってもならなくても、知ったことではない。
でも、例題ではイコールになっているのだから、なるんでしょう?
そんな、他人ごとのような感じが漂います。
左辺は、変な代入をしているのに、右辺は、
右辺=1
と、やけにシンプルなのも不可解です。
これは、
1/2n(n+1)に、n=1を代入し、暗算したのだろうと思います。
こういう代入のときは、なぜか暗算するのもその子の特徴でした。
右辺=1/2・1・2=1
と書いていくことがありません。
高校数学がほとんどわかっていないのではないかと思われる子の中に、そのように、暗算だけはやたらとする子たちがいます。
暗算する力があることに、プライドがあるのかもしれません。
そこが拠り所になっていて、高校数学の成績が悪いのは、今たまたまそうなのであり、本当は自分は数学はできるのだと思いたい気持ちが強いのだろうかと想像してみることがあります。
暗算を褒められた小学生の頃は、それだけで算数が得意のような気が自分でもしたし、他人もそう思ってくれた。
だから、今も、暗算できるときは、すぐやってしまう・・・。
ほとんどは、中学受験をした、中高一貫校の生徒です。
しかし、それだけではないのかもしれません。
単純に、文字を書くことに抵抗が強いので、できるだけ字を書きたくない。
暗算で済むところは、暗算で済ませたい・・・。
そういうことなのかもしれません。
数学的帰納法をよく理解している子が、
左辺=1
右辺=1
よって、n=1のとき、①は成り立つ。
と書いている場合は、わかっているのだろうから、まあいいかと、実は私もスルーしがちです。
だとしたら、数学が苦手な子に、どうでもいいところでケチをつけているだけなのだろうか?
いいえ。
そうではないのです。
左辺=1+2+3+・・・+1
と変なことを書いてしまっているため、わかっていないことがバレてしまっているのです。
明らかに1より大きい左辺を書いていながら、
左辺=右辺で、①は成り立つ、と書いてしまったら、それは、バレます。
イコールの意味をそもそも理解していないのではないか?と疑われます。
そのため、右辺に関しても、何だろうな、これはと、採点者は注目してしまうのです。
さて、上の答案の続きを見ます。
[2] n=kのとき、
1+2+3+・・・+k=1/2k(k+1)
n=k+1のとき、
1+2+3+・・・+k+1=1/2n(n+1)
よって、①は成り立つ。
[1]、[2]より、①は成り立つ。
何を書いているのか、本人にもわからないし、読む者にもわからない・・・。
例題の模範解答をかいつまんでまとめてみました、という答案になっています。
数学的帰納法が、本当に本当にわからないのだなあと悲しく感じます。
説明したのだけれど。
その子は、笑顔で聞いていたのだけれど。
この断絶は、どうすれば解決するのだろうか?
突破口はどこにあるのだろうか?
数学的帰納法による自然数に関する等式の証明問題は、ほぼすべて同じ構造です。
まず、[1] で、n=1のときに証明したい式が成り立つことを示します。
それは、単純に代入して、左辺=右辺になることを示すだけで大丈夫です。
次に、[2] で、n=kのときに、証明したい式が成り立つと仮定します。
え?
何で?
ここの違和感が強いようなのですが、後でわかってきますから、ここはとにかく、n=kのときに、成り立つと仮定しましょう。
その次に、その仮定を使えば、n=k+1のときも、その式が成り立つことを示します。
ここが頑張りどころです。
n=kのときに成り立つならば、n=k+1のときも必ず成り立つことを示せたら、
n=1のときに実際に成り立っていたのですから、それより1大きいn=2のときにも成り立つことを示せたことになります。
n=2のときに成り立つのですから、n=3のときにも成り立つことを示せます。
ここは芋づる式です。
そのようにして、すべての自然数で成り立つことを示せるのです。
この理屈が、わかるかどうか・・・。
数学的帰納法が理解できるかどうかは、そこにかかっています。
実はそんなに難しい理屈ではありません。
でも、話の通じにくい子はいます。
論理的な話が、理解できない。
音声は耳を素通りし、意味をなさないようなのです。
文字なら理解できるのかというと、それは目が滑る様子で、やはり理解できない・・・。
その子が、理屈を理解するすべがないのです。
おそらくは小学生の頃から、音声による説明が上手く理解できなかったのだと思うのです。
文字による説明も、うまく読み取れなかった。
そこで、本人は、とにかく作業手順を真似るという方法を編み出した。
それは案外上手くいき、受験算数すら、反復を重ねることでクリアできた。
しかし、意味はわかっていない。
論理にアクセスする手段がない・・・。
それでは、高校数学はわからない。
もう、無理なのか?
無理なら無理で、もう仕方ないのでは?
数学を使って受験しなければいいのだから。
少なくとも、数ⅡBを使わなければいいのだから。
高校数学なんかわからなくても生きていける。
そう思うこともありますし、そういう選択をする子もいます。
しかし、その子は、そういう選択をしませんでした。
こんなにも数学がわからないのに。
それでも、数ⅡBまでが試験科目にある学部を一般受験したい。
それも、推薦入試などでは面接試験があるので、それが嫌だったからなのかもしれません。
あるいは、進路について考えること自体が嫌で、自分で調べたり学校の先生に相談したりするのを後回しにし続けた結果、一般受験をするしかなくなったのかもしれません。
高校三年生の秋。
受験校の過去問をやってみましょうと話すと、その子の表情に明らかな拒絶が浮かびました。
「え?過去問をやりたくないの?」
私が問いかけると、うつむいてしまいました。
「・・・過去問をやっても、合格点を取れる気がしないから、やりたくないんですか?」
「やった・・・」
「やった?過去問をもう解いたの?全部?」
「1回」
「1回分だけ?1年分だけ?」
その子はうなずきました。
「・・・それが最悪だったということ?」
それにも、その子はうなずきました。
仕方ないじゃありませんか。
今まで逃げてきたんだから。
理解することから逃げ、考えることから逃げ、頭を使うことから逃げ、逃げて逃げて、ここまで来たんだから。
そう思わないでもありませんでしたが、
ここより始まる。
そうも思いました。
もう逃げられない。
逃げ場はもうどこにもない。
それを理解したら、この子は、どうするのだろう?
問題
数学的帰納法を用いて、すべての自然数nについて、
1+2+3+・・・+n=1/2n(n+1)
が成り立つことを証明せよ。
その子の受験校の1つの過去問に、数学的帰納法による証明問題が出題されていました。
最初にそれを解いたときは、またも上のような答案でした。
しかし、実際に出題された過去問に対しては、意欲や粘りが違ってきます。
数学的帰納法とは何をどうすることであるか、その子は、私の解説を真剣に聞いていました。
話を理解しようと思えば理解できる子なのか?
首を傾げ、考え込み、長い時間をかけた後、その子は納得した様子でうなずいたのです。
その類題として、上の問題を宿題に出したところ、以下の答案を書き上げてきました。
[1] n=1のとき
左辺=1
右辺=1
よって、成り立つ。
[2] n=kのとき、
1+2+3+・・・+k=1/2k(k+1) が成り立つと仮定する。
n=k+1のとき、
1+2+3+・・・+k+(k+1)
=1/2k(k+1) +(k+1)
=(k+1)(1/2k+1)
=1/2(k+1)(k+2)
=1/2(k+1){(k+1)+1}
よって、成り立つ。
[1]、[2]より、成り立つ。
かなりきわどい省略もされていますが、後半、式の変形の部分で、本当に理解して答案を書いているのが感じられます。
仮定を利用して、式の一部をまず置き換えて。
それを、証明したい式の右辺に、似せていく努力をする。
その流れを理解している答案でした。
ついに覚醒した。
数学は、本当に必要に迫られた子が、受験までもうギリギリの時期に、突然覚醒することがあります。
考えることを拒絶していた子が、考えることを始めると、頭の中でこれまでのすべてがつながるのかもしれません。
待って、待って、待った甲斐があった。
ついに来た。
「正解ですよ。凄いです」
感心する私に、相変わらず言葉は少ないものの、その子は防衛的ではない笑顔を見せました。
数学B「数列」の単元の最後に登場するのが、これです。
問題
数学的帰納法を用いて、すべての自然数nについて、
1+2+3+・・・+n=1/2n(n+1)
が成り立つことを証明せよ。
かつて、この問題を見つめたまま凝固していた子がいました。
「どうですか?」
と声をかけても、無言。
「何がわからないですか?」
と問いかけても、やはり、無言。
言葉が上手く出てこない子で、わからないことがどのようにわからないのか、説明できないようでした。
それでも、辛抱強く聞き取って、その子の疑問がわかりました。
その式は、今まで普通に使ってきたものなのに、なぜ証明しろと言われるのか、まずそれがわからない・・・。
その違和感に凝固していたのでした。
公式や定理を使って何か別のことを証明する問題と、公式や定理そのものを証明する問題と。
中学生の頃から、そのあたりでモヤモヤしてしまう子は多いです。
公式や定理を証明しなければならないのなら、証明の中で公式や定理を使ってはいけないのではないか?
でも、解答を見ると、普通に定理を使っている証明問題も多い。
じゃあ、何で、定理の証明をする必要があるのだろう?
そういう、わかるようなわからないような迷宮に迷い込んでしまうのです。
定理は一度、しっかり証明する。
証明できた定理は、その後は、別の証明問題で、普通に使っていいんですよ。
そう解説するとすんなり理解する子も多いのですが。
上の問題は、初項1、公差1の等差数列の和の問題とみれば、等差数列の和の公式を使って簡単に右辺のように整理できます。
それをなぜ今さら証明しろと言うのか?
証明方法は他にもあるけれど、数学的帰納法という新たに学習した証明方法で、この公式を証明する問題なのです。
これは、そういう問題です。
そう説明すると、一応は理解したのか、笑顔を見せたのですが、やはり少し難しかったようでした。
例題の模範解答を見ながら書いた、その子の答案は、以下のようなものでした。
1+2+3+・・・+n=1/2n(n+1) ・・・①
[1] n=1のとき
左辺=1+2+3+・・・+1
右辺=1
よって、①は成り立つ。
[2] n=kのとき、
1+2+3+・・・+k=1/2k(k+1)
n=k+1のとき、
1+2+3+・・・+k+1=1/2n(n+1)
よって、①は成り立つ。
[1]、[2]より、①は成り立つ。
数学の答案の「形骸化」というものを生徒の答案から感じることがあります。
何をどのように解いているのか、意味はわからないけれど、例題の模範解答を真似て何か書いてみる。
しかも、例題の模範解答は、解説が多めだと感じるので、そこは本人の判断で適宜省略する。
そうした結果、上のような形骸化した答案が出来上がるのでしょう。
この答案、1行目から、大きな課題を感じます。
1行目に、結論を書いてしまっているのです。
本人は、問題に書いてある「与式」をそのまま書き写しただけのつもりだと思うのですが、証明ではそれはまずいのです。
この式は、まだ証明していない式。
これから証明する式。
だから、結論をするっと書いてはいけないのです。
1+2+3+・・・+n=1/2n(n+1) ・・・① を証明する。
このように書けば、読む者に、これが結論であることが伝わります。
しかし、そうした証明文の「文脈」を、理解しない子たちがいます。
言われていることの意味がわからないようなのです。
あるいは、
「そんなことは、どうでもいいことだ」
と思ってしまうのかもしれません。
書いて何が悪いのか?
いつもは与式を書け書けとうるさいのに、こういうときだけ書くなと言う。
見やすいように書いただけで、それ以外の意味はないんだから、文句言うな。
・・・という気持ちなのかあ?と想像します。
本人は、それほど重要なことだとは感じていないので、するっと書いてしまいます。
なぜ書いてはいけないのかと、反論してくるわけでもない。
指摘されれば、笑顔でうなずきます。
しかし、宿題は、また全部同じように書いてきてしまいます。
定期テストでも、同じように書いてしまい、学校の先生に赤ペンで指摘されてしまいます。
答案を見ながら、
「これは、何回も注意しましたよね?」
と悲しい気持ちで私が言うと、防衛的な笑顔を見せます。
この子の笑顔は、一種の拒絶なのかもしれない・・・。
次に、[1] の部分。
[1] n=1のとき
左辺=1+2+3+・・・+1
右辺=1
よって、①は成り立つ。
1+2+3+・・・+n
という左辺は、nが十分大きいときの書き方です。
nが1ならば、この左辺は、1です。
ここでは関係ありませんが、n=2ならば、左辺=1+2=3となります。
1+2+3+…と、順番に n までたしていくのが左辺なので、n=1ならば、1だけで終わるのです。
でも、そのことが、呑み込めないのでした。
説明すると笑顔でうなずくのですが、
左辺=1+2+3+・・・+1
と、何度でも書いてしまうのです。
そのように書いたら、左辺は最低でも、7より大きくなりますよ?
それでは、左辺=右辺にはならないですね。
そう問いかけても、反応はありません。
そのことには疑問はないようなのです。
いや、正確には、そんなところは気にしていないので、本人にとっては、どうでもいいのかもしれません。
模範解答を真似て書いているだけなので、左辺=右辺になってもならなくても、知ったことではない。
でも、例題ではイコールになっているのだから、なるんでしょう?
そんな、他人ごとのような感じが漂います。
左辺は、変な代入をしているのに、右辺は、
右辺=1
と、やけにシンプルなのも不可解です。
これは、
1/2n(n+1)に、n=1を代入し、暗算したのだろうと思います。
こういう代入のときは、なぜか暗算するのもその子の特徴でした。
右辺=1/2・1・2=1
と書いていくことがありません。
高校数学がほとんどわかっていないのではないかと思われる子の中に、そのように、暗算だけはやたらとする子たちがいます。
暗算する力があることに、プライドがあるのかもしれません。
そこが拠り所になっていて、高校数学の成績が悪いのは、今たまたまそうなのであり、本当は自分は数学はできるのだと思いたい気持ちが強いのだろうかと想像してみることがあります。
暗算を褒められた小学生の頃は、それだけで算数が得意のような気が自分でもしたし、他人もそう思ってくれた。
だから、今も、暗算できるときは、すぐやってしまう・・・。
ほとんどは、中学受験をした、中高一貫校の生徒です。
しかし、それだけではないのかもしれません。
単純に、文字を書くことに抵抗が強いので、できるだけ字を書きたくない。
暗算で済むところは、暗算で済ませたい・・・。
そういうことなのかもしれません。
数学的帰納法をよく理解している子が、
左辺=1
右辺=1
よって、n=1のとき、①は成り立つ。
と書いている場合は、わかっているのだろうから、まあいいかと、実は私もスルーしがちです。
だとしたら、数学が苦手な子に、どうでもいいところでケチをつけているだけなのだろうか?
いいえ。
そうではないのです。
左辺=1+2+3+・・・+1
と変なことを書いてしまっているため、わかっていないことがバレてしまっているのです。
明らかに1より大きい左辺を書いていながら、
左辺=右辺で、①は成り立つ、と書いてしまったら、それは、バレます。
イコールの意味をそもそも理解していないのではないか?と疑われます。
そのため、右辺に関しても、何だろうな、これはと、採点者は注目してしまうのです。
さて、上の答案の続きを見ます。
[2] n=kのとき、
1+2+3+・・・+k=1/2k(k+1)
n=k+1のとき、
1+2+3+・・・+k+1=1/2n(n+1)
よって、①は成り立つ。
[1]、[2]より、①は成り立つ。
何を書いているのか、本人にもわからないし、読む者にもわからない・・・。
例題の模範解答をかいつまんでまとめてみました、という答案になっています。
数学的帰納法が、本当に本当にわからないのだなあと悲しく感じます。
説明したのだけれど。
その子は、笑顔で聞いていたのだけれど。
この断絶は、どうすれば解決するのだろうか?
突破口はどこにあるのだろうか?
数学的帰納法による自然数に関する等式の証明問題は、ほぼすべて同じ構造です。
まず、[1] で、n=1のときに証明したい式が成り立つことを示します。
それは、単純に代入して、左辺=右辺になることを示すだけで大丈夫です。
次に、[2] で、n=kのときに、証明したい式が成り立つと仮定します。
え?
何で?
ここの違和感が強いようなのですが、後でわかってきますから、ここはとにかく、n=kのときに、成り立つと仮定しましょう。
その次に、その仮定を使えば、n=k+1のときも、その式が成り立つことを示します。
ここが頑張りどころです。
n=kのときに成り立つならば、n=k+1のときも必ず成り立つことを示せたら、
n=1のときに実際に成り立っていたのですから、それより1大きいn=2のときにも成り立つことを示せたことになります。
n=2のときに成り立つのですから、n=3のときにも成り立つことを示せます。
ここは芋づる式です。
そのようにして、すべての自然数で成り立つことを示せるのです。
この理屈が、わかるかどうか・・・。
数学的帰納法が理解できるかどうかは、そこにかかっています。
実はそんなに難しい理屈ではありません。
でも、話の通じにくい子はいます。
論理的な話が、理解できない。
音声は耳を素通りし、意味をなさないようなのです。
文字なら理解できるのかというと、それは目が滑る様子で、やはり理解できない・・・。
その子が、理屈を理解するすべがないのです。
おそらくは小学生の頃から、音声による説明が上手く理解できなかったのだと思うのです。
文字による説明も、うまく読み取れなかった。
そこで、本人は、とにかく作業手順を真似るという方法を編み出した。
それは案外上手くいき、受験算数すら、反復を重ねることでクリアできた。
しかし、意味はわかっていない。
論理にアクセスする手段がない・・・。
それでは、高校数学はわからない。
もう、無理なのか?
無理なら無理で、もう仕方ないのでは?
数学を使って受験しなければいいのだから。
少なくとも、数ⅡBを使わなければいいのだから。
高校数学なんかわからなくても生きていける。
そう思うこともありますし、そういう選択をする子もいます。
しかし、その子は、そういう選択をしませんでした。
こんなにも数学がわからないのに。
それでも、数ⅡBまでが試験科目にある学部を一般受験したい。
それも、推薦入試などでは面接試験があるので、それが嫌だったからなのかもしれません。
あるいは、進路について考えること自体が嫌で、自分で調べたり学校の先生に相談したりするのを後回しにし続けた結果、一般受験をするしかなくなったのかもしれません。
高校三年生の秋。
受験校の過去問をやってみましょうと話すと、その子の表情に明らかな拒絶が浮かびました。
「え?過去問をやりたくないの?」
私が問いかけると、うつむいてしまいました。
「・・・過去問をやっても、合格点を取れる気がしないから、やりたくないんですか?」
「やった・・・」
「やった?過去問をもう解いたの?全部?」
「1回」
「1回分だけ?1年分だけ?」
その子はうなずきました。
「・・・それが最悪だったということ?」
それにも、その子はうなずきました。
仕方ないじゃありませんか。
今まで逃げてきたんだから。
理解することから逃げ、考えることから逃げ、頭を使うことから逃げ、逃げて逃げて、ここまで来たんだから。
そう思わないでもありませんでしたが、
ここより始まる。
そうも思いました。
もう逃げられない。
逃げ場はもうどこにもない。
それを理解したら、この子は、どうするのだろう?
問題
数学的帰納法を用いて、すべての自然数nについて、
1+2+3+・・・+n=1/2n(n+1)
が成り立つことを証明せよ。
その子の受験校の1つの過去問に、数学的帰納法による証明問題が出題されていました。
最初にそれを解いたときは、またも上のような答案でした。
しかし、実際に出題された過去問に対しては、意欲や粘りが違ってきます。
数学的帰納法とは何をどうすることであるか、その子は、私の解説を真剣に聞いていました。
話を理解しようと思えば理解できる子なのか?
首を傾げ、考え込み、長い時間をかけた後、その子は納得した様子でうなずいたのです。
その類題として、上の問題を宿題に出したところ、以下の答案を書き上げてきました。
[1] n=1のとき
左辺=1
右辺=1
よって、成り立つ。
[2] n=kのとき、
1+2+3+・・・+k=1/2k(k+1) が成り立つと仮定する。
n=k+1のとき、
1+2+3+・・・+k+(k+1)
=1/2k(k+1) +(k+1)
=(k+1)(1/2k+1)
=1/2(k+1)(k+2)
=1/2(k+1){(k+1)+1}
よって、成り立つ。
[1]、[2]より、成り立つ。
かなりきわどい省略もされていますが、後半、式の変形の部分で、本当に理解して答案を書いているのが感じられます。
仮定を利用して、式の一部をまず置き換えて。
それを、証明したい式の右辺に、似せていく努力をする。
その流れを理解している答案でした。
ついに覚醒した。
数学は、本当に必要に迫られた子が、受験までもうギリギリの時期に、突然覚醒することがあります。
考えることを拒絶していた子が、考えることを始めると、頭の中でこれまでのすべてがつながるのかもしれません。
待って、待って、待った甲斐があった。
ついに来た。
「正解ですよ。凄いです」
感心する私に、相変わらず言葉は少ないものの、その子は防衛的ではない笑顔を見せました。