2021年10月29日
高尾山口駅から梅郷の道をたどり、日影沢林道へ。2021年10月。

2021年10月28日(木)、明け方の雨も上がり、よく晴れた秋の日、山を歩いてきました。
新規感染者は減っているけれど、こんなときこそ用心が必要。
休日の電車や、平日でも山に向かうバスは、登山客のおしゃべりが凄そうで、まだちょっと乗る勇気がもてません。
今回は、高尾山口駅から歩いて日影沢に行くことにしました。
高尾山口駅を出発。9:00
いつもの登山口方向とは逆、左手に歩いていきます。
駐車場から甲州街道に出て、左へ。
高尾駅方向にむけて、てくてく歩きだしました。
JRの高架が見えてきたあたりで、甲州街道は小さな橋を渡ります。
橋を渡ったところが、遊歩道の始点です。
小さな道しるべが立っていました。
舗装はされていますが、川沿いののんびりとした道をしばらく行くと、舗装されていない道が始まりました。
今朝の雨で道が湿っているせいもあるのでしょう、すぐ右手、林の向こうに民家が見えているわりには、山深い印象の道でした。
木の橋を渡り、行き止まりなのではないかというような山際のほうに入っていくと、登山道がつけられていました。
足元には、沢。
まだ本当に麓なのに、山歩き気分が楽しめます。
大きな木の根元に、赤いキノコが生えていました。
「カエンタケ。危険。さわらないで」
という掲示がありました。
今年なぜか沢山生えているとニュースで見たカエンタケとは、これか。
食べたらダメなのは勿論、触わるだけで皮膚が炎症を起こすそうです。
燃える炎のような形。
縄文時代の火焔型土器を連想させるフォルムでした。
そういえば、火焔型土器はとても有名だけれど、教科書に載っているようなあの見事な火焔型土器は、新潟県の信濃川流域でしか出土しないんだとか。
他の地域にも類型はあるけれど、あれほど大型で見事な装飾のものは出土しないそうです。
雪が多くて、縄文人が暮らしやすい気候だったとは思えないのに。
縄文時代を代表する遺跡は青森県の三内丸山遺跡ですし、縄文人は案外北国が好きなのでしょうか。
なぜ、もっと気候の温暖な土地で暮らさなかったのだろう?
長い縄文時代の中で、徐々に北へと移動し、文化も円熟していったということでしょうか。
濡れた落ち葉を踏みしめて歩いていきます。
すぐ足元まで沢が来ている箇所もありました。
かと思うと、整備された児童公園に出たり。
そしてまた、登山道みたいになったり。
歩きごたえのある面白い道をてくてく歩いて、大きなトイレのある広い整地された場所から、道路に出ました。
ここからは道路歩きです。
すぐに有名なお豆腐屋さんが見えてきました。
今日は木曜で定休日。
おからドーナツ、買いたかったな。
この店は、おぼろ豆腐もおいしいんですよね。
道路脇に広い釣り堀。
客は2人ほど。
静かな気持ちのよい眺めでした。
バスに追い越されたらちょっと悔しいけれど、そんなこともなく、日影沢バス停に到着。
その先が、日影沢林道の登山口です。
登山口。10:00。
駅からちょうど1時間で着きました。
あれ?
キツリフネが沢山咲いています。
こんなところに以前から咲いていたでしょうか?
2年前の大きな台風で、日影沢林道は閉鎖されました。
あれから2年。
コロナ禍で山に行けなくなってからは、登山道の状況をネットで調べることもしなくなっていました。
そもそも、どこが崩落して閉鎖されたのだろう?
入り口付近の道が、何だか前より細くなったような気がするのは、気のせい?
それとも、ここが崩落したのかな?
今となっては、どこが崩落したのかよくわからないくらい、完全に復旧しています。
ただ、登山口すぐ左手の、木道・木段の遊歩道は、侵入禁止の黄色いテープが貼られてありました。
かなりギシギシいう木道木段だったから、老朽化のせいでしょうか。
それとも、ここも台風でどこか崩落したのでしょうか。
日影沢林道は、普段でも沢の冷気が登山道まで上がってきて涼しい場所ですが、雨上がりとなればさらに、ミストシャワーを浴びているほどに冷涼な場所でした。
気持ちよく歩けます。
駐車スペースの奥の沢には渡渉点があります。
ちょっと水量が多いけれど、何とか渡れるようでした。
渡渉した先は、アップダウンは激しいけれど、林の中の静かな道。
登山地図には載っていない、秘密の道です。
とはいえ、今日は平日。
日影沢林道も十分静かな道だし、2年ぶりなので、今日は日影沢林道を歩こう。
キャンプ場の横を通ります。
男性が1人、火を焚いていました。
平日昼間の1人キャンプ。
炎を眺めているだけで、何時間でも経ってしまうだろうなあ。
久しぶりの日影沢林道。
最初は快適な道ですが、徐々に傾斜が急になります。
意外に長いです。
本日はあごマスクで歩きました。
たまに、早くも下山してくる人がいます。
マスクをしています。
慌てて私もマスクをして、互いに黙礼。
サングラスをして、顔全体を隠す布をかけている人もいました。
雪山で見るいでたちです。
薄手のスヌード(簡単に言えば、ネックウォーマー)で、鼻と口を覆っている人もいます。
いずれも通気性が良いので、感染対策としては弱いかもしれない。
でも、こうした装備の人は、すれ違いざまに「こんにちは」を言ってくる、おっかない態度はとらないので、安心です。
互いに黙礼。
林道のゲートの脇をすり抜けると、道は明るくなってきました。
青空の下、ススキが生え、まだ緑が濃い中に早めに紅葉するカエデがぽつんと赤く見えていました。
秋だなあ。
と思ったら、足元に蛇がのたっと横たわっていて、びっくり。
ちょうど向こうから下山してくる人がいたのに、明石家さんまのようなオーバーリアクションで跳び退いてしまいました。
すぐに体勢を立て直し、真面目くさって黙礼。
まき道との合流点。
城山のまき道は、封鎖されたままでした。
台風から2年経っても、復旧しない道もあります。
崖崩れがよほどひどく、手のほどこしようがないのか。
ここまで手が回らないだけなのか。
電波塔めがけてさらに坂道を上り、小仏城山山頂。11:25。
今日は茶店は2店ともお休みでした。
机とイスが沢山あり、登山客はそれぞれ、5メートル以上の距離を保てる席に座り、食事休憩をしていました。
皆さん単独で、話し声は全く聞こえません。
ああ、ここは食事が可能です。
相模湖に下りていける下山口からは、富士山。
冠雪した部分だけがにょっこり見えている富士山でした。
今月が賞味期限のアルファ米のドライカレーに水を入れて持ってきていました。
パクパク食べて、食後のコーヒーを飲んで、のんびり。
頭上には、紅葉の始まったカエデ。
まだまだ色づきには時間がかかるようです。
さて出発。11:50。
ここからは、混雑方面への下山なので、厳重にマスクをして出発。
木段を下りていきます。
一丁平の展望台でも、富士山を堪能。
下りていく途中で、センブリの花も撮影できました。
マスクをして紅葉台に登っていくのはさすがにきついので、まき道を選択。
あっけなく高尾山の下に到着。
山頂への階段も、マスクをしていてはきつい。
ここも、まき道。
大きなトイレのあるところまでやってきました。
ここまでくると、周りは観光客なので、全員マスクをしています。
「こんにちは」と声をかけてくる人もいません。
ある意味ストレス・フリーです。
女坂をたったか歩き、1号路をとっとこ下りて下山。14:00。
すいている電車で、帰宅できました。
新規感染者は減っているけれど、こんなときこそ用心が必要。
休日の電車や、平日でも山に向かうバスは、登山客のおしゃべりが凄そうで、まだちょっと乗る勇気がもてません。
今回は、高尾山口駅から歩いて日影沢に行くことにしました。
高尾山口駅を出発。9:00
いつもの登山口方向とは逆、左手に歩いていきます。
駐車場から甲州街道に出て、左へ。
高尾駅方向にむけて、てくてく歩きだしました。
JRの高架が見えてきたあたりで、甲州街道は小さな橋を渡ります。
橋を渡ったところが、遊歩道の始点です。
小さな道しるべが立っていました。
舗装はされていますが、川沿いののんびりとした道をしばらく行くと、舗装されていない道が始まりました。
今朝の雨で道が湿っているせいもあるのでしょう、すぐ右手、林の向こうに民家が見えているわりには、山深い印象の道でした。
木の橋を渡り、行き止まりなのではないかというような山際のほうに入っていくと、登山道がつけられていました。
足元には、沢。
まだ本当に麓なのに、山歩き気分が楽しめます。
大きな木の根元に、赤いキノコが生えていました。
「カエンタケ。危険。さわらないで」
という掲示がありました。
今年なぜか沢山生えているとニュースで見たカエンタケとは、これか。
食べたらダメなのは勿論、触わるだけで皮膚が炎症を起こすそうです。
燃える炎のような形。
縄文時代の火焔型土器を連想させるフォルムでした。
そういえば、火焔型土器はとても有名だけれど、教科書に載っているようなあの見事な火焔型土器は、新潟県の信濃川流域でしか出土しないんだとか。
他の地域にも類型はあるけれど、あれほど大型で見事な装飾のものは出土しないそうです。
雪が多くて、縄文人が暮らしやすい気候だったとは思えないのに。
縄文時代を代表する遺跡は青森県の三内丸山遺跡ですし、縄文人は案外北国が好きなのでしょうか。
なぜ、もっと気候の温暖な土地で暮らさなかったのだろう?
長い縄文時代の中で、徐々に北へと移動し、文化も円熟していったということでしょうか。
濡れた落ち葉を踏みしめて歩いていきます。
すぐ足元まで沢が来ている箇所もありました。
かと思うと、整備された児童公園に出たり。
そしてまた、登山道みたいになったり。
歩きごたえのある面白い道をてくてく歩いて、大きなトイレのある広い整地された場所から、道路に出ました。
ここからは道路歩きです。
すぐに有名なお豆腐屋さんが見えてきました。
今日は木曜で定休日。
おからドーナツ、買いたかったな。
この店は、おぼろ豆腐もおいしいんですよね。
道路脇に広い釣り堀。
客は2人ほど。
静かな気持ちのよい眺めでした。
バスに追い越されたらちょっと悔しいけれど、そんなこともなく、日影沢バス停に到着。
その先が、日影沢林道の登山口です。
登山口。10:00。
駅からちょうど1時間で着きました。
あれ?
キツリフネが沢山咲いています。
こんなところに以前から咲いていたでしょうか?
2年前の大きな台風で、日影沢林道は閉鎖されました。
あれから2年。
コロナ禍で山に行けなくなってからは、登山道の状況をネットで調べることもしなくなっていました。
そもそも、どこが崩落して閉鎖されたのだろう?
入り口付近の道が、何だか前より細くなったような気がするのは、気のせい?
それとも、ここが崩落したのかな?
今となっては、どこが崩落したのかよくわからないくらい、完全に復旧しています。
ただ、登山口すぐ左手の、木道・木段の遊歩道は、侵入禁止の黄色いテープが貼られてありました。
かなりギシギシいう木道木段だったから、老朽化のせいでしょうか。
それとも、ここも台風でどこか崩落したのでしょうか。
日影沢林道は、普段でも沢の冷気が登山道まで上がってきて涼しい場所ですが、雨上がりとなればさらに、ミストシャワーを浴びているほどに冷涼な場所でした。
気持ちよく歩けます。
駐車スペースの奥の沢には渡渉点があります。
ちょっと水量が多いけれど、何とか渡れるようでした。
渡渉した先は、アップダウンは激しいけれど、林の中の静かな道。
登山地図には載っていない、秘密の道です。
とはいえ、今日は平日。
日影沢林道も十分静かな道だし、2年ぶりなので、今日は日影沢林道を歩こう。
キャンプ場の横を通ります。
男性が1人、火を焚いていました。
平日昼間の1人キャンプ。
炎を眺めているだけで、何時間でも経ってしまうだろうなあ。
久しぶりの日影沢林道。
最初は快適な道ですが、徐々に傾斜が急になります。
意外に長いです。
本日はあごマスクで歩きました。
たまに、早くも下山してくる人がいます。
マスクをしています。
慌てて私もマスクをして、互いに黙礼。
サングラスをして、顔全体を隠す布をかけている人もいました。
雪山で見るいでたちです。
薄手のスヌード(簡単に言えば、ネックウォーマー)で、鼻と口を覆っている人もいます。
いずれも通気性が良いので、感染対策としては弱いかもしれない。
でも、こうした装備の人は、すれ違いざまに「こんにちは」を言ってくる、おっかない態度はとらないので、安心です。
互いに黙礼。
林道のゲートの脇をすり抜けると、道は明るくなってきました。
青空の下、ススキが生え、まだ緑が濃い中に早めに紅葉するカエデがぽつんと赤く見えていました。
秋だなあ。
と思ったら、足元に蛇がのたっと横たわっていて、びっくり。
ちょうど向こうから下山してくる人がいたのに、明石家さんまのようなオーバーリアクションで跳び退いてしまいました。
すぐに体勢を立て直し、真面目くさって黙礼。
まき道との合流点。
城山のまき道は、封鎖されたままでした。
台風から2年経っても、復旧しない道もあります。
崖崩れがよほどひどく、手のほどこしようがないのか。
ここまで手が回らないだけなのか。
電波塔めがけてさらに坂道を上り、小仏城山山頂。11:25。
今日は茶店は2店ともお休みでした。
机とイスが沢山あり、登山客はそれぞれ、5メートル以上の距離を保てる席に座り、食事休憩をしていました。
皆さん単独で、話し声は全く聞こえません。
ああ、ここは食事が可能です。
相模湖に下りていける下山口からは、富士山。
冠雪した部分だけがにょっこり見えている富士山でした。
今月が賞味期限のアルファ米のドライカレーに水を入れて持ってきていました。
パクパク食べて、食後のコーヒーを飲んで、のんびり。
頭上には、紅葉の始まったカエデ。
まだまだ色づきには時間がかかるようです。
さて出発。11:50。
ここからは、混雑方面への下山なので、厳重にマスクをして出発。
木段を下りていきます。
一丁平の展望台でも、富士山を堪能。
下りていく途中で、センブリの花も撮影できました。
マスクをして紅葉台に登っていくのはさすがにきついので、まき道を選択。
あっけなく高尾山の下に到着。
山頂への階段も、マスクをしていてはきつい。
ここも、まき道。
大きなトイレのあるところまでやってきました。
ここまでくると、周りは観光客なので、全員マスクをしています。
「こんにちは」と声をかけてくる人もいません。
ある意味ストレス・フリーです。
女坂をたったか歩き、1号路をとっとこ下りて下山。14:00。
すいている電車で、帰宅できました。
2021年10月25日
高校数Ⅱ「三角関数」。加法定理。
さて、三角関数の学習。
今回は加法定理です。
加法定理とは、例えば、
sin(α+β)=sinα cosβ+cosα sinβ
といった公式のことです。
全部で6本あります。
突然登場するこの公式について、そもそも、なぜそんな公式を使う必要があるのかわからず、それで上手く使用できない人がいます。
そういう人は、
sin(α+β)=sinα+sinβ
になると思っていて、こんなに簡単に計算できることをわざわざ難しい公式にしている理由がよく呑み込めない場合があるのです。
今回は加法定理です。
加法定理とは、例えば、
sin(α+β)=sinα cosβ+cosα sinβ
といった公式のことです。
全部で6本あります。
突然登場するこの公式について、そもそも、なぜそんな公式を使う必要があるのかわからず、それで上手く使用できない人がいます。
そういう人は、
sin(α+β)=sinα+sinβ
になると思っていて、こんなに簡単に計算できることをわざわざ難しい公式にしている理由がよく呑み込めない場合があるのです。
実際、数学が苦手な子に、
「sin(30°+60°)=sin30°+sin60° ではないんですよ」
と説明したところ、
「嘘っ。何で?」
と驚いていました。
その子が言うには、
「sin(30°+60°)=sin90° でしょう?だったら、sin(30°+60°)=sin30°+sin60° じゃないの?」
ということなのでした。
・・・え?
何、その理屈?
こういう、間違っているのに、その子の中では確信されている事柄というのがあります。
例えば、中学数学で、
(a+b)2=a2+b2
であると信じて疑わず、
(a+b)2=a2+2ab+b2
という乗法公式は、学習したときだけは使うけれど、テストが終われば忘れてしまう子とも重なります。
上の加法定理について、実際に確かめてみましょう。
sin (30°+60°)=sin90°
これは確かにそうです。
sin 90°=1 です。
一方、
sin 30°+sin 60°
=1/2+√3/2
です。
sin 90°は、sin 30°+sin 60° と等しくありません。
加法定理のほうに代入してみましょう。
sin30° cos60°+cos30° sin60°
=1/2・1/2+√3/2・√3/2
=1/4+3/4
=1
これは、sin 90°=1 と等しくなりますね。
sin(30°+60°)=sin30° cos60°+cos30° sin60°
なのです。
sin(30°+60°)=sin 90° と、( ) の中をたすのは構わない。
でも、( ) をそのまま展開してはいけない。
こういうところが、数学嫌いな子には理解しかねることのようです。
何をしてよくて、何をしたらダメなのか、わからない。
その根本には、「三角比」と「角の大きさ」との混同が影響しているのだと思います。
sin 30°や、sin 60°というのは、三角比です。
角の大きさではありません。
角の大きさならば、単純にたすことが可能です。
しかし、三角比と三角比は、単純にたすことはできません。
sin 30°という三角比とsin 60°という三角比をたしても、sin 90°という三角比と等しくはなりません。
そのイメージをもつことが大切です。
加法定理が覚えられない、というよりも覚える意欲を見せない子の中には、
「sin(α+β)=sin α+sin β で解けばいいのに、なぜ、覚えにくい公式があるんだろう。意味がわからない」
と誤解している子が、います。
まず、その誤解を解くことが必要です。
加法定理は、サイン・コサイン・タンジェントの3種類について、それぞれ和と差と、合計6本あります。
sin(α+β)=sinα cosβ+cosα sinβ
sin(α-β)=sinα cosβ-cosα sinβ
cos(α+β)=cosα cosβ-sinα sinβ
cos(α-β)=cosα cosβ+sinα sinβ
tan(α+β)=tanα+tanβ / 1-tanαtanβ
tan(α-β)=tanα-tanβ / 1+tanαtanβ
覚え方としては、私自身が高校生だった頃は、
「サイン・コス コス・サイン」
「コス・コス サイン・サイン」
「1まいタンタン、タンぷらタン」
といった覚え方をしました。
「咲いたコスモス、コスモス咲いた」
といった覚え方も有名ですね。
後のほうは、唱えるのに少し時間がかかってまだるっこしいので、私は、無機質な「サイン・コス コス・サイン」推奨派ですが、どちらでも、覚えやすいほうで覚えたらよいと思います。
どんな覚え方でもよいので、必ず覚えてください。
加法定理を覚えていないことは、この後の学習に、大変な負荷がかかります。
「まあ、テスト前になったら覚えますよ」
と悠長なことを言っている場合ではありません。
この後の公式に、加法定理はすぐ使います。
いちいち、教科書の別のページを開いて確認していては、学習に遅れが生じます。
また、「三角関数」全体がテスト範囲の場合、公式の数が多いです。
この後、大量の公式が一気に出てきます。
一夜漬けで覚えられる数ではありません。
端から覚えていかないと、必ず後悔します。
さて、では、加法定理の証明は?
なぜ、
sin(α+β)=sinα cosβ+cosα sinβ
なのでしょうか?
これが少し厄介なのです。
いきなりこの式を導くことはできません。
まずは、他の式を証明し、そこから式を変形してこの式を導くことになります。
しかも、数学が苦手な子にとって、その証明は決してわかりやすいものではありません。
小学校の三角形の面積の公式のように、見たまま、それはそうだろうなというようなものではないのです。
証明そのものが、わからない・・・。
しかも、覚えにくい・・・。
もう、加法定理なんて嫌だ・・・。
ここで、いよいよ本格的に三角関数への挫折感が深まっていきます。
まず証明するのは、上から4番目の公式。
cos(α-β)=cosα cosβ+sinα sinβ
です。
教科書でも参考書でも、どこにでも掲載されていますが、単位円上に2点、A(cosα , sinα)、B(cosβ , sinβ)をおくところから証明が始まります。
ここで、何で2点の座標がA(cos α , sin α)、B(cos β , sin β)と表されるのか、そこからわからないとなる場合が多く、加法定理の証明への道は、長く険しいのです。
私は今ここで単位円を描かずに説明していますが、描いたところでさほど理解は進みません。
図を描いて、線分OAとx軸の正の方向とのなす角をα、線分OBとx軸の正の方向とのなす角をβとしているので、A(cos α , sin α)、B(cos β , sin β)となるのですと説明しても、
「わからない、わからない、わからない・・・」
と耳をふさいでしまう子もいます。
数Ⅰ「三角比」の記憶が曖昧で、三角比とは単位円上の点の座標であることを忘れているのだと思います。
三角比は直角三角形の辺の比というところから脱却できていないのです。
三角比の定義は、
座標平面上で、x軸の正の部分を始線にとり、角θの動径と、原点を中心とする半径rの円との交点をP(x , y)とするとき、
sin θ=y/r
cos θ=x/r
tan θ=y/x
まず第1象限内の円周上に点Pをとり、点Pと原点を結び、さらに点Pからx軸に垂線を下ろして、直角三角形を描いて考えるならば、一番初歩の三角比の定義通りの辺の比がそのようになります。
よくわからない場合は、実際に自分で直角三角形を描いて確認してみてください。
自分で描くと、また少し違ってくると思います。
円の半径はどこでも同じ長さですから、描いた直角三角形の斜辺はrです。
底辺は、x、対辺はyとなります。
よって、
sine θ=y/r
cos θ=x/r
tan θ=y/x
と表せます。
それを利用し、全ての象限で三角比の定義はそうであると拡張したのが、「三角比の拡張」です。
このことによって、三角比は、直角三角形の辺の比ではなく、円周上の点の座標と定義し直されました。
ここで、半径が1の単位円であるなら、
sin θ=y/1=y
cos θ=x/1=x
つまり、x座標は、コサインの値、y座標は、サインの値なのです。
ということは、動径とx軸の正の方向とのなす角が α であるなら、その点のx座標はcos α、y座標はsin α と表すことができます。
だから、x軸の正の方向と、線分OA、OBのなす角がそれぞれα、β であるなら、
座標は、A(cos α , sin α)、B(cos β , sin β)となります。
「・・・わかりますか?」
「・・・・・」
「・・・わかりませんか?」
「・・・(うなずく)」
「・・・どこからわからないですか?」
「全部」
「・・・」
・・・苦手な関数と、嫌いな三角比が合体したら、そりゃあ、わからないかもしれません。
ここがわからない場合は、加法定理の証明を理解するのは諦めるという選択肢もあります。
証明を理解するのは諦める。
でも、加法定理を使用することは、諦めない。
覚えて使えばいいのです。
使うことだけなら、できます。
・・・そんなのダメじゃん!
理解もしていないのに、使うだけなんて、ダメじゃん!
確かに、そうです。
証明を理解して使用するのが、理想です。
問題は、生徒の様子、表情です。
全部わからない、と言う。
どういう意図でそのように言っているのか?
「証明を理解するのは、いったんやめますか?証明はわからなくても、定理を使うことはできるし、その練習をしましょうか」
そのように声をかけたとき、生徒が明らかにホッとしているのなら、もうそれでいいのではないかと思うのです。
理系に進むわけではないのは、既に確認しています。
経済学部などの社会科学系の学部は入試に数学が必要なことがありますよと話しても、ぼんやりして反応がない。
共通テストを受けるのかどうかも、わからないと言う。
本当にまだ未定であるのか、
「それじゃ数学をもっと頑張らないとダメじゃないの!」
と言われるのが嫌でごまかしているのか、それはわからないですが、本人の中で、明らかに数学に対して「店じまい」が始まっています。
その子の課題は、加法定理の証明が理解できないことではないのだと思うのです。
それに、証明を理解していないのに使っている公式は、加法定理だけではないのです。
例えば、円錐の体積の公式。
V=1/3πr2h
あれは、なぜ、1/3にするのでしょうか?
例えば、球の表面積の公式。
S=4πr2
あの4って何ですか?
球の体積の公式。
V=4/3πr3
4/3って、何の数字ですか?
どれも、中1で学習する公式です。
しかし、証明の解説を聞いたことはないはずです。
中学では、教わりません。
ただ暗記し、ただ使っているだけです。
「そうであることがわかっている」で済まされてしまう。
あるいは、錐体の体積の場合には、中が空洞な錐体に水を入れて、同じ底面積、同じ高さの柱体の容器に水を移して、ちょうど3倍分になることを先生がやってみせるのを見た人もいると思います。
しかし、それは、事実としてそうなるというだけで、証明ではありません。
証明を理解していないのに丸暗記して使っている公式は、今までもあったのです。
数学的に証明できないわけではありません。
中学生に理解できる内容ではないから、説明しないのです。
証明を理解できないのは、確かに1つの敗北です。
できれば、理解してほしい。
でも、どうしても理解できないのなら、それで諦めるのではなく、理解はできなくても、覚えて使ってください。
加法定理を十分使いこなせるようになり、その先の多くの定理も学習した後のある日。
気候もすがすがしく今日は頭の中がクリアだと感じたある日、もう一度見直したら、案外するっと理解できるかもしれません。
そんな日を待つことも必要だと思います。
「証明を理解するのは、いったんやめますか?証明はわからなくても、定理を使うことはできるし、その練習をしましょうか」
そのように声をかけたとき、その子が傷ついた表情を見せたのなら、まだ続ける意味があります。
見捨てられたと感じ、そのことに傷ついたのなら、本当は理解したいのでしょう。
そんなときには、続けて話します。
「だって、全部わからないって、そんなのおかしいじゃないですか?理解したい気持ちがあるのなら、協力してください。解説の1行1行を見て、どの行がわからないのか、それを教えてください」
そのように話すと、どこがわからないのか、初めて見直す気になり、協力して理解していこうと思ってくれる子は多いです。
加法定理の証明に戻りましょう。
単位円上に2点、A(cosα , sinα)、B(cosβ , sinβ)をおく。
ここまではとりあえず理解できるのならば、
2点ABの距離を2通りで表してみましょう。
まずは、2点間の距離の公式を用いると、
AB2=(cosβ-cosα)2+(sinβ-sinα)2 ・・・①
・・・2点間の距離の公式って、何ですか?
また、つまずきポイント登場です。
2点間の距離の公式。
これは、数Ⅱ「図形と方程式」で学習した内容です。
もともとは、中3「三平方の定理」でも学習しています。
モヤモヤする人は必ず復習してください。
また、AB2は、△OABに余弦定理を用いて表すこともできます。
AB2=1+1-2・1・1・cos(α-β) ・・・②
・・・余弦定理って何ですか?
さらにつまずきポイントが加わりました。
余弦定理は、数Ⅰ「三角比」で学習した、三角形の3辺の長さとコサインに関する定理です。
ともあれ、①、②より、
(cosβ-cosα)2+(sinβ-sinα)2=1+1-2・1・1・cos(α-β)
あとは式を整理し、変形していくだけです。
cos^2 β-2cosβcosα+cos^2 α+sin^2 β-2sinβsinα+sin^2 α=2-2cos(α-β)
(sin^2 α+cos^2 α)+(sin^2 β+cos^2 β)-2cosαcosβ-2sinαsinβ=2-2cos(α-β)
1+1-2cosαcosβ-2sinαsinβ=2-2cos(α-β)
2cos(α-β)=2cosαcosβ+2sinαsinβ
cos(α-β)=cosαcosβ+sinαsinβ
証明できました!
他の公式は、ここから導くことができます。
2021年10月21日
「遠山顕の英会話楽習」最終回を聴きながら、都立小金井公園へ。2021年10月。
2021年10月20日(水)、今週は都立小金井公園まで散歩をしました。
3時間ほど歩ける定番散歩コースは、この1年で4通りに固まりました。
そろそろ、コスモスがきれいに咲いている頃ではないか?
というと、都立小金井公園コースがいいですね。
のんびりと、12時に出発。
三鷹駅北口から、玉川上水緑道の左岸、未舗装の歩道を歩き始めました。
交差点を渡って、さらに緑道をたどり、境の浄水場の横を淡々と歩き、その先で右折。
ここは舗装された歩道を歩き、次の交差点で左折。
井の頭通り沿いに、細い公園が整備されていて、未舗装の道を歩いていけます。
前回歩いたときの大量のドングリ。
少しは拾われた様子ですが、踏まれて壊れたドングリがまだ沢山落ちていました。
山の動物がこの付近にはいないから無理ないのですが。
鳥は、ドングリは食べないのかなあ。
片耳イヤホンで、NHK第二放送を聴きながら歩いています。
12:15~12:25は、「英会話タイムトライアル」。
易しい日常会話ですが、とにかく瞬発的に声に出して英語を言う練習ができる番組です。
都立高校は、2023年度入試から、英語スピーキングテストが導入されるとのこと。
本気なんでしょうか?
誰も反対しないのでしょうか?
大学入試改革のときのように、ぎりぎりのところで反対の声が上がり、中止にならないものでしょうか?
採点を1つの民間企業が一手に引き受け、しかも、外国で採点されるという・・・。
外国の、誰に?
そんな大量の採点、しかも、1年に1回きりのことですから、アルバイトを雇って処理するしかないでしょう?
それで本当に公正な採点が行われるのでしょうか?
都立高校の男女別定員制よりも、余程透明性がなく、ヤバい案件だと思うのだけれど・・・。
スピーキングテストの20点がぽこんと付け加えられて、都立入試は1020点満点になるとのことです。
疑いを抱きつつも、今のところそうなる予定であるならば、スピーキングの練習を塾に導入しないわけにいきません。
テスト内容はそう難しいものではなく、簡単な会話と、英文音読と、4コマ漫画の筋を英語で説明するというもの。
英検3級の2次試験対策がそうであるように、基礎力のある子なら半月で合格レベルに到達するでしょう。
ただ、こういうのは、英語力とは別の次元で不利な生徒たちがいます。
50分という時間内でのペーパーテストなら、他の生徒と互角に英語力を示していくことができるけれど、咄嗟に英語が口から出てくることはあまり期待できない子たちです。
日本語もすぐには出てこないですから・・・。
何か問いかけても、むうっと黙り込むので、わからないのかなあと思い、さらにヒントを出そうとすると、私の声と重なるようにして喋りだす子たちは、一定数存在します。
考えている時間が、「常識」より長いのです。
しかも、その間、むうっと不機嫌そうなのです。
学校の実技系科目の成績が予想外に低い原因の1つも、それではないかと思うのです。
授業態度が悪い。
反抗的だ。
何か文句があるのか?
そんなふうに思われている可能性はないのだろうか?
言葉がすぐに出てこないだけなのだけれど・・・。
同様に、態度もきびきびはしていないし、何をするにも時間がかかるので、それも低評価の原因だろうか・・・。
でも、できないのではなく、ただ、時間がかかるだけなのです。
機械に録音するスピーキングテスト。
話し始めるまでの準備時間は30秒と定められています。
瞬発力のない子たちが好成績を残すことは、あまり期待できません。
これは、20点のハンデを他で何とか取り返すことも考えないと・・・。
勿論、スピーキング練習はしますけれども。
厄介なことになりました・・・。
むうっと黙り込む時間が長いタイプではない子ならば、「英会話タイムトライアル」は、スピーキング練習のための良い番組だと思います。
とにかく、とっさに何か英語で言う練習ができます。
ただ、こうした番組を勧め、せっかくラジオ講座を実際に聴いてくれても、「声を出す」ことをしない子もいます。
ただ聴いているだけなのです。
「ラジオ英会話」を聴くといいよと勧めたら、嬉しいことに、本当に聴いてくれている高校生がいます。
しかし、
「自分で英語を言ってみる時間のときは、本当に声を出して、自分で英語を言ってみるんだよ。ラジオ講座はそういう活用をしましょうね」
と話したところ、
「えーっ」
と驚いていました。
そんなこと、考えてみたこともなかった様子でした。
ラジオ講座の受け応えさえ、自分が実際にやるとは考えてみたことがない。
本当にただ聴くだけなのです。
同じ教材を与えられても、活用できない子と活用できる子がいます。
勉強が下手とはどういうことか、そんなときに実感します。
耳元で流れるラジオ放送は、その「ラジオ英会話」が始まりました。12:25~12:40。
その日に学習した文法事項を使って、内容を指定された英文を自分で口に出して言ってみるコーナーが充実しています。
本文をただべったりとリピートする時間は存在しません。
そんなのは、あとで本人が自主的にやればいい。
番組内では、もっとやりたいことがある。
聴く・読む・話す・書く。
4領域をまんべんなく伸ばしたい。
その方向で、NHKの英語講座は進化してきました。
その後は、「ラジオビジネス英語」。12:40~12:55。
今は、4月の再放送をやっています。
9月の最終回の終わり方が、何だか本当にこれで終わるみたいなニュアンスだったけれど、来年度はどうなるのだろう?
さらに、「ニュースで英語術」12:55~13:00。
英語の音声ニュースを明瞭に音読し直し、わかりやすく訳してから、本物の英語の音声ニュースを聴く、5分番組です。
扱われるニュースは2週間前くらいのもので、英語学習のタイムラグとしては短いほうだと思います。
ただ、この番組の訳し方には癖があります。
簡単な例でいえば、
I have a ball.
を、
「私が持っているのは、ボールです」
と訳すのです。
ニュース英語としては、SVOのOが that 節など長いものであるのは普通のことで、いちいち順番を日本語的に直しているとかえって意味がとりにくい。
それはわかるのですが、さすがに文法的に間違っているので、この番組を生徒には勧めにくいのです。
「私は持っています。ボールを」
と訳してくれたらいいのになあ。
だから、この番組は、そういう訳し方を、それはそれとして、額面通りには受け取らない英語力と常識のある人が聴くべき番組だと思います。
それ以外は、本当に良い番組なんですよ。
昼の英語学習ゴールデンタイムが終わったので、ポータブルラジオレコーダーで午前中に録音した番組を聴き始めました。
「遠山顕の英会話楽習」。10:30~10:45。
今日が最終回でした。
来週も、今週の再放送が流れますが。
思いおこせば、1990年代。
今と同じように英語も数学も私は教えていました。
受験算数・中学数学・高校数学を教えることができる女性講師ということで、講師としての需要はありましたが、英語の仕事ももっとやりたいと考えていました。
ただ、20世紀の学生だった私は、中学時代に英検3級を取ったままでした。
高校時代は、受験勉強のほうが忙しく、英検受験など考えたこともありませんでした。
周囲にも、英検を受けている子などいませんでした。
大学時代も同様。
就職に英検やTOEICが必要な世代ではなかったのです。
そんなわけで、「英検3級」という、履歴書には書かないほうがむしろ良い資格の状態で、英語を教えていました。
一方で、英語教育は変革の時代を迎えていました。
他の科目は、教科書が改訂される度に易しくなっていた時代。
しかし、英語だけは、難しくなっていく・・・。
いや、難しくなっていくというよりも、昔のように小説や随筆の読解ではなく、現代の評論を読むのが主流に変わってきていました。
しかも、リスニングが重視され、音声英語が必要とされている・・・。
英語力をブラッシュアップしないことには、やがて英語を教えることができなくなる。
原点回帰。
私は、中学生の頃それで勉強していたように、NHKのラジオ英語講座を聴き始めました。
まずは、手当たり次第に3つの講座を。
それが、遠山顕先生の「英会話入門」。
そして、大杉正明先生の「ラジオ英会話」。
さらに、杉田敏先生の「やさしいビジネス英語」でした。
試しに聴いてみたら、どの番組も良かったので、3つともテキストを購入しました。
それぞれ順番に、水色の表紙、赤色の表紙、薄茶色の表紙。
今も、表紙の色をよく覚えています。
「英会話入門」は、今の「英会話楽習」と基本構造が同じだったことに、今さらながら驚きます。
オープニングとエンディングの挨拶も、ほぼ同じでした。
既に、形式は確立されていたのです。
日本人講師である遠山顕先生と、外国人講師二人との距離が近い。
とにかく、とても楽しそうに英語で会話している番組でした。
「get rid of ナニナニ」
「take ダレダレ to ドコドコ」
など、ネイティブの外国人講師が遠山先生の真似をするのも新鮮で楽しく、ラジオ英語講座の新たな胎動を感じました。
この人は、英語講座に革命を起こす。
時代が変わるぞと感じさせる番組でした。
大杉正明先生の「ラジオ英会話」は、スキットの内容が面白く、英語学習と同時に、アメリカ文化やアメリカの歴史に触れられるのが興味深い番組でした。
その年は、年間を通して、アメリカ人の青年とその恋人の日本人女性が、アメリカに引っ越し、アメリカに触れていく物語がつづられていました。
ネイティブアメリカン、フラワームーブメント、エイズ・・・。
ラジオドラマのような構成で、感情がこめられたセリフのやりとりに、何度か聴くだけで新しい単語がどんどん記憶に定着していきました。
杉田敏先生の「やさしいビジネス英語」は、主人公宮川輝行、通称テルが、レインフォレストという自然派化粧品会社のロサンゼルス本社で働き、同僚たちと様々な社会問題を語っているビニェットが何より魅力的でした。
今と違い、英文とその和訳が番組内容の中心でした。
和訳はテキストを見ればわかるので、近年はそういうものは省略し、英語表現について英語で解説する時間が増えました。
そういう意味では、当時の番組は少し古いタイプの英語講座でした。
でも、魅力があったのは、ビニェットのレベルの高さ。
大学入試の現代英語を読んだり教えたりする際に、どれほど役に立ったかしれません。
小説や随筆の読み取り中心の英語学習からの完全な脱却を図ることができました。
3番組を聴き流すだけで、まずは英検2級に合格。
翌年、私は聴く番組を「やさしいビジネス英語」1つに絞りました。
その分、ただ聞き流すのではなく、知らない単語・熟語、覚えたい表現などを含む文を暗唱したり書いたりする練習を加えました。
その年、英検準1級合格。
履歴書にしっかりそれを記入し、私は転職しました。
職種は同じ塾講師でしたが。
その後も、聴くのは杉田敏先生の「ビジネス英語」のみ。
番組タイトルから「やさしい」が外れ、テキストの表紙が薄茶色から紺色に変わっても。
そして、ビニェットの全文暗唱と、日本語訳を見てその英文を書いてみる練習を自分に課しました。
ビニェットのテーマに沿って、登場人物の誰かの意見を自分の意見のように口頭でまとめたり、また書いてみる練習も繰り返しました。
他にも英検用の単語集と過去問を繰り返し勉強。
無事、英検1級に合格しました。
以後の私は、むしろ、英語学習が惰性になっていたかもしれません。
全文暗唱や書写をしなくなりました。
仕事がさらに忙しくなったこともあり、ただ聴くだけのことが多くなり、長い年月が過ぎました。
大杉正明先生が「ラジオ英会話」を引退されて、別の冠番組を持ったこと。
代わりに遠山顕先生が「ラジオ英会話」の講師になったこと。
番組表で知っていましたが、実際に聴くことはありませんでした。
そうして、その遠山顕先生も「ラジオ英会話」を引退。
別の冠番組が始まりました。
それが「遠山顕の英会話楽習」でした。
生徒に勧めるよいラジオ講座はないか?
そう思って杉田敏先生の「実践ビジネス英語」以外の番組を聴くようになったのは、この2~3年です。
英語関係の全番組を一度は聴いてみて、好みの番組をピックアップし、山を歩きながら、あるいは散歩をしながら聴くようになりました。
「遠山顕の英会話楽習」は、30年近く経って聴いたとき、声が年を取っていることに驚きました。
ずっと聴き続けていたら、多分そうは感じなかったのかもしれません。
民放ラジオの名物パーソナリティーみたいになっていて、その風格にびっくりしました。
新進気鋭の先生が、気がつけばもう70代。
時は流れました。
高校生が聴く英語講座ではなさそうだと感じ、聴き続けることはありませんでした。
昨年度で、杉田敏先生の「実践ビジネス英語」が終了しました。
そして、今回、「遠山顕の英会話楽習」も終わりました。
英語を勉強したい。
そう思った、若かった遠い日に、
遠山顕先生の「英会話入門」。
大杉正明先生の「ラジオ英会話」。
杉田敏先生の「やさしいビジネス英語」。
その3つがそろっていました。
その3番組を浴びるように毎日聴くことができたこと。
私は本当に幸運でした。
あの年の英語番組がつまらなかったら、私は、英語講師を続けることを諦めていたかもしれません。
それにしても、変な時期に番組が終わるものだ・・・。
そう思ったら、後番組は、大杉正明先生の「ラジオでカムカムエヴリバディ」。
NHK総合の朝ドラと連動した番組なんだそうです。
嘘。
大杉先生が復活するんですか?
はあ?
だったら、別の時間帯に復活してくださいよ。
遠山顕先生の番組も続けてくださいよ。
私にとって神3なんですから。
何ですか、それは。
・・・私は混乱しています。
多摩湖自転車歩行者道と並走する狭山境緑道をとことこ歩き、土手の途中、銀色の道しるべを左折。
畑の中の道を行き、横断歩道を渡ると、すぐ、都立小金井公園です。
思った通り、コスモス畑が広がっていました。
春にはヒナゲシ畑だったところです。
天気もよく、涼しくなったので、平日でも小金井公園を散歩している人がちらほら見られました。
風に揺れるコスモス。
戦後すぐの「カムカム英語」の通称で親しまれた英語講座を、私は知りません。
その講師の名前も知りません。
でも、きっと、ある世代の人にとって、その名前とそのテーマ曲と、オープニングの挨拶は、特別な意味のあるものなのだろうと思うのです。
戦争が終わって、好きな英語を好きなだけ学べる時代が来た。
それは、どれほど幸せなことだったろう。
同時に、戦争で傷つき、肉親を失い、財産を失い、運命をねじ曲げられた多くの人にとって、英語を学ぶということは、どういうことだったのだろう?
そうしたことを丁寧に描く番組であることを願います。
Keep listening.
Keep practicing.
And keep on smiling.
Bye!
30年変わらなかったのだろう挨拶を最後も繰り返して、遠山顕先生の番組は明るく終わりました。
ラジオ講座を変革させた人。
この方がいなかったら、今の大西先生の「ラジオ英会話」など、存在が許されるはずもないのです。
ふざけているのかっ・・・で終わっていたでしょう。
ラジオ英語講座は、さらなる進化を遂げていく。
いつか、大西先生も年をとり、また新しい才能が立ち上がる。
大西先生が大御所となり引退し、冠番組を持つようになっても、まだ、私はラジオ英語講座を聴き続けたい。
そう思います。
3時間ほど歩ける定番散歩コースは、この1年で4通りに固まりました。
そろそろ、コスモスがきれいに咲いている頃ではないか?
というと、都立小金井公園コースがいいですね。
のんびりと、12時に出発。
三鷹駅北口から、玉川上水緑道の左岸、未舗装の歩道を歩き始めました。
交差点を渡って、さらに緑道をたどり、境の浄水場の横を淡々と歩き、その先で右折。
ここは舗装された歩道を歩き、次の交差点で左折。
井の頭通り沿いに、細い公園が整備されていて、未舗装の道を歩いていけます。
前回歩いたときの大量のドングリ。
少しは拾われた様子ですが、踏まれて壊れたドングリがまだ沢山落ちていました。
山の動物がこの付近にはいないから無理ないのですが。
鳥は、ドングリは食べないのかなあ。
片耳イヤホンで、NHK第二放送を聴きながら歩いています。
12:15~12:25は、「英会話タイムトライアル」。
易しい日常会話ですが、とにかく瞬発的に声に出して英語を言う練習ができる番組です。
都立高校は、2023年度入試から、英語スピーキングテストが導入されるとのこと。
本気なんでしょうか?
誰も反対しないのでしょうか?
大学入試改革のときのように、ぎりぎりのところで反対の声が上がり、中止にならないものでしょうか?
採点を1つの民間企業が一手に引き受け、しかも、外国で採点されるという・・・。
外国の、誰に?
そんな大量の採点、しかも、1年に1回きりのことですから、アルバイトを雇って処理するしかないでしょう?
それで本当に公正な採点が行われるのでしょうか?
都立高校の男女別定員制よりも、余程透明性がなく、ヤバい案件だと思うのだけれど・・・。
スピーキングテストの20点がぽこんと付け加えられて、都立入試は1020点満点になるとのことです。
疑いを抱きつつも、今のところそうなる予定であるならば、スピーキングの練習を塾に導入しないわけにいきません。
テスト内容はそう難しいものではなく、簡単な会話と、英文音読と、4コマ漫画の筋を英語で説明するというもの。
英検3級の2次試験対策がそうであるように、基礎力のある子なら半月で合格レベルに到達するでしょう。
ただ、こういうのは、英語力とは別の次元で不利な生徒たちがいます。
50分という時間内でのペーパーテストなら、他の生徒と互角に英語力を示していくことができるけれど、咄嗟に英語が口から出てくることはあまり期待できない子たちです。
日本語もすぐには出てこないですから・・・。
何か問いかけても、むうっと黙り込むので、わからないのかなあと思い、さらにヒントを出そうとすると、私の声と重なるようにして喋りだす子たちは、一定数存在します。
考えている時間が、「常識」より長いのです。
しかも、その間、むうっと不機嫌そうなのです。
学校の実技系科目の成績が予想外に低い原因の1つも、それではないかと思うのです。
授業態度が悪い。
反抗的だ。
何か文句があるのか?
そんなふうに思われている可能性はないのだろうか?
言葉がすぐに出てこないだけなのだけれど・・・。
同様に、態度もきびきびはしていないし、何をするにも時間がかかるので、それも低評価の原因だろうか・・・。
でも、できないのではなく、ただ、時間がかかるだけなのです。
機械に録音するスピーキングテスト。
話し始めるまでの準備時間は30秒と定められています。
瞬発力のない子たちが好成績を残すことは、あまり期待できません。
これは、20点のハンデを他で何とか取り返すことも考えないと・・・。
勿論、スピーキング練習はしますけれども。
厄介なことになりました・・・。
むうっと黙り込む時間が長いタイプではない子ならば、「英会話タイムトライアル」は、スピーキング練習のための良い番組だと思います。
とにかく、とっさに何か英語で言う練習ができます。
ただ、こうした番組を勧め、せっかくラジオ講座を実際に聴いてくれても、「声を出す」ことをしない子もいます。
ただ聴いているだけなのです。
「ラジオ英会話」を聴くといいよと勧めたら、嬉しいことに、本当に聴いてくれている高校生がいます。
しかし、
「自分で英語を言ってみる時間のときは、本当に声を出して、自分で英語を言ってみるんだよ。ラジオ講座はそういう活用をしましょうね」
と話したところ、
「えーっ」
と驚いていました。
そんなこと、考えてみたこともなかった様子でした。
ラジオ講座の受け応えさえ、自分が実際にやるとは考えてみたことがない。
本当にただ聴くだけなのです。
同じ教材を与えられても、活用できない子と活用できる子がいます。
勉強が下手とはどういうことか、そんなときに実感します。
耳元で流れるラジオ放送は、その「ラジオ英会話」が始まりました。12:25~12:40。
その日に学習した文法事項を使って、内容を指定された英文を自分で口に出して言ってみるコーナーが充実しています。
本文をただべったりとリピートする時間は存在しません。
そんなのは、あとで本人が自主的にやればいい。
番組内では、もっとやりたいことがある。
聴く・読む・話す・書く。
4領域をまんべんなく伸ばしたい。
その方向で、NHKの英語講座は進化してきました。
その後は、「ラジオビジネス英語」。12:40~12:55。
今は、4月の再放送をやっています。
9月の最終回の終わり方が、何だか本当にこれで終わるみたいなニュアンスだったけれど、来年度はどうなるのだろう?
さらに、「ニュースで英語術」12:55~13:00。
英語の音声ニュースを明瞭に音読し直し、わかりやすく訳してから、本物の英語の音声ニュースを聴く、5分番組です。
扱われるニュースは2週間前くらいのもので、英語学習のタイムラグとしては短いほうだと思います。
ただ、この番組の訳し方には癖があります。
簡単な例でいえば、
I have a ball.
を、
「私が持っているのは、ボールです」
と訳すのです。
ニュース英語としては、SVOのOが that 節など長いものであるのは普通のことで、いちいち順番を日本語的に直しているとかえって意味がとりにくい。
それはわかるのですが、さすがに文法的に間違っているので、この番組を生徒には勧めにくいのです。
「私は持っています。ボールを」
と訳してくれたらいいのになあ。
だから、この番組は、そういう訳し方を、それはそれとして、額面通りには受け取らない英語力と常識のある人が聴くべき番組だと思います。
それ以外は、本当に良い番組なんですよ。
昼の英語学習ゴールデンタイムが終わったので、ポータブルラジオレコーダーで午前中に録音した番組を聴き始めました。
「遠山顕の英会話楽習」。10:30~10:45。
今日が最終回でした。
来週も、今週の再放送が流れますが。
思いおこせば、1990年代。
今と同じように英語も数学も私は教えていました。
受験算数・中学数学・高校数学を教えることができる女性講師ということで、講師としての需要はありましたが、英語の仕事ももっとやりたいと考えていました。
ただ、20世紀の学生だった私は、中学時代に英検3級を取ったままでした。
高校時代は、受験勉強のほうが忙しく、英検受験など考えたこともありませんでした。
周囲にも、英検を受けている子などいませんでした。
大学時代も同様。
就職に英検やTOEICが必要な世代ではなかったのです。
そんなわけで、「英検3級」という、履歴書には書かないほうがむしろ良い資格の状態で、英語を教えていました。
一方で、英語教育は変革の時代を迎えていました。
他の科目は、教科書が改訂される度に易しくなっていた時代。
しかし、英語だけは、難しくなっていく・・・。
いや、難しくなっていくというよりも、昔のように小説や随筆の読解ではなく、現代の評論を読むのが主流に変わってきていました。
しかも、リスニングが重視され、音声英語が必要とされている・・・。
英語力をブラッシュアップしないことには、やがて英語を教えることができなくなる。
原点回帰。
私は、中学生の頃それで勉強していたように、NHKのラジオ英語講座を聴き始めました。
まずは、手当たり次第に3つの講座を。
それが、遠山顕先生の「英会話入門」。
そして、大杉正明先生の「ラジオ英会話」。
さらに、杉田敏先生の「やさしいビジネス英語」でした。
試しに聴いてみたら、どの番組も良かったので、3つともテキストを購入しました。
それぞれ順番に、水色の表紙、赤色の表紙、薄茶色の表紙。
今も、表紙の色をよく覚えています。
「英会話入門」は、今の「英会話楽習」と基本構造が同じだったことに、今さらながら驚きます。
オープニングとエンディングの挨拶も、ほぼ同じでした。
既に、形式は確立されていたのです。
日本人講師である遠山顕先生と、外国人講師二人との距離が近い。
とにかく、とても楽しそうに英語で会話している番組でした。
「get rid of ナニナニ」
「take ダレダレ to ドコドコ」
など、ネイティブの外国人講師が遠山先生の真似をするのも新鮮で楽しく、ラジオ英語講座の新たな胎動を感じました。
この人は、英語講座に革命を起こす。
時代が変わるぞと感じさせる番組でした。
大杉正明先生の「ラジオ英会話」は、スキットの内容が面白く、英語学習と同時に、アメリカ文化やアメリカの歴史に触れられるのが興味深い番組でした。
その年は、年間を通して、アメリカ人の青年とその恋人の日本人女性が、アメリカに引っ越し、アメリカに触れていく物語がつづられていました。
ネイティブアメリカン、フラワームーブメント、エイズ・・・。
ラジオドラマのような構成で、感情がこめられたセリフのやりとりに、何度か聴くだけで新しい単語がどんどん記憶に定着していきました。
杉田敏先生の「やさしいビジネス英語」は、主人公宮川輝行、通称テルが、レインフォレストという自然派化粧品会社のロサンゼルス本社で働き、同僚たちと様々な社会問題を語っているビニェットが何より魅力的でした。
今と違い、英文とその和訳が番組内容の中心でした。
和訳はテキストを見ればわかるので、近年はそういうものは省略し、英語表現について英語で解説する時間が増えました。
そういう意味では、当時の番組は少し古いタイプの英語講座でした。
でも、魅力があったのは、ビニェットのレベルの高さ。
大学入試の現代英語を読んだり教えたりする際に、どれほど役に立ったかしれません。
小説や随筆の読み取り中心の英語学習からの完全な脱却を図ることができました。
3番組を聴き流すだけで、まずは英検2級に合格。
翌年、私は聴く番組を「やさしいビジネス英語」1つに絞りました。
その分、ただ聞き流すのではなく、知らない単語・熟語、覚えたい表現などを含む文を暗唱したり書いたりする練習を加えました。
その年、英検準1級合格。
履歴書にしっかりそれを記入し、私は転職しました。
職種は同じ塾講師でしたが。
その後も、聴くのは杉田敏先生の「ビジネス英語」のみ。
番組タイトルから「やさしい」が外れ、テキストの表紙が薄茶色から紺色に変わっても。
そして、ビニェットの全文暗唱と、日本語訳を見てその英文を書いてみる練習を自分に課しました。
ビニェットのテーマに沿って、登場人物の誰かの意見を自分の意見のように口頭でまとめたり、また書いてみる練習も繰り返しました。
他にも英検用の単語集と過去問を繰り返し勉強。
無事、英検1級に合格しました。
以後の私は、むしろ、英語学習が惰性になっていたかもしれません。
全文暗唱や書写をしなくなりました。
仕事がさらに忙しくなったこともあり、ただ聴くだけのことが多くなり、長い年月が過ぎました。
大杉正明先生が「ラジオ英会話」を引退されて、別の冠番組を持ったこと。
代わりに遠山顕先生が「ラジオ英会話」の講師になったこと。
番組表で知っていましたが、実際に聴くことはありませんでした。
そうして、その遠山顕先生も「ラジオ英会話」を引退。
別の冠番組が始まりました。
それが「遠山顕の英会話楽習」でした。
生徒に勧めるよいラジオ講座はないか?
そう思って杉田敏先生の「実践ビジネス英語」以外の番組を聴くようになったのは、この2~3年です。
英語関係の全番組を一度は聴いてみて、好みの番組をピックアップし、山を歩きながら、あるいは散歩をしながら聴くようになりました。
「遠山顕の英会話楽習」は、30年近く経って聴いたとき、声が年を取っていることに驚きました。
ずっと聴き続けていたら、多分そうは感じなかったのかもしれません。
民放ラジオの名物パーソナリティーみたいになっていて、その風格にびっくりしました。
新進気鋭の先生が、気がつけばもう70代。
時は流れました。
高校生が聴く英語講座ではなさそうだと感じ、聴き続けることはありませんでした。
昨年度で、杉田敏先生の「実践ビジネス英語」が終了しました。
そして、今回、「遠山顕の英会話楽習」も終わりました。
英語を勉強したい。
そう思った、若かった遠い日に、
遠山顕先生の「英会話入門」。
大杉正明先生の「ラジオ英会話」。
杉田敏先生の「やさしいビジネス英語」。
その3つがそろっていました。
その3番組を浴びるように毎日聴くことができたこと。
私は本当に幸運でした。
あの年の英語番組がつまらなかったら、私は、英語講師を続けることを諦めていたかもしれません。
それにしても、変な時期に番組が終わるものだ・・・。
そう思ったら、後番組は、大杉正明先生の「ラジオでカムカムエヴリバディ」。
NHK総合の朝ドラと連動した番組なんだそうです。
嘘。
大杉先生が復活するんですか?
はあ?
だったら、別の時間帯に復活してくださいよ。
遠山顕先生の番組も続けてくださいよ。
私にとって神3なんですから。
何ですか、それは。
・・・私は混乱しています。
多摩湖自転車歩行者道と並走する狭山境緑道をとことこ歩き、土手の途中、銀色の道しるべを左折。
畑の中の道を行き、横断歩道を渡ると、すぐ、都立小金井公園です。
思った通り、コスモス畑が広がっていました。
春にはヒナゲシ畑だったところです。
天気もよく、涼しくなったので、平日でも小金井公園を散歩している人がちらほら見られました。
風に揺れるコスモス。
戦後すぐの「カムカム英語」の通称で親しまれた英語講座を、私は知りません。
その講師の名前も知りません。
でも、きっと、ある世代の人にとって、その名前とそのテーマ曲と、オープニングの挨拶は、特別な意味のあるものなのだろうと思うのです。
戦争が終わって、好きな英語を好きなだけ学べる時代が来た。
それは、どれほど幸せなことだったろう。
同時に、戦争で傷つき、肉親を失い、財産を失い、運命をねじ曲げられた多くの人にとって、英語を学ぶということは、どういうことだったのだろう?
そうしたことを丁寧に描く番組であることを願います。
Keep listening.
Keep practicing.
And keep on smiling.
Bye!
30年変わらなかったのだろう挨拶を最後も繰り返して、遠山顕先生の番組は明るく終わりました。
ラジオ講座を変革させた人。
この方がいなかったら、今の大西先生の「ラジオ英会話」など、存在が許されるはずもないのです。
ふざけているのかっ・・・で終わっていたでしょう。
ラジオ英語講座は、さらなる進化を遂げていく。
いつか、大西先生も年をとり、また新しい才能が立ち上がる。
大西先生が大御所となり引退し、冠番組を持つようになっても、まだ、私はラジオ英語講座を聴き続けたい。
そう思います。
2021年10月17日
扇山と百蔵山を歩きました。2021年10月。
2021年10月15日(金)、山梨県の扇山と百蔵山を歩きました。
三鷹8:36の中央快速に乗車。
高尾で中央線に乗り換えて、鳥沢駅下車。9:47。
百蔵山と扇山は、何度か歩きましたが、いつもは日曜日に猿橋駅から登山口までバスに乗っていました。
今日は平日なので、バスはありません。
山から駅まではどちらにしろ徒歩。
ならばと、いつもとは逆コースで歩いてみることにしました。
鳥沢駅は、駅前にトイレ。
男性用・女性用・みんなのトイレがそれぞれ1つずつ。
これは、行楽シーズンは行列ができるのかもしれません。
今朝は、電車を降りた人もまばらで、ゆっくり支度できました。
さて出発。9:55。
「扇山」を示す道しるべの通りに歩きだしました。
曲がり角ごとに道しるべがあり、迷うことなく歩いていけました。
舗装道路の坂道を登っていきます。
畑の脇を通ると、農作業中の男性に「こんにちは」と声をかけられました。
お互いマスクはしてないですが、20メートルは離れていますので、安心。
「昨日、あそこらへんに熊が出たよ」
向こう側の林を指さしました。
「えーっ」
「まあ、それを鳴らしてるんなら、大丈夫だと思うけど」
「はあ。気をつけます」
礼を言って歩きながら、ザックにつけていた熊鈴がさらに鳴りやすいように、時計バンドに付け替えました。
何年か前に迷い込んだことのある、大きな公園の入口を左側に見ながら、舗装道路をさらに登っていきます。
やがて、右手にゴルフ場が見えてきました。
ゴルフ場の入り口を通り過ぎると、梨の木平。10:55。
ここが登山口です。
ベンチが整備され、地図も掲示されています。
さて、出発。11:00。
ここから山道になります。
昔は、まぎらわしい横道があるなあと感じた道が、今は見るからに廃道となっていたり、ロープが張られていたりするので、迷うことなく登っていくことができました。
先週の奥高尾は、いつでもマスクができるよう、あごマスクで歩きました。
今日はもう、マスクはザックの中に片づけました。
山の清浄な空気を胸いっぱいに吸います。
そもそも、この急坂をマスクをして歩くのは、私には無理だー。
まだ午前中で元気なので、わりとあっけなく水場まで登ってくることができました。
水場。11:30。
急坂を沢が流れ、地面から突き出たパイプからこんこんと水が湧き出ています。
水に不足は感じていないので、持ってきたスポーツドリンクをごくごく飲んで、ベンチで休憩。
ここから登山道はつづら折り。
樹木の上に青空が見え、もう山頂が近いのを感じます。
つつじ園地への分岐。12:00。
ここでも少し休憩。
大久保のコル。12:20。
縦走路に到達しました。
古い木の道しるべに風情を感じます。
大月市内の山でよく見る、白と赤の道しるべも立っています。
右へ曲がると、思いがけない急坂。
とはいえ急なところは短く、頑張って越えると、扇山山頂。12:40。
先客は、2組。
山頂は広く、10m以上離れて座ることができました。
扇山は、中央線の車窓から見える目立つ山。
まさに扇のような山容なので、誰でもそれとわかります。
思いがけず木々に視界を遮られ、見晴らし良好という印象ではありませんでした。
広い山頂の中でもポイントを選ばないと富士山が見えません。
青く薄い富士山のシルエット。
でも、大きくて、高い。
上の画像がそれです。
いつも、もう少し寒くなってから歩いていたので、冬枯れの山頂からのすっきりとした富士山の記憶が強いのかもしれません。
持ってきたお湯でカレーヌードルを作って食べました。
ああ、山頂のカレーヌードルはおいしい。
さて、出発。12:50。
百蔵山へと縦走します。
ここからが、本日の核心です。
まずは先ほどの大久保のコルまで戻り、そのまま直進。
大久保山から、急な下り坂となります。
これまで、今日と逆コースで歩いていて、つらかったのがこの坂の登りでした。
長い長い急坂が続くのです。
下りは下りで、滑りやすくてつらいんじゃないかなと覚悟していたのですが、そうでもありませんでした。
そろそろと注意して歩かねば下りられない箇所はありました。
でも、しゃがみこんで手をつくところはなく、立ったまま下りていけました。
とは言っても、先週、奥高尾の与瀬神社付近の下りに文句を言っていた自分を訂正。
こちらのほうが、急で長いです。
やっと急坂が終わり、そこからはゆるい上りと下りが繰り返されました。
もう午後だというのに、目指す百蔵山は別の山のように高く遠い。
ときおり、樹間から見える青い山。
遠いなあ。
高いなあ。
あんなに高いところまで、これから登れるのかなあ。
でも、もう時間的に戻ることもできないので、進むしかありません。
やはり、朝の出発が遅いのは、時間に関して気持ちに負荷がかかります。
日没は午後5時頃。
山の日暮れは早いので、午後4時までには、舗装道路に出ていたい。
夕方は熊が出やすいのも気がかりです。
ついに、百蔵山直下の急な登りが始まりました。
左側は切れ落ちた崖です。
とにかく急で、逆コースのときはいつもてこずった道です。
登りならば大丈夫か?
いえ、危険は感じないものの、地獄の急坂でした。
山歩きを再開したばかりの身にはこたえました。
これは、きつい・・・。
こんなところを下っていた自分が信じられない。
休み休み何とか登って、百蔵山山頂。15:10。
山頂は無人でした。
富士山も雲の中。
さあ、下山しよう!
この山は、地元の小学生が遠足で登る山なので、この先の登山道はよく整備されています。
たったか先を急いで、稜線鞍部。15:40。
中央高速と市街地をよく見張らせる場所です。
ベンチがあり、休憩。
逆コースのときは、最初の休憩適地です。
さらに樹林帯の中をとっとこ先を急ぎます。
稜線とは異なり、薄暗く感じます。
道が良いのが救いです。
沢音が聞こえてきて、小さな沢を一歩で渡ると、もうその先は、登山口。
山の神。16:10。
ここから舗装道路です。
ああ、良かった。
急な舗装道路をとことこ下り、大きなトトロのオブジェを撮影し、自販機でコーラを購入し、ごくごく飲みながらさらに歩いていくと、登山口バス停のある、分岐。
猿橋駅への道しるべは随所にあり、地図を出す必要はなく歩いていけました。
左手に総合グラウンドを見ながら、歩道をとことこ歩きます。
道はなお、ずっと下りが続きます。
有名な、日本三奇橋の一つ「猿橋」と、猿橋駅への分岐があり、今日は先を急ごうと猿橋駅へ。
道路から右手に高く岩殿山が見えました。
特徴的な岩肌の山です。
相変わらず、怖そうな見た目です。
中央高速の下を抜け、道しるべを見落とさないように気をつけながら橋を渡り、さてその先。
あれ、道しるべがない?
ここからどう行くの?
と思ったら、歩道橋の側面に「猿橋駅」と書かれた矢印があり、その通りに曲がると、すぐに駅でした。
猿橋駅。16:55。
改札の中に、きれいなトイレがありました。
和式トイレがあるのが、この時期ありがたかったです。
持参のジェル石鹸でよく手を洗い、ホームへ。
猿橋発。17:09。
さあて、帰ろう。
今日は、20時から1コマ、授業です。
三鷹8:36の中央快速に乗車。
高尾で中央線に乗り換えて、鳥沢駅下車。9:47。
百蔵山と扇山は、何度か歩きましたが、いつもは日曜日に猿橋駅から登山口までバスに乗っていました。
今日は平日なので、バスはありません。
山から駅まではどちらにしろ徒歩。
ならばと、いつもとは逆コースで歩いてみることにしました。
鳥沢駅は、駅前にトイレ。
男性用・女性用・みんなのトイレがそれぞれ1つずつ。
これは、行楽シーズンは行列ができるのかもしれません。
今朝は、電車を降りた人もまばらで、ゆっくり支度できました。
さて出発。9:55。
「扇山」を示す道しるべの通りに歩きだしました。
曲がり角ごとに道しるべがあり、迷うことなく歩いていけました。
舗装道路の坂道を登っていきます。
畑の脇を通ると、農作業中の男性に「こんにちは」と声をかけられました。
お互いマスクはしてないですが、20メートルは離れていますので、安心。
「昨日、あそこらへんに熊が出たよ」
向こう側の林を指さしました。
「えーっ」
「まあ、それを鳴らしてるんなら、大丈夫だと思うけど」
「はあ。気をつけます」
礼を言って歩きながら、ザックにつけていた熊鈴がさらに鳴りやすいように、時計バンドに付け替えました。
何年か前に迷い込んだことのある、大きな公園の入口を左側に見ながら、舗装道路をさらに登っていきます。
やがて、右手にゴルフ場が見えてきました。
ゴルフ場の入り口を通り過ぎると、梨の木平。10:55。
ここが登山口です。
ベンチが整備され、地図も掲示されています。
さて、出発。11:00。
ここから山道になります。
昔は、まぎらわしい横道があるなあと感じた道が、今は見るからに廃道となっていたり、ロープが張られていたりするので、迷うことなく登っていくことができました。
先週の奥高尾は、いつでもマスクができるよう、あごマスクで歩きました。
今日はもう、マスクはザックの中に片づけました。
山の清浄な空気を胸いっぱいに吸います。
そもそも、この急坂をマスクをして歩くのは、私には無理だー。
まだ午前中で元気なので、わりとあっけなく水場まで登ってくることができました。
水場。11:30。
急坂を沢が流れ、地面から突き出たパイプからこんこんと水が湧き出ています。
水に不足は感じていないので、持ってきたスポーツドリンクをごくごく飲んで、ベンチで休憩。
ここから登山道はつづら折り。
樹木の上に青空が見え、もう山頂が近いのを感じます。
つつじ園地への分岐。12:00。
ここでも少し休憩。
大久保のコル。12:20。
縦走路に到達しました。
古い木の道しるべに風情を感じます。
大月市内の山でよく見る、白と赤の道しるべも立っています。
右へ曲がると、思いがけない急坂。
とはいえ急なところは短く、頑張って越えると、扇山山頂。12:40。
先客は、2組。
山頂は広く、10m以上離れて座ることができました。
扇山は、中央線の車窓から見える目立つ山。
まさに扇のような山容なので、誰でもそれとわかります。
思いがけず木々に視界を遮られ、見晴らし良好という印象ではありませんでした。
広い山頂の中でもポイントを選ばないと富士山が見えません。
青く薄い富士山のシルエット。
でも、大きくて、高い。
上の画像がそれです。
いつも、もう少し寒くなってから歩いていたので、冬枯れの山頂からのすっきりとした富士山の記憶が強いのかもしれません。
持ってきたお湯でカレーヌードルを作って食べました。
ああ、山頂のカレーヌードルはおいしい。
さて、出発。12:50。
百蔵山へと縦走します。
ここからが、本日の核心です。
まずは先ほどの大久保のコルまで戻り、そのまま直進。
大久保山から、急な下り坂となります。
これまで、今日と逆コースで歩いていて、つらかったのがこの坂の登りでした。
長い長い急坂が続くのです。
下りは下りで、滑りやすくてつらいんじゃないかなと覚悟していたのですが、そうでもありませんでした。
そろそろと注意して歩かねば下りられない箇所はありました。
でも、しゃがみこんで手をつくところはなく、立ったまま下りていけました。
とは言っても、先週、奥高尾の与瀬神社付近の下りに文句を言っていた自分を訂正。
こちらのほうが、急で長いです。
やっと急坂が終わり、そこからはゆるい上りと下りが繰り返されました。
もう午後だというのに、目指す百蔵山は別の山のように高く遠い。
ときおり、樹間から見える青い山。
遠いなあ。
高いなあ。
あんなに高いところまで、これから登れるのかなあ。
でも、もう時間的に戻ることもできないので、進むしかありません。
やはり、朝の出発が遅いのは、時間に関して気持ちに負荷がかかります。
日没は午後5時頃。
山の日暮れは早いので、午後4時までには、舗装道路に出ていたい。
夕方は熊が出やすいのも気がかりです。
ついに、百蔵山直下の急な登りが始まりました。
左側は切れ落ちた崖です。
とにかく急で、逆コースのときはいつもてこずった道です。
登りならば大丈夫か?
いえ、危険は感じないものの、地獄の急坂でした。
山歩きを再開したばかりの身にはこたえました。
これは、きつい・・・。
こんなところを下っていた自分が信じられない。
休み休み何とか登って、百蔵山山頂。15:10。
山頂は無人でした。
富士山も雲の中。
さあ、下山しよう!
この山は、地元の小学生が遠足で登る山なので、この先の登山道はよく整備されています。
たったか先を急いで、稜線鞍部。15:40。
中央高速と市街地をよく見張らせる場所です。
ベンチがあり、休憩。
逆コースのときは、最初の休憩適地です。
さらに樹林帯の中をとっとこ先を急ぎます。
稜線とは異なり、薄暗く感じます。
道が良いのが救いです。
沢音が聞こえてきて、小さな沢を一歩で渡ると、もうその先は、登山口。
山の神。16:10。
ここから舗装道路です。
ああ、良かった。
急な舗装道路をとことこ下り、大きなトトロのオブジェを撮影し、自販機でコーラを購入し、ごくごく飲みながらさらに歩いていくと、登山口バス停のある、分岐。
猿橋駅への道しるべは随所にあり、地図を出す必要はなく歩いていけました。
左手に総合グラウンドを見ながら、歩道をとことこ歩きます。
道はなお、ずっと下りが続きます。
有名な、日本三奇橋の一つ「猿橋」と、猿橋駅への分岐があり、今日は先を急ごうと猿橋駅へ。
道路から右手に高く岩殿山が見えました。
特徴的な岩肌の山です。
相変わらず、怖そうな見た目です。
中央高速の下を抜け、道しるべを見落とさないように気をつけながら橋を渡り、さてその先。
あれ、道しるべがない?
ここからどう行くの?
と思ったら、歩道橋の側面に「猿橋駅」と書かれた矢印があり、その通りに曲がると、すぐに駅でした。
猿橋駅。16:55。
改札の中に、きれいなトイレがありました。
和式トイレがあるのが、この時期ありがたかったです。
持参のジェル石鹸でよく手を洗い、ホームへ。
猿橋発。17:09。
さあて、帰ろう。
今日は、20時から1コマ、授業です。
2021年10月14日
高校数Ⅱ「三角関数」。三角関数の最大・最小。
問題 関数 y=4sin^2 θ-4cos θ+1 (0≦θ<2π) の最大値と最小値を求めよ。またそのときの θ の値を求めよ。
はい。
テストによく出る重要問題です。
こういう式の見た目だと、何のことやらもうわからない、となる人もいます。
関数は、x と y を使うもの。
こんなのは関数ではない。
そういう固定観念が強いため、そうではない見た目のものに関する抵抗感があるのだと思います。
でも、これも関数です。
これはどういう関数なのでしょう?
関数のそもそもの定義に戻りましょう。
「x の値が定まると、それによって y の値がただ1つに定まるとき、y を x の関数という」
これが定義です。
では、今回、何の値が定まると、それによって y の値がただ1つに定まるのでしょうか。
θ です。
θ の値が定まると、それによって、y の値はただ1つに定まるのです。
ところが、ここで厄介なのは、θ 軸とy 軸で座標平面にこのグラフを描くのは大変しんどいということ。
θ は角の大きさですが、この問題で y の大きさと深くかかわっているのは、sin^2 θ とcos θ だということです。
ここまで学習が進んでも、・・・いや、ここまで学習が進んだからこそでしょうか、基本を忘れ、θ とsin θ とをしばしば混同してしまう人がいます。
サインやコサインを角の大きさと混同してしまうのです。
混乱したら基本に戻りましょう。
θ は角の大きさ。
サインやコサインは、三角比です。
この問題では、θ と y との関係を直接見ようとすると難しすぎます。
ではどうするか?
サインやコサインの値と y の値との関係なら、何か法則を見抜けるのではないか?
はあ?
・・・サインとコサインのどちらと?
両方あると、いちいち両方のことを考えなくてはならず、難しい・・・。
しかし、どちらかに統一すれば、わかりやすくなります。
そうです。
まず、式を、サインかコサインのどちらかに統一するのです。
この先、加法定理や2倍角の公式などが出てきた後の三角関数でもそうです。
サインかコサインに統一した式にすれば、関係がすっきりします。
どちらにするか?
どちらなら、もう片方に直すことは可能か?
この問題では、数Ⅰ「三角比」の頃から学習している三角比の相互関係の公式が役立ちます。
sin^2 θ+cos^2 θ=1
これを使えば、サインはコサインに、コサインはサインに書き換えることができます。
sin^2 θ=1-cos^2 θ を、代入できます。
y=4sin^2 θ-4cos θ+1
=4(1-cos^2 θ)-4cos θ+1
=4-4cos^2 θ-4cos θ+1
=-4cos^2 θ-4cos θ+5
このままでもいいのですが、もっと見やすくするために、cos θ を別の文字に置き換えてみましょう。
そういうときは、t を使うことが多いです。
cos θ=t とおく。(-1≦t≦1)
うん?
何でこんな変域が突然出てきたの?
これ、忘れがちなのですが、コサインもサインも、変域は-1から1までです。
これは、サイン・コサインの定義からきています。
半径1の単位円上の点P(x , y)と原点を結んだ動径OPと、x軸の正の方向とのなす角を θ とすると、
sinθ=y、cosθ=x
でした。
x も y も単位円上の座標ですから、-1から1までしか動けません。
さて、cos θ=t を先ほどの関数に代入しましょう。
y=-4t^2-4t+5
ああ、これは、普通の2次関数ですよね。
平方完成しましょう。
y=-4(t^2+t)+5
=-4(t+1/2)2+1+5
=-4(t+1/2)2+6
平方完成は、上のように、まず係数でくくると、やりやすくなります。
無理に一度でやって、符号ミスや( )内の定数項を間違えてしまう人は、かなり損をしています。
せっかく解き方がわかったのですから、丁寧に解いていきましょう。
平方完成したので、放物線の頂点の座標がわかりました。
これは上に凸の放物線。
頂点の座標は、(-1/2 , 6)。
t=-1/2のとき、最大値6だということです。
え?
どういうこと?
そう感じる人は、2次関数の最大・最小ということを忘れてしまっているのかもしれません。
「2次関数の最大値・最大値」というのは、yの値の最大値・最小値ということです。
ここでモヤモヤする場合は、数Ⅰ「2次関数」の復習をしましょう。
t=-1/2のとき、最大値6
しかし、これで最終解答とするわけにはいきません。
t は自分で勝手に定義した文字です。
戻しましょう。
cos θ=t とおいたのでした。
だから、cos θ=-1/2 です。
このままでも、まだ最終解答ではありません。
求めるのは、コサインの値ではなく、θ の大きさです。
cos θ=-1/2
すなわち、
θ=2/3π、4/3π です。
θ=2/3π、4/3π のとき、最大値6。
これが最大値の最終解答です。
最小値も求めるのでした。
放物線は永遠に下に向かっていくから、最小値はない?
・・・いいえ。
繰り返しますが、t には、定義域がありました。
y==-4(t+1/2)^2+6
という2次関数で、定義域は、-1≦t≦1 です。
定義域のある最大値・最小値。
これも、数Ⅰ「2次関数」で学習した内容です。
モヤモヤしたら復習してください。
上に凸の放物線は、頂点のところが最大値。
頂点から離れると、yの値はどんどん小さくなっていきます。
-1≦t≦1 という定義域の中で、頂点の t=-1/2 からより遠いのは、t=1 です。
このとき、yの値は最小になります。
この場合、
y==-4(t+1/2)^2+6
という式に、t=1を代入しても、同じ値が出ますが、少し計算が面倒臭いです。
平方完成する前の式に代入したほうが計算ミスを防げます。
同じ式ですから、結果は同じです。
y=-4t^2-4t+5 に t=1を代入して、
y=-4-4+5
=-3
t=1のとき、最小値-3
これも、t=1のままでは最終解答とはなりません。
cos θ=1
よって、
θ=0
これで、答が出ました。
最終解答は、
θ=2/3π、4/3π のとき、最大値6
θ=0 のとき、最小値-3
以上です。
そもそも、三角関数がよくわからないのに加えて、数Ⅰ「2次関数」で学習した内容を忘れているので、こういう問題が解けない・・・。
そういう人が多いです。
作業手順の暗記で済まそうとしても、手順が何段階にも及ぶので、覚えきれない・・・。
理解しましょう。
わからないことがあったら、それを解決しましょう。
数Ⅰ「三角比」や「2次関数」で学習したことは、今後も、本当によく使います。
はい。
テストによく出る重要問題です。
こういう式の見た目だと、何のことやらもうわからない、となる人もいます。
関数は、x と y を使うもの。
こんなのは関数ではない。
そういう固定観念が強いため、そうではない見た目のものに関する抵抗感があるのだと思います。
でも、これも関数です。
これはどういう関数なのでしょう?
関数のそもそもの定義に戻りましょう。
「x の値が定まると、それによって y の値がただ1つに定まるとき、y を x の関数という」
これが定義です。
では、今回、何の値が定まると、それによって y の値がただ1つに定まるのでしょうか。
θ です。
θ の値が定まると、それによって、y の値はただ1つに定まるのです。
ところが、ここで厄介なのは、θ 軸とy 軸で座標平面にこのグラフを描くのは大変しんどいということ。
θ は角の大きさですが、この問題で y の大きさと深くかかわっているのは、sin^2 θ とcos θ だということです。
ここまで学習が進んでも、・・・いや、ここまで学習が進んだからこそでしょうか、基本を忘れ、θ とsin θ とをしばしば混同してしまう人がいます。
サインやコサインを角の大きさと混同してしまうのです。
混乱したら基本に戻りましょう。
θ は角の大きさ。
サインやコサインは、三角比です。
この問題では、θ と y との関係を直接見ようとすると難しすぎます。
ではどうするか?
サインやコサインの値と y の値との関係なら、何か法則を見抜けるのではないか?
はあ?
・・・サインとコサインのどちらと?
両方あると、いちいち両方のことを考えなくてはならず、難しい・・・。
しかし、どちらかに統一すれば、わかりやすくなります。
そうです。
まず、式を、サインかコサインのどちらかに統一するのです。
この先、加法定理や2倍角の公式などが出てきた後の三角関数でもそうです。
サインかコサインに統一した式にすれば、関係がすっきりします。
どちらにするか?
どちらなら、もう片方に直すことは可能か?
この問題では、数Ⅰ「三角比」の頃から学習している三角比の相互関係の公式が役立ちます。
sin^2 θ+cos^2 θ=1
これを使えば、サインはコサインに、コサインはサインに書き換えることができます。
sin^2 θ=1-cos^2 θ を、代入できます。
y=4sin^2 θ-4cos θ+1
=4(1-cos^2 θ)-4cos θ+1
=4-4cos^2 θ-4cos θ+1
=-4cos^2 θ-4cos θ+5
このままでもいいのですが、もっと見やすくするために、cos θ を別の文字に置き換えてみましょう。
そういうときは、t を使うことが多いです。
cos θ=t とおく。(-1≦t≦1)
うん?
何でこんな変域が突然出てきたの?
これ、忘れがちなのですが、コサインもサインも、変域は-1から1までです。
これは、サイン・コサインの定義からきています。
半径1の単位円上の点P(x , y)と原点を結んだ動径OPと、x軸の正の方向とのなす角を θ とすると、
sinθ=y、cosθ=x
でした。
x も y も単位円上の座標ですから、-1から1までしか動けません。
さて、cos θ=t を先ほどの関数に代入しましょう。
y=-4t^2-4t+5
ああ、これは、普通の2次関数ですよね。
平方完成しましょう。
y=-4(t^2+t)+5
=-4(t+1/2)2+1+5
=-4(t+1/2)2+6
平方完成は、上のように、まず係数でくくると、やりやすくなります。
無理に一度でやって、符号ミスや( )内の定数項を間違えてしまう人は、かなり損をしています。
せっかく解き方がわかったのですから、丁寧に解いていきましょう。
平方完成したので、放物線の頂点の座標がわかりました。
これは上に凸の放物線。
頂点の座標は、(-1/2 , 6)。
t=-1/2のとき、最大値6だということです。
え?
どういうこと?
そう感じる人は、2次関数の最大・最小ということを忘れてしまっているのかもしれません。
「2次関数の最大値・最大値」というのは、yの値の最大値・最小値ということです。
ここでモヤモヤする場合は、数Ⅰ「2次関数」の復習をしましょう。
t=-1/2のとき、最大値6
しかし、これで最終解答とするわけにはいきません。
t は自分で勝手に定義した文字です。
戻しましょう。
cos θ=t とおいたのでした。
だから、cos θ=-1/2 です。
このままでも、まだ最終解答ではありません。
求めるのは、コサインの値ではなく、θ の大きさです。
cos θ=-1/2
すなわち、
θ=2/3π、4/3π です。
θ=2/3π、4/3π のとき、最大値6。
これが最大値の最終解答です。
最小値も求めるのでした。
放物線は永遠に下に向かっていくから、最小値はない?
・・・いいえ。
繰り返しますが、t には、定義域がありました。
y==-4(t+1/2)^2+6
という2次関数で、定義域は、-1≦t≦1 です。
定義域のある最大値・最小値。
これも、数Ⅰ「2次関数」で学習した内容です。
モヤモヤしたら復習してください。
上に凸の放物線は、頂点のところが最大値。
頂点から離れると、yの値はどんどん小さくなっていきます。
-1≦t≦1 という定義域の中で、頂点の t=-1/2 からより遠いのは、t=1 です。
このとき、yの値は最小になります。
この場合、
y==-4(t+1/2)^2+6
という式に、t=1を代入しても、同じ値が出ますが、少し計算が面倒臭いです。
平方完成する前の式に代入したほうが計算ミスを防げます。
同じ式ですから、結果は同じです。
y=-4t^2-4t+5 に t=1を代入して、
y=-4-4+5
=-3
t=1のとき、最小値-3
これも、t=1のままでは最終解答とはなりません。
cos θ=1
よって、
θ=0
これで、答が出ました。
最終解答は、
θ=2/3π、4/3π のとき、最大値6
θ=0 のとき、最小値-3
以上です。
そもそも、三角関数がよくわからないのに加えて、数Ⅰ「2次関数」で学習した内容を忘れているので、こういう問題が解けない・・・。
そういう人が多いです。
作業手順の暗記で済まそうとしても、手順が何段階にも及ぶので、覚えきれない・・・。
理解しましょう。
わからないことがあったら、それを解決しましょう。
数Ⅰ「三角比」や「2次関数」で学習したことは、今後も、本当によく使います。
2021年10月11日
高校英語。無生物主語。
無生物主語。
突然出てくるこの言葉にまず違和感を抱く人がいて、それでわかりにくくなってしまう側面があります。
「無生物主語」というのは、生物ではないもの、すなわち「無生物」が主語となっている表現ということです。
高校になると古文で学習しますが、昔の日本語は、無生物が動作主となることは、基本的にありえなかったのです。
動作をするのは、生物だけ。
しかし、現代では、日本人の多くが英語を学びますから、無生物主語を見慣れています。
だから、無生物主語の文を、普通の文だなあと感じる人もいるかもしれません。
The bad weather made us cancel the trip.
直訳は、「悪天候が私たちに旅行をキャンセルさせた」。
意味をとるだけなら、この直訳のままの把握で十分なのです。
make は、「~させる」という意味の使役動詞。
文型はSVOCで、Cは原形不定詞(動詞の原形)を用います。
上の文では、cancel が、「キャンセルする」という意味の動詞で、それが原形不定詞として使用されています。
とはいえ、「悪天候が私たちに旅行をキャンセルさせた」と、日本語の日常会話で言うかといえば、そんな言い方は、今もしないです。
悪天候のせいで、私たちは旅行をキャンセルした。
日本語ではこのように表現します。
人や動物が動作主として存在しているときに、あえて無生物主語の文は使いません。
日本語と英語の大きな違いの1つです。
だから、無生物主語の問題でむしろ難しいのは、日本語を英語に直す英作文問題です。
無生物を主語にする発想がないために英作文できないという事態が起こりやすくなります。
問題 次の日本語を英語に直しなさい。
(1) 悪天候のせいで、私たちは旅行をキャンセルした。(make を用いて)
(2) この薬を飲めば、気分がよくなるでしょう。(make を用いて)
(3) 彼は自尊心が強いので、その申し出を受け入れなかった。(prevent を用いて)
(4) このバスに乗ると駅に着きます。(take を使って)
(5) その歌を聴くと、私は母を思い出す。(remind を使って)
良いことでも悪いことでも、原因となることを無生物主語として文を作っていけば、わりと素直に英文になるのですが、日本語にこだわり、日本語の構造のまま英文にしようとすると、苦労することになります。
(1) 悪天候のせいで、私たちは旅行をキャンセルした。(make を用いて)
これを、
We canceled the trip because of the bad weather.
と、英文にする能力はあるものの、make の使いどころがわからず、困惑してしまう人もいると思います。
make を用いてという指示があるので、使っていなければ誤答となります。
無生物主語を使うのだとピンとくれば、簡単に解決します。
(2) この薬を飲めば、気分がよくなるでしょう。(make を用いて)
If you take this medicine, you will feel better.
という文なら作れるのに、make を使えと言われて、しぶしぶ、
If you make this medicine, you will feel better.
とか、
If you take this medicine, you will make better.
といった残念な誤用をしてしまう人もいます。
ある程度の英語力はあるのに、もったいないです。
正解は、
This medicine will make you feel better. です。
(3) 彼は自尊心が強いので、その申し出を受け入れなかった。(prevent を用いて)
prevent は、無生物主語がテスト範囲なら出題される可能性の高い問題ですが、何となく苦手意識があって、むしろそこを曖昧にしてしまう人がいます。
正解は、
His pride prevented him from accepting the offer.
です。
prevent は「妨げる」という意味の動詞。
主語+prevent+目的語+from ~ing の語順をしっかり覚えておけば大丈夫です。
prevent の他、keep や stop も、同じ意味、同じ構造の文で使います。
後ろのfom~ing のところを覚えていなければ、正しい文を作れない。
こういうのは、テストに出るに決まっています。
何だか覚えにくいとき、「こういう細かいことは、どうせテストに出ない」と考え、結果、がっつりテストに出ていて後悔する・・・。
この繰り返しからの脱却を図りましょう。
(4) このバスに乗ると駅に着きます。(take を使って)
Take this bus and you will get to the station.
これは、正解。
別解として文句のつけようがありません。
出題者の意図した正解は、
This bus takes you to the station.
だと思いますが。
(5) その歌を聴くと、私は母を思い出す。(remind を使って)
正解は、
The song reminds me of my mother.
主語+remind+目的語+of+名詞(動名詞)
この構造を覚える必要があるので、これもよくテストに出ます。
前置詞が使われているとき、その前置詞に神経を払う習慣をつけましょう。
そういうところがテストに出ます。
とにかく、覚えて使うだけ。
理解して、覚えて、活用する。
それがわかっている人は、特に苦労しないところです。
しかし、学校の英文法のテキストの左側の解説ページで例文をよく確認したにも関わらず、右側の練習問題のページでそれを全く使わず、自分の感覚で問題を解く人が案外多いのです。
何を学んでも、それはそれとして、問題は自分の感覚で解く・・・。
理解して、覚えて、活用する。
それが学習のサイクルですが、そういうサイクル自体を知らない子がいます。
確かに、表だってそんなことを教わることはほとんどないのかもしれません。
小学校の頃から、そんなことは教わらなかった。
だから、そういうサイクルがあることをそもそも知らず、理解はするけれど、覚えないし、活用しない・・・。
理解したら、覚えて、活用しなければならない、ということを体得していない。
勉強が苦手な子には、そういう「そもそも」のところがわかっていない子がいます。
理解したら、もう活用できると思っている子。
理解しても、それはそれとして、活用しない子。
自分が何を学んでいるのか、何を要求されているのか、ピンときていないようなのです。
「無生物主語」の学習をしているのですから、とにかく無生物の主語をまず考えれば、そこから何か続けていけると思うのですが、その発想がない人がいます。
例えば、上の問題で、
(2) この薬を飲めば、気分がよくなるでしょう。(make を用いて)
この文は、今は中学生でも学習します。
そんなに難しい問題ではありません。
しかし、全くわからないと白紙にしてきてしまう子は高校生でも多いです。
「そうか・・・。じゃあ、主語から考えてみましょうか。この文の主語は何でしょうか」
「make?」
「うん?それは動詞ですよ。主語は?」
「・・・get?」
「いや、主語を訊いているんですよ」
「・・・」
「・・・」
主語という言葉の意味が、わかっていない。
高校生になっても、わかっていない。
というよりも、考えることと他人の話を聞くこととを同時にできなくて混乱してしまう人もいるのかもしれません。
会話をするとき、基本動揺していて、相手の言うことがよく理解できず、勘で答えてしまう。
では、一方的に解説を聞く授業なら落ち着いて聴き取れるのかというと、あまり理解できない。
何が大事であるか、話を聞くだけではよくわからない・・・。
ここを突破していくのが、個別指導です。
上の会話では終わらないのです。
「主語です。主語。わかりますか?言ってみて。リピート。『主語』と言ってみましょう」
「・・・主語?」
「そう。主語です。主語ですよ。主語という意味、わかる?」
「・・・」
「文の中の、誰々はとか、何々がという部分です。主語。わかりますか?」
「・・・(黙ってうなずく)」
「この文の主語は、何でしょうか?」
私が何を問いかけているか、とにかくそれを理解できるまで、会話を続けます。
ホワイトボードにも書きます。
勉強が苦手な子の中には、音声を聴き取るのが苦手な子がいます。
耳が悪いということではなく、音声の意味を把握するのが苦手のようです。
しかも、聴き取れていないのに、理解したふりをすることに慣れています。
理解できなくても仕方ないと半分諦めているのかもしれません。
理解しなくても大丈夫だと、自分の都合のよいように解釈している可能性もあります。
それで会話がトンチンカンなものになると、「バレた」と思うのか、突然動揺します。
逆に言えば、そうした子は、ここを突破すれば、理解できます。
「無生物主語を勉強しているのだから、無生物を主語にする」
ホワイトボードに大書して、生徒に声を出して読ませ、この文の意味がわかるか、問いかけたことがあります。
沈黙の続く生徒に、続いて私は語りました。
「今は、無生物主語を勉強しているのだから、無生物主語を使えば正解になるように問題が作られています」
「・・・あ!そういうことか!」
何でそれに気づかないのだろう・・・というようなことに、気づいていない生徒は案外多いのです。
深い霧の中で闇雲に勉強しています。
理解して、覚えて、活用する。
この学習サイクルを身につけましょう。
突然出てくるこの言葉にまず違和感を抱く人がいて、それでわかりにくくなってしまう側面があります。
「無生物主語」というのは、生物ではないもの、すなわち「無生物」が主語となっている表現ということです。
高校になると古文で学習しますが、昔の日本語は、無生物が動作主となることは、基本的にありえなかったのです。
動作をするのは、生物だけ。
しかし、現代では、日本人の多くが英語を学びますから、無生物主語を見慣れています。
だから、無生物主語の文を、普通の文だなあと感じる人もいるかもしれません。
The bad weather made us cancel the trip.
直訳は、「悪天候が私たちに旅行をキャンセルさせた」。
意味をとるだけなら、この直訳のままの把握で十分なのです。
make は、「~させる」という意味の使役動詞。
文型はSVOCで、Cは原形不定詞(動詞の原形)を用います。
上の文では、cancel が、「キャンセルする」という意味の動詞で、それが原形不定詞として使用されています。
とはいえ、「悪天候が私たちに旅行をキャンセルさせた」と、日本語の日常会話で言うかといえば、そんな言い方は、今もしないです。
悪天候のせいで、私たちは旅行をキャンセルした。
日本語ではこのように表現します。
人や動物が動作主として存在しているときに、あえて無生物主語の文は使いません。
日本語と英語の大きな違いの1つです。
だから、無生物主語の問題でむしろ難しいのは、日本語を英語に直す英作文問題です。
無生物を主語にする発想がないために英作文できないという事態が起こりやすくなります。
問題 次の日本語を英語に直しなさい。
(1) 悪天候のせいで、私たちは旅行をキャンセルした。(make を用いて)
(2) この薬を飲めば、気分がよくなるでしょう。(make を用いて)
(3) 彼は自尊心が強いので、その申し出を受け入れなかった。(prevent を用いて)
(4) このバスに乗ると駅に着きます。(take を使って)
(5) その歌を聴くと、私は母を思い出す。(remind を使って)
良いことでも悪いことでも、原因となることを無生物主語として文を作っていけば、わりと素直に英文になるのですが、日本語にこだわり、日本語の構造のまま英文にしようとすると、苦労することになります。
(1) 悪天候のせいで、私たちは旅行をキャンセルした。(make を用いて)
これを、
We canceled the trip because of the bad weather.
と、英文にする能力はあるものの、make の使いどころがわからず、困惑してしまう人もいると思います。
make を用いてという指示があるので、使っていなければ誤答となります。
無生物主語を使うのだとピンとくれば、簡単に解決します。
(2) この薬を飲めば、気分がよくなるでしょう。(make を用いて)
If you take this medicine, you will feel better.
という文なら作れるのに、make を使えと言われて、しぶしぶ、
If you make this medicine, you will feel better.
とか、
If you take this medicine, you will make better.
といった残念な誤用をしてしまう人もいます。
ある程度の英語力はあるのに、もったいないです。
正解は、
This medicine will make you feel better. です。
(3) 彼は自尊心が強いので、その申し出を受け入れなかった。(prevent を用いて)
prevent は、無生物主語がテスト範囲なら出題される可能性の高い問題ですが、何となく苦手意識があって、むしろそこを曖昧にしてしまう人がいます。
正解は、
His pride prevented him from accepting the offer.
です。
prevent は「妨げる」という意味の動詞。
主語+prevent+目的語+from ~ing の語順をしっかり覚えておけば大丈夫です。
prevent の他、keep や stop も、同じ意味、同じ構造の文で使います。
後ろのfom~ing のところを覚えていなければ、正しい文を作れない。
こういうのは、テストに出るに決まっています。
何だか覚えにくいとき、「こういう細かいことは、どうせテストに出ない」と考え、結果、がっつりテストに出ていて後悔する・・・。
この繰り返しからの脱却を図りましょう。
(4) このバスに乗ると駅に着きます。(take を使って)
Take this bus and you will get to the station.
これは、正解。
別解として文句のつけようがありません。
出題者の意図した正解は、
This bus takes you to the station.
だと思いますが。
(5) その歌を聴くと、私は母を思い出す。(remind を使って)
正解は、
The song reminds me of my mother.
主語+remind+目的語+of+名詞(動名詞)
この構造を覚える必要があるので、これもよくテストに出ます。
前置詞が使われているとき、その前置詞に神経を払う習慣をつけましょう。
そういうところがテストに出ます。
とにかく、覚えて使うだけ。
理解して、覚えて、活用する。
それがわかっている人は、特に苦労しないところです。
しかし、学校の英文法のテキストの左側の解説ページで例文をよく確認したにも関わらず、右側の練習問題のページでそれを全く使わず、自分の感覚で問題を解く人が案外多いのです。
何を学んでも、それはそれとして、問題は自分の感覚で解く・・・。
理解して、覚えて、活用する。
それが学習のサイクルですが、そういうサイクル自体を知らない子がいます。
確かに、表だってそんなことを教わることはほとんどないのかもしれません。
小学校の頃から、そんなことは教わらなかった。
だから、そういうサイクルがあることをそもそも知らず、理解はするけれど、覚えないし、活用しない・・・。
理解したら、覚えて、活用しなければならない、ということを体得していない。
勉強が苦手な子には、そういう「そもそも」のところがわかっていない子がいます。
理解したら、もう活用できると思っている子。
理解しても、それはそれとして、活用しない子。
自分が何を学んでいるのか、何を要求されているのか、ピンときていないようなのです。
「無生物主語」の学習をしているのですから、とにかく無生物の主語をまず考えれば、そこから何か続けていけると思うのですが、その発想がない人がいます。
例えば、上の問題で、
(2) この薬を飲めば、気分がよくなるでしょう。(make を用いて)
この文は、今は中学生でも学習します。
そんなに難しい問題ではありません。
しかし、全くわからないと白紙にしてきてしまう子は高校生でも多いです。
「そうか・・・。じゃあ、主語から考えてみましょうか。この文の主語は何でしょうか」
「make?」
「うん?それは動詞ですよ。主語は?」
「・・・get?」
「いや、主語を訊いているんですよ」
「・・・」
「・・・」
主語という言葉の意味が、わかっていない。
高校生になっても、わかっていない。
というよりも、考えることと他人の話を聞くこととを同時にできなくて混乱してしまう人もいるのかもしれません。
会話をするとき、基本動揺していて、相手の言うことがよく理解できず、勘で答えてしまう。
では、一方的に解説を聞く授業なら落ち着いて聴き取れるのかというと、あまり理解できない。
何が大事であるか、話を聞くだけではよくわからない・・・。
ここを突破していくのが、個別指導です。
上の会話では終わらないのです。
「主語です。主語。わかりますか?言ってみて。リピート。『主語』と言ってみましょう」
「・・・主語?」
「そう。主語です。主語ですよ。主語という意味、わかる?」
「・・・」
「文の中の、誰々はとか、何々がという部分です。主語。わかりますか?」
「・・・(黙ってうなずく)」
「この文の主語は、何でしょうか?」
私が何を問いかけているか、とにかくそれを理解できるまで、会話を続けます。
ホワイトボードにも書きます。
勉強が苦手な子の中には、音声を聴き取るのが苦手な子がいます。
耳が悪いということではなく、音声の意味を把握するのが苦手のようです。
しかも、聴き取れていないのに、理解したふりをすることに慣れています。
理解できなくても仕方ないと半分諦めているのかもしれません。
理解しなくても大丈夫だと、自分の都合のよいように解釈している可能性もあります。
それで会話がトンチンカンなものになると、「バレた」と思うのか、突然動揺します。
逆に言えば、そうした子は、ここを突破すれば、理解できます。
「無生物主語を勉強しているのだから、無生物を主語にする」
ホワイトボードに大書して、生徒に声を出して読ませ、この文の意味がわかるか、問いかけたことがあります。
沈黙の続く生徒に、続いて私は語りました。
「今は、無生物主語を勉強しているのだから、無生物主語を使えば正解になるように問題が作られています」
「・・・あ!そういうことか!」
何でそれに気づかないのだろう・・・というようなことに、気づいていない生徒は案外多いのです。
深い霧の中で闇雲に勉強しています。
理解して、覚えて、活用する。
この学習サイクルを身につけましょう。
2021年10月07日
陣馬山一ノ尾根から、与瀬神社へ。2021年10月。
今週も平日に山を歩いてきました。
2021年10月6日(水)、先週の反省を生かし、今週は、人の少なそうなコースを選びました。
三鷹発8:36の中央快速に乗る予定で駅に着くと、電車遅延の情報。
新宿付近で人が線路に立ち入ったというのです。
そうか・・・。
先週までで1年7か月、電車に乗ることもなかったので、遅延の可能性が頭になかった・・・。
高尾で中央線に乗り継ぐのに便利な電車を選んだのに、これでは、乗り継げないか・・・。
電車は、11分遅れて出発。
高尾の乗り継ぎ時間は7分間。
これでは間に合いません。
と思ったら、中央線が高尾駅で待っていてくれるとのこと。
やった、良かった。
無事に予定の中央線に乗車できました。
そんなこんなで、藤野駅下車。
トイレを済ませ、支度して、出発。9:40。
駅の改札から、階段は下りずにそのまま、高尾駅方面に戻るように歩きだします。
中央線の踏切を渡ると、隧道が見えてきます。
ちょっと長い隧道で、平日は案外車の行き来がありました。
歩道は確保されているのですが、トンネルの中は、車の音が凄いんですよね。
隧道を出て、ほっとひと安心。
あとは道なりにとことこ歩いていくだけです。
道路状況を案内する電光掲示板に、
「リバウンド回避。慎重な行動を」
と表示されていました。
全く道路状況ではない。
でも、心より同意。
右手に沢。
温泉街らしい整備された沢です。
宿泊客が散策したりするのでしょう。
陣馬温泉の看板が見えてきて、道しるべの通りに右折。
すぐに次の道しるべが見えてきて、「一ノ尾根」の方向に左折。
まだ舗装道路は続きますが、道は登りが始まりました。
気温は今日も25度越え。
いったいいつになったら涼しくなるのか。
朝から汗がどっと出てきました。
道なりに繰り返し曲がり、最後の分岐は右に折れると、一ノ尾根登山口。10:30。
はあ、暑い。
ちょうどよい石があったので、そこに座って休憩。
ススキが生え、頭上の木からは枯葉がカサコソと落ちてきて、山に秋の気配は少しあるのですが、暑い。
とはいえ、風は冷たく、休んでいると体温は下がってくるのを感じました。
5分ほど休んで、さて出発。
ここから登山道です。
まずは歩きやすい平坦な道がしばらく続き、そこから、岩がちの少し歩きにくい登りがあります。
そこを越えると、また歩きやすい道。
一ノ尾根は、長いけれど、平坦で歩きやすい道が多く、気持ちのよい登山道が続きます。
足元には、コウヤボウキの花。
やはり、山には秋の気配。
人がいないので、マスクを外して歩けるのもありがたいです。
この尾根を初めて歩いた頃によく座ったベンチが朽ちて座れなくなっているのを発見しました。
丸太が朽ちて痩せていき、スカスカになっています。
ちょっと登りが続いた後の、ちょうどよい位置にあるベンチなのですが。
一ノ尾根テラス。11:25。
かなりのスローペースです。
ここは、ベンチやテーブルがある、休憩適地。
人がいないので、のんびり休憩しました。
やはり、平日の山はいいですね。
これで、もっと朝早く出発できると、行動範囲も広がるのですが。
むしろ、朝のラッシュより前に出発すればいいのかな?
一ノ尾根は整備が進み、直登を避けるまき道も作られて、歩きやすい箇所が増えました。
分岐なのに道しるべもないときは、どちらを選んでも、同じ場所に行きつきます。
ときどき、左側から、他の登山道が合流してきます。
合流箇所には、新しいベンチが設置されていることが多いです。
休む場所が沢山あるので、長いけれど歩きやすいコースです。
向こうから、下山してくる人がやってきました。
マスクをしていません。
少し距離はあるけれど、「こんにちは」と声をかけてきたー!
うわ、おっかない。
前回、「こんにちは」と声をかけられても、申し訳ないけれど全部無視すると書いたら、私は手を挙げて応えるというコメントをいただきました。
なるほど。
それで、私も手を挙げたら、
「あ・・・」
と、相手は急に黙り、会釈して通り過ぎていきました。
・・・うん?
あ、そうか。
私の手の挙げ方は、挨拶に反応したというよりも「ストップ」というような手の挙げ方に見えたのか。
でも、これ、良い手段かもしれません。
マスクせずに「こんにちは」は、さすがにやめてほしいですから。
急な登りを越え、林の下を抜けていくと、階段が始まりました。
最後の難所です。
この階段が長い。
休み休み登って、清水茶屋の前から、陣馬山山頂。12:35。
清水茶屋は営業中でした。
火の燃える匂い。
人の話し声。
山の茶店の雰囲気を、店の前からでも久しぶりに感じました。
山頂から一段下がった草地のほうへと歩いていきました。
先客は、4組。
皆、どーんと離れて座っています。
うーん、ソーシャルディスタンシング。
富士山はちょっと薄く青い姿を見せていました。
上の画像がそれです。
さて、帰りの電車を考えると、あまり余裕はありません。
ここも、5分ほど休憩して、出発しました。
まずは明王峠まで、奥高尾の主脈をいきます。
木段を下りていくと、陣馬山で通年おなじみの泥んこ道。
しかし、道の端は乾いていて、まだ歩きやすいほうでした。
木段を下ったり少し登ったり。
まき道を行ったり。
最後の木の根の作る段差を上がっていくと、明王峠。13:20。
ここも人の姿はありませんでした。
それでも、登山道側では、誰か通り過ぎると思うので、茶店の横のベンチで休憩。
ここなら、食事もできますね。
今回、食事はさすがに無理だと諦めていましたが。
ゼリー飲料を手早く飲んで、さて、出発しよう。
下山口には、「通行注意」の掲示がされてありました。
台風19号で登山道が崩落したのです。
・・・2年前の台風被害。
あれから、一度もこの道を歩いていないけれど、登山道崩落とは、どの程度のものなのだろう?
まずは木段を下っていきます。
登りのときは、ここが最後の難所なんですよね。
下りるときは、整備された木段は楽ちんですが。
その先は、ちょっと岩がちの歩きにくい急な下りが続きました。
下りが落ち着き、林道を横切ると、道は随分歩きやすくなっていきました。
崖っぷちの水平な道が続きます。
崩落しているのは、たぶん、こういうところでしょう。
下山口で見た掲示と同じものがもう一度掲げられていて、ああ、ここから崩落個所だとわかりました。
確かに、他より、道幅は狭い。
でも、非常識に細いということはなく、普通に歩ける道幅でした。
この道幅がずっと続くとストレスになるけれど、こんなに短い距離なら、何てことはない。
奥多摩の水根沢林道は、この道幅が、3時間続きましたっけ。
石尾根縦走路も、七ツ石山から鷹ノ巣山までのまき道はこれくらい細い道が延々と続いていました。
あれは、ストレス強かったなあ。
ゆるく下っていくと、小屋跡。14:05。
ここもベンチが並んでいます。
1つに座って、休憩。
このコース、意外に時間がかかります。
下山100分というのがコースタイムだけれど、ちょっとのんびり歩くと、そんな時間では下れないなあ。
さて、再び出発。
緩やかな道が続きます。
ツリフネソウも、キバナアキギリも、もう花の時期は終わり、しぼんだ花がいくつか残っていました。
道はやがて急な下りに。
木段もありますが、半分崩れかけていて、注意して通過。
展望台まで下ってきました。
ベンチがあり、相模湖が見渡せます。
与瀬神社から登るときは、ここが最初の休憩地。
というよりも、もう限界を感じて、ここで気持ち悪くなることもありましたっけ。
朝から登りが続いて。
ここから林の中の急な下りが始まりました。
急だとはわかっていたけれど、こんなに急だったかと、下りてみると気づきます。
登るときは、傾斜をそんなに感じないんですよね。
下ってみると、この道、凄いなと思います。
しかも、案外距離があります。
朝は元気なので、ここまでわりとすぐに到達する感覚でいたけれど、これは確かにバテて当然の道だなあ。
つづら折りの急な下り道。
曲がっても曲がっても、まだ同じような道が繰り返されます。
本当にうんざりする頃に、ようやく、与瀬神社に着きました。15:05。
はあ、良かった。
神社で少し休憩し、急な石段はさすがに避けて、まき道を行きました。
高速道路の上を横断歩道で通過し、階段を下りていきます。
「相模湖駅まで5分」という掲示の通り、線路脇の道へ。
ここはもう街なので、息苦しくても、マスクをしなければ。
まだ夏の気配が少し残る夕方の街は、何だか懐かしい。
相模湖駅。15:20。
次の電車は、中央特快。15:52。
三鷹まで一気に行けます。
この電車、いいなあ。
1番線のホームでトイレを借りて、持参のジェル石鹸で手を念入りに洗い、自販機で炭酸飲料を購入。
3番線のホームのベンチで支度をしたり、炭酸飲料を飲んだりしている間に、もう電車がホームに入ってきました。
さあて、帰って、シャワーを浴びて、授業だ。
2021年10月6日(水)、先週の反省を生かし、今週は、人の少なそうなコースを選びました。
三鷹発8:36の中央快速に乗る予定で駅に着くと、電車遅延の情報。
新宿付近で人が線路に立ち入ったというのです。
そうか・・・。
先週までで1年7か月、電車に乗ることもなかったので、遅延の可能性が頭になかった・・・。
高尾で中央線に乗り継ぐのに便利な電車を選んだのに、これでは、乗り継げないか・・・。
電車は、11分遅れて出発。
高尾の乗り継ぎ時間は7分間。
これでは間に合いません。
と思ったら、中央線が高尾駅で待っていてくれるとのこと。
やった、良かった。
無事に予定の中央線に乗車できました。
そんなこんなで、藤野駅下車。
トイレを済ませ、支度して、出発。9:40。
駅の改札から、階段は下りずにそのまま、高尾駅方面に戻るように歩きだします。
中央線の踏切を渡ると、隧道が見えてきます。
ちょっと長い隧道で、平日は案外車の行き来がありました。
歩道は確保されているのですが、トンネルの中は、車の音が凄いんですよね。
隧道を出て、ほっとひと安心。
あとは道なりにとことこ歩いていくだけです。
道路状況を案内する電光掲示板に、
「リバウンド回避。慎重な行動を」
と表示されていました。
全く道路状況ではない。
でも、心より同意。
右手に沢。
温泉街らしい整備された沢です。
宿泊客が散策したりするのでしょう。
陣馬温泉の看板が見えてきて、道しるべの通りに右折。
すぐに次の道しるべが見えてきて、「一ノ尾根」の方向に左折。
まだ舗装道路は続きますが、道は登りが始まりました。
気温は今日も25度越え。
いったいいつになったら涼しくなるのか。
朝から汗がどっと出てきました。
道なりに繰り返し曲がり、最後の分岐は右に折れると、一ノ尾根登山口。10:30。
はあ、暑い。
ちょうどよい石があったので、そこに座って休憩。
ススキが生え、頭上の木からは枯葉がカサコソと落ちてきて、山に秋の気配は少しあるのですが、暑い。
とはいえ、風は冷たく、休んでいると体温は下がってくるのを感じました。
5分ほど休んで、さて出発。
ここから登山道です。
まずは歩きやすい平坦な道がしばらく続き、そこから、岩がちの少し歩きにくい登りがあります。
そこを越えると、また歩きやすい道。
一ノ尾根は、長いけれど、平坦で歩きやすい道が多く、気持ちのよい登山道が続きます。
足元には、コウヤボウキの花。
やはり、山には秋の気配。
人がいないので、マスクを外して歩けるのもありがたいです。
この尾根を初めて歩いた頃によく座ったベンチが朽ちて座れなくなっているのを発見しました。
丸太が朽ちて痩せていき、スカスカになっています。
ちょっと登りが続いた後の、ちょうどよい位置にあるベンチなのですが。
一ノ尾根テラス。11:25。
かなりのスローペースです。
ここは、ベンチやテーブルがある、休憩適地。
人がいないので、のんびり休憩しました。
やはり、平日の山はいいですね。
これで、もっと朝早く出発できると、行動範囲も広がるのですが。
むしろ、朝のラッシュより前に出発すればいいのかな?
一ノ尾根は整備が進み、直登を避けるまき道も作られて、歩きやすい箇所が増えました。
分岐なのに道しるべもないときは、どちらを選んでも、同じ場所に行きつきます。
ときどき、左側から、他の登山道が合流してきます。
合流箇所には、新しいベンチが設置されていることが多いです。
休む場所が沢山あるので、長いけれど歩きやすいコースです。
向こうから、下山してくる人がやってきました。
マスクをしていません。
少し距離はあるけれど、「こんにちは」と声をかけてきたー!
うわ、おっかない。
前回、「こんにちは」と声をかけられても、申し訳ないけれど全部無視すると書いたら、私は手を挙げて応えるというコメントをいただきました。
なるほど。
それで、私も手を挙げたら、
「あ・・・」
と、相手は急に黙り、会釈して通り過ぎていきました。
・・・うん?
あ、そうか。
私の手の挙げ方は、挨拶に反応したというよりも「ストップ」というような手の挙げ方に見えたのか。
でも、これ、良い手段かもしれません。
マスクせずに「こんにちは」は、さすがにやめてほしいですから。
急な登りを越え、林の下を抜けていくと、階段が始まりました。
最後の難所です。
この階段が長い。
休み休み登って、清水茶屋の前から、陣馬山山頂。12:35。
清水茶屋は営業中でした。
火の燃える匂い。
人の話し声。
山の茶店の雰囲気を、店の前からでも久しぶりに感じました。
山頂から一段下がった草地のほうへと歩いていきました。
先客は、4組。
皆、どーんと離れて座っています。
うーん、ソーシャルディスタンシング。
富士山はちょっと薄く青い姿を見せていました。
上の画像がそれです。
さて、帰りの電車を考えると、あまり余裕はありません。
ここも、5分ほど休憩して、出発しました。
まずは明王峠まで、奥高尾の主脈をいきます。
木段を下りていくと、陣馬山で通年おなじみの泥んこ道。
しかし、道の端は乾いていて、まだ歩きやすいほうでした。
木段を下ったり少し登ったり。
まき道を行ったり。
最後の木の根の作る段差を上がっていくと、明王峠。13:20。
ここも人の姿はありませんでした。
それでも、登山道側では、誰か通り過ぎると思うので、茶店の横のベンチで休憩。
ここなら、食事もできますね。
今回、食事はさすがに無理だと諦めていましたが。
ゼリー飲料を手早く飲んで、さて、出発しよう。
下山口には、「通行注意」の掲示がされてありました。
台風19号で登山道が崩落したのです。
・・・2年前の台風被害。
あれから、一度もこの道を歩いていないけれど、登山道崩落とは、どの程度のものなのだろう?
まずは木段を下っていきます。
登りのときは、ここが最後の難所なんですよね。
下りるときは、整備された木段は楽ちんですが。
その先は、ちょっと岩がちの歩きにくい急な下りが続きました。
下りが落ち着き、林道を横切ると、道は随分歩きやすくなっていきました。
崖っぷちの水平な道が続きます。
崩落しているのは、たぶん、こういうところでしょう。
下山口で見た掲示と同じものがもう一度掲げられていて、ああ、ここから崩落個所だとわかりました。
確かに、他より、道幅は狭い。
でも、非常識に細いということはなく、普通に歩ける道幅でした。
この道幅がずっと続くとストレスになるけれど、こんなに短い距離なら、何てことはない。
奥多摩の水根沢林道は、この道幅が、3時間続きましたっけ。
石尾根縦走路も、七ツ石山から鷹ノ巣山までのまき道はこれくらい細い道が延々と続いていました。
あれは、ストレス強かったなあ。
ゆるく下っていくと、小屋跡。14:05。
ここもベンチが並んでいます。
1つに座って、休憩。
このコース、意外に時間がかかります。
下山100分というのがコースタイムだけれど、ちょっとのんびり歩くと、そんな時間では下れないなあ。
さて、再び出発。
緩やかな道が続きます。
ツリフネソウも、キバナアキギリも、もう花の時期は終わり、しぼんだ花がいくつか残っていました。
道はやがて急な下りに。
木段もありますが、半分崩れかけていて、注意して通過。
展望台まで下ってきました。
ベンチがあり、相模湖が見渡せます。
与瀬神社から登るときは、ここが最初の休憩地。
というよりも、もう限界を感じて、ここで気持ち悪くなることもありましたっけ。
朝から登りが続いて。
ここから林の中の急な下りが始まりました。
急だとはわかっていたけれど、こんなに急だったかと、下りてみると気づきます。
登るときは、傾斜をそんなに感じないんですよね。
下ってみると、この道、凄いなと思います。
しかも、案外距離があります。
朝は元気なので、ここまでわりとすぐに到達する感覚でいたけれど、これは確かにバテて当然の道だなあ。
つづら折りの急な下り道。
曲がっても曲がっても、まだ同じような道が繰り返されます。
本当にうんざりする頃に、ようやく、与瀬神社に着きました。15:05。
はあ、良かった。
神社で少し休憩し、急な石段はさすがに避けて、まき道を行きました。
高速道路の上を横断歩道で通過し、階段を下りていきます。
「相模湖駅まで5分」という掲示の通り、線路脇の道へ。
ここはもう街なので、息苦しくても、マスクをしなければ。
まだ夏の気配が少し残る夕方の街は、何だか懐かしい。
相模湖駅。15:20。
次の電車は、中央特快。15:52。
三鷹まで一気に行けます。
この電車、いいなあ。
1番線のホームでトイレを借りて、持参のジェル石鹸で手を念入りに洗い、自販機で炭酸飲料を購入。
3番線のホームのベンチで支度をしたり、炭酸飲料を飲んだりしている間に、もう電車がホームに入ってきました。
さあて、帰って、シャワーを浴びて、授業だ。
2021年10月04日
中学数学。基本問題もなかなか得点できないとき。
例えば、中3の「2乗に比例する関数」の、yの変域に関する問題。
なお、中学数学では、「定義域」「値域」という言葉は使いません。
x も y も「変域」という言葉を使います。
問題 y=x2 について、x の変域が次のとき、それぞれの y の変域を求めよ。
(1) 1≦x≦2
(2) -3≦x≦-2
(3) -2≦x≦3
これは、都立入試でほぼ毎年出題されてきたので、定期テストでも必ず出題される問題です。
「出るよ、絶対にテストに出るよ」
と生徒に話します。
しかし、それでもなお、確実に正答するには不安な要素があるのです。
(1) について。
これは、正答できる子が大半です。
x=1のとき、y=1
x=2のとき、y=4
だから、1≦y≦4
はい。
正解です。
しかし、(2) は不穏な要素が入ってきています。
中2の1次関数のときも、こういう問題で間違えてしまう子はいました。
x=-3のとき、y=9
x=-2のとき、y=4
だから、9≦y≦4
・・・笑いごとではなく、数学で「4」を取れる可能性のある子でも、1度目はこういう答を書いてしまうことがあります。
(1)で正解したので、もうここで「思考の自動化」が起こるのだと思います。
問題を解く際に、しっかり頭を通して考えることがなく、作業手順でやってしまうのです。
数学があまり好きではない子は、何でも、「作業手順」に変えてしまいます。
両端の値を出して、それを順番に並べて不等式にすればいい。
そのように把握します。
簡単そうに見える問題ほど、あっという間にこの「自動化」が起こります。
「・・・9≦y≦4、ということがあり得ますか?」
そのように問いかけたとき、自力で間違いに気がつく子もいれば、気づかない子もいます。
しかし、テストでの正答率ということでいうと、両者にあまり変わりがありません。
自力で気がついても気がつかなくても、テストのときには、また同じミスをしてしまう可能性は高いです。
思考の「自動化」をしてしまう子は、何度でも、同じように「自動化」してしまいます。
むしろ、頭の回転が速く、小学校の算数の勉強をある意味「なめて」いた子ほど、思考の自動化は起こりやすいのです。
「両端の値を求めるのは構いませんが、その両端の大小に気をつけましょうね」
そのように注意をすると、うなずきますが、テストのときにそれができるかどうかは、本人次第です。
さらに、(3) は、注意が必要です。
x の変域が、0をまたいでいます。
その変域の中で、yの値は、いったん下がって、また上がるのです。
しかし、多くの子が、以下のように間違えます。
x=-2のとき、y=4
x=3のとき、y=9
だから、4≦y≦9
・・・いいえ。
正解は、0≦y≦9 です。
放物線のグラフを見れば一目瞭然ですが、x=0のとき、y=0です。
ここが、最小値です。
「・・・・・・」
「わかりますか?」
「・・・・・・」
ここで固まってしまう子は多いです。
そもそも、何も解説せずに解いてもらっているわけではありません。
例題解説をしたうえでそうなる場合が大半です。
人間の脳というのは、複雑なことをできるだけ簡単にして理解しようとする働きがあるのだそうです。
だから、実際に問題を解き始めると、全て同じ解き方で問題を解いてしまう子は多いです。
文章題のように何行もある問題ならば少しは心構えも異なるのでしょうが、上のような問題は、簡単な計算問題のように見えます。
1つのやり方で処理できるように見えてしまうのでしょう。
「複数のパターンがあります。ゼロをまたぐときは特に注意して」
と、最初に説明しても、自分で解き始めると、一瞬で忘れてしまうようです。
勿論、そんな説明をしなくても、テキストの例題を眺めるだけで複数のパターンを把握する子もいます。
しかし、どんなにはっきり説明し、本人に復唱してもらい、1題ずつは一緒に解いた後でも、複数のパターンを把握せず、全部同じ解き方で解いてしまう子もいます。
間違えて、びっくりしてから、本人の脳がようやく動きだすのです。
1度失敗したら、それ以降は、この問題の解き方を習得する子もいます。
その後は間違えないのなら、大丈夫です。
しかし、混乱が、以後、長く尾を引く子もいます。
宿題は、やはり全て同じ解き方で解いてきてしまいます。
間違った解き方を宿題で沢山練習し、しっかり「身につけて」しまうからか、以後は出来たり出来なかったりの繰り返しです。
言われたときは、正しい解き方ができます。
しかし、1週間後には、また間違った解き方に戻ってしまいます。
3つのパターンがあることが定着しない・・・。
なぜそのようなことになるのでしょうか。
1つ考えられるのは、本人の意識が数学に対してとにかく雑で、細かいことをあまり覚えたくないという気持ちが強い場合。
他のことなら細かいことも覚えられるのですが、数学に対しては神経が雑で、頭を使わないのです。
小学校低学年の算数のように、パッと見たら解き方がわかって、その同じ解き方の練習問題が計算ドリルのように何問も何問も続くと思っているのかもしれません。
つまり、言ってみれば、認識が甘い。
数学に対する神経が、びっくりするほど雑です。
全部、1つの解き方で済まそうとします。
分析なんか面倒だから、勘で解いてしまうのかもしれません。
どのパターンなのかを分析しようという気持ちが感じられません。
何を教わっても、それはそれとして、実際には勘で解きます。
得点の伸びは一朝一夕では期待できません。
もう1つは、本当に理解できない場合です。
関数が、理解できない。
何となく、表面的には問題を一応解いていますが、本質的なことは理解していないのです。
だから、上の問題でも、x の変域によって y の変域が決定することを、そもそも理解していません。
関数のグラフは、その式を満たす x 座標と y 座標をもつ点の集合だということを理解していません。
なぜ式に代入すると x や y の値を求めることができるのか、理解していません。
解き方の作業手順を覚えてやり過ごしているので、複数のパターンがある場合、どんなときにどの解き方をするか、判断できません。
彼らは、グラフの見方をわかっていません。
例えば、上の y=x2 のグラフで、-3≦x≦-2 という部分を見るとき。
この区間で、「xは-3から-2に増加している」とみなすことが理解できないのです。
グラフは下に向かっている。
増加しているわけがない。
減っているに決まっている。
そのように感じているのでしょう。
x座標 と y座標に分けて考えることがなく、1つのものだと思っているのではないかと想像されます。
(3) の問題のようにxの変域が0をまたぐとき、数学が得意な人は、
「グラフで教えれば、そんなのはすぐわかることじゃないの?」
と思うのですが、グラフを見ても、-2≦x≦3 のとき、0≦y≦9 であることが、わからない子は、本当にわからないのです。
「y軸上に落として考えたらわかるのでは?」
というのは、数学が得意な人の考え方です。
相手は、y軸上のすべての点の y 座標は 0 だと思っているほどに、グラフに対して誤解があります。
y軸は、原点を通っているから、y座標はすべて 0 だと思う・・・。
・・・いや、それは、x座標が0だということですよ?
その話は、あまり通じません。
これは、平面を見る感覚に多少の歪みがあるせいではないかと想像されます。
縦方向の動きと横方向の動きに対する感覚が、本人の中で平等ではない。
右上がりの直線に対しては、x も y も増加しているということが理解できるのですが、右下がりの直線、ましてや曲線に対しては、上下の動きとしか見えない。
しかも、その上下の動きがxの動きであるように誤解している・・・。
(3) のような問題の解説の場合、目立つ点の1つ1つの座標を生徒に確認してもらい、間違っていたらいちいち訂正して、座標の変化を確認して、
-2≦x≦3 のとき、0≦y≦9
になると確かめて、これで理解しただろうと思っても、しかし、宿題は、4≦y≦9 という解き方に戻っている可能性は高いです。
1度は理解しても、忘れてしまい、また考えずに自動化で解くやり方に戻ってしまうのです。
理解しようと思えば理解できるけれど、頭を使って考えるのは面倒なので、自動化で解いてしまう・・・。
上手く理解できないし、考えようとしても頭が動かず重くてつらいので、自動化に逃げてしまう・・・。
基本問題が解けない場合には、こうしたことが起こっています。
頭を使わず、考えることを避ける、脳の習慣がついています。
これを変えていくには、時間がかかります。
学習習慣というよりも、脳の習慣を変えなければなりません。
それには、時間がかかります。
ただ、時間はかかりますが、可能です。
簡単なことではないと自覚し始めた生徒と、簡単なことではないと理解してくださっている保護者と、簡単なことではないと理解している講師のもとで、時間をかけていけば、可能です。