2016年10月27日
中間テスト結果出ました。2016年度2学期。
中間テストの結果が出ました。
まだ1人、最も遅いテスト日程だった人からの報告がありませんが、成績の良い人なので大丈夫だと思います。
いつも通り80点台ではないかと予想しています。
後日結果に加えます。
数学 90点台2人 80点台2人 70点台1人 60点台1人 50点未満3人
英語 90点台2人 80点台3人 60点台1人 50点台2人 50点未満1人
全体の傾向としては成績は順調に高得点を維持または上昇中です。
しかし、数学があまり得意ではない女子生徒をどう指導していくかは、今回の、そして永遠の課題と感じます。
彼女たちは真面目ですし、勉強に時間もかけています。
国語などの科目は得意なので、入試に合格し、ハイレベルの中学・高校に通っています。
しかし、数学は、その学校のレベルについていくのは少々苦しいのです。
特に高校数学に入りますと、「体系数学」だの「赤チャート」だので学習するのは、本人にとって必ずしも良いことではありません。
もっと易しい基本的なことに重点を置いて授業をしてくれる高校に通っていれば、数学に苦手意識を持たず、センター試験くらいは楽勝でこなせる学力になるかもしれないのに、これでは数学嫌いな子を増やすためのカリキュラムのようなものだ。
そう思わずにいられません。
ただ、本人たちの学習姿勢に問題がないかといったら、そうではありません。
覚えなければならない公式は、覚えなければならないのに、なぜ覚えないのだろう?
そう思うことは多いです。
中学で学習する公式はそれでも定着するのです。
しかし、高校数学の公式は不思議なほど定着しません。
ほとんど頭に残らないようなのです。
いや、そもそも頭の中に残そうという姿勢が感じられない子が多いです。
問題を解いている間、常にテキストを開いて、公式や例題を見ながら代入して解いています。
早く公式を暗記しよう、暗記してテキストを見ないで解いてみようという姿勢が見られません。
そこを注意し、強制しないと、そのような学習ができません。
数学の公式を頭の中に残すことを諦めているようにすら見えます。
理解しきれない公式で頭の記憶容量を食いたくないと思っているのでしょうか。
人間の頭の記憶容量は、安物のパソコンじゃないんですから、そんなに簡単に一杯にはなりませんよー。
彼女たちは、テスト前にギリギリ公式を詰め込んで、テストが終わったらすぐ忘れる学習姿勢に陥っています。
地歴・公民を学習するときの姿勢で数学も勉強しているのでしょう。
いや、地歴・公民もそんな姿勢で学習しないほうが良いのですが、まあ何とかなるのも事実。
しかし、数学は、一度学習した公式は他の単元でも繰り返し活用することになるので、テストが終わったら忘れてしまうような勉強をしていると、理解できることがどんどん少なくなっていきます。
公式を意識して早めに覚え、生涯忘れないくらいの覚悟をするだけで随分変わる高校生は多いでしょう。
なぜ数学の勉強がそんなに消極的なものになったのでしょうか。
そうなる前にどこかでわからなくなっている可能性が高いです。
そうなる前にどこかでわからなくなっている可能性が高いです。
どこからわからなくなったのかなあ?
どこから興味がなくなったのかなあ?
先日、成績の良い中学生の女子と「座標平面と図形」を学習していて、背中がスッと寒くなるような経験をしました。
座標平面上の三角形の二等分線を求める問題でした。
特に難しい問題ではありません。
彼女の学力なら楽勝のはずなのです。
しかし、ひと通り説明を終わっても、彼女に動きがありませんでした。
「何か質問はある?」
と尋ねても、反応がありません。
「じゃあ、練習問題を問いてみようか」
と声をかけても動きがありません。
「どうしたの?どこがわからない?」
と尋ねると、
「全部わからない」
という返事がありました。
ど、どうして?
計算過程は長いけれど、難しいことは何1つないのに。
1つ1つの過程の意味も明瞭だから、何も難しくないのに。
思い返せば、彼女は、2直線の交点の座標を求める練習のときに少し妙な表情をしていました。
2直線の式を連立方程式として解くと交点の座標が出ることの意味が、よくわかっていなかったのではないか?
直線上の点のx座標とy座標には、その直線の式と同じ関係があることが理解できていないのではないか?
いや、そもそも、座標平面とは何なのかを呑み込めていないのではないか?
グラフとは何であるかわかっていないのではないか?
小学校のときによく描いた折れ線グラフのような感覚で関数のグラフを見ているのではないか?
彼女に限らず、関数の基本練習をしている間はその通りに問題を解いていくことができるけれど、座標平面を用いた応用問題になると何をどう解くのかわからなくなる子がいます。
座標平面とグラフに関するルールを直感的に理解できると全ては易しいのですが、理屈で理解しようとすると説明の言葉も難解で長くなり、理解するのが大変です。
何かが詰まって、上手く理解できなくなっているのかもしれません。
何かが詰まって、上手く理解できなくなっているのかもしれません。
それでも、関数は、理解できればこんな得点源はないのです。
図形はセンスが多少は影響しますが、関数はセンスなんか必要ないです。
定石通りにやることをやるだけで答えが出てきますから。
嘆いている暇はありません。
ここで数学に苦手意識を持つことは阻止しなければ。
2016年10月18日
権現山を歩いてきました。2016年10月。
2016年10月16日(日)、権現山を歩いてきました。
初めて登る山です。
毎週奥高尾でも楽しいのですが、ときには初めての山に挑戦したほうが、危機管理能力が鍛えられる気がします。
さて、権現山はどんな山だろう。
いつもより少し早く、三鷹7:22発。
高尾で中央線に乗り換えて、上野原8:25着。
上野原駅は、改札を出ると階段があり、階段の上で北口と南口に別れていました。
バス停は北口。
駅前の狭い広場にバスが3台停まって発車を待っていました。
それぞれ目的地が違います。
一番事務所側のバスが目的の「松姫峠行き」。
私の後には、三頭山に登るという15名ほどの団体さんが賑やかに乗り込んできました。
そうか。こんな方向から三頭山に登るコースもあるんだなあ。
小菅の湯にも行ける。
中央線沿線の山と奥多摩とが頭の中でつながると、山歩きのコースもさらに多様になりますね。
バスはほぼ満席。
おまわりさんがバスの中に入ってきて、
「遭難が増えているんで。目を通すだけでもいいので、お願いします」
とチラシを配りました。
あっ。
登山届を書いてくるのを忘れた!
警察官を見てようやく思い出すという・・・・。
チラシには「コンパス」というネットで提出できる登山届の案内も載っていました。
今度やってみます。
バス出発。8:30。
初戸。9:05。
予想はしていましたが、降りたのは私1人でした。
バス停から登山口までは少し入り組んだ道のようでしたので、ガイドブックのコピーを手に持ち、常に見ながら歩いていきました。
「初戸バス停の先を左折すると、権現山を示す道しるべがある。初戸橋を渡り、左方向に進めば、再び権現山の道しるべを見る。民家の横を通り、右に折れて、橋を渡った左が権現山の登山道だ」
実際の道もこの通りで、ガイドブックはさすがの描写力です。
分岐ごとに小さい道しるべがあり、登山口まで不安になることはありませんでした。
さて、登山道。
予想外に細い道で、夏草が茂っているせいもあり、少し不明瞭でした。
ジクザグな道をショートカットする人のつけた踏み跡が正しい道を分かりにくくしている印象です。
分岐ごとによく見て、より明瞭な道を選んでいきます。
支尾根に乗ると登山道は広くなりましたが、偽の踏み跡はなおも随所にありました。
広い支尾根を登山道はジクザグに登っていきます。
この支尾根は、どう登るのが最も楽か。
登山道は本来どうつけられているはずか。
そのように全体を概観する力が必要だなあと感じながら、分岐ごとによく確認して歩いていきました。
急登が続きますが、今日は涼しいので、いくら歩いても身体に熱がこもりません。
5分も立ち止まっていると汗が冷えて寒くなってきます。
ようやく山歩きに良い気候になりました。
樹間の向こうに空が見えるけれど、時間的にまだまだこんなところがピークのはずがない。
予想通りそこから登山道は右にぐっと曲がっていきました。
その先に、「権現山」を示す小さい道しるべ。10:30。
そこを過ぎると道は少し緩くなりました。
ベンチはありませんが、丸太などに座れる休憩適地もあります。
その先、地図上にある992mピークはまき道があり、左に見ながら通過。
再び樹間から空が見えて、もうこの先にこれより高いところはなさそうだと思う頃、道も直登になり、ぽんと稜線に出ました。
そこが雨降山。11:10。
座って休んでいる先客の男性に挨拶し、
「今日、初めて人に会いました」
と告げると、
「ああー。さっき、用竹から1人来たけど、俺も道では誰にも会わなかったねえ」
「静かでいい山ですねえ」
少し離れて私も座り、休憩。
この夏の暑さで、速く歩けないことを幾度も体験し、山地図に記された時間より10分増しの計画を立ててきましたが、その予定より20分早く到着。
やはり涼しいと楽です。
ここからは、稜線上を権現山へ。
起伏が少なく、広く歩きやすい登山道が続きました。
スキップしたいような気持で歩いていくと、背後からエンジン音が。
振り返ると、バイクが3台。
わあ、モトクロスの人たちだー。
奥高尾の茶店に通勤するバイクなら見たことがありますが、こんなところでバイクをしかも3台見るとは。
しばらく行くと右手にベンチがあり、木立が切れて山々が見えました。
手前の山は、三頭山かな。
中央の木が育ちすぎて、写真を撮るには少し邪魔でしたが、それもまた良しです。
ガイドブックで1か所気になっていたのが、右側に滑落防止のロープが張られているという地点。
こういう何気ない描写のところが怖いのよと用心してきたのですが、何ということもない平らな痩せ尾根でした。
距離が短いので、怖いと思うこともなく通過します。
凍結していたら厄介ですが、よく乾いたこんな秋の日には何でもないところで安心しました。
その先に、大ムレ権現の小さな建物が見えてきました。
石段を登って、参拝。
その先に右へ登っていく「権現山」の道しるべがありました。
雨降山で会った人の後ろ姿が見えていたのですが、しかし、その人は、山頂方向ではなく、直進していきました。
まき道もあるのかな?
私は道しるべの通りに右に折れ、最後の急登を行きました。
登りでも若干滑るような土の急登でした。
ここを下るのはちょっと嫌だなあと感じながら、山頂へ。
権現山山頂。11:55。
山頂には20人近くの人がいました。
2パーティ+個人が数人という印象です。
ここまでほとんど人に出会わなかったので、そのギャップに驚愕。
・・・・・に、賑やかだなあ。(''_'')
私も端のほうにレジャーシートを出して座りました。
おにぎりを食べた後は、カフェオレと甘いお菓子。
今季初のカフェオレを入れたテルモス持参です。
ようやく温かい飲み物が嬉しい季節になりました。
まだ頭の上は青空ですが、西から曇ってきていました。
山頂付近の木々も育ってきていて、眺望は驚嘆するほどのものではありません。
それでも、晴れ晴れとして気持ち良いことには変わりません。
長居する人が多いので山頂が混雑するのでしょう。
ここからは来た道を戻る予定でしたが、反対方向の「麻生山・浅川峠」の道しるべが示す登山道は来た道よりも緩そうでした。
ここを降りてまき道を戻るほうが、先ほどの急な土の道を下るより楽なんじゃないかな?
ここを登ってくるとき、前を行く人は直進して行ったし。
さっきのバイクもその道を行ったと思う。
地図上にはまき道の表示はないけれども。
さて出発。12:15。
やはり、「麻生山・浅川峠」への道は緩く、段差がきちんとあって歩きやすい道でした。
稜線上の道まで下りてきた分岐には道しるべもありました。
「用竹」を示す道しるべを確認し、やはり予想通りだと安心して歩きだしたのですが、その先、道は急に細くなり、斜面にかろうじて踏み跡がある程度になってきました。
こんなの登山道じゃないよー。
誰かが無理して歩いただけでしょう、ここ。
( ;∀;)
やばい。
本日一番の危険個所でした。
何とか大ムレ権現まで戻って、ひと安心。
滑落しなくて良かったー。
やはり、予定していないことをやるべきではない。
・・・・え?
では、あのバイクは権現山の山頂を通ったの?
・・・・・モトクロス凄いなあ。
後は先ほど来た道を戻ります。
広くて起伏が少なく、歩きやすい道です。
スミレの頃、新緑の頃、紅葉の頃。
季節を変えてまた来ても楽しいだろうなあ。
雨降山。12:50。
ここからは東に続く稜線を用竹へと降りていきます。
しばらく行くと何かよくわからない建物が。
観測所でしょうか?
そこへ入っていく道のほうが広く、左の登山道は草に覆われていて、ちょっとわかりづらかったのですが、こっちで良かったのかなと思っていると「用竹」と書かれた道しるべがあり、不安にならずに済みました。
ところどころ登山道がえぐれていて歩きにくいところもありますが、概ね広い良い道が続きます。
気配に振り返ると、今度は自転車が4台通過。
しばらく行くと、「八重トレコース」の道しるべがありました。13:35。
トレイルランニングのコースにもなっているんだ。(^。^)
歩きやすい良い道ですものね。
ここが二本杉山かな?
その少し先、5分ほど行ったところが、尾続山分岐。
ここはしっかりした道しるべが立っていました。
ここから要害山に行くこともできるようです。
道しるべをよく確認して、用竹へと降りていきます。
ぐっと下っていくと樹木が切れて、ふっと展望が開けました。
ああ、丹沢の山だ。
麓の民家も見えて、箱庭のような眺めでした。
そのすぐ先が墓村の分岐。14:00。
しかし、村への道は夏草が生え、石が多く、荒れた印象です。
ここはもう廃道なのかな。
道しるべを確認して、用竹へ。
その5分先にも、墓村分岐。
こちらは、明瞭な道がありました。
麓が近くなっても道は歩きやすく、滑りやすいところもほとんどありません。
やがて、また分岐。道しるべを確認。
「殿村バス停」への道ではなく、右の「用竹」の道を選んで下っていきます。
一軒家の灰色の尾根が大きく見えてきて、そこで登山道は尽き、そのままほぼV字に舗装道路がつながっていました。
道しるべもありますが、道は一本で、どちらに進むか悩むことはありません。
その先も分岐ごとに道しるべがあり、5分ほどで、朝、バスで通過した県道に出ました。
道路の向かい側が上野原駅に戻るバス停です。
白いベンチのあるバス停。14:40。
次のバスは、15:10。
持ってきた2.5Lのスポーツドリンクは、まだ1L以上残っていました。
次回からは、2L持ってくれば十分かな。
2016年10月14日
アナログ時計が読めない。
もう3年くらい前になりますが、模試責任者の研修を受けていたときに、今の大学生の中にはアナログ時計を読めない子がいるのではないかという話になったことがあります。
試験監督をするアルバイト学生が模試の終了時間の告知をミスする事例があり、それをどう解決するかという話の中で出てきたことでした。
そういう子もいるのかもしれないとは思うものの、実例を見たことはなかったのですが、少し前、若いテレビタレントが、トーク番組で自分はアナログ時計を読めないと話していました。
短い針は数字の通りに読めばいいが、長い針が何分を指すのか読むことができないと言うのです。
「5倍すればいいって教わったけど、長い針は中途半端なところにいることが多いでしょう?」
しかし、その話を聞く側は「5倍すればいい」の時点で「?」という顔をしていました。
例えば、長針が「2」の位置にあるとき、2×5=10で、それは10分を指している。
「5倍する」とは、そういう意味でしょう。
しかし、アナログ時計を読める人は、×5の計算などせず、見たままで時刻を読み取っています。
「2」の目盛りが10分を指すことが頭の中で自動化されています。
だから、中途半端な位置にある「13分」でも「27分」でも自動的に読み取れます。
それができないという話なのでした。
その若いテレビタレントは、俗に言う「おバカタレント」らしいのですが、×5のくだりを聞く限りでは、実はかなり頭が良さそうでした。
自分は何ができないのか。
どのようにできないのか。
原因は何であるか。
それをこんなに具体的に饒舌に語れるのは大変な言語能力です。
これだけのアウトプット能力があればインプット能力も高いのが普通です。
興味がないから勉強せず、だから学校の成績は悪かったというだけで、本来頭の良い子なのだろうなと感じました。
あるいは、タレントイメージとして隠しているだけで、学校の成績も本当は良かったのかもしれません。
それはともかく、アナログ時計に話を戻すと、長針を読める人は「2」を「10」と読むことが自動化されています。
しかし、本来「2」は「10」ではありません。
「2」を「10」に読み替える。
あるいは数字がなくても、丸い時計の針の位置で時刻を読み取る。
大人になってから初めて学ぶのであれば、これは少し難しいことかもしれません。
教えるとしたらどんなふうになるだろうと想像します。
1時間あれば、色んな時刻を読む練習をして、一応読めるようになるでしょうか。
でも、問題は、そのときは読めるようになっても、翌日には忘れてしまう可能性が高いことでしょう。
繰り返し練習しなければ定着しないと思います。
「学習する」ということについて、テレビを見ながら考え込んでしまいました。
教えるとしたらどんなふうになるだろうと想像します。
1時間あれば、色んな時刻を読む練習をして、一応読めるようになるでしょうか。
でも、問題は、そのときは読めるようになっても、翌日には忘れてしまう可能性が高いことでしょう。
繰り返し練習しなければ定着しないと思います。
「学習する」ということについて、テレビを見ながら考え込んでしまいました。
学習したから「2」を「10」と読めるのです。
自分が「2」を「10」と読んでいることを意識しないほど完全に自動化し、定着しているのが、学習が完成した状態でしょう。
目標はそういうところなのですが、しかし、なかなか厳しいのが現実です。
教室での授業を振り返ると、それでも過半数の子どもは、学習するとはどういうことなのかを体験的に会得していると思います。
学習に対しても主体的です。
「学校でこのプリントをもらって、これの類題がテストに出ると言われたから、そういう演習がしたい」
「学校でこのプリントをもらって、これの類題がテストに出ると言われたから、そういう演習がしたい」
と、要求も具体的です。
私は、それでは、テキストのこの問題を解こうと指示し、演習した結果が誤答の場合は、そこが違うよね、ここはこう解くんだよねと指摘し解説します。
すると、次に類題を解くときに改善されています。
授業中には結局改善されなかったことも、テストの答案を後日見ると正答しています。
失敗から学ぶ。
ごく当たり前にそれが機能しています。
自分は何をどう間違えたのか。
それを分析し、正しい解き方を理解し、次に実践する。
学習はそうした作業の繰り返しです。
失敗から学ぶのが、学習能力。
失敗から学ぶのが、学習能力。
ほとんど意識することもないでしょうが、多くの子が持っているものです。
ところが、これが機能していないように感じられる子もいます。
どうも「学習する」ということを学びそこねてしまったようなのです。
まずは外側に表れている問題として、復習をしない子。
このブログにも繰り返し書いていますが、間違えた問題にバツをつけない子です。
直して赤丸をつけて終わりにします。
そこを注意し、それでもバツはつけたくないだろうから、直して青丸をつけるように指示すると、ノートはそのように改善されます。
でも、テキストにチェックを入れません。
テキストに間違えた印のチェックが入っていない場合、何を復習していいのか本人はわかりません。
チェックの入った問題だけ解き直せばいいんだよと説明すると「ああっ」と驚いた顔をする子もいます。
間違えた問題のノートを読み直すだけでも復習になるんだよと説明すると、それも「ああっ」と驚いています。
勉強のやり方を知らないのですね。
こうした反復学習の方法が身についていない子は、できないことはできない状態のままテストを受けてしまいます。
そこを改善できれば成績が飛躍する子はたくさんいます。
しかし、本当に学習能力の高い子は、間違えた問題の解き直しを必要としないのです。
間違えた経験がしっかり本人の頭に残っています。
「復習しなさい」という指示を必要とせず、本人の頭の中でその作業が行われています。
この、表に出ない部分、外側の行動に表れない部分での「学習」が完璧であるほど、表面的には何も復習していないように見えます。
問題を1題解く間に、あらゆる分析が無意識に行われています。
この問題はどの学習事項の問題なのか。
過去に見たどの例題の類題なのか。
自分の頭の中にあるどの解き方が有効なのか。
出題者の意図は何なのか。
そして答え合わせをして間違えたときには。
自分は何をどう間違えたのか。
今後同じミスをしないためにはどうであれば良いのか。
この問題を1題間違えたことで自分が学んだことは何なのか。
こうして書くと大袈裟ですが、問題を1題解く過程で常に意識せずに行われているのがこうした「学習」です。
常に分析的である。
常に何かしら頭が働いている。
学習するということは、そういうことだと思うのです。
それゆえ、学習能力の高い人は、同じ問題の解き直しは本来必要としません。
一度解く過程で、その問題から学べることは全て吸収するからです。
それでも解き直すのは、全て吸収したことの確認です。
解き直したら正解できた。
確かに、自分は学習した。
その確認です。
「学習」はこのように目に見えない形のものですので、学習の形式だけ指示しても、効果が表れない子もいます。
解き直すという作業だけを真似ても、同じことを同じように間違えるだけで、結果の変わらない子です。
解き直すことに効果がないように見えます。
目に見えない「学習」という作業が本人の内側で上手く機能していないのかもしれません。
解き直すという作業だけを真似ても、同じことを同じように間違えるだけで、結果の変わらない子です。
解き直すことに効果がないように見えます。
目に見えない「学習」という作業が本人の内側で上手く機能していないのかもしれません。
何をどうすることが「学習 」なのか、その本質がわかっていないのだと思います。
時間が経って忘れたということではなく、直後に類題を解いても、同じことを同じように間違えます。
そうした場合、理解できていないからだろうと思い、私は解説を加えます。
しかし、その後に類題を解いてもまた同じように間違えます。
その頃になると本人も多少は危機感を抱いて真剣に解いています。
しかし、また同じように間違えるのです。
ようやく、本人から質問が出始めます。
大抵は、「それがわからないということは、一体いつから数学がわからなくなっていたの?」と内心ぞっとするような質問です。
不等号の向きが意味することがわかっていなかったなど、かなり初期の段階で学びそこねたことが影響している場合が多いです。
学習は、自分の内側に向かっていく作業ですが、そういう子の多くは勉強していても他人の目を気にしているのかもしれません。
自分がどう見えているかを気にしているのでしょう。
本当にわかることよりも、わかったふりをすることを重視します。
わからないけれど、わかったふりをする。
わからないけれど、わかったふりをする。
そういう子は、どう見えるかが大切なので、わかって解いている子の頭の中で起こっていることには想像が至らないかもしれません。
頭の中で常に分析しているんだよ。
常に改善しているんだよ。
アップデートを繰り返しているんだよ。
それが「学習する」ということなんだよ。
しかし、いくら口で説明しても、そのように頭を働かすということは具体的にどうすることなのかわからない。
上手く学習できない子の中には、そうした課題を抱えている子もいるように感じます。
ただ、これは目に見えないことなので、頭の中で本当に何も動いていないのかもしれませんが、何か動いているのかもしれません。
その見極めは難しいです。
私は週に1回、スポーツジムでエアロビクスを習っています。
下手の横好きですので、なかなか難しいです。
よせばいいのに上級者クラスにいますので、全体に振りつけが速いですし、手の動きと足の動きは異なるリズムを取ることを要求されることもあります。
よく観察しないと、前回りだとずっと思っていたら、実は後ろ回りだった、という失敗もしがちです。
何だかタイミングが合わないなあと思い、ああ、後ろ回りなんだと気がついて、直そうとするのですが、もう直りません。
頭ではわかっているのですが。
本当にわかっているのですが。
でも、前回りしてしまうんだなあ。
何でかなあ。
脳からの指令に足が上手く反応しないなあ。
何度も同じところを同じように間違えてしまう子も、そのような状態かもしれません。
わかっているんだけど、上手く反応できないんだ。
でも、わかっているんだ。
そういう場合、あと何度か繰り返せば、出来るようになるかもしれません。
時間はかかるけれど、学習はしています。
少なくとも、学習するとはどういうことなのか、わかっています。
学習するとはどういうことか実感できているのなら、夜明けは近い。
そう思います。
2016年10月09日
2乗に比例する関数
「2乗に比例する関数」。
2次関数のうち頂点が原点にあるもののみを中3で学習し、こう呼びます。
高校数学になると、2次関数のグラフは頂点が座標平面上のどこにでも位置し、頂点の座標を求めるところから問題を解き始めないといけません。
しかし、中3のうちはまだ頂点は必ず原点にあります。
その分、簡単です。
テストでよく出題されるのは、与えられたxとyの値の組から、2乗に比例する関数の式を求める問題。
y=ax2 の一般式に代入してaを求めるだけなので、これは比較的易しいです。
次に、式からグラフを描く問題。
次に、式からグラフを描く問題。
描き方がわからない子はまずいないのですが、実際に描いてみると不器用な子は放物線のグラフを描くのにかなり難渋します。
方眼紙に放物線を描くのは私も苦手です。
放物線はフリーハンドでそんなに上手に描けるものではないので、格子点(xもyも整数値の点)はとにかく正確に通って、方眼紙の終わりではグラフの端が楕円にならないよう直線的にすっと抜けていけば、それでまあ良しとしましょう。
採点的にもそれ以上は要求されません。
最もよく出題されるのが、xの変域からyの変域を求める問題です。
最もよく出題されるのが、xの変域からyの変域を求める問題です。
これは都立入試で毎年出題されていますので、中学校の定期テストにも必ず出ます。
例題 y=2x2 で-3≦x≦5のときのyの変域を求めなさい。
この問題を、1次関数のときのように、x=-3のときy=18、x=5のときy=50。
よって、18≦y≦50
と答えてしまう子が多いのです。
xの変域が0をまたぐときは、y=0の値が変域の中にあります。
放物線をイメージすればすぐわかることですが、yの値はいったん小さくなり、0になってから再び大きくなっていくのです。
よってyの最小値は0です。
では最大値は?
x=-3の値とx=5の値と両方を実際に計算しないとわからないでしょうか?
いいえ、これも放物線をイメージすれば、xの値の絶対値が大きいほどyの値が大きくなることがわかりますね。
だから、-3と5を比べて、絶対値の大きいx=5のほうだけ計算します。
したがって、答えは、 0≦y≦50 です。
ここを間違えないように生徒に強調して解説し、さて練習問題を解いてみます。
しかし、練習問題は、2<x≦5 や、-7≦x≦-2 のように、0をまたいでいないものから始まります。
そうして(5)くらいでついに -3≦x≦5 の問題が出てきて、その頃には解説されたことなどすっかり忘れて、やったらダメだよと強調したことをそっくりやってしまう生徒は多いです。
( ̄ー ̄)
一度間違えても、その失敗の経験から二度と同じ轍は踏まないのであれば良いのです。
でも、幾度間違えても翌日にはまた同じ失敗をしてしまう子も多いです。
「学習能力」というのは、失敗から学ぶ能力。
理解力はあるのですが、この学習能力の弱い子が課題だなあとつくづく思います。
何度同じ問題を解き直しても同じことを同じように間違えてしまうのです。
学習するということの根本が何だか上手く機能していないのを感じます。
解き直すときに以前の失敗を意識して改善していくのだということを意識していないようなのです。
「学習する」ということを学びそこねているのかもしれません。
そういう子には「間違えた問題は解き直しなさい」という指示だけでは学力に変化は起こりません。
同じように間違えるだけです。
もっと手取り足取りの指導が必要となります。
ところで、この答え「0≦y≦50」はどう読むでしょうか?
これは「0小なりイコールy小なりイコール50」と読みます。
「<」の読み方が「小なり」です。
学校でこれを習っている子は答えあわせもすんなりいきますし大小関係の把握もスムーズであることが多いのですが、学校の先生の中にはこの読み方を教えない人もいます。
「小なり」という読み方が古臭いことは私も否定しません。
学会で正式に認められた読み方である保証もありません。
でも、この読み方を知らない子に答えを読ませると頭の中で1度日本語に翻訳する作業が必要となります。
「yは0以上50以下」
読む順番が元の不等式とは異なります。
「以上」「以下」だけならまだましですが、「<」の符号の読み方はさらに難しくなります。
0<y<50
の読み方は、「yは0より大きく50未満」。
不等式を見てこの読み方を瞬時にできる子は言語能力がかなり発達している子でしょう。
まあ大抵はぐちゃぐちゃで、宿題の答えあわせは普段の3倍の時間がかかります。
書いてある通りに読むだけの「小なり」の読み方のほうが、覚えてしまえばその後が楽で正確です。
ちなみにこの「小なり」の読み方は、パソコンでその通りに打ち込めば「<」の記号が出てくる、一般に普及した読み方です。
読み方を間違えているだけなら良いのですが、不等号の右と左のどちらが小さいのか理解できていない子もいます。
他のことはわかっているのに、そこだけ知識が陥没している子もひっそりと存在します。
小学校の頃に学びそこねたのでしょう。
最初に間違えて逆に覚えてしまい、どちらが正しいかいつまで経ってもあやふやになっているようです。
そのまま高校生になってしまい、高校数学で苦労する子もいます。
変域の次に学ぶのが変化の割合に関する問題。
この後に学ぶ放物線と直線の交点に関する問題に含まれる内容でもあるので、「変化の割合」として独立して出題されることは少ないです。
2乗に比例する関数の場合、グラフは放物線ですので、変化の割合は一定ではありません。
どの点からどの点までの変化の割合なのか、与えられた条件にそって、yの増加量/xの増加量 の計算をして求めていきます。
どの点からどの点までの変化の割合なのか、与えられた条件にそって、yの増加量/xの増加量 の計算をして求めていきます。
問題 関数y=3x2で、xが-2から3に変化するときの変化の割合を求めなさい。
与えられた式に代入すると、x=-2のときy=12、x=3のときy=27です。
このときは「いったん0を通る」などと考える必要はありません。
よってxの増加量は5、y増加量は15。
したがって変化の割合は15/5=3です。
これには裏ワザがあります。
これには裏ワザがあります。
比例定数がaの2乗に比例する関数で、xがpからqへと変化するときの変化の割合は、
a(p+q)
で求めることができます。
上の問題では、3(-2+3)=3と一度で答えが出てきます。
これは公式です。
この公式の証明は、それほど難しくありません。
x=pのときy=ap2、x=qのときy=aq2
よってxの増加量はq-p。
yの増加量はaq2-ap2=a(q2-p2)=a(q+p)(q-p)。
よって変化の割合は、a(q+p)(q-p)/q-p=a(q+p)。
これが使えますと、放物線と交わる直線の式なども簡単に求められます。
これが使えますと、放物線と交わる直線の式なども簡単に求められます。
しかし、この公式は、公立中学校では教えません。
教科書準拠のワークの発展問題にこの関連問題が1題載っている程度です。
進学塾でも上位クラスの生徒だけに教える内容です。
進学塾でも上位クラスの生徒だけに教える内容です。
なぜ教えないのかと言えば、この公式は見た目はシンプルですが何を意味しているのかぱっと見た限りではよくわからないからでしょうか。
言い方を変えれば、実感を伴わない公式です。
こういう公式は数学が苦手な子には定着しません。
中途半端に使ってかえって混乱する可能性のほうが高いです。
そうなるくらいなら、時間はかかっても意味のよくわかる作業をして求めてもらいたい。
教える側にはそういう気持ちが働きます。
言い方を変えれば、実感を伴わない公式です。
こういう公式は数学が苦手な子には定着しません。
中途半端に使ってかえって混乱する可能性のほうが高いです。
そうなるくらいなら、時間はかかっても意味のよくわかる作業をして求めてもらいたい。
教える側にはそういう気持ちが働きます。
だから、数学が苦手な子は教わることがなく、地道に解くことになります。
数学が苦手な中学生は教わらない裏ワザや公式は、このようにたくさんあります。
多くは高校で学ぶ内容を先取りして、中学生のうちに使ってしまうものです。
それらの公式は使えればスピーディに問題を解くことができます。
手間を省いているので途中の計算ミスの危険性も減ります。
だから、数学が得意な子はますます速く正確に問題を解いていけます。
何というか、「数学格差」とでもいうものが広がっていく気がします。
多くは高校で学ぶ内容を先取りして、中学生のうちに使ってしまうものです。
それらの公式は使えればスピーディに問題を解くことができます。
手間を省いているので途中の計算ミスの危険性も減ります。
だから、数学が得意な子はますます速く正確に問題を解いていけます。
何というか、「数学格差」とでもいうものが広がっていく気がします。
ただ、数学のテストというのは十分な時間がありますので、裏ワザなんか知らなくてもしっかり解いていけば良い結果を出すことができます。
裏ワザや公式を振り回すわりに何だか得点が安定しない子も多いのです。
それよりは、基本に忠実にしっかり得点を重ねていくほうが良いでしょう。
単なる作業手順にせずに、1問1問理解して問題を解いてほしいです。
高校数学になれば、理解していなければ解けない問題が増えてきます。
作業手順として覚えるには複雑すぎ、多岐に渡り過ぎて、暗記などできなくなります。
自分がやっていることの意味を理解して解いていくことのほうが大切です。
2016年10月05日
ロングウォークちちぶ路 を歩いてきました。2016年10月。
2016年10月2日(日)、「ロングウォークちちぶ路」に参加しました。
毎年この時期に行われるハイキング大会で、今年で15回目、私は5度目の参加です。
初めの2回は楽勝で27km完歩し完歩帽をもらいました。
3回目は、熱中症で第2チェックポイントにも到達できずリタイア。
昨年の4回目は無事27km完歩。
さて、今年は完歩できるかなあ。
三鷹発4:38、八王子発5:06、東飯能発6:06、御花畑発7:00と電車を乗り継いで長瀞着7:20。
昨年までは参加費200円を払い、豪華な参加賞が同時に配られました。
今年は参加費はない代わりに、参加賞もなし。
略地図1枚だけを手渡されて、少しがっかり。
でも、今年も寄居のゴール地点で抽選会がある!
(*'▽')
秩父鉄道に乗った頃から雨が降ってきていました。
スマホやウォークマンなどをビニール袋に入れて防水した他はもう少し様子を見ることにして、ザックカバーはつけずに歩きだしました。
駅からまっすぐに宝登山神社の広い参道が伸びています。
大きな鳥居をくぐってそのまま直進していくと、登山道を示す道しるべ。
途中まではロープーウェイ駅までの道と同じです。
登山道としては広く歩きやすい道。
歩きやすいのでついスピードが出て、それで体温が上がってしまうので用心が必要。
朝のうちは元気だから余計に。
努めてセーブして、宝登山山頂。8:30。
雲に覆われて近くの武甲山も見えませんが、上空は少し雲が切れ、陽が差してきました。
ここからは下りなので、ストックを1本出して準備。
階段がよく整備されていますので、スリップしやすいところは数箇所です。
下りきると舗装道路。
快調に降りていくと、長瀞アルプスの登山口。
長瀞アルプスは登山道はそんなに広くないですが、緩いアップダウンが快適でいつ来ても歩きやすい道です。
最後に大きく下っていくと、登山道の真ん中がえぐれている少し歩きにくい道になり、やがて舗装道路に出ます。
はあ、長瀞アルプスもう終わっちゃった。
萬福寺。9:35。
ここは第1チェックポイントですが、通過制限時間の11時まではチェックポイントらしさのない普通の場所です。
陽がカッと照りつけてきました。
まずいなあ。
牛出峠入り口まで登っていくと、そこから舗装道路からは外れ、左の草地の道へと入っていきます。
今年はスタッフの方も立っていて、よりわかりやすくなっていました。
最初は緩く広い道がやがて細く急な竹林の坂道になります。
登り切って、出牛峠。10:20。
去年より30分も遅い。
それなのに、体温上昇がひどい。
身体に熱がこもって足が前に進みません。
早く休んで体温を下げないとやばい。
でも、舗装道路はまだ濡れていて、休む場所がありません。
ここで休む場所を探しながら舗装道路の登り坂を登り続けたことが事態を悪化させました。
レジャーシートを持ってくれば良かったんだなあ。
濡れていてもどこでも座って休めるように。
それでも、3年前にリタイアしたときよりはましでした。
あのときは、この場所で持っていた2リットルのスポーツドリンクを飲み切ってもなお暑くてふらふらになっていましたから。
今回は持ってきたスポーツドリンク3リットルのうち、まだ半分は残っていました。
ようやく見つけた乾いた座れる場所で休憩。
体温さえ下がれば大丈夫なんだけどなあ。
エアコンの風を10分間直接浴びることができればなあ。
今のままだと体感では39°くらいに体温が上がった状態で山歩きをしている感じです。
舗装道路が終わって、再び登山道へ。
ここから不動山への登りです。
傾斜そのものは大したことはなく、すぐに山頂につきました。11:30。
昨年より1時間遅れています。
そこからはときどきロープの張ってある急な下り。
最後の滑りやすい下りを終えるとぽんと舗装道路に出て、間瀬峠。12:20。
ここが第2チェックポイントです。
通過最終時刻は12:40。
これを過ぎると17kmゴールへの下山を宣告されます。
「27kmコースに行かれますか?」
と訊かれました。
持っている水分は残り1リットル。
まだギブアップは早い。
頷いて、チェックポイント通過証明書をもらいました。
455番。
昨年より随分遅れだけれど、順位は100番遅い程度でした。
元気ならば、まだ完歩の可能性はあるなあ。
そこから再び登山道へ。
雨乞山への登りは少し急な登りと緩い登りが繰り返されます。
しかし、この程度の登りがつらい。
晴れて気温がぐんぐん上がってきています。
休み休み、何とか雨乞山へ。13:20。
空は青く、パラグライターが2つ飛んでいました。
広い芝生の山頂に休んでいる人もまだ大勢います。
私も日陰に座って休憩。
そこからは舗装されてはいませんが広い林道の下りです。
歩きやすい道なのに足が前に進みません。
下りでこんなふうになってきたのでは、もうダメかなあ。
持っている水分はあと500mL。
舗装道路に出て、遠くから榎峠の給水所を見つけたときは嬉しかったのですが、近づいてみると、もう水はないと言われました。
ああ、ここの給水所は遅くなると水をもらえないんだ。
後の人ほど水が必要なのに、なぜ参加者全員分の水が用意されていないのだろう。
ということは、山道の途中にある2つ目の給水所ももうあてにできないということです。
水分の問題が急に現実になってきました。
体力はまだありました。
第3チェックポイントさえクリアできれば、円良田湖の自動販売機で水分を補給できるので、27km完歩の可能性もあると思っていました。
でも、水分の補給がないのなら、ここから登っていくのはもう危険です。
もっている水分が尽きる前に下山する計画を立てないと。
ロングウォークちちぶ路のコースの難しさは途中で水分を補給できないことです。
コースの途中に自動販売機や売店がありません。
第3チェックポイントの先の円良田湖に自動販売機がありますが、この陽気では、もしかしたらそれも売り切れの可能性があります。
無料の給水所が役に立たないのなら、舗装道路に車を停めて臨時の売店を設置してくれたら良いのになあ。
外秩父七峰縦走大会や越生のハイキング大会はそうした臨時の売店が多いのです。
参加者千人では、売店を開いても利益が出ないのかなあ。
陣見山登山口で、出発地点で渡された略地図を開きました。
次のエスケープルートは、大月峠。
陣見山ともう一つのピーク、合計2つの山を越えた先です。
その山越えはもう無理でしょう。
エスケープルートも少ないなあ。
略地図は畳んで、今度は持ってきた登山地図を開きました。
今いる陣見山登山口から見えている下りの舗装された林道は、地図上では、榎峠の下を通り樋口駅へと通じていました。
この大会のエスケープルートには指定されていないけれど、登山道として赤線がくっきりひかれている道です。
樋口駅まで1時間。
これなら、水分が尽きる前に駅に着くことができます。
よし、この道を下ろう。
舗装された林道はかなり東へ西へと蛇行し遠回りをしますが、地図上では榎峠の下からショートカットの登山道がありました。
まずは、林道を西へずっと下っていくと人工的な建物があり、そこに道しるべがいくつか集まって立っていました。
ここが榎峠の真下のようです。
その中で一番小さい道しるべがショートカットの登山道を示しているのを確認し、その方向をよく探すと、夏草に覆われた踏み跡がありました。
人があまり歩いていない様子の登山道です。
熊鈴をザックから取り出して、その登山道を降りていきました。
石が多く歩きにくい道でしたが踏み跡は明瞭で、道が尽きることはなく、無事に先ほどの林道と合流。
かなりショートカットできた様子です。
ちょうど通りかかった登山姿の男性が下りてきた私を見て、後ろから来た女性2人に声をかけました。
「ああ、ここに登山道があるんだよ、やっぱり」
そこまで遠回りの林道を歩いてきたのでしょう。
「じゃあ、こっち側にあるだろう。ああ、あった。ここが登山道だ」
林道の向かい側に次の入り口を見つけて、降りて行きました。
先行者がいると勇気がわきます。
女性2人が私に会釈をして先を行きます。
「まるで地図読みの勉強会ねえ」
そんな冗談も交わしながら、少し薄くなった踏み跡を行きました。
まだ身体に熱がこもり、足が上手く前に進まない私は、その3人からは徐々に後れてゆっくり降りていきました。
足許には山栗。
実のつまった山栗がイガごと沢山落ちていました。
秩父の秋の実りは豊かです。
山の実りは山の動物たちのもの。
そして、その山の周りに住む地元の人たちのもの。
私は歩かせていただくだけで十分。
だから、山のものを持ち帰ることはしませんが、今度ばかりは少し誘惑にかられるほどの大量の栗でした。
いえ、採りませんでしたよ。(^^)
単なる敗退なのですが、エスケープルートを自力で見つけていることで気分が高揚してきて、楽しく下っていくとお寺の鐘が聞こえてきました。
里は近いぞ。
再び林道と交差し、今度は夏草の丈も低く明瞭な最後の登山道を下っていくともう民家の並ぶ街に入ってきました。
あとは駅まで舗装道路です。
分岐で細く四角い棒状の道しるべを発見。
右の道は少し登り坂なので、このまま直進したくなりますが、そこを直進してしまうと徐々に駅から離れてしまうのを地図で確認。
道しるべの裏側に回りこむと「樋口駅」への矢印が書いてあり、やはり右の道で良いようです。
その先、道路に侵入禁止の表示が出ていたので、その手前で左に曲がり、坂道を下っていきました。
道で農作業をしている方がいらっしゃいました。
「駅に行くには、ここを下っていくのでいいですか?」
「ああ。ここを行って、トクヨウがあるからそこを右に曲がっていくと、今工事中の道と合流するからそこを左に曲がって」
ははあ。
トクヨウって何だろう。
今工事中の道って、さっき手前で諦めた道のことだなあ。
だったら行けばわかるかな?
「今日は何なの?さっきから人が通るけど」
「ロングウオークちちぶ路というハイキング大会なんです」
「ああ。鉄道がやってるヤツだね」
「そうです、そうです。ここはコースではないんですけど、エスケープして降りてきました」
「ほお。ご苦労さまです」
お礼を言って別れました。
さっきから人が通る?
陣見山登山口からエスケープしたのは、私の前を行く3人だけではないのかもしれません。
下っていくとデイケアセンターなどを含む総合施設が見えてきました。
トクヨウとは、特別養護老人ホームのことだ!('_')
そこを右に曲がり、さらに行くと道路に突当り、そこを左。
かなり先まで見通せる下り道で、先ほどの3人が小さく見えました。
線路の短い高架下をくぐり、すぐに右に曲がり、しばらく行くと秩父鉄道の樋口駅。
道路からすっとホームに入れます。
ホームにはテーブルが出ていて、スタッフの方が受付をしていました。
樋口駅は間瀬峠から林道を下る17kmコースのゴール地点。
第2チェックポイント通過証明書を出し、完歩証明書と17km完歩バッジをもらいました。
ホームには小さな駅舎があり、そこで切符を販売しています。
寄居駅までの切符を購入し、ベンチの端っこが空いていたのでそこに座って電車を待ちました。
間瀬峠からの人が続々と降りてきます。
15:47発の電車で寄居駅へ。
電車を降りた頃にはもうすっかり元気になって、寄居駅の階段は軽やかに駆け上がることができました。
体温さえ上がらなければなあ。
今度は水分を4L担いでこようかなあ。
ともかく、寄居ゴールで完歩証明書を見せて、箱からくじを1つひきました。
コンパクトザル・ボウルのセットが当たりました。
ポリプロピレンの折り畳めるザルとボウルです。
これの折り畳みカップだったら山に持っていけるなあ。
山でそんなに大がかりな調理はしないから、ザルやボウルは要らないかも。
でも、結局、何でももらえれば嬉しいのでした。
(*'▽')
缶ビール350mL300円を購入。
食欲ゼロで何も食べられなかったので、スマホで次の電車時刻を確かめてから、その場に座ってビールとおにぎりをいただきました。
はあ、今年は敗退。
この経験を糧に、来年また頑張ります。