2013年03月31日
勉強は何のためにするか
この3月から、1人、中学生の男子が入会しました。
学力面もそうですが、学習意欲という面で、より心配の多い子です。
小学校の高学年くらいから、学校の授業を全く聞いていないようです。
頭は、そんなに悪くない印象です。
知能はかなり高いと感じる手応えがあります。
でも、現時点で、学力は、びっくりするくらい低い。
そういう生徒です。
その彼が言います。
「勉強して、何になるんですか。意味がないと思うんですよね。どうせ、サラリーマンになって、かちゃかちゃパソコン打つだけでしょう?数学なんて、使わないですよ」
「・・・・・・・サラリーマンの仕事って、パソコンを打つだけじゃないよ?」
「だって、下っ端サラリーマンなんて、会議に出られるわけでもないし、パソコン打つくらいしか仕事がないんじゃないですか?」
「いや、下っ端でも、会議には出るし、そこで良い提案をしないとダメなんだけど?」
「出世したいと思わなければいいんですよ。適当にやるんですよ」
「・・・・・・・適当にやっていたら、クビになるけど?」
「・・・・・・・・」
「そもそも、あなたの今の学力で、サラリーマンになるのは、難しいよ。あなたの言うサラリーマンって、企業の正社員のことでしょう?大学を出ないと、そういう職にはつけないよ」
「ああ。今は就職氷河期ですからね」
「・・・・・・・いや、景気が良くても悪くても、学歴がないと、そういうサラリーマンになるのは難しいんだよ。あなたの今の学力では、大学に入るのは難しいと思う。今から努力すれば、どうにでもなることなんだけど」
よく喋る男子です。
話すことが好きというよりも、1対1で勉強を教わることにうろたえているのかもしれません。
授業中、内心ではずっと動揺していて、間を埋めるために必死に喋っている感じです。
「その×の記号は、文字式や方程式では省略するから消して」
など、私が彼のノートを指さしながら言うと、的確に反応できず、慌てて不要な( )をつけたりするので、私に、
「待て!とにかく、まず、人の話を良く聞け!」
と叱られたりする子です。
そんな子に、つまらない現実を語る私は、大人げないかもしれませんが、「高知能」「勉強不足」「世間知らず」の三冠状態の子は、外部から遮断された真空地帯の中にいるように、愚かなことを本気で考えていることがありますので、思いっきり否定してしまいました。
申し訳ない。
(^_^;)
勉強なんかしても、意味がない。
将来、役に立たない。
私自身、こんなことを学んで何になるのだろうと思っていた時期があります。
しかも、高校生の頃。
かなり遅いですね。
(^_^;)
例えば、サイン・コサイン・タンジェントくらいならば、これは測量に使うのだろうなあ、と子どもでも想像がつきます。
しかし、虚数となると、何に使うのか、見当がつきません。
2乗したらマイナスになる数字?
何、それ?
マイナスとマイナスをかけたら、プラスでしょう?
ありえなくなーい?
自分の理解の範囲を超えることを学び始めると、心の内の疑問が深まっていきます。
何のために自分はこんな訳のわからないものを勉強しているんだろう。
そもそも、勉強は、何のためにするんだろう。
子どものこうした疑問は、「勉強したくない」という気持ちから発している場合が大半です。
勉強がわからなくて、つらい。
そういう子どもは、勉強しない理由を探しています。
「勉強しない自分」を正当化したいんです。
やりたいことならば、「何のためにそれをするのか」なんて考えません。
あなたは、何のためにテレビドラマを見るのか?
何のためにゲームをするのか?
何のためにマンガを読むのか?
何のためにサッカーをするのか?
楽しいことには、理由は要らない。
やりたくないことをやらされているから、理由を求めます。
私の場合は、高校時代、友達から虚数の存在意義については説明を聞くことができました。
私は、そのとき、むしろ、自分はこんなにうがった見方が出来て、凄いだろう、というつもりで、虚数なんて意味がない、数学なんて役に立たないと言いました。
同意してもらえると思ったのですが、友達は、一言で否定しました。
「全ての2字方程式に解を与えるために、虚数は存在する」
「・・・・・・何でそんな必要があるの」
「全ての2次方程式に解があれば、完全だから。数学は、実際の役に立つ方向だけじゃなく、哲学や芸術に近いんだよ」
今思えば、これもこれで、若く幼稚な会話なのですが、でも、当時の私よりは次元の高いところから言われた一言は、衝撃的でした。
何のために学ぶのか。
子どもにそれを問われ、こちらが理由を明確に語ったところで、納得して勉強し始めるものではないのですが、論破しないことには、ますます勉強しなくなるので、訊かれたら、理由は説明しなければなりません。
学校教育というのは、最大規模の国家プロジェクトです。
目的は、もちろん、次世代の優秀な人材の育成です。
この文明を維持し発展させるためには、人材が必要です。
早い話、研究者を育てなければなりません。
研究者の卵が、大学である程度のことを学ぶために、高校ではどの程度ことを学ぶ必要があるか。
そのために、中学では、どの程度のことを学ぶ必要があるか。
教育システムというのは、このように、上からの逆算システムなので、数学の苦手な子が、「こんなのわからない」「自分には関係ない」と音を上げても、そんなの知ったこっちゃない、という側面があります。
「おまえのためのプロジェクトではない」ということです。
普通に生活していくために必要なことは、全て小学校で学べます。
中学で学ぶことは、もうほとんど不必要な領域です。
素質もない子に、意味のわからない勉強を何年もさせることは、では、国家的な無駄なのでしょうか?
では、どういう教育システムなら納得がいくのか。
たとえば、12歳のときに選別テストを行い、学力の高い子のみに高度な教育を与え、他の子は、一般労働者として、職業訓練をするのが良いのでしょうか?
そんな教育システムの国に、住みたいのかな。
たった1回のテストで選別される国に?
本当に、それが望みなのかなあ。
「おまえは学力が低いから、これ以上の教育を受ける必要はない」
勉強をしたがらない子は、本当に、そんなことを言われたいのでしょうか。
今のシステムのほうが、ずっといいですよね。
勉強に関して、目が覚めたら、そこから巻き返せる可能性があります。
そもそも、国家プロジェクトなんかくそくらえ、です。
勉強する理由が、上から通達されるものであっては、たまりません。
他人に、勉強する理由を押しつけられたくない。
なぜ勉強するのかは、自分自身の問題として、自分が考えることです。
何のために勉強するのか。
それは、自分で考える。
2013年03月20日
英語が苦手な子の特徴
さて、もうすぐ春期講習。
準備に追われる毎日です。
本日は、英語の話。
どの教科の成績も悪く、英語も他の教科と同様に悪い、という場合はまた話が違ってくるのですが、5教科の成績が科目によってガタガタで、なかでも英語がパッとしない、という人がときどきいます。
科目によっては、5段階で「4」あるいは「5」をとっているのに、英語の成績は悪いというのは、明らかに、勉強の仕方が悪いです。
何か、本人の中で、英語に関して、あるいは、英語学習に関して誤解があり、間違った勉強をしている可能性があります。
以前も書きましたが、1つの原因は、小学校時代の「お楽しみ英語」の授業に慣れていて、そこから脱皮できなかったのかもしれません。
カタコトのお買いものごっこをALTの先生とやって、わあ、英語が通じた、楽しいなー、といったレベルのことが、英語の勉強であるという認識で中学校に入り、そのまま意識を転換できないと、ペーパーテストでの得点力は、どんどん下がっていきます。
英語との幸福な出会いとして、そういうことは大切なことなのですが、楽しいと、そのレベルに安住し、そのままというのが、子どもにはありがちです。
永遠に、英語と、ただ出会っているだけで、何も深まりません。
英語ともっと深い関係を構築しましょう。
英語学習が地道な訓練であるという意識がない子は、地道な練習を嫌います。
そういうことをする必要があるとも思っていません。
なので、中1レベルの英語が身についていません。
土台が揺らいでいます。
単語のスペルを正しく書けない。
三単現のs、esをしばしばつけ忘れる。
名詞の複数形を正しく書けない。
人称代名詞を正しく使い分けられない。
英語の語順が理解できていない。
名詞・動詞・形容詞・副詞・前置詞といった文法用語に正しく反応できない。
これらのことは、全部、中1で学ぶことです。
特に、英語の語順に関しては、たくさん聴いたりしゃべっているうちに自然にわかってくると誤解している人もいるのですが、それは、無意識に理屈を把握する能力のある人の話で、一般的には難しいです。
そういうことが誰でも可能なのは、10歳未満までだと言われています。
幼児には、周囲の大人の話す言葉から、その言語の文法体系を把握する能力があります。
周囲の大人の言い間違いや、文法的に正しくない口語表現も含めて、つまりエラー込みで体系を把握するのですから、それは、もの凄い能力です。
その能力があるから、子どもは、母国語を話せるようになります。
しかし、そうした能力は、4歳を過ぎると急激に衰えるそうです。
中学生が、たくさん英語を読んだりしゃべったりしたからといって、英語の語順の正しい理解に直結するとは思わないほうが良さそうです。
多少は可能だとしても、それはとても無駄の多い学習方法となります。
英文法を体系的に学べば、英語の語順は理屈で理解できます。
最短で正しい英語を身につけるには、文法からのアプローチが有効です。
数か月前、日曜日に山を歩きながら、ラジオ「子ども電話相談室リアル」を聞いていましたら、中学生から、こんな相談が寄せられていました。
「英語は、何で、主語の後にすぐ動詞を言うんですか。日本語は、述語は最後です。なんで英語はそうじゃないんですか。おかしいと思います」
・・・・・若い世代は、我々よりもグローバルに物事を見ることが出来るだろうというのは幻想に過ぎないと、こういう中学生の発言を聞くと感じます。
若いだけ愚かであり、若いだけ主観的な場合も多いです。
自分が慣れ親しんでいるものごとが常に正しいのだという思い込み。
日本語の語順のほうが、むしろ、世界全体では珍しいのではないかと、なぜ考えないのかなあ。
でも、日本語と英語と語順が違うことに気がついているだけで、中学生としては、上出来なのかもしれません。
英語を和訳してもらうと、おかしな訳をしてしまう子は結構います。
例えば、
Yesterday I played baseball .
これを、「昨日、私がやったのは、野球です」と訳してしまうんです。
意味的には、大体そういうことなんですけど、その日本語は、英語に直すと、別の英語になります。
It was baseball that I played yesterday.
強調構文ですね。
英訳問題の答案も、おかしい子がいます。
「私は、テストのために、一生懸命英語を勉強しました」
I for the test hard studied English.
冗談ではなく、こんな英語を書く中学生・高校生は、たくさんいます。
(^_^;)
「主語を書いたら、すぐ動詞。前置詞から始まる句は、修飾句だから、被修飾語の後で書く」
こういう助言をしても、文法用語が理解できていないと、何を言われたか理解できず、本人は、ぽかんとしています。
なので、主語とは何か、動詞とは何かを説明することになるのですが、文法が嫌いな子は、こういう話を1分以上聴き続けることができない場合が多いです。
嫌なんでしょうね。
嫌なことは、無理に聴いても、頭に残りません。
なので、いつまでもいつまでも、上のような英文を書き続け、自分が何をどう間違えているのか、理解できません。
これらのことが身についていなかったら、学年が進むにつれて、英語はどんどんわからなくなり、テストで得点できなくなっていきます。
高校生になって、巻き返そうと思い、自分で英語の参考書を買っても、書いてあるのは、文法用語を駆使した説明ばかりなので、参考書が参考になるどころか、呪文が書いてあるようにしか思えなくなります。
それでも、子どもは、文法を否定したがります。
文法なんか学ばなくても英語が身につく魔法がどこかにあると、思いたいのでしょうか。
一方、海外に語学留学した人から話を聞くと、日本に戻ってきて、改めて文法を勉強し始めた人が多いですね。
自分に足りなかったのは文法力だったと、留学して、ようやく理解したそうです。
だって、英語力がそんなにないのに留学するから、入れるのは語学学校の基礎クラスで、そこでは、「知っている形容詞を皆で挙げてみましょう」といった授業を受けるんですから。
たくさん挙がった形容詞を使って、次には例文をたくさん考えて、結論として、形容詞は、補語になるか、名詞を修飾しますね、なんてことを、わざわざ留学して学ぶことになります。
その授業が英語で行われるから、何か意味があるような気がするけれど、よく考えたら、基本的な英文法を学んでいるだけです。
そして、留学先でネイティブの先生に言われて、ようやく、文法的なアプローチが語学習得の近道なんだと納得するんです。
そんなこと、日本にいるうちに、気づきましょう。
(^_^;)
英語力とは、文法力と単語力。
その両輪のどちらかが欠けていると、英文は、読めません。
聴いても、理解できません。
地道に頑張りましょう。
2013年03月17日
奥多摩御岳山から吉野梅郷へ。2013年3月
このところ、毎週、日曜日はよく晴れます。
今日、3月17日は、奥多摩に行ってきました。
古里駅到着、午前9:27。
1本前が、便利なホリデー快速なので、乗っていた奥多摩線自体、わりとすいていましたけれど、高水三山の最寄駅である軍畑や、御嶽で、どっと人が下りて、さらに電車内の人は少なくなりました。
古里で下りた人は、10人もいなかった様子です。
古里駅は、改札を出た左がトイレ。
下車した人が少ないので、並ばずに楽々でした。
駅前から、すぐ見えているコンビニの先で、右に曲がり、吉野街道に入ります。
そこから、万世橋を渡ります。
橋が長いのに歩道部分の幅が狭く、横を車がぶんぶん通るので、高所恐怖症でもないのに、何かちょっと怖い橋でした。
渡り切り、そのまましばらく行きます。
そろそろ右折するはずなのですが、お店に入っていく坂道があり、「ここは、登山道ではありません」的なお断りが書いてあって不安になってきた頃、御岳山への道標を発見。
でも、その道標の矢印が、矢印というより単なる三角形で、ちょっとわかりにくかったです。
矢印は、三角形だけではなく、やはりきちっと矢印じゃないと、意味が伝わりにくいなあ。
エレベーターの表示も、三角形がどちらを向いていると「閉じる」なのか、よく見ないとわからなくて、たいてい勘で押しています。
(^_^;)
漢字で書いてある、「開」「閉」も似ているので見分けにくいですね。
エレベーターのマークは、「あける」「とじる」と書くのが一番わかりやすいんじゃないかなあ。
ユニバーサル・デザインというものなのでしょうが、誰にとってもわかりにくいユニバーサル・デザインって、嫌ですね。
だったら、「OPEN」「CLOSE」と書いてあったほうがわかりやすいかも。
害獣よけの柵を自分で開けて、また閉じて、そこから登山道の始まりでした。
御岳山は、ケーブルカーで楽々と登れる山です。
私も、今まで、ケーブルカーばかり使っていたのですが、今日は、もう少し歩けるコースをとりたいなと思い、麓から歩くことにしました。
そんなことをする人は、さすがに少ないので、道は荒れているかなあと心配だったのですが、これ以上ないくらいに整備された広い道でした。
奥高尾よりも楽です。
凍結の心配もなくなった春の奥多摩の日曜日。
山によっては大にぎわいなのに、この登山道で人の姿を見たのは、単独行の男性5人だけでした。
良い道、見つけた。
また来よう。
稜線に上がると、目指す御岳山が見えてきて、まずは大塚山到着。11:05。
さらに歩くと、じきに御岳山周辺の見慣れたエリアに入りました。
舗装されているけれど、この辺りのほうが坂道が急です。
売店や食堂が両脇に並ぶ道を通り、急な階段を登って、御岳神社到着。11:35。
昼近いので、御岳山周辺もさほどの混雑ではありませんでした。
朝のうちにケーブルに乗ってきた人は、もうどこかに移動したのでしょう。
この辺りは細い道が入り組んでいて、何度来ても、道標がないとどう行ったらいいかわかりません。
道標を見落とさないよう注意して、日ノ出山へ。
ここも、道がすいているのですいすい歩けました。
日ノ出山到着。12:20。
こちらの山頂は、かなり混雑していました。
ベンチも地面も人でいっぱい。
犬もたくさんいました。
運良くベンチが1個空いたので、そこに座って、おにぎりを食べました。
先週は、初夏の陽気で、バテそうになりましたが、今日は、ほど良い暖かさ。
なので、食欲も十分です。
でも、この大混雑では、下山道の渋滞が心配なので、食事は10分で切り上げ、早めに出発。
日ノ出山からは、吉野梅郷に向かって下山。
去年来たときは、ひので三ツ沢つるつる温泉に下山しました。
良い温泉ですし、温泉前から武蔵五日市駅行きのバスに乗れて便利です。
10年前につるつる温泉に下りたときは、温泉の近くに、「奥多摩名物ロンヤス饅頭」という看板を掲げている店がありましたっけ。
去年行ったときは、もうなかったです。
あのときは、「ださっ」と思っただけでしたが、今なら、一周まわって面白いので、売っていたら買って食べてみたいな。
ロンヤス饅頭。
(^_^;)
よく整備された道をすたすた下山。
今日のコース、奥多摩の中でも、キング・オブ・ゆる山だと思います。
道が良いと、ほんと楽ですね。
梅ノ木峠。1:10。
舗装された林道を横切って、再び、登山道へ。
走りだしたいような整備された道を下山して、青梅市梅の公園到着。1:50。
下山して梅を見ることが、本日の大きなイベントです。
入園料200円。
ここは駅からもほど近いので、観光客も大勢いました。
梅は、7分咲きから満開。
上の写真は、そこで撮ったものです。
いろいろな種類の梅がたくさん植えてある梅の公園です。
紅梅・白梅。
ピンク色の梅も。
木の下には、説明書きがあります。
梅の品種の名は、格好いいなあ。
園芸種につけられた名は大概格好いいですが、梅は、また格別です。
近くでじっくり花を見るのも良いですが、公園は斜面に作られているので、上から見下ろすと、辺りが梅の花で煙って見えました。
桃源郷のような美しさ。
いえ、梅ですね。
(*^_^*)
駅までは、「梅まつり」の提灯に導かれて、道に迷う心配もありませんでした。
広い道路の両側に、出店がたくさん。
りんご飴や、焼きそばや、お好み焼き。
やぐらの上のお囃子と、ひょっとこやキツネの面をかぶった人の踊り。
まさにお祭りです。
人の流れにのんびり乗って、日向和田駅へ。3:10。
ホームはかなり混雑していましたが、青梅で乗り換えた電車からは座ることができました。
今日も良い休日でした。
2013年03月14日
テスト範囲という情報
日程的に一番遅い私立中学・高校の学年末テストもようやく終わりました。
少し余裕のある日々です。
結果が出そろうのは、まだ少し先ですが、公立中学の結果を見て、何の偶然か、うちの塾生のうち3人に同じ傾向が見られました。
なので、今回は、その話です。
何なのかというと、テスト範囲を私に正確に伝達できていなかった可能性があるんです。
テスト問題を見ると、私が聞いていた範囲から外れている問題がありました。
中1で言えば、円錐や球の求積の問題。
中2で言えば、確率の問題。
中1の場合は、2学期の期末は、円錐や球の求積の問題の手前で終わり、それは範囲に入らなかったので、今回、そこからなんじゃないの?と念を押したのですが、本人は、「違う」と明言していたんです。
中2の場合は、「場合の数と確率」の単元の、「場合の数」までが範囲で、「確率」は範囲ではないと、これも本人が明言していました。
なのに、なんでテストに出ているんだろう?
急にテスト範囲が変わった可能性はゼロではありませんが、最近、そういうことに関しては、保護者からクレームがあって当然ですので、1度テスト範囲表で発表されたら、それが変更される可能性は低いと私は思います。
「これまでの復習」というざっくりした範囲が示されていた可能性もありますが、中2の「確率」は、私が把握していた範囲の先のページで、これまでの復習と呼べるものではありません。
事実はどうであったのか?
しかし、これは、私の立場では確認しにくいことなんです。
「あれ?テスト範囲じゃない問題が出ているよね。なんで?」
と、特に怒った口調ではなく、事務的に質問しても、こういう場合、生徒は、無言です。
黙って、やり過ごそうとします。
言い訳すらしません。
黙りこんで、私が諦めるのを待ちます。
中学生の典型的処世術ですね。
(^_^;)
私が、ガミガミ叱れば、何か発言はあるでしょうが、終わってしまったテストに対して、そこまで感情的になってどうするんだと思いますし。
人間関係が壊れます。
テスト範囲を間違えて、取れる点が取れず、がっかりしているのは、誰よりも本人なのですし。
これまで40点しか取れなかった子に、60点を取ってもらうためのテスト対策ならば、テスト範囲の2ページ程度の誤差など、どうとでもなります。
しかし、80点を取れるようになった子に、90点を取ってもらうテスト対策をする場合、2ページの誤差は大きいです。
円錐の表面積の公式なんて、今後もよく使うんだから、テスト範囲じゃなくたって覚えていて当然なんじゃないの?
場合の数はちゃんとテスト勉強しているんだし、確率についても、学校でも塾でも、授業は受けているんだから、テスト問題は解けるんじゃないの?
そんなことも出来ない子が90点台を取れないのは、仕方ないんじゃないの?
・・・・・というのも、正論です。
正論ですが、今どきの中学生は、私立中学を受験した子以外は、台形の面積の公式を言うのだって不安顔の子が多いです。
全般的に、記憶力が弱い。
物事を覚えて、ずっと脳に入れておく能力を身につけていない子が多いんです。
それは、ゆとり教育も原因の1つですから、子どもに責任を押しつけても仕方ないことです。
高校受験に向けて、そういう能力も少しずつ磨いていくしかありません。
学校から配布されるテスト範囲一覧表を本人が塾に持ってきてくれれば、この問題は解決します。
範囲表には、教科書のページ数が明確に記されています。
単元名ではなく、正確に何ページから何ページまでなのか。
本当に使える情報は、それです。
だから、実物を持ってきてほしいと伝えてあるんですが、忘れてくるんですね。
「でも、範囲は、わかる。ここと、ここと、あそこだよ」
とざっくりした単元名で範囲を言います。
「次の授業では、持ってきてね」
と念を押すと、
「わかったー」
と気軽に返事しますが、翌週は、
「あ、忘れたー。でも、範囲はわかってるんだから、いいじゃない」
で終わってしまいます。
個別指導の最大の弱点は、実は、そこにあります。
その生徒本人からしか、情報を入手できません。
以前勤めていた集団指導塾は、長年そこにあった、地域に根差した塾でしたので、通ってくる中学生は、近隣の公立中学の生徒が大半でした。
主な中学は3つ。
それぞれの中学に通う生徒が複数いました。
各学校に1人は、几帳面で気のきく子がいましたから、学校からテスト範囲一覧表が配られると、真っ先に、塾に持ってきてくれます。
その場ですぐコピーを取り、職員室の壁に貼り、各教科担当は、その一覧表を見て、学校ごとにテスト対策プリントを用意します。
学校ごとに過去のテスト問題もコピーをとってありましたので、それを生徒に配布することもできました。
生徒の中には、テスト範囲一覧表を早々になくしてしまい、塾の壁に貼ってあるコピーでようやくページを確認して、学校に提出するワークをやっているような子もいました。
また、テスト範囲を勘違いして、こんなところは範囲じゃないと、妙なことを言い張る子もいました。
「じゃあ、職員室に行って、自分で見てきなさいよ」
なんて会話を、幾度交わしたことか。
戻ってきた子は、たいてい無言です。
自分が間違っていた場合、無言でやり過ごそうとする中学生の処世術、ここでも炸裂。
定期テストの範囲すら正確に把握できていないのが、多くの中学生の実態。
そこをサポートするのが、我々の仕事でした。
地域に密着している塾ほど、こういう点では優れています。
情報戦で遅れをとる可能性がほとんどありません。
個別指導の場合、その生徒の情報伝達のクオリティが、そのまま、テスト対策のクオリティになってしまうのが歯がゆいところです。
何とか80点台はキープでき、安堵はしましたけれども。
1人は、その不利な条件下でも、90点台に到達しました。
それでも、あー、悔しいなあ、もう。
範囲がわかっている定期テストくらい、楽々と90点台を取りましょうよ。
もうすぐ学年が変わります。
今度は、定期テストの日程の情報を集めるのに、またひと苦労。
ほおっておくと、定期テストの日程も正確に言えない子が結構います。
そろそろ2週間前くらいなんじゃないかと思い、
「中間テストは、いつから?」
と訊くと、
「わからない」
と応える子は、本当に多いです。
「わからないって、1日2日ズレていてもいいから、大体いつ頃か、わかるでしょう?来週?さ来週?」
「・・・・・わからない」
「少なくとも、今週か来週ではないんだね?」
「たぶん」
そんなやりとりの後、翌週の授業で、
「テストは〇〇日から」
と突然言い出します。
「〇〇日って、明後日?今日しかテスト対策できないの?」
(@_@;)
年間のテスト日程を教えてもらえない場合、こうなる可能性は高いです。
保護者の皆様、情報収集にご協力お願いいたします。
2013年03月12日
北高尾山稜を歩きました。2013年3月
3月10日(日)は、またも高尾に行ってきました。
今回は、秋に歩けなかった北高尾山稜です。
バスを増発してくれているので、今週も、駅前の混乱はありませんでした。
今回、いつものように8:35着の中央特快で高尾駅に着くと、小仏行きバス停は、私の前に母子連れ3人がいるだけでした。
JRが着く前に、京王線で来た客が出発できるように時間調整してくれたみたいです。
今までは、2台来たバスに全員が乗り込めない状態でしたから。
今回は、楽勝で、座れました。
立っている人もほとんどいない状態で、バスは出発。
3月9日・10日は、高尾は梅まつり。
バスの通る林道沿いにいくつか梅郷や梅林があり、出店が用意され、紅白の幕が張られていました。
肝心の梅は、梅まつり滑り込みセーフの一分咲きから三分咲き。
なかには日当たり良好で満開の梅もありましたから、来てがっかりというほどではなかったと思います。
梅まつりや桜まつりは、日程を決めるときには、その年の開花状況がわからないから、大変だなあ。
日影バス停下車。9:10。
そこから、木下沢林道へ。
ここの梅は開花が遅いので、上の画像のような状況でした。
もう少しすれば、梅だけでなく、春の花が次々と咲いて楽しい林道ですが、まだ時期的にかなり早いです。
タチツボスミレが少し咲いている程度でした。
旧キャンプ場も過ぎて、さらに林道を終点までとことこ歩きます。
林道といっても、舗装されていませんから、広い山道という印象です。
旧キャンプ場から先は、この林道で人と会うことはほとんどありませんでした。
両側が崖で圧迫感のある場所もありますし、荒れた印象のところも多い林道です。
しかも、今日は視界が悪い。
山が霞んでいます。
春霞の上に、花粉が杉からふわふわ漂い出ているのが目視できるし、黄砂も東京まで来るかもしれないというし、有害物質も一緒に来るのではないかと言われているし。
いや、有害物質は、目に見えないか。
そんなわけで、マスクをして歩きました。
有害物質には、マスクは効かないかもしれないですが。
林道終点。10:40。
ちょっと滑りやすく細い登山道を強引に上がって、関場峠。
そこから、北高尾山稜です。
基本、よく整備された道。
道標の「城山」という表示が、小仏城山を連想させてちょっとわかりにくいですが、八王子城山のことですね。
下り基調なので、体力的には楽です。
急坂が多いので、下りが苦手な人にとっては、多少ストレスのある道ですが。
すれ違う人が案外いることに少し驚きました。
この道を登るのかあ。
逆コースですと、急登がたくさんあります。
堂所山から、高尾の主脈に通じていますので、面白い山歩きになりそうですが。
今度はそうしてみようかな。
普通のガイドブックでは紹介されていない道なので、初心者は、ほとんど見かけません。
近隣の山の会の人たちと思われる中高年のグループ。
男性単独行。
若い男性の2人連れ。
女性単独行。
山慣れている様子の人たちばかりでした。
カップルで、こんなところに女の子を連れてくると、機嫌が悪くなるかもしれません。
北アルプスなど、人気のある山道を歩くとき、前方にカップルがいると、たいていは女性のほうが後ろを歩いています。
後ろから来た私の気配に気づいて、女性は道を譲ってくれます。
前を行く男性が、それに気づいていないと、悲劇が起こります。
すぐ後ろを歩く私の気配。
それにあおられて、男性のスピードが上がります。
一緒に来た女性が、しっかりついてきているなと、勘違いするようです。
ちょうど急登にさしかかっていたりすると、ここで、後ろを歩いている女性との距離が大きく開きます。
疲れた男性が立ち止まり、振り返り、後ろにいるのが、私であることを知って驚愕。
そして、一緒に来た女性が、はるか後方にいるのを見て、がく然。
しかも、女性は、おいてきぼりにされ、急登に疲れて、明らかに機嫌が悪くなっています。
あー。
山に来て、喧嘩になりそうです。
何で気づかないかなあ。
「あのー、お連れの女性、遅れてますよー」と私が声をかけるのも変ですし。
いえ、ちょっとだけ面白がっているのも否定しませんが。
お気をつけください。
(^_^;)
最近は沈静化してきましたが、山ガールがブームの頃は、普通の女性雑誌が山の特集を組んでいたりして、書店で立ち読みし、世界観の違いに仰天したものです。
「素敵な山の景色の中で、彼との距離を縮めたい」
「山でおいしい、うきうきアウトドアランチ」
「秋のあったかテント泊」
テントの中に、ふかふかのブランケットやクッション、それに、大きめのテディベアが置いてある写真。
山にそんなもの持ってきてどうするんだ?
平地のキャンプ場と話が混ざっていないか?
なんかもう、批判するとか苦言を呈するとかのレベルを越えて、ここまでくると、面白い。
これは面白いな、と思いました。
山ガール・ブームは沈静化し、性格的・体力的に山歩きに向いていた人は、見るからに暑苦しい重ね着はやめ、おしゃれなだけではなく機能的に優れた装備に転換し、歩く山のレベルを上げているようです。
そういう爽やかな若い女の子の単独行や2人連れを見ると、頼もしいな、と感じます。
黒ドッケ到着。11:50。
やがて、すぐ左下に林道が見えてきます。
林道といっても、車が1台何とか通れるのかなあ、という程度の未舗装の道です。
しばらく林道と並走し、やがて別れ、道はアップダウンを繰り返します。
ベンチのある小ピークで昼食。
初夏を思わせる陽気で、ちょっと食欲を失いかけていましたが、おにぎり2個、何とか食べ切りました。
少し行くと、杉沢ノ頭を越え、富士見台到着。1:10。
ここから、八王子城山への道を左に見送り、高尾駅目指して直進。
急な下りの荒れた道。
斜面につけられた細い道。
砂地で、何だか滑り易い。
歩けないわけではないけれど、ちょっと山道のグレードが上がったなあと思っていたら、それまでも霞んでいた空がもっと曇ってきて、ふいにパラパラっと雨が降り出し、また、すぐ止みました。
1分も降っていなかったと思います。
ずっとかけていたラジオでも、
「何だ何だ何だ、さっきから空が変なんだけど。窓の外、何も見えないよ。黄砂?」
と、パーソナリティーがばたばたし始めました。
山道は、高速道路のすぐ下へと降りていきます。
目の高さで、高速道路を車が走っています。
音はうるさいけれど、面白い眺めです。
そこからは、平地歩き。
逆方向に歩くときのために、様子をよく覚えておかないと。
ときどき振り返り、道の印象を把握しました。
分岐で迷ったら、左の薄暗いほうの広い道へ。
バス通りの、メゾン・ド・プラムを左手に見て、角を右折。
大通りの、コンビニのところで、右の道へ。
高尾駅前から、コンビニを左折。
逆へ逆へと、振り返っては道を確認しつつ、高尾駅へ。2:55。
ラジオでは、さきほどの現象は、黄砂ではなく「煙霧」というものでと、気象解説が始まる頃、電車に乗り込みました。
2013年03月03日
奥高尾を歩きました。2013年3月
今日は、奥高尾を歩いてきました。
例によって、JR高尾駅北口のバス停へ。
ここが、いつになくすいていました。
このところ、8:35高尾着の電車だと、2台目のバスにギリギリ乗り込める状態だったのですが、今日は、余裕で1台目のバス。
しかも座れました。
バスは臨時増発バス。
時間よりも前に来ました。
今までなかったバスです。
8:52発のバスが2台で全員乗り切れないことが多かったので、増発してくれるようになったのかな。
しかし、今日は増発は必要なかった印象です。
立っている人はいない状態で、バスは出発。
いつもいつも混雑している奥高尾ですが、今日は、季節の隙間なのかもしれません。
人が少ない一番の原因は花粉症でしょうか。
花粉症の人は、杉の巨木の並ぶ高尾山には来ないですね。
(^_^;)
私も軽く花粉症ですが、この季節の山も問題なく歩けます。
都会の有害物質と混ざる前の花粉は、そんなにひどい症状を引き起こさない感じがします。
いえ、個人の感想ですが。
(*^_^*)
いつものように陣馬高原下から歩き始めました。午前9:25。
途中で林道と別れ、登山道へ。
急登の間は、道は歩きやすかったのですが、登りきって、もうすぐ大きなカエデのある和田峠からの道との合流点、というところで道は凍結し始めました。
崖っぷちのわりと細い道が凍結。
土と氷が完全に一体化して、凍っています。
その上に砂がまぶされている感じの道です。
軽アイゼンを付けるほどではないし、砂がかぶさっているので、それほど滑るわけではないですが、少し緊張して通過しました。
大きなカエデを過ぎ、最後の登りになると、早春の名物、ドロドロの登山道の始まりです。
(^_^;)
靴底のギザギザなんて、すぐに泥で埋まります。
泥の高下駄を履いているような感じの登り道。
滑る滑る。
雪道なら、滑ってもおしりの雪を払えば済みますが、泥道では、絶対に転びたくありません。
下手くそなスケートをしているような歩きっぷりで、何とか陣馬山山頂へ。10:30。
人がいないわけではありませんが、静かな山頂でした。
富士山は、春霞に隠れていました。
丹沢は、雪化粧。
金曜の夜の大雨で、丹沢は新たに積雪した様子です。
かなり麓のほうまで、沢筋が白く見えていました。
明王峠から景信山へ。12:20。
登山道は、ずぶずぶのドロドロ道とそうでもない道の繰り返し。
景信山もすいていました。
ここでお昼。
今日はひな祭りなので、朝、コンビニで、チラシ寿司を購入。
これから歩く山並みを眺めながら、おいしく食べました。
さて、小仏城山へ。
高尾からやってきた人とすれ違うことが増えてきました。
登山道がドロドロで歩きにくいのはわかるのですが、植生保護のロープの内側を歩く人がいるのは閉口します。
踏みつけたら、春に花が咲かなくなるかもしれません。
そこは、フタリシズカやチゴユリが咲くのになー。
この時期の奥高尾は、泥道が面白いんですよー。
歩きにくさを楽しみましょう。
あるいは、泥が乾く4月まで待ったほうがいいと思います。
小仏城山。午後1:30。
城山の茶店は営業していませんでした。
今日は日曜でもあまり客が来ないことを見越しているんですね。
来週、3月10日は、高尾で火渡りのお祭りがあるから、またにぎわうかな。
麓では、梅まつりも始まるようです。
しかし、来週、高尾の梅は咲くのでしょうか?
高尾山頂。2:50。
泥道で、いつもより時間がかかりました。
さすがに、下りの泥道は嫌なので、下山は、1号路を選びました。
1号路を選んだもう1つの理由は、天狗焼き。
おいしいと評判ですが、いつも長い行列が出来ていて、ちょっと並ぶ気になれない盛況です。
まだ1度も食べたことがありません。
天狗焼きのお店は、ケーブル高尾山頂駅の脇にあります。
思った通り、今日は誰も並んでいなかったので、即購入。
天狗焼き、1個130円。
歩きながら食べました。
天狗の顔の形をした大判焼きのようなものです。
中身はつぶ餡がぎっしり。
餡は、黒豆かな?
外はパリパリ、中はモチモチ。
焼き立てで、温かい。
おいしかったです。
またいつか、行列がないときに食べよう。
ケーブル駅から、再び1号路に戻り、舗装された道を麓まで下山しました。
登山口。3:35。
京王高尾山口駅は、駅前に、靴を洗う水道とタワシがあります。
柄のついたタワシは、たくさん用意されていて、水道の下にはバケツが置いてあるので、1度に6人くらいが、水道を囲んで登山靴の泥を落とすことができます。
バケツにたまった水で、タワシを濡らして、靴をゴシゴシ。
バケツでタワシを洗って、またゴシゴシ。
きれいになった靴で、気持ちよく電車に乗りました。