2013年12月26日
魯迅『故郷』の希望。

魯迅の『故郷』という小説を読んだことのない日本人は少ないのかもしれません。
この小説は、現在、文科省認定の中学3年国語教科書の全てに採択されています。
日本の中学3年生は、一部の私立をのぞけば、ほぼ必ず、『故郷』を読みます。
現在だけでなく、過去数十年、たいていの教科書には、この小説が載っていました。
無論、私が中学生だった頃も、『故郷』は、教科書にありました。
中学生だった頃に読んだ印象は、しかし、とにかく「暗い」というものでした。
内容が陰気で、読んでいて、気持ちが暗くなりました。
子どもの頃、輝いていた幼なじみは、みじめで卑屈な印象の、つまらない大人になってしまっている。
清が滅び、新しい時代が来たのに、故郷は因習にとらわれ、何も変わらない。
うわー、この小説、苦手だー。
受験勉強で好きな本もなかなか読めない中、国語教科書の小説は、わりと楽しみにしているのに、こんなにつまらないと、テンション下がるわー。
中学生の頃の私の気持ちは、思い出す限りでは、大体そんなものでした。
自分が中学生だった頃、特にわからなかったのは、陰気な話が延々と続くのに、最後、急に希望が語られることでした。
「もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。」
うわ、何だろ、この唐突な前向きさ。
何の根拠もない、この楽天的な希望。
しかも、この文でこの小説は終わり?
ええっ?
魯迅は、五・四運動の思想的指導者です。
結局、革命思想家というのは、根拠なく楽天的なのかもしれないなあ。
革命を可能にするには、この楽天性が必要なのだろう。
何かポンと論理を飛躍させ、行動を飛躍させないと、革命は実行に移せないんだろうなあ。
そんなうがった見方をした中学時代でした。
それから、長い長い年月がたちました。
その間、ずっと塾講師として、中学生と接してはいても、魯迅『故郷』を読む機会は、なかなかありませんでした。
中学生に国語を教えることはあるのですが、塾は、入試向け問題集で指導しますので、学校の教科書の小説は読みません。
教科書に載っている文章は、入試には絶対に出ませんから。
あるとき、中学3年生の期末テスト対策をすることになり、十数年ぶりに、魯迅『故郷』を読みました。
びっくりしました。
中学3年生のときに読んだきりの文章なのに、細部まで鮮明な記憶があるんです。
うわっと鳥肌が立つ思いでした。
大人になって読んだ小説を数年後に読み返しても、こんな感覚はありません。
十代の頃に、1つの小説を、勉強するために何度も何度も読むということは、これほどのことなのか。
その小説の表現の全てが、自分の血肉となっているのです。
一生忘れない、自分の中の表現になる。
好きではなかった小説でさえ。
読解力の衰えている現代の子どもに迎合して、「ゆとり時代」には、今どきの易しい文章が随分多く教科書に載りました。
本を読む習慣のない子どもに、読む楽しさを伝えたい。
そんな切実な願いがこめられていたのを感じます。
でも、それはやっぱり迎合です。
そこまで迎合したところで、国語嫌いの子どもは、
「国語なんかつまらない」
「教科書に載っている小説なんてつまらない」
と言っていました。
どうせ何を載せてもつまらないと言うのなら、難しくて構わないでしょう。
読む価値のある文章を読むほうがいい。
大人になって読み返す『故郷』は、難しくありませんでした。
小説の最後に、主人公は、故郷を出発し、自分の子どもたちの生き方について考えます。
「私のように、無駄の積み重ねで魂をすり減らす生活をともにすることは願わない。またルントーのように、打ちひしがれて心が麻痺する生活をともにすることも願わない。また他の人のように、やけを起こして野放図に走る生活をともにすることも願わない。希望をいえば、彼らは新しい生活をもたなくてはならない。私たちの経験しなかった新しい生活を。」
無駄の積み重ねで魂をすり減らす生活。
打ちひしがれて心が麻痺する生活。
こんな表現は、中学生の私にはわかりませんでした。
頭では、わかっていたかもしれませんが。
ああ、『故郷』には、こんなことが書いてあったのか。
数年おきに、必要があって読み返す度に、この表現に目が留まります。
あっ、と思う表現は、さらに続きます。
「希望という考えが浮かんだので、私はどきっとした。たしかルントーが香炉と燭台を所望したとき、私は相変わらずの偶像崇拝だな、いつになったら忘れるつもりかと、心ひそかに彼のことを笑ったものだが、今私のいう希望も、やはり手製の偶像にすぎぬのではないか。ただ彼の望むものはすぐ手に入り、私の望むものは手に入りにくいだけだ。」
「希望」という考えに「どきっとする」感覚も、中学生の私にはわかりませんでした。
テレビをつければ、歌手が、あっけらかんと希望や夢を歌っていました。
希望という言葉を使うことに、ためらいがありませんでした。
希望を「手製の偶像」と感じる感覚など、わかるはずがありません。
中学生は、「希望」という言葉を単純に明るい良い言葉だと感じてしまう。
「希望」という言葉が使われているだけで、最後は唐突に明るいなあ、と思ってしまう。
「希望」という言葉を使うことへのためらい。
その感覚がわかれば、この小説の終わりは唐突には感じないのでしょう。
「思うに希望とは、もともとあるものとも言えぬし、ないものとも言えない。それは、地上の道のようなものである。もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それは道になるのだ。」
このラストは、読み直してみるとそれほど明るくありません。
希望について、簡単に肯定はしない。
でも、否定もしない。
これは、楽天的なのではありません。
「地上の道」という比喩には、誤解しやすい要素があるのかもしれません。
青春を旅する若者よ
君が歩けばそこに必ず道はできる
昔の歌に、こんな歌詞もありました。
僕の前に道はない
僕の後に道はできる
そんな有名な詩もあります。
そこで語られる道は、明らかな希望です。
そういうものも嫌いではありませんが、魯迅の語る「地上の道」は、それほど肯定的なものではありません。
歩く人が多くなれば道になる。
しかし、多くの人が歩かなければ道にはならない。
自分の希望が、手製の偶像かもしれないと自覚する。
それでも、希望を否定はしない。
簡単に楽天的なのでもなく、悲観的なのでもなく。
簡単に肯定するのでもなく、否定するのでもなく。
ニュートラルなこの感覚と、その知性。
何で、十代の私は、これに気がつかなかったのだろう。
十代の頃の自分がどのような感じたかも大切にしたいけれど、それを過信しないことも必要なのかもしれません。
昔の自分は今の自分と地続きなので、なんとなく今と同じように判断していたような感覚をもちがちです。
あの頃、自分が感じていたこと。
もしかしたら、全てに対して、稚拙な判断ミスをしていたのかもしれません。
魯迅の『故郷』は、そうした昔の自分に再会できる小説のように思います。
さて、セギ英数教室は、12月24日から冬期講習が始まっています。
年内は、12月30日まで。
年明けは、1月4日から授業開始です。
12月指導レポートの発送は、1月10日頃になります。
皆様、良いお年を。
2013年12月23日
北八ヶ岳を歩いてきました。2013年12月

2013年12月22日(日)、9月以来、久しぶりの連休に、北八ヶ岳を歩いてきました。
いつものようにあずさ3号に乗車。
やがて、車窓右手に、八ヶ岳が見えてきます。
快晴の中、八ヶ岳の上だけ、雲。
高い山って、不思議とそこだけ雲が残ることがあります。
しつこい雲がまとわりついていました。
さて、茅野駅下車。
そこからはバスです。
茅野駅発、10:25。
北八ヶ岳ロープウェイ駅到着。11:20。
すぐにロープウェイの券売り場へ。
乗り場には、1日券を腕につけたスキーヤーやスノーボーダーが並んでいました。
ロープウェイは、本日は、10分毎の運行。
11:30発に乗れました。
一気に上がって、7分で山頂駅。
一面の雪景色です。
ゲーターをつけ、トレッキングポールの長さを調節し、さて、出発。11:45。
去年も同じ時期に、北八ヶ岳を歩きました。
雪山の足慣らしには、ちょうど良いコースです。
今年は、北横岳には行かず、去年泊まった縞枯山荘の前を通り、雨池峠から縞枯山へ。
数日前に東京でたくさん降った冷たい雨。
奥多摩も遠目に白く見えるほどになりましたが、八ヶ岳にもたくさん雪が降りました。
例年よりも雪深い。
トレースはしっかりありますが、降ったばかりの雪はフカフカです。
基本平坦な道を歩いて、雨池峠。12:15。
さて、ここから登り道です。
アイゼン、どうしようかなあ。
進退窮まる前に安全なところで装着するべきではありますが、こんな新雪でアイゼンを着けるのは「負けた」ような気がします。
樹林帯だし、まあ大丈夫かな。
雪山ガイドブックで見る限り、縞枯山は、特に難しいところはない山。
ただ、トレースがない場合もある。
この積雪でトレースがなかったら、つぼ足では歩けないなあ。
そのときは、来た道を戻り、去年と同じ五辻経由のまき道を行くことにしましょう。
北八ヶ岳は、雪山入門に最適な地域ですので、最近雪山を始めたのだろう若い人がたくさん歩いています。
アイゼンを着けているのに、一歩につき数センチずりおちてくる女の子。
ああ、こんなにも一歩が決まらないものなんだなあ。
初心に帰る北八ヶ岳です。
縞枯山、山頂。12:40。
風がないのが幸いですが、雲に包まれ、辺りは真っ白です。
「展望台」に向かって、トレースが伸びていました。
やった。
いったん下って、また登り返し、茶臼山。13:10。
さて、ここから直下降気味の下り坂とガイドブックにありました。
アイゼンつけようかなあ。
迷っていると、6人ほどの中高年が、すたすた歩いてきて、山頂標識を確認すると、地図を見て、そのまま、下っていきました。
無論、アイゼンなどつけていません。
あの歩き方の安定感と速さは、山岳会の人たちだろうなあ。
よし、私もアイゼンなしで下ろう。
いやもう、想像通りの急な下りで、カニ歩きも良いところでしたが、何とか下り終えました。
(^_^;)
長い下りの果て、旧大石峠。14:05。
そこからはひと歩きで、国道。
今夜の宿、麦草ヒュッテ到着。14:20。
ヒュッテの人に、今日の予約は私1人と言われて、びっくりしました。
明日も休日なのに?
まだ早いので、ザックを置いて、周囲を散策。
雲が取れ、青空が見えてきたので、写真を撮りながら、丸山へのトレースを途中まで歩きました。
去年、やはりクリスマス前の連休に、縞枯山荘を早朝出発し、五辻経由でこの麦草ヒュッテまで来たとき、周囲に全くトレースがなかったのを思い出しました。
前日のトレースは、夜の間の風と少しの積雪で消えたのだと理解できます。
でも、今朝の宿泊客のトレースは?
何でないの?
あの日の疑問が解けました。
去年のあの日、麦草ヒュッテには、宿泊者はいなかったのでしょう。
麦草ヒュッテは、土曜日の夜は、宿泊客でにぎわうそうです。
でも、たとえ翌日の月曜日が休みも、日曜日の夜に泊まる人はいない。
地理的な要因が大きいのかなあ。
個室の多い山小屋でした。
大部屋もあり、私はもちろんそちらで予約していたのですが、大部屋に私1人だと、ストーブをつけても全く温まらないから、個室に案内されました。
山小屋で、個室、1人きり。
することがないので、廊下の本棚から山の雑誌を借りてきて、読みました。
家には、パラパラめくっただけでちゃんと読んでいない山の雑誌がたくさんたまっているんだけどなあ。
忙しくて好きな雑誌もろくに読めない秋でした。
「PEAKS」って、何で若い子に人気があるのかなあ。
とりあえず、中高年の読む山の雑誌は読みたくないというだけかなあ。
(^_^;)
山に来ると、1日が本当に長い。
午後に小屋に入ると、もうすることがありません。
携帯も通じないですし。
何もしないために山に来る。
本当に休日です。
夕食。17:30。
ロールキャベツと、川魚の塩焼きがメイン。
赤ワインがつきました。
飛び込みでご夫婦が1組宿泊されて、結局、宿泊者は私を含めて3人。
気さくな方たちで、話が弾み、楽しいひとときでした。
お正月は、マレーシアのキナバル山に行くとか。
いいなあ。
消灯を待たず、8時就寝。
かなり寒いかと思いましたが、毛布がモコモコで暖かく、欲ばって2枚かけたら、むしろ暑いくらいでした。
起床。6:00。
早朝は目が開かず、コンタクトレンズが入らない、ともたもたしているうちに、朝食。6:30。
ハムエッグ、味付け海苔、野菜もたくさん。
朝食後は、コーヒーのサービスもあり、嬉しかったです。
わあい、ドリップコーヒーだ。
(*^_^*)
出発。7:15。
昨日は比較的明瞭だった丸山へのトレースは、やはり風でほとんど消えていましたので、去年と同じく国道沿いに白駒池へ。
白駒池。8:00。
池は凍結し、池の上を横断するトレースがくっきり残っていました。
私もトレース通りに、池を横断してみました。
雪原のど真ん中に立ち、見上げると、紺碧の空。
そこからは、少し滑りやすい樹林帯の登り坂。
高見石小屋。9:30。
ここからは、よく踏み固められた広いトレースを下りました。
最初はゆるやかな道ですが、やがて、賽の河原。
大きな石が無数に並ぶ場所です。
今年は積雪が多く、石は大半隠れていて、歩きやすい道でした。
そして、素晴らしい眺望。
上の写真がそれです。
遠くにくっきり浮かぶ峰々が、怖いようでした。
何だか足が震えてきて、賽の河原は、岩と岩の間に落ちてしまわないよう気をつけないといけないのに、ぎくしゃくしてしまいました。
渋の湯。10:15。
洗い場も浴槽も全て檜の、古い造りの温泉です。
他に誰もいなかったので、温泉も独り占めしました。
さて、明日から、冬期講習です。
頑張ります。
2013年12月16日
北高尾山稜を歩いてきました。2013年12月

昨日、12月15日、北高尾山稜を歩いてきました。
木立の葉も落ち、遠望がきいて、低山歩きの楽しい季節となりました。
いつものように8:05三鷹発の中央特快に乗って高尾駅へ。
北口から、今日はバスには乗らず、歩き出しました。8:35。
小仏行きのバスの通り道です。
駅から直進し、最初のコンビニを左折。
しばらく歩き、次のコンビニで信号を右折。
またしばらく歩き、左手にメゾン・ド・プラムを見て、右折。
鉄橋を渡ると、道は畑へ行く農道のような感じになります。
神社を右に見て、左へ。三叉路は、薄暗い左のほうの道へ。
高速道路の下をくぐり、「八王子城址へ」という小さな道標のついている急な坂道を上がっていきます。
え、これ登山道なの?ここ、登っていいの?という雰囲気です。
以前、ここを下りたことがあるので自信をもって登っていきましたが、そうじゃないと、本当にここなの?と思うかもしれません。
ロープが張ってありますが、古びているので、あまり体重をかけないようにして、地面に手をついてよじ登りました。
1か所、張ってあるロープをくぐらねばならず、そのとき、ロープが背中のザックにひっかかって、ちょっと難渋。
ザックにトレッキングポールを差していると、もっと大変かもしれません。
この先、道が良くなるという確信があるから良いけれど、初めての道で、朝からこれだと、メンタルをやられそうです。
その後もしばらくは細い急な道が続きました。
2年前の台風で根本から倒れた木が、まだそのままにされています。
荒れているなあと感じる道をしばらく登り、お地蔵さまのあるピーク。9:25。
ここからは、道はかなり整備されていました。
富士見台。10:35。
かなり大きな富士山の頭が見えました。
見る場所が低いので、富士山も頭だけ。真っ白です。
道は登ったり、下ったり。
いくつも小ピークを越えていきます。
でも、こちら側から行くと、登りのほうが急です。
落ち葉が多いので、滑らない登りのほうが、この季節は楽かもしれません。
木立の向こうには、遠く奥多摩の山々。
秋から冬、遠くの山は紫色に見えます。
反対側は、奥高尾の主脈。
今日もにぎわっているかな。
いったん林道と交わる峠。11:30。
7人ほどのパーティと遭遇。
この道は、多摩近辺の山の会の方も好んで歩く道のようです。
いつ来ても、山慣れた様子の中高年のパーティと出会います。
黒ドッケ。12:05。
ここで道は分かれ、夕焼け小焼バス停へと下りていくこともできるようです。
歩いたことがないので道の様子はわかりません。
奥高尾は、広い。
歩いたことのない道が、まだたくさんあるなあ。
関場峠。12:55。
そろそろお昼にしたいのですが、眺めが良くて日差しが暖かくて落ち着いて座るところのある場所というのがなかなか見つかりません。
座る場所はあっても、日陰で針葉樹林と見つめあうような陰気な場所だったり。
堂所山への道を進みながら、良い場所はないかなあときょろきょろしていたのですが、道はこれまでよりも細くなり、岩がちになり、暗くなっていくばかり。
斜面の細い道には霜が降りていて、おそるおそる慎重に歩いていきました。
しかし、良いピークを発見。13:15。
上の写真は、そこで撮ったものです。
この写真には写っていないのですが、この右手の大きな木には、小鳥がたくさんいました。
胸元の白い、青灰色の小鳥。
巣があるようでした。
さらにひと登りで、堂所山。13:40。
明るい、気持ちのよい山頂でした。
ベンチもあり、休憩中の人もいます。
さて、どうしよう。
陣馬山へ行くか、高尾山へ行くか。
時計を確かめて、高尾山へ行くことにしました。
ただ、もう遅いので、全ての道をまいて行こう。
堂所山の急な道を下りると、奥高尾主脈の見慣れた道にポンと出ました。
まき道まき道と選び、景信山もまいて、小仏峠。14:45。
小仏城山もまきました。15:05。
高尾山もまいて、でも、山王院でお詣りはしました。
人がいなかったので、環をくぐったり、何かじゃらじゃら鳴らしてみたり。
(*^_^*)
そして、ケーブル駅に到着。
歩いているうちに絶対暗くなるので、今回はケーブルで下山。
16:30のケーブル。
今の時期、最終は17:30。
ただ、ダイヤモンド富士の見える数日、時間は延長されるそうです。
ダイヤモンド富士。
冬至前後の数日だけ、高尾から見る富士山頂に夕陽が沈んでいきます。
私も1度見に行きたいと思うのですが、今年も他に予定があり、行けそうにありません。
ケーブルを下りた頃には、うす暗くなっていました。
はあ、よく歩いた。
今日も楽しい山歩きでした。
2013年12月12日
冬期講習で学力差がつきます

さて、私立高校や私立中学はいよいよ期末テスト期間です。
公立中学はひとあし早く期末テストが終了しました。
うちの塾には、公立中学に通う生徒も何人かいますが、そのうち何人かは、今回の期末テストで、点数が大きく下がりました。
本人たちは、こんなことになるとは予想していなかったので、かなりショックを受けたようです。
その子たちに共通しているのは、塾に通う回数が、どうにも少ないこと。
8月は、通常授業に参加しただけで、夏期講習は参加しませんでした。
それは、何をやってもカバーできないことで、いずれ、必ずテストの点数に影響してしまいます。
しかし、うちのような個別指導塾は、営業に力をさけないので、本人の希望通りの少ない授業数を受け入れてしまいます。
どういう結果になるか、わかっているのに。
これは、私が反省すべき点です。
あんまりしつこくしても、お金もうけをしたくてそんなふうに言うと思われるだけかなあ。
そんなふうに勝手に思って、つい、営業努力を怠ってしまいます。
集団指導塾に通っていれば、全員が、夏期講習や冬期講習に参加します。
夏期講習や冬期講習は、年間のカリキュラムに組み込まれていますので、これに参加しないと、次の学期の通常授業に参加しても、授業のつながりが悪いです。
参加した他の生徒とは明確な学力差がついてしまい、学力別クラスも下がってしまいます。
退会するつもりでなければ参加しないわけにいきません。
また、個別指導塾でも、大手ならば、社員はボーナスの査定がかかってますから、本気の営業をします。
毎日のような電話。電話。電話。
冴えわたる営業トーク。
結果、どの生徒も夏期講習・冬期講習にたくさん参加します。
悪口みたいですけど、結局、これがあるから、大手個別指導塾の生徒は、学力が維持できているんです。
ひきかえ、うちの塾での生徒との会話。
「夏期講習って、何するの?」
「復習と、2学期の予習」
「復習は自分でするし、2学期の予習は、あんまりやっても忘れるから、じゃあ、夏の終わりにまとめて8月分の授業を受ける」
「・・・・・・」
生徒は、結局、夏休みや冬休みは遊びたいんです。
まだ受験生じゃないもん、そんなに勉強しなくても大丈夫でしょう。
成績は順調だし。
そんなふうに思ってしまいます。
保護者としても思いは同じで、受験学年になったら大変なんだから、今は少し遊ばせてあげようと考えたりします。
講習会費用もばかにならないし。
子どもと保護者の思惑がぴったり一致しますと、これはもう最強で、私の営業力では、授業を増やすことはなかなか難しい。
結果は、そのときすぐに表れるのではありません。
いずれあるときにガクンと成績が下がり、そうして、その回復には、何か月、あるいは何年もかかります。
場合によっては、もうそのままです。
そのときが、いつなのか。
中学2年生くらいから下降し始め、3年になって、少し上向きにはなっても、もう根本の学力は戻らない子もいます。
高校生になってから、自分の学力では高校の英語や数学がほとんど理解できないことにがく然とする子もいます。
「でも、友達も、誰も冬休みに塾なんか行かないし」
そんなことで安心しているのも怖いことです。
今の日本、進学率が上がったと言っても、4年制大学に進むのは、結局2人に1人です。
しかも、国公立・私立中学に通う子は、当然、ほぼ全員が大学に進みます。
市立中学に通う子で、4年制大学に進む割合は、3人に1人くらいではないでしょうか。
大学に進学しないだろう友達を基準に、判断していませんか?
そのくせ、自分は大学に行くつもりになっていませんか?
自分で復習するからいい。
そういう子が、実際に、夏休みや冬休みに、自分で何か1冊テキストを仕上げたという話を聞いたことがありません。
たいていの場合、学校の宿題をやるだけで終わってしまいます。
一方、講習会に参加する子は、学校の宿題をする他に、毎日塾に行き、総復習をします。
塾で勉強している時間プラス、塾の宿題をする時間。
ざっと数えて毎日3時間から5時間は、塾に通わない子より勉強します。
これで差がつかないわけがありません。
この夏、うちの塾に通う中2の中で、8月通常授業分ではなく、夏期講習としてまとめて授業を取った子は、1人だけでした。
夏期講習テキストを渡し、中1からきちんと復習をしました。
本人は、そんなものは必要ないと内心思っていたかもしれません。
中1の「正負の数」や「文字式」の計算の復習なんて必要ないと思うのは、中学生にはありがちなことです。
しかし、結果、宿題はバツだらけ。
「問題をなめているんじゃないの?何やってんの!」
と、毎回、私のカミナリの落ちる講習会でした。
単なる復習に見えて、実は、テキストのレベルを高くしてあったんです。
簡単に見えて解きにくい。
そういう問題をたくさん練習しました。
そして、今回の期末テスト。
うちの塾に通う中2で、数学90点台を維持できたのは、その子だけでした。
基礎から鍛え直し、見直した甲斐があったと思います。
他の子だって、手を抜いたわけではないのです。
でも、どうにも授業時間が足りませんでした。
ろくな復習もできないまま、あっという間に中間テストが来て、予習に追われ、復習やテスト対策ができないまま、すぐに期末テストが来ました。
あれもできない。これもできない。
あの問題も、きっと、テストに出たら解けない。
定着していないことがいろいろあるとわかっていて、定着まで確かめる時間がありませんでした。
うちの塾生に限ったことではありません。
それぞれの塾で、冬期講習に参加してください。
結果を出したいのなら、講習会に参加しましょう。
うちの塾生が、他の塾の冬期講習に参加するので、私は構いません。
とにかく、勉強してほしい。
せっかくの冬休み、勉強ばかりじゃかわいそう、と思う必要はありません。
遊んだだけの冬休みなんて、大人になったら思い出はほとんど残りません。
でも、しっかり勉強した冬休みは、塾へと通った冬の日の空気の匂いも、ノートやテキストのびっくりするような冷たさも、大人になると不思議な懐かしさで思い出すことができます。
頑張った自分の記憶は、一生、自分を励まします。
どうか、冬期講習に参加してください。
2013年12月10日
高川山を歩いてきました。2013年12月

2013年12月8日(日)、山梨県の高川山を歩いてきました。
この前歩いたのは、もう2年近く前の冬で、登山道が凍結し、泥と一体化した凍土となっていて、なかなか怖かった記憶があります。
今回は、まだ低山に雪が降る時期ではないので、楽しい初冬の山歩きでした。
いつものように三鷹発8:05の高尾行き中央特快に乗車。
秋の観光シーズンが終わり、登山客の姿がぐっと減った印象です。
終点高尾で、中央線に乗り換え。
こちらも、ハイシーズンは満員になる電車ですが、ゆったりと座っていくことができました。
車窓から、大月のランドマーク、岩殿山が見えてきて、大月駅下車。
岩殿山は、中央線からでも、高速からでも、露出した岩盤が目立つ山で、山好きでなくても、あの山は何だろうと記憶に残っていらっしゃる方も多いと思います。
ああ見えて、岩殿山までなら、幼児でも歩けるお散歩山です。
ヤマザクラがきれいな、お花見山でもあります。
その先、稚児落としまで行くとなると、多少高度感があるので、怖いのが嫌いな人は避けたほうが良いかもしれません。
スリリングで楽しい山です。
でも、今日は、そっちではなく、高川山へ。
駅の南口からまっすぐ歩き始め、国道を右折。9:30。
かなり長く感じる時間、商店街を歩き、大月橋を渡ったら、すぐ左折。
病院に向かって、最初は登り坂。
やがて、道はゆっくり下り坂へ。
あとは、道標の通りに右折し、道なりに行き、どう見ても民家の庭に入るぞというギリギリで左折。そこが登山道の入口です。
「この付近に熊の目撃情報あり」
といういきなりの看板に、ザックからごそごそと熊鈴を取り出し、よく鳴るように時計バンドにつけて、カンカン鳴らしながら歩き始めました。9:50。
登りきると、すぐむすび山。10:00。
大きな大きな富士山の頭が見えていました。
そこからは、登ったり、下ったり。
写真に撮るとそんなにきれいに見えないので、カメラを取り出すこともしませんでしたが、肉眼で見る限り、初冬の山は、葉の多くが落ち、その中で紅葉の名残も少しあり、良い風情です。
落ち葉が積もって、登山道が見えにくくなっているところは慎重に道を確かめながら、小さなピークを登ったり、下ったり。
右手には、ずっと大月の市街地や中央線が見えています。
左手には、田野倉の集落。
歩く人の少ない静かな山道ですが、あまり寂しい感じがないのは、市街地が常に見えているからでしょう。
歩き始めて2時間、1か所、かなりの急坂が登場。
トラロープが張ってあり、あまり頼らないようにしつつも片手はロープをつかみ、もう片方の手は、地面にしがみついて、何とか登り切りました。
道はだんだん岩がちになってきます。
難しいところはないのですが、岩が大きいので、どっこらしょと乗り越えていくと、山頂から下りてくる人と会うことが多くなってきました。
やがて山頂。12:30。
子どもも含め、かなりにぎわっている山頂でした。
山頂標識の方向に向け、三脚を立ててカメラの準備している人がいたので、邪魔にならない位置で昼食。
しかし、そこは、幼児が山頂の岩場を行ったり来たりするのに必要な足場の1つだったようで、至近距離で幼児がきゃっきゃしています。
あげく、ひっくりかえりそうになり、お父さんがダイレクトキャッチ。
子どもって、岩場が好きですね。
多少転んでも、子どもは怪我をしないけれど、頭を打つとさすがに危ない。
私の幼い頃、家は台地の麓にあり、毎日のように斜面を駆け上がって遊んでいました。
あげく、頭から滑落し、排水口のコンクリートにぶつけて頭から血を流して帰ったり。
そういうときの母は、子どものことが心配というレベルを越えて、自分自身が打撃を受けてしまう様子でした。
痛みを自分のことのように感じての、精神的な打撃なのかもしれません。
表面的には、そんなにうろたえているというのではないけれど、明らかに顔色が悪い。
あんまり危ないことをしたらいけないなと、母のそういう様子から感じとった子ども時代でした。
子育ては、理性が必要だけれども、母親のこういう本能的なものが土台にあって成立するのでしょう。
高川山は、富士山が大きく見える山。
けれど、今日は、上の画像の通り、山頂付近がかろうじて雲の間に見える程度でした。
大きな大きな裾野で、富士山だとわかります。
さて、下山。12:50。
下山は、山の西側、初狩駅に向かって下りていきました。
男坂、女坂、沢コースと別れていますが、迷わず女坂へ。
ときどき急坂もありますが基本的には歩きやすい道をとっとこ下り、登山口。13:40。
初狩駅。14:05。
ちょうど上り中央線が来て、すぐに乗車。
ちょっと歩き足りなかったですが、帰宅する頃には、もう夕暮れ。
日の暮れるのが早い時期は、こんなコンパクトな山歩きでちょうど良いかもしれません。
そして、これを書いている今日、10日火曜日は、朝から雨。
八ヶ岳には、雪が降っているかなあ。
さあ、もうすぐ雪山シーズンです。