たまりば

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2020年10月29日

高校数Ⅱ「図形と方程式」。円の接線の方程式。


今回は、円の接線の方程式です。
まずは、公式を確認しましょう。

円 x2+y2=r2 上の点A(x1 , y1)における接線の方程式は、
x1・x+y1・y=r2

証明しましょう。
この円の中心は原点Oです。
まず点Aが、x軸・y軸上の点ではないとき、
直線OAの傾きは、y1/x1 となります。
また、接線は、円の半径である線分OAと垂直ですから、接線の傾きは、
-x1/y1 
となります。
垂直に交わる直線の傾きの積は-1だからです。
よって、求める接線は、傾きが -x1/y1 で、点(x1,y1)を通る直線ですから、
y-y1=-x1/y1(x-x1)

これを変形しましょう。
両辺にy1をかけて、
y1(y-y1)=-x1(x-x1)
展開すると、
y1・y-y1の2乗=-x1・x+x1の2乗
移項して、
x1・x+y1・y=x1の2乗+y1の2乗
ここで、点Aはこの円上の点だから、(x1,y1)は、この円の方程式の関係を満たすので、
x1の2乗+y1の2乗=r2
よって、
x1・x+y1・y=r2
これが、接線の方程式です。

なお、点Aが、x軸上にあるとき、接線の方程式は、円の半径より、
x=r または、x=-r です。
上の公式に代入した場合、
(x1,y1)=(r,0)のとき、
rx+0・y=r2
rx=r2
x=r
また、(x1,y1)=(-r,0)のとき、
-rx+0・y=r2
-rx=r2
x=-r
となり、上の公式を用いてよいことがわかります。

点Aがy軸上にあるときも同様に、代入すると、
y=r または、y=-r
という式を得ることができます。


さて、公式を証明できたので、練習してみましょう。

問題 円x2+y2=25がある。
(1) 円上の点(2,√21)における接線の方程式を求めよ。
(2) 円外の点(1,7)からこの円にひいた接線の方程式を求めよ。

(1)は、接線の公式に代入するだけですね。
x1・x+y1・y=r2 に代入して、
2x+√21y=25
これでもう答です。

(2)は、接点がわからないことに注意が必要です。
公式に(1,7)を代入しても、別の式が出来てしまうだけです。
公式を使うだけというわけにいきません。
では、求める式を、何か文字を使って表すことはできないでしょうか?
求める式は、接線ですから、直線の式です。
情報としては、点(1,7)を通ることはわかっています。
直線の公式を思い出してみると、傾きか、あと1点の座標を文字にすれば、仮の式を立てることができそうです。
どちらでもいけそうですが、傾きを文字に置いたほうが簡単そうな気がするので、それでやってみましょう。

求める接線の傾きをmとすると、点(1,7)を通ることより、
y-7=m(x-1)
これを整理すると、
y-7=mx-m
-mx+y+m-7=0
mx-y-m+7=0

あとは、このmの値を求めればよいのです。
mを使った、何か別の方程式を立てましょう。
使っていない情報は・・・。
円の半径をまだ使っていない!
円の中心Oとこの直線との距離が、円の半径5であることを利用できそうです。
点と直線との距離の公式に代入して、
|-m+7|/√(m2+1)=5
両辺に√(m2+1)をかけて、
|-m+7|=5√(m2+1)
両辺を2乗して、
(-m+7)2=25(m2+1)
m2-14m+49=25m2+25
-24m2-14m+24=0
12m2+7m-12=0
(4m-3)(3m+4)=0
m=3/4 , -4/3
よって、求める接線は、
y-7=3/4(x-1)を整理して、y=3/4x+25/4
y-7=-4/3(x-1)を整理して、y=-4/3+25/3

この2本の式が、答です。


ところで、上の接線の公式、中心が原点の円のときですが、もっとそれ以外の点が中心の円でも使えないでしょうか?
そういう公式もあります。

中心が(a,b)、半径がrの円、すなわち、
(x-a)2+(y-b)2=r2 上の点(x1,y1)における接線の方程式は、
(x1-a)(x-a)+(y1-b)(y-b)=r2

これは、平行移動で考えます。
上の円をC: (x-a)2+(y-b)2=r2 とします。
この円を中心が原点になるような平行移動すると、
円C': x2+y2=r2
となります。
この平行移動により、接点A(x1,y1)は、A'(x1-a , y1-b)に移動します。
この点A'における円C'の接線は、公式により、
(x1-a)x+(y1-b)y=r2 です。
この接線をもとに位置に平行移動しましょう。
x軸方向にa、y軸方向にbだけ平行移動すれば戻ります。
よって、求める方程式は、
(x1-a)(x-a)+(y1-b)(y-b)=r2
です。
途中でよくわからないところがあった人は、おそらく、平行移動のところが曖昧になっていると思いますので、見直すと、意味がわかると思います。

問題 円(x-1)2+(y-2)2=25上の点(4,6)における接線の方程式を求めよ。

上の公式に代入すれば求められます。
(4-1)(x-1)+(6-2)(y-2)=25
これを整理します。
3(x-1)+4(y-2)=25
3x-3+4y-8=25
3x+4y=36
これで答です。

では、こんな問題は?

問題 円x2+y2-2x-4y-4=0に接し、傾きが2である直線の方程式を求めよ。

与えられた円の方程式を整理しておきましょう。
(x-1)2+(y-2)2=4+1+4
(x-1)2+(y-2)2=9
よって、この円の中心は(1,2)、半径は3です。

さて、求めるのは接線です。
直線で、傾きが2であることがわかっていますから、文字を用いて、
y=2x+n とおきましょう。

nを求めるために、何か方程式を立てたいです。
円の中心と直線との距離は、円の半径のことですから3です。
これが使えそうです。
y=2x+n を整理すると、
2x-y+n=0
これと点(1,2)との距離は、
|2-2+n|/√(4+1)=3
これを計算すると、
|n|=3√5
n=±3√5
よって、求める直線の式は、
y=2x±3√5

できました。

こういう問題が苦手な人は、とにかく、何か文字を使って、求めたい式を表しておき、その文字に関する方程式を立てるんだ、という解き方の流れを把握しておくと、何をしたらよいか、指針が見えてくると思います。
解き方を丸暗記するには、問題のバリエーションが多いです。
1問1問暗記しても、テストは別の形式の問題が出題されるかもしれません。
覚えるべきは、解き方の指針です。
そして、どんな公式や定理を使うことが多いのか、です。
接線の公式は勿論ですが、これまでに学習した直線の式や、点と直線との距離など、よく使う公式を把握しておくと発想しやすくなります。


  


  • Posted by セギ at 12:33Comments(0)算数・数学

    2020年10月26日

    玉川上水緑道を小金井公園まで歩きました。2020年10月。


    2020年10月18日(日)、ウォーキングをしてきました。

    前回、井の頭公園に行こうとして間違って歩いてしまった玉川上水緑道。
    この道は、三鷹から西のほうにもかなり伸びているのでは?
    そういえば、何年か前、多摩湖歩行者自転車道を自転車で走ろうとして、道に迷って玉川上水沿いに出てしまったことがありました。
    その記憶をたどり、東京都区分道路地図を眺めると、道は延々と続いています。
    舗装されている道かもしれないけれど、ちょっと歩いてみることにしました。

    デイパックに、財布・携帯・水・タオル・アルコールティッシュ、そして今回は、もし手を洗う機会があったらと、キッチンペーパーを少し濡らして泡ハンドソープを含ませたものをビニール袋に入れて、それもディパックに入れました。
    マスクをして、さて出発。
    久しぶりに晴れたので洗濯などをしていたせいで、出発は、13:00。
    遅い。
    14:30頃にはUターンしようと決めて出発しました。

    三鷹駅の北口、玉川上水に沿って西へと歩いていきました。
    川のどちら側を歩いたら良いかよくわからないので、とりあえず川の南側を歩いてみました。
    玉川上水は、西側が上流でしょうか。
    だとしたら、川の南側は右岸ですね。
    上水は、草木がやたらと茂っています。
    柵がしっかり張られてあり、川床が深いので、川面はほとんど見えません。
    三鷹の密林。
    それが玉川上水道。
    川の南側は舗装されていましたが、細い道なので、車が来る心配はなく、気楽に歩けました。

    やがて玉川上水は、大きな交差点で方向を変えていきました。
    というより、道路の方向が変わっていくのですね。
    その交差点を渡るのに、押しボタン式信号を渡らねばなりませんでした。
    ボタンに触りたくないなあ。

    そんなときのために、ポケットには、シートタイプのトイレクリーナーを1枚入れてきました。
    アルコール濃度は低いと思うので、ちゃんとした除菌には使いませんが、物に直接触れたくないときに、シート越しに触れるので便利です。

    「この先、バイク・自転車は通行できません」
    という看板が見えてきて、その先は未舗装の道に入りました。

    土の感触が気持ちいい。
    やはり歩きやすいです。
    進行方向、道の左側は普通の住宅街。
    右側は、鬱蒼と草木の茂る玉川上水。
    そのさらに向こうは、車道。
    ここは、街の中。
    それでも、土の道だというだけで楽しくなります。

    「ぎんなんばし」というところで、土の道は終わり、交差点を渡りました。
    川の右岸と左岸の両方を見比べて、もうその先は右岸も舗装されていたので、左岸、川の北側に回りました。
    これが、案外良かったです。
    歩道が未舗装なのです。
    道路は舗装道路ですが、歩道は未舗装。
    土の道です。
    これは素晴らしい。

    その先、さらに交差点を渡ると、浄水場が見えてきました。
    右手は浄水場。
    道の左側の歩道は広く、ときどきベンチも設置されてありました。

    玉川上水は、やがて五日市街道と合流。
    道路の交通量は増えていきましたが、歩道は未舗装のままでした。
    道路より一段高く設置され、柵も高いです。
    両側に草の生える土の道を歩いていきます。
    足元だけに目を落とせば、ここは平らな山道のようです。
    目を上げれば、右手にファミレスなどが次々見えてくるのですが。
    道が平らなので、息が切れるということもなく、どこまでも歩ける気がします。

    やがて、「小金井公園」の掲示が見えてきました。
    駐車場入り口の電光掲示板は「満車」を示していました。
    車でこの公園に来ている人が随分多いようです。

    公園の広い入口から中に入りました。
    花壇には、咲き残るマリーゴールド。

    公園の奥へと進んでいくと、広い広い草地に、いくつかテントが張られていました。
    車でこの公園に来て、テントを張って遊んでいるのでしょう。
    小金井公園は、テント設営OKなのですね。
    調理や宿泊はOKなのかな?ダメかな?
    コロナ禍の中でのレジャー。
    車にテントや折り畳み椅子を載せてきて、広い草地で1日のんびり過ごすのでしょう。

    さて、予定の14:30を過ぎていましたので、ここを一応の目的地として、Uターンすることにしました。
    来た道を戻ります。
    山を歩くときは、下りだから短い時間で下山できて当たり前ですが、平地を歩いても、帰り道のほうが時間は少し短くて済むということに気づきました。
    知らない道を最初に歩くときは、用心して歩くので、少し歩みが遅くなるのかもしれません。
    周囲の様子をうかがいながら歩いているのでしょう。
    帰り道は、淡々と歩くことに集中できるから速いです。

    帰りは、川の左岸、北側のみを歩きました。
    三鷹駅まで、やはり大半は未舗装でした。
    遠くまで歩いたわりに、足に負担がかかりません。
    今度はもっと朝から出かけて、さらに先まで歩いてみるのも楽しそうです。

    帰宅。
    歩数計を見ると、18,779歩でした。


      


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    2020年10月23日

    高校英語。仮定法。仮定法過去。


    仮定法とは何かについて、前回説明しました。
    事実を述べるのではなく、事実に反する仮定の話をするときには、仮定の話だと明確に伝わる異様な時制を用いる。
    まずはそれを理解することで、仮定法に対する抵抗感はかなり薄まると思います。

    今回は、仮定法過去を見ていきましょう。
    仮定法過去とは、文面上は過去形を用いるのですが、表しているのは、現在の事実に反する仮定です。
    仮定法は、時制が1つ古くなる。
    これを覚えておくと、ルールが見えてくると思います。

    まずは例文を見てみましょう。

    If I had enough time and money, I would travel around the world.
    もし十分な時間とお金があれば、私は世界中を旅するだろう。

    if 節に過去形が用いられています。
    仮定法はわざと1つ古い時制を用いています。
    だから、これは、現在の事実に反する仮定です。
    また、主節に、助動詞 will の過去形 would が用いられています。
    仮定法の主節は、助動詞の過去形を用います。
    will の過去形の would 、 can の過去形の could 、 may の過去形の might。
    こうした、助動詞の過去形を主節に用います。
    「~できる」の意味が主節にあるときには、could。
    「~かもしれない」の意味が主節にあるときには、might。
    特に付加された意味のないときには、would を用います。

    仮定法に対する大前提の抵抗感がなくなっても、まだ仮定法で混乱することの1つに、この助動詞があるようです。
    would が will の過去形だと知らなかったと言う子に、何人が出会いました。

    ・・・いや、時制の一致に関する問題で、使ってきたでしょう?
    I know she will go to Osaka tomorrow.
    を過去形にせよという問題の答は、
    I knew she would go to Osaka on the next day.
    でしょう?

    そのように問いかけても、はかばかしい反応がありません。
    そういう問題は全て誤答し、よくわからないままスルーしてきたのかもしれません。

    最初に would を見たとき、それを will の過去形という形では認識しなかった、ということも影響しているのでしょう。

    Would you tell me the way to the station?
    駅への道を教えてくださいませんか。

    といった文は、中学の教科書の会話表現のコーナーなどで学習しています。
    会話表現だから、そういうものなんだと丸暗記で済ませ、この would が何であるのか考えたことがなかったのかもしれません。

    I would like to be a doctor.
    私は、医者になりたい。

    といった文も、中学で学習しますが、この would が何であるかは不明なまま、would like to ~= want to ~と丸暗記する人が多いです。
    というよりも、丸暗記しようとして結局覚えられず繰り返し誤答してきた、という人のほうが多いかもしれません。
    短縮形を用いた、
    I'd ( ) to go abroad.
    といった穴埋め問題で、I'd が I would であることに気づかず、
    I'd (want) to go abroad.
    などとしてしまう誤答はよく見ます。

    丁寧な表現だったり、遠まわしな表現だったりする ときに用いるこの助動詞 would はwill の過去形です。
    これらは、一種の仮定法表現だとみなすと、意味がわかると思います。
    直説ではちょっときつい感じのすることを、仮定の形で伝えると、丁寧になる。
    あるいは、遠回しになる。
    そういうことなんだと理解すると、would の用法とあわせ、これが will の過去形であることも納得のいくことだと思います。


    そんなことではなく、とにかく助動詞の過去形を使う、ということが理解できない!
    何で?
    何でそんなのを使うの?

    ・・・と、やはり、仮定法というものへの抵抗感から、反発心まで起こり、理解を妨げるということもあるようです。
    英語が嫌いなので、とにかく英語に文句を言いたい。
    そういう気持ちは、英語学習の最大の障害です。
    自覚し、意識して取り除きましょう。
    仮定法の主節は、助動詞の過去形を用います。
    主節に助動詞の過去形がなかったら、直説法の過去形との区別がしにくいです。
    主節の助動詞の過去形は、その文が仮定法であるかどうかを簡単に見分ける目印なのです。

    もう少し例文を見ていきましょう。

    If the government worked more efficiently, more people would vote.
    もし、政府がもっと有能に働けば、より多くの人々が投票するだろう。

    これも同じです。
    if 節は、過去形。
    主節は、助動詞過去形+動詞原形。
    助動詞の後ろは動詞原形、という英語の根本ルールに従っています。

    If I could play the piano, I would play it for you.

    このように、if 節に「~できる」という意味があるときには、助動詞を過去形にして用います。
    その際も、勿論、主節は主節で助動詞の過去形を用います。
    文法テキストや問題集に、こうした if 節が助動詞を含んでいる文があると混乱し、どちらに助動詞を使うかわからなくなる人もいるようです。
    if 節は、基本的には助動詞は不要。
    必要だったら書いてもいい。
    どちらにしろ、過去形。
    主節は、助動詞過去形+動詞原形。
    この基本をまずは覚えましょう。

    これが仮定法過去。
    現在の事実に反する仮定です。

      


  • Posted by セギ at 11:53Comments(0)英語

    2020年10月20日

    高校数Ⅱ「図形と方程式」。円の方程式。円の弦の長さ。



    今回は、円の弦の長さを求める問題です。

    問題 直線 y=x+2 が円x2+y2=5 によって切り取られる弦の長さを求めよ。

    上の図のように、円と直線の交点をA、Bとおくと、求める弦の長さは、線分ABです。
    これを求めればよいのですね。

    求めようと思えば、点A、Bの座標を求めることはできます。
    直線と円の方程式を連立すればよいのですから。
    そうやって2点の座標を求めてから、2点間の距離を求めることはできると思います。
    最悪、その求め方も視野に入れておくとして、他にもっと簡単に求める方法はないでしょうか?

    ここで、点Oと点A、Bを結び、△OABを考えてみます。
    線分OA、OBは、それぞれ円の半径ですから、OA=OBです。
    ということは、△OABは二等辺三角形です。
    二等辺三角形・・・。
    二等辺三角形の定理というと・・・。

    ここで、「2つの底角は等しい」しか思い浮かばない人が多いのですが、案外よく使うもう1つの定理があります。
    「二等辺三角形の頂角の二等分線は、底辺を垂直に2等分する」
    というものです。
    図形が苦手な人に、二等辺三角形の定理を言ってもらうと、こちらの定理を言える人はほとんどいません。
    よく使う大切な定理を活用できる状態で記憶していないので、問題を解くことができないのです。
    幾度それで失敗しても、時間が経つと、またこの定理を忘れています。
    この定理、本当によく使いますから、覚えておいてください。

    頂角の二等分線をひき、線分ABとの交点をMとしましょう。
    定理の通り、AM=BMとなります。
    また、∠OMA=∠OMB=90°です。
    △OMAは、直角三角形。
    三平方の定理が使えます。
    OMとOAの長さを求めれば、AMの長さを求めることができます。
    それを2倍すれば、ABの長さとなります。

    やってみましょう。

    OMは、円の中心O(0,0)と、直線ABとの距離ですから、点と直線との距離の公式に代入しましょう。
    直線x-y+2=0 との距離ですから、
    OM=|2| / √1+1=√2
    また、OAは、円の半径ですから、円の方程式より√5 であることが読み取れます。
    よって、△OMAにおいて三平方の定理より、
    AM=√5-2=√3
    AB=2AM=2√3
    これが答となります。

    この問題は典型題で、よくテストに出ます。
    自力で発想できなかった場合は、この解き方のテクニックを覚えておきましょう。
    数学の問題の解法テクニックを覚えておくことは、解き方の丸暗記というのとは少し違います。
    使いまわしが効く覚え方をしておくことは、必要なことです。
    発想のヒントになります。
    他の問題で、この解き方を使えるかもしれません。
    定理を頭に入れておくことと同様に、数学の問題を解くために必要なことです。
    自力で解き方を発想できない人は、定理やテクニックが頭に入っていないことが多いのです。
    使える武器が頭の中にないのに、発想できない、どうしたら解き方を思いつけるようになるのか、と悩んでいます。
    頭の中にないものは、発想できないと思います。
    誰でも、無から有を生み出しているわけではありません。
    発想は空から降ってくるものではなく、自分の中の知識を組み合わせるのです。
    頭の中にあるものから発想するのです。

    頭の中にある武器が有機的につながっていて、網の目のように張っている人ほど、発想しやすいです。
    どうすれば網の目を張れるかといったら、それは問題を解いた経験値を上げていくのが一番です。
    自分で考えてみる。
    試行錯誤してみる。
    そうした思考の痕跡が網の目の1つ1つになります。
    急にスラスラ解けるようになる発想法や頭の使い方があるのだろうにそれを誰も教えてくれないと嘆くより、自分の頭を使って考えてみましょう。
    使えば使うだけ、頭の中の網の目は張ります。


    ところで、最初の発想に戻って。
    点A、Bの座標を求めれば、2点間の距離を求められる。
    この発想にちょっとこだわってみましょうか。
    とはいえ、円と直線との交点です。
    分子に平方根のある分数になる可能性が高く、嫌な予感がしますが。

    y=x+2 と、x2+y2=5 を連立して、
    x2+(x+2)2=5
    x2+x2+4x+4=5
    2x2+4x-1=0
    明らかに、因数分解はできないですね。
    解の公式を用いましょう。
    x=-2±√4+2 / 2
    =-2±√6 / 2

    点Aのx座標が-2-√6 / 2 で、Bのx座標が-2+√6 / 2 です。
    そして、それぞのy座標は、y=x+2 に代入して求めることができますから、
    A(-2-√6 / 2 , 2-√6 / 2)、B(-2-√6 / 2 , 2+√6 / 2) 
    となります。
    この2点間の距離ですから、2点間の距離を求める公式に代入します。
    手書きならば普通に書いていけばよいのですが、ネット上では見た目が煩雑になるので、途中はちょっと省略します。
    x座標の差の2乗+y座標の差の2乗が、2点間の距離の2乗です。
    x座標の差の2乗は、6。
    y座標の差の2乗も、6。
    よって、2点間の距離の2乗は、12。
    2点間の距離は、√12=2√3 です。

    落ち着いて丁寧に計算すれば、正解に至りますが、やはり、煩雑でした。
    この発想で、もう少し計算が簡単になる方法はないでしょうか?
    さらに考えてみましょう。
    2次方程式といえば、解と係数の関係。
    これを使うのは、どうでしょうか。

    点Aのx座標をα、点Bのx座標をβとおきます。
    これは、先ほどのように、y=x+2 と、x2+y2=5 とを連立して整理した方程式である、
    2x2+4x-1=0
    の2つの解です。
    解と係数の関係より、
    α+β=-2、αβ=-1/2
    となります。
    また、y=x+2 に代入すると、点A、Bの座標は、
    A(α , α+2)、B(β , β+2) と表せます。

    2点間の距離の公式を、ただし2乗のままで表すなら、
    AB2=(β-α)2+{(β+2)-(α+2)}2
    =(β-α)2+(β-α)2
    =2(β-α)2

    ここで、
    (β-α)2=(β+α)2-4αβ ですから、
    AB2=2{(α+β)2-4αβ}
    =2{(-2)2-4・(-1/2)}
    =2(4+2)
    =12
    よって、AB=√12=2√3 となります。

    解をいったんα、βと置くのも、よく使う手法ですが、解くことができるという確証が得られないと、なかなか使う気になれないかもしれません。
    しかし、数学の問題で、最初から解くことができるという確証を得られることは少ないです。
    大抵の場合、見切り発車です。
    ダメだったらまた別の解き方で解こうと思う人たちが、試行錯誤を繰り返し、数学を得意になっていきます。


      


  • Posted by セギ at 12:35Comments(0)算数・数学

    2020年10月18日

    井の頭公園まで歩きました。


    コロナ禍で、スポーツジムにも山にも行けなくなって、もう半年以上になります。
    ジムに行けないので、昔購入してあまり使わなかったビリーズブートキャンプのDVDで体操をしています。
    付属品のチューブ(ビリーズバンド)は、さすがに耐用年数を越えていると思うので使用していませんが、むしろ使わないほうがあまりつらくないので、ちょうどいいようです。
    毎日やるのもまたつらいので、とりあえず、週3日くらい。
    忙しくてできなかったときは、それはそれと諦めて。
    そんなふうにして、半年ほど続いています。
    ジムでいい加減なエアロビクスをやるよりも、むしろ身体の歪みは補正された感があります。

    運動不足はそれで解消されるとしても、やはり、できれば自然の中を歩きたいです。
    というよりも、とにかく歩きたい。
    10月16日(金)の昼間、ちょっと散歩をしてみることにしました。
    今後、他のコースも開拓するとして、とりあえず、井の頭公園に行ってみましょう。
    デイパックに財布・携帯・タオル・のど飴・水・アルコールティッシュを入れて、出発しました。

    三鷹駅前の風の散歩道。
    春は桜がきれいですが、今の時期は特に何もありません。
    新緑がきれいということもなく、紅葉がきれいということもない。
    それでも、歩くだけで何だか楽しいのはなぜでしょう。
    普段、教室に行くのも歩くのは面倒で自転車にしているというのに。
    それよりもずっと遠い距離を歩くのに、遠いと思わない。
    心のモードが違っているのでしょう。
    蝶がヒラヒラと飛んでいました。
    うん?アサギマダラ?
    いいえ。よくみたら、普通のアゲハチョウでした。
    アサギマダラ。
    今頃、奥高尾をフワフワ飛んでいるだろうなあ。

    風の散歩道の突き当り、万助橋から横断歩道を渡って、いよいよ緑地に入っていきました。
    土の道に入り、さらに気持ちがはずみます。
    舗装されていない道は、歩いていて本当に足が楽で、いくらでも歩けます。
    木陰の緑道は風も涼しく、清々しい。
    そう思ってどんどん歩いていたら・・・。

    ・・・道に迷いました。

    気がつくと、玉川上水の緑道に入ってしまっていました。
    井の頭公園は何度か行ったから大丈夫さと、地図も持たずに来たのが良くなかったようです。
    ともあれ、土の道であれば何でもいいので、そのまま先に進みました。

    道の右手に壁が立てられているところがありました。
    壁には長方形ののぞき穴が開けられ、数人、そこに佇んで中を見ています。
    カメラを構えている人も。
    ソーシャルディスタンスを保ちながら、空いているのぞき穴からのぞき込むと、壁の向こうは小さな池でした。
    水鳥が来るのでしょうか?
    眼鏡をかけていなかったので、水鳥が来ているのか来ていないのか、よくわからなかったけれど、こんな場所もあるんだなあ。

    玉川上水の脇の遊歩道は、やがて舗装されたところに出てしまいました。
    またしばらく行くと、遊歩道になるのかもしれません。
    今度、確認に行こうかな。
    舗装していない散歩道をもっと整備してくれたら嬉しいけれど、多くの遊歩道は舗装してあります。
    舗装しないと水たまりなどできやすいから遊歩道の安全な維持はむしろ難しいのかなあと考えながら、来た道とは川の反対側のほとりを戻ることにしました。
    こちらも土の道でした。
    嬉しい。
    井の頭第二公園がすぐに見えてきました。
    何もなく、誰もいない。
    そして広い。
    ここで少し休憩。
    良い公園でした。

    またしばらく川沿いの土の道を歩いていき、道しるべの通りに、公園に入りました。
    ここは井の頭恩賜公園。
    木立の中、何となく道らしきものはあるけれど、その他のところを歩いても特に問題はありません。
    歩きやすいし、広いし、何もないのが気持ちいい。
    小学生の集団が、お昼ご飯を食べていました。
    遠足でしょうか。
    小学生の集団としては以前は考えられなかった静けさでした。
    それぞれ座って、黙って食事をしています。
    食事中の会話による飛沫が極めて危険なことは実証されていますから仕方ないのですが、不自由だろうなあ。

    子どもの心の栄養は、三密と不要不急。
    やってはいけないことばかり。
    しかし、それは、クラスターを起こしていい理由にはなりません。
    子どもは重症化しないとしても、後遺症の可能性はあります。
    どうにもならないなあ・・・。

    人類の歴史をさかのぼって考えれば、ペストでも何でも、治療法が見つからなかった時代であっても、流行は年単位で考えれば収束しました。
    謎の弱毒化。
    謎の収束。
    それが繰り返されてきました。
    画期的治療法やワクチンが開発されなかったとしても、長くても数年でこの災いは去るはずです。
    急ぐまい、と思います。
    コロナが収束したら、また山に行こう。

    細い道路を渡ると、池のある井の頭公園。
    舗装された階段を下りていくと、井の頭公園には、山野草のスペースがあります。
    数年前、春に来たときは、山の春の花が咲いていて、ちょっと嬉しかったのですが、しかし、今回は夏草の勢いが凄いです。
    「ヤマホトトギス」や「ヤマジノホトトギス」の札が立てられていましたが、それらしき花はありませんでした。
    今頃、山で咲いているだろうけれど、街ではもう少し早く咲くだろうから、もう終わってしまったのかもしれません。

    そこから、池を1周しました。
    やはり、できるなら土の道のほうを歩きたい。
    ときおり、ベンチに座って静かに池を見ている人がいます。
    少し離れて、その後ろを私も静かに通りすぎます。
    池は、スワン型ボートが何台か稼働中でした。

    歩数計を見ると、ここまでで約6000歩でした。
    全く歩き足りないですが、そろそろ帰りましょう。
    ここは、紅葉の頃にまた来たいな。
    紅葉の頃は、混雑するかな。
    そんなことを思いながら、来た道を戻りました。

      


  • Posted by セギ at 12:23Comments(0)

    2020年10月14日

    高校英語。仮定法。仮定法とは何か。


    さて、今回は仮定法。
    高校の授業が「仮定法」に入ると、「全くわからない」と塾で訴える子が多くなります。
    心の準備なく、いきなり仮定法を学習すると、何がどうしてそうなるのか、全くわからない、ということがあるようなのです。
    前提がわからないので、「仮定法過去の例文から見ていきましょう」といった授業を聞いても、何にもわからないのでしょう。

    こうした状態は、仮定法で最も顕著ですが、人によっては仮定法よりも前の単元でも起こります。
    先日、中学生に、動名詞と不定詞の使い分けについて授業をしたときも、そうでした。

    ①動名詞のみを目的語にとる動詞。
    ②不定詞のみを目的語にとる動詞。
    ③動名詞・不定詞の両方を目的語にとり、意味も変わらない動詞。
    ④動名詞・不定詞の両方を目的語にとるが、意味が異なる動詞。

    この4通りのそれぞれについて解説し、動詞によって使い分けることを強調し、さて、それでは練習問題を解いてみましょう、と声をかけましたが、全くペンが動かないのです。
    完全に固まっていました。

    見分け方がわからないのかと、1問1問、補助し、一緒に解こうとしても、答を書いたり書かなかったりと、反応が変なのでした。
    「・・・どうした?わからない?」
    「・・・」
    「何がわからない?」
    ここから、何を問いかけても反応のない不毛な時間がしばらくありました。
    もしかしたらと思い、私は問いかけました。
    「・・・なぜ動名詞と不定詞を使い分けるのかが、わからない?」
    その子は、うなずきました。

    動名詞と不定詞を「どう使い分けるのか」ではなく、動名詞と不定詞を「なぜ使い分けなければならないのか」、それがわからない・・・。

    こうした疑問は、英語学習の妨げとなることが多いのです。
    そもそもの根本でつまずくので、その後の使い分けの説明など、耳に入らなくなってしまうのでしょう。

    それぞれの言語に、それぞれのルールがあります。
    外国人から見たら、それは意味のない不可解なルールの場合もあるかもしれません。
    しかし、それは、単に言語だけの問題ではなく、その言語を話す民族の歴史や文化と深く関わっています。
    動名詞と不定詞は、使い分けなくても良いだろうけれど、英語では使い分けているんだから、それで仕方ないのです。
    日本語にもそういう不可解なルールは沢山あり、だから、Why Japanese people? なんてお笑いのネタもありました。
    アメリカ人の芸人さんが、漢字の「一」「二」「三」を書いていき、ははあ、パターンがわかったぞ、と思ったら、急に「四」。
    Why Japanese people?
    そこを指摘されても、理由なんか知らないですし、確かにおかしいから「四」という漢字を改めようなんて、誰も思わなかったですよね。

    以前も書きましたが、動名詞は既に起きていること、不定詞はこれから起こることに使われる傾向があることがわかっています。
    他にもいくつか、使い分けの基準があります。
    しかし、なぜそんなことを使い分けなければならないのか、その理由は不明です。

    こうした疑問は、学問の始まりです。
    なぜ、動名詞と不定詞を使い分けるようになったのか?
    それは、英語の歴史をさかのぼってみていかなければならないでしょう。
    いつから動名詞と不定詞は使い分けられているか。
    文献としてさかのぼれるところまでさかのぼって、考えていかなければなりません。
    いえ、さかのぼったところで、なぜ使い分けるようになったのか、その結論は出ないだろうと思います。
    私たちは、歴史的な経緯を知ることができるのみです。
    言語は、誰かが意図的に作ったものではありません。
    だから、意図を問うのは、無意味です。
    ただ、どういう経緯をたどってそうなったのかを知ることには意味があります。
    そうした観点から英語を研究する。
    それを英語学といいます。
    本当に興味を抱いて、それを大学で学びたいと思うなら、それは素晴らしいことだと思います。

    ただ、多くの場合、こうしたことに疑問を抱いて、そこで石のように固まって、その後の説明が耳に入らなくなってしまう人は、そこから英語が苦手になり、英語嫌いをこじらせてしまうのです。


    仮定法に対する違和感・抵抗感も、同じです。
    なぜ、仮定法を使うのかが、わからない。
    なぜ、変な時制にわざわざするのか、意味がわからない。
    そこでつまずいて、その先の授業内容が頭に入らない。
    そういう高校生が多いように思うのです。

    日本語には、仮定法は存在しません。
    事実に反する仮定を述べるときに時制を変えたりはしません。
    英語に仮定法が存在するのは、英語を用いる民族の文化的・歴史的背景に由来するものでしょう。
    1つ可能性として考えられるのは、英米の人は、嘘を嫌う。
    「嘘つき」呼ばわりされることは、ひどい侮辱。
    英米では名誉に関わる重大なことです。
    しかし、仮定法は、仮定の話。
    事実に反する話。
    「嘘」に似ています。
    自分は事実ではないことを述べているが、しかし、それは「嘘」ではなく、仮定の話である。
    わざと奇妙な時制を用いることで、「嘘」ではなく仮定の話をしていることを自分にも相手にも納得させる必要があるのではないでしょうか。

    上のことは、あくまで推論です。
    学問とは呼べない種類の憶測です。
    しかし、仮定法への違和感をなくしたいだけなら、上のように考えておけば十分ではないでしょうか。


    仮定法と比べた場合に、今までの文は、何だったのか?
    今までの文は、「直接法」「命令法」と呼ばれるものです。
    英語の文は、大きく3つ、「直説法」「命令法」「仮定法」に分かれます。

    「命令法」は要するに命令文のことです。
    英語学習の初期の段階から学習していますから、特に問題ないと思います。
    よくよく考えれば、主語を示さず、いきなり動詞の原形で始めるなど、奇妙な形の文が多いのですが、英語を習いたての頃から出てくるので違和感を抱く人は少ないようです。

    「直説法」とは何なのか?
    これまで使ってきたものは、命令法でなければ直説法です。
    しかし、そのように意識したことがなかったので、どういう特徴があるのかわからないかもしれません。
    直説法とは、事実をありのまま述べた文、ということです。

    ・・・ますますわからない。
    これまでも、事実をありのまま述べるのではなく、事実を捻じ曲げて述べた気がするが・・・。
    別に自分はトムではないのに、I am Tom. と平気で書いてきた。
    何の興味もないのに、I like baseball very much. と書いたりもした。

    いえ。
    そういうことではないのです。
    英語の練習のために言ったり書いたりしていることは、別にどうでもいいのです。

    練習ではなく、本当にコミュニケーションの手段として英語を用いた場合、私たちは、I am Tom. とは言いません。
    好きではないのなら、I like baseball. とは言いません。

    練習のために英語を使うだけなので、感覚がおかしくなっている人がいるかもしれませんが、英文というのは、それを語った人・書いた人が実際に存在しているのです。
    その人が見たり聞いたりした事実や、その人が考えたことが述べられているのです。
    事実や、自分では真実と信じることを述べているのです。
    それが直説法です。

    一方、仮定法は、事実に反する仮定を述べています。
    「もし~ならば、・・・だったろう」
    と仮定の話をしています。

    というと、接続詞 if を使うのだろうなと推測できると思いますが、if を使っても、仮定法ではない場合もあります。
    中学生の頃から if は使ってきましたが、別に仮定法ではなかったですよね。
    直説法でも if は使うのです。

    If it is sunny tomorrow, we will go on a picnic.
    明日晴れたら、私たちはピクニックに行きます。

    これは、直説法です。
    事実に反する仮定ではないからです。
    明日晴れる可能性は事実としてあるからです。

    しかし、
    「もし昨日晴れていたら、私たちはピクニックに行ったのだが」
    というのは、事実に反することです。
    昨日は晴れていなかったのです。
    事実は、
    「昨日は晴れていなかったので、私たちはピクニックには行かなかった」
    ということです。
    こうしたことを伝えたいとき、仮定法を用います。
    If it had been sunny yesterday, we would have gone on a picnic.

    事実に反する仮定の際に、仮定法を用いる。
    そのときは、仮定の話であることが明確に伝わる、奇妙な時制を用いる。
    まずは、そのことを納得しましょう。
    心が逆らっている間は、簡単なこともなかなか理解できないですし、覚えられません。
    納得して、学習を進めていきましょう。

      


  • Posted by セギ at 12:14Comments(0)英語

    2020年10月12日

    高校数Ⅱ「図形と方程式」。円と直線の位置関係。


    今回は、円と直線の位置関係。
    こんな問題を解いてみます。

    問題 円 (x+4)2+(y-1)2=4 と直線 y=ax+3 が異なる2点で交わるとき、定数aの値の範囲を求めよ。

    円と直線が、2点で交わる。
    これはイメージしやすいですね。
    この問題の解き方は、2通りあります。

    1つめ。
    「異なる2点で交わる」と言われると、思い出すことがあると思います。
    判別式です。
    数Ⅰで、放物線と直線が異なる2点で交わるときなどに、判別式を用いました。
    同じ考え方が使えます。

    円と直線が2点で交わるということは、円の方程式と直線の方程式を連立したときに、交点のx座標を表す数値、すなわちxの解が2つあるということです。
    ということは、その方程式の判別式は、0より大きいということです。

    y=ax+3を(x+4)2+(y-1)2=4に代入して、
    (x+4)2+(ax+3-1)2=4
    x2+8x+16+a2x2+4ax+4-4=0
    (a2+1)x2+(4a+8)x+16=0
    これが異なる2つの実数解をもつことから、
    判別式D/4=(2a+4)2-16(a2+1)>0
    4a2+16a+16-16a2-16>0
    -12a2+16a>0
    3a2-4a<0
    a(3a-4)<0
    0<a<4/3


    2つ目の解き方。
    円の中心と直線との距離が、円の半径と比べてどうであるか、という考え方でも解くことができます。

    円の中心と直線との距離が、円の半径より長いならば、円と直線は交わりません。
    円の中心と直線との距離が、円の半径と等しいならば、円と直線は接します。
    円の中心と直線との距離が、円の半径より短いならば、円と直線は2点で交わります。

    実際に図を描いて考えれば、それはそうだなと納得のいくことだと思います。
    この考え方を使って解いてみましょう。
    まず、円の中心と直線との距離を求めます。
    点と直線との距離の求め方の公式を使うことができます。

    点(x1 , y1)と、直線ax+by+c=0との距離dは、
    d=Ιax1+by1+c|/ √a2+b2 でした。

    直線y=ax+3 は、ax-y+3=0 と変形できます。
    この円の中心は、式から(-4,1)です。
    よって、
    d=|-4a-1+3|/ √a2+1
    これが、円の半径2より小さいのですから、
    |-4a+2|√a2+1<2
    両辺に√a2+1をかけると、
    |-4a+2|<2√a2+1
    両辺を2乗して、
    16a2-16a+4<4(a2+1)
    16a2-16a+4<4a2+4
    12a2-16a<0
    3a2-4a<0
    a(3a-4)<0
    0<a<4/3

    無事に、同じ答となりました。

    この2つの解き方は、どちらでも好きなほうで良いのですが、好みは分かれるかもしれません。
    判別式のほうは、数Ⅰの放物線と直線の交点の問題のときにも、なぜ判別式を使うのかよく理解できなかった人もいると思います。
    そういうものだと諦めて解き方を暗記した人は、ここでまた亡霊に出会ったような気持ちになるでしょう。

    放物線とx軸との共有点の個数の場合は判別式を使うこともギリギリ理解できるけれど、放物線と直線の共有点の個数を判別式で判断できることは、どうにも理解できない。
    苦痛でたまらない。
    放物線と直線を連立した式が、何を表しているのか理解できない。
    つらい。
    そういう人もいたと思います。
    今回、その放物線が円になったからといって、急に理解できるというものではないでしょう。
    ますます訳がわからない、となっても不思議ではありません。

    円と直線を連立した式は、何を表しているか?
    円の式と直線の式のどちらも満たすxの値がどのようなものであるかを表しています。
    それはつまり、円と直線の交点のx座標が何であるかを表しているということです。
    xの値を求めたいとき、連立方程式は代入法にしろ加減法にしろ、1本の式にします。
    その式が何を表しているのかといえば、両方の式を満たすxの値はどのようなものであるかを表しています。
    そして、そのxの値が、2個あるのか、1個あるのか、0個なのかは、その式の判別式でわかります。

    ところが、こういうことが一瞬理解できても、またすぐに思考が混濁し、わからなくなる、という人は多いです。
    つながったと思った瞬間、わかりかけたことが遠ざかり、消えていきます。
    一瞬つかみかけたことが、幻のように遠ざかっていく。
    余程の天才でない限り、この先はこうしたことの繰り返しで、私はそんなことにもロマンを感じたりします。
    幻のようだけれど、一瞬つかみかけた。
    きっと、またつかむことはできる。
    そう思って考え続けていく、その過程が楽しいのです。

    一瞬でも理解できたような気がするだけでも上出来だと思うのです。
    一瞬の理解を繰り返し、頭の中に筋道を作ること。
    もどかしいようでいて、大事なことだと思います。

      


  • Posted by セギ at 11:49Comments(0)算数・数学

    2020年10月08日

    高校英語。複合関係副詞の wherever と however。



    さて、今回は、複合関係副詞 wherever です。
    これも、前回の whenever 同様、副詞ですので、修飾節しか作りませんが、意味は2通りあります。

    まず、「~するところならどこでも」の用法。
    I followed my mother wherever she went.
    私は、母の行くところならどこでもついて行った。
    =I followed my mother to any place where she went.

    もう1つの用法が譲歩の用法。「どこで~しようとも」の用法です。
    Wherever you are, remember that we will be thinking of you.
    あなたがどこにいても、私たちがあなたのことを考えていることを覚えていて。
    =No matter where you are, remember that we will be thinking of you.

    これもまた、文脈判断です。

    2番目の文が、「~するところならどこでも」という意味にはならないことは、文脈から判断できると思います。
    「あなたがいるところならどこでも、私たちがあなたのことを考えていることを覚えていて」というのは、意味をなさない文ですから。

    しかし、1番目の文は、「母がどこに行こうとも、私はついて行った」と訳したら意味が伝わらないのかというと、そんなことはありません。
    それはそれで意味は通じます。
    「私は、母の行くところならどこでもついて行った」と「母がどこに行こうとも、私はついて行った」は、状況は同じです。
    違うとしたら、力点が「場所」なのか、「母」なのか、ということかもしれません。
    力点が違うということで使いわけられる人もいると思いますが、そういうのはよくわからないという人も多いと思います。
    そうなるとお手上げですが、これの書き換え問題などほとんど出ませんから、安心してください。
    出題されるのは、もっと簡単な、例えば、whenever と wherever の使い分けなどです。
    それなら、わかりますよね。
    ですから、あまり深追いしなくて大丈夫です。


    もう1つの複合関係副詞は、however。
    これは、「譲歩」の意味一択なので、意味としてはわかりやすいです。
    2種類に分けることはできますが、文の構造が異なるので、文脈判断の必要はありません。
    1つは、「however+S+V」の用法で、「どのように~しても」という意味となります。

    However you do it, the result is the same.
    どのようにやっても、結果は同じだ。

    あえて書き換えるのなら、以下のようになります。
    =In whatever way you do, the result is the same.

    テストに出るとは思えないので、一応目を通しておく程度で大丈夫です。


    もう1つは、同じ「譲歩」の意味ですが、however が後ろに形容詞や副詞を伴う用法です。
    むしろこちらのほうが用法としてメジャーだと思います。

    However incredible the rumor was, it was believed by the natives.
    どれほど信じられない噂であっても、それは原住民たちに信じられていた。

    これは語順に特徴があるので、乱文整序問題に出題されることがあります。
    however は形容詞または副詞を伴って文頭にきて、その後にS+Vという語順になります。

    書き換えは、
    =No matter how incredible the rumor was, it was believed by the natives.

    この語順は間違えやすいところなので、もう何年も前、そのことを強調して生徒に説明したことがありました。
    however あるいは no matter how を書いたら、すぐに副詞か形容詞。その後、主語・動詞。
    しかし、説明を聞いている間、その子は、ずっと浮かない顔でした。
    とりあえず練習問題を解いてみよう、と提案しても、手が動かず、何かをずっと考えこんでいるのです。

    語順がわからないのだろうか?
    形容詞・副詞という文法用語はもう幾度も説明したが、やはりわからなかったか?

    「何がわからない?」
    と声をかけても何も言わないので、色々と先回りして解説を加えましたが、浮かない顔のままです。
    「・・・何がわからない?」
    再度声をかけると、その子は、ようやく、こんなことを言いました。
    「however って、違う意味だと思う」
    「・・・え?」
    「・・・」
    「・・・however は、『しかしながら』という意味の譲歩の副詞もありますね。それのことですか?」
    「・・・」
    「・・・見た目が同じだけど、用法の違う単語は、英語には沢山ありますよね。例えば、who は疑問詞だったり、関係代名詞だったり」
    「・・・?」
    「見た目は同じだけど、品詞の違う単語が、英語にはあります。like は、動詞なら『好きだ』ですが、前置詞なら『~のような』ですよね」
    「え・・・?」
    「そういうことがあるということに、気づいていなかった・・・?」
    「・・・」

    ・・・もう高校生なのに、そのことに気づいていなかったようなのでした。
    いや、正確には、気づいたり、気づかなかったりと、曖昧なことを繰り返してきたのではないかと思います。
    だから、別の単語なのに意味を混同して訳がわからなくなることが、これまでも多かったのかもしれません・・・。
    自分が覚えている意味で文の意味をとらえようとしても、よくわからない。
    違う意味だと言われるが、どこがどう違うのか、どう見分けるのか、わからない・・・。

    私が解説している、however を含む文の語順などということよりも、ずっと手前のことで、その子は悩んでいたのでした。

    個別指導をしていると、こういうことはよく起こります。
    こちらが重点的に解説している新しい文法事項のはるか手前で、生徒は、関係ないことを頭の中でつなげて、悩んでいたりします。
    人間の脳は、関係ないことを関連づけてしまう癖があるのです。
    人間の脳は、複雑なことを勝手に簡単なことに直してしまう癖もあります。
    どちらも、学習上の妨げとなることが多いです。

    複合関係副詞 however の解説をしているのに、それを聞いている側は、「however は『しかし』という意味なのに、変だなあ、変だなあ」と、そればかり考えている・・・。
    しかも、口に出さず。
    それでは、学習になりません。
    そういう疑問があるのなら、言ってくれればいいのですが、そうした疑問を口には出さず、そのことをずっと考え続け、しかも、自分の考えのほうが正しいのにと思いこんでいる子もいます。

    英語学習の初期で言えば、this の扱いなどもそうです。
    This is my dog.
    といった文を最初に学習し、this は「これ」という意味だと固定して覚えてしまうと、
    This dog is mine.
    といった文を作れないのです。
    乱文整序問題では、
    This is dog mine.
    といった文を作ります。
    本人の中では、それ以外の正解がないのです。
    それがなぜ間違いなのか、理解できないのです。
    しかも、理解できないけれど、質問もしないのです。

    疑問があっても口には出さず、そのことをずっと考え続け、しかも、自分の考えのほうが正しいと思いこんでいる。
    成績不振の子に多い傾向です。
    自分が誤解しているにも関わらず、教える者に対して懐疑的になることもあるようです。
    この先生が教えていることは、何かおかしいなあと勝手に考えてしまうのです。
    それでいて疑問を口にすることはないので、解決しません。

    学校の先生に対してもそのようです。
    特に現代は、生徒から先生に意見を言うことは、やってはいけないことになっている風潮もあり、さらに質問しにくいのかもしれません。
    内申を気にして、先生の機嫌を損ねたくないといった、計算高い理由もあるのかもしれませんが、それだけではない気がします。
    疑問を口にしたり、反対意見を言ったりすることは、和を乱すよくないことだという意識があるように見えるのです。
    社会が変質してきているということなのかもしれません。
    何かを批判する人に、良い印象を持たないようです。
    自分が批判されたわけではなくても。
    批判したり反対したりする人は、異質な人、良くない人。
    現状や「上の人」が決めたことを全て肯定し、上手くやっていける人が良い人。
    これも同調圧力というものでしょうか。
    それでいて、疑問が消えるわけではないので、心の中では、疑問は相手への不信感に簡単に変わっていきます。

    よくないなあ。

    「好きでもないのに英語を学習させられている」という感覚の人ほど、英語に対する誤解が多いです。
    英語の欠点を見つけて、だから自分は英語は嫌いなんだ、英語なんか勉強する必要はないんだ、としたいからでしょうか。
    英語への見方が、ニュートラルではないのです。
    それが、英語の先生への不信感に簡単に変わっていきます。
    ますます英語が嫌いになります。

    よくないです。
    疑問は小さいところから解決していきましょう。

      


  • Posted by セギ at 14:02Comments(0)英語

    2020年10月05日

    高校数Ⅱ「図形と方程式」。円の方程式。その3。式の中の文字の値の範囲。



    これを書いている現在、高校1年生には「2次方程式の解の個数」に関する問題を指導しています。
    例えば、こんな問題です。

    問題 方程式 x2+6x-2k+1=0 の実数解の個数を求めよ。

    これは、判別式で識別する問題です。
    判別式D>0 ならば、実数解は2個。
    判別式D=0 ならば、実数解は1個。
    判別式D<0 ならば、実数解なし。
    と判別できます。

    判別式 D/4=9-(-2k+1)>0 とおくと、
    9+2k-1>0
    2k>-8
    k>-4

    よって、
    k>-4 のとき、実数解2個。
    k=-4 のとき、実数解1個。
    k<-4 のとき、実数解なし。


    数Ⅱを学習している今なら、こんな問題で済んでいた数Ⅰの頃が懐かしい・・・と遠い目になる人も多いかと思います。
    あの頃、この程度のことを、なぜ難しいと感じていたのだろう・・・。

    しかし、初めてこの問題を解く高校1年生の抵抗感はすさまじいのです。
    5分おきに判別式の解説に戻ってしまうこともあります。
    kについての不等式を立てて解こうとすると、また、
    「何で判別式を使うんだっけ?」
    と言い出すからです。
    ようやく、判別式を使うことは納得できても、解いている途中で、x と k が混ざる・・・。
    方程式を解くのなら、x について何かを求めるのだという意識が抜けず、本人が途中で k を x に書き間違えてしまうこともあります。
    そして、自分の書いた x に自分で混乱して、訳がわからなくなっていきます。
    方程式は x について解くものなのに、k についての、しかも「不等式」を立てている理由が、また一瞬でわからなくなるのです。
    え?
    何のために何でこんな式を立てたんだっけ?
    そこでまた判別式についての解説が必要となります。
    ・・・結局、1問解くために、同じ解説を5回ほど行い、30分以上かかることもあります。

    そもそも、kで場合分けして解の個数を答えるという、答え方そのものが理解しづらい様子です。
    ・・・これで、解いたことになるの?
    方程式は、x について解くものなのに、何で k のことをごちゃごちゃやっているの?
    これじゃ、方程式を解いてないじゃん!
    そんなの、ダメじゃん!
    そういう内心の不満を解決できないようなのです。

    また、こういうのは「超」応用問題だと感じている様子も見られます。
    自分が理解する必要はないんじゃないの?
    こんなのテストに出ないでしょう?
    そうした疑問を抱いているのか、理解しようとする意欲も低いのです。
    x 以外は全て数字の、「以下の2次方程式を解け」という計算問題なら楽しそうに解くのですが、上のような文字kが含まれる問題になると、極端にテンションが低くなる子もいます。
    わからないだけでなく、わかる必要がないと思っていないだろうか・・・?
    そんな心配をしてしまうのです。

    これは、別に応用問題ではありません。
    この先の数学は、こんな問題のほうが多いのです。
    去年までのセンター試験の過去問も、2次関数に関する問題は、x 以外の文字も式に含まれている問題が出題されていました。
    それが「センターレベル」と呼ばれるものでした。
    単純な計算問題なんて、入試には出題されないのです。
    それは共通テストも同様でしょう。
    方程式でも不等式でも関数でも、高校数学では、x 以外の文字が式の中にあって当たり前なのです。
    文字の値の範囲を求めたり、それの範囲によって場合分けしたりする問題は、定番の問題です。
    しかし、これが標準だと説明しても、初めて高校数学を学ぶ子にとって、そんな話は大げさな脅しに過ぎないように感じるのかもしれません。

    高校数学へのぬぐいがたい抵抗感と違和感。
    最近、それを、久しぶりに目のあたりにしています。
    ここ1~2年、数学センスのある高校生ばかり教えていたことに改めて気づかされました。
    この感覚を忘れていました・・・。
    x 以外の文字が出てきた瞬間にアウトな子のほうが、実は多いのでした・・・。

    そんな問題ばかり解いて、苦労して、苦労して。
    やがて、数Ⅱを学習するようになり、さらに苦労して苦労して。
    もう本当にわからない、もうダメだ、とため息をついて。
    そんな高2の夏休みに、学校から出された数ⅠAの復習の宿題が、案外簡単であることに気づいた人もいると思います。
    難しさに対する耐性が増したのです。
    何だ、この程度のことで、難しい難しいと言っていたのか。
    この程度で済むなら世の中平和だ。
    そういう思いで数ⅠAの復習をし、数ⅠAならいける、数ⅠAなら入試に使えるという手応えを得た高校2年生もいると思います。

    そして、この先を学習するなら、数Ⅱだって、これで済むなら世の中平和なのです。
    慣れることは、案外重要なことです。
    難度に慣れること。
    難しい問題と格闘した後、基本問題を解くと、本当に易しくて、心にしみてくると思います。



    さて、数Ⅱに戻ります。
    円の方程式です。
    今回は、こんな問題を。

    問題 方程式x2+y2+2px+3py+13=0 が円を表すとき、定数 p の値の範囲を求めよ。


    x や y 以外に p が出てきても、数Ⅱをここまで学習してきたのですから、もう平気ですよね?
    とりあえず、この方程式を標準形に直してみましょう。

    x2+y2+2px+3py+13=0
    (x+p)2+(y+3/2p)2=-13+p2+9/4p2
    (x+p)2+(y+3/2p)2=13/4p2-13

    これが「円」であるための条件とは?
    右辺は、半径の2乗を表しています。
    であるなら、右辺は、正の数です。

    ・・・わかった!
    13/4p2-13>0 です。
    これが、定数 p の値の範囲です。
    よし、この不等式を解きましょう。

    13/4p2-13>0
    13p2-52>0
    p2-4>0
    (p+2)(p-2)>0
    p<-2 , 2<p

    これが答です。


      


  • Posted by セギ at 11:27Comments(0)算数・数学

    2020年10月04日

    生徒を募集いたします。2020年10月。


    1コマ空きが生じましたので、生徒を募集いたします。

    ◎時間帯 金曜日 20:00~21:30
     
    ◎科目 小学 算数・受験算数
        中学 英語・数学
        高校 英語・数学

    ◎費用 1コマ90分4000円。
        月4コマ+諸経費5000円で、月額21,000円 となります。

    講師との距離は2メートルを保ち、毎時間、換気・消毒を行っております。
    オンライン授業も承ります。
    まずは体験授業を受講してください。
    お問い合わせ、お待ちしております。

      


  • 2020年10月01日

    中学受験をするかどうか。


    お子さんを中学受験させるかどうかで、判断に迷い、塾に相談にいらっしゃる方がたまにいらっしゃいます。

    大手の塾は、そんな場合、とにかく受験する方向に持っていくかもしれません。
    受験することにしたほうが、何だかんだとその後の授業を増やすことが可能です。
    夏期講習だ、勉強合宿だと、さらにお金のかかるサービスも提案できます。
    中学受験をしない小学生の保護者にそうしたメニューを提案したところで、乗ってくる場合はほとんどありません。
    受験してくれたほうが、塾にとっては利益があるのです。
    保護者と話すのは、「教務」であって、講師ではありません。
    営業成績が給料やボーナスに反映する職種です。
    もう絶対に中学受験はするべきだという話になっても仕方ありません。

    実際、どんな学力の子も、受験して悪いことはないのです。
    私立中学は、勉強のできる子が通う中学だけではありません。
    平均以下の学力の子の通う中学もあります。
    生徒の学力にあった基礎力重視の授業をしますので、卒業する段階では、平均以上の学力になることもあります。
    勉強以上に大切なことを、その学校で学ぶこともできます。
    生きる力。
    自己肯定感。
    勉強以外の才能。
    大切なことは、学業成績以外にもあります。
    何が幸いするかなんて、後になってみなければわからないのです。
    塾は、無駄で無意味な「商品」を詐欺のように売りつけているわけではありません。


    とはいえ、無駄な商品を売りつけられるのではないか、と警戒する人の気持ちもわかります。
    可能であるなら受験を考えたい。
    そうした場合の中学受験が、名の通った中高一貫校か、最終学歴として納得できる大学の附属中学に限定されている方もいらっしゃると思います。
    それが無理なら、公立中学でいい。
    だから、我が子の学力を、客観的に知りたい。
    しかし、大手の塾にそんなことを相談したら、営業トークでたちまち受験することになって、後悔するかもしれない。
    大手の塾が主催する無料の全国学力テストも、その後の電話勧誘が予想されて鬱陶しい。
    そういうことからは逃れたい。
    しかし、本当のことが知りたい。
    そういう気持ちの保護者の方もいらっしゃるだろうと思います。


    そうした問い合わせをいただいて体験授業をする場合には、私は、例えば、こんな問題を解いてもらいます。


    問題 0から9までの数字を1つずつ書いた10枚のカードがあります。
    このカードを組み合わせて、2けたの数を5組作ります。
    5組の2けたの数の和が、もっとも大きい奇数になるのは、どのような場合ですか。
    5組の2けたの数をすべて答えなさい。


    生徒には、問題を黙読してもらった後、わからない言葉があるかどうかを、まず訊きます。
    4年生ならば、「奇数」「和」といった言葉の意味を知らないこともあります。
    「2けた」がわからない場合もあります。
    それは、説明します。
    説明が理解できるかどうか、その様子も見ます。
    言葉の意味がわかったうえで、この問題の意味がわかるのかどうか?

    小学生の中には、カラーテストのパターン化された問題を、頭で考えることもほとんどなくパッと式を思いついて解いているだけで、問題文をじっくり読む習慣のない子も多いのです。
    こうした、多少複雑な指示がなされている問題文を読み取ることができない子もいます。
    そうした子が受験算数を勉強する場合、かなり苦しいことになるのは予想できます。

    この問題は、6年生でも正解できない子が多いのです。
    受験勉強をしていない子は、ほとんど正解できません。
    だから、不正解でも別に構いません。
    見たいのは、この問題に向かう姿勢です。

    「考える」ということが、何をどうすることか、わかっている子なのかどうか。
    学校のカラーテストでは良い点を取っていても、「考える」という行為をしたことのない子もいます。
    問題を読んで、考えるふりは一応しますが、何をどうして良いか、全くわからないのです。
    パッと見て解き方がわかる問題しか解くことができません。
    何をどう考えていいのかわからないので、パッと見てわからなければ、あとはぼんやりしています。
    考えているふりはしても、何も考えていません。
    早く答を教えてくれないかなあと思っているだけです。
    5分、10分と時間が経てば、そわそわし始めます。
    もう飽きてしまっている様子が見てとれます。

    ・・・それでも受験したいのなら、するべきです。
    そこからは、保護者の決意の問題です。
    受験勉強はつらいものになると思いますが、勉強をする過程で、「考える」ということは何をどうすることかを学ぶことができれば、それは大きな収穫です。
    最終的に望む結果にはならなくても、受験勉強は決して無駄ではありません。

    10分後、1つヒントを出します。
    「和が大きいということは、2桁の数の1つ1つができるだけ大きいほうがいいですね。
    2桁の数をできるだけ大きくするには、どんなカードを十の位にしたらいいでしょうか」

    このヒントの意味を理解でき、問題に再度向きあう姿勢が見られる子もいます。
    しかし、もう答を教えてほしいと思っていて、10分経ってもヒントが1つ出されただけの状況にうんざりしてしまう子もいます。
    こうしたヒントを聞いても、やはり何をどう考えていいのかわからず、試しに何かをやってみようという様子もない子のほうが、一般的には多いのです。
    「考える」教育というのは本当に難しいのです。
    「考える」ことよりも、「やり方を知って覚える」ことのほうを、多くの子どもは好みます。

    さらに5分。
    きょろきょろしたり、後ろで授業を見学しているお母さまを振り返ったりする子の様子を見て、この問題は終了。
    解説に入ります。

    和をできるだけ大きくするには、2けたの数の十の位の数が大きいほうがいいです。
    0から9までの数のうち、2けたの候補となる大きい数というと、5、6、7、8、9。
    すると、一の位の数は、0、1、2、3、4、ということになります。
    しかし、この4つの数の和は、0+1+2+3+4=10で、偶数です。
    和が偶数か奇数かは、一の位で決まります。
    一の位の和を奇数にする必要があります。
    そこで、十の位の候補と、一の位の候補を、1つずつ、入れ替えます。
    それでも、十の位の数はできるだけ大きいほうが良いでしょう。
    4と5を入れ替えましょう。
    すなわち、十の位の数の候補は、4、6、7、8、9。
    一の位の候補は、0、1、2、3、5。
    十の位の候補と一の位の候補の組み合わせは、どれでも構いません。
    とれでも、5つの数の和は、同じになります。
    ですから、正解の1つは、
    40、61、72、83、95、です。
    この問題の正解は、1つではありません。
    この問題の正解は、5×4×3×2×1=120通りあるのです。

    最後の120通りあるという話は、体験授業でする話ではありません。
    これは、「場合の数」の学習をしなければ理解できない話です。
    最初は、たくさんある、というだけで十分でしょう。

    この解説が本当に理解できているかどうかの様子も見ます。
    わかったふりはするが、実のところ興味を失っている子もいます。
    「正解例の他に、答をもう1種類考えてみて」
    というと急に慌てるので、ああ理解したふりをしているだけだったかな、と気づきます。
    慌てはするけれど、その後じっくり考えて正解を出す子は、ああ、時間はかかるが、考えることはできる子だなと気づきます。

    たった1問で何もかもわかるわけではありません。
    しかし、1つの方向性は見えてきます。

    後は、事前にうかがっていた、やりたい単元、苦手な単元の勉強をして、体験授業は終了します。
    それが、中学受験も視野に入っているという小学生の体験授業の1つの流れです。

    繰り返しますが、中学受験のための勉強を通じて、「考える」ことを学ぶことも可能です。
    全ては、保護者の方の決意次第です。
    自分が決めたことだと思えるほうが、後悔は少ないのです。
    当初の第一志望校に合格できる子はごくわずかです。
    それどころか、当初の第一志望校を受験できる子すら少ない。
    それが中学受験の現実です。
    しかし、受験勉強を通じて、思考の訓練と同時に、心の成長を目指すのならば、その経験は深い意味を持ちます。
    端的に、受験算数を勉強した子と、していない子では、中学入学後の数学の地力が違います。
    勉強に無駄なんてないのです。

      


  • Posted by セギ at 12:18Comments(0)算数・数学