たまりば

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2017年06月28日

2次関数と平方完成。


2次関数は、y=a(x-p)2+q の形にすることで、どのような放物線であるかが明らかになります。
上のような形になっていれば、軸は直線x=p、頂点の座標は(p,q)と読み取れます。
ですから、問題の中で、y=aX2+bx+c の形で示された場合は、とにかく上の形に直すことが必要となります。
そのために行うのが平方完成です。

例題 2次関数 y=x2+4x-5 のグラフの軸と頂点の座標を答えよ。

この見た目では頂点の座標はわかりませんから、平方完成しましょう。
平方完成で使用するのは、中3で学習した因数分解の公式です。
a2+2ab+b2=(a+b)2
a2-2ab+b2=(a-b)2
ですね。
ただし、平方完成は因数分解ではないので、定数項が( )からはみ出して構いません。
y=x2+4x-5
 =(x2+4x+4)-4-5
 =(x+2)2-9
これが平方完成です。
軸は直線x=-2、頂点の座標は(-2,-9)です。

無いものを勝手に足して、同じものを勝手に引いて、それで辻褄を合わせるやり方が理解できずに苦労する高校生が多いところです。
等しいというのはそういうことだから何も問題はないよと言っても、「わからない」「わからない」「わからない」という反応ばかりの子もいます。
授業が全く進まないことがあります。

そういうこともあり、高校生に対しては、基本的には、塾では復習中心で授業を進めます。
数Ⅰと数Aと、数学は2科目ありますので、週1回の授業では予習先行したくてもすぐに学校に追いつかれてしまうという事情も大きいです。
しかし、何より、「わからない」「わからない」「わからない」とつぶやく生徒と1対1で対話していると、時間ばかりかかって先に進まないのです。
初めて学ぶ内容に違和感が強く、抵抗感も大きいのでしょう。
とにかく補助するから練習してみようと声をかけても、手を動かしてくれません。
やりながらわかってくることがあるよと言っても、反応がありません。
「どこがわからない?何が疑問?」
と訊いても、黙り込む子も多いです。
何がわからないのか、それすらわからない。
違和感がありすぎて、フリーズしてしまう。
そういうことかもしれないと想像しています。

しかし、同じことでも、学校で一度授業を受けていると、「わからない」と言いながらも練習することには抵抗しません。
やり方を間違えている場合は多いですが、とにかく手を動かしてくれます。
「そこのやり方は、こうだよ」
と説明すると、素直に聞いてくれます。
「こうやると間違えないよ」
と説明すると、熱心に聞いてくれます。
「すげえ。わかりやすい!」
と言ってくれることすらあります。
予習をする場合と同じ説明をしているのですが。

とにかく、新しい事柄に抵抗があるのでしょう。
高校数学は、最初に教える者が損をする科目かもしれません。
「学校の先生もこんなふうに教えてくれたらいいのに」
と言ってもらえることもあります。
・・・・いや、そういうことではないよ。
最初に教わるときにはあなたはパニックを起こしているんだよ。
そう思いますが、まあそれは本人には言わず、にこにこしております。
ヽ(^。^)ノ

定理や公式の説明は学校の先生に任せて、塾では、それを使ってどう正確に解くか、どうスピーディに解くか、そのテクニックの伝授に時間をかけたい。
そういう気持ちもあります。
でも、数学が苦手な子ほど、予習をしてほしがります。( 一一)
学校の授業がわからなくて不安だからという気持ちはわからなくはないんです。
学校の授業がわかるようになると安心するのでしょう。
しかし、その先、定着するかどうはまた別の問題です。
「わかる」ことと「解ける」ことはイコールではありません。
予習ばかりして定着を確認できない授業形態では、テスト前になってようやく復習をしようというとき、予想通り何にも身についていないことがわかって、もう打つ手なしという場合もあります。

学校の授業がわからなくて不安なら、授業の前に数学の教科書を読み、例題を自分で解いてみるのがお勧めです。
何がわからないのか自覚でき、そこを中心にしっかり授業を聞くことができます。
しかし、授業に不安を感じながらも、そういうことはしない子が多いです。
自分で予習もして、学校の授業も受けて、宿題もこなして、塾にも行くのでは、数学に時間をかけすぎで、無駄に感じるのかもしれません。
どこかを重ねて、一石二鳥で済ませたいのでしょう。
そう考えると、予習と塾を重ねるのが、一番無駄がない。
そして、復習は、学校指定の問題集を提出用ノートに解くことで、一石二鳥。
本人はそれを合理的ととらえているのでしょうか。
しかし、それは、自ら可能性を封じるやり方です。
小学校の算数ならそれで大丈夫なのですが、高校数学でそれをやってしまうと、多くの場合、数Ⅱや数Bはほとんど何もわからない状態に陥っていきます。
予習は予習で自分でやる。
学校の授業を聞く。
塾で演習する。
塾の宿題をやる。
学校の指定問題集は解答解説を見ないで自力で解く。
余裕があれば、市販の問題集も自分で購入して復習する。
何も重ねないことで、幾度も復習でき、定着します。
こういう学習サイクルが理想です。


話を平方完成に戻しましょう。
y=x2+4x-5
説明としては、上に書いたように
 =(x2+4x+4)-4-5
となりますが、この書き方は説明のための書き方で、実際に解く際には解きにくいように感じます。
いや、これに慣れているし、これで解きやすい、ミスもしないというのならそれで良いのですが、4xから「2」という数字を導きだして、しかもそれを2乗した「4」を書かねばならないのは、頭の中でやることが多すぎるのでケアレスミスが出やすいのです。
y=x2+4x-5
 =(x+2)2-4-5
 =(x+2)2-9
と書いていくほうが頭が少し楽なように私は思います。
4xの係数の「4」を2で割った「2」という数字が、因数分解の公式の(a+b)2のbになります。
a2+2ab+b2
の2abの部分が4xに当たり、そのうちにxはaにあたりますから、4は2bにあたります。
だから、bは、4xの4を2で割れば導かれます。
これはいつでもそうなので、xの係数を2で割ればいいだけと単純化したほうが楽なのです。
そこで、
y=(x+2)2
まで、まず書いてしまいます。
そして、次に、a2+2ab+b2 のb2の部分を引いて辻褄を合わせます。
y=(x+2)2
と既に書いてありますから、bは2で、b2=4と見た目ですぐにわかります。
だから、
y=(x+2)2-4
まで、スムースに書いていくことができます。
考える時間は不要。
秒殺の作業です。
後は、もともとある-5を書き加えます。
y=(x+2)2-4-5
 =(x+2)2-9
こうすれば、平方完成は特に考え込む必要のない作業です。

例題 2次関数 y=3x2-3x+5 のグラフの頂点の座標を求めよ。

x2の係数が1ではない場合はどうしましょうか?
これは、まず文字項を3でくくります。
このとき、定数項+5はほおっておきます。
定数項はどうせ( )の外に出るものなので、最後に考えます。

y=3x2-3x+5
 =3(x2-x)+5
 =3(x-1/2)2-3・1/4+5
 =3(x-1/2)2-3/4+20/4
 =3(x-1/2)2+17/4
よって、頂点の座標は(1/2,17/4)

まず3でくくって、3(x2-x)。
xの係数が-1なので、bにあたる数は-1/2。
b2にあたる数は1/4。
しかし、( )の前に3がありますから、それをさらに3倍したものを引かねば辻褄が合いません。
だから、-3・1/4をすることで辻褄をあわせます。
後の+5と通分するので、慌てて計算する必要はありません。
1つ1つ目に見える形で書いていくことでむしろ速く正確に解いていくことができます。

やり方そのものを「わからない」「わからない」と言っていた子が、この段階になると、上のように丁寧に書かず、何なら与式の次は答えの式を書こうとする飛躍を始めるのも一つの傾向です。
無理な飛躍をするからケアレスミスをするのですが、そこを改めない子は多いです。
書くのが面倒くさいらしいのです。
暗算するほうが面倒くさいし、時間も余計にかかるし、間違いも多いのですが。
子どもの中には「暗算ができることが数学ができること」という不可解な神話にとらわれている子がいますが、暗算は最優先の課題ではありません。

一方、暗算しても書いていくのと同じスピードがあり、正答できる子はそれでいいのです。
数字や数式をわざわざ書かなくても脳裏に映像として見えている子はいます。
見えているものは省略してもミスしません。
精度の維持が最優先事項です。
やり方に「絶対」はありません。


例題 2次関数 y=-1/2x2+4x+2 のグラフの頂点の座標を求めよ。

y=-1/2x2+4x+2
 =-1/2(x2-8x)+2
 =-1/2(x-4)2+8+2
 =-1/2(x-4)2+10
よって頂点の座標は(4,10)

-1/2でくくるところが難しいです。
-1/2(x2+2x)などとしてしまうミスが目立つところです。
( )の中のxの係数が-8になるということがピンとこないのかもしれません。
符号ミスも多いです。
「何でそうなるんですか?」
と質問するので、展開して戻してみなよと言うと、一瞬で理解し、
「あっ」
と驚く子は、まだ理解の速い子。
「展開って何のことですか?」
など、会話がなかなか先に進まず説明に時間がかかることもあります。
一応は理解した後も、類題を解くとまた同じミスをしてしまうところでもあります。

平方完成は、2次関数の全ての基本。
符号ミスや指数の書き忘れにも注意しましょう。
ヽ(^。^)ノ


  


  • Posted by セギ at 11:15Comments(0)算数・数学

    2017年06月22日

    授業の受け方、ノートの取り方。




    少し前になりますが、勉強が得意な芸人さんが勉強のやり方を紹介するテレビ番組があり、何かヒントになることがないかと思って見ていた私は、その中の1つのコーナーに衝撃を受けました。

    京都大学出身の芸人さんと、勉強が苦手な芸人さんの2人が、同じ世界史の授業を受けて、その後にその授業内容に関するペーパーテストを受け、その成績を比較するという実験が行われたのです。
    京都大学出身の芸人さんの使う筆記用具はシャーペン1本でした。
    板書されたことや先生の説明で気になったことなどメモしながら、基本、ずっと板書と講師の顔を見ています。
    一方、勉強ができない芸人さんは、先生が板書した通りの色でノートをとろうとカラフルなペンを出しては片付け、出しては片付け、板書をノートに書き写すのに精一杯で、話を聞いている様子がないのです。
    板書を書き取ることだけに必死なのでした。

    その後のペーパーテストの結果は、
    京都大学出身の芸人さんは1問ミスしたのみ。
    勉強が苦手な芸人さんは、0点。
    見ていて、背筋が寒くなる結果でした。

    色使いのことに関して言えば、先生の板書する通りの色でノートを取ること自体は私は悪いことではないと思っています。
    重要度がひと目でわかりますからね。
    ただ、勉強が苦手な芸人さんのやっていたことは、目を覆うようなことでした。
    黄色いチョークが使われているところは、黄色で書こうとするのです。
    ペンケースからガサガサと黄色を探し、結局、黄色のマーカーで字を書いていました。
    先生が黒板で黄色を使うのは強調したいところだからでしょうに、白いノートに黄色いマーカーで字を書いたら、読めないですよ・・・・。
    なぜ、黄色を他の色に転換にする知恵がないんだ?
    緑とかにすればいいのに・・・・。
    そもそも色探しに時間がかかりすぎていました。
    授業を受けるときは、よく使う色のペンをあらかじめ机の上に出しておけばいいのです。
    よく使う色を1本のペンに集めて自分用にカスタマイズした4色ボールペンを使用するのも良いですよね。
    ペンをいちいち探すという無駄なことに授業時間を割き、どの色にするかに必死で、肝心の授業を聞いていないのは、いくら何でもまずいです。

    字を書くこと自体にも時間がかかる人のようでした。
    きれい汚いということではなく、自分が後で読みやすい字を安定したスピードで書いていく。
    そういうことができない子は、勉強が苦手な子に確かに多いなあ・・・・。
    時間がかかるだけでなく、板書を書き写している間はそれに必死で、授業を聞いていないことも課題です。
    まとまった語句ごとに書き写すということができず、1文字見てはその1文字を書き、また1文字見てはその1文字を書く子は、板書を書き写すのが苦手な子に多いですね。
    でも、本人は、一所懸命授業を受けているつもりでいます。
    ああ、勉強が苦手って、こういうことだ・・・・。
    見ていて悲しくなってしまう映像でした。

    番組を見て、それに付随して考えたことは、授業の受け方で本人が損をしていることはまだまだあるなあということでした。
    個別指導でも、勉強が苦手な子は、私が期待しているような行動はとりません。
    「はい。次の例題を解説しますよ」
    と言っても、目がテキストの例題のところに動きません。
    仕方なく指さすと、一瞬そこに目が行きますが、またすぐ逸れていきます。
    問題の内容を理解してくれないことには解説ができません。
    そこで私が問題を音読すると、その間、ペンを出したりノートを閉じたり開いたりと余計なことをしています。
    数学の問題文を音読を聞いて理解できますか?
    そして、私が解説を始めると、今度は解説は聞かず、テキストの問題を読んでいます。
    ( 一一)
    つまりはマイペースなのですね。
    自分のやりたいことをやりたいときにやってしまい、授業のペースに合わせることができないのだと思います。
    相手の言動の目的が理解できないのでもあるでしょう。

    個別指導でこれですから、学校の授業をその子がどう受けているかを想像すると、気持ちが沈みます。
    「学校の授業がよくわからない」
    と本人は不満を漏らしたりするのですが、
    「でしょうねえ・・・・」
    以外の感想のもちようがないことも多いのです。
    学校の先生が、特に大切なことだから、
    「はい。黒板を見て」
    などと声をかけても、その通りに行動できていなのではないでしょうか。

    そうした子たちは、私が解説をしているときに、テキストの解説をじっと読んでいて顔をあげないことも多いです。
    わざわざ個別指導を受けにきて、テキストの解説を読んでいます。
    彼女たちは、学校の先生が説明しているときにも、独りで教科書を読んでいるのかもしれません。
    そうして、
    「わからない。わからない」
    と思い続けている・・・・。
    教科書を読むのは大切ですが、授業中に読むように指示されたとき以外は、予習か復習のときに読むほうが有効です。
    特に予習として1回教科書を読んで、理解できるかできないかだけでも確認しておけば、授業を受ける姿勢が違ってきます。
    でも、授業中に教科書を読めば時間が短縮できて能率的だと本人は思うのかもしれません。
    授業中に独りで自習しているようなものなのですが、本人はそれが合理的だと思っている可能性があります。
    先生の解説がよくわからないからテキストの解説を読むのだと本人は思っているかもしれせん。
    先生の長い解説を聞くよりテキストの解説を読んでささっと理解したいという気持ちも働いているでしょうか。
    結局、それで理解できないから個別指導を受けに来るのですが、そこでも同じことを繰り返してしまいます。
    成績不振の子は、自分の授業の受け方が下手だということに気づいていません。
    そこに課題があります。

    個別指導では、そういう本人の授業の受け方の課題にあわせて授業方法を変えています。
    しかし、自覚して治せるものなら本人の努力で治したほうが良いだろうなあとも思います。

    上の番組の話に戻れば、秀才の芸人さんの言葉が印象的でした。
    「小学生の頃から、僕は先生に『おまえとは授業中によく目が合う』と言われてきた」
    秀才は、授業を受けるときは顔を上げ、常に全力で先生の話を聞きます。
    その当たり前のことに気づくだけで変わっていくことがあると思います。
      


  • Posted by セギ at 12:38Comments(0)講師日記

    2017年06月12日

    鷹ノ巣山を歩きました。2017年6月。


    2017年6月、奥多摩の鷹ノ巣山を歩いてきました。
    いつも通りホリデー快速奥多摩3号で、終点奥多摩駅下車。
    駅を出てすぐ右のバス停に並び、「東日原」行きのバスに乗車します。
    梅雨入りしたせいか、登山客はそれほど多くなく、バスは1台で出発。
    バスの右側に奥多摩駅近くの工場が見えてくると、若い客の目は釘付けになりました。
    「あれ、何?」
    私もあの工場は見飽きないです。
    ジブリ映画に出てきそうな外観の工場なのです。
    さらに行くと道が細くなり、バスがバイクを通すために止まりました。
    「左に子どもの鹿がいます」
    と運転者さんがアナウンス。
    左側の乗客が窓から下を覗き込んでいました。
    道路に出てきちゃったんだなあ。

    終点「東日原」下車。10:00。
    トイレを済ませて、さて出発。
    バスの進行方向のまま、まずは舗装道路を歩いていきます。
    登山届は奥多摩駅でも出せますが、バスを降りてからでも、登山口までの間に派出所があり、登山届提出用紙とポストが置いてあります。
    しばらく歩くと、左手に「鷹ノ巣山登山口」の看板があり、コンクリートの階段を下りていきます。
    看板が出来たてのときは、随分目立つ大きな看板が出来たなあと思ったものでしたが、板が色あせて灰色になり、周囲になじんだ分だけ、注意していないと見落とす感じになっていました。

    コンクリートの階段は、沢沿いの細い登山道につながっています。
    沢が随分下のほうに見えるので高度感があり、朝一番に歩く道としてはちょっと緊張します。
    でも今日は腰痛予防にトレッキングポールを2本使っていますので、細い道も安心です。
    ポールは楽だなあ。
    けれど、足運びが雑になって緊張感がなく、つまらないなあ。

    下に見えていた沢をしっかりした造りの橋を渡って越えると、ゆるい登りが始まります。
    道はときどきV字に曲がりながら高度を上げていきます。
    この辺りも全体に道は細いです。
    「この先足元注意」の看板の出ているところと出ていないところの区別がつかないくらいに、全体に足元には注意が必要なところがしばらく続き、やがて1つ目の木橋。
    何年か前の大雪で、雪崩で運ばれてきたのでしょう大きな岩が沢を塞いでから、ここはむしろ登山道との区別がはっきりしました。
    以前は、沢が枯れているときには、沢が登山道に見えたものでした。
    明瞭な踏み跡をたどり、2本目の木橋で沢の左岸に戻ります。
    左岸は土止めの整備が進み、歩きやすくなっていました。
    しばらく進み、3本目の木橋で右岸に戻ります。
    3本目の木橋は老朽化が進み、横板が1つ朽ちて崩れ、他に2つの横板が取れていました。
    ポールがなかったら、ここは少し怖かったかもしれません。

    右岸をしばらく進むと苔むした4本目の木橋がありますが、そこは渡りません。
    左手に登り口が見えています。
    斜面をジグザグに登っていく急登の始まりです。
    今年はまだ早いのかヒグラシの声は聞こえませんでした。
    ときどき鳥が鳴く静かな登山道を淡々と登っていきました。
    稲村岩分岐。11:05。

    例年、ここで誰か登山者に会うのですが、今日は誰もいませんでした。
    稲村岩で死亡事故が起きた注意喚起の掲示がありました。
    去年はなかったものですから、この1年の間に起きた事故のようです。
    空が暗いせいもあり、ここをいつになく荒涼とした場所に感じました。
    風も冷たい。

    道しるべ通りに、木の根で作られた大きな段差の道を登っていきます。
    しばらく尾根は細いですが、その先、幅の広い岩村岩尾根が始まります。
    景色も単調で、道の印象をあまり記憶できないところなのですが、しかし、ところどころ道が付け替えられているのを感じました。
    古い道と比べて、まだフカフカで、ここは新しい道だなと気づきます。
    元の道らしきところは、深くえぐれ、落ち葉が積もって歩けなくなっていました。
    大きなブナの倒木。12:10。
    数年前の大雪の年に雪崩で倒れた木です。
    その先の少し平らなところで、休憩しました。
    静かな山道で、追い付いてくる人もいません。

    単調な登りが続きますが、樹間から空が見えてきました。
    いったん平らな道になり、そこがヒルメシクイノタワ。
    新しい掲示が提げられていました。12:45。
    今日はそれほど暑くないので、息切れしない程度のゆっくりペースで歩いているわりに時間的にも順調です。

    そこから、さらに登っていくと再び平らになり、道は二手に分かれます。
    今日は左の尾根道コースをとりました。
    右の道は前半は平らな歩きやすい道で、最後にまとめて急登があります。
    左の尾根道は、ずっと登りが続きます。
    山頂直前で道は合流し、空が開けて、山頂。13:15。
    さすがにここは先客が2パーティ。
    草地にレジャーシートを広げ、のんびりお湯を沸かして昼食中でした。
    私は土がむき出したところまで出て、石の1つに座りました。
    曇っていて、近くの尾根しか見えません。
    秋や冬に見るくっきりした富士山と南アルプスを心に描きながら、休憩。
    今日もおにぎりはちょっと喉を通りそうにないので、ゼリー飲料の昼食を取りました。

    さて、下山開始。
    石尾根を奥多摩駅へと下ります。
    山頂直下の急な下りも、トレッキングポールの補助で快適に降りていけました。
    たったか下って道は平らになったり、また急な下りになる繰り返しで少しずつ高度を下げていきます。
    ヤマツツジがまだ咲き残り、新緑の緑の中にアクセントを添えていました。

    広い尾根道が続きます。
    1本目の倒木は、半分埋まり、大きな段差があることでそれと気づく程度になっていました。
    2本目の倒木は、迂回路が踏み固められ、もうそこが正式な登山道です。
    3本目の倒木は、よいしょとまたいで、先に進みます。
    尾根から少し下がった巻き道を行くことが多くなり、そこから急下降点へ。
    トレッキングポールがあると、ここも随分楽でした。
    下るだけ下り、細い尾根をどんどん行くと、石尾根縦走路の巻き道と合流。
    尾根から少し下がっていますが、道幅は広く、歩きやすい道が続きます。
    今年の2月に歩いたときは、時間帯も違いますが、ここは明るい日差しに雪も融けていた道でした。
    今日は、曇り空に加えて木陰の薄暗い道です。
    左に回り込んでいくと、道は下り坂になり、大きなV字を描いて折れていきます。
    いったん下りきると、そこからは六ツ石山への登り返し。
    2月は雪が吹きだまって斜面と一体化し、登山道の端ギリギリにトレースがある、歩きにくい道でした。
    こんなに道幅があるのに、全部斜面と一体化したんだなあと感心しながらゆるい登り坂を行き、六ツ石山分岐。15:00。
    上の画像はそこで来た道を振り返って撮ったものです。

    少し休憩して、さらに進みます。
    道はなお尾根から少し下がった巻き道が続いています。
    先程よりも少し道幅が細くなり木の根の段差も少しあります。
    注意して歩いていくと、広い尾根に出ました。
    ここからは御前山が本当に大きく見えるのですが、木の影に隠れて、最初のうちは山の姿が見えませんでした。
    やっと見えてきた御前山の上のほうは雲の中。

    広い尾根が終わると、三ノ木戸との分岐。15:30。
    道幅のある巻き道が続きます。
    まわり込んでいくと、木陰が濃くなり、夕方のように暗くなってきました。
    登山道が深くえぐれたところに来たので、右手の林の中の踏み跡をたどります。
    覗き込むと、最近雨が少ないせいか、いつもより少しはましな様子でしたが、やはり底に泥がたまっていて、登山道を歩くのは大変そうです。
    林の中の踏み跡はやがて登山道と合流し、落ち葉の積もった下り坂へ。
    去年の落ち葉の大半は崩れて歩きやすくなっていました。
    道が緩くなり、歩きやすい道をどんどん進みます。
    三ノ木戸からの道との合流点でV字に曲がり、さらにどんどん行くと、桟道。
    そこから道は細くなり、むしろ少し歩きにくくなりますが、木陰が切れて少し明るく感じるようにもなってきました。
    ぽつぽつと雨が降ってきましたが、気になるほどではありません。
    朽ちかけた小さな小屋の前を過ぎ、道しるべの通りに右へ。
    道なりにジグザグに曲がっていくと、舗装された林道が下に見えてきました。
    林道出合。16:45。

    どんどん下り、途中は近道で林道をショートカット。
    2本目の近道で羽黒三田神社を通り過ぎ、最後の登山道を行くと、再び林道。
    しばらく行き、左手に「奥多摩駅近道7分」の道しるべの通りに階段を下っていくと、コンビニ脇にぽんと出ます。
    橋を渡って、交差点からもえぎの湯へ。17:30。
    もえぎの湯は、入場制限もなく洗い場の順番待ちもない、ほどよい盛況でした。
    木の椅子ではなく、背の高いプラスチックの椅子に変わっていました。
    背が高いと、シャワーを元の位置に置いたまま両手で髪を洗うことが難しいですし、両脇の人に水がはねやすいから、前の高さのほうが良かったかもしれません。
    まあ、そんなことは小さなことだ。
    今日は入って右手のほうの温泉でした。
    露天が薬湯ではなく温泉のほうです。
    とろっとした泉質。
    山や木々の眺めも良いので、もえぎの湯はやはりいいなあ。

    お風呂上がりもまだ外は明るく、のんびりと駅へと歩きました。
    6月の夕方の空気の匂い。
    夕暮れの山の景色。
    交差点のスーパーは閉まるのが早く、橋を渡ってコンビニへ。
    そんな回り道も、奥多摩の町を散歩している気分で歩けます。
    いつか、山を歩けなくなったら、こうやって年に何度も来ている奥多摩の町も、2度と来なくなるだろうか。
    まだ遠い話と思っていたけれど、今回の腰痛で、それは明日にもやってくることかもしれないと感じました。
    1座1座、大切に歩かなければなあ。
    そんなことを思いながら、発泡酒を手に駅へと歩きました。
      


  • Posted by セギ at 13:44Comments(0)

    2017年06月07日

    2次関数の一般式。


    今回は2次関数の話です。
    y=a(x-p)2+q
    これが2次関数の一般式です。
    中学3年で学習する、y=ax2 という放物線をx軸方向にp、y軸方向にqだけ平行移動した放物線です。
    y=ax2の頂点は原点にあります。
    y=a(x-p)2+q の頂点は(p,q)です。
    頂点に注目することで平行移動のイメージは具体的になります。
    頂点の座標とy切片(y軸との交点のy座標)がわかれば、この放物線をイメージできますし、グラフを描くこともできます。
    どんな応用問題でも、2次関数を与えられたら、とにかくこの形に式を整理することで問題の形が見えてきます。

    しかし、数学が苦手な子は、これができないことが多いです。
    与えられた式をぼんやり眺めたまま、何をどうしたら良いのかわからず呆然としてしまうことが多いのです。
    「平方完成して」
    とアドバイスすると、
    「あ・・・」
    と思い出してその作業をする子はまだ軽症。
    「平方完成して」
    「平方完成って何ですか?」
    と訊いてくるようですと、かなり重症です。

    平方完成とは何か?
    与えられた式を( )2の形に直すことです。
    定数項がはみ出しても構いません。
    y=a(x-p)2+q
    は平方完成された形だということができます。

    昔、この説明をしていたとき、
    「y=a(x+p)2+qの式はないんですか?」
    という質問を受けたことがあります。
    そんな式は必要ないですよと説明したのですが、不評でした。
    「えー。わかりにくい!」
    「・・・・・?」
    どういうことなのか、そのときはよくわからなかったのですが、結局、根本の問題は正負の数に対する理解が不十分であることなのだと思います。
    y=a(x-p)2+q のとき、頂点の座標は(p,q)
    y=a(x+p)2+q のとき、頂点の座標は(-p,q)
    この2つの式は、結局、同じことを表しています。
    だから、2つ覚える必要はありません。
    要は、pのほうは式にするときに符号が反転するが、qのほうは符号はそのまま。
    そういうイメージですね。

    なぜ、pのほうだけ符号を逆にし、qの符号はそのままなのか。
    本当は、両方とも、符号は逆にしているのです。
    y=ax2をx軸方向にp、y軸方向にqだけ平行移動した式は、整理する前は、
    y-q=a(x-p)2
    それを移行して、
    y=a(x-p)2+q
    となっているのです。

    でも、x軸方向にp、y軸方向にqだけ平行移動するなら、
    y+q=a(x+p)2
    なんじゃないの?
    そういう疑問を抱く高校生も多いでしょう。
    直観的にはそういうイメージを抱いてしまうので、この公式がますます覚えられない。
    わかりにくい。
    そういう子もいます。

    ここで、移動前の、頂点が原点である2次関数を、
    Y=aX2
    と大文字で表してみましょう。
    本当は全く別の文字を用いても良いのですが、関数らしさがなくなってますますわかりにくくなるといけないので、大文字にはするけれど、YとXを用いています。
    この放物線上の任意の点の座標を(X,Y)と表します。
    そうして、(X,Y)が移動した放物線上の点を(x,y)とします。
    このxとyとの関係を表す式が、新しい放物線の式となるでしょう。
    このXとxとの関係は、X+p=xでしょう。
    そして、Y+q=yです。
    すなわち、移項すると、
    X=x-p
    Y=y-q
    です。
    これを最初の式、Y=aX2 に代入すると、
    y-q=a(x-p)2
    y=a(x-p)2+q
    上の一般式が導かれました。

    しかし、この説明、途中でついてこられなくなる生徒が多いのです。
    文字ばっかりでよくわからない。
    何のために代入しているの?
    そんなの、代入していいの?
    大体、任意の点って何ですか?
    その点のxとyの関係を表す式が放物線の式って、本当ですか?

    数学が苦手な高校生の反応はこのようなことが多いです。
    関数に対する理解が浅いと、抽象的な証明は理解できないのも無理からぬところがあります。
    そこで、具体的に移動前と移動後の関数のxとyの値を表にして、座標平面上に点を打っていき、放物線を描いて、確かにその通りになると確かめるのが今の授業の主流です。
    しかし、ここでも、何のためにそんなふうに具体的に表にしてグラフにしているのか理解できず、なめてかかり、「何だ中学生みたいだな。こんなの簡単だ」と思っていたら、突然授業がまとめに入り、一般式の形にされるとよくわからなくておろおろする生徒もいるかもしれません。

    ともかく、2次関数の一般式は、
    y=a(x-p)2+q
    その頂点の座標は(p,q)、軸の方程式はx=p

    2次関数の全てはここからです。

      


  • Posted by セギ at 13:57Comments(0)算数・数学

    2017年06月01日

    グラフに対する認識も小学生と中学生では大きく異なります。



    昔、大人のための数学教室で「1次関数」の復習をしていて、目から鱗が落ちる質問を受けたことがあります。
    1次関数のグラフを描くときは、そのグラフを通る2点を取って、それを直線で結べばいいんでしたよねと説明したときのことです。
    「本当に、それでいいんですか?何か、直線にならない気がするんですけど」
    「・・・・・え?」
    「yが途中で大きくなったり小さくなったりすると思うんですけど」
    「・・・・?」
    1次関数のグラフが直線であることに疑義を挟まれたことはそれまでなかったので、驚きました。
    「傾きがマイナスだと、直線になる気がしないんです」
    「・・・・・え?」

    なぜ傾きが負の数だと直線になる気がしないのか?
    例えば、y=-2x-3
    xとyの一覧表を作って確認しましょう。

    x -3 -2 -1  0   1  2   3
    y  3   1 -1 -3 -5 -7 -9 

    xが1ずつ大きくなると、yは2ずつ小さくなり、変化が一定であることがわかります。
    これらの点を座標平面上に取っていくと、全ての点は1つの直線上にあります。

    しかし、xが負の数であるときに、そのxに-2という負の数をかけてさらに-3をするときの値がどのように変化するか、頭の中だけでイメージするのは難しいかもしれません。
    xが大きくなるとyも大きくなるような気もするし、小さくなるような気もする。
    そのため、傾きが負の数の1次関数のグラフが直線になることがイメージできなかったようでした。 

    正負の数の計算について正確なイメージがないと、1次関数も正確にイメージできないのです。
    日頃、子どもからはこのように具体的な説明はなかなかないので、その場に立ち尽くしてしまうほどの衝撃がありました。
    1次関数のグラフを描くこと1つでも、そのように不安定な感覚と闘っている子どもがいるのだろうと思います。


    学校の数学教育が間違っているのかというと、そんなことはなく、中1の「比例」でも、中2の「1次関数」でも、初めて学習するときは、xとyがどのような値をとって変化するか、上のようにまずは表にして整理し、その表をもとにグラフに点を打ち込んでいき、それが直線になることを確認しています。
    「1次関数」は直線であることや、y=ax+bのaが正の数のときは右上がりのグラフ、aが負の数であるとき右下がりのグラフであることを実際の作業で確認するのです。

    ただ、そのような作業をしているときに、その作業の目的がよくわからない子は数学が苦手な子に多いかもしれません。
    符号ミスや計算ミスをしやすいため、自分の計算通りに点を打つと、グラフはジグザグの折れ線グラフになってしまいます。
    しかし、授業は、
    「はい。皆さん、直線になりましたね」
    と進行していきます。

    何のために何をやっているのかわからず、
    「点を打って結ぶだけだ。簡単なことをやっているなあ」
    とバカにしてかかる子もいるでしょう。
    しかし、
    「aが正の数のときは右上がりの直線、aが負の数のときは右下がりの直線になりますね」
    と、授業がまとめに入ると、何のことかわからずうろたえてしまうかもしれません。
    1つ1つの事象はわかるけれど、抽象化されると途端にわからなくなる子は、そういう反応になりがちです。

    あるいは、それすら「当たり前じゃん」と感じて聞き流す子もいるでしょう。
    大切なことを、大切であると認識できず、聞き流します。
    そうしてふっと気がつくと、1次関数が直線であるということに実感がありません。
    aの正負で直線の右上がり右下がりが決定することにも実感がありません。
    だから、aの正負によって場合分けして解かなければならない問題に対応できない。
    解説を聞いても、意味がわかりません。
    そういうことが起こります。


    中学校の関数の学習の冒頭に行う、上のように一覧表を作ってグラフを描いてみる作業の意味に気がつかない子が多いのは、小学校の算数から脱皮できていないことにも原因があるのかもしれません。
    関数のグラフは抽象化されたものなのですが、そのことがわかっていない子は多いと思います。
    小学校のグラフの学習は、「関数」ではなく「資料の整理」という単元から始まります。
    「1日の気温調べ」などの資料をグラフにし、点と点とを何の疑問もなく線分で結んでいくのです。
    それが折れ線グラフのルールだからです。

    ところが、小学校も高学年になると、そういう呼び方はしないものの「関数」の学習が始まります。
    「関係を表す式」「ともなって変わる量」といった名称の単元です。
    それは「資料の整理」とは別系統の単元ですが、グラフを使用するという点で、小学生には区別がつきません。
    5年生になって、「比例」の学習に入っても、作成した表の通りに点を打ち込んで、それを結んだだけのグラフを描いてしまいます。
    「原点と結んで」
    「グラフ用紙の最後まで直線を伸ばして」
    そう注意されれば、そんなものなのかと思ってその通りにするでしょうが、そうしなければならない理由を、小学生の大半はおそらく理解していないでしょう。

    6年生になると「反比例」の学習に入ります。
    そこでもやっぱり、点と点とを何の疑問もなく線分で結んで、カクカクした反比例のグラフを描いてしまう子は多いです。
    「もっとなめらかな曲線で結んで」
    と注意されると、素直な子は、ああそうなのかと直しますが、どうしてそうしなければならないのかを理解するのは、実は大変なことかもしれません。
    今までの折れ線グラフは、点と点とをカクカク線分で結んでいて正解だったのに、なぜ「反比例」のグラフはそれではダメなのでしょうか?
    そのことの意味を理解している小学生がどれだけいるでしょう。

    小学生が描いている「1日の気温調べ」などの折れ線グラフで用いているのは、測定値です。
    しかし、関数で描いているグラフは、測定値を結んだものではありません。
    あれは、座標平面上の点の集合です。
    共通の法則を満たす点の集合体としての直線または曲線です。

    しかし、そんなこと、小学生に話してわかる種類のことではないですし。
    中学生に話しても、わかる子もいればわからない子もいるでしょうし。

    こういう根本的なことを、言葉で説明されなくても概念のまま理解するのが子どもの能力の大きな特徴なのですが、もしも理解できなかった場合、その子には関数のグラフはどのように見えているのでしょう。
    意味のわからないことと、どのように折り合いをつけているのでしょう。

    「関数」が苦手な子が、表面上の作業手順だけは身につけたとしても、根本の理解に至らないままに終わる理由の一つにこういうことがあるのかもしれません。
      


  • Posted by セギ at 13:48Comments(0)算数・数学