2024年05月24日
1学期中間テストとテスト範囲。

画像は、都立浅間山公園のハンショウヅルです。
さて、中間テストがほぼ終わり、あとは結果が返ってくるのを待つばかりですが、1学期の中間テストには、特有の課題があります。
1学期中間テストは、テスト範囲が読みにくいのです。
4月は、健康診断等の学校行事が立てこんでいて、授業がなかなか進みません。
そのまま、学校はゴールデンウィーンに入ります。
テストは、GWが明けて、2週間後くらいのところが多いです。
その2週間で、授業がガッと先に進み、テスト範囲が広くなる場合があります。
そんなことは予想できることではあるので、基本的にはこちらも用心し、予習を先へ先へと進めています。
だから、大抵は大丈夫なのですが、中学1年生、あるいは、塾にこの春から通い始めたばかりという子に、こちらとしては予想外のことが起こることがあります。
1つには、予習を先に進めていても、学校で授業を受けるまでは今ひとつ定着しない場合。
塾で、予習内容の解説を聞いて演習をするそのときは、テキストの例題を見ながらということもあり、ひと通り問題を解くことができるのですが、その後、復習しないので、忘れてしまうのです。
1週間後、塾にくる前に、慌てて宿題を解きますが、そのときには、もう忘れています。
学校ではまだ未習で、塾で予習しただけの内容なので、頭の中にあまり残っていないのです。
塾のテキストを読み直し、例題を見直して、理解してから宿題を解けば違ってくるのですが、そういうことが必要だということがまだ理解できていない。
忘れてしまったまま闇雲に宿題を解いて来るので、間違いが多い。
そして、そのまま、予習内容の記憶は混乱して終わり、全部忘れていきます。
こうした学習姿勢が、助言すれば直るのなら良いのですが、そんなふうでも小学校の勉強は何とかなっていた場合、派手に転んで傷つくまでは直らないのが子どもの常。
その場合、予習をしてもあまり意味がないので、ほんの少し、学校から一歩先くらいの予習をすることにして、それよりも復習に力を入れていこうと、こちらは方針を転換します。
学校で学習した内容のときには、急に背筋が伸び、しっかり頑張るので、それで学習は順調ではあるのです。
そこに「GWのマジック」が入ってきます。
GW中、塾の授業は事前に連絡して休む。
学校が休みなのだし、進度も遅れていないのだし。
しかし、GW中にあまり勉強しないため、ここで、4月中の学習内容の多くを忘れます。
しかも、GWが明けると、学校の進度が急に速くなるのです。
そして、中間テストは、予想を超えた広い範囲になります。
とても、そこまで手が回らない。
え?
何でこんなことになった?
こんなに急に学校の進度は速くなるもの?
この進度、ちょっと無理があるのでは?
そう思うこともあるのです。
本当に、学校が無理に進度を速めた。
そういう可能性もあります。
しかし、そうではない可能性もあります。
学校の進度を毎回の授業の初めに生徒に確認しているのですが、その情報が正確ではなかった可能性はないだろうか?
4月第2週時点で、「正負の数の意味」。
4月第3週時点で、「正負の数の加法」。
4月第4週時点で、「正負の数の減法」。
5月のGW明けの時点で、「正負の数の減法」。
5月第2週の時点で、「正負の数の加減」。
「・・・え?まだ正負の数の加減?全然進んでないけど、本当にそう?」
「はい」
「学校は、数学の授業がなかったの?」
「・・・体育祭の練習があるから」
「ふーん・・・」
そして、数日後に発表された中間テストの範囲は、「正負の数」の単元すべて。
正負の数の乗除も、四則計算も、正負の数の利用も、すべて。
・・・嘘でしょう?
本当にそうだった可能性は否定できません。
でも、進度の報告が間違っていた可能性も否定できないのです。
私に学校の授業進度を報告することが、どれほどの重要性を持っているか、生徒がまだ理解できていないのかもしれないのです。
事務的な連絡が苦手な子どもは多いです。
コミュニケーションといえば、感情の伝達を指すのが、子どもの世界。
情報の伝達をあまり練習していないし、重要なことだとも思っていない。
「学校の授業はどこまで進みましたか?」
と毎回、塾の授業の初めに質問されるということすら、前提として理解していないので、その都度、びっくりしてしまう。
えー?学校の進度?
何だっけ?何だっけ?
えー?
わかんないから、適当に答えておこう。
「正負の数の加減!」
・・・そんなふうだった可能性も否定できないのです。
もう1つの場合。
これは高校生の場合ですが、塾に求めているものが学校の予習復習だけではない場合。
受験学年ではないけれど、受験を意識した学習をしたい。
入会の時期が、学年末テストが終わった春だったということもあり、では、数ⅠAの復習から始めましょう、ということになります。
塾テキストの他、本人が頑張って挑戦しているテキストもあり、そして、その中から授業時に質問もしてきます。
向学心旺盛で、素晴らしい。
しかし、結局、授業は数ⅠAばかりやることになります。
まあ、こんな難しい数ⅠAの問題を質問してくるのだから、学校で今勉強している数Ⅱや数Bは、大丈夫なんだろう・・・。
質問もしてこないのだし。
本人は大丈夫と言っているし。
うっかり、そう思ってしまいます。
そして、GWに突入。
この期間も、本人は頑張って、数ⅠAの自主学習を進めるので、テキストの質問が沢山たまる・・・。
いや、でも、そろそろ、学校の中間テストに備えたほうが?
そう思って、宿題を数ⅡBのテキストから出すと、基礎が身についていないのです。
え?
嘘でしょう?
それでも、まだ、数ⅠAの質問が終わらない・・・。
嘘でしょう?
そんなことをやっている場合じゃないと思うよ?
そして、発表になったテスト範囲が予想外に広いことに、本人も私も愕然とするのです。
その広いテスト範囲の基本が身についていない・・・。
これは、まずい・・・。
本人としては、数ⅠAのときにそうだったように、学校の勉強はテスト前に集中してやれば何とかなると考えているのかもしれません。
学校の勉強は、学校のプリントや問題集をテスト前にやれば大丈夫、と考えるのです。
数ⅡBも、果たしてそれで大丈夫なものなのか?
そうしたことも、経験し、失敗しないと理解できないことではあるのです。
事前に助言はするのですが、最初は無意味に終わることが多いです。
私と生徒との足並みがそろっていない。
あうんの呼吸が図れていない。
私が生徒の学力をまだ正確に把握しきれていないこともありますし、生徒が、私の意図を理解しきれていないこともあります。
一度は失敗して、反省して、学習姿勢が変わっていきます。
何年も通っている生徒たちは、1学期の中間テストも落ち着いたものです。
私が、GWだろうが何だろうかどんどん予習を進めていく意味も理解しています。
予習した内容をしっかりおさらいしてから宿題を解いてくるので、答え合わせもスムーズです。
テスト範囲を見て、私は、
「これ全部?いつの間にそんなに進んだの?」
とぼやきますが、実は予習もそこまで進んでいるので、特に問題はないのです。
さて、1学期中間テスト。
来週には返ってくると思います。
テストは、返ってきてからの反省が大切。
何が出題されたのか。
何をどう間違えたのか。
学習をどう改善していくべきなのか。
それをしっかり反省し、期末テストに備えます。
さて、中間テストがほぼ終わり、あとは結果が返ってくるのを待つばかりですが、1学期の中間テストには、特有の課題があります。
1学期中間テストは、テスト範囲が読みにくいのです。
4月は、健康診断等の学校行事が立てこんでいて、授業がなかなか進みません。
そのまま、学校はゴールデンウィーンに入ります。
テストは、GWが明けて、2週間後くらいのところが多いです。
その2週間で、授業がガッと先に進み、テスト範囲が広くなる場合があります。
そんなことは予想できることではあるので、基本的にはこちらも用心し、予習を先へ先へと進めています。
だから、大抵は大丈夫なのですが、中学1年生、あるいは、塾にこの春から通い始めたばかりという子に、こちらとしては予想外のことが起こることがあります。
1つには、予習を先に進めていても、学校で授業を受けるまでは今ひとつ定着しない場合。
塾で、予習内容の解説を聞いて演習をするそのときは、テキストの例題を見ながらということもあり、ひと通り問題を解くことができるのですが、その後、復習しないので、忘れてしまうのです。
1週間後、塾にくる前に、慌てて宿題を解きますが、そのときには、もう忘れています。
学校ではまだ未習で、塾で予習しただけの内容なので、頭の中にあまり残っていないのです。
塾のテキストを読み直し、例題を見直して、理解してから宿題を解けば違ってくるのですが、そういうことが必要だということがまだ理解できていない。
忘れてしまったまま闇雲に宿題を解いて来るので、間違いが多い。
そして、そのまま、予習内容の記憶は混乱して終わり、全部忘れていきます。
こうした学習姿勢が、助言すれば直るのなら良いのですが、そんなふうでも小学校の勉強は何とかなっていた場合、派手に転んで傷つくまでは直らないのが子どもの常。
その場合、予習をしてもあまり意味がないので、ほんの少し、学校から一歩先くらいの予習をすることにして、それよりも復習に力を入れていこうと、こちらは方針を転換します。
学校で学習した内容のときには、急に背筋が伸び、しっかり頑張るので、それで学習は順調ではあるのです。
そこに「GWのマジック」が入ってきます。
GW中、塾の授業は事前に連絡して休む。
学校が休みなのだし、進度も遅れていないのだし。
しかし、GW中にあまり勉強しないため、ここで、4月中の学習内容の多くを忘れます。
しかも、GWが明けると、学校の進度が急に速くなるのです。
そして、中間テストは、予想を超えた広い範囲になります。
とても、そこまで手が回らない。
え?
何でこんなことになった?
こんなに急に学校の進度は速くなるもの?
この進度、ちょっと無理があるのでは?
そう思うこともあるのです。
本当に、学校が無理に進度を速めた。
そういう可能性もあります。
しかし、そうではない可能性もあります。
学校の進度を毎回の授業の初めに生徒に確認しているのですが、その情報が正確ではなかった可能性はないだろうか?
4月第2週時点で、「正負の数の意味」。
4月第3週時点で、「正負の数の加法」。
4月第4週時点で、「正負の数の減法」。
5月のGW明けの時点で、「正負の数の減法」。
5月第2週の時点で、「正負の数の加減」。
「・・・え?まだ正負の数の加減?全然進んでないけど、本当にそう?」
「はい」
「学校は、数学の授業がなかったの?」
「・・・体育祭の練習があるから」
「ふーん・・・」
そして、数日後に発表された中間テストの範囲は、「正負の数」の単元すべて。
正負の数の乗除も、四則計算も、正負の数の利用も、すべて。
・・・嘘でしょう?
本当にそうだった可能性は否定できません。
でも、進度の報告が間違っていた可能性も否定できないのです。
私に学校の授業進度を報告することが、どれほどの重要性を持っているか、生徒がまだ理解できていないのかもしれないのです。
事務的な連絡が苦手な子どもは多いです。
コミュニケーションといえば、感情の伝達を指すのが、子どもの世界。
情報の伝達をあまり練習していないし、重要なことだとも思っていない。
「学校の授業はどこまで進みましたか?」
と毎回、塾の授業の初めに質問されるということすら、前提として理解していないので、その都度、びっくりしてしまう。
えー?学校の進度?
何だっけ?何だっけ?
えー?
わかんないから、適当に答えておこう。
「正負の数の加減!」
・・・そんなふうだった可能性も否定できないのです。
もう1つの場合。
これは高校生の場合ですが、塾に求めているものが学校の予習復習だけではない場合。
受験学年ではないけれど、受験を意識した学習をしたい。
入会の時期が、学年末テストが終わった春だったということもあり、では、数ⅠAの復習から始めましょう、ということになります。
塾テキストの他、本人が頑張って挑戦しているテキストもあり、そして、その中から授業時に質問もしてきます。
向学心旺盛で、素晴らしい。
しかし、結局、授業は数ⅠAばかりやることになります。
まあ、こんな難しい数ⅠAの問題を質問してくるのだから、学校で今勉強している数Ⅱや数Bは、大丈夫なんだろう・・・。
質問もしてこないのだし。
本人は大丈夫と言っているし。
うっかり、そう思ってしまいます。
そして、GWに突入。
この期間も、本人は頑張って、数ⅠAの自主学習を進めるので、テキストの質問が沢山たまる・・・。
いや、でも、そろそろ、学校の中間テストに備えたほうが?
そう思って、宿題を数ⅡBのテキストから出すと、基礎が身についていないのです。
え?
嘘でしょう?
それでも、まだ、数ⅠAの質問が終わらない・・・。
嘘でしょう?
そんなことをやっている場合じゃないと思うよ?
そして、発表になったテスト範囲が予想外に広いことに、本人も私も愕然とするのです。
その広いテスト範囲の基本が身についていない・・・。
これは、まずい・・・。
本人としては、数ⅠAのときにそうだったように、学校の勉強はテスト前に集中してやれば何とかなると考えているのかもしれません。
学校の勉強は、学校のプリントや問題集をテスト前にやれば大丈夫、と考えるのです。
数ⅡBも、果たしてそれで大丈夫なものなのか?
そうしたことも、経験し、失敗しないと理解できないことではあるのです。
事前に助言はするのですが、最初は無意味に終わることが多いです。
私と生徒との足並みがそろっていない。
あうんの呼吸が図れていない。
私が生徒の学力をまだ正確に把握しきれていないこともありますし、生徒が、私の意図を理解しきれていないこともあります。
一度は失敗して、反省して、学習姿勢が変わっていきます。
何年も通っている生徒たちは、1学期の中間テストも落ち着いたものです。
私が、GWだろうが何だろうかどんどん予習を進めていく意味も理解しています。
予習した内容をしっかりおさらいしてから宿題を解いてくるので、答え合わせもスムーズです。
テスト範囲を見て、私は、
「これ全部?いつの間にそんなに進んだの?」
とぼやきますが、実は予習もそこまで進んでいるので、特に問題はないのです。
さて、1学期中間テスト。
来週には返ってくると思います。
テストは、返ってきてからの反省が大切。
何が出題されたのか。
何をどう間違えたのか。
学習をどう改善していくべきなのか。
それをしっかり反省し、期末テストに備えます。
2024年05月17日
中1数学「文字式」。項の把握ができない。

もう何年も前、中1の生徒が「文字式」の学習をした際に陥った誤答があります。
問題 次の文字式を計算しなさい。
(1) 2x+3+3x-1=-18x^2
(2) 4x+5+3x+8=2x+20
・・・なんでそうなるの?
それまで、数学が苦手な子には多く出会ってきましたが、見たことのない種類の誤答だったので、衝撃を受けました。
どんな計算をすると、そういう答になるのか、分析にも時間がかかりました。
実は、こういうことでした。
(1) 2x+3+3x-1
=2x×(+3)×(+3x)×(-1)
=-18x^2
これは、2x、+3、+3x、-1 という各項の間に、×という計算記号が省略されていると誤解したための計算なのでした。
「文字式」の学習の最初に、a×b=ab というように、×の記号は省略されると学習します。
それが、文字の間だけでなく、すべての項の間に省略されていると誤解したのでした。
(2) 4x+5+3x+8
=4+x+5+3+x+8
=2x+20
「正負の数」を学習した際に、(+8)+(-3)=8-3 というように、+の記号は省略されると学習します。
それが全ての数や文字の間で省略されていると誤解したのでした。
つまり、+や×の計算記号が、どんなときに省略され、どんなときに省略されないのか、その子は理解できていなかったのです。
人間の脳は、複雑なことをできるだけ簡単にして理解しようとする癖があります。
その子は、+や×の計算記号が省略されるルールを、簡単なものにしたかったのだろうと思います。
でも、本人の中でもブレが生じていました。
すべて×が省略されているのだととらえるときもある。
すべて+が省略されているのだととらえるときもある。
混乱している様子がうかがえました。
そこまで混乱している子を見たとき、どう解説すれば理解できるのだろうと、私も一瞬ひるみました。
これは、どこまで解説しても、「わからない」と言われれば、もうそれで終わってしまう種類のことではないのか?
そう思いました。
その子は、「正負の数」の学習のときにも、
「-5万円の減少」が「+5万円の増加」と同じ意味であることを理解できませんでした。
その2つが、等しい内容だとは、どうしても思えない様子でした。
いや、そもそも、意味がわからなかったのかもしれません。
何回説明しても、伝わりませんでした。
何がどうわからなくて困っているのか、語る言葉が少ない子でもありました。
しかし、この内容が理解できないと、正負の数の減法で、
(+3)-(-5)=(+3)+(+5)
というように、減法を加法に直して計算するのは何故なのかも、理解できなくなります。
「-5を引くこと」は「+5を足すこと」と同じことなのだということが、理解できないのです。
結局、理解はできないまま、そういうものだ、と覚えて使うしかなく、そんな記憶は定着しづらいので、時間が経つとやり方がわからなくなっていました。
「+5万円の減少」と「-5万円の減少」は、正反対の内容。
「+5万円の減少」と「+5万円の増加」は、正反対の内容。
では、「+5万円の減少」から見て、どちらも正反対なので、正反対どうしの「-5万円の減少」と「+5万円の増加」は、等しい内容。
反対の反対は賛成なのだー、とバカボンのパパみたいなことも言ってみました。
しかし、こういう理屈が理解できるのなら、最初から自力で理解できたのでしょう。
わからない子は、こんなロジックは、とうてい理解できない。
だから、結局、理解できない・・・。
理解できないけれど、どうも世の中はそういうものであるらしい、と覚え込むしかない・・・。
そのように、論理が敗北していく瞬間に立ち会うこともあります。
数学が理解できないということの根本は、こういうことなのかもしれません。
小学校の算数は、低学年の頃の算数が特に易しいせいもあり、意味を考えるよりも、解き方を覚えることでやり過ごしてしまう子が多いです。
これは、繰り返し書いてきました。
そうした子は、高学年になると、「単位量あたり」「割合」「速さ」といった単元でつまずきを見せますが、本人も、そして周りも、それはたまたまその単元が苦手なだけと、やり過ごしてしまいがちです。
もっと、その奥に、そもそも意味を考えて算数の問題を解いていないという、深く暗い背景があることに気づかないのです。
意味を考えて解いていないから、かけ算かわり算かを自分で判断しなければならない単元になると、つまずいてしまうのです。
そして、そのまま、中学生になります。
中学の数学も、解き方を覚えることだけでやり過ごそうします。
ところが、小学校の算数と比べると、中学の数学は「覚える」ことが多いので、覚えきれなくなっていきます。
解き方を覚えるのではなく、意味を理解して解きましょう。
そう繰り返し話しても、本人には、なかなか響かないことがあります。
理屈を理解できない、というのは、幼い子どもならば当然そうです。
脳がまだ幼いままで、論理を理解しきれない。
そんなこともあるのかもしれません。
脳の発達には個人差があります。
あるいは、その子の脳の癖として、論理的なことを好まない。
感覚的に判断する癖がついていたのかもしれません。
論理的なことを言われれば言われるほど、脳がシャットアウトする。
これも何度も書いてきましたが、論理を理解するよりも、解き方を覚えたほうが、脳が疲れないということも、小学校の算数レベルならばあり得ます。
使うメモリの容量が少なくて済むので、解き方だけ覚えるほうが合理的。
そのほうが賢い。
そういう判断をしてしまうこともあると思います。
そうして、小学校の低学年の頃から、算数は、理屈を理解するのではなく、やり方を覚えることだけに終始してきた。
それで大きな問題はなかった。
だから、論理を理解する能力を高めることもなく、中学生になってしまった・・・。
論理の理解は時機を待つとしても、計算がまともにできないのはまずい・・・。
上のような文字式の計算問題で得点できないとなると、定期テストでどこで得点していいのかわからない状態になります。
問題をもう一度見てみましょう。
問題 次の文字式を計算しなさい。
(1) 2x+3+3x-1
(2) 4x+5+3x+8
どこに×が省略されていて、どこに+が省略されているのか。
項が把握できれば、何とかなるのではないか?
だから、項の把握にまずは集中しました。
項の間には、必ず、+か-が書かれます。
それは、省略できません。
そのルールだけをまず、絶対のルールとして覚えてもらい、項の把握を繰り返し練習しました。
(1)の項は、 2x , +3 , +3x , -1
(2)の項は、 4x , +5 , +3x , +8
項と項の間の+、-は、省略できない。
しかし、項と項の間には、もう1つ、+の記号が隠れている。
一方、項と項の間に、×の記号が隠れていることはない。
×の記号が隠れているのは、1つの項の中だけ。
数と文字の間と、文字と文字の間だけ。
4x=4×x だけれども、4x+5は、(4x)×(+5)ではない。
x-4は、x×(-4)ではなく、x+(-4)ということ。
大多数の子が暗黙知として理解する内容を、言葉にして、確かに理解する。
それを繰り返すことで、何とか、正しい計算ができるようになりました。
これによって、私が得た学びも大きいです。
文字式の計算を学ぶ冒頭に、すべての項を書いていく問題があります。
これを間違える子は少ないので、項の把握など、簡単でつまらない問題、と軽視されがちです。
これがそんなに重要な事項であるとは、私自身、思わなかったのです。
でも、文字式の計算をするためには、項の把握が絶対に必要なことでした。
項が見えていない子は、文字式を計算できないのでした。
論理が理解できないのは、数学上の最大のネックです。
解き方だけを覚えていく算数・数学に、未来はありません。
中学数学のいつか、あるいは高校数学のいつか、挫折する可能性が高いです。
でも、それで何もかも諦める必要もないと思います。
どうしてもどうしても理解できないときには、わからないまま「覚える」ことで受け流しながら、それでも、理解できることを増やしていく。
ある日すべてが理解できるようになる日もあると信じて。
高校生になったその子は、不定方程式の解き方をマスターしました。
しかし、
3(x+2)=-5(y-1)
まで式を自力で整理した後、
x=-5k+2
y=3k-1
と符合ミスをしてしまうことがありました。
正解は、
x=5k-2
y=-3k+1 (kは整数)
です。
「不定方程式の模範解答は、xから解いているんです。
3と5は互いに素ですから、x+2は5の倍数でないと、この式は成立しません。
このとき、-5の倍数とはしないのです。
-5の倍数、なんていう言い方、聞いたことがないでしょう?
倍数は、自然数の倍数のことなのです。
だから、x+2は、5の倍数です」
という私の解説を、
「あー。じゃあ、なんで x=5k+2 じゃないんですか?」
「x+2=5k なので、+2を移項して、x=5k-2なんですよ」
「あー。じゃあ、何で y=-3k+1なんですか?」
「3(x+2)=-5(y-1) という式に、x=5k-2を代入して、yについて解いているんです。
3(5k-2+2)=-5(y-1)
左辺と右辺をそれぞれ移項して、
5(y-1)=-3・5k
両辺を5で割って、
y-1=-3k
y=-3k+1
です」
「あー」
「ここのところを簡略化して、
3(x+2)=-5(y-1)
という式から、xとyの値を直接読み取ることはできますが、必ず意味に戻れるようにしましょう」
「はい」
・・・伝わっている!
数学的な解説が伝わっている!
人は成長します。
必ず。
問題 次の文字式を計算しなさい。
(1) 2x+3+3x-1=-18x^2
(2) 4x+5+3x+8=2x+20
・・・なんでそうなるの?
それまで、数学が苦手な子には多く出会ってきましたが、見たことのない種類の誤答だったので、衝撃を受けました。
どんな計算をすると、そういう答になるのか、分析にも時間がかかりました。
実は、こういうことでした。
(1) 2x+3+3x-1
=2x×(+3)×(+3x)×(-1)
=-18x^2
これは、2x、+3、+3x、-1 という各項の間に、×という計算記号が省略されていると誤解したための計算なのでした。
「文字式」の学習の最初に、a×b=ab というように、×の記号は省略されると学習します。
それが、文字の間だけでなく、すべての項の間に省略されていると誤解したのでした。
(2) 4x+5+3x+8
=4+x+5+3+x+8
=2x+20
「正負の数」を学習した際に、(+8)+(-3)=8-3 というように、+の記号は省略されると学習します。
それが全ての数や文字の間で省略されていると誤解したのでした。
つまり、+や×の計算記号が、どんなときに省略され、どんなときに省略されないのか、その子は理解できていなかったのです。
人間の脳は、複雑なことをできるだけ簡単にして理解しようとする癖があります。
その子は、+や×の計算記号が省略されるルールを、簡単なものにしたかったのだろうと思います。
でも、本人の中でもブレが生じていました。
すべて×が省略されているのだととらえるときもある。
すべて+が省略されているのだととらえるときもある。
混乱している様子がうかがえました。
そこまで混乱している子を見たとき、どう解説すれば理解できるのだろうと、私も一瞬ひるみました。
これは、どこまで解説しても、「わからない」と言われれば、もうそれで終わってしまう種類のことではないのか?
そう思いました。
その子は、「正負の数」の学習のときにも、
「-5万円の減少」が「+5万円の増加」と同じ意味であることを理解できませんでした。
その2つが、等しい内容だとは、どうしても思えない様子でした。
いや、そもそも、意味がわからなかったのかもしれません。
何回説明しても、伝わりませんでした。
何がどうわからなくて困っているのか、語る言葉が少ない子でもありました。
しかし、この内容が理解できないと、正負の数の減法で、
(+3)-(-5)=(+3)+(+5)
というように、減法を加法に直して計算するのは何故なのかも、理解できなくなります。
「-5を引くこと」は「+5を足すこと」と同じことなのだということが、理解できないのです。
結局、理解はできないまま、そういうものだ、と覚えて使うしかなく、そんな記憶は定着しづらいので、時間が経つとやり方がわからなくなっていました。
「+5万円の減少」と「-5万円の減少」は、正反対の内容。
「+5万円の減少」と「+5万円の増加」は、正反対の内容。
では、「+5万円の減少」から見て、どちらも正反対なので、正反対どうしの「-5万円の減少」と「+5万円の増加」は、等しい内容。
反対の反対は賛成なのだー、とバカボンのパパみたいなことも言ってみました。
しかし、こういう理屈が理解できるのなら、最初から自力で理解できたのでしょう。
わからない子は、こんなロジックは、とうてい理解できない。
だから、結局、理解できない・・・。
理解できないけれど、どうも世の中はそういうものであるらしい、と覚え込むしかない・・・。
そのように、論理が敗北していく瞬間に立ち会うこともあります。
数学が理解できないということの根本は、こういうことなのかもしれません。
小学校の算数は、低学年の頃の算数が特に易しいせいもあり、意味を考えるよりも、解き方を覚えることでやり過ごしてしまう子が多いです。
これは、繰り返し書いてきました。
そうした子は、高学年になると、「単位量あたり」「割合」「速さ」といった単元でつまずきを見せますが、本人も、そして周りも、それはたまたまその単元が苦手なだけと、やり過ごしてしまいがちです。
もっと、その奥に、そもそも意味を考えて算数の問題を解いていないという、深く暗い背景があることに気づかないのです。
意味を考えて解いていないから、かけ算かわり算かを自分で判断しなければならない単元になると、つまずいてしまうのです。
そして、そのまま、中学生になります。
中学の数学も、解き方を覚えることだけでやり過ごそうします。
ところが、小学校の算数と比べると、中学の数学は「覚える」ことが多いので、覚えきれなくなっていきます。
解き方を覚えるのではなく、意味を理解して解きましょう。
そう繰り返し話しても、本人には、なかなか響かないことがあります。
理屈を理解できない、というのは、幼い子どもならば当然そうです。
脳がまだ幼いままで、論理を理解しきれない。
そんなこともあるのかもしれません。
脳の発達には個人差があります。
あるいは、その子の脳の癖として、論理的なことを好まない。
感覚的に判断する癖がついていたのかもしれません。
論理的なことを言われれば言われるほど、脳がシャットアウトする。
これも何度も書いてきましたが、論理を理解するよりも、解き方を覚えたほうが、脳が疲れないということも、小学校の算数レベルならばあり得ます。
使うメモリの容量が少なくて済むので、解き方だけ覚えるほうが合理的。
そのほうが賢い。
そういう判断をしてしまうこともあると思います。
そうして、小学校の低学年の頃から、算数は、理屈を理解するのではなく、やり方を覚えることだけに終始してきた。
それで大きな問題はなかった。
だから、論理を理解する能力を高めることもなく、中学生になってしまった・・・。
論理の理解は時機を待つとしても、計算がまともにできないのはまずい・・・。
上のような文字式の計算問題で得点できないとなると、定期テストでどこで得点していいのかわからない状態になります。
問題をもう一度見てみましょう。
問題 次の文字式を計算しなさい。
(1) 2x+3+3x-1
(2) 4x+5+3x+8
どこに×が省略されていて、どこに+が省略されているのか。
項が把握できれば、何とかなるのではないか?
だから、項の把握にまずは集中しました。
項の間には、必ず、+か-が書かれます。
それは、省略できません。
そのルールだけをまず、絶対のルールとして覚えてもらい、項の把握を繰り返し練習しました。
(1)の項は、 2x , +3 , +3x , -1
(2)の項は、 4x , +5 , +3x , +8
項と項の間の+、-は、省略できない。
しかし、項と項の間には、もう1つ、+の記号が隠れている。
一方、項と項の間に、×の記号が隠れていることはない。
×の記号が隠れているのは、1つの項の中だけ。
数と文字の間と、文字と文字の間だけ。
4x=4×x だけれども、4x+5は、(4x)×(+5)ではない。
x-4は、x×(-4)ではなく、x+(-4)ということ。
大多数の子が暗黙知として理解する内容を、言葉にして、確かに理解する。
それを繰り返すことで、何とか、正しい計算ができるようになりました。
これによって、私が得た学びも大きいです。
文字式の計算を学ぶ冒頭に、すべての項を書いていく問題があります。
これを間違える子は少ないので、項の把握など、簡単でつまらない問題、と軽視されがちです。
これがそんなに重要な事項であるとは、私自身、思わなかったのです。
でも、文字式の計算をするためには、項の把握が絶対に必要なことでした。
項が見えていない子は、文字式を計算できないのでした。
論理が理解できないのは、数学上の最大のネックです。
解き方だけを覚えていく算数・数学に、未来はありません。
中学数学のいつか、あるいは高校数学のいつか、挫折する可能性が高いです。
でも、それで何もかも諦める必要もないと思います。
どうしてもどうしても理解できないときには、わからないまま「覚える」ことで受け流しながら、それでも、理解できることを増やしていく。
ある日すべてが理解できるようになる日もあると信じて。
高校生になったその子は、不定方程式の解き方をマスターしました。
しかし、
3(x+2)=-5(y-1)
まで式を自力で整理した後、
x=-5k+2
y=3k-1
と符合ミスをしてしまうことがありました。
正解は、
x=5k-2
y=-3k+1 (kは整数)
です。
「不定方程式の模範解答は、xから解いているんです。
3と5は互いに素ですから、x+2は5の倍数でないと、この式は成立しません。
このとき、-5の倍数とはしないのです。
-5の倍数、なんていう言い方、聞いたことがないでしょう?
倍数は、自然数の倍数のことなのです。
だから、x+2は、5の倍数です」
という私の解説を、
「あー。じゃあ、なんで x=5k+2 じゃないんですか?」
「x+2=5k なので、+2を移項して、x=5k-2なんですよ」
「あー。じゃあ、何で y=-3k+1なんですか?」
「3(x+2)=-5(y-1) という式に、x=5k-2を代入して、yについて解いているんです。
3(5k-2+2)=-5(y-1)
左辺と右辺をそれぞれ移項して、
5(y-1)=-3・5k
両辺を5で割って、
y-1=-3k
y=-3k+1
です」
「あー」
「ここのところを簡略化して、
3(x+2)=-5(y-1)
という式から、xとyの値を直接読み取ることはできますが、必ず意味に戻れるようにしましょう」
「はい」
・・・伝わっている!
数学的な解説が伝わっている!
人は成長します。
必ず。
2024年05月11日
「英会話タイムトライアル」は、新しい英語に触れられます。

画像は、都立浅間山公園のムサシノキスゲです。
先週も行ってきました。満開でした。
さて、中学の新課程が始まって、もう4年目です。
三鷹市採択の英語教科書ではなかったので、サンシャインの教科書を今年になって初めて教えることになりました。
さすが、サンシャイン。
革新的です。
例えば、こんな英文。
これは、中2の教科書本文です。
I'll email you often.
意味を取ることは難しくないので、何となく読み流してしまいそうな文ですが、これは、昭和の時代にも、そして平成の時代にも、教科書には載ることのなかった英文です。
何が新しいのかというと、まずは、動詞 email 。
これは、「メールを送る」という意味だというのはすぐにわかりますけれども、平成の頃までは、
send an e-mail
だったのです。
名詞が動詞化するのは、アメリカ英語のよくある流れ。
e-mail の間のハイフンもなくなり、見事に動詞化しました。
しかし、それが、アメリカで一般化した後、日本の英語教科書本文に掲載されるには、タイムラグがあるもの。
ついに来たのだなあという感慨があります。
名詞の動詞化は、最近の流行ということではなく、昔からあります。
例えば water を動詞として使う場合は、植物などに「水をやる」という意味。
英語は、SVOCの配置が明確に定まっている言語ですので、Vの位置に置けば、名詞は動詞化します。
使う人が多くなれば、それが動詞として固定します。
friend を動詞として使うならば、「SNSで友達になる」という意味になります。
新しいですね。
さすがに、まだ教科書には載っていないかな?
I'll email you often.
しかし、この英文は、名詞の動詞化以上の斬新さが含まれています。
これ、学生時代に英語が得意だった保護者が中学生の子どもに教えようとすると、一瞬戸惑ってしまうと思うのです。
あれ?
often って、この位置だった?
I'll often email you. じゃないの?
always , usually , often , sometimes などは、頻度の副詞と呼ばれるもの。
どの程度の頻度でそうなのかを説明する副詞です。
これらの副詞の位置は、一般動詞の前、be動詞・助動詞の後ろ。
昭和・平成にがっちり英文法を学習した人には、頭の奥までしみついている文法事項です。
でも、今は、日常会話では、この位置でもいいんです。
言語というのは、誤用する人が多くなれば、それが正しい言い方となります。
今は、頻度の副詞は文末においてもOKなのです。
勿論、書き言葉や、改まった場で使用する英語などでは、頻度の副詞は、一般動詞の前です。
相変わらず、正しい英語として通用しています。
I'll often email you.
です。
新しい英会話の潮流を早めにとらえるには、NHKラジオの英語講座が参考になります。
なかでも、講師がそもそも外国人である「英会話タイムトライアル」は、こういう新しい英語を学べます。
私がこの番組を聞き始めたのは、もう5年以上前ですが、こうした文法的な違和感が、最初は新鮮でした。
たとえば、現在完了の文。
I've done it already.
already の位置が、そこなのか!
これも、頻度の副詞と同じ位置におくと学習してきましたが、今のアメリカ英会話では、文末でもいいのです。
そして、挨拶は、例えば、こんなふう。
How are you doing?
―Good. Thanks. How are you?
私が中学の教科書で学習した挨拶は、
How are you?
―Fine, thank you. And you?
でした。
そして、実際のアメリカ人はそんな挨拶はしないなどと悪口を言われたものでした。
では、実際のアメリカ人はどんな挨拶をするのかと尋ねると、何だかくだけすぎた会話を聞かされました。
それは、若者の挨拶じゃないの?
そんなのを知りたいわけじゃない。
大人としての礼儀にかなった挨拶を知りたいのに。
・・・と困惑することがありました。
「英会話タイムトライアル」で紹介される会話は、そういうところはしっかりしていて、好感が持てます。
この英語は使いたくなる、という安心感があるのです。
少しの新しさと、安定の礼儀正しさ。
シチュエーションが、大人どうしの会話なのです。
番組のレベルは、A2。
「中高生の基礎英語 in English」よりもやや低いくらいの設定なのですが、実際はそれよりはるかに難しいです。
読む・聞く・書く・話すの4領域の中で、「話す」はやはり、一番難度が高い。
練習不足になりがちで、進歩が一番遅れてしまう分野です。
とっさに、英語が出てこない。
まず、日本語で考えてしまい、それを英語に直そうとするので、時間もかかるし、変な英語になる。
根本の問題は、練習不足です。
その解消にいいのが、NHKラジオ講座「英会話タイムトライアル」です。
毎年、4月に新シリーズが開講されています。
4月当初は簡単な挨拶や質問とその返答で、とても易しいのですが、あっという間に難度が上がります。
月曜日から金曜日まで、毎日10分のレッスン。
月・火・水は、日本語で言われた内容を即座に英語に直す練習。
金曜日の対話練習のための素材をその3日間で練習していきます。
木曜日は、重要表現のリピート練習や、それまでの復習として英文を答える練習。
そして、金曜日は、対話カラオケ。
相手のセリフや問いかけはあらかじめ決まっていて、その合間の時間を英語で埋めていき、会話を成立させます。
ここは、英語力が高ければ与えられた時間内に大量の内容を詰め込んでベラベラ喋ったら良いので、能力に応じた練習ができます。
一言二言しか喋れなかった場合は、その後に模範会話が披露されますから、それを真似て2回目でもう少し頑張ればいいのです。
新しい英語を、会話主体で学びたい。
費用の負担がなく、毎日、少しずつ。
そういうニーズに応えてくれる番組です。
先週も行ってきました。満開でした。
さて、中学の新課程が始まって、もう4年目です。
三鷹市採択の英語教科書ではなかったので、サンシャインの教科書を今年になって初めて教えることになりました。
さすが、サンシャイン。
革新的です。
例えば、こんな英文。
これは、中2の教科書本文です。
I'll email you often.
意味を取ることは難しくないので、何となく読み流してしまいそうな文ですが、これは、昭和の時代にも、そして平成の時代にも、教科書には載ることのなかった英文です。
何が新しいのかというと、まずは、動詞 email 。
これは、「メールを送る」という意味だというのはすぐにわかりますけれども、平成の頃までは、
send an e-mail
だったのです。
名詞が動詞化するのは、アメリカ英語のよくある流れ。
e-mail の間のハイフンもなくなり、見事に動詞化しました。
しかし、それが、アメリカで一般化した後、日本の英語教科書本文に掲載されるには、タイムラグがあるもの。
ついに来たのだなあという感慨があります。
名詞の動詞化は、最近の流行ということではなく、昔からあります。
例えば water を動詞として使う場合は、植物などに「水をやる」という意味。
英語は、SVOCの配置が明確に定まっている言語ですので、Vの位置に置けば、名詞は動詞化します。
使う人が多くなれば、それが動詞として固定します。
friend を動詞として使うならば、「SNSで友達になる」という意味になります。
新しいですね。
さすがに、まだ教科書には載っていないかな?
I'll email you often.
しかし、この英文は、名詞の動詞化以上の斬新さが含まれています。
これ、学生時代に英語が得意だった保護者が中学生の子どもに教えようとすると、一瞬戸惑ってしまうと思うのです。
あれ?
often って、この位置だった?
I'll often email you. じゃないの?
always , usually , often , sometimes などは、頻度の副詞と呼ばれるもの。
どの程度の頻度でそうなのかを説明する副詞です。
これらの副詞の位置は、一般動詞の前、be動詞・助動詞の後ろ。
昭和・平成にがっちり英文法を学習した人には、頭の奥までしみついている文法事項です。
でも、今は、日常会話では、この位置でもいいんです。
言語というのは、誤用する人が多くなれば、それが正しい言い方となります。
今は、頻度の副詞は文末においてもOKなのです。
勿論、書き言葉や、改まった場で使用する英語などでは、頻度の副詞は、一般動詞の前です。
相変わらず、正しい英語として通用しています。
I'll often email you.
です。
新しい英会話の潮流を早めにとらえるには、NHKラジオの英語講座が参考になります。
なかでも、講師がそもそも外国人である「英会話タイムトライアル」は、こういう新しい英語を学べます。
私がこの番組を聞き始めたのは、もう5年以上前ですが、こうした文法的な違和感が、最初は新鮮でした。
たとえば、現在完了の文。
I've done it already.
already の位置が、そこなのか!
これも、頻度の副詞と同じ位置におくと学習してきましたが、今のアメリカ英会話では、文末でもいいのです。
そして、挨拶は、例えば、こんなふう。
How are you doing?
―Good. Thanks. How are you?
私が中学の教科書で学習した挨拶は、
How are you?
―Fine, thank you. And you?
でした。
そして、実際のアメリカ人はそんな挨拶はしないなどと悪口を言われたものでした。
では、実際のアメリカ人はどんな挨拶をするのかと尋ねると、何だかくだけすぎた会話を聞かされました。
それは、若者の挨拶じゃないの?
そんなのを知りたいわけじゃない。
大人としての礼儀にかなった挨拶を知りたいのに。
・・・と困惑することがありました。
「英会話タイムトライアル」で紹介される会話は、そういうところはしっかりしていて、好感が持てます。
この英語は使いたくなる、という安心感があるのです。
少しの新しさと、安定の礼儀正しさ。
シチュエーションが、大人どうしの会話なのです。
番組のレベルは、A2。
「中高生の基礎英語 in English」よりもやや低いくらいの設定なのですが、実際はそれよりはるかに難しいです。
読む・聞く・書く・話すの4領域の中で、「話す」はやはり、一番難度が高い。
練習不足になりがちで、進歩が一番遅れてしまう分野です。
とっさに、英語が出てこない。
まず、日本語で考えてしまい、それを英語に直そうとするので、時間もかかるし、変な英語になる。
根本の問題は、練習不足です。
その解消にいいのが、NHKラジオ講座「英会話タイムトライアル」です。
毎年、4月に新シリーズが開講されています。
4月当初は簡単な挨拶や質問とその返答で、とても易しいのですが、あっという間に難度が上がります。
月曜日から金曜日まで、毎日10分のレッスン。
月・火・水は、日本語で言われた内容を即座に英語に直す練習。
金曜日の対話練習のための素材をその3日間で練習していきます。
木曜日は、重要表現のリピート練習や、それまでの復習として英文を答える練習。
そして、金曜日は、対話カラオケ。
相手のセリフや問いかけはあらかじめ決まっていて、その合間の時間を英語で埋めていき、会話を成立させます。
ここは、英語力が高ければ与えられた時間内に大量の内容を詰め込んでベラベラ喋ったら良いので、能力に応じた練習ができます。
一言二言しか喋れなかった場合は、その後に模範会話が披露されますから、それを真似て2回目でもう少し頑張ればいいのです。
新しい英語を、会話主体で学びたい。
費用の負担がなく、毎日、少しずつ。
そういうニーズに応えてくれる番組です。
2024年05月04日
ケアレスミスをしがちな子に多い傾向。

ケアレスミスの多い子の中で、教室で私の前で問題を解いているときは、のんびりと、言い換えれば多少だらだらと問題を解く子がいました。
問題をたくさん解かされたら損だ、という損得勘定が働いているのかどうかはよくわかりませんが、学習が主体的ではない子は、普段はそんなにスピーディーに解かないことが多いです。
のろのろと問題を解き、できるだけ勉強したくない気持ちが透けて見えます。
ところが、定期テストは時間制限があります。
スピーディーに解いていかないと最後まで解けないかもしれません。
普段、マイペースでのろのろ解いている子は、テストのときだけ時間に追われ、普段はやらない暗算や答案の省略をやり、そのためにミスをして、どんどん得点を失っていくことがあります。
普段から全力で解いていく習慣があれば、テストのときも普段通りに解けば良いだけなのですが。
ケアレスミスについては、今までも何度も書いてきました。
ケアレスミスが多い子で、これは完全には治らないかもしれないと思われる子もいます。
大きく2通り。
1つは、テストになると過度に緊張し、精神状態が不安定になってしまう子。
「本番に弱い子」たちです。
能力自体は高いのですが、本番でしくじります。
魔に魅入られたようにしくじっていくので、何でそうなるのか、周囲の者にはよくわかりません。
もう1つは、根本的に集中力に欠け、いつも頭の半分は他のことを考えながら問題を解いている子。
1つのことに集中するということが、どうしてもできない様子の子です。
問題を解きながら、私に関係ないことを話しかけてくる。
問題を解きながら、他のことを考えている。
おそらく、テスト中も、他のことが気になって集中できないのでしょう。
どちらも、頭の回転自体は速い子に多いです。
本人が自分の心の問題に正面から向き合い、解決を図らない限りは、解決しないと思います。
そうではないのにケアレスミスの多い子は、本人の精神的な幼さが原因となっている場合が多いです。
防げるミスなのに、防がない。
何度でも同じミスを繰り返します。
アドバイスを受けても、その通りにできないのです。
本人の中で、自分のミスの多さが、解決すべき課題として自覚されていないのが大きな原因かもしれません。
他人に比べれば自分はミスは少ないほうだとすら思っている傾向があります。
「ケアレスミスが多いですよ」
と忠告しても、
「え。先生はそう思っているのですか」
と驚いた顔をしたりします。
いや、この忠告、何度目?
忠告されたことすら記憶から消去するのは、なぜなの?
そのように、むしろこちらが驚くことがあります。
他人のミスは目につきますし、記憶に残るものです。
しかし、自分のミスを直視するのは嫌ですから、忘れようとしますし、実際忘れます。
その繰り返しで、他人のほうがミスが多い、自分はそんなにミスをするほうではない、と思ってしまうのは、よくある心理的傾向です。
ミスが多いのに、ミスが多いと自覚できないのです。
まず自覚があるから直そうという気持ちになるのですが、そもそも自覚がないのですから、直そうとするはずもありません。
無防備にテストを受けて、そしてケアレスミスだらけの答案が返ってきて、そのときはがっかりしますが、的確な反省はできないのです。
あるいは、ケアレスミスを過小評価していることもあります。
「ケアレスミスってどういう意味か知っていますか?」
と尋ねると、
「小さいミス」とか「ちょっとしたミス」と答えます。
「不注意なミスという意味ですよ」
と説明すると、嫌な顔をします。
幼い子は、主観で生きています。
バイアスが強くかかっているのです。
ミスの多い自分を客観的に見ることがまだできないのです。
そうした幼さは、行動にも現れます。
例えば、忘れ物の多い子は、テストでのミスも多いです。
持ってくるべきものを忘れるパターンもありますが、教室に忘れ物をしていく子もいます。
うちの教室の机の下には、棚のようなものが設置してあります。
それは、机の天板に直接膝が当たらないよう保護するためのもの。
引き出しというのには、狭い。
しかし、そこに、テキストを入れて、そして忘れていく子がいます。
見えないところに置けば、忘れる確率は高まります。
だから、
「そこに置くと忘れやすいですよ」
と声をかけます。
なぜそこに置くと忘れるのか、そのメカニズムも解説します。
それで素直にやめてくれる子が今は多いですが、小学生くらいですと、反抗期の子もいます。
そこに置くと忘れると言われれば言われるほど、敢えてそこに置くのです。
そして、忘れていきます。
物事の整理が苦手な子もいます。
私が見た中で一番驚いたのは、教室に来ると、机の上にカバンを置き、その上にノートやテキストを載せて、ぐちゃぐちゃと解き始める子でした。
デイパックのポケット部分の凹凸があるのに、その上にノートやテキストを開いて問題を解くことを何とも思っていないのでした。
「整地」という言葉を使いたくなるほど、何だかそういうことへの意識が低い。
まずは平らな場所にテキストとノートを開かなかったら、そりゃあミスが増えます。
書きにくいので、そこに意識が逸れますから、それだけ集中力を奪われます。
そのことに、そもそも気がついていないのでした。
毎回、カバンは片付けましょうと声をかけない限りはそのスタイルで解いてしまうのです。
整理整頓ということが、絶望的に身についていない子は、答案も整理整頓できないです。
宿題も、やろうとしたときに、塾用のノートが見当たらず、適当なノートに解いてしまう。
そして、そのノートを忘れてきてしまう・・・。
そんなことを繰り返して、ノートが何冊もあり、どこに解いたのか本人もわからなくなってしまう。
そんなこともあります。
テキストを右に、ノートを左にして解いている子もいました。
右利きでそれでは、テキストを見にくいし、ノートも書きにくい。
ノートをテキストの上に置き、問題を常に隠してしまう状態にしている子もいました。
問題を書き写すとき、ノートを少し横にずらして、ちらちら見ては、またノートを元に戻して書くのです。
問題の書き写し間違いや、大問1の(3)を解いた次に大問2の(4)に飛んでしまうことが多い子でした。
原因の1つがテキストとノートの配置にあることは明らかでしたが、それが原因であると本人は自覚できないのでした。
計算問題をノートに書き写すときに、上下の問題を混ぜてしまう書き写し間違いをする子もいました。
テキストの該当箇所を左手で指さして、どこを写しているのか確認しながら写せば、そのようなミスは防げます。
しかし、そう助言したとき、その子は心底びっくりしたような顔をしていました。
「え?左手をどうするんですか?」
バカにしているのかしら、と一瞬思いましたが、何をどうするのか、本当にわからなかったのでした。
中学生になっていても、そんな知恵が身についていないこともあります。
この情報化社会は、求めていかない限り、情報が得られない社会。
空洞に落ち込んだように、情報を得ていない子は多いです。
子どもは万能感が強いので、その程度のことで自分のパフォーマンスが落ちるとは思わないのかもしれません。
その程度のことでミスを多発するのが人間なのですが、子どもなので、それがわからないのです。
人間なんて、ミスばかりする生き物なのに。
ついでに言えば、機械も変なミスや故障を起こします。
完璧なものなんて存在しません。
そのことを理解し、精度とスピードの両立を慎重に判断し、ダブルチェックも行う。
それが大人の理性というもの。
こういうことの1つ1つは些末なことです。
こんなことばかり注意していたら、「小言おばさん」です。
生徒が窮屈に感じたり嫌気がさしたりしても学習効果が薄れるので、見るに見かねたとき以外はあまり言わないようにしています。
小学生の低学年のうちに、ミスを減らすやり方が習慣として身についていると、本人も周囲も楽だろうと思います。
後になってから直すのは大変です。
小学校の高学年以降になると、何がミスを誘発しているか、本人が強く自覚しない限りは、直らないかもしれません。
それには、本人の精神的成長を待たなければなりません。
何が何でも得点を上げたいと本気で思ったとき、些末なミスの原因は本人が排除していきます。
受験が1つの機会ですが、中学受験は中途半端な時期で、それ以前に直しておくか、それ以後を待つか、ということになりがちです。
高校受験。
あるいは、大学受験が好機です。
問題を解いていて自分が解きにくい、何だかミスしそうで不安だと感じたときに、それを改善する方法が耳に届くようになります。
年齢が上がるにつれ脳が発達し、集中力が増していくこととの相乗効果も期待できます。
まだ精神的に幼く、言われたことをすぐに治せるほど素直でもなく、見るからに隙だらけでケアレスミスが多い子は、具体的な改善点は多いですが、まだ直せる時期ではない、ということもあります。
成長を待ちましょう。
問題をたくさん解かされたら損だ、という損得勘定が働いているのかどうかはよくわかりませんが、学習が主体的ではない子は、普段はそんなにスピーディーに解かないことが多いです。
のろのろと問題を解き、できるだけ勉強したくない気持ちが透けて見えます。
ところが、定期テストは時間制限があります。
スピーディーに解いていかないと最後まで解けないかもしれません。
普段、マイペースでのろのろ解いている子は、テストのときだけ時間に追われ、普段はやらない暗算や答案の省略をやり、そのためにミスをして、どんどん得点を失っていくことがあります。
普段から全力で解いていく習慣があれば、テストのときも普段通りに解けば良いだけなのですが。
ケアレスミスについては、今までも何度も書いてきました。
ケアレスミスが多い子で、これは完全には治らないかもしれないと思われる子もいます。
大きく2通り。
1つは、テストになると過度に緊張し、精神状態が不安定になってしまう子。
「本番に弱い子」たちです。
能力自体は高いのですが、本番でしくじります。
魔に魅入られたようにしくじっていくので、何でそうなるのか、周囲の者にはよくわかりません。
もう1つは、根本的に集中力に欠け、いつも頭の半分は他のことを考えながら問題を解いている子。
1つのことに集中するということが、どうしてもできない様子の子です。
問題を解きながら、私に関係ないことを話しかけてくる。
問題を解きながら、他のことを考えている。
おそらく、テスト中も、他のことが気になって集中できないのでしょう。
どちらも、頭の回転自体は速い子に多いです。
本人が自分の心の問題に正面から向き合い、解決を図らない限りは、解決しないと思います。
そうではないのにケアレスミスの多い子は、本人の精神的な幼さが原因となっている場合が多いです。
防げるミスなのに、防がない。
何度でも同じミスを繰り返します。
アドバイスを受けても、その通りにできないのです。
本人の中で、自分のミスの多さが、解決すべき課題として自覚されていないのが大きな原因かもしれません。
他人に比べれば自分はミスは少ないほうだとすら思っている傾向があります。
「ケアレスミスが多いですよ」
と忠告しても、
「え。先生はそう思っているのですか」
と驚いた顔をしたりします。
いや、この忠告、何度目?
忠告されたことすら記憶から消去するのは、なぜなの?
そのように、むしろこちらが驚くことがあります。
他人のミスは目につきますし、記憶に残るものです。
しかし、自分のミスを直視するのは嫌ですから、忘れようとしますし、実際忘れます。
その繰り返しで、他人のほうがミスが多い、自分はそんなにミスをするほうではない、と思ってしまうのは、よくある心理的傾向です。
ミスが多いのに、ミスが多いと自覚できないのです。
まず自覚があるから直そうという気持ちになるのですが、そもそも自覚がないのですから、直そうとするはずもありません。
無防備にテストを受けて、そしてケアレスミスだらけの答案が返ってきて、そのときはがっかりしますが、的確な反省はできないのです。
あるいは、ケアレスミスを過小評価していることもあります。
「ケアレスミスってどういう意味か知っていますか?」
と尋ねると、
「小さいミス」とか「ちょっとしたミス」と答えます。
「不注意なミスという意味ですよ」
と説明すると、嫌な顔をします。
幼い子は、主観で生きています。
バイアスが強くかかっているのです。
ミスの多い自分を客観的に見ることがまだできないのです。
そうした幼さは、行動にも現れます。
例えば、忘れ物の多い子は、テストでのミスも多いです。
持ってくるべきものを忘れるパターンもありますが、教室に忘れ物をしていく子もいます。
うちの教室の机の下には、棚のようなものが設置してあります。
それは、机の天板に直接膝が当たらないよう保護するためのもの。
引き出しというのには、狭い。
しかし、そこに、テキストを入れて、そして忘れていく子がいます。
見えないところに置けば、忘れる確率は高まります。
だから、
「そこに置くと忘れやすいですよ」
と声をかけます。
なぜそこに置くと忘れるのか、そのメカニズムも解説します。
それで素直にやめてくれる子が今は多いですが、小学生くらいですと、反抗期の子もいます。
そこに置くと忘れると言われれば言われるほど、敢えてそこに置くのです。
そして、忘れていきます。
物事の整理が苦手な子もいます。
私が見た中で一番驚いたのは、教室に来ると、机の上にカバンを置き、その上にノートやテキストを載せて、ぐちゃぐちゃと解き始める子でした。
デイパックのポケット部分の凹凸があるのに、その上にノートやテキストを開いて問題を解くことを何とも思っていないのでした。
「整地」という言葉を使いたくなるほど、何だかそういうことへの意識が低い。
まずは平らな場所にテキストとノートを開かなかったら、そりゃあミスが増えます。
書きにくいので、そこに意識が逸れますから、それだけ集中力を奪われます。
そのことに、そもそも気がついていないのでした。
毎回、カバンは片付けましょうと声をかけない限りはそのスタイルで解いてしまうのです。
整理整頓ということが、絶望的に身についていない子は、答案も整理整頓できないです。
宿題も、やろうとしたときに、塾用のノートが見当たらず、適当なノートに解いてしまう。
そして、そのノートを忘れてきてしまう・・・。
そんなことを繰り返して、ノートが何冊もあり、どこに解いたのか本人もわからなくなってしまう。
そんなこともあります。
テキストを右に、ノートを左にして解いている子もいました。
右利きでそれでは、テキストを見にくいし、ノートも書きにくい。
ノートをテキストの上に置き、問題を常に隠してしまう状態にしている子もいました。
問題を書き写すとき、ノートを少し横にずらして、ちらちら見ては、またノートを元に戻して書くのです。
問題の書き写し間違いや、大問1の(3)を解いた次に大問2の(4)に飛んでしまうことが多い子でした。
原因の1つがテキストとノートの配置にあることは明らかでしたが、それが原因であると本人は自覚できないのでした。
計算問題をノートに書き写すときに、上下の問題を混ぜてしまう書き写し間違いをする子もいました。
テキストの該当箇所を左手で指さして、どこを写しているのか確認しながら写せば、そのようなミスは防げます。
しかし、そう助言したとき、その子は心底びっくりしたような顔をしていました。
「え?左手をどうするんですか?」
バカにしているのかしら、と一瞬思いましたが、何をどうするのか、本当にわからなかったのでした。
中学生になっていても、そんな知恵が身についていないこともあります。
この情報化社会は、求めていかない限り、情報が得られない社会。
空洞に落ち込んだように、情報を得ていない子は多いです。
子どもは万能感が強いので、その程度のことで自分のパフォーマンスが落ちるとは思わないのかもしれません。
その程度のことでミスを多発するのが人間なのですが、子どもなので、それがわからないのです。
人間なんて、ミスばかりする生き物なのに。
ついでに言えば、機械も変なミスや故障を起こします。
完璧なものなんて存在しません。
そのことを理解し、精度とスピードの両立を慎重に判断し、ダブルチェックも行う。
それが大人の理性というもの。
こういうことの1つ1つは些末なことです。
こんなことばかり注意していたら、「小言おばさん」です。
生徒が窮屈に感じたり嫌気がさしたりしても学習効果が薄れるので、見るに見かねたとき以外はあまり言わないようにしています。
小学生の低学年のうちに、ミスを減らすやり方が習慣として身についていると、本人も周囲も楽だろうと思います。
後になってから直すのは大変です。
小学校の高学年以降になると、何がミスを誘発しているか、本人が強く自覚しない限りは、直らないかもしれません。
それには、本人の精神的成長を待たなければなりません。
何が何でも得点を上げたいと本気で思ったとき、些末なミスの原因は本人が排除していきます。
受験が1つの機会ですが、中学受験は中途半端な時期で、それ以前に直しておくか、それ以後を待つか、ということになりがちです。
高校受験。
あるいは、大学受験が好機です。
問題を解いていて自分が解きにくい、何だかミスしそうで不安だと感じたときに、それを改善する方法が耳に届くようになります。
年齢が上がるにつれ脳が発達し、集中力が増していくこととの相乗効果も期待できます。
まだ精神的に幼く、言われたことをすぐに治せるほど素直でもなく、見るからに隙だらけでケアレスミスが多い子は、具体的な改善点は多いですが、まだ直せる時期ではない、ということもあります。
成長を待ちましょう。