たまりば

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2021年08月28日

数学の文章題とパターン化。


今日は、中学数学の連立方程式の文章題から。
こんな問題です。

問題1 A市から300㎞離れたB市まで自動車で行った。一般道路では時速40㎞、高速道路では時速80㎞で走ったところ、全体で4時間かかった。一般道路、高速道路を走った道のりをそれぞれ求めなさい。

文章題は、わずかな例外を除いて、求めたいものを文字にするのが基本です。
例外のことはそんなに気にする必要はなく、式を立てようとして立てにくいと感じたときだけ、これは求めるものではない別の何かをx、yとしたほうがいいのではないかと考え直せば大丈夫です。

今回は、一般道路をx㎞、高速道路をy㎞とするので、何も問題ないでしょう。
それで式を立ててみましょう。

まず、全体の道のりが300㎞なのだから、
x+y=300 ・・・①
という非常にシンプルな式を立てることができます。
もう1本式を立てることができれば、この問題は解けます。
もう1本の式は・・・。

全体で4時間かかったとありますから、時間を表す式を立てましょう。
時間は、「道のり/速さ」で表すことができます。
一般道路の道のりはx㎞、速さは時速40㎞。
だから、一般道路にかかった時間は、x/40時間。
高速道路の道のりはy㎞、速さは時速80㎞。
だから、高速道路にかかった時間は、y/80時間。
その和が4時間ということです。
したがって、
x/40+y/80=4 ・・・②
この2本を連立して解きます。
②のような式は、両辺を80倍して、分母を払ってしまえば、簡単になります。
2x+y=320 ・・・②'
①-②'をして、
-x=-20
x=20 ・・・③
③を①に代入して、
20+y=300
y=280
x>0、y>0で問題に適している。
よって、答は、一般道路20㎞、高速道路280㎞。


教科書でも、参考書でも、まず、例題の解説があり、その後に上のような練習問題が掲載されています。
上の問題は、例題と全く同じ構造の問題です。
例題の解き方を参考にして、何とか立式し、解いていける子が多いです。

しかし、次の問題になると、事情が違ってきます。

問題2 A地からB地を経てC地まで時速40㎞で行くと1時間30分かかり、AB間を時速30㎞、BC間を時速60㎞で行くと1時間10分かかる。AB間とBC間の道のりをそれぞれ求めなさい。

何も解説を加えないと、以下のような式を立ててしまう子がいます。

AB間の道のりをx㎞、BC間の道のりをy㎞とする。
x+y=40
x/30+y/60=70/60


こういう答案を見る度に、なぜこの子は、こうまでして例題とそっくりな式を立てることにこだわるのだろうと不思議に思います。
何がどうであっても、1本目は、x+yの式でなければならず、2本目は、x/□+y/△の式でなければならない。
そういう把握をしているので、問題の構造が違うことを無視して、こうした式を立ててしまうのです。
40という数字は、時速40㎞、すなわち「速さ」であり「道のり」ではないのですが、そこを乗り越えていきます。
とにかく、例題通りの式を立てることが最優先。
そのような意思を感じる立式です。

数学の文章題が解けない子の1つの大きな誤解は、解き方を暗記すればそれで逃げられると思っている、その発想そのものにあるのだと思います。
暗記すれば、それで何とかなる。
それは、小学校の算数で体得した技術なのかもしれません。
小学校がそのような教え方をしているという意味ではありません。
考えるように促す授業が行われ、教科書にも考えてみるよう繰り返されているにも関わらず、子どもは、解き方を丸暗記することで済まそうとするのです。

これまで、幾度もここに書いてきましたが、理解するのではなく、そのように「解き方を覚える」学習の仕方は、必ずしも、学力の低い子だけに表れることではありません。
考えるのは面倒くさい。
どうせそうなんだろうから、解き方を覚えて済ます。
そのような怠惰な学習姿勢を、本人はそれこそが頭の良い処理の仕方と誤解し、そのまま学習習慣としてしまうことがあります。
中学入試の受験算数もそれで処理できると誤解し、全く歯が立たず苦労する子は多いです。
基本的に頭の回転は速い様子なのに、学習姿勢がまずいので、伸び悩んでしまうのです。


「速さ」に関する問題の本質は1つです。
「速さ」と「時間」と「道のり」の関係をつかんで、それを式にするだけです。

しかし、勉強が苦手な子は、分析と統合が苦手です。
まず分析が不正確です。
1つ1つの事象が明瞭には見えていない。
具体に具体性が乏しい。
一方、統合もできない。
抽象化されたことは理解できず、具体から抽象を抽出していくこともできない。

だから、統合すれば本質は1つである「速さ」の問題も、さまざまなパターンごとに具体的に理解することが、「速さ」に関する問題の攻略への近道です。
本人の思う具体に具体性が乏しいならば、具体例を沢山見せて、補助していくことが必要となります。

すなわち、もう1つ、例題を用意するわけです。
上の問題1と問題2を、「同じ問題」と把握できるほどの抽象化が可能な子なら、その必要はありません。
「同じ問題」と思えない子に、それぞれに別の例題を示し、別パターンの問題として、それぞれの解き方を教えます。
これは、「解き方だけ覚える」という悪い学習習慣が身についている子にも、長い目で見れば効果が期待できます。
似ているようでも違うパターンであり、解き方も違うと理解すれば、どう違うのか分析する方向に少しは思考が動くからです。
何も考えず、時速を無理やり道のりとして使用した間違った式を立てるよりはずっとましな方向に考えが進んでいきます。

「解き方だけ覚える」勉強の仕方が良いという意味ではありません。
小学校からの習い性で、そんな勉強しかできなくなっている子に、むしろ、くさびを打ち込んでいるのです。

効果があるかどうかは、本人が、どこまでものを考えるかによります。
いくつかのパターンがあると知ったとき、その差はどこにあり、共通点はどこにあるのか、それを考えることができるかどうか。
具体がより具体的になったときに、統合への道も見えてきます。
それが、分析と統合への第一歩となり、具体と抽象を理解する手がかりとなります。


少し前、ネットで、数学学習に関する記事を読みました。
『チャート式数学』の例題を全部暗記すれば、大学入試の数学の問題は解けるようになる、という内容でした。

まず、それはどの色のチャート式の話で、どのレベルの大学入試の数学の話をしているんだい、とその曖昧さに首を傾げましたが、それ以上に、チャート式の例題を暗記するだけで数学の問題が解けるようになる人は、そもそも分析と統合の能力が高い人なのです。
つまり、本人の基礎学力がそもそも高い。
多くの子は、中学数学の上の問題1と問題2を、別パターンと把握しなければ解けません。
「解き方の暗記」で済ますためには、高校数学は、もっと多くのパターンを網羅する必要が生じます。

例えば、2次方程式の実数解の符号に関する問題。

問題 2次方程式 x2-(a+10)x+a+14=0 が次のような解をもつように、定数aの値の範囲を定めよ。
(1) 異なる2つの正の解をもつ。
(2) 異符号の解をもつ。

青チャートは、その隣りに、もう1つのパターンも例題として設定しています。

問題 2次方程式 x2+px+p=0 が次の条件を満たす解をもつように、定数pの値の範囲を定めよ。
(1) 2つの解がともに1より大きい。
(2) 1つの解は3より大きく、他の解は3より小さい。

抽象化という点では、例題はこの2題で十分です。
分析と統合の能力の高い人ならば、この2つのパターンで十分であり、あとは自分で考えていけるでしょう。
この問題の本質は、問題の通りに放物線とx軸を描き、そこから、必要な条件を導きだすことだからです。
判別式、そして解と係数の関係をどのように用いるか。
つまり、本質は1つです。
2題示すだけでも、かなり親切です。
しかし、現実問題として、この2パターンだけ暗記し、解き方だけを覚えた子が、例えば以下の問題を解けるのかどうか・・・。

(3) 正でない実数解をもつ。
(4) 1つの解は1より大きく、他の解は-1より小さい。
(5) 1つの解がpより大きく、他の解はpより小さい。

例題の「解き方だけ暗記する」学習では、対応できない子は多いです。
解き方を暗記する中で、その本質を抽出し、取り込んでいける子のみ、その応用が可能です。
表面上、同じように「解き方を暗記」しているように見えても、人により、学習の深さが異なるのです。

それでも、まずはパターンの把握からしか、話は始まりません。
今いる地平からしか、先には進めません。
急に別の次元には移れないのです。
具体から抽象へ。
何をどうすることがそうであるのか、教えるのが最も難しいそのことを教える努力を続けていくしかありません。
ものを考えるということは、口先で教えられることではありません。
考えるということを体験する回数を増やしていくことでしか、体得できないと思います。
例題の暗記とは、解き方の丸暗記ではなく、それを活用できる形で自分の中に取り込むこと。
どう活用するかを、実際の問題を解くなかで、考えていくこと。
それを総称して「例題の暗記」と呼ぶのなら、確かにそれは有効だと思います。
丸暗記しかしない子に開眼を促す。
それが、個別指導です。


個別指導塾の性質上、入会してくる生徒は、飛びぬけて成績が良く、集団指導塾では他の生徒を待たねばならない時間が長くなる子か、勉強が苦手で、集団指導塾では埋没してしまって成績の伸びない子の両極端となりがちです。
しかし、うちの塾の生徒の定期テスト結果は、両極端ということはなく、まんべんなく分布しています。
それは、入会後の生徒の成績が順番に上昇し、中間を埋め、さらに上昇し、志望校に合格して卒業していくからです。
後から後から入会してくる生徒がいるので、まるでエスカレーターのように分布はなだらかです。
解き方だけ暗記する学習からの脱却を、少しずつ果たしていきます。
一歩ずつ一歩ずつ。


画像は、若い友人が送ってきたもの。
ワクチンを打った際に、薬剤師を目指していることを告げると、勉強のお守りにと、医師がワクチンの空き瓶をくれたそうです。
私もワクチンの2回目を打ち終わりました。
とはいえ、安全が保証されたわけではありません。
どうか、子どもたちの学校感染が、ひどいことになりませんように。
いよいよ最大の危機が迫ってきたと感じ、これまで以上に、手洗い、除菌、空気の入れ替えに気をつけています。
ともに、乗り切りましょう。


  


  • Posted by セギ at 16:36Comments(0)算数・数学

    2021年08月21日

    国語の選択肢を読むことから、誰かのために生きることへ。



    さて、今日は、国語の問題を読んでみたいと思います。
    といっても、四択のみです。

    選択肢だけ読んで問題に答えるというのは、邪道の極みで、うちの塾では行わない指導です。
    国語という教科の目的は、文章を読む力を養うことです。
    本文を読まず、選択肢だけ読んで正答するテクニックを教えていたら、その子は、一生文章が読めません。
    愚直に本文を読み、正確に選択肢を選んでも、国語のテストは十分に時間が余ります。
    愚かなテクニックに走ると、文章を読む力は養えず、大人になっても必要な情報を文字から得ることができず、また、文章を読む楽しみとは無縁な一生を送ることになります。

    だから、今回の話は、そうした四択テクニックを伝授する話ではないのです。
    ただ、いくら何でもその選択肢はないだろうという選択肢に、簡単に騙される子が案外多いのです。
    それは選んだらダメだ、という選択肢は確実に存在します。


    以下の選択肢を読んでみてください。
    正答は、どれだと思いますか?

    問5 この文章について述べたものとして最も適当なものは、つぎのうちではどれか。

    ア、父の願いを知りつつ死んだ母を慕い続ける敬一の心情と、敬一への思いと今の妻への思いとの間で揺れる父の心情との交錯を、会話文を多用して描いている。

    イ、母を亡くした敬一が父との対話によって心を開き、父の心情を理解して新しい母を受け入れようと決心するまでの心の変化を自然の情景描写と対応させながら描いている。

    ウ、敬一、父、ハルさんの家族の三人のそれぞれの立場における複雑な心情のぶつかり合いを、会話のやり取りや短い文を重ねていくことで緊迫感を出しながら描いている。

    エ、いつまでも新しい母に心を許さない敬一の心情がどのようにして形成されてきたかを、回想場面を間にはさみながら、父の視点に立って描いている。


    ・・・いや、本文を読んでみないと、どれが正しい選択肢なのかわからないから、本文を見せてくれ。
    そう感じる方は、きわめてまっとうな方です。

    では、どの選択肢が好きですか?
    正しいかどうかではなく、どの選択肢が好みですか?
    どういうことが書いてある文章であってほしいですか?

    実は、生徒の多くは、本文を読んだうえでも、そういう観点で選択肢を選んでしまうのです。
    つまり、道徳的に正しい選択肢が正解だと思うようなのです。
    「国語の正答はこういうものだろう」という誤解が本人の中にあるのかもしれません。
    国語の時間は道徳の時間ではないですよと繰り返し説明しても、その忠告の本質が本人にはなかなか伝わっていきません。

    そういう子は、「イ」を選びます。
    本文の内容がどうであるかは関係ないのです。
    父との対話で心を開くのが、道徳的に正しい態度。
    父の心情を理解して新しい母を受け入れるのが正しい態度。
    正しいことが書かれているから、正答は「イ」。
    そう思うようなのです。

    「イ」ではないよ、と言われると、そうした子は、次に何を選ぶか?
    「エ」です。
    「いつまでも新しい母に心を許さない敬一」。
    敬一を非難しているようなこの描写が気にいる様子です。
    新しい母に心を許さないなんて、そういう態度は良くない。
    良くない態度は、非難するのが正しい。
    だから、正答は「エ」。
    そういう選択肢の選び方をしてしまうのです。


    ここで、本文の内容をかいつまんで説明します。
    主人公敬一は、新しい母を「お母さん」とは呼べずにいる少年です。
    ある日、父親は、新しい母親の気持ちもわかってやれと言いつつも、病気で亡くなった母の生前の日記を敬一に見せてくれます。
    一晩だけ持っていていいと言われ、敬一はその日記を書き写します。
    自分への愛情がつづられたその日記を泣きながら書き写し、敬一は、自分の母はこの母だけだと強く思います。

    これでおわかりだと思います。
    正解は「ア」です。

    しかし、そういった内容の本文を読んだうえで、「イ」を選ぶ生徒が案外多いのです。

    さすがに驚きます。

    え?
    本文、読んだ?
    文字を目で追うことはできても、内容を理解できていないのだろうか・・・?


    国語が苦手な子、文章を読めない子には、さまざまな事情が考えられます。
    文字を読むことに他人よりも困難を伴う子は存在しますし、それはそんなに特別なことではないと思います。
    逆上がりができないとか、泳げないとか、自転車に乗れないとか、そのレベルのことである場合も多いと思うのです。
    ずっとできないままかもしれないけれど、トレーニング次第でできるようになる場合もあります。

    単語や文節の区切りを認識するのが難しい。
    文字の順序を目がしばしば逆にとらえてしまい、そのために意味を読み取れず混乱する。
    漢字の読みをあまり覚えていないので、文章が虫食い状態である。
    文字そのものは読めるが、それが現実の事象と結びつかず、永久に文字という記号のままであり、意味を形成しない。

    程度の差はあれ、そのような傾向がある子は、文字を読むのが基本的に苦痛です。
    そうであるなら、選択肢を選ぶ基準がどうのこうのといっても仕方ありません。
    まず、文字から正確な情報を得られるようにトレーニングをする必要が生じます。

    ・・・この子は、どのような状況なのだろう?
    もしかしたら、目で文字を追っているだけで、内容は読み取れていないのではないか?

    あらゆる可能性を考えながら模索を続けるのが国語の個別指導となりますが、上のような「イ」の選択肢を選んでしまう子の場合、文章は読めているが、それでも「イ」を選んでいる可能性も高いのです。
    上に書いたように、とにかく「道徳的な選択肢が正答」という思い込みが強く、無意識にそれを基準にして選択肢を選んでしまうようなのです。

    学校では良い子でいなければいけない。
    先生に目をつけられてはいけない。
    内申に響く。

    今どきの子のなかには、必要以上にそう考える子もいるので、そうした影響なのだろうかと思うことがあります。
    しかし、そういう子もいるでしょうが、それだけではないようです。
    何より、本人が、道徳的なことが好きなのでしょう。
    道徳的なことに感動しやすく、道徳的なエピソードが大好き。
    別に悪いことでもないので、注意できないのが難しい・・・。

    もう一度選択肢を読んでみましょう。

    ア、父の願いを知りつつ死んだ母を慕い続ける敬一の心情と、敬一への思いと今の妻への思いとの間で揺れる父の心情との交錯を、会話文を多用して描いている。

    イ、母を亡くした敬一が父との対話によって心を開き、父の心情を理解して新しい母を受け入れようと決心するまでの心の変化を自然の情景描写と対応させながら描いている。

    ウ、敬一、父、ハルさんの家族の三人のそれぞれの立場における複雑な心情のぶつかり合いを、会話のやり取りや短い文を重ねていくことで緊迫感を出しながら描いている。

    エ、いつまでも新しい母に心を許さない敬一の心情がどのようにして形成されてきたかを、回想場面を間にはさみながら、父の視点に立って描いている。


    本文を読めば簡単にわかることです。
    むしろ本文を読んで判断したほうが時間がかからない。
    しかし、もしも選択肢だけで判断するのだとしたら、私はまず「エ」を除外します。
    いつまでも新しい母に心を許さない敬一の心情がどのようにして形成されたかは、父の視点で描写することではないからです。
    これは、あり得ない。

    次に「イ」を除外します。
    この選択肢は優等生すぎる。
    これは、ひっかけ。
    入試問題に掲載されているのは、小説のごく一部分です。
    一部分だけで、こんなに劇的な心の変化は描けません。

    そして、「ア」と「ウ」の2つから選ぶのなら。
    「ウ」もあり得るけれど、まあ無難なのは「ア」だから、正解は「ア」なんでしょう。

    つまり、私も「無難さ」で「ア」を選ぶのですが、その「無難さ」の基準が違うのだと思います。
    国語問題的な無難さ。
    道徳的には生きられない人間の複雑な心情が描いてあるほうが、国語問題として普通です。
    「ア」の選択肢はきわめて無難であり、これが正解です。


    とはいえ、そんなテクニックは、生徒には話しません。

    ちゃんと本文を読みなさい。
    本文に何もかも書いてあります。
    本文に書いてないことを勝手に想像するのはやめなさい。

    そうした指導を続け、その子は、道徳的な選択肢を選ばなくなりました。
    同時に、200字作文にも変化が見られました。
    例えば、テーマは「『利他』について」。

    都立型の論説文の読解は、最後に200字作文があります。
    問題文を読んで、考えたことを、具体的な体験や見聞を加えて200字で書きます。
    利他についてのその問題文は、東日本大震災の後に書かれたものでした。

    「自分のために生きろ」と言われても、何が自分のためであるのかは、わからない。
    未来は見えないからだ。
    目標を定めることができず、結局、そのときの時代の雰囲気に流されてしまうことも多い。
    一方、「他人のために生きる」ことは、目標が明確だ。
    何が他人のためになることなのかは、何が自分のためになることなのかよりは、はるかにわかりやすい。
    今、人々は、利他的な生き方に喜びを発見し始めている。

    道徳的な選択肢が大好きな子であるのだから、この文章に猛烈に感動し、ボランティア体験などで嬉しい楽しいと感じたことを語るのだろうと私は予想していました。
    しかし、その予想は、大きく外れました。

    他人のために何かしてやることは他人のためにはならないと、その作文には書いてありました。
    本人が努力するべきだ。
    助けてやると、本人は甘えて、ますます努力しなくなる。
    努力している人の邪魔になる。

    内容もひどいが文章もつたなく、目もあてられないものになっていました。

    作文は、語られている内容が過激で非道徳的だから点数が下がるというものではありません。
    しかし、明らかに間違っている論理を説得力のない文章でたった200字で書いて、どんな得点が入るというのでしょう。
    否定するのは簡単なことですが、私は困惑していました。

    ・・・この作文を書かせたのは、私なのではないか?
    道徳的な選択肢を選ぶなと言い続けたことで、私が道徳的なことを好んでいないと受け取られたのではないか?
    これは、「私が好むだろう作文」として提出されたものなのではないか?
    その子の思い描く私の姿に、私はぞっとしました。

    その子が道徳的な選択肢を正解だと思っていたのは、その子の中に、確固たるものが何もなかったからかもしれません。
    中学生ですから、それは当然です。
    まだ心はとても柔らかく、あたたかい考え方からひどく残酷な考え方へと、日々簡単に移り変わります。
    その不安定な心を守る壁が、道徳的な選択肢を選ぶことではなかったのだろうか?
    それを選び、それで正解となることで、本人も安心だったのではないか?

    でも、違うのです。
    本当は、心がとても柔らかいからこそ、届く文章があります。
    そういうものを自力で読めるようになってほしい。
    文字を読む技術、言葉を読む技術が足りないと、そういうものと出会うことすらできない。
    国語の学習は、いつか、そうした文章に自分で出会うための準備です。

    道徳的なことだけで、人の気持ちが救われるわけがない。
    だからといって、功利的なことばかり言っていたら、心はもっとすさんでいきます。

    その子が「努力」至上主義的なことを書いたのは、私がその子に努力を強いたからだったのでしょうか。
    努力・努力・努力。
    私は、そんなに努力・努力とその子に言ってきたのだろうか?
    努力をすれば報われる。
    努力をしないやつはダメなやつだ。
    ・・・そんなことは、言わなかったはずなのですが。


    今年もまた中学三年生に都立受験対策として国語を教えています。
    道徳的な選択肢を選びがちなのも、例年の中三と同じです。
    「利他について」の200字作文では、利他を好むのは独特な考え方だと思うという感想が書かれてあり、これは本当にそういう意味で書いているのか、言葉が足りないだけなのかと悩んでしまったのも、私にとっては、例年の夏です。

    そんな日々に。
    唐突かもしれませんが、上野千鶴子さんの東大入学式の祝辞を思い出しました。
    有名な祝辞ですので、ご存じの方が多いと思います。
    一部、私が特に好きな部分をここに引用します。
    以下が、引用です。


     あなたたちは頑張れば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、頑張ってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そして頑張ったら報われるとあなたたちが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったことを忘れないようにしてください。あなたたちが今日「頑張ったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持って引き上げ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、頑張っても報われないひと、頑張ろうにも頑張れないひと、頑張りすぎて心と体をこわしたひと・・・たちがいます。頑張る前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」と頑張る意欲をくじかれたひとたちもいます。
     あなたたちの頑張りを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして、強がらず、自分の弱さを認め、支えあって生きてください。

      


  • Posted by セギ at 13:53Comments(0)講師日記

    2021年08月14日

    映画で英語を学びましょう。『ボヘミアンラプソディー』。


    生の英語を聴き取る力を鍛えるには、ドラマや映画を英語音声で見るのが楽しくもあり、勉強もできて一石二鳥です。
    しかし、あまりにも早口だと聴き取りづらく、何にも楽しくありません。
    適度にゆっくりで、単語も平易で、聴き取りやすい映画。
    これまでの私のイチオシは『ノッティングヒルの恋人』だったのですが、それを上回る易しく聴き取りやすい映画を見つけました。
    『ボヘミアンラプソディ』です。

    日本人の耳には、アメリカ英語よりもイギリス英語のほうが聴き取りやすいです。
    この映画は、ハリウッド俳優が頑張ってイギリスのアクセントで話そうとしているので、未曽有の聴き取りやすさを実現しています。
    人間、不自然なことをやると、口調はゆっくり正確になります。

    地上波でも放映されたので、ブルーレイが値下がりし、お求めやすくなっています。
    フルーレイなら、英語音声でわからない部分は、英語字幕で確認できます。
    それを繰り返すことで、字幕なしでも英語が聴き取れるようになっていきます。

    この映画は、2018年晩秋に公開され、口コミで評判が広がり、若いクイーン・ファンが増え、ちょっとした社会現象になりました。
    普通に洋楽が好きで、クイーンと同時代を生きたおじさん・おばさんにとっては、嬉しいけれど何だかちょっと話がズレたりもしました。
    「ウエンブリースタジアムのライブ?1986年の?」
    「違いますよ。1985年のライブエイド。世界最大規模のライブだったんでしょう?」
    「・・・でも、フレディ・マーキュリーのこのポーズは、86年のウエンブリースタジアムのライブCDのジャケットじゃないの?」
    「違います」
    「・・・そう?」

    何しろ昔のことなので、こちらの記憶違いもあるし、若い子の突然の熱量がよくわからないし。

    いや、そんな個人的戸惑いはどうでもいい。
    大切なのは、映画の中で語られる英語。
    英語学習に適した英語がたくさん話されています。

    まずは、ボーカルが脱退した直後の、ブライアンとロジャーの会話から。
    ブライアンのセリフ。

    There was room for improvement.
    改善の余地はあった。

    room は、「部屋」という意味だけを覚えるのではなく、このような漠然とした「空間」としての意味を理解すると、英語理解の幅が広がります。
    それは、現実の空間のこともあれば、上の文のように抽象的な空間のこともあります。
    空間は数えられないので、冠詞 a はつきません。
    動詞 improve とその名詞形 improvement は、長文問題によく出てくる基本単語なので、絶対に覚えたい。
    何かもう、冒頭から英語学習的にわくわくします。

    続いては、ちょっと離れた場所のライブに出演するために車で移動中、その車が故障かパンクかして道路で立ち往生している場面。
    ジョンが修理をしているところに、ブライアンが声をかけます。

    It's counterclockwise.
    反時計回りだよ。

    この単語は、長文に必出というわけではなく、使い道もそんなにないけれど、聴き取れると何だか嬉しい。
    この映画では明瞭に聴き取れます。

    さらに同じ場面での、ロジャーのセリフ。

    We sold out every pub and uni south of Glasgow and I'm stuck in the middle of nowhere, eating a ham sandwich.
    南グラスゴーのあらゆるパブと大学でチケットは完売なのに、自分は、どこでもない中にはまって、ハムサンドを食べている。

    英語というのは、本当に事実を直截に語る言語だなあとこんな文を見ると思います。
    直訳しましたが、後半は、「こんなところで足止めされて」などと訳したほうがニュアンスが伝わると思います。
    近年、和訳問題の出題される大学は減ってきています。
    国立大学の二次試験でも、傍線部を正確に訳す問題よりは、本文から読み取れることを100字程度の日本語にまとめる問題が見られるようになってきました。
    逐語訳にこだわるよりも、本当に内容を理解できているかが重要。
    和訳問題特有の「日本語に訳す際の作法」みたいなものを教える必要がなくなり、直訳で意味をダイレクトに把握できればそれでよくなってきました。
    意味不明な直訳はダメですが。
    うちの塾の授業では、和訳から逆に英文を復元する練習をします。
    その練習のためにも、生徒に和訳を渡すときには、直訳気味にすることが増えてきました。
    高校の定期テストでも和訳問題は激減していますので、直訳を生徒に渡しても、その直訳をそのまま答案に書いたら減点された、といったクレームの心配がなくなり、助かります。

    さて上の文ですが、「be stuck in ~にはまる」という重要表現が含まれているのも嬉しいですが、何よりも、これは分詞構文です。
    分詞構文は、従属節の接続詞と主語を省略し、それらを省略した証拠に、動詞をing形にしているもの。
    省略されている接続詞の種類によって、分詞構文の意味は5通りに分けられます。
    「時・理由・条件・譲歩・付帯状況」
    これはもう、お経のように丸暗記しておくと便利です。
    その中で、主節の後ろにつけられているものは、大抵、付帯状況です。
    そして、長文問題でも、分詞構文が使われている場合、多くは主節の後ろに置かれてあり、意味は付帯状況です。
    上のセリフもそうですね。
    どこでもない中にはまってしまっていることと、ハムサンドを食べていることは、同時動作。
    付帯状況とは、「同時動作・連続動作・1つの動作が他の動作の一部である場合」など。
    同時に起きている動作や状況を説明するときに分詞構文を使えばよいのです。
    ざっくり理解すればかえってわかりやすいのが分詞構文です。

    さて、映画では、自費レコーディングをしているところをレコード会社の人が見かけたことをきっかけに、クイーンのデビューが決まります。
    マネージャーが、4人に問いかけます。

    So tell me what makes Queen any different from all the other wannabe rock stars I meet?
    では、私が出会う他のロックスター志望者とクイーンは何が違うのか、教えてくれ。

    SVOOの文です。
    ただし命令文なので、Sである you は隠されていて存在しません。
    tell がV、me がO。
    そしてその後ろの間接疑問文がもう1つのOです。
    さらに、その間接疑問文の構造は、SVOC。
    疑問詞である what がS、makes がV、Queen がO、different がCです。
    「何がクイーンを他のロックスター志望者との違いを作っているのか」が直訳です。
    そして、その all the other wannabe rock stars をさらに関係代名詞節 I meet が修飾しています。
    複雑な構造の文のように感じますが、前からどんどん意味を取っていけば、ごく自然に内容を理解できます。

    ただし、和訳することに慣れていない子は、こういう文を訳すことができないことが多いのです。
    和訳がテストに出る学校でなくても、塾の授業で和訳はしてもらいます。
    それは、本当に英文の意味を取れているかどうかを確認するためです。
    日本語として自然であることは求めていません。
    前から順番に部分的に訳せば良いと言っています。
    しかし、それができない子もいます。
    「私に教えて・・・クイーンが・・・違いが・・・ロックが・・・私が会う・・・」
    それきり、沈黙してしまうのです。
    訳そうとして、ここはあとまわし、ここもあとまわし、あとまわし、あとまわし、としているうちに混乱し、黙り込んでしまう・・・。

    日本語と英語の構造的な違いを意識しているならまだよいのですが、英語本文と和訳の順番が違うことの理由がわかっていない子もいます。
    「訳すときは順番を変えるらしい」とだけ認識しているのです。
    その理由も、どう変えるのかも、理解していません。
    意味のわかる単語を拾って、何となく組み合わせれば訳したことになると漠然と夢見ているような子は、案外たくさんいます。
    どの子も、学年が上がると、どんどん英語不振に陥っていきます。
    英文の意味がわからないのです。
    自力で英文を読む手立てがありません。
    個々の単語の意味がすべてわかっても、それでも訳せない。
    そういう意味では、和訳問題は文法問題です。
    だから、和訳できる子は、単語力も文法力も兼ね備えています。
    英語力があります。
    そういう旧来の考え方も理解できるのです。
    英語を日本語に訳せる子は、英語がわかっています。
    それは間違いないことです。

    ただ、逐語訳へのこだわりが強く、それでいちいち減点されたり、直訳してよいか意訳すべきかといった入試テクニック的なところに集約されてしまうのが、和訳問題のつまらないところです。

    かなり場面は飛んで、映画は後半へ。
    フレディの取り巻きであるポールと、フレディとの最後の会話のシーン。
    ポールは、フレディを独占したい思いが強く、他のメンバーとフレディとの間に亀裂を走らせた人物です。
    長い間には、そういう人の1人や2人は現れるものだから、複数の人間を集約させたのだと思っていたら、実在する人物でした。
    他のメンバーを遠ざけ、フレディの永遠の恋人メアリーを遠ざけ、誠実なマネージャーを遠ざけ、フレディを独占しました。
    フレディを心配するメアリーが遠路ミュンヘンまで訪れ直言することで、そのことにようやく気づいたフレディとポールの会話。

    フレディ
    Why didn't you tell me about Live Aid ?
    なぜ、ライブエイドについて話さなかった?

    ポール
    It'll be an embarrassment.
    恥さらしだ。
    I didn't wanna waste your time.
    時間を無駄にしてほしくなかった。

    wanna は、英語の教科書には全く出てこないですが、want to の口語表現です。
    waste 「無駄にする」は覚えてほしい重要単語です。

    クイーンがライブエイドに出演することを「恥さらし」と言うポールに、フレディは既に暗澹たる思いですが、さらに言います。

    フレディ
    You should have told me.
    言うべきだった。

    これは、高校の英語表現「助動詞」の学習の中でも必出の文法事項です!
    助動詞+have+過去分詞です。
    過去の出来事についての現在の判断を述べる文です。
    You should tell me.ならば、「私に言うべきだ」という意味です。
    現在の事実について現在の判断をしているだけです。
    しかし、「過去に言うべきだったのに、あなたには言わなかったね」と言いたいとき。
    You should told me.
    では、間違いです。
    助動詞の後ろは、動詞は原形にしなければなりません。
    だから、助動詞の後ろを現在完了形にします。
    このことで、過去の出来事に対する現在の判断を示します。

    そのフレディの言葉に対するポールの返事も、文法的に熱い。

    ポール
    Of course I did.
    勿論話したよ。
    You forgot.
    忘れたんだね。
    You're always forgetting things.
    君は、いつも忘れてばかりいる。

    うわー、嘘をつき始めた。
    ポール、最悪。

    それはともかく、文法的に熱い箇所は、
    You're always forgetting things.
    です。
    「時制」がテスト範囲のときは、この文法事項はテスト必出です。
    現在進行形は、基本的には、現在の時点での動作を表します。
    しかし、他にも意味があります。
    まず、近い未来の予定。
    特に、出発や到着の意味の動詞で用いられることが多いです。
    さらに、上の文のような意味。
    always とともに用いられることが多いです。
    「いつも~してばかりいる」という意味です。
    話し手・書き手の何らかの感情が付加されていて、非難であることが一番多いです。

    さて、ポールとしては、自分の言葉がフレディを説得できていないと気づいたからか、今度は脅迫してきます。

    ポール
    After everything we're been through ?
    何もかも経験した後で?
    Just think of the photos I have.
    僕が持っている写真のことを考えろ。
    I know who you are , Freddie Mercury.
    僕は、君が何者であるか知っている、フレディ・マーキュリー。

    be through は「経験する」。
    think of ~は、「~について考える」。
    I know who you are.
    これも、間接疑問文。

    英語学習的に熱いですが、言っている内容は、最低だ、ポール。

    これに対するフレディの返事がとても良い。

    Do what you like with your photographs and your stories.
    写真でも文章でも、好きにしろ。
    But promise me one thing that I never see your face again.
    でも、1つ約束しろ。2度と顔を見せるな。

    関係代名詞が効いてる!
    関係代名詞 what は、中学では学習せず、高校で突然出てくるせいか、全く理解しないまま高校を卒業していく子もいます。
    中学英語でキャパオーバーとなったのだろうか・・・。
    高校の英文法は、質・量ともに多いですから、気持ちはわかるのですが、本人の中に、中学英語までが大切な英語で、高校英語は難しいから実際は使わないんじゃないかという誤解があるようにも感じます。
    ・・・めちゃめちゃ使いますよ。
    2つ目の文の that は、同格の that。
    「1つのこと」の内容を具体的に説明しています。

    その後、本当に暴露本を出してしまうポールには空いた口がふさがらないわけですが、そのポールがテレビ出演しているのをしっかり見ているフレディも、なかなか凄い。
    そして、ポールが自分を「パキスタン人の少年」と称したのを見て、本当に何1つ自分のことを理解していない相手だったと思い知ります。
    表情だけでそれが伝わる、良いシーンでした。
    映画冒頭、飛行場で働くフレディに「落としたぞ!パキスタン人!」と怒鳴る男にフレディが抗議する場面が、伏線として効いています。

    そのテレビ番組を見ながら、フレディはマネージャーに電話します。
    その電話を受けたときの、マネージャーの、
    Freddie, how are you ?
    は、ぜひとも原語で聴いてほしいところ。
    もうその一言だけで、マネージャーがどんなにフレディを好きか、どんなに尊重しているか、だだもれです。
    このマネージャー、最初はクイーンの法律関係のことを担当するために雇われた弁護士で、ロックなんか興味ない人のようでしたが、どんどんクイーンに魅了されていく様子が、映画の中で丁寧に描かれています。
    実際、クイーンにとって良い存在だったのだろうと思います。
    ただ、この映画のプロデューサーの1人だという事実を知ったときは、ちょっと笑ってしまいました。
    勿論、好意的な笑いです。
    いいぞ、頑張れ、ジム・ビーチ!

    とはいえ、相談なくソロアルバムの契約をし、メンバーを罵って去ったフレディに対し、他のメンバーが激怒していることもよく承知しているマネージャーです。
    クイーンとしての契約よりも、フレディ1人の契約のほうが高額という事実もメンバーとしてショックならば、フレディが、誰も必要ないと言い切ったのも、バンドとして絶望的な状況です。
    フレディが、バンドに戻りたいと言うのに対し、マネージャーは、

    Freddie, they don't want anything to do with you.
    フレディ、彼らは、君とは関わりたくないよ。

    と答えます。
    この to do with の使い方、覚えておくと得ですよー。
    長文でよく出てきますよー。
    have noting to do with ~で、「~とは関係ない」といった表現も多く出てきます。

    とはいえ、ここまでは、映画はゴキゲンに聴き取りやすかったのですが、フレディと他のメンバーが、マネージャーのオフィスで久しぶりに会った際の会話は、びっくりするくらい聴き取れなくて、え、と思いました。
    例によって、私は、「英語での悪口」の語彙が弱い。
    罵倒の言葉の意味があまりよくわかっていない。

    学校英語の弱点かもしれません。
    学校英語には、学校英語の課題があります。

    一方、今は、学校でよりも外部で英語を学んでいる子が多くなり、その方面での課題もあります。
    YouTube で英語を学んでいるという生徒がうちの塾にいます。
    学校のテスト対策として、週1回、うちの塾でも英語を学んでいますが、英語を学ぶ軸足はYouTubeにあるようです。
    そうなると、どうなるか?
    発音は、とても良いのです。
    文法問題の宿題の解答を読み上げるのもスムーズです。
    しかし、文法ミスが異様に多いのです。
    特に、前置詞と冠詞は、存在すら知らないのではないかと疑いたくなるほど、身についていません。

    本人の解答に前置詞と冠詞がないことを、私は解答の音読を聴いていて気づくのです。
    前置詞や冠詞は、発音する際にそんなに強調されるところではありません。
    音声としてはほぼ聴き取れないです。
    しかし、ネイティブは、前置詞や冠詞の存在を意識して発声しています。
    日本人の耳には聴き取れなくても、そこに、「本来その音が存在するための隙間」は存在します。
    その子の解答の音読にはそれがないのです。
    前置詞や冠詞がそもそも答案に書かれていないことは、解答の音読を聞けばわかります。
    私でもわかることに、ネイティブが気づかないはずがありません。
    本人は英語、特に音声英語が得意なつもりでいるのに・・・。
    このままでは、一生、カタコト英語の人です。

    前置詞や冠詞が全く存在しない英文でも、勿論、ネイティブの人は理解してくれるでしょう。
    それは、助詞がほぼ存在しない日本語を外国人が話しても、日本人がそれを理解するのと同じです。
    それでいいなら、それでいい。
    私が教えているのは、しかし、受験英語です。
    この先、例えば定期テストや英検のライティングで、あるいは、入試の英作文で。
    前置詞や冠詞の存在しない英文しか書けないとなると、どれほど減点されることになるか。
    本人は英語が得意なつもりでいるのに、英語が得意科目として通用しなくなる近い将来に向け、繰り返しその話はしているのですが、改善はなかなか難しいです。

    話が逸れました。
    私がほとんど聴き取れず、英語字幕を熟読することになったセリフは、以下のものです。
    フレディがメンバーに向けて語るセリフでした。

    I've been hideous.
    I know that and I deserve your fury.
    I've been conceited …selfish.
    Well, an asshole basically.

    うーん。
    selfish はわかるし、状況からみて、フレディが反省の弁を述べているのもわかるから、まあ映画を見ているうえでの不都合はないのですが。
    そして、文字としてみると、音として聞くよりは、わかります。
    I deserve your fury.
    deserve は、「~に値する・受けるに足りる」という意味の動詞。
    「おまえたちの激怒を受けるにたりる」という意味ですね。
    全体の訳は、
    「おれはずっと嫌な奴だった。おまえたちが激怒するのは当然だとわかっている。ずっと自惚れていて、利己的だった。基本的に、クソだ」

    ともかく、そんな反省の弁では全く心を動かさないメンバーたちに向け、フレディは言います。

    What's it gonna take for you all to forgive me ?
    どうすれば、許してくれるのか。

    これに対するブライアンのセリフは、心が一瞬で冷えるものでした。

    Is that what you want, Freddie ?
    それが望んでいることか、フレディ。
    I forgive you.
    おまえを許す。
    Is that it ?
    それでいいか。
    Can we go now ?
    もう帰っていいか。

    さすが知性派ブライアン。
    これほどの断絶はありません。
    メンバーが激怒した理由は、フレディの言動がクソだったからではない。
    そんなのは、ずっとそうでした。
    メンバーが心底怒った理由は何だったのか?

    フレディは、ここで頑張ります。
    ミュンヘンでソロアルバムを作った経験を語り始めます。

    I went to Munich.
    俺はミュンヘンに行った。
    I hired a bunch of guys.
    大勢の人間を雇った。
    I told them exactly what I wanted them to do.
    彼らに何をしてほしいかを正確に話した。
    And the problem was …they did it.
    問題は、・・・彼らがそれをやることだ。
    No pushback from Roger.
    ロジャーの反発がない。
    None of your rewrite.
    ブライアンの書き直しがない。
    None of his funny looks.
    ジョンのしかめ面がない。
    I need you.
    おまえらが必要だ。

    こんなに簡単な英語で、こんなに深いことが語れる。
    凄い。


    以前も書きましたが、英作文が苦手な生徒に、何を書きたいのか日本語で説明してみてというと、その日本語が難しいことが多いのです。
    その日本語の直訳である英単語を知らない。
    その日本語をどのような構造の文で語ればよいか、わからない。

    例えば、「ファストフードをよく利用することについてあなたは賛成か反対か」といった平易な課題でも、何も書けなくなってしまう子はいます。
    本人は、ファストフードの利用に反対の意見を述べたい。
    それは賛成でも反対でも構わないのです。
    問題は理由です。
    「栄養面の偏りが気になる」
    というのです。
    そして、それを英語にできずに困っているのでした。

    「・・・それは、『ファストフードは、野菜が少ない』と説明すれば十分なのでは?」
    そう助言しても、えー、そんなのでいいのかなあ、自分はそんなのではない英語で説明したいなあと暗い顔をしてしまうのです。
    「栄養」という単語すら知らないんだから、仕方ないのですが。
    その子の望む直訳の英語を教えてあげれば、顔を輝かせてそれをノートに書き取り、「良い授業を受けた」と喜ぶのかもしれませんが、自力で合格点のライティングを書けるようにはなりません。
    差し迫った英検の期日までに、今の語彙力で、合格点の英作文を書けるようにするには、言いたいことを平易な英語に言い換える発想の転換が必要となります。

    難しい単語を知っているから偉いんじゃない。
    易しい言葉で難しいことを語れるほうが凄いんですよ。
    そして、映画の脚本は、易しい単語で難しいことを語る宝庫です。

    映画はここから佳境に入りますが、今回はここまで。


      


  • Posted by セギ at 13:21Comments(0)英語

    2021年08月07日

    夏休みは難問を。二等辺三角形と3つの内接円の問題。


    問題 3辺の長さがそれぞれ10、10、12である二等辺三角形があり、3つの円がその内側にある。3つの円は図のように、それぞれ各辺に接し、またお互いに接している。3つの円の半径の長さを求めよ。

    さて、この問題、10秒と経たずに解法に気づく人もいると思いますが、パっとみて気づかないと、かなりハマることになる問題です。

    該当学年は中3。
    単元は「平面図形と三平方の定理」です。

    この問題、外側の三角形が正三角形の場合は、少し発展的な問題集には必ず載っている典型題です。
    相似な三角形と三平方の定理で解くことが可能です。
    むしろ、その印象が強すぎると、そこにとらわれて、ひどく複雑な連立方程式を立てることになり、何時間でもうなってしまうことになります。
    こんな問題、成立するの?
    二等辺三角形の中に、3つの内接円なんて描けないんじゃないの?
    と疑問を抱くことになるほどハマる場合もあるかと思います。

    夏休みで、時間も十分ありますので、数学の問題を楽しみたいと思う方は、ここでいったん図だけを書き写し、このブログを読むのをやめて、この問題に挑戦していただければと思います。




    さて、ここからは解決編です。
    まず、二等辺三角形の対称性から、円O2とO3は、半径が等しい合同な円だということがわかります。
    二等辺三角形の頂角の二等分線は底辺を垂直に2等分します。
    その二等分線は、円O1の中心を通り、円O2とO3の接点を通ります。
    その二等分線で、この三角形を半分に切りましょう。
    下の図が、半分に切った三角形の左側です。
    直角三角形となります。



    三平方の定理により、3辺の長さは6、8、10となります。
    そこに、円O2だけを描くと、問題は極めてシンプルであることがわかると思います。
    円O2の半径をrとします。
    円と接線の定理を使えます。
    円外の点から、その円へは2本の接線がひけます。
    円外のその点から接点までの距離は等しいです。
    図では、長さ6の辺の、円との接点から直角の頂点のところまでが、円の半径と等しく、rとなります。
    すると、長さ6の辺の残りの部分BFは、6-r。
    長さ8の辺の、線分MGも、rです。
    すると、長さ8の辺の残りの部分AGは、8-r。
    したがって、
    長さ10の辺の、BEは、6-r。
    長さ10の辺の、AEは、8-r。
    その和が10ですから、
    (6-r)+(8-r)=10
    14-2r=10
    -2r=-4
    r=2
    よって、円O2の半径は2です。
    合同な円なので、円O3の半径も2です。

    この発想をパッと見た瞬間に思いつくことさえできたら、この問題は何でもないのですが、このことに気づかないと、延々と苦しむことになります。
    これがわかれば、円O1は、計算が多少面倒くさいだけで、発想は難しくないと思います。



    他にもっとスマートな解き方があるかもしれませんが、地道な解き方としては、上の図の直角三角形O1O2Gで、三平方の定理を用いて方程式を立てましょう。
    そのために、O1Gの長さを文字を使って表すことが必要です。

    それには、まず、円O1の左半分も書き込んで考えます。
    円O1の半径をxとします。
    円O1の中心と円O1の接点Dを結びます。
    それによって作られた小さな三角形ADO1は、直角三角形。
    2組の角がそれぞれ等しいことから、全体の三角形と相似です。
    辺の比は、短い辺から順に、3: 4:5。
    したがって、AO1の長さは、5/3x。

    また、GMの長さは円O2の半径と等しいので、2です。
    よって、
    O1G=8-5/3 x-2
    =6-5/3 x

    三平方の定理により、
    (6-5/3 x)2+2^2=(x+2)2
    展開して整理しましょう。
    36-20x+25/9 x2+4=x2+4x+4
    25/9 x2-24x+36=0
    25x2-24・9x+36・9=0
    4x2-54x+81=0
    解の公式で解きます。
    x=27±√(27^2-324) / 4
    =27±√405 / 4
    =27±9√5 / 4
    0<x<6より
    x=27-9√5 / 4

    よって、円O1の半径は、27-9√5 / 4 です。

      


  • Posted by セギ at 13:15Comments(2)算数・数学