2011年08月29日
夏休みの宿題
土曜日にテレビを見ていたら、ちょっと面白い実験をやっていました。
小学生に、3枚の学習プリントを渡すと、20分ほどで全部解いてしまう。
それを4セット繰り替すと、休憩も含め2時間で、12枚のプリントを終わらせてしまうことができました。
一方、12枚のプリントを1度に渡すと、すぐに飽きてしまい、やたらに休憩し、結局、2時間で、半分しか終わりませんでした。
夏休みの宿題が終わらない理由は、ここにある。
うーん、なるほど。(ー_ー)!!
一度にたくさんの課題を与えられると、それを一気にやろうとして、なかなか終わらず、飽きて、途中で嫌になってしまうのですね。
少しの課題を与えられたときのペースでやっていけば終わるのに、それができない。
夏休みの宿題を7月中に終わらせるぞ、と意気込んでいた子に限って、8月末になっても終わらないことが多いですね。
1日2ページずつ、夏休みが終わるまでに終わらせよう、と考えている子は、むしろお盆前に終わっていたりします。
たくさんの課題は、自分で分割する。
一度に多種類のことをやらなければならないときには、それらを横並びにして一度に考えないで、優先順位をつけて縦に並べ、1つずつ片付けていく。
大人になれば必要にせまられて身につくこうしたことも、子どもは自力ではなかなか発想できません。
何とか計画的にものごとをこなせる子に育てたいと思い、幼い頃からつきっきりで計画的にこなさせ、成功体験を積み重ねて、計画的にやるのが楽しい、嬉しい、と感じる子どもに育て、ああ良かった、と思っていたら、中学生や高校生の頃に性格が激変することもあり得ます。
一気にやってみたら、思いのほか楽しかった。
ギリギリ間に合うかどうかのスリルが、達成感と結びついて、かえってこのほうが楽しい。
そんな成功体験を勝手に身につけてしまうんですね。
私自身も、子どもの頃は、計画的にものごとをこなす子でしたが、今は、「1日を3分割して云々」とやたら綿密な人生計画を提唱するビジネス書など、読むだけで肩が凝ります。
たとえ成功しても、その生活に私の幸せはあるだろうか、なんて考えてしまったり。
まあ要するに、そんなふうにしたくないだけなのですが。
なので、夏休みの宿題を、几帳面にこなす子も、今、泣きながらやっている子も、好きです。
とにかく、終わらせるんだ。
今は、それだけだ。
絶対にあきらめるな。
あきらめなければ、必ず終わるんだ。
(*^_^*)
写真は、槍ヶ岳山頂直下のハシゴ。
このハシゴを越えると、狭い山頂です。
ちょうど、朝日が昇るところでした。
2011年08月27日
登山の価値
今日で夏期講習が終了しました。
セギ英数教室、角木です。
充実の夏でした。
生徒のテストの得点は、これで絶対伸びた、2学期が楽しみだ、と私は内心喜んでおりますが、結果が出るのはこれからなので、本当に喜ぶのは、しばらく待ちます。
(*⌒-⌒)
さて、本日も山の話。
何回テレビで見ても名前が覚えられないのですが、まだ20代の若い男の子が、六大陸最高峰にインターネット生中継をしながら登るということをもう何年もやっています。
エベレストは2回失敗し、今度は3回目の挑戦とか。
今朝、その話題をテレビで見ていて、コーヒーを吹きそうになりました。
キャスターが、「無酸素単独でエベレストに登る日本人は、彼が初めて」と言ったから。
えー?
ポイントは、そこじゃないよー。
(^_^;)
そんなせせこましい記録、バカげているので、もう誰も挑戦しないんです。
世界で初めて無酸素単独なら、価値がある。
でも、今、無酸素単独でエベレストに登れる日本人なんて、少なく見積もっても現役で500人はいるでしょう。
そんな記録、今さら、くだらないから、誰もやらないんです。
世界一高い山は、世界で最初に登った人が凄いんです。
2番じゃダメなんです。
(*^_^*)
まして、「日本人で初めて」なんて、本当にどうでもいいこと。
今、エベレストは、シェルパがきちんとルートを整備してくれている山。
600万円から1000万円のお金を出すことができて、3か月仕事を休むことができれば、ガイドさんが連れていってくれる山なんです。
一般の日本人登山者が毎年登っています。
本気の登山家が目指す山ではありません。
日本には、今、凄い実力を持ち、しかもようやく30代に入ったばかりの登山家のグループがいます。
彼らは、一人一人、独立した個人ですが、仲が良く、登りたい壁があれば、誘いあってザイルを組み、行動します。
「GIRI-GIRIボーイズ」と名乗るそのセンスからして、おっそろしく若い。
彼らの行動記録を読むと、もしかしたらこの子たちは、少しバカなんじゃないの?と不安になるくらい若い。
でも、何が書いてあっても、すがすがしいんですね。
成功したときの素直な喜びように、読んでいるほうも、良かったねー、と思える。
敗退したときは、素直に謝り、反省し、強くなって出直してきます、と決意表明します。
人として、かわいらしく、魅力的。
彼らは、卓越したセンスで登る壁を選びます。
見ただけで衝撃を受けるような素晴らしい壁を、美しいラインを描いて登ること。
もちろん、世界で初めて。
彼らが願っていることは、それだけです。
その年の世界でもっとも優れた登山に与えられる賞を、順番に受賞している彼ら。
登山界全体が、彼らの成長を喜んでいるのを感じます。
久しぶりに現れた、日本登山界の若きヒーローたちです。
彼らは、たぶん、遠征費用の足しになるのならテレビ出演もすると思うのですが、しかし、テレビ界が、彼らを必要としていないようです。
たぶん、わかりにくいからでしょう。
彼らの登山を追っていくことは、常人にできることではないから、映像も存在しない。
彼らが自分で写す写真しかありません。
テレビ界が必要としているのは、やはり、エベレストのインターネット生中継ですね。
わかりやすいですから。
エベレストのインターネット生中継をしようとしている20代の男の子。
登山界は、彼の存在を黙殺しています。
売名行為を嫌ってとか、有名になっている彼に嫉妬して、というのではなく、本当に、無関心なんです。
彼のやっていることが、登山としては、価値がないから。
私も、関心がもてないので、いつまで経っても、名前を憶えられません。
だけど、エベレストをインターネットで生中継することは、悪いことではないと思います。
「登山家」という呼称も、彼が自分で名乗っていることではないでしょうし、「無酸素単独」なんてことも、彼自身が強調していることではないでしょう。
彼自身、自分が登山界から相手にされていないことをわかっているはずです。
それでも、インターネット中継をしたい。
そういうものを見たい人は、きっといると思うから。
それ自体は、悪いことではない、と思います。
映像を見ることと、現場に行くことは、全く違うことですが、映像も見ないよりは、映像だけでも見たほうが、何かわかることがあると思うから。
できるなら、「無酸素単独」なんてことを、テレビは無駄に強調しないでほしい。
さすがに、登山を知る人が黙っていられなくなり、苦言を呈することになったら、彼がかわいそうです。
やっていることの目的が全く違うことを混同しているのは、マスコミだけなのだから。
写真は、大キレット「飛騨泣き」。
かつては、大キレット最難関の核心部でしたが、今は、整備され、「長谷川ピーク」のほうが怖いです。
登山界で最も高いレベルの話は、それとして、趣味として山歩きを楽しむ私は、大キレットを越えるか越えないかで、自分の限界に挑戦しております。
誰の心にも、アイガー北壁はある。
(*^_^*)
2011年08月19日
その山小屋は
昔。
太平洋戦争の最中、徴兵を逃れるため、住所を転々とし、足跡を消して、ついには北アルプスの山深くにこもった人がいました。
誰も殺したくない。
誰にも殺されたくない。
戦争には、行きたくない。
それは、当時の日本で通用するはずのない願いに命をかけた逃亡だったと思います。
20代のクライマーだったその人は、命が惜しくてこうしているのではないと自分に言いきかせるように、「鳥も通わぬ」と呼ばれる北アルプス滝谷の垂壁をロープなしで登っていました。
この話を初めて知ったとき、私は、当時の日本にそういう考え方があり得たことに、ただ驚きました。
あきらめて戦争に行くのでもなく、国に逆らって獄死するのでもなく、逃げて生き延びる道があったのだということ。
そういうことをできた人がいたということ。
私が、いつも怖いと感じるのは、そういう時代になれば、私自身も、戦争は仕方ないと考えるようになってしまうのではないかということです。
そして、戦争に負ければ、戦争はいけないと、また思う。
戦争の時代に自分が何も言わなかったことを忘れて、戦争は良くない、と言う。
今の時代だからこそ、なおさら、不安になるのかもしれません。
だから、あの時代にそのように生きた人の存在は、私に不変を信じさせてくれます。
人は、そのように生きることもできる。
戦争が終わって。
日本は、国そのものが変わりましたから、その人は、処罰されることはなかったと思います。
けれど、戦地から帰ってこなかった多くの人を思えば、自分のしたことに胸を張る気持ちにもなれなかったでしょう。
もしかしたら、普通に戦争に行くよりも重いものを、その人は背負ってしまったのかもしれません。
その人が、その頃の苦悩について語っている文章を、私は読んだことがありません。
何も語れないほどの苦悩というものも、あるのだと思います。
わかっていることは、1つ。
数年後、その人は、北アルプス縦走路の山頂に、山小屋を建て始めます。
そこは、背後に滝谷が控える要地。
そこに小屋があれば、救える命がある。
ヘリコプターによる輸送などあり得なかった時代、その人は、太い柱の1本1本から全て、3100メートルの高みに担ぎ上げたそうです。
以来60年。
小屋は、改築・増築を繰り返しながら、今もそこにあり、クライマーと登山者の支えであり続けています。
80歳を過ぎてなお、ひと夏に1度、滝谷で亡くなった方々に手向ける花をザックに差して小屋に登っていたその人も、数年前に亡くなりました。
けれど、今も、その精神を深く敬愛する人々にとって、そこは特別な小屋です。
その人の、年をとってから生まれた息子さんも、もう40代。
小屋主として、誠実に山小屋の仕事を続けるその姿に、信頼を寄せる登山者は多いと聞きます。
私が大キレットを歩いた前日、滝谷ではクライマーが落石で怪我をし、ガスのため救助のヘリコプターが飛ばず、岩場でビバークしていました。
ガスが切れたひと時、小屋主は、窓から顔を出し、無線機で連絡を取っていました。
間をおかず、県警のヘリコプターが爆音を上げてやってくるのを、私は、テラスでぼう然と見上げていました。
小屋主が無表情にキャベツを刻む姿が、窓の奥に見えました。
その後、クライミングのギアをつけた県警の人たちが登って来ると、下降点まで案内し、指さして何か説明している。
そして、戻ってくると、今度は、窓に背中を向けて、夕食の肉を焼く。
救助と、泊まり客の世話と。
きっともう何年も、毎日がこのようであると感じさせるその姿に、私は、やはり不変というものを見た気がします。
出された夕食が、8年前に山の雑誌に紹介されていたものと寸分違わぬメニューであったことにまで、徹底した不変を感じました。
不変ということは、日々の積み重ねなのでしょう。
その小屋は、特別な小屋。
涸沢から楽に登れるコースもありますが、その小屋の話を聞いてから、私は、いつか自分に力がついたら、その小屋に泊まりたいと思っていました。
せめて、大キレットを独りで越える力か、GWに涸沢から独りで登る力がついたら、泊まりに行きたいと、ずっと憧れていました。
そうして、静かにテラスに座り、山を眺めたい。
今回、ようやく念願がかないました。
2011年08月17日
大キレット
無事に戻ってまいりました。
セギ英数教室、角木です。
14日の夜行バスで、新穂高温泉へ。
西穂高に上るロープウェイで有名な場所ですが、ここから、槍ヶ岳に一気に登ることができます。
始めの2時間ほどは、林道のゆるやかな登り。
あとの6時間は、ひたすらな急登。
山頂付近は、広い広いお花畑でした。
その広い広いお花畑の中をジグザグに登っていく2時間。
朝からの急登続きに、私を含め、誰もかれも、ちっとも先に進まない。
誰も登っているように見えない。
そうこうするうちに、ガスが濃くなり、雨が降り始めました。
雨具を着ているとはいえ、ずぶぬれで槍ヶ岳山荘へ。
翌朝は、朝食前にヘッドランプをつけて、槍ヶ岳に登りました。
山頂直下の槍ヶ岳山荘の泊まり客しかそんなことはしませんから、比較的すいていて、15分で山頂に到着。
ちょうど、厚い雲の上に太陽が昇ってきたところでした。
(*^_^*)
しかし、晴れていたのは、早朝だけ。
稜線はガスに覆われ、辺りが真っ白な中、槍ヶ岳山荘を出て、中岳、南岳へと縦走。
その先に、大キレットがありますから、「普通の登山道」と、一言で処理されてしまう道ですが、ここだけでも、北アルプス特有の、普通の岩場が何となく険しい感じがずっと続いていました。
何だかなあ、険しいなあ、と感じながら、いよいよ大キレット。
前回のブログで、蝶ヶ岳から見た大キレットの写真を載せましたが、あのえぐれっぷりは素晴らしいですよね。
大キレット。
英語?
それとも、古い登山用語だから、ドイツ語?
と思うのですが、これは、日本語です。
大切戸と書きます。
稜線が深くえぐれているところを切戸と呼ぶそうです。
北アルプスの登山地図で実線で記されている一般登山道の中で、大キレットは、屈指の難度を誇ります。
それでも、近年、核心部の「飛騨泣き」が、崩落によりコースが付け替えられ、同時に足場が岩に打ち付けられ、ひどく易しくなったと聞き、それなら独りでも大丈夫か、と行ってみたのですが、まあ、怖い。
ガスで、岩も鎖も梯子もびしょびしよに濡れていました。
一般登山道で、手袋を外したのは、初めてです。
雪の岩場を登るときは、ぶ厚い手袋をはめて登りますから、一応、岩のちょっとしたくぼみも手袋でつかめるつもりではいるのですが、今回は、そんな「一応」なんて見栄はどうでもいい、「絶対」じゃないとヤバいでしょう、と感じました。
鎖や梯子が整備されているところは、まだ安全なんです。
その周辺の、鎖のないところが怖い。
普通に怖い。
でも、「長谷川ピーク」は鎖があっても、怖かったです。
「飛騨泣き」の写真は撮れましたが、「長谷川ピーク」の写真は撮れませんでした。
そんな余裕はなかった。
だって、薄い切り立った岩の信州側に付いている鎖から、飛騨側に付いている鎖へ、岩を乗り越えて移動するんですよー。
(^_^;)
ともあれ、大キレットを越え、山小屋へ。
テラスに座り、ビールを飲み、気長にガスが取れるのを待っていたら、一瞬だけ、ガスが切れました。
そのとき撮ったのが、上の写真です。
えぐれているところが、大キレットです。
3日目、朝からザアザア降り。
今回は、とことん雨とガスにたたられました。
北穂高~奥穂高への縦走はやめにして、まっすぐ涸沢から上高地へ下山。
北穂~奥穂の縦走路は、難度も高いのですが、それよりも、落石による事故多発地帯。
しかも、前後の登山客が落とす、人為的落石がほとんど。
そんな、ある意味もっとも怖い場所に、雨の日に入ることはできませんでした。
これは、勇気ある撤退である。
(*^_^*)
2011年08月09日
スペルの覚え方
月曜日から、中1の夏期講習が始まりました。
学校からは、100個ほどの英単語のスペルを覚える宿題が出ていると知って、私はにんまり。
(*⌒-⌒)
文法練習を効果的にスラスラとやっていくには、よく使う単語のスペルは楽に書けないと。
ところで、小学生が漢字を覚え始めたときと、中学生が英単語を覚え始めたときは、合理的な覚え方や練習方法を知る大人が、しばらくつきっきりで見てあげる必要があるんですが、これが意外になされていないのが実情です。
学校の先生は、つきっきりで見られませんから、画一的な「10回ずつノートに書いてくる」などの宿題を出します。
でも、10回が100回になっても、漫然と書いているだけでは、覚えられません。
子どもは、覚えるための練習、ということを理解していませんから。
そんなことは要求されていない、ただ10回書いてこいと言われたから書くだけ、というのが子どもの理屈です。
テレビを見ながら、音楽を聴きながら、漫然と10回書いて、宿題終了です。
漢字練習の場合、飽きてくると、ヘンだけ先に10回書き、それからツクリだけ10回書いたりして。
本来意味のある宿題を、意味のないものにすることにかけては、全ての子どもが天才です。
(^_^;)
1人でできそうに見えて、本当はできないことを、できるようになるまで、側で見てあげること。
ご家庭で、それができるといいのになあ、と思います。
お父さんでも、お母さんでも、漢字や英単語のスペルを覚えるための秘策の1つや2つ、身につけていらっしゃると思います。
お子さんに教えてあげてください。
これぞ、一子相伝の教え。
恰好いい。
忙しくて、忙しくて、とてもそんな時間はとれない、というご両親の場合。
少人数制の塾が、ご両親に代わり、勉強のやり方を教えます。
セギ英数教室の中1生。
休み明けのスペルテストは、満点を狙います。
(*^_^*)
2011年08月07日
アメリカのひき算
セギ英数教室、本日は休日です。
明日から、夏期講習の後期が始まります。
期間は、8月8日(月)から8月12日(金)までの5日間と、お盆休みをはさんで、8月22日(月)から8月26日(金)までの5日間。
中3と中1の集団授業も、個別指導枠も、まだ空きはありますので、よろしければお問合せください。
なお、8月15日(月)から8月20日(土)まで、お盆休みをいただきます。
天気が良ければ、この期間、山に入ります。
その間、携帯電話は基本的には通じません。
ネットにもアクセスできません。
ご了承ください。
さて、本日の話題。
数年前のこと、私が勤めていた塾に、インターナショナル・スクールから普通の公立小学校に転入した男の子が入ってきました。
算数の勉強が遅れていて、小学校の授業についていけず、補習を希望されての入塾です。
その子は、3年生ももう終わりかけというのに、九九を言えず、ひとケタのかけ算ができませんでした。
アメリカにはアメリカの九九があるらしいのですが、それを暗記しなかったようです。
暗記の重要性が理解できない子どもは、日本にも外国にも、どこにでもいますね。
(^_^;)
「ひとケタのかけ算は、計算方法があるわけじゃなく、暗記した答えを書いていくだけだよー」と教えると、彼は、がく然としていましたが、それで理解できた様子で、お母様のご家庭での指導のもと、日本の九九を覚え、何とか答えられるようになっていきました。
「かけ算」とは何なのかが理解できれば、あとは答えを暗記するだけ。
算数も、数学も、そんなことが、案外あります。
かけ算よりも厄介だったのは、繰り下がりのある引き算。
日本とは、やり方が違うのでした。
たとえば、14-8の計算。
日本では、4から8は引けないので、10を借りてきて、10から8を引いて、残りの2を、もとからある4と足して6、と考えていきます。
ところが、彼のやり方は、4から8を引くときに、引けない分はどれだけか、をまず考えるのでした。
すなわち、8から4を引いて、4。
そこで、10を借りてきて、引けなかった分の4を引く。
だから、答えは、6。
これ、私は詳しくありませんが、「シカゴ方式」とか何か、そういう名前のある、アメリカの引き算の方法なんだそうです。
アメリカ全土で行われている方法なのかどうかはわかりませんが。
いずれにせよ、理屈はよくわかりますし、2回引くのは、引いてから足す日本のやり方よりもスマートで、計算ミスも少ない方法のような気がします。
ただし、問題が1つあります。
意味がわかってこの作業をやっているのでないと、後ろの数字から前の数字を引いてもいい、という勘違いをしてしまう子どもが現れること。
その彼も、その症状が出ていて、14-8=4、と答えてしまっていました。
1回しか引いてない。
日本の小学生にも、引きにくいときは後ろの数字から引いてしまう困った子はいますが、それは、どんな場合でも絶対ダメと教えれば、何とかなります。
アメリカの方法では、テクニックとして後ろから引くことがある。
なら、普段から、後ろから引いてもいいじゃん、と規制が緩んでしまう。
そして、定着しない。
そういう可能性が高いように思います。
もっとも、彼の場合は、インターナショナル・スクールではその方法で教わり、家では日本人のお母さんに伝統的な日本の方法を教わって、さらに混乱した様子でした。
いろいろと不運が重なって、本人の能力とは関係ないことで勉強ができなくなることは、ときにあります。
ただ、私には、インターナショナル・スクールから町の公立小学校に転校したことが、一番気の毒なことに思えたのですが、これは、また別の話。
画像は、海の日連休に、富士山からの下山中に撮影しました。
2011年08月05日
2乗の読み方
さて、今日のテーマは、「2乗」の読み方。
これ、今でも、「じじょう」と読む人が多いですが、正しくは、「にじょう」です。
「じじょう」は、「自乗」という意味で言っている人と、長男・次男とか、一郎・二郎とかの「じ」の読み方をそのまま移行させて「じじょう」と読む人がいるようです。
しかし、1970年頃、学会で、「2乗」は「にじょう」と読む、という取り決めがなされたそうです。
それ以降、正しい読み方は、「にじょう」です。
長男・次男の「じ」という読みは、数学とは関係がありません。
「自乗」という言い方は、「3乗」「4乗」などもあることを考えると、やや問題があります。
「平方」ならいいんですが。
私自身は、中学生の頃、当時、おそらく30代だったと思われる、才気あふれる数学教師に教わったので、そのように統一されたという最新知識とともに正しい読みを教わりました。
15年くらい前、数学者の秋山仁氏が、NHKラジオの数学講座(たぶん、1996年の「数学入門」)で、やはりこの話にふれ、正しくは「にじょう」であると説明していました。
私は、昔も今も、常に「にじょう」と読みます。
しかしながら。
本音を言えば、私は、「にじょう」でも「じじょう」でも、どっちでもいいと思います。
ものすごくどうでもいいことなので、取り決めがなされてから40年経っても定着しないんですよね。
ただ、「にじょう」と読む私に、変な読み方、という顔をする人がいるのが、ちょっと困りもの。
こっちのほうが、本当の本当は、正しい読み方なんですよー。
写真は、7月に天下茶屋で撮影した、太宰治使用の机。
こんな雰囲気の中で、「富岳百景」を書いていたのかなあ。