2014年05月20日
内申が「5」の子は、どんな子か。

(この記事は、2024年12月に、大幅に書き換えました)
東京の公立中学は、小学校時代の秀才たちの多くが抜けてしまっています。
生まれつき能力が高く、加えて努力も惜しまない、精神年齢の高い秀才は、いないわけではありませんが、少ないのが実情です。
多いのは、頭はまんざら悪くないけれど、何かが不足している子。
小学校のカラーテストなら、何も勉強しなくても85点くらいは取っていた子たちです。
本人は「自分は頭がいい」と、心の底では思っている気配があります。
中学生になって、学校の授業がわからなくなるかというと、そうでもありません。
まあまあわかるのです。
家庭学習の習慣はありませんが、定期テスト前には勉強しますし、それで、そこそこの点数をとったりします。
でも、成績は、「3」か、良くて「4」。
「5」は取れないことが多いです。
自他ともに認める秀才たちが抜けた今、自分がこの学校の主力だと、彼らは予想したはずです。
「3」を取ってもまだそのような誤解をしていることもあります。
しかし、そういう子たちの勘違いをよそに、着々と「5」の数を増やしていく生徒は、彼らではありません。
そもそも、小学校のカラーテストで85点というのは、学力が高いことの証拠にはなりません。
むしろ、あまり高くなかったのです。
学力の高い子は、100点か、ケアレスミスをして95点になってしまうのが当たり前です。
小学校のカラーテストは、基礎の定着を見るためのテストですので、誰でも100点が取れるように設計されています。
それで85点というのは、むしろ、何かが身についていなかった証拠かもしれません。
そのまま、公立中学に進学すると、中1の1学期はまだ学習内容も平易ですので、定期テストは、小学校のカラーテストと同じような点を取れることが多いのです。
ああ、良かった。
中学の勉強もまずまず大丈夫。
本人も保護者も安堵しますが、その得点は、その後も維持できるとは限りません。
定期テストは、2学期、3学期と徐々に難しくなっていきます。
今は、学習指導要領で「活用」ということが大きく取り上げられていますので、定期テストでも「活用」が問われます。
英語ならば、教科書にはなかった初見の英文を読んだり書いたりしなければなりません。
数学ならば、見たことのない文章題を解かねばなりません。
それなのに、本人は、小学校からの癖で、「解き方だけ覚える」勉強に終始している場合が多いのです。
こういう問題ならば、足してから、かけて、引くんだな。
そのように、手順だけを覚えて、その単元が終わればすぐに忘れてしまいます。
そういう勉強が、合理的だと誤解しています。
本質を理解せず、論理を追わず、いつも、ただ手順だけ。
そのような学習が習慣化している子の成績は、やがて「3」に定着します。
公立中学から、公立高校に進学し、大学を一般受験する。
受験の王道ともいえるこの道は、しかし、学力が無いとつらい道です。
だから、手順を覚える勉強しかできない子は、私立中高一貫校に進学したほうが良いと私は思います。
確かに、手順だけでは、受験算数の難問は解けません。
でも、前半の基本問題だけは頑張って解けるようにする。
あるいは、典型題ばかりを出してくれる中学校を選んで受験する。
受験算数には苦戦したとしても、受験は算数だけでするものではないので、他の科目で上手くカバーして、そんなに超有名校ではなくても、どこかの私立中学に進学したほうが良いと私は思います。
勿論、経済的な問題をクリアしての話ですが。
中堅レベルの私立中高一貫校の多くは、生徒の過半数が、内部進学か学校推薦か総合型選抜で大学に進学することを想定しています。
だから、学習進度は早いですが、学習内容は平易です。
基本しか学習しません。
「活用」の学習は行いません。
定期テストも基本問題ばかりが並んでいます。
数学センスがなくても、数学の定期テストで100点が取れます。
中堅私立ならば、「5」は比較的容易に取れます。
理系に進むことも、学校推薦や総合型選抜ならば可能です。
中堅の私立中高一貫校から、中堅の私立大学へ。
公立中学からでは大学には進学できなかったかもしれない学力の子が、その道に進めるのです。
実際、うちの塾に通う私立の生徒で、数学の定期テストで100点を取ったことのない子はいません。
計算ミスがときにありますので、毎回ではありませんが、100点を取ることは常に可能てす。
無論、学校の定期テストが100点でも、高等部に進学すれば、全国模試を学校単位で受けることになり、現実に直面します。
自分の本当の学力に早いうちに気づいて、学校の授業レベルに甘んじることなく学習を深め、望む大学に一般受験して合格する私立の生徒たちもいます。
井の中の蛙にならないように、常にアンテナを張って、学習を深めていけば、大丈夫です。
さて、そのように、中堅私立の場合の評定「5」はあまりあてにはなりませんが、公立中学の場合、「5」を取る子は、どのような子なのか?
保護者の方針で国公立・私立中学を受験しなかった本物の秀才、あるいは入試当日に何かがあり、予想外の不合格となった子が、まず、少数ながらいます。
成績「3」の生徒たちも、そういう子のことは、
「あ、あれは別格だから」
と認めています。
しかし、彼らが意識していないところで、彼らよりはるかに良い成績を取っている子たちもいます。
何年も前、集団指導塾で働いていた頃、その典型と思われる子がいました。
中学生でしたが、言動は小学生のようでした。
塾が好きで好きで、授業の始まる1時間も前にやってきます。
小さい塾でしたから、自習室や空き教室はありませんでした。
職員室をうろうろして、仕事をしている先生に話しかけては、塾長に、
「おまえは、邪魔だから、職員室に入ってくるな」
と怒られていました。
そうすると、今度は、職員室の前の廊下に置いてあるコピー機の横の、作業台代わりの椅子にちょこんと座って確認テストのための勉強をしていました。
私がコピーを取りに行くと立ち上がり、コピー機の横にはりついて、作業をじっと観察します。
私の腕が、その子の顔にぶつかりそうで、加減して作業しなければならず、かなり邪魔でした。
「・・・・・作業の邪魔になるから、ちょっと離れて」
と声をかけても、
「大丈夫です」
と言って、コピー機の側を離れません。
「いやいや、大丈夫じゃないから。邪魔だから」
「大丈夫です」
「いやいやいや。邪魔だって。そもそも、何でこんなに早く来るの。自転車で来ているんだから、時間は読めるよね?授業の始まる10分前に来ようか?」
「大丈夫です」
「お母さんに、早く塾に行けと言われているの?」
「違います」
「じゃあ、時間を読んで来ようか?」
「大丈夫です」
「何で、こんなに早く来るの?」
「家にいても、することがないから」
「塾に来ても、することはないでしょう。こんな薄暗い廊下で、机もないのに勉強することになるだけじゃない」
「大丈夫です」
「・・・・・・・・・」
何というか、会話が通じるようで通じないのでした。
勉強に関しても不器用で、何でこんなところでミスするの?と訊きたいような、変なミスをすることが多い子でした。
他の子がすんなり理解している簡単なことが理解できず、考えこんでいたりもしました。
でも、勉強は好きで、一所懸命勉強しています。
1人で勉強していたら、どこかでつまずいたと思うのですが、少人数のアトホームな塾でしたから、とことん面倒を見ることができました。
成績は、着実に上がっていきました。
「5」を取って、それを他の生徒たちに「すげえな」と感心されると、
「僕は、学校の先生と仲がいいから」
と嬉しそうに答えていました。
他の子が、私の顔色をうかがいながら、
「え。塾のおかげじゃないのか」
と訊いても、
「違う。僕は、学校の先生と仲がいいから」
と断言します。
「スミキ先生のおかげとか、言ったほうがいいんじゃねえの?」
「違う。僕は、学校の先生と仲がいいから」
何かもう、笑ってしまいました。
その頃からでしょうか。
どうも、昔と違い、精神年齢の低い子どもたちが増えてきたと感じるようになったのは。
実年齢-5歳 と考えればちょうど良いような精神年齢の子たちが多くなり、それは今も顕著です。
中学3年にもなって、自分の進路を真面目に考えられない。
勉強はしたくない、でも結果は欲しい。
話せば話すほど頭痛がしてくるけれど、まだ10歳なんだと思えば、まあそんなもんだろうと納得できる。
20歳の学生アルバイトが、役に立たない。
20歳にもなって自分が何のために何をしているのか理解せず、言われたことさえまともに出来ない。
何故なんだと腹も立つけれど、まだ15歳なのだと思えば、15歳にしては頑張って働いていると腑に落ちる。
その子の場合も、まだ小学校の低学年だと思えば、空気を読めないのも、いつまでもコピー機を見ているのも、来るなと言われても1時間も早く塾に来てしまうのも、まあ低学年はそんなものかと納得できるのでした。
その子は、特に顕著な例でしたが、公立中学で「5」をたくさん取っている子の中に、こういタイプの子が混ざっています。
とにかく幼いです。
理解も遅いです。
ですから、最初のほうで書いた、まんざら頭は悪くないけれど成績は「3」か「4」の子たちは、そんな子のことは眼中にありません。
性格のきつい子ですと、明らかに自分より格下の奴、と思っています。
はっきりバカにした発言をすることさえあります。
成績で負けていることなど、想像できないのでしょう。
ただ、精神年齢の遅れは、学習能力の遅れとイコールではないこともあります。
頭の回転がある意味速いため、ちゃちゃっと手順だけ覚える勉強に「逃げて」しまった子とは違い、じっくりとものを考える習慣があり、脳のある部分は発達しています。
真面目に学習する姿勢も、常に安定して変わりません。
それでも、基本問題しか解けない不器用な子なのではないか?
そうした懸念もあり、その子が都立自校作成校を受けると聞いたときには、本当に心配しました。
内申は申し分なくても、自校作成校の問題には、歯が立たないのではないか?
ただ、少なくとも中学1年から継続して、出来る限りの努力をしてきた。
そういう子が、中学3年になって、もう本当にギリギリ入試に間に合う形で応用力が開花することがあります。
不器用な分だけ惜しみなく投じてきた時間。
それがあってこそなのでしょう。
難しい問題はすぐ諦め、教わればいい、理解できればいいと思っているタイプの子なら、そのままです。
わからなくても考え続け、不器用に答案を書き続けてくる子に限っての話です。
彼も、ある日、突然、学力が変容しました。
志望校以外の都立自校作成校の過去問を解くようになって、最初はボロボロな出来でしたが、3回目くらいから、勝負できる答案になってきたのです。
「何で、この問題が解けた?本当に自分で解いたの?」
私の失礼な問いかけに、
「いや、逆に、僕の周りの誰が、これを解けるんですか?」
「言うねえ。何だその秀才気取りは」
「へへへっ。言ってみたかっただけー」
私が、本物の秀才とだけ交わす種類の会話が、その子との間に成立していました。
私が内心でどれだけ驚いているかなど、気がつく様子もなく、本当に、最初からそういう本格派の秀才であったかのように。
そのとき、私は、その子の合格を確信しました。
努力は、その努力にふさわしい形に人を変容させる。
目先の利便性にとらわれて手順を覚えるだけの勉強をしてきた子が到達できなかった領域に、その子は入りました。
結局は、そういうことなのかもしれません。