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お知らせ

2024年11月17日

中学数学・方程式。新傾向の文章題。


画像は、先月の都立小金井公園で撮影。十月桜の一種のようです。

さて、今回は、中学の文章題が難しいという話。
公立中学の数学の定期テスト問題は、私立中学のテスト問題と比べてかなり難しい問題が出る傾向があります。

例えば、こんな問題。
中1の数学。
単元は「1次方程式」です。

問題 ゆうさくさんはなおきさんと昼休みに校舎の周りで鬼ごっこをしています。ゆうさくさんは昇降口の前から校舎を左回りに秒速8mの速さで、鬼のなおきさんから逃げました。それを見たなおきさんは、6秒後に同じ昇降口から右回りに秒速5mの速さでこっそり回り込みました。校舎の1周の道のりは360mです。次の問いに答えなさい。
(1) ゆうさくさんが走り始めてx秒後に出くわすとおく。2人の走った道のりの関係から方程式を作りなさい。
(2) (1) の方程式を解いて、2人が何秒後に出くわすかを求めなさい。
(3) 2人が出くわしたところで、鬼のなおきさんを避けて再び逃げるために、ゆうさくさんは秒速7mの速さで右回りに走り始めた。そのようすを昇降口で見ていたたかひこさんは、秒速17mの速さで右回りにゆうさくさんを追いかけました。たかひこさんは走り始めてから何秒後にゆうさくさんに追いつきますか。ただし、なおきさんはゆうさくさんを追いかけるのを諦めてもう関わらないものとする。

自分で解きたい方は、ここでいったん、ブログを閉じてください。
とはいえ、これ、読むだけで疲れて、解く気が失せませんか?
数学が相当好きな私ですら、そうです。
何か読みにくいですよね。
どうしてでしょう?

これ、数学の問題としては「要らない情報」が入っているのが、ノイズとなって、わずらわしいのです。
問題の分析の邪魔なのです。
「昼休み」「校舎」「昇降口」「鬼のなおきさんから逃げました」「それを見たなおきさん」「こっそり回り込み」「鬼のなおきさんを避けて再び逃げるために」とか、数学的には、全部、必要ない情報なんです。
そもそも、名前が全部ひらがなであるのも、読みにくい。
「ゆうさくさん」「なおきさん」「たかひこさん」。
なぜ、これはA君、B君、C君、ではダメなのでしょう。

そして、最近の数学の定期テストには、こういうわずらわしい問題が出るのです。
新傾向のような姿をしています。
応用問題のような見た目をしています。
しかし、実際の構造は、応用でも何でもないのです。
従来の考え方で解ける問題です。
ただ、文章が長く、余計な情報が多くてわずらわしい。
大学入試共通テストがそうであるように、不要な読解を強いられる文章題が中学まで降りてきています。
そういうのが今の文科省の意向なので、私立よりも公立の学校のほうがそういうことの影響が強いということかもしれません。

問題自体は、昔からある、追いかけと出会いの問題。
池の周りを追いかけたり出会ったりする問題と構造は同じです。
中学受験の受験算数でも典型題ですし、中学数学の方程式の文章題としても典型題です。
以下、従来の典型題を書きます。

問題 周囲が2700mある池のまわりを、兄と弟が同じ地点から反対方向に向かって同時に歩き始めた。兄は分速90m、弟は分速60mで歩くとき、2人がはじめて出会うのは、歩き始めてから何分後か。

きわめてシンプルです。
一番上の問題は、出発時間にズレがあるという点で、これよりも一段難しい要素は加わっていますが、その点を差し引いても、一番上の問題の解きにくさの正体は、文章の読みにくさであり、共通テストの数学問題が苦手な人の多くが、それで苦労しています。

一番上のような問題が作られるようになった背景には、2つの考え方があります。
1つは、数学と現実の事象とを結びつければ、生徒たちは、数学をもっと身近なものに感じるだろうという考え方。
もう1つは、定型の数学の問題では、文章をろくに読まず、手順だけで解く生徒が多いため、それらの「本当に学力があるわけではない生徒」に考えを改めさせ、本当に学力のある生徒を評価するために、こうした問題をテストに出す、という考え方。

1つ目の考え方については。
数学と現実の事象を結びつけたところで、数学に興味のない生徒は、徹底して数学には興味を持ちません。
その程度のことで子どもが数学が好きになると思うほうが、甘い。
追いかけっこという遊びに数学が関係すると気づいて、
「わあ、面白い。数学って面白いな」
と思う生徒は、そもそも、最初から数学が好きです。
数学が嫌いな子は、そんなことには興味を持ちません。
こんな文章題は、むしろ、小手先のやり方で生徒に余計な負担をかけてしまう可能性のほうが高い。
それでも、そういうことをやってみたいなら、授業で扱ったらいいのです。
グループでわいわいと話しあって、結論を出すのは、面白いかもしれません。
そうした授業を受けての類題をテストに出すのならばわかります。
授業は普通の問題を扱っているのに、テストだけ新傾向というのは、いただけない・・・。

2つ目の考え方については。
「学力」とは何なのかによります。
一番上の文章題を正答できる生徒は、確かに学力が高いと私も思います。
ただ、それには文章読解力がかなりの割合で含まれます。
数学力って、読解力なのでしょうか?
数学センスは物凄くあるのに、読解力の低い生徒を、こういう問題ではじき飛ばしていませんか?

高校3年生の理系の生徒で、例えば数Ⅲ「積分法」を学習しているときに。
積分の問題なんて、1行か2行で問題文は終わる場合が大半です。
要するに、積分しろと要求しているだけです。
しかし、普通に積分しようと思っても、できない問題のときに。
置換積分するとして、どの部分を t に置き換えるか?
定石をどれだけ知っているかにもよれば、センスにもよります。
むしろ定石に縛られている私とは異なり、嘘みたいな置換をして、力技で正答を出す子もいます。
そういう子と話し合うのは、手応えがあり、面白い。
その同じ子が、共通テストの文章題は苦手だったりします。
では、その子は、数学が苦手な子なのでしょうか?
・・・あり得ないです。
センター試験だったら、高得点が確実だったのに、生まれた時代が悪かった・・・。
そんなふうに思うことがあります。


もう一度、従来型の問題文を見てください。

問題 周囲が2700mある池のまわりを、兄と弟が同じ地点から反対方向に向かって同時に歩き始めた。兄は分速90m、弟は分速60mで歩くとき、2人がはじめて出会うのは、歩き始めてから何分後か。

確かに、この問題は、あまりにも機械的で無味乾燥で、何でこの兄弟は一緒に歩かないんだろう、という疑問が生じます。
なぜ、わざわざ別の速さで、反対方向に歩くのだろう?
仲が悪いのならば、なぜ同じ池にやってくるのだろう?

そういうツッコミは昔からあるのです。
一番上の文章題は、そういう点はクリアしています。
追いかけっこをしているのならば、走る速さも違うだろうし、反対方向にも進むでしょう。
状況に説得力があります。

しかし、数学の文章題に、そんな「物語」は必要なのでしょうか。
設定に説得力をもたせるために、数学的には不要な情報を大量にまぶした問題を、生徒は喜ぶでしょうか。

一番上の文章題は、読みやすいですか。
楽しく解く気になりますか。
余計に面倒くさいだけではないですか。
読む気も解く気も失せる文章題は、本当に生徒のためになっているのでしょうか。
そういう疑問もあるのです。

とはいえ、世の中の流れがそうなのですから、対応しないわけにはいきません。

まずは従来の定型の問題で、解き方の確認をしましょう。

問題 周囲が2700mある池のまわりを、兄と弟が同じ地点から反対方向に向かって同時に歩き始めた。兄は分速90m、弟は分速60mで歩くとき、2人がはじめて出会うのは、歩き始めてから何分後か。

池の周りを反対方向に歩いている場合、出会うまでで、二人の進んだ道のりの和は、池1周分になります。

歩き始めてから x 分後に、2人が初めて出会うとすると、
「道のり=速さ×時間」ですから、
兄の道のりは、90x m
弟の道のりは、60x m
その和が、池1周 2700m ですから、式は、
90x+60x=2700
これを解きます。
150x=2700
x=18
この値は、問題に適しているので、
答えは、18分後 です。

この構造を忘れずに、では、一番上の文章題を見てみましょう。

問題 ゆうさくさんはなおきさんと昼休みに校舎の周りで鬼ごっこをしています。ゆうさくさんは昇降口の前から校舎を左回りに秒速8mの速さで、鬼のなおきさんから逃げました。それを見たなおきさんは、6秒後に同じ昇降口から右回りに秒速5mの速さでこっそり回り込みました。校舎の1周の道のりは360mです。次の問いに答えなさい。
(1) ゆうさくさんが走り始めてx秒後に出くわすとおく。2人の走った道のりの関係から方程式を作りなさい。
(2) (1) の方程式を解いて、2人が何秒後に出くわすかを求めなさい。

校舎1周は、360m。
これが、従来型の問題の「池1周2700m」にあたります。
1周の長さが規定されて閉じていれば、池だろうが沼だろうが、運動場のトラックだろうが、校舎1周だろうが、同じことなのです。
左回りとか右回りといった情報もわずらわしいですが、要するに、同じ地点(昇降口)から、反対方向に走っているだけです。
ゆうさくの速さは秒速8m。
なおきの速さは秒速5m。
必要なデータはそろっています。
ただ、注意すべき点は、出発が同時ではなかったこと。
なおきの出発は、6秒後なのです。

(1) で、xが指定されています。
出会うまでにゆうさくが走っている時間が x 秒。
では、なおきは、何秒走るのか?
6秒後に出発しているのですから、6秒少なくなります。
なおきの時間は、(x-6) 秒です。
二人の道のりの和が、1周分であることは変わりません。
したがって、方程式は、
8x+5(x-6)=360

これが(1) の答です。

さて、(2) は、この方程式を解くだけです。
解きましょう。
8x+5(x-6)=360
8x+5x-30=360
13x=390
x=30
この値は問題に適しているので、
答えは、30秒後、です。

さて、次は。
(3) 2人が出くわしたところで、鬼のなおきさんを避けて再び逃げるために、ゆうさくさんは秒速7メートルの速さで右回りに走り始めた。そのようすを昇降口で見ていたたかひこさんは、秒速17mの速さで右回りにゆうさくさんを追いかけました。たかひこさんは走り始めてから何秒後にゆうさくさんに追いつきますか。 

問題の最後の、鬼のなおき云々は、もうどうでもいいので割愛しました。
今度は、ゆうさくをたかひこが追いかけていくだけです。
2人とも右回りなので、同じ方向です。
これは、「追いかけ」の問題です。
「追いかけ」は、2人の間に距離があるのが前提です。
その距離を、速い人のほうが、徐々に縮めていき、最終的に追いつきます。
これも、道のりで考えれば、
逃げている人の道のり+2人の間の道のり=追いかけている人の道のり
という関係が成り立ちます。

同じ問題の中の (3) なので、同じ x という文字を使うのは、はばかられるところではありますが、まだ中1で、x が y になった途端に方程式が解けなくなる子もいる時期ですから、ここはもう一度 x でいきます。

たかひこが追いかけ始めてから追いつくまでの時間を x 秒とおくと、

しかし、ここまで書いて、「2人の間の道のりは?」という疑問が生じます。
そうだ。
まずは、2人の間の道のりを求めましょう。
それには、(2) で求めた値を用います。
ゆうさくが、なおきと出会った瞬間に、この追いかけっこが始まりました。
それは、出発から30秒後でした。
つまり、ゆうさくは、秒速8メートルで30秒走っていましたから、走った道のりは、
8×30=240 (m)
1周は360m
したがって、あと、
360-240=120 (m) で、昇降口に戻ってくる位置にいました。
これが、(3) の、新しい追いかけっこが始まった瞬間の、ゆうさくとたかひことの間の道のりです。
この瞬間から、ゆうさくの速さも変わりました。
新しい速さは、秒速7m。
たかひこの速さは、秒速17m。
よし、わかりました。

たかひこが追いかけ始めてから追いつくまでの時間を x 秒とおくと、
7x+(360-8×30)=17x
解きましょう。
7x+120=17x
-10x=-120
x=12
この値は問題に適しています。
したがって、答えは、12秒後、です。


  


  • Posted by セギ at 13:04Comments(0)算数・数学

    2024年11月10日

    冬期講習のお知らせ。2024年度。


    2024年度冬期講習のご案内です。
    詳細は、11月末の授業時に書面をお渡しいたします。
    お申込み受付は、12月1日(日)からとなります。
    メール・LINEまたは申込書でお申込みください。
    12月1日(日)になりました深夜から、先着順で承ります。
    申し込み受付完了の返信は、12月1日の午後となりますのでご了承ください。
    12月1日22:00を過ぎても受付完了の返信がない場合は、再度お問い合わせください。
    なお、この期間、通常授業はありませんので、いつもの時間帯の授業を希望される方も改めてお申込みください。
    なお、冬期講習を前倒しし、12月中の、
    13:20~14:50 , 15:00~16:30
    の時間帯にご予約いただくことも可能です。
    初めての方は、このブログの「お問い合わせ」ボタンから、お問い合わせください。
    外部生のご予約は、12月8日(日)からとなります。
    以下は、冬期講習募集要項です。

    ◎期日
    12月23日(月)~12月30日(月)、1月4日(土)・1月5日(日)

    なお、12月31日(火)~1月3日(金)は、休校とさせていただきます。
    通常授業は1月6日(月)から始まります。

    ◎時間帯
    10:00~11:30 , 11:40~13:10 , 13:20~14:50 , 15:00~16:30 , 16:40~18:10 , 18:20~19:50 , 20:00~21:30

    ◎費用
    1コマ90分4,000円×受講回数

    ◎指導科目
    小学生 一般算数・受験算数・英語
    中学生 数学・英語(中3受験生のみ、国語・社会・理科)
    高校生 数学・英語

      


  • 2024年11月10日

    高校数Ⅱ「軌跡」。文字が何を表しているのかで混乱する。


    今回は、数Ⅱ「軌跡」の問題を解いてみましょう。

    問題 直線 3x+2y-6=0 と点A (4 , 5) がある。点Qがこの直線上を動くとき、線分AQを 3:2 に内分する点Pの軌跡を求めよ。

    軌跡に関する問題としては、基本問題です。
    ところが、x、y の使い方や代入を間違えて、奇妙な混乱を起こす子も珍しくありません。

    例えば、こんな答案。
    書き出しはこんなふうでした。

    P (x , y)、Q (X , Y)

    ・・・相変わらず、答案がカタコトで、日本語による説明がありません。

    おそらく、

    点Pの座標を (x , y)、点Qの座標を (X , Y) とおく。

    という意味なのだと思いますが、こういうところの書き方、幾度助言しても、直らない子は永久レベルで直らないです。
    せめて、
    P (x , y)、Q (X , Y) とおく。
    くらいは書いてほしいのですが、数学の答案に日本語は絶対に書かないと決めてしまっているかのように書かないのです。
    とはいえ、今回はその話ではないので、ここはスルー。

    むしろ気になったのは、点Qの座標を (X , Y) とおいた点でした。
    これ、今でも、そのようにしている参考書や問題集がありますが、生徒の誤解を招きやすいので、私は授業時に、大文字のX、Yは使わないように言っています。
    高校の先生たちも、使わない場合が多いです。
    これのせいで混乱する生徒が多いことを肌で感じているからです。

    大文字のX、Yは使わず、点Qの座標は (a , b) などにしなさい、といくら助言をしても、生徒が宿題を解くのは、塾の授業日の前日か当日、という場合が多いので、すっかり忘れて、テキストの例題解説が (X , Y) なら、そのまま使ってしまう場合があります。
    修正テープで消させて直させないと定着しないレベルです。

    そのときも、そんなことが原因の混乱が、その後、起こっていました。
    その子の答案は。

    P (x , y)、Q (X , Y)
    3x+2y-6=0
    x=(8+3X) / 5 , y=(10+3Y) / 5
    3×(8+3X) / 5+2×(10+3y) / 5-6=0
    24+9x+20+6y-30=0
    9x+6y+14=0


    ・・・何だこれ?

    そして、こういうカタコトの答案を書く子に、その式の意味を尋ねても、明確な答は返ってこないことが多いのです。
    計算メモは、時間が経てば、自分で書いたことの意味も自分でわからなくなります。
    何をどうしてそうなっているのかを答案に書きなさい、と言っているのですが、数学が苦手な子は、徹頭徹尾、数学答案と呼べるものは書きません。
    別に反抗したいわけではなく、その場になると忘れてしまうらしいのです。
    問題を解くのに夢中になって、ついついいつもの癖で、カタコトの計算メモになってしまうようです。
    小学生の頃から延々とそのように書いてきたことを、今回も書いてしまう。
    そういうことなのだと思います。

    さて、そうなると、このよくわからない誤答の分析をしていかなければなりません。
    何をどう間違えると、こういうことになるのか?
    数学答案らしい語句を補いながら、その子と一緒に考えました。

    1行目は、
    点Pの座標を(x , y)、点Qの座標を(X , Y)とおくと、
    という意味でしょう。
    では、2行目の、
    3x+2y-6=0
    は、どういう意味なのでしょうか。

    この2行目の式は、問題文にある直線そのままなのですが、これを何のつもりで書いているのかが、微妙です。
    ただ、問題文の式を書き写しただけなのか?
    ・・・いや、これは、本当は、

    点Qは、この直線上の点なのだから、
    3X+2Y-6=0 ・・・①

    と書くべきところを、何の説明もなく、文字の使い方も間違えてしまっている式なのではないか?
    そもそも大文字と小文字を使い分ける意味がわからないので、すぐに小文字に直してしまったのではないか?
    関数の式なら、小文字の x と y を使うのが普通だという誤解も加わって・・・。

    だから、点Qは(a , b) としたほうがいいのです。
    これなら、さすがに間違いようがないのです。

    点Qの座標を直線の式に代入して、
    3a+2b-6=0・・・①

    という答案を書くほうが誤解が少ないのです。
    これは、問題文にある直線の式ではなく、a と b との関係を表した式なのだとひと目でわかるようになります。


    さて、誤答をさらに見ていきましょう。

    P(x , y)、Q(X , Y)
    3x+2y-6=0
    x=(8+3X) / 5 , y=(10+3Y) / 5
    3×(8+3X) / 5+2×(10+3Y) / 5-6=0
    24+9x+20+6y-30=0
    9x+6y+14=0

    ・・・この3行目は、何なのか?
    見にくくなっていますが、この右辺は分数です。
    勝手に暗算もしているので、ますますわかりにくくなっていますが、内分点の座標を表しているのでしょう。

    答案の最初から正しく書くならば、

    点Pの座標を(x , y)、点Qの座標を(a , b)とおくと、
    点Qは、3x+2y-6=0 上の点であるから、
    3a+2b-6=0・・・①
    また、点Pは、AQを 3:2 に内分することから、
    x=(2・4+3a) / (3+2) 
    =(8+3a) / 5
    y=(2・5+3b) / (3+2)
    =(10+3b) / 5

    実際には、分数の分子・分母の( )は不要ですが、見やすいように、( )をつけました。

    では、誤答の4行目、
    3×(8+3X) / 5+2×(10+3Y) / 5-6=0
    は、何をしているのでしょうか。

    文字の使い方を間違えているので、
    3x+2y-6=0
    という、問題文にある直線の式に、今求めた、点Pの x 座標と y 座標の値をそのまま代入したのでしょう。

    点Pの座標を点Qを通る直線の式に代入して、どうなるというのか?
    しかし、そういうことは、もう解いている本人にもわからないのだと思います。
    点P (x , y)、点Q (X , Y) としているから、混線したのでしょう。

    点Q(a , b) の a と b との関係を表す式を、

    3a+2b-6=0・・・①

    と立ててあれば、さすがに、ここの a に、x の値を代入しようとは考えないでしょう。
    だから、点Qの座標に使う文字は、x や y とは全く違う文字にすることをお勧めします。
    軌跡を求めたい点Pの座標のみが (x , y) で、他の点は、他の文字を使う。
    それが、安全な解き方です。

    ①の式は、a と b の式なので、先ほど求めた内分点に関する式を、a や b について解いてから代入しなければならないのだと気づくことができます。

    やってみましょう。

    x=(8+3a) / 5 より、
    8+3a=5x
    3a=5x-8
    a=(5x-8) / 3・・・②

    y=(10+3b) / 5 より、
    10+3b=5y
    3b=5y-10
    b=(5y-10) / 3・・・③

    ②・③を①に代入して、
    3・(5x-8) / 3+2・(5y-10) / 3-6=0
    (5x-8)+2/3・(5y-10)-6=0
    3(5x-8)+2(5y-10)-18=0
    15x-24+10y-20-18=0
    15x+10y-62=0
    よって、点Pの軌跡は、
    直線 15x+10y-62=0

    これが正解です。

    このあたりの計算、今回は丁寧に書きましたが、1行目の次は「よって」と書き込んで、もう最終行でも構いません。
    途中のこういう計算は、提出しない計算用紙に書いてもいいのです。
    高校数学の答案は、こうした計算過程は採点対象ではありません。
    正直に言えば、採点する人は、そうした途中は読みません。
    1行目がしっかり書いてあることを確認すれば、次はその計算の結果の行に目を移します。
    それが間違っているときには、どこから計算ミスをしているのか目を戻し、そこまでで赤線を引きます。
    文字式の整理や方程式を解いた途中が書いてあってもなくても、得点は変わりません。
    中学数学ならばそこを丁寧に書くのがメインですが、高校数学ですので、既にそれは「出来て当たり前」の領域です。
    採点対象ではないのです。
    だからこそ、1行目は暗算せずに、意味のわかる式をしっかり書きます。
    あとは、適宜、自分の計算力にあわせて計算過程は省略して構いません。

    こうした数学答案の機微を理解しない子は多いです。
    1行目から暗算した式を書いてしまう。
    そして、その後の計算過程こそが「数学答案」だと本人は思っています。
    そこを省略すると、本人の思う「数学答案」には、もう何も残りませんから、気持ちはわかりますが、採点者は、そこは見ないのです。

    ただ、計算過程は省略してもいいけれど省略しなくてもいいので、その点は構いません。
    いくらでも丁寧に書いたらいいと思います。
    問題なのは、1行目から、意味のうすれる暗算をしてしまうこと。
    上の誤答でも、内分点を表すのに、分母の 3+2 を暗算して 5 としていました。
    それが絶対にダメだとは言いませんが、何をしているのか、意味が伝わりにくくなるだけなので、そんなのは無駄な暗算です。
    内分点の場合は、分母を 3+2 としっかり書くことで、分子をスムーズかつ正確に書いていくこともできます。
    でも、3+2と書かず、いきなり5と書いてしまうような無駄な暗算を式の1行目からやってしまう子は多いです。
    1行目は、意味のわかる式を丁寧に書き、以後は本人の計算力にあわせて省略してもいいということが、伝わらない。
    いや、伝わっていても、実際に解くときには、いつもの癖で1行目から暗算した意味のわからない式を書いてしまいます。
    そして、
    「どうやって解いたのですか?」
    と問われると、自分でも意味がわからず、絶句するのです。


    とはいえ、今回言いたいことは、それではなく、点Pの軌跡を求める問題では、点P以外の座標に、X、Yは使わないほうがいいということ。
    混乱の種ですから。


    点Q の座標を (a , b) とすれば解けるのになあ・・・。
    そう思っていたのですが、ある日、私のその考えを超えていく生徒が現れました。

    点Qの座標を (a , b) とし、
    3a+2b-6=0・・・①
    という式も書いているのに、その a と b に、x と y の値を代入していたのです。
    そのような代入で、a と b との式が、さらに複雑な a と b の式になった後、その a と b を、最後に x と y に書き換えて、それで最終解答としていました。

    ・・・なぜ?

    「a と b は、本当は x と y だから」
    というのが、その子の答でした。

    一度そう思い込むと修正は難しく、正しい解き方の解説をしても、固まったまま、ホワイトボードを凝視していました。

    数学が苦手な子に多いのですが、
    「それはそれ、これはこれ」
    という、矛盾した内容が頭の中に共存することがあります。
    a と b は、決して点Pの x と y ではない。
    でも、そのことがわからない・・・。
    問題文の直線の式に代入して、x と y を a と b に書き換えたのだから、戻してもいいだろうと本人は思っていたのでした。

    問題文の直線の式の x と y の関係と、求めたい点Pの x と y との関係とは違いますよ?

    そんなことを説明すればするほど、その子の固まり具合は深まり、絶句していました。

    それは、例えば、
    (a+b)^2=a^2+2ab+b^2
    という乗法公式を知らないわけではないし、そういう計算問題なら正解できるのに、
    a^2+b^2=(a+b)^2
    だということも普通に信じている・・・。
    そういう子が多いこととも関係があるのだろうと思います。

    点Pの x 座標と y 座標の関係を表す式は、点Pを含む直線や曲線の式なのである、という中学数学でわかっていてほしいことが理解できていない子は多いです。
    根本の理解がなく、表面的な解き方だけを覚えてきたので、何をしても良くて、何をしたらダメなのか、よくわかっていないのだと思うのです。
    軌跡の問題の解き方は何となく知っている。
    手順は何となくわかる。
    でも、何でそうやれば解けるのか、根本が理解できていない・・・。
    説明を聞いても、高校数学の説明は、もう、よくわからない・・・。
    中学数学を理解していないのですから、そうなります。

    その子の理解のレベルにあわせて、かみくだいて、中学数学に戻って解説をすることの必要性を痛感するこの頃です。
    a と b を x と y に直してもいいと思っていた子は、それでも、とりあえず、それをしたらダメなのだという第一歩は踏みました。
    a と b の関係を表す式は、点Qの式。
    x と y の関係を表す式は、点Pの式。
    でも、a と x、b と y の関係を表す式が別にあれば、それを代入して、a と b だけの式を、x と y の式に生まれ変わらせることができる。
    そういう構造が理解できれば、軌跡の問題は、あとは式を立てて解くだけです。
      


  • Posted by セギ at 13:03Comments(0)算数・数学

    2024年11月01日

    英語長文読解。一般論に反する内容が書いてあると予測する。


    画像は、太陽系ウォークの途中で見上げた青空。

    さて、本日は英語長文です。
    大学入試レベルになると、英語長文もやや難解になってきます。

    At some point in the 1650s, the French philosopher and mathematician Blaise Pascal wrote down one of the most unexpected observations of all time: "The sole cause of man's unhappiness is that he cannot stay quietly in his room."
    Really? Surely having to stay quietly in one's room must be the start of a particularly evolved kind of psychological torture? What could be more opposed to the human spirit than to have to inhabit four walls when, potentially, there would be a whole planet to explore?
    And yet Pascal's idea usefully challenges one of our most cherished beliefs: that we must always go to new places in order to feel and discover fresh and worthwhile things. What if, in fact, there were already a treasury inside us?
    Being confined at home gives us a range of curious benefits. The first is an encouragement to think. We might stumble upon new ideas if we did travel more ambitiously around our minds while lying on the sofa.

    さて、この文章を、高校生と読んでいたときのこと。
    まずは、第1文。

    At some point in the 1650s, the French philosopher and mathematician Blaise Pascal wrote down one of the most unexpected observations of all time: "The sole cause of man's unhappiness is that he cannot stay quietly in his room."

    長いし、わかりにくいですね。

    「わからない単語はありますか」
    「some point」
    「これは、無視しましょう」
    「ある時点」という意味ですが、こういう簡単な単語なのに日本語にしようとするとよくわからない表現は入試長文問題にはよく出てきます。
    教科書にはあまり載っていない表現なので、定期テスト対策として教科書の英文はよく勉強している子ほど、こういう表現につまずきます。
    隅々まで全部を覚えるか、些末なところは無視するか。
    大学入試が近い場合は、些末なところは無視する読解方法を身につけていくほうが有効です。
    どうしても気になるのなら、自分の受験する大学の過去問集は全訳が載っているのが普通ですから、それで確認し、心の安寧を図る方法もあります。
    そうやって確認すると、もうどうでもよくなって忘れてしまうのが人の常ですが。
    解決すると、もう忘れてしまうんです。
    未解決のままでも、同じことなのだと思います。

    「とりあえず、それ以外を訳すと?」
    「1650年代、フランスの哲学者と数学者のブレイズ・パスカルは、書きとめた。もっとも予期しないオブザベーションの1つを。オールタイムの。『男の不幸の単独の原因は、彼が静かに滞在できないことだ。彼の部屋の中に』」
    「・・・いいですよ。ただ、『男』ではありません。1650年代のことですから、man は『人間』を指します」
    「え?」
    「20世紀までは、通用した表現です。だから、それを受けている he も人間です。ポリティカルコレクトネスが言われるようになるまで、これで当たり前だったのですよ。ポリティカルコレクトネスは、教科書にそういう文章が載っていたから、知っていますよね」
    「・・・」
    「政治的妥当性。差別の匂いを感じる表現は使わず、妥当な言葉に言い換えること。それはともかく、全体の意味はわかりましたか?」
    「オブザベーションがわかりません」
    「そのままでいいです。今の自分の語彙力で読むしかないのです。わからなくても、わからないまま読む。つらいなと思ったら、単語集で単語を覚え直す。その繰り返しで語彙力はついてきます」
    「・・・」
    「大事なことは、パスカルが何を言っているのか、です。それがわかれば十分です。パスカルは、何を言っているの?」
    「わかりません・・・」
    「・・・では、もう少し読み進めていくことにしましょう」

    Really? Surely having to stay quietly in one's room must be the start of a particularly evolved kind of psychological torture?

    「わからない単語はありますか」
    「evolved」
    「品詞はなんでしょう」
    「動詞?」
    「そうですね。今は過去分詞の形ですが。これもそのまま訳してください」
    「本当に?確かに、1つの部屋に静かに滞在しなければならないことは、パティキュラリーにエボルボされた種類の心理的なトーチャーだ」
    「うーん。後半、つらいですね」
    「つらいです・・・」
    「evolve も torture も、単語集で覚えた単語です。でも、覚えきれなかったのだから、今は仕方ない。単語集は、今後も繰り返し反復してください。単語力が読解を助けることを、そろそろ痛感しているでしょう。それと、前半の one's は、『1つの』ではありません。『人の』です」
    「・・・」
    「もう一度、パスカルの言葉を振り返りましょう。パスカルは何と言っているの?」
    「『人の不幸の単独の原因は、彼が静かに滞在できないことだ。彼の部屋の中に』」
    「うん。人の不幸の1つの原因は、部屋の中で静かにしていられないことだ」
    「ああ・・・」
    「つまり、パスカルの考えは、部屋の中で静かにしていることは素晴らしいことなのに、人間にはそれができない、それが人間の不幸だということです」
    「・・・」
    「次の文を読みましょう」

    What could be more opposed to the human spirit than to have to inhabit four walls when, potentially, there would be a whole planet to explore?

    「訳してください」
    「何がもっと opposed できるのだろうか。人間の精神に。4つの壁に inhabit しなければならないことよりも。潜在的に、惑星全体があるときに。探検する」
    「・・・少し見えてきませんか」
    「わかりません」
    「2つの対立事項が見えてきませんか。1つは、部屋の中で、静かにしていること。もう1つは?」
    「・・・惑星を探検すること?」
    「素晴らしい!だとすれば、『4つの壁に inhabit しなければならないこと』は、そのどちら側のこと?」
    「・・・」
    「4つの壁とは何?」
    「・・・惑星?」
    「4つの壁があるものは、普通は?」
    「部屋?」
    「そうですよ。『4つの壁に inhabit しなければならないこと』は、『部屋で静かにしていること』と、この文章では同じ意味です。英語は、常に言い換えていきます。だから、どれかがわかればいいんです」

    And yet Pascal's idea usefully challenges one of our most cherished beliefs: that we must always go to new places in order to feel and discover fresh and worthwhile things.

    「訳してください」
    「And yet の訳し方がわかりません」
    「無視しましょう」
    「パスカルの考えは役に立つように挑戦する。私たちのもっともチェリッシュなビリーフに。私たちはいつも行かなければならない。新しい場所に。感じて発見するために。新鮮で価値のあるものごとを」
    「cherish も belief も、単語集で覚えましたよー。単語集、繰り返し覚え直しましょうね。でも、とりあえず、ここでもまた、前に出てきた2つの対立する事項が繰り返されているだけです。1つは、パスカルの考えである『部屋の中にとどまっていることは素晴らしい』。もう1つは、この文では?」
    「新鮮で価値のあるものごとを感じて発見するために、私たちはいつも行かなければならない」
    「素晴らしい!先ほどの、惑星を探検することと同じ意味ですね」
    「ああ・・・」
    「パスカルの考えと、私たちのチェリッシュなビリーフは、対立しているのです」
    「はい・・・」

    What if, in fact, there were already a treasury inside us?

    「訳してください」
    「実際、既にトレジャリーが私たちの内側にあるとしたらどうだろうか」
    「トレジャリーって、何ですかね」
    「わかりません」
    「似ている単語を覚えていない?」
    「わかりません」
    「では、トレジャリーのままでいきましょう」

    単語力がないと、かなり苦しいのは、事実です。
    ある程度の基本単語は覚えてきた生徒なのですが、英文を前にすると度忘れすることもあり、苦戦していました。

    Being confined at home gives us a range of curious benefits.

    「訳してください」
    「家でコンファインドされていることは、私たちに与える。キュリアスな利点を」
    「よかった!benefits も覚えていなかったらどうしようと思いました。これで、意味は取れますよ」
    「・・・」
    ついでに言えば、さりげなく a range of を無視していたのも良かったのです。
    この際、些末なところは無視しましょう。

    The first is an encouragement to think.

    「訳してください」
    「最初は、励ますことだ。考えるのを」
    「最初は、ではなく、1つ目は、でしょう。利点をここからいくつか挙げていくつもりなんでしょう」
    「ああ・・・」

    We might stumble upon new ideas if we did travel more ambitiously around our minds while lying on the sofa.

    「訳してください」
    「私たちはスタンブル・アポンするかもしれない。新しい考えを。もし私たちが旅行をしたら。もっと野心的に。私たちの精神の周りを。ソファに横たわっている間に」
    「素晴らしい!」

    「さて、ここまで読むと、著者の立場がわかったと思います。2つの対立する事項があります。1つはパスカルの考え方。つまり、『人間は、部屋の中にとどまっているほうがいいのだ』。もう1つは、『新鮮で価値のあるものごとを感じて発見するために、私たちはいつも外に行かなければならない』という考え方。筆者は、どちらに賛成なの?」
    「出ていくほう」
    「・・・何でそう思うの?」

    二択に失敗したことをもうその生徒は勘づいた様子で黙り込んでしまいましたが、それでも、繰り返し問うと、ようやく答えてくれました。
    「私たちが旅行するんだから」
    「・・・最後の文ですか?これ、本当に旅行するんですか。ソファに横たわって、精神をめぐる野心的な旅をすることは、実際に外出することですか?」
    「・・・」
    「ソファに横たわっていますよね?」
    「・・・」

    木を見て森を見ず。
    その周辺はわりと明確に訳せているのに、travel の1語に騙されてしまったのでした。
    「この『旅行する』は、比喩でしょう?心の中の旅ですよ?」
    「・・・ああ」

    英文そのものは、まだこの3倍近い内容が続くのですが、ここまで読めば、文脈は理解できます。
    この英文は、典型的な構造です。
    2つの対立事項を挙げて、そのどちらに自分は賛成なのかを述べる文章です。
    国語の現代文でも、この構造の評論は多いです。

    このような文章を読むときに重要なのは、2つの対立事項を明確にしておくこと。
    そのうえで、著者はどちらの考えに賛成なのかを読み取ること。

    この生徒は、それに失敗しました。
    だから、設問では、単純な語句穴埋め問題などは正答していましたが、文脈に関わる問題では、ほぼ全滅に近い惨状となりました。
    travel という単語に騙された、というのが大きいのですが、そんな1語にすがりつき、around our minds while lying on the sofa の部分は、意味を理解していたのに無視した理由は何だったのか?
    誤読のメカニズムとして、興味深いです。

    1つには、わからない単語が多くて、全体にモヤモヤしたまま読み進めたため、結局文意を把握しきれなかったこと。
    これは大きいと思います。
    でも、この単語力でも、文意は取れたはずなのです。

    Pascal's idea usefully challenges one of our most cherished beliefs

    という部分からも、それはわかります。
    パスカルの考えは、usefully に challenges するものなのです。
    では、著者は、パスカルの考えを評価しているでしょう。

    何よりも決定的だったのは、この2文。
    Being confined at home gives us a range of curious benefits.
    The first is an encouragement to think.

    at home はわかるのですから、家にいることが私たちに利点を与えるという大意は読み取れるのです。
    そして、その利点の1つは。
    「考えることを促すこと」
    なのですから、それは、部屋の中にいるほうを良いとしているのだろうとわかります。
    外出するよりも、部屋の中にいるほうが、ものごとを考えるのを促すといっているのです。

    わからなかった単語も、わかってみると、それほどの意味を付加していないのです。
    けれど、単語力がやや乏しい子は、単語がわからないことに惑わされて英文がわからなくなって混乱しがちです。
    頑張って語彙を増やすか。
    わからない単語があっても、それを何とか補って読み進めるか。
    そのどちらも選べず、立ちすくんでしまうのです。

    むしろ、その両方を選んでほしいのです。
    頑張って語彙を増やす。
    でも、それにも限界はあるから、知っている単語だけで何とか読み進めていく力もつける。

    大きな課題は、文章の読み取りに、その子の主観が入ってしまったことだろうと思います。
    travel の1語にすがりつく誤読が生じたのは、その子自身が、パスカルの考えに反対だったからでしょう。
    部屋の中でじっとものを考えているほうが、外に出て新しいことを感じたり発見したりするよりもいい、なんてありえない。
    そのような常識に縛られたのだと思います。
    あるいは、本人の主観に縛られた。

    しかし、ここで考えてみるべきです。
    大学入試の英語長文というのは、筆者がいるのです。
    アメリカかイギリスのコラムニストか作家か評論家が、実際に書いて、新聞か雑誌に掲載されて、原稿料をもらっている文章なのです。
    「外に出て新しいことを感じたり発見したりするのは、部屋にいるよりも素晴らしいですね」
    といった常識的なことを書いて、原稿料がもらえるものでしょうか?
    誰がそんな文章を読むの?
    つまらない。
    それこそ、何も新しい発見がない。

    日本語の評論も多くはそうですが、文章というのは、もっとエッジが効いていて、いわゆる「逆張り」をしていることが多いのです。
    常識を覆す内容。
    一般論を蹴散らす、独自の視点。
    外に出て新しいことを感じたり発見したりするよりも、部屋の中で思索にふけるほうが、ずっと利点があるのだよ。
    こういう新しい観点でものを見ている文章だから、読む価値があるのです。

    それを読んで、その通りと思うか、いや違うんじゃないかと思うのは、本人の自由。
    でも、著者はどう考えているのかは、正確に読み取りましょう。
    そこを混同せずに、国語の評論も、英文も、賢く読み取りましょう。

    この文章、後半もかなり面白いです。
    実際の旅行よりも、自分の部屋で、昔の旅行を後になって思い出すほうが良いというのです。
    実際の旅行は、どれほど美しい風景でも、そこに存在する自分が邪魔だ、というのです。
    思い出す風景ならば、自分は存在しない。
    それだけ純粋に風景を楽しめる。

    どこに行っても、自分という存在が邪魔である。

    何やら哲学的で面白い考え方だと思います。
    外に出なくても、こういう文章を読むだけで新しい発見がある。
    読書することも含めて、部屋の中で思索することには価値がある。
    とはいえ、外に出るのもやはり楽しいのですが。

      


  • Posted by セギ at 12:45Comments(0)英語

    2024年10月26日

    みたか太陽系ウォーク、その4。ついにコンプリート。


    10月25日(金)、残る11ポイントを獲得し、ついにコンプリートしました。

    残っていたのは、三鷹北西部地域。
    まずは山中通り沿いのお店のスタンプを順調に取得していきました。
    三鷹は、南北の通りは道路も歩道も広いことが多いのですが、東西の道路は、車道も狭く、歩道はもっと狭い。
    自転車を押して歩きながら、ゆっくり取得していきました。
    そこからさらに西へ。

    106 西多世代交流センター
    ビルの4階とかだと嫌だなあと思いながら行くと、幼稚園のような広い敷地で、外にポスターが掲示されてありました。
    ありがとうございます!

    そのさらに西にある八百屋さんも、営業時間だけかもしれませんが、ポスターは外掲示。
    ありがとうございます!

    武蔵境通りに戻り、パン屋さんも郵便局も外壁にポスターを掲示してくださっていました。
    ありがとうございます!

    そこから人見街道へ。
    車道も歩道も細いですが、太陽系ウォーク参加も3回目となると、裏道も少しわかってきます。
    車通りの激しい人見街道と平行して東西に走っている裏道を上手く利用できました。

    102 酒井薬品株式会社
    2年前は、会社の入口でスマホを掲げているのにGPSがうんともすんとも言わない難所でした。
    5分ほど待機して、微かな電波をようやくキャッチしたのを覚えています。
    今年はQRコードなので、そういう苦労はなく、入口横のポスターから楽々取得できました。

    GPSにもQRコードにも、それぞれ長所短所がありますので、昨年のような併用型が、やはり一番嬉しいですね。
    ポスターが店内にあって営業時間外の場合。
    GPSの反応が悪い場合。
    そのどちらの場合も、代替手段があると安心です。

    そんなこんなで、あっけなく、10か所達成。
    残るは、1か所のみ。
    そこは、景品交換所です。

    というわけで、
    007三鷹ネットワーク大学
    三鷹駅の南口テラスから入っていくのが一番わかりやすいかと思います。
    ビルの3階にあります。
    ポスターは、ネットワーク大学のドアを開けてすぐの場所に掲示されてありました。
    これで、117か所、コンプリート。

    景品交換は、三鷹ネットワーク大学の受付のところでできました。
    今の時期は、コンプリートする人が多いからでしょうか、クリアファイルに全ての賞品が入れられていて、さくっと渡してもらいました。
    今年は、天文台移転100周年だとかで、記念シールも。

    景品は、上の画像です。
    今年のテーマは「太陽」なのだそうで、去年よりも全体に赤みの増したオレンジ色です。
    クリアファイル、かわいい。
    バンダナ、かわいい。
    ノート、かわいい。

    頑張って良かったです。



    そしてこれは、ペーパークラフトを組み立てたもの。
    今年は、ペーパークラフトも、なかなかの難しさでした。
    サイコロを8個も切り取って組み立てるものでした。
    こういう作業が好きじゃないと、耐えられないかもしれません。
    私は、子どもの頃から、説明書通りに組み立てるものが好きなので、楽しかったです。
    ちなみに、左側が今年のクラフト。
    右側は、一昨年のクラフトです。
    そういえば、去年はペーパークラフトの賞品はなかったです。


      


  • Posted by セギ at 14:21Comments(0)

    2024年10月24日

    みたか太陽系ウォーク、苦難の道のり。その3。


    さて、みたか太陽系ウォークの続きです。

    028 ルートマイナスイチ
    ここは、前回も書きましたが、営業日と営業時間が限られています。
    仕事に行く途中でサクッとスタンプを取得。

    ◎10月24日(木) 本日の獲得スタンプ22 合計106/117
    まずは、日曜日にスタンプをもらえなかった、井の頭方面へ。
    085 末廣屋喜一郎 
    086 栗原ストアー
    休業日でなければ、お店の外にポスターが出ていて、簡単に両方のスタンプを取得できました。

    さて、そこから大移動。
    本日は、牟礼に向かいました。
    ここは、道路が入り組んでいるので、スタンプポイントを探し当てるまでが大変でした。
    相変わらず、GPSは呑気なもので、余程近づかない限り、適当な位置しか教えてくれません。
    うろうろと探し回って、1つずつ攻略。

    092 となりのでこちゃん
    牟礼幼稚園の隣りでした。
    10分以上うろうろし、ようやく場所がわかりました。
    ポスターは、入口に掲示されてありました。
    時間に関係なく取得できそうです。

    続いて
    093 ひとまちここ訪問看護ステーション・くまちゃんハウス
    094むかいのさっちゃん
    この2つは隣りあっていますので、見つかれば、一気に2ポイント。
    しかし、牟礼の地理の複雑さとGPSの適当さに幾度も阻まれました。
    本当に近づけば、つまり、デジタルマップを最大限に拡大すれば正確ですが、そこまで拡大すると、自分の場所からどう行くのかがわからなくなります。
    このジレンマに苦しむのが、デジタルマップの宿命。

    ともかく、牟礼の難所3か所とも、表にポスターを貼っていてくださるので、時間外でも取得は可能かと思います。

    さて、ここからは、連雀通り沿いのお店を一気に回りました。

    途中、前回休業していた、
    061 フランス菓子ルリス
    にも寄り道。
    開店している時間帯は、外にポスターを掲示してくれていて、楽々スタンプ取得。

    その他のお店も、全て外にポスターを掲示してくださっていました。
    本日お休みの喫茶店も。
    ありがとうございます。
    本当にありがとうございます。
    舗道が狭い道ですので、自転車で回っていると、自転車の置き場所に困るのです。
    外からさくっとポスターを撮影できるのは本当にありがたいです。
    歩いて回っている皆さんも、どうか車にお気をつけて。
    ただ、お店の場合、ガラス戸やガラス窓にポスターが貼られている場合がやはり多いので、営業時間を終えて、シャッターが閉められたら、取得できないかもしれません。

    さて、そこから東八道路に出て、大沢方面に向かいました。
    本日中に、海王星・冥王星エリアを済ませてしまえば、気分的に楽になります。

    今年の太陽系ウォークは、つらい、つらい、と泣き言ばかり書いていますが、旧 Twitter で見てみると、2010年代の太陽系ウォークの凄まじさは、こんなものではなかったようです。
    何しろ、スタンプは、本物のリアルなゴムのハンコ。
    それをスタンプ帳に実際に押していくシステムでした。
    管理の問題もありますから、スタンプは店内にあって当たり前。
    店の外に置いてくれていても、営業時間が終われば片付けるのが当たり前。
    しかも、スタンプポイントは、当時、200か所以上あったのですね。

    それは、太陽系の大きさを実感するというよりも、三鷹の各店舗と施設の営業日と営業時間を実感するイベントだったのでは?
    何回行き直すと、全店を制覇できたのだろう。
    それを制覇している人たちが、いたのです。

    ・・・修験道?

    私も2011年に一度だけ参加していますが、1日参加して、気楽に50ポイント取得し、キーホルダーみたいなもの(チャーム)をもらって、それで満足していました。
    100ポイント獲得すればマグカップがもらえたらしいので、当時は、景品も今より豪華だったようです。
    それは、そうだろうなあ。

    などと考えているうちに、東八道路と天文台通りとの交差点まで来ました。
    例によって、中途半端な大きさで開いたデジタル地図では、東八道路沿いにあるかのように見えた、
    114 NPO法人グレースケア機構 天文台オフィス
    は、1本南の路地の突き当りにポスターが掲示されてありました。
    正しい場所に到達できれば、必ず外に掲示してくださっている、NPO法人さん。
    ありがとうございます。

    さて、そこから天文台通りを南下。
    国立天文台に到達。
    ここまで大きい施設になると、どこにポスターがあるのか、という問題が生じます。
    施設が広すぎる・・・。

    まずは、駐車場への坂道を上がっていくと、左手に、
    113 星と森と絵本の家
    施設の外にポスターあり。
    ありがとうございます。

    さて、天文台自体は、どこにポスターが?
    やはり、正門のほうかな?
    ありました、ありました。

    112 国立天文台
    は、正門を入ってすぐの、見学者受付のところにポスターが掲示されてありました。
    ということは、正門が閉じられたら、アウトですね。

    116 NPO法人グレースケア機構 相談・住まい事業部
    ここは、GPSが間違っています。
    どんなに拡大しても、「椎の実子供の家」という施設を示していますが、ここではありません。
    ここの南隣りの、「三鷹市福祉Laboどんぐり山」という施設の玄関の右わきのガラス面にポスターが貼られていました。
    ただ、この建物名は、地図上の記載がないため、GPSは「椎の実子供の家」にしか打ち込みようがなかったのかもしれません。

    天文台通りに戻って、野川を越えるとすぐ左手が、
    117 大沢コミュニティ・センター
    予想よりずっと大きい施設で、入口はどこだ、どこだ、と少し探して、ようやく、スタンプ取得。

    海王星・冥王星エリア、制覇しました。

    残るは11か所。
    そのうち1つは、景品交換所の三鷹ネットワーク大学なので、実質10か所です。
    頑張ります。

      


  • Posted by セギ at 19:46Comments(0)

    2024年10月21日

    みたか太陽系ウォーク苦難の道のり。その2。


    さて、太陽系ウォークを続けます。

    ◎10月21日(月) 本日の獲得スタンプ13、合計 83/117
    所用があって、新宿へ。
    昼過ぎに帰ってきて、三鷹駅近くの太陽系ウォークをすることにしました。
    三鷹駅、駅ビル、コラル、と順調にスタンプを取得して、さて難関地帯へ。

    005 三鷹ヒロクリニック南口院
    ここは、毎年苦労するところです。
    GPSが不正確なのかもしれません。
    しかし、その店の前でポスターからQRコードでスタンプを取得しなければなりません。
    何となく場所を把握すれば何とかGPSで捉えられた去年までとは違うのです。
    うろうろと探し回り、ついに発見。
    駅前の西三不動産の、向かって左隣りに入口があり、そこに、ポスターが掲示されてありました。
    想像もしなかった場所でした。
    積年の謎が解けました。

    飲食店やお花屋さんは、入口や壁面にポスターを掲示してくれていて、順調にスタンプを集め、さて、ここから三鷹通りへ。

    028 ルートマイナスイチ
    小さな雑貨屋さん。
    三鷹通りのセブンイレブンの、向かって左隣の店でした。(正確には、隣りの隣り)
    場所はすぐにわかりましたが、お休みでした。
    QRコードのついたポスターは、店内。
    視力障がいのある夫婦が始めた店、と外壁に貼られたポスターに書いてありました。
    営業時間14:00~18:00
    営業時間も営業日も、限られています。
    中をのぞき込んで、営業日を確認。
    とりあえず、10月の今日以降の営業日は、
    22日、25日、26日、27日、29日、31日、だそうです。
    また次回、仕事前に行こう。

    029 アイティーエス三鷹卓球クラブ
    場所は以前から知っていました。
    昔、セブンイレブンのあったビルの2階です。
    ただ、どこから入るのか?
    うろうろと探して、試しに、建物の、向かって右端の階段を上がっていくと、ドアを開けたら卓球場でした。
    受付の横にポスターがありました。

    ここまでの感想としては、飲食店は、ほぼ間違いなく、お店の外にポスターを掲示してくださっています。
    お菓子屋さんとパン屋さんは、店内掲示のことが多い。
    営業時間と店休日に要注意です。

    今年の太陽系ウォークは、つらいなあ、子どもだったら泣くレベルだなあと思いながら、それを楽しんでいる自分を発見しています。


      


  • Posted by セギ at 19:20Comments(0)

    2024年10月20日

    みたか太陽系ウォーク、今年は苦難の道のり。その1。


    みたか太陽系ウォーク。
    今年も、10月18日から始まりました。

    2022年からデジタルスタンプになったこの催し。
    最初の年は、GPSを受信してスタンプをゲットする方式でした。
    アプリの不具合でデジタルマップが使えなくなったり、スタンプ帳が消えてしまう人が出るなど、初年度はトラブルの連続。
    電波が微弱で、スタンプをゲットするのが難しい箇所が幾つかありましたが、根性でコンプリート。

    そして2023年。
    前年度の全てが修正され、GPSと、店頭ポスターに掲示されたQRコードを読み取るのとの併用型になりました。
    これが大変すばらしく、楽々とコンプリート。
    GPSが不正確で苦労した箇所もあったけれど、今思えば、去年の太陽系ウォークは、夢のようでした。

    今年、2024年。
    GPSによってスタンプを取得するやり方がなくなりました。
    店頭ポスターに掲示されたQRコードを読み取る方式のみです。
    そして、これは、地獄の変更でした。
    GPSならば、その店の近くに行けば、アプリに反応があり、簡単にスタンプを取得できました。
    しかし、今回、確実にその店の前に立ち、ポスターのQRコードを読み取らなければなりません。

    使えるのは、GPSによるデジタル地図のみ。
    GPSには誤差があります。
    十分その場所に近づいてデジタルマップも十分に拡大すれば正確なのですが、中途半端な距離から中途半端なサイズで地図を見ると、本当は道路の右側の店なのに、左側に表示されることなんか、ざらにあります。
    それでも、路面店ならまだましですが、どこかのビルの2階にある、お店ではない何かの事務所がスタンプポイントの場合の難度の高さ!
    そもそもそのビルが、どこにあるのかわからない。
    どこが入り口なのかも、わからない。
    そういう苦闘が繰り返されました。
    GPSをキャッチするだけの仕様ならば、互いの誤差を含みこんで、広い範囲で取得できたのですが。

    というわけで、以下は苦闘の記録です。
    スタンプを取得できず諦めた方に、何かヒントになればと。


    ◎10月19日(土) 23ポイント取得。
    初日は、3時間ほど、まずは三鷹中央通りを集中してスタンプを集めました。

    076 市民協働センター。
    ここは、外の掲示板にもポスターが貼られていたらしいのですが、私は気づかず、施設の中へ。
    入口にも、ポスターはありました。
    しかし、QRコードが読み取れない・・・。
    色々試し、スマホの向きを少し変えたら、何とか反応しました。
    ポスターからある程度距離を取り、ポスターと平行にスマホをかざすのが最善のようです。
    最初のスタンプを取得するまでに、10分以上かかりました。
    前途多難の予感がします。

    077 アライ薬局。
    店の外にポスターがあり、自転車に乗ったまま、ゲット。
    ありがたいです。
    1メートルくらい離れていても、QRコードは読み取れる。
    というか、むしろ、そのほうが反応がいいくらい。
    こういう路面の、しかも目の高さの位置にポスターを掲示してくださっているお店には、感謝しかありません。
    本当にありがとうございます。

    075 ローズアンドエム。
    菓子店のようでした。
    ここは、外にはポスターがありませんでした。
    店内に入ると、右側にポスターがありました。
    商品を買わないのに店内に入るのは、本当に申し訳ない。
    昨年までのGPS方式ではないことが、個々のお店に伝わっていないのだろうか?
    これだと、お店の開店時間しか、スタンプを取得できないですね。

    043 ファミリーマート三鷹中央通り商店
    ポスターは店内のレジ横でした。

    044 三鷹国際交流協会
    ファミリーマートの南隣りの黒っぽいビルの4階でした。
    住人用の駐輪場を通り抜けて、左手のエレベーターで4階へ。
    エレベーターを出るとすぐ協会の入口で、そこにポスターがありました。
    ここも、休館日などは、スタンプを取得できない場所かもしれません。

    047 クロックキッズイングリッシュ
    フレンドビル4階。
    交差点の角の白いビルでした。
    これも、4階までエレベーターで上がって、スタンプをゲット。

    025 株式会社プロネットサービス
    ビル名の記載がなく、2階とのみ。
    あまりにもわからないので、会社名で検索をかけました。
    ここは、三鷹中央通りの、名取屋が1階に入っている、今は外壁工事中のビルの2階にありました。
    名取屋興産ビルというらしいですが、何しろ外壁工事中なので、わかりにくいです。
    名取屋と、隣りのトモズ薬局との間に、暗い入口があります。
    ドアを開けて、階段を登って、長い廊下をしばらく歩いて左に曲がると、事務所がありました。
    事務所のガラス戸に、QRコードは掲示されてありましたので、休みの日でもスタンプは取得できました。

    024 OneSelf 三鷹本店
    ここは、ビルの2階。
    外階段を登って、テラス的なところにポスターが掲示されてありますので、場所さえ特定できれば、比較的簡単です。
    先ほどの名取屋、トモズ、そして電機屋さんの並ぶ一角が終わったところで角を左に曲がると、右手にすぐ見えてくる白いビルです。

    土曜日はここで終了。
    うちの教室のすぐ近くです。


    ◎10月20日(日) 47ポイント獲得。合計70/117
    082 Boulangerie hiro
    パン屋さんです。
    ポスターは店内。
    水曜定休とのこと。
    外からは取得できません。

    今日は新川エリアをクリアすることが第一目標です。
    その途中で、いくつかスタンプを取得。

    097 wata 焼き菓子
    去年、ここのGPSが最初の頃はズレていて、私は、地理的には全く関係のない杏林大学の東南で、微かな電波をようやくキャッチしたのでした。
    今年は、正しい位置にありましたが、それでもちょっとわかりにくく、行ったり来たりして、ようやくゲット。
    お店は休みでしたが、ポスターは外に掲示されてありました。
    ありがとうございます。

    110 御菓子司さかい
    和菓子屋さんです。
    ここも、ポスターは店内。
    奥からお店の人が出てきて、申し訳なかったです。
    火曜日定休。臨時休業あり。

    111 イナギ薬品・いなぎスポーツ
    GPSが例によって少しズレていて、道路の反対側ばかり見ていたら、通り過ぎました。
    十分に近づいて、十分に拡大すれば、正しい位置に表示されます。
    お休みでしたが、ポスターは外に掲示されていました。
    ありがとうございます。

    108 花と緑の広場
    去年は、ここのコスモス畑に癒されました。
    トイレもあります。
    今年の6月に、一部閉鎖されたとのことで、随分狭くなり、花もまばらになっていました。
    何があったんだろう。

    それから、三鷹台近辺のポイントをすべて順調に取得し、井の頭公園駅へと向かいました。

    084 吉村昭書斎
    新しい施設なので、どこにあるのか、わからない・・・。
    何往復もして、ようやく発見。
    上の画像がそれです。
    三鷹台駅から井の頭公園駅へと線路沿いの道を進むと、井の頭公園駅にほど近いところの左手にありました。
    渋い色の建物なので、目に入らなかった・・・。
    看板も地味でセンスが良くて、目に入らなかった・・・。
    吉村昭。
    『高熱隧道』しか読んだことがないけど、あれは面白かった。
    晩年を三鷹で過ごした方なのですね。
    窓ガラスにポスターが掲示されてあり、休館日も取得できそうです。

    085 末廣屋喜一郎
    和菓子屋。
    日曜定休。
    シャッターが完全に閉じられていて、ポスターはおそらく、店内。
    井の頭で、これはつらい・・・。
    遠いのに、また行かなければならないです。
    私が呆然と立っている間も、3人ほど、太陽系ウォークの人がやってきて、ため息をついて去っていきました。

    086 栗原ストアー
    学生時代、よく買い物をしたスーパー。
    日曜定休。
    ここも、ポスターは店内のようです。
    取得できず。
    GPSでは取得できなくなったこと、参加店に完全に周知されているのかなあ・・・。
    日曜日しか遠出できない人は、どうしたらいいんだろう。
    私は、平日にまた来ることができますけれど。

    気を取り直して。
    三鷹の森ジブリ美術館。
    ここは普通のスタンプポイントではなくなりました。
    今年は、子ども向けの、紙に押すスタンプのポイントなんですね。
    スタンプは、美術館の出口にありました。
    結構わかりにくいです。

    さて、ジブリ美術館前の道路を南下。
    まずは、南下する際の左側の店のポイントを取得していきました。

    061 フランス菓子ルリス
    休業していました。
    ポスターは店内のようで、取得できず。
    月曜・火曜定休で、その他臨時休業あり。
    それでも、ポスターは店内。
    これは、つらい・・・。

    やはり、参加するお店の人に、GPSで取得する方法がなくなったことが周知されていないのかもしれません。

    さて、横断歩道を渡って、今度は同じ道路を北上しながら、左側の店のスタンプを取得していきます。
    ポスターは外壁に貼られ、しかも目の高さの店舗多数。
    ありがとうございます。
    本当にありがとうございます。
    ポスターがあまり低い位置にあると、しゃがみこんでスマホをかざさなければならず、なかなか反応しなかったりするのです。

    特筆すべきは、去年、GPSがズレていて、本当に苦労した「田中ふとん店」が、実は、この道路に面した路面店であったこと!
    びっくりしました。
    去年は何度拡大しても、すぐ近くのオートバイ屋さんの奥、道路と道路の間に存在していることになっていたのです。
    ビルなんて存在しない地域なのに、どこかのビルの2階にでもあるのかという位置に。
    GPSが間違っていると、スマホになかなか反応せず、周囲をぐるぐる回りました。
    10分以上もうろうろした記憶があります。

    さて、足を伸ばして、みたか井心亭は、壁にポスターがあり、楽にゲット。
    ありがたいです。

    そこから、さくら通り沿いのお店のスタンプを順調にゲット。
    唐揚げ弁当屋さんは、レジ横にポスターがありました。
    行列ができていた中で、何とかゲット。
    お邪魔しましたー。

    034 NPO 法人グレースケア機構
    路面店のわけがないので、難しい・・・。
    うろうろと行ったり来たり。
    ようやく、2階に「グレースケア」と窓に描かれている建物を発見。
    遠いな。向かい側の道かな・・・。
    と思ったら、道路沿いの壁に、ポスターが掲示されてありました。
    三鷹駅を背に南下しているときなら、見つけることができる位置でした。
    ありがとうございます!

    035 社会福祉法人三鷹ひまわり会 三鷹ひまわり第三共同作業所
    これも、難しい。
    地図を最大限拡大することがまず肝要。
    そのうえで、三鷹駅から南下していく道を左に曲がるとすぐ、無人販売所のような屋台があり、そこにポスターが提げられていました。
    ありがとうございます!
    路面店と違うので、ここを取得するのは難しいかも・・・と不安だったのですが、無駄足にならずに済みました。
    やはり、福祉系の組織は配慮が別格だ、と感じた2つのスタンプでした。

    というわけで、合計70ポイントになったところで、本日は終了。

    来週に続きます。


      


  • Posted by セギ at 20:29Comments(0)

    2024年10月19日

    高校数学B 数学的帰納法と不等式の証明。


    今回は、数B「数列」の単元の終わりのほうにある、数学的帰納法の話です。
    こんな問題です。

    問題
    nが2以上の自然数のとき、次の不等式が成り立つことを証明せよ。
    1+1/2+1/3+・・・+1/n>2n / (n+1)

    ( )は、見やすいようにつけました。( )の部分が、右辺の分母です。


    さて、この問題、数学的帰納法を用いる不等式の証明問題としては基本問題ですが、わからない子は本当にわからない、という状態に陥りがちです。
    わからないことを自覚しているのなら、理解してわかるようになればいいのですが、何か誤解し、自分が誤解していることに気づかない、ということも多くなってきます。

    ある子の答案。

    1+1/2+1/3+・・・+1/n>2n / (n+1) ・・・①
    【1】n=2
    1+1/2>2・2 / (2+1)
    3/2>4/3
    成り立つ。
    【2】n=k
    1+1/2+1/3+・・・+1/k>2k / (k+1)
    n=k+1
    1+1/2+1/3+・・・+1/k+1 / (k+1)>2(k+1) / (k+1+1)
    2k / (k+1)>2(k+1) / (k+1+1)
    1+1/2+1/3+・・・+1/k+1 / (k+1)>2(k+1) / (k+1+1)
    ①は成り立つ。


    ・・・この子は、何を書いているのだろう?

    呆然と答案を見る私に、その子は、
    「ちょっと書き方が違うんですけど」
    と、あたかも、それが若干のスタイルの違いであるかのように言い訳したのですが、そんなレベルのことではないのです。
    そして、本人がそれに気づいていないことが、この課題の根深さを物語っているのでした。

    これは、教科書の例題などの模範解答を模倣しようとして、その根本にある理屈を理解していないために起きている、数学答案の形骸化です。

    答案の冒頭から見ていきましょう。
    このブログでも、繰り返し書いてきたことですが、まだ証明していない式を、あたかも事実であるかのようにするっと答案に書くことはできません。
    不等式を解く計算問題ならば、その不等式が成り立つのは事実なのですが、証明問題は、その不等式が本当に成り立つのかどうかは現時点で不明であり、それをこれから示していくのです。
    それなのに、1行目でいきなり、

    「1+1/2+1/3+・・・+1/n>2n / (n+1) ・・・①」

    と書いてしまうのは、数学が苦手な子に多い傾向です。

    「1+1/2+1/3+・・・+1/n>2n / (n+1) ・・・① を証明する。」

    と書くのならばいいのですが、その2つがどう意味が異なるのか、解説しても伝わらない・・・。
    幾度解説しても、どうしても、上のような書き方が改まらない・・・。
    数学が苦手な高校生との授業で、しばしば起こる断絶です。

    これも幾度も書いてきたことですが、彼らは、
    「数学の答案にそんなに日本語を書く必要はない」
    という間違った認識を持っています。
    高校数学の答案、まして証明問題ならば、式より日本語のほうが多いこともあって当然、という常識が伝わらないのです。
    数学は式だけ書くもの、と固く信じて疑わない。

    次に、

    【1】n=2
    1+1/2>2・2 / (2+1)
    3/2>4/3
    成り立つ。

    の部分。
    これも、答案の書き方としては、かなりまずいのです。
    本人はわかってやっているのだと思うのですが、読む者に、それが伝わらないのです。
    不等号の使い方自体は間違っていないのですが。

    模範解答としては、
    【1】n=2のとき
    左辺=1+1/2=3/2
    右辺=2・2 / (2+1)=4/3
    よって、左辺>右辺となり、①は成り立つ。

    こう書けば、何のために何をしているのかがよく伝わるのですが、こういう答案を「解説」と誤解し、自分が実際に書くものだと思っていない子は多いです。
    それを単なる「スタイルの問題」と思っているところが、根深い。
    客観性ということが、まだあまり理解できていないのではないか、と思うこともあります。
    自分がわかるんだから、他人もわかって当然、と思ってしまう。
    わからない他人は、意地悪な人なので、相手にする必要はない、とまで思ってしまっているかな?
    さすがに、それはないでしょうか。

    そして、スタイルの問題でも何でもなく、完全に誤答なのが、以下の部分です。

    【2】n=k
    1+1/2+1/3+・・・+1/k>2k / (k+1)
    n=k+1
    1+1/2+1/3+・・・+1/k+1 / (k+1)>2(k+1) / (k+1+1)
    2k / (k+1)>2(k+1) / (k+1+1)
    1+1/2+1/3+・・・+1/k+1 / (k+1)>2(k+1) / (k+1+1)
    成り立つ。

    最初の2行は、かろうじてわかるのです。

    【2】n=kのとき
    1+1/2+1/3+・・・+1/k>2k / (k+1) が成り立つと仮定すると、

    と、ここでも日本語を書き加える必要はあるのですが。
    問題は、その後。

    n=k+1
    1+1/2+1/3+・・・+1/k+1 / (k+1)>2(k+1) / (k+1+1)

    これは、何なのだろう・・・。
    これ、答案の下から2行目と同じ式です。
    本当に言いたいことは、確かにこれなのです。
    証明したいことをするっと書いてしまっているだけなのか?
    それとも、何か誤解しているのか?
    ここが核心です。

    【2】n=kのとき
    1+1/2+1/3+・・・+1/k>2k / (k+1) が成り立つと仮定すると、
    n=k+1のとき
    1+1/2+1/3+・・・+1/k+1 / (k+1)>2(k+1) / (k+1+1)

    これが当然そうなると、思い込んでいるだけなのではないだろうか?
    n=kのときに成り立つのだから、n=k+1のときも当然成り立つのだと、信じ込んでいないだろうか?
    でも、本当にそうなの?
    それを証明しようとしているのではないの?
    そんなことが当然言えるのなら、そもそもこんな証明は不要なのに、頭の中で、つながるべきではない部分が癒着してしまっているのではないか?

    1+1/2+1/3+・・・+1/k>2k / (k+1) が成り立つと仮定したときに言えることは、そんなことではありません。
    この不等式が成り立つと仮定して、そこからいえることは、両辺に1/(k+1) を加えた式です。
    それは不等式のルールです。
    不等式の両辺に同じものを加えても、その不等式は成立します。
    だから、答案として書くべきことは。

    【2】n=kのとき
    1+1/2+1/3+・・・+1/k>2k/(k+1) が成り立つと仮定すると、
    n=k+1のとき
    1+1/2+1/3+・・・+1/k +1/(k+1) > 2k/(k+1) +1/(k+1)

    です。
    仮定した式の両辺に、1/(k+1) を加えました。
    これなら、言えます。

    でも、本当に証明したい不等式の右辺と、今書いた不等式の右辺は、違うものですね。
    ここが、数学的帰納法を用いた不等式の証明の核心です。

    本当に証明したい不等式は、A>C なのだとして、
    でも、仮定から言えることは、A>Bでしかないのだとしたら、どうしたらいいのか?

    BとCの大きさ比べをしたらいいのです。
    B>C を言うことが、もしできたら、
    A>B はもともと言えるのですから、
    A>B>C
    というふうに、不等式を連結することが可能です。
    それはすなわち、途中のBを抜いて、
    A>C だということです。

    これが、数学的帰納法を用いた不等式の証明の基本構造です。

    ところが、学校の授業を受けた場合に。
    あるいは、独学で教科書の例題や問題集の解答解説を読んだ場合に、
    BとCが式としても似通っているので、見間違う、ということが起こるようなのです。
    BとCを同一視してしまうのです。
    そこから、
    あ、A>C って、すぐに書いていいんだ、という誤解が生まれるようなのです。

    そうだよねー。
    n=k のときに成り立つんだから、そりゃあ、n=k+1のときも成り立つよねー。

    と、そういうことについては、なぜか全く疑義を挟まない思考傾向もあって、完全な誤解がそこに生じるのだと想像されます。
    n=k のときに成り立つからといって、n=k+1 のときに成り立つとは限らないから、証明しようとしているんです。
    実際には成り立つんですけど、それは証明してから言うことであって、何の根拠もないのに言っていいことではないのです。

    しかし、こういう理屈は、一旦誤解してしまった子には、ほぼ理解不能のようなのです。
    私の書く板書を呆然と見つめ、全く言葉を発しません。
    何1つ理解できない様子を示します。
    それは、自分がそれまで正しいと思っていたことを全否定されていることでもありますので、理解するのは難しいことなのでしょう。
    何をどう考え直せばいいのかすら、わからない。
    自分が、学校の授業で理解したことを、間違っていると言うのだろうか?
    学校では、そう教わったのに!

    いやいやいや、学校でも、そんなことは、教わっていません。
    あなたが、何が誤解したのです。
    何か見間違えたのです。
    早く、それに気づいてほしいのです。

    あるいは、どこまでも自分の答案にこだわり、自分の答案のどこを少しだけ直せば正解になるのかと、そんなことを考えてしまうこともあるようです。
    いや、根本的に間違っている答案なので、根本的に改めてほしいのです。
    A>B>C から A>C を示そうとしているという大筋を理解していない限り、何をどう書いても、間違いなのです。

    さて、模範解答を続けます。
    【2】n=kのとき
    1+1/2+1/3+・・・+1/k>2k/(k+1) が成り立つと仮定すると、
    n=k+1のとき
    1+1/2+1/3+・・・+1/k +1/(k+1) > 2k/(k+1) +1/(k+1) ・・・②

    すなわち、さきほど解説したA>B>Cでいえば、この式の左辺がAで、右辺がBです。
    では、本当に証明したいCは、何か?
    2(k+1) / (k+1+1)
    ですね。
    だから、B>Cであることを示すために、ここで引き算をします。
    これは、数Ⅱ「式と証明」で学習した、不等式の証明の基本的なやり方でした。
    B-C>0 であることを示すことができれば、B>C です。

    すなわち、
    2k/(k+1)+1/(k+1)-2(k+1) / (k+1+1)
    さあ、これを計算していきましょう。
    =(2k+1) / (k+1)-2(k+1) / (k+2)
    通分します。
    =(2k+1)(k+2)-2(k+1)^2  / (k+1)(k+2)
    分子を展開して整理します。
    =2k^2+5k+2-2k^2-4k-2  / (k+1)(k+2)
    =k / (k+1)(k+2)>0
    k≧2ですから、分子も分母も正の数となり、確かに0より大きいですね。
    よって、
    2k/(k+1)+1/(k+1) > 2(k+1) / (k+1+1) ・・・③

    ②、③より、言いたかったA>Cが言えました。

    さて、もう一度初めから、答案として整理すると、

    1+1/2+1/3+・・・+1/n>2n / (n+1) ・・・① を証明する。
    【1】n=2のとき
    左辺=1+1/2=3/2
    右辺=2・2 / (2+1)=4/3
    よって、左辺>右辺となり、①は成り立つ。
    【2】n=kのとき
    1+1/2+1/3+・・・+1/k>2k/(k+1)が成り立つと仮定すると、
    n=k+1のとき
    1+1/2+1/3+・・・+1/k +1/(k+1) > 2k/(k+1) +1/(k+1) ・・・②
    ここで、
    2k/(k+1)+1/(k+1)-2(k+1) / (k+1+1)
    =(2k+1) / (k+1)-2(k+1) / (k+2)
    =(2k+1)(k+2)-2(k+1)^2 / (k+1)(k+2)
    =2k^2+5k+2-2k^2-4k-2  / (k+1)(k+2)
    =k / (k+1)(k+2)>0
    よって、
    2k/(k+1)+1/(k+1) > 2(k+1) / (k+1+1) ・・・③
    ②、③より、
    1+1/2+1/3+・・・+1/k +1/(k+1) > 2(k+1) / (k+1+1) 
    すなわち、n=k+1 のときも、①は成り立つ。
    【1】【2】より、2以上のすべての自然数において、①は成り立つ。

    となります。

      


  • Posted by セギ at 15:39Comments(0)算数・数学

    2024年10月13日

    中学数学「反比例」。大問の横の文を読まない子。


    真面目に数学を勉強しているように見えるし、理解しているように見える子の足元に深淵が広がっている話は繰り返し書いてきましたが、そうした子の1つの特徴が、問題文を読まないことです。
    例えば、こんな問題。
    これは、中1「反比例」に関する問題です。

    問題 次の x , y の関係を式に表せ。また、y が x に反比例するものにはその比例定数を、反比例しないものには × をかけ。
    (1) 底辺が x ㎝、高さが y ㎝の三角形の面積は15㎠ である。
    (2) 周の長さが20 ㎝ の長方形の縦の長さを x ㎝、横の長さを y ㎝ とする。 
    (3) 800 m 離れた地点へ、分速 x mで歩いていくと y 分間かかる。
    (4) 1日の昼の長さが x 時間のとき、夜の長さは y 時間である。
    (5) 内のりが縦1㎝、横8㎝、深さ 6㎝ の直方体の形をした空の容器に、毎秒 x ㎤ の割合で水を入れると y 秒間で満水になる。

    すると、ある子の解答は、

    (1) y=15 / x
    (2) y=20 / x
    (3) y=800 / x
    (4) y=24 / x
    (5) y=480 / x

    と、見事に全て反比例の式を書いていました。
    1日は24時間であることを活用できていることや、容積の計算はできることなど、随所に頭の良さは感じるのですが、正答は10問中わずか2問。
    そう、問題が実質10問であることに、まず気づいていないのでした。
    問題文に「また」という表現があるときは、要注意なのです。

    答え合わせでは、(1) から違和感がありました。
    (1) は、y は x に反比例するのは事実ですが、比例定数は15ではありません。

    「本当に15ですか?・・・いきなり y=a / x の式を立てようとしなくていいんですよ。まず、意味のわかる式を自分で立てて、それを y について解くんです」
    「・・・」
    「三角形の面積の式を考えてみましょう。x や y を使うと、どうなりますか」
    「x×y÷2=15」
    「うん。そうね。でも、÷2 は、そろそろやめましょう。式の変形をするときに、多分、自分が困るから。×1/2 のほうが扱いやすいですよ。文字式や方程式は、÷ の記号は基本的には使わないのです。文字式のルールは、これから一生使うルールです。この先の単元でも、高校数学でも、文字式のルールは一生です。文字式の単元が終わったから、このルールはもう終わり、ということはないのです。わり算は分数のかけ算で表します。さきほどの式を文字式のルールで並べ直すと?」
    「1/2xy=15」
    「はい、それを y について解いてください」
    「・・・」
    「まず、両辺を2倍すると?」
    「xy=30」
    「いいですね。その関係があるなら、反比例ですね。では、求める式はどうなりますか」
    こういう解説がすんなり理解でき、問われたことに答えられるところも、頭の良さを感じます。
    ここでうろたえてわからなくなる子ではないのです。
    「y=30 / x」
    「はい。三角形の面積のときは、簡単にはいかないことだけでも覚えておきましょう。では、比例定数は?」
    「え?・・・あ、30」
    「・・・はい。正解です」
    うん?
    比例定数を聞かれることを予期していない?
    この子、問題文を読んだのかな?

    そして、(2) の答え合わせ。
    (2) 周の長さが20㎝の長方形の縦の長さを x ㎝、横の長さを y ㎝とする。 
    という問題でした。
    その答えを、
    y=20 / x
    としていたのです。

    「・・・これは、反比例ではないですよ。問題を読んでいますか?」
    「え?」
    やはり、問題を読まずに解いていたのです。
    どうせ全部反比例だと思い込んだのでしょう。

    大問番号の横の文を読まず、いきなり(1) から解き始める子は、中学1年生には特に多いです。
    重要な情報がそこに盛り込まれていることを、知らないのです。
    国語の大問の下は「次の文章を読んであとの問に答えなさい」といった、読んでも読まなくてもいいようなことしか書いていないことが多いです。
    それが全教科に通用すると思っているのか、数学も、大問番号の横の文を読まないのです。
    数学の場合、大問番号の横に書いてある文には重要な情報があり、それを読まないと正解できない問題が多いのですが。

    ひどいときは座標平面が問題に描いてあれば、それしか見ない。
    図形が描いてあれは、それしか見ない。
    そういう子もいます。
    問題文を全く読まないのです。
    そして、情報が足りず、うんうんうなって解けないのですが、「問題文を読みなさい」と言われない限り、問題文に目を移さない。
    それでは、永久に数学の問題を解けるようになりません。

    高校数学になっても、大問番号の横に書いてある情報に気づかない子もいます。
    「a>0 と書いてあるでしょう?」
    「え。どこにですか」
    「大問の横」
    「ああっ」

    「0≦θ≦π と書いてありますよ」
    「え。どこにですか」
    「大問の横」
    「おおっ」

    こんな会話が繰り返されることもあります。
    ただ、高校生になると、さすがに問題文を読むようになる子のほうが多く、問題文を読みなさいとか、座標平面だけ見ていても解けませんよとか、そんなレベルの助言は必要なくなることのほうが多いのです。
    中学の最初の頃に、それで失敗し、だんだんと身についていくのだろうと思います。


    もう1つの課題は、中学の数学の問題を小学校の計算ドリルか何かと混同しているのではないかということ。
    小学校の計算ドリルならば、1問目がひき算なら、そのページの全問がひき算ということは多いでしょう。
    何にも頭を使わない。
    同じことを同じようにするだけの練習。
    作業手順を叩き込むような練習です。
    でも、中学の数学の問題は、そうではないのです。
    (1)と(2)は、別の解き方をしなければならないことがあります。
    1問1問、考えて解くのです。
    そのことを、まだ理解していない中1は多いです。
    今は反比例を学習しているのだから、どうせ全部反比例だと思い込んでしまうのです。

    小学校では通用したことが、中学では、通用しない。
    それに早く気づけば、それだけ早く、中学数学の学習がスムーズになります。


    ちなみに、冒頭の問題。
    問題 次の x , y の関係を式に表せ。また、y が x に反比例するものにはその比例定数を、反比例しないものには × をかけ。
    (1) 底辺が x ㎝、高さが y ㎝の三角形の面積は15㎠ である。
    (2) 周の長さが20 ㎝ の長方形の縦の長さを x ㎝、横の長さを y ㎝ とする。 
    (3) 800 m 離れた地点へ、分速 x mで歩いていくと y 分間かかる。
    (4) 1日の昼の長さが x 時間のとき、夜の長さは y 時間である。
    (5) 内のりが縦10 ㎝、横8 ㎝、深さ 6 ㎝ の直方体の形をした空の容器に、毎秒 x ㎤ の割合で水を入れると y 秒間で満水になる。

    これらの解答と解説は、
    (1) y=30 / x 比例定数30
    解説は上に書きました。

    (2)y=-x+10 ×
    長方形の周は、縦2本、横2本の合計で構成されています。
    だから、縦と横、1本ずつの和は、20㎝の1/2の10㎝。
    x+y=10 をyについて解いて、
    y=-x+10 です。
    y=10-x でも間違いではないですが、関数は、x の文字を含む項を先に書きます。
    そのほうが、どんな関数であるか、ひと目でわかるからです。
    この式は、中2で学習する1次関数の式です。
    これは反比例ではないので、×。

    (3) y=800 / x 比例定数800
    速さ×時間=道のり ですから、x×y=800。
    xとyの積が一定のときは反比例です。

    (4) y=-x+24 ×
    1日は24時間。
    1日は、昼の時間と夜の時間で構成されています。
    だから、x+y=24
    これをyについて解いて、y=-x+24
    これは反比例ではないので、×。

    (5) y=480 / x 比例定数480
    直方体の容器の容積は、縦×横×深さですから、
    10×8×6=480 (㎤)
    1秒当たり x ㎤の水を入れると y 分で満水になるので、
    x×y=480
    x と y の積が一定なので、これは反比例です。

      


  • Posted by セギ at 08:39Comments(0)算数・数学

    2024年10月06日

    高校英語。長文読解。自分の主観で読んでしまう。


    国語の現代文の読解もそうですが、英語長文も、自分の主観で読んでしまい、文脈に気づかない、筆者の考えが読み取れないということがあります。
    今回は、そんな話です。
    まずは、英語長文の一部を抜粋します。

    After reading about the incident, Tomoyuki Tanaka , a producer at Toho Studios, came up with a story line that centered on a prehistoric monster that is awakened from a centuries-long sleep following a nuclear test. Godzilla appealed to the sentiment of the time and more than 9.6 million people went to the cinema to see it. This success encouraged Toho to approve a second movie that was released just six months later.
    "The story of the first Godzilla was strongly tied to nuclear threats of the time." Takahashi said. "Godzilla was created as a nuclear monster, but over time the monster has stopped being a symbol of nuclear destruction. Instead it has become a shallow entertainment.
    The first few movies of the series were based around a core theme. They questioned the very meaning of Godzilla and the monster's creation. Eventually, however, the series focused on kaiju (monsters) battling against one another. It was never the same again."

    問 According to Professor Takahashi
    A. the original meaning of Godzilla was lost in later films.
    B. the later Godzilla movies are more entertaining than the early ones.
    C. Hollywood versions of Godzilla are not as good as the Japanese movies.
    D. monsters fighting each other is always great entertainment.

    文章は途中から抜粋しましたが、この前は、ビキニ環礁での核実験により第五福竜丸が被爆した事故のことが書かれています。
    引用冒頭の the incident は、それを指します。

    さて、この英文、やはり、高校レベルの基本単語が身についていない生徒は、読むことができません。
    特に、nuclear の意味がわからない場合は、どうにもなりません。
    ただ、Godzilla が「ゴジラ」のことであるとわかり、映画「ゴジラ」について基礎知識があれば、ある程度は読めるかもしれません。
    今の高校生は、昭和29年の第1作「ゴジラ」、そしてゴジラ映画の根底にあるものを知っているでしょうか。

    ともあれ、1文ずつ、読んでいきましょう。

    After reading about the incident, Tomoyuki Tanaka , a producer at Toho Studios, came up with a story line that centered on a prehistoric monster that is awakened from a centuries-long sleep following a nuclear test.

    1文目から長い。
    でも、日本語の順番に整える必要はありません。
    前から順番に意味を取っていきましょう。
    「意味のわからない単語はありますか」
    「Toho Studios」
    「大文字で始まるから、固有名詞でしょう。そのまま頑張って音読してみて」
    「トホー・ストゥディオス」
    「おお・・・。何のことだと思いますか?」
    「わかりません」
    「じゃあ、まあいいですよ。そういう固有名詞のところのプロデューサーなんですね。プロデューサーはわかる?」
    「何となく・・・」
    「他にわからない単語は?」
    「prehistoric」
    「pre-historic は、pre という接頭語がついているという分析ができれば意味がわかると思います。historic の意味は?」
    「歴史的な」
    「では、prehistoric の意味は?」
    わかりません」
    「そうか。じゃあ、それもまあ大丈夫。他には?」
    「story line」
    「うん。それも、そのままで大丈夫。came up with はわかる?」
    「思いつく」
    「いいね。勉強してますね。では、前から順番に、日本語にしてください。わからないところは英語のままでいいです」

    After reading about the incident, Tomoyuki Tanaka , a producer at Toho Studios, came up with a story line that centered on a prehistoric monster that is awakened from a centuries-long sleep following a nuclear test.

    「そのインシデントについて読んだ後、ともゆき・たなか、トホー・ストゥディオスのプロデューサーは、思いついた。ストーリーラインを。プレヒストリックなモンスターが中心の。何世紀の長さの眠りから起きた。核テストに従って」
    「うん。まあ大丈夫だと思います。核テストって、何ですかね?」
    「あ。核実験」
    「うん。次の文に行きましょう」

    Godzilla appealed to the sentiment of the time and more than 9.6 million people went to the cinema to see it.

    「Godzillaって、わかる?」
    長い沈黙の後、
    「・・・あ、ゴジラ!」
    「そうそう。それがわかれば、この文章、何の話なのか、大体わかりますね。日本語にしてください」
    「ゴジラはアピールした。そのときのセンチメントに。そして、960万人より多い人々がそのシネマを見に行った」
    「シネマって、何でしょうね」
    「・・・映画?」
    「うん。では、先ほどのトホー・ストゥディオスって、何でしょうね」
    「え・・・」
    「ゴジラを作った映画会社でしょう。どこの映画会社が作っているか、知っている?」
    「知りません」
    「トホーと音が似ている映画会社、ありませんか?」
    「わかりません」
    「・・・そうですか」

    This success encouraged Toho to approve a second movie that was released just six months later.

    「この成功は励ました。トホーを。2つ目の映画をアプルーブすることを。リリースされた。6か月後に」
    「うん。意味はわかりますか」
    「大体・・・」

    "The story of the first Godzilla was strongly tied to nuclear threats of the time." Takahashi said.

    Takahashi というのは、この文章の中でコメントしている高橋教授という方です。
    最後の問は、この高橋教授の意見を選んで答えるものです。
    それはともかく。

    「『最初のゴジラの物語は、強く結びついた。核の脅威に。そのときの』と高橋は言った」
    「いいね。単語をよく覚えていますね」

    "Godzilla was created as a nuclear monster, but over time the monster has stopped being a symbol of nuclear destruction.
    「ゴジラは作られた。核のモンスターとして。しかし、そのモンスターはやめた。シンボルであることを。核の破壊の」
    over time を訳していないですが、わからないところは無視するというのも、長文読解の1つの手段です。

    Instead it has become a shallow entertainment.
    「代わりに、それはなった。シャローなエンターテインメントに」

    The first few movies of the series were based around a core theme.
    「そのシリーズの最初のいくつかの映画は、ベースにした。コアなテーマを」

    They questioned the very meaning of Godzilla and the monster's creation.
    「彼らは、質問した。ゴジラの意味を。そして、モンスターの創造を」
    「・・・彼らではないです。they は、何を指すのかな?」
    「あ。最初のいくつかの映画」
    「そうです。最初のいくつかの映画は、ゴジラとそのモンスターの創造のまさにその意味を問うものだった」

    Eventually, however, the series focused on kaiju (monsters) battling against one another.
    「結局、しかし、そのシリーズは、焦点を当てた。怪獣の闘いに。互いの」

    It was never the same again.
    「それは2度と同じものではなかった」

    「はい。大体意味は取れています。では、問に答えましょう。最も適した選択肢は、AからDのどれでしょうか」

    問 According to Professor Takahashi
    A. the original meaning of Godzilla was lost in later films.
    B. the later Godzilla movies are more entertaining than the early ones.
    C. Hollywood versions of Godzilla are not as good as the Japanese movies.
    D. monsters fighting each other is always great entertainment.

    問 高橋教授によれば、
    A . ゴジラの本来の意味は、後の映画では失われた。
    B . 後のゴジラ映画は、初期のものよりももっと楽しい。
    C . ハリウッド版のゴジラは、日本の映画ほどよくない。
    D . 怪獣どうしの闘いは、いつもすばらしいエンターテインメントだ。

    その子の答は、「B」でした。

    つたないながらも主軸はブレることのない和訳をできた子なのに、なぜ、間違うのでしょうか。

    私は、昔の生徒たちのことを思い出しました。
    もう何年も前の生徒たちでしたが、センター試験の英語の過去問を解いていて、同じところだけ、3人が3人とも同じ間違いをしたのでした。
    それは、「若者が、近年、電車やバスの中で、イヤホンで音楽を聴いている」ことがテーマの文章でした。
    電車やバスの中でイヤホンで音楽を聴くのは、手軽に自分だけの世界に没入できるという利点はあるだろうが、それは、他人との関わりを拒否する姿勢である、というのが筆者の主張でした。
    その文章を読んで、筆者の主張としてもっとも適切な選択肢を選ぶ問題で、3人とも、
    「電車やバスの中でイヤホンで音楽を聴くと、手軽に自分の世界に没入できる」
    という選択肢を選んだのでした。

    Aではあるが、B。

    という譲歩構文を理解していない、という単純な問題もあるだろうと思います。
    Aではあるが、B。
    というとき、筆者が本当に言いたいのは、Bです。
    一般論として、Aという内容があるのは、知っていますよー。
    そこには、目が行き届いていますよー。
    わかっていますよー。
    でも、私が言いたいのは、Bです。
    そういう構造の文です。
    国語の現代文でも、英語長文でも、多く見られます。

    それは、1文の中でさらっと書かれていることもあれば、段落全部を使って、あるいは複数の段落を使って書かれることもあります。
    読む場合は、筆者が言いたいのはどちらであるか、注意しなければなりません。

    しかし、高校生は、その区別がついていない。
    さらに言えば、筆者の意見と自分の意見が混ざってしまうようです。
    自分が読んで好ましいほうが正しい意見であり、筆者も勿論その正しい意見を主張しているだろうと思い込んでしまうのでしょうか。
    筆者の意見は何であるかを問うているのに、そこの区別がついていないようなのでした。

    それは「事実」と「意見」の区別がついていないこととも関連があるのかもしれません。
    「事実」と「意見」を区別するだけの単純な問題が、共通テスト英語リーディング問題で出題されることがありますが、この正答率が案外低いのです。

    事実と意見の混同があるのですから、自分の意見と他人の意見の混同もあるのかもしれません。
    いや、自分の意見を事実と混同し、それは事実なのだから他人も自分と同じと思い込んでしまうことすらあるのかもしれません。

    では、上の文章で語られている、「高橋教授の意見」は何なのか?

    問 高橋教授によれば、
    A . ゴジラの本来の意味は、後の映画では失われた。
    B . 後のゴジラ映画は、初期のものよりももっと楽しい。
    C . ハリウッド版のゴジラは、日本の映画ほどよくない。
    D . 怪獣どうしの闘いは、いつもすばらしいエンターテインメントだ。

    正解は、Aです。
    後のゴジラ映画は、確かに楽しい怪獣プロレスになりましたが、それは、高橋教授が肯定的に語っている内容ではありません。
    でも、「エンターテインメントのほうが、核実験の恐ろしさを訴える真面目な映画よりも良い」という価値観に引きずられて、Bを選んでしまうのかもしれません。

    もう1つ言えば、これがわかれば文脈に気づくというパワーワードが1つありました。
    Instead it has become a shallow entertainment.
    「代わりに、それはなった。シャローなエンターテインメントに」

    このシャローは、「浅い」という意味です。
    単語集で覚えた単語だったのですが。
    残念。
    浅いエンターテインメント、という表現で、この文章は、ゴジラがエンタメ化したことに肯定的ではないことがわかります。


    今ときの高校生は、第一作「ゴジラ」の怖さ、そして、その面白さを知らない。
    敗戦後の日本の匂いがまだ濃厚で、その日本が、またも核の脅威にさらされたことへの絶望が画面から伝わります。
    モノクロ映画であることが効果的で、ゴジラが物凄く怖いのです。
    「ゴジラ」は、大人が見る映画でした。
    960万人が見に行ったというのは、尋常ではない数字です。
    今の感覚で見れば、特撮が拙いなどの不満はあるかもしれませんが、昭和29年であの出来栄えはむしろ尋常ではないと思うのです。
    「また疎開か」というつぶやき。
    与党がゴジラ関連の情報を伏せようとするのを徹底抗議する野党女性議員。
    ああ、これは戦後だ、と感じます。

    とはいえ、私自身は、怪獣プロレス時代のゴジラで育った世代なので、あれはあれで好きです。
    ゴジラの目がくりっとして優しい。
    人類の危機を何度でも救ってくれるゴジラでした。

    後に作られた「シン・ゴジラ」や「ゴジラ−1.0」は、第一作「ゴジラ」への敬意にあふれ、ゴジラの本質を残しながらのエンタメ化に成功したのですが、それはこの文章よりも後の話。
    むしろ今の高校生はそうした新作しか見たことがなく、自分の感覚とこの文章で語られていることとの齟齬に混乱した、ということもあるのかもしれません。
    ゴジラ映画が迷走していた時代を知らない。
    歴史を知らず、文脈も読めないと、そうなる可能性もあります。
    ゴジラ映画だって、歴史があるのです。

    ともあれ。
    大事なことは、文章を読むときは、自分の意見と文章内で語られる意見とを区別しましょう。
      


  • Posted by セギ at 14:43Comments(0)英語

    2024年09月28日

    クジラが魚でないのは、馬が魚でないのと同じだ。高校英語。比較。


    画像は、キバナアキギリ。

    さて、
    「クジラが魚でないのは、馬が魚でないのと同じだ」
    この例文が非常に有名であることから、クジラ構文、あるいは「クジラの公式」と呼ばれているものがあります。
    「馬が魚でないのと同様に、クジラは魚ではない」
    と後ろから訳すこともありますが、意味は同じです。
    意味が同じなら、前から順番に意味を取っていくほうが楽ですね。
    英語にも直しやすいです。

    A whale is no more a fish than a horse is.

    高校生になっても、中学で学習した英文法のみ理解し、
    「自分は基礎はわかっている」
    と思っている高校生は一定数います。

    確かに、共通テストでは文法問題は出題されませんし、英文科や国際コミュニケーション学科などでは、筆記試験は読解問題や課題英作文のみで、文法問題は出題されないこともあります。
    一方、特に私立大学では、英文科以外の学科で、今もなお、英語の筆記試験は、長文読解問題と文法の短問集、という形式の学部学科も多いです。
    過去問を解く頃になってようやくそのことを自覚し、文法の短問に歯が立たないことに浮かない顔になる。
    そんな生徒もいます。

    大学入試問題の文法・語法の短問は、大学の難度にもよりますが、かなり厄介で、全問正解は到底望めないことも多いです。
    そんな熟語、一度も見たことがないが?
    と言いたくなるような、重箱の隅をつつく難問も、相変わらず出題されています。
    しかし、そういう問題は、自分が解けないのと同様に、他人も解けないのです。
    課題となるのは、他人は解けるのに自分は解けない問題。
    その問題は、基本でしょう、よく知られているものでしょう、という問題で、決して失点しないことです。

    クジラ構文を知らないなんて、受験生の名折れですよー。
    はいはい、クジラ構文ですね、はい、正解できます、ごっつぁんです。
    そういう問題としてクリアしたいです。

    クジラが魚でないのは、馬が魚でないのと同じだ。
    個々の問題を見てもピンとこなくても、この日本語訳を見ると、ああ、そんなの習った気がする・・・という人は多いと思います。

    A whale is no more a fish than a horse is.

    構造としては、
    A is no more B than C is D.
    AがBでないのは、CがDでないのと同じだ。
    となります。
    ただし、BとDが同一のものであることが多く、その際にDは省略されます。
    上の文も、省略しなかったら、
    A whale is no more a fish than a horse is a fish.
    となりますが、英語は同じ言葉の繰り返し使用を嫌いますので、最後の a fish は省略されます。

    構造の理解としては、否定語 no が一度使われていますので、これで否定文です。
    主語である a whale が否定されますので、「クジラは魚ではない」という情報をまず正確に受け止めてください。
    とりあえず、クジラは魚ではない。
    それも普通の否定の仕方ではなく、絶対に魚ではない、と強く否定したい。
    どれくらい強く否定したいかというと、「馬が魚である」こと以上に否定したい。
    馬が魚であるわけがないので、それ以上に、クジラは魚ではないのだ。
    常識的に絶対違うこと以上に、それは違うのだ。
    そういう強い否定になります
    だから直訳は、「CがDでない以上に、AはBではない」です。

    この構造を理解したら、とにかく覚えましょう。
    文の構造の「A is no more B than C is D.」か上のクジラの例文か、とにかくどちらかを丸暗記しましょう。
    覚えなければどうにもならないことが英語にはあります。

    さて、何度も口の中で唱えて、覚えたら、以下の問題を解いてみてください。

    問題 以下の空所に適語を入れよ。
    The ability to write poetry made (  )(  ) money at that time (  ) it does now.
    今日と同じように、当時も詩を書く能力はお金にはならなかった。

    覚え方がbe動詞を使うものだったせいで、be動詞の文でしか使わないと思うかもしれませんが、実は一般動詞でも大丈夫です。
    例文の is のところに一般動詞が入っているだけで、構造は同じです。

    正解は、
    The ability to write poetry made (no)(more) money at that time (than) it does now.


    では、こんな問題は?

    問題 以下の空所に適語を入れよ。
    A whale is (  ) a fish (  )(  )(  ) a horse is.

    暗唱した文と同じ意味のようなのに、空所の位置が何だか違う・・・。

    ここで生きてくる知識は、no more = not ~any more だということ。
    この知識があると、解くことができます。
    知識を身を助けます。
    正解は、
    A whale is (not) a fish (any)(more) than a horse is.

    この例文もあわせて暗唱しておくと安全ではありますが、混同しやすいので、一番上の形だけしっかり覚えて、あとは他の文でも使える知識、no more = not ~any more で補うことをお勧めします。
    勿論、not と any more を文の中のどこに置くのかよくわからないと、難しいかもしれません。
    英語の基本の語順、どの単語がどの位置にくるかという文法の基礎を身につけておくと、こういうときに楽ができます。


    さて、クジラ構文は、もう1つあります。

    「クジラが哺乳類であるのは、馬が哺乳類であるのと同じだ」
    というものです。

    A whale is no less a mammal than a horse is.

    構造は、A is no less B than C is D.
    AがBであるのは、CがDであるのと同じだ。

    これも、B=Dのときは、Dは省略されます。
    省略せずに書けば、以下のようになります。
    A whale is no less a mammal than a horse is a mammal.
    less は little の比較級。
    little は準否定表現で、否定語の仲間です。
    だから、less も否定語の仲間となります。
    したがって、no less は否定語を2つ使っていますから、二重否定となり、結果的に強い肯定を意味します。
    Aは絶対にBだ、という意味になります。
    クジラは、絶対に哺乳類だ。
    どれくらい哺乳類なのかというと、馬が哺乳類であるのと同じくらい確実に哺乳類だ。
    そういう意味です。

    no less を、not ~any less に書き換えることは理論上は不可能ではありませんが、あまり見られない形です。

    さて、no more とno less と2種類あるとなると、空所補充問題は、文意を読み取ってどちらであるかを判断する必要があります。
    問題を解いてみましょう。

    問題 以下の空所に適語を補充せよ。
    Air pollution does (  )(  ) harm to birds and animals (  ) it does to human being.

    高校生として、特に難しい単語はないはずなのですが、それでも、air pollution や、harm や、human being の意味がわからない、という人もいると思います。
    どれも、中3か高1の教科書や単語集で一度は目にしているはずなのですが。
    このあたりのレベルの単語に1つ大きな壁があり、英語が苦手な人は、このレベルの単語を覚えていない場合があります。
    そして、このレベルの英単語を覚えていないとなると、高校の英語コミュニケーションの定期テストで出題される初見の英文は読解できないですし、文意がわからないと解けないタイプの文法問題も解けなくなります。

    だって、単語が覚えられない・・・・。
    そのように悩んでいる人は、悩んでいるわりに、単語暗記に関して、実際にはほとんど何もしていない場合が多いです。
    あるいは、本人はそれなりにやっているつもりでいるが、世間的には、それはやっているうちに入らない。
    「やらなければならないのはわかるが、やる気がでない」
    という気持ちはわかりますが、やる気は、待っていてもおそらく一生出ないです。
    単語を暗記する習慣づけを自分に行うことが効果的です。
    通学電車の中では必ず単語を暗記する。
    机に向かったら、毎日まず30分、単語を暗記する。
    何でもいいですから、ルールを設けて、それで実行できたかどうか成果を示すツールも使って、習慣づけてください。
    「やる気」とか「意欲」とかは、いつまで待っても湧いてこないことが多いですし、湧いてもすぐにまた冷めてしまい、不安定です。
    やる気がなくても、意欲が低くても、習慣化するまで続ければ、強いです。

    とはいえ、言うは易し、行うは難し。

    今年の夏、うちの塾生の1人は、ほとんど毎日授業を取って、そして、やったことは、授業中の単語暗記でした。
    宿題に出しても、覚えてこなかったからです。
    意識が低いというのか、意欲が低いというのか。
    英語に関して、認識が間違っているのか。
    とにかく、単語暗記を宿題に出しても、覚えてこないのでした。
    だから、個別指導の90分、やったことは、単語暗記。
    費用的に考えれば物凄く無駄なことですし、私も心が痛むことでしたが、本人の自覚に任せても覚えてこないので、もう仕方ありませんでした。
    90分間、黙って単語暗記。
    15分に一度のペースで、覚えたところまでテスト。
    そして、また暗記を続ける・・・。

    しかし、このひと夏で、その子は変わりました。
    以前は、初見の英語長文問題はほぼ歯が立たなかった子でした。
    それが、大学入試問題の英語長文を読むことが可能になりました。
    教室で、私に監視されて、単語暗記をするしかなかった毎日の90分。
    それが、英語力を激変させたのです。

    本当は、それは、自分で作れる時間です。
    それだけで、人生が変わるかもしれません。

    問題に戻りましょう。

    問題 以下の空所に適語を補充せよ。
    Air pollution does (  )(  ) harm to birds and animals (  ) it does to human being.

    air pollution は「大気汚染」、harm は「害する、傷つける」、human being は「人間」です。
    そうすると、前半の内容は、「大気汚染は鳥や動物に害を与える」という内容です。
    これは、肯定される内容か、否定される内容か?
    大気汚染は、鳥や動物に害を与えるでしょう。
    だから、これは肯定文。
    no less と二重に否定することで、強く肯定すれば良いとわかります。
    正解は、
    Air pollution does (no)(less) harm to birds and animals (than) it does to human being.


    問題 以下の空所に適語を補充せよ。
    A home without love is (  )(  ) a home (  ) a body without a soul is a person.

    前半は「愛のない家庭は家庭である」という内容。
    後半は、「魂のない肉体は人間である」という内容。
    この文は、B=Dではないので、Dにあたる内容も省略されず書かれています。
    内容から判断して、これは否定文でしょう。
    だから、正解は、
    A home without love is (no)(more) a home (than) a body without a soul is a person.
    となります。
    「愛のない家庭が家庭でないのは、魂のない肉体が人間ではないのと同じだ」

    クジラ構文は、理解し、整理して覚えれば、そんなに難しくありません。
    比較表現の学習は、このように1つ1つの表現を正確に理解し、整理して、あとは丸暗記してください。

      


  • Posted by セギ at 13:04Comments(0)英語

    2024年09月21日

    中学数学 方程式の文章題の式が上手く立てられない。


    「方程式の利用」すなわち、文章題の立式が苦手な子は多いですが、その立式を見ていると、簡単なことを難しくしている場合があります。

    問題 ある数に4を加えて2倍した数は、もとの数の4倍よりも2小さい。ある数を求めよ。

    これは、書いてある通りに立式するだけなので、易しい問題のはずです。
    それでも、苦手な子は苦手です。

    まず、何をどうすればいいのか、何も思いつかない子がいます。
    こういう問題を見ると、心が小学生に戻ってしまうようなのです。
    方程式を学習したのだから、方程式を使えばいいのだという発想がない。
    すなわち、ある数を x とする発想がないのです。

    なぜ、これが定着しないのかは、非常に難しい課題です。
    まず、本人が、文章題を解く必要はないと思い込んでいる場合。
    あるいは、文章題は難しいから自分には解けないと思い込んでいる場合。
    その自己評価の低さはどこからきているものなのか、そこから考える必要があるのかもしれません。

    次に、文章題を解こうとは思っている子の場合。
    けれど、ある数を x として解くのだということに気づかない。
    どれだけ練習しても、新しい問題になると、気づかない。
    全部忘れてしまう・・・。

    我々は数学者ではないですし、そもそも、こんな易しい問題は現代の数学者が考えるレベルのものでもありません。
    基礎は、「習う」ものなので、自力で苦労して発想しなくてもよいのです。
    大昔の数学者が、これをゼロから発想するのは確かに大変だったろうと思うのですが、現代において、そんな必要はないのです。
    このあたりは数学の基礎の基礎なので、道は拓かれ、舗装された大通りになっています。
    そういう発想で解くのだ、という知識を得て、その通りに解いていけばいいだけです。

    それなのに、大昔の数学者のように、これをゼロから発想しようとしているのではないのか?
    そして、さすがに大昔の数学者のような才能はないので、何も思いつかないのではないか?
    方程式を使うことをゼロから発想するのは、ニュートン並みの才能が必要です。
    それは、さすがに・・・。

    固まったようになっている生徒を見ると、そのように想像してしまうことがあります。

    憶えるだけの勉強は確かにつまらない。
    手順の記憶だけの勉強は、いずれ袋小路に突き当たります。
    しかし、何もかもゼロから発想しろとも言っていないのです。
    「ある数を x として式を立てる」
    という発想は、学習して、頭の中にストックすればよいこと。
    この発想は、他で応用できますから。
    そのようにストックしたいくつもの武器を使って、初見の問題を解くのが、高校までの数学です。
    これは、問題ごとに細かく手順を丸暗記するだけの勉強とは、質が違うことです。

    ともかく、ある数を x としましょう。
    ところが、それはわかっていても、実際に式を立てられない子もいます。


    問題 ある数に4を加えて2倍した数は、もとの数の4倍よりも2小さい。ある数を求めよ。

    一般的にこういう問題では文中にある「は」という助詞が=の合図です。
    だから、「は」の前までが左辺です。
    すなわち、「ある数に4を加えて2倍した数」が左辺。
    ですから、
    (x+4)×2。
    文字式のルールに沿って書くと、
    2(x+4)

    しかし、これにも問題はあります。
    小学生の頃に( )の使い方を正しく身につけていない子は、( )のついている式を解くことはかろうじてできても、自ら( )を使った式は立てられないことがあります。
    注意されない限り、ほぼ必ず、書き忘れるのです。
    x+4×2
    という式を普通に書いてしまいます。
    こう書いてしまうと、後の計算が違ってきてしまいます。

    それは、文章題が苦手だから、ではなく、四則計算の基本が身についていないからです。
    反省し、補強する点が違うのですが、そこが曖昧になっている子も多いです。

    そこも何とかクリアしたとして。
    さて、右辺を作りましょう。

    それは、助詞「は」の後ろの部分。
    「もとの数の4倍よりも2小さい」。
    つまり、4x-2

    左辺=右辺ですから、方程式は、
    2(x+4)=4x-2

    問題文の通りに、このように式を立てていけば、スムーズです。

    しかし、四則演算のルールは身につけているのに、簡単なはずのこうした問題でもかなり苦戦する子もいます。
    そういう子の立てる式は、こんなふうなことがあります。

    問題 ある数に4を加えて2倍した数は、もとの数の4倍よりも2小さい。ある数を求めよ。

    ある数を x とすると、
    2(x+4)-4x=2

    ・・・うん?
    この式、形は違うけれども、合っている・・・?

    いいえ。
    これは間違っています。
    ある数に4を加えて2倍した数のほうが小さいのですから、あえてこの形で式を立てるのならば、
    4x-2(x+4)=2
    です。

    面倒くさいですね。
    大小を、文章から正確に読み取らないと、正しい式が立てられない・・・。
    だから、文章題で正答できなくなります。

    ・・・いいえ!
    こんな発想で立式しているから難しくなるのであって、この問題は、もっと簡単なんです。

    どうしてこういう式を立ててしまうのでしょうか?

    考えられることの1つは、小学校の算数をいまだに引きずっていて、中学の数学に上手く移行できていないのではないかということ。

    小学校の算数の文章題は、問題文を読み取って関係をつかんだうえで、答えを求める式を立てます。
    そのために問題にある「加える」「引く」を頭の中で「ひき算」「たし算」に転換する作業が必要になります。
    逆算の発想で、問題文で加えているんだから引く式を立てなくちゃ、かけているから割る式を立てなくちゃ、と考えなくてはなりません。
    小学生は、脳の発達過程の関係で、具体的なことしかわからないため、そういう解き方しかできないのです。
    その癖がついてしまい、中学生になってもそのように考えてしまう・・・。

    本人が、まだ、そのようにしか考えられないのなら、仕方ない面もあるのかもしれません。
    まだ、方程式を学ぶべき発達段階ではない。
    まだ、実質は、小学生。

    それでも、中学の数学は、そのように解くものではないのだということを、できれば教えたいのです。
    こういう発想がある。
    こういう解き方がある。
    もうそろそろ、あなたの頭脳は、それを理解できるようになっているんじゃない?
    使おうとしないだけで、あなたの頭脳は、本当はもっと動くんじゃない?

    方程式は等しい数量の関係を表す式。
    そのように学習します。
    ここで重要なのは「関係を表す」ではなく、「等しい数量」ということです。
    問題文の中の、何かの数量を2通りの方法で表すこと。
    そう考えたほうがシンプルです。

    だから、
    4x-2(x+4)=2
    という式が間違っているわけではないけれど、
    2(x+4)=4x-2
    という式のほうが、シンプルで立てやすいのです。

    「は」とあるなら等しいのだし、「小さい」と書いてあれば、引けばいい。
    とても簡単です。

    「あなた書いた方程式は何の数量を表しているの?」
    と質問すると、黙りこんでしまう子は多いです。
    どうせ間違っているから何か文句を言われているんだろうと勝手に察して黙ってしまう子が今は多いですが、
    「いや、式自体は間違っていないんだけど」
    と伝えても、やはり何も答えられない子が多いです。
    何の数量を表そうとしたのかではなく、何かの関係を表そうとしているからだと思います。
    それは、小学生の、答を求める式を立てる発想に近いと思うのです。
    方程式は、もっと単純に立式できるんです。

    問題 ある数に4を加えて2倍した数は、もとの数の4倍よりも2小さい。ある数を求めよ。

    ある数を x とすると、
    2(x+4)-4x=2

    この間違った式を立ててしまった子に、
    「何の数量を表しているのかがわかれば、この方程式は手直しできるよ」
    と重ねて問いかけると、
    「ある数」
    という答が返ってきました。
    頑張ったね。
    何か答えられるだけ、素晴らしいのです。
    黙り込んでスルーを目論む子もいます。
    個別指導で黙り込んだら、効果は半減します。
    講師と対話できる子は、伸びます。

    でも、この式が表しているのは、「ある数」ではないのです。
    2数の差、です。
    2数の関係を表そうとして、大小が逆になってしまっているのです。
    関係を表すのは難しいので、式が歪んでしまったのです。

    数に関する問題では、何の数量を表しているのかは自覚しにくいのは事実です。
    しかし、これが「速さ」に関する問題になって、
    「あなたの式は、何の数量を表しているの?距離?時間?」
    と質問しても、文章題が苦手な子は、答えられません。

    食塩水の問題でも、
    「あなたの式は何の数量を表しているの?食塩水の量?食塩の量?」
    この問いかけにも、そんな質問をされるとは思わなかった、考えたことがないという表情をする子が多いのです。

    式が何の数量を表しているかは非常に重要なことなのに、それを意識しないで立式しているから、式が途中で歪むのです。

    方程式は何かの「関係」よりも、何かの「数量」そのものを表していることが多い。
    左辺も右辺も同じ何かの数量を表している。
    そうとらえたほうが、シンプルです。

    問題 ある数に4を加えて2倍した数は、もとの数の4倍よりも2小さい。

    ある数をxとすると、
    2(x+4)=4x-2

    この方程式が表している数量は、「ある数」ではありません。
    「ある数に4を加えて2倍した数」です。
    それが、「もとの数の4倍よりも2小さい」のです。
    右辺では同じ数量を言われた通りに別の表現で表しているだけです。

    2(x+4)-4x=2

    と、間違った立式をしてしまう子は学力が低いわけではありません。
    問題文を読み、大小関係を把握しようと努めているのです。
    問題文を読解しようとする意志は、むしろ強い。
    才能が眠っています。
    ただ、才能の使い途を間違えています。

    もう1つ心配なのは、立式の後の計算のことまで考えて、左辺に x を集めようとしている場合。
    立式と計算を分けて考えることができず、立式のときに、もうその後の計算のしやすさを考えている場合です。
    それが成功するほどの並外れて高い能力の子ならば、私も放置しておくのですが、実際には、余計なことを考える分だけ脳のキャパを奪われ、立式を失敗することのほうが多いです。
    立式と実際の計算とを分割して考えることができないほどに思考が混沌としている場合が大半です。

    問題 ある数に4を加えて2倍した数は、もとの数の4倍よりも2小さい。

    ある数をxとすると、
    2(x+4)+2=4x
    という立式をする子もいます。

    この式も間違ってはいません。
    何でこの問題文からこの立式になるんだろう、何を複雑なことを考えているんだろう、とは思うのですが、式として間違ってはいないのです。
    しかし、これも、
    2(x+4)-2=4x
    と、間違った式を立ててしまうリスクが高い。
    大小関係を文章から読み取って立てる式は難しいのです。
    そんなことをしなくても、問題に書いてある通りに、書いてある順番に書いてけば、正しい式になります。
    「大きい」と書いてあればプラス、「小さい」と書いてあればマイナス。
    問題に書かれていることと式のプラス・マイナスが一致します。
    難しいことを考え過ぎるから、むしろ間違えるのです。
    方程式は、難しいことをとても簡単にすることができるから、利用価値があるのです。

      


  • Posted by セギ at 11:47Comments(0)算数・数学

    2024年09月14日

    中学数学「1次関数」変域と1次関数の式。



    さて、2学期からは多くの中学校で関数の学習が始まります。

    高校数学になると、数学は大半が関数という印象になるので、しっかり基礎を身につけておきたい単元なのですが、中学生の多くが、関数から数学嫌いをこじらせていきます。

    先日、NHK「3か月でマスターする数学」という番組でも関数が取り上げられ、例によってブラックボックスが登場していました。
    ブラックボックス。
    文字通りの黒い箱です。
    その箱そのものが、関数の機能を表しています。
    入口から何かを入れると、それが半分になって、出口から出てくる。
    つまり、その箱の機能は、y=1/2 x
    私自身が中学校で受けた授業そのものです。

    それが、まるで新しい授業の工夫であるかのように語られるところが、数学教育がこの数十年、そこから先に一歩も進んでいない証拠であるような気がして、がっかりしました。
    昭和の数学の先生たちも、そういう授業をしていたのです。
    私も、若い頃は、一所懸命、このブラックボックスを使って教えていました。
    それでも、生徒は、関数がわかる子とわからない子に、はっきりと分かれました。

    原因は、授業のわかりにくさではないのではないか?
    徐々に、そう考えるようになりました。
    生徒の数学に対する姿勢がそもそも違うのではないか?
    すなわち、関数を理解できる子は、小学生の頃から、算数・数学を理解しようとしてきた子。
    関数が理解できない子は、問題の解き方や手順だけ覚えようとしてきた子。

    問題の解き方や手順だけ覚えようとする子を跳ね返し、
    「あなたは、数学ができるようにはならない。考え方を改めない限り」
    と宣告するのが、関数という単元なのではないか?

    問題の解き方しか覚えない子にも、2通りあります。
    小学校の低学年の頃に、算数の問題があまりにも易しかったので、
    「こんなのいちいち考える必要はない。手順だけ覚えればいい」
    と判断してしまった子。
    同じく低学年の頃に、問題の意味がわからなかったので、手順を覚えることに活路を見出してしまった子。

    これは、小学校の高学年以上になると、ほぼ合流します。
    解き方や手順だけ覚える数年を過ごした子は、なぜそう解くのか、なぜそれで解くことができるのか、意味を理解することができなくなってしまうことが多いからです。
    解き方や手順だけ覚えようとする子をいさめても、もう、本人には、それ以外やりようがなくなっています。
    数理の重要な法則を理解していないからでもありますし、そのほうが本人にとっては楽なので、頑なに自分のやり方を変えない場合も多いです。

    そのまま、数学が全く理解できなくなって終わっていく子もいますが、中学数学あるいは高校数学で奇跡の復活を果たす子もいます。
    意味を理解することができるようになるのです。
    意味を理解できるほど十分に脳が発達してきたところに、何かのきっかけがあり、「理解する」ということに覚醒するのだろうと思います。
    そのきっかけが「ブラックボックス」であるのなら、確かにその授業も意味があるのです。


    ともあれ、問題を解いてみましょう。

    問題 
    1次関数 y=ax+b において、x の変域を 1≦ x ≦4 とすると、y の変域は 1≦ y ≦7 である。 a <0であるとすると、x=3のときの y の値を求めよ。

    前にも書きましたが、中学数学では、「定義域」「値域」という言葉は使いません。
    x も y も「変域」と呼びます。

    この問題、簡単そうに見えて、正答率は低い問題です。
    中学生で、これを正答できる子は、数学が得意な子たちです。
    何問か類題を演習して、解き方を「覚えた」子は、そのときは正解できますが、定期テストが終わってひと月ほどすれば、解けなくなってしまいます。
    理解したのではなく、解き方の手順だけを覚えたので、記憶が長持ちせず、忘れてしまうのです。

    さて、どう解きましょうか。
    x=3のときの y の値を出すためには、まず1次関数の式を求めなければなりません。
    目標は、この1次関数の式を求めること。
    すなわち、一般式 y=ax+b の、a と b を求めることです。

    それがピンとこなくて、いきなり答えを出す方法をうんうん考え込んでしまう子がいます。
    そういう子は、数学は、そんなにいきなり答えが出るものではないという前提を、まず理解する必要があります。
    小学校の算数の尻尾をいまだにひきずる中学生は、いきなり答えを求める式を立てるものと思い込んで、途方に暮れてしまうのです。

    数学は何段階も手順を踏んで解くもの。
    まずは、関数の式を求めます。

    「でも、どんな式なのかわからない」
    と言う子が、かつていました。
    問題に書いてなくても1次関数の式は、y=ax+b だし、そもそも今回は書いてあるし、と説明しても、釈然としない顔をしていました。

    「本当に?本当に、いつも、y=ax+b を使っていいの?」
    「1次関数なら」
    「どんなときが1次関数なの?」
    「問題に1次関数と書いてあるときが1次関数です」
    「・・・・・・」
    「・・・今、あなたは、文章題か何かの心配をしていますか」
    その子は、驚き、そして、うなずきました。
    「そう。文章題、苦手」
    今、この問題とは関係のないことでモヤモヤして、それで不安になっているのでした。
    数学に苦手意識のある子で、そういう子は多いです。

    数学が苦手な子は、苦手意識だけは強いものの、過去に何をどう間違えたか、自分は何がわかっていないか、といったことを正確に把握していません。
    常にモヤモヤと苦手意識にとりつかれています。
    そのため、今考えても混乱するだけのことを一緒に考えてしまう傾向があります。
    文章題のことは、文章題のときに考えたらいい。
    文章題は、アプローチがまた違ってきます。
    文章題のときは、自分で関係を表す式を作りますから、1次関数かどうかは式が出来てから判断します。
    それは、今回の問題を解くときに考えることでないのです。
    そうした意識の上での分割が上手くできない子が、数学が苦手になる傾向が強いような気がします。
    不安が強いから先回りしてものを考えてしまうのだとは思うのですが、結局、今解いている問題の理解が曖昧な結果に終わってしまうことにもなりますので、不安の先回りは止められるといいですね。

    「目の前の問題のことだけ考えましょう。今は問題に1次関数と書いてあるから、1次関数です。1次関数ならば、使う式は、y=ax+bです。y=ax+b の形で表される関数を1次関数と呼びます。これは定義なので、理由は必要ないのです。大丈夫?」
    「多分・・・・・」

    さて、問題に戻りますと、a <0 とありますから、この1次関数は、グラフにすると右下がりの直線となります。
    これのせいで、この問題の正答率は低いのです。

    y=ax+b の a は、「傾き」とも呼ばれ、名前の通り、グラフの傾き具合を表すものです。
    a が正の数ならば、グラフは右上がり、a が負の数ならば、グラフは右下がりになります。
    今回は、右下がりのグラフ。
    x が大きくなれば、 y は小さくなるという関係です。
    x が最小のとき y は最大。 x が最大のとき、 y は最小。
    ですから、今回の変域の中では、 x=1 のとき、 y=7 であり、 x=4 のとき、 y=1 という関係が読み取れます。

    ここの理解が最大のヤマ場です。
    「a<0のとき、グラフが右下がりになる」という意味がどうしてもわからない子もいます。
    グラフが右下がりになると、xの最小値のときyが最大値になり、xの最大値のときyが最小値になる、ということがわからない子もいます。
    右下がりのグラフを実際に描いてみせても、わからないものは、わからない。

    そうした概説は、こういう問題を解くずっと前に学習しているのですが、問題を解くのに直接関係のないそういうことは、すべて聞き流すのが、解き方だけ覚えようとする子たちです。
    実際にグラフを描いて、a との関係を調べて確認する学習を、学校の先生たちは工夫しているはずなのに、そういうものは無視。
    大切なことだと思えないようなのです。
    問題を解くことに直接関係のないことには関心がなく、それが自分の首を絞めていることに無自覚です。

    だから、解き方の意味がわからないのですが、わからないから、手順だけ覚えることになります。
    悪循環です。

    「a<0なら、xが大きいときyは小さくて、xが小さいときyが大きい」
    「a>0なら、xが大きいときにyは大きくて、xが小さいときにyも小さい」

    教わったことを、理解し、復唱したくてそう言っているのか?
    わからないから、手順だけ覚えようとしているのか?
    生徒のつぶやきに、私は首をかしげます。
    このあたりが、微妙な場合が多いのです。
    それ、丸暗記するのは、むしろ面倒くさくない?
    理解したほうが楽じゃない?
    でも、彼らにとっては、そうではないらしいのです。


    ともあれ、具体的な x と y の値の組が2組見つかれば、それを代入することで、 a と b が何であるか求めることができます。
    一般式 y=ax+b に代入して、

     7=a+b
     1=4a+b

    これは、 a と b の連立方程式として、解くことができます。

    今回、解き方は省略して、 a=-2 , b=9

    もうかなり解答に近づいてきました。
    しかし、ここまで夢中で求めて、「あれ?ここから何だっけ?」となる中学生もいます。
    何のために、何をしていたのか、ふっとわからなくなってしまうようです。
    作業手順だけ暗記して数学を乗り切ろうとする子に多いです。
    作業手順の暗記じゃなくて、意味を理解しよう、と繰り返し励ましたいところです。

    1次関数の式を求めようとしていたんですよね。
    a=-2、 b=9 なのだから、 y=ax+b の一般式にこれを代入して、この1次関数の式は、
    y=-2x+9
    となります。
    それでも、まだ最終解答ではないです。

    求めたいのは、 x=3 のときの y の値ですから、この式に、 x=3 を代入して、
    y=-2×3+9
    y=3

    これが、この問題の解答です。

    この手順、覚えきれないでしょう?
    だから、定期テストが終われば、すぐ忘れてしまうのです。
    でも、理解していれば、忘れないのです。


    さらに難問になると、

    問題 
    1次関数 y=ax+b において、x の変域を 1≦ x ≦4 とすると、y の変域は 1≦ y ≦7 である。 x=3のときの y の値を求めよ。

    という問題もあります。

    これは、まず、a=0を否定したうえで、a>0、a<0の場合に分けて、それぞれの答を求めていかなければなりません。
    発展的な問題集には載っている問題ですが、中学生でこれを自力で完答できる子は、相当に数学的な才能がある子です。
    そもそも、答案の書き方がわからないでしょう。
    そういう答案の「ひな型」を学んでいない時期ですし。

    しかし、高校数学になると、当然のようにそれを要求されることになります。
    中学の難問が、高校では、基本問題になるのです。

    解いてみましょう。
    1)a=0 のとき
    y=bとなり、yの値は常に一定なので、1≦y≦7という値域と一致せず、不適。

    2)a>0 のとき
    y=ax+bのグラフは右上がりとなり、xが最小のときyは最小、xが最大のときyは最大となるから、
    x=1のとき、y=1
    x=4のとき、y=7

    高校数学として解いているので、1次関数の式の求め方も、中学の求め方ではない、高校数Ⅱで学習する「図形と方程式」で学習した直線の式の求め方でいきましょうか。
    すなわち、点(x1,y1)を通り、傾きmの直線の式は、
    y-y1=m(x-x1)
    という式です。
    これでさらに、今は、(1 , 1) , (4 , 7) という2点がわかっているので、この2点から傾きはサクッと求めることができます。
    変化の割合=yの増加量 / xの増加量
    という、中学で学んだ公式をそのまま活用すればよいのです。
    というわけで、代入するのに使う点を(1 , 1)とするなら、

    この1次関数の式は、
    y-1=6/3(x-1)
    y=2x-2+1
    y=2x-1
    したがって、x=3のとき、y=5

    3)a<0 のとき
    y=ax+bのグラフは右下がりとなり、xが最小のときyは最大、xが最大のときyは最小となるから、
    x=1のとき、y=7
    x=4のとき、y=1
    よって、この1次関数の式は、
    y-7=-6/3(x-1)
    y=-2x+2+7
    y=-2x+9
    したがって、x=3のとき、y=3

    1)~3)より
    a>0のとき、y=5
    a<0のとき、y=3

    これが、最終解答となります。


      


  • Posted by セギ at 14:09Comments(0)算数・数学

    2024年09月06日

    図形の回転移動。正三角形の回転。


    問題 1辺の長さが8㎝の正三角形を上の図の線分に沿ってすべらないように、アの位置まで回転させる。頂点Aが回転した跡の曲線の長さを求めよ。

    「うちの子は、この問題を全く理解していません!」
    という悲鳴にも似たご連絡をいただいて、授業をしたことがあります。
    類題を含め何を解いても誤答なのは事実だったのですが、全く理解していないのかというと、そうではありませんでした。

    こういう問題を解く場合、頂点Aの軌跡を実際に描いていきます。
    そのために、まずは、回転後の正三角形をあるだけ描きこんでいく必要が生じます。
    小学生の場合、そうした図は、げんなりするほど雑です。
    下手なのは仕方ないのですが、雑なのは回避したいのです。
    正三角形の大きさが極端に不揃い。
    曲がり角のところに頂点が来ない。
    隣りあう三角形の頂点が一致しない。
    そして、自分の描いた雑な図が、自分の足を引っ張っていることに無自覚です。
    授業中退屈で描いているいたずら書きは緻密なのに、なぜ、算数の図はこんなに雑なのか?

    以前も書きましたが、私が子どもだった頃は、逆に、算数・数学の図は緻密でしたが、図画工作や美術の授業で描く絵は、雑でした。
    例えば人物画を描くと、顔はまあまあ丁寧に描くのですが、着ている服は、単色をぬりたくって、終わりでした。
    服のしわとか、光の加減とか、全く考えていませんでした。
    そういうことを考えなければならないという発想がなかったのです。

    だから、算数・数学の図を雑に描いている子たちは、私とは感覚が逆で、算数・数学の図は丁寧に描かなければならないという発想がないのだと思うのです。
    人物画は服や背景まで丁寧に描く、という発想がなかった私には、絵の才能がありませんでした。
    それと同様に考えれば、算数・数学の図を丁寧に描くという発想がない子たちは、算数・数学の才能がないのでしょうか。

    それは、ある意味そうだと思いますが、それで切り捨てていいものでもありません。
    子どもだった私に「服まで丁寧に描きなさい」と助言してくれる人が誰もいなかったから、私は、高校生になってもそのままだったけれど、もしその助言があったら、違っていたかもしれないのです。
    本当にエアポケットのように、私の絵について誰も何も言いませんでした。
    言うほどの価値のある絵ではなかったからでしょう。
    誰も私にそういうことは期待していなかった。
    でも、助言があれば、多少はましな絵が描けるようになっていたかもしれません。
    同じように、もし助言して直るものであるなら、算数・数学の図を丁寧に描くことで、そこそこ算数・数学が得意になる可能性はあるのです。
    算数・数学が他の教科の足を引っ張らないように、そこそこできるようになりたい、というのが切実な願いである生徒と保護者の方は多いと思います。

    絵の才能がないので、下の私の手書きの図も、下手です。
    でも、算数・数学の問題を解く上で必要な緻密さは、クリアしています。
    端々は、押さえてあるのです。
    問題を解く上で不都合になるようなことはない。
    目標はそれであり、それは、誰にでも可能なことだと思います。
     

    さて、必要な図を描きこんでみました。
    正三角形はこの図のように回転していき、頂点Aの軌跡は、上の水色の曲線になります。

    自力ではこの図を描けない、という子は多いです。
    例えば、点の軌跡が、直線になってしまう子。
    回転移動ということがイメージできないのです。
    曲線を描くということはかろうじて理解できるが、その弧が隣りに描いた三角形の頂点を通っていくということがイメージできない子も多いです。
    ひらがなの「つ」みたいな、潰れた奇妙な曲線を描きます。
    「へ」に少し丸みがついたような曲線の子も多いです。

    これは、昔の子どもも今の子どももそうです。
    現代の子は動画世代と言われても、動画的なイメージ力が高いわけではありません。
    受動的であるだけ、むしろイメージする力は貧困である可能性すらあります。
    それでも、イメージする力がなければ、知識で補正すれはいいのです。
    知識で補えばいいのですが、正しい図が正しく見えないという課題を抱えている子もいます。
    頂点Aがそのように美しいおうぎ形の弧を描くことがイメージできない。
    「へ」みたいな動きしかイメージできない。
    そして、その間違ったイメージに、固執してしまう・・・。

    本当に理解できない場合は、正三角形をボール紙などで作り、それをホワイトボードの上で実際に回転させてみるなどの授業の工夫が必要になります。
    「うちの子は、この問題を全く理解していません!」
    というご連絡をいただいた当のお子さんは、そこまでしなくても、理解できました。
    図の描き方がおそろしく雑で、点の軌跡が「へ」みたい、という課題はありましたが、正しい弧を描いてみせると、納得していました。
    おうぎ形の弧を描いて回転することを、解説しても理解できない子は大勢います。
    解説を聞いて理解できるのなら、大したものです。

    図形は、もっと壊滅的に理解できない子たちがいるのです。
    理解できないのだから、もう仕方ないのだろうか、と思うほどに理解できないのです。
    図形が回転するということが、そもそも理解できない。
    三角形が動くはずがないので、理解できない。
    角ばった図形が曲線を描いて回転することが、理解できない。

    空間図形になると、理解不足はもっと深刻になります。
    平面的なテキストから空間をイメージすることが難しいからでしょうか。
    高校生で、正四面体の見取り図を描くことができず、真上から見たような平面的な図しか描けなかった子。
    「円」と「球」の違いが、どうしても理解できなかった子。
    面積と体積は同じものだと思い、1㎡=10000㎠だったり1㎥=1000000㎤だったりするのは、先生が勘違いしているからだと思い込んでいた子。
    底知れない深淵が、そこには存在します。

    その子は、説明されれば理解できる子でした。
    では、その子の課題は何だったのか?
    図を描くのと同様に、解き方も雑だったのです。

    上の図の水色のおうぎ形はどれも、半径8㎝のおうぎ形です。
    中心角の合計は、図から、
    120°+210°+120°=350°
    です。

    では、どのような式を立てればいいか?

    その子の立てた式は、
    350×16
    というものでした。

    ・・・何それ?
    確かに、これは「何も理解していない」と見ることもできます。
    ただ、これには理由があるのでした。

    正しい式は、
    16×3.14×350/360
    です。
    その式を説明すると、それも理解できたのです。
    この式が理解できるというのは、かなり高度なことです。
    中学生でも、この式を理解できない子は普通にいます。
    割合の考え方や分配法則を理解していなければ、この式は理解できないのです。

    ただ、その子は、類題を解くと、
    270/360×16×3.14
    という式を立てました。
    使っている数値に間違いはありませんでした。

    これは、計算しやすさを優先した式です。
    約分するものを先に書いて、最後に計算する×3.14は後に書いていたのです。
    かけ算は、どこから計算しても同じですから。

    かけ算の交換法則を理解している子に、こういう式を書く子がいます。
    例えば、円の面積を求める式でも、
    3.14×36
    といった式を立てます。
    正しい式は、
    6×6×3.14
    です。

    結果が同じなんだから、別にいいじゃないか。

    それは、算数・数学の解き方が緻密な子にだけ通用することです。
    円の面積を求める際に、
    3.14×36
    という式を立てる子の中には、「円」の単元が終わると、もう公式を忘れてしまう子がざらにいます。
    そうなると、この式の意味は後退し、自分でノートを見返しても、何をしたのかわからなくなります。
    他の単元で円の面積を求めることが必要になったときに、公式が出てこないのです。
    練習の際にしっかりと公式通りに式を書いていないことが、それに影響していないはずがありません。

    立式と計算は別のものです。
    立式は、
    6×6×3.14
    実際の筆算は、
    3.14×36
    このメリハリがなく、ぐちゃっと潰れて一緒になってしまっている子は、時間が経つと、正しい立式をできなくなる可能性があるのです。

    「割合」の単元などでも、それが顕著です。
    例えば、「比べる量÷割合」という公式通りに正しい立式をするならば、
    200÷4/3
    という式を立てるべきところを、計算の工夫を優先させ過ぎたあげくに間違えて、
    1/200×4/3
    という式を立ててしまう子は少なくありません。
    「かけ算は順番は関係ない」という知識と、「分数のわり算は、逆数のかけ算」という知識が歪んだ形で合体すると、こういう間違った式になります。
    200÷4/3
    =200×3/4
    としていけば間違えないところで、くだらない誤答を繰り返すのです。
    それは、算数が苦手だからでも、理解していないからでもなく、雑なだけです。

    君は、算数が理解できないのではなく、雑なんだよ。
    理解はしているんだよ。
    交換法則や分配法則が理解できているだけで、立派なものだよ。
    それがわからない子も大勢いるんだよ。
    私は、分配法則が理解できない子たちと長年格闘してきたんだよ。
    雑に間違わないでくれよ、頼むから。
    そう思うことは多いです。

    350×16
    という間違った式は、
    16×3.14×350/360
    という正しい式の、なれの果ての式、なのだと思います。
    順番はどうでもいいという知識が雑に入り込み、結局、記憶の中に、正しい式の片りんしか残らなかったのです。
    常に正しい順番で公式通りに式を書いていくことには、意味があります。
    どういう公式を使用して、どのように解いているか、答案を読む人に伝える、という意味でも、それは重要なことです。
    計算の結果が同じだからいいだろう、ではないのです。

    ただ、こうも思うのです。

    これだけ計算の工夫を考えて式を立てられるのだから、理解していないということはない。
    ただ、すべてが雑なので、正答に至ることはない。

    実に勿体ないのです。
    内側に、原石の光が見える。
    ただ、本人すら、その光に気づいていない。
    そんなことも、あります。

      


  • Posted by セギ at 13:18Comments(0)算数・数学

    2024年09月02日

    久しぶりに、算数チャチャチャ

     


    「算数チャチャチャ」という歌が、昔、「みんなのうた」にあったんです、ということを2011年にブログに書いたら、読んでくださった方が、YouTubeで見ることができますよ、と教えてくださったことがあります。
    以後、ときどき、見ています。
    疲れた頭がズキズキドキドキします。

    算数チャチャチャ

    歌は3番まであり、1番ずつ1問、問題を解いていく形式です。

    第1問
    (2+√2) / (√2+1)を簡単にせよ。

    これを歌いながら解いているのです。
    しかも、かなりシャープな解き方で。
    最初に見たのは私が小学生のときでしたが、衝撃を受けました。
    まったくわからない内容でしたから。
    算数じゃなかったのです。

    さて、これをどう解きましょうか?
    地道な方法としては、普通に分母を有理化します。
    有理化とは、無理数である√2 を有理数にすることです。
    有理数とは、分数で表すことのできる数のこと。
    ・・・と、延々と説明しなければならないくらいに、これは算数ではない。
    中三の数学です。

    さて、分母分子に、√2-1をかければ、分母の√ は消えます。
    やってみましょう。
    (2+√2) / (√2+1)
    =(2+√2)(√2-1) / (√2+1)(√2-1)
    =(2√2-2+2-√2) / (2-1)
    =√2 / 1
    =√2

    地道に解くと、このようになるのですが、この「算数チャチャチャ」という歌では、非常にスマートに解いています。
    まず、分子を√2 でくくっているのです。
    (2+√2) / (√2+1)
    =√2(√2+1) / (√2+1)
    そうすると、分母と分子に√2+1が現れますから、それで約分します。
    =√2
    あっという間に、答が出ます。

    この考え方は、高校数Ⅰ「三角比」余弦定理の計算で、利用価値があります。
    θ の角度を問う問題では、「三角比の表を用いて」という指示がない限り、特別な比の三角形の角度であることは明白です。
    ということは、cos θの値は、1/√2 , 1/2 , √3 / 2、または絶対値は同じでその負の数になると予想されます。
    その予想に従って、うまく分母・分子を約分しようとするなら、√2でくくるなどの発想が役に立ちます。

    2=√2×√2
    という理屈が理解できれば、分子を√2でくくることができます。

    中3で学習する「平方根」の理解が表面的で、
    √2×√2=√4=2
    という計算ならできるけれど、
    2=√2×√2
    が、わからない。
    2を√2で割ると商は√2になる、ということが、わからない。
    そこからの脱却が、スマートな解き方につながります。


    第2問 sin θ=cos θ×√3 を解け。
    (ただし、θは鋭角とする)

    うわ、三角方程式だ。
    数Ⅱ「三角関数」ですか?
    三角比の合成をするのかな?
    いいえ。
    これは数Ⅰ「三角比」のレベルで解ける問題です。

    両辺をcos θで割ります。
    sin θ / cos θ=√3
    ここで、左辺は、三角比の相互関係の公式より、tan θ と等しいですから、
    tan θ=√3
    よって、θ=60°です。


    第3問 y=cos(θ+π/2) のグラフを描け。

    まさに数Ⅱ「三角関数」です。
    これを、軽快なチャチャのリズムであっという間に描いています。

    まずは、y=cos θのグラフを点線で描きましょう。
    横軸は θ 軸、縦軸は、y 軸。
    θ=0のとき、y=1。
    θ=π/2のとき、y=0。
    θ=πのとき、y=-1
    θ=3/2πのとき、y=0
    θ=2πのとき、y=1
    これらをなめらかな曲線で結びます。
    これを繰り返す、周期関数です。

    y=cos(θ+π/2) のグラフは、それを、θ軸方向に-π/2だけ平行移動したものになります。

    「なります」と断言して、「あ、そうか」とわかってくれる生徒もいますが、意外に難しいところです。
    数Ⅰ「2次関数」で学習した、グラフの平行移動の考え方をもう忘れている場合が多いのです。
    そこを復習する必要が生じます。
    復習して、それで理解してくれればいいのですが、そこだけピンポイントで復習しても、モヤモヤの消えない人もいます。
    「何で-π/2移動するんですか、+π/2じゃないんですか」
    その疑問は、一度頭に残ってしまうとかなり厄介な疑問です。
    これの証明は、数式上の操作に終始し、実感として、ああそうなのか、よくわかった、とはならない場合が多いのです。
    簡単な1次関数を例にとり、実際にそのように平行移動することを納得するまで自分で試してみるほうが良いかもしれません。
    例えば、y=3(x+2)は、y=3x のグラフを、x軸方向に−2だけ、平行移動したグラフになります。
    +2の方向ではないのです。
    実際に描いてみると、わかります。

    ともあれ、-π/2だけ、平行移動しましょう。
    θ=-π/2のとき、y=1。
    θ=0のとき、y=0。
    θ=π/2のとき、y=-1
    θ=πのとき、y=0
    θ=3/2πのとき、y=1

    そのような、周期2πの周期関数となります。

    そんな内容を、この歌は、
    「コサインθのグラフは、1、0、-1。θ+π/2は、π/2ズレる。0、-1、0、+1で、θと平行さ」
    と歌っています。
    イラストがついているとはいえ、速い、速い、速い。
    わからない。
    それは、わからないぞー。
    でも、そのスピード感が面白くて、そこらへんで、毎回笑ってしまいます。

    画像も、最初のこの歌についてブログに書いたときのもの。
    富士山頂で撮影したものです。
    気圧の低さがよくわかる、袋のふくらみ具合です。
      


  • Posted by セギ at 13:34Comments(0)算数・数学

    2024年08月24日

    1次方程式の文章題。代金・個数に関する問題。


    中学生になって、数学を勉強するようになっても、意識の上で算数からの脱皮ができていない子は多いです。
    「正負の数」や「文字式」は、それまでの小学校の算数と重なる部分が少なかったので、新しい単元として何とか受け入れたとします。
    「方程式」もまたそうで、計算問題としては、新しい計算として、受け入れます。
    それは、小学校の算数で新しい単元を学習したときと同じで、新しいことは、普通に受けいれられるのです。
    ところが、「方程式の利用」、すなわち文章題に入ると、それは一見小学校で学習した内容と似ているように見えるせいか、一瞬で小学生に戻ってしまう子がいます。
    それまで、方程式の計算をさんざん練習してきて、しかもテキストには「方程式の利用」とタイトルが書いてあるにもかかわらず、文章題を見ると心と頭が小学生に戻り、方程式を使って解くということが全く理解できず、フリーズしてしまうのです。

    小学生の中には、
    「文章題は応用問題だから、自分は解けなくてもいい。基本問題だけ解けるようになればいい」
    と、自分で決めてしまっている子もいます。
    小学校のカラーテストの最後のほうの文章題は解けなくても、そんなにひどい点数にはならないので、それで大丈夫なような気がしてしまうのかもしれません。
    しかし、中学の数学のテストで、テスト範囲が「1次方程式」すべてで、文章題が解けないとなると、平均点以上を取ることは難しいです。

    また、小学生の中には、「計算=算数」という、変な思い込みの強い子もいます。
    計算さえできれば、それで自分は算数は得意だと思ってしまう様子です。
    文章題なんて、国語っぽいから、算数とは関係ない、と思うのでしょうか。
    あるいは、自分が得意なことは重要なこと、自分が苦手なことは重要ではないこと、というバイアスがかかってしまうのかもしれません。
    小学生は、幼いですから、こうした変な勘違いをしてしまうのは、よくあることです。

    計算はできなければならないが、計算だけできても仕方ない。
    冷たいようですが、それが前提です。
    数学は、数学的思考力を問う科目です。
    文章題は、それを問うのに適していますから、重要視されます。

    そうはいっても、そんなに極端な難問ばかりが出題されるわけではありません。
    数学の基礎を学び始めた中1に向けてのテストですから、文章題も基本的なものが多く出題されます。

    例えば、こんな問題。
    1本80円の鉛筆と1本130円のボールペンをあわせて12本買ったら、代金の合計は1210円になった。鉛筆とボールペンは、それぞれ何本買ったか。

    中学受験をした子なら、これを「つるかめ算」として解くことはできますが、普通の小学生に解ける問題ではありません。
    答を求める式を立てようとしても、どうしても式が立ちません。
    そういう種類の問題です。
    でも、方程式なら、普通の中学生が解くことができます。

    それなのに、小学生のように式を立てようとしてしまう子もいます。
    学んだ知識を全部、それはそれとして脇に置いてしまい、小学生に戻って式を立てようとし、立てられず、諦めてしまうのです。
    方程式をさんざん学習した後なのに。
    例題解説もしたのに。
    何で、頭の中でそれが結びつかないのだろう?

    頭の中ですぐに結びつく子も多いのです。
    特に、こうした「代金・個数に関する問題」は、方程式の文章題の中でも、一番理解しやすい問題です。
    この先の、速さに関する問題や、割合に関する問題に比べれば、実感しやすく、理解も容易です。

    一方、この問題を理解しない学力層の子が増えてきた、とも感じます。
    一つには、国語力の問題があるのでしょう。
    問題に書いてある事柄の関係を理解できないのだと思います。
    「1本80円の鉛筆と1本130円のボールペンをあわせて12本買った」ということが、どういうことなのか、おそらく理解できていない。
    文字を読む習慣がないので、この1行を読み飛ばさずに読むことができず、だから関係がつかめない。
    「・・・80・・・鉛筆・・・130・・・ボールペン・・・12・・・」
    くらいの情報しか脳に届いていないのではないかと思います。
    この状態で立式するのは、確かに難しい。
    しかも、
    「文章題は自分は解かなくてもいい」
    という感情がそれに上乗せされているのですから、立式への道は遠いのです。
    式を教えてくれたら、その先は計算するから、それでいい、くらいの気持ちでいる可能性があります。
    自分で考えろと言われても、考え方もわからないので、数学以外の関係ないことを考えていたり、ノートにいたずら書きをしたり。
    相手が式を立ててくれるのを待っていれば、いずれその状況は終わりますから。

    彼らが望んでいるのは、パターン化でもあります。
    上のような問題のときに、出てくる数字の順番に、
    80x+130(12-x)=1210
    という式を立てればいいんだ、と教えてもらえば、おそらく目を輝かせます。
    必ずこの順番に、この形で式を立てればいいんだ、と言われれば言われるほど、目を輝かせ、それを教える人を尊敬するかもしれません。

    そうしたパターン把握を自力で行ってしまう子もいます。
    例題解説を見て、そういう順番に、そういう式を立てればいいんだと勝手に判断するのです。
    意味はわかっていません。
    パターンのみを把握します。

    そうすると、どうなるかというと、もう予想はつくと思いますが、

    問題
    100円の箱に、1個80円のプリンと1個130円のゼリーをあわせて12個詰めてもらい、代金を1310円払った。プリンは何個買ったか。

    という問題には、もう対応できません。
    「100円の箱」を処理できないのです。
    意味がわかっていないと、問題が少し変わっただけで、もう対応できません。


    「何を x としましょうか」
    式を考える前に、最初に確認します。
    しかし、方程式の文章題を学習しているにもかかわらず、そうしたことを問われることを全く予期していなかったかのように、問われたことに驚き、絶句してしまう子もいます。
    まず、それを決めるんですよ。
    幾度その説明を繰り返しても、問題を解くそうした道筋を理解しない子たちがいます。
    彼らの好むやり方とは、真逆のことだからなのでしょうか。
    いえ、そもそも、何かを x として式を立てるということそのものを、理解していないのかもしれません。
    好む好まないの問題ではなく、理解できていないのだろう、と思うのです。

    式は、答を求めるために立てるもの。
    それなのに、「関係を表す式」などと言われても、意味がわからない。
    問題文の中にある、何かの数量を、文字や数字で2通りに表して、それをイコールで結ぶ。
    そうしたことの意味が、全くわからない・・・。
    何の話をしているのか、そもそもわからない・・・。
    そういうことも、あるのだと思います。
    まだ、心がとても幼く、学年としては中学生になっていても、小学生のままなのだと思います。
    小学生には、確かに、理解しづらい内容です。
    式は答を求めるために立てるもの。
    そうではない式など、式ではない。
    不定の文字を使って関係を表すなど、あまりにも抽象的で、発達段階から考えれば理解できなくて当然なのです。
    だから、小学生には方程式は教えません。
    受験算数で方程式を使わないのは、年齢的にまだ理解できない内容であることを、教える側が把握しているからです。
    子どもは、具体的・具象的なことしか、理解できないのです。
    文字さえ使わなければいいのだろうと、□を使って式を立てて教える保護者がいますが、あまり上手くいかないと思います。
    立った式を見て理解することはかろうじてできるでしょう。
    しかし、子どもは、□を使った式を、自力ではほぼ立てられません。
    脳が、そのように具体性のないものの使用を本人に許しません。
    勿論、すべては個人差の問題なので、小学生でも方程式を理解できる子も存在しますが。

    方程式を学ぶには、この子には、まだ時期が早い・・・。
    発達段階には個人差がありますから、こういうことはありえます。
    だからといって、すべて諦めてしまうことはありません。
    いずれ、その段階に至るからです。
    そのときに、理解すればいいのです。
    中学生の頃に数学でかなり苦労していた子を、高校生になって再び教えることがたまにありますが、意外なほどに脳が発達していて、高校数学の解説が通じることに驚くことがあります。
    いずれ理解できる時期は来るのです。

    とはいえ、中学の定期テストをクリアしなければならないので、「いずれ」など、待ってはいられないのが現実ですが。

    先ほどの問題に戻ります。

    問題 1本80円の鉛筆と1本130円のボールペンをあわせて12本買ったら、代金の合計は1210円になった。鉛筆とボールペンは、それぞれ何本買ったか。

    「何を x としましょうか」
    類題を何問か解き続けると、それでも少しなじんできて、その問いに答えられるようになる子が多いです。
    ただ、こういうときに、ちょっとだけ可哀相な子もいます。
    「・・・ボールペン」
    「・・・うん。それは、別に間違っていないですし、それで解くことはできますが、自分で学校のワークを解いたときに、模範解答と違っていて、苦労することになると思います」
    「・・・」

    ボールペンを x 本として自力で式を立てた場合。
    その式が正しく、その後の計算も正しいのなら、最終解答は一致しますから、問題ありません。
    「あ、模範解答とちょっと式が違うけど、まあいいや」
    と判断できる子なら、それでワークに赤丸をつけ、それで十分です。
    何も間違っていません。

    では、何がいけないのか?
    何も間違っていません。
    ただ、「1本80円の鉛筆と1本130円のボールペン」と問題文に書いてある場合、鉛筆を x 本として解いているのが、どのワークでも問題集でも、普通の模範解答です。
    最初に出てきたほうが x で、通常何も問題ないので、そうなっています。
    模範解答と同じであるほうが、自分で家庭学習がしやすいです。
    模範解答と異なるほうを x として、立式ミスや計算ミスをしてしまい、どこを間違えたのか自力では判断できない。
    そういう学力の子が、異なるほうを x としてしまう傾向もまた強い、というだけです。

    そもそも、何で、ボールペンのほうを x としてしまうのか?
    代金が大きいほうを x にしたほうが計算が楽ではないか、などと、余計なことを考えているのではないか?
    あるいは、その前にある「1本80円の鉛筆」という記述が目に入っていないのではないか?
    そういう心配を、教える側はしてしまうのです。
    何か余計なことを考えているのであるのなら、早めにその経路はふさぎたいのです。
    方程式を立てるときに、「計算のしやすさ」などの余計なことを先に考えているのだとしたら、それは、邪魔にしかなりません。
    計算の工夫は、式が立ってから考えればいいこと。
    そこを分離できないから、混乱して、立式が歪んでしまう可能性が高まるのです。
    方程式は、どんなヘンテコな形になっていても、すぐに整理できます。
    そこへの自信のなさもあるのかもしれませんが、立式のときに計算しやすさなどの余計なことを考えていては、脳のキャパをそこに奪われます。
    計算のしやすさを考えなくていいのが方程式だということを理解して、安心して複雑な式を立ててほしいのです。

      


  • Posted by セギ at 14:23Comments(0)算数・数学

    2024年08月16日

    考え方の土台が異なると、わからなくなる。


    もう10年ほど前になるかと思います。
    授業料のことがよくわからない、という保護者の方が、面談にいらっしゃったことがありました。
    その2か月ほど前に入会された方でしたが、度々、授業料について確認のメールが来ていました。
    その都度、定額の月額の授業料をお納めくださいと連絡していたのですが、どうもそれが腑に落ちないようなのでした。

    お金に関することでモヤモヤがあるのは、お互いによくないですから、入会時からの全授業を書き出して、それで説明したのですが、その方のモヤモヤは晴れる様子がなく、モヤモヤしたままお帰りになりました。
    うーん。
    どういうことだろう・・・。

    生徒さんのほうで、あの日の分の授業をこの日に振り替えたいと希望されるのは構わないのですし、それが翌月でも翌々月になってもいいのですが、私のほうでは、そういう計算はしていないのです。
    授業は、月4回分の授業料をいただいている場合は、正確に月4回保証です。
    授業が実際に行われた順に、それが何月の第何週分に相当するのか記録しています。
    月に1回メールで送信している学習指導レポートに、それを記載しています。

    例えば、
    ①6月2日(月) 6月第1週分
    ②6月9日(月) 6月第2週分
    ③6月16日(月) 6月第3週分
    ④6月23日(月) 6月第4週分
    ⑤6月30日(月) 7月第1週分

    というようにです。
    上の例の場合は、6月は、5回授業があったので、7月第1週分の授業を早めに行った、という形になります。

    続いて、7月の指導レポートでは、
    ①7月7日(月) 7月第2週分
    ②7月14日(月) 7月第3週分
    ③7月24日(木) 7月第4週分
    ④7月26日(土) 夏期講習1

    というように、授業が行われた順番に記録していきます。
    複数の生徒を並行して授業している私から見ると、この授業はいつのどの分の振り替え、という数え方は、むしろ煩雑でよくわからなくなります。
    ときどきある第5週の処理も大変です。
    実際に行われた授業から順番に番号を振ったほうが正確です。
    月4回の授業は保証され、それ以上の金額を請求することはありません。
    その月に5回の授業があるからといって請求額は増えない代わりに、3回しか授業がなかったからといって、月額が減ることもありません。
    夏期講習、冬期講習、春期講習をお申込みの際に精算し、未消化の授業があれば、それは講習会に充当して、未消化分を差し引いた金額を講習会費として請求しています。
    未消化の授業は、欠席が続いたというのでない限り、1学期で1コマ程度。
    未消化なし、ということもあります。

    勿論、前日までに連絡欠席した授業の振り替えはどんどん行ってくださって構わないのです。
    こちらの把握の仕方が違う、というだけです。
    ところが、授業を連絡欠席し、その振り替えをした覚えがないのに、授業が消えているのが腑に落ちないと、その方は思われたのかもしれません。
    カレンダーによって、その月に5週目の授業があったのだということが念頭から消えていたのだろうと思います。
    連絡欠席して、振り替えを保留しておいたはずなのに、いつの間にか、第5週の授業として消費されていた。
    納得がいかない・・・。
    全授業の実施日とそれが何月第何週分の授業であるかの記録にミスはないから、文句はつけにくい。
    でも、納得がいかない・・・。

    心理的なモヤモヤは晴れることはなかったようです。
    それだけが理由ではなかったのだと思いますが、後日、その方は退会されました。
    お金の問題は難しいです。

    1年は52週間と1日。
    そのうち、5週間は夏期講習、2週間は冬期講習、1週間は春期講習。
    8週分が通常授業から除外されます。
    52-8=44(週)
    夏期講習の8月は通常授業がありませんので、通常授業は11か月。
    44÷11=4
    月4回の授業を、欠席なしに受けると、授業はちょうと消化されます。
    連絡欠席による保留分があれば、講習会の際に精算します。
    だから、1年間で考えれば、授業は消えないのですが、短期で考えると、振替できるはずの授業が、第5週分に穴埋めされた、と感じることもあるのだと思います。

    「早く振替しないと、忘れられてしまう。ごまかされてしまう」
    ということはなく、そもそも私は、忘れる以前に、覚えていない。
    私が覚えておく必要のないシステムにしています。

    「取っておいたはずの授業がなくなった」
    という保護者の方の感覚のどこかに誤解があったはずなのですが、それは何だったのか?
    どういう説明や説得なら、ご理解いただけたのか。
    今も心残りです。


    人の感覚というものは、最も説得が難しいものなのかもしれません。
    数学の学習でも、感覚が優先されて、奇妙な誤解をすることがあります。

    ある年、高校生と数Ⅰ「三角比」を学習していたときのこと。
    その子は、直角三角形で、底辺の右側が直角、左側が θ の角となっている問題の三角比は正しく把握していましたが、直角三角形が回転された位置にあったり、裏返っていたりすると、必ず不正解になってしまいました。
    sin30°=√3 / 2
    cos30°=1/2
    としてしまうミスを繰り返していたのです。
    解説しても、腑に落ちない表情のままでした。
    サインとコサインを取り違えて覚えてしまったのか?
    でも、きちんと整地されている直角三角形ならば正解できるのです。
    なぜなのか?

    あるとき、本人が叫びました。
    「ああ!θ の角って移動させたらダメなんだ!」

    ・・・何ですと?

    その子は、直角三角形を見やすい位置に向け直す際に、図形を回転させたのだから、θ の角も別の位置に回転させるべきだという謎の誤解をしていたのでした。
    三角形を回転させたときは、角の位置も移さなければならない、と思い込んでいたようです。
    だから、θ ではなく、90°-θ のサインやコサインを求めてしまっていたのでした。

    こういう誤解は、他人には理解できなくても、本人の中では整合性が取れているらしいのです。
    本人が気づいて、心から納得するのでない限り、晴れ晴れとはしないのでしょう。
    その子は、途中で気がついて、しかも、それを言語化できました。
    それ以降は、もう大丈夫でした。


    またあるとき、数A「場合の数と確率」の問題で、こんな混乱がありました。
    2個のサイコロを振るとき、目の和が4になる確率を求める問題で、答を1/9 としていた子がいたのです。

    全体の場合の数は、36通り。
    目の和が4になるのは、1と3の目のときと、2と2の目のとき。
    さいころは2個あるので、互いの目を取り換えるため、それぞれ2倍して、4通り。
    だから、4/36=1/9。

    いやいやいや。
    それは、和が4になる目を全て書き出したとき、
    (1,3),(3,1),(2,2),(2,2)
    としていることになります。
    目が両方とも2である場合は、1通りしかないのに、2回数えています。
    和が4になる目の出方は、合計3通り。
    確率は、3/36=1/12 です。

    しかし、一度誤解してしまった子は、正解を解説しても、なかなか理解できませんでした。
    もう1つの幻の(2 , 2)を心の中で消せないのです。
    「サイコロにA、Bと名前をつけたとき、Aのサイコロの目が2でBのサイコロの目が2なのは、1通りですよ」
    と説明しても、
    「Aが2でBが2のときと、Bが2でAが2のときは違う。学校でそう習った」
    というのでした。
    この誤解を解くのは、本当に大変でした。

    そもそも、互いの目を取り換えるために2倍するという考え方を学校で教えているとは思えないのです。
    A、Bの目の順に、Aが小さいほうから、
    (1,3),(2,2),(3,1)
    と数え上げるのが標準的な解き方です。
    Aのサイコロの目に注目して、1、2、3まで、と考えれば、書き出さなくてもすぐに数えられます。
    2倍するのは、本人が独自の工夫として行ってしまったことだと思います。
    学校の授業中にその工夫を思いついてしまったために、学校でそう習ったというように記憶の塗り替えが行われたのかもしれません。

    土台の考え方が誤解しやすいものであるのに、そこから離れられない。
    より合理的な考え方を示されて、それはそれとして理解はしても、
    「でも、自分の考え方では、それはどうなるんだ?」
    という疑問から解放されない。
    説明を聞いても理解しづらい。
    そして存在しない幻を見てしまう・・・。
    場合の数や確率の問題で誤答の多い人は、このタイプの誤解が多いように感じます。

    土台の考え方を合理的にすれば、ものごとは、もっとシンプルになります。
    数学は、そのために学ぶものでもあるのかもしれません。

      


  • Posted by セギ at 17:20Comments(0)講師日記算数・数学

    2024年08月10日

    算数・数学で問題の意味を理解しない。


    画像は友達からもらいました。
    ラピュタの雲みたいですね。

    さて、講習期間はまた別ですが、普段は、塾を1回休むと、2週間空いてしまうことになります。
    そのたった2週間の間に、学力が大きく後退してしまう子も、いないわけではありません。

    何でこんな基本問題が解けなくなってしまったの?
    もうテストが近いのに、こんなに学力が落ちてしまって、どうするの?
    そう思うこともあります。

    一度ついた学力はもう永遠に身についているという誤解が、本人にも保護者の方にもあるのかもしれません。
    現実には、学力は常に流動的で、勉強しなければ後退します。
    特に、「覚える勉強」に終始している子の学力は、あっという間に下がります。

    根本的に理解をしていれば、2週間くらいでは学力は下がらない。
    それはそうだと思うのですが、根本的に理解しているように見えていた子が表面的な理解しかしていない、ということがあるのです。

    例えば中学1年生で、数学の「正負の数」も「文字式」も、大きなつまずきはなく順調に学習が進んでいた子がいました。
    等式の性質の意味も理解できたようでした。
    何の心配もないと思って「方程式」の予習をしていたのですが、宿題のノートを見て、愕然としたことがあります。

    3x+2=2x-1
    =3x-2x=-1-2
    =x=-3

    ・・・うわあ・・・。

    以前も、こういう方程式の答案を見たことはありました。
    しかし、それは、中学でびっくりするくらい勉強を怠けてしまったために、気がつくとこういう事態に至っていたという私立高校生でした。
    かなり特殊な例でした。
    そんなに度々目にするものではないのです。

    「方程式」の予習を始めたばかりで、つきっきりで個別指導したのに、何でこういうことになるの?
    本人にとっては、ちょっとした書き間違いなのかもしれませんが、意味が理解できていたら、こんな書き間違いはありえないのです。
    実は何も理解していないのではないか?
    やり方を覚えるのが器用で上手いだけなのではないか?

    奈落は、すぐ足元に広がっています。
    早めにわかって良かったのでした。
    足元に奈落の広がっている子であると理解して指導するのと、秀才と思い込んで指導するのとでは、結果が違ってきます。


    以前も、成績の良い中学2年生と「座標平面と図形」を学習していて、背中がスッと寒くなるような経験をしたことがありました。
    座標平面上の三角形の二等分線を求める問題でした。
    特に難しい問題ではありません。
    その子の学力なら楽勝のはずでした。
    しかし、ひと通り説明を終わっても、反応がありませんでした。
    「何か質問はある?」
    と尋ねても、ポカンとしていました。
    「じゃあ、練習問題を解いてみようか」
    と声をかけても動きがありません
    「どうしたの?どこがわからない?」
    と尋ねると、
    「全部わからない」
    という返事がありました。

    ・・・ど、どうして?
    計算過程は多少長いけれど、難しいことは何1つないのに。
    1つ1つの過程の意味も明瞭だから、何も難しくないのに。

    しかし、思い返してみれば、その子は、2直線の交点の座標を求める練習のときにも、少し妙な表情をしていたのです。
    黙って、例題解説の通りに作業はしていましたが。
    2直線の式を連立方程式として解くと交点の座標が出ることの意味が、実はよくわかっていなかったのではないか?
    直線上の点の x 座標と y 座標には、その直線の式と同じ関係があることが理解できていないのではないか?
    いや、そもそも、座標平面とは何なのかを呑み込めていないのではないか?
    グラフとは何であるかわかっていないのではないか?
    小学校のときに描いた折れ線グラフのような感覚で関数のグラフを見ているのではないか?

    その子に限らず、直線の式を求める問題などの基本練習をしている間はその通りに問題を解いていくことができるけれど、座標平面を用いた応用問題になると何をどう解くのかわからなくなる子は多いです。
    座標平面とグラフの意味を理解できていればそんなに難しくない問題も、作業手順で理解しようとすると、手順は長く、やり方を覚えるのは大変になります。
    問題によって何をどうするか、自分で分析していく必要が生じるのに、手順を覚えているだけなのでそれができないことも多いです。
    数学的な挫折が、このあたりから目に見えてきますが、実は、その前から足元に奈落は広がっているのだと思います。


    教え方が悪いから、そうなるのか?
    そもそも、日本の算数・数学教育が良くないのではないか?

    常にそのような問題提起はあり、それは考えるべきことではありますが、出会ったときには既にそうだった場合が大半です。
    おそらく小学校の低学年の時期に、算数は手順を覚えて解くことを本人が選択しています。
    子ども自身が、算数・数学は「やり方を覚えてやり過ごす」ことを非常に早い時期に自ら選択しているのです。
    そのほうが、楽だからでしょう。
    頭の回転がある意味速いため、問題の意味を理解してしっかり脳に通すよりも、解き方だけ覚えてちゃちゃっと解いたほうが楽だと本人が判断してしまう場合。
    全く意味がわからなかったため、やり方を丸暗記することに活路を見出してしまった場合。
    どちらもあり得ます。
    そして、同じ授業を受けながらも、数理の本質に向かっていける子もまた多いのだということも、忘れてはならないと思います。


    中学受験生の中にも、数理の根本を理解していない子が多く存在します。
    「食塩水の問題、苦手。食塩を加える問題が特に苦手」
    そのように言う子がかつていました。

    そこまで細かく分析できているのなら、むしろ大丈夫なのではないか?
    いいえ。
    問題をパターンごとにそこまで細かく分けているのは、その子の通っていた集団指導塾のテキストがそのような構成だったからです。
    本人が分析できているわけではありませんでした。
    食塩水なんて、全部同じ解き方で解けるのに、何を言っているのだろう?
    私は、そのとき、内心そう思いました。
    でも、「食塩水なんて全部同じ解き方」と私が思うのは、全体を統合できているからです。
    根本を理解し、問題ごとに対応を変えることができるからです。

    大元の解き方は、ただ1つ。
    食塩水の問題は、「割合」の問題です。
    割合の3つの要素の2つが分かれば、残る1つは計算で出せます。
    そうやって、求められるものをスルスル求めていくうちに、ほとんど自動的に答にたどりつきます。

    しかし、根本の理解がない子は、各パターンごとに解き方を覚えるしかないのです。
    こういうときは、足し算。
    こういうときは、ひき算。
    と、細かい手順をパターンごとに全部暗記します。
    それらを統合し、本質を把握する、ということがないのです。
    だから、「食塩を加える問題が苦手」といった発言になるのでしょう。
    根本が理解できていれば、濃さの違う食塩水を足すのも、食塩だけを足すのも、水を足すのも、水を蒸発させるのも、全部同じです。
    しかし、それを理解できない子が大量にいるので、集団指導塾のテキストは、パターンごとに細分化されたものになっています。

    勿論、それを頭の中で統合できる子もいます。
    練習問題を解く過程で「結局、全部同じ問題だな」と本人が理解していきます。
    そうではない子は、パターンごとに解き方を丸暗記します。
    どちらにも対応できるから、パターンごとに細分化されたテキストは重宝されます。


    例えば、売買の問題で、私が線分図を描けば、目を輝かせてその先を解く子は多いです。
    線分図からの解き方は、作業手順として覚えているのです。
    しかし、自力で線分図を描くことはできません。
    それには、問題を分析する力が必要だからです。
    また、同じ子が、食塩水の問題文を読んで、7%の食塩水140gと、10%の食塩水200gを合わせたとき、全体の食塩水が340gになることがわからないことがあります。

    ・・・何でわからないんだろう?
    言葉を変えて説明しても、ポカンとしてしまうのでした。

    算数の問題に対して、何の実感もなく、何一つ現実と結びついていないのではないか?
    足し算の意味すら、本質的にはわかっていないのではないか。
    どういうときに足すのか、どういうときに引くのか、その理解が曖昧で表面的なままなのではないか?
    では、その子にとって、算数とは、何なのだろう?
    よくわからない操作を丸暗記して、その通りに再現してみせること、でしかないのだろうか?

    その子の足元の奈落の深さに気づいたときから、本当の指導が始まります。

    受験勉強を経てすら、数理の根本が形成されない。
    数学上でやっていいことと悪いことの区別がつかない。
    そのままやがて高校数学に進むと、何のために何をやっているのか理解できないまま、作業手順だけを暗記しようとし、暗記しきれずに挫折することになります。
    何をやっているのかわからないまま、複雑な作業だけがそこにある。
    それでは、数学は苦しいだけです。

    やり方を覚えるだけの勉強。
    その勉強のやり方は、まずいです。
    それが合理的だと思っているのでしょうし、気持ちはわかるけれど、その勉強のやり方に先はないのです。
    足元に奈落が広がり、いつか足を踏み外します。

    そうした助言をしても、目先の簡単さにつられて、覚える勉強に終始してしまうのは、人間の業なのか。

    いいえ。
    人間には、「理解したい」という知的欲求があるはずです。
    理解しましょう。
    あきらめずに、理解する努力をしましょう。
    あきらめない限り、いつか、何かが見えてきます。
    振り返って復習したときに、「何だこういう意味か」と理解できるときが来ます。
    理解したうえで、公式は、覚えて使う。
    そういうやり方をすれば、数学の学習は、とてもシンプルです。
      


  • Posted by セギ at 17:29Comments(0)算数・数学

    2024年08月03日

    夏休みなので難問を。色を塗られている立方体を数える問題。


    図が雑ですみません。

    さて、問題
    1辺1㎝の立方体を縦・横・高さそれぞれに10個ずつ並べて、上の図のように1辺10㎝の立方体を作りました。
    この立方体の表面全てに色を塗ったのち、バラバラに崩しました。
    1辺1㎝の立方体のうち、どこかの面に色が塗られているものは何個ありますか。

    受験算数の典型題ですね。
    先日、NHK「3か月でマスターする数学」でも、取り上げられていました。
    自分で考えてみたいという方は、ここで一旦閉じて、お楽しみください。

    さて、ここからは、解説。
    まずは、一番地道な方法から解説しましょう。
    色が塗られている立方体を地道に数えます。

    1辺10㎝の立方体の1つの面にある、1辺1㎝の立方体の数は、
    10×10=100(個)
    面は6つあるので、
    100×6=600(個)

    しかし、これはダブって数えていますね。
    どの位置の立方体をダブって数えているでしょうか。
    まず、3つの面に同時に存在している立方体があります。
    大きな立方体の頂点の位置にあるものです。
    頂点の数は、8個。
    この8個の小さな立方体を3回数えてしまっています。
    だから、2回分、引きましょう。
    すなわち、
    8×2=16

    また、2面に同時に存在している立方体もあります。
    大きな立方体の辺のところに存在して、頂点の位置にはないもの。
    1つの辺に小さな立方体は10個存在しますが、そのうち、上下の2個は頂点の位置のものですから、
    10-2=8(個)
    立方体に辺は12本ありますので、
    8×12=96(個)
    これは、2回数えてしまった分ですので、1回分を引けばいいでしょう。
    すなわち、求める立方体の数は、
    600-16-96=488(個)

    答は、488個 です。

    これはこれで、別に間違ってはいないですが、面倒くさかったですね。
    頂点の位置の立方体を3回数えてしまっているところが、面倒でした。
    それを2回分引かなければならない、というあたりで誤解をしたり計算ミスをしたりする人が出そうです。

    もう少し簡単に求める方法はないでしょうか。

    では、大きな立方体の側面にある色を塗られたものの数だけを優先して数えて、あとで上の底面と下の底面で数えていなかったものを足すのはどうでしょうか。
    少しわかりやすいような気がします。

    側面の1つの面にある小さな立方体の数は、
    10×10=100(個)
    側面は4つあるから、
    100×4=400(個)
    このうち、辺の位置に存在するものは、ダブって数えています。
    辺の位置に存在する立方体は10個。
    辺は4つありますから、
    10×4=40(個)
    これを引きますので、
    400-40=360(個)
    これで側面の分は計算しました。
    あとは、上の底面の分。
    既に側面で計算済みのものは最初から除外しましょう。
    上の底面の外側1周分のものは、側面に存在する立方体でもありますから、最初から除外すると、
    まだ数えていない上の底面にある立方体は、
    8×8=64(個)
    下の底面にも同じ数だけあるので、
    64×2=128(個)
    これを、先ほどの側面の個数とあわせて、
    360+128=488(個)

    先ほどと同じ答になりました。

    少しスッキリしたけれど、まだ面倒くさかったですね。
    もっと簡単に求める方法はないのでしょうか?
    先ほど、上の底面の立方体を数える際に、外側1周を最初から除外しましたよね。
    この考え方は、使えないでしょうか?

    そうだ!
    色が塗られている立方体の数を数えるのではなく、それは除外して、色が塗られていない立方体の数を数えて、最後に全体から引くのはどうでしょうか。
    頭の中で、外側一面の小さな立方体をはぎとりましょう。
    1個ずつ、すべての面から取り除くと?
    残った、色が塗られていないかたまりも、これもまた立方体です。
    この立方体は、小さな立方体が何個ずつ並んだものでしょうか。
    上下左右に1個ずつとりのぞいたのですから、縦・横・高さに8個ずつ並べたものです。
    つまり、その個数は、
    8×8×8=512(個)
    全体の立方体の個数は、
    10×10×10=1000(個)
    したがって、色が塗られている立方体の個数は、
    1000-512=488(個)

    簡単に答が出ました!
    こうした「裏側を考える」「そうではないものを数える」考え方は、高校数A「確率」では余事象の確率の利用という形できわめて多く使用される考え方です。
    ちょっと考え方を変えるだけで、とても簡単に問題を解けますね。

      


  • Posted by セギ at 11:08Comments(0)算数・数学