たまりば

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2021年01月28日

高校英語。仮定法未来。


今日は未来のことを表す仮定法です。

まずは、助動詞 should を用いる用法から。
例文を見てみましょう。

If his aunt should die, he would be the last person to bear that family name.
万が一彼のおばさんが亡くなったら、彼はその姓を名乗る最後の人間になるだろう。

未来のことなら、事実に反するも反しないもないんじゃないの?
そんな疑問もあるかと思います。
しかし、実現の可能性の低い未来のことを話す場合、この仮定法を用います。
これは微妙な話で、全く実現不可能なことでは、この用法は使いません。
実現の可能性の高いことでも、この用法は使いません。
「万が一の仮定」と呼ばれるのは、そのためです。

仮定法未来を苦手とする人が多いのは、1つには、こうした用法の微妙さにあるのでしょう。
実現の可能性が低いとは、実際どの程度なのかわからない。

そして、もう1つは、if 節に助動詞 should を用いることで、今まで学習したこととの混乱が起こることに原因があるようです。
助動詞の過去形は、仮定法のどこに使ったらいいんだっけ?
そのあたりがもともと曖昧になっている人ほど、混乱が起こりやすいようです。

とはいえ、実際の文法問題では、ごくわかりやすい用例しか問題として作られないので、そんなに心配することはありません。
この用法があることを忘れていなければ、大丈夫なのです。
解けないのは、この用法を忘れてしまうからです。
「何だかもう、脳がいっぱいいっぱい」
という間違った感覚にふりまわされて、仮定法未来についての知識を脳にとどめることをやめてしまうようです。
こんな大切な文法事項を捨ててしまっていいわけがない。
そういう意識で脳に押し込めば、まだまだ脳に入ります。
脳の記憶容量は無限です。

とにかく、「万が一の仮定」の場合は、if 節に助動詞 should を用いる。
助動詞の後ろは、動詞原形。
だから、if 節は、If+主語+should+動詞原形。
そして、主節は、普通の仮定法過去です。
主語+would +動詞原形。
そういう把握で大丈夫です。

ただし、仮定法未来の場合、主節の助動詞は、will も許容されています。
・・・ああ、また例外的なやつじゃん。もう本当に嫌だ。
そんなこと、言わないで。
どうせ、最も出題される形式は、空所補充問題か四択問題ですから。
( ) にshould を入れればいいだけの問題が多いのです。
あとは、長文読解をする際に、「この should は何だろう?」と悩まずに、「あ。万が一の仮定だ」と理解できれば良いのです。

If I should fail, I will try again.

こうした気持ちで、臨みましょう。


さて、この should とセットで覚えたいのが、were to の用法ですが、こちらのほうがさらに曖昧模糊としています。
まずは例文を見てみましょう。

If you were to win the lottery, what would you do?
もし仮に宝くじに当たるようなことがあったら、どうしますか。

この were to は、助動詞のようなものとしてみれば、とりあえず、構造はわかりやすいと思います。
助動詞ですから、were to の後ろは、動詞原形となります。
If+主語+were to+動詞原形。
形はこれでよいですが、では意味はどうなのでしょう。

文法テキストには、「未来の事柄についての仮定」「『仮に~すれば』という、実現の可能性のある仮定」と説明されています。
・・・わからない。
これでは、直説法の if 節とどう違うのか、あるいは仮定法の should とどう違うのか、わからない・・・。
実際の were to の用法は、上のような説明をする他はない、幅のある、曖昧なものです。
しかし、ここは、受験英語として、特に should との使い分けにしぼって考えましょう。

文法問題では、どういう扱われ方をするのか?
were to は、「議論のための仮定」ととらえると、わかりやすいです。

仮に~だとすれば、・・・だろう。

「仮定の話にはお答えを差し控える」
という紋切り型の答弁が予想できそうな、あれですよ。

If we were to lose the secret of making fire, what would happen?
仮に私たちが火を起こす秘訣を忘れたとしたら、どうなるだろうか。

If I were to fail again, my boss might fire me.
仮に私がもう一度失敗したら、上司は私をクビにするかもしれない。

何かを仮定して、それに対して推論を述べる。
何かを仮定して、それに対する意見を求める。
文法のテスト問題における were to は、ひたすらこの用法です。
だから、そういうものとして区別しておけばテストは大丈夫です。

実際の英語では、were to と should は、意味の重なる部分も多く、また、were to のほうが should よりも口語的で柔らかい、と評する意見もあります。
しかし、それでは識別できないので、意味の重なる部分の出題は、テストでは避けるのです。
「万が一」のときは、should。
「仮に~ならば」のときは、were to。
と、識別がわかりやすいようになっています。



大学入試の出題形式は、変わりつつあります。
国際学科や英語学科など、英語を学ぶ本流といえる学科の入試ほど、文法問題の出題は減り、読解が中心となっています。
先日行われた共通テストもそうでしたね。

そうした出題形式では、were to と should の使い分け問題など出るはずがありません。
本来の、意味の重なる部分も理解した上での把握で大丈夫な時代が始まっています。

しかし、それは、文法を学ばなくてよい時代の到来、ということではないと思います。
中学生に英語を教えていても、文法を無視して英文を読む子は、内容を理解できないのです。

My uncle in New York will take my brother and me to the zoo.

この英文はどういう意味なのかを問うと、
「私のおじと兄と私は、ニューヨークの動物園の写真を撮るでしょう」
といった、雑な解釈をする子がいます。

英文の構造を把握せず、目についた単語を拾って適当に意味を作りあげる「妄想和訳」は、英語学習の初期から始まります。
この英文の誤訳の最大の原因は、take+人+to+場所「誰々をどこそこに連れていく」という表現を知らないことにあるでしょう。
その構造が見えていないのです。
take の意味は「取る」。
それしか覚えない。
英語と日本語は1対1の対応。
意味は1つしか覚えない。
そういう頑なな子がいます。
ただ、take+人+to+場所 という用法を理解しても、どこの部分が「人」で、どこの部分が「場所」かよくわからない、長いとわからない、という子も多いです。
英語を意味のまとまり、すなわち「句」に分解してとらえることができないのです。
意味のまとまりというのは、「意味」という言葉を使っていても、実は文法的な把握だからです。

My uncle / in New York / will take / my brother and me / to the zoo.
主語・修飾語・動詞・目的語・修飾語。
こうした意味のまとまり、すなわち「句」は、意味からではなく、文法的に区切っているものだからです。
各品詞の種類と働き、そして文の成分と5文型を理解していないと、「意味のまとまりで区切る」ということ自体が曖昧でよくわからないものになってしまうのです。

英文解釈については、気の毒な誤解もあります。
英語を日本語に転換する際に、どうしても語順は変わります。
それは言語の構造が異なるから当然そうなるのですが、言語に対する意識の低い子は、何をどのように転換しているのか、その仕組みが理解できません。
だから、自分も適当に順番を変えていいと思うようなのです。
目立つ単語を適当に拾って読む自分の読み方が間違っているということが、うまく呑み込めません。
「正しい訳」と呼ばれるものも、適当に単語を拾って順番を変えているようにしか見えないのでしょう。
本人としては、正しい訳の真似をしているつもりなのです。

英文の1つの基本は、
主語・動詞・目的語・様態の修飾語・場所の修飾語・時の修飾語。
誰々が・何々する・何々を・どのように・どこで・いつ。

この語順であり、その部分ごとに意味を取るんだよ、と繰り返し説明しても、苦しくなると、文の別の位置から単語を拾ってきて、勝手に組み合わせます。

何が原因かといえば、文法の基礎が本人の中にないことに尽きるのです。
日本語の文法がわかっていない。
英語の文法もわからない。

時代は変わりつつありますが、文法の学習が不要と思うのは間違っています。
むしろ正確でスピーディーな読解のためにこそ、文法は必要です。
英文の構造がわかっていれば、あとは単語の意味さえわかれば、英文はサクサクと読み進めることができるのです。



  


  • Posted by セギ at 12:28Comments(0)英語