たまりば

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2019年05月08日

なぜ子どもは「速さ」の問題が苦手なのか。

なぜ子どもは「速さ」の問題が苦手なのか。

ラジオ講座と同様、好きなラジオ番組は録音して、家事などやりながら、あるいは寝る前に聴くことにしています。
どうしても録音はたまりがちで、ひと月ほども後に番組を聴くことがあります。
前にもこのブログで書いた、『%がわからない大学生』という本の著者がゲスト出演しているラジオ番組を昨日になって聴きました。

日本の算数・数学教育がつまらない。
その例として、ラジオ番組で語られた内容に、再び首を傾げてしまいました。

「花子さんは、340円のお弁当を6個買いました。いくら払ったでしょうか」
例えば、かけ算の文章題はこんなのばかりだからつまらないと、その著者は言うのです。
代案としては、
「稲妻が光った後、6秒経って雷の音が聞こえました。雷が落ちた場所は、ここから何m離れているでしょう?」
という問題が良いというのです。

・・・いやいやいや。
それ、音の速さの問題ですよね?
その問題で、340×6という式の意味を理解でき、面白いと感じる子は、ほおっておいても数学や理科が好きです。
数学嫌いな子は、何かのトラウマでもあるのかというくらいに「速さ」が苦手です。
それに「音速」という物理の要素が加わると、ごく簡単なことも全く理解できない様子の子に何人も出会ってきました。

「速さ」という単元は、小学校6年生で学習します。
これといって難しい要素はないはずなのに、苦手な子は多いです。
速さ×時間=みちのり
という感覚的にもごく自然な式がわからない子もいます。
実感がわかない。
理解できない。
自分は絶対に速さの問題は解くことができないという謎の主張をする子をなだめ、落ち着かせてようやく学習に入ることもあります。

「速さ」という単元の難しさは、まず「速さ」の定義にあるのだと思います。
学校や塾での最初の授業時に正確に定義されているはずなのですが、子どもは、多くの場合、そういうものは聞き流します。
速さの定義がそれほど重要なものであることに気づかないのだと思います。
言葉の意味を聞き流す学習習慣がついているのでしょう。
必要なのは解き方を丸暗記することだけ。
そういう学習姿勢が既に出来上がっているのかもしれません。

「速さ」とは何か?
目の前を何かビューンと動いていく物のスピードのこと。
速いほど、ビューンというスピードが速い。
・・・実感としては、そんなふうではないでしょうか。
そして、この実感が、「速さ×時間=みちのり」という公式の理解を阻む最初の壁です。

ビューンというのは擬声語です。
何かを表現しているようでも、これでは何も説明していません。
スピードというのは「速さ」のことですから、英語で言い換えただけです。
結果として、何も説明していないことになります。

でも、速さは、実感としては確かにそういうことです。
速いと遅いはどう違うのか?
どうすれば、速さを比べられるか?
どうすれば、速さを量的に表すことができるか?

目の前をビューンと動いていくスピードそのものを表すことは、現実には不可能です。
でも、同じ時間を与えられたら、速いものほど長い距離を移動します。
そのことで、速さを量的に表すことができるでしょう。
そこから生まれたのが速さの定義です。

1時間で進む道のりを速さとして表したものが、時速。
1分で進む道のりを速さとして表したものが、分速。
1秒で進む道のりを速さとして表したものが、秒速。
単位時間で進む道のりを、速さと定義しています。

この定義をしっかり理解した子と理解していない子とで、その後の理解が大きく異なります。
わかったような顔でふんふんとうなずいて見せても、「速さ」が後になるほどわからなくなる子は、この定義が理解できていないのです。
速さに時間をかけるとなぜ道のりになるのか理解できないのは、速さの定義を理解していないからです。

ここで恐ろしいのは、短期記憶能力の高い子ほど、その場では完全に理解したような顔をすることです。
教わったときだけは完璧に公式を活用できます。
しかし、言葉の定義や公式の意味は、すぐに忘れます。
1週間後には、もう速さの定義を忘れています。
公式だけは、必要だと思うからか覚えています。
意味は本人の中で後退し、公式は、もはや単なる記号です。

その繰り返しで、算数・数学は意味のわからないものになっていきます。
そうした学習方法が後になるほどどれだけの困難を本人にもたらすか、本人には自覚がないので、注意して治るようなものではありません。

中学生や高校生になってから、
「数学は意味がわからない」
と、急に本人が意味を重視した発言をすることがあります。
しかし、小学生の頃、本人が意味を重視した学習をしていたのかどうかは疑問です。
立ち止まって意味を理解しようとするより、公式を丸暗記して目の前の問題を解くほうが楽ですから。
小学校の算数の頃に学習したことの意味が記憶の中で後退し、全てはただの作業手順となっている子が、中学や高校の数学の意味を理解しようとしても、それには多くの労力が必要となります。
中学・高校の数学の意味を理解するための前提となる知識が本人の中にないのです。
頭の中にあるのは、形骸化し記号化した公式と作業手順だけです。

教え方をちょっと変えたくらいでこういうことが改まるとは思えません。
意味を含んで全部を理解するのは、重いのです。
学習内容を軽量化するには、公式や解法手順だけ丸暗記すること。
本人がそのように無意識に判断し、全てを忘却しようとする脳の仕組みがそれを助けています。
それで一見上手くいっているように見えることに楔を打ち込むのは、大変な作業です。

しかし、楔は打ち込まなければなりません。
解法手順だけ丸暗記して解いている子に、数学的な未来はありません。


「速さ」に話を戻します。
例えば、時速。
時速は、1時間に進む道のりのことです。
だから、時速4kmの人は、1時間に4km歩きます。
では、2時間では、何km歩くことができるか?
2時間は、1時間が2個分ですから、
4×2=8 で、8kmです。
速さ×時間=道のり
この公式の意味は、そういうことです。

15kmの道のりを、3時間で歩いたとします。
この人の時速は?
時速というのは、1時間で何km進んだか、です。
15kmは、3時間の道のりなのだから、1時間あたりの道のりは、
15÷3=5 で、
時速5km。

時間を求めるのも簡単ですね。
時速3kmの人が、12km歩くのに何時間かかるか?
時速3kmというのは、1時間で3kmということだから、12kmの中に3kmが何個分あるかと考えると、
12÷3=4
4時間です。

速さ×時間=道のり
道のり÷時間=速さ
道のり÷速さ=時間

この3つをまとめて「速さの3公式」と呼びます。
全て意味を理解できる公式ですので、覚え方は本来必要ありません。
意味から考えれば、当然そうなるものです。
そういう点では、「速さ」は「割合」とは異なります。
「割合」は式を変形しただけなので意味を実感できませんが、「速さ」は、常に意味を伴っています。

だから、私は「は・じ・き」や「は・じ・み」の図は基本的には教えません。
速さの問題は、文章題から意味を汲み取って正しい式を立てることが可能だからです。
しかし、私が教えなくても「は・じ・き」の図を誰かから教わって使うようになる子が大半です。

気持ちはわからないでもありません。
上の3つの公式は意味から理解できる公式ですが、「単位量あたり」の問題など、それ以前の学習が未消化で終わっている子の場合、公式の意味がわからないことがあります。
この単元はかけ算。
この単元はわり算。
そういう把握をしてきた子は、かけ算かわり算かを自分で判断しなければならない単元が苦手です。
そもそも意味を考えて公式を利用したことがなく、意味から算数にアプローチをした経験がないのだと思います。
理解するのではなく、覚えることが算数。
そういう学習をずっと続けてきた子が、いきなり「速さ」だけは意味を理解するというのは、困難を伴うことだと思います。


速さを本当に理解しているかどうかは、問題のレベルを少し上げると露呈します。

問題 時速4kmで歩く人が、30分歩きました。何m歩きましたか。

4×30=120
答え 120m

速さの本質を理解していない子は、こういった誤答をしがちです。
そして、公式通りに式を立てたのに正解できなかったことで混乱し、「速さ」という単元にトラウマを抱き、「速さ」と聞いただけで嫌な顔をするようになっていきます。

意味から考えるならば、時速4kmの人、とは1時間で4km歩く人のことです。
4×30 という式では、30時間歩いた道のりが出てしまうと気づきます。
30分というのは、1時間の半分なのだから、進む道のりも半分になるでしょう。
それは、30分=1/2時間ということでもあります。
4×1/2=2
この2は2kmということだから、mに単位を直して、答えは、2000m。
意味を考えれば、このように楽に解いていけます。

しかし、意味を考えず、全てが公式と作業手順だけになっている子にとって、単位換算は作業手順として複雑で厄介です。
単位換算の1つ1つに実感はなく、作業手順として暗記しようとしているので、覚えきれないのです。
分を時間に直すとき、60倍するのだったか、1/60にするのだったか、すぐわからなくなってしまいます。
長さの単位換算をただの丸暗記をしている子は、1km=100m としがちです。
1kmに対して、100mに対して、何も実感がないのだと思います。
あるいは、それぞれの距離感は実感しているのだとしても、それを算数と結びつける発想がないのかもしれません。
算数は、とにかく公式と手順を丸暗記するものと思い込んでいるのでしょう。

こんなに簡単な問題を、なぜこんなに大変そうに解いているのだろう・・・?
そう感じるとき、この子は意味を理解していない、作業手順で解いているのだと透けて見えてきます。
「速さ」だけ理解させようとしても、そう簡単にいかないのです。


6年生で「速さ」を学習した後、現行のカリキュラムでは中学1年の理科で「音」について学びます。
「音」や「光」は、中学1年で学習するのは無理なのではないかと感じるほど、苦手な子が多い単元です。
中学3年になって、高校受験のために復習しても、中1の他の分野ほどには理解が進まないことが多いです。
ともあれ、中1以降は、理科で既に学習済みということで、数学でも音に関する文章題がたまに出題されることがあります。
そして、ほとんどの生徒が、補助しなければその問題を解けません。
「音の速さを秒速340mとして求めなさい」
というように、解き方の何もかもが問題文の中に書いてあるのに正答率が低い。
それが音の速さに関する問題です。
速さだけでも苦手なのに、さらに嫌いな理科の要素が加わったら、もう解ける気がしない・・・。
そういう子が多いのです。

現実に雷が鳴ったときに、雷と自分との距離の求め方がわかる。
だから、こういう問題なら興味をもって生き生きと学習できるだろう・・・。
『%がわからない大学生』の著者のそうした狙いはわかるのですが、そのような安易な理想を全て踏みつぶしていくのが現実の子どもたちです。
雷と自分との距離なんて、現実の子どもたちは「興味ない」で終わりにします。
もう恐ろしいくらいに全てのことに「興味ない」なんです。
勉強に関わることは全部「興味ない」のかもしれません。
そもそも勉強が嫌いなので、勉強に興味をもたせようと大人が仕向けてくる気配を感じると、早めにシャットアウトするのかもしれません。

そういう現実の子どもたちに拒否され、安易な理想は簡単に潰されて。
現実の数学教育は、しかし、そこから始まります。
地獄絵図のような思い出もあれば、宝石のような思い出もあります。
算数・数学を長く教えてきて、振り返った感想はそういうものです。
なかなか理想通りにはいかないけれど、思いもしなかった成果もありました。

ただ、こういう著者の勘違いはわからないでもないのです。
この人、大学教授なのだそうです。
数学教員になりたい教育学部の学生に教えているようです。
現実にうといのは、そういう立場だからかもしれません。
毎日子どもたちに算数・数学を教えている立場の人ではないのです。

学校の学習内容を扱う民放のテレビ番組などもそうです。
生徒役の若い女性タレントなどが、
「わかりやすーい。学校でも、こうやって教えてくれたら授業を聞いたのにー」
といった感想を口にすることがあります。
番組的にはそれで良いわけですが、あの女性タレントは、収録が終わったら番組の内容はほとんど覚えていないのではないかと思います。
わかりやすーい。
理解できた気がするー。
しかし、それはそれだけのこと。
右の耳から左の耳へと通り抜けていき、記憶には残りません。

その教授は、子どもたちに実際に授業をすることもあるのかもしれません。
そんなときの子どもたちの反応もそういうものではないのでしょうか。
大学の先生が、自分たちに授業をしてくれる。
普段とは違う、その特別な雰囲気。
そんなときには、
「わかりやすーい」
「面白ーい」
「はじめて算数がわかったー」
子どもは、そういう感想を口にすると思います。

私も、そういう子どもの称賛を受けることがあります。
「わかりやすーい」
「学校の先生もこうやって教えてくれればいいのにー」
そのように褒めてくれる生徒は昔も今もいます。
若い頃は、そういう称賛に自惚れたこともありました。

でも、今は、そういう褒め言葉は聞き流すことにしています。
「わかりやすーい」
と言った子は、翌週にはその内容を覚えていないかもしれません。
「学校もこうやって教えてくれればいいのにー」
と褒めてくれたところで、その考え方を利用した問題を解けるとは限りません。

私は何のために存在するのか?
わかりやすいけれど子どもの耳を素通りしていく授業ではダメなのです。
「わかりやすーい」だけではダメ。
理解したら、その理論を利用する問題を自力で解いて正答する。
それが本当に理解したということです。
そこに至れない子がいくら褒めてくれても、それではダメだと思っています。
褒めてくれるその気持ちを大切にしたいからこそ、その子が本当に算数・数学の問題を解けるようにしたいのです。

「花子さんは、340円の弁当を6個買いました。いくら支払ったでしょうか」

旧態依然としたこの問題は、確かに面白くないかもしれません。
けれど、かけ算の概念を子どもが最も理解しやすいのは、こうした値段に関する問題です。
340円の弁当を6個。
それなら、340×6だ。
この式は、多くの子が自力で立てられます。
面白いかどうかよりも、自分が理解できて正答できることのほうが、子どもにとってはどれほど嬉しいことか。
花子さんには、永遠に弁当を買わせてやってほしい。
私は、そう思います。

そのラジオ番組で面白かったのは、数学が大嫌いな番組のパーソナリティーが、子どもの頃の思い出を語った部分でした。
わり算を勉強したときに、先生が、8÷2を教えるのに、
「8の中に2は大体いくつあるでしょう」
という教え方をしたのにつまずいたというのです。
算数に「大体」はありえないと思い、そこからわり算がわからなくなった、という話でした。
それに対して、その教授は、
「わり算というのは難しいですからね」
などと言葉を濁して済ませていました。
学校の先生がうっかり使った「大体いくつ」という言葉でつまずく子どもがいる・・・。
そのことの恐ろしさに、もっとビンと反応しても良かったのではないかと思います。
その番組の中で、最も聴く価値があったのは、その部分でした。

しかし、本当にそんなたった一言でつまずくものでしょうか。
「大体」という言葉につまずくのは、それ以前に算数に対する苦手意識や嫌悪感があったからではないかと思うのです。
もともと、算数・数学に対して良い感情を持っていなかったのではないか?
否定するための理由を無意識にずっと探していたのではないか?
だから、その一言に飛びついたのではないか?
理由さえ見つければ、算数が嫌いな自分を肯定できる・・・。

子どもは、ありとあらゆる理由を見つけて、算数を嫌います。
幼く判断力不足な子どもは、安易に算数・数学を嫌い、理解することよりも解き方を暗記することを選びます。
理解しなさい、考えなさい、と言われることをひどく嫌います。
学習の軽量化・スリム化には、丸暗記が有効。
深い理解は脳の容量をやたらと喰うだけ。
無意識に、そのような判断をしているようです。

しかし、そうやって意味を失い形骸化した公式や作業手順の集積の上に、高校数学の知識は乗りません。
高校生になると数学が全くわからなくなるのは、そのためです。
数学がわからないことは、進路を決める上で大きく影響します。
そのリスクを、幼い子どもは知りません。
自分の将来を自分が狭めていることを、知りません。

大人の責任は重い。
そのことに関しては、その教授の言いたいことはわかります。
頑張らなければ。
そう思います。




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