たまりば

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2019年04月26日

割合を理解できない子どもたちと「く・も・わ」の図。

割合を理解できない子どもたちと「く・も・わ」の図。

『%がわからない大学生』といったタイトルの本が出版されたようで、そのプロモーションのネット記事を今読んだところです。
その本そのものは読んでいないのですが、その記事を読んだ限りでは、ちょっと読む気が起こりません。
もしかしたら、本は、ネット記事とは異なり、良い内容なのかもしれませんが、プロモーション記事には、新しい内容が何にもない・・・。

%がわからない大学生がいるのは事実だと思います。
例えば「2億は50億の何%か」といった問題に正答できない大学生。
それは存在すると思います。
それは、もうずっと前から言われていることです。
大学の歯学科や獣医学科など、理系の学生なのに分数のたし算ができない子のいる大学もあると聞きます。
そういう大学では、算数や中学数学の復習を1年次に履修させているそうです。
そういう話は、ゆとり教育を受けた子たちが大学生になった頃からずっと言われ続けていることです。
それほど学力基準が高いわけではない大学に、しかもAO入試や推薦入試で合格した子の中には、そういう子もいるでしょう。

その記事の中で現代と比較されていたのが、1980年代のデータでした。
ゆとり教育の始まる前、詰め込み教育の時代は、こういう問題には正答できる子どもが多かったのです。
ゆとり教育以降、「割合」の問題を解けない子どもが激増している。
それは、わかります。

小学校5年で学習する「割合」という単元を理解できる小学生は、全体の50%に満たないだろうというのが私の実感です。
問題は、その分析です。
なぜその子たちは、「割合」を理解できないのでしょうか?

そのネット記事で不愉快だったのは、「誤答している子ほど、答案の隅に『く・も・わ』の図を描いている」という一種の揶揄でした。
まるで、深い理解を阻む犯人が「く・も・わ」の図であるような書きぶりでした。
それは違うと思います。
その書き手こそ、「割合」という単元について理解していないから、そういうことを平気で書くのではないか?
小学生が初めて「割合」を学ぶとき、どのような反応であるかを知らないからではないか?
そう感じるのです。

その記事を書いた人は、おそらく「く・も・わ」の図を使わずに割合の問題を解けるのでしょう。
では、そもそも、「割合」は、なぜ「比べられる量÷もとにする量」で求めるのか?
その問いに、その人は答えられるのでしょうか?
また、「もとにする量」は、「比べられる量÷割合」で求められるのはなぜなのか?
そして、「比べられる量」は、「もとにする量×割合」で求められるのはなぜか?
この式に子どもが感じる違和感を想像できない人に、子どもがなぜ「割合」を理解できないのかを語ってほしくない。
原因は、正答の求め方だけを安易に教える数学教育にあるとする。
しかし、表面の正答率だけ見ているのはあなたのほうではないのか?
そう思うのです。

「く・も・わ」の図を使わない人も、公式を「そういうものだ」と思い込み、暗記して使っているだけではないでしょうか。
何十年もそういうものだと思って使ってきたせいで、それが自明の理のように思えるだけで、理由の説明はできないのではないでしょうか。

「く・も・わ」の図を使った子が記事の中で揶揄されているのは、正答できなかったからです。
正答できればそれでいい。
記事を書いている本人の中にも、その意識が濃く漂っているのを感じます。

私自身は、割合の問題を解く際に「く・も・わ」の図は使いません。
子どもの頃も、使っていませんでした。
大学生になって、塾講師のアルバイトを始めたとき、バイト仲間が「く・も・わ」の図を使って子どもたちに教えているのを見て、へえ便利な教え方があるものだと思い、私も教えるときには使うようになりました。
それが、まさに80年代です。
だから、この教え方は古くから存在します。
今に始まったことではないのです。
80年代も、その図を使って解いていた子は多いと思います。
ただ、その図を使って正答していたから、「%がわからない」と言われることはなかった。
それだけのことだと思うのです。

「割合」はかなり特殊な単元で、これを「正答さえ出れば良いという教育が理解を妨げる」例に挙げるのには無理があります。

「割合」は、なぜ「比べられる量÷もとにする量」で求められるのか?
このブログの中で幾度も書いてきましたが、その根本は分数です。

問題 サッカー選手のA君は、7本シュートして、2本ゴールしました。A君がゴールした割合は、どれだけでしょうか?

答えは、2/7 ですね。
このことは、実感をもって理解できることです。
しかし、「割合」で実感をもって理解できることは、これしかありません。
あとは、理論上の操作ばかりです。

2/7 という分数を式で表すと、
2/7=2÷7 です。
では、2÷7 とは、上の文章題で何を意味するでしょうか。
2とは、ゴールした数。
7とは、シュートした数。
全体の中での2の量的価値を、判断しようとしています。
そういうときの2を「比べられる量」と呼びます。
全体の7のほうが「もとにする量」です。
割合=比べられる量÷もとにする量 という公式は、ここから生まれています。
このわり算の公式そのものが、子どもにとっては実感を伴うものではないのです。

大人の多くは、この公式を沢山使うことで実感を後付けしています。
だから、自明の理のように感じています。
しかし、初めて学ぶ小学生がこの公式に強い違和感を抱くのは普通のことです。

小学校低学年で割り算を最初に学ぶとき、わり算と言えば「大きい数÷小さい数」なのが当たり前でした。
だから、文章題をろくに読みもせずにただ「大きい数÷小さい数」で式を立ててやり過ごしてきた子も多いのです。
しかし、「割合」は、「小さい数÷大きい数」であることのほうが多くなります。
その違和感に耐えられず、「小さい数÷大きい数」の式を立てることが不安で、どうしてもその式を立てられない子が存在します。

そんなのは、文章題をろくに読みもせず、「大きい数÷小さい数」なんてくだらない考え方で問題を解いてきた本人が悪いんだろう?

・・・確かに、そうかもしれません。
でも、子どもは、学習の先に何があるかを知りません。
「わり算だったら、大きい数÷小さい数」という解き方は、大人が教える解き方ではありません。
その解き方に未来がないことを大人は知っていますから。
「大きい数÷小さい数」は、子どもが自ら発見してしまうのです。
しかも、目端の利く子ほど、そういう解き方を発見します。
算数を、考え方よりも正解が出ればそれで良いものとしてしまうのは、子ども本人であることが多いのです。
答えよりも考え方を大切にしなさい、などと言っても、聴く耳を持ちません。
実際、正解が出ているのですから、それの何が問題であるのか、幼い子どもにはなかなか通じません。

勿論それは、式の見た目さえあっていて正答さえ出ていれば何も言わない周囲の大人の反応を感じているからのことでしょう。
そもそも、「%がわからない大学生」ということが言われるのは、表面上、%を求める問題で正答できない大学生が存在するから、それを課題ととらえています。
本質は理解していないけれど、やり方だけ知っていて正解している大学生のことは、問題視しないのです。
80年代だって、本質を理解していない子は多かったのかもしれないのにです。
それもまた、正解さえ出せればそれでいいという考え方です。
問題意識を持っている人も、そこから脱却できていないのです。

比べられる量÷もとにする量=割合 
という式だけでもこんな実感から乖離して難しいというのに、残る2本は、さらに実感とは無関係です。
それらは、逆算で式を操作しただけの式です。
☐を使った式から☐を求めるのが逆算です。
式の変形ということですね。

上の式から、比べる量を求める式を導くと、
もとにする量×割合=比べられる量

もとにする量を求める式を導くと、
比べる量÷割合=もとにする量

これは式を変形して公式としたものですから、何の実感も伴わなくて当然です。
比べる量を割合で割ると、もとにする量に戻る・・・。
よくよく考えたら気持ち悪くないですか?
気持ち悪いのは、それが意味を持たないからです。
式を変形しただけだからです。
ただ、実感はなくても、これは正しい式なのです。

意味なんてない。
式を変形しただけ。
それならば、公式を3つも1度に覚えられない子のために「く・も・わ」の図を使うのは有効だと思います。
実際に「く・も・わ」の図を使って割合の問題を正答できるようになっている子は沢山います。
意味を教えなければならないものなら、そうした教え方は避けるべきです。
しかし、もともと意味なんかないものは、「く・も・わ」で教えて構わないでしょう。


ところで、「く・も・わ」の図で教えているのは、80年代も現代も同じであるのに、なぜ、現代の子は「割合」の正答率が低いのか?
正当できない原因の第一は国語力でしょう。
そのことは、その本の中でも述べられているようです。

低学年で問題文をろくに読まず、
「今はわり算を勉強しているんだから、大きい数÷小さい数の式を立てときゃいいんだろう」
という判断で文章題をこなし、それで正答してきた子たちは、小学校高学年になると、それでは解決できない文章題に突き当たります。
「単位量あたり」の問題がそうです。
「割合」の問題もそうです。
かけ算なのか、わり算なのか。
わり算だとして、どの数字をどの数字で割るのか?
数量の関係を見極めて式を立てなければなりません。
そのときになって、しぶしぶ問題文を真面目に読もうとしても、数量の関係を読み取れない子がいます。
「比べられる量÷もとにする量」という式を使うとわかっていても、どれが比べられる量で、どれがもとにする量か、読み取れない。
大学生になっても、それが読み取れない。
そういう子が、今は本当に多いだろうと思います。
それは、確かに問題です。
ただ、それは、数学教育に問題があるとは言い切れないと思うのです。

記事中には、
「数学が苦手な生徒には、答えを当てるマークシート問題だけ解ければ良いという困った指導が広く行われている」
という記述がありました。
なぜそんなに雑な総括をするのでしょう。
数学のマークシート問題で答えだけを当てるのは不可能に近いです。
数学のセンター試験の正答率の低さを知らないのでしょうか。
答えだけ当てることなどできないから、あの正答率なんです。
数学のセンター試験は、論理を追っていけないと空欄が埋まらないのです。

今の小学校の教科書は、子ども自身に考えてみるよう常に問いかけています。
改訂前の今も十分にそうです。
それでも、考えない。
解き方だけ覚えようとする子どもは多いです。
指導がそうなのではなく、本人がそうである場合が本当に多い。
どうしてそうなってしまうのでしょう?

そうして、高校生になり、覚えきれない複雑な公式や解法手順ばかりなると、数学は完全に諦める・・・。
本当にそれは日本の数学教育のシステムが悪いからそうなってしまうのでしょうか?

比較的理解力の高い、中学受験をする小学生でもそうです。
小学校では教えない特殊算。
例えば植木算や、分配算など、基本の考え方を塾ではまず解説します。
その上で、例題は、本人に解き方を考えてもらいます。
塾としてはそれが普通の授業形態だと思うのですが、その授業に不満を抱いていた子と話をしたことがあります。
「初めて見る問題なんだから、教わらなければわかるわけがないのに、自分で考えろって言うんだよ。おかしいでしょう」
「・・・でもね、入試問題は、初めて見る問題だよ。見たことある問題、解いたことある問題なんて、いくつもないよ」
「・・・」
解いたことのある問題しか解けるわけがない・・・。
初めて見る問題を自分で考えてみろと言うのは、相手がおかしい・・・。
かなり理解力の高い子でそこまで言い切る子に初めて会いましたが、公式や解法手順だけ丸暗記して済ませたいタイプの子の、これが本音なのだと思います。
自分で考えろと言われることが、本当に不愉快で、それを要求してくる相手は敵であると感じるようです。
その子は、その塾がお母様に薦めた家庭学習法として、その週のうちにテキストの問題を3回解き直していました。
それには素直に従っていたようです。
解き方を完璧に丸暗記するための、1週間で3回の解き直し・・・。
私が小学生だったら、そっちのほうに猛反発したと思います。
何で1度解いた問題を3回も解かないといけないの?
・・・写経?

確かに解法の丸暗記教育は、一部で現実に行われているのだと思います。
そんな解き直しよりも、類題を自分で考えて考えて考え抜くほうが、段違いの学力がつくのですが。
しかし、そういうことができない子もいます。
感情的に反発します。
それを見越して、何もしないよりは週3回の解き直しを提案するほうが、今よりは正答率が上がるのも事実です。



「割合」の学習は、5年生でひと通り学んだ後、6年生で「比」を学び、それと連動して復習します。
中学の数学では、「割合」は、方程式の文章題の中で再び使用します。
5年生のときには数量の関係を把握できなかったけれど、ここで回復する。
そういう子も多く存在します。
一方、この段階でもやはり把握できない子は、ここで典型題の解法のみを何とか丸記憶してやり過ごします。
あるいは、割合の文章題が出たらもう諦めて解かない子もいると思います。

中学になって「割合」を復習しても、やはり理解できない子は存在します。
幾度復習しても、理解できない。
割合の3用法に意味などない、式の変形だけなのだと説明しても、その説明が理解できない。
問題文から比べられる量ともとにする量を識別することがどうしてもできない。
割合というものが何を表すものなのか、その本質を理解できない。
そういう単元が「割合」です。
それは、直接「割合」とは関係ないように見える単元にも表れます。

例えば、中学3年で学習する「相似」。
△ABCと△DEFが相似で、相似比が3:2である。
AB=60のときの、DEの長さは?

こういう問題で、
60:DE=3:2
3DE=120
DE=40
という比例式を用いた定型的な解き方でないと解けない子がいます。

「割合」と「比」が、無関係な知識として頭の中に存在し、連動しないのです。

「相似比が3:2なんだから、DEはABの2/3でしょう?だから、40でしょう。これは見たらわかるよね」
数学が苦手な子はともかく、都立自校作成校を受験する子には、そう説明するのですが、
「いや、そういうのはわからないから」
と頑なに比例式を立て続ける子もいました。
数学の定期テストで90点台を取れるようになっていても、頭の奥まで数学的思考が染みていっていないのです。

数学的思考が頭の中まで染みていくのを拒み、跳ね返すものがある。
それは、何なのだろう?
それが、なかなか見えてこないのです。

答えを当てるマークシート問題だけ解ければ良いという困った指導なんかしていません。
そんな指導をしている気配を学校の先生から感じることもありません。
答えではなく、数学的な考え方を理解してほしいと、みんな思っています。
でも、考えることを拒否する子どもは、確実に存在します。


小学生の頃は、解き方を暗記したほうが簡単だから、それで済ませたいという、ある意味目端の利く子が多いのだとしても、中学・高校と数学の学習が進むにつれて、論理や考え方が重視され、論理を追えないと正解が出せない問題が増えていきます。
しかし、本人の意識が切り替わらないのです。
結果、高校数学になると、解き方が複雑になって暗記できなくなり、ついていけなくなる・・・。
数学が苦手な子の、それが現実ではないかと思うのです。

一方、私の問いかけが通じる子も、また少なくないのです。
現在数学ができるかどうかは、あまり関係ありません。
「座標平面上の求めたい点のx座標を自分で勝手に t と置いたのに、t が求められるわけがない。自分で勝手に置いたんだから」
「√36は、2乗したら36になる数なんだから、√36=36だと思う」
といった数々の妄言を繰り返し、何かと授業中に私と議論になった中学生は、気がつくと自力で応用問題を解けるようになり、数学のテストで高得点を取るのが当たり前になっていました。
考える子は、いくらでも伸びます。

考える子と、考えることを徹底して拒否する子とは、何が違うのだろう?

大学生になっても%を理解できない子のことを誰よりも悲しんでいるのは、子どもの頃のその子たちの算数・数学教育に携わっていた人たちでしょう。

記事には、ある学生が、
「数学を苦手としている者でも、本心は時間をかけてでも内容をよく理解したいと思っているのです」
と熱く語った、という記述がありました。

そういう子は、早い時期に出会えれば、確実に助けられます。
解き方だけ覚えようとするのをさえぎり、
「今の、本当にわかった?」
と問いかける度、嫌な顔をされることのほうが多いけれど。
そう思います。




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