たまりば

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2020年03月31日

伝えることの難しさ。

伝えることの難しさ。

小学生に算数の授業をしていたときのことです。
こんな問題を解いていました。

問題 青い色紙が45まい、赤い色紙が60まいあります。これらの色紙を、それぞれ同じ数ずつあまりがないように子どもに分けようと思います。子どもが何人のとき分けることができますか。

公約数に関する文章題です。
45と60の公約数を求めればよいですね。
公約数は、1、3、5、15。
だから、答は、1人、3人、5人、15人 です。

この問題は、解答欄が4つあり、「  人、  人、  人、  人」となっていました。
答が4つあることを教えてくれている親切な問題だと私は感じていました。

ところが、ある生徒が、この問題にこういう答を書きました。
「5人、5人、  人、  人」

・・・え?
どういうこと?

「・・・どういう解き方をしましたか?説明してください」
そう問いかけましたが、しかし、その子は押し黙ったまま、何も答えませんでした。
自分の答は間違いなのだなと気づくと、それに関して説明をしない子・できない子は多いのです。
無理もない、とも思います。

以前に見たことのある種類の誤答なら、誤解の原因も見当をつけやすいのですが、このミスは初めて見ました。
45枚の青い色紙と60枚の赤い色紙を、5人と5人に分ける・・・。
45枚を5人に分け、60枚を別の5人に分ける、ということなのだろうか?
上の問題文は、そのように誤読する可能性がどこかにあるものなのだろうか?
そう思って問題文を読み返すと、確かに読み取りにくいところがないわけではないのでした。

「青い色紙が45まい、赤い色紙が60まいあります。これらの色紙を、それぞれ同じ数ずつあまりがないように子どもに分けようと思います」

「それぞれ同じ数ずつ」の「同じ」は、何がどれと同じなのか?
「それぞれ同じ」とは、どういう意味だろう?
わからないといえば、わからない・・・。
算数の文章題は大体こういう構造のものという蓄積で問題文を読んでいる私とは、読解の仕方が異なる子どもがいても当然です。


とはいえ、近年、言葉が通じにくい子に以前よりも多く出会うようになったと感じます。
例えば、宿題の答えあわせをするとき。
「では、宿題の答えあわせをしましょう。1番の(1)は?」
と声をかけても、反応が返ってこない子もいます。
この指示では、自分が何をすればよいか、わからないようなのです。

「では、宿題の答えあわせをしましょう。答を言ってください。一番の(1)の答えは何ですか?」
このように問いかければ、反応があります。

コンピュータみたいなのです。
正確にコマンドを伝えないと、反応しない。

さらに言えば、
「宿題の答えあわせをしましょう。赤ペンを用意してください。正解ならば、丸をつけてください」
このように声をかけないと、赤ペンを用意しない子もいます。
答えあわせなのだから赤ペンを用意しよう、とは考えないようです。

ところが。
同じ子が、答が間違っていると、消しゴムでその答を消して正解に書き直し、赤丸をつけたりします。
それは、コマンドにない、自己判断です。
私は一切指示していないことなのです。
つまり、実は、コマンド以外のことを自発的に行うこともできるのです。
コンピュータとの決定的な違いはそこです。
誤答を消して、書き直し、赤丸をつける。
そのことについては行動は迅速で、自己判断で処理を行っています。

誤答を書き直して赤丸をつける行為の是非については、また別に書きたいと思います。
是非も何も、そんなのはダメに決まっていますが、今回の話とは異なる話なのです。
変な話ですが、正確なコマンドをしないと反応が返ってこないと思っていた子が、自分の誤答をスッと直して赤丸をつけるのを見ると、この子には自己判断の能力がある、何かを考えている、と感じとることができるのです。
コンピュータにはない精神の存在を感じる、とでも言いますか。

正確なコマンドをしないと反応が返ってこないタイプの子は、学力を低く見られがちです。
理解力が乏しいように見えます。
そんなの大体わかるだろう?が通じない。
常識で考えなさいよ、が通じない。
受け止め方に幅がないのは知力が乏しいせいではないか、と思われてしまいがちです。
ただ、そうとばかりも言えないのではないかと、その精神の存在を垣間見ると感じます。
勝手に答えを書き直し赤丸をつけるということは、何かを考えているということ。
ただ、それが表面に見えてこないのです。
無口で、無反応です。

新しく学習する内容の解説をした後、
「わかりますか?」
と問いかけても反応のない子にも、たまに出会います。
「わかりました?」
・・・無反応。
「何か質問はありますか?」
・・・無反応。
「どこが、わからないですか?」
・・・無反応。
「もう一度訊きます。わかりますか?わかりませんか?返事をしてもらわないと、あなたがわかったのかわからないのか、私にはわからないんですよ。わからないのならもう一度説明しますし、わかるのなら練習問題を解きます」
「・・・わかる」

数回の問答の末、何とか把握したことですが、どうやら、解説はもうわかったので、次の問題を勝手に読み進めていて、その問題について考えていたようなのでした。
その間、私の問いかけに返事をしなければならないという意識はなかったのでした。
悪意はないのです。
ただ、他者の存在への認識が弱いのでしょう。
自分は、自分が何を考えているかわかる。
自分がわかるのだから、他人もわかるはずだ。
自己と他者との境界が曖昧なのかもしれません。
だから、返答の必要性が今ひとつ理解できていないのでしょう。
返事をしないくらいのことで、なぜ、こんなに色々言われるのか?
そのような心の動きが内心ではあるのではないかと想像されます。

ただ、これも、説明すれば理解してくれる場合が多いのです。
とにかく、悪意はなく、ただコミュニケーションにおいて気づいていないことが多いのです。
根気強く問いかけ、返事をしないと授業が先に進まないことが理解できれば、改善されていきます。


ある日。
その子の数学の宿題ノートを見て、私は仰天しました。
1次方程式の計算問題の宿題を解いたノートでした。

9-(4x+1)=-5x+2    x=6

・・・何?この答案。

符号ミスをしていることより何より、与えられた方程式の横に、x=6 だけ書いてあることにぎょっとしました。
え?
この子は、方程式の解き方を知らないの?

方程式は、解いていく過程そのものが答案です。
「以下の方程式を解きなさい」という問題で、計算過程を省略して最後の行だけ書くということはありえません。
高校数学の応用問題の途中で方程式を用いた際に、
9-(4x+1)=-5x+2 
よって x=-6
と計算過程を省略した答案を書くことはありますが、それは高校生になってからのことで、それでも「よって」くらいは書かないと違和感があります。

やはり、方程式の解き方を知らないのだろうか?

・・・いえ。
以前の授業で、その子が方程式をごく普通の解き方で解いているのを、私は見たことがありました。
方程式の文章題の解説と演習をそれ以前に行っていたのです。
ああ、この子は、方程式は解ける。
そう判断しました。
ただ、( )の前に-の符号がある際の処理が苦手の様子。
計算練習をもっとやらないとまずい。
そのように判断して出した宿題でした。

何でこんな答案を書いてきたんだろう?
全問解き直しをしてもらう間、私はその理由がわからず、ただショックを受けていました。
なぜ、こんなに突然退化するのだろう?
塾に通うようになった結果、方程式も解けなくなったなんて、こんなひどいことはない。

方程式の解き直しが全問終わり、もう1ページ、易しい文章題の宿題の答えあわせを始めたときのこと。
例によって、何をxとしたのか、その1行目が書いてありませんでした。
それは、数学が苦手な中学生のほぼ全員がやってしまうことです。
以前の授業で注意したのに・・・と考えて、あること気づき、私は声を上げそうになりました。

・・・・ああっ!

私は以前の授業で、方程式の文章題に関して、こんな話をしました。
採点する先生は、答案の4つの箇所を見ます。
まず、1行目に、何をxとしたかを書いているか。
次に、方程式を正しく立てているか。
次に、x=・・・の計算結果が正しいか。
最後に、最終解答が正しいか。
その4か所を見て、得点を決定します。
それが、採点の流れだよ。
そういうメリハリを意識して文章題の答案を作っていくんだよ。
そのように解説したのでした。

その子は、その説明を、「方程式は、1行目のあとは、x=・・・が書いてあればいい」と聞き取ったのではないか?
中学生の間は、方程式の計算過程を書いておくのが当たり前です。
計算過程を書かなかったら、方程式を解いたことになりません。
そんなところを省略する子などいないから、その話はしなかったけれど。
いや、「当たり前」とか「普通は」とか、そういうことが通用するわけではないのでした・・・。
正しいコマンドをしなければ、正しい反応は得られない。

・・・だとすれば、あの異様な答案は、私のせいなのでした。
( 一一)

無表情に、文章題の宿題の全てに何をxとしたかを書き加えていくその子を見て、考え込んでしまいました。
この子は、私に対して、どのような感想を抱いているだろう?
「自分が言ったことなのに、その通りにしたら次の授業ではそれではダメだと言い出して、全問解き直しを命じる人」だろうか?
これまでも、こういうことの繰り返しで、「先生」と呼ばれる人たちに不信感を抱くことがあったろうか。
大人に不信感を抱くこともあっただろうか。
参ったなあ・・・。

近年、非行少年と呼ばれる子たちで、反社会的な考えや反抗心から犯罪を犯す子は、ごく少ないと聞きます。
むしろ、理解力やコミュニケーション能力に課題があり、周囲の大人と人間関係を結べない子が、社会の隙間に落ちていくようにして犯罪を犯してしまう例が多いそうです。
個別指導塾に来る子は手厚い庇護のもとにある子ですから、もとよりそのような心配はないのですが、このコミュニケーション能力で、貧困やネグレクトなどの課題が家庭にあったなら、どのようなことが起こり得るか、悲惨な想像をしてしまうことがあります。

細心の注意を払っていかなければ。

それと同時に、数回前に私が授業で説明したことをその子は覚えていたのだと思い至りました。
幾度同じ説明をしても、左の耳から右の耳に通り抜けていく様子の子もいる中で、説明を聞いている。
説明を覚えている。
聞いている様子は感じられないけれど、聞いているのです。
この子は、コミュニケーション能力のせいでものすごく損をしているけれど、潜在能力はかなり高いのではないか?
答がわかったときに「わかった!」とも言わないし、嬉しそうな顔もしないから、わかっていないと思われて損をしてきたことも多いのではないか。

誤解をされないような正しい説明をするのは私の仕事。
これは私の能力が試されている私の課題なのだと思います。




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