たまりば

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2023年01月09日

下位クラスの子の成績が上がらない理由。

下位クラスの子の成績が上がらない理由。

集団指導塾は、学力別にクラスが分かれていることが多いです。
そして、下のクラスになるほど、そこから学力を上げていくのは難しいことが多いのです。
なぜそうなってしまうのでしょうか?

私が以前勤めていた集団指導塾は、面倒見が良いことで評判の地域密着型の学習塾でした。
集団指導塾としては小規模な塾で、学年ごとに成績別に2つのクラスに分けるのがやっとでした。
成績上位クラスは、意欲のある生徒が多く、そういう子たちがクラスの雰囲気を作っていましたので、自覚のなかった子もひきずられ、意欲が増していくのが手に取るようにわかりました。
だから、宿題も、どんどん量を増やしていくことができました。
1週間に問題集10ページ以上の宿題。
受験生ともなれば、そんな量でも1日か2日でやり終えてしまう子もいて、
「センセー、なんかプリントほしいー」
と、自習に来ます。
1人がもらいにくれば、他の子も、
「オレもオレも」
ともらいに来て、競争で解いていました。
そういう子たちについては、担任から、
「あいつは、志望校には内申が少し足りないんだけれど、どう思う?」
と訊かれても、
「あの子は、受験日の朝まで伸びますよ」
と、自信をもって答えることができました。

しかし、成績下位クラスの意欲は全体に低調でした。
宿題を出しても、やってこない子も多かったのです。
あるいは、やっていても、当日に慌てて解いたやっつけ仕事。
他の子がやってこないと、それにひきずられ、やってこない子が増えます。
成績は低迷していました。

上のクラスの子たちは、ほぼ全員、志望校に合格していきました。
上位クラスの半数は都立自校作成校を受験し、合格。
他の生徒たちも、自校作成校に続く地域の一番校に合格しました。

一方、下位クラスの子の半数以上は、都立高校に落ちました。

これは、しかし、あの塾だけに特徴的なことではなく、集団指導塾ではよくあることのように思います。
そもそも大手の塾は、都立高校の合格率を公表できない場合が多いのです。
「〇〇高校に何名合格!」
「定期テスト30点アップ!」
などの宣伝文句を使いますが、合格率は公表できません。
不合格の子が多いからです。

そういう事情に気づかず、宣伝文句につられて、自分の子も有名高校に合格できるような気がして通わせても、入れるクラスは下位クラス。
そのクラスの合格率は、とても公表できる数字ではない。
そんなこともあります。
でも、集団指導塾で友達ができると、子どもは、そこを辞めたがらないのです。
宿題もやらなくていい雰囲気のクラスならば特に。
周りも自分と同じで、学習意欲のない子たちばかり。
ぬるま湯は、快適です。

その塾は、私立高校とつながりがありました。
非公式ですが、「塾推薦」という形で、内申が1つ2つ足りなくても併願優遇のOKが取れることがありました。
なぜそんなことが可能だったのか?
すべり止めのその私立高校に、多くの生徒が実際に通ったからです。
都立に落ちた子たちが、その私立高校に実際に通いました。
私立高校としては、しっかり通ってくれる生徒を沢山紹介してくれる、良い塾だったのです。
生徒が都立に落ちれば落ちるほど、私立高校と塾とのつながりは深くなり、多少のことは融通がきく。
一方、上位クラスの子たちが併願優遇を取る高校とのつながりはほとんどありませんでした。
上位クラスの子たちは、都立に合格していきますので、私立高校と塾との間に実績がなかったからでしょう。
勿論、進路指導主任が塾向けの私立高校説明会などに一所懸命参加していましたので、一応話は聞いてもらえますが、内申が足りないのに無理が通るのは、実際に生徒が通うことになってしまった高校でした。
下位クラスの子たちの、すべり止めの高校です。

それは、塾の力として誇っていいことだったのだろうか?
進路指導主任の努力を否定するつもりはありませんが、それは、それだけ生徒が都立高校に落ちていた証拠だったのではないか?
私が勤務するようになるずっと前から。
それに気づくと私は暗たんたる思いにとらわれました。

とはいえ、塾は、私立高校とのつながりのために生徒に都立高校に落ちてもらっていたわけではありません。
都立高校には合格してほしかったのです。
でも、下位クラスの子の多くは、合格しませんでした。
なぜだったのか?

1つには、その塾だけの独特な理由がありました。
過去問の扱いです。
生徒に、12月の個人面談までには都立の過去問を全部解かせていました。
その点数を一覧表にして提出させ、それで志望校を決めていたのです。
模試の結果も参考にしていたのですが、一番見ていたのは、過去問の実際の点数でした。

それは、わかります。
模試は、どんなに「都立そっくり模試」とうたっていても、問題の書き方がシンプルで、わかりやすいのです。
都立入試特有の、どこから突っ込まれても大丈夫なようにくどくどと全部説明していて問題が非常に読みにくい、ということがありません。
模試の問題文はすっきりしていて読みやすいです。
問題文が読みにくい都立過去問で、実際に何点取れるのか?
私も、それは重視します。
ただし、そのデータが、信用できるものであることが条件です。

その塾の下位クラスの子は、過去問を、解答を見ながら解く癖があったのです。
だから、実際に取れる点数よりもはるかに高い得点を自己申告していました。
そのため、合格できるはずのない高校を受けることになってしまっていました。
当然、落ちます。
私は1年目でそれに気づきましたが、他の講師たち、特に塾長が、それを認めませんでした。
生徒たちが持っていないもっと古い過去問を授業中に解かせたときの得点と、生徒たちが解答つきで持っている過去問の得点とに20点以上の差がある。
そのデータを見せても、それでも、信用しませんでした。
生徒は、嘘をつかない。
自分には、嘘をつかない。
そのように信じ込んでいるところのある塾長でした。
私の見せるデータよりも、生徒の自己申告を信じたのです。

20点も上乗せしたら、いくら何でも気づくのでは?
いえ。
これは、都立過去問の場合、起こります。
過去問の実際の得点が40点なのを60点にしていることに、気づかない。
20点を40点にしていることに気づかない。
そういうことは、起こります。
見る側が、まさかそこまで低いと予想していないからです。

そんなことをしてはダメだ。
解答を見て過去問を解いて、良い点を塾に申告して、高い志望校を受験しても、合格しない。
毎年、その話を生徒にしました。
私の話を理解した子もいたと思います。
それでも、理解しない子たちは、取れるはずのない得点を自己申告し、受かるはずのない高校を受けて落ちていきました。

下位クラスの生徒たちには、そもそも都立の過去問を見ても、何をどのように解くのか見当もつかないのだろう学力の子たちが含まれていました。
国語や英語は、問題文を読み通すことかできないので、設問だけ読んで、適当に答を選ぶだけ。
理科や社会は、知識を頭に入れていないので、これも勘で選択肢を選ぶだけ。
数学は、計算問題だけは何とか解くことができるが、計算ミスが多い。
そんなふうでも、都立は四択問題が多いので、勘で答を埋めることはできます。
勘で解いているのが常態なのですから、解答解説を見てその後に選択肢を見て解くことに罪悪感は抱かなかったのかもしれません。

あるいは、これも勉強ができない子に特徴的なことですが、解答を見て解いても「自分で解いた」と思い込み、記憶をそのようにすり替える子もいたと思います。
ちょっと解説をヒントにしただけだから。
考えたのも計算したのも自分だから。
調べものをしたのと同じことだから。
そのように考えてしまうのでしょうか。
解答解説を見ることに、罪悪感がないのです。
そんなことよりも、低い得点を自己申告するのは恥ずかしい。
それなりの得点を取っているように見せかけたい。
そんなふうに考えていたのでしょうか。

都立の入試問題は、問題文はくどくて長いですが、難問ばかり並んでいるというわけではありません。
どの科目も、難しい問題も多少ありますが、基礎的な問題が大半です。
基礎的な問題を丹念に正解していければ、得点は整います。
その塾の下位クラスの生徒は、それができない子が多かったのです。

下位クラスの子が都立入試問題を解けなかった理由は、きわめて単純でした。
勉強していなかったからです。
授業を聞いて理解した気になっても、それはそれだけのこと。
「解説を聞いてわかる」ことと「問題が解ける」ことは、似ているけれど別のこと。
宿題をやってこない。
あるいは、塾に来る直前にやっつけ仕事で宿題を解くだけ。
日頃から、学習姿勢が受け身でした。
勉強のこと。
成績のこと。
将来のこと。
嫌なこと、恐ろしいことからは、目を背け、考えないようにしている。
そんなふうに見えました。


今年度のうちの塾の中三の受験生を見ていると、あの頃の下位クラスの子たちのことを思い出します。
うちの塾では、例年、都立の社会や理科は簡単に70点、80点台に上がります。
「これとこれを覚えて。テキストのここのページは全部覚えて。それから、これとこれをやって。これを解き直して」
例年、そのように指示を出せは、簡単に成績が上がりました。
都立の社会と理科はもっとも楽に挽回可能な得点源。
私はそのように把握してきました。
それが、今年は、全く伸びませんでした。
そして、表情が、あの頃の下位クラスの子たちによく似ているのです。

「毎日、勉強していますか?」
「しています」
「毎日、何時間?」
「1時間半くらい・・・」
「・・・受験生が?」

また、あるとき。
「昨日は理科をやりました」
「え・・・?昨日は理科しかやらなかったの?」
「え」
「1日に1科目しか勉強しないの?1科目の勉強なんてそんなに集中力が続かないから、長くて1時間ちょっとくらいですか?それで、1週間の平日に1科目ずつ5教科勉強して、土曜日は塾の土曜教室で、日曜日は模試を受けるか、そうでなければ模試の復習。そういうスケジュールですか?」
「まあ・・・」
「あなた、大丈夫ですか?」
「・・・」
「1週間に1回ずつ1科目を勉強するだけですか。それで、1学期にはわかっていたはずの平方根の記憶が全部消えてしまって、何をどうしていいか、今わからなくなってしまったんですよね」
「・・・」
「理科も社会も、覚えなさいと言ったことを何1つ覚えていないですよね。1週間に1回では、覚えたこともすぐ忘れて、何も残っていないですね?」
「覚えようとしているけれど、覚えられないんです」
「1週間に1回しか勉強しないからじゃないんですか?」


かなり遅いとはいえ、冬期講習前にこうしたことがわかって良かったです。
こんなひどいやり方をしていながら、本人はしっかり受験勉強をしている気でいたのです。
個別指導をしていてすら、こんなにも遠い。
生徒が実際に家で何をやっているのかは、わからない部分があります。
勉強のできる子たちは、勉強のやり方を知っています。
しかし、勉強が苦手な子たちは、勉強のやり方そのものを知らないのです。
あるいは、教えられても、そのやり方には忍耐が必要で、頭が重くなって苦しくて嫌なので、避けてしまうのです。


あの頃、下位クラスの子たちは、受験前の秋から冬に、何をやっていたのでしょうか。
本人は勉強しているつもりで、勉強の周りをふわふわ回っているだけのような、意味のないことを繰り返していたのでしょうか。
勘で問題を解き、丸つけするだけ。
教科書を眺めるだけ。
教科書や参考書を丸写しするきれいなノートを作るだけ。
何1つ頭に残らない「作業」を「勉強」と称していたのでしょうか。
あるいは、それすらできず、1日1日を無駄に過ごしてしまったのでしょうか。
そうして、そのまま、受験当日を迎え、詐称した自己申告の得点ならば合格できるはずだった高校を受けて、当たり前だけれど落ちて・・・。

都立に合格することだけが成功ではありません。
行くことになった私立高校には併設の短大もあり、そこで資格を得て、今は立派に働いている。
そういう卒業生も多いと思います。
一方的に憐れむのは、むしろ私のおごりというものでしょう。

でも、あのときに戻れるのなら。
あの子たちに言えることが他にあったのではないか?
それを、今、私は目の前の生徒に言えているか?
できることをしているか?

そうしたことを繰り返し思う冬期講習でした。




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