2011年03月22日
基数と序数
もう何年も前になりますが、ひとケタのたし算ができない、小学2年生を教えたことがあります。
8+6
の答えが、日によって13になったり12になったりする子は、高学年でもいますが、
3+6
がうまく解けないとなると、それは、保護者も心配します。
その子は、お医者さんのひとり娘でした。
保護者面談にやってきた、きれいなお母さんは、悲しそうにしています。
少し前の言い方で言えば、「勝ち組」。
だけど、子どもの成績が悪いと、医者の奥さんは、つらいことが沢山あるような気がします。
「母親の血筋ね」なんて嫌味を言う親戚がいたら、最悪です。
私は、そういうことを聞く立場ではないし、お母さんも、そんな話はしませんでしたが。
小学2年生の本人は、お母さんに比べると、あっけらかんとしていました。
「パパがねえ、おまえの頭は、膜が張ってるのかって言うんだよー」
笑顔で言うので、それは冗談なのでしょうし、冗談だということが子どもにも伝わっているようでした。
お父さんは、娘の算数の出来について、それほど深刻に感じてはいないのかもしれません。
しばらく一緒に問題を解いていて、気づきました。
彼女は、個数を数えることがうまくできませんでした。
プリントに描かれた、お花の数。
3つくらいまでなら、ぱっと見てわかるようでしたが、7つくらい並んでいると、「いくつあるでしょう?」という問いに答えられないのです。
「1・2・3・4…」と一緒に声に出すと、ついてきますが、
「ほら、7つだね」と言っても、無表情です。
別の問題を一人で解いてもらうと、答えがズレています。
とうてい無理だろうと思いながら、次に、ひとケタのたし算の問題を解いてもらいました。
一応正解もありました。
答えが少しズレているだけの惜しいものもありました。
でも、ときおり出てくる、奇妙な答え。
私は、それだけ眺めていました。
3+5=4
4+9=6
答案をしばらく眺めて、私は、「ああっ」と声をあげました。
「これは、序数だ!」
3番目の人と5番目の人とを足したら、何番目になるでしょう?
8番目?
なんでそんなに遅くなるの?
3番目と5番目をたしたら、4番目くらいじゃないの?
違うの?
厳密にいえば、彼女の認識は、序数ですらなく、数字は、ただ、順番に出てくる記号。
個数と対応していないのでした。
算数の時間は、常に、
Λ+Θ=Ω で、Λ+Θ=Σ ではないぞ!
と言われているようなものです。
大人の言っていることは、全く理解不能な作業の連続だったのかもしれません。
世の中に何とか合わせようと、かなり近いところまで真似ているので、むしろわかりにくくなっていましたが。
しかし、私たちは、3+5=8であると、当然のように言いますが、常に本当にその個数をイメージしてそう答えているわけではありません。
確かめたときに、確かに8だった。
昔、やったとき、8だった。
だから、今も8である。
それは、もう確かめる必要のないことだから、常に使おう。
私たちは、3+5=8を、暗記して使っているのです。
彼女との違いは、意味がわかっているということだけ。
どこかで学びそこねたものは、そこからやり直すしかない。
3枚。4個。5本。
現物を見せながら、繰り返し、繰り返し、数字と個数は対応することが、理解できるまで。
ヘレン・ケラーの「ウオーター」のように劇的ではありませんでしたが、薄紙をはぐように、彼女は、たし算ができるようになっていきました。
写真は、小金井市 江戸東京たてもの園。
8+6
の答えが、日によって13になったり12になったりする子は、高学年でもいますが、
3+6
がうまく解けないとなると、それは、保護者も心配します。
その子は、お医者さんのひとり娘でした。
保護者面談にやってきた、きれいなお母さんは、悲しそうにしています。
少し前の言い方で言えば、「勝ち組」。
だけど、子どもの成績が悪いと、医者の奥さんは、つらいことが沢山あるような気がします。
「母親の血筋ね」なんて嫌味を言う親戚がいたら、最悪です。
私は、そういうことを聞く立場ではないし、お母さんも、そんな話はしませんでしたが。
小学2年生の本人は、お母さんに比べると、あっけらかんとしていました。
「パパがねえ、おまえの頭は、膜が張ってるのかって言うんだよー」
笑顔で言うので、それは冗談なのでしょうし、冗談だということが子どもにも伝わっているようでした。
お父さんは、娘の算数の出来について、それほど深刻に感じてはいないのかもしれません。
しばらく一緒に問題を解いていて、気づきました。
彼女は、個数を数えることがうまくできませんでした。
プリントに描かれた、お花の数。
3つくらいまでなら、ぱっと見てわかるようでしたが、7つくらい並んでいると、「いくつあるでしょう?」という問いに答えられないのです。
「1・2・3・4…」と一緒に声に出すと、ついてきますが、
「ほら、7つだね」と言っても、無表情です。
別の問題を一人で解いてもらうと、答えがズレています。
とうてい無理だろうと思いながら、次に、ひとケタのたし算の問題を解いてもらいました。
一応正解もありました。
答えが少しズレているだけの惜しいものもありました。
でも、ときおり出てくる、奇妙な答え。
私は、それだけ眺めていました。
3+5=4
4+9=6
答案をしばらく眺めて、私は、「ああっ」と声をあげました。
「これは、序数だ!」
3番目の人と5番目の人とを足したら、何番目になるでしょう?
8番目?
なんでそんなに遅くなるの?
3番目と5番目をたしたら、4番目くらいじゃないの?
違うの?
厳密にいえば、彼女の認識は、序数ですらなく、数字は、ただ、順番に出てくる記号。
個数と対応していないのでした。
算数の時間は、常に、
Λ+Θ=Ω で、Λ+Θ=Σ ではないぞ!
と言われているようなものです。
大人の言っていることは、全く理解不能な作業の連続だったのかもしれません。
世の中に何とか合わせようと、かなり近いところまで真似ているので、むしろわかりにくくなっていましたが。
しかし、私たちは、3+5=8であると、当然のように言いますが、常に本当にその個数をイメージしてそう答えているわけではありません。
確かめたときに、確かに8だった。
昔、やったとき、8だった。
だから、今も8である。
それは、もう確かめる必要のないことだから、常に使おう。
私たちは、3+5=8を、暗記して使っているのです。
彼女との違いは、意味がわかっているということだけ。
どこかで学びそこねたものは、そこからやり直すしかない。
3枚。4個。5本。
現物を見せながら、繰り返し、繰り返し、数字と個数は対応することが、理解できるまで。
ヘレン・ケラーの「ウオーター」のように劇的ではありませんでしたが、薄紙をはぐように、彼女は、たし算ができるようになっていきました。
写真は、小金井市 江戸東京たてもの園。