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2024年08月24日

1次方程式の文章題。代金・個数に関する問題。

1次方程式の文章題。代金・個数に関する問題。

中学生になって、数学を勉強するようになっても、意識の上で算数からの脱皮ができていない子は多いです。
「正負の数」や「文字式」は、それまでの小学校の算数と重なる部分が少なかったので、新しい単元として何とか受け入れたとします。
「方程式」もまたそうで、計算問題としては、新しい計算として、受け入れます。
それは、小学校の算数で新しい単元を学習したときと同じで、新しいことは、普通に受けいれられるのです。
ところが、「方程式の利用」、すなわち文章題に入ると、それは一見小学校で学習した内容と似ているように見えるせいか、一瞬で小学生に戻ってしまう子がいます。
それまで、方程式の計算をさんざん練習してきて、しかもテキストには「方程式の利用」とタイトルが書いてあるにもかかわらず、文章題を見ると心と頭が小学生に戻り、方程式を使って解くということが全く理解できず、フリーズしてしまうのです。

小学生の中には、
「文章題は応用問題だから、自分は解けなくてもいい。基本問題だけ解けるようになればいい」
と、自分で決めてしまっている子もいます。
小学校のカラーテストの最後のほうの文章題は解けなくても、そんなにひどい点数にはならないので、それで大丈夫なような気がしてしまうのかもしれません。
しかし、中学の数学のテストで、テスト範囲が「1次方程式」すべてで、文章題が解けないとなると、平均点以上を取ることは難しいです。

また、小学生の中には、「計算=算数」という、変な思い込みの強い子もいます。
計算さえできれば、それで自分は算数は得意だと思ってしまう様子です。
文章題なんて、国語っぽいから、算数とは関係ない、と思うのでしょうか。
あるいは、自分が得意なことは重要なこと、自分が苦手なことは重要ではないこと、というバイアスがかかってしまうのかもしれません。
小学生は、幼いですから、こうした変な勘違いをしてしまうのは、よくあることです。

計算はできなければならないが、計算だけできても仕方ない。
冷たいようですが、それが前提です。
数学は、数学的思考力を問う科目です。
文章題は、それを問うのに適していますから、重要視されます。

そうはいっても、そんなに極端な難問ばかりが出題されるわけではありません。
数学の基礎を学び始めた中1に向けてのテストですから、文章題も基本的なものが多く出題されます。

例えば、こんな問題。
1本80円の鉛筆と1本130円のボールペンをあわせて12本買ったら、代金の合計は1210円になった。鉛筆とボールペンは、それぞれ何本買ったか。

中学受験をした子なら、これを「つるかめ算」として解くことはできますが、普通の小学生に解ける問題ではありません。
答を求める式を立てようとしても、どうしても式が立ちません。
そういう種類の問題です。
でも、方程式なら、普通の中学生が解くことができます。

それなのに、小学生のように式を立てようとしてしまう子もいます。
学んだ知識を全部、それはそれとして脇に置いてしまい、小学生に戻って式を立てようとし、立てられず、諦めてしまうのです。
方程式をさんざん学習した後なのに。
例題解説もしたのに。
何で、頭の中でそれが結びつかないのだろう?

頭の中ですぐに結びつく子も多いのです。
特に、こうした「代金・個数に関する問題」は、方程式の文章題の中でも、一番理解しやすい問題です。
この先の、速さに関する問題や、割合に関する問題に比べれば、実感しやすく、理解も容易です。

一方、この問題を理解しない学力層の子が増えてきた、とも感じます。
一つには、国語力の問題があるのでしょう。
問題に書いてある事柄の関係を理解できないのだと思います。
「1本80円の鉛筆と1本130円のボールペンをあわせて12本買った」ということが、どういうことなのか、おそらく理解できていない。
文字を読む習慣がないので、この1行を読み飛ばさずに読むことができず、だから関係がつかめない。
「・・・80・・・鉛筆・・・130・・・ボールペン・・・12・・・」
くらいの情報しか脳に届いていないのではないかと思います。
この状態で立式するのは、確かに難しい。
しかも、
「文章題は自分は解かなくてもいい」
という感情がそれに上乗せされているのですから、立式への道は遠いのです。
式を教えてくれたら、その先は計算するから、それでいい、くらいの気持ちでいる可能性があります。
自分で考えろと言われても、考え方もわからないので、数学以外の関係ないことを考えていたり、ノートにいたずら書きをしたり。
相手が式を立ててくれるのを待っていれば、いずれその状況は終わりますから。

彼らが望んでいるのは、パターン化でもあります。
上のような問題のときに、出てくる数字の順番に、
80x+130(12-x)=1210
という式を立てればいいんだ、と教えてもらえば、おそらく目を輝かせます。
必ずこの順番に、この形で式を立てればいいんだ、と言われれば言われるほど、目を輝かせ、それを教える人を尊敬するかもしれません。

そうしたパターン把握を自力で行ってしまう子もいます。
例題解説を見て、そういう順番に、そういう式を立てればいいんだと勝手に判断するのです。
意味はわかっていません。
パターンのみを把握します。

そうすると、どうなるかというと、もう予想はつくと思いますが、

問題
100円の箱に、1個80円のプリンと1個130円のゼリーをあわせて12個詰めてもらい、代金を1310円払った。プリンは何個買ったか。

という問題には、もう対応できません。
「100円の箱」を処理できないのです。
意味がわかっていないと、問題が少し変わっただけで、もう対応できません。


「何を x としましょうか」
式を考える前に、最初に確認します。
しかし、方程式の文章題を学習しているにもかかわらず、そうしたことを問われることを全く予期していなかったかのように、問われたことに驚き、絶句してしまう子もいます。
まず、それを決めるんですよ。
幾度その説明を繰り返しても、問題を解くそうした道筋を理解しない子たちがいます。
彼らの好むやり方とは、真逆のことだからなのでしょうか。
いえ、そもそも、何かを x として式を立てるということそのものを、理解していないのかもしれません。
好む好まないの問題ではなく、理解できていないのだろう、と思うのです。

式は、答を求めるために立てるもの。
それなのに、「関係を表す式」などと言われても、意味がわからない。
問題文の中にある、何かの数量を、文字や数字で2通りに表して、それをイコールで結ぶ。
そうしたことの意味が、全くわからない・・・。
何の話をしているのか、そもそもわからない・・・。
そういうことも、あるのだと思います。
まだ、心がとても幼く、学年としては中学生になっていても、小学生のままなのだと思います。
小学生には、確かに、理解しづらい内容です。
式は答を求めるために立てるもの。
そうではない式など、式ではない。
不定の文字を使って関係を表すなど、あまりにも抽象的で、発達段階から考えれば理解できなくて当然なのです。
だから、小学生には方程式は教えません。
受験算数で方程式を使わないのは、年齢的にまだ理解できない内容であることを、教える側が把握しているからです。
子どもは、具体的・具象的なことしか、理解できないのです。
文字さえ使わなければいいのだろうと、□を使って式を立てて教える保護者がいますが、あまり上手くいかないと思います。
立った式を見て理解することはかろうじてできるでしょう。
しかし、子どもは、□を使った式を、自力ではほぼ立てられません。
脳が、そのように具体性のないものの使用を本人に許しません。
勿論、すべては個人差の問題なので、小学生でも方程式を理解できる子も存在しますが。

方程式を学ぶには、この子には、まだ時期が早い・・・。
発達段階には個人差がありますから、こういうことはありえます。
だからといって、すべて諦めてしまうことはありません。
いずれ、その段階に至るからです。
そのときに、理解すればいいのです。
中学生の頃に数学でかなり苦労していた子を、高校生になって再び教えることがたまにありますが、意外なほどに脳が発達していて、高校数学の解説が通じることに驚くことがあります。
いずれ理解できる時期は来るのです。

とはいえ、中学の定期テストをクリアしなければならないので、「いずれ」など、待ってはいられないのが現実ですが。

先ほどの問題に戻ります。

問題 1本80円の鉛筆と1本130円のボールペンをあわせて12本買ったら、代金の合計は1210円になった。鉛筆とボールペンは、それぞれ何本買ったか。

「何を x としましょうか」
類題を何問か解き続けると、それでも少しなじんできて、その問いに答えられるようになる子が多いです。
ただ、こういうときに、ちょっとだけ可哀相な子もいます。
「・・・ボールペン」
「・・・うん。それは、別に間違っていないですし、それで解くことはできますが、自分で学校のワークを解いたときに、模範解答と違っていて、苦労することになると思います」
「・・・」

ボールペンを x 本として自力で式を立てた場合。
その式が正しく、その後の計算も正しいのなら、最終解答は一致しますから、問題ありません。
「あ、模範解答とちょっと式が違うけど、まあいいや」
と判断できる子なら、それでワークに赤丸をつけ、それで十分です。
何も間違っていません。

では、何がいけないのか?
何も間違っていません。
ただ、「1本80円の鉛筆と1本130円のボールペン」と問題文に書いてある場合、鉛筆を x 本として解いているのが、どのワークでも問題集でも、普通の模範解答です。
最初に出てきたほうが x で、通常何も問題ないので、そうなっています。
模範解答と同じであるほうが、自分で家庭学習がしやすいです。
模範解答と異なるほうを x として、立式ミスや計算ミスをしてしまい、どこを間違えたのか自力では判断できない。
そういう学力の子が、異なるほうを x としてしまう傾向もまた強い、というだけです。

そもそも、何で、ボールペンのほうを x としてしまうのか?
代金が大きいほうを x にしたほうが計算が楽ではないか、などと、余計なことを考えているのではないか?
あるいは、その前にある「1本80円の鉛筆」という記述が目に入っていないのではないか?
そういう心配を、教える側はしてしまうのです。
何か余計なことを考えているのであるのなら、早めにその経路はふさぎたいのです。
方程式を立てるときに、「計算のしやすさ」などの余計なことを先に考えているのだとしたら、それは、邪魔にしかなりません。
計算の工夫は、式が立ってから考えればいいこと。
そこを分離できないから、混乱して、立式が歪んでしまう可能性が高まるのです。
方程式は、どんなヘンテコな形になっていても、すぐに整理できます。
そこへの自信のなさもあるのかもしれませんが、立式のときに計算しやすさなどの余計なことを考えていては、脳のキャパをそこに奪われます。
計算のしやすさを考えなくていいのが方程式だということを理解して、安心して複雑な式を立ててほしいのです。




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