たまりば

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2023年12月25日

問題の意味を考えることと、もう一度、「ひとりで解いた問題」。


たとえば、小学生と、このような問題を解いているとき。

問題 冷蔵庫に入っていたジュースの4/9を飲んだところ、350mL残りました。はじめに冷蔵庫に入っていたジュースは何mLですか。

大人から見ると比較的単純な構造の割合の問題なのですが、受験勉強をしていない小学生でこれを解ける子は限られています。
多くの場合は、
350÷4/9 という式を立ててしまうのです。
それは間違っていると言われると、混乱し、もうその先に進むことはできない子が多いです。

「350mLというのは、残っているジュースです。4/9は、飲んだ分です。そこがズレていると『比べられる量÷割合=もとにする量』という公式にあてはめても、答は出ないですよ」
そのように解説しても、目に光はやどりません。
線分図を描いて解説しても、ポカンとしています。
「4/9を飲んだのなら、残っている350mLは、最初にあったジュースの何分のいくつにあたるのでしょうか」
そう声をかけても、日本語が通じていないのではないかというほどに反応がない子が多いです。

実際、そういう説明をしているとき、私の日本語は、その子に通じていないのだと思います。
思考体系が異なる宇宙人に解説しているような違和感をそんなとき覚えるのですが、それは、子どもにとっても同じことなのでしょう。

では、その子は、どういう思考体系で算数の問題を見ているのでしょうか。
おそらく、
「割合の単元の問題は、かけ算か、わり算」
そのような見方でこの問題をとらえているのだと思うのです。
わり算が違うと言われたら、じゃあかけ算なのか?
でも、こういう問題は、かけ算ではなかったような気がするけれど・・・?

考えているのは、そんなふうなことではないのかと私は想像します。

「冷蔵庫に入っていたジュースの全体①から、4/9 飲んだので、残りは、1-4/9=5/9 です。だから、350mLは、全体の5/9。
もとにする量を求めるには、350÷5/9=630。答は、630mLです」
そのように解説しても、霧の晴れた表情になることは、ほとんどありません。
1-4/9 という式が、理解できないのでしょう。

何でひき算?
割合の問題なのに、ひき算?
そもそも、1って何?

ここが理解できない子は、中学受験生の中にもいます。

もとにする量の割合は、➀。
割合は、もとにする量を1と見たときに、比べられる量はどんな数で表すことができるか、それを示したもの。
だから、割合は、たし算もひき算もできる。
大人は、理解しています。
例えば、3割引きの商品を見れば、つまり、それは、もとの値段の7割ということ。
普通に、もとにする量➀、すなわち10割から3割を引いて考えます。

しかし、子どもは、そのことが、当たり前のこととして理解できる子と、全く理解できない子に、大きく分かれます。
そのように「割合」という単元を把握したことがないからだと思います。
「くらべられる量」と「もとにする量」と「割合」が、頭の中に無関係に存在している子は、「もとにする量」を1と見ているということが、そもそも理解できません。
もとにする量を➀ととらえたときに、比べられる量がどの程度であるのかを示した数字が「割合」であるということを理解していないのです。
つまりは、割合をというものを、何も理解していないに等しいのです。

それは、根本の定義を忘れて、解き方だけ覚えようとすることと関係があるのでしょう。

割合の定義の最初に戻って考えましょう。
例えばあるサッカーの試合で、Aさんは5本シュートし、3本ゴールしました。
Aさんがゴールした割合は分数で言うと、どれだけですか?

これは、割合がわからない子でも、答えられます。
3/5です。
では、全部ゴールできたのなら、その割合は?
これは、5/5になります。
すなわち、これがもとにする量➀なのです。
普通のことです。

この「普通のこと」が、頭の中でつながった瞬間、その子の目に光が宿ります。
割合って、そういうことかっ!
だから、「割合」という言葉なんだ。
そもそも、そうなんだ!

割合は、根本はこうした分数です。
そして、分数は、式に直すと、わり算です。
分子÷分母の式になります。
比べられる量÷もとにする量=割合
という公式は、このように、分数をわり算の式に直しただけのものです。
そして、割合の式で、意味を伴っているのは、その式だけです。
あとは、使い勝手がいいように、この式を逆算で変形した式があと2本あるのですが、それは逆算で変形しただけの式なので、意味は伴っていません。
もとにする量×割合=比べられる量
に関しては、ぎりぎり意味を理解することもできなくはないですが、
比べられる量÷割合=もとにする量
という式に、意味なんかありません。
変形しただけだからです。
これらの式をまとめて「割合の3用法」と呼ぶのは、変形しただけだからです。
「3公式」ではなく、「3用法」。
単に用法の問題で、別の公式ではないのです。

ですから、割合は、意味をしっかり理解するところと、意味なんか関係ないとするところのメリハリが必要となります。
そこが、常に逆に逆に作用してしまうタイプの子は、「割合」という単元で苦労します。
意味を考えなくていいところで、意味でつまずく。
一方、意味を考えなければならないところで、作業手順だけでやろうとしてしまうのです。


もう何度も書いてきましたが、算数の問題は、この単元はかけ算、こういう問題はわり算、と解き方と手順だけ覚える子が多いのです。
意味に戻って考えることがありません。
そうした習慣が、小学校の低学年でついてしまい、そして、高校生になってもそのままである子も少なくありません。
高校数学になってから急に「数学を理解したい」と思っても、理解するための基盤が、その子にないのです。
小学校の算数を理解することを、してきてこなかったからです。

意味に関して覚醒してくれれば、数学は得意科目になります。
目を覚ませ。
算数・数学の問題の解き方は、そういうものじゃないよ。
手順を覚えるんじゃなく、なぜそうやって解くのか、理解しよう。
意味に戻れるようにしましょう。
そのように声をかけ、問いかけ、その子の脳が動き出すのを私は待っています。

しかし、意味に戻って考えるというのは、本人の中に余程の動機がないと、なかなか始まらない作業でもあります。
そんなとき、思い出す物語があります。

それは、私が小学生の頃の国語の教科書に載っていた物語でした。
教科書の終わりのほうにあった読み物で、実際の授業では扱われないまま終わりました。
国語の教科書なのに、内容は算数の問題を解く話なので、扱わないのももっともだ、という内容なのですが、読んでいて、とても面白かった記憶があります。

このブログで、もう10年以上前に書きましたが、もう一度改めて。
人は、どんなときに、ものを考え、意味を考える動機を得るのか。
そのヒントにもなると思うのです。

物語のタイトルは、確か『ひとりで解いた問題』というものでした。
大体、こんなふうな内容でした。
随分昔の話ですから、細部には記憶違いもあると思いますが。

主人公は、小学生の男の子。
ある日、弟から算数の問題を質問されますが、解くことができません。
しかし、「わからない」と言ったら、兄の立場が揺らぎます。
そこで、「今は忙しい。あとで教えてやる」と言って、家を出て、時間を稼ぎます。

問題は、こんなふうなものでした。
「全部で24個のキャンディを、姉が妹の2倍の個数をもらうように分けました。姉と妹は、それぞれ何個もらいましたか」

受験算数としては、易しい。
でも、昔も今も、小学校で習う文章題ではありません。
解き方を知っていれば簡単ですが、そうでないなら、思考力が必要になります。

兄は、必死に考えます。
まず、24個のキャンディを半分に分ける。それが姉の分。
24÷2=12
妹は、その半分。
12÷2=6
わかった。姉が12個で、妹が6個だ。

ところが、弟に教えるにあたって、決して間違えてはならない兄は、ここで検算をします。
姉が12個で、妹が6個。
12+6=18
あれ?
何で24個に戻らないんだ?

行き詰まった兄は、この問題を考えながら、歩き続けます。
何度考えても、この考え方では、同じ式、同じ答え。
何が違うのか、わからないけれど、検算して戻らないのだから、違うことだけは、確実。

混乱のあれこれが、田園の風景とともに描写されていたと思うのですが、そこはもう覚えていないので割愛します。

立ち止まって、兄は、地面に木の枝で絵を描きます。
なぜ、姉は、妹の2倍のキャンディをもらったのだろう。
エプロンドレスを着た、2人の女の子の絵を描いて、考えこみます。

そして、思いつくのです。
そうだ。
姉は、ポケットを2つ持っていたから、妹の2倍のキャンディをもらえたんだ。
そう考えて、姉のエプロンにポケットを2つ、妹のエプロンには、ポケットを1つ描きます。

ポケットは、全部で3つ。
だから、式は、
24÷3=8
8×2=16
姉が16個。妹が8個。
たして、24個。
絶対、これが正解だ。

素朴なこのお話、小学生の私は、なんだかとても気にいって、何回も読みました。
今読んでも、面白いかもしれません。

そして、今、作業手順でしか算数数学をとらえない勉強をしている子どもたちに、この兄のようであってほしいと思うのです。

この兄の危機感。
この問題が解けなかったら、兄としての立場を失う。
こういう危機感があるときに、人間は、想像以上の力を出せるのでしょう。
でも、本当は、その力は、いつでも出すことができる力です。

1問の意味をとことん考える。
わからなかったら、図を描いてみる。
受験算数を体系的に学んでいる子は線分図を描きますが、この兄の描いた、エプロンドレスの女の子の絵は、とてもチャーミングでした。

諦めないで、歩きながらでも、考え続ける。
1問を、わかるまで、考える。
なんて貴重な経験なんだろう。
なんて贅沢な時間の使い方だろう。
この兄は、そんなに算数ができるとは思えない設定で、だから、最初は、ありがちな失敗をしているのですが、そういう子が自力で正解にたどりつくところが素敵です。
そして、その力は、本当は誰もが持っている力だと思うのです。

『ひとりで解いた問題』
自分だけの力で発想を得て正解にたどりついた問題は、決して忘れないと思います。



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