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2023年07月15日

数学。理解の深さと新傾向の問題。

数学。理解の深さと新傾向の問題。

画像は、都立神代植物公園水生植物園のハンゲショウ。

テスト前は普通に解いていて、わかっているようだったのに、定期テスト中に突然、
「あれ、これ何だっけ?意味がわからない」
となり、問題を解くことができなくなる人がいます。

例えば、三角方程式。

問題 0≦θ<2πのとき、
sin 2θ=cos θ を解け。

問題として、あまりにシンプルで、それ以外の情報がなさ過ぎるからでしょうか、これを「解く」とは何をどうすることなのか突然わからなくなるようです。

これは、2倍角の公式を使います。
sin 2θ=2sin θ cos θ ですから、
2sin θ cos θ =cos θ
2sin θ cos θ -cos θ=0
cos θ(2sin θ-1)=0
よって、cos θ=0 , sin θ=1/2

と、ここまでは正しいのですが、答案が、ここで止まってしまう人もいます。
これが最終解答だと思ってしまうようです。

テストの答案がそこで止まっていた子に。
「それは、まだ解いている途中ですよ。θ の大きさを求めるんですよ」
「・・・」
そのように言葉で説明しても、何を言われたのか理解しかねる様子でポカンとしてしまうのです。

cos θ=0より、θ=π/2 , 3/2π
sin θ=1/2より、θ=π/ 6 , 5/6π
よって、解は、θ=π/ 6 , π/2 , 5/6π , 3/2π

そのように解いたものを板書してみせても、ぼんやり見つめて、何だろうこれは、と考えこんでしまいます。
初めてこの問題を解くわけではありません。
しかし、テストが終わった後では、もう意味がわからなくなっている様子です。
なぜ、これでなければならないのか。
なぜ、cos θ=0 , sin θ=1/2 で終わらせてはいけないのか?
その解決がつかず、しかし、それを質問する言葉も見つからず、呆然としている・・・。
そんな様子です。


あるいは、こんな問題。

問題 関数 f(x)=x^2-x について、x=1における微分係数を求めよ。

これも、テストでは、何を答えていいのかわからず、白紙・・・。
「微分係数」という言葉の意味が、ふっとわからなくなってしまった様子です。

これも、実はとても簡単な問題です。
f(x)=x^2-x を微分すると、
f'(x)=2x-1
これにx=1を代入して、
f'(1)=2-1=1
よって、
x=1における微分係数は、1。

しかし、これも、模範解答を見たところで、意味がわからない・・・。
微分係数とは何か、わからない。

「微分係数って、何ですか?」
「・・・では、テキストを見直しましょうか」

しかし、こういう場合、最初に学習したときよりも、理解し直すのには時間がかかるのが普通です。
微分係数の定義をテキストで読み返しても、意味がわからない・・・。
本当に、こんなことを学習したのだろうか?
記憶がないんだけど・・・。
そんな様子です。


テスト中、おかしな考えにとりつかれてしまう子もいます。
突然、わかっていたことがわからなくなるようです。
例えば、数A「図形」の三角形の五心がテスト範囲だったときのこと。
定義の空欄を穴埋めするだけの易しい問題が出題されていました。
「内心」「外心」といった用語を穴埋めするだけの問題です。
しかし、その子は、突然、点のことを「心」というのは変じゃないかという考えにとりつかれ、「内点」「外点」と答案に書いてしまい、5つの小問すべて誤答となっていました。

また、これは中3の英語の話ですが、教科書に出ていた重要表現の語句補充問題で。
「今回のテスト範囲の文法事項は現在完了だ」
という思いにとりつかれたようで、be interested in など、前日までしっかり覚えていた熟語をすべて have interested in といったように強引に現在完了形にして、ほとんど誤答となってしまった子もいました。

テスト勉強をしなかったわけではない。
それなのに、テスト中に、おかしな考えにとりつかれてしまう・・・。

「通りいっぺんの勉強をしているから、そうなるんだ」
「暗記に頼って、理解していないからそうなるんだ」
・・・そのような批判は、当たっている部分もあるとは思います。
でも、これは、ゲシュタルト崩壊に近い部分もあるのではないかとも思うのです。
ゲシュタルト崩壊とは、例えば、「粉」という漢字をずっと見ていると、本当に「コナ」はこんな漢字だったろうかと思えてくる、といったものです。
「米」などという偏が、この世に存在しただろうか?
これは、右と左が逆ではないのか?
そんな違和感にとりつかれるのです。
私は、「消耗品」の「耗」でたまにこれが起こります。
これは誰でも起こりうることなので、本人の学習姿勢を責めても、それで改善されるようなものではありません。

これの対策としては、そうなることを予測して、テスト中にそのようになってしまうことがあるから、心の準備をしておくこと。
これに尽きます。
例えば、三角方程式とは何のことか突然わからなくなることがあるので、そうなることを予期しておきましょう。
そうすれば、それは起こらなくなります。

いや。
そんなことで混乱してしまうのは、本質が理解できていない証拠だ。
暗記ばかりして、理解していないから、そういうことになるんだ。
日本の数学教育が、暗記ばかりさせているからだ!

そうした批判を声高に行う人もいます。
大学の先生の中には、自分が教えれば、そういう大学生が初めて「速さ」や「割合」の本質を理解して、そのことに感動するんだと自慢話をする人もいます。
誰でも、本当は数学の本質を理解したいと思っているんだ。
暗記ばかりさせているから、数学がわからないのだ。
日本の数学教育が良くない!

・・・しかし、私の知る限り、小学校でも中学校でも高校でも、生徒に暗記を強いる数学教育を行っている先生の話を聞いたことはありません。
誰もが、数学の体系を理解してもらおうと努力しているように感じます。
意味がわからない公式の丸暗記をしているだけでは、先は見えています。
考える力を身につけてほしい。
考えるための授業を提供したい。
そのように、努力されています。
ゆとり教育の頃も、その後も、そして現在も。

しかし、多くの生徒が、やり方だけ暗記することでやり過ごそうとします。
ある程度知力のある子も、やり方だけ覚えて済ますコツを自ら発見していきます。
まして学力に不足のある子は、例題の解き方の丸暗記に必死です。
なぜ、理解せず、暗記することで済まそうとするのか?

授業に魅力がないからだ。
数学で出される問題に魅力がないからだ!
・・・と声高な批判に応えて、魅力的な授業を展開しようとする先生もいますが、暗記で済まそうとしている子たちにとって、それは迷惑な場合も多いのです。

深く理解するよりも、やり方だけ覚えたほうが、頭が楽なんです。
やり方だけさっと覚えて、テストが終われば忘れれば、そのほうが脳のメモリの消費が少なくて楽なのです。
そういう頭の使い方が習い性になっている子は多いです。
そうした子たちにとって、「魅力的な授業」は必ずしも好ましいものではありません。

魅力的な授業。
すなわち、アクティブラーニング。
しかし、アクティブラーニングの授業は、何を学ぶための何の授業なのかわからず、混乱する子もまた多いです。

また、数学を現実生活に近づけた、新傾向の問題。
それらの問題は、読み取るだけで大変で、生徒をワクワクさせるどころか、苦痛を強いるものである場合も多いです。

100俵の俵を5段組みに積み上げるのに必要な地面の面積を、なぜ求めなければいけないのか?
敷設面積が決定している階段の段差をどうすればいいかを、なぜ私が計算しなければならないのか?
バスケットのシュートの角度など、私には関係ない。
稲妻が光ってから雷の音がするまでの時間と距離の関係なんて、興味ない。
そういう問題は、嫌い。
普通の数学の問題のほうがまし。
新しいことに頭を使いたくない。
覚えたことだけで対処したい。
自分の頭が上手く動かないことを思い知るだけの問題なんて、解きたくない。
・・・そういう子も、また多いのです。

そもそも「新傾向」と言いますが、このような問題は20世紀の頃から「新傾向」であり、今も新傾向です。
ちっとも定着しません。
生徒が問題を解くのを楽しんでいる様子がなく、効果もないからか、なかなか定着しないのです。
大学入試共通テストの数学にこのような文章題を出すから、純粋に数学が得意な子が正答できず損をしていると嘆く人もいます。
都立高校の入試数学問題も、20世紀の頃は「新傾向」の文章題が出題されていましたが、いつ頃からか、なくなりました。

数学が得意な生徒にとってさえ多少迷惑なこともある新傾向問題は、数学が苦手な子にとって多くは苦痛です。
こういう問題を解いてワクワクし、表情が輝いている子は、ごく少数です。

数学の楽しさは、そういうこととは限らないですし。
現実生活と結びついているから数学が楽しい、とは限りません。
現実と何も関係がなくても、数学は楽しいです。
実用的でなければ面白くない、という考えは、貧しいです。

どうすれば数学が好きになるか。
これは、難しい問題です。

どうすれば数学がわかるようになるか。
このほうが、課題として解決しやすいと思います。
これは、わからなくなったところまでさかのぼって、やり直す。
何回でも、やり直す。
それに尽きると思います。

数学が苦手だった子が大学生になり、例えば小学校の先生になるために大学で数学を学び直す。
そのときに、小学校の算数の「割合」や「速さ」や「分数の計算」を理解できたのなら、それは幸福なことだと思うのです。
ただ、そういう時期だった、という点も見過ごせません。
小学生のときには、その子の理解を越えた内容だった。
でも、大学生になり、それを理解できる脳になっていたのかもしれません。
人間の脳は、25歳まで発達を続けるそうです。
あるいは、「自分には数学は必要ない」と思ってきた子が、本当に切実に数学を理解したい動機を持った。
わかる時期がきて、幸運にもそのときに教わることができた。
それは、幸福なことだと思うのです。

「大学生が割合もわかっていない。小中高の数学教育はどうなっているんだ」
ではなく、
「割合や速さを理解することが本当に必要になった大学生が、ついに理解した。数学は、いつからでも学び直せる」
というメッセージのほうが、はるかに有益です。


また、そのときは理解したつもりでいても、時間が経つと忘れてしまい、またわからなくなってしまう人のほうが現実には多いです。
生徒がわかった顔を見せたときに、
「どうだ!私の教え方が上手いからだ!こう教えれば、誰でも理解できるんだ!」
などという自惚れを私も若い頃には抱きましたが、そんなものを簡単に踏みつぶしていくのが現実の子どもです。
継続的に子どもたちに数学を教えていくというのは、そういうことです。
時間が経てば、またわからなくなってしまう。
理解しても、また忘れてしまう。
記憶がもたないのです。

そして、いったんわからなくなってから再び理解することの難しさ。
最初に学ぶときとはまた別の混乱がそこにはあります。
「微分」の学習がひと通り終わって定期テストを受けたときに、「微分係数」という言葉の意味がわからない絶望と混乱。
テキストで定義を読み直しても、意味がわからない・・・。

「関数 f(x)の平均変化率において、x=a、x=bの値を定め、b を a に限りなく近づけ、平均変化率が限りなく一定の値 α に近づくとき、この値 α を、関数 f(x) の x=a における微分係数という」

・・・何、それ?

実は、最初に学習したときも、「何、それ?」だったのかもしれません。
わからないから、やり方だけ覚えた。
ああ、つまり、f(x) を微分した式 f'(x) の x に代入すれば答が出るんだな。
そのように、意味はわからないけれど、やり方だけ覚えたのでしょう。

やり方だけ覚えて済ます子に、意味に戻った授業をしても、にこにこ笑っているが聞いていない、ということがあります。
自分としてはやり方を覚えたので、もうそれはOK。
いつまでもしつこく意味を説明している先生は、笑顔でやり過ごすだけ。
もめごとは起こしたくないし、聞いているふりをするのは問題を解くよりも、むしろ楽。
にこにこしていればいいんだから。
子どものそうした処世術が悪い方向にものごとを引っ張っていきます。

その覚え方では、忘れるのも速かった。
しかし、本人は、やり方を覚えたことを「理解した」と誤解している傾向もあり、後になって自分がわかっていないことに動揺してしまうのでしょう。

細い1本道を何とか歩き通したつもりでいたのに、振り返ったら、そこにもう道はなかった。
歩いてきたはずの道は消えていた。
もう戻れない。
唐突に、そこのポイントに戻ろうとしたところで、もうわからない。
単元の最初からすべてやり直すしか、理解する方法がないかもしれないのです。

目の前の子は、高校生だけれど、「割合」や「速さ」が理解できていない可能性がある。
けれど、今は、「微分」を学習しなければならない。
そういう課題もあります。

そして、そういうことは、小学校から高校までの算数・数学教育の課題とはまた別のものであるような気がします。
従来通りの数学教育で数理の体系を把握している子も多いのです。
日本の数学教育が一概に悪いとは言い切れません。
むしろ、何歳になっても数学のやり直しができる環境整備のほうが考えられていい課題だと思いますし、それも、今は本人次第で可能だと思います。

やり方だけ覚えても記憶がもたないことに、誰でもいつか気づきます。
気づいたら、やり直しましょう。
できるだけ、意味に戻って。
やり方だけ覚えたいのもわかるけれど、意味に戻って。
わからなくなったら、最初に戻って。
新傾向問題が迷惑でしかなくても、意味に戻って、何とか乗り越えていきましょう。




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    Posted by セギ at 13:59│Comments(0)算数・数学
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