たまりば

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2011年03月29日

話さない生徒




久しぶりに、美容室に行ってきました。
去年の夏以来ですから、半年ぶりです。あんまり余計なことにお金を使いたくないけれど、身だしなみにも気をつかわないといけない仕事。
美容室には、もう少し頻繁に行ったほうがいいかもしれません。

東京の客は、髪を洗ってもらうとき、「かゆいところありませんか」と問われても、「ないです」と答える。
大阪の客は、どこがかゆいか伝えることが多い。
先日、そんな実験をテレビで見て、なるほどなあと思いました。
もちろん、私も、かゆいところを伝えたことがありません。
これからも、たぶん、伝えないと思います。
そんなものは、後で自分でかきむしればいい。
いや、違うかな。

髪型のイメージは、正確に伝えないといけない。
これをきちんと説明するのはこちらの責任なので、一生懸命しゃべりますが、切ってもらっている間は、黙って雑誌を読んでいることが多いです。
例によって人見知り。
もう長く通っている美容室なので、美容師さんもほとんど話しかけてきません。
私のカルテには、「話さない客」と書いてあるかもしれません。

昔、個別指導塾で教えていた頃、ひと言も話さない小学6年生の男の子を教えたことがあります。
大手の集団指導塾に通っていて、算数の宿題の、わからないところだけ教えてほしい。
そういう依頼の、体験授業でした。
テキストは、応用問題のページの、しかも後ろのほうの超応用問題にばかりチェックが入っていました。
解けと言われれば解きますが、他の塾のテキストですから、こちらで教材研究や準備はできず、その場で、ホワイトボードに向かって、全力で解いていくだけです。
何をやっているかは語りながら解きますが、自然、言葉は少なくなりました。
「・・・という答えになったけど、あってますか?計算ミスとか、ありませんか」
私が質問すると、彼は、カバンから解答集を取り出しました。
持っているのなら、見せてくれと言いたいところですが、まあ最初の授業なので、私の力を試したい気持ちもあったのでしよう。
幸い、答えはあっていました。
それを確認すると、彼は、私が書いた図や途中式を黙ってじっと見ていました。
「何か、わからないところ、ありますか」
そう訊いても、彼は、黙ってじっと見ています。
やがて、ああそうか、わかった、という顔になり、ノートに書きだしました。
ノートを取り終わった彼に、
「・・・で、次は、どれですか」
私が訊くと、次の問題を指さします。
私は、ホワイトボードに向かって解き始めました。

こんな授業でいいんだろうか。
というより、これは、そもそも授業なのか?
私なりに疑問はありましたが、そのまま、彼は入会し、私を講師として指名し、そんな授業が続きました。
ふた月ほどして、彼のお母さんと会う機会がありました。
笑顔でお礼を言われました。
「スピーディーな授業で、息子は、先生のこと、とても気に入っております」
「・・・はあ」
「おかげで、塾の成績も上がって」
「・・・そうですか」
スピーディーも何も、ただ私が解いているだけで、解説も余談も何もないですから、そりゃ、速いですが。
しかし、このスタイルが気に入っている様子らしいので、もう変えることもできない。
そのまま、約1年、口数の少ない授業が続きました。
彼の譲歩としては、最初から、私に解答集を渡してくれるようになったことくらいです。
無言は、変わりません。
それでも、表情をみれば、おおよそのことはわかります。
無言でホワイトボードを見ている彼の表情は、コンピュータが砂時計を表示して沈黙している状態を連想させました。
理解できると、目に光が宿る。ぱっと顔が輝きます。
書いているノートを見ていても、彼の理解の程度はわかりました。
私の式を彼なりに少し書き変えていることがあり、そこは、私が、わかりやすいよう、くどいほど丁寧に解いたところである場合が多く、彼の省略の仕方は理にかなったものでした。
間違えているときは、私は、そこを指さします。
彼は、手を止めて考え込み、理解できると消しゴムで消して、正しく直しました。
図は、決して省略しません。
私の描いた図を完璧に模写していました。

ほとんどの授業では、生徒のほうがよくしゃべります。
小5・小6は、反抗期まっただ中。
「算数うぜー」
「学校うぜー」
「塾うぜー」
「親うぜー」
といったおしゃべりの洪水をかきわけながら、
「まあまあ、そう言わずに、これ解いてみましょう」
と、何とか解かせ、何とか解き方を理解させ、身につけてもらい、よし、今日も頑張ったね、という授業のほうが、あの頃は、むしろ多かったかもしれません。
そんな中で、週に1度ある、沈黙の授業。
何も語っていないのに、私のテクニックは、確実に彼に伝わっていると感じました。

彼は、通っていた塾内でクラスを上げ、上位クラスでも頭角をあらわし、志望校に合格しました。

あのやり方が正しかったのかどうか、今もわかりません。
他のやり方があったのかもしれません。
他の講師ならば、他のやり方をしたでしょう。
彼がそれを受け入れたかどうか、それで成績が上がったかどうか、今となっては、わかるはずもありません。

ただ、お望みならば、私は、そんな授業もやります。


写真は、神津島のウラシマソウ。2006年春撮影。













  


  • Posted by セギ at 18:40Comments(1)講師日記

    2011年03月27日

    連立方程式 



    連立方程式とは何か。
    たとえば、こんなのが、連立方程式です。

     x+y=14
     x-y=-2

    これの x と y の値を求めることが、連立方程式を解く、ということです。

    方程式というのは歴史が古く、エジプト文明の象形文字でパピルスに書かれた方程式が残っているそうです。
    もちろん、 x や y も、象形文字で書いてあります。

    そう考えると、いや、そう考えなくてもそうですが、わからないものを、必ず x とおく必要は、本当はないのです。
    〇でも☐でも、AでもBでも、何でもいい。
    数字の代わりに、何か記号を置けばいいんです。
    「代数」とは、そういうことです。

    なぜ方程式に x という文字が使われるようになったのかというと、使い始めたのは、デカルトだといわれています。
    デカルトは、なぜ x を使ったのか。
    フランス語には、 x という文字を使うものが多く、印刷屋が、 x という活字をたくさん持っていたからだといわれています。

    ああ、本当に、何でもよかったんですね。(*^_^*)

     x+y=14
     x-y=-2

    連立方程式には、2種類の解き方があります。
    加減法と代入法です。
    これは、加減法で解いてみます。

    まず、
     x+y=14・・・・・・①
     x-y=-2・・・・・②

    と、式に番号を付けます。
    これは、必要な作業なんですが、数学の苦手な中学生の多くは、何しろ、手を動かしません。
    この、番号をつける作業さえ、ほおっておくと、やりません。
    「え?教科書の説明だから、ついているだけじゃないの?」
    と言います。
    解くときは、いつも、番号をつけるんですよー。
    間違えないための作業ですよー。
    「え?こんなの間違えないし」
    じゃあ、やってみなさいよ、と言うと、間違えるんです。
    これくらい簡単なら、正解できるかもれませんが、ちょっと複雑になると、できなくなります。
    そうして、不機嫌になる。
    「数学、嫌い」
    シャーペンを投げ出す・・・。

    学ぶことは、真似ることから始まります。
    勉強のできる子は、教わったことをそっくり再生します。
    そして、自分の中に取り込みます。
    そうやってたくさんの引き出しが自分の中にあるから、応用問題もその組み合わせで解けるのです。
    自分の判断で組み合わせわれるは、知識がたくさんあるからです。
    現代数学の最先端に到達するまでは、どうやったって先人の真似です。
    オリジナルの発想で数学の問題を解くのは、数学者になってからです。

    教わることにいちいち心が逆らうので、勉強ができなくなってしまう子。
    教わったことも、自分の判断でまとめて、簡略化させてしようとする子。
    それをやってしまうから、数学が苦手になります。
    これ以上は簡略化できないほどシステム化した内容を教わっているのです。
    そのことだけは、早く理解してほしい。
    そっくり真似をしないから、勉強がわからないんです。
    君の頭が悪いわけではない。
    学習に向かう姿勢が少し違うのです。
    そして、自分が損をしているのです。


    またも、話がそれました。
    連立方程式を解きましょう。

    加減法とは、①と②を足したり引いたりすることで、どちらかの文字を消す方法です。

     ①+②

       x+y=14
    +) x-y=-2
       2x   =12
        x   =6・・・・➂

     ➂を①に代入して 
      6+y=14
          y=14-6
         y=8

     よって、
       x=6 , y=8

    やり方をそっくり真似てください。
    これは解説ではなく、これ全体が答案です。
    やり方はわかったから、あとはちゃちやっと暗算で、という考え方は、間違っているんです。
    これは、高校数学の答案の書き方の練習でもあるのてす。
    数学は、どうやって解いたかを示していくものなのです。
    答だけ合っていても、解き方を示していない答案は、不完全なのです。
    ほとんど評価されません。
    そのことだけ、覚えておいてください。



    写真は、栃木県 足利行道山に咲いていた、カタクリ。2006年春撮影。



      


  • Posted by セギ at 13:59Comments(4)算数・数学

    2011年03月24日

    やっぱり原発のこと






    数年前、頼まれて、小学生に中学受験のための社会を教えていた。

    その子の持っていたカラフルな塾のテキストは、子どもよりもむしろ大人が読んで面白いものだった。カラー写真が多く、読み物記事も沢山入っている。わかりやすく説明してくれているので、ああ、そういうことだったのか、と大人のほうが面白く読める。
    子どもは、勉強するために与えられたテキストというだけで、つまらなく思えてしまうのだろう、面白いなんて決して言わないが。

    エネルギー問題は、環境問題とからめて、大きな単元の1つだ。
    中学受験生は、日本地図に描かれた点の集まりを見て、どういう種類の発電所の分布図か、見分けることができなければならない。
    海岸部にいくつか点が打たれてあるのが、原子力発電所分布図。
    都市部も含め、日本中にたくさん点が打たれてあるのが、火力発電所分布図。
    山岳地帯に点在しているのが、水力発電所分布図。

    それぞれの発電方法の長所と短所も記述できなければならない。

    ◎原子力発電
     長所 大量の発電ができ、二酸化炭素放出量が少ない。
     短所 放射線がもれるおそれがある。
    ◎火力発電
     長所 都市部周辺にも立地が可能。
     短所 二酸化炭素放出量が多い。
    ◎水力発電
     長所 二酸化炭素の放出量が少ない。
     短所 建設場所が限られ、多くの費用がかかる。
    ◎風力発電
     長所 二酸化炭素の放出量が少ない。
     短所 安定した電力の供給ができないおそれがある。

    小学生がこれを記述するのだ。
    「人生に必要なものはすべて幼稚園の砂場で学んだ」(ロバート・フルガム)という本があるが、「人生に必要なものはすべて中学受験で学んだ」と言ってもいいかもしれない。

    原子力発電所の短所。
    放射線がもれるおそれがある。

    そうだ。
    私たちは、知っていた。
    子どもにも、教えていた。
    今、それが現実になっただけなのだ。
    私たちは、この危険を知っていた。

    私が教えていた小学生は、頭はいいのだが、妙にトンチンカンなところのある子だった。
    あるとき、短答問題の練習をしていた。

    問 日本で、原子力発電所の多い地域はどこか。

    正解は、北陸だ。
    しかし、彼女は、こう答えた。
    「広島」

    生徒が間違えても、傷つけるような表情をしてはならない。
    なので、無表情が仕事として身についている私だが、そのときは、あまりのことに驚いて、「なんで?」と叫んでしまった。
    「広島に、原発があるわけないよ」
    「え?なんで?」
    彼女は、私の驚き方に、逆に驚いていた。

    広島に、原発があるわけない。
    でも、それは、私の勝手な思い込みだ。
    実際、広島に原発はないが、その理由は、私の憶測だ。本当のところは知らない。
    だた、思うだけだ。
    広島の人は、原子力の「平和利用」なんて、信じないのではないか。
    広島に原発誘致は、不可能だろう。
    実際は、三角州は立地に適さないとか何とか、そんな理由があるのかもしれないが。

    そんなことを思い出すと、また、私は、自分の本心に気づく。
    私は、原子力発電の安全性を信じていなかった。
    危険なものだと知っていた。
    でも、突然爆発するようなものだとも思っていなかった。
    じわじわと危険が広がるが、でも、最終的にはどうにかなるもの。
    そんなふうに思っていたのではないか。

    水道に、放射性物質が混じっている。
    乳児は飲用を控えるように。
    昨日流れたこのニュースは、衝撃的だった。
    三鷹の水道が、利根川からのものだということさえ、私は知らなかったから。
    野菜を洗っても、米をといでも、放射線が混じるんだなあ。
    お風呂に入れば、皮膚にまとわりついてくるんだなあ。
    微量だけれど。
    大人の健康に影響するのではないらしいけれど。

    自分に問う。
    これは、想像していた範囲のことか?
    いや、これは少し違う。
    ここまでは、想像できていなかった。

    原子力発電の短所  放射線がもれるおそれがある。

    この1行を教えたとき、私は、その本当の意味に気づいていなかった。



    写真は、南アルプス農鳥岳 大門沢の吊り橋。






      


  • Posted by セギ at 12:55Comments(2)講師日記

    2011年03月22日

    基数と序数

    もう何年も前になりますが、ひとケタのたし算ができない、小学2年生を教えたことがあります。

    8+6

    の答えが、日によって13になったり12になったりする子は、高学年でもいますが、

    3+6

    がうまく解けないとなると、それは、保護者も心配します。
    その子は、お医者さんのひとり娘でした。
    保護者面談にやってきた、きれいなお母さんは、悲しそうにしています。
    少し前の言い方で言えば、「勝ち組」。
    だけど、子どもの成績が悪いと、医者の奥さんは、つらいことが沢山あるような気がします。
    「母親の血筋ね」なんて嫌味を言う親戚がいたら、最悪です。
    私は、そういうことを聞く立場ではないし、お母さんも、そんな話はしませんでしたが。

    小学2年生の本人は、お母さんに比べると、あっけらかんとしていました。
    「パパがねえ、おまえの頭は、膜が張ってるのかって言うんだよー」
    笑顔で言うので、それは冗談なのでしょうし、冗談だということが子どもにも伝わっているようでした。
    お父さんは、娘の算数の出来について、それほど深刻に感じてはいないのかもしれません。

    しばらく一緒に問題を解いていて、気づきました。
    彼女は、個数を数えることがうまくできませんでした。
    プリントに描かれた、お花の数。
    3つくらいまでなら、ぱっと見てわかるようでしたが、7つくらい並んでいると、「いくつあるでしょう?」という問いに答えられないのです。
    「1・2・3・4…」と一緒に声に出すと、ついてきますが、
    「ほら、7つだね」と言っても、無表情です。
    別の問題を一人で解いてもらうと、答えがズレています。

    とうてい無理だろうと思いながら、次に、ひとケタのたし算の問題を解いてもらいました。
    一応正解もありました。
    答えが少しズレているだけの惜しいものもありました。
    でも、ときおり出てくる、奇妙な答え。
    私は、それだけ眺めていました。

    3+5=4

    4+9=6

    答案をしばらく眺めて、私は、「ああっ」と声をあげました。

    「これは、序数だ!」

    3番目の人と5番目の人とを足したら、何番目になるでしょう?
    8番目?
    なんでそんなに遅くなるの?
    3番目と5番目をたしたら、4番目くらいじゃないの?
    違うの?

    厳密にいえば、彼女の認識は、序数ですらなく、数字は、ただ、順番に出てくる記号。
    個数と対応していないのでした。
    算数の時間は、常に、

    Λ+Θ=Ω で、Λ+Θ=Σ ではないぞ!

    と言われているようなものです。
    大人の言っていることは、全く理解不能な作業の連続だったのかもしれません。
    世の中に何とか合わせようと、かなり近いところまで真似ているので、むしろわかりにくくなっていましたが。

    しかし、私たちは、3+5=8であると、当然のように言いますが、常に本当にその個数をイメージしてそう答えているわけではありません。
    確かめたときに、確かに8だった。
    昔、やったとき、8だった。
    だから、今も8である。
    それは、もう確かめる必要のないことだから、常に使おう。
    私たちは、3+5=8を、暗記して使っているのです。
    彼女との違いは、意味がわかっているということだけ。


    どこかで学びそこねたものは、そこからやり直すしかない。
    3枚。4個。5本。
    現物を見せながら、繰り返し、繰り返し、数字と個数は対応することが、理解できるまで。

    ヘレン・ケラーの「ウオーター」のように劇的ではありませんでしたが、薄紙をはぐように、彼女は、たし算ができるようになっていきました。


    写真は、小金井市 江戸東京たてもの園。
      


  • Posted by セギ at 10:15Comments(2)算数・数学

    2011年03月21日

    小数の計算2

    小学生の計算力を見るには、小数のわり算がわかりやすいです。
    もちろん、筆算の必要な、複雑なもの。
    初めての壁なのかもしれません。

    131.5÷1.7

    商は、十分の一の位までもとめ、あまりも答えなさい。

    小数点の移動の仕方は、意味がわかっていないと、やはり、時間が経つと忘れてしまいます。

    最大の問題は、商の最初の数字がなかなか立てられないこと。
    スパンと一度で「7」が立つと気持ちいいですが、「9」から立て始めて、消して、「8」を立てて、消して、それで不安になって、「6」を立ててしまう不器用な子、案外多いです。

    ここで必要なのは、17×1ケタのかけ算の暗算をする能力。
    その技を伝達しなければなりません。

    次に、正確にひき算をする能力。
    くり下がりのあるひき算。
    ミスをしやすいところです。

    そして、もう一度、次のケタの商を立てる。
    この作業を忘れていて、1回で終わらせてしまう子もいます。
    その後、どうしたらいいのか、わからなくなってしまうのです。

    連続作業が理解できていたとして、では、どこで、やめたらいいのか。
    十分の一の位ってどこ?

    それもクリアできても、最後に、あまりの小数点はどこだ?という問題が登場します。

    いやはや、小数のわり算は、1問解くだけで、消耗しますね。
    複合競技ですね。

    根気のない子は、このあたりから算数が嫌になります。

    算数は、もっと簡単なものなのに。
    何で、こんな頭を使わせるの?
    ものを考えると、頭が重くなってくるから、嫌なんだよ。
    算数のくせに、何で、こんなに難しいの?

    何年か前、小学生の女の子の、大体こんなふうな自己主張を聞いて、私は、目が開かれる思いがしました。


    1960年にノーベル物理学賞を受賞したドン・グレイザーは、小学3年生のときに、学習障害児の施設に移るべきであると学校から助言されました。
    ドンの両親は、断固として譲りませんでした。
    そして、4年生で、ドンは、わり算の筆算の達人であることが明らかになりました。
    ドンは、低学年の、バカげた明白な問題のどれにも、わざわざ答える気になれなかったと、後に語ったそうです。
    けれど、わり算の筆算は、少し難しく、答えは明らかではなく、過程が魅力的でした。
    だから、ドンは、解き始めた。

    小学生諸君。
    ここからが、算数ですよ。
    算数のくせに、ではありません。
    算数は頭を使うものなのです。
    (*^_^*)

      


  • Posted by セギ at 11:36Comments(2)算数・数学

    2011年03月20日

    小数の計算

    実感から言えば、小学生の半分が、6年生になっても、小数の計算がうまくできません。
    そんなふうだから、きちんと計算できる子に出会うとむしろ驚きます。
    少数のたし算の場合、たとえば、

    12+1.3=2.5 になってしまう子は多いです。

    ケタがズレているんですね。

    習ったばかりのときは、できるんです。
    学校のテストも、そこそこ得点できたはずです。
    ところが、小数のかけ算を習うと、あれは、右寄せで筆算しますから、それに慣れてしまう。
    で、久しぶりに小数のたし算をやると、たいていの子が、この計算になってしまいます。
    ケタに対する意識が低いのと、意味を考えずに単純作業として計算しているから、こういう計算になるのでしょう。
    そうした分析は簡単です。

    では、どうすれば、そうならないか。
    計算の意味がわかれば、そうならないでしょう。
    でも、それが、とても難しい。
    この先は、子どもによって違ってきます。

    今は、空気を読むのに精いっぱいの子が増えてきました。
    説明を聞くよりも、その説明に対してトンチンカンな反応をしないことに意識が集中していて、内容は聞いていない様子が見えることがあります。
    理解できていないことを悟られまいと必死の子もいます。
    そんな子たちは、説明が終わると、とりあえず、ほっとしています。
    何一つ、頭に入っていません。

    また、全く空気を読まない子もいます。
    他人の話を1分以上は聞き続けることができない様子です。
    大人の話を聞き流すのが習慣化している様子の子もいます。
    説明は、聞いていません。

    若い頃、自分の説明は、我ながらわかりやすいから、子どもたちはよく聞いてくれるし、よくわかってくれていいなあと思っていたことがありました。
    それなりに結果も出るので、よけいにそう思っていたのかもしれません。
    そういう気持ちでいるから、子どもの表情の奥にあるものに気がつきませんでした。
    今は、自分の説明が子どもに届かない可能性をいつも考えています。
    相手の表情の奥を見る。
    相手があっての説明だ。
    小数のたし算だけでも、子どもに説明するのは実はたいへんなことだし、子どもがそれを受け入れ、意味を理解して習得するのは、もっとたいへんなことです。

    それでも、必ず、意味を伝えたい。
    意味がわかれば、単純な計算だって面白いのですから。
    そう思います。

      


  • Posted by セギ at 12:56Comments(0)算数・数学

    2011年03月13日

    激甚災害

    マグニチュード9.0に修正。
    政府は激甚災害に指定。

    テレビは、全国に、そして全世界に、被害を伝えています。
    インターネットでそれを見て、世界から応援が集まっている。
    大切なことなのだけれど、見続けるのは、正直つらい。
    何度も泣いてしまう。
    だからといって、DVDを見ようなんて気には、とてもなれない。

    今朝は、ラジオをつけました。
    ラジオを聞きながら山歩きをするうちにファンになって、山に行かない日も聴くようになった番組です。
    報道特別番組になっているかと思いながらスイッチを入れると、内容はやや特別ですが、いつもの番組でした。
    自分の体験した地震を、自分の視点で語る。
    局のライブラリーが地震でぐちゃぐちゃで、リクエストに応えられないので、スタッフの手持ちのCDをかける、と笑わせていました。
    少し懐かしい、わかりやすく、励まされる曲が何曲も流れました。
    聴きながら、自分がどれだけ緊張していたか、わかりました。
    まだ、先は長い。
    48時間しか過ぎていない。
    まだまだこれからです。

    ラジオは、災害にもっとも強いメディアであると言われています。
    そこに関わる人たちが、それを自覚し、正確で前向きな情報を発信しているように思います。
    単4電池1本で聴くことができるラジオは、そこで働く人たちの経験値も含め、やはり圧倒的に豊かで強いメディアだと感じました。

    このブログは、私の塾のことを説明するブログなのですが、すみません、今は、このことしか書けません。

    写真は、三鷹陸橋からの、夕焼けと富士山。
    今年1月に撮影。
    普通の幸せな風景。
      


  • Posted by セギ at 15:16Comments(4)講師日記

    2011年03月12日

    昨日、部屋に帰ったら



    昨日の午後、起業支援センターで揺れを感じ、机の下に隠れたり、また出て作業を続けたりしていました。
    夕方、携帯が一時的につながり、気象サイトで地震の規模の大きさを知り、驚いて三鷹の街に出ましたが、街は、いつも通りの穏やかな夕方の商店街。
    買い物も普通にできました。
    アパートに帰って、ぐちゃぐちゃの部屋を見て、やっと、私の小規模な被害の現実に直面しました。

    先月まで、進学塾で働いていました。
    その資料の整理がまたできず、床に積み上げてある状態だったのですが、見事にぐちゃぐちゃになりました。
    本棚は、地震に備えた補強をしてあったので、一番上段の本が数冊床に落ちた程度。
    落ちた本が当たったのか、テレビがついていました。
    あるいは、地震のときに、自動的につくようになっているのか。
    地デジのやることは、よくわからない。

    とにかく、床を片付けていると、何かの拍子に、今度は、テレビが消えてしまいました。
    何かコードが抜けた気配。
    これと格闘すること30分。
    そうするうちに日が暮れて、お湯でもわかそうと思ったら、ガスが出ない。
    壊れているのではなく、地震を感じて、自動的に止まった様子です。
    どうすれば、復旧するのか。インターネットで検索。
    東京ガスのサイトは、アクセスが集中しているのでしょう、うまくつながりませんでした。
    いろいろ試して、東邦ガスというところのサイトが、ガスのマイコンメーターはどんな形状のもので、どのあたりに置いてあるものかから説明してくれていました。
    もちろん、操作方法も明快。
    私でも、何とかガスを復旧することができました。
    私の小さな被害は、これで解決。
    落ち着いて、テレビを見て、息をのみました。

    私は、新潟市出身です。
    四歳のときに、新潟地震にあいました。
    覚えていらっしゃる方もいるでしょうか。
    黒い地下水が吹き上がり、石油タンクが炎上した、あの地震です。

    今、このときにも、ザックに荷物を詰め、現金をかき集め、被災地に向かっているボランティアがいる。
    私が動かない理由は何だろう。
    災害の現場で、自分が役に立つと思えない。
    でも、役に立たなくても、行く意味が、本当はあるようにも思います。

      


  • Posted by セギ at 11:34Comments(0)講師日記