たまりば

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2014年06月30日

なぜ英語ができないか


日本人が英語を学ぶのならば、文法的アプローチをしていかなければなりません。
ところが、文法なんか学んではダメだというような極論を口にする人がいます。
しかし、これは、論点がズレているんです。

つまり、大学受験のための英語は身についているのに、英会話となると全く英語が口から出てこない人がいるが、それはなぜなのかという問題と混同されています。

しかし、それは、本人のメンタルの問題が大部分でしょう。

自分の発音が悪いのを気にしている。
通じないんじゃなかと不安なので、もごもごと小声で英語を言う。
相手は聞き取れないから、訊き返す。
「やっぱり、自分の英語は通じない」と傷つく。
余計に、英語が口から出てこなくなる。

正しくて素晴らしい英語を話そうと気負う。
冒頭の「あー」ばかりやけに長く引っ張り、なかなか英語が口から出てこない。

発音の間違いや、文法の間違いは、ネイティブではないのだから、当たり前。
なのに、指摘されると、物凄く傷つく。
メンタルが弱いので、一度傷つくと、二度と英語を話せなくなる。

英語を話すといっても、そもそも英語で伝えたい内容を持っていない。
英語を話さなければならない必然性もない。
なので、そんなに本気で練習もしていない。

それでは、話せるようになるわけがありません。

そして、これらは、文法を学んだからそうなった、というものではないでしょう。
本人に英語力があるのなら、後はこうしたメンタルの課題をクリアすれば良いのです。
英語力そのものがない人よりも、むしろ英語習熟に肉薄しています。


目標が、トラベル英会話に不自由しないことならば、文法ではなく決まり文句を暗唱することで何とかなるかもしれません。
けれど、私が生徒に期待し、また期待されていることは、トラベル英会話の習熟ではなく、大学受験で高い得点を取ることができる英語力です。
すなわち、受験英語です。
スピーキングは、現在のところ、入試にありません。

受験英語は、悪者ではありません。
高い受験英語能力を持って大学に入り、それから大学で、今度は会話の訓練をつめば、鬼に金棒です。
次元の違う英語が話せるようになります。
まずいのは、その2つのことを混同したり、子どもに受験英語を軽視する根拠を提供したりしてしまうことのほうです。
軽視しても、結局、受験英語を習得しなければならないのに。
それでは、軽視した受験英語に報復されてしまいます。

大人でも文法を軽視する人がいるくらいですから、子どもになると、もっとひどいです。
英文法はもちろんですが、国語の文法も、大嫌い。
そういう子は、伝家の宝刀を抜きます。
「なんで国語の文法なんて勉強しなければならないの?文法なんかわからなくても、日本語は話せるよ」

しかし、国語の文法がよくわかっていない子は、英語も苦手なことが多いです。
ある程度まではいけるんですが、英文が長くなると、わからなくなります。
中2の2学期で学ぶ「不定詞」でまずモヤモヤします。
名詞的用法・形容詞的用法・副詞的用法。
そういう文法用語へのアレルギーが強い上に、その使い分けというと、もっとわからない。
意味で区別すればいいじゃん、と安易に考えていると、形容詞的用法の「~のための」と副詞的用法の「~のために」の区別がつかなくなります。
日本語の「の」と「に」の違いがよくわかっていない子に、こんな識別は無理というもの。
そして中3になり、「分詞」や「関係代名詞」を学習するようになると、どういう順番で英語を並べていったらいいのか、全くわからなくなります。

それでも何とか高校生になると、高校の英語のテストには、和訳問題が出題されます。
大学入試に和訳問題が出題されますから。

本人は正答したつもりでいた。
なのに、テストが返ってきたら、和訳問題は、間違いだらけ。
そんなことがあります。
「学校の先生が訳した通りに書いたのに、バツになった。意味わかんない」
へえ・・・、と思いながら、答案を見ると、これは不正解だろう、という答案です。
たとえば、

゛The tofu road ゛that started in China dose not end in Japan  or in Asia.

「豆腐の道」は、中国で始まった。そして、日本やアジアで終わらない。


「・・・本当に、学校の英語の先生は、こんな訳をした?」
「したよ」
「中国で始まった豆腐の道は、日本やアジアで終わらない、と訳さなかった?」
「それ、同じでしょう」
「・・・・なるほど」

それが同じに思える感覚では、和訳問題は、正答できません。
和訳問題は、文法問題です。
文法構造の複雑なところを訳す問題が大半です。
だから、構造が把握できていない和訳は、不正解です。
この文では、that started in China は関係代名詞節で、
The tofu road を修飾しています。
そのことがわかっているとアピールする答案を書かないといけないのに、頭から順番に訳しているだけ。
これは、不正解です。

内容把握だけなら、頭から意味をとっていけば良いのです。
だから、最初の誤訳でも、まあ良いでしょう。
近年、易しい私立大学では、平易な長文を読んで内容が理解できれば解ける問題が多く、和訳問題はほとんど出ない大学もあります。
そのため、和訳そのものを古くさいと勘違いしている子もいるのですが、国立大学の二次試験は、無慈悲なくらいに和訳問題が出ます。
ですから、高校の定期テストも、その高校のレベルによって、無慈悲なくらいに和訳問題が出題されます。


正確な訳をするためには、両方の言語の文法体系を把握していなければなりません。
しかし、現代の子どもの日常会話には、そもそも、修飾節など存在しません。

問題 次の日本語を英語に直しなさい。

私が、昨日、駅への道を教えた男の子は、少し日本語を話した。

これのよくある誤答。

I told a boy the way to the station spoke Japanese a little yesterday.

駅が、昨日、日本語を話したのかな・・・。
日本語の順番のまま英単語を並べるだけじゃ、ダメなんだよー。
( 一一)

次に、少し勉強している子の誤答。

Yesterday I told the way to the station to a boy who spoke Japanese a little.

惜しい。
それの和訳は、「私は、昨日、日本語を少し話す男の子に、駅への道を教えた」です。

「同じじゃん!」
口に出すにしろ、目で訴えてくるにしろ、そういう反応の子は多いです。

「私が、昨日、駅への道を教えた男の子は、少し日本語を話した」
「私は、昨日、日本語を少し話す男の子に、駅への道を教えた」

確かに、事実は、同じです。
しかし、この2つの文は、伝えたいことが異なる文です。
ですから、日本文が異なりますし、当然、英文も異なります。
日本語を見て、主語は「男の子は」であると分析できないと、この日本語を正確に英訳することはできません。
主語を分析する作業は、本人が身につける気になれば、難しいことではありません。
しかし、文法を軽視する子は、幾度その話をしても、その分析をせず、与えられた日本語の冒頭から英訳してしまいます。
そして、
「だって、主語なんてわからないもん」
と泣き言を言います。
必ずわかるから、難しいことじゃないから、と幾度説明しても、心理的な拒絶反応が大きい。
私が見ている間はその作業をしても、宿題やテストでは、また感覚で書いてしまいます。
文法的な分析をしなければ正答できないということが、理解できないようなのです。
文法なんかわからなくても正しい英文は書けると、いつまでも夢見ています。

言語能力の高い子は、瞬時に主語を分析します。
それが、まるで分析などしていないように見えるのかもしれません。
本当は、しているんです。
本人すら無意識の場合もありますが。
我々は、日本語を話す場合に、文法を意識していません。
でも、文法を用いて話しています。
そのことを理解できない子は多いです。
英語には文法学習など必要ないという大人も、そういう人なのかもしれません。

中学生の日常会話は、主語がどうの修飾語がどうのと分析しなければならないような構造のものではありません。
そのことも影響しているのでしょう。

上の文を中学生との会話で再現するなら、こんなふうになるでしょうか。
「昨日さー」
「うん」
「歩いててさー」
「うん」
「外人がさー」
「・・・・どんな外国人?」
「子どもー」
「男の子?女の子?」
「おとこー」
「どこの国の人?」
「知らね。アメリカ人じゃね?」
「・・・英語を話していたの?」
「日本語しゃべってんだよ。うけるー」
「・・・いや、彼にしてみたら、私たちの英語のほうが、マジうけるかもしれないよ。・・・・で、その日本語を話す外国人の男の子が、どうしたの?」
「駅はどこですかあ、とか言うからさー」
「・・・で、教えたの、駅への道を」
「教えたー」

かなりひどい。
しかし、大人と、このレベルの会話ができる子は、別に頭が悪いわけではありません。
性格が悪いわけでもないでしょう。
大人に、これだけの情報を伝達できれば上出来なほど、言葉の痩せている子は多いです。
むしろ、こうした会話を交わしたとき、その子が、私に本当に語りたかったことを想像する能力が私に求められている。
外国人と会話をした喜び。
親切なことをした嬉しさ。
それを読み取れるかどうか、私の能力こそが試されるんだ、と感じます。

それはともかく、こういう会話をする子は、自分の母国語である日本語でも、
「私が、昨日、駅への道を教えた男の子は、少し日本語を話した」
という文は組み立てられないです。
まして、それを英語で表現することは難しいでしょう。

本人の国語能力を超える外国語は、習得できません。
中学生のお子さんが、国語の文法がよくわからないと言い始めたり、実際にテストの得点が低かった場合、いずれ、英語の成績も伸び悩む可能性があります。

  


  • Posted by セギ at 15:09Comments(0)英語

    2014年06月26日

    テスト勉強のやり方


    集団指導塾で働き始めたばかりの頃のこと。
    定期テスト直前に生徒を集めてテスト勉強の監督をする当番が回ってきました。
    勉強のやり方を知らない生徒が多いなあと、そのときに痛感しました。

    学校のワークなど、解くべき問題があれば、それを解いています。
    でも、解き散らかしているだけでした。
    丸つけをして、間違えた問題は赤ペンで正答を書き込む。
    そこまでは、学校で指導されていますし、その通りにしている子は多いのですが、それが形骸化した作業になっていたのです。

    やれと言われているから、やっている。
    けれど、何のために赤ペンで正答を書いているか、考えたことがない。
    だから、正答を赤ペンで書いただけで満足しています。
    赤ペンで答えを書いても、その内容を理解していません。
    自分の頭の中に入れなければならないとも思っていません。
    「内容を理解し、覚えながら書き写しなさい」
    と指示されていないからでしょうか。

    だから、間違えた問題は弱点として残り、テストのときにも、そこを同じように間違えます。
    ところが、本人は、何でそうなるのか、よくわかっていません。
    あれ?1回解いたのに、何で解けないんだろう?
    素朴に、そう思っていました。
    自分はその問題を解けなかったのだし、答えを書き写しただけで理解はしていなかったし、解き直してその問題を確実にマスターするということもしなかった。
    そういう事実を、理解できていないのです。

    とにかく問題を解いた。
    答え合わせもした。
    間違えたところを赤ペンで書いて、真っ赤になった。
    ああ、勉強したなあ。
    そういう満足感だけで終わってしまっている子が多かったです。


    やけにきれいなノートを作る子たちもいました。
    その塾の中でも、最も成績不振な女の子たちのグループでした。
    例えば理科の植物細胞の図や、公民の三権分立の図など、教科書にある図を、ノートに細部まで模写していました。
    陰影までつけてある、完璧な模写です。
    覚えるためなら、そこまで正確である必要はありません。
    むしろ重要なことが何かわかっていないからそんな図を描いているようで、胸が痛みました。
    しかし、
    「そういうのは、もっと簡略化して描くか、コピーして貼ったら?」
    と助言しても、無反応でした。

    ノートを作るのが悪いわけではありません。
    でも、問題は、作ったノートをどう活用するか、です。
    きれいなノートを何時間もかけて作ることが勉強の中心になっていては、成績は上がりません。
    「テストの日の1時間目は自習だから、そのときに、このノートで覚えるのー」
    と、それを楽しみにしているような発言をしていました。
    せっかく作ったノートなら、もっと早くから活用したらいいのになあ。

    その作業から引き離すためにプリントを与えると、その子たちは、1問1答形式の基本問題のプリントすら、ほとんど解けませんでした。
    全く手が動きません。
    「全然わからないから、解答が欲しい」
    そう言うので解答をあげると、今度は解答を赤ペンで丁寧に書き写していました。
    そういうことが、彼女たちにとっての勉強でした。

    その塾は、勉強のできる子とできない子の差の大きい塾でした。
    いえ、あの頃は、それが、公立中学全体の傾向でした。
    学力分布図はフタコブラクダ。
    テストをすると80点台に1つのピークがあり、40点から50点台にもう1つのピークがある。
    平均は65点といっても、実際にそんな点を取っている子は、ほとんどいない。

    だからだったかもしれません。
    その当時、勉強のできる子たちは、テスト前には塾に来ませんでした。
    移動の時間が無駄です。
    友達が近くにいると、やっぱり喋ったりふざけてしまいます。
    帰りにコンビニ寄ろうぜ、と言われたら、つきあわなければなりません。
    テスト前に塾に集まるのは、勉強の苦手な子たちばかり。
    だから、勉強の苦手な子たちは、勉強のできる子たちが、テスト前にどんな勉強をしているか、見る機会がなかったのです。

    その前に私が勤めていたのは大手の個別指導塾で、生徒の大半は、中学受験をする小学生と、私立の中・高生でした。
    そういう子は、本人の学力とは関係なく、勉強のやり方は身についている場合が多かったのです。
    特に私立の中・高生は。

    暗記が必要な科目は、暗記のためのノートが必要になります。
    ただ、ノート作りは、案外時間がかかります。
    普段のノートとは別に、暗記するためのノートをまた1冊作るのは、負担が大きい。
    ノートを作ることで復習にはなりますが、その作業だけで完璧に暗記できるわけではありませんから。
    暗記の時間も別に必要。
    問題練習する時間も必要。
    けれど、勉強時間は、限られている。

    私立の男子は、学校の授業用ノートを、そのまま、暗記するためのノートにする子が多かったです。
    最初から、まとめノートを作るつもりで、書いていく。
    学校の授業での先生の板書も、塾の先生に教わったプラスアルファの重要事項も、自分で参考書を見て理解したことも、1冊のノートに集約させていく。
    教科ごとに、さらに細かいノウハウがありますが、そうやって普段からノートを作っていました。

    私立の女子校の先生の作るプリントは、親切でわかりやすいことが多いのです。
    重要事項が書き込み式になっていて、そのプリントを見直せば、テスト前に暗記すべきことがよくわかる。
    これならば、新たにノートを作る必要はなく、そのプリントをノートに貼っていけばいい。
    プリントで、学校の先生が空欄にしてくれている部分、すなわち重要事項は、色つきのペンで書き込みます。
    問題は、その色づかい。
    学校の先生がチョークで使った通りの色でノートに書いていては、後で赤シートをかけられくなります。
    学校の先生が、プリント提出の際に色使いまでくどくど言うのでない限りは、使う色は、ピンク、またはオレンジ。
    赤シートをかけたとき、その色ならば、消えるからです。
    私立の女の子は、ピンクやオレンジのペンを、濃淡いろいろ、何本も持っていることが多いのです。
    重要度に合わせ、どのペンを使用するか、本人の中で使い分けがあります。
    そして、覚えるときは、赤シートをかけて覚える。
    漫然と眺めても、覚えられません。
    赤シートをかけて、本当に覚えているか、常にチェックする。
    その繰り返しで暗記します。
    学校の先生からもらったプリントは、提出するのでない限り、すぐノートに貼ってしまい、いったん、鉛筆で書きこんだものも、暗記の必要があると感じたら、すべて、ピンクかオレンジのペンで書き直します。
    ペンケースの中に、小さなハサミとスティックのりを入れてあって、そんな作業も授業中にしてしまう子が多かったです。

    こんなことは、ほんの1例。
    彼らは、勉強のやり方に関してさまざまなノウハウを持っていました。
    赤シートをかけるのなんて、よくあること。
    大人は、そう思います。
    でも、公立中学の生徒で、そうした勉強方法を知らない、あるいはやったことのない子は、多いです。
    暗記の仕方を、まず知りません。

    勉強のやり方に関するこういう「スタイル」や「文化」のようなものが、なぜ私立の子には学校が違っても普遍的に存在し、公立中学にはほとんど存在しないのか。
    私立では、親や先生に言われて行うよりも、勉強のできる先輩や同級生が発信源となり、そこから流行していくことのほうが多いからかもしれません。
    同じことを言われるのでも、大人に言われると反発するけれど、先輩や友達に言われると、心に響く。
    そういう年頃です。

    ところが、公立中学には、そういうモデルとなる秀才の同級生や先輩が少ない。
    やっている子はやっているのだけれど、それを参考に真似しようという「文化」がない。
    勉強のことを話すのは野暮、という空気すらあるかもしれません。
    テストの後で、「おまえ何点だった?」と訊きあうようなことはしても、勉強のやり方について真面目に話すことは、あまりない。
    秀才どうしは話しているのですが、勉強をしない子がその話を聞いて変に茶化してきたり、反感をもってからんできたりしたら嫌なので、他の子が周りにいるときは、用心して勉強の話はあまりしないのかもしれません。

    その結果、公立中学の生徒は、勉強のやり方について、ごく当たり前のことを知らないことがあります。
    調べる気になればいくらでも得ることはできるのですが、本人が調べよう、知ろう、と思わない限り、何1つ入ってきません。

    塾長は、
    「昔は、皆で競いあい励ましあって勉強していく空気があったんだがなあ」
    と嘆いていました。
    しかし、私は、この雰囲気では、本当に意欲もあり力もある子はテスト前には塾に自習に来ないだろうと感じました。
    勉強が苦手な子は、秀才のやり方を目にし、その空気を感じることで得ることがたくさんあります。
    では、秀才にとってのメリットは?
    誰も彼もが何かしら勉強のやり方を持っていて、情報交換が有効ならば良いけれど、ただ与えるだけなのだとしたら、秀才に何のメリットがあるのか?

    勉強が苦手な子に、勉強のやり方の基礎の基礎、いろはの「い」から教えなければならないのは、こういう背景があることも一因だと思います。

      


  • Posted by セギ at 15:50Comments(0)講師日記

    2014年06月22日

    7月5日(土)、大人のための数学教室です。



    6月21日(土)、大人のための数学教室を開きました。
    今回も、「2次関数」の佳境、係数に文字を含む2次関数の最大値・最小値についての学習です。

    問題を全て書くのは煩わしいので、ここでは、とにかく、与えられた式を平方完成して、その放物線の軸がx=aということを確認できたとしましょう。
    定義域は、0≦x≦2です。
    このとき、最大値・最小値は、aに関して5通りに場合分けして考えます。
    すなわち、a≦0 , 0<a<1 , a=1, 1<a<2 , 2≦a です。

    0と2が関係してくるんだろうなあということは、すぐわかります。
    しかし、なぜ、定義域の中央の値1とaとの関係がそれほど重要なのか、それがわからない。
    多くの高校生の反応はそんなふうです。

    この問題の解き方は、
    ①まず放物線を描き、場合分けする。
    ②その放物線ごとのaの値の範囲を決定する。
    ③それぞれの場合の最大値・最小値を計算する。

    前回の授業で、パターンごとに4題、その解き方を実演し、今回は、最大値・最小値をまとめて求めるタイプの例題を1題、解きながら解説しました。
    さて、いよいよ演習。
    実際に自分で解いてみましょう。

    ところが、参加者の半数の方が違う解き方を始めてしまいました。( ;∀;)
    テキストの問題が親切すぎたことも一因です。
    あらかじめaの値の範囲を場合分けしているタイプの問題でした。
    でも、そういうのを見ても、なぜ、そういうふうに場合分けしているのかわからないことが多いです。
    まず自分で場合分けしましょう、と強調したつもりだったのですが、伝わっていなかったようです。
    やっぱり、問題の場合分けを見ながら放物線を描こうとされている方が出てしまいました。
    そうして、aの変域とxの定義域とが混線し、軸との関係がつかめなくなり、1つ目の放物線でつまずいていました。
    「あ。慣れないうちは、まず、放物線を5つ、最初に描いて場合分けしましょう。問題に書いてある場合分けは、その後で、確認のために使ってください」
    私がそう言うと、不審そうな顔をされました。
    「いえ。先生が、前回、こういう順番で解いていたじゃないですか?」
    「え・・・・?」
    これには動揺しました。
    どうして全く逆のことが記憶されているのだろう?


    そのこと自体は、大きなことではないのです。
    いえ、違います違います、私はこう解いたのですよ、とその場で弁明することができました。
    でも、最近よく思うことと心の中で結びついて、考え込んでしまいました。
    何かを正確に伝えることは、本当に難しい。


    中学1年生にとって、1学期は、小学校時代の「算数」から中学の「数学」に移行する大切な時期です。
    しかし、本人たちには、その違いがよくわからない。
    だから、小学校時代の意識のまま、数学の問題を解いてしまいます。

    まず途中式を書きません。
    解き方を思いつくと、式を書くのを忘れてしまう子も多いです。
    くしゃくしゃ筆算して、答えだけ書いてしまいます。
    (式)という欄がなければ式を書かなくていいと思っている子もいます。
    何を、どういう公式や定理を使って、どういう流れで解いたのか、それでは何も読み取れない。
    そんなのは、数学の答案ではありません。

    それを直すために、特に私立中学の数学の先生は、中学1年生に多少高圧的な答案指導をすることが多いです。
    かなり強く言わないと、子どもは直さないですから。

    ここは、こう書かないと、テストは全部バツにしますよ。
    これを書いていなければ、0点にしますよ。

    「うちの学校の先生、すごくうるさい」
    と口を尖らせて言う子のノートを見ると、ごく当たり前の、標準的な答案が書かれていて、
    「何もうるさくない。これが普通です。良い答案を指導してくれる先生ですね」
    と説明することはよくあることです。

    しかし、ときどき奇妙な答案の書かれたノートに出会います。

    例えば、式の値を求める問題。
    「x=5、y=-2であるとき、3x-4yの値を求めよ」

    この答案の1行目で目が止まってしまいました。

    「xを5、yを-2に代入して」

    ・・・・・・え?('_')

    わかると言えばわかるのですが、何かモヤッとする日本語です。
    これ、「を」と「に」が逆ですよね。
    「xに5、yに-2を代入して」
    このほうが良いでしょう。
    しかし、「て・に・を・は」は今の子どもには難しいです。
    「x=5、y=-2を代入して」
    と書けば、そういう混乱を回避できるんだけどなあ。

    また別の問題。
    それは、式による証明の問題でした。
    「連続する3つの偶数の和は6の倍数になることを説明しなさい」
    この問題の答案の書き出し。

    「整数をnとすると、2n-2、2n、2n+2とかける」

    ・・・・・え?

    「整数をnとすると」
    この書き出しに、まず「えっ?」と思ってしまいました。
    それは違うんじゃないかなあ。
    「整数をnとすると」ではなく、「nを整数とすると」が、正しい書き出しです。
    そして、最後の「かける」にも違和感がありました。
    「かける」って、「書ける」ということなんだと思うけど、なぜ、書くこと限定なんだ?
    何か、微妙に気持ち悪いです。

    これ、標準的な書き方は、
    「nを整数とすると、連続する3つの偶数は、2n-2、2n、2n+2と表される」
    となります。

    「学校の先生が、こう書いているの?」
    と尋ねると、その子は黙ってうなずきました。
    しかし、学校の先生が本当にそう書いているのか、疑問の余地があるのです。

    板書の見間違いや写し間違いを、していないでしょうか。
    あるいは、本人の国語力が、学校の先生の模範解答を歪めていないでしょうか。
    学校の先生は、「表される」と板書したのに、その子の語彙の中にそのような表現がない。
    本人としては、「表される」という言い回しに、むしろ違和感がある。
    そのため、本人の中での「正しい日本語」に勝手に変換し、「かける」と直してしまった。
    しかも、自分がそのように書き換えたことが記憶の中から消え、先生がそのように板書したという記憶として残っている。
    そういうことなのではないかという予測もたちます。
    しかし、確証はありません。

    私立中学に入学したお子さんの数学の勉強を見ようとして、こういうことで困っている保護者の方は、案外多いのではないかと思います。
    学校の授業の細部を、保護者は確かめることができません。
    子どもの記憶とノートが、情報の全てであることは多いです。
    そうした中で、多くの子どもは、
    「絶対に、こうだった」
    と言い張ります。
    学校の先生から、
    「こう書かないと0点」
    というプレッシャーを受けていますので、違うんじゃないのと言われても、認めません。
    「その書き方は少し変だし、そういう書き方じゃなくても大丈夫だよ」
    と教えても、いや、あの先生は、絶対そういうのは許さないんだと決めつけたりもします。

    子どもの勉強を見ようとして、こういう反発にあい、毎回親子喧嘩。
    そんなことが、起きていないでしょうか。

    数学の答案の筋道というものを理解させようとして、学校の先生たちは、ある程度生徒たちに強要する。
    しかし、それが、場合によっては、微妙に奇妙な答案を定着させてしまう。

    学校の先生が生徒たちに伝えようとしていることの核心は、そういうことではないのです。
    表現方法は何通りもある。
    ただ、どうしても答案に書かねばならないことがある。
    どういう公式や定理を使って、どのように解いているか。
    それがわかる答案であることが、数学の答案には絶対に必要なこと。
    細部の表現に右往左往し、かえって日本語として誤った書き方をしてしまっている中学1年生に、1日も早く本質を伝えたい。

    私の経験から感じることは、とにかく、その子の数学的能力を高めなければなりません。
    数学の能力が高まれば、自然に、こういう課題からは解放されていきます。
    本質が見えていないのは、数学がよくわかっていないからだと思うんです。
    ついでに言えば、もうちょっと国語力がつくといいかなあ。


    さて、次回の大人のための数学教室のお知らせです。
    次回は、2次関数の文章題を解きます。

    ◎期日  7月5日(土)午前10時〜11時30分
          内容は高校数Ⅰ「2次関数」です。2次関数の文章題を解きます。

    ◎場所  セギ英数教室
           三鷹市下連雀3-33-13
             三鷹第二ビル 305
           春の湯さんの斜め前のビルです。
    ◎用具   ノート・筆記用具
    ◎参加費 2,000円
           当日集めさせていただきます。
    ◎予約  メールにて、ご予約をお願いいたします。
           左の「お問合せ」ボタンからご連絡ください。
           既にご参加いただいている方は、ご出席確認メールへの返信の形でご連絡くださるのが簡単です。
           携帯メールアドレスをご存じの方は、そちらにご連絡いただいてもかまいません。     








      


  • Posted by セギ at 15:49Comments(0)大人のための講座

    2014年06月19日

    奥高尾を縦走しました。2014年6月。


    このところ、日曜日は雨が降ったり仕事が入ったりで、山に行くことができませんでした。
    しかも、今度の日曜日も雨の予報。
    なので、6月17日(火)、夜から仕事はあるのですが、奥高尾を縦走してきました。

    三鷹発7:49発の中央快速に乗りました。
    通勤・通学客の迷惑にならないように、先頭車両に乗車。
    高尾駅8:24。

    北口からいつもの陣馬高原行きバス停へ。
    バス停には、既に行列が。
    おお、平日でも、奥高尾へ行く人は、案外多いのですね。
    平日の陣馬高原行きバスは、毎時34分発。
    8:34発のバスに乗りました。
    座席は全て埋まり、立っている人もちらほらいる状態で、バスは出発。
    終点、陣馬高原下。9:20。
    早速歩き始めます。

    朝から蒸し暑い。
    緩やかな上り坂の林道歩きでもう汗が出ました。
    登山道との分岐。9:35。

    夏草が生い茂る草いきれの中は、いつもより登山道が狭いです。
    急登にさしかかると、あたりは植林ということもあり、登山道の印象は冬場とそう変わらなくなりました。
    1つ目の長い急登を終えて、自然林の木洩れ日を楽しみながら、少し緩くなった道を軽快に進み、さらにまた急登を行きます。
    はー、首に巻いたタオルが汗に濡れて、絞れるくらいでした。

    夏場の登りは、残りの水の量を心配して、、つい水分補給を我慢しがちです。
    結局、それで失敗し、動けなくなったことがあるので、今回は、登りながら意識して水分を多めにとりました。
    そのおかげか、1日、快調に身体が動きました。

    陣馬山山頂。10:30。
    売店が1つ開いていました。
    かき氷の旗がひらめいています。
    ひとつ400円。
    山ガールたちが、おいしそうに食べていました。
    いいなあ。ヽ(^。^)ノ

    梅雨の晴れ間は、湿度が高すぎて視界不良。
    富士山はおろか、奥多摩の大岳山も見えません。
    青灰色の空と濃い緑。
    でも、山頂には涼しい風が吹いていました。

    何だか早くもお腹が空いたので、おにぎりを1つ食べました。
    これから暑さで食欲がなくなる可能性も高いので、食べられるときに補給。
    さて、出発。

    歩きやすい広い道をどんどん行きます。
    明王峠。11:25。
    小屋周りで木のベンチを作っている方に遭遇。
    気持ちよく挨拶し、話しかけてくださる方でした。
    暑い中の作業、ご苦労さまです。

    さて、水分補給して、また出発。
    まき道、まき道と選んで、景信山に向かいます。
    確か去年あたりに、以前はなかった道しるべが整備され、巻きすぎて景信山まで巻いてしまった、ということがなくなりました。
    なので安心して、その他はまき道を選びます。
    途中、オカタツナミソウを発見。
    涼しげにひっそり咲いていました。
    上の画像がそれです。

    山を歩くとき、耳元でラジオを低くかけています。
    平日の午前中のラジオ番組には、あまり馴染みがありません。
    ゆっくりとした口調。
    かかる曲は、ジョン・デンバーやビートルズ。
    これが、山道の景色に不思議にマッチしていました。

    景信山。12:35。
    関東平野も霞みに霞んでいました。
    ここでもう1つおにぎりを食べて、さて出発。

    さらに歩いて、小仏城山。13:35。
    わあ、丹沢も見えない。
    晴れているんですけど。
    ここも売店が開いていました。
    ここのかき氷は大きいんですよね。
    かなりの誘惑でしたが、何とか耐えて、さらに進みました。
    平日にも売店が開いているのは、そこそこ客がいて商売になる、というよりも、この暑さの中、十分な飲み物も持たずに来る人が倒れてしまわないよう、エイドステーションとして見守ってくれているのかもしれません。

    小仏城山から一丁平への道は、広い木道・木段が延々と整備されていました。
    この春、桜を見に来たときは、まだ資材が置いてあるだけでしたが、もうほとんど完成した様子です。
    うわ人工的だなと最初は思いましたが、奥高尾の滑りやすい土道をそれと知らずにやってくる登山客が、泥んこ道を避けてロープの外を踏み荒らす現状を思うと、木段で整備するのは、植相回復の切り札なのかもしれません。
    高尾山は、日本の植物のおよそ3分の1を確認できると聞きます。
    これは、守りたい。

    一丁平周辺は、ヤマボウシが満開。
    さらに行くと、紅葉台への登りの途中には、咲きかけのオカトラノオ。
    もうすぐ見ごろです。

    高尾山下。14:25。
    山頂への最後の階段は遠慮し、そのまま、稲荷山コースへ下りました。

    ちなみに、エコーリフトは、現在、点検整備のため運休中。
    ケーブルカーは通常運行。
    ビアマウント高尾は、来週からだそうです。

    高尾山口下山。15:20。
    はあ、よく歩いた。
    歩数計で、3万5千歩以上になりました。

    さて、帰って、シャワーを浴びて、夜から授業です。

      


  • Posted by セギ at 14:25Comments(2)

    2014年06月16日

    中間テストの集計結果です。


    私立中学・高校は6月上旬に中間テストのところが大半。
    その結果を待っていましたので、ようやく中間テストの集計が出ました。

    数学 90点台 1人  80点台 2人  70点台 2人 70点未満 1人 
    英語 90点台 1人    80点台 1人

    いずれも、中1から高3までの、セギ英数教室で該当科目を受講している生徒さんの得点です。

    私立の中間テストが終わると、すぐに公立中学の期末テストシーズンに突入。
    来週にはもう期末テストの学校もあります。

    テスト直前になると、セギ英数教室では、宿題は「テスト勉強」という漠然とした課題を出すことが多いです。
    というのも、学校のワークの課題がたくさん出ていますので、その上で塾の宿題まで出すと、学校のワークを解ききれない子がいるんです。
    「塾の宿題をやっていて、ワークができなかったから、提出しなかった」
    と、真顔で言う子が出てくる可能性があります。
    以前に勤めていた大手の個別指導塾では、このタイプの子が多かったです。
    優先順位を間違えてしまうんでしょうか。
    あるいは、学校のワーク課題の、場合によっては30ページを越えるボリュームに気圧され、とにかく塾の宿題だけやって辻褄を合わせよう、あるいは言い訳しようと思ってしまうのかしれません。
    塾の宿題ならば、2~3ページですから。
    (*_*)

    学校のワークは、理科・社会・国語は、他に教材を持っていない子も多いでしょうから、テスト前にやるのも良いと思います。
    普段は学校のワークを解いておいて、テスト前にもう1冊別のワーク、あるいは問題集を解くほうがより良いのですが。

    数学や英語の場合は、学校のワークは、普段の家庭学習で大半は終わらせていてほしいものです。
    易しい問題を繰り返し繰り返し解かなければならないのが教科書準拠ワークです。
    各セクションに1問ずつの「発展問題」だけは、変に歯ごたえがありますが、易しい問題も大量にあります。
    その子のレベルによっては、これは、テスト前にやることじゃないよね、と言いたくなります。
    まとめのページだけテスト勉強に残しておいて、それ以外は、毎日の家庭学習で、学校の授業が進んだところまで、その日の復習としてやっておくのが理想です。
    でも、中学生は、なかなかそれができないんです。
    ( 一一)

    前に勤めていた集団指導塾では、定期テストの直前は、授業ではなくテスト勉強の時間に充てていました。
    さらに、土曜日や日曜日にはテスト勉強のために塾を開放していました。
    たいていの子は、学校の課題のワークを仕上げることにその時間を使っていました。

    後に国立高校に合格した子でさえ、学校の数学のワークがまるまる残っている、という状態だったりしたものです。
    「あー、うざい。こんな問題、解く意味があるのかー」
    と言いながら、基本的な計算問題を猛スピードで解いていました。

    問題には解くべき時期があります。
    もう発展問題が解けるようになってから、テスト前に基本問題ばかりそんなに大量に解いても仕方ない。
    その問題で練習することが効果的であるよう、日常の予習復習に学校のワークを活用してくれれば良いのになあ。

    でも、うざいと言いながらも自分で解くのが秀才。
    中には悪だくみをする子がいます。

    テスト前に、何か数学の課題を出してくれと言うので、
    「え?学校のワークは終わったの?」
    と訊くと、終わったと言います。
    まだ基本的なことも定着していないのに、なぜ学校のワークが終わっているんだろう、何か変だなあと困惑していると、
    「友達とワークを交換した。自分は理科を2冊解いて、友達は数学を2冊」
    「同じワークを2回解いたということ?」
    「うん。だから、理科は、今回、ばっちりだよ」
    「・・・・・・・」

    普段、勉強を怠けている子には、学校のワークをきちんと解くことが、頼みの綱です。
    基礎の反復は、学力向上には、遠回りのようで近道。
    さあ、いよいよ期末テスト。
    本当に負けられない闘いは、ここにあるのですよ。
    ヽ(^。^)ノ

      


  • Posted by セギ at 14:34Comments(0)講師日記

    2014年06月12日

    成績急上昇の可能性


    同じような情報というのは、同じような時期に集まってくると感じます。
    最近、ネットで、テレビで、書店で、「偏差値30台の子が1年で70台になり、有名大学に合格」といった情報を立て続けに3例目にしました。

    そういう成績急上昇の情報は、別に嘘ではないでしょう。
    そういうことは、現実に起こります。
    どの例も、昔ながらの真面目な努力を毎日長時間、大量に行ったという点で、説得力がありましたし。

    私が教えていても、例えば数学で、定期テストで30点台の子がちょっと頑張れば70点台を取るようになるのは、よくあることです。
    英語では、以前にも書きましたが、初見の英文が全く読めず、実力テストや模試では英語の偏差値40台前半がやっとという子に、3か月、単語の特訓をしたことで50台後半まで一気に上がり、その後、70を越えた例もあります。
    そういうのは、この業界で長くやっていれば、必ず出会うことです。

    え?
    上がり幅が微妙に狭い?
    (#^^#)

    確かに、世間の耳目を集めるには、ゴールが有名大学であることが重要です。
    私が教えた中ですと、英語や数学でそういう奇跡を起こした子は、他の科目のへこみをその科目で補う形で大学に合格しましたので、大学名で言うと、世間があっと驚くというのではなかったです。
    本人は、行きたかった大学に合格して満足で、私も満足でしたが。

    単に有名大学というと、高校3年生に私が個別指導して合格した大学というと、東工大、農工大、早稲田、明治などがありますが、もともとそこそこ勉強のできる子たちでしたので、奇跡のドラマはありませんでした。
    でも、やっぱり、奇跡はすぐそこに現実にあると感じます。


    私のやっていることは普通のことで、特に語るようなことではありません。
    まっとうで真面目な努力を生徒に要求するだけです。
    英語で言えば、大学受験に必要な単語力と文法力をつけたい。
    その力があってこそ、入試問題に対応する技術が活かせます。
    予備校などで、魔法のようにスラスラ英文が読めて問題が解ける方法を教わっても、自力では、そのような読み方はできないですから。

    魔法のような読み方や「〇〇メソッド」など、新しい解法をかかげる予備校講師が、じゃあ単語力も文法力もないのかと言ったら、そんなわけがありません。
    本人は、そんなトリッキーな読み方ではなく、自分の高い英語力で本文を隅々まで精読し、正答を判断しています。
    自分はまっとうに読んでいるのに、単語力も文法力も足りない子が解くためのねじれた魔法を作り出し提言している、という視点はもっていたほうがいいです。
    一時期、そういうものがあまりにもひどくなり、また、近年はそもそも文章を読めない子が増えたので、段落ごとに内容を把握する普通の方法を教える講師も多いようですが。
    いずれにせよ、単語力と文法力は、必要なものなんです。

    なかでも、結果を出すまでに時間のかかるものは、単語力です。
    高3になるまでに、大学受験に必要な単語力をつけさせたい。

    しかし、これが難しい。

    今年の春も、昨年同様に、無料英単語教室を開きました。
    英単語の練習だけで90分。週1回。
    ただし、毎日1時間自宅で練習。
    それだけで、単語力は大学入試の長文を読んでいくのにさほど苦痛はない程度になります。
    そういう教室です。

    しかし、この教室、挫折率は7割。
    1日1時間を単語の練習に充てる。
    それだけのことが、続きません。

    挫折のメカニズムは大体わかっています。
    始める時期の問題もあるのかもしれません。
    大学受験に失敗し、浪人した子がやるほうが結果は出やすいでしょう。
    近年の入試問題によく出てくる実践的な単語・熟語を一気に覚えていくのですが、ある程度入試演習の経験がないと、覚えた単語・熟語が入試問題に本当によく出ているということが理解できません。
    まだ大学受験まで間がある子にとっては、かなり難しく感じる内容です。
    難しい。
    覚えにくい。
    覚えても覚えても、またすぐ忘れてしまう。
    それは仕方ないことで、完璧ではなくてもいいから継続してくれれば、結果はいずれついてくるのですが、そういう方向で努力をしたことのない子には、つらいようです。

    努力できないときに、自分の努力不足を反省できる子は、少ないです。
    嫌なことから逃げる理由を探し始めます。

    「こんなことやっても、意味がない」
    「時間がもったいない」
    「単語は、学校で覚えるからいい」
    挫折する子は、判で押したように同じことを言い始めます。
    1日の中で無駄に遣っている時間は他にいくらでもあるのに、単語を覚える1時間が無駄に思えて、その時間を切り捨てようとします。
    英単語を覚えているその1時間のせいで、学校の勉強ができないと、本気で思うようです。
    携帯をいじっている時間のほうが無駄なんですが。

    単語教室への参加を決めるのが保護者の場合、特に心配です。
    親に言われて始めた場合、ほとんど挫折してしまいます。

    私の書き方が悪いのかもしれません。
    英単語教室の内容を読むと、保護者の方は、ああ、うちの子も、英語はもう大丈夫と思うようなんです。
    「英語は、やればできるようになるから」
    と、面談でこともなげにおっしゃるお母様もいらっしゃいました。
    正直、ヒヤリとしました。
    やればできるようになる。
    それは、事実なんですが。
    何も間違っていないのですが。


    偏差値30の子が、1年で偏差値70に。

    こういう情報、嘘ではないのです。
    でも、保護者の方が、そういうものを鵜呑みにして、自分の子どもも簡単にそうなると思うのは、心配です。

    子どもが、自力でそういう情報を発見し、自分もやれば出来るようになると励ましを得るのは、素晴らしいことです。
    そういう飛躍の可能性は、本当に誰にでもあるのです。
    やればできる。

    でも、保護者の方がそういう情報から、成績が上がるのなんて簡単なことだと安易に思い、子どもに安易にそれを期待するのは、心配です。
    努力をするのは、保護者ではなく、子どもですから。
    奇跡を起こすための努力は、並のものではないのですから。

    誰にでも可能性のあること。
    でも、誰にでもできるわけではないこと。
    大人は、そういうことを理解していたほうがいいと思うんです。

      


  • Posted by セギ at 17:01Comments(0)講師日記

    2014年06月08日

    6月21日(土)、大人のための数学教室です。



    6月7日(土)、大人のための数学教室を開きました。
    ご参加は、5名さま。
    わあい、フルメンバーだ。ヽ(^。^)ノ

    今回は、2次関数のヤマ場、係数に文字を含む2次関数の最大・最小について学習しました。
    ここは、私自身、高校生だったときに難しかった記憶があります。
    当時の赤チャートの該当ページのレイアウトまで覚えています。
    高校1年生にいきなり赤チャートをやらせる高校でした。
    わかるわけ、ないぜ。
    ( 一一)

    しかし、わかりやすく場合分けして考えれば、ここは絶対にわかるところです。
    学校の授業が理解できずに質問してくる高校生の場合は、私の解説を聞き終わった後、口を開けてボードを眺めながら、
    「こんな簡単なことだったんだ」
    と放心している場合もあります。
    「学校でもこんなふうに解説してくれたら、わかるのに」
    と最大級の賛辞も、ときどきいただきます。
    自画自賛。
    今回の中間テストも、うちの塾に通う高校生が数学の2科目どちらも90点台を取りましたよー。
    ヽ(^。^)ノ

    とはいえ、高校生に解説する場合、概要は学校で習ってきているので、話が速いのです。
    大人の方は、もうほとんど初めてこんな問題を見る、という状況です。
    しかも、大人の方は、家で毎日勉強するというわけにはなかなかいかないです。
    今回の重要なことの手前、文字を含む式の平方完成でモヤモヤされたかもしれません。
    あるいは、重要な判断が終わった後の、比較的単純作業な計算が、スピードが速くて咀嚼できなかったということもあったかもしれません。

    私が一番恐れていたのは、4つあるパターンの解説の途中で時間切れになることでした。
    とにかく、解説するだけ解説してしまいたい。
    解説内容には、かなりボリュームがあります。
    途中で終わって、2週間後、その途中から解説すれば何とかなる、というものではなさそうです。
    また最初から解説することになるでしょう。
    だから、とにかく一度、解説するだけしてしまいたい。
    わからないことは、後で、演習の中で個別に対応できますから。
    わかりにくいことはわかっています。
    とにかく、最後まで説明させてください、と祈るような気持ちでした。

    私のこの切羽詰まった空気は、伝わっていたようです。
    そういうところが、大人の方はありがたいです。
    質問したいことはたくさんあったでしょうに、とりあえず、最後まで解説させていただきました。
    次回は、テキストの例題に沿って、最大・最小をまとめて場合分けする方法の中でもう一度解説します。
    その後に演習もします。

    例えば、こんな問題です。
     y=(x-a)2-a2+a (文字の後ろの2は指数としてお読みください)の定義域が 0≦x≦2 であるときの最大値を求めよ。
    この問題は、実際に放物線のグラフを描き、定義域との関係を考えて、aについて場合分けしていく必要があります。
    ここで重要なのは、放物線の軸と、定義域の中央の値との関係。
    高校生は、このことに気がつかない場合が多いのです。
    あるいは、説明を聞いても、わからない。
    0≦x≦2なのだから、0と2が何か関係してくるのではと予想しがちです。
    なぜ、中央の値1と軸との関係が重要なのかを理解できるかどうか。
    そこが、この問題の急所です。
    しかも、全ての場合で中央の値が重要なのではない。
    同じ最大値でも、0と2だけが重要な場合もあるのです。
    では、重要な場合と重要ではない場合は、どこがちがうのか。
    次回も、引き続き、この問題を扱っていきます。

    さて、次回のお知らせです。

    ◎期日  6月21日(土)午前10時〜11時30分
          内容は高校数Ⅰ「2次関数」です。2次関数の最大・最小の続きから。

    ◎場所  セギ英数教室
           三鷹市下連雀3-33-13
             三鷹第二ビル 305
           春の湯さんの斜め前のビルです。
    ◎用具   ノート・筆記用具
    ◎参加費 2,000円
           当日集めさせていただきます。
    ◎予約  メールにて、ご予約をお願いいたします。
           左の「お問合せ」ボタンからご連絡ください。
           既にご参加いただいている方は、ご出席確認メールへの返信の形でご連絡くださるのが簡単です。
           携帯メールアドレスをご存じの方は、そちらにご連絡いただいてもかまいません。     



      


  • Posted by セギ at 13:52Comments(0)大人のための講座

    2014年06月05日

    提出物を出さない子


    さて、私立中学・高校は、今が中間テストシーズンですが、公立中学は、ゆっくりと期末テストが近づいてきています。
    公立中学の成績は、定期テストの点数が大きく影響するのはもちろんですが、その他の要素も無視できません。
    大きな要素としは、授業態度、そして提出物をきちんと出しているか。

    日々の授業のいろいろなプリント類も提出物ですが、一番大きな提出物は、定期テストの朝に提出するワークです。
    学校から配られた、教科書準拠のワークブックですね。
    5教科全てのワークブックがそれぞれ配られている学校が大半です。
    しかも、テスト範囲としてページ数が指定されていて、テスト当日の朝に提出するようテスト範囲一覧表にも明記されています。
    これを出さない子がいるんです。
    そんなことをしたら、成績が1段階下がっても何も文句が言えないのに、出さないんです。
    テスト勉強はそれなりにしているし、成績のことは気にしているのに、ワークを出さない。

    何を考えているのだ?

    ワークを提出をしないと成績が下がることが理解できていない場合ももちろんあります。
    しかし、もう少し悲しい事情もあります。
    出したい気持ちはやまやまなのに解答集をなくしてしまって出せない子がときどきいるんです。

    中間テストのときには、きちんと自分で採点をして、あるいは、解答を丸写しして、無事に提出した子が、次の期末テストでは提出できなくなります。
    解答をなくしてしまうんです。
    ワークは、別冊解答も同時に配られ、自分で丸つけをして学校に提出します。
    提出するときには、解答集は外して提出します。
    その後、解答集だけになったものを自分で管理できず、なくしてしまうんです。
    薄いので、何かにまぎれやすいのでしょう。

    ワークを返却されたとき、すぐに解答集をはさんでおけば良いのに、後でいいや、と思ってしまう。
    そして、いざ必要となったときに、解答をどこに置いたか、もう覚えていない。

    友達に借りたくても、友達だってテスト前で使っていますから、簡単には貸してもらえません。
    最悪の場合、5教科のワークの解答集をまとめてどこかに片付けて、全部なくしてしまいます。

    そして、まだ中学生ですから、なくしてしまった場合に、その解決能力がない場合が多いのです。
    怒られるから先生に相談できない。
    親にも相談できない。

    自力でそこそこ解ける子は、自分で解いて、勝手に全部丸をつけて提出したりもしますが、解答を丸写ししないことには提出できない子もいます。
    特に社会や理科は、本人がきちんと勉強して覚えていればともかく、そうではない場合、いちいち調べないと1問も解けないことがあります。
    答えられなかった問題は、バツをつけるだけでなく、赤ペンで答えを書き込まないといけないのに、調べても、答えがわからない。
    結局、「提出しない」という選択肢を選んでしまいます。

    本当は、提出したい。
    提出しないと、成績が下がることもわかっている。
    だけど、提出できない。
    テスト前なのに気持ちは暗く、どんよりとして、テスト勉強が手につきません。

    普段から部屋や勉強机の周りが散らかっている子、物の管理ができない子には、その可能性があります。
    お子さんのワークの解答集は、無事ですか?
    今、どこにありますか?

      


  • Posted by セギ at 13:17Comments(0)講師日記

    2014年06月02日

    檜洞丸を歩いてきました。2014年6月。




    日曜日は、西丹沢の檜洞丸を歩いてきました。
    ヒノキボラマルと読みます。
    この山を歩くのは、いつもこの時期です。
    もう4回目になりますが、前回が2010年でしたから、4年ぶりです。
    三鷹発6:05、新宿で小田急線に乗り換えて、新松田着7:55。
    西丹沢行きのバスは、8:10発のはずでしたが、小田急から降りてきた客が全員乗り込んだタイミングですぐに出発。
    この季節、バスは増発してくれているようです。

    電車の窓からも、バスの窓からも、大きな富士山が裾野までのびのびと見えていました。
    終点、西丹沢自然教室、9:00。
    バスが着くと、職員の方が表に出てきて、登山届を提出するように誘導します。
    いつもそれに手間がかかるので、今回は、前日に家で書いてきたものをさくっと提出しました。
    過去3回、毎回、
    「犬越路に行かれるなら、時間を見てください。険しいですし、思った以上に時間もかかりますよ」
    等の注意があったのですが、今回は、何も言われませんでした。
    ん?

    さて、まずは、バスの進行方向のまま、車道を歩いていきます。
    10分ほどで、右手に登山口が見えてきました。
    この登山口がいつも何か薄暗い。
    いえ、これは、私の心理の反映なのかもしれません。
    これからの山道を思い、暗澹たる思いで登り始めます。

    まずは、最初の難関、狭い桟道。
    崖側に手すりはついていますが、転んだら、手すりの下から簡単に崖の下に落ちていきそうです。
    まだ朝でバランスに不安のある身体には、これが怖い。
    何となく怖い山。それが檜洞丸。
    怖いわりに人気のある山なので、あまり山慣れていない様子の人も歩いています。
    なので、朝からペースがぐっと落ちてしまう山です。
    登山届を一番に出せたこともあって、今回は、あまり渋滞に巻き込まれずに済みました。

    道が水平になり、まだ桟道はときどき出てきますが、沢音を聞きながら木洩れ日の中を行く、気持ちのよい山道が続きました。
    やがて、ゴーラ沢出合。9:50。
    ここで徒渉。
    はあ。( ;∀;)

    最初の徒渉は、緩やかな浅瀬でしたが、川幅がありました。
    濡れたくないので、慎重に慎重に。
    歩を刻んだせいもあり、川の中の飛び石を踏むこと7個。
    徒渉が嫌いな私にはストレスの強い場所です。
    次は、大きな石がゴロゴロしている中で2度目の徒渉。
    ここは、一歩、ぴょんと跳ぶだけで済みました。

    毎回、来る度に、ここの徒渉の状況は変わっています。
    最初の徒渉はなくて済むこともあれば、2度目の徒渉がやけに険しいこともあります。
    そのときどきの河原の様子や水量のせいなのでしょう。
    丹沢の自然は険しい。

    河原は広く漠然としていますが、登山口はコンクリートの階段になっています。
    階段の上は、鎖場。
    登る分には鎖は不要ですが、段差があり、よっこらしょと登っていきました。
    そこからは、急登の連続。
    暑いなー。
    日曜日、下界は30℃を越えたようですが、山も暑かったです。
    スポーツドリンク3L、コーヒー500mL、全て山の中で飲み切ってしまいました。

    展望園地。10:35。
    丹沢特有の、テーブルなんだかベンチなんだか微妙な高さと広さの物が1つ置いてある場所です。
    ここからも、樹間から富士山が見えました。

    さらに急登は続きます。
    木の梯子状の階段や、鉄の梯子も出てきました。
    段差が急なところも多いです。

    石棚山との分岐。11:20。
    ここから、シロヤシオの巨木の林が始まりました。

    シロヤシオ。
    葉が5枚あるところから、ゴヨウツツジの名もあります。

    日曜日、シロヤシオは満開でした。
    満開のシロヤシオの花のトンネルの中を歩いていきます。
    新緑の中に揺れる素朴な白いツツジの花。
    写真を撮っても撮っても、次の木の下に来ると、また撮ってしまいます。
    これではきりがない、とスマホを片付けても、今度は見とれてしまって、足が前に進みません。
    トウゴクミツバツツジもまだ咲き残っていて、濃いピンクと白のコントラストが美しい。
    振り返れば、夏空の下の大きな富士山。
    この風景が見たくて、やっぱり、何度でもこの山に来てしまいます。

    檜洞丸山頂、11:55。
    ベンチの1つに座って昼食。
    あまりの暑さに食欲も落ち、おにぎり1つをもてあまし気味でしたが、何とか飲み込んで、さて出発。
    ここからは、大コウゲへ向けての急下降。
    さあ、気を引き締めていかなければと思ったら、急下降の道の全てが、木の階段になっていました。
    以前は、高度感・露出感が強く、登山道は崩落気味で滑りやすく、怖かったところです。
    それが、何だか観光地みたいになっていました。
    上の写真がそれです。
    そうか。
    だから、西丹沢自然教室で登山届を出したときも、昔のような注意喚起はなかったのかな。
    階段を降りていけばいいだけなので、とても簡単でした。
    左手には、富士山。
    さえぎるものがなく、広々とした空の下の富士山でした。
    次のピークの下りも、木段になっていて、これは楽です。
    稜線歩きの間、ずっと富士山が見えていて、楽しい山歩きでした。

    ヤタ尾根との分岐。12:45。
    しかし、ここから、様子が一変。
    整備されていたのは、ここまで。
    その先は、4年前に来たときと何も変わっていませんでした。
    高度感のある岩場の下りが続きます。
    鉄梯子もあります。
    鉄梯子に取り付くまでの身のこなしが難しかったです。
    さらに露出感の高い岩場の下り。
    立って降りられないときは、座って降ります。
    あー、やっぱり怖いな、この山は。

    ふと前を見ると、渋滞が起きていました。
    「鎖場ですか?」
    と最後尾の人に声をかけると、その人は、振り返って苦笑。
    「さっきから、全然動かない」
    ここの鎖場は、長いので、慣れていない人にはかなり怖いところです。
    すくんでしまって進退窮まる場合もあります。
    鎖場は、上体を岩と鎖から離して、足元を目視できるようにすれば、足場を選んで降りていけます。
    でも、慣れていないとそれが怖くてできないので、足でさぐって降りていくことになり、余計に怖くなります。
    若い男性が、ぼやきました。
    「バスに間に合うかなあ。中川で降りて温泉に入るから、3時40分のバスに乗りたいんだけど」
    「あー」
    「終バスになるのは」
    「うーん」
    そういう会話を交わす間も、全く動きはありません。
    人が多いときは、鎖場は多少渋滞するものですが、全く動きがないのは、やっぱり、誰かが相当てこずっていたのでしょう。
    後ろから、バンダナを頭に巻いた初老の男性が追い付いてきました。
    「あー、鎖場か」
    「はい」
    「あー、暑いねえ」
    「暑いですねえ」
    「あー、もう早く降りたいなあ」
    「早く降りて、ビール飲みたいですねえ」
    鎖場上部で、のんびり世間話をしていると、何とか行列が動き出しました。

    鎖を降りて、しばらく歩くと、また鎖。
    鎖場は結局、3か所ありました。
    3つとも、少し長く、特に3つ目は、途中で方向が変わるので、足元の目視が大切でした。

    さて、そこから少し道が良くなったと思うと、また岩がちになります。
    横に鎖の張ってあるところもありました。
    笹藪のトンネルのようなところを抜けると、少し展望が良くなり、やがて、目指す犬越路の避難小屋が見えてきました。

    避難小屋。14:20。
    犬が登ってきました。
    飼い主は、ペットボトルの水を手のひらにためて、犬に飲ませていました。
    いつまでもいつまでも飲んでいます。
    この暑さで登ってきたら、そりゃいくら水分補給しても足りない。
    ワンコも大変だなあと思いましたが、水を飲み終わった後、ふっとこちらを見上げる目が輝いていました。
    楽しそうで何より。

    さて、下山。
    ここは4つ辻で、その中で一番鬱蒼とした細い道が用木沢に降りていく道でした。
    何となく荒れた感じの道を下っていきます。
    だんだん道が良くなりますが、砂地のために滑りやすいところなどもあり、ちょっと緊張。
    沢音も近づいてきます。
    用木沢も、徒渉が必要な場合があるので、気が重くなってきました。
    橋をかけても、また流れ落ちてしまうようです。
    今回の徒渉箇所は1か所。
    しかも、川の中は一歩だけだったので、楽勝。
    その次の長めの徒渉を覚悟していた場所は、橋がかかっていました。
    ヽ(^。^)ノ

    しっかりした造りの橋が多くなり、最後に鉄製の橋を渡れば、後はもう危険なところはありません。
    用木沢出合。15:25。
    そこからは車道。
    キャンプ場の自販機で、コーラを購入。
    飲みながら、のんびり歩き、西丹沢自然教室。15:50。
    木陰のバス停で、ほっとひと息。
    鎖場で会った若者は、無事に15時40分のバスに乗れたようです。
    16:25のバスは、早めにやってきました。
    あとは、いつものように、新松田駅から小田急に乗り、鶴巻温泉下車。
    弘法の里湯に入り、駅前のコンビニでビールを買って、いそいそとまた駅に入りました。

      


  • Posted by セギ at 13:47Comments(0)